笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月… 笹川 ひろし(ささがわ ひろし、本名・笹川浩、1936年7月9日 - )は、日本の男性アニメ監督、漫画家、作家。タツノコプロ顧問。福島県会津若松市出身。 手塚治虫のアシスタントから漫画家を経て、タツノコプロの創立時から演出家として活躍。1970年代から1980年代にかけてのタツノコ黄金時代の立役者の一人。代表作は『タイムボカンシリーズ』など。ギャグ作品を多く手がけており、マンネリを生かしたギャグの演出を得意とする。「ギャグアニメの帝王」「アニメ界の欽ちゃん」とも言われた。しかし、当人は『新造人間キャシャーン』のようなシリアスなストーリーが好みであるという。タツノコプロを退社していた80〜90年代前半にかけては『忍者ハットリくん』『パーマン』『オバケのQ太郎』『ポコニャン!』など藤子不二雄作品を多く手掛けていた。
つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭… つのだ じろう(本名:角田 次朗〈読み同じ〉、1936年〈昭和11年〉7月3日 - )は、日本の漫画家・心霊研究家。東京府東京市下谷区豊住町(現:東京都台東区下谷1丁目)出身。血液型O型。八人兄弟の次男であり、次弟のつのだたかしはリュート奏者、末弟のつのだ☆ひろはミュージシャン。漫画原作者・ゲームクリエイターのビトウゴウは息子である。 当時の下谷区豊住町で床屋を営む家に生まれ育つ。小学2年生のころ空襲を避けるため一家で福島県に疎開、戦争が終わった中学2年生の時に東京に戻る。新宿区立淀橋中学校(現:新宿区立西新宿中学校)、東京都立青山高等学校卒業。 高校在学中に自宅近くのグラウンドで草野球を観戦していたところ、一方のチームの監督が漫画家の島田啓三であることに気づく。
水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 -… 水野 良太郎(みずの りょうたろう)、1936年6月7日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、エッセイスト、モデラー(鉄道模型他)。三重県四日市市出身。漫画集団同人、日本ペンクラブ会員。NPO日本鉄道模型の会理事。
小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわ… 小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までの筆名は小池 一雄。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 秋田県大仙市出身。中央大学法学部卒。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。
西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日… 西村 宗(にしむら そう、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。代表作は産経新聞朝刊に連載されていた4コマ漫画『サラリ君』。 大阪府泉大津市出身。手塚治虫の漫画に親しみ、中学生時代から雑誌『漫画少年』の懸賞投稿の常連となる。泉州地域で漫画が得意な少年として著名になり、大阪市立工芸高等学校在学中の1951年、『阪南新聞』に4コマ漫画『トンマ君』の連載を開始しデビュー。そのころ中学時代の恩師が、その同級生のサトウサンペイを西村に紹介する。当時サトウは大丸本社の宣伝部に勤務しながら漫画の連載をおこなっており、西村は週に1度サトウの職場をたずねて原稿の添削を受けた。『トンマ君』は新聞の廃刊にともない、1年半で終了している。
篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )… 篠原 とおる(しのはら とおる、1936年4月28日 - )は、日本の漫画家。男性。愛媛県新居浜市出身、現在は大阪府八尾市在住。愛媛県立新居浜工業高校卒業。 代表作に『さそり』『にっぽん競馬伝』『ワニ分署』『河内残侠伝 軍鶏』など。 ヒロイン・アクション劇画の第一人者にしてパイオニア的存在で、多くの作品が映像化されているが、アニメ化された作品は一本もない。映像化された作品は怨念が強調されたピンキーバイオレンスが多く、原作のほうも初期はそうした傾向があったが、前述の「夜光虫」事件以降は明るいお色気と娯楽色が前面に出たものが目立つ。 一貫して強く賢明な女性主人公を描き続け、男性はたいてい悪人か無能者、良くて若干抜けたところのある協力者というポジションで描かれる。
小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、… 小澤 さとる(おざわ さとる、1936年2月3日 - )は、漫画家。埼玉県川口市出身。北海道函館市在住。本名:小沢暁。別名:小沢さとる・北沢力。代表作に潜水艦漫画『サブマリン707』、アニメ化された『青の6号』など。名義に「小澤さとる」と「小沢さとる」があるが意図して少年向けには「小沢さとる」を、青年向けには「小澤さとる」を使用している。海洋SF漫画の先駆者で、多くの漫画家・アニメーターに影響を与えている。ヒット商品となった「ロボダッチ」や「チョロQ」の開発にも携わり、生みの親として知られる。 1950年代半ば、高校在学中にアルバイトを探していた際、知り合いの編集者に「君、器用だから やってみないか」と手塚治虫のアシスタント業務を紹介され、「製図ができるならベタも塗れるだろう」とアシスタントを務める。
浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫… 浜 慎二(はま しんじ、1936年1月5日 - )は、貸本漫画出身の元・ホラー漫画家。 岡山県出身。 血液型:A型。 代表作品は『SF怪奇入門』、『学校で夜、幽霊が!』、『百年少女』など。 1957年、「杉田臣平」名義で『秘密の花園』にて漫画家デビュー。 間もなくして「浜慎二」のペンネームに改め、『怪談』(貸本)、『少年ブック』、『オール怪談』などへの連載や、ひばり書房、立風書房「レモンコミックス」シリーズなどに多くのホラー漫画作品を残した。なお、1990年代の『週刊漫画サンデー』でも、「杉田臣平」名義で読切作品を残している。 プロ漫画家としての活動と並行し、後期にはアマチュアによるマンガ同人会の作画グループにも参加した。
しとう きねお(本名:紫藤 甲子男〔読みは同じ〕、1936年… しとう きねお(本名:紫藤 甲子男〔読みは同じ〕、1936年 - 2005年5月)は、日本の漫画家、パズル作家、ライター。 本名名義のほか、姓名の間に中黒を入れた「しとう・きねお」の表記でも活動した。 東京府東京市向島区(現在の東京都墨田区)出身。早稲田大学商学部在学中の1956年、創設されたばかりの早稲田大学漫画研究会に入部し、園山俊二、東海林さだお、福地泡介らと活動する。同人文芸サークル「ワセダミステリクラブ」にも参加していた。 大学卒業後の1959年に広告代理店に入社。もとは園山に斡旋した就職先であったが、その園山が入社初日に辞職したため、「人身御供として」1年半勤務した。そのかたわら、『週刊サンケイ』へのカットイラスト提供でプロデビュー。
谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)… 谷川 一彦(たにがわ かずひこ、1936年 - 2008年)は、日本の漫画家、アニメーター。広島県安村(現・広島市安佐南区)出身。 原爆投下12年後の1957年に月刊誌『なかよし』で原爆で両親を失う少女を描いた漫画「星はみている」を連載。『漫画少年』『冒険王』『なかよし』『少女クラブ』『幼年ブック』などに漫画を発表した後、上京し、1961年に創設された虫プロダクションに入社して、テレビアニメ『鉄腕アトム』や『W3(ワンダースリー)』などの作画等を担当した。 原爆を描いた「星はみている」は、これまで原爆を直接描いた最も古い漫画とされていた白土三平の「消え行く少女」(日本漫画社、1959年)よりも2年早く、中沢啓治の「黒い雨にうたれて」(『漫画パンチ』、1968年5月掲載)よりも、11年早く書かれている。
山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2… 山口 太一(やまぐち たいち、1935年12月20日 - 2010年6月18日)は、日本の漫画家。本名:山口 太一(やまぐち たかかつ)。ナンセンス漫画や、児童向け学習漫画などで活躍した。 福島県石城郡内郷村(のちのいわき市)出身。1938年、公務員の父の赴任地だった満州・大連市に一家で渡る。終戦時は普蘭店で迎え、1946年12月に引き揚げ、母の郷里の千葉を経て、父の復員に合わせて内郷に戻る。 中学時代に『寒がり屋のサブちゃん』と題するストーリー漫画を『漫画少年』に投稿して特選に入賞。このほか毎日中学生新聞や、地元紙に漫画を投稿する。福島県立磐城高等学校卒業後、上京。東京芸術大学美術学部の受験に失敗するが、東京に残って漫画の持ち込み活動を開始し、文藝春秋社で加藤芳郎を紹介される。
一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2… 一峰 大二(かずみね だいじ、1935年12月19日 - 2020年11月27日)は、日本の漫画家。本名:寺田 国治(てらだ くにはる)。 東京都荒川区出身。敗戦を疎開先の福島県石川町で迎える。絵物語作家、岡友彦(歌川大雅)の弟子を経て、1956年に『なぞのからくり屋敷』(「てらだくにじ」名義)でデビュー。 1960年代から1970年代にかけて、多くの特撮ヒーロー作品のコミカライズを手がけており、特にピー・プロダクションの作品の大半を漫画化している。中でも『スペクトルマン』への思い入れは強く、1999年に角川書店から復刻された単行本に加筆を施したり、2006年には後日談を発表したりしている。 2005年、『画業半世紀一峰大二大全集』で第34回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。
牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、19… 牧 美也子(まき みやこ、Miyako Maki、女性、1935年〈昭和10年〉7月29日 - )は、日本の漫画家。日本漫画家協会の元参与。夫は同じく漫画家で『銀河鉄道999』などで知られる松本零士。 兵庫県神戸市出身。大阪府立高津高等学校卒業(6期生)。 1957年(昭和32年)『母恋いワルツ』でデビュー。1960年代初めは『りぼん』(集英社)、1963年創刊の『マーガレット』(集英社)や『少女フレンド』(講談社)などで活躍の後、レディースコミックに転向。 近年は、女性週刊誌・青年誌などに『悪女聖書(あくじょばいぶる)』(原作:池田悦子)など官能的な漫画作品を連載し、ドラマ化された作品もある。
内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 20… 内山 安二(うちやま やすじ、1935年6月21日 - 2002年9月2日)は、日本の漫画家。熊本県葦北郡水俣町(現・水俣市)出身。代表作に『コロ助の科学質問箱』など。 1953年から1954年にかけて『漫画少年』投稿欄の常連で、つげ義春と文通していた。同誌1954年8月号以降は3号続けて『長屋大平記』(出典ママ)などの作品を依頼されている。 1954年、毎日新聞社に入社。西部本社の毎日小学生新聞西部編集部に配属され、大阪本社から電送された手塚治虫の作品の修正を手掛けたのを切っ掛けに、毎日小学生新聞に自ら漫画を描き始める。 毎日新聞社を退社後は、プロの漫画家に転向し、主に学習漫画をメインとした作品を数多く発表した。
辰巳 ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ、1935年6月10日 - … 辰巳 ヨシヒロ(たつみ ヨシヒロ、1935年6月10日 - 2015年3月7日)は、日本の漫画家、古書店経営者。大阪府大阪市天王寺区出身。本名:辰巳 嘉裕(たつみ よしひろ)。兄は、漫画家・漫画出版社経営者の桜井昌一。 貸本漫画家として活躍しながら、「劇画」という名称を提唱、「劇画」誕生にあたって重要な役割を果たした。貸本漫画家時代の別明記に、マイク浜、あさひ昇、江戸五郎などがある。 1970年代以降は、社会の底辺に位置する人々の悲哀や屈折を陰鬱なタッチで描いた作品を『ガロ』などに多数発表する。それらの作品群は海外を中心に高く評価され、日本におけるオルタナティヴ・コミックの第一人者として広く認知されている。
園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月… 園山 俊二(そのやま しゅんじ、1935年〈昭和10年〉4月23日 - 1993年〈平成5年〉1月20日)は、日本の漫画家。血液型B型。 島根県松江市外中原町生まれ。島根大学教育学部附属小学校、同附属中学校、島根県立松江高等学校(現・島根県立松江北高等学校)を経て、早稲田大学商学部卒業。 早稲田大学在学中、英文科の講師三浦修や、同級生のしとうきねおらとともに早稲田大学漫画研究会を創設するも、結核の療養のため1年休学。復学後に漫研に復帰し、後輩の福地泡介、東海林さだおと出会う。園山・福地・東海林はのちに相次いでプロとなり、3人が出揃った1960年代後半当時の学生運動になぞらえて「漫画界の三派全学連」と称された。
桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17… 桑田 二郎(くわた じろう、1935年〈昭和10年〉4月17日 - 2020年〈令和2年〉7月2日)は、日本の漫画家。大阪府吹田市出身で、晩年は茨城県鉾田市(旧鹿島郡大洋村)に居住していた。旧ペンネームは桑田 次郎。絵のシャープな美しさで知られる。代表作は『まぼろし探偵』『月光仮面』『8マン』など。 1935年、大阪府吹田市に生まれる。幼少時は『のらくろ』(田河水泡)や『タンクタンクロー』(阪本牙城)、『長靴の三銃士』(井元水明)等、「少年倶楽部」や「幼年倶楽部」の漫画を愛読していた。1948年、手塚治虫の諸作品に影響されSF冒険漫画『奇怪星團』を描き上げる。原稿を出版社に持ち込み「青雅社」から13歳で貸本漫画デビュー(最年少記録)。
今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は… 今村 洋子(いまむら ようこ、1935年3月16日 - )は、日本の漫画家。現東京都千代田区(当時は東京市)出身。東京都練馬区在住。日本の女性少女漫画家の草分け的存在。 子供の日常生活をほのぼのとして快活なタッチで描き、1950年代後半から1970年代中半にかけて多くの作品を発表していた。 父親は貸本漫画家の今村つとむ。弟も同じく漫画家の今村ゆたか。 10代の頃から貸本漫画家である父、今村つとむのアシスタントをしており、1952年、単行本『子豚のラッパ』でデビュー。 昭和34年、『少女』誌上に『チャコちゃんの日記』を連載し一躍人気漫画家となる。その後、ハッスルゆうちゃんなど多くの作品を発表し、人気を不動のものとした。
藤木 てるみ(ふじき てるみ、1934年(昭和9年)12月1… 藤木 てるみ(ふじき てるみ、1934年(昭和9年)12月11日 - )は、日本の漫画家。男性。かつては本名の 藤木 輝美(ふじき てるみ)や「ふじき てるみ」名義で活動していた。ヘビースモーカーである。 滋賀県犬上郡(現:彦根市地域)の出身で、先祖は彦根藩の藩士。 一向門徒衆と織田信長軍の闘いである石山合戦を藤木が描いて東本願寺出版部より出版された『石山軍記』は、「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながらの迫力の戦闘シーンが活写されている。また 「歎異抄十余ヶ国上洛のナゾを検証する」(2002年7月「大法輪」大法輪閣)という論文も執筆している。 少年時代にはディズニーアニメや手塚治虫の影響を受けて漫画家をめざすようになった。
森安 なおや(もりやす なおや、1934年〈昭和9年〉11月… 森安 なおや(もりやす なおや、1934年〈昭和9年〉11月1日 - 1999年〈平成11年〉5月19日〈推定〉)は、日本の漫画家。漢字表記は森安 直哉。本名は森安 直(もりやす ただし) 。 岡山県岡山市出身。1950年代を中心に活動し、トキワ荘の居住者の一人としても知られる。作品の多くは『漫画少年』等の雑誌や貸本屋向けの書き下ろし単行本(貸本漫画)に掲載された。寡作ではあったが、叙情に溢れた繊細なタッチは、漫画家仲間からも評価を受けていた。 岡山市内山下元町(現・岡山市北区表町)に生まれる。生家は果実商である一方、父は国鉄に勤務していた。男ばかり4人兄弟の末っ子だった。 小学生時代から漫画に親しむようになる。
ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、19… ムロタニ ツネ象(むろたに つねぞう、本名:室谷 常蔵、1934年9月9日 - 2021年11月22日)は、日本の漫画家。ギャグ漫画を主として発表してきたが、歴史漫画、学習漫画、SF漫画、恐怖漫画も執筆している。特に子供向け学習漫画制作の草分け的存在ともいわれた。 1934年9月9日、大阪府に生まれる。中学生の頃から、毎日新聞系列の夕刊紙新九州新聞社発行の『まんが新九州』(1948年創刊)の常連投稿者だった。佐賀県立唐津高等学校卒業。在学中、『毎日中学生新聞』懸賞漫画で金賞を連続3年受賞。 1953年、『毎日中学生新聞』西部版に『日本歴史漫歩』を発表してデビュー。毎日新聞社西部本社に勤務し、その後上京して阿佐ヶ谷美術学園に学ぶ。
棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、… 棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、1934年3月22日 - 2003年)は、日本の漫画家。児童向け剣戟漫画で人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元女優の松山容子。 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆便所をねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独学で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)。
藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 … 藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日 - )は、日本の漫画家。コンビ解消後は本名で紹介されることも多い。大垣女子短期大学客員教授。座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。血液型はA型。
斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の… 斉藤 あきら(さいとう あきら、1934年 - )は、日本の漫画家。東京都江東区亀戸出身。本名の「斉藤明」や、「さいとうあきら」名義で活動したこともある。 1954年に杉浦茂のアシスタントとして漫画業界に入る。鈴木光明、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを渡り歩き漫画の修行をする。その後はスタッフ3人を抱え「ジャガープロ」を設立して仕事をしていた。 1969年、手塚治虫アシスタントとして同門の古谷三敏の誘いで、赤塚不二夫の「フジオ・プロ」に所属。アシスタント業務をこなしながら、フジオプロの他の所属漫画家と同じく、独立した漫画家としても活動した。フジオプロには十数年間所属しており、80年代には離脱していたとみられる。
藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年… 藤子・F・不二雄(ふじこ エフ ふじお、1933年〈昭和8年〉12月1日 - 1996年〈平成8年〉9月23日)は、日本の漫画家。富山県高岡市定塚町出身。富山県立高岡工芸高等学校電気科卒業。本名は藤本 弘(ふじもと ひろし)。 数多くの作品を発表し、児童漫画の新時代を築き、第一人者となる。独立を発表した1987年までは安孫子 素雄(独立後は藤子不二雄Ⓐ)と共に藤子不二雄として活動した。 代表作は『オバケのQ太郎』(合作)、『ドラえもん』、『パーマン』(旧作は合作)、『キテレツ大百科』、『SF短編』シリーズである。「F」とは「藤本(フジモト)」の頭文字を意味する。死後、作品の著作権管理は生前に活動拠点としていた藤子・F・不二雄プロが担当している。
永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2… 永美 ハルオ(ながみ はるお、1933年11月26日 - 2024年9月30日)は日本の漫画家、イラストレーター。永見 ハルオ、永美 はるお名義の作品もある。本名は堀ノ内史旺(ほりのうち・ふみお)。 東京生まれ。東京都立第一商業高等学校を経て、1957年、中央大学経済学部卒業。1966年に漫画家デビュー。日本漫画家協会会員。 講談社ブルーバックスなどのイラストで知られる。 2024年9月30日、死去。90歳没。
工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は… 工藤 恒美(くどう つねみ、1933年11月17日 - )は日本の漫画家、イラストレーター。日本漫画家協会会員。北海道札幌市出身。女性名に多い名前であるが男性である。 北海道札幌東高等学校卒業。北海道大学で文部事務官を勤め、その間、おおば比呂司と出会い展覧会などの仕事に携わるようになる。また、札幌市の広報誌に4コマ漫画などを発表。その後、文部事務官を辞し1962年に上京。新聞の4コマ漫画を中心に執筆活動を行い、1981年『ツッパラサール学園』にて第27回文藝春秋漫画賞を受賞した。
宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 198… 宮崎 惇(みやざき つとむ、1933年6月15日 - 1981年11月16日)は、日本の小説家、SF作家、漫画原作者。ジュブナイルSFなどに作品を残した。日本文藝家協会、日本推理作家協会会員。 長野県小諸市出身。1957年、日本最初のSF同人誌『宇宙塵』に参加。後に編集委員も務める。60年代以降は商業誌にも進出し、SFや時代劇などのジャンルで作品を発表した他、「聖マッスル」(作画:ふくしま政美)などの漫画原作も手がけた。1981年に顎下腺ガンのため48歳で亡くなった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月… 滝沢 解(たきざわ かい、本名:南沢 栄一郎、1933年5月13日 - 2003年1月)は、東京都生まれの劇作家・漫画原作者。筆名は曲亭馬琴の別名(改名後の本名。読みは異なる)にあやかったもの。 早稲田大学文学部演劇科卒業後、集英社に入社し、『りぼん』などの少女漫画担当の編集者となる。やがて漫画のストーリーや構成を作る作業に興味を覚え、29歳で退社しフリーの漫画原作者となる。 70年代の劇画シーンを漫画原作者として支え、赤塚不二夫から池上遼一、ふくしま政美、川崎三枝子、政岡としや、かわぐちかいじまで幅広い漫画家と組んで作品を発表した。2003年1月に癌の為に死去。
針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日… 針 すなお(はり すなお、1933年3月15日 - )は、日本の漫画家、イラストレーター、武道家。本名は高閑者 順(たかがわ すなお)。 政治家や芸能人、スポーツ選手など著名人の似顔絵で知られているほか、武道家として、武術「体の杖(たいのじょう)」を創始した。 佐賀県佐賀市出身。生家は旧佐賀藩の菩提寺・高伝寺(針自身も住職を務めた)。五男。 子供の頃から絵を描くのを好み、実家の寺に届けられた布施の包み紙を住職の父親から貰い絵を描いていた(戦時中で、紙が貴重品であったため)。寺の廊下で住職や兄の似顔絵を、小学校のクラスで友達や教師の似顔絵を描いて人気を得た。中学、高校になると漫画を描くようになった。
巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 201… 巴 里夫(ともえ さとお、1932年11月22日 - 2016年7月1日)は、日本の漫画家。本名:磯島 重二(いそじま しげじ)。大分県中津市出身。血液型はO型。 関西大学経済学部在学中の1952年にカバヤキャラメルの景品のオマケ漫画を描く漫画家の募集に応募し作品を描いて収入を得る。 1954年、日の丸文庫『母を呼ぶ歌』で貸本漫画家としてデビュー。1956年に上京し、若木書房の社長の勧めで巴里夫に改名。以後、若木書房より貸本少女漫画を多数発表する。 1965年に初の作品『さよなら三角』(『りぼん』)で雑誌デビュー。以後は『りぼん』などで学園系作品の少女漫画を発表する。1978年頃より集英社の編集者として新人漫画家の育成に携わるようになる。
泉 昭二(いずみ しょうじ、1932年4月25日 - 202… 泉 昭二(いずみ しょうじ、1932年4月25日 - 2023年10月29日)は、日本の漫画家。男性。東京府東京市荒川区(現:東京都荒川区)生まれ。法政大学卒業、東京デザインカレッジ漫画科修了。 中学生のとき、大人の雑誌に投稿した作品が掲載され、出版社に原稿料を受け取りに行って驚かれた。この頃に漫画家を志望するが、8人きょうだいの末っ子という経済的な理由もあり家族には切り出せずにいた。33歳のとき、サラリーマン生活をやめ、東京デザインカレッジに一期生として学ぶ。その後、朝日新聞のPR版に挿絵を描いていたところ、子供向けの新聞漫画の執筆に誘われたのが転機となった。当初は1ヵ月程度の連載のつもりだったという。
辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本の… 辻 真先(つじ まさき、1932年3月23日 -)は、日本のアニメ・特撮脚本家、推理作家、漫画原作者、旅行評論家、エッセイスト、デジタルハリウッド大学名誉教授。 父は自由民主党の衆議院議員・中日電機工業会長の辻寛一。「実家はおでん屋」と語ることもあるが、これは父寛一が栄で「辻かん」というおでん屋を営んでいたからである。愛知県第一中学校、愛知県立明和高等学校、名古屋大学文学部卒業。 1954年、NHKに入局。制作進行、演出、プロデューサーなどを務めた。NHK在局中も脚本の執筆を行っていたが、1962年に退局し、脚本家としてアニメ・特撮などを中心に多くの脚本を担当。 小説家としては旧『宝石』の新人賞候補作が商業誌デビュー作という経歴を持つ。
白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は… 白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日… 滝田 ゆう(たきた ゆう、1931年(昭和6年)12月26日 - 1990年(平成2年)8月25日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名・瀧田祐作。 東京市下谷区坂本町(現東京都台東区下谷)の指物職人の家に生まれる。出生の翌日に実母が亡くなり、家庭の事情で叔父の家に養子に行き、東京市向島区寺島町(現東京都墨田区東向島)の旧私娼街玉の井で、義理の両親と義兄1人義姉2人の6人家族で育つ。物心付いたころから養子先はスタンドバーを営んでいた。落語家の3代目三遊亭圓歌は寺島第二國民学校の2歳年上だが同学年の幼馴染。東京都立墨田川高等学校卒業後、國學院大學文学部に進むがほとんど通わず中退する。 1949年(昭和24年)〜1950年(昭和25年)頃、漫画家・田河水泡の内弟子となる。
柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 -… 柳原 良平(やなぎはら りょうへい、1931年8月17日 - 2015年8月17日)は、日本のイラストレーター、漫画家、アニメーション作家、エッセイスト。東京都出身。神奈川県横浜市中区在住。「アンクルトリス」の産みの親として、また無類の船好きとしても知られる。過去には「帆船日本丸記念財団」の理事も務めていた。西村捨三のひ孫。
寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(… 寺田 ヒロオ(てらだ ヒロオ、本名:寺田 博雄、1931年(昭和6年)8月4日 - 1992年(平成4年)9月24日)は、日本の漫画家。新潟県西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)生まれ、同県新発田市育ち。男性。新漫画党総裁。愛称は「テラ(寺)さん」。 伝説的な「トキワ荘」でのリーダー格で、特に藤子不二雄Ⓐの自伝的漫画『まんが道』で、頼もしくて理想的な先輩として描かれた。妻は作曲家・中村八大の実妹。 父親は軍人で、5人兄弟の3男だった。新潟県立新発田高等学校時代に野球部に所属する。同時期に少年漫画雑誌『漫画少年』と出会い、漫画投稿を始める。卒業後は知人の紹介で地元警察の事務職へ就職するが、電電公社(現:NTT)の電報電話局に転職。
クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 -… クロイワ・カズあるいはクロイワカズ(1931年7月21日 - )は、日本の漫画家。東京都出身。早稲田大学英文科卒業。血液型O型。もとコピーライター。本名、黒岩一雄。漫画集団、日本漫画家協会、横浜ペンクラブ、ジャパンチ各会員。 ひとコマ漫画(カートゥーン)作家。理知的でスマートな作風。意識的に説明を排したストイックさが最大の特徴。 ひとコマ漫画家集団“JAPUNCH”の一員としての一連の著作 "JAPUNCH"の一員として この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
川本 コオ(かわもと こお、本名:川本弘昭、1931年2月2… 川本 コオ(かわもと こお、本名:川本弘昭、1931年2月25日 - )は、日本の漫画家。広島県出身。
久米 穣(くめ みのる、1931年 - 2006年1月)は、… 久米 穣(くめ みのる、1931年 - 2006年1月)は、日本の児童文学者、翻訳家、漫画原作者、脚本家。 久米元一の子として神奈川県鎌倉市に生まれる。文化学院文科卒業。主として児童文学の創作、再話を行い、シャーロック・ホームズシリーズや「怪盗ルパン」シリーズの少年向け翻訳も手がけた。漫画原作も多い。2001年日本児童文芸家協会特別賞を受賞。 久米みのる名義での執筆も存在する。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
福元 一義(ふくもと かずよし、1930年11月5日 - 2… 福元 一義(ふくもと かずよし、1930年11月5日 - 2016年9月)は、日本の漫画家、漫画編集者、漫画アシスタント。元手塚プロダクション所属。別名:福本一義、福本かずよし、伊奈たかし。 手塚治虫のチーフアシスタントを20年以上務める。手塚24歳頃の担当編集でもあり当時から作画を手伝っていた。 鹿児島県に生まれる。鹿児島県立鹿屋高等学校卒業後[要出典]、グラフィックデザイナーを目指して1949年に日本大学芸術学部に進学。1952年、下宿先で知り合った絵本作家にイラストを認められ少年画報社を紹介され、大学を中退して同社に入社する。少年画報の編集者として、手塚治虫、福井英一、高野よしてる、武内つなよし、河島光広を担当する。
横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29… 横山 まさみち(よこやま まさみち、男性、1930年4月29日 - 2003年10月14日)は、日本の漫画家。代表作は『やる気まんまん』。 愛知県名古屋市出身。本名:横山正雄。愛知県立明和高等学校卒。 1950年、明治大学在学中に『ウサギのかごや』でデビューし主に貸し本漫画を多数執筆。1960年代頃からは横山プロダクションを立ち上げ、自身やアシスタントの作品を発表すると同時に、活動の場を少年週刊誌や月刊誌、少女雑誌に広げて活躍した。 1970年代に入って貸本が廃れてくると活動の場を少年誌から成年誌に変えて執筆するようになった。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。
佃 公彦(つくだ きみひこ、1930年1月1日 - 2010… 佃 公彦(つくだ きみひこ、1930年1月1日 - 2010年6月28日)は、日本の漫画家。 東京(当時東京府)出身であるが、旧制東京府立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)2年生の時に父親の出身地である徳島県に疎開した。旧制麻植中学校(現・徳島県立川島高等学校)に転校。卒業後、海軍兵学校予科(78期)に進むが、終戦により閉校(休校)。 東京に戻り、東京府立第二十一中学校を卒業するが、1946年に父が亡くなったことから徳島に向い、伯父が経営する造り酒屋を手伝いながら漫画のカットを徳島新聞に投稿する生活を送った後、1950年頃に東京に再度戻る。 1955年、文春漫画読本に掲載された「ほのぼの君日記」で漫画家デビュー。
木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 199… 木村 光久(きむら みつひさ、1930年 京都市 - 1996年9月10日 京都市)は、日本の漫画家。のちに剪紙作家となり木村 祥刀(きむら しょうとう)を名乗る。本名:木村 祥一(きむら しょういち)、漫画家としてのペンネームはほかに木村 ただし(きむら ただし)、京 さゆり(きょう さゆり)などがあり、近年再評価の気運にある劇画作家木村 仁(きむら じん)と同一人物である。 以下に筆名を整理する。 1930年(昭和5年)、京都市東山区五条坂に生まれる。祖父は陶芸家6代目木村清山(木村仙之助)、父は同7代目木村清山であり歌人の木村二瓶子、母は華道家であり茶道家の木村宗良、同志社大学教授の稲本健二は従弟、映画プロデューサーでエッセイストの木村立哉は甥である。
花村 えい子(はなむら えいこ、1929年11月9日 - 2… 花村 えい子(はなむら えいこ、1929年11月9日 - 2020年12月3日)は、日本の漫画家・アーティスト。社団法人日本漫画家協会理事、東京工芸大学芸術学部客員教授、フランス国民美術協会(ソシエテ・ナショナル・デ・ボザール)の会員。レディースコミックの先駆者で、ミステリのコミカライズも多く手がける。埼玉県川越市出身。 埼玉県川越市で「相模屋庄兵衛」の名で代々続く商家に生まれる。父は花村の祖母が営む相模屋への婿だったが、花村が生まれた後、離婚。母は不在がちで、祖母に育てられた印象が強いと花村は回想している。川越高等女学校に通い、終戦を迎える。その間際に祖母を亡くす。中原淳一に憧れ、女子美術大学へ入学、中退。
サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、19… サトウ サンペイ(本名:佐藤 幸一〔さとう ゆきかず〕、1929年9月11日 - 2021年7月31日)は、日本の漫画家。 「平凡なサラリーマンの生活」を描き、「サラリーマン漫画」の創始者と評されるほか、紀行文やエッセイの執筆もおこなった。 愛知県名古屋市生まれ。生家は時計製造販売会社「佐藤時計製作所(サトウクロック)」を営んでおり、サトウの父が大阪で新工場と事務所を手掛けることになったため、2歳から大阪府大阪市天王寺区で育つ。 幼少期は『タンクタンクロー』や『のらくろ』などの児童漫画に親しんだほか、自身でも絵を得意とし、大阪府の図画コンクールで入選したこともあったという。旧制生野中学校入学後は、学徒動員で陸軍造兵廠に徴用され、旋盤工として高射砲用の弾丸製作に従事した。
梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5… 梵天 太郎(初代 梵天)(ぼんてん たろう、1929年1月5日 - 2008年6月30日)は、日本の刺青師、画家、劇画家、デザイナー、漫画家。 凡天 太郎と表記する場合もある。少女漫画を描く時は石井 きよみ(いしい きよみ、まれに清美とも表記)のペンネームを使用。刺青師としては彫清(ほりきよ)を名乗った時期もある。本名は田中 清美(たなか きよみ)。 「刺青=極道者」というマイナスイメージを払拭し、絵で肌を飾るという「最も原始的なファッション」としての刺青を世に認知させるために尽力した。刺青のファッション性を向上させるために、刺青を「肌絵」「スキン・イラストレーション」と呼び、刑罰としての「入れ墨」と、装飾としての「刺青・文身」の歴史的区別を説いた。
一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画… 一ノ木 アヤ(いちのき あや、1929年 - )は日本の漫画原作者。女性。 東京女子大学卒。1970年前後の少女漫画の革新期に原作を提供した。「花結勝男節塩梅(はなむすびおかかのあんばい)」が第1回菊池寛ドラマ賞(1991年度)佳作受賞。 この項目は、漫画家・漫画原作者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:漫画/PJ漫画家)。
佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月… 佐藤 六朗(さとう ろくろう、1929年 - 2025年1月5日)は、福島県郡山市出身の日本の漫画家。本名は佐藤 六郎。 福島県立安積高等学校を卒業し上京、1950年、芝浦工業専門学校(現、芝浦工業大学)卒業。 薬品会社に就職するが会社が倒産。郡山市にもどり実家のうなぎ屋の手伝いをしながら、福島民友、福島民報のマンガ欄や『アサヒグラフ』の漫画学校などに投稿する。 1955年10月に再び上京。加藤芳郎の世話で「漫画集団」に参加する。1959年、文藝春秋社の『漫画読本』に掲載した「動物記」で文藝春秋漫画賞の候補となる。同年、『漫画サンデー』にて「ゆるふん太平記」を連載する。以後、雑誌、新聞の連載漫画や挿絵や一コマ漫画で多数活躍する。
亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月1… 亀井 三恵子(かめい みえこ、1929年 -2026年1月12日 )は、日本の漫画家。長谷川町子と共に「女性漫画家の草分け」と称される。本名、藤岡 三惠子(ふじおか みえこ)。 しんぶん赤旗において、8コマ漫画『台所剣法』を1970年から2015年まで連載した。『台所剣法』は料理・グルメ漫画の「祖」として挙げられることもある。 岡山県津山高等女学校(現・岡山県立津山中学校・高等学校)を卒業後、山陽新聞社から4コマ漫画の掲載依頼を受け、小学生新聞や中学生新聞へ漫画掲載を始める。主婦の友社の嘱託となり、漫画の連載やイラスト・ルポを担当する。 その後、フリーとなり集英社の「おもしろ漫画文庫」や小学館から単行本を刊行する。