久保 陽貴(くぼ はるき、2007年2月8日 - )は、広島… 久保 陽貴(くぼ はるき、2007年2月8日 - )は、広島県三次市出身の歌手、YouTuber。 2025年3月、広島県立三次高等学校卒業。同年に自身のSNSで東京の大学に進学することを発表した。 2020年3月、テレビ東京「THE カラオケ☆バトル~U-18 歌うま大甲子園 四天王揃い踏み 最強王者決定戦~」でデビュー。現在はコンサート、ライブ活動を行う。
広島県 三次市:57人
※有名人ナビに登録されている57人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
久保 陽貴(くぼ はるき、2007年2月8日 - )は、広島… 久保 陽貴(くぼ はるき、2007年2月8日 - )は、広島県三次市出身の歌手、YouTuber。 2025年3月、広島県立三次高等学校卒業。同年に自身のSNSで東京の大学に進学することを発表した。 2020年3月、テレビ東京「THE カラオケ☆バトル~U-18 歌うま大甲子園 四天王揃い踏み 最強王者決定戦~」でデビュー。現在はコンサート、ライブ活動を行う。
宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広… 宗山 塁(むねやま るい、2003年2月27日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学1年生の時に野球を始め、小学6年生の時に広島東洋カープジュニアに選出される。中学時代は軟式の高陽スカイバンズでプレー。高校は広陵高校に進学した。広陵高校では1年生の夏からベンチ入りを果たし、その夏に背番号17、2年生の春に背番号6で、それぞれ甲子園に出場した。 広陵では1年生の秋に明治神宮野球大会に出場し、チーム自体は初戦で星稜の奥川恭伸に抑え込まれコールド負けとなったが、自身は2安打を放つ。同学年に自身と同じ2024年のドラフト会議でプロ入りした渡部聖弥がおり、寮でも同部屋であった。
重廣 卓也(しげひろ たくや、1995年5月5日 - )は、… 重廣 卓也(しげひろ たくや、1995年5月5日 - )は、広島県三次市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・徳島ヴォルティス所属。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 広島皆実高校では高校3年時に第92回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。高校卒業後は阪南大学に入学してサッカー部に入部。1年時から出場機会を確保して、1年から全日本大学選抜にも選出された。2年時に2015年夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表に選出、4年時にも2017年夏季ユニバーシアードのサッカー日本代表に選出され主将を務めて大会優勝に貢献した。2017年5月11日、2018年より京都サンガF.C.に加入すると発表された。
坂本 光士郎(さかもと こうしろう、1994年9月9日 - … 坂本 光士郎(さかもと こうしろう、1994年9月9日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。千葉ロッテマリーンズ所属。 小学1年生で野球を始め、三次市立十日市中学校では軟式野球部に所属。如水館高校では2年夏に甲子園へ出場し、背番号11の控え投手として登板した。ただ、2年秋に新チームとなっても3番手投手であり、高校時代の最速は135km/hであった。 日本文理大学へ進学し、遠投でひたすら肩を鍛えると、最速145km/hまで上昇。また、進学後に習得したカットボールとツーシームとの相乗効果もあり、4年春からチームのエースとなった。4年時はリーグ戦にて、2季連続でMVPを獲得。6月の全日本大学野球選手権と11月の明治神宮大会の出場に貢献した。
大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広… 大田 泰示(おおた たいし、1990年6月9日 - )は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。
瀬川 和樹(せがわ かずき、1990年4月25日 - )は、… 瀬川 和樹(せがわ かずき、1990年4月25日 - )は、広島県三次市出身のプロサッカー選手。ポジションは、ディフェンダー。 盈進高校を経て、国士舘大学へ進学。2011年からは2年連続でデンソーカップチャレンジサッカーの関東大学選抜Bのメンバーに選出された。 2013年より、ザスパクサツ群馬に入団。同年4月28日、第11節の徳島戦でJリーグ初得点を記録した。 2015年、モンテディオ山形に移籍。石崎監督時代はわずか2試合の出場にとどまるも、2017年に木山隆之が監督に就任すると主力選手として活躍し、フリーキックなどのプレースキッカーを任された。 2018年よりレノファ山口FCに完全移籍。当初は4バックでの左SBを任されていたが、シーズン中盤以降は鳥養祐矢にレギュラーを奪われるなどしたが、3バックにシステム変更して以降は左WBとしてレギュラーに復帰。
佐々木 リョウ(1988年4月24日 - )は、日本の男性シ… 佐々木 リョウ(1988年4月24日 - )は、日本の男性シンガーソングライター。広島県三次市出身。2016年、まるか食品の「イカ天瀬戸内れもん味」PR大使に就任。 1988年4月24日、広島県三次市に生まれる。ドラマーの父、ピアニストの母、クラリネット奏者の姉を持ち、天真爛漫な幼少期を過ごす。 広島県立八次小学校に入学。当時から熱狂していた広島東洋カープに影響され、5年生の時にスポーツ少年団に入り、野球を始めたが1年あまりで退部。退部の原因は、当時コンプレックスだった肥満体型を指摘されたためである。その後、自宅倉庫にしまってあった父のクラシックギターを触り始めたことがきっかけとなり、音楽にのめり込んでいくこととなる。
永川 光浩 (ながかわ みつひろ、1987年11月2日 - … 永川 光浩 (ながかわ みつひろ、1987年11月2日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。NPBでは育成選手であった。実兄は元プロ野球選手で広島東洋カープでの同僚でもあった永川勝浩。 小学校3年時から野球を始める。ポジションは兄と同じ投手。広島県立三次高等学校ではエース投手だったが、肘の故障によって3年生夏は控えとなり抑え投手として登板。県大会の決勝戦で敗れ、甲子園には出場できなかった。龍谷大学進学後は2年生の秋からベンチ入りしたが肘の故障が多発し、リーグ戦初登板は4年生の春だった。 2009年ドラフト会議において広島東洋カープから育成1巡目で指名され、入団。 2012年3月27日、同シーズンは徳島インディゴソックス(四国アイランドリーグplus)に派遣されることが発表された。
小路 紘史(しょうじ ひろし、1986年7月11日 - )は… 小路 紘史(しょうじ ひろし、1986年7月11日 - )は、日本の映画監督。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校、東京フィルムセンター映画・俳優専門学校 (現:東京俳優・映画&放送専門学校)映画制作学科卒業。 幼稚園の頃より映画好きで、映画関係の仕事に就きたいと広島県立三次高等学校を卒業後に上京し、東京フィルムセンター映画・俳優専門学校(現:東京俳優・映画&放送専門学校)に進学し映画制作学科にて学ぶ。CG専攻も考えたものの、実際に映画を作ったことで「自分の思い描いた映画を作れるのは監督だけ」と映画監督の道へ進む。最も影響を受けた映画人として、同校講師を務めるアメリカ人監督ダグ・キャンベルの名を挙げる。
長谷部 成彦(はせべ なるひこ、1983年8月9日 - )は… 長谷部 成彦(はせべ なるひこ、1983年8月9日 - )は、日本の俳優、モデル、脚本家。現在、俳優活動の傍ら、シナリオセンターの講師を務めている。 広島県三次市出身。松田優作主演ドラマ『探偵物語』に衝撃を受け、俳優を志す。広島県立三次高等学校を経て、奈良大学卒業。大学を卒業後に上京、舞台を中心に、TV、映画でも活躍している。
大杉 誠人(おおすぎ まさと、1983年2月2日 - )は、… 大杉 誠人(おおすぎ まさと、1983年2月2日 - )は、広島県出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 山陽高校から阪南大学を経て、2005年にJFLの佐川印刷SCに加入。MF登録ながらDFとしても起用された。2006年には佐川急便大阪SCに移籍しDFとしての登録となったが、負傷の影響によりリーグ戦初出場は8月にずれ込み、9試合の出場にとどまった。 2007年、佐川大阪が佐川急便東京SCと合併して発足した佐川急便SC(後のSAGAWA SHIGA FC)に加入したが、合併に伴う競争の激化により出場機会を失った。2008年には主にDFのバックアップとしてメンバー入りし、右サイドバックなどで先発出場も果たした。
中広 大悟(なかひろ だいご、1981年8月21日 - )は… 中広 大悟(なかひろ だいご、1981年8月21日 - )は、日本のプロボクサー。広島県三次市出身。第33代日本スーパーフライ級王者。広島三栄ボクシングジム所属。広島県立広島皆実高等学校、広島経済大学大学院修士課程修了。広島市安芸区・瀬野川病院勤務。 高校時代はサッカー部に所属、同期にはフットサル日本代表の瀬戸彬仁やプロサッカー選手の秦賢二がいる。 ボクシングは大学入学後に始めた。 2001年9月16日、プロデビューを福岡県春日市にて行い4R判定勝利を収めた。 2002年12月22日、その後5連勝で西軍スーパーフライ級代表として、東日本代表河野公平(ワタナベ)と全日本スーパーフライ級新人王を後楽園ホールで争い、6R判定勝利で新人王奪取し日本ランク入り。
永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - … 永川 勝浩(ながかわ かつひろ、1980年12月14日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 三次市立三次中学校時代はバスケットボール部に所属しており、後のチームメイトの梵英心は三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみだった。 3年間のブランクがあったが広島県新庄高校で再び野球を始める。高校の同級生にMEG、2年先輩にCHEMISTRYの堂珍嘉邦がいた。卒業後は亜細亜大学へ進み、上級生になるとエース・木佐貫洋に次ぐ投手として、同じく同期の小山良男とバッテリーを組んだ。4年の大学選手権は準々決勝で先発勝利、明治神宮大会は準決勝で完封し優勝に貢献した。東都大学リーグ通算成績は、15試合の登板で、5勝4敗、防御率2.03。
梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は… 梵 英心(そよぎ えいしん、1980年10月11日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、プロ野球コーチ。 実家は浄土真宗本願寺派専法寺。永川勝浩とは三次市の同じ少年野球チームに所属した幼なじみ。高校時代も1度だけ公式戦で対戦があり、この時は3打数3安打だった。しかし大学野球時代は永川から1本もヒットを打てなかった。三次高校時代は、2年夏のベスト16が最高、3年夏は2回戦敗退(広島工に惜敗)。東都大学野球の駒澤大学に進学し、2年秋からレギュラー。4年春に最下位となってチーム初の2部降格を経験。1部リーグ通算42試合に出場、141打数33安打、打率.234、2本塁打、11打点を記録。
稲田 千賢(いなだ ちかし、1977年9月30日 - )は、… 稲田 千賢(いなだ ちかし、1977年9月30日 - )は、日本の男性プロボクサー。第39代OPBF東洋太平洋ライト級王者。広島県三次市出身。帝拳ジム所属。広陵高等学校卒業、法政大学法学部法律学科中退。 アマチュアボクシングは80勝12敗。1998年、かながわ・ゆめ国体ライト級優勝を果たした。 2000年3月18日、アマチュアエリートとして6回戦からデビューし5回TKOで勝利。その後15連勝。 2004年3月20日、嶋田雄大の持つ日本ライト級王座に挑戦。10回判定まで縺れるも、判定負け。10月2日、OPBF東洋太平洋ライト級王座デニス・ローレンテ(フィリピン)に挑戦。これも12回判定で敗れる。 2005年3月5日、1戦1勝後再度デニス・ローレンテに挑み、12回判定で勝利しタイトル奪取。
福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は… 福原 忍(ふくはら しのぶ、1976年12月28日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 現役時代から2024年のコーチ退任まで一貫して阪神タイガースに所属。現役最終年の2016年には投手キャプテンを務めた。 二岡智宏とは小学校から広陵高校まで同窓で、小学校では4度クラスメイトになった。野球を始めたのも二岡と兄の影響である。高校3年時は二岡との二枚看板で夏の広島大会では優勝候補筆頭に挙げられていたが、新井貴浩を擁する広島工業高校に敗れた。東都大学野球連盟所属の東洋大学に進学。1部リーグ通算14試合に登板、1勝4敗 防御率4.87で、4年時は春から2部リーグながら秋に6連勝をしてMVPで1部復帰の原動力となった。
二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は… 二岡 智宏(におか ともひろ、1976年4月29日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)・野球指導者。現在はジェイプロジェクト硬式野球部監督。 広島県三次市出身。同じプロ野球選手の福原忍と小学校から高校(広陵高等学校)まで同窓であり、中学校までは二岡がエースだった。 1993年(広陵高校2年生時)の秋、翌1994年春の選抜高校野球大会の実質的な予選となる広島県秋季大会に選手として出場。10月2日に行われた同大会の準決勝を応援に向かった両親が交通事故に遭う。二岡は準決勝終了後に、母親は無事だったが父親が意識不明であることを知らされる。当日夜は病院で父に付き添い、10月3日の決勝へ臨むこととなった(この頃「自分の責任ではないか」とも思えていたという。
竹岡 和範(たけおか かずのり、1975年9月13日 - )… 竹岡 和範(たけおか かずのり、1975年9月13日 - )は、日本のお笑い芸人。広島県三次市生まれ、広島市安芸区船越育ち。現在はフリー。お笑いコンビのアマレス兄弟のアマレス兄。身長163cm。体重63kg。 細かすぎて伝わらないモノマネに代表されるようにマニアックなネタが多い。 街中にいる一般人のモノマネや、プロ野球解説者のモノマネや、格闘家ミノワマンのモノマネ『ミニワマン』もある。 レパートリーは武田一浩、福本豊、ミノワマン、山田孝之、デービッド・オルティス、星野真里、森泉、居るの居ないのかわからない一般人(yahoo知恵袋ネタ等)、主に重箱の隅をつつくようなネタが支流。 コンビ「アマレス兄弟」においては、舞台上でレスリングの真剣勝負を演じながら「アマレスあるある」などのネタを披露している。
谷尻誠(たにじり まこと、1974年 -)は、日本の建築家。… 谷尻誠(たにじり まこと、1974年 -)は、日本の建築家。SUPPOSE DESIGN OFFICE代表。 yado代表取締役。Mietell代表取締役。 1974年、広島県三次市生まれ。 広島県立日彰館高等学校、穴吹デザイン専門学校卒業。本兼建築設計事務所、HAL建築工房を経て、2000年にSupposedesign officeを設立。2014年SUPPOSE DESIGN OFFICE Co.,Ltd. を吉田愛とともに共同設立。 2018年に公開されたアニメーション映画『未来のミライ』では、作品の舞台となる主人公の自宅を設計した。
竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は… 竹村 栄哉(たけむら よしや、1973年12月6日 - )は、広島県三次市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 広島県山陽高校卒業後、1992年にフジタ(ベルマーレ平塚)に加入。1994年8月17日のニコスシリーズ第3節でJリーグ初出場、1995年9月2日のニコスシリーズ第6節でJリーグ初ゴールを記録。 その後、1998年から水戸ホーリーホック、1999年途中から大分トリニータ、2002年から大宮アルディージャ、2004年からサガン鳥栖でプレー。2006年シーズン限りで鳥栖との契約が満了になり、クラブ側からはコーチ就任を打診されたが、大分時代の同僚である原田武男に誘われて九州リーグのV・ファーレン長崎に移籍。
山村 亜希(やまむら あき、1973年 - )は、歴史地理学… 山村 亜希(やまむら あき、1973年 - )は、歴史地理学を専門とする日本の地理学者、京都大学教授。主な研究テーマは、日本の中世都市の景観史であり、テレビ番組『ブラタモリ』への出演などでも知られる。 広島県三次市生まれ。1992年に広島大学附属福山高等学校を卒業した。 1996年、京都大学文学部文化行動学科地理学専攻を卒業して大学院文学研究科行動文化学専攻地理学専修に進学し、1998年に修士課程、2001年に博士後期課程を修了、博士論文「日本中世都市の空間構造に関する歴史地理学的研究」により博士(文学)を取得した。博士後期課程在学中は日本学術振興会特別研究員(DC1)であった。 2001年から2003年9月まで、京都大学総合博物館に助手として勤務した後、2003年10月から愛知県立大学文学部日本文化学科講師に転じ、2006年に助教授に昇任、2007年に制度変更により准教授となり、さらに2009年には改組に伴い日本文化学部歴史文化学科准教授となった。
松藤 好典(まつふじ よしのり、1968年10月17日 - … 松藤 好典(まつふじ よしのり、1968年10月17日 - )は、広島ホームテレビ (HOME) の報道記者、元同局のアナウンサー。 広島県三次市出身。早稲田大学商学部卒業。 大学を卒業後、1992年に山口放送 (KRY) に入社。同局でアナウンサーを務めた後、1998年7月1日付で広島ホームテレビへ移籍した。 2006年には同じく広島県で活動する波田健一、石橋竜史、いまおかゆう子とともに、難病に立ち向かう子供とその保護者たちをサンフレッチェ広島のホームゲームに招待する「スマイル・シート」設立に携わった。 アナウンス職を離れた後も、広島市で起きた土砂災害(平成26年8月豪雨による広島市の土砂災害)関連の情報を伝えるため、2014年9月20日放送の『ANNニュース』にANN取材班のリポーターとして出演した。
佐々木 裕一(ささき ゆういち、1967年3月27日 - )… 佐々木 裕一(ささき ゆういち、1967年3月27日 - )は日本の小説家。架空戦記、時代小説の分野で活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校卒業後、外資系の米軍軍需メーカーに就職し、自動車部品部門にて工作機械の修理に当たる。そのかたわら執筆活動に入り、2003年に『ネオ・ワールドウォー』でデビュー。当初は架空戦記を発表していたが、2010年からは時代小説にも手を広げている。
中重 勝(なかしげ まさる、1963年9月28日 - )は広… 中重 勝(なかしげ まさる、1963年9月28日 - )は広島県三次市出身のライフル射撃選手。アトランタ五輪、シドニー五輪、アテネ五輪代表。広島県警。三次高等学校卒業。
原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島… 原 伸次(はら しんじ、1962年11月3日 - )は、広島県三次市出身の元プロ野球選手。野球解説者。 引退後は鉄板焼き屋・Haraya(はらや、広島市中区十日市)を経営している。 1980年、広陵高等学校の4番・捕手として、渡辺一博とバッテリーを組み、春夏の甲子園に連続出場。春の選抜では準決勝に進むが、高知商のエース中西清起に抑えられ敗退。夏の選手権では準々決勝で藤本博史のいた天理高に敗れる。同期には、主将を務めた中井哲之がいる。 1980年のドラフト4位で地元広島東洋カープに捕手として入団、高卒で4位指名ながら捕手のエースナンバー27が与えられるも、正捕手には達川光男、サブには山中潔が控えており、内野手に転向。
西尾 大介(にしお だいすけ、1959年4月1日 - )は、… 西尾 大介(にしお だいすけ、1959年4月1日 - )は、日本のアニメーション監督である。広島県三次市出身。東映アニメーション所属。
岡田 しづき(おかだ しづき、1956年1月16日 - )は… 岡田 しづき(おかだ しづき、1956年1月16日 - )は、広島県三次市出身、大阪府岸和田市在住の演歌歌手。本名・元田静樹。血液型A型。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
おだ 辰夫(おだ たつお、1952年 - )は、広島県三次市… おだ 辰夫(おだ たつお、1952年 - )は、広島県三次市出身の漫画家。 1969年、『フクメンくん』(週刊少年ジャンプ)でデビュー。 作中では、登場人物が全速力で走り抜ける時、コマの中で自身の姓にあやかった「おだだだだだだ…」という擬音が出るのが特徴(外部リンク参照)。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年… 成世 昌平(なるせ しょうへい、本名:堀邉 茂樹、1951年6月10日 - )は、広島県三次市出身の演歌歌手。株式会社日本クラウン所属。既婚。所属事務所はハブ・マーシー。既婚、2女あり。 大阪市立都島工業高等学校卒業後、島津製作所に就職。高校在学中に落語家を目指し、桂米朝に弟子入り志願するが、「母ひとり子ひとりの家庭ならば、まずは仕事をしなさい」という趣旨の手紙が届き諦めた。Green2(グリーングリーン)のメンバー堀辺智寿(ほりべ ちず)は娘。 島津製作所在職中の1974年から独学で民謡の勉強を始め、1977年と1978年に「産経民謡大賞」(産経新聞社主催)の青年の部で連続優勝。1978年に島津製作所を退職。
桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )… 桑原 正紀(くわはら まさき、1948年8月12日 - )は歌人。 広島県双三郡君田村大字泉吉田(現・三次市君田町)に生まれる。君田小学校、君田中学校を経て、広島県立三次高等学校卒業。中学時代は野球を始め、スポーツに親しむと同時に、芥川龍之介や太宰治などを読む。高校時代は、読書をよくするとともに、サッカー部と卓球部を兼部。高校一年のとき、授業で初めて短歌を制作する。 國學院大學文学部卒業、同大学院修士課程・博士課程修了。卒業論文は催馬楽の研究、修士論文は古代歌謡の研究。大学院修了後、立教高等学校の教諭となる。野球部の顧問を務め、教え子に長嶋一茂がいる。 1973年、歌誌「コスモス」に入会、宮柊二に師事。
新宅 冨士夫(しんたく ふじお、1947年8月31日 - )… 新宅 冨士夫(しんたく ふじお、1947年8月31日 - )は、広島テレビ(HTV)の元アナウンサー。広島県三次市出身。三次ケーブルビジョン社長。 広島県立三次高等学校(41年卒)を経て広島大学を卒業後、1969年に広島テレビへ入社。アナウンサーとしてスポーツ中継、報道番組を務め、のちにプロデューサー、福山支社長を務めた。同期に加藤進がいる。系列局の同期に日本テレビの吉田填一郎がいる。 定年退職後、地元三次市の三次ケーブルビジョンで常務、専務取締役を経て代表取締役社長就任。 趣味は登山と農作業。
浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )… 浅原 利正(あさはら としまさ、1946年8月12日 - )は、日本の外科医、広島大学名誉教授。第11代広島大学学長(2007年5月21日~2015年)。広島県双三郡作木村(現 三次市作木町)出身。
増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1… 増田 和俊(ますだ かずとし、1946年(昭和21年)6月1日 - )は、日本の政治家。元広島県三次市長(2期)、元作木村長(2期)。 広島県作木村生まれ。1965年3月、広島県立三次高等学校卒業。1966年4月、作木村職員となる。1995年3月、同村の助役に就任。 1999年2月、作木村長に就任。2004年4月1日、三次市(旧)、双三郡君田村、布野村、作木村、吉舎町、三良坂町、三和町、甲奴郡甲奴町の8市町村が新設合併し、新しい三次市が誕生する。それに伴い同職を失職。2008年4月、三次市の副市長に就任。同年9月、佛教大学社会学部卒業。 2011年3月31日、公職選挙法違反の疑いで書類送検されていた三次市長の村井政也が、裁判所から罰金の略式命令を受けたことにより辞職。
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月… 柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。 婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)などが所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。
谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018… 谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018年2月24日)は、株式会社ジェイ・エム・エス元代表取締役社長。広島県三次市出身。 発注生産管理に於いてコンピューターでの一元管理システムの構築に貢献。シンガポール子会社設立に携わった。趣味は囲碁。
竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)… 竹河内 捷次(たけごうち しょうじ、1943年(昭和18年)3月10日 - )は、日本の航空自衛官。第25代航空幕僚長、第24代統合幕僚会議議長。勲等は瑞宝大綬章。 広島県三次市出身。防衛大学校第9期卒業後、航空自衛隊に入隊し、戦闘機パイロットとなる。若い頃はF-86やF-4EJなどで昼夜を問わず緊急発進し、旧ソ連軍機などに直接対峙して対領空侵犯措置任務を行った。 その後、空幕防衛部防衛課長、第5航空団司令、北部航空方面隊司令官、航空支援集団司令官、航空総隊司令官等の要職を経て、1999年(平成11年)7月、第25代航空幕僚長に就任。2001年(平成13年)3月には制服組トップの第24代統合幕僚会議議長(現・統合幕僚長)に就任した。
辻村 寿三郎(つじむら じゅさぶろう)1933年〈昭和8年〉… 辻村 寿三郎(つじむら じゅさぶろう)1933年〈昭和8年〉11月11日 - 2023年〈令和5年〉2月5日)は、日本の人形作家、人形操作師。アートディレクター。旧名は辻村ジュサブロー。 その異才ぶりを遺憾なく発揮し、数々の創作人形の発表、人形芝居の上演、舞台衣裳デザインなど精力的な活動を行った。日本を代表する人形作家でありながら人形の世界にとどまらず、総合的なアーティストとして各方面より大きな注目を集めていた。また人形館(ジュサブロー館)では作品展示の他、アトリエを公開しファンとの交流を図っていた。人形町で唯一人の人形職人であった。 なお人形町にあったジュサブロー館は2015年9月12日をもって閉館。
稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 20… 稲垣 人司(いながき ひとし、1932年6月15日 - 2000年10月15日)は、広島県三次市出身の高校野球指導者、監督。 三次中学校(現在の三次高校)卒業後、大蔵省中国財務局に入局するが2年で退職し、石本秀一の書生となって2年間野球を学ぶ。1968年春から1970年春にかけて2年間、大東文化大学硬式野球部の2代目監督に就任。これは、初代監督の岡田悦哉が広島東洋カープ二軍バッテリーコーチに就任したためだった。広島工業高校コーチを経て1976年、創部まもない東京の創価高校監督に就任。小野和義を擁して1983年夏の甲子園に同校を初出場に導いた。その後、神奈川の桐光学園監督を経て1989年、創立8年目の埼玉の花咲徳栄高校に招かれ監督就任。
中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中… 中尾 堯(なかお たかし、1931年12月14日 - )、中尾堯文(なかお ぎょうぶん)。日本の歴史学者、仏教学者、立正大学名誉教授。仏教古文書学の観点からの日蓮遺文や曼荼羅本尊などを研究。 広島県三次市生まれ。 立正大学文学部史学科卒、1957年(昭和32年)同大学院修士課程修了、同文学部副手、助手。立正女子大学短期大学助教授。1974年(昭和49年)『日蓮宗の成立と展開 中山法華経寺を中心として』で、文学博士(東京教育大学)の学位を取得。 1979年(昭和54年)立正大学文学部教授。 2002年(平成14年)定年退任、名誉教授。日本古文書学会会長、文部省学術審議会専門委員、文化庁文化財保護審議会専門委員、千葉県文化財保護審議会委員などを歴任。
渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2… 渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日 - 2006年9月18日)は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手(投手)。 私立日彰館中学校卒業後、広島県庁の軟式野球チーム「オール県庁」で広岡富夫とバッテリーを組む。剛速球投手として知られていた渡辺はある日、広島球団から呼び出しがあって広陵高へ行ってみると石本秀一監督が立ち合ってのテストであった。ものの10分ほど投げると「カープへ来ないか」と誘われたが、渡辺に入る気は無く、県庁の職員からも「なんで渡世稼業みたいな世界に入らないけんのや」と猛反対された。結局、渡辺は「独身だったし、測量や設計の技術者だったこともあって食べることには心配ない。
わちさんぺい(本名:中岡 二春(なかおか にはる)、1926… わちさんぺい(本名:中岡 二春(なかおか にはる)、1926年3月 - 1999年12月10日)は、広島県三次市出身の漫画家。 山梨航空技術学校(現:日本航空高等学校)卒業。1941年4月、陸軍飛行実験部(後の陸軍航空審査部)に入部し偵察隊に配属される。配属ひと月足らずで九五式三型練習機の整備を任される。その時は、専門の航空学校で学んだ知識と技術が認められた気がして嬉しくてたまらなかったという。 しかし、その九五式三型練習機の発動機の試運転の際、車輪止めを付け忘れて発動機を始動させたため、機体が前に進み、自動車に激突しプロペラと発動機を大破させてしまう重大事故を起こす。本人は「これで陸軍永久追放か」と覚悟したが、飛行実験部の隊長加藤敏夫大佐は「よしよし。
福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月1… 福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月18日 - 2001年(平成13年)3月25日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(4期)、三次市長(4期)などを歴任した。
岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - … 岩本 信一(いわもと のぶかず、 1921年1月26日 - 2000年1月20日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・審判員。 兄は元祖神主打法として知られる岩本義行。 旧制広陵中学では白石勝巳らの2学年下に当たり、中学時代は主力投手ではなかったが、卒業後の1939年に明治大学へ進学。谷沢梅雄監督率いる黄金時代で活躍し、戦後は明電舎を経て、1946年に広陵の先輩・平桝敏男や濃人渉、門前眞佐人らと広島駅前で遊興産業に携わっていた広島鯉城園のノンプロチームに参加。同年夏に戦後初の都市対抗野球大会へ出場し、初戦で先発・橋本正吾の後を継ぐ2番手としてマウンドに上がるも、この大会優勝した大日本土木に打ち込まれ惨敗した。
升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈… 升田 幸三(ますだ こうそう/ますだ こうぞう、1918年〈大正7年〉3月21日 - 1991年〈平成3年〉4月5日)は、将棋棋士、実力制第四代名人。棋士番号18。 木見金治郎の弟子であり、木村義雄・塚田正夫・大山康晴と死闘を演じ、木村引退後は大山と戦後将棋界で覇を競った。昭和の将棋界で一番のスター棋士である。 名前の読みは「こうそう」であるが、将棋界では「こうぞう」で通した。 父栄一、母カツノの四男として生まれる。1932年(昭和7年)2月に「日本一の将棋指し」を目指して家出。家出の時に愛する母の使う物差しの裏に墨でしたためた「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら…」の文言は、後に現実のものとなる(詳細は後述)。
島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日… 島田 虔次(しまだ けんじ、1917年(大正6年)8月12日 - 2000年(平成12年)3月21日)は、日本の東洋史学者。京都大学名誉教授。1940年代から中国近世・近代思想史の研究を続け、その後の日本の研究を牽引した。 1917年、広島県三次市で生まれた。広島高等師範学校附属中学校(現:広島大学附属中学校・高等学校)、広島県立三次中学校(現:広島県立三次高等学校)、中華民国青島日本中学校を経て、1938年に第三高等学校文科丙類を卒業した。京都帝国大学文学部史学科で学び、1941年に卒業。 卒業後は長野県立野沢高等女学校(現:長野県野沢南高等学校)に勤務。1943年、東方文化研究所(現:京都大学人文科学研究所)助手に採用された。
門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1… 門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1984年2月22日)は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。大阪タイガース契約第1号選手。「眞」が旧字体であるため、媒体によって門前 真佐人と表記される。 旧制広陵中学3年次に正捕手となる。強肩強打で鳴らし、4年次には豪打広陵の4番に座る。1934年は夏の選手権広島予選決勝で何度も苦汁をなめさせられた藤村富美男率いる呉港中学にまたも惜敗(2対3)。呉港中はこの年、田川豊・橋本正吾・保手浜明らを揃え、高い総合力で川上哲治らの熊本工業などの全国の強豪をまったく寄せ付けず圧勝し全国制覇、門前らは地団駄を踏む。門前が最上級となった1935年、今度は広陵が白石勝巳・岡田宗芳・海蔵寺弘司・戒能朶一・秋山正信・室脇正信ら7人がプロ入りするという強力打線を形成。
奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7… 奥田 元宋(おくだ げんそう、1912年(明治45年)6月7日 - 2003年(平成15年)2月15日)は日本画家。元・日本芸術院会員。1984年(昭和59年)に文化勲章受章。本名は奧田 嚴三(おくだ げんそう)。妻は人形作家の奥田小由女。 「元宋の赤」と言われる独特な赤色が特徴。「美術人名辞典」(思文閣)によれば「自然と自己の内面を照応した幽玄な山水で精神性の濃い絵画世界を築く」と評されているほか、ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典には「日本の風景美の伝統を受け継いだ静かで神秘的な水墨画の世界に、多彩な色使いによる色彩美を加え、新朦朧派と評される独自の風景画を確立した」と解説されている。 歌人としても著名で、1981年正月には宮中歌会始の召人に選ばれた。
岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2… 岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。「元祖神主打法」「初代トリプルスリー」[4]。弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる[5]。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
佐々 元十(ささ げんじゅう、本名・佐々木高成、1903年1… 佐々 元十(ささ げんじゅう、本名・佐々木高成、1903年1月14日 - 1959年7月7日)は、共産主義運動家。日本の映画監督。「玩具のカメラが武器になる」の名言を残した日本のプロレタリア映画の先駆者である。 広島県双三郡三次町(現・三次市)出身。東京帝国大学仏文科中退。 1930年前後に日本中に吹き荒れたマルクス旋風の中、まだ左翼劇場が生まれる前の1927年、佐々はプロレタリア劇場内に映画班という組織を作り、『1927年メーデー』を9.5mのパテ・ベビーカメラで撮影した。実質的に佐々一人で製作したといわれる本作は、階級的立場を明確にした映画運動の先駆となる。これ以前にも左翼的な立場から映画を論じ、当時の映画を批判したものはあった。