早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 201… 早稲田 昇(わせだ のぼる、1951年7月23日 - 2010年10月22日)は、日本の競泳選手。専門は自由形。1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 三原市立第三中学校、尾道高校、広島商科大学(現:広島修道大学)卒業。現役時代はフジタドルフィンクラブに所属していた。 全国中学校体育大会、全国高校総体でそれぞれ優勝経験がある。尾道高校の同級生には田口信教や本多忠らがおり、1968年と1969年の高校総体では男子総合優勝も達成した。 1968年のメキシコシティーオリンピックでは200m自由形と800mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちとなった。 1970年のアジア競技大会では200m自由形で銀メダルを獲得し、400mフリーリレーと800mフリーリレーで2冠を達成した。
田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は… 田口 信教(たぐち のぶたか、1951年6月18日 - )は、愛媛県周桑郡壬生川町(現西条市国安)出身の元競泳選手。現役時代の種目は平泳ぎ。1972年ミュンヘンオリンピック100m平泳ぎ金メダリスト・200m平泳ぎ銅メダリスト。現在、医療創生大学理事、鹿屋体育大学名誉教授。愛媛県スポーツ推進審議会会長。西条市名誉市民。 洋画の中の外国の暮らしに憧れて、強くなれば海外に行ける、そう思い水泳を始めた田口は、優秀な指導者を求め12歳で瀬戸内海の対岸、広島県三原市に転居。研究熱心な徳田一臣の指導と、優秀なライバルとの切磋琢磨で才能が開花。田口が加入した三原三中は1964年、創部僅か5年で全国優勝。恵まれた環境で田口は泳ぐたび中学新記録を出した。
鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、… 鈴木 陽二(すずき ようじ、 1950年3月9日 - )は、日本の水泳指導者、北京オリンピック競泳代表チームヘッドコーチ。 新潟県村上市生まれ。小学校入学前に岩船港近くの日本海で泳ぎを覚えた。中学時代は姿三四郎にあこがれて柔道部に入った。新潟県立村上高等学校で水泳部に入部したがその後プールが使用できなくなり先輩部員から麻雀の手ほどきを受けた。卒業後水泳指導者になろうと順天堂大学体育学部体育学科へ入学した。しかし大学内にプールがないことや水泳部も休眠状態であったため新入生同士で泳ぎ始め市立船橋高等学校など近くの高校のプールへ出かけて練習を続けた。新潟県で教職に就くことを目指していたが教員採用試験に落ちてしまったところ、同級生からスイミングクラブが指導員を探していることを聞き、1972年、当時まだ創業2年目のセントラルスポーツにアルバイトとして入社。
滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、… 滋野 文夫(しげの ふみお, 1949年7月4日 - )は、群馬県前橋市出身の水泳選手。「国体男」として知られる。通算17回の出場は史上最多。 1949年7月4日、群馬県前橋市に生まれる。群馬県立前橋工業高等学校に入学し、高校総体や群馬県選手権で入賞する。法政大学入学後、水泳部の主将として、インターカレッジ3位の記録を残す。1965年の岐阜国体から1990年の福岡国体の間に、国体出場17回の記録を打ち立てる。2009年1月現在、前橋市水泳協会会長。2020年4月現在前橋市スポーツ協会会長。
所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、… 所 賢一(ところ けんいち、1949年3月15日 - )は、日本の元競泳選手。競泳指導者。広島県大竹市出身。 1949年に広島県に生まれる。広島県立大竹高等学校に進学。第20回国民体育大会に出場。広島県高等学校選手権に出場し、400m、1500m自由形優勝。中国高等学校選手権に出場し、400mリレー4位。第21回国民体育大会に出場。 中央大学に進学。日本選手権水泳競技大会に出場し400m自由形5位。中央大学水泳部主将になる。日本学生選手権水泳競技大会に出場し、400m自由形2位、1500m自由形3位。 和歌山県立伊都高等学校教師になる。第26回国民体育大会に出場し400m自由形教員部優勝(大会新記録)。
川西 繁子(かわにし しげこ、1948年〈昭和23年〉12月… 川西 繁子(かわにし しげこ、1948年〈昭和23年〉12月5日 - )は日本の競泳選手。種目は自由形。奈良県奈良市出身。奈良県立五條高等学校から日本女子体育大学に進学、オリンピックに2度出場している。 1968年のメキシコシティオリンピックの100m自由形で18位、小林美和子・西側よしみ・藤井康子との400mリレーで6位となった。1972年のミュンヘンオリンピックの100m自由形で28位、合志えい子・竹本ゆかり・西側よしみとの400mリレーで10位となった。 日本選手権水泳競技大会の100m自由形で1967年から1972年まで6年連続優勝、200m自由形で1969年から1972年まで4年連続優勝している。
森実 芳子(もりざね よしこ、1948年9月4日 - )は、… 森実 芳子(もりざね よしこ、1948年9月4日 - )は、福岡県出身の元競泳選手。高校在学中に1964年東京オリンピックに出場、日本代表選手団最年少選手であった。その後は松﨑姓となり、「松﨑ヨシ子」の表記で社会活動をおこなっている。 福岡県朝倉郡杷木町大字久喜宮(現在の朝倉市杷木久喜宮)出身。幼少時より筑後川で水に親しんだという。杷木町立久喜宮小学校、杷木町立杷木中学校(現在の朝倉市立杷木中学校)に学び、競泳で活躍。1964年東京オリンピック前年に水泳候補選手の1人に選ばれた。 高校は筑紫女学園高等学校に進む。筑紫女学園は、田中聡子をはじめ多くの選手を送り出した競泳強豪校であった。高校1年生のとき、1964年東京オリンピックの日本代表選手に選ばれる。
木原 光知子(きはら みちこ、1948年〈昭和23年〉4月5… 木原 光知子(きはら みちこ、1948年〈昭和23年〉4月5日 - 2007年〈平成19年〉10月18日)は、日本の元水泳選手で、タレント・実業家・スイミングアドバイザー、「ミミスイミングクラブ」創立者。競技の現役時代、タレント時代前期、実業家としての名前は本名の「木原美知子」となっている。実兄はJU岡山理事長・JU中四国会長を歴任し現在はミミスイミングクラブを経営するK&Mインターナショナル代表取締役の木原信良。愛称は「ミミ」。身長168cm(1975年7月)。 兵庫県明石市で生まれ、岡山県岡山市で育つ。岡山市立南方小学校、岡山市立旭中学校、山陽女子高等学校、日本大学文理学部卒業。 小学6年生の時「水泳選手になってオリンピックに出たい」という作文を書き、中学時代から田中聡子のあとの日本水泳界を背負う最大のホープと騒がれる。
早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は… 早川 一枝(はやかわ かずえ、1947年6月13日 - )は、日本の元競泳選手。静岡県出身。1964年東京オリンピック日本代表。400m・800m・1500m自由形の元日本記録保持者。 富士市立富士中学校、吉原市立商業高等学校、別府大学卒。 1962年アジア競技大会の400m自由形で2位入賞を果たした。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m自由形に出場し、予選落ちだった。 1966年アジア競技大会に出場、400m自由形と400mフリーリレーで2冠を達成した。 日本選手権の400m自由形では4連覇、800m自由形では6連覇を達成している。400mの4連覇は6連覇の五十嵐千尋、5連覇の山田沙知子に次ぐ歴代3位の記録。
中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本… 中野 悟(なかの さとる、1947年1月9日 - )は、日本の元競泳選手。広島県出身。1964年東京オリンピック・1968年メキシコシティーオリンピック日本代表。 広島市立高陽中学校、大阪府立桜宮高等学校、早稲田大学卒。 1964年東京オリンピック選考会兼日本選手権の1500m自由形で2位に入り、オリンピック代表に選出された。1964年東京オリンピックでは1500m自由形に出場し、予選落ちとなった。 1968年メキシコシティー選考会兼日本選手権の200m自由形で2位に入り、2大会連続となるオリンピック代表に選出された。1968年メキシコシティーオリンピックの200m自由形で予選落ち、400mフリーリレーで8位、800mフリーリレーで予選落ちだった。
青木 剛(あおき つよし、1947年1月3日 - )は、日本… 青木 剛(あおき つよし、1947年1月3日 - )は、日本の水泳指導者。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事。
中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉… 中島 正一(なかじま しょういち 、1946年〈昭和21年〉2月13日 - 1991年〈平成3年〉1月?)は、日本の海洋冒険家、水泳指導者。北海道福島町出身。 津軽海峡を単独で泳いで渡った初めての人物。世界の21海峡を泳破し、遠泳への認識を世間に広げた。 1946年2月13日、津軽海峡に面する松前郡福島町に生まれる。中学・高校時代は相撲部に所属し、大相撲力士を目指した。しかし体が小さく、角界に進むことは断念した。 国士舘大学へ進学後、水泳に転向した。 大学3年生だった1967年(昭和42年)8月27日、津軽海峡の横断に挑戦した。北海道最南端にある福島町の白神岬を出発し、南へ約19.6km対岸にある青森県の龍飛岬を目指した。
高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は… 高橋 栄子(たかはし えいこ、1945年9月21日 - )は、日本の元競泳選手。神奈川県出身。1964年東京オリンピック日本代表。100m・200mバタフライの元日本記録保持者。 別府市立山の手中学校、大分県立佐伯鶴城高等学校、別府大学出身。 1962年アジア競技大会に出場。100mバタフライで金メダル、400mメドレーリレーで銀メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。100mバタフライでは予選で1分8秒4、準決勝で1分7秒8と連続で日本新記録を更新して決勝に進出し、7位になった。400mメドレーリレーでは予選で4分40秒6の日本新記録を樹立、決勝では4位入賞を果たした。
岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )… 岩崎 邦宏(いわさき くにひろ、1944年10月5日 - )は、大分県出身の元競泳選手。1964年東京オリンピック競泳男子800mフリーリレー銅メダリスト。大分県立佐伯鶴城高等学校、早稲田大学教育学部卒業。東京・メキシコの2大会に出場。 早稲田大学2年時に出場した1964年東京オリンピックでは400mリレーで4位入賞、800mリレーでこの大会競泳チーム唯一となる銅メダルを獲得する。 1966年アジア競技大会では100m自由形で優勝・日本新、200m自由形で優勝、800mリレーで優勝、400mメドレーリレーで優勝する 1968年メキシコシティーオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、200m自由形予選敗退、400mリレーでは8位、400mメドレーリレーでは5位、800mリレーでは予選敗退。
江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、… 江坂 君子(えざか きみこ、1943年11月6日 - )は、日本の元競泳選手。愛知県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。自由形・個人メドレーの元日本記録保持者。 椙山女学園中学校・高等学校、中京大学卒。 1960年ローマオリンピック日本代表に初選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。結果はともに予選落ちとなった。 1962年、アジア競技大会の400mフリーリレーで金メダルを獲得した。 1964年東京オリンピック日本代表に選出された。400m個人メドレーに出場し、予選落ちだった。
伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2… 伊藤 圭祐(いとう けいすけ、1943年10月29日 - 2006年12月5日)は、日本の競泳選手。愛知県名古屋市出身。 1962年アジア競技大会の200m背泳ぎで金メダルを獲得した。 1964年の東京オリンピックに出場、準決勝で敗退している。 日本選手権水泳競技大会の100m背泳ぎで1965年に優勝している。 イトマンスイミングスクールの理事を務めた。 2006年12月5日、神奈川県川崎市多摩区の病院で多臓器不全のため63歳で亡くなった。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
松本 健次郎(まつもと けんじろう、1943年9月23日 -… 松本 健次郎(まつもと けんじろう、1943年9月23日 - )は、日本の元競泳選手。大分県出身。1964年東京オリンピック日本代表。 佐伯市立大入島中学校、大分県立佐伯鶴城高等学校、早稲田大学卒。 1964年東京オリンピック選考会兼日本選手権の100m平泳ぎで2位・200m平泳ぎでは優勝し、オリンピック代表に選出された。1964年東京オリンピックでは200m平泳ぎに出場し、準決勝敗退となった。 1968年メキシコシティーオリンピック選考会兼日本選手権の100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2位に入ったが、年度内の大会で好記録を出していた田口信教と選考会で優勝した鶴峯治が代表に選出され、松本は落選した。
福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 199… 福島 滋雄(ふくしま しげお 1943年1月2日 - 1998年6月1日)は、日本の競泳選手。 1960年度(昭和35年度)に日本大学豊山高等学校を卒業、日本大学に進学した。1962年に重松盛人、佐藤好助、藤本達夫との440ヤードメドレーリレーで4分11秒0の世界新記録、220ヤード背泳ぎでも2分16秒1の世界新記録を樹立、その年の朝日スポーツ賞に選ばれている。 1964年の東京オリンピックの200m背泳ぎで決勝では、アメリカトリオに食い下がりタッチの勝負に持ち込み東京大会における競泳の初メダルと思われたが、長い写真判定の末4着に敗れた(2分13秒2)。中島功、石川健二、岡部幸明との400mメドレーリレーでは5位となった。
田中 聡子(たなか さとこ、現・竹宇治聡子(たけうじ さとこ… 田中 聡子(たなか さとこ、現・竹宇治聡子(たけうじ さとこ)、1942年2月3日 - )は、日本の元競泳選手でのちにコーチ。1960年ローマオリンピック女子100m背泳ぎ銅メダリスト。長崎県佐世保市生まれ、熊本県上益城郡育ち。 嘉島町立嘉島中学校・筑紫女学園高等学校を経て八幡製鐵所に入社。 1959年から1963年までおよそ4年間に渡り女子200m背泳ぎの世界記録を更新し続けたが、当時のオリンピックにおける競泳では女子200m背泳ぎは正式種目ではなかった(正式種目となったのは1968年メキシコシティーオリンピックから)。このため、100m背泳ぎでの出場を余儀なくされたが、ローマ五輪で銅メダルを獲得し、日本では前畑秀子以来二人目の女子競泳メダリストとなった。
加藤 浩時(かとう こうじ、1941年12月6日 - )は、… 加藤 浩時(かとう こうじ、1941年12月6日 - )は、日本の実業家、競泳コーチ。 オリンピック選手を多く輩出しているイトマンスイミングスクールの代表取締役社長を務める。 メキシコオリンピックからロサンゼルスオリンピックまで4大会でオリンピック選手団競泳コーチを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。 小学4年から水泳を始め平泳ぎの選手であった。中京商業高等学校(現在の中京大学附属中京高等学校)を経て、1964年に早稲田大学を卒業。 大学4年のときに練習マネージャーとなりコーチ法を学び始める。ロート製薬に入社し、ロート製薬社長の山田輝郎が設立した山田スイミングクラブ、その後継のイトマンスイミングスクールで選手育成にあたった。
後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は… 後藤 忠治(ごとう ただはる、1941年12月4日 - )は、日本の実業家、元水泳選手。セントラルスポーツ創業者で、同社代表取締役社長を経て、代表取締役会長、社会スポーツセンター会長。 東京都葛飾区柴又生まれ。市川高等学校を経て、1964年日本大学商学部卒業、大丸入社。1964年東京オリンピックで400mリレー4位入賞という結果に終わったため、引退を決意し、退社。同年東京工機入社。1968年セントラルスポーツクラブ創業。1970年セントラルスポーツクラブ(現セントラルスポーツ)設立、同社取締役。1976年同社代表取締役副社長。1977年同社代表取締役社長。1987年パレスセントラルスポーツ取締役。
岡部 幸明(おかべ ゆきあき、1941年4月24日 - 20… 岡部 幸明(おかべ ゆきあき、1941年4月24日 - 2018年1月26日)は、日本の元競泳選手。島根県温泉津町(現・大田市)出身。1964年東京オリンピック競泳男子800m自由形リレー銅メダリスト。早稲田大学第二政治経済学部卒業。 2018年1月26日7時52分(JST)、肺炎のため大阪府高槻市内の病院にて逝去。76歳没。 この項目は、水泳選手(飛込競技選手・アーティスティックスイミング選手・水球選手を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJスポーツ人物伝)。
藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は… 藤本 達夫(ふじもと たつお、1940年3月29日 - )は、兵庫県赤穂市坂越の出身の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子4×200mフリーリレー銀メダリスト。姫路工業大学附属高等学校(現・兵庫県立姫路工業高等学校)工芸科を経て、中央大学を1962年に卒業。1964年東京オリンピック競泳男子4×100m自由形リレーでは4位となった。
福井 誠(ふくい まこと、1940年2月28日 - 1992… 福井 誠(ふくい まこと、1940年2月28日 - 1992年10月18日)は、島根県出身の競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳800mリレー銀メダリスト、1964年東京オリンピック競泳800mリレー銅メダリスト。 浜田市出身。浜田市立第二中学校、島根県立浜田高等学校卒業。高校卒業後に八幡製鐵(現在の日本製鉄)に入社。 1960年ローマオリンピックでは競泳男子800m自由形リレー銀メダルを獲得、1964年の東京オリンピックでも800m自由形リレーのメンバーとして銅メダルを獲得している。 東京オリンピックでは日本選手団の旗手を務めた。 1964年に引退。その後、新日鉄八幡水泳部のコーチなどを経て、1988年に大橋スイミングプラザ副理事長。
金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は… 金戸 俊介(かねと しゅんすけ、1940年1月5日 - )は、石川県出身の飛込競技選手・指導者。1960年ローマ・1964年東京の2度のオリンピックに日本代表選手として出場した。 石川県出身。石川県立金沢桜丘高等学校を卒業し、日本大学に進む。 日本大学在学中の1960年、ローマオリンピックに出場し、飛板飛込みで23位、高飛込みで10位となった。大学卒業後、1964年の東京オリンピックでは飛板飛込み24位、高飛込み11位。 同じくローマ・東京五輪に出場した飛び込み選手・渡辺久美子と結婚。息子の金戸恵太も飛び込み選手として活躍した。 引退後は指導者に転身し、1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めた。
大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、… 大高 幸子(おおたか ゆきこ、1940年1月2日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県伊都郡九度山町出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 和歌山県伊都郡九度山町立九度山中学校、和歌山県立伊都高等学校卒。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で200m自由形で2位、400m自由形では日本新記録を樹立して優勝し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。
吉無田 春男(よしむた はるお、1939年11月5日 - 2… 吉無田 春男(よしむた はるお、1939年11月5日 - 2025年3月5日)は、日本の元競泳選手。熊本県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。200mバタフライの元日本記録保持者。 人吉市立人吉東小学校、九州学院中学校・高等学校、早稲田大学卒。 1960年ローマオリンピック選考会兼日本選手権の200mバタフライで優勝し、オリンピック代表に選出された。1960年ローマオリンピックの200mバタフライで5位入賞を果たした。 1964年東京オリンピック選考会兼日本選手権の400m自由形で3位に入り、2大会連続となるオリンピック代表に選出された。1964年東京オリンピックでは400m自由形に出場し、予選落ちとなった。
石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東… 石井 宏(いしい ひろし、1939年9月21日 - )は、東京都出身の元競泳選手でのちに解説者、共同通信記者、現在は日本大学常務理事。1960年ローマオリンピック競泳男子800m自由形リレー銀メダリスト。日本大学卒業。 義兄弟に元フィギュアスケート選手の長瀬洋子と藤森美恵子(共に、旧姓 大岩)、甥に2024年パリオリンピック総合馬術の団体銅メダリストである大岩義明がいる。
清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日… 清水 啓吾(しみず けいご、1939年7月2日 - )は、日本の元競泳選手。長崎県出身。慶應義塾大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳では男子100m自由形準決勝敗退したが男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。 1962年のアジア競技大会競泳男子100m自由形で金メダルを獲得した。
和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日… 和田 映子(わだ えいこ、1939年4月25日 - )は、日本の元競泳選手。愛媛県出身。1956年メルボルンオリンピック・1960年ローマオリンピック日本代表。自由形の元日本記録保持者。 南宇和郡御荘中学校、奈良県立五條高等学校、天理大学卒。 1956年のオリンピック選考会で100m自由形で4位に入り、400mフリーリレー要員としてメルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは400m自由形と400mフリーリレーに出場し、ともに予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400m自由形で3位に入った。 1960年ローマオリンピック日本代表にも2大会連続で選出され、400m自由形と400mフリーリレーに出場した。
大崎 剛彦(おおさき よしひこ、1939年2月27日 - 2… 大崎 剛彦(おおさき よしひこ、1939年2月27日 - 2015年4月28日)は、日本の競泳選手。1960年ローマオリンピック200m平泳ぎ銀メダリスト・400mメドレーリレー銅メダリスト。 石川県輪島市出身。石川県立金沢泉丘高等学校、早稲田大学第二商学部卒業。 同大在学時の1960年ローマオリンピック代表に選出され男子200m平泳ぎで銀メダル、男子4×100mメドレーリレーで銅メダルを獲得した。1959年と1960年に日本選手権水泳競技大会男子200m平泳ぎを連覇した。 同大卒業後は倉敷レイヨン(現・クラレ)で活躍。1973年に社会体育開発研究所を設立。 現役引退後もマスターズ水泳選手として泳ぎ続け、国際水泳殿堂(マスターズ部門)入りを果たしたほか、日本マスターズ水泳協会会長(1992年 - 2014年)や日本水泳連盟理事も務めた。
山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 201… 山中 毅(やまなか つよし、1939年1月18日 - 2017年2月10日)は、石川県輪島市生まれの競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの400m自由形・1500m自由形、1960年ローマオリンピックの400m自由形・800mフリーリレーで4つの銀メダルを獲得した。 石川県立輪島高等学校在学中の1956年メルボルンオリンピックに出場。自由形400mと1500mの2種目では、オーストラリアのマレー・ローズに次ぐ2位で銀メダルを獲得した。 早稲田大学教育学部進学後の1959年、自由形200m、400mで世界新記録を作った。 1960年ローマオリンピックでも、自由形400mでローズに敗れ銀メダルを獲得した。
富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日… 富田 一雄(とみた かずお、1939年1月1日 - )は、日本の元競泳選手。福岡県久留米市出身、福岡県立三潴高等学校・日本大学卒業。1960年ローマオリンピック競泳男子4×100mメドレーリレー銅メダリスト。 高校在学中の1956年メルボルンオリンピック競泳代表に選ばれ、競泳男子100m背泳ぎ準決勝で敗退。また、三潴高校水泳部の全国大会優勝にも貢献。1960年ローマオリンピックでは競泳男子100m背泳ぎで準決勝敗退したものの男子4×100mメドレーリレーでは銅メダル獲得に貢献した。
島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、… 島田 節子(しまだ せつこ、1938年8月14日 - )は、日本の元競泳選手。奈良県宇智郡南宇智村出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。 宇智郡野原中学校、奈良県立五條高等学校卒、東洋レーヨン所属。 1956年の日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会で50m自由形で2位に入り、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形に出場し、予選落ちだった。 1958年アジア競技大会では400mフリーリレーで優勝した。
開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 19… 開田 幸一(ひらきだ こういち、1938年5月7日 - 1993年9月23日)は、日本の元競泳選手。1960年ローマオリンピック競泳男子400mメドレーリレー銅メダリスト。現在の福岡県柳川市出身。福岡県立伝習館高等学校卒業。中央大学卒業。
高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は… 高松 好子(たかまつ よしこ、1938年4月16日 - )は、日本の元競泳選手。和歌山県出身。ローマオリンピック日本代表。100m平泳ぎ・200m平泳ぎ元日本記録保持者。 伊都高校時代の高校総体で100m平泳ぎで3連覇を達成した。高1・高3では200m平泳ぎで優勝。個人種目で高校総体3連覇したのは女子史上初。 日本選手権では1955年から1960年にかけて100m平泳ぎ・200m平泳ぎで2冠かつ6連覇を達成した。100m平泳ぎでの6連覇は7連覇の長崎宏子に次ぐ歴代2位、6回の優勝は8回の田中雅美・7回の長崎宏子の次ぐ歴代3位の記録。200m平泳ぎでの6連覇は8連覇の長崎宏子・7連覇の前畑秀子に次ぐ歴代3位、6度の優勝は8度の長崎宏子・田中雅美、7度の前畑秀子に次ぐ歴代4位の記録。
佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき… 佐藤 喜子(さとう よしこ、現在の氏名:大崎 喜子(おおさき よしこ)、1938年3月30日 - )は、日本の元競泳選手(種目は自由形)。アジア競技大会では1958年と1962年に合計7つの金メダルを獲得した。1956年メルボルンオリンピックおよび1960年ローマオリンピックでは短距離で合計5種目に出場し、最上位の成績は4×100mメドレーリレーの第7位であった。 奈良県五條市出身。中学校では当初陸上競技部に所属していたが、3年生の時に県大会にリレー選手として出場し、以後競泳選手となる。 奈良県立五條高等学校から天理大学に進む。 国内では日本選手権水泳競技大会の100mで1958年から1961年まで4年連続、200mで1955年から1961年まで7年連続で優勝した。
石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、… 石原 勝記(いしはら かつき、1938年2月2日 - )は、日本の元競泳選手。熊本県出身。1960年ローマオリンピック・1964年東京オリンピック日本代表。50m自由形の元日本記録保持者。 熊本県立鹿本高等学校、日本大学卒。 1960年ローマオリンピックに初出場。100m自由形では準決勝敗退、400mメドレーリレーでは予選のみ出場した。 1964年東京オリンピックでは400mフリーリレーに出場し、3位と0.6秒差の4位に終わった。
馬淵 かの子(まぶち かのこ、旧名:津谷 鹿乃子〈つたに か… 馬淵 かの子(まぶち かのこ、旧名:津谷 鹿乃子〈つたに かのこ〉、1938年〈昭和13年〉1月6日 - 2025年〈令和7年〉1月4日)は、日本の元飛込競技選手。現役時代は倉敷レーヨンに所属した。 松蔭女学校入学と同時に飛込競技を始め、1954年、16歳で日本代表としてアジア大会に初出場。1954年から1974年までのアジア大会にて3m飛板飛込と10m高飛込で計5個のメダルを獲得した。夫である馬淵良とともに1956年メルボルン、1960年ローマ、1964年東京オリンピックで7位から16位に入る。産後、一度は引退するも現役復帰を果たしている。娘の馬淵よしのもオリンピックに出場した飛込競技選手。 二度目の現役引退後は夫・良と共にJSS宝塚スイミングスクール(日本国内初の飛込競技専用屋内プール)を立ち上げ、実娘の馬淵よしの、寺内健、玉井陸斗など数多くの選手を指導、80歳を超えるまで現役指導者であった。
宮部 シズエ(宮部 シズヱとも、みやべ しずえ、1937年8… 宮部 シズエ(宮部 シズヱとも、みやべ しずえ、1937年8月3日 - )は、日本の元競泳選手。奈良県出身。ヘルシンキオリンピック・ローマオリンピック日本代表。50m自由形・100mバタフライ・200mバタフライ元日本記録保持者。現姓は辻内。 奈良県宇智郡野原町(現五條市)出身。 野原町立野原中学校在籍時の1952年6月に行われた日本選手権兼ヘルシンキオリンピック最終選考会において50m自由形2位・100m自由形4位に入り、ヘルシンキオリンピック日本代表に選出された。7月から8月にかけてヘルシンキオリンピックが開催されたが、100m自由形予選落ちに終わった。 高校は五條高等学校に進学。1953年、日本選手権の50m自由形で初の日本一になる。
神野 眸(じんの ひとみ、1937年3月8日 - )は、日本… 神野 眸(じんの ひとみ、1937年3月8日 - )は、日本の女子競泳選手。現姓:岩井。 愛知県名古屋市出身。少女時代は病弱だった為に医師から水泳を勧められて小学校時代から始める。名古屋市立桜山中学校から愛知淑徳高校に進学する。高校時代に自由形の選手としてインターハイ優勝、日本選手権などを経験し、当時競泳の名門であった奈良県の天理大学へと入学した。入学初年度に1956年メルボルンオリンピックに出場している。 その後大学は中退し、愛知淑徳高校の体育科講師に赴任して1958年の東京アジア競技大会に出場、女子100m自由形で3位となり銅メダルを獲得。また1960年ローマオリンピックに出場した。 ローマオリンピックを最後に現役を引退、引退後暫くは愛知淑徳高校の教員をしていたが、結婚を機に退職。
林 務(はやし つとむ、1936年12月30日 - )は、日… 林 務(はやし つとむ、1936年12月30日 - )は、日本の水泳指導者。 1936年、東京生まれ。1959年、明治大学商学部卒業。明治大学水泳部の監督を務めた他、アトランタオリンピック競泳競技監督、 ドーハ・アジア大会日本選手団団長、2004年アテネオリンピック日本選手団副団長などを務めた。また、日本オリンピック委員会副会長、日本水泳連盟副会長などに就任した。
吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10… 吉村 昌弘(よしむら まさひろ、1936年(昭和11年)10月28日 - 2003年(平成15年)9月27日)は、愛媛県宇和島市出身の元競泳選手。1956年メルボルンオリンピック競泳男子200m平泳ぎ銀メダリスト。 宇和島東高校、日本大学卒業。大学在学中、メルボルンオリンピック200m平泳ぎで銀メダルを獲得した。金メダルの古川勝と共に潜水泳法を駆使し日本勢ワンツーフィニッシュを飾った。 2003年、66歳で死去。
古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日… 古川 勝(ふるかわ まさる、1936年(昭和11年)1月6日 - 1993年(平成5年)11月21日)は、和歌山県橋本町(現・橋本市)出身の水泳(競泳)選手。1956年メルボルンオリンピック200メートル平泳ぎ金メダリスト。独自の潜水泳法を編み出し、同時期に就役したアメリカ海軍の潜水艦になぞらえ「人間ノーチラス」の異名をとった。 1936年ベルリンオリンピック金メダリストの前畑秀子とは同じ町内の出身であった。古川は幼い頃から紀ノ川で水に親しみ、中学3年で全国大会3位、さらに和歌山県立橋本高等学校在学の頃から頭角を現わす。前畑の薦めにより、平泳ぎに専念するようになった。1952年ヘルシンキオリンピックには派遣されなかったが、同じ年に行われた全日本選手権でヘルシンキオリンピック第2位を上回る記録を出した。
青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9… 青木 政代(あおき まさよ、1935年(昭和10年)12月9日 - )は、日本の元競泳選手。現姓は東。 和歌山県伊都郡高野口町(現橋本市)出身。九度山町立九度山小学校卒業。 和歌山県立伊都高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場したが予選落ちに終わった。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し優勝した。 高校卒業後は、帝塚山学院短期大学を経て三冷社に入社。1958年アジア競技大会では主将として出場し、女子100m平泳ぎで準優勝した。
横地 森太郎(よこち しんたろう、1935年(昭和10年)1… 横地 森太郎(よこち しんたろう、1935年(昭和10年)10月31日 - )は、日本の水泳選手。ポルトガル陸軍士官学校教官。ポルトガルのオリンピック水泳代表監督を5回務めた。
坂本 和子(さかもと かずこ、1935年(昭和10年)9月4… 坂本 和子(さかもと かずこ、1935年(昭和10年)9月4日 - 没年不明)は、昭和時代の競泳選手。 奈良県宇智郡阪合部村(現五條市)出身。 奈良県立五條高等学校在学中、1952年ヘルシンキオリンピックで競泳日本代表として女子200m平泳ぎに出場し7位に入賞した。 1954年アジア競技大会では女子200m平泳ぎに出場し準優勝した。
長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年1… 長谷 景治(はせ けいじ、1935年7月3日- 2024年11月13日)は、日本の競泳選手。早稲田大学商学部卒業。日本マスターズ水泳協会の副会長を務めている。 大阪市立高倉中学校、大阪市立都島工業高等学校普通科卒業。早稲田大学商学部在学中の1956年のメルボルンオリンピックの100m背泳ぎに出場、準決勝で敗退した。 1954年、1958年のアジア競技大会の100m背泳ぎでともに金メダルを獲得している。 1954年9月17日、田中守・長沢二郎・谷訯との400mメドレーリレーで4分17秒2の世界新記録、1955年8月13日、古川勝・石本隆・古賀学との400mメドレーリレーで4分15秒7の世界新記録をつくり、1954年度、1955年度の朝日スポーツ賞に選ばれている。
石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知… 石本 隆(いしもと たかし、1935年4月6日 - )は高知県安芸市出身の競泳選手。1956年メルボルンオリンピックの200mバタフライ銀メダリスト。 1935年4月6日、高知県安芸市出身。高知県立安芸高等学校を経て日本大学卒業。 中学校の時に野球をしていたが、水泳部の大会に出場したことがきっかけで水泳を始めた。大学1年の時に100mバタフライで日本記録を出した。 1956年メルボルンオリンピック男子200mバタフライ銀メダリストで、1957年9月7日に神宮プールで、富田一雄、古川勝、石原勝記との400mメドレーリレーの世界記録、9月14日に100mバタフライの世界記録を保持した。 日本選手権水泳競技大会では、100mバタフライで1956年から1958年まで3連覇、200mバタフライでも1955年から1957年まで3連覇した。
古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年1… 古賀 学(こが まなぶ、1935年4月5日 - 2001年12月10日)は、日本の競泳選手。福岡県大川市出身。1956年メルボルンオリンピック日本代表。100m自由形の元日本記録保持者。 大川市立川口中学校、福岡県立伝習館高等学校、早稲田大学商学部卒業。 1954年7月7日、ホノルルで開催されたハワイ国際招待水上競技大会で20年ぶりに高橋成夫の持つ50m自由形の日本記録を更新した。 1956年日本選手権兼メルボルンオリンピック選考会の100m・200m自由形で2冠を達成し、メルボルンオリンピック日本代表に選出された。メルボルンオリンピックでは100m自由形で準決勝敗退、800mフリーリレーで4位になった。