椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 198… 椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家、鹿児島県立図書館長、教員。本名は久保田 彦穂(くぼた ひこほ)。日本における動物文学の代表的人物である。 1947年から19年間務めた鹿児島県立図書館長時代には、第二次世界大戦で崩壊した図書館機能の再建のため、市町村図書館と共同運営を行い、市町村図書館を設置できない市町村には図書館を設置して県立図書館が支援するという、のちの図書館ネットワークの原型となる、図書館学において「鹿児島方式」と呼ばれるものを構築した。 1905年1月長野県下伊那郡喬木村阿島北にて、父(金太郎)、母(たき)の次男として誕生。
佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - … 佐藤 義美(さとう よしみ、男性、1905年1月20日 - 1968年12月16日)は、大分県竹田市出身の童謡作詞家、童話作家、詩人。代表曲に『犬のおまわりさん』など。ひらがな表記のさとう・よしみ名義の作品も存在する。 代表作の『犬のおまわりさん』は、2007年(平成19年)に日本の歌百選に選出されている。他に童謡の代表的な作品に、『グッドバイ』、『月の中』、『ともだちシンフォニー』、『おすもうくまちゃん』、『アイスクリームのうた』などがある。 また、童話集『あるいた雪だるま』は1954年(昭和29年)に第1回産経児童出版文化賞を、『佐藤義美全集』(全6巻)は1975年(昭和50年)に第5回赤い鳥文学賞を受賞している。
伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 … 伊藤 整(いとう せい、1905年(明治38年)1月16日 - 1969年(昭和44年)11月15日)は、日本の小説家、詩人、文芸評論家、翻訳家。位階は正五位。勲等は勲三等。 本名は伊藤整(いとう ひとし)。社団法人日本文藝家協会理事、東京工業大学教授、社団法人日本ペンクラブ副会長、財団法人日本近代文学館理事長などを歴任した。日本芸術院会員。 抒情派詩人として出発したが、その後詩作を離れて小説・評論に重心を移し、ジェイムズ・ジョイスらの影響を受けて「新心理主義」を提言。戦後は旺盛な著作活動に加え、ベストセラーや裁判の影響もあり、もっとも著名な評論家の一人となった。私小説的文学の理論化をめざすとともに自身も創作を行い、評論では『小説の方法』「近代日本人の発想の諸形式」「近代日本における『愛』の虚偽」『日本文壇史』などがあり、『氾濫』『変容』『発掘』は、夏目漱石の衣鉢を継ぐ近代小説三部作である。
馬 海松(ま かいしょう、1905年1月8日 - 1966年… 馬 海松(ま かいしょう、1905年1月8日 - 1966年11月6日)は、朝鮮の児童文学作家。本名は馬 湘圭(マ・サンギュ、마산규)。創作童話の執筆に生涯を捧げ、方定煥と共に朝鮮の児童文学運動を先駆を担う。その文才は菊池寛に認められ、『文藝春秋』の編集部に入り、のち『モダン日本』の社長となる。朝鮮人にして日本の文化界の一流文人として活動した。詩人の馬鍾基は子。 1905年1月8日、京畿道(現:黄海北道)開城市大化洞52番地に生まれる。父は木川馬氏の馬応輝、母は密陽朴氏の朴光玉で、7人兄妹の6番目である。幼名は昌録。6歳の頃から書堂で漢文を習い、1912年、7歳で開城第一公立普通学校に入学、1916年に卒業する。
堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日… 堀 辰雄(ほり たつお、1904年(明治37年)12月28日 - 1953年(昭和28年)5月28日)は、日本の小説家。 それまで私小説的となっていた日本の小説の流れの中に、意識的にフィクションによる「作りもの」としてのロマン(西洋流の小説)という文学形式を確立しようとした。フランス文学の心理主義を積極的に取り入れ、日本の古典や王朝女流文学にも新しい生命を見出し、それらを融合させることによって独自の文学世界を創造した。肺結核を病み、長野県軽井沢に度々療養、当地を舞台にした作品を多く残し、晩年には終の住処とした。 戦時下の不安な時代に、時流に安易に迎合しない堀の作風は、後進の世代の立原道造、中村真一郎、福永武彦、丸岡明などから支持され、彼らは堀の弟子のような存在として知られている。
舟橋 聖一(ふなはし せいいち、1904年(明治37年)12… 舟橋 聖一(ふなはし せいいち、1904年(明治37年)12月25日 - 1976年(昭和51年)1月13日)は、日本の小説家。東京生れ。旧制水戸高等学校を経て東京帝国大学文学部卒。弟は脚本家の舟橋和郎。日本芸術院会員。文化功労者。 大学在学中に『朱門』に参加。四代目河原崎長十郎や村山知義らと共に劇団「心座」の旗揚げに尽力し、『白い腕』で文壇に登場。明治大学教授として教鞭をとるかたわら、雑誌『行動』に参加して『ダイヴィング』(『行動』1934年10月)を発表、行動主義を宣言して注目された。多くの戯曲を書いたが、小説『木石』で地位を確立。 戦中に書き継いで声価の高い『悉皆屋康吉』を経て、戦後は、『雪夫人絵図』や『芸者小夏』シリーズなどの愛欲小説や、『花の生涯』をはじめとする歴史物を書いて人気作家となった。
竹内 てるよ(たけうち てるよ、1904年(明治37年)12… 竹内 てるよ(たけうち てるよ、1904年(明治37年)12月21日 - 2001年(平成13年)2月4日)は、北海道出身の詩人、小説家、霊能者。本名、竹内照代。 銀行員と芸者との間に札幌市で生まれるが、生後すぐに釧路の父方の祖父母に引き取られる。日本高等女学校を肺結核療養のため中退。婦人記者となった後に20歳で結婚し、一子をもうけるが、脊椎カリエスに罹患して1928年に離婚。以後、詩作を続け、1930年に第一詩集『叛く』を刊行した。2001年2月4日、老衰のため死去。 2002年9月29日、スイスのバーゼルで開催された 「国際児童図書評議会」 (IBBY) 創立50周年記念大会で、日本の美智子皇后がスピーチの中で代表作「頬」を引用したことから、改めて注目されるようになった。
正岡 容(まさおか いるる、1904年(明治37年)12月2… 正岡 容(まさおか いるる、1904年(明治37年)12月20日 - 1958年(昭和33年)12月7日)は、日本の作家、落語・寄席研究家。歌舞伎役者の6代目尾上菊五郎の座付作者ともいわれた。前名は平井 蓉(ひらい いるる)。芥川龍之介に褒められ、永井荷風を激怒させ、安藤鶴夫を妬み、稲垣足穂、金子光晴を友とした大衆芸能研究者。 詩人の平井功(1907〜32)は実弟。翻訳家の平井イサクはその子で、正岡にとっては甥にあたる。 東京市神田区生まれ[要出典]、医師平井成の長男。3歳の時、浅草花川戸に住む母方の大叔父・正岡藤蔵家にあずけられると乳母の手で育てられ、1910年(明治43年)12月27日、正岡家の養子に入る。
福田 清人(ふくだ きよと、1904年〈明治37年〉11月2… 福田 清人(ふくだ きよと、1904年〈明治37年〉11月29日 - 1995年〈平成7年〉6月13日)は、日本の小説家、児童文学作家、近代文学研究者、文芸評論家。立教大学教授、立教女学院短期大学教授、実践女子大学教授。 日本児童文芸家協会を結成して理事長・会長を歴任したほか、滑川道夫らと日本児童文学学会を設立した。日本近代文学館常任理事、波佐見町名誉町民。勲四等旭日小綬章受章。 1904年(明治37年)11月29日、長崎県東彼杵郡波佐見町宿郷鹿山で、父「和一朗」(医師)と母「すい」の長男として誕生。5歳までは同町鬼木郷にあった母親の実家で育てられる。村長となった祖父、村医として開業した医師の父に連れられて、少年時代を西彼杵郡土井首村(現長崎市土井首)で過ごす。
川上 喜久子(かわかみ きくこ、1904年(明治37年)11… 川上 喜久子(かわかみ きくこ、1904年(明治37年)11月23日 - 1985年(昭和60年)12月4日)は、日本の小説家。旧姓は篠田。
丹羽 文雄(にわ ふみお、1904年〈明治37年〉11月22… 丹羽 文雄(にわ ふみお、1904年〈明治37年〉11月22日 - 2005年〈平成17年〉4月20日)は、日本の小説家。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 三重県出身。複雑な生い立ちに立脚した私小説風作品や宗教的作品、マダム物をはじめとする風俗小説、戦争物などを独自のリアリズムで旺盛に執筆し、多数の読者と高い評価を得た。昭和を代表する作家の一人である。また、文壇の大御所的存在であり、各種文学賞の選考委員や、日本文芸家協会会長・理事長などを歴任したほか、「文学者」を主宰して後進の育成にも尽力した。中村光夫と風俗小説論争を展開したことでも知られる。 三重県四日市市北浜田にある真宗専修寺高田派の崇顕寺(現存する。
長谷 健(はせ けん、1904年10月17日 - 1957年… 長谷 健(はせ けん、1904年10月17日 - 1957年12月21日)は、日本の小説家、児童文学者。 福岡県山門郡東宮永村下宮永北小路(現・柳川市下宮永町)生まれ。ちなみに、東宮永小学校は琴奨菊関の母校でもある。旧姓は堤、本名は藤田正俊。1925年(大正14年)福岡師範学校卒業。柳川の城内小学校教師をしたのち1929年(昭和4年)に上京、神田区の芳林小学校に勤務。このころからペンネームを長谷健とする。1932年(昭和7年)浅草区浅草小学校に転勤。1934年(昭和9年)に同人誌『教育文学』を創刊し、1936年(昭和11年)には『白墨』を創刊する。小学校教師として教育にあたり、文学者としても活動を行う。
牧野 吉晴(まきの よしはる、1904年9月25日 - 19… 牧野 吉晴(まきの よしはる、1904年9月25日 - 1957年12月21日)は、日本の美術評論家・小説家。 愛知県名古屋市生まれ。本名・勝彦。父は軍人。東海中学校(現∶東海中学校・高等学校)卒。冨澤有爲男が中学の先輩にいた。さらに東京植民貿易語学校、川端画学校に学ぶ。 金子光晴、赤松月船に師事して詩作、ついで小茂田清樹に師事して日本画を描く。1930年「猿猴図」が聖徳太子奉賛展で入選。また、正岡容と浪曲の巡業をし、吉井勇に師事してともに関西北陸を放浪。 1936年に放浪生活をやめ、中西悟堂の推薦で美術雑誌『東陽』を編集、美術評論を書く。同誌の創作欄に掲載された冨澤有爲男「地中海」が同1936年、芥川賞を受賞。
新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978… 新田 潤(にった じゅん、1904年9月18日 - 1978年5月14日)は、小説家。本名・半田 祐一。 長野県上田市生まれ。旧制上田中学(長野県上田高等学校)を経て、東京帝国大学英文科卒。1936年に高見順らと『人民文庫』を創刊、プロレタリア・リアリズムの作家として活動した。1943年から海軍報道班員として徴用され、復員後は風俗小説を書いた。1968年から東京電機大学講師。 1978年5月14日、肝硬変の末期症状である食道静脈瘤破裂のため東京都杉並区高円寺北の自宅で死去。戒名は無得豊潤居士。
桂 鎔黙(けいようもく、ケ・ヨンムク、1904年9月8日 -… 桂 鎔黙(けいようもく、ケ・ヨンムク、1904年9月8日 - 1961年8月9日)は、朝鮮の小説家。本貫は遂安桂氏。短篇小説を多く執筆した。なかでも「白痴アダダ (백치 아다다)」は桂の代表作となっている。 1904年9月8日、平安北道宣川郡南面三省洞群賢里706番地に生まれる。父は桂恒教、母は竹山朴氏、1男3女の長男。祖父の桂昌琠は参奉(官職従九位)を勤め、詩文にも優れた人であった。桂の教育は祖父により行われ、幼い頃より漢文を学んだ。10歳になると、新教育を受ける許しを得て、三峰公立普通学校に入学する。また、この頃、順興安氏の安静鈺と結婚する。 厳しい祖父の古い教育としきたりに反発するように、1921年、桂は祖父に無断で上京する。
石塚 喜久三(いしづか きくぞう、1904年9月5日 - 1… 石塚 喜久三(いしづか きくぞう、1904年9月5日 - 1987年10月1日)は、日本の昭和期の小説家。 北海道小樽市花園出身。函館師範学校(現・北海道教育大学函館校)卒業。小樽市の国民学校の教員を務めた後中国大陸に渡り、華北交通張家口鉄路局に勤務した。蒙疆文芸懇話会幹事にも就任。 1943年、『蒙疆文學』1月号に寄せた「纏足の頃」で第17回芥川賞受賞。 1949年、後藤杜三らと「北海道文学者の会」結成。戦後は官能小説を書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮口 しづえ(みやぐち しずえ、1904年9月2日 - 19… 宮口 しづえ(みやぐち しずえ、1904年9月2日 - 1994年7月5日)は、日本の児童文学作家。 長野県小諸市生まれ。松本女子師範学校卒業。1927年から1934年まで木曽・馬籠の神坂小学校教師を務め、その後は臨時教員となる。戦後は島崎藤村全集の編纂を行う。1955年から童話を執筆し、1957年に信州児童文学会の前身である「とうげの旗の会」に入会。同人誌「とうげの旗」に作品を発表する傍ら、同会の整備と拡大に尽力し、1971年には発展組織である信州児童文学会の会長に就任、同年、少年少女向け雑誌である文学誌「とうげの旗」を創刊した。 1957年に『ミノスケのスキー帽』で児童文学者協会新人賞、1958年『ゲンと不動明王』で未明文学賞、1974年『箱火ばちのおじいさん』で野間児童文芸推奨作品賞、1980年「宮口しづえ童話全集」全8巻で赤い鳥文学賞受賞。
幸田 文(こうだ あや、1904年〈明治37年〉9月1日 -… 幸田 文(こうだ あや、1904年〈明治37年〉9月1日 - 1990年〈平成2年〉10月31日)は、日本の随筆家・小説家。位階は従四位。日本芸術院会員。 東京都生まれ。幸田露伴次女。女子学院卒。父露伴の死後、『雑記』『終焉』『葬送の記』などの回想文で文壇に登場。のち小説も書き、『黒い裾』『流れる』などで高い評価を得た。繊細な感性と観察眼、江戸前の歯切れの良い文体が特徴。折々の身辺雑記や動植物への親しみなどを綴った随筆の評価も高く、『こんなこと』『みそっかす』や、没後刊行された『崩れ』『木』などの多数の作品集があり、永い人気を保っている。他に映像化の多い『おとうと』も知られている。 作家の幸田露伴、母幾美(きみ)の次女として東京府南葛飾郡寺島村(現:東京都墨田区東向島)に生まれる。
神崎 清(かんざき きよし、1904年8月31日 - 197… 神崎 清(かんざき きよし、1904年8月31日 - 1979年3月2日)は、日本の小説家、文筆家。 島本 志津夫(しまもと しづお)の筆名も用いた。 香川県高松市出身。旧姓は河野であった。 兵庫県立第二神戸中学校(現・兵庫県立兵庫高等学校)から大阪高等学校に進学。大阪高等学校在学中の1925年に大阪で創刊された文芸同人誌『辻馬車』に藤沢桓夫らとともに参加。 東京帝国大学文学部国文科を1928年に卒業。卒業後、大森高等女学校(現・三田国際学園中学校・高等学校)の教員を務めたが、思想的な理由により1930年に退職に追い込まれる。以後、文筆業に就く。 島本志津夫名義で映画『女學生と兵隊』の原作も手がけた。
一戸 務(いちのへ つとむ、1904年8月19日 - 197… 一戸 務(いちのへ つとむ、1904年8月19日 - 1977年)は、日本の作家、中国文学者。 東京生まれ。東京帝国大学支那文学科卒。1929年福田清人、那須辰造らと第10次『新思潮』に参加、のち『文藝レビュー』に参加して小説を書く。文部省勤務。戦後、和洋女子大学教授。森鷗外の研究でも業績があった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982… 小山 寛二(こやま かんじ、1904年8月3日 - 1982年11月27日)は、熊本県八代市出身の小説家。 八代中学校卒業。早稲田大学中退。クロポトキンの影響を受け、アナキズム、左翼運動家の道を歩むが、1928年(昭和3年)、転向する。 三上於菟吉に師事し、大衆文学などを執筆した。作品に、1934年(昭和9年)に映画化された「明暦名剣士」、宮崎滔天を主人公とした「波浪の歌」、細川忠興の妻ガラシャを描いた「細川ガラシャ」、「曠野の父」、「風雲万里」、「江南碧血記」などがある。 随筆雑誌「騒友」主宰。1982年(昭和57年)、東京にて没した。
那須 辰造(なす たつぞう、1904年7月30日 - 197… 那須 辰造(なす たつぞう、1904年7月30日 - 1975年4月5日)は、日本の小説家・児童文学者。 和歌山県西牟婁郡田辺町(現田辺市)生まれ。東京帝国大学仏文科卒業。第10次『新思潮』同人で、福士幸次郎に師事し、小説、翻訳を発表した。戦後は児童文学者となった。子供向けに外国文学の再話を多く行い、『ぞうさんババール』シリーズなどフランスの児童文学を訳した。1956年に『緑の十字架』で第3回サンケイ児童出版文化賞受賞。 福島正実、茂市久美子は弟子。SF作家・翻訳家の野田昌宏によると、福島が早川書房に入社したのは、那須の紹介によるという。 1960年代、鳥越信の再話・抄訳批判に、福島とともに反論した。
平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 19… 平塚 武二(ひらつか たけじ、1904年7月24日 - 1971年3月1日)は、日本の児童文学作家。代表作に「風と花びら」「太陽よりも月よりも」「玉むしのずしの物語」などがある。 1904年(明治37年)7月24日、父・平塚福太郎、母・ハナの二男として、神奈川県横浜市中区末吉町に生まれる。1911年(明治44年)4月、横浜市立南吉田尋常高等小学校に入学。翌年、中区本牧三の谷に転居し、横浜市立本牧尋常高等小学校に転校する。1915年(大正4年)、平塚定吉、タケに養子縁組みする。1917年(大正6年)4月、神奈川県立第二中学校(現:翠嵐高校)に入学。1919年(大正8年)4月、東京の市立荏原中学校(現:日本体育大学荏原高等学校)に転入する。
藤沢 桓夫(ふじさわ たけお、1904年7月12日 - 19… 藤沢 桓夫(ふじさわ たけお、1904年7月12日 - 1989年6月12日)は、日本の小説家。「藤沢恒夫」と表記される場合もあるが、これは誤記である。
大庭 さち子(おおば さちこ、1904年7月10日 - 19… 大庭 さち子(おおば さちこ、1904年7月10日 - 1997年3月15日)は、日本の作家、翻訳家。 本名は、片桐 君子。 京都府生まれ。京都市中京区出身。片桐治郎吉の養女となり、片桐武(毎日新聞社金沢支局長など歴任)に嫁した後に離別。京都府立第二高等女学校、同志社女子専門学校英文科卒。京都華頂高等女学校教師のかたわら小説を執筆。 1933年、岬 洋子の筆名による「光、闇を貫いて」でサンデー毎日大衆文藝選外佳作。1939年、「妻と戦争」でサンデー毎日大衆文芸入選、同作で直木賞候補。1941年、『妻と戦争』で新潮社文芸賞第二部受賞、「花開くグライダー」で直木賞候補。1942年、「愛翼一心」で新潮社文芸賞第二部候補。
宇野 信夫(うの のぶお、1904年7月7日 - 1991年… 宇野 信夫(うの のぶお、1904年7月7日 - 1991年10月28日)は、日本の劇作家、作家、歌舞伎狂言作者。 埼玉県本庄市生まれ、熊谷市育ち、その後浅草で暮らす。本名信男。埼玉県立熊谷中学校(現:埼玉県立熊谷高等学校)、慶應義塾大学文学部国語国文学科卒業。 父は埼玉県熊谷市で紺屋・染物屋を営んでいて、浅草に東京出張所と貸家(蕎麦屋と道具屋)を持っていた。中学を出た後は、その出張所から大学に通い、卒業後もそこで劇作にいそしみ、1944年まで住み続けた。その時代に、まだ売れていなかった、のちの古今亭志ん生ら貧乏な落語家たちが出入りして、彼らと交際した。6代目三遊亭圓生とも交友が深かった。新作落語をいくつか創作したが、サゲは噺家に一任した。
北村 謙次郎(きたむら けんじろう、1904年7月5日 - … 北村 謙次郎(きたむら けんじろう、1904年7月5日 - 1982年6月30日)は、日本の作家、評論家。本名は北村謙二郎。別名に喜多謙。 東京市麹町生まれ。本籍は山形県米沢市。父は逓信省の判任官だった。兄は造園家の北村徳太郎。 1912年に一家で満洲に移住し、大連の小学校と大連一中に通う。大連一中時代に、同級生と文芸同人誌「アンジェラス」を出す。卒業後は東京に帰り、青山学院高等科、國學院大學文学部予科に学ぶが、卒業はしていない。1930年に赤松月船の協力で文芸雑誌「文芸プランニング」を創刊し、宮沢賢治と文通を交わした。太宰治や今官一をはじめ井伏鱒二の家に集う若い作家たちとも交友を持つようになり、「青い花」の創刊に参加し、大半のメンバーが引き継がれた「日本浪曼派」同人となって、小説を発表する。
香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年… 香山 滋(、1904年〈明治37年〉7月1日 - 1975年〈昭和50年〉2月7日)は日本の小説家で、探険小説や幻想小説で活躍したほか、映画『ゴジラ』の原作者としても知られる。本名は山田 鉀治(やまだ こうじ)。東京都出身。 東京神楽坂に生まれる。新宿区立牛込仲之小学校(当時は東京市牛込尋常小学校)卒。東京府立第四中学時代に横山又次郎『前世界史』を読んだことをきっかけに、恐竜をはじめとした古生物に魅せられ、独学で地質学や古生物学を学ぶ。法政大学経済学部を中退し、1927年、祖父や父と同じく大蔵省に入省して預金部に勤める。1933年に結婚し、一女をもうける。 1940年、北原白秋門下の歌人・筏井嘉一が創刊した短歌誌「蒼生」に参加し、歌人として文芸活動を開始。
城 昌幸(じょう まさゆき、1904年6月10日 - 197… 城 昌幸(じょう まさゆき、1904年6月10日 - 1976年11月27日)は、日本の小説家、推理作家、詩人、編集者。本名は稲並 昌幸。 東京市神田練塀町生まれ。京華中学校4年次退学。城左門名義で詩作している。時代小説『若さま侍』シリーズは有名で、時代劇映画・ドラマ化された。江戸川乱歩は、城を「彼は人生の怪奇を宝石のやうに拾ひ歩く詩人である」と評している。またショートショートの先駆者と称される。日夏耿之介の門下。 横溝正史が創作した名探偵・金田一耕助のモデルとなった一人でもある。 1977年に東京都大田区の区立馬込図書館に旧蔵書4,750冊が寄贈され、翌1978年5月に「城昌幸記念文庫」が開設され、公開された。
中尾 彰(なかお しょう、1904年〈明治37年〉5月21日… 中尾 彰(なかお しょう、1904年〈明治37年〉5月21日 - 1994年〈平成6年〉10月6日)は、昭和初期~平成初期にかけて活躍した日本の洋画家、童画・絵本作家、詩人。島根県鹿足郡津和野町出身。 津和野で生まれ、教員をしていた父親の仕事の関係で物心つく前に津和野から離れ、幼年期を中国山脈の山間の草深い村で過ごす。高等小学校進学を機に津和野へ戻り、卒業目前に満州へと渡る。独学で絵を学び、満鉄育成学校を卒業後は島根県下で教員生活を送る傍ら、時折上京して画学生をする生活を送り、1931年(昭和6年)の第1回独立美術協会展に入選。以来、独立美術協会を中心に油彩画を発表し、1949年(昭和24年)には同協会会員に、また、1992年(平成4年)には同協会会員功労賞を受賞する。
武田 麟太郎(たけだ りんたろう、1904年5月9日 - 1… 武田 麟太郎(たけだ りんたろう、1904年5月9日 - 1946年3月31日)は、日本の小説家。代表作に、「日本三文オペラ」「井原西鶴」「銀座八丁」「一の酉」などがある。長男は詩人の武田文章(1933-1998)、次男は河出書房の編集者の武田穎介(1935-2001)。
打木 村治(うちき むらじ、1904年4月21日 - 199… 打木 村治(うちき むらじ、1904年4月21日 - 1990年5月29日)は、日本の小説家・児童文学作家。本名、打木 保(うつぎ たもつ)。 大阪府に生まれ、父の病気により、母の実家があった埼玉県比企郡唐子村(現・東松山市)で育つ。早稲田大学政治経済学部卒。大蔵省勤務のおりに知り合った川端康成に才能を認められ、文学活動に入り『作家群』を主宰した。その後、『文芸評論』への関りから1936年(昭和11年)にコム・アカデミー事件で検挙されるも、翌1937年(昭和12年)には『部落史』で芥川賞候補となった。昭和初期の不況を背景に資本主義下にあえぐ農村、都会の下層の人々を描き、農民文学作家の地位を築く。
永松 定(ながまつ さだむ、1904年4月8日 - 1985… 永松 定(ながまつ さだむ、1904年4月8日 - 1985年2月7日)は、日本の作家、英文学者。熊本女子大学(現・熊本県立大学)名誉教授。熊本県玉名郡出身。 熊本県立玉名中学校、第五高等学校を経て、1928年に東京帝国大学文学部を卒業した。在学中、上林暁らと同人誌『風車』を創刊して創作活動をおこなった。 1930年、伊藤整・辻野久憲とともにジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を初めて邦訳する。三好達治・北川冬彦の『詩・現実』に連載し、単行本として刊行する。このほか『ダブリンの人々』『万有引力』『ロレンス芸術論』などを出版した。 1937年強烈な神経衰弱に陥り、熊本県へ帰郷する。1940年、母の死をきっかけに英語教師として働く。
松田 武夫(まつだ たけお、1904年4月6日 - 1973… 松田 武夫(まつだ たけお、1904年4月6日 - 1973年10月11日)は、日本の国文学者・作家。 山口県岩国市出身。旧制第五高校(現・熊本大学)卒、1930年東京帝国大学文学部国文科卒。 1956年「金葉集の研究」で東京大学文学博士。1933年陸軍士官学校教授、1940年文部省図書監修官、1952年宇都宮大学教授。 1968年定年退官、専修大学教授。二松学舎大学教授。 勅撰和歌集を中心に平安時代の文学を研究した。創作もおこなった。
木山 捷平(きやま しょうへい、1904年(明治37年)3月… 木山 捷平(きやま しょうへい、1904年(明治37年)3月26日 - 1968年(昭和43年)8月23日)は、岡山県小田郡新山村(現在の笠岡市)出身の小説家、詩人。東洋大学文科中退。詩人として出発し、のち小説に転じた。「海豹」同人。満州で敗戦を迎え、帰国後、その体験をもとに長編『大陸の細道』『長春五馬路』などを発表。私小説的な短編小説やエッセイを得意とした。作家として目立たない存在であるが、庶民性に徹した飄逸と洒脱な表現で没後も根強い愛読者を持つ[独自研究?]。 矢掛中学校(現岡山県立矢掛高等学校)在籍時より詩・短歌・俳句を作り始める。1923年(大正12年)に姫路師範学校(現・神戸大学)を卒業。
寺崎 浩(てらざき ひろし、1904年3月22日 - 198… 寺崎 浩(てらざき ひろし、1904年3月22日 - 1980年12月10日)は、日本の小説家、詩人。 岩手県盛岡市生まれ。父は検事。早稲田大学仏文科中退。1926年、同級の田畑修一郎、火野葦平らと同人誌『街』を創刊。西條八十に師事し、佐伯孝夫らと詩誌『棕櫚の葉』を創刊。のち横光利一に師事。 1935年、文壇デビューを果たし以後は小説を中心に執筆。1936年、徳田秋声の娘喜代と結婚。1941年、報道班員としてマレーに赴く。 戦後は中間小説を多く書いた。代表作に短編集『祝典』、長編『情熱』、詩集『落葉に描いた組曲』など。『からたちの花』は山田耕筰の伝記小説である。墓所はさいたま市思い出の里市営霊園。
森山 啓(もりやま けい、1904年3月10日 - 1991… 森山 啓(もりやま けい、1904年3月10日 - 1991年7月26日)は、新潟県出身の詩人、小説家である。 旧制中学校教師の父の転任に伴い、富山県高岡市に移り少年期を過ごす。1912年、福井市に移住。1916年、福井中学に入学。同級生に深田久弥、上級生に中野重治がいたが、この時点で親交は無かった。1920年中学を4年修了で第四高等学校へ進学。ここにも中野がいたが依然親交は持たなかった。1925年、東京帝国大学に入学。漸く中野と親交を持ち、同時にプロレタリア文学に傾倒する。1928年に大学を中退。1932年、『プロレタリア詩のために』を出版。1941年、石川県小松市へ疎開。1942年、『海の扇』で新潮社文芸賞を受賞する。
水谷 準(みずたに じゅん、1904年(明治37年)3月5日… 水谷 準(みずたに じゅん、1904年(明治37年)3月5日 - 2001年(平成13年)3月20日)は、日本の小説家、推理作家、翻訳家。編集者でもあり、雑誌『新青年』編集長を累計18年務めた。本名は納谷 三千男。 北海道函館区(現在の函館市)船見町の生まれ。当時の函館は幕末に開かれて以来の国際的な港町であった。父はパン屋や外国人の執事をしており、外国人が三千男を「ジョン」と呼んでいたことから、のちに自らのペンネームを「準」とした。弥生小学校に在学中、鈴木三重吉が創刊した雑誌『赤い鳥』に童謡を投稿して入選した。 旧制函館中学(現:北海道函館中部高等学校)中退後、上京して早稲田高等学院に入学。在学中の1922年に博文館の雑誌『新青年』の懸賞に応募した「好敵手」が一等に入選。
今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978… 今井 達夫(いまい たつお、1904年3月3日 - 1978年5月6日)は、日本の小説家。筆名は本名と同じ。 長男として横浜市中区野毛に生まれる。父の今井秀松は山形県西村山郡朝日町出身で、横浜で兄弟生糸商を営む。母きみは山形県東村山郡山辺町の生まれで、安達峰一郎の妹。幼年期のほとんど毎夏、鵠沼で過ごす。1910年、横浜市尋常小学校に入学。1912年秋から父の療養のため神奈川県藤沢市鵠沼海岸下鰯に転居。鵠沼尋常小学校(現在の藤沢市立鵠沼小学校)に3年生で転校。同年、父秀松が死去。1916年に鵠沼尋常小学校を卒業、同年開校の私立藤嶺中学校に1回生として入学。 1920年(大正9年)、私立藤沢中学校(1918年改称)を4年で修了し、慶應義塾大学予科に入学。
一瀬 直行(いちのせ なおゆき、1904年2月27日-197… 一瀬 直行(いちのせ なおゆき、1904年2月27日-1978年11月14日)は、日本の詩人、小説家。 東京府東京市浅草区浅草吉野町一丁目(現在の東京都台東区今戸一丁目)生まれ。大正大学中退。在学中より詩作を発表。1938年「隣家の人々」で第7回芥川賞候補。
瀬下 耽(せじも たん、1904年(明治37年)2月24日 … 瀬下 耽(せじも たん、1904年(明治37年)2月24日 - 1989年(平成元年)9月5日)は、日本の探偵小説家。代表作に「欺く灯」「柘榴病」など。別名義に秘名生。本名は綱良(つなよし)。 ペンネームは、オスカー・ワイルドの耽美主義的な小説に惹かれていたことによる。 現在の新潟県柏崎市出身。慶應義塾大学法学部卒。 1927年(昭和2年)、雑誌『新青年』の懸賞に応募した「綱」(ロープ)が第二席に入りデビュー。以後、同誌を中心に短編を多く発表する。この間、「四本足の男」のみは秘名生名義で発表した。 1933年(昭和8年)の「罌粟島の悲劇」を最後にいったん文筆活動から離れるが、太平洋戦争後の1947年(昭和22年)に「手紙」を発表し復帰する。
大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 196… 大坪 砂男(おおつぼ すなお、1904年2月1日 - 1965年1月12日)は、日本の探偵小説作家。本名和田 六郎。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名したが、53年に再び砂男に戻した。 江戸川乱歩が「戦後派五人男」と呼んだ探偵作家5人のうちの1人。作品はすべて短篇である。 日本における鉱物学の先駆者である和田維四郎(東京帝国大学教授、八幡製鉄所長官、貴族院議員)の三男(姉妹を含めて六番目の子)。 東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷薬王寺町に生まれる。東京府立第四中学校から東京薬学専門学校(現在の東京薬科大学)を卒業。このときの同級生に映画評論家の岩崎昶がいた。
長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 197… 長沖 一(ながおき まこと、1904年1月30日 - 1976年8月5日)は、日本の漫才作家、演出家、放送作家。 大阪府島之内出身。御津小学校、天王寺中学校、旧制大阪高校を経て、東京帝国大学文学部美術史学科卒。 実子は、元NHK大阪放送局所属の演出家・長沖渉。祖父は加賀藩士で、明治維新後に大阪に出てきて商売を始める。 大阪高校在学中に左翼運動を始める一方、1925年に武田麟太郎、秋田實、藤沢桓夫と共に文学同人誌『辻馬車』を創刊。大学在学中に新人会に参加。 1929年3月、東大を卒業。 1930年、徴兵検査で歩兵第一連隊に入隊。甲種幹部候補生で10ヶ月ほど過ごし除隊後、作家に復帰。『中央公論』に「肉体交響楽」を寄稿するも軍批判とみなされ発表を見送られる。
池田 敏子(いけだ としこ、1904年1月13日- 1984… 池田 敏子(いけだ としこ、1904年1月13日- 1984年7月5日)は、日本の著作家、池田書店創業者。 山形市生まれ。東京保母伝習所卒業。1929年(昭和4年)高山菊次と結婚、1935年(昭和10年)に教材社を創業、高山晴洲の筆名で執筆活動を始める。 1946年(昭和21年)離婚、1949年(昭和24年)2月23日に池田書店を創業する。1960年(昭和35年)出版の『性生活の知恵』は、英語版80万部も含めて400万部以上のベストセラーに、性に関する啓蒙書を多く出すほか、『下村湖人全集』などを刊行する。近藤信緒(こんどう・のぶお)の筆名で自らも多くの著書を著し、1949年(昭和24年)出版の『人に好かれる法』は、50万部以上のベストセラーとなった。
水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1… 水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1月10日 - 1965年(昭和40年)3月31日)は、日本の詩人、童話作家、絵本作家、作詞家。 宮城県本吉郡大島村(現在の気仙沼市)字長崎にて父・佐助、母・あやの の次男として生まれる。 1918年(大正7年)、本吉郡立水産学校(現在の宮城県気仙沼向洋高等学校)に入学し、卒業後は1922年(大正11年)9月より本吉郡内の小学校3校に勤務した。その後、1928年(昭和3年)4月に上京し、東京府南葛飾郡の松江第一小学校に勤務した。 1930年(昭和5年)、処女詩集『私の内在』を発行する。この頃より鈴木三重吉、北原白秋らが発刊した「赤い鳥童謡運動」に参加。
牧野 文子(まきの ふみこ、1904年(明治37年)1月7日… 牧野 文子(まきの ふみこ、1904年(明治37年)1月7日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の作家、詩人、翻訳家、イタリア文学者で、イタリア民謡「山の大尉」の歌詞も訳した。父は高級住宅街「苦楽園」を開発した実業家中村伊三郎。夫は「広辞苑」「少年少女ファーブル昆虫記」「生き物図鑑」などのイラスト画家牧野四子吉(よねきち)。 1904年(明治37年)大阪府大阪市北区上福島(現福島区)生まれ。大阪市立靱尋常小学校(現大阪市立明治小学校)、大阪府立清水谷高等女学校(現大阪府立清水谷高等学校)を経て、神戸女学院大学部英文科(現神戸女学院大学)へ進学(のちに中退)。1924年(大正13年)東京時事新報(現産経新聞)に勤務。
富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日… 富田 常雄(とみた つねお、1904年(明治37年)1月1日 - 1967年(昭和42年)10月16日)は、日本の小説家。柔道五段。東京府生まれ。明治大学商学部卒。初め心座文芸部に入って新劇運動に参加したのち、『姿三四郎』が大変な人気を呼んで流行作家となる。戦後『面』『刺青』で直木賞受賞。映画化、ドラマ化された作品も多く、大衆文学の大家として人気を博した。 柔道家富田常次郎の子として東京府に生まれる。永田町小学校(現千代田区立麹町小学校)、旧制日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)卒業、明治大学商学部。在学中、詩誌『感情革命』を創刊する。1928年、河原崎長十郎らの心座文芸部に参加する。他のメンバーに舟橋聖一、村山知義らがいた。
深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、… 深沢 要(ふかざわ かなめ、1904年 - 1947年)は、日本のこけし研究家・版画家・童話作家。本字での表記は深澤要。 東京市下谷区池之端七軒町に生まれる。少年期は、医師である父に従って九州で育った。1917年、福岡県嘉穂中学校に入学するが病気のため退学。1921年、大阪泰西学館に入学するも病気のため退学。 1925年、大阪市立工業学校(現大阪市立都島工業高等学校、翌年、大阪市立都島工業学校と改称)に勤務。かたわら童話研究を志す。1929年、都島工業学校を退職。行人社書店を設立するが病気のため閉店。『古本屋の棚』『子供考』を出版。1933年、東京に移る。1934年、このころより、こけしの収集研究が始まり産地訪問が始まる。
林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月3… 林 芙美子(はやし ふみこ、1903年〈明治36年〉12月31日 - 1951年〈昭和26年〉6月28日)は、日本の小説家。本名フミコ。身長140cm少々。 幼少期からの不遇の半生を綴った自伝的小説『放浪記』(1928年)で一躍人気作家となる。詩情豊かな文体で、暗い現実をリアルに描写する作風。一貫して庶民の生活を共感をこめて描き、流行作家として明治・大正・昭和を駆け抜けた。作品に『風琴と魚の町』(1931年)、『晩菊』(1948年)、『浮雲』(1951年)などがある。 著書『放浪記1 林芙美子文庫』の後書きでは山口県下関市生まれとなっている。尾道市立高等女学校(現・広島県立尾道東高等学校)卒。私生児として生まれ、養父・実母と共に行商を営みながら日本の各地を放浪する生活の中で、露天商やカフェの女給等の様々な職業を経験している。
小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12… 小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年(明治36年)12月1日[注釈 1] - 1933年(昭和8年)2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家、小説家である。