四元 志桜里(よつもと しおり、2007年4月13日 - )… 四元 志桜里(よつもと しおり、2007年4月13日 - )は、日本のプロボクサー。真正ボクシングジム所属。鹿児島県霧島市出身。日章学園中学校・高等学校卒業。現WBO女子アジア太平洋アトム級王者。 小1で空手を始め、全国大会5連覇や世界大会優勝。 中1の時に東京オリンピックの聖火ランナーを務める。 中2の時に宮崎の日章学園に転校しボクシングに転向。 高校進学後、1年時に全国高校選抜優勝、2年時にもインターハイ優勝。国際大会でも2023年アジアジュニア選手権で銅メダルを獲得した。フジテレビ系『ミライ☆モンスター→ミラモンGOLD』に3度出演した。 2025年1月、B級ライセンス取得。「高校最後に1年でにプロになって、早く世界チャンピオンのベルトを巻きたい」と在学中にプロ転向。
篠原 優和(しのはら ゆうか、2003年5月17日 - )は… 篠原 優和(しのはら ゆうか、2003年5月17日 - )は、鹿児島県霧島市出身のハンドボール選手。日本ハンドボールリーグ(リーグH)のソニーセミコンダクタマニュファクチャリング ブルーサクヤ鹿児島所属。 霧島市立隼人中学校時代は霧島クラブでプレーし、2017年は全国中学生ハンドボールクラブチームカップでベストセブンを受賞。 2018年は春の全国中学生ハンドボール選手権大会でベスト4に入賞。優秀選手(フクラギ7)に選出。8月の全国中学生ハンドボールクラブチームカップでは優勝を果たし、MVPを受賞。12月には鹿児島県選抜として、第27回JOCジュニアオリンピックカップに出場。有望選手に選ばれた。 中学卒業後は佼成学園女子高等学校へ進学。
冨田 菜々風(とみた ななか、2000年7月17日 - )は… 冨田 菜々風(とみた ななか、2000年7月17日 - )は、日本のアイドル。指原莉乃プロデュースの女性アイドルグループ≠MEのメンバー。愛称は、ななか、なんかちゃん。鹿児島県霧島市出身。代々木アニメーション学院所属。
有村 涼美(ありむら すずみ、1999年9月17日 - )は… 有村 涼美(ありむら すずみ、1999年9月17日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 鹿児島県霧島市出身。両親と姉の影響で小学1年生からバレーボールを始めた。 2015年、鹿児島女子高等学校に進学。2年時の2017年1月、全日本高等学校選手権大会(春高バレー)でベスト4の成績を残した。2018年、鹿屋体育大学に進学。3年時の2020年、全日本大学選手権大会(全日本インカレ)で優勝を果たした。 2021-22シーズン、V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN(V2女子)に所属するプレステージ・インターナショナルアランマーレの内定選手となった。内定選手としてV2女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。
しおんあい(1999年4月 - )は、日本のシンガーソングラ… しおんあい(1999年4月 - )は、日本のシンガーソングライター。鹿児島県霧島市出身。 幼少期に→Pia-no-jaC←の曲を耳コピしてピアノをマスター、その後ギターの弾き語りで活動。鹿児島のテレビ番組出演をきっかけにスカウトされ上京。 2020年、フォーライフミュージックエンタテイメントよりメジャーデビュー。 2022年4月時点でTikTokの総再生回数が1800万回を突破。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
薗田 卓馬(そのだ たくま、1993年6月14日 - )は、… 薗田 卓馬(そのだ たくま、1993年6月14日 - )は、鹿児島県霧島市出身のプロサッカー選手。九州サッカーリーグ・ジェイリースFC所属。ポジションはフォワード。 鹿児島城西高校の3年生の時に第90回全国高校サッカー選手権大会に出場経験がある。このときは新潟西高校にPK戦の末に敗れている。 鹿児島城西高校から福岡大学に入学してサッカー部に入部。2年時の2013年の第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会1回戦(佐川急便中国戦)で4得点をあげている。 大学卒業後、2016年にアスルクラロ沼津に加入。2017年にはJ3リーグ2位となる19得点をマークした。 2018年より徳島ヴォルティスに完全移籍。
吉満 大介(よしみつ だいすけ、1993年2月21日 - )… 吉満 大介(よしみつ だいすけ、1993年2月21日 - )は、鹿児島県霧島市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アルビレックス新潟所属。ポジションはゴールキーパー(GK)。 2015年に栃木SCに加入。加入1年目は竹重安希彦・桜井繁に次ぐ3番手となり1試合の出場に留まり、チームも最下位でJ3に降格した。降格後の2016年には桜井の引退もあって竹重からポジションを奪取。主力として全30試合に出場したが、J2・J3入れ替え戦でツエーゲン金沢に2戦合計0-3で敗北。1年でのJ2復帰はならなかった。 2017年シーズンから、FW大石治寿と共にレノファ山口FCに完全移籍した。しかし、加入1年目は村上昌謙と山田元気がポジション争いを繰り広げており、自身の出場は8試合に留まった。
入間川 大樹(いるまがわ たいき、1992年11月18日 -… 入間川 大樹(いるまがわ たいき、1992年11月18日 - )は日本の男子バスケットボール選手。鹿児島県霧島市出身。 富隈小学校、鹿児島第一中学校、鹿児島第一高等学校、関東学院大学を卒業。 社会人バスケットボールチームの鹿児島教員クラブ、3人制バスケットボール3x3のチームのエクスプローラーズ鹿児島.EXEなどで活動。 2018-19シーズンは、エクスプローラーズ鹿児島.EXEと協定を結んでいる鹿児島レブナイズと契約。 2019-20シーズンも鹿児島レブナイズと契約継続をし、同時にエクスプローラーズ鹿児島.EXEの2チームでプレーをする。 2019-20シーズン終了後、契約満了となり鹿児島レブナイズを退団。
大塚 かなえ(おおつか かなえ、1992年8月1日 - )は… 大塚 かなえ(おおつか かなえ、1992年8月1日 - )は、日本の女優。鹿児島県霧島市出身。所属事務所は株式会社アンカット。
四元 りな(よつもと りな、1991年9月10日 - )は、… 四元 りな(よつもと りな、1991年9月10日 - )は、日本の女優。鹿児島県霧島市生まれ。 フリーの役者として活動している。(業務提携先:サン・オフィス コイデオフィス アール・クルー) この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
濵田 尚里(はまだ しょうり、1990年(平成2年)9月25… 濵田 尚里(はまだ しょうり、1990年(平成2年)9月25日 - )は、日本の女子柔道家、サンボ選手。2021年開催の東京オリンピック柔道78kg級金メダリスト。2018年世界柔道選手権大会78kg級金メダリスト。鹿児島県霧島市出身。山梨学院大学卒業。自衛隊体育学校所属の幹部自衛官(2023年12月現在、1等陸尉)。名字は報道等では浜田と表記されることもある。 握力は右59kg、左64kg。組み手は右組み。得意技は内股。趣味はコーヒータイムとケーキ作り。血液型はB型。 寝技の名手として知られる(後述)。試合に勝っても負けても畳の上では一切表情を変えない武道家らしい所作でも知られている。 柔道は霧島市立国分西小学校に在籍していた10歳の時に、兄と一緒に近所の陸上自衛隊国分駐屯地内の国分西柔道クラブで始めた。
濱田 尚里(はまだ しょうり、1990年9月25日 - )は… 濱田 尚里(はまだ しょうり、1990年9月25日 - )は、鹿児島県霧島市出身の、日本の柔道選手である。階級は78kg級。身長167cm。組み手は右組み。血液型はB型。得意技は内股、寝技。現在は自衛隊体育学校に所属。
山内 智裕(やまうち ともひろ、1987年9月5日 - )は… 山内 智裕(やまうち ともひろ、1987年9月5日 - )は、鹿児島県霧島市(旧・隼人町)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。サッカー選手の山内晴貴は実弟。 高校2年までは鹿児島城西高校のサッカー部でプレー、3年時にアミーゴス鹿児島U-18に移った。 東海学園大学在学中の2009年に、Jリーグ2部・FC岐阜の特別指定選手となる。Jリーグ出場は成らなかったが、翌2010年に正式加入した。 2011年7月、地元鹿児島のFC KAGOSHIMAへ期限付き移籍。2013年より同クラブに完全移籍。 2014年、中国サッカーリーグの松江シティFCへ移籍。2015年シーズン終了後、松江を退団。
西薗 良太(にしぞの りょうた、1987年9月1日 - )は… 西薗 良太(にしぞの りょうた、1987年9月1日 - )は、鹿児島県霧島市出身の自転車競技プロ(ロードレース)選手。地元の練習環境などからヒルクライムで強さを誇るが、理詰めでフォームや戦略を組み立てていくタイムトライアルも得意としており全日本選手権も3度制覇している。 鹿児島第一中学校・高等学校を経て、東京大学理科一類に進学。 2011年、東京大学工学部計数工学科システム情報専攻を卒業し、シマノレーシングに加入。 2012年、チームブリヂストン・アンカーに移籍。 2013年、チャンピオンシステムに移籍。 2015年、チームブリヂストン・アンカーより復帰。
六反 勇治(ろくたん ゆうじ、1987年4月10日 - )は… 六反 勇治(ろくたん ゆうじ、1987年4月10日 - )は、鹿児島県霧島市出身の元プロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー (GK) 。元日本代表。 幼少時にサッカーを始め、熊本国府高校時代に本格的にゴールキーパーに転向。両親とも教師という家庭に育ち自身も教師となるため大学進学を考えていたが、Jクラブの練習に参加するうちにプロ入りへの意欲を持つようになり、2006年にアビスパ福岡に加入。 福岡に加入して4年目、2009年9月2日のJ2第37節ファジアーノ岡山戦でJリーグ初出場。それまで正GKだった吉田宗弘から定位置を奪い、このシーズンは15試合に出場した。 2010年も開幕戦から第7節まで先発出場。
豊満 亮(トヨミツ リョウ、1986年12月16日 - )は… 豊満 亮(トヨミツ リョウ、1986年12月16日 - )は、日本の男性俳優。 2021年4月から芸名を大瀬 誠(オオセ マコト)から本名の豊満 亮に改名した。 鹿児島県国分市(現 霧島市)出身。血液型AB型、身長178cm。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
新中 剛史(しんちゅう つよし、1986年11月28日 - … 新中 剛史(しんちゅう つよし、1986年11月28日 - )は、鹿児島県霧島市出身のサッカー指導者、元選手。ポジションは、FW、MF。 鹿児島城西高校からびわこ成蹊スポーツ大学を経て、2009年ファジアーノ岡山へ加入。同年4月よりネクスト所属となる、さらに経験を積むため同年6月から松本山雅FCへレンタル移籍するも、リーグ戦2試合出場に留まった。2010年よりチームに復帰し、トップチームに登録される。開幕戦でJリーグ初出場を果たし、計11試合に出場した。しかし、下腹部打撲、右大腿部肉離れと度重なる負傷もあり、同年8月より中野裕太と共にネクストへ登録変更される。2011年はネクスト所属、2012年は開幕前に左腸腰筋肉離れの負傷、ネクスト所属となる。
日高 裕次郎(ひだか ゆうじろう、1986年11月21日 -… 日高 裕次郎(ひだか ゆうじろう、1986年11月21日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、ビーチバレー選手。妻は元全日本女子バレー選手の木村沙織。 鹿児島県霧島市出身。中学時代アクエリアスカップで、オリンピック有望選手を獲得。鹿児島商業高等学校では1年からスタメンでプレーし、第35回春高バレーでは九州を代表するエースとして盛重龍2世の呼び声も高かった。 日本体育大学では3年生の時に2007年全日本インカレで日体大15年ぶりの優勝に貢献。4年生の時に全日本インカレ2連覇を達成した。また2008年には第6回東アジア地区バレーボール選手権大会、第20回アジア太平洋カップ福岡国際男子バレーボール大会の代表メンバーにも選出され、国際大会出場も経験した。
中西 沙綾(なかにし さーや、1986年1月15日 - )は… 中西 沙綾(なかにし さーや、1986年1月15日 - )は、元鹿児島読売テレビ(KYT)のアナウンサー。 鹿児島県霧島市国分(旧国分市)出身。鹿児島第一中学校、鹿児島第一高等学校、を経て、日本大学藝術学部放送学科を卒業。 大学卒業後の2008年に高知さんさんテレビにアナウンサーとして入社。「SUNSUNスーパーニュース」のキャスターなど報道現場を主として活動していた。 2010年に鹿児島読売テレビへ移籍。2016年9月30日、「KYT news every.」のキャスターを卒業し産休へ入る。同年11月、第1子の男児を出産。2017年10月に復帰。 2020年3月31日、第2子の妊娠をブログにて報告し、産休に入った。
米田 兼一郎(めた けんいちろう、1982年7月2日 - )… 米田 兼一郎(めた けんいちろう、1982年7月2日 - )は、鹿児島県霧島市(旧:国分市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。 鹿児島城西高校では同校初の全国高等学校サッカー選手権大会(第79回)出場に貢献。アビスパ福岡では3年目からレギュラーに定着。その後京都パープルサンガなどに在籍、主力として中盤のレギュラーを務めた。 2012年には地元のFC KAGOSHIMAに移籍。GM兼任としてプレーしていたが、2013年5月に退団。その後はV・ファーレン長崎の練習に参加をしたが、無所属期間が続いた。 2016年にテゲバジャーロ宮崎に入団。
中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月… 中重 真一(なかしげ しんいち、1977年〈昭和52年〉3月28日 - )は、日本の政治家。鹿児島県霧島市長(3期)。元鹿児島県議会議員(2期)、霧島市議会議員(2期)。 鹿児島県霧島市出身。鹿児島県立加治木高等学校、早稲田大学法学部卒業。 霧島市議会議員を経て、2007年(平成19年)4月の鹿児島県議会議員選挙に無所属で立候補し初当選。2011年(平成23年)、再選。 2013年(平成25年)11月17日に行われた霧島市長選挙に立候補するも落選。投票率は62.28%。 2017年(平成29年)11月19日に行われた霧島市長選挙に再挑戦し、現職の前田終止との一騎打ちを制し初当選を果たした(中重:29,455票、前田:28,892票)。
大崎 啓吾(おおさき けいご、1973年5月1日 - )は、… 大崎 啓吾(おおさき けいご、1973年5月1日 - )は、鹿児島県霧島市出身の空手家。 1999年1月には、「心道會」(心道流戦術)を鹿児島県霧島市国分城山に旗揚げした。 1979年、全日本空手道連盟・鹿児島県連会長である青木寿男へ師事し、糸東流空手道を学んだ。の1994年にシステマ創設者・ミハイル・リャブコの弟子となる。 1995年にラスベガスアルティメット・オープントーナメントに参戦し、決勝戦ではマイク・ロイドマンを破り、王者となった。 1999年1月8日、実弟である大崎貴之、大崎真也と共に「心道會」を創設した。 2002年、スマックガールに協力。2004年に静岡市で行われた”WORLD REMIX 2004”ではメインスポンサーをつとめた。
鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 … 鶴ノ富士 智万(つるのふじ ともかず、1973年1月29日 - )は、鹿児島県姶良郡隼人町(現在の霧島市)出身で井筒部屋に所属した元大相撲力士。本名は福薗 洋一郎(ふくぞの よういちろう)。現役時代の体格は身長178cm、体重113kg。得意手は諸差し、寄り、上手投げ。最高位は西十両9枚目(1995年3月場所)。趣味はサッカー観戦。 中学校時代はサッカー部に所属していたが、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)と父が兄弟であったこともあり井筒部屋に入門。1988年3月場所に初土俵を踏んだ。軽量であったため序ノ口、序二段で伸び悩み、1991年1月場所前に髷を切って部屋を脱走し、一時期は警備員として勤務したこともあった。
四位 洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は… 四位 洋文(しい ひろふみ、1972年11月30日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の元騎手で現在は調教師である。叔父に、元騎手の四位満教(しい みちのり)がいる。 妻は元エンドレスギャルズ(9期)の鈴木美帆子。 小学校3年よりポニーでの乗馬を経験しており、競馬学校入学以前すでに乗馬では全国区の活躍をし、乗馬雑誌「乗馬ライフ」でも取り上げられたことがある。 中学校卒業後に競馬学校に入学(7期生)、同期には藤田伸二・安田康彦・橋本広喜らがいる。競馬学校では教官から馬乗りを評価され7期生の中では一番の注目株であり、成績も優秀であった。 同期の安田は、自身の引退後に競馬評論家となったが、「競馬最強の法則」2017年11月号で競馬学校時代の四位のことを「馬乗りが上手であった」旨を簡潔ながらも述べていた。
井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は… 井上 一樹(いのうえ かずき、1971年7月25日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町(現:霧島市)出身の元プロ野球選手(外野手、左投左打)、プロ野球監督。現役時代は1990年から2009年まで20年間にわたり中日ドラゴンズ一筋でプレーした。2025年からは中日の監督を務める。 陵南小学校時代にソフトボールを始める。陵南中学校時代に軟式野球部に入部。鹿児島商業高校時代は、投手兼外野手として高校2年生のとき甲子園に1回出場。甲子園出場について井上本人が「行進のときに鳥肌が立ったことが忘れられない。これのために頑張ってきたんだと思った。」と語っている。甲子園での敗退後、甲子園の砂を集めていたら、同級生
両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、… 両國 宏(りょうごく ひろし、1971年6月6日 - )は、日本の俳優、井筒部屋所属の元大相撲力士。大相撲時代の四股名は祥映斗 宏務(しょうえいと ひろし)。鹿児島県姶良郡横川町(現在の霧島市)出身。身長180cm、体重94kg。両國エンタープライズ所属。業務提携 株式会社Katana。 大相撲時代の最高位は幕下3枚目、体重111kg。 三段目時代、優勝経験あり。 エス・プログレス、Stone Valley株式会社を経て、現在は両國エンタープライズ所属。 趣味・特技は、アクション殺陣、バランスボール乗り、釣り・フットサル・ゴルフ(ベストスコア87)バレーボール、水泳、筋トレ、SUP。 普通自動車、大型二輪、二級船舶 祥映斗の由来は「祥 = 勝」「映斗 = 8」 であり、毎場所必ず8勝 (すなわち、関取で勝ち越し)出来るようにという願いから付けられた。
岩田 和久(いわた かずひさ、1960年1月21日 - )は… 岩田 和久(いわた かずひさ、1960年1月21日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター。鹿児島県姶良郡牧園町出身。 千代田デザイン写真学院で漫画を学び、卒業後山田ゴロのアシスタントとなり、その後も津原義明、桜多吾作、すがやみつるとアシスタントを転々としていく。1982年デビュー。主に児童・少年漫画を手掛けていたが、1994年からはイラストレーターとしての活動、1998年からは青年漫画も手掛けるなど活動の幅を広めていった。 現在、『ざ・いけのぼう』(日本華道社)にて、『もみじ君花日記』を連載中。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月… 霧島 一博(きりしま かずひろ、1959年(昭和34年)4月3日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身で井筒部屋(入門時は君ヶ濱部屋)所属の元大相撲力士。本名は吉永 一美(よしなが かずみ)。最高位は東大関。現役時代の体格は身長187cm、体重132kg。得意手は左四つ、寄り、吊り、出し投げ。うっちゃり。現在は年寄・陸奥。弟子の霧島鐵力と区別して「初代霧島」と呼ばれることもある。 農家の長男として生まれる。幼少時から体を鍛えるのが好きで、小学校では3年生の時から真冬でも頭から水をかぶって登校し、5年生からは重さ3kgもある鉄下駄を履くなどしていた。サッカーが好きであったが、中学にサッカー部が無かったため中学時代は野球部に入部し、2年生から柔道部に転向。
小里 泰弘(おざと やすひろ、1958年〈昭和33年〉9月2… 小里 泰弘(おざと やすひろ、1958年〈昭和33年〉9月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。 農林水産大臣(第70代)、内閣総理大臣補佐官、農林水産副大臣、環境副大臣兼内閣府副大臣、農林水産大臣政務官、衆議院災害対策特別委員長、衆議院財務金融委員長、衆議院農林水産委員長、自由民主党副幹事長、同党国土交通部会長、同党地方組織・議員総局長、同党経済成長戦略本部長、同党選挙対策筆頭副委員長を歴任した。 父は総務庁長官や労働大臣、北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官を歴任した小里貞利。 鹿児島県姶良郡霧島町(現:霧島市)生まれ。鹿児島県立鶴丸高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、野村証券に入社。
上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は… 上脇 博之(かみわき ひろし、1958年7月25日 - )は、日本の法学者。憲法学を専門として研究・教育する憲法学者。1994年「政治改革」は日本国憲法の議会制民主主義に逆行する改悪だったとして、その違憲の諸制度により過剰代表されて誕生する政権与党の暴走を監視するために、市民運動にも積極的に取り組んでいる。弁護士の支援を受けて情報公開訴訟を提起したり、政治資金・選挙資金問題を中心に多数の大臣ら政治家を刑事告発してきた。神戸学院大学法学部教授。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市隼人町)の会社員の家庭に生まれた。3人兄弟の次男で、父は九州電力に勤めていた。幼い頃は、父の転勤で姶良郡内を幾度か転居した。
田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、… 田島 信行(たじま のぶゆき、1955年2月1日 - )は、京都府出身(鹿児島県姶良郡牧園町生まれ)の元騎手・現調教助手。 同姓の騎手・田島良保の実家が近所にあり、血縁関係は無いが、その活躍に触発されて騎手を志す。中学校在学中に京都に移り、京都・服部正利調教師の内弟子となる。 中学校卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に入所し、修了後の1973年に服部厩舎からデビュー。 1973年3月3日の阪神第5競走4歳200万下・ニホンピロスピードで初騎乗を果たすが、福永洋一のホリタエイカンにアタマ差2着で初騎乗初勝利はならなかった。同31日の阪神第1競走3歳未勝利・ニホンピローヒルで初勝利を挙げ、7月28日の小倉で1日3勝、9月29日・30日の阪神で初の2日連続勝利、11月24日の中京では1日2勝を記録。
永山こうじ(ながやま こうじ、1954年12月6日 - )は… 永山こうじ(ながやま こうじ、1954年12月6日 - )は、鹿児島県姶良郡溝辺町出身の演歌歌手である。 1982年にコーラスグループ「アルバトロス」を結成し、同年12月16日にユニオンレコード(テイチク)より「原ひろしとアルバトロス」として『東京待ちぼうけ/長崎それとも神戸』(UE-531)をリリースしてデビュー。しかし、全国キャンペーン中にリーダーの原が病に倒れ、活動中止を経て1983年にキーボードの江本勝らと共に「江本勝とアルバトロス」として再度同シングルをリリースした。永山はリードボーカルを担当、当時の芸名は永山幸二。 1984年から1992年までコーラスグループ「ロス・インディオス」に在籍。
湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 202… 湯窪 幸雄(ゆくぼ さちお、1950年11月9日 - 2026年1月21日)は、鹿児島県姶良郡牧園町(現在の霧島市)出身の日本中央競馬会 (JRA) の元騎手、元調教師。 実家が馬の生産牧場(湯窪牧場)を経営しており、幼いころから多くの馬と共に育ち慣れ親しんできた。そのため湯窪は競馬にも大きな興味を抱いていたが、高校在学中に父親が本人に内密で競馬の馬術の試験を応募しており、これを受験したところ合格したことから競馬界への参入と騎手への道を決めたという[要出典]。 1968年3月、鹿児島県から関西に上京して栗東トレーニングセンター所属であった柏谷富衛調教師に騎手候補生として師事し、1970年3月1日開催の京都競馬場第7レース「5歳以上100万下」にてセブンバンコク(3着)の騎手としてプロデビューを果たし、同年4月18日の京都競馬場第8レース「5歳以上オープン」にリキエイカンで出走して自身初勝利を収める。
下川 正晴(しもかわ まさはる、1949年7月28日 - )… 下川 正晴(しもかわ まさはる、1949年7月28日 - )は、日本のジャーナリスト。元大分県立芸術文化短期大学教授。 鹿児島県霧島市出身。1968年、鹿児島県立国分高等学校卒業。大阪大学法学部卒業後、毎日新聞社へ入社。山口支局、佐世保支局、西部本社報道部を経て、ソウル支局長、バンコク支局長、論説委員を歴任。 2004年に毎日新聞社を退社。2005年に韓国外国語大学校客員教授。2007年4月から大分県立芸術文化短期大学教授。マスメディア論・現代韓国論を担当。研究テーマは、「日韓の相互認識とメディア」「慰安婦報道検証」。2015年3月定年退職し、東京でフリージャーナリスト。主に近現代日本史、韓国、台湾、映画をルポルタージュ取材し、執筆する。
森安 多恵子(もりやす たえこ、1948年5月5日 - 20… 森安 多恵子(もりやす たえこ、1948年5月5日 - 2020年8月2日)は、日本将棋連盟に所属していた女流棋士。鹿児島県霧島町(現・霧島市)出身。高島一岐代九段門下。女流棋士番号は3(2011年3月31日までの旧番号は旧11)。 タイトル挑戦 2回(タイトル獲得なし) (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )… 田島 良保(たじま よしやす、1947年10月17日 - )は、鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・元調教師。騎手時代は数々の名騎乗を残し、「必殺仕事人」と称された。川島信二は娘婿にあたる。 生家の近所には牧場があり、幼少期から馬に親しんで育った。 中学卒業後は馬事公苑騎手養成長期課程に第14期生として入所したが、やんちゃな性格で生意気な生徒であった。同期には小島太、安田富男、平井雄二、池上昌弘などがいる。2年次の厩舎研修の際には、小島と共に勧誘を受けていた東京・高木良三厩舎に入ったが、その後は京都・谷八郎厩舎所属に決まった。谷は勝ち気な性格であった田島の良き理解者となり、少々の批判に耳も貸さず乗せ続けた。
谷 隼人(たに はやと、本名:岩谷 肇(いわたに はじめ)、… 谷 隼人(たに はやと、本名:岩谷 肇(いわたに はじめ)、1946年〈昭和21年〉9月9日 - )は、日本の俳優、タレント。鹿児島県出身。身長179センチメートル、血液型A型。別名に岩谷 隆広(いわたに たかひろ)。 2人兄妹(妹1人)の長男。妻は女優の松岡きっこ。グッドフェローズ所属。俳優/歌手の高橋元太郎の所属事務所「アネモイエンタテインメント」と営業連携している。 経済的な事由に加え、軍人である父の「姉3人に妹1人という女所帯で育つと、女々しくなる」という意向から、母の実家がある長崎県佐世保市で母と姉3人、谷は父と妹、それぞれ別居生活を送ることとなる、小学校5年生の時に、防衛庁勤務の父親の転勤に伴い母と妹の4人で佐世保から東京都中野区へ転居。
野村 哲郎(のむら てつろう、1943年〈昭和18年〉11月… 野村 哲郎(のむら てつろう、1943年〈昭和18年〉11月20日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(4期)。鹿児島県姶良郡隼人町(現:霧島市)出身。 農林水産大臣(第67代)、農林水産大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、参議院決算委員長、同政府開発援助等に関する特別委員長、同農林水産委員長、同政治倫理審査会長、自由民主党政務調査会長代理などを歴任。甥は野村の第一秘書。 1962年、ラ・サール高等学校卒業。1966年、中馬辰猪衆議院議員秘書となる。1969年、鹿児島県農業協同組合中央会に入職。経営監査部長、参事、常務などを歴任し2004年に退職。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で鹿児島県選挙区より出馬し初当選。
久木田 重和(くきた しげかず、1943年4月7日 - 20… 久木田 重和(くきた しげかず、1943年4月7日 - 2021年7月8日)は、日本の会計学者。専門分野は、財務会計・国際会計。東京経済大学名誉教授。同大学元学長。2004年から2006年にかけて、公認会計士試験の試験委員を務めた。 1943年、福岡県戸畑市で生まれる。1966年、九州大学経済学部卒業。1968年、同大学大学院経済学研究科修士課程修了。1971年、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。同年、東京経済大学経営学部専任講師。1984年、同教授。2008年、同大学学長(2013年度末まで)。2014年、同大学定年退職、名誉教授。
徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿… 徳吉 一己(とくよし かずみ、1941年2月1日 - )は鹿児島県姶良郡牧園町(現・霧島市)出身の元騎手・現評論家。 騎手出身者として初めてJRA競馬学校騎手課程の教官となった。 同じくJRA騎手であった徳吉孝士は実子。 実家は数頭の馬を飼っており、中学生の時から競馬好きの兄に連れられて公営・鴨池競馬場を訪れ競馬にも親しんだ。中学3年次には小柄であったことから騎手になることを勧められ、中央競馬の騎手養成長期課程を受験。合格後騎手養成所に入り、1958年に東京・森末之助厩舎よりデビューし、同年9月7日にイチツバメで初勝利。 1968年の目黒記念(秋)・メジロタイヨウをはじめ、ヤマブキオーで重賞3勝を挙げるなど、数々の重賞勝利馬に騎乗した。
小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17… 小里 貞利(おざと さだとし、1930年(昭和5年)8月17日 - 2016年(平成28年)12月14日)は、日本の政治家。衆議院議員(9期)、自由民主党総務会長(第41代)、自由民主党国会対策委員長(第39代)、労働大臣(第55代)、北海道開発庁長官(第61代)・沖縄開発庁長官(第30代)、総務庁長官(第21代)、震災対策担当大臣(村山内閣)、宏池会会長、鹿児島県議会議員(6期)を歴任した。国政進出以来一貫して整備新幹線事業に携わり、「ミスター新幹線」の異名を取った。
松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 20… 松山 樹子(まつやま みきこ、1923年1月10日 - 2021年5月22日)は日本のバレリーナ、振付師。夫の清水正夫とともに松山バレエ団を設立した日本のバレエ界のパイオニアである。長男、清水哲太郎もバレエダンサーであり、松山バレエ団代表を引き継いでいる。兄・松山吉三郎および甥(兄の次男)・松山康久は日本中央競馬会(JRA)所属の元調教師。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市隼人町)に生まれる。日本女子経済専門学校(現かえつ有明中学校・高等学校)在学時、アメリカ人教師からメヌエット、マズルカなどのダンスを教わり、バレエに興味を持つ。そこで、在学1年時に日劇ダンシングチームクラシックバレエ科1期生に選ばれて入団。
松山 吉三郎(まつやま きちさぶろう、1917年2月2日 -… 松山 吉三郎(まつやま きちさぶろう、1917年2月2日 - 2006年12月20日)は、元騎手(東京競馬倶楽部、日本競馬会、国営競馬)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会(JRA))。JRA調教師顕彰者。 妹はバレエダンサーの松山樹子(松山バレエ団)。父の松山徳蔵は戦前の日本競馬会の元調教師。二男の松山康久はJRAの調教師(ミスターシービーやジェニュインを管理、調教師顕彰者)。 鹿児島県姶良郡隼人町(現・霧島市)出身。実家はもとは庄屋であったが、父・徳蔵が上京し目黒競馬場・尾形藤吉厩舎の厩務員となったため、東京へ移り住んだ。 1929年、東京都目黒区立油面尋常小学校卒業とともに尾形藤吉厩舎の見習騎手となる。
三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 -… 三舩浪 盛吉(みふねなみ せいきち、1914年5月28日 - 1943年9月23日)は、昭和時代の大相撲力士。浅香山部屋→井筒部屋所属。本名は有川 盛吉。最高位は十両5枚目。 鹿児島県姶良郡隼人町(現霧島市)出身。同郷の横綱であった三代目西ノ海の浅香山部屋に入門。1933年1月初土俵を踏む。間もなく師匠が亡くなり、井筒部屋に移籍する。1940年1月十両昇進。連続5場所その地位にあったが、1942年5月に幕下に落ちてから休場続きで、三段目まで落ちた1943年9月23日、現役のまま死去した。 錦江洋→三船浪→三舩浪
國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - … 國ノ濱 源逸(くにのはま げんいつ、1906年7月3日 - 1986年12月20日)は、鹿児島県姶良郡(現・霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は中馬 源逸(ちゅうま げんいつ)。現役時代の体格は身長170cm、体重109kg、得意手は押し。最高位は西前頭5枚目(1932年2月場所、3月場所)、血液型はB型。 同郷の9代井筒(第25代横綱・西ノ海嘉治郎 (2代))の勧めで入門、1923年5月場所初土俵。1924年5月場所序二段。病気のため1926年5月場所一旦序ノ口に陥落したが、その後は順調に昇進した。1928年10月場所、三段目で6戦全勝の優勝同点の成績を挙げて幕下入り。1931年5月場所は幕下筆頭で4勝4敗の五分、10月場所は3勝3敗のこれまた五分の成績だったが、1932年1月の春秋園事件で協会に残ったために2月場所でラッキーな新入幕を果たした。
錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 -… 錦洋 与三郎(にしきなだ よさぶろう、1900年7月5日 - 1960年3月1日)は、鹿児島県姶良郡福山町(現霧島市)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は豊平 才蔵。最高位は関脇(関西角力協会では大関をつとめた)だった。現役時代の体格は176cm、111kg。得意技は押し、寄り、掬い投げ。 井筒部屋に入門し、1917年5月場所に初土俵をふむ。1923年5月、新十両、1925年1月に新入幕を果たす。出足早く、攻めの相撲で鳴らした。1925年5月場所には、前頭12枚目で10勝1敗の好成績を挙げたが、優勝は同じ平幕でも上位の大蛇山酉之助に奪われた。そこから上昇気流に乗り、1927年10月には新小結、1928年には関脇に昇進した。
林 太平(はやし たへい、1900年(明治33年)3月23日… 林 太平(はやし たへい、1900年(明治33年)3月23日 - 1984年(昭和59年)10月18日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)で生まれた。広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校(32期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第73連隊付となる。1929年(昭和4年)11月、陸軍大学校(41期)を卒業した。 1930年(昭和5年)8月、歩兵第24連隊付となり、陸軍戸山学校教官、豊予要塞参謀を経て、1932年(昭和7年)7月、参謀本部付勤務となる。参謀本部員、参謀本部付(在支武官室)を務め、1935年(昭和10年)8月、歩兵少佐に進級した。
木佐木 久(きさき ひさし、1899年〈明治32年〉7月14… 木佐木 久(きさき ひさし、1899年〈明治32年〉7月14日 - 1993年〈平成5年〉12月31日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)出身。1921年(大正10年)7月、陸軍士官学校第33期卒業。1932年(昭和7年)陸軍大学校第44期卒業。 台湾軍参謀を経て、1941年(昭和16年)7月、第13軍高級参謀に補され、支那事変に出動する。同年8月、陸軍大佐に進む。大東亜戦争が勃発すると1944年(昭和19年)5月、再び台湾軍参謀となり、第10方面軍参謀を経て、1945年(昭和20年)6月10日、陸軍少将に進み、同月27日、西部軍附となり終戦を迎える。
林 勇蔵(はやし ゆうぞう、1898年(明治31年)7月25… 林 勇蔵(はやし ゆうぞう、1898年(明治31年)7月25日 - 1970年(昭和45年)12月7日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級。 鹿児島県姶良郡、のちの国分市(現霧島市)で生まれた。。1920年(大正9年)5月、陸軍士官学校第32期卒業。1929年(昭和4年)陸軍大学校第41期卒業。 1939年(昭和14年)8月、浜松陸軍飛行学校教官、1940年(昭和15年)3月、飛行第98戦隊長を経て、同年8月、陸軍航空兵大佐に進む。ついで1941年(昭和16年)8月、浜松陸軍飛行学校附白城子陸軍飛行学校教官兼浜松陸軍飛行学校教官、1944年(昭和19年)6月、三方原教導飛行団司令部附を経て、1945年(昭和20年)3月、陸軍少将に進み、同年6月、独立混成第126旅団長に補され、天草諸島で本土決戦に備える中で終戦を迎えた。
山口 重彦(やまぐち しげひこ、1894年(明治27年)9月… 山口 重彦(やまぐち しげひこ、1894年(明治27年)9月30日 - 1965年(昭和40年)10月19日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(2期)、山口自転車社長。 鹿児島県で山口林五郎の長男として生まれる。鹿児島県姶良郡国分村(現霧島市)出身。東京府立工芸学校(現東京都立工芸高等学校)精密機械科を卒業。ダット自動車製造(快進社)に技師として入社。1914年(大正3年)に独立して東京府南葛飾郡吾嬬町(向島区を経て現葛飾区)に山口自転車工場を設立し、同社取締役社長に就任。その他、東京自転車工業組合理事、東京市少年職業委員、全国自転車業組合連合会評議員、東京市工業指導所評議員、協調会中小企業講座講師、厚生省労務管理調査委員、日本自転車工業会顧問などを務めた。