山﨑 草太(やまさき そうた、2004年〈平成16年〉10月… 山﨑 草太(やまさき そうた、2004年〈平成16年〉10月19日 - )は、山口県長門市出身の陸上競技選手。専門は長距離走。山口県立西京高等学校卒業、中央大学文学部在学中。 長門市立日置中学校、山口県立西京高等学校出身。 大学1年次の第100回箱根駅伝では西京高からの先輩で、5区に2年連続で出走していた阿部陽樹を8区に回し、阿部に代わる形で5区に出走したが、チーム内に蔓延していた風邪の影響もあり区間14位に終わった。 以降は三大駅伝への出走はないが、3年次からはマネージャーを務めながらレースに出走しており、好記録を連発している。2026年4月には3000mSCに初出走ながら8分53秒37を記録し、同学年で学生歴代2位の記録を持つ柴田大地に先着し、日本一速い主務として話題になった。
野原 優子(のはら ゆうこ、1988年1月23日 - )は、… 野原 優子(のはら ゆうこ、1988年1月23日 - )は、山口県長門市出身の元陸上競技選手(長距離種目)である。 日本ジュニアを代表する長距離選手の一人で、中学2年時に全国女子駅伝8区を走り、区間新となった区間賞獲得者に2秒遅れる区間2位。9分55秒というタイムは区間タイ記録(当時)であり、2016年現在でも区間歴代10位タイである。 筑紫女学園高等学校在学中の2003年、世界ユース選手権に出場し3000mで銅メダルを獲得し、将来を嘱望されるようになる。さらに同年の第58回国民体育大会では少年女子共通3000mで9分05秒63という実業団選手と遜色のないタイムを出して、3000m高校1年生歴代最高記録を更新した。
好永 貴雄(よしなが たかお、1987年9月18日 - )は… 好永 貴雄(よしなが たかお、1987年9月18日 - )は元社会人野球の選手(投手)である。山口県長門市(旧・大津郡日置町)出身。
下村 祐一郎(しもむら ゆういちろう、1984年5月10日 … 下村 祐一郎(しもむら ゆういちろう、1984年5月10日 - )は、福岡県内を中心に活動している日本のシンガーソングライター、キーボーディスト、アレンジャー、ラジオパーソナリティ。 アコースティックバンド「トリミライト」のボーカル・キーボード担当メンバーとしても活動中。その際のアーティストネームは「ハーモニー下村」となっている。 他ミュージシャンへのサポート活動については、後述を参照。 2004年から福岡で活動するミュージシャンのライブやレコーディングにピアノ・キーボードプレイヤーとして参加。基本的にはアコースティック系のインディーズミュージシャンが中心だが、手掛けたミュージシャンがメジャーデビューを果たしたり(ももちひろこなど)、最近ではヒップホップやロックバンドのサポートも務めるなど、音楽の幅を拡げている。
木原 千春(きはら ちはる、1979年 - )は、日本の女性… 木原 千春(きはら ちはる、1979年 - )は、日本の女性画家。山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身。高校中退後、独学で絵画を学ぶ。動物、昆虫、植物などの生きものをモチーフに、ダイナミックな筆致と鮮やかな色彩で「生命力」を描き出す作風で知られる。 1979年、山口県大津郡三隅町(現・長門市)に生まれる。幼少期より画家を志し、美術の教科書でレオナルド・ダ・ヴィンチの『モナ・リザ』やフランシス・ベーコンの頭部の作品に衝撃を受け、画家になることを決意する。後に雪舟の山水画にも影響を受けた。 高校時代、美術室でタケノコを鉛筆で画用紙に描いたとき、「線がまるで生き物みたいに生き生きと動き出す感覚を覚えた」といい、このときに画家としての方向性が見えたという。
タサン 志麻(タサン しま、仏: Shima Tassin、… タサン 志麻(タサン しま、仏: Shima Tassin、1979年 - )は、日本の家政婦・料理人。山口県長門市出身。 幼少期から料理に親しむ環境に育つ。山口県立大津高等学校(現在の山口県立大津緑洋高等学校)を卒業した。1999年、大阪あべの・辻調理師専門学校及び辻調グループフランス校を卒業した。三つ星レストラン「ジョルジュ・ブラン」での修行を経て、帰国後は四谷の老舗フランス料理店やビストロで15年間料理人を務めた。 渡仏時に知り衝撃を受けたフランスの家庭料理と、「日本のフランス料理」との違和感から2015年に料理人としての仕事を辞め、家庭料理を学ぶべく再び渡仏することを決意するが、渡航資金を貯めるために勤めたアルバイト先の飲食店で15歳年下のフランス人男性と知り合い、結婚した。
安森 信(やすもり まこと、1977年6月3日 - )は山口… 安森 信(やすもり まこと、1977年6月3日 - )は山口県長門市出身の写真家。 日本写真映像専門学校卒業。CATV勤務を経て、2009年フリーの写真家として活動をはじめる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
油谷 繁(あぶらや しげる、1977年2月8日 - )は、山… 油谷 繁(あぶらや しげる、1977年2月8日 - )は、山口県長門市出身の中国電力陸上競技部所属の陸上競技(長距離走・マラソン)元選手、現指導者。山口県立美祢工業高等学校-中国電力。愛称は「あぶさん」。 主な実績に男子マラソンの種目で、2004年アテネオリンピック5位入賞、2001年世界陸上エドモントン大会・2003年世界陸上パリ大会二大会連続5位入賞など。息子の油谷颯太は元陸上競技選手で、現在は法政大学陸上競技部でマネージャーを務める。 美祢工業時代はほとんど無名。高校3年の時、広島であった全国高校総体中国地区予選に出場。同大会を中国電力の坂口泰監督が全国的に有名だった島根・松江商業の三代直樹(現・富士通)を見るため視察。
荒木 健太(あらき けんた、1976年1月27日 - )は、… 荒木 健太(あらき けんた、1976年1月27日 - )は、日本の音楽家。山口県長門市出身。 11歳で広島県広島市に転居。MSXユーザーとなり、ゲームプログラマーを将来目指すが、中学生の時にバンドブームで米米CLUBやUNICORN、アンジー等の日本のロックに夢中になる。 1990年、14歳の時、ケラリーノ・サンドロヴィッチ率いる有頂天のニュー・ウェイヴ・サウンドに衝撃を受け、シンセサイザー・テクノミュージックを好むようになり所有しているMSXが発する電子音を演奏するプログラミングを始める。1997年、21歳の時に上京。 2000年春に新宿のレコード店ロス・アプソンでCDR作品を発売。 2003年、高円寺の円盤で初ライブ。
緒形 健一(おがた けんいち、1975年1月26日 - )は… 緒形 健一(おがた けんいち、1975年1月26日 - )は、日本の男性シュートボクサー、キックボクサー。本名は漢字違いの尾形 健一(読み同じ)。山口県油谷町(現在の長門市)出身。長門高等学校卒業。シーザージム所属。柔道二段。S-cup 2006王者。元SB日本スーパーウェルター級王者。
田中 モトユキ(たなか モトユキ、1972年12月26日 -… 田中 モトユキ(たなか モトユキ、1972年12月26日 - )は、山口県長門市出身の漫画家。 1996年、『週刊少年サンデー』主催の新人漫画賞「まんがカレッジ」で高校サッカーを題材とした『コンビ!』が入選、同作が『週刊少年サンデー』1996年10月増刊号に掲載されてデビューした。第40回小学館新人コミック大賞で『カベ!』が入選。以後しばらくは『マガジンSPECIAL』や『週刊少年サンデー』で数作の読切り作品が掲載されていた。 2000年にバレーボール漫画『リベロ革命!!』(週刊少年サンデー)で初の連載開始。守備専門のリベロを務める主人公が弱小高校を牽引する姿を描いた。 2002年に野球漫画『鳳ボンバー』を連載。
梶永 正史(かじなが まさし、1969年 - )は、日本の小… 梶永 正史(かじなが まさし、1969年 - )は、日本の小説家。 山口県長門市出身。2013年、『このミステリーがすごい!』大賞受賞者。日本推理作家協会会員。温泉ソムリエアンバサダー、日本酒ナビゲーター。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
末永 慶寛(すえなが よしひろ、1964年12月10日 - … 末永 慶寛(すえなが よしひろ、1964年12月10日 - )は、山口県長門市出身の環境工学者。香川大学副学長 山口県立大津高等学校を経て上京し、1983年(昭和58年)日本大学理工学部に入学、日本大学大学院を経て、日本大学大学院理工学研究科(工学博士)、東京大学海洋研究所技術補佐員を務めた。 1996年(平成8年)から香川大学農学部助手。2009年(平成21年)香川大学工学部(現創造工学部)教授、2019年(令和元年)香川大学創造工学部長、2025年香川大学副学長(研究 ・産官学連携・特命担当)。 藻場礁に海の生物が住み良くなる形の特許権を保有している。 俳優の香川照之と東京大学時代からの親友で、親交が厚い。
井村 尚嗣(いむら たかし、1963年4月24日 - )は、… 井村 尚嗣(いむら たかし、1963年4月24日 - )は、日本のフリーアナウンサー。山口県長門市出身。株式会社T-Work代表取締役。 山口県立大津高校を経て明治大学文学部を卒業後、1986年に広島ホームテレビに入社。スポーツアナウンサーとして活躍し、広島東洋カープやサンフレッチェ広島など数々のスポーツの実況をこなす。 その後『西田篤史のテレビランド』や『げっきんLIVE』などの番組ディレクターを経て、2001年にスポーツ実況に復帰。 2003年からは夕方のニュース・生活情報番組『HOME Jステーション』のメインキャスターを務めた。また、井村が直接電話して出演依頼した久村敬夫が同番組のコメンテーター就任。
大谷 泰彦(おおたに やすひこ、1959年2月8日 - )は… 大谷 泰彦(おおたに やすひこ、1959年2月8日 - )は、主に山口県で活躍しているローカルタレント、ラジオパーソナリティーである。 山口県長門市出身。山口県立鹿野高等学校(現山口県立徳山高等学校鹿野分校)、近畿大学卒業。カラオケの講師などを経て、26歳でラジオリポーターとしてデビュー。かつては広島県内に本社を置く民間放送局の番組にも出ていたことがある。イベントの司会・結婚式の司会・講演なども精力的に行っている。 特技は、ギター演奏。趣味は、映画鑑賞。通称ヤスベェ。阿波踊りの名取を所有。 ※1972〜1988年に放送された「柏村武昭のサテライトNo.1」を1年間だけ復活させたもの。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
丹下 日出夫(たんげ ひでお、1958年10月2日-)は日本… 丹下 日出夫(たんげ ひでお、1958年10月2日-)は日本の競馬評論家である。 山口県長門市出身。山口県立大津高等学校卒業、慶應義塾大学経済学部除籍。 元ホースニュース・馬の編集者。井崎脩五郎の後輩で師弟関係にあたる。同紙では中央競馬の関東版の本紙予想を担当していた。また、2008年3月30日まで、日曜日の『中央競馬ワイド中継』(独立UHF放送局)に出演し、「丹下日出夫の今日の丹券」コーナーでメインレースの予想と共にクラシック有力馬の番付を発表していた。2008年9月からは毎日新聞社に所属し、同紙にて中央競馬の本紙予想を担当。 ペーパーオーナーゲームに関する執筆活動を盛んに行っており、複数の競馬雑誌で連載を持ち、ペーパーオーナーゲーム用の解説本の執筆編集を行っている。
シーザー武志(シーザーたけし、1955年8月17日 - )は… シーザー武志(シーザーたけし、1955年8月17日 - )は、日本のキックボクサー、シュートボクサー、俳優。シュートボクシング協会およびシーザージム会長。 1972年にキックボクサーとしてプロデビューし、日本キックボクシング協会でウェルター級王座を獲得。UWFへの関与を経て、1985年に投げ技、立った状態での関節技を認める立ち技格闘技「シュートボクシング」を創設。シュートボクシングでは1988年にホーク級(-75kg)で世界王座を獲得。 山口県長門市出身。母子家庭で育ち、少年期は喧嘩に明け暮れ、不良としてその名を轟かせた。更生のため16歳からキックボクシングを始めると、「キックボクシングの方が喧嘩より面白い」と感じるようになり大阪の西尾ジムから1972年にプロデビュー。
浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月… 浴田 由紀子(えきだ ゆきこ、1950年〈昭和25年〉12月19日 - )は、日本の政治活動家、元東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊のメンバー。同部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であった。なお、「えきた」といわれることも多いが、正しくは「えきだ」である[要出典]。山口県長門市出身。 現在の長門市に生まれる。生家は地主だったが、農地改革で没落していた。 1969年(昭和44年)、山口県立大津高等学校を卒業後、北里大学衛生学部に一般入試で入学。北里大学への進学にあたっては、一般入試受験前に推薦入試で不合格となっていた。だが親族の紹介により、地元選出国会議員だった安倍晋太郎の東京の家で書生・行儀見習いをしつつ北里の夜学に通うすべが用意されていた。
藤本 勲(ふじもと いさお、1942年1月24日 - 202… 藤本 勲(ふじもと いさお、1942年1月24日 - 2020年5月5日)は、日本のキックボクサー。本名、藤本洋司(ふじもと ようじ)。 山口県長門市出身。剛柔流空手二段。1966年6月に目黒ジムよりプロデビュー。1969年2月26日にルンピニー・スタジアムでコクデノイを膝蹴りでKO。現役時代は膝蹴りを得意とし、”ヒザ蹴りジャックナイフ”の異名をとった。 1968年に東映映画『ごろつき』に出演。キックボクシングのスパーリングで主演の高倉健をノックアウトするチャンピオンの役であった。他に東洋ミドル級チャンプの沢村忠、東洋ライト級チャンプの西川純、全日本ヘビー級1位の斉藤天心が出演していた。 1970年12月にキックボクシングを引退。
田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1… 田原 陶兵衛(十二代)(たはら とうべえ(じゅうにだい)、1925年(大正14年)6月19日 - 1991年(平成3年)9月27日)は、日本の陶芸家。萩焼の第一人者。 1925年6月19日、山口県長門市に生まれる。1944年、旧制山口高等学校在学中に召集を受けて満州に渡る。1945年、シベリアに抑留され、1948年に復員。復員後は長兄の11代田原陶兵衛に師事。1956年、長兄の急逝により12代陶兵衛を襲名する。 1969年、第16回日本伝統工芸展に「萩茶碗」を初出品。翌年、日本工芸会正会員となり、1981年から1988年まで同会理事を務める。1981年、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定される。
安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月… 安倍 晋太郎(あべ しんたろう、1924年〈大正13年〉4月29日 - 1991年〈平成3年〉5月15日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等。 衆議院議員(11期)、農林大臣、内閣官房長官、通産大臣、外務大臣、自由民主党国会対策委員長、自由民主党政務調査会長、自由民主党総務会長、自由民主党幹事長を歴任した。 衆議院議員の安倍寛の長男。岳父に元内閣総理大臣の岸信介、義理の叔父は元内閣総理大臣の佐藤栄作、次男は元内閣総理大臣の安倍晋三である。1986年に派閥の領袖となったが、1991年に病気のため死去した。 安倍寛、静子夫妻の長男として東京市四谷区に生まれる。ちなみに寛とは誕生日が同じである。
13代坂田 泥華(13だい さかた でいか、1915年11月… 13代坂田 泥華(13だい さかた でいか、1915年11月10日 - 2010年2月24日)は山口県長門市深川にて代々継承されている萩焼の伝統名跡名家陶芸家の名。本名を一平。山口県長門市出身。萩商卒。12代坂田泥華(本名:浩三)の長男。 坂田家は萩焼の始祖である李勺光(りしゃくこう)の流れをくむ家柄で、深川萩四家の一つ。(深川萩四家とは現在、坂田泥華窯の他、坂倉新兵衛窯、田原陶兵衛窯、新庄助右衛門窯の四窯元がある)1950年(昭和25年)萩焼深川(ふかわ)窯の当主13代泥華を名のる(窯は長門市深川にある)。戦後の昭和萩陶芸史を語る上で、萩焼を担う中心人物の一人で特に井戸茶碗に研鑽を積み、「泥華井戸」と称されるおおらかで伸びのある独自の優雅な作風を確立。
川崎 桃太(かわさき ももた、1915年(大正4年)3月3日… 川崎 桃太(かわさき ももた、1915年(大正4年)3月3日 - 2019年(令和元年)9月30日)は、日本の言語学者、歴史学者。京都外国語大学名誉教授。 山口県大津郡俵山村(現・長門市俵山)出身。1930年(昭和5年)にブラジルに渡り、リオ・デ・ジャネイロ州ノーヴァフリブルゴ市アンシェータ大学哲学科卒業、サン・レオポルド市クリスト・レイ大学大学院修了。1955年(昭和30年)に帰国後、カトリック河原町教会で司祭を務める。京都外国語大学ブラジルポルトガル語学科助手を経て、1975年(昭和50年)より教授。1992年(平成4年)に名誉教授となる。 2019年(令和元年)9月30日、食道癌のため死去、享年104歳。
香月 泰男(かづき やすお、1911年〈明治44年〉10月2… 香月 泰男(かづき やすお、1911年〈明治44年〉10月25日 - 1974年〈昭和49年〉3月8日)は、山口県大津郡三隅町(現・長門市)出身の洋画家。昭和を代表する洋画家の一人。 開業医の息子として生まれるも、幼い頃両親が離婚。厳格な祖父に育てられる。山口県立大津中学校(現・山口県立大津緑洋高等学校)卒業後、川端美術学校を経て1931年に東京美術学校に入学、藤島武二の教室に学ぶ。 1936年、美術学校卒業後、北海道庁立倶知安中学校(現・北海道倶知安高等学校)の美術科教師として着任。その後、山口県立下関高等女学校(現・山口県立下関南高等学校)に転任する。 1942年、太平洋戦争勃発により召集を受け、兵として満州へ。
磯部 浅一(いそべ あさいち、1905年(明治38年)4月1… 磯部 浅一(いそべ あさいち、1905年(明治38年)4月1日 - 1937年(昭和12年)8月19日)は、日本の陸軍軍人、皇道派青年将校。 陸軍幼年学校、陸軍士官学校(38期)を経て陸軍歩兵将校となるが、中尉の時に経理部に転科した。陸軍一等主計の時に、陸軍士官学校事件により停職、「粛軍に関する意見書」配布により免官となった。二・二六事件において決起将校らと行動を共にし、軍法会議で死刑判決を受けて刑死した。 1905年(明治38年)4月1日、山口県大津郡菱海村(現長門市)河原に農業兼左官磯部仁三郎の三男として生まれる。 高等小学校、広島陸軍幼年学校、陸軍士官学校予科を経て、1926年(大正15年)7月に陸軍士官学校(38期)を卒業する。
上山 雅輔(かみやま がすけ、本名:上山 正祐(うえやま ま… 上山 雅輔(かみやま がすけ、本名:上山 正祐(うえやま まさすけ)、1905年(明治38年)2月23日 - 1989年(平成元年)4月11日)は、日本の劇作家・小説家。姉は童謡詩人の金子みすゞ。
金子 みすゞ(かねこ みすず、本名:金子 テル〈かねこ テル… 金子 みすゞ(かねこ みすず、本名:金子 テル〈かねこ テル〉、1903年〈明治36年〉4月11日 - 1930年〈昭和5年〉3月10日)は、大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人。約500編の詩を遺した。没後半世紀はほぼ忘却されていたが、1980年代以降に脚光を浴び、再評価が進んだ。 西條八十に激賞された幻の童謡詩人とされている。遺稿集が発掘され、出版(1984年)、深く優しい世界観が広く知られた。代表作に「私と小鳥と鈴と」「大漁」など。 山口県大津郡仙崎村(現:長門市仙崎)で、父・金子庄之助、母・ミチとの間に生まれる。郡立深川高等女学校(現:山口県立大津緑洋高等学校)卒業。
藤津 準一(ふじつ じゅんいち、1869年4月7日(明治2年… 藤津 準一(ふじつ じゅんいち、1869年4月7日(明治2年2月26日) - 1919年(大正8年)1月17日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。位階勲等功級は従四位勲三等功四級。 長門国大津郡、後の菱海村(現長門市)で山口県士族・藤津正憲の長男として生まれ、1870年(明治3年)5月に家督を相続する。 1891年(明治24年)陸軍士官学校第2期卒業。翌年、陸軍歩兵少尉に任官する。1897年(明治30年)陸軍大学校に入校し、1900年(明治33年)同校を第14期で卒業する。 近衛野砲兵連隊大隊長、下関要塞参謀を経て、1911年(明治44年)11月に陸軍砲兵大佐・野砲兵第4連隊長に任官。
大庭 二郎(おおば じろう、1864年7月26日〈元治元年6… 大庭 二郎(おおば じろう、1864年7月26日〈元治元年6月23日〉- 1935年〈昭和10年〉2月11日)は、明治から大正期の陸軍軍人。陸士旧8期、陸大8期(優等)。栄典は従二位勲一等功二級。最終階級は陸軍大将。 現在の山口県青海島にて、長州藩士・大庭此面の長男として生れる。陸軍幼年学校を経て、1886年(明治19年)6月、陸軍士官学校(旧8期)を卒業し、陸軍少尉任官。1892年(明治25年)12月、陸軍大学校(8期)を優等で卒業した。以後、参謀本部出仕、兵站総監部副官、参謀本部第1局員を経て、1895年(明治28年)から1900年(明治33年)までドイツに留学し、その後、陸大教官、参謀本部員兼山縣有朋元帥副官、大本営参謀などを歴任した。
磯部 孝一(いそべ こういち、1854年(安政元年3月) -… 磯部 孝一(いそべ こういち、1854年(安政元年3月) - 1936年(昭和11年)12月22日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 長門国大津郡三隅村(のち山口県大津郡三隅町、現・長門市)生まれ。農業を営み、山口県会議員、同常置委員、防長農工銀行創立委員となる。 1890年の第1回衆議院議員総選挙において山口2区から立憲自由党公認で立候補したが落選。1894年3月の第3回衆議院議員総選挙では自治党から立候補したが落選。同年9月の第4回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補したが落選。1898年3月の第5回衆議院議員総選挙では国民協会から立候補して当選した。衆議院議員を1期務め、同年8月の第6回衆議院議員総選挙は不出馬。
荒川 邦蔵(あらかわ くにぞう、嘉永5年4月18日〈1852… 荒川 邦蔵(あらかわ くにぞう、嘉永5年4月18日〈1852年6月5日〉 - 1903年〈明治36年〉10月11日)は、明治時代の官僚、政治家。内務省などで務め、福井県知事も務めた。 長州藩領の長門国大津郡向津具村(現・山口県長門市)出身。諸官を経て、1892年11月16日に牧野伸顕の後をついで、内務省衛生局長から福井県知事に任ぜられた。荒川は県知事として、濃尾地震の被害による道路などの修復に県から全額支出させた。また、県内の女子の就学を奨励した。1897年4月6日まで務めた。 1898年、内務省県治局長に任ぜられるがまもなく辞任。その後帝国党の組織に尽力した。1903年10月11日に病死し、同日に位を一級進めて正四位に叙される。
井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年… 井上 正一(いのうえ せいいち、1850年4月7日(嘉永3年2月25日) - 1936年(昭和11年)10月3日)は、日本の法学者、衆議院議員、大審院判事。 長門国大津郡伊上村(山口県大津郡菱海村、油谷町を経て現在の山口県長門市油谷伊上)生まれ。1866年の四境戦争に際して長州藩諸隊の一つ鐘秀隊に加わり、芸州口と石州口を転戦。その後許可を得て隊を離れ、萩明倫館と山口文学寮で学ぶ。維新後に単身上京して箕作麟祥の下でフランス学を修めた。1870年開成学校に入った後、長州藩の貢進生に選ばれ、大学南校を経て1875年に司法省法学校を卒業。同年秋にフランスに留学し、法学博士の学位を取得。1881年に帰国するとただちに司法省雇となり、開校間もない明治法律学校(のちの明治大学)にも講師として迎えられた。
安倍 慎太郎(あべ しんたろう、1850年(嘉永3年)- 1… 安倍 慎太郎(あべ しんたろう、1850年(嘉永3年)- 1882年(明治15年)10月10日)は、日本の政治家。 1850年、安倍英任の長男として長門国大津郡蔵小田村(現:山口県長門市油谷蔵小田)に生まれ、安倍家中興の祖と評される。安倍家は江戸時代に大庄屋を務め、酒と醤油の醸造を営む大地主であり、地元の名門として知られた豪家である。慎太郎は明治12年(1879年)の第1回山口県議会議員選挙に当選、中央政界入りを狙うも明治15年(1882年)10月10日に32歳で死去した。 安倍慎太郎には直系が育たなかったため、妹のタメが郡内で名門として知られる椋木(むくのき)家から彪助を婿養子に迎える。彪助はタメとの間に一人息子・安倍寛を儲けた。
佐久間 左馬太(さくま さまた、1844年11月19日〈天保… 佐久間 左馬太(さくま さまた、1844年11月19日〈天保15年10月10日〉- 1915年〈大正4年〉8月5日)は、明治期の日本の陸軍軍人。栄典は正二位勲一等伯爵。台湾総督・東京衛戍総督・近衛師団長等を歴任し、最終階級は陸軍大将に昇る。台湾・花蓮の佐久間神社(現在は廃社)の祭神。 長州藩士・岡村孫七の次男として生まれ、佐久間竹之丞の養子となる。奇兵隊に入隊し、大村益次郎の元で西洋兵学を学ぶ。 1866年(慶応2年)、第二次長州征伐の時には長州藩諸隊の亀山隊大隊長として芸州口に従軍した。戊辰戦争では棚倉、二本松、会津を転戦。維新後陸軍軍人となり、1872年(明治5年)には陸軍大尉・西海鎮台付に任命される。
奥村 麻依 は、日本の元女子バレーボール選手である。
悪 奨(わる すすむ、生没年不詳)は、明治初期の陸軍軍人。長… 悪 奨(わる すすむ、生没年不詳)は、明治初期の陸軍軍人。長門国大津郡田屋原村の士族の出身で、西南戦争に従軍したが、のちに軍紀違反により免官処分を受けた。 長門国大津郡田屋原村(現山口県長門市東深川下郷)の士族・悪政雄の長男として生まれる。明治期に陸軍へ入り、歩兵少尉試補として任官した。 明治10年(1877年)の西南戦争では、遊撃歩兵第七大隊のうち第四中隊に配属され、石丸雄介中尉の指揮下で士官心得として従軍した。 戦後も軍務に服していたが、明治12年(1879年)12月、歩兵第5連隊付を命じられたにもかかわらず任地に赴かず、数か月にわたり無断で東京に滞在した。この行為が問題視され、陸軍裁判所に拘引される。