萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 -… 萩尾 望都(はぎお もと、本名同じ、1949年5月12日 - )は、日本の女性漫画家。女子美術大学客員教授、日本SF作家クラブ名誉会員、日本漫画家協会理事、日本芸術院会員。 福岡県大牟田市生まれ。1969年に『ルルとミミ』でデビューする。1972年から『ポーの一族』を連載、1976年に同作および『11人いる!』により第21回小学館漫画賞を受賞した。同時期に連載された『トーマの心臓』も人気となり、少女漫画に革新をもたらし黄金時代を築いたとして、竹宮惠子や大島弓子、山岸凉子らと共にその生年から「花の24年組」と呼ばれた。 作品のジャンルはSF、ファンタジー、ミステリー、ラブコメディー、バレエ、サスペンスなど幅広い分野にわたる。
当摩 好子(とうま よしこ、1949年(昭和24年)4月26… 当摩 好子(とうま よしこ、1949年(昭和24年)4月26日 - )は、日本の政治家、社会福祉士。選挙では当麻 よし子の表記も用いる。 所沢市長(1期)、埼玉県議会議員(3期)、所沢市議会議員(3期)を務めた。 福岡県大牟田市生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。 1979年4月、日本社会党公認で所沢市議会議員選挙に出馬し、初当選。以後所沢市議を3期務めた。1991年10月、所沢市長選挙次点落選。1996年、日本社会党から党名を変更した社会民主党を離党し、民主党結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙には民主党公認で埼玉県第8区から出馬するも、落選。 1999年4月、埼玉県議会議員選挙に民主党公認で出馬し、当選。
本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年〈昭和24年〉1月6… 本田 路津子(ほんだ るつこ、1949年〈昭和24年〉1月6日 - )は、日本の元フォークシンガー、現ゴスペルシンガー。 福岡県大牟田市出身。 福岡県大牟田市出身だが、その後、家族(当時両親、妹)と共に新潟県に転居し、桜美林高等学校入学と同時に東京都町田市に単身で転居。その後、桜美林大学文学部英文科に進学。 路津子の名前の由来は、両親がキリスト教徒であったので(本人は結婚するまでキリスト教徒ではなかった)、旧約聖書の「ルツ記(英語ではルース)」に出てくるボアズの誠実な嫁ルツから取った。本来のキリスト教での表記は「路律」であるが、路律子では余りに難読となる為、路津子にしたとの事である。 桜美林大学文学部英文科卒業。
上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は… 上田 卓三(うえだ たくぞう、1948年7月12日 - )は、福岡県大牟田市出身の元プロ野球選手(投手)。 原貢が監督を務めた三池工業高校の出身。1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会に2年生ながらエースとして出場。初戦からの4試合を完投勝利、決勝に進む。銚子商との決勝でも、木樽正明との投手戦を2-0で制し、完封で優勝を飾る。しかし同年の岐阜国体は、準決勝で銚子商の木樽に完封を喫する。翌1966年夏は県予選準々決勝で横山晴久のいた小倉工に延長11回敗退。 同年秋、第1次ドラフト1位指名で南海ホークスへ入団。リリーフを中心に活躍するが、1970年以降は、他の左腕投手が村上雅則しかいないこともあり、ローテーションの谷間に先発もこなす。
桜井 龍子(さくらい りゅうこ、1947年(昭和22年)1月… 桜井 龍子(さくらい りゅうこ、1947年(昭和22年)1月16日 - )は日本の元最高裁判所判事。元労働省官僚。旧姓は藤井で、最高裁判事就任前は旧姓で活動していた。一般財団法人日本カメラ財団理事長。 福岡県大牟田市出身。父は小学校教員。福岡県立大牟田北高等学校を経て、1969年(昭和44年)九州大学法学部卒業。九大では原島重義の民法のゼミに所属。九大在学中に国家公務員採用上級甲種試験(区分・法律)を合格。 1970年(昭和45年)4月労働省入省。1986年(昭和61年)4月 労働省労政局労政課中小企業労働対策室長。1988年(昭和63年)6月2日 日本労働協会へ出向。1990年(平成2年)8月 労働省婦人局婦人福祉課長。
港 健二郎(みなと けんじろう、1947年 - )は日本の映… 港 健二郎(みなと けんじろう、1947年 - )は日本の映画監督。 福岡県大牟田市生まれ。父は与論島出身の三池鉱山職員。小学生時代、三池炭坑で働く人々と身近に接し、三池争議の渦中で少年時代を過ごす[要出典]。三池高校を経て、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。記録映画の製作会社・鹿島映画社(現・カジマビジョン)で助監督となる[要出典]。34歳で独立し、映像作家として少年院の内部に迫るドキュメンタリーなどを監督[要出典]。三井三池争議の労働歌を作曲した荒木栄を題材にした「荒木栄の歌が聞こえる」で第27回日本映画復興会議の奨励賞を受賞。 劇団DAC(埼玉県)の団員として舞台出演多数。 「父の遺言」「よだかの星」「アッコちゃん」「山月記」「あらためて 国定忠治」など 2006年 映画「穢れ多き、人に非ず」 2007年 映画「罠を飛び越える女」 2009年 京都市民ミュージカル「時間旅行はいかが?」 2016年 映画「卒業」
田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 20… 田中 忠道(たなか ただみち、1945年2月22日 - 2013年4月3日)は、福岡県出身のフリースタイルのレスリング選手である。階級は57kg級。 福岡県大牟田市出身。大牟田高校から法政大学に進んで、1966年の全日本選手権バンタム級(55kg級)で2位となった。アジア大会では優勝を飾った。卒業後に福岡大学の教員となると、1967年の世界選手権では4位だった。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では57kg級で優勝を飾った。しかし、1972年の全日本選手権では2位となり、ミュンヘンオリンピック出場はならなかった。その後は福岡大学レスリング部部長として、後進の指導に当たった。
西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、… 西原 篤夫(にしはら あつお、1945年1月9日 - )は、日本の大蔵官僚。 国際復興開発銀行理事、東京証券取引所常務理事、東京証券取引所常務、造幣局理事長などを務めた。 妻は吉瀬維哉の長女。福岡県大牟田市出身(父母も福岡県)。血液型はA型。 1963年3月:東京都立日比谷高等学校卒業。1967年3月:東京大学法学部卒業。 1967年4月:大蔵省入省(国有財産局総務課)。1968年6月15日:主税局国際租税課。 1969年4月:主税局付(ハンブルク大学留学)。1971年7月:主税局税制第二課調査係長。 1972年7月:大月税務署長。1973年7月:銀行局金融制度調査官付課長補佐(金融制度調査会資料)。
末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は… 末安 堅二(すえやす けんじ、1944年2月23日 - )は日本の銀行家。中京銀行代表取締役頭取や、同行取締役会長、学校法人名古屋学院大学理事長を務めた。 福岡県大牟田市生まれ。東海高等学校を経て、1967年横浜市立大学商学部卒業、東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行。1994年取締役。1996年常務。1998年常務執行役員。1999年専務執行役員。2002年中京銀行代表取締役頭取。2011年中京銀行取締役会長。2012年タキヒヨー監査役。2015年名港海運監査役。2015年からは学校法人名古屋学院大学理事長を務め、瀬戸信用金庫との間で産学連携協定を締結するなどした。
梅﨑 壽(うめざき ひさし、1942年〈昭和17年〉8月23… 梅﨑 壽(うめざき ひさし、1942年〈昭和17年〉8月23日 - )は、日本の運輸官僚、実業家。 公益財団法人日本ナショナルトラスト会長(代表理事)、一般財団法人地域伝統芸能活用センター評議員、東京地下鉄株式会社代表取締役社長、帝都高速度交通営団副総裁、国土交通省顧問、運輸事務次官、運輸省大臣官房長、運輸省鉄道局長などを歴任。 福岡県大牟田市出身。1966年(昭和41年)、京都大学法学部を卒業。同年運輸省に入省。入省後、運輸行政に携わり、運輸省大臣官房海洋課長、鉄道監督局国有鉄道部日本鉄道建設公団・本州四国連絡橋公団監理官、運輸省大臣官房国有鉄道部日本鉄道建設公団・本州四国連絡橋公団監理官、貨物流通局港湾貨物課長、運輸政策局運輸産業課長、航空局監理部総務課長、運輸省大臣官房人事課長、内閣官房内閣参事官兼総理府内閣総理大臣官房人事課長兼総理府人事管理官、航空局監理部長、同局次長などを歴任。
永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 20… 永利 新一(ながとし しんいち、1942年2月2日 - 2021年7月2日)は、日本の実業家、公認会計士、税理士。オーム乳業代表取締役社長、同社代表取締役会長、大牟田商工会議所会頭、如水監査法人代表、福岡県包括外部監査人等を歴任。 福岡県大牟田市出身。福岡県立三池高等学校を経て、1966年一橋大学商学部卒業。吉野昌甫ゼミ出身。1969年プライスウォーターハウス会計事務所入所。コンサルタントなどを務めた。 1974年家業の3代目としてオーム乳業代表取締役社長に就任。冬季の牛乳への需要減に対応して生クリーム製造を開始したり、コーポレートアイデンティティや、学校給食、自社販売などの販売チャンネル整備を行った。
内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - … 内田 麟太郎(うちだ りんたろう、1941年2月11日 - )は、日本の詩人、童話作家。 1941年福岡県大牟田市生まれ。父は詩人内田博(本名・弘喜智)。大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、福岡県立大牟田北高等学校卒業。 19歳にて上京。看板職人をしながら詩を書き始める。詩人遠地輝武、秋山清に私淑。『新日本詩人』『潮流詩派』を経て現在『方方』詩友、『騒』同人、『0』同人。詩集に「これでいいへら」潮流詩社、「あかるい黄粉餅」石風社、「なまこ饅頭」無極堂がある。 38歳より児童書を書き始める。 絵本『さかさまライオン』(絵本にっぽん賞)、絵本『うそつきのつき』(小学館児童出版文化賞)、絵本『がたごとがたごと』(日本絵本賞)、絵本『すやすやタヌキがねていたら』(日本絵本賞)、絵本『かあちゃんかいじゅう』(けんぶち絵本の里大賞)、絵本『ともだちできたよ』(日本絵本賞)、絵本『くじらさんのーたーめならえんやこーら』(日本絵本賞)、絵本『ひとのなみだ』(日本絵本賞)を受賞。
柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 20… 柿原崇志(かきはら たかし、1940年11月30日 - 2021年11月17日)は、日本の能楽師。高安流大鼓方。恩賜賞・日本藝術院賞受賞者。重要無形文化財保持者(能囃子方大鼓・人間国宝)。 1940年11月30日、福岡県大牟田市に生まれた。高安流大鼓方・柿原繁蔵の長男で、1954年に父に入門した。その後、高校卒業後に上京して安福春雄に師事した。 1956年、『船弁慶』で初舞台を踏んだ。1962年に能楽協会会員となり、1982年には日本能楽会に入会した。 能楽協会理事・常務理事、日本能楽会理事・常務理事を歴任した。また、能楽養成会講師、東京藝術大学音楽学部非常勤講師、国立劇場伝統芸能伝承者養成「能楽(三役)」研修講師を務め、後進の指導にもあたった。
光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年… 光延 博愛(みつのぶ ひろよし、1937年4月1日 - 没年不明)は、日本のアニメーション演出家、アニメーション監督、アニメーターである。土田プロダクションに所属していた。福岡県大牟田市出身。 妻はスタジオ雲雀会長である光延幸子、息子はスタジオ雲雀社長の光延青児。 子供の頃から好きな漫画のイラストを模写することが好きで、中学入学後に漫画雑誌への投稿を始める。本人は一度、雑誌『漫画少年』に自分の作品が載ったことがあると話している。 多摩美術大学を卒業後、1959年(昭和34年)に東映動画に入社。当時は特にCMに興味を持っていなかったが、「これからは宣伝の時代。宣伝界にしがみついていれば何とか食っていけそう」と自分なりに考えて望んで、退社してフリーになる1966年(昭和41年)までCM課に配属されて勤務。
古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく… 古賀 新一(こが しんいち、本名:古賀 申策(こが しんさく)、1936年8月18日 - 2018年3月1日)は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。本名や古賀 しんさく名義による作品もある。 主にホラー漫画を執筆する。代表作は「エコエコアザラク」。 大牟田市立平原小学校3年生の時、手塚治虫『ロストワールド』に憧れて漫画家志望となる。福岡市の中学を卒業後、菓子製造会社などで働きながら独学で漫画を習得。21歳で上京し、ひばり書房の貸本向け単行本「黒猫」(短編集)掲載の「影なき犯人」でデビュー。1964年、『週刊マーガレット』で「白ヘビ館」を連載。当時、少女向けホラー漫画家として楳図かずおと双璧を成す存在だった。
田中 真澄(たなか ますみ、1936年 - )は、日本の社会… 田中 真澄(たなか ますみ、1936年 - )は、日本の社会教育家。 福岡県大牟田市出身。1959年、東京教育大学を卒業し、日本経済新聞社に入社する。販売の第一線を経験し、日米合弁会社「日経マグロウヒル社」に出向。「日経ビジネス」の創刊業務に従事。書店を経由せず、すべて直販。しかも「読者を選ぶ」という、それまで日本にはない販売方法を確立し、同誌を我が国の代表的雑誌に導く。1979年、同社を退社。ヒューマンスキル研究所を設立した。 日本初のモチベーショナル・スピーカーとして、全国の企業、商工会、学校で講演を行っており、その数は7,500回を超えている。全国に熱狂的な「田中ファン」がいて、リピート講演が絶えない。
小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 201… 小淵 泰輔(こぶち たいすけ、1935年1月9日 - 2011年4月1日)は、福岡県大牟田市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ。 三池工業高校を卒業後の1954年に東洋高圧大牟田へ入社。1955年の都市対抗では中心打者として準々決勝に進み、全鐘紡に惜敗したものの首位打者賞を獲得。1956年の大会では濃人渉監督率いる日鉄二瀬に補強され3番打者として活躍し、打撃賞を得る。この時のチームメイトには古葉毅・吉田勝豊・江藤慎一がいた。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。 1957年に西鉄ライオンズへ入団し、同年から一軍に定着。仰木彬の控えではあったが、主に二塁手として49試合に先発出場。
ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12… ジプシー・ローズ(1934年12月18日(又は1935年12月18日) - 1967年4月20日)は、福岡県大牟田市出身のストリッパー。本名は志水敏子(トシ子)。身長162cm、体重58kg。 幼少時より日本舞踊、バレエを習い、女優を目指し、長谷川一夫主宰の「ロマンス座」と共に1949年に上京すると、進駐軍のキャンプ周りの踊り子を経て、15歳で浅草常盤座でローズ・マリーという芸名でデビューした。彼女の資質を見込んだ元俳優の演出家正邦乙彦の演出の下、作家の田中小実昌が「混血かと思っていた」という日本人離れしたエキゾチックな容姿と、厳しい訓練の上で習得した腰を激しく回転させるグラインドという大胆なダンステクニックで人気を博し、昭和20年代後半には「ストリップの女王」と呼ばれた。
荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020… 荒木 尚(あらき ひさし、1932年1月16日 - 2020年1月15日)は、日本の国文学者。熊本大学名誉教授。 福岡県大牟田市生まれ。1954年熊本大学法文学部文学科卒、1957年早稲田大学大学院修士課程修了。1978年「今川了俊の研究」で早大文学博士。1956年熊本大学法学部助手、1962年講師、1964年教養部助教授、1970年法文学部助教授、1975年教授。1985-1987年図書館長、1997年定年退官、名誉教授、就実女子大学教授、、2010年瑞宝中綬章。
鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 20… 鳥井 守幸(とりい もりゆき、1932年1月10日 - 2025年8月15日)は、日本のジャーナリスト。元帝京平成大学教授。元日本ジャーナリスト専門学校校長。 福岡県大牟田市出身。早稲田大学法学部卒業。 大学卒業後、毎日新聞社に入社。毎日新聞西部本社管轄の福岡総局、大分支局勤務を経て東京本社勤務となり、社会部副部長、編集委員、『サンデー毎日』編集長を歴任。『サンデー毎日』時代の1980年には、同誌編集部員の鳥越俊太郎と共に、社会問題となっていた「イエスの方舟」への密着取材を敢行。主宰者の千石剛賢に単独インタビューを行うなど、当時他マスコミから全く無視されていた「イエスの方舟」側の主張を取り上げ、事態の沈静化へ導いた。
塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 19… 塚脇 伸作(つかわき しんさく、1931年1月3日 - 1993年9月15日)は、福岡県大牟田市出身の元体操選手。1956年メルボルンオリンピック体操男子団体銀メダリスト。 三池中学校、福岡県立三池高等学校を経て、1953年東京教育大学体育学部卒業。東京都立新宿高等学校教諭、早稲田大学教育学部・人間科学部教授を歴任。 1956年(昭和31年)のメルボルンオリンピックに出場、団体で銀メダルを獲得、個人総合で12位、吊り輪7位、平行棒8位だった。1958年(昭和33年)の世界選手権団体で銀メダル、個人総合9位。全日本選手権で個人総合2位。1962年(昭和37年)欧州遠征監督、日ソ対抗コーチ、1963年(昭和38年)欧州遠征監督、1964年(昭和39年)欧州遠征コーチ、同年の東京オリンピック、1968年(昭和43年)のメキシコシティーオリンピック、1966年(昭和41年)世界選手権各チームリーダー、1970年(昭和45年)世界選手権、1972年(昭和47年)ミュンヘンオリンピック各審判員、1974年(昭和49年)世界選手権コーチ、1978年(昭和53年)アジア大会本部役員を務める。
小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - … 小堺 昭三(こさかい しょうぞう、1928年5月24日 - 1995年3月7日)は、日本の作家。 福岡県大牟田市生まれ。旧制福岡県立八幡中学校卒。火野葦平の秘書を務め、のち『週刊文春』のルポライターを経て作家となる。1951年「朝鮮海峡」で新潮社文学賞佳作、1959年「基地」で芥川賞候補、1960年「自分の中の他人」で直木賞候補。『密告―昭和俳句弾圧事件』(ダイヤモンド社、1979年)では西東三鬼を特高のスパイと断定し、三鬼の遺族から版元ともども名誉毀損で民事提訴され、1983年に敗訴した。 戦記、昭和史、近代史実録もの、官能小説、また政界・実業界実録ものなど、週刊誌記者出身らしい作風で知られた。
三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 20… 三重野 栄子(みえの しげこ、1926年5月10日 - 2013年11月27日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福岡県大牟田市出身。福岡第一師範学校を経て、九州帝国大学経済学部に入学。1951年(昭和26年)に卒業した。同年岩田屋に入社、労組書記長などを務めた。1962年(昭和37年)日本社会党に入党。1983年(昭和58年)筑紫野市議に初当選。1988年(昭和63年)社会党福岡県本部副委員長に就任。1990年(平成2年)の小野明参議院副議長の死去にともなう参院福岡補選に立候補して初当選。自民党候補との一騎討ちを制した。1995年(平成7年)の第17回参議院議員通常選挙でも再選。
石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、… 石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、日本の書家。福岡県生まれ。 1926年(大正15年)福岡県大牟田市に生まれる。石田霞洞、辻本史邑、広津雲仙に師事。山陽書道会会長、日本書道協会理事、日本教育書道連盟審査員参与、世界芸術振興認定作家。第七次中華民国親善訪問代表。
貝谷 八百子(かいたに やおこ、1921年3月15日 - 1… 貝谷 八百子(かいたに やおこ、1921年3月15日 - 1991年3月5日)は、日本のバレリーナ、振付家である。本名・貝谷スミ子。 1921年(大正10年)、貝谷真孜の三女として福岡県大牟田市で生まれる。生家は鉱山主で、豊かな家庭だったといわれる。1933年(昭和8年)、文化学院に入学するため上京し、1934年(昭和9年)からエリアナ・パブロワにバレエを学んだ。1938年(昭和13年)、貝谷バレエ団を立ち上げ、歌舞伎座を借り切ってデビュー公演を行った。1940年(昭和15年)から1941年(昭和16年)まで、二階堂トクヨの日本女子体育専門学校(現・日本女子体育大学)でクラシックバレエを指導した。
髙村 健一郎(たかむら けんいちろう、1920年(大正9年)… 髙村 健一郎(たかむら けんいちろう、1920年(大正9年)7月14日 - 2006年(平成18年)2月14日)は、日本の財務官僚、日本専売公社職員。 福岡県大牟田市出身。1938年福岡県中学修猷館、1940年旧制福岡高等学校文科甲類を経て、1942年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。 1942年に高等試験行政科に合格し、9月に大蔵省に入省したが、短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に補修学生として海軍経理学校に入校。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業し、長崎監督官事務所に配属。1944年(昭和19年)3月、海軍省主計局契約部第6課に転じ原価計算を担当。
木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7… 木下 和夫(きのした かずお、1919年〈大正8年〉11月7日 - 1999年〈平成11年〉2月13日)は、日本の経済学者。大阪大学名誉教授。財政政策、国民所得などの研究で知られる。位階は正四位。 福岡県大牟田市生まれ、八女市出身。1942年京都帝国大学経済学部卒。1958年「租税の経済理論」で関西学院大学経済学博士。 1948年大阪帝国大学経済学部助教授、1954年大阪大学教授。同大財政研究所長、経済学部長、1983年定年退官、名誉教授。1983年紫綬褒章、1990年前島賞、勲二等瑞宝章受勲。地方財政審議会会長など各種審議会の委員を務めた。1999年死去。死没日付をもって正四位に叙された。
向坂 正男(さきさか まさお、1915年4月9日 - 198… 向坂 正男(さきさか まさお、1915年4月9日 - 1987年8月3日)は、日本の経済学者。 福岡県大牟田市生まれ。向坂逸郎の弟。1938年東京帝国大学経済学部卒、企画院、満鉄調査部に勤務。戦後、経済企画庁に入り、1962年総合計画局長。1966年日本エネルギー経済研究所を設立、所長となり、その後会長となる。1981年国際エネルギー政策フォーラムを作り議長となる。他に電源開発調整審議会委員、原子力委員会委員、総合エネルギー調査会委員、石炭鉱業審議会委員などを兼任した。
阿具根 登(あぐね のぼる、1912年〈明治45年〉3月13… 阿具根 登(あぐね のぼる、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉1月16日)は、日本の政治家。参議院議員(5期、日本社会党)。参議院副議長。位階は正三位。 福岡県大牟田市出身。海軍横須賀通信学校卒。三井三池炭鉱に就職し、戦後大牟田市議を経て1949年に三井三池労組の初代組合長に就任。1953年、参院選に全国区から社会党公認で立候補し当選する。党参議院国対委員長を歴任し、三井三池争議では社会党の一員として調停役に回った。1965年の参院選で落選、1967年には熊本県知事選にも立候補するが落選し、翌1968年の参院選で国政に返り咲いた。 1978年、飛鳥田一雄委員長の下で下平正一、北山愛郎らと共に党中央執行副委員長に就き、1980年の衆参同日選後は党参議院議員会長に就任。
江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 19… 江上 照彦(えがみ てるひこ、1910年4月25日 - 1990年9月4日)は、日本の翻訳家。テレビ・歴史等の評論家、エッセイスト。 福岡県大牟田市生まれ。東京帝国大学経済学部で河合栄治郎に学び1934年に卒業。 その後渡満し、満洲電業勤務を経て復員後に会社役員を務める傍ら、河合門下生らで結成した社会思想研究会やそれを母体とした出版部門として発足した社会思想社で役員となる。 テレビ放送初期の頃に海外テレビ番組の翻訳や翻案を手掛け、テレビ論や歴史などの執筆活動を行いながら1956年から相模女子大学へ講師として出講、1964年には同大教授となり明治大学や上智大学でも英米演劇を講じた。 また社会思想研究会とのつながりから、民社党系のブレーン的存在となり同党の機関紙や機関誌にエッセーを連載した。
内田 博(うちだ ひろし、1909年10月9日 - 1982… 内田 博(うちだ ひろし、1909年10月9日 - 1982年2月25日)は、日本の詩人。福岡県三池郡大牟田町(現・大牟田市)出身。詩人で童話作家の内田麟太郎は長男。 本名は内田弘喜智。1909年、福岡県大牟田下里(現・大牟田市元町)に3男4女の次男として生まれる。1922年に大牟田町立第二尋常小学校(現・大牟田市立大牟田小学校)を卒業すると進学せず、書店の丁稚奉公や実兄の起こした会社で働いた。 19歳のときに石川啄木の影響で詩作を始める。1929年、処女詩「秋・風景詩」を地元紙に投稿して掲載され、その後も地元紙に「村山三郎」の筆名で投稿をおこなった。その後、1932年に日本プロレタリア作家同盟に加盟。
三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 … 三池山 大五郎(みいけやま だいごろう、1903年8月8日 - 1951年3月22日)は、昭和時代の大相撲力士。陸奥部屋所属。本名は松井 善次。最高位は十両9枚目。 福岡県大牟田市出身。陸奥部屋に入門し、1922年5月、「葉颪」の四股名で初土俵を踏む(のち「三池山」に改名)。1928年1月十両に昇進。この場所は2勝8敗1分と負け越した。昭和初期は東京場所と地方場所とで別々に番付が作成されたため、三池山の場合、東京場所では成績が良い反面、地方場所では不振となり、十両に昇進した次の場所の1928年3月では三段目の地位にあった。十両は在位1場所で終わり、復帰することはなかった。1930年10月に廃業。
向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 19… 向坂 逸郎(さきさか いつろう、1897年2月6日 - 1985年1月22日)は、日本のマルクス経済学者・社会主義思想家。九州大学教授・社会主義協会代表を歴任。 福岡県大牟田市に会社員の息子として生まれる。弟に向坂正男、山崎八郎がいる。福岡県立八女中学校(1年夏から3年夏までは北海道庁立小樽中学校に転校。)、同県立小倉中学校、第五高等学校を経て、1921年に東京帝国大学経済学部経済学科を卒業すると、同学部の助手となった。五高在学中、ドイツ語の勉強のために、カール・マルクスの著作を読んだことからマルクス主義に傾倒するようになったという。 1922年11月より1925年5月までドイツ・ベルリンに留学。
鶴 惣市(つる そういち、1894年(明治27年)2月23日… 鶴 惣市(つる そういち、1894年(明治27年)2月23日 - 1961年(昭和36年)3月9日)は、大正から昭和時代前期の政治家、実業家。衆議院議員(3期)。 福岡県三池郡大牟田町(現大牟田市)に生まれる。商店員より独立し、米穀商を営み、鶴惣商店を創立し代表社員となる。のち大牟田市会議員に当選し、同参事会員、同議長、福岡県会議員、同参事会員、商工省委員、福岡県公安委員長、大牟田商工会議所顧問、大牟田市体育協会長、大和冷凍興業社長を歴任する。 1936年(昭和11年)2月の第19回衆議院議員総選挙では福岡県第3区から立憲政友会所属で出馬し当選。以後、衆議院議員を通算3期務めた。戦後は日本進歩党所属に転じた。
熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月1… 熊谷 一弥(くまがい いちや、1890年(明治23年)9月10日 - 1968年(昭和43年)8月16日)は、福岡県大牟田市出身の男子テニス選手。旧漢字表記では 熊谷 一彌 と書く。 熊谷は日本テニス界の黎明期を築き、清水善造と共に日本人テニス選手の世界挑戦への道を開拓した選手のひとりである。1918年(大正7年)の全米選手権において日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出した。 1920年(大正9年)のアントワープ五輪で男子シングルス、ダブルスともに銀メダルを獲得し、日本人初のオリンピックメダリストとなった。 英語文献では“Ichiya Kumagae”(イチヤ・クマガエ)と表記されることが多い。
古賀 喜太郎(こが きたろう、1890年(明治23年)7月2… 古賀 喜太郎(こが きたろう、1890年(明治23年)7月29日 - 1957年(昭和32年)1月8日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 福岡県三池郡大牟田町(現大牟田市有明町)で、古賀健蔵の息子として生まれる。1909年(明治42年)久留米市立商業学校(現久留米市立久留米商業高等学校)を卒業した。 1919年(大正8年)12月、円仏古賀商店取締役に就任。1932年(昭和7年)大牟田商工会議所議員、1934年(昭和9年)同副会頭に就任した。その他、大牟田信用組合(現大牟田柳川信用金庫)監事、福岡県陸上小運搬業組合大牟田支部長、旭セメント取締役、三池製氷取締役などを務めた。 1921年(大正10年)大牟田市会議員に選出され、同副議長、大牟田市所得調査委員などを務め、福岡県会議員にも在任した。
瀬戸山 要藏(せとやま ようぞう、1890年(明治23年)2… 瀬戸山 要藏(せとやま ようぞう、1890年(明治23年)2月11日 - 没年不詳)は、福岡県三池郡大牟田町(現・大牟田市)出身の大相撲力士。本名は安永 要藏。身長176cm、体重105kg。大阪相撲では関脇を務めたが東西合併で十両に編入されその後は入幕できなかった。 当初は東京相撲の雷(元初代梅ヶ谷)の門に入り1910年(明治43年)6月序ノ口についた。その後大阪相撲に移り藤嶋部屋から陣幕部屋の所属となった。1919年(大正8年)1月新入幕、その場所8勝2預で優勝を飾った。1920年(大正9年)1月には関脇に進むが大きく負け越しその後は平幕に低迷した。1923年(大正12年)1月関脇に返り咲き勝ち越し。
野口 忠太郎(のぐち ちゅうたろう、1865年9月27日(慶… 野口 忠太郎(のぐち ちゅうたろう、1865年9月27日(慶応元年8月8日)- 1931年(昭和6年)2月24日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 筑後国三池郡横須村(現:福岡県大牟田市中町1丁目33番地)で、野口忠七、キワ夫妻の長男として生まれる。1882年(明治15年)橘陰校中学部を卒業。1883年(明治16年)9月14日に家督を相続した。 野田卯太郎、永江純一らの知遇を得て、1887年(明治20年)合資会社三池土木会社の創立に参画し事務担当者となり、1900年(明治33年)社長に就任した。その他、三池銀行監査役、大牟田瓦斯取締役、九州電灯鉄道取締役、東邦電力取締役、三池無尽取締役、大牟田無尽取締役、大東畜産工業取締役、三池肥筑物産社長などを務めた。
バーモント秀樹( - ひでき、本名:今岡 正浩(いまおか ま… バーモント秀樹( - ひでき、本名:今岡 正浩(いまおか まさひろ))は、日本のものまねタレント。愛称は、バー秀。福岡県大牟田市出身。株式会社パンダ・リンク所属。 西城秀樹のものまねで知られる(レパートリーは、他にみのもんた、郷ひろみなど約20ある)。その西城秀樹とは面識があるという。長髪はかつらではなく地毛である。 通称「カセットテープ芸人」。20年以上、持ちネタを一語一句変えようとせず、アドリブも挟まない。それ故、観客が一人もいない舞台でも空席に向かって客いじりを行う。 東京都新宿区のものまねショーパブ「そっくり館キサラ」に月数回出演している。同じく若手時代に「そっくり館キサラ」に出演していたオードリーと仲が良く、ラジオ「オードリーのオールナイトニッポン」への出演を代表として、しばしばテレビ・ラジオでオードリーと共演している。
レイパー 佐藤 は、日本の物まねタレント、映画監督、声優、俳… レイパー 佐藤 は、日本の物まねタレント、映画監督、声優、俳優、歌手、ラジオMC。自らを「宇宙芸人」と称する。
萩森 千聖(はぎもり ちせ)は、日本の漫画家。福岡県大牟田市… 萩森 千聖(はぎもり ちせ)は、日本の漫画家。福岡県大牟田市出身。 1979年、三池高校在学中に『デラックスマーガレット』(集英社)11月号に掲載の「秋の心のひとかけら」でデビュー。代表作に『花びら冠・春・桜』、『青春のような』、『卒業おめでとう!』、『あなただけに伝えたい』、『Special Thanks』など。最近では大人の女性向けの漫画も多い。
久住 欣也(ひさずみ よしなり、Yoshinari Hisa… 久住 欣也(ひさずみ よしなり、Yoshinari Hisazumi)は、日本のアートディレクター、グラフィックデザイナー。株式会社Hd LAB(エイチディ ラボ)、有限会社ヒサズミデザイン代表取締役。 1965年7月11日、福岡県大牟田市生まれ。福岡県立三池高等学校を経て、1988年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科修了。企業ブランディング、CI・VI、広告、エディトリアルデザイン、パッケージデザイン、空間デザイン、ウェブサイト等の企画・制作からアートディレクションまでを行う。
音咲 椿(おとさき つばき)は、福岡県大牟田市出身の漫画家で… 音咲 椿(おとさき つばき)は、福岡県大牟田市出身の漫画家である。年齢非公開。 東京工芸大学芸術学部映像学科卒、専攻はメディア・アート。2005年にポット出版刊「女の子×女の子のためのエロチックブック カーミラ」にてイラストレーター、漫画家デビュー。前職はブルセラ雑誌の編集長およびカメラマン、フェチDVD、制服系美少女写真集の企画・制作。 元々は大人女子向けの漫画を描いていたが、芳文社刊「本当にあったマル生ここだけの話」シリーズで読者投稿4コマを描き始める。その後、レディースコミックやティーンズラブ作品を描きながら自身のエッセイ4コマ漫画を同誌に描くようになる。当時はまだ世間一般に浸透していなかった「女装子」をいち早く漫画に登場させた(作品名は「危険な女装フェチ」だが、本人の希望タイトルは「秘密のじょそこダーリン」)。
伊藤 かほり(いとう かほり)は、元日本放送協会 (NHK)… 伊藤 かほり(いとう かほり)は、元日本放送協会 (NHK) の契約キャスター。 福岡県大牟田市出身。大阪芸術大学芸術学部放送学科を主席で卒業後、2008年からはNHK熊本放送局のキャスターを、2011年からはNHK千葉放送局のキャスターを務めていた。大学の同級生にはお笑いコンビ、ミルクボーイの駒場孝がいる。 以下のうち千葉局在籍当時の担当番組には、別のキャスターとの交替制で出演していた。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。