遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23… 遠山 茂樹(とおやま しげき、1914年〈大正3年〉2月23日 - 2011年〈平成23年〉8月31日)は、日本の歴史学者。研究分野は日本近代史、東アジア史、東洋史、自由民権運動、明治維新、歴史教育。横浜市立大学名誉教授。『遠山茂樹著作集』(全9巻、岩波書店刊)がある。 1914年、東京市京橋区(現東京都中央区)月島で生まれた。旧制浦和高等学校で学び、1934年に卒業。東京帝国大学国史学科に進学し、1938年に卒業。 1938年から1942年まで文部省維新史料編纂事務局に勤務。1942年から東京帝国大学史料編纂所に勤務。1951年から1952年までは東京大学教職員組合委員長を務めた。1956年、東京大学を退職。
鈴木 正四(すずき まさし、1914年2月11日 - 200… 鈴木 正四(すずき まさし、1914年2月11日 - 2001年12月24日)は、日本の歴史学者。愛知大学名誉教授。 山形県出身。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1933年第七高等学校造士館 (旧制)卒業。1936年東京帝国大学西洋史学科卒業。外務省図書係嘱託、ナウカ社「社会評論」編集長を経て、1956年愛知大学教授、後に同大学国際問題研究所長。1985年定年退任。
鳥越 憲三郎(とりごえ けんざぶろう、1914年2月8日 -… 鳥越 憲三郎(とりごえ けんざぶろう、1914年2月8日 - 2007年3月23日)は、日本の宗教学者・民俗学者・歴史学者。 岡山県出身。関西学院大学法文学部卒、1962年「琉球宗教史の研究」で東京文理科大学(後の東京教育大学)文学博士。大阪学芸大学講師、助教授、1967年校名変更で大阪教育大学助教授、1973年教授。1979年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。1989年退職。1955年『馬酔木』に投稿し、水原秋桜子に師事した。長男は鳥越皓之。 沖縄戦前の1942年に沖縄県の嘱託で祭祀などを調査。同年、湧上元雄と共に久高島のイザイホーを視察した。また中国雲南省に日本人の起源を求めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
瀬谷 義彦(せや よしひこ、1914年(大正3年)1月2日 … 瀬谷 義彦(せや よしひこ、1914年(大正3年)1月2日 - 2015年(平成27年)11月20日)は、日本の歴史学者。東京帝国大学文学部国史学科卒業。学位は文学士(東京帝国大学)。称号は日立市名誉市民、茨城大学名誉教授。栄典は従四位勲三等旭日中綬章。 茨城県多賀郡鮎川村(現在の日立市)生まれ。 茨城県立日立中学校(現在の茨城県立日立第一高等学校)教諭、水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)教諭を経て、1943年(昭和18年)茨城師範学校教授、多賀工業専門学校教授を経て茨城大学教授となる。定年退官後、茨城キリスト教大学短期大学部教授、茨城キリスト教大学教授を務めた。 共同で執筆、監修した「日立市史」は1959年(昭和34年)に発行されて茨城県内初の自治体史となったほか、水戸市史や県史など自治体史の編集にも関わるなど茨城県に関する歴史学研究において多数の業績がある地方史研究の第一人者であった。
井上 清(いのうえ きよし、1913年12月19日 - 20… 井上 清(いのうえ きよし、1913年12月19日 - 2001年11月23日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授。日本史専攻。明治維新や軍国主義、尖閣諸島、元号、部落問題に関する著作がある。 高知県出身。旧制高知高等学校を経て、1936年東京帝国大学文学部国史学科卒業。羽仁五郎の指導を受けた。戦時中は文部省の維新史や帝室学士院史の編集に嘱託として携わる。 戦後は在野で、歴史学研究会などで講座派マルクス主義の立場からの日本近代史研究の第一人者として活躍、『天皇制の歴史』で天皇制を批判した。貝塚茂樹の仲介で京都大学人文科学研究所に勤務。1954年に助教授、1961年に教授、1977年に退職。 部落解放運動と部落問題の研究に従事した。
奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - … 奈良本 辰也(ならもと たつや、1913年12月11日 - 2001年3月22日)は、日本の歴史学者。立命館大学教授、部落問題研究所所長などを歴任。日本中世史、幕末史、特に郷里でもある長州藩に関係した著作多数。 1913年、山口県大島郡小松志佐村(後に大島町を経て現・周防大島町)で生まれた。旧制岩国中学校(現:山口県立岩国高等学校)を経て、1935年3月旧制松山高等学校文科甲類を卒業。 京都帝国大学文学部国史学科に進学し、西田直二郎に師事した。1938年、同大学を卒業。卒業論文は『近世に於ける市民的世界観への通路-主として思想史に於ける商業資本の問題-』であった。 1938年、兵庫県立豊岡中学校(現:兵庫県立豊岡高等学校)教諭となった。
松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日… 松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日 - 2005年12月10日)は、日本の歴史学者、専修大学教授。 愛媛県で生まれる。1931年愛媛県立松山中学校を卒業、1934年に松山高等学校を卒業し、同年、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に、家永三郎、石母田正らがいた。1937年、東京帝国大学を卒業。 1937年から東京帝国大学史料編纂所に勤務する傍ら、1940年からは早稲田実業学校第二本科で講師も勤めた。戦後の1945年、松山経済専門学校(現・松山大学)教授となった(1948年まで)。 1947年4月20日に行われた第1回参議院議員選挙に愛媛県選挙区から立候補するが落選。
鈴木 敬三(すずき けいぞう、1913年(大正2年)11月1… 鈴木 敬三(すずき けいぞう、1913年(大正2年)11月19日 -1992年(平成4年)7月28日)は、日本の歴史学者。國學院大學名誉教授。専門は風俗史・有職故実学。 東京市浅草区神吉町(現在の台東区東上野)出身。本姓は加賀で、誕生とともに父の生家の養子となる。1938年に國學院大學国史学科を卒業し、1942年から宮内庁図書寮勤務。1946年に退官。國學院高等学校教諭を経て、1951年から國學院大學文学部講師、1960年同助教授、1965年同教授。1984年に定年退職して名誉教授となるまでに、國學院高等学校副校長などを務める。78歳で没し、墓は谷中霊園にある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 20… 後藤 陽一(ごとう よういち、1913年11月2日 - 2002年3月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本近世史。広島大学名誉教授、広島修道大学名誉教授。 大正2年(1913年)、熊本県に生まれる。昭和12年(1937年)、広島文理科大学を卒業。昭和15年(1940年)から1年間は旧制崇徳中学校歴史科嘱託教員。昭和18年(1943年)からは広島県立広島女子専門学校教授。昭和23年(1948年)から広島文理科大学助教授を務めた。昭和29年(1954年)から新制広島大学教養部教授。昭和49年(1974年)から昭和52年(1977年)まで広島大学大学総合科学部教授を務める。その後は、平成元年(1989年)まで広島修道大学教授を務める。
谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 20… 谷口 澄夫(たにぐち すみお、 1913年9月30日- 2001年1月15日)は、日本の歴史学者・教育者。 岡山県牛窓町(現・瀬戸内市)に生まれる。1940年に広島文理科大学を卒業。1949年岡山大学教育学部助教授、1953年同教授となる。岡山藩の研究で大きな成果を残した。 1969年には前学長の退任を受け学長代行(学長事務取扱)に選ばれ、同年岡山大学の第7代学長となる。学園紛争期の難局を乗り切った。退任し名誉教授。後の1978年には、新たに開学した兵庫教育大学の初代学長に迎えられる。1986年まで同大学学長を務めた後、倉敷芸術科学大学学長、就実女子大学学長を歴任。その他、数々の教育・文化関連団体の要職に就いた。
佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 … 佐藤 長(さとう ひさし、1913年(大正2年)9月16日 - 2008年(平成20年)1月6日)は、日本の歴史学者、チベット学者。古代チベット史を研究。京都大学名誉教授。 佐藤の住んでいた、京都市中京区丸太町堺町の築100年(明治42年建造)になる木造二階建ての町屋は、遺言により友人の瀬戸内寂聴に譲渡され、2009年(平成21年)に文化サロン「羅紗庵(らさ・あん)」としてオープン。名称はチベット仏教の聖地「ラサ」に因んで命名された。老朽化が進んでいたため、佐藤の没後2008年(平成20年)11月から3ヶ月かけて修理改修が進められた。佐藤と瀬戸内の親交は1943年(昭和18年)瀬戸内が新婚生活を送っていた北京の集合住宅の上階に留学中の佐藤が下宿して以来。
家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 20… 家永 三郎(いえなが さぶろう、1913年9月3日 - 2002年11月29日)は、日本の歴史学者。専門は思想史(日本思想)。学位は文学博士(東京大学)。東京教育大学名誉教授。甥に歴史学者の家永遵嗣がいる。 国民精神文化研究所の機関誌『国民精神文化』第九巻第二号によると、1月11日から3月20日までの課程修了者29人の1人。クラスの科目は、「皇国の道」(紀平正美)、「皇国哲理」(佐藤通次)、「国体と政治」(大串兎代夫)、「大東亜教育論」(伏見猛弥)など。なお、文部省発令事項の東京教育大学が作成した正規の年譜からは削除している。国民精神文化研究所の歴史部門責任者の東京高師の長老松本彦次郎に知られ、東京高師へ栄転。
宇野 脩平(うの しゅうへい、1913年8月21日 - 19… 宇野 脩平(うの しゅうへい、1913年8月21日 - 1969年4月24日)は、日本の歴史学者。 和歌山県那賀郡粉河町生まれ。1931年、和歌山県立粉河中学校卒業。1940年、東洋大学文学部国文学科卒業。同年、財団法人龍門社渋沢栄一伝記資料編纂所に編纂員として勤務し、土屋喬雄の指導を受ける。1943年、東京外国語学校連成科蘭語科修了。その後兵役につき、シベリア抑留を経験後、1947年に復員。1948年、財団法人水産研究会研究員。1949年、日本常民文化研究所常任理事。1951年東洋大学講師、1957年東京女子大学文学部助教授、1962年同教授。
面高 正俊(おもだか まさとし、1913年8月4日 - 19… 面高 正俊(おもだか まさとし、1913年8月4日 - 1985年12月28日)は、日本の歴史学者。鹿児島大学名誉教授。専門は西洋史で、門割制度など薩摩藩についての研究もおこなった。 鹿児島県の加世田生まれ。加世田武田(川辺郡加世田村武田、川辺郡加世田町武田、加世田市武田、南さつま市加世田武田)出身。1931年旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)卒業、1935年旧制第七高等学校造士館文科卒業、1938年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。神奈川県史跡調査員となるが、戦争に応召され負傷し療養中に終戦。母校の旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校とその後身鹿児島県甲南高等学校で教諭を務めた後、1949年鹿児島大学鹿児島師範学校教授に就任。
萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日… 萩原 進(はぎわら すすむ、1913年〈大正2年〉7月23日 - 1997年〈平成9年〉1月20日)は、日本の歴史学者。群馬県吾妻郡長野原町出身。群馬県の郷土史研究に従事。群馬県議会図書室長、前橋市立図書館長を歴任。 1913年(大正2年)、群馬県吾妻郡長野原町の農業兼雑貨商の父茂一・母いはの第三子(長男)として生まれる。1934年(昭和9年)群馬県師範学校を卒業。 群馬県内の小学校教諭として勤務し、1945年(昭和20年)吾妻郡長野原国民学校教頭。その間1943年(昭和18年)からは群馬県社寺兵事課史蹟主事をつとめる。 戦後は教職員不適格者指定を受け退職し、群馬県農業会に勤める。1948年(昭和23年)群馬県議会書記、翌年同図書室長に就任する。
村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 200… 村瀬 興雄(むらせ おきお、1913年7月17日 - 2000年3月2日)は、日本の歴史学者。ドイツ帝国およびナチズム、ナチス・ドイツを研究。成蹊大学名誉教授。 東京都出身。1938年東京帝国大学文学部西洋史学科卒。松山高等学校教授、愛媛大学助教授、1953年成蹊大学教授、1977年定年退任、名誉教授。立正大学教授、1984年退職。創価大学客員教授。1993年退職。 1987年秋、勲三等瑞宝章受勲。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤間 生大(とうま せいた、1913年5月16日 - 201… 藤間 生大(とうま せいた、1913年5月16日 - 2018年12月10日)は、日本の歴史学者、考古学者で、古代日本史から近代東アジア史まで幅広く研究を行った。 広島市生まれ。1936年、早稲田大学文学部史学科卒。1938年、日本評論社入社、戦前には教育科学研究会生活教育研究部会に参加。1945年7月、埼玉県立浦和中学校教諭、1949年、民主主義科学者協会事務局常任書記長、1951年まで務める。1952年の第25回衆議院議員総選挙及び1953年の第26回衆議院議員総選挙に埼玉1区から出馬するが落選。1971年、熊本商科大学教授、同付属海外事情研究所長、1982年、退職。 日本共産党に属し、戦後しばらく、マルクス主義歴史学者として、井上清、石母田正と並んで盛名を馳せ、当時の学生の必読書となった。
岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - … 岡本 良一(おかもと りょういち、1913年4月29日 - 1988年8月2日)は、日本の歴史学者。 大阪府大阪市生まれ。1938年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。 明浄高等女学校教諭を経て、1942年から大阪市に職員採用され、大阪城天守閣に配属され、大阪城主任として1968年3月に退職するまで26年間天守閣に勤務する。 退職後に、関西大学、羽衣学園短期大学の講師となる。大阪市史料調査会・理事、堺市立博物館・初代館長などを歴任する。1969年3月から研究・著作に専念する。 1988年8月2日、大阪市内の病院で肝臓癌で死去。
石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 20… 石田 一良(いしだ いちろう、1913年4月23日 - 2006年9月17日)は、日本の歴史学者。東北大学名誉教授。杭州大学名誉教授。日本思想史学会名誉会長。文学博士。従四位勲二等瑞宝章。 1913年生まれ。京都市伏見区出身。1934年3月第三高等学校卒業。同年京都帝国大学法学部に入学。翌1935年に同文学部史学科に転じた。1939年、京都帝国大学文学部史学科国史学専攻を卒業して同大学院に入学。西田直二郎に学んだ。1945年まで在学。 1946年同志社大学文学部助教授となり、創設期の文学部文化学科の基礎確立に尽力。1948年2月に34歳の若さで教授に昇進、4月に新設の文化学科文化史学専攻で研究と教育にあたった。
角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 200… 角田 文衞(つのだ ぶんえい、1913年4月9日 - 2008年5月14日)は、日本の歴史学者(古代学専攻)。学位は、文学博士。従四位勲三等瑞宝章。大阪市立大学教授、平安博物館館長兼教授、古代学研究所所長兼教授、財団法人古代学協会理事長を歴任。 1913年、福島県伊達郡桑折町生まれ。成城高等学校在学中から濱田耕作の学問を慕い、京都帝国大学に進学し濱田の指導により考古学を学んだ。 濱田の在職中での病没と、梅原末治との確執がなければ、濱田の後継者となっていたとの説もあるほど将来を期待された学徒であった。 世界史的な視座に立って考古学と文献史学を統合した「古代学」を提唱。したがって、研究分野は文献史学と考古学の両分野におよんだ。
太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3… 太田 晶二郎(おおた しょうじろう、1913年(大正2年)3月29日 - 1987年(昭和62年)2月20日)は、日本の歴史学者。東京大学史料編纂所教授。財団法人前田育徳会常務理事。専門は漢籍史。 研究人生のほとんどを史料編纂所で費やし、大日本史料第1篇・第2篇、大日本近世史料の『幕府書物方日記』の編纂を担当した。漢籍等の典籍の考証を主にしていたが、その研究は豊かな学識に基づいた堅牢かつ緻密なもので、太田の前では、ほとんどの歴史学者が物も言えないくらい緊張したという逸話がある。また生前は論文の執筆のみで、一冊の著書も残さなかった。没後、飯田瑞穂等を中心に、著作集5巻が編まれた。
高橋 磌一(たかはし しんいち、1913年(大正2年)1月1… 高橋 磌一(たかはし しんいち、1913年(大正2年)1月15日 - 1985年(昭和60年)8月6日)は、昭和期の歴史学者(日本中世史・近世史)。歴史教育者協議会委員長などを歴任した。 東京府に生まれ、三多摩壮士の母方の祖父の下で小学生時代から『日本外史』の素読などに親しむ。 暁星中学校を経て昭和5年(1930年)に慶應義塾大学文学部予科、昭和8年(1933年)に文学部国史学科に入学し幸田成文の薫陶を受ける。昭和11年(1936年)に卒業し、大学院に籍を置く傍ら、錦秋高等女学校で文法を担当。昭和16年(1941年)に暁星中学校教諭となり、昭和17年(1942年)に召集。一度解除されるが、昭和20年(1945年)に再度招集を受け、中国に出征した。
田中 久夫(たなか ひさお、1913年(大正2年)- 199… 田中 久夫(たなか ひさお、1913年(大正2年)- 1997年(平成9年)7月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本仏教史、鎌倉仏教。 東京生まれ。1936年東京帝国大学文学部国史学科卒業。国民精神文化研究所、千葉師範学校女子部勤務を経て、千葉大学教育学部教授。1977年定年退官、名誉教授。
奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1… 奥田 眞啓(おくだ まさひろ、1912年12月26日 – 1949年4月8日)は日本の歴史学者。専門は日本中世史。 東京生まれ。関東大震災罹災のため一時、鹿児島県に転居。1933年3月、府立高等学校 (旧制)を卒業。同年4月に東京帝国大学文学部国史学科入学、同期に井上清、磯貝正義、新城常三らがいる。卒業論文「鎌倉時代の武士と神社−特に其民族的信仰形態に就て」をまとめて、1936年に卒業。その後、東京帝国大学史料編纂所勤務。日本中世における氏寺について、先駆的な研究を行った。
永島 福太郎(ながしま ふくたろう、1912年12月22日 … 永島 福太郎(ながしま ふくたろう、1912年12月22日 - 2008年8月19日)は、日本の歴史学者。関西学院大学名誉教授。
石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 -… 石母田 正(いしもだ ただし/しょう、1912年9月9日 - 1986年1月18日)は、日本の歴史学者。法政大学法学部名誉教授。専攻は古代史および中世史で、多数の著作・論文がある。 1912年、北海道札幌市の母方の実家で生まれ、宮城県石巻市で育った。父・石母田正輔は旧仙台藩出身で、石巻の町長・市長を長く務めた。二高を経て、東京帝国大学文学部哲学科に入学。後に国史学科へ転科し、1937年に卒業。 冨山房、日本出版会に勤務の後、朝日新聞記者を経て、1947年から法政大学法学部講師、1948年に同教授。この間、1963年から法学部長、1967年から附属図書館長などの役職にあり、1981年に定年退職、名誉教授となる。
沼田 次郎(ぬまた じろう、1912年8月19日 - 199… 沼田 次郎(ぬまた じろう、1912年8月19日 - 1994年6月29日)は、日本の歴史学者、日本史学者。東京大学名誉教授(史料編纂所元所長)。洋学史、日蘭交渉史が専門で、日蘭学会理事長も務めた。 熊本県熊本市出身(出生地は和歌山県)。鹿児島県立第一鹿児島中学校 (旧制)を経て、1932年第五高等学校 (旧制)卒業、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。東京大学史料編纂所に入り、1954年助教授、1965年教授に就任し、1971年から1973年に所長を務める。1973年から1983年まで東洋大学文学部教授。そのほか、1980年から1983年に日蘭学会理事長。勲三等旭日中綬章受章。
北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 19… 北島 正元(きたじま まさもと、1912年8月7日 - 1983年11月1日)は、日本の歴史学者。東京都立大学名誉教授。専門は近世日本史。 新潟県柏崎市生まれ。旧制長野中学(長野県長野高等学校)、松本高等学校文科乙類を卒業 し、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「徳川幕府直領の研究」。近世政治経済史を専攻し、1962年に「江戸幕府の権力構造」により東北大学から文学博士の学位を授与される。 1950年新潟大学助教授、1951年東京都立大学 (1949-2011)助教授、1959年同大学教授、同大学附属図書館長、1977年定年退官後は立正大学教授を務め、1983年退職。専門書のほか、一般向けの著書・編著を多く著した。
小西 四郎(こにし しろう、1912年7月14日 - 199… 小西 四郎(こにし しろう、1912年7月14日 - 1996年2月5日)は、日本の歴史学者、東京大学名誉教授。幕末史が専門。 兵庫県生まれ。東京帝国大学国史学科卒。文部省維新史料編修官を経て東京大学史料編纂所教授、1973年定年退官。NHK大河ドラマ『翔ぶが如く』の監修を務めた。 1996年、急性骨髄性白血病のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 199… 藤谷 俊雄(ふじたに としお、1912年7月2日 - 1995年2月11日)は、日本の歴史学者、部落問題研究家である。 京都府京都市出身。生家は真宗大谷派の即現寺。京都府立第二中学校卒業後、1934年に高知高等学校文科甲類、1937年京都帝国大学文学部史学科卒業。1938年、治安維持法違反で検挙。その後、生家の住職、また京都市史編纂に参加。 戦後、日本史研究会創設に参加。また1966年には部落問題研究所理事長兼所長に就任し、文化厚生会館問題によって奈良本辰也・林屋辰三郎・原田伴彦らが去った後の研究所再建に尽力。
戸谷 敏之(とや としゆき、1912年(明治45年)7月 -… 戸谷 敏之(とや としゆき、1912年(明治45年)7月 - 1945年(昭和20年)9月)は、日本の経済学者、歴史学者。日本常民文化研究所員。専門は農業経済史。
西山 松之助(にしやま まつのすけ、1912年6月28日 -… 西山 松之助(にしやま まつのすけ、1912年6月28日 - 2012年1月8日)は、日本の歴史学者。東京教育大学名誉教授。弟子に歴史学者の竹内誠がいる。 1912年、兵庫県赤穂市有年村で生まれた。1932年に姫路師範学校を卒業し、東京高等師範学校に進んだ。1937年に高等師範学校を卒業し、東京文理科大学史学科に入学。国史学を専攻し、1940年に卒業。在学中の1935年から臨済禅の修業をし、1937年、「蔵雲」の道号を授けた。 卒業後は母校・東京高等師範学校の助手となり、1944年に同助教授、1949年に教授に昇格。1949年5月に新制東京教育大学の発足とともに東京高等師範学校は包摂されることとなったため、1950年より東京教育大学助教授となった。
高橋 幸八郎 (たかはし こうはちろう、1912年6月1日 … 高橋 幸八郎 (たかはし こうはちろう、1912年6月1日 - 1982年7月21日)は、日本の歴史学者。専門は西洋経済史・フランス史。 福井県今立郡河和田村(現在の鯖江市河和田町)の地主の家に生まれる。1929年、第一高等学校文科甲類に進学し、1932年に卒業。同年、東京帝国大学文学部西洋史学科入学。同期入学に林健太郎、秀村欣二らがいる。1935年に卒業し、大学院に進学する。東京市立上野中学校教諭等を経て、1941年に京城帝国大学助教授に任じられる。1947年東京大学社会科学研究所赴任。1950年5月に助教授、1952年6月に教授となる。その間、1952年から1953年にフランス政府招聘客員教授も務めた。
磯貝 正義(いそがい まさよし、1912年5月25日 - 2… 磯貝 正義(いそがい まさよし、1912年5月25日 - 2008年7月25日)は、日本の歴史学者。山梨大学名誉教授。山梨県立考古博物館初代館長、武田氏研究会会長、山梨県史編さん委員会委員長。専門は日本古代史。 岐阜県土岐郡時村(瑞浪市土岐町)に、父・磯貝謙造、母・操の長男として生まれる。磯貝家は岩村藩大給松平家家臣で、母方の実家伊東家は長百姓の家柄。磯貝家は祖父や叔父が製糸工場を経営しており、父の謙造は小学校校長。 岐阜県大垣中学校、第八高等学校を経て、1936年(昭和11年)に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、大学院へ進む。大学時代は古代史学を専攻し坂本太郎に学び、卒業論文は「律令時代に於ける地方政治、特に郡司を中心として」。
林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7… 林 茂(はやし しげる、1912年5月4日 - 1987年7月3日)は、日本の歴史学者。東京大学名誉教授。専門は日本政治史。 1912年、和歌山県で生まれた。1932年に第一高等学校文科乙類を卒業し、東京帝国大学法学部政治学科に入学。1936年に卒業し、同大学大学院に進学した。1938年に東京帝国大学大学院を退学。 1942年、京城帝国大学法文学部助教授に就任。翌1943年、陸軍に臨時召集、終戦まで過ごした。 1948年、東京大学社会科学研究所助教授に就いた。1956年、同研究所教授に昇格。1973年、東京大学を退任し、名誉教授となった。その後は神奈川大学法学部教授として教鞭をとった。1976年、津田塾大学学芸学部教授に転じた。
古島 敏雄(ふるしま としお、1912年4月14日 - 19… 古島 敏雄(ふるしま としお、1912年4月14日 - 1995年8月29日)は、日本の歴史学者。専門は日本経済史・農業史。東京大学名誉教授。 1912年、長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)で生まれた。飯田中学校を経て、1932年3月第八高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学農学部農業経済学科に入学。1936年3月に同大学を卒業。 1939年10月、東京帝国大学農学部講師に就任。 1948年10月、東京大学農学部助教授となった。1949年、学位論文『元禄時代に於ける農学の発達とその地盤』を東京大学に提出して農学博士号を取得。 1959年、東京大学農学部教授に昇格。翌1960年から日本経済史講座の担当者が戦死したため空席になっていた一橋大学経済学部教授を併任し、永原慶二とともに中村政則、西田美昭ら多くの後継者を育てた。
小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年… 小室 栄一(こむろ えいいち、1912年4月12日 - 没年不詳)は、日本の歴史学者。 東京生まれ。1934年に成城高等学校文科甲類を卒業し、東京帝国大学文学部言語学科に入学。その後、西洋史学科に転科し、大類伸に学び、卒業論文「中世英國城廓形式の研究」をまとめ、1937年に卒業。同年、同大学大学院に入学し、1941年修了。この間、1939年に日本大学予科講師となり、1942年4月に日本女子大学教授、1949年4月に東洋大学文学部史学科助教授、1951年同大学教授。1954年4月に明治大学文学部歴史地理学科教授となり、1983年に定年退職。 専門は西洋史であるが、1958年から関東地方の中世城郭の調査研究を行った。
水上 一久(みずかみ いちきゅう、1912年3月14日 - … 水上 一久(みずかみ いちきゅう、1912年3月14日 - 1962年4月12日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。 石川県金沢市生まれ。1932年第四高等学校文科甲類卒業、1935年東京帝国大学文学部国史学科卒業。卒業論文は「荘園制の崩壊より見たる中世の東寺領」。 1935年鹿児島県史編纂委員、1943年立命館大学文学部教授を経て、1945年第四高等学校講師、1946年同校教授、1950年金沢高等師範学校教授、1952年金沢大学法文学部助教授、1958年同教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 20… 佐藤 三郎(さとう さぶろう、1912年1月14日 - 2006年1月30日)は、日本の歴史学者。山形大学名誉教授。国士舘大学教授。山形県出身。 1912年(明治45年)1月14日、山形県川西町小松に生れる。旧米沢興譲館中学、1931年(昭和6年)福岡高等学校文科乙類卒業、を経て、1934年(昭和9年)、東京帝国大学文学部国史学科卒業、同大学院に進学。日本史学の重鎮であった黒板勝美博士の下で研鑽。1936年4月人文科学資料研究科助手、1938年(昭和13年)から1942年まで、北京近代科学図書館勤務。これをきっかけとして、近代日中関係史に関心を持つ。 1942年山形高等学校教授、1949年山形大学文理学部助教授、1952年山形大学補導課長、1967年山形大学人文学部教授・山形大学評議員、1969年山形大学人文学部長、1973年山形大学学生部長、1977年退官に際して名誉教授。
村野 守治(むらの もりじ、村野 守次、1912年(明治45… 村野 守治(むらの もりじ、村野 守次、1912年(明治45年)1月9日-1989年(平成元年)3月23日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史、明治維新史、鹿児島県の郷土史。鹿児島女子短期大学教授。西郷隆盛研究の第一人者だった。また、教育者として鹿児島県立甲南高等学校の教員や県立高等学校の校長等を歴任。 鹿児島県鹿児島市生まれ。1930年(昭和5年)旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現・鹿児島県立甲南高等学校)卒業。1934年(昭和9年)旧制第七高等学校造士館卒業。1938年(昭和13年)東京帝国大学文学部国史学科卒業。同年5月より文部省維新史料編纂事務局嘱託。大日本青少年団本部文化部を経て、帰郷し1944年(昭和19年)5月に母校・第二鹿児島中学校の教諭となる。
平田 俊春(ひらた としはる、1911年10月22日 - 1… 平田 俊春(ひらた としはる、1911年10月22日 - 1994年11月14日)は、日本の歴史学者。防衛大学校名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。
平 重道(たいら しげみち、1911年10月18日 - 19… 平 重道(たいら しげみち、1911年10月18日 - 1993年7月2日)は、日本の歴史学者、東北大学名誉教授。 仙台市生まれ。1934年に東北帝国大学法文学部国史学科に入学し、村岡典嗣の指導を得て、1937年卒業。卒業論文は「承久の乱の史論と解釈」。1968年「吉川神道の基礎的研究」で東北大学より文学博士の学位を取得。東北大学教養部助教授、教授、宮城教育大学教授。仙台の歴史などを研究した。1986年11月、勲三等旭日中綬章受章。
前川 貞次郎(まえかわ ていじろう、1911年6月28日 -… 前川 貞次郎(まえかわ ていじろう、1911年6月28日 - 2004年3月9日)は、日本の歴史学者(西洋史)。京都大学名誉教授。 1911年、京都府京都市で生まれた。京都帝国大学文学部史学科で学び、1935年に卒業。 1949年、京都大学人文科学研究所助教授に就いた。1952年に文学部西洋史学科助教授に配置換え。1957年、学位論文『フランス革命史研究:史学史的考察』を京都大学に提出して文学博士号を取得。に教授昇格。1975年に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は、甲南大学教授、帝塚山大学教授を務めた。2004年に死去。 フランス革命を中心にフランス史を研究した。
新城 常三(しんじょう つねぞう、1911年4月21日 - … 新城 常三(しんじょう つねぞう、1911年4月21日 - 1996年8月6日)は、日本の歴史学者。日本中世の交通史を専門とした。 福島県若松市生まれ。1933年に水戸高等学校卒業。1936年に東京帝国大学国史学科卒業。同期に奥田眞啓らがいる。同史料編纂所員を経て、1949年に北海道大学助教授、同大学教授を経て、1959年に九州大学教授、1976年定年。同年、成城大学教授、1982年退職。 1961年、「社寺参詣の社会経済史的研究」により、東京大学から文学博士の学位を授与される。1983年、『新稿社寺参詣の社会経済史的研究』で角川源義賞受賞。没後従四位勲四等旭日小綬章。
中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 199… 中山 治一(なかやま じいち、1911年4月6日 - 1990年7月25日)は、日本の歴史学者。 京都市出身。1934年京都帝国大学文学部史学科卒。第三高等学校 (旧制)教授、名古屋大学文学部教授、大阪市立大学教授を務め、1974年定年退官、椙山女学園大学教授、愛知学院大学教授を務めた。歴史記述の方法論、西洋近代史を専門とした。
兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年… 兼岩 正夫(かねいわ まさお、1911年2月 - 1984年12月23日)は、日本の歴史学者、東京教育大学名誉教授。専門は西洋中世史。 静岡県庵原郡興津町生まれ。静岡県立静岡中学校に学ぶ。旧制静岡高等学校を経て、1941年、京都帝国大学文学部卒業。旧制静岡高等学校で教えた後、東京教育大学助教授。1958年、同教授。1962年、「中世歴史意識のリアリズム」で京都大学より文学博士の学位を取得、1975年、定年退官、名誉教授。1984年、勲三等瑞宝章受勲。
別枝 達夫(べっし たつお、1911年1月1日 - 1978… 別枝 達夫(べっし たつお、1911年1月1日 - 1978年6月28日)は、日本の歴史学者。英国の海事史を専門とした。 鹿児島県出身。1934年、東京帝国大学西洋史学科卒。成蹊大学助教授、のち1962年に教授。
栗原 健(くりはら けん、1911年 - 2005年12月2… 栗原 健(くりはら けん、1911年 - 2005年12月2日)は、日本のアーキビスト・歴史学者。文学博士。専門は、外交史・日本近代史。 1934年、國學院大學国史科を卒業。1935年、外務事務官として外務省に入省する。 文書課に配属され、外交文書や電報類の整理に従事して以来、『日本外交文書』・『終戦史録』(1952年)・『日本外交年表並主要文書 1840-1945』(1955年)・『外務省の百年』上・下(1969年)の編纂や外交史料館の立ち上げ(1971年開館)に尽力した。 外務省退官後も『日本外交文書』編纂委員・顧問、また日本国際政治学会名誉理事として後進の指導に当たった。また、外交文書の閲覧のために来訪する海外の研究者に対しても、懇切丁寧に対応してその研究を支援し続けた。
海老沢 有道(えびさわ ありみち、1910年(明治43年)1… 海老沢 有道(えびさわ ありみち、1910年(明治43年)11月20日 - 1992年(平成4年)1月3日)は、日本の歴史学者。専門は、キリスト教・キリシタン史。文学博士(東京大学)。元立教大学文学部史学科教授。窪田幸夫の別名もある。 兵庫県尼崎市生まれ。1934年(昭和9年)立教大学文学部史学科卒業。卒業論文は、「京都南蛮寺建立考」。同志社高等女学部で教員を務める。1943年(昭和18年)応召入隊し、1946年(昭和21年)に復員する。 1949年(昭和24年)聖心女子大学教授、1960年(昭和35年)立教大学文学部史学科教授、立教大学ラテンアメリカ研究所・所長。キリシタン音楽史の研究を始めた、同僚の皆川達夫の指導も行った。
久保田 収(くぼた おさむ、明治43年(1910年)7月22… 久保田 収(くぼた おさむ、明治43年(1910年)7月22日 - 昭和51年(1976年)12月7日)は、日本の歴史学者。専門は神道史。学位は、文学博士。 明治43年(1910年)、富山市に生まれる(本籍滋賀県)。昭和3年(1928年)静岡県立浜松第一中学校、昭和6年第六高等学校文科甲類を経て、昭和9年(1934年)に東京帝國大學文学部国史学科を卒業。在学中は平泉澄に学び、高弟として知られ終生師事した。朱光会の創立に関わり、また青々塾最初の入塾者の一人でもあった(いずれも平泉主宰)。 昭和10年に東京府立第九中学校教諭を経て、昭和13年(1938年)に、第七高等学校造士館教授となった。 帝大卒業後鹿児島に赴任するまでの間は、青々塾塾頭をつとめ、七高時代は集義塾を開くなどして、後進の指導にあたった。