黄 斗淵(ファン・ドゥヨン、朝鮮語: 황두연/黃斗淵、190… 黄 斗淵(ファン・ドゥヨン、朝鮮語: 황두연/黃斗淵、1905年2月15日 - 1984年5月24日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の独立運動家、教育者、牧師、政治家。順天邑副邑長、制憲韓国国会議員を歴任した。 本貫は昌原黄氏。同じく1948年の初代総選挙に出馬した牧師・過渡立法議員の黄保翼は兄で、元国会議員・全羅南道知事の黄聖秀は甥である。キリスト教徒。日本名は黄原斗淵。 順天郡出身。全羅南道麗水郡南面金鰲島(朝鮮語版)出身の昌原黄氏の5兄弟の1人である。全州新興中学校を経て、日本大学専門部法科3年中退または卒業、日本聖経学校卒。中央神学校での研究を経て、高興永泉学校教員・校長、順天美信会病院・安力山病院庶務課長を務めた。
赤岩 栄(あかいわ さかえ、1903年4月6日 - 1966… 赤岩 栄(あかいわ さかえ、1903年4月6日 - 1966年11月28日)は、日本基督教団の牧師。牧師をしながら共産党入党宣言をしたことが教団内の大きな問題になった。椎名麟三に洗礼を授けた牧師としても知られる。 愛媛県喜多郡肱川村の牧師の家に生まれた。広陵中学中退後、神戸神学校に入学する。その後、大阪神学院に転校したが、キリスト教に懐疑を抱き中退する。 さらに、東京神学社で学び校長高倉徳太郎の神学に傾倒し、回心を経験する。卒業後、日本基督教会佐渡伝道所に赴任する。 高倉の要請で『福音と現代』の編集のために上京する。1931年(昭和6年)中原伝道所を開き、翌1932年に上原教会(現:日本基督教団代々木上原教会)を設立する。
小塩 力(おしお つとむ、1903年3月16日 - 1958… 小塩 力(おしお つとむ、1903年3月16日 - 1958年6月12日)は、日本の牧師。 小塩節と久米あつみの父。 群馬県に留岡幸助の同労者の小塩高恒(福岡県生葉郡姫治村出身、1872年 - 1943年)の息子として生まれる。東京府立第四中学(東京都立戸山高等学校)、松本高等学校理科甲類を経て、東京帝国大学農学部を卒業後、1926年東京神学社に入学し、植村正久より薫陶を受ける。また、信濃町教会で高倉徳太郎に師事し、高倉の元で伝道師を務める。後に、高倉牧師の伝記を書いた。 神学校卒業後、松江教会、佐世保教会の牧師を務めた。佐世保にいるときに1931年長男の小塩節が生まれた。戦争中はスパイの嫌疑をかけられた。
林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1… 林 基奉(イム・ギボン、朝鮮語: 임기봉、1903年 - 1982年9月26日または9月27日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国の牧師、労働運動家、政治家。第2代韓国国会議員。 全南木浦出身。平壌神学校、同志社大学本科卒。キリスト教の牧師として15年ほど活動し、大韓労働総連盟木浦海上連盟委員長・初代中央本部副委員長、初代鉄道労組委員長を務めた。国会議員在任中は主に勤労基準法および船員法案などの分野で活躍した。 1982年9月26日、ソウル市恩平区亀山洞の自宅で持病または老衰のため死去。享年77。
竹入 高(たけいり たかし、1902年12月9日 - 194… 竹入 高(たけいり たかし、1902年12月9日 - 1943年11月21日)は東洋宣教会日本ホーリネス教会の牧師であり、ホーリネス弾圧事件が原因で殉教した人物である。 1902年(明治35年)に岡山県赤磐郡熊山に生まれる。1924年(大正13年)に奈良駅の駅員として勤務していた時に、日本ホーリネス教会の監督中田重治の長女、中田ムツの路傍伝道により求道を始める。1926年(大正15年)に聖書学院に入学する。 1928年(昭和3年)に聖書学院を卒業し、富山、豊橋、尾張一ノ宮、京都の牧師を歴任する。 1942年6月のホーリネス弾圧事件で京都西陣署に拘引される。10月に京都拘置所に移送される。1943年9月に病気のために保釈になる。
岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日… 岩井 文男(いわい ふみお、1902年〈明治35年〉8月9日 - 1983年〈昭和58年〉8月12日)は、日本基督教団牧師、教育者。 群馬県北甘楽郡高瀬村(現・富岡市高瀬)に生まれる。1918年(大正7年)16歳で、日本組合甘楽(基督)教会にて岡部太郎牧師より受洗。旧制富岡中学校(現・群馬県立富岡高等学校)を経て、同志社大学法学部を卒業。三井銀行に入行したが2年で退職。大学の恩師で法学部教授・中島重に共鳴、日本労働者ミッション派遣員として京都府綴喜郡下草内村で伝道、のち、賀川豊彦の支援により岐阜県加茂郡富田村で農民福音運動やセツルメント活動に従事、兼松沢一らを指導した。 1934年(昭和9年)-1937年(昭和12年)、同志社大学文学部神学科に学んだ後、日本組合渋谷基督教会、日本組合永福町基督教会牧師を歴任。
湯浅 与三(ゆあさ よぞう、1902年(明治35年)5月16… 湯浅 与三(ゆあさ よぞう、1902年(明治35年)5月16日 - 1977年(昭和52年)12月17日)は、日本の牧師である。 湯浅治郎と湯浅初子の第13子として京都府に生まれる。1910年(明治43年)に東京府に移り、日本組合基督教会霊南坂教会に通う。1919年(大正8年)11月16日、霊南坂教会牧師小崎弘道から洗礼を受ける。その後、青山学院(旧制)高等学部を卒業して米国へ留学し、オーバリン大学神学部を卒業、1931年(昭和6年)に帰国する。1940年(昭和15年)、按手礼を受け牧師になる。佐久、沼田の教会の牧師をした後、初台教会に移った。墓所は多磨霊園。
気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 … 気賀 重躬(けが しげみ、1901年(明治34年)8月8日 - 1958年(昭和33年)3月24日)は、日本のキリスト教神学者、牧師、青山学院大学学長。 1901年8月8日、静岡県引佐郡気賀町に、気賀定吉・すみ子の長男として生まれた。気賀小学校、静岡県立浜松第一中学校で学んだ。1916年1月7日に日本基督教団浜松教会にて鵜飼捨吉牧師より洗礼を受け、1919年4月、青山学院神学部に入学。1923年5月、第1回全国学生英語演説大会に青山学院代表として出場し、第1位となった。 1924年3月に青山学院を卒業し、同年4月から本郷中央教会の副牧師となる。1925年4月から日本メソヂスト小樽教会の牧師、1927年4月から日本メソヂスト浅草教会の牧師、1928年4月から日本メソヂスト銀座教会の副牧師を務めた後、同年同月より青山学院神学部の講師となった。
大村 勇(おおむら いさむ、1901年 - 1991年)は日… 大村 勇(おおむら いさむ、1901年 - 1991年)は日本の牧師、日本基督教団第6代総会議長。日本キリスト教協議会の議長も務めた、エキュメニカル派の牧師。日本基督教団阿佐ヶ谷教会の牧師を務める。
大江 捨一(おおえ すていち、1901年 - 2001年9月… 大江 捨一(おおえ すていち、1901年 - 2001年9月26日)は、日本の牧師。中田重治の娘婿。ホーリネス教会と後に、アライアンス教会の発展のために貢献した指導者。父は大江邦治、息子は大江寛人。 1901年(明治34年)に当時、米子郵便局員だった大江邦治の息子として、鳥取県米子市に誕生する。1902年(明治35年) 父邦治が、日本伝道隊に入隊バークレー・バックストンに薫陶を受ける。捨一も父と共に九州各地で伝道を行う。1915年(大正4年)に日本ホーリネス教会鹿児島復活教会でキリスト教の洗礼を受ける。 ホーリネス教会で直接献身をするために聖書学院に入学する。卒業直前に1926年(昭和4年)日本ホーリネス教会中田重治監督の長女である中田陸奥と結婚する。
島村 亀鶴(しまむら きかく、1900年12月25日 - 1… 島村 亀鶴(しまむら きかく、1900年12月25日 - 1993年4月27日)は日本の牧師である。俳人でもあり哉哉(さいさい)と称した。 高知県安芸郡室戸村室津(現室戸市)で捕鯨業の家に生まれる。1930年に明治学院大学神学部を卒業し、前橋で開拓伝道をする。そして、10年間群馬教会牧師として仕える。 1939年富士見町教会の牧師に就任する。第3代目主任牧師三吉務の元で奉仕を続ける。1948年3月に三吉が主任牧師を辞任すると、1950年より富士見町教会第4代目主任牧師に就任する。1963年に日本基督伝道会の会長に就任する。1969年以降は俳誌『九十九里』の選者になる。 1979年に牧師を引退し、名誉牧師になる。
西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979… 西村 関一(にしむら せきかづ、1900年6月4日-1979年8月15日)は、日本の牧師、政治家。衆議院議員(3期)、参議院議員(2期)。アムネスティ・インターナショナル日本支部理事長。川北対合衆国事件の時には、減刑嘆願運動の中心的な人物として活動した。 新東京国際空港(現・成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1… 吉田 敬太郎(よしだ けいたろう、1899年5月8日 - 1988年7月28日)は、日本の実業家、政治家、牧師。第二次世界大戦の戦時下で衆議院議員を1期務めたが、政府批判をして投獄された。獄中で聖書に出会い、戦後キリスト教に入信、公職追放に指定されて牧師となった。追放解除後には若松市長となり、5市合併によって北九州市が成立した際には市長職務執行者を務めた。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 俠客出身の実業家で、衆議院議員も務めた吉田磯吉の養子として育ち、小倉中学校(後の福岡県立小倉高等学校の前身)、長崎高等商業学校に学んだ。 東京商科大学を卒業後、三菱鉱業勤務を経て、大倉高等商業学校(後の東京経済大学)講師となった。
福井 二郎(ふくい じろう、1899年 - 1983年)は日… 福井 二郎(ふくい じろう、1899年 - 1983年)は日本の牧師。宣教師、熱河省での伝道で知られる。 山口県出身、旧制山口中学校を卒業後に、上海の東亜同文書院に留学した。卒業後は馬関新聞に勤務して、1935年に中国伝道を決心する。満洲伝道会より派遣され、満洲国熱河省から、内モンゴルまで伝道した。 戦後に引き上げて、1948年に帰国した後、日本基督教団門司教会、喜界教会(鹿児島県)、池袋西教会の牧師をした。
田中 剛二(たなか ごうじ、1899年 - 1979年4月1… 田中 剛二(たなか ごうじ、1899年 - 1979年4月11日)は、日本の牧師。 日本キリスト改革派教会の牧師として、神戸改革派神学校で長年教鞭をとった神学校教師。新改訳聖書のヨハネの福音書を翻訳する。 現代の改革派の講解説教のスタイルを確立した説教者とされる。 日本基督教会伝道者田中日出海の次男として広島県に生まれる。小学生の時に父を失い。上京して早稲田中学に入学する。そのまま早稲田大学予科に進む。アナーキズムに触れ傾倒して、中退する。大阪で労働者になり、革命を目指す。満洲に渡り、革命下のロシアに入国しようとして失敗する。 1922年 神戸神学校に入学(第17期)。在学中に、正統主義的な改革派神学と信仰に目覚める。
都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)… 都田 恒太郎(みやこだ つねたろう、1897年(明治30年)10月15日 - 1983年(昭和58年)11月16日)は、日本の牧師、日本基督教団の指導者、キリスト教学者、日本基督教協議会総書記、日本聖書協会総主事、青山学院理事長。長年、毎年秋にバックストン記念聖会の指導を行っていた。 岳父は、ホーリネスの都田友次郎。 1897年(明治30年)、鳥取県境港市に生まれる。旧制佐倉中学校に入学して、1908年(明治41年)笹尾鉄三郎が佐倉に巡回伝道に来た時に、佐倉中学四年生だった都田は笹尾の説教を聞いて深い感銘を受けた。1914年に笹尾鉄三郎から洗礼を授けられた。旧制佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)を卒業する。
河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 19… 河辺 満甕(かわべ みつかめ、1897年7月29日 - 1970年5月9日)は日本の牧師、伝道者、教育者。 1897年(明治30年)兵庫県生まれ。河辺貞吉の長男として淡路島・福良に生まれる。関西学院文学部卒業した後、1920年(大正9年)にアメリカ合衆国に留学しグリーンビル・カレッジに留学し、その後ドルー神学校で学んだ後、イギリスに渡りエディンバラ大学、オックスフォード大学で学ぶ。その後、エルサレムのアメリカ東洋研究所員になり、W・F・オルブライトの指導を受ける。1925年(大正14年)帰国。林順と結婚し、関西学院文学部教授に就任する。のち予科長、高校校長、宗教総主事をつとめる一方、自由メソヂスト教会教職として牧会にも従事する。
斎藤 保太郎(さいとう やすたろう、1897年(明治30年)… 斎藤 保太郎(さいとう やすたろう、1897年(明治30年)7月20日 - 1943年(昭和18年)12月8日)は、日本ホーリネス教会、きよめ教会の牧師である。太平洋戦争中に、治安維持法違反で検挙され、服役中に殉教した。 山形県西置賜郡温海村湯温海(現・鶴岡市)に生まれた。鶴岡市の庄内中学(現・鶴岡南高等学校)に入学したが、中退し上京する。絵画の才能があったので、東京では肖像画を描いて生計を立てていた。 1915年(大正4年)単立教会の本郷浅嘉町教会の牧師小沢勝之助に導かれて洗礼を受ける。 1918年(大正7年)に東洋宣教会の聖書学院に入学する。1921年(大正10年)に卒業し、神田ホーリネス教会の副牧師になり、奥野まつと結婚する。
常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月… 常葉 隆興(ときわ たかおき、1897年 - 1977年9月20日)は、日本の牧師、神学者。日本キリスト改革派教会の創立者の一人。 山形県の新庄藩の士族の常葉作太郎とその妻常葉ノブの長男として生れる。父は上山小学校校長であった。1915年(大正4年)沖縄県立第一中学校を卒業。東京高等工業学校(現東京工業大学)に入学。 1918年(大正7年)に父が死去。叔父の常葉金太郎によってキリスト教信仰に導かれ、同年1918年、日本基督教会の指導者植村正久牧師より富士見町教会にて洗礼を受ける。 1920年(大正9年)、植村正久の創立した東京神学社に入学、1923年(大正12年)に卒業。同級生に熊野義孝。小野村林蔵牧師の司式で結婚する。
津川 主一(つがわ しゅいち、1896年11月16日 - 1… 津川 主一(つがわ しゅいち、1896年11月16日 - 1971年5月3日)は、日本基督教団の牧師、教会音楽家。 1896年に愛知県名古屋市に生まれる。旧制名古屋中学校(現:名古屋中学校・高等学校)、関西学院神学部を卒業して、東京麻布美普教会の牧師に就任する。 牧師を辞めて、合唱運動に後半生をささげた。自由学園、恵泉女学園、青山学院神学部、東京YMCAなどの講師をつとめていた。東京オラトリオ、横浜オラトリオ、仙台オラトリオ、東京シンフォニック・コーラス、東京バッハ・ヘンデル協会などを創設して、指揮者を務めた。また、全日本合唱連盟の常任理事(1956年~66年)・名誉会員(1970年)、東京都合唱連盟の理事長(1956~57年)を務めた。
由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年… 由木 康(ゆうき こう、1896年4月16日 - 1985年1月27日)は、日本の牧師、讃美歌作家。日本の讃美歌の発展の中心的な役割を果たし、賛美歌「きよしこの夜」の訳者として知られる。パスカルの研究家で「パンセ」を翻訳した。教育者・郷土史研究者足立正の次男。 鳥取県西伯郡上道村(現境港市)に足立正の次男として生まれ、生後間もなく由木虎松の養子になる。 養父虎松の宣教活動のために、鹿児島、神戸、対馬などに転居する。養父の影響を受けてクリスチャンになり、神戸二中時代に洗礼を受ける。洗礼を受けてすぐの中学3年の時、すでに最初の賛美歌を作った。1914年、死の危険に直面して献身を決意する。関西学院高等学部文科(関西学院大学文学部の前身)で聖書学と神学を専攻する。
谷口 茂寿(たにぐち しげとし、1895年9月25日 - 1… 谷口 茂寿(たにぐち しげとし、1895年9月25日 - 1973年6月25日)は、日本の牧師。 1895年、大阪で生まれる。組合派の大阪天満教会にて受洗を務めながら、1916年に京都帝国大学入学。在学中に内村鑑三主筆の「聖書の研究」に触れ、内村鑑三の教えを受けることを願って東京帝國大学へ転入して上京。1918年1月より内村鑑三の集会である今井館に出席を許される。1920年、転入した東京帝國大学を卒業。三菱造船株式会社(現三菱重工業株式会社)に入社、神戸造船所に赴任。その後三菱合資会社に転任するが、再び上京し本郷駒込追分町に住む。1923年、三菱合資会社退社。文書伝道者としての活動を開始する。本郷神の教会牧師に就任し、教会内に日本聖書学校を設立、校長に就任。
湯浅 十郎(ゆあさ じゅうろう、1895年(明治28年)1月… 湯浅 十郎(ゆあさ じゅうろう、1895年(明治28年)1月24日 - 1981年(昭和56年)6月26日)は、ブラジル・ホーリネス教団の牧師である。 湯浅治郎、湯浅初子の子供として生まれる。同志社中学に学び、1910年(明治43年)に原田助から洗礼を受ける。1913年に第三高等学校に入学する。また、東京神学社で学ぶ。 1915年(大正4年)、日本ホーリネス教会の田辻敏子の指導を受けて、同教会に転入する。1919年(大正8年)に辻静子と結婚する。純、敬が生まれる。 1929年(昭和4年)に中田重治監督と共に、ブラジル伝道に行き、先に派遣されていた物部赳夫に会う。湯浅は一家でブラジルに永住することになる。
田 栄沢(チョン・ヨンテク、1894年1月18日 - 196… 田 栄沢(チョン・ヨンテク、1894年1月18日 - 1968年1月16日)は朝鮮の小説家、牧師、写実主義作家。本貫は潭陽、号は秋湖。田の精神は人道主義であり、善人に対する救いの思想がその底辺にある。一貫して人間を中心にした作品を世に出したヒューマニズムの作家である。 1894年1月18日、平壌城内の社倉洞に生まれる。父は田錫泳で農業経営者、母は康順愛。8人兄妹の三男。5歳から漢文を修め、父が設立した保東学校を13歳で卒業。17歳で京城の官立医学校に入学するも、退学して渡日し、東京の青山学院中学部4年に編入学する。さらに同学院の大学文学部を卒業し、神学部に再入学。この頃、金東仁、朱耀翰、呉天錫らと同人雑誌『創造』を発刊する。
佐藤 邦之助(さとう くにのすけ、1894年 - 1981年… 佐藤 邦之助(さとう くにのすけ、1894年 - 1981年)は、日本の牧師。バークレー・バックストン、堀内文一らの薫陶を受け、長年日本イエス・キリスト教団を指導した。 ピューリタン - シュペーナー - 敬虔主義 - フレンド派 - ジョン・ウェスレー - D・L・ムーディー - ジョージ・ホウィットフィールド - ジョナサン・エドワーズ - チャールズ・フィニー - A・B・シンプソン バックストン - ウィルクス - 竹田俊造 - 堀内文一 - 笹尾鉄三郎 - 松野菊太郎 - 秋山由五郎 - 御牧碩太郎 - 柘植不知人 - 土肥修平 中田重治 - 中田かつ子 - 中田あやめ - チャールズ・カウマン - レテー・カウマン - アーネスト・キルボルン - 三谷種吉 - 山崎亭治 - 米田豊 - 車田秋次 - 小原十三司 - 小原鈴子 - 一宮政吉 - 菅野鋭 - 野辺地天馬 - 金森通倫 - 小出朋治 - 小出忍 - 森五郎 - 江賀寅三 - 小林和夫 - 尾花晃 - 村上宣道 - 松木祐三 - 千代崎秀雄 - 峯野龍弘 - 安倍豊造 - 辻啓蔵 - 辻宣道 - 蔦田二雄 - 蔦田公義 - 藤本栄造 - 藤本満 メリマン・ハリス - 本多庸一 - 赤澤元造 - 釘宮辰生 - 阿部義宗 - 結城無二三 - 都田恒太郎 - 渡辺善太 河辺貞吉 - 河辺満甕 - 野田秀 ウィリアム・ブース - 山室軍平 - 山室武甫 マーガリット・バーネット - 舟喜麟一 - 舟喜拓生 - 舟喜信 - 安藤喜市 - 羽鳥明 - 羽鳥純二 小島伊助 - 佐藤邦之助 - 沢村五郎 - 森山諭 - 中田羽後 - 本田弘慈 - 中島秀一 平出慶一 - 大江邦治 - 大江捨一 - 大江寛人 喜田川広 - 本間俊平 - 土山鉄次 - 木村清松 - 岩井清 - 松原和人 - 大槻武二 中央福音伝道館(1901-1908) - 東洋宣教会(1908- ) - 日本聖教団(1911) - 日本ホーリネス教会(1917-1936) - 日本宣教会(1923) - 日本聖教会(1936-1941) - きよめ教会(1936-1941) - イムマヌエル綜合伝道団(1945- ) - ウェスレアン・ホーリネス教団(1992- ) - 基督兄弟団(1946- ) - 基督聖協団(1958 - ) - 東洋宣教団きよめキリスト教会(1940- ) - ホーリネスの群(1946- ) - 日本福音教会連合(1971- ) - 日本福音教団(1952- ) - 日本ホーリネス教団(1949- ) - 日本聖泉基督教会連合(1969- )
武藤 健(むとう たけし、1893年11月28日 - 197… 武藤 健(むとう たけし、1893年11月28日 - 1974年12月18日)は日本の大正時代・昭和時代の牧師。日本基督教団第4代議長、日本キリスト教文化協会理事長、キリスト新聞社社長。 青森県八戸市番長のクリスチャンの眼科医武藤一明の三男に生まれる。八戸中学時代より神学者を目指し、八戸中学を首席で卒業し、青山学院で学ぶ。1918年(大正7年)に日本メソヂスト教会の教職になり、メソジスト城西教会の牧師、銀座教会の福音英語学校校長になる。1919年(大正8年)に結婚し、東京帝国大学文学部、アメリカ合衆国ノースウェスタン大学大学院、ベルリン大学で神学の勉強を続ける。 1924年(大正13年)に帰国して青山学院教授に就任する。
池田長十郎(いけだ ちょうじゅうろう、1891年(明治24年… 池田長十郎(いけだ ちょうじゅうろう、1891年(明治24年)10月11日 - 1943年(昭和18年)1月27日)は、ホーリネス教会の牧師、殉教者の1人である。 1891年(明治24年)に静岡県静岡市に生まれる、尋常小学校3年生頃中退して、奉公に出る。その後、静岡県庁の給仕をする。その時に日本基督教団静岡教会10代目牧師の村岡菊三郎に出会い世話になる。このことがきっかけになり1907年(明治40年)に洗礼を受ける。 1907年、献身し、牧師になる勉強をするために、聖書学院に入学する。1909年(明治42年)、19歳の時に、名古屋に任命され、東洋宣教会福音伝道館の教役者になる。 以後、淀橋教会、鳥取教会、秋田県小坂の福音伝道館を経て、北海道の北見と札幌を牧会し、宇都宮、秩父に移る。
清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 198… 清水 安三(しみず やすぞう、1891年6月1日 - 1988年1月17日)は、日本の教育者・牧師。北京に崇貞学園を設立・経営。戦後に妻郁子とともに桜美林学園を創立。桜美林学園第3代理事長。 1891年、滋賀県高島郡新儀村北畑(現在の高島市)に豪農の子として生まれたが、5歳で父を亡くす。1905年、滋賀県立第二中学校(08年膳所中学校と改称)に入学。英語講師で宣教師のウィリアム・メレル・ヴォーリズからキリスト教の感化を受け、1908年に受洗。1910年、同志社神学校に進学。同志社在学中、宣教師ホラース・ピットキン(en:Horace Tracy Pitkin)の殉教の話(義和団事件で死去)に感銘を受けた。
安倍 豊造(あべ とよぞう、1891年 - 1979年)は日… 安倍 豊造(あべ とよぞう、1891年 - 1979年)は日本ホーリネス教会の牧師、戦後は日本基督教団ホーリネスの群の牧師。 秋田県鹿角郡宮川村に生まれた。幼少の頃は、医師になることを目指した。秋田県小坂町の東洋宣教会の伝道館で大沢豊助によって入信した。 後に、柏木聖書学院に入学して、卒業後に日本ホーリネス教会の伝道者として、福島、青森、千葉、仙台、東京で働いた。1933年のホーリネス分裂事件の際には委員側に加わり、1936年の和協分離後は日本聖教会の牧師になった。 1937年6月に日本聖教会の東京都中野区の更生教会の牧師に就任した。1941年日本基督教団第6部の牧師になる。1942年6月ホーリネス弾圧事件の時には、2年間拘禁された。
植村 環(うえむら たまき、1890年8月24日 - 198… 植村 環(うえむら たまき、1890年8月24日 - 1982年5月26日)は、日本で2番目の女性の牧師で、婦人運動家である。戦後再建された日本キリスト教会の指導者でもある。 1890年(明治23年)、日本基督教会の指導者植村正久・季野夫妻の三女として、東京市麹町区で生まれる。クリスチャン実業家渡辺荘の長女渡辺貞子と1年近く早天祈祷を続け、1905年(明治38年)に富士見町教会で正久より洗礼を受けた。1910年に女子学院専門部を卒業し、1911年に医師になるために渡米した。途中で哲学に転向し、1915年(大正4年)6月にウェルズリー大学を卒業して帰国した。帰国後は津田英学塾、女子学院の教師をつとめた。
松尾 造酒蔵(まつお みきぞう、1890年3月1日 - 19… 松尾 造酒蔵(まつお みきぞう、1890年3月1日 - 1985年1月20日)は日本の牧師。長年神学校の教授を務め、神学教育に貢献した。日本基督改革派教会の牧師吉岡繁の実父であり、双恵学園(さいたま市)の創立者・松尾武の兄。共立女子神学校校長,フェリス女学院理事長,横須賀学院理事長などを歴任。 長崎県島原に生まれた。島原中学卒業後に上京し、叔父の松原英一の指導を受ける。 1908年(明治41年)東京にて、植村正久より洗礼を受ける。明治学院神学部、米国のオーバン神学校(英語版)、スコットランドのエディンバラのニュー・カレッジで学び、1921年(大正10年)7月に帰国して、横浜市に住んだ。 1922年(大正11年)8月日本基督教会鎌倉雪ノ下教会より招聘を受けて、9月より牧師になる。
堀内 友四郎(ほりうち ともしろう、1889年(明治22年)… 堀内 友四郎(ほりうち ともしろう、1889年(明治22年)10月13日 - 1980年(昭和55年)2月13日)は日本基督教会の牧師。 堀内織三郎・亀代夫妻の六人兄弟の末子として四国・松山市に生まれる。名古屋中学時代に友人原田盟輔に誘われ名古屋教会の礼拝に出席。その後、中学(旧制)4年生の時、1909年(明治42年)1月3日の新年礼拝において、名古屋教会にて吉川逸之助牧師から洗礼を受ける。1910年(明治43年)、第八高等学校入学。1913年(大正2年)に東京帝国大学工科大学機械工学科入学。本郷千駄木町にあった東京帝国大学基督教青年会の仮寄宿舎で、3年に亘る学生生活を送った。日曜日の礼拝は植村正久の牧していた富士見町教会。
木村 蓬伍(きむら ほういつ、1889年7月19日 - 19… 木村 蓬伍(きむら ほういつ、1889年7月19日 - 1964年4月22日)は、日本の牧師。学校法人関西学院理事長を歴任した。 1889年、山口県宇部市に生まれる。1908年、日本メソヂスト下関教会で高橋泰平牧師より受洗。関西学院神学部を卒業後、エモリー大学神学部、同大学院を修了。1926年、受按。呉、京城、大阪東部(現:東梅田教会)各教会の伝道・牧会に従事した後、大阪東部伝道局巡回教師となる。西宮教会(現:西宮公同教会)の牧師在任中、ランバス女学院神学部、聖和女子学院神学部、関西学院神学部の講師を務めた。1960年6月から1964年4月まで、関西学院理事長を務めた。
岩村 清四郎(いわむら せいしろう、1889年1月9日 - … 岩村 清四郎(いわむら せいしろう、1889年1月9日 - 1978年4月20日)は日本の牧師、教育者である。めぐみ教会(現大森めぐみ教会)を創設し、めぐみ幼稚園、めぐみ高等女学校を設立した。幼稚園、教会学校の働きを重視した宗教教育、「教育的伝道」に力を入れ、日本の日曜学校(教会学校)教育及びキリスト教幼児教育の草分け的存在となった。牧師、伝道者の木村清松は実兄。神学者で牧師の岩村信二は二男。 1889年(明治22年)に新潟県中蒲原郡五泉町(現五泉市)にて父木村定之十、母チウの9人兄弟の末弟として生まれる。家業は糀屋。五泉の小学校と高等小学校を卒業、兄木村清松の招きにより青山学院中学部2年に編入する。
鋤柄 熊太郎(すきがら くまたろう、1889年 - 1956… 鋤柄 熊太郎(すきがら くまたろう、1889年 - 1956年8月)は、日本の牧師。愛知県宝飯郡塩津村生まれ。 ピューリタン - シュペーナー - 敬虔主義 - フレンド派 - ジョン・ウェスレー - D・L・ムーディー - ジョージ・ホウィットフィールド - ジョナサン・エドワーズ - チャールズ・フィニー - A・B・シンプソン バックストン - ウィルクス - 竹田俊造 - 堀内文一 - 笹尾鉄三郎 - 松野菊太郎 - 秋山由五郎 - 御牧碩太郎 - 柘植不知人 - 土肥修平 中田重治 - 中田かつ子 - 中田あやめ - チャールズ・カウマン - レテー・カウマン - アーネスト・キルボルン - 三谷種吉 - 山崎亭治 - 米田豊 - 車田秋次 - 小原十三司 - 小原鈴子 - 一宮政吉 - 菅野鋭 - 野辺地天馬 - 金森通倫 - 小出朋治 - 小出忍 - 森五郎 - 江賀寅三 - 小林和夫 - 尾花晃 - 村上宣道 - 松木祐三 - 千代崎秀雄 - 峯野龍弘 - 安倍豊造 - 辻啓蔵 - 辻宣道 - 蔦田二雄 - 蔦田公義 - 藤本栄造 - 藤本満 メリマン・ハリス - 本多庸一 - 赤澤元造 - 釘宮辰生 - 阿部義宗 - 結城無二三 - 都田恒太郎 - 渡辺善太 河辺貞吉 - 河辺満甕 - 野田秀 ウィリアム・ブース - 山室軍平 - 山室武甫 マーガリット・バーネット - 舟喜麟一 - 舟喜拓生 - 舟喜信 - 安藤喜市 - 羽鳥明 - 羽鳥純二 小島伊助 - 佐藤邦之助 - 沢村五郎 - 森山諭 - 中田羽後 - 本田弘慈 - 中島秀一 平出慶一 - 大江邦治 - 大江捨一 - 大江寛人 喜田川広 - 本間俊平 - 土山鉄次 - 木村清松 - 岩井清 - 松原和人 - 大槻武二 中央福音伝道館(1901-1908) - 東洋宣教会(1908- ) - 日本聖教団(1911) - 日本ホーリネス教会(1917-1936) - 日本宣教会(1923) - 日本聖教会(1936-1941) - きよめ教会(1936-1941) - イムマヌエル綜合伝道団(1945- ) - ウェスレアン・ホーリネス教団(1992- ) - 基督兄弟団(1946- ) - 基督聖協団(1958 - ) - 東洋宣教団きよめキリスト教会(1940- ) - ホーリネスの群(1946- ) - 日本福音教会連合(1971- ) - 日本福音教団(1952- ) - 日本ホーリネス教団(1949- ) - 日本聖泉基督教会連合(1969- )
斎藤 源八(さいとう げんぱち、1888年12月26日 - … 斎藤 源八(さいとう げんぱち、1888年12月26日 - 1970年5月6日)は戦前の日本ホーリネス教会(戦後の日本ホーリネス教団)の牧師である。 1888年(明治21年)に長野県小県郡西内村(現上田市)に生まれる。1906年(明治39年)に日本聖公会上田教会に出席し、同教会で1907年(明治40年)に聖公会の洗礼を受ける。 1909年(明治42年)に上京し単立教会・本郷浅嘉町教会に出席する。そこで、初めて救いの確信を得る。その後、牧師になるため直接献身する。聖書学院に入学し、神学を学ぶ。 1916年(大正5年)に聖書学院を卒業し仙台福音伝道館の牧師に任命される。 その後、兵庫県武庫郡住吉村で開拓伝道をする。
野畑 新兵衛(のばた しんべえ、1888年12月5日 - 1… 野畑 新兵衛(のばた しんべえ、1888年12月5日 - 1990年3月14日)は日本の牧師、東京キリスト教短期大学(現、東京基督教大学)の発足のために尽力した。 B・F・バックストン・P・ウィルクス 米田豊・大江邦治・竹田俊造・三谷種吉・堀内文一・武本喜代蔵 笹尾鉄三郎・河辺貞吉・松野菊太郎・御牧碩太郎・秋山由五郎・土肥修平 沢村五郎・柘植不知人・舟喜麟一・佐藤邦之助・鋤柄熊太郎・野畑新兵衛 赤山講話・日本伝道隊・都田恒太郎・有馬聖会 横浜バンド(1872) · 熊本バンド(1876) · 札幌バンド(1876) 静岡バンド(1876) · 弘前バンド(1876) · 阪神バンド(1870) · 松江バンド(1891) ピューリタン - シュペーナー - 敬虔主義 - フレンド派 - ジョン・ウェスレー - D・L・ムーディー - ジョージ・ホウィットフィールド - ジョナサン・エドワーズ - チャールズ・フィニー - A・B・シンプソン バックストン - ウィルクス - 竹田俊造 - 堀内文一 - 笹尾鉄三郎 - 松野菊太郎 - 秋山由五郎 - 御牧碩太郎 - 柘植不知人 - 土肥修平 中田重治 - 中田かつ子 - 中田あやめ - チャールズ・カウマン - レテー・カウマン - アーネスト・キルボルン - 三谷種吉 - 山崎亭治 - 米田豊 - 車田秋次 - 小原十三司 - 小原鈴子 - 一宮政吉 - 菅野鋭 - 野辺地天馬 - 金森通倫 - 小出朋治 - 小出忍 - 森五郎 - 江賀寅三 - 小林和夫 - 尾花晃 - 村上宣道 - 松木祐三 - 千代崎秀雄 - 峯野龍弘 - 安倍豊造 - 辻啓蔵 - 辻宣道 - 蔦田二雄 - 蔦田公義 - 藤本栄造 - 藤本満 メリマン・ハリス - 本多庸一 - 赤澤元造 - 釘宮辰生 - 阿部義宗 - 結城無二三 - 都田恒太郎 - 渡辺善太
小崎 道雄(こざき みちお、1888年11月16日 - 19… 小崎 道雄(こざき みちお、1888年11月16日 - 1973年6月18日)は、日本基督教団牧師、神学者。エキュメニカル運動の指導者。
石松 量蔵(いしまつ りょうぞう、1888年9月28日 - … 石松 量蔵(いしまつ りょうぞう、1888年9月28日 - 1974年4月23日)は、日本の盲目の牧師。 ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾
松本 卓夫(まつもと たくお、1888年6月19日 - 19… 松本 卓夫(まつもと たくお、1888年6月19日 - 1986年11月28日)は日本の牧師、新約聖書学者である。 1888年(明治21年)岩手県盛岡市にメソジスト派の牧師松本総吾の三男として生まれる。 鎮西学院高等部卒業後、1912年に関西学院神学部を卒業する。1913年(大正2年)に渡米し、オハイオ・ウェスレアン大学、ドルー神学大学、ペンシルベニア大学院、ユニオン神学校大学院で学び、1919年に帰国する。 1919年(大正8年)より青山学院神学部の教授に就任する。東京女子大学、津田塾大学講師も兼任する。 1923年(大正12年)に日本メソヂスト教会の按手礼を受けて、牧師になる。 1941年(昭和16年)より広島女学院院長、広島女学院大学学長を兼任する。
小出 朋治(こいで ともはる、1888年3月9日 - 194… 小出 朋治(こいで ともはる、1888年3月9日 - 1945年9月10日)は、ホーリネス弾圧事件で堺刑務所で殉教した、ホーリネス系の日本聖教会参与、牧師である。元日本ホーリネス教会、アライアンスの牧師。 日本基督教団ホーリネスの群の重鎮であった小出忍の実父。 1888年(明治21年)に新潟県三条町に生まれる。小学校卒業後に上京する。昼間は商店員として働き、夜間は正則英語学校に通学する。1904年(明治37年)頃に中央福音伝道館で受洗する。 柏木聖書学院に学び、東洋宣教会(後の、日本ホーリネス教会)の牧師になる。 1907年(明治40年)に長岡市の福音伝道館に赴任する。赴任直後、11月24日より、新潟県を巡回した中田重治に同伴し、小出だけ新潟県にとどまり伝道をする。
佐藤 繁彦(さとう しげひこ、1887年9月24日 - 19… 佐藤 繁彦(さとう しげひこ、1887年9月24日 - 1935年4月16日)は、日本の牧師、神学校教師。日本におけるマルティン・ルターの研究の開拓者である。 1887年(明治20年)福島県会津若松市に生まれる。1907年(明治40年)に第一高等学校に入学する。 同年キリスト教に入信して、組合教会の指導者の海老名弾正から本郷教会で洗礼を受ける。1910年(明治43年)に東京帝国大学に入学するが、同年京都帝国大学に転校する。1913年(大正2年)、京都帝大卒業後、東京帝大大学院でルターの研究を始めた。大学院時代は、日本基督教会の神学校の東京神学社でも学び、富士見町教会で牧会する植村正久に師事した。
村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971… 村田 四郎(むらた しろう、1887年9月2日 - 1971年2月7日)は、日本の神学者、牧師、明治学院5代目院長。 村田沰冶の四男として山口県吉敷郡山口に生まれた。1911年6月明治学院神学部を卒業した。その後1912年9月に渡米してオーバン神学校(英語版)で学んだ。1916年に帰国し、大阪同志館神学校教授に就任した。1918年に母校の明治学院に来任し、翌年中学部長となる。しかし、1920年に起きた中学部同盟休校事件の責任をとり部長を辞任し、朝鮮の大邱教会牧師となった。 1925年に明治学院に戻り、神学部で基督教史を担当した。1930年の明治学院神学部廃止後日本神学校教授となり、1933年に同校校長となる。
沢村 五郎(さわむら ごろう、1887年6月9日 - 197… 沢村 五郎(さわむら ごろう、1887年6月9日 - 1977年6月5日)は日本の牧師、神学教育者。関西聖書神学校創設者。 1887年6月9日 熊本県飽託郡城山村(現在の熊本市西区)に生まれる。熊本中学校(現・熊本県立熊本高等学校)卒業後、正教会伝道学校で学び、同教会の伝道師になる。1916年9月、日本伝道隊聖書学校に入学。バークレー・バックストン、パゼット・ウィルクスに師事した。 1922年、渡英。エディンバラ聖書学校に学ぶ。 1924年、日本伝道隊の要請により神戸御影に聖書学舎(現在の関西聖書神学校)を設立、校長になる。 1941年日本基督教団の成立の際には第7部の牧師になり、第7部の参与(代表)に選出されたが、第二次世界大戦後に日本基督教団を離脱。
真鍋 頼一(まなべ よりいち、1887年5月7日 - 197… 真鍋 頼一(まなべ よりいち、1887年5月7日 - 1971年11月19日)は、日本基督教団の牧師である。 1887年に現在の愛媛県西条市に生まれる。1903年に洗礼を受ける。1913年に青山学院神学部を卒業し、日本メソジスト教会の牧師になる。日本メソジスト牛込教会牧師、日本メソジスト教会社会局長などを経て、1941年の日本基督教団の成立時に日本基督教団の第2部の牧師になる。そして阿部義宗の後をついで、1946年まで日本基督教団第2代議長になる。同年、日本基督教団池の上教会の牧師に就任する。空襲で会堂を失った日本基督教団牛込教会の会員が参集する。 牛込教会と池の上教会は真鍋の元で合同礼拝持ち、1948年3月に牛込教会と池の上教会が合併して日本基督教団美以教会が誕生、同年7月教団の指導により頌栄教会と改称され、真鍋が頌栄教会初代牧師になる。
金井 為一郎(かない ためいちろう、1887年3月10日 -… 金井 為一郎(かない ためいちろう、1887年3月10日 - 1963年5月22日)は、日本の牧師。 1887年、長野県南安曇郡上野村(現・松本市)に生まれる。旧制松本中学(長野県松本深志高等学校)を経て、第一高等学校に入学、一高時代に、新渡戸稲造校長の感化を受けて、求道して、山室軍平の説教に感動して、松本教会で洗礼を受けた。一高在学中に山で遭難する。それをきっかけに伝道者になる決意をして、東京神学社に入学。 東京神学社卒業後、一時、朝鮮仁川に開拓伝道に赴く、帰国して日本基督教会の伝道師として、高知教会、牧師になってからは山梨教会、市ヶ谷教会(現、日本基督教団池袋西教会)の牧師として活動する。 1917年(大正6年)の2月11日から15日日本基督教会主宰の山梨修養会では、中田重治と一緒に説教した。
阿部 義宗(あべ よしむね、1886年(明治19年)12月3… 阿部 義宗(あべ よしむね、1886年(明治19年)12月3日 - 1980年(昭和55年)3月1日)は、日本の牧師・教育者。青山学院第6代院長。 日本メソジスト教会の初代監督の本多庸一は伯父。 弘前市に生まれる。母親は本多庸一の妹で、中田重治の近所に住んでいた。阿部の母親は、暴れん坊だった6,7歳頃の中田少年によく水をかけられていた。1901年(明治34年)8月中田重治が聖書学校の修養生たちで大伝道団を編成して、弘前で伝道集会をした時に、中田の説教を聴いて入信を決意する。 1905年(明治38年)、青森県立第一中学校を卒業する。1912年、青山学院高等科、および青山学院神学部を卒業する。その後、アメリカとカナダに留学する。
三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 … 三浦 豕(みうら いのこ、1886年(明治19年)9月7日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、日本のルーテル教会の牧師である。 ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾
髙橋 直作([別表記:高橋直作]たかはし なおさく、1886… 髙橋 直作([別表記:高橋直作]たかはし なおさく、1886年(明治19年)7月25日 - 1976年(昭和51年)1月22日)は、救世軍士官、日本基督教団牧師、社会事業家、小説家。 現在の茨城県土浦市菅谷町に生まれる。父は山中文左衛門、母はこん。次男で出生名は山中直作。1900年、尋常小学校を経て、当時四年制の高等小学校を卒業。地元で漢学を学んだ後、1903年4月1日上京、上野の東京音楽学校 (旧制) 現在の東京藝術大学音楽学部教授吉丸一昌の設立した私塾「修養塾」に学ぶ。入塾間もない頃の写真が右の通り。 1905年8月新規営業の東京電気鉄道(「東京都電車」参照)に入社するも、翌1906年12月当時まだ千葉県佐倉にあった陸軍第1師団歩兵第2連隊に入営、1908年12月に除隊する。
川瀬 徳太郎(かわせ とくたろう、1886年(明治19年)2… 川瀬 徳太郎(かわせ とくたろう、1886年(明治19年)2月20日 - 1964年(昭和39年)1月22日)は、日本福音ルーテル八幡教会創始者・名誉牧師。廃娼運動家。前名は入江徳太郎。 ジェームス・シェーラー ラファス・ピーリー 山内量平・山内幹枝 山内直丸 川瀬徳太郎 三浦豕 石松量蔵 佐藤繁彦 鍋谷堯爾