水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 19… 水野 葉舟(みずの ようしゅう、1883年4月9日 - 1947年2月2日)は、日本の詩人、歌人、小説家、心霊現象研究者。本名は盈太郎(みちたろう)。別号蝶郎。 東京府生まれ。新詩社に入り、詩文集『あららぎ』、窪田空穂との合著歌集『明暗』で登場。『微温』、小品集『草と人』などで自然主義文学に独自の地位を占めた。のち、千葉県三里塚で半農生活に入った。建設大臣などを務めた水野清は次男。 東京下谷区仲御徒町生まれ。父は農商務省の官吏。父の転任で1891年(明治24年)から福岡で暮らし、1900年(明治33年)に東京に戻る。福岡県立豊津中学校(現・福岡県立育徳館中学校・高等学校)卒業。 中学時代から詩作を行っていたが、上京して与謝野鉄幹に師事し、水野蝶郎名義で新進詩人として知られる。
黒木 勘蔵(くろき かんぞう、1882年9月10日 - 19… 黒木 勘蔵(くろき かんぞう、1882年9月10日 - 1930年10月8日)は、大正から昭和初期にかけての日本近世文学研究者。とくに、浄瑠璃および元禄歌舞伎に関する研究に多くの業績がある。 長野県諏訪郡玉川村(茅野市)に生まれる。旧制諏訪実科中学(長野県諏訪清陵高等学校)、長野師範学校を経て、1908年早稲田大学文学部哲学科卒業。師である高野辰之の下で、東京音楽学校邦楽調査部で近世邦楽を研究、1923年早稲田大学文学部講師。1925年東京高等師範学校教授。浄瑠璃および元禄歌舞伎を研究。 1930年10月8日、東京帝国大学医科大学附属医院小石川分院に入院して盲腸の手術を受けた後、腹膜炎を起こして死去した。
宇井 伯寿(うい はくじゅ、1882年(明治15年)6月1日… 宇井 伯寿(うい はくじゅ、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗僧侶・インド哲学研究者・仏教学者。学位は、文学博士(東京帝国大学・1921年)。駒澤大学学長、帝国学士院会員、文化勲章受章。 1882年(明治15年)6月1日、愛知県宝飯郡御津町(現・豊川市)に宇井善五左衛門、うい夫妻の五男として生まれる。幼名は茂七。12歳で同郡の曹洞宗の東漸寺の活山卍寿のもとで出家し活翁と号し、伯寿と改名。高等小学校卒業後、小坂井の報恩寺内にあった曹洞宗小学林に入り、さらに合併により愛知中学林(現・愛知中学校・高等学校)に学んだが、ストライキにより1901年(明治34年)退校処分となった。
宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治1… 宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。
原口 竹次郎(はらぐち たけじろう、1882年(明治15年)… 原口 竹次郎(はらぐち たけじろう、1882年(明治15年)2月28日 - 1951年(昭和26年)2月16日)は、日本の東南アジア研究者。 佐賀県小城郡(現在の小城市)生まれ。1902年(明治35年)早稲田大学大学部文学科に入学。1905年の卒業時には総代として答辞を読んだ。1907年にアメリカに留学、同地で心理学者の新井鶴子と結婚した(1915年に死別)。帰国後は母校早大の教授となるも1917年(大正6年)に起きた早稲田騒動で天野為之学長派として活動したことが原因で早大から放逐された。その後は台湾やオランダ領東インドで活動、戦後はオランダ大使館顧問となった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
神津 猛(こうづ たけし、1882年 - 1946年6月21… 神津 猛(こうづ たけし、1882年 - 1946年6月21日)は、日本の実業家、考古学研究者。 長野県北佐久郡志賀村(現佐久市)生まれ。生家は信州で指折りの豪農であった神津家の「赤壁家」である。明治32年(1899年)慶應義塾幼稚舎を卒業して帰郷。祖父の包重が始めた報徳会(のち農業会)を中興して、農村指導や地方自治にあたる。明治40年(1907年)から村政に関与し、大正6年(1917年)志賀村長に就任、その他、北佐久郡会議員、上田の中信銀行頭取、佐久鉄道の重役を務めた。昭和5年(1930年)信濃銀行破綻に際しては私財を投じて支払いに当たった。 島崎藤村、田山花袋、高浜虚子らと交流があり、藤村の『破戒』の自費出版費用を提供し、その後も支援を続けた。
小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3… 小島 祐馬(おじま すけま、1881年〈明治14年〉12月3日 - 1966年〈昭和41年〉11月18日)は、東洋史学者・東洋思想史研究者(中国社会思想史)。京都帝国大学名誉教授。号は「抱甕」(ほうおう)。財団法人板垣会顧問。 1881年、高知県吾川郡弘岡上ノ村(現・高知市)で生まれた。弘岡上ノ村の小学校を卒業して高知県立第一中学校に進学し、漢文の授業では『日本外史』『十八史略』『孟子』などを学び、荻生徂徠の立場から孟子を非難する教師に反論して孟子を弁護したりしたという。また、後年の小島は、これまで読んできたなかで最も有益で興味深い中国の書物として、中学時代から読んできた『孟子』『荘子』『史記』を挙げると述べている。
井上 紅梅(いのうえ こうばい、1881年(明治14年) -… 井上 紅梅(いのうえ こうばい、1881年(明治14年) - 1949年(昭和24年)?)は、大正・昭和戦前期の中国文学・中国文化研究者。当時の言葉で「シナ通 (支那通)」と呼ばれる在野の中国愛好家であり、中国風俗や中国事情を紹介する多くの著作を送り出した。同時代の新文学の紹介も旺盛に行い、魯迅のまとまった翻訳を初めて手がけたことで知られている。また、日本に麻雀を紹介した初期の人物の一人でもある。本名は井上 進(いのうえ すすむ)。 井上紅梅の生涯については不明な点が多く、生没年すら確定されない状況が長く続いた。中国史学者の三石善吉は、1970年代に「シナ通」研究の一環として紅梅についての調査を行ったが、「その生涯については謎ばかり」、「謎の人物」と評した。
藤原 喜一(ふじわら きいち、1880年〈明治13年〉12月… 藤原 喜一(ふじわら きいち、1880年〈明治13年〉12月17日 - 1990年〈平成2年〉3月6日)は、編集者、東洋美術史・中国書道史研究者。号は楚水(そすい)。書や漢詩に関する著書多数。男性長寿日本一だった(109歳)。 大分県西国東郡呉崎村(現:豊後高田市)生まれ。呉崎小学校教師を経て、1901年、関西法律学校を卒業後、明治法律学校で法律・経済学を学び、1904年、実業之日本社に入社。編集長、理事を務める。1928年、退社後は三省堂出版部顧問に。 戦後は東洋美術史、中国書道史の著述をする傍ら、駒澤大学、東京学芸大学、横浜国立大学で東洋美術史、中国書道史を講義。1961年、論文『中国書道史』で博士号(文学、駒澤大学)を取得。
野村 伝四(のむら でんし、1880年(明治13年)10月2… 野村 伝四(のむら でんし、1880年(明治13年)10月20日 - 1948年(昭和23年)7月26日)は、日本の英文学者、方言学研究者、民俗学者、教育者。 1880年(明治13年)、鹿児島県肝属郡高山町(現・肝付町)で生まれた。父伝之助は漢学者で槍の名人、文武両道に秀でていたというが、伝四が五歳の時、西南戦争の被弾がもとで没した。1900年(明治33年)、鹿児島県中学造士館卒業、一級上に橋口五葉がいた。1903年(明治36年)7月に第一高等学校卒業し同年9月、東京帝国大学英文学科に入学、1906年(明治39年)7月卒業。同級に中川芳太郎、森田草平、栗原古城らがいた。3年先輩に皆川正禧と野間真綱がおり、野間の熊本五高時代の1年先輩に寺田寅彦がいた。
尾佐竹 猛(おさたけ たけき、1880年〈明治13年〉1月2… 尾佐竹 猛(おさたけ たけき、1880年〈明治13年〉1月20日 - 1946年〈昭和21年〉10月1日)は、日本の法学者(専門は法制史)、明治文化研究者。学位は法学博士。大審院判事。号は雨花子。 1880年1月20日、石川県金沢に旧加賀藩の儒者の子として生まれる。上京後、明治法律学校(現:明治大学法学部)に学び、1899年に卒業。同年、第1回判事検事登用試験に合格し、1924年、司法官試補。福井地方裁判所、東京控訴院・名古屋控訴院の判事を務める。1924年から1942年まで大審院判事。 判事の地位に留まらず、憲政史や刑罰史など法制史の研究を手がけた。研究姿勢は、史料を重視した実証主義、洒脱な着眼点、談話調で達意な文章を特徴とする。
好本 督(よしもと ただす、1878年(明治11年)1月23… 好本 督(よしもと ただす、1878年(明治11年)1月23日-1973年(昭和48年)4月14日)は、日本の教育者、研究者、キリスト教思想家、宗教家である。 視覚障害当事者として、イギリスの制度を日本に輸入し視覚障害者の権利向上のため尽くした。日本盲人の父と称される。 大阪市東区瓦町に生まれる。幼少期から網膜色素変性症のため弱視であった。 大阪府立第一中学校を卒業。 1898年前後(明治31年) 内村鑑三の聖書研究会に参加し、キリスト教徒となる 1900年(明治33年)東京高等商業学校を卒業。 1901年(明治34年)オックスフォード大学ジーザス校に留学。 1902年(明治35年)日本に帰国後、『真英国』を著す。
野々村 戒三(ののむら かいぞう、1877年(明治10年)9… 野々村 戒三(ののむら かいぞう、1877年(明治10年)9月7日 - 1973年(昭和48年)11月21日)は、日本の歴史学者、能楽研究者。号は「蘆舟」、「芥叟」。クリスチャンであった。 1877年、大分県生まれ。父・野々村卓二は塩谷宕陰の門人で、母は三浦梅園の玄孫に当たる。1896年、立教学校(現・立教大学)卒業。その後、東京帝国大学文学部史学科に進み、西洋中世史を専攻した。1901年(明治34年)に東京帝国大学を卒業。 卒業後は立教中学校の教員として勤務。中学校長の元田作之進の依頼で自宅を謡の稽古場として貸すこととなり、能との関わりを持つこととなる。その稽古場で教えていた師匠は池内信嘉であった。
角田 柳作(つのだ りゅうさく、1877年〈明治10年〉1月… 角田 柳作(つのだ りゅうさく、1877年〈明治10年〉1月28日 - 1964年〈昭和39年〉11月29日)は、群馬県出身の日本文化の研究者・教育者。コロンビア大学に日本文化研究所を設立し、日本研究コレクションのキュレーターを務めた。日本文学研究者ドナルド・キーンの師として知られる。 1877年(明治10年)1月28日、群馬県勢多郡津久田村(現・群馬県渋川市赤城町津久田)の農家に、父庄作、母ぎんの次男として生まれた。5歳の時父をコレラで失い、祖父の金造と母ぎんに育てられた。1890年4月、群馬県尋常中学校(現・群馬県立前橋高等学校)に入学したが、1893年10月に退学。 上京して東京専門学校(現・早稲田大学)文学科に入学し、坪内逍遙、アーサー・ロイドの教えを受けた。
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12… 野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・傳兵衛、母・久己(くわ)の四男として生まれた。10歳で英語を学び始める。 1888年(明治21年)生家を離れ名古屋で英学を学び、ユニオン第四読本、スマイルズ著『自助論』を学ぶ。1889年(明治22年)愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に入学し、ザ・セカンド・ナショナル読本を学ぶも、1890年(明治23年)2月退学し、四日市から海路で上京、伯父である鵜飼大俊和尚旧居である芝・増上寺の通元院に寄寓し、のち現在の銀座に当たる京橋にあった長兄野口秀之助の知人である磯長宅に寄寓。
真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治… 真境名 安興(まじきな あんこう、1875年5月20日〈同治14年4月15日〉 - 1933年〈昭和8年〉12月28日)は、ジャーナリスト、歴史学者、沖縄学の研究者。伊波普猷、東恩納寛惇とともに、戦前の沖縄学における「御三家」と呼ばれる。著書に「沖縄一千年史」、「琉歌大観」など。 五大姓の一つ、毛氏池城殿内(元祖・新城親方安基)の支流・毛氏真境名家(系祖・玉城里之子親雲上安暉)の分家13世。父・真境名安布、母・毛氏真牛の次男として首里桃原村(現・桃原町)に生まれる。唐名は毛居易、童名は樽金(タルガネ)。長兄・安宏が真境名本家の養子となったため、安興が父・安布の家督を継いだ。 首里小学校を経て、沖縄県師範学校附属小学校に学び、1891年(明治24年)に沖縄県尋常中学校(のちの県立一中、現・沖縄県立首里高等学校)へ進学した。
八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 19… 八波 則吉(やつなみ のりきち、1875年3月1日 - 1953年12月7日)は、日本の日本文学研究者、国語教育学者、作詞家。旧制第四高等学校教授、旧制第五高等学校名誉教授。
石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日… 石井 常造(いしい つねぞう、1875年(明治8年)1月2日 - 没年不詳)は、日本の陸軍軍人、生気研究者。基隆要塞司令官を務めた陸軍少将で、また生気自強療法を唱え生気の医療への応用を図った。従四位勳三等功四級。
西川 籐吉(にしかわ とうきち、1874年(明治7年)3月1… 西川 籐吉(にしかわ とうきち、1874年(明治7年)3月17日 - 1909年(明治42年)6月22日)は、日本の真円真珠養殖の研究者、真円真珠発明者。大阪府桃谷出身。 見瀬辰平とともに真円真珠を発明した研究者として知られている。西川式・ピース式と呼ばれ、現在の真珠養殖の技術の基礎となっている。東京帝国大学で水産動物学を専攻し1897年(明治30年)に卒業した後、農商務省水産局技師として、箕作佳吉・飯島魁両博士の指導の下、真円真珠養殖およびアワビの人工授精の研究に従事した。御木本研究所で本格的な真珠の研究にはいり、真円真珠形成の原理を解明した。 1903年(明治36年)、御木本幸吉の次女を嫁に貰う。
山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31… 山縣 初男(やまがた はつお、1873年〈明治6年〉8月31日 - 1971年〈昭和46年〉1月11日)は、日本陸軍の軍人・著述家・中国文学研究者・翻訳家。別号は三志園、海城。最終階級は陸軍大佐。陸軍の中国通(支那通)の一人として知られ、繆斌工作に関与していた。娘婿は自由民主党の政治家である三原朝雄。新潟県村上本町表新町(現・村上市)に生まれる。 旧士族・山縣正升の長男として生まれる。村上私学校を中退して陸軍教導団歩兵科に入り、1894年(明治27年)3月に卒業。歩兵二等軍曹として日清戦争に参戦した。1898年(明治31年)12月、士官候補生となり、陸軍士官学校(12期)に入学(同期に小磯國昭らがいる)。
中條 資俊(ちゅうじょう すけとし、なかじょう すけとし、明… 中條 資俊(ちゅうじょう すけとし、なかじょう すけとし、明治5年11月7日(1872年12月7日) - 昭和22年(1947年)3月1日)は、日本の医師・ハンセン病研究者。医学博士。北部保養院(国立療養所松丘保養園)院長、園長。 1872年11月7日 山形県南置賜郡塩井村(現・米沢市)に生まれる。幼名竹田留吉。1897年 第一高等学校医学部に入学。数え年26歳。1900年 中條家に養子となり、長女ハルと結婚。1901年 千葉医学専門学校卒業。1902年 医術開業免状下付。県立千葉病院医員。1903年 慰廃園嘱託医。1904年 伝染病研究所助手。1909年4月1日 青森県より北部保養院医長同月25日に院長を命じられる。
矢野 仁一(やの じんいち、明治5年5月13日〈1872年6… 矢野 仁一(やの じんいち、明治5年5月13日〈1872年6月18日〉 - 1970年〈昭和45年〉1月2日)は、日本の東洋史研究者。京都帝国大学名誉教授。 1872年、現在の山形県米沢市生まれ。第一高等学校を経て、東京帝国大学文科史学科で学ぶ。1899年に同大学を卒業。 卒業後は東京帝国大学文科助教授となり、1905年に清朝の招聘により北京の法政学堂(進士館教習)に勤務。1912年、京都帝国大学助教授、1920年より教授。1932年に定年退官し、名誉教授となる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉田 恒三 (よしだ つねぞう、1872年3月11日(明治5… 吉田 恒三 (よしだ つねぞう、1872年3月11日(明治5年2月3日) - 1957年(昭和32年)5月16日)は、日本の声明研究者、作曲家。福井県出身。 明治5年(1872年)敦賀県遠敷郡小浜鹿島町(現在の福井県小浜市鹿島)に生まれる。 明治27年(1894年)、福井師範学校(現・福井大学)卒業。 東京高等師範学校附属音楽学校師範科卒業。明治30年(1897年)福井師範学校附属小学校訓導を経て教諭となる(音楽科担当)。 明治34年(1901年)京都師範学校(現・京都教育大学)教諭となり、30年勤続。 浄土宗立仏教専門学校(現・佛教大学)講師。昭和25年(1950年)比叡山延暦寺に音律研究所を設立。
三浦 周行(みうら ひろゆき、明治4年6月4日〈1871年7… 三浦 周行(みうら ひろゆき、明治4年6月4日〈1871年7月21日〉 - 1931年〈昭和6年〉9月6日)は、日本の歴史学者・法制史の研究者。京都帝国大学名誉教授。 明治4年(1871年)、出雲国島根郡内中原町(現:島根県松江市)に於いて、松江藩で18石4人扶持を知行した下級武士の三浦正祐の長男として生まれた。父は維新後島根県の役人を務めた。幼名は禄之助。元服し、周行と称した。1890年に東京英和学校を修業し、東京帝国大学文科大学選科に入学。1893年に国史科を修業。同年父が没したため家督を継ぐ。 卒業後は、史料編纂助員となった。のち史料編纂官に昇進。東京帝国大学法科大学より法制類聚編纂を嘱託され、歴史学と法学双方の研究を行う過程で日本に「法制史」という新しい学問分野を打ち立てた。
小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治… 小柳 司気太(おやなぎ しげた、1870年12月24日(明治3年11月3日)- 1940年(昭和15年)7月18日)は、日本の中国文学者、道教の研究者。新潟県出身[信頼性要検証]。東京帝国大学選科修了。旧姓は熊倉[信頼性要検証]。 越後国中蒲原郡小吉村(現・新潟県新潟市西蒲区)で、熊倉玄周の子として生まれる。父の死後、母方の叔父・小柳卯三郎の養子となる。1885年、粟生津村の私塾長善館に入門。1888年に上京。東京英語学校に入学するが、病気により一時退学、帰郷。1894年、東京帝国大学漢学科選科修了。藤田精一らと東亜学院を設立し、月刊誌『東亜説林』を刊行する。その後、広島尋常中学校教諭、真言京都中学校教諭を務める。
常盤 大定(ときわ だいじょう、1870年5月8日〈明治3年… 常盤 大定(ときわ だいじょう、1870年5月8日〈明治3年4月8日〉 - 1945年〈昭和20年〉5月5日)は、仏教研究者、浄土真宗大谷派の僧。号は「榴邱」。 1870年、磐城国伊具郡大張村(現宮城県伊具郡丸森町)で常盤大宣の二男として生まれた。生家は順忍寺。15歳の時に仙台新寺小路の道仁寺に入り、伯父・常盤了然の養子となった。小学校の卒業を待たず東京に出て、大谷教校に入学。大谷教校では漢籍中心であったため、共立学校で併せて英語を学んだ。1889年、第一高等中学に進学。 1895年(明治28年)、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。当時、井上哲次郎、元良勇次郎らが教官を務めていたが、最も影響を受けたのは一高時代から徳風会を通じて知っていた村上専精であったという。
小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3… 小川 尚義(おがわ なおよし、明治2年2月9日(1869年3月21日) - 昭和22年(1947年)11月20日)は明治から昭和前期の言語学者、台湾語と台湾諸語研究者、辞書編纂者。台北帝国大学名誉教授。 1869年(明治2年)2月9日(新暦では3月21日)、伊予国温泉郡(現在の愛媛県松山市勝山町)に士族・丹下尚逸・ムラの三男として生まれる。1872年(明治5年)5月、松山・御宝町77番地(現在の松山市一番町2丁目3番)の小川武一の養子になる。1883年(明治16年)、松山中学を卒業する。1887年(明治20年)9月、第一高等中学校予科に入学。正岡子規と親しくなる。しかし1889年には脚気のため一時休学、留年。
菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応… 菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖。正岡子規、秋山真之、夏目漱石らとの交友、藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。
河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年… 河野 常吉(こうの つねきち、1863年1月11日(文久2年11月22日) - 1930年(昭和5年)9月3日)は、明治大正期の北海道史研究者。河野齢蔵は実弟、アイヌ研究者として名高い河野広道は子、また二女の道子は動物学者犬飼哲夫に嫁ぎ、河野本道は孫に当たる。 信濃国安曇郡犬飼新田村(現・長野県松本市)に河野通重の次男として生まれる。長野県師範学校松本支校を卒業後、1881年に上京し慶應義塾(現・慶應義塾大学)で2年間学んだ後、秋田県の小真木鉱山の分析主任となる。 郷里へもどって養蚕業に従事、『信陽日報』客員として活動、またこのころ自由民権運動にも関係していたといわれる。その後、長野県庁や東京中央気象台に勤務、この間の学歴・職歴のなかで、人文・自然科学の広範な教養を身につけている。
高木 浩光(たかぎ ひろみつ、3月3日[注釈 1] - )は… 高木 浩光(たかぎ ひろみつ、3月3日[注釈 1] - )は、日本のセキュリティ研究者。博士(工学)(名古屋工業大学)。産業技術総合研究所情報セキュリティ研究センター主任研究員。
曽我 聡起(そが としおき)は、日本の研究者。千歳科学技術大… 曽我 聡起(そが としおき)は、日本の研究者。千歳科学技術大学の教授である。 旭川西高等学校を卒業後、岩手大学工学部金属工学科に進学。大学卒業後は日立コントロールシステムズ(現・日立産業制御ソリューションズ)株式会社に入社。その後、旭川大学情報ビジネス専門学校、北海道栄養短期大学、北海道文教大学外国語学部の教職員を経て、北海道大学大学院工学研究科情報工学専攻博士後期課程に入学。同大学院を単位満期取得退学し、その6年後には室蘭工業大学大学院工学研究科生産情報システム工学専攻博士後期課程を修了し、博士(工学)を取得した。現在は千歳科学技術大学理工学部情報システム工学科学科長を務める。 身近にあるさまざまな情報をもとに、メディアデザインやユーザーインターフェイス、情報の効果的な活用法を学ぶ「情報デザイン学」を担当。
助川 成也(すけがわ せいや)は、日本の研究者。博士(経済学… 助川 成也(すけがわ せいや)は、日本の研究者。博士(経済学)。国士舘大学政経学部教授。泰日工業大学 客員教授。出身高校は大田原高等学校。専門はASEAN経済共同体、タイ、FTA等通商戦略。栃木県那須郡湯津上村(現大田原市)出身。
飯塚 幸三 は、日本の研究者、通商産業省技官。東京大学工学博… 飯塚 幸三 は、日本の研究者、通商産業省技官。東京大学工学博士。専門は計量学。測定器誤差と形状誤差を分離して真円度・円筒度測定ができるマルチステップ法の開発者。15年間委員を務めた国際度量衡委員会では日本人初の副委員長にも就任し、世界計量記念日を提唱。国際計測連合(IMEKO)では会長を務めた。
西郷 南海子 は、日本の教育研究者、市民運動家。脱原発デモや… 西郷 南海子 は、日本の教育研究者、市民運動家。脱原発デモや「安保関連法に反対するママの会」などの発起人、市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)の結成メンバーである。
西牧 岳哉(にしまき たけや)は、日本の教育者(理科教員)、… 西牧 岳哉(にしまき たけや)は、日本の教育者(理科教員)、化学教育研究者。長野県出身。長年にわたり長野県の公立高等学校で教鞭を執り、東レ理科教育賞(文部科学大臣賞)や日本化学会からの表彰など多数の受賞歴を持つ。現在は開智中学校・高等学校(埼玉県)の講師を務める。 理科教育、特に化学分野における実験教材の開発や指導法の改善に注力している。特にダニエル電池の実験においては、セパレーターとして素焼き板の代わりに電解質を含んだ板状の寒天を用いることで高出力化する手法を確立し、その成果により第53回東レ理科教育賞(文部科学大臣賞)を受賞した。 また、東京書籍の教科書や化学実験指導用教材の執筆にも携わっているほか、第40回日本化学会 化学教育有功賞を受賞するなど、長年にわたる教育実践が高く評価されている。
川井 唯史 は、日本の研究者、農学博士、国際ザリガニ学会事務… 川井 唯史 は、日本の研究者、農学博士、国際ザリガニ学会事務局長である。地方独立行政法人北海道立総合研究機構水産研究本部中央水産試験場主査。
中野 克彦(なかの かつひこ)は、構造工学、鉄筋コンクリート… 中野 克彦(なかの かつひこ)は、構造工学、鉄筋コンクリート構造の研究者、新潟工科大学工学部准教授(工学博士)。
三浦 左千夫 は、日本の科学者・基礎医学研究者。
松村 雅史(まつむら まさふみ)は大阪電気通信大学医療福祉工… 松村 雅史(まつむら まさふみ)は大阪電気通信大学医療福祉工学部教授で医用生体工学分野の研究者である。
伊藤 健 は、日本の研究者。慶應義塾大学大学院政策・メディア… 伊藤 健 は、日本の研究者。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特任准教授。博士(政策・メディア)、MBA。特定非営利活動法人ソーシャルバリュージャパン代表理事。専門分野は、社会起業論、非営利組織の社会性評価。社会的インパクト評価、ソーシャルインパクトボンド研究における日本の第一人者。
森田勝之 は、日本の英語教育学者・哲学研究者、東邦大学医学部… 森田勝之 は、日本の英語教育学者・哲学研究者、東邦大学医学部医学科客員講師、白百合女子大学英語英文講師。
渡邉 勝正 は、日本の数理工学・情報処理学の研究者。奈良先端… 渡邉 勝正 は、日本の数理工学・情報処理学の研究者。奈良先端科学技術大学院大学名誉教授。
金城 朝永 は、沖縄県出身の沖縄研究者。特に琉球方言の研究を… 金城 朝永 は、沖縄県出身の沖縄研究者。特に琉球方言の研究を行った。
原島 博 は、日本の研究者。東京大学名誉教授。東京大学大学院… 原島 博 は、日本の研究者。東京大学名誉教授。東京大学大学院情報学環特任教授。研究分野は情報理論、信号処理、ヒューマンコミュニケーション技術、顔学など。
中野 政樹 は、日本の金属工芸史の研究者。
川村 貞夫 は、日本のロボット研究者。工学博士(大阪大学)。
清水 誠(しみず まこと)は、日本の理科教育法研究者である。… 清水 誠(しみず まこと)は、日本の理科教育法研究者である。埼玉大学教育学部教授。研究分野は理科教育学、科学教育。埼玉県出身。
五斗 進 は、日本のバイオインフォマティクス研究者。情報・シ… 五斗 進 は、日本のバイオインフォマティクス研究者。情報・システム研究機構データサイエンス共同利用基盤施設副センター長・教授、日本学術会議会員。元日本バイオインフォマティクス学会理事長。
辻岡 勝美(つじおか かつみ)は、日本の診療放射線技師・研究… 辻岡 勝美(つじおか かつみ)は、日本の診療放射線技師・研究者。藤田保健衛生大学医療科学部放射線学科准教授。専門はCT(Computed Tomography:コンピュータ断層画像)技術の開発。現時点では最先端のCT装置のシステムとして世界的に標準となっているヘリカルスキャンの開発者。 現在、藤田保健衛生大学医療科学部放射線学科に在職しているが、元々は診療放射線技師として同大学病院放射線部に在籍していた。 藤田保健衛生大学病院放射線部在職2年目に、当時、非常に治安が不安定であったタイのカンボジア国境近辺の難民キャンプに出向し、診療放射線技師として医療チームに加わり、現地の人々へ医療を施した。 近年、CTの撮影方式として標準となっているヘリカルスキャンの原理は、日常生活の中で偶然にアイデアを思いつき、研究・実験を重ねて臨床応用できる基礎を確立した。
三村 光弘(みむら みつひろ)は、日本の法学研究者。専門は、… 三村 光弘(みむら みつひろ)は、日本の法学研究者。専門は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の経済関係法および統一・南北関係に関する諸法、大韓民国(韓国)の統一・南北関係に関する諸法。中国の対外経済関係法。朝鮮経済。