枯木 虎夫(かれき とらお、1914年〈大正3年〉12月29… 枯木 虎夫(かれき とらお、1914年〈大正3年〉12月29日 - 1977年〈昭和52年〉)は、日本の詩人。本名、井上虎夫。 北海道帯広市生まれ。詩人加藤愛夫に師事。戦時中は樺太豊原支庁に勤務、戦後は札幌地検事務官を長く務めた。更科源蔵主宰の詩誌『野性』を経て、『詩風土』を主宰。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2… 杉山 平一(すぎやま へいいち、1914年11月2日 - 2012年5月19日)は、日本の詩人、映画評論家、帝塚山学院大学名誉教授。 福島県生まれ。大阪府立北野中学校(旧制)、松江高等学校 (旧制)を経て、東京帝国大学文学部美学美術史学科卒業。在学中三好達治に認められ『四季 (詩雑誌)』に参加、文芸同人となる。卒業後、織田作之助らと『大阪文学』を創刊。1941年第2回中原中也賞(現在の同名の賞とは異なる)、1943年『夜学生』で文芸汎論詩集賞受賞。1987年大阪芸術賞受賞、2003年『戦後関西詩壇回想』で第5回小野十三郎賞特別賞受賞。2012年、詩集『希望』で第30回現代詩人賞を受賞。その他、兵庫県文化賞など受賞。
木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月2… 木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年(大正3年)10月27日 - 1965年(昭和40年)8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。 広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、養父の結核発病に伴い家業を継ぐために転学した。1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島県福山市の実家で薬局を営む。以後、終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。
高田 敏子(たかだ としこ、1914年9月16日 - 198… 高田 敏子(たかだ としこ、1914年9月16日 - 1989年5月28日)は、日本の詩人。 女学校時代から詩作を始める。結婚後は主婦・母親の視点で日常生活の哀歓を平明な言葉でうたい、好評を得た。詩集に『月曜日の詩集』(1962年)、『藤』(1967年)、『夢の手』(1985年)などがある。 東京市日本橋区(現東京都中央区)の陶器卸業の次女として誕生する。跡見女学校(現跡見学園女子大学・跡見学園中学校・高等学校)卒業。学校卒業後に兄の友人と結婚。 1946年に台湾から引揚げて詩作を開始。 1949年、「若草」に投稿した「夜のフラスコの底に」で注目を浴びる。 1960年より1963年までは朝日新聞に詩を連載する(毎週月曜日)。
水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正… 水芦 光子(みずあし みつこ、旧姓 布光子、1914年(大正3年)9月12日 - 2003年(平成15年)10月13日)は、日本の詩人、小説家。室生犀星の女性初の弟子でもある。 石川県金沢市馬場五番丁六(現・東山3丁目29-13、14)生まれ。第四高等学校から東京帝国大学に進学する程のインテリであった次兄の雄吉の影響を受け、幼い頃から源氏物語などの古典に親しみ、歌舞音曲や映画鑑賞などの芸能を好む数寄者の母を持った影響から文学的才能を養った。 金沢市広坂にあった石川県立金沢第二高等女学校(現・石川県立金沢桜丘高等学校)4年の在学中に、水芦の父の篤が創業し、経営していた家業の金箔商経営が、受取手形が不渡りになった事によって不振に陥り、倒産。
立原 道造(たちはら みちぞう、1914年〈大正3年〉7月3… 立原 道造(たちはら みちぞう、1914年〈大正3年〉7月30日 - 1939年〈昭和14年〉3月29日)は、昭和初期に活躍し、24歳8か月で急逝した日本の詩人。建築家としての足跡も残した。別筆名(旧制一高時代の短歌投稿時に使用)に、三木祥彦・山木祥彦がある。東京帝国大学工学部建築学科卒業、学位(当時は称号)は工学士(東京帝国大学)。東大建築学科在学中の3年間、同学科より辰野賞を連続受賞、詩作では1938年に中原中也賞を受賞。 東京都中央区に生まれた。東京府立三中で芥川以来の秀才と称された。一高在学中に三中の先輩でもある堀辰雄を知り、また室生犀星に師事。東大在学中の夏に、信濃追分に滞在、土地の旧家の孫娘に恋をする。
斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日… 斎田 朋雄(さいだ ともお、1914年〈大正3年〉7月23日 - 2012年〈平成24年〉7月)は、日本の詩人。本名は斎田 友雄(さいだ ともお)。群馬県ペンクラブ会長、西毛文学代表、日本ペンクラブ、日本現代詩人会、群馬詩人クラブ会員。 群馬県甘楽町福島に生まれる。 満州事変勃発の1931年(昭和6年)頃、詩の同人活動を開始した。1953年(昭和28年)、総合文学雑誌『西毛文学』(NCID AA11685096)を創刊した。1957年(昭和32年)群馬詩人クラブを創設。 1971年(昭和46年)、同じ群馬出身の詩人・大手拓次に触れ、その功績を大きく評価。自ら「大手拓次曼荼羅」を著し、『西毛文学』に連載した。
林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 200… 林 富士馬(はやし ふじま、1914年7月15日 - 2001年9月4日)は、東京府出身の詩人、文芸評論家、医師。俳号は空花。 東京府大曲に生まれ、父母の郷里である長崎県に育つ。長崎では芥川龍之介の門人だった渡辺庫輔と交友。慶應義塾大学文学部在学中に佐藤春夫の門人となり、1935年夏頃、佐藤邸にて太宰治と知り合う。1939年、佐藤春夫の序文を得て、第一詩集『誕生日』(私家版)を刊行(林修平名義)。しかし、薬物中毒や自殺未遂を繰り返す太宰の激しい生き方を見て一度は文学を断念した。 慶應義塾大学を中退して日本医科大学を卒業し、医師となる。1943年、文学青年時代の三島由紀夫と知り、当時まだ無名だった三島の才能を高く評価。
大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年… 大滝清雄(おおたき きよお、1914年5月20日-1998年9月16日)は、日本の詩人。 1914年5月20日、福島県西白河郡三神村(現:矢吹町)にて住職の長男として生まれる。幼名「清男」。1921年、石川郡澤田小学校に入学。1924年、父母と別れ、祖母のもとで暮らすこととなる。同時に、三神尋常小学校(現:矢吹町立三神小学校)に転校。1927年、私立石川中学校(現:学校法人石川高等学校)に入学、「徳海」と改名。1932年、石川中学校卒業。同時に、川端康成らの文学に憧れて上京。日本大学法文学部芸術学専攻で川端康成らから指導を受ける。1934年、日本大学法文学部芸術学専攻を卒業。1935年、郷里に戻り、福島民友に小説を連載する。
寺田 弘(てらだ ひろし、1914年4月29日 - 2013… 寺田 弘(てらだ ひろし、1914年4月29日 - 2013年3月7日)は、日本の詩人。 福島県生まれ。明治大学専門部卒、愛知教育大学事務局長、都民劇場常任理事。1991年から1993年まで日本詩人クラブ会長。1996年現代詩人会から先達詩人顕彰を受ける。2013年3月7日、老衰のため98歳で死去。
山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1… 山本 悍右(やまもと かんすけ、1914年3月30日 - 1987年4月2日)は、名古屋市を拠点に、戦前から戦後にかけて活動した日本の写真家、詩人、編集者である。 1930年代から1940年代にかけて、名古屋の前衛的な詩・写真・出版のネットワークのなかで、シュルレアリスム写真やフォトモンタージュを制作し、詩誌『夜の噴水』の編集・発行、VOUへの参加、写真グループ青憧社の会報『CARNET BLEU』の編集など、詩・写真・出版をまたぐ活動を展開した。 その活動は戦時下の統制強化と重なり、『夜の噴水』の終刊や警察の取り調べを経験し、ナゴヤ・フォトアバンガルドの改称と解散にも直面した。 没後は2001年の東京ステーションギャラリーにおける回顧展、2013年のJ・ポール・ゲティ美術館での「Japan's Modern Divide」展、2021年・2022年のメトロポリタン美術館・テート・モダン共同企画「Surrealism Beyond Borders」展、名古屋市美術館、東京都写真美術館の展覧会などを通じて再評価が進んだ。
八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 … 八木 好美(やぎ よしみ、1914年(大正3年)3月24日 - 1996年(平成8年)5月17日)は、兵庫県揖保郡越部村觜崎(現たつの市新宮町觜崎)出身の詩人。 1914年(大正3年)、警察官であった父肔哉の長男として、越部村觜崎に生まれる。本名美衛。尋常小学校の頃、父の仕事のため一時姫路に住むが、後に帰郷し兵庫県立龍野中学校に入学。龍野中学校時代、作文を先生に褒められた事が文学を志すきっかけとなった。この頃から『愛誦』『若草』『山脈』『昭和詩人』等に詩を投稿するようになり、『山陰詩人』『詩創元』『ばく』等の同人に参加の他、自らも『火虹』『深苑』等の同人誌を主宰した。生涯の友である大塚徹、植原繁市らと出会ったのもこの頃である。
江口 榛一(えぐち しんいち、1914年〈大正3年〉3月24… 江口 榛一(えぐち しんいち、1914年〈大正3年〉3月24日 - 1979年〈昭和54年〉4月18日)は、日本の詩人、社会運動家。 大分県中津市耶馬溪町山移に生まれる。本名は江口新一。1937年(昭和12年)明治大学文芸科を卒業。大学卒業後は満州で新聞記者を務める。 戦後、日本に復員後は赤坂書店で働きながら詩作を行う。一時期共産党に加入。 1949年(昭和24年)に「未練」(『文藝時代』1949年3月号)が第21回芥川龍之介賞予選候補、1954年(昭和29年)に「近所合壁」(『新潮』1954年5月号)が第31回芥川龍之介賞候補となる。 1955年(昭和30年)に受洗。翌年の1956年(昭和31年)、地の塩の箱運動を起こし、機関誌『地の塩の箱』を発行する。
会田 綱雄(あいだ つなお、1914年(大正3年)3月17日… 会田 綱雄(あいだ つなお、1914年(大正3年)3月17日 - 1990年(平成2年)2月22日)は、日本の詩人。東京市本所区出身。代表的な詩に『伝説』がある。 日本大学社会学科を卒業した後、1940年に志願して中国に渡り南京特務機関嘱託となる。南京にて詩人の草野心平を知る。後に上海に移り、『黄鳥』『亜細亜』の作品を発表する。 1947年、同人雑誌である『歴程』の同人となる。 1957年、詩集『鹹湖』を発表し、第一回高村光太郎賞を受賞する。同じく詩人である知念栄喜は、「残酷な生命の条理を自然の中に溶解し、原罪意識を夢幻的な物語として構成する特異な個性の詩人」と述べている。1964年、詩集『狂言』を思潮社から、1970年、67部限定の詩集『汝』を母岩社から出版。
金 鍾漢(キム・ジョンハン、김종한、日本名:月田 茂(つきた… 金 鍾漢(キム・ジョンハン、김종한、日本名:月田 茂(つきた しげる)、1914年2月28日 - 1944年9月27日)は、日本統治時代の朝鮮の詩人。号は、高句麗の宰相であった乙巴素(ウルファソ)(朝鮮語版)から名をとって、乙巴素(을파소)としていた。 咸鏡北道明川郡西面に生まれた。生家は農家であったが、6歳の時に医師であった伯父の養子となり、清津府へ移り、さらに養父とともに雄基郡に移って、鏡城中学校、次いでに鏡城高等普通学校(朝鮮語版)に学んだ。鏡城高普の在学中の1933年ころから、「乙巴素」名義で雑誌や新聞のコンテストなどに自作の詩を書き送るようになり、その後一時期は満州などを放浪したとされる。
上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2… 上林 猷夫(かんばやし みちお、1914年2月21日 - 2001年9月10日)は、日本の詩人。 北海道札幌市出身。旧姓は高垣。生後6ヶ月で伯父の養子となり、大蔵省専売局官吏だった養父に従って全国を転々とする。同志社高等商業学校卒。大阪地方専売局を経て、高砂香料工業に勤務。取締役総務部長を務めた。 1936年池田克己、佐川英三らと『豚』を創刊。戦後は『花』を創刊、『日本未来派』に参加。1952年『都市幻想』で第3回H氏賞受賞。1963年から日本現代詩人会理事長として、事務的手腕を発揮した。1987年日本現代詩人会会長。
堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 20… 堀口 定義(ほりぐち さだよし、1914年2月1日 - 2005年5月11日)は、日本の詩人、官僚、実業家。 埼玉県熊谷市生まれ。国鉄御徒町駅に勤めながら苦学して専門学校入学資格検定試験(専検)に合格し1934年 第一高等学校に入る。1940年、高等試験に合格。1941年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。大蔵省入省。管財局属。1959年、東京国税局総務部長。1960年、熊本国税局長。1961年、国税庁徴収部長。1962年調査査察部長、1964年、直税部長。1965年、原子燃料公団理事。1967年、動力炉核燃料事業団理事。1969年、忠勇社長。1975年、相談役。1976年、大阪証券金融社長。社業の傍ら、詩を書き、1978年「弾道」で日本詩人クラブ賞受賞。
戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25… 戸枝 弘(とえだ ひろし、1914年 - 1992年1月25日)は、昭和時代日本の詩人、歌人、作詞家。長野県出身。別名義に戸枝 ひろしや並木 ひろし、野中 ゆきみがある。 1914年(大正3年)、長野県上伊那郡南向村(現在の中川村)に生まれる。旧制伊那中学校在学中は万葉集やアララギ叢書を愛読していた。横浜専門学校を卒業、帰郷した後は会社嘱託の傍ら著述業に入り1951年(昭和26年)の歌会始で入選を果たす。 1960年(昭和35年)より、中川村から伊那市へ転居した。 1963年(昭和38年)1月、同年の歌会始で岡山県から応募のあった入選作が前年に「野中ゆきみ」名義で雑誌に掲載された短歌の盗作であると主張し、宮内庁が入選者に事情を聴いたところ応募者は盗作の嫌疑を否定したものの賞を辞退することとなった(昭和38年歌会始盗作事件)。
大木 実(おおき みのる、1913年(大正2年)12月10日… 大木 実(おおき みのる、1913年(大正2年)12月10日 - 1996年(平成8年)4月17日)は、日本の詩人である。 東京府東京市本所区(現在の東京都墨田区)の生まれ。幼年の頃は実母が病気により死去し、さらに関東大震災により継母および実弟、実妹が犠牲となる等不遇の生活を過ごした。その後は電機学校(現在の東京電機大学)に入学したが、中退しその後は大蔵省土木寮の工員や出版社に勤務し、埼玉県大宮市(現在のさいたま市)の大宮市役所の職員となる等職を転々とした。 その後は少年時代から北原白秋や西條八十の童謡に親しんだことや学生時代に佐藤春夫や室生犀星といった日本人詩人のみならず、フョードル・ドストエフスキーやシャルル=ルイ・フィリップ等の海外の小説家が執筆した作品に傾倒し詩人としての活動を始める。
楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11… 楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11月1日 - 1985年11月21日)は、大韓民国の詩人、文学者、教授。号は紫門(チャムン、자문)。 日本統治時代の平安南道平壌生まれ。1939年に詩集『華愁園』を発表した。1942年に専修大学法学部を卒業し、1944年までに東京で文学創作をした。 光復後は北朝鮮地域に行ったが、朝鮮戦争の第3次ソウルの戦いの時に越南した。その後は全国文化団体総連合会救国隊員、従軍作家団員として韓国陸軍に従軍した。終戦後はソウル大学校文理科大学・師範大学、国防部戦時連合大学、首都医科大学(現在のソウル友石大学校)、清州大学で詩論と文芸思潮の講義をし、1960年に梨花女子大学校副教授を務め、1966年以降は国際大学(現在の西京大学校)の国語国文学科教授を務めた。
富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月… 富士 正晴(ふじ まさはる、本名:冨士正明、1913年10月30日 - 1987年7月15日)は、日本の小説家、詩人、版画家。多くの有名作家を輩出した『VIKING (同人誌)』の創刊同人であり、3度の芥川賞候補、直木賞候補となり、晩年は竹やぶに囲まれた自宅に引きこもって活動し、「竹林の隠者」と呼ばれた。毎日出版文化賞、大阪芸術賞、関西大賞大詩仙賞受賞。 徳島県三好郡山城谷村(現三好市)出身。両親はともに小学校の訓導をしていた。家族と神戸に転居し、神戸第三中学校卒業。 1931年旧制第三高等学校理科甲類に進学。志賀直哉を訪問したところ、竹内勝太郎を紹介されて師事する。1932年、野間宏(のちに富士の妹と結婚して義弟となる)や桑原静雄とともに、詩の同人誌『三人』を創刊。
足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 19… 足立 巻一(あだち けんいち、1913年6月29日 - 1985年8月14日)は、日本の小説家、詩人、エッセイスト。 メディアを通して本居宣長の顕彰に大きな功績を残した。代表作である『やちまた』は、盲目の国学者である本居春庭を描いた評伝文学の傑作である。 東京市神田区(現:東京都千代田区)に生まれる。生後間もなく父と死別、母は再婚したため、漢詩人であった祖父足立清三(敬亭)、祖母ヒデに育てられるが、1920年に祖母ヒデが急死、祖父清三としばし流浪の生活を送った。翌年、清三も横死を遂げ、神戸在住の母方の叔父に引き取られる。 諏訪山尋常小学校時代から「少年倶楽部」「赤い鳥」等に頻繁に短文、詩歌等を投稿。
田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - … 田中 清太郎(たなか せいたろう、1913年3月30日 - 2000年6月3日)は、日本の英文学者、翻訳家、詩人、俳人。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部英文学科卒業。 武蔵大学助教授、学習院大学助教授、1951年教授。1983年定年退職、名誉教授。1970年「D・H・ロレンス詩集」の翻訳により日本翻訳文化賞受賞。 専門はイギリスの詩、特にディラン・トマス。 俳人でもあり、日本の近代詩についての評論もある。
江間 章子(えま しょうこ、1913年3月13日 - 200… 江間 章子(えま しょうこ、1913年3月13日 - 2005年3月12日)は昭和を代表する唱歌の作詞家、詩人。代表作に「夏の思い出」、「花の街」などがある。 新潟県高田市(現・上越市)に生まれる。しかし2年後に父が急逝し、岩手県岩手郡平館村(現・八幡平市平舘)の母の実家に移住する。 満12歳となる1925年には静岡県に再度転居し、旧制静岡高等女学校に進学する。『詩と詩論』から影響を受けて学生時代から作詞家を目指した。 高等女学校卒業後に上京し、1930年に駿河台女学院(後の東京YWCA専門学校)に入学する。1936年に詩集『春への招待』を自費出版で発表した。 1938年、北園克衛、村野四郎、山中散生、山本悍右らと『夜の噴水』を編輯。
栗原 貞子(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 200… 栗原 貞子(くりはら さだこ、1913年3月4日 - 2005年3月6日)は、詩人。「生ましめんかな」や「ヒロシマというとき」で知られる。 広島県広島市生まれ。可部高等女学校(現広島県立可部高等学校)在学中の17歳から、短歌・詩を中心に創作活動を始めた。1930年、山本康夫が広島で創刊した歌誌『処女林』(1932年に『真樹』に改題)の同人となる。1945年8月6日(広島市への原子爆弾投下)に爆心地の4キロ北の自宅で被爆。戦後は夫の栗原唯一とともに執筆活動を行い、平和運動に参加し、反戦、反核、反原発、反差別、反天皇制を主張、特に昭和天皇の戦争責任を言及しており、『戦前・戦中派にとって天皇絶対主義の恐怖は母斑のように肉体にしみついている。
睦 一信(モク・イルシン、朝鮮語: 목일신、1913年1月1… 睦 一信(モク・イルシン、朝鮮語: 목일신、1913年1月18日 - 1986年10月12日)は、大韓民国の児童文学作家、詩人。 本貫は泗川睦氏。父は独立運動家の睦致淑。『누가 누가 잠자나』、『자전거』の作者。1938年3月、関西大学専門部法律学科を卒業。
真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、… 真野 さよ(まの さよ、1913年 - )は、日本の小説家、詩人。 高知県出身。1955年、広島県立高等女学校(現広島県立広島皆実高等学校)卒業、1958年、日本女子大学国文学部中退。 戦後、河井醉茗の塔影社に入り創作活動を開始し、1977年、詩集『葡萄祭』出版。小説『蜂』にて婦人公論新人小説賞受賞。 読売新聞「人生案内」の回答者として活躍するほか、各地で「伊勢物語」「枕草子」などの古典文学や女性問題などの講義を重ねた。
白 石(ペク・ソク、백석、1912年7月1日 - 1996年… 白 石(ペク・ソク、백석、1912年7月1日 - 1996年1月7日)は、北朝鮮の詩人。平安北道定州の出身。 本貫は水原白氏。本名は白夔行。1929年に日本へ留学。青山学院英文科を卒業したのち咸興で英語教師となった。ペンネームの「石」という一字は、敬愛していた石川啄木から取っている。なお白石の出生年は啄木の没年でもあり、同時代的な交流はない。 白石の詩の世界は、当時のモダニズムの影響をうけながらも、郷土的な叙情の世界を方言で表す特徴を持っている。1938年の作『私とナターシャと白いロバ』ではモダニズムのイメージを用い、『エビガラスズメが来る夕方』『カズラン峠』などでは一般の読者もわからない方言を用いるなど、民俗的な世界を表している。
槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年… 槇村 浩(まきむら こう、1912年6月1日 - 1938年9月3日)は、日本のプロレタリア詩人。本名は吉田 豊道(よしだ ほうどう)。 高知県高知市生まれ。1931年、日本プロレタリア作家同盟高知支部を作り、その後、「槇村 浩(まきむら こう)」のペンネームで作家活動をした。反戦運動・労働運動にも参加し、反戦詩『間島パルチザンの歌』は代表作とされている。 槇村の作品は朝鮮人民との連帯、植民地解放を訴え、日本兵士に中国軍兵士と共同して日本軍への反乱を呼びかけるなど、当時のプロレタリア文学においても例のない国際連帯の視点に貫かれていた。これらの活動のため政府の弾圧を受け、拷問と投獄により身体を壊し、1938年に病気で死去。
河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - … 河西 新太郎(かわにし しんたろう、1912年5月2日 - 1990年9月8日)は、昭和時代日本の詩人、作詞家。香川県出身。 1912年(明治45年)5月2日、弁護士・河西善太郎の長男として高松市に生まれる。旧制高松中学校を経て東洋大学在学時に東都大詩人連盟等を結成。機関紙「大学詩派」を主宰する他、新東京演劇映画協会文芸部長として多数の脚本を手がけた。その後大学を中退し、同郷の先輩である菊池寛を訪ね「文藝春秋社」への入社を希望するも「詩で飯は食えない」と断られる。1934年(昭和9年)四国民報社に入社。1937年(昭和12年)に東京朝日新聞が主催した「亜欧連絡記録大飛行応援歌」に応募した「行けよ「神風」空遠く」が応募総数約四万五千編の中から一等入選で採用された。
古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日… 古関 金子(こせき きんこ、1912年(明治45年)3月6日 - 1980年(昭和55年)7月23日)は、日本の声楽家、詩人。旧姓、内山。夫は、作曲家の古関裕而。 1912年(明治45年)、内山安蔵・みつの六女として、愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)に生まれる。家族は、長兄と女性10人(うち、長女・次女・三女・八女は早世)。父・安蔵は、豊橋市に駐屯していた陸軍第十五師団に蹄鉄・馬具・蹄油などの物資を納入する「内山安蔵商店」を営んでいたが、金子が12歳の時(1924年(大正13年)10月3日)に死去。その後は母親が家業を引き継ぎ、子育てをした。 金子は、幼い頃からお転婆で、音楽と文学が好きでオペラ歌手を目指していたという。
李 鎬雨(イ・ホウ、이호우、1912年3月2日 - 1970… 李 鎬雨(イ・ホウ、이호우、1912年3月2日 - 1970年)は、韓国の時調の詩人、ジャーナリスト。本貫は慶州李氏、本名はイ・ホ(이호)。慶尚北道の清道郡出身。妹は詩人の李永道。 解放後は詩人として活動しながら、大邱日報、大邱毎日新聞の編集局長・論説委員などを務めた。
阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日… 阿部 富美子(あべ ふみこ、1912年〈明治45年〉1月4日 - 2005年〈平成17年〉)は、日本の詩人。群馬県文学賞(詩部門)選考委員を務めた。本名・瓦井。 群馬県渋川市生まれ。渋川高等女学校(現・群馬県立渋川女子高等学校)を経て日本女子大学を卒業。 1941年(昭和16年)詩作を始め、笹沢美明・岡田刀水士に師事。1954年(昭和29年)『詩学』推薦詩人となった。1950年(昭和25年)日本女詩人会員。1951年(昭和26年)『青猫』同人になる。1957年(昭和32年)日本現代詩人会員。 1963年(昭和38年)第1回群馬県文学賞受賞。1976年(昭和51年)『風雷』に代表作「赤城のこころ」を発表。
小林 純一(こばやし じゅんいち、1911年11月28日 -… 小林 純一(こばやし じゅんいち、1911年11月28日 - 1982年3月5日)は、日本の児童文学作家、童謡詩人。日本音楽著作権協会常務理事を務めた。 現在の東京都新宿区生まれ。本名は小林純一郎。中央大学経済学科を中退した。北原白秋に師事し、東京市、日本出版文化協会、日本少国民文化協会などに勤務しながら、第二次「赤い鳥」「チクタク」などに童謡を投稿した。戦後は文筆に専念した。日本童謡協会、日本児童文学者協会の設立に関与し、理事長、常任理事を務めた。 1971年に日本童謡賞功労賞、1979年に日本童謡賞、1978年に『少年詩集・茂作じいさん』で赤い鳥文学賞を受賞した。また没後の1982年に日本童謡賞特別賞、1995年に「小林純一・芥川也寸志遺作集 こどものうた」で日本童謡賞特別賞を受賞した。
田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31… 田中 克己(たなか かつみ、1911年(明治44年)8月31日 - 1992年(平成4年)1月15日)は、日本の詩人・東洋史学者、中国文学者。 1911年、大阪府で生まれた。東京帝国大学東洋史学科で学び、1934年に卒業。在学中の1932年、保田與重郎、肥下恆夫、中島栄次郎、松下武雄、小高根太郎、杉浦正一郎、服部正己ら大阪高等学校同窓生と文芸同人誌『コギト』を創刊。1936年堀辰雄の推挙により、詩誌『四季』(第2次)同人となり、津村信夫や神保光太郎と共に編集にも携わった。1941年詩文集『楊貴妃とクレオパトラ』で第5回北村透谷記念文学賞受賞。 1942年1月、文士徴用軍属の第2陣として北川冬彦、中島健蔵、神保光太郎らと共に南方戦線後方(シンガポール・スマトラ)へ派遣された。
花村 奨(はなむら すすむ、1911年8月12日 - 199… 花村 奨(はなむら すすむ、1911年8月12日 - 1992年10月31日)は、日本の詩人、作家。別名・土岐愛作。 岐阜県大垣市生まれ。東洋大学東洋文学科卒。岐阜県土岐市で小学校教師を務め、詩集を刊行する。1939年「首途」でサンデー毎日大衆文芸選外佳作、直木賞候補。「美しき首途」として映画化される。ほか『雑草夫人』も1940年映画化。宝文館に入社し、『令女界』『若草』を編集。長谷川伸、土師清二に師事し、新鷹会会員。戦後は花村の名で子供読物、歴史小説を書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
重信 常喜(しげのぶ つねき、1911年7月15日 - 20… 重信 常喜(しげのぶ つねき、1911年7月15日 - 2006年4月16日)は、日本のフランス文学者、詩人。 東京生まれ。1935年東京帝国大学文学部仏文科卒、千葉大学講師、助教授、教授、1975年定年退官、名誉教授、日本大学法学部教授、1982年定年。没後、従四位。
林 学洙(イム・ハクス、朝鮮語: 임학수、1911年7月3日… 林 学洙(イム・ハクス、朝鮮語: 임학수、1911年7月3日 - 1982年6月21日)は、日本統治時代の朝鮮及び朝鮮民主主義人民共和国の詩人。 号は岳伊(アギ、악이)。本籍は全羅南道順天市金谷洞。本名は林 岳伊(イム・アギ、임악이)。ただし、系図には林 栄沢(イム・ヨンテク、임영택/林榮澤)と記載されており、そのほか別名は林 乃洪(イム・ネホン)である。 全羅南道順天市出身。京城第一高等普通学校(現・京畿高等学校)を経て京城帝国大学英文科卒業。 以後、培花女子高等学校などで教員を務めながら詩作。ホメーロスの『イーリアス』を韓国に初めて紹介するなど、翻訳文学者としても活動した。また、朝鮮文人協会の発起人と幹事を務め、戦線への慰問に参加した。
柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日… 柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の詩人。栃木県栃木市出身。 1911年(明治44年)栃木県栃木市生まれ。生家は裕福な米穀商だったが、10代で家が傾いたことから奉公生活を送り、30代で結婚、出産、60代で宇都宮市に居を移した。一人息子の勧めで書きためた詩を2009年(平成21年)10月に自費出版した。その後飛鳥新社が内容を追加、装丁を変更し再出版。詩作を始めたのは92歳だった。 産経新聞の投稿欄「朝の詩」の常連で、新川和江に高く評価される。シャンソン歌手の久保東亜子が詩に曲を付けたことがきっかけでNHKラジオ第1放送「ラジオ深夜便」に出演。
森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月… 森 亮(もり りょう、1911年6月7日 - 1994年3月19日)は、日本の英文学・比較文学者、詩人、翻訳家。 大阪府生まれ。東京帝国大学英文科卒。旧制松江高等学校教授、お茶の水女子大学教授。 「新体詩抄」や「海潮音」など明治期の訳詩集の研究のほか、小泉八雲の研究でも知られ、『小泉八雲作品集』を翻訳。また『ラフカディオ・ハーン作品集』の編集と解説を担当。 1992年に訳詩集『晩国仙果』で第43回読売文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北川 省一(きたがわ せいいち、1911年4月7日 - 19… 北川 省一(きたがわ せいいち、1911年4月7日 - 1993年1月5日)は、日本の詩人、良寛研究家。 新潟県刈羽郡柏崎町(現在の柏崎市)生まれ。塗師の父が出奔して母と兄との家庭に育つ。第一高等学校在学時代には絵画、詩を創作。東京帝国大学仏文科に入学するが左翼活動のため1年で中退。郷里で私塾経営などをしたのち再度上京、兵役で千島で特攻訓練をするうち敗戦を迎えた。戦後は郷里で貸本屋をし、たびたび日本共産党から衆議院に立候補するが、田中角栄に敗れ続ける。66歳以後良寛研究家として多くの著書を著す。椎名麟三とは鉄工場の同僚だった。1993年1月5日、胃癌のため死去。 息子は北川フラム。娘の原若菜は原広司夫人であり、その名付け親は中野重治である。
小高根 二郎(おだかね じろう、1911年3月10日 - 1… 小高根 二郎(おだかね じろう、1911年3月10日 - 1990年4月14日)は、日本の詩人、作家。 東京出身。東北帝国大学卒。会社勤務のかたわら、保田與重郎らの『コギト』同人となり、伊東静雄と親しかった。1938年1月、上京し、病臥中の立原道造に古いマリア観音を贈った。詩集を刊行。戦後は1956年、同人誌『果樹園』を創刊し主宰、伝記、企業小説などを書いた。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮崎 健三(みやざき けんぞう、1911年3月8日 - 19… 宮崎 健三(みやざき けんぞう、1911年3月8日 - 1987年12月)は、日本の詩人。東京教育大学教授、和光大学教授を歴任。 富山県生まれ。東京文理科大学卒業。東京教育大学助教授、教授、1966年和光大学教授。国語科教育を担当するほか詩人として活動し、1983年『類語』で日本詩人クラブ賞を受賞した。 富山県師範学校在学中、詩作活動に励んだが、進学のため中断された。富山県師範学校の寄宿舎では、後に理科教育学者となる丸本喜一や動物学者となる大塚外次らと同じ部屋で暮らした。
左川 ちか(さがわ ちか、1911年〈明治44年〉2月14日… 左川 ちか(さがわ ちか、1911年〈明治44年〉2月14日 - 1936年〈昭和11年〉1月7日)は、昭和時代初期の日本の詩人。本名は川崎 愛。名の「愛」は「ちか」と読むが、「あい」とも呼ばれていた。「現代詩の起点となる詩人」とも賞される。 北海道余市郡余市町大字黒川村に生まれる。4歳までは歩行も困難なほど虚弱であった。戸籍上の父は不明、異父兄の昇が終生の支えとなる。1923年3月に余市町立大川尋常小学校を卒業。親族の反対を押し切るかたちで庁立小樽高等女学校(現・小樽桜陽高校)に入学し、1928年同校補習科師範部を卒業。同年8月、先に上京していた兄・昇の自宅に同居を始め、兄の友人として小樽時代から知っていた伊藤整や百田宗治などの作家・詩人たちとの交流が広がる。
菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 19… 菅原 克己(すがわら かつみ、1911年1月22日 - 1988年3月31日)は、昭和期の詩人。宮城県出身。1927年に室生犀星の『愛の詩集』を読んだことをきっかけにその口語自由詩に影響を受け、私淑する。日本共産党員の時期もあったが、1961年の第8回党大会前に、党の紀律にそむき、意見書や声明を発表し、除名された。新日本文学会の中心メンバーのひとりとしての活動を続けながら詩作を続け、日本文学学校の講師も担当した。 1911年、宮城県亘理郡亘理町に生まれる。父新兵衛、母金の第四子。1914年、父が県視学となり、仙台市に移住。1917年、宮城県立師範学校附属小学校卒業、父が勤務先の角田高等女学校の校長室で急死。
菅沼 五十一(すがぬま いそいち、1911年 - 1995年… 菅沼 五十一(すがぬま いそいち、1911年 - 1995年8月30日)は、日本の詩人、小説家。 『東海文学』同人、『遠州文学』同人、『麒麟』主宰、『独立文学』編集同人、浜松読書文化協力会会長、浜松ユネスコ協会会長などを歴任した。 静岡県小笠郡佐束村にて生まれた。佐束尋常小学校などを経て、静岡県立掛川中学校に進学した。旧制中学校在学中、詩人の三木露風の作品に影響を受け、詩作に熱中し、友人らと文芸誌を発刊した。その後、上京し、二松學舍専門学校に進学した。しかし、病により、やむなく二松學舍専門学校を中途退学した。 旧制専門学校を中途退学してからは、佐束村に戻って文学活動を続けることにした。同じ旧制中学校の先輩でもある文芸評論家の窪川鶴次郎から、大いに励ましを受けた。
尹 崑崗(ユン・ゴンガン、朝鮮語: 윤곤강、1911年 - … 尹 崑崗(ユン・ゴンガン、朝鮮語: 윤곤강、1911年 - 1950年2月23日〈1949年〉)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の詩人。本貫は漆原尹氏。本名は尹 朋遠(ユン・ブンウォン、윤붕원)。 瑞山出身。1933年に専修大学を卒業後、1934年『詩学』同人の一員として文壇に登場した。初期には朝鮮プロレタリア芸術家同盟の一員として詩を書くも作風は退廃的で風刺的なものであった。解放後は朝鮮半島の伝統とその情緒への愛着などを題材とした。週刊同人誌『詩学』や、そのほか『ビンハ』、『動物詩集』、『サルアリ』や、詩論集として『詩と真実』などを執筆している。 1950年2月23日、宿痾により40歳で死去した。
大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - … 大島 博光(おおしま ひろみつ、1910年11月18日 - 2006年1月9日)は、日本の詩人、翻訳家である。
中島 栄次郎(なかじま えいじろう、1910年(明治43年)… 中島 栄次郎(なかじま えいじろう、1910年(明治43年)8月18日 - 1945年(昭和20年)5月27日)は、日本の文芸評論家、詩人、哲学者。 京都帝国大学教授の田辺元のもとで、ニーチェの研究などに携わり、毎日新聞に文芸評論を書いた(その際の担当記者が井上靖)。 大阪高等学校 (旧制)の同級生を中心に文芸同人誌『コギト』の創刊メンバーである。はじめ沖崎猷之介の筆名を用い、第16号(昭和8年9月号)以後は本名で主に評論を、また詩、小説を発表した。また、文芸同人誌『日本浪漫派』の創刊メンバーである。その創刊号の巻頭に「浪漫化の機能」を執筆した。同人には第二号から太宰治、檀一雄、第三号からは伊東静雄、大山定一らが加わった。
阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1… 阿部保(あべ たもつ、1910年5月30日 - 2007年1月10日)は、日本の詩人、美学者、英文学者である。北海道大学の名誉教授を務めた。 阿部保は山形県に生まれた。成蹊高等学校を経て、1933年に東京帝国大学文学部美学美術史学科を卒業した。その後、聖橋高等工学校講師、日本大学講師、成蹊高等学校教授、大倉経済専門学校教授、東京経済大学教授を歴任し、1951年に北海道大学文学部教授に就任、1974年に定年退官した。退官後は東京経済大学非常勤講師を務めた。 専門は美学である。旧制高校在学中より自ら詩作を行い、第3次『椎の木』同人として百田宗治に師事した。また、エドガー・アラン・ポー、ウィリアム・ブレイクなど英語詩人の研究、翻訳も行った。