大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2… 大神 武俊(おおがみ たけとし、1932年11月1日 - 2003年1月16日)は、福岡県福岡市出身のプロ野球選手(投手、右投右打)・解説者、野球指導者。 博多工業高から社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、1951年に南海ホークスの2軍的なチームであった社会人野球の南海土建に入団。 1952年に南海ホークスに昇格する。1年目の当初は、ぱっと見で身体が細くて、使い物になるか危ぶまれるような選手であったという。しかし、キャンプで注目を集めると、シーズンでは8勝を挙げる。巨人との日本シリーズでは新人にもかかわらず、第1戦の先発に抜擢される(大神以後、日本シリーズ第1戦に先発登板した新人投手は、楽天の則本昂大が2013年に先発登板するまで61年間にわたって現れなかった。
北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )… 北川 芳男(きたがわ よしお、1932年10月18日 - )は、千葉県佐原市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 佐原一高卒業後、日本ビールに入社。エースとして都市対抗の常連となる。1956年の産業対抗では決勝に進出、熊谷組を無失点に抑え好投するが、9回裏サヨナラ負けを喫する。同大会では敢闘賞を獲得した。同年の第2回世界野球大会に社会人野球日本代表として出場。1958年の都市対抗では3勝を挙げて準決勝に進出するが、日本石油に惜敗。 1959年に国鉄スワローズへ入団すると、1年目から主力投手として活躍。長年エースとして君臨していた金田正一を凌ぐ、37先発322回2/3を投げ、18勝20敗・防御率2.51(リーグ6位)の好成績をマーク。
鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022… 鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022年9月26日)は、和歌山県和歌山市小松原出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 幼少期に通学していた吹上小の先輩に真田重蔵がいる。戦後光風工業高等学校に入学し、そこで野球を始める。卒業後、1951年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に出場し、南海キラーとして活躍。アンダースローからカーブ、シュートを武器とした。 その後はサンテレビボックス席解説者(1974年)を経て、2002年から2016年まで智弁学園和歌山高校で投手コーチを務め、在任中は岡田俊哉らを育て上げた。2008年秋から半年間は髙嶋仁に代わり同校の監督として大分国体、秋季県2次予選、秋季近畿大会で指揮を執った。
小森 光生(こもり みつお、1931年11月2日 - )は、… 小森 光生(こもり みつお、1931年11月2日 - )は、長野県松本市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 200… 佐藤 孝夫(さとう たかお、1931年8月10日 - 2005年3月21日)は、宮城県刈田郡白石町(現・白石市)出身(台湾台南市桶盤浅生まれ)のプロ野球選手(内野手, 外野手)・コーチ・監督・スカウト、解説者。 現役時は躍動感溢れるプレーで人気を集め、「バンビ」の愛称で知られた。 子息に元早稲田大学助監督、現城西国際大学監督の佐藤孝治がいる。 台湾で繊維業を営んでいた両親の末子として生まれる。 台南一中に進学するが、日本の敗戦により、両親の故郷である白石町に引き揚げ、白石高校に編入。入学後に創部されたばかりで部員を探していた野球部の勧誘を受け、引き揚げの際に野球部だった兄が病死していたため、兄の後を継ごうという思いから野球部に入部した。
藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006… 藤田 元司(ふじた もとし、1931年8月7日 - 2006年2月9日)は、愛媛県新居浜市出身(越智郡宮窪村四阪島生まれ)の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は… 有本 義明(ありもと よしあき、1931年6月1日 - )は、兵庫県芦屋市出身のスポーツライター・解説者、野球監督。 現在はスポーツニッポン特別編集委員。 父・臣次は育英商から関西大を出て野球に親しみ、西宮市出身で甲陽中にも在籍した天知俊一と一緒の写真もあった。有本が幼い頃にキャッチボールすると「ちゃんと捕れるじゃないか」と喜んでくれた。 1945年8月15日の終戦後、9月に新学期を迎えると、当時芦屋中2年生の有本は剣道部に入部。小学生時代から壁当てや天井投げをして野球に親しんでいたが、野球部はなかった。芦屋中進学は甲南中受験に失敗したからであり、この時も西脇の疎開先で転校手続きに入っていた。そんな折、10月に校内軟式野球大会が芦屋・打出浜の海技専門学校であった。
大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年… 大津 守(おおつ まもる、1931年3月5日 - 2007年10月2日)は、福岡県嘉穂郡桂川町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 明善高校からノンプロ時代の西日本鉄道を経て、1950年にセ・パ両リーグ分立に際して球団結成したばかりの西鉄クリッパースへ入団。 3年目の1952年にリーグ最多となる46試合に登板して、チームでは野口正明の23勝に次ぐ18勝、リーグ3位の防御率2.73を挙げて主戦投手となる。1954年9月22日の南海戦では、大津は完投勝ちして南海の連勝記録を18で止める。同年のシーズンでは18勝、リーグ3位の防御率1.78を記録して、河村久文(25勝)、西村貞朗(22勝)と共に初優勝に貢献。
岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )… 岡本 伊三美(おかもと いさみ、1931年2月26日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 次女に元プロテニスプレイヤーの岡本久美子がいる。 中学まではバスケットボールの選手だったが、京都市立第一工業学校時代に野球へ転向。野球部の同期に元阪神の桧山進次郎の実父がおり、当時岡本が遊撃手で桧山の父がエース投手であった。 高校卒業後の1949年に南海ホークスへテスト生として入団。高校時代のチームメイトに種田訓久(後に南海で共にプレー)がいる。 1951年はシーズン終盤の9試合に二塁手として先発出場、また南海土建に出向という形で社会人野球でもプレーした。 1952年には兼任監督の山本一人の後継と目され、7月からは二塁手の定位置を獲得。
河原 郁夫(かわはら いくお、1930年12月20日 - 2… 河原 郁夫(かわはら いくお、1930年12月20日 - 2021年3月21日)は、日本のプラネタリウム解説者(プラネタリウム弁士、星空案内人)、天文家。天文博物館五島プラネタリウムの初代解説員のひとり。1957年から2021年まで64年間にわたってプラネタリウム解説の現場に身を置き、後進に大きな影響を与えた。 東京府東京市蒲田町(現在の東京都大田区東蒲田)に育つ。1940年、東京初(日本で2番目)のプラネタリウムであった東日天文館(のちに毎日天文館と改称)に足を運び、大いに感銘を受ける(9歳)。当初は父にせがんで連れていってもらっていたが、まもなく単身で通うようになる。 初めて接したプラネタリウム解説で覚えたオリオン座を実際に観ようと考えた河原は、深夜に起き出して自宅2階の物干し場で待ちかまえていたという。
沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまざわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身のプロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。 妻は国体に出場して最優秀選手を獲得したこともあるバスケットボール選手で、次男の沼澤尚はドラマー。 ルー・ゲーリッグに憧れ、野球選手を目指す。旧制函館中では4番・一塁手として活躍し、1946年には全道大会準決勝で帯広中を17-16という大乱戦の末に降すと、決勝でも沼澤が4長短打の活躍で札幌光星中を破り戦後初優勝を飾った。戦後初出場となった夏の甲子園でも初戦で山形中を降して戦後初勝利を挙げたが、準々決勝でエース平古場昭二を擁する浪華商に敗退。
沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 … 沼澤 康一郎(ぬまさわ こういちろう、1930年8月15日 - 1989年5月18日)は、北海道函館市出身の元プロ野球選手(外野手、捕手)・コーチ、解説者・評論家。
荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - 2016… 荒川 博(あらかわ ひろし、1930年8月6日 - 2016年12月4日)は、東京都台東区浅草出身のプロ野球選手(外野手)、コーチ・監督、解説者。
高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27… 高島 忠夫(たかしま ただお|1930年〈昭和5年〉7月27日 - 2019年〈令和元年〉6月26日)は、日本の俳優、歌手、タレント、司会者、映画解説者。東宝芸能最終所属。 兵庫県神戸市東灘区御影出身。本名は髙嶋 忠夫(読み同じ)。血液型はO型。 4人姉妹弟の長男。妻は女優でタレントの寿美花代。息子は俳優の髙嶋政宏と髙嶋政伸。弟は音楽プロデューサーの髙嶋弘之。姪はバイオリン奏者でタレントの高嶋ちさ子。 兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区御影)で、姉妹弟のいる4人姉弟の長男として出生。祖父は大地主で不動産収入があり、そのため父は琵琶師匠を自称していたが弟子もおらず、生涯定職につくことのない有閑階級の家庭であった。
長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 -… 長谷川 良平(はせがわ りょうへい、1930年3月25日 - 2006年7月29日)は、愛知県半田市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 黎明期の広島カープを代表する投手であり、身長167cmという野球選手としては当時としても小柄な体格から、小さな大投手の異名を取り、通算197勝を記録した。 愛知県半田商工学校卒業後、安田商店(福井県)・安田繊維・新田建設・第一繊維など4つのノンプロチームを渡り歩く。1949年末に設立された広島カープの石本秀一監督が選手集めをしていたところへ、広島への入団が決まっていた内藤幸三が新田建設時代の監督・横沢七郎経由で聞いた長谷川の噂を石本へ伝えたところ、1950年1月に長谷川は広島の入団テストを受けることになる。
入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - … 入谷 正典(いりたに まさのり、1928年10月15日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 200… 山根 俊英(やまね としひで、1928年3月1日 - 2009年3月5日)は、鳥取県米子市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - … 田宮 謙次郎(たみや けんじろう、1928年2月11日 - 2010年5月5日)は、茨城県下館市(現・筑西市)出身の元プロ野球選手(外野手、投手)・コーチ・監督、解説者・政治家。
関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2… 関根 潤三(せきね じゅんぞう、1927年3月15日 - 2020年4月9日)は、東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現:東京都渋谷区)出身(北豊島郡巣鴨町〈現:豊島区巣鴨〉生まれ)のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 現役時代は近鉄、巨人で活躍。打者で1000本安打・投手で50勝を記録、またオールスターゲームでは初めての投手・野手の両方でのファン投票選出を記録した。2003年、野球殿堂入り。 藤田省三が監督を務める旧制日大三中へ進学したものの、入学初年度は小柄であったため、練習に参加させてもらえなかった。2年生に進級後ようやく参加できたが、それでも外野の球拾いであった。やがて、兼務していた法政大に掛り切りとなった藤田が去り、後任監督から二塁手として抜擢されたのが転機となり、試合に出場できるようになった。
根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 19… 根本 陸夫(ねもと りくお、1926年11月20日 - 1999年4月30日)は、茨城県那珂郡東海村出身(水戸市生まれ)のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督・実業家、解説者。 引退後は近鉄バファローズコーチ、広島東洋カープコーチ・監督、クラウンライター→西武ライオンズ監督、福岡ダイエーホークス監督の他、西武ライオンズ球団管理部長、福岡ダイエーホークス代表取締役専務・代表取締役社長と、球団フロントの要職を歴任した。 ニックネームは「球界の寝業師」、ドラフト会議やトレードで辣腕を振るい、その仕事ぶりは「根本マジック」(#根本マジック参照)、「黄金時代の陰に根本あり」とも称された。肩書きこそ違ったが、事実上のGMとしてその敏腕ぶりを発揮。
荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 19… 荒巻 淳(あらまき あつし、1926年11月16日 - 1971年5月12日)は、大分県大分市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 20… 武智 文雄(たけち ふみお、1926年11月14日 - 2013年7月1日)は、岐阜県稲葉郡前宮村(現:各務原市)出身の元プロ野球選手・コーチ・解説者。
杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009… 杉山 悟(すぎやま さとし、1926年1月1日 - 2009年3月27日)は、愛知県豊田市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。 身長180cmを超える体であったことから、「デカちゃん」の愛称で知られた。 1943年、旧制岡崎中学校卒業。パワーのあるバッティングがスカウトの目にとまり、軟式野球のチームであったユタカ産業から1948年に中日ドラゴンズへ入団。2年目の1949年には31本塁打をマークし、1952年には27本を打って本塁打王のタイトルに輝き、ベストナインも受賞する。1954年には主に5番を打ち、7月25日の大阪戦(大阪)では延長10回表に駒田桂二から2点本塁打を放ったが、その裏にタイガースが河合保彦のファウルチップ打球処理に絡むトラブルで試合の続行を拒否して放棄試合となり、中日の9-0勝利となった。
杉下 茂(すぎした しげる、1925年9月17日 - 202… 杉下 茂(すぎした しげる、1925年9月17日 - 2023年6月12日)は、東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。 中日ドラゴンズでは投手として1度のリーグ優勝、1度の日本シリーズ優勝に貢献。個人ではNPBで合計11個のタイトル(6個)・主要表彰(5個)を獲得している。 NPB史上初の本格的なフォークボールの使い手(フォークボーラー)とされ、当時は珍しさがあったものの驚異的な変化の切れ味と落差を誇るフォークボールを自在に操って球界に絶大な影響を与えたことから「フォークボールの神様」と呼ばれている。 1954年に32勝を挙げるなど中日ドラゴンズのエースとして活躍し、沢村栄治賞を史上初めて3度受賞しているほか、史上4人目・セ・リーグ史上初となる投手五冠王に輝いている。
濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006… 濱尾 実(はまお みのる、1925年6月20日 - 2006年10月25日)は、日本の侍従、皇室解説者、作家、教育者。子爵。東宮侍従や東宮傅育官を務めた。作家としては浜尾 実(読み同じ、新字体)の名義で著書を多く残した。 東京大学工学部応用化学科卒業。熱心なカトリック信者で、1946年(昭和21年)12月21日に東京の世田谷教会で受洗した。洗礼名はセバスチアノ。 1945年(昭和20年)に兄・誠が戦死すると、爵位を継いで子爵となった。1951年(昭和26年)に東宮傅育官として皇太子明仁親王に仕え、その後東宮侍従となってからは浩宮徳仁親王・礼宮文仁親王兄弟の幼少時の教育に当たった。多忙な皇太子夫妻に代わって、親王の学校行事・面談に出席することもあった。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。
草下 英明(くさか ひであき、1924年12月1日 - 19… 草下 英明(くさか ひであき、1924年12月1日 - 1991年6月22日)は、日本の科学解説者、科学ジャーナリスト。 東京府(現・東京都)出身。立教大学経済学部卒業。在学中には、箱根駅伝に出場した経験がある(第22回大会)。1947年大成建設(旧大倉組)に入社した後、1948年から誠文堂新光社「子供の科学」のち「科学画報」編集部、1952年には教育弘報社勤務、1953年から平凡社の編集部員、1956年から五島プラネタリウム解説員。 1957年に創設されたSFファングループ「宇宙塵」に、初期から参加。短編「カスティリョ・ゴメスの脚」が、のちに『宇宙塵傑作選〈1〉日本SFの軌跡』に収録されている。
青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 199… 青田 昇(あおた のぼる、1924年11月22日 - 1997年11月4日)は、兵庫県三木市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。2009年、野球殿堂入り。
飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000… 飯田 徳治(いいだ とくじ、1924年4月6日 - 2000年6月19日)は、神奈川県横浜市出身のプロ野球選手(内野手、外野手、投手)・コーチ・監督、解説者。 シーズン154試合出場は杉山光平と 佐々木信也と共に日本タイ記録。パ・リーグ初のベストナイン(一塁手部門)も受賞している。 温厚な性格で「仏の徳さん」と呼ばれ親しまれた。 浅野綜合中学校では1939年の第16回選抜中等学校野球大会に出場し、2回戦(初戦)で北神商業中学校に敗退する。卒業後は東京鉄道管理局に就職して野球部に入部し、エースで4番打者だったが社会人では一塁手へ転向し、同じく4番打者として活躍した。1942年の第16回都市対抗野球大会では2回戦で全京城に敗退するが、打率.556を記録して打撃賞を獲得した。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 198… 中原 宏(なかはら ひろし、1923年8月29日 - 1986年9月27日)は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。
真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1… 真田 重蔵(さなだ じゅうぞう、1923年5月27日 - 1994年5月30日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(投手、内野手)・コーチ、解説者・評論家。
宮澤 清治(宮沢 清治、みやざわ せいじ、1923年2月21… 宮澤 清治(宮沢 清治、みやざわ せいじ、1923年2月21日 - 2011年7月18日)は、日本の気象解説者。 長野県長野市出身。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、1942年気象技術官養成所(現在の気象大学校)本科卒業。長野地方気象台、新潟地方気象台を経て福岡管区気象台予報課長。1968年運輸大臣表彰(豪雪機構の解明)。1969年「豪雪に関する中気候学的研究」で東京教育大学理学博士。1972年気象庁天気相談所長。1980年広島地方気象台長。1982年神戸海洋気象台長。1983年気象庁を退官。1983年から2010年6月まで、NHKテレビ・ラジオの「気象情報」の解説を担当した。1993年日本気象学会評議員。
武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1… 武末 悉昌(たけすえ よしまさ、1922年10月4日 - 1998年6月2日)は、福岡県出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 名前は、悉昌を音読みして「しっしょう」とも称した。 福岡県筑紫郡の農家の家系に生まれる。父が農業を継がせようとする両親(武末にとっては祖父母にあたる)に反発して家を出奔して銀行員となったため、1人残った武末は祖父母からの迫害を受けることになった。旧制筑紫中学(現:福岡県立筑紫丘高等学校)を卒業後、親類から逃れて野球を続けるために旧満州に渡り、大連高等商業学校を経て、満協中央銀行に入る。その後、1944年に召集令状を受け取り、関東軍に経理将校として召集される。
別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1… 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県神戸市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 201… 林 由郎(はやし よしろう、1922年1月27日 - 2012年1月2日)は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファー、ゴルフ指導者・解説者。 長男の林由一、孫の林由寿もプロゴルファーである。 第二次世界大戦直前の1930年代に貧しい農家であった一家を支えるため、小学校を卒業した林は自宅近くの我孫子GCでキャディのアルバイトを始める。大人顔負けの日銭が稼げる仕事でそれ以上のものではなかったが、いち早くボールを発見し利用客に喜んでもらうために一生懸命、客の構えとボールの方向をよく見ていた。毎日、目の前でプレーを見ている内に自然の成り行きでゴルフに魅せられていくと、キャディの仕事の意味は一変。客のスタンスの取り方、グリップの形、テークバックの上げ方、バンカーショットなど、目を皿の様に観察し、練習する毎日となった。
大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 20… 大島 信雄(おおしま のぶお、1921年10月2日 - 2005年1月8日)は、愛知県一宮市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者・評論家。
土井垣 武(どいがき たけし、1921年7月1日 - 199… 土井垣 武(どいがき たけし、1921年7月1日 - 1999年1月25日)は、鳥取県米子市出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ、解説者・評論家。 後に若松(わかまつ)と改姓。なお、姓の読みはどいがきではなく正しくはどいかいとと読むと言うが、なかなか正しく読んでもらえず、そのまま「どいがき」で通したと言う。 両リーグ分立前後を代表する捕手で、1947年から1952年まで6年連続でベストナインを獲得。熱血的な性格からニューヨーク・ヤンキースの往年の名捕手にあやかって和製ヨギ・ベラと呼ばれた。末弟にパシフィック・リーグ審判を長らく務めた土井垣幸男がいる。 幼い頃から大阪鉄道局米子野球部のマスコット的存在として可愛がられていた。
福井 敏雄(ふくい としお、1921年(大正10年)3月11… 福井 敏雄(ふくい としお、1921年(大正10年)3月11日 - 2005年(平成17年)4月27日)は、日本の気象解説者・タレント。
別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 199… 別当 薫(べっとう かおる、1920年8月23日 - 1999年4月16日)は、兵庫県西宮市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
金田 正泰(かなだ まさやす、旧姓:竹村、晩年の姓:小武内、… 金田 正泰(かなだ まさやす、旧姓:竹村、晩年の姓:小武内、1920年7月21日 - 1992年12月5日)は、京都府京都市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者。
西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 20… 西本 幸雄(にしもと ゆきお、1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山市出身のプロ野球選手(内野手)、コーチ・監督、解説者・評論家。 選手としては、社会人野球の星野組時代に選手兼任監督として都市対抗野球大会で優勝し、その戦力を見込まれて他のメンバーとともに入団した毎日オリオンズでは最初の日本選手権シリーズにも出場して優勝を経験した。 現役引退後、40歳でオリオンズ(当時は「大毎オリオンズ」)監督に就任して初年度にリーグ優勝を達成する。以後61歳で退任するまで、3球団で合計8回のリーグ優勝を成し遂げた。阪急ブレーブスと近鉄バファローズでは弱小チームを鍛えて強豪に育てあげ、その手腕が高く評価されて野球殿堂の表彰者となった。
服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1… 服部 受弘(はっとり つぐひろ、1920年2月23日 - 1991年12月6日)は、愛知県出身の元プロ野球選手(捕手、投手、内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
鬼頭 政一(きとう まさいち、1920年2月9日 - 200… 鬼頭 政一(きとう まさいち、1920年2月9日 - 2008年11月4日)は、愛知県名古屋市野立町(現・熱田区)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 同じくプロ野球選手であった南海の鬼頭数雄は実兄、近畿日本の鬼頭勝治は実弟。 旧制日大三中卒業後、1940年に名古屋軍へ入団。同年のシーズン途中に兄・数雄の在籍していたライオン軍に移籍し、2年目の1941年8月1日の大洋戦(後楽園)で6回表に浅岡三郎から勝ち越しとなる初本塁打を放つ。1942年まで在籍し、その後は1943年に出征して輸送船で南方へ赴くはずであったが、直前に歩兵戦術を学ぶため国内に残った。鬼頭が所属していた部隊の船は、台湾沖で沈没している。
林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年… 林 義一(はやし ぎいち、1920年2月1日 - 2008年1月17日)は、徳島県徳島市常三島出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年… 高松 利夫(たかまつ としお、1919年8月15日 - 没年不明)は、東京都出身のプロ野球選手(投手)・解説者・評論家。 東京府立第一商業 から慶應義塾大学へ進学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月16日に行われた出陣学徒壮行早慶戦(別名・最後の早慶戦)では先発の久保木清の中継ぎとして登板した。卒業後に菊水クラブへ進み、1950年に大映スターズへ入団。1951年から1953年まで3年連続で9勝を記録。現役生活は6年のみであり通算では負け越しているものの、終始大映の主力投手として活躍した。1955年引退。 引退後はニッポン放送解説者・スポーツニッポン評論家を務めた。
飯島 滋弥(いいじま しげや、1918年10月11日 - 1… 飯島 滋弥(いいじま しげや、1918年10月11日 - 1970年8月9日)は、千葉県香取郡吉田村(現:匝瑳市吉田)出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者。
藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 19… 藤本 英雄(ふじもと ひでお、1918年5月18日 - 1997年4月26日)は、山口県下関市彦島(朝鮮・釜山生まれ)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者。
伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1… 伊藤 庄七(いとう しょうしち、1918年3月20日 - 1999年3月6日)は、愛知県名古屋市出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者。
門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1… 門前 眞佐人(もんぜん まさと、1917年5月15日 - 1984年2月22日)は、広島県三次市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ・監督、解説者。大阪タイガース契約第1号選手。「眞」が旧字体であるため、媒体によって門前 真佐人と表記される。 旧制広陵中学3年次に正捕手となる。強肩強打で鳴らし、4年次には豪打広陵の4番に座る。1934年は夏の選手権広島予選決勝で何度も苦汁をなめさせられた藤村富美男率いる呉港中学にまたも惜敗(2対3)。呉港中はこの年、田川豊・橋本正吾・保手浜明らを揃え、高い総合力で川上哲治らの熊本工業などの全国の強豪をまったく寄せ付けず圧勝し全国制覇、門前らは地団駄を踏む。門前が最上級となった1935年、今度は広陵が白石勝巳・岡田宗芳・海蔵寺弘司・戒能朶一・秋山正信・室脇正信ら7人がプロ入りするという強力打線を形成。