和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 202… 和光 晴生(わこう はるお、1948年6月12日 - 2023年11月4日)は、日本のテロリスト・新左翼活動家。革命家。日本赤軍元メンバー。 宮城県仙台市出身。仙台第三高校卒業後、1968年に慶應義塾大学文学部に入学。[要出典] 映画少年だったが、医学部が米軍から研究資金を受けていたことが報道されたことを契機に起きた学内の抗議運動がきっかけで学生運動に参加、マルクス主義戦線派に近いノンセクトグループで活動していた。一方で新宿の映画館「アンダーグラウンド蠍座」でアルバイトをしており、三島由紀夫、寺山修司、若松孝二といった文化人の知遇を得る機会を持った。大学中退後、若松孝二の下で働き始め、1971年から1972年にかけて、若松と足立正生の映画「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の『赤バス隊』と呼ばれた上映隊で全国を巡った。
喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月1… 喜納 昌吉(きな しょうきち、1948年〈昭和23年〉6月10日 - )は、沖縄出身の日本人音楽家、平和活動家、政治家である。米軍占領下の中頭郡越來村(現・沖縄県沖縄市)生まれ。 琉球民謡を現代風にアレンジしたウチナー・ポップを確立した。バンド・喜納昌吉&チャンプルーズを率い、ヴォーカル、ギター、三線、作詞作曲を主に担当する。 参議院議員(1期)、元民主党沖縄県総支部連合会代表。 父は琉球民謡の第一人者喜納昌永。11人兄弟の四男。 琉球民謡を元にした独特のメロディとウチナーグチ(沖縄方言)が特徴的なポップスを歌ってきた。実妹らと共に結成したバンド「喜納昌吉&チャンプルーズ」の音楽は、りんけんバンド、ネーネーズ等のものと共に「ウチナー・ポップ」とも呼ばれる。
大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6… 大道寺 将司(だいどうじ まさし、1948年〈昭和23年〉6月5日 - 2017年〈平成29年〉5月24日)は、日本の政治活動家、東アジア反日武装戦線“狼”部隊のメンバー。同部隊のリーダー格だった。 北海道釧路市出身。小学生時代より、新聞を丹念に読んではスクラップ帳を作る公務員の父親や、北海道議会議員だった継母の義理の兄、そしてその息子で高校生ながらに60年安保反対運動の先頭に立っていた太田昌国らの影響から、政治への関心を持つようになる。中学校入学後は学区の中にアイヌ居住区が含まれていたため、多くのアイヌの同級生たちと交流する中で、その厳しい暮らしぶりや中学3年時でのアイヌに対する就職差別を目の当たりにし、問題意識を抱くようになった。
後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21… 後藤 博子(ごとう ひろこ、1948年(昭和23年)5月21日 - )は、日本の政治家、社会活動家。国民新党の元参議院議員(1期)。 大分県大分市出身。一男一女をもうける。国際協力事業団(JICA)支援によりブラジルのアマゾナス州マナウスに家族で工業移住。 マナウス日伯文化協会の日本語学校で日系二世・三世に日本語や日本文化について指導する。 2001年(平成13年)の第19回参議院議員通常選挙では自由民主党の公認を受け、大分県選挙区から出馬し参議院議員に初当選。2004年(平成16年)、政治家の年金未納問題が注目された際に年金の未納が発覚している。2005年(平成17年)8月8日、郵政民営化関連法案の参議院本会議採決では反対票を投じ、「郵政解散」につながる同法案否決への道を開いた。
小川 正洋(おがわ まさひろ、1948年〈昭和23年〉5月1… 小川 正洋(おがわ まさひろ、1948年〈昭和23年〉5月15日 - 2018年〈平成30年〉11月26日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫が結成した「楯の会」の3期生で第7班班長。三島、森田必勝と共に、憲法改正のための自衛隊の決起(クーデター)を呼びかける三島事件に参加した一員である。 1948年(昭和23年)5月15日、会社員の父・敬と母・妙子の次男として千葉県山武郡松尾町借毛本郷685番地に誕生。父は元警察官であったが正洋が生れた当時は警備関係の職に就いていて、母は元教員だった3歳上の兄・直哉と姉がいた。その後、一家は千葉市仁戸名町(現・中央区仁戸名町)に転居した。 正洋は子供の頃に母親から、木口小平、広瀬武夫、乃木希典の話を聞かされ、一緒に映画『明治天皇と日露戦争』『敵中横断三百里』を見たことから、日本の歴史に興味を持つようになった。
三輪 和雄(みわ かずお、1948年〈昭和23年〉4月15日… 三輪 和雄(みわ かずお、1948年〈昭和23年〉4月15日 - )は、日本の社会運動家、政治活動家。「日本世論の会」会長、「正論の会」会長、頑張れ日本!全国行動委員会代表常任幹事。 東京都中央区日本橋生まれ。中央大学卒。中央大学在学時は学園正常化の立場で学生運動に参加。日興證券・日経グループの投資情報サービス会社「QUICK」勤務を経て、民社党の伊藤昌弘公設秘書。1986年、社会運動家として独立。1989年、早稲田大学社会科学部に学士入学し、1990年に卒業。 日本世論の会の副会長・専務理事を経て第2代会長に就任、また、日本会議の百人委員、美しい日本の憲法をつくる国民の会中央委員なども務める。
魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月… 魚本 公博(うおもと きみひろ、1948年(昭和23年)3月19日 - )は、日本のテロリスト。よど号グループのメンバー。旧姓は安部。 1948年3月、大分県別府市石垣に高校教師の子として生まれる。おじがフィリピンで戦死しており、進駐軍の暴力的行為にも反感があったことから、子供時代は反米愛国少年だった。関西大学に入学。佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争で学生運動を知り、共産主義者同盟系の学生グループを経て赤軍派となり、東大安田講堂事件に参加。1970年(昭和45年)によど号ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命。当初、警察の指紋照合による9人のメンバーの割り出しでは「梅内恒夫」と間違って発表されたが、10日後に「安部公博」と訂正された。
魚谷 哲央(うおたに てつおう、1948年〈昭和23年〉1月… 魚谷 哲央(うおたに てつおう、1948年〈昭和23年〉1月30日 - )は、日本の政治活動家。維新政党・新風代表。 新風の初代代表・創始者として京都市内の各ターミナルなどの要所で演説をするなど、京都府を中心に運動を展開している。「現行占領憲法体制(YP体制)によって喪失させられている国家主権意識の回復なくしては、真の国政改革はなく、国民生活の調和も得られない。」と主張。戦後体制を否定する立場から、右は自民党、左は共産党に至る既存政党を「戦後体制派」と批判し、唯一の「反戦後体制派」である新風が国政に進出し、「戦後体制派」と戦っていく必要があると主張している。この目的を達成するために、街宣活動や講演会などで知名度上昇を図りつつ、各級選挙に候補者を擁立しているが、現時点では公認候補の当選例はない。
黒川 芳正(くろかわ よしまさ、1948年1月26日 - )… 黒川 芳正(くろかわ よしまさ、1948年1月26日 - )は、日本の新左翼活動家。元東アジア反日武装戦線「さそり」メンバー。受刑者である。 山口県立宇部高等学校を卒業後、東京都立大学文学部哲学科に進学。その後、中核派の活動家となった黒川は佐藤首相訪米阻止闘争、1968年には佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争に参加。その後、中核派からは離れたが、東大安田講堂事件で武装闘争を決意した。 山谷や釜ヶ崎といった寄せ場で日雇い労働を行いつつ暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議や山谷底辺委員会に関与した。 佐々木規夫を通じて大道寺将司に会い、東アジア反日武装戦線に参加。1974年に「さそり」を結成し、底辺委員会メンバーの宇賀神寿一や桐島聡とともに連続企業爆破事件を起こす。
岩根 順子(いわね じゅんこ、1948年 - )は、日本の実… 岩根 順子(いわね じゅんこ、1948年 - )は、日本の実業家、社会運動家。サンライズ出版代表取締役社長、三方よし研究所創立者・副理事長。ブルーレーク賞受賞。 滋賀県彦根市出身。1969年滋賀大学経済短期大学部(現滋賀大学経済学部夜間主コース)を卒業、父親が創業したサンライズに入社。1981年に父親の跡を継ぎ同社代表取締役社長となる。1982年サンライズ印刷を設立、代表取締役社長に就任。1990年からは滋賀県商工労働部主催のAKINDOフォーラム企画運営委員・会議委員を務める。1994年には「淡海文化を育てる会」を発足し、『淡海文庫』を創刊。1997年、滋賀県の文化・自然を全国に紹介した功績等により滋賀県知事からブルーレーク賞を授与される。
風森 洸(かざもり ひかる、1948年〈昭和23年〉 - )… 風森 洸(かざもり ひかる、1948年〈昭和23年〉 - )は、革マル派の活動家。東京大学教養学部中退。現在[いつ?]、革マル派の政治組織局員を務める。革マル派の最高指導部である政治組織局のメンバーでは数少ない名前の公表されている人物である。 著書に『暗黒の21世紀に挑む』がある。(あかね図書販売刊) この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
工藤 慶一(くどう けいいち、1948年(昭和23年) ‐)… 工藤 慶一(くどう けいいち、1948年(昭和23年) ‐)は、日本の教育者、社会運動家、フリーランスの学者。 1948年、旭川市出身。国立北海道大学(理学部)の学生時代、教育制度への疑問やベトナム戦争反対を訴え学生運動に身を投じ、3年生の時、大学を中退した。印刷会社のアルバイトを経て、ガソリンスタンドを展開する石油販売会社の総務部に所属し、資金繰りや決算などを担当する。90年には、市民有志で、「札幌遠友塾 自主夜間中学」を発足させ、1996年から2010年まで代表を務めた。 2023年現在、「北海道に夜間中学をつくる会」で共同代表を務めている。 「2010年5月 工藤慶一さん〜札幌遠友塾自主夜間中学代表 ‐ お独り様会」に掲載の記事が、工藤慶一という人物を端的に物語っている。
青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活… 青砥 恭(あおと やすし、1948年 - )は、日本の社会活動家。NPO法人さいたまユースサポートネット代表理事。 島根県松江市出身。明治大学法学部卒業。大学卒業後は、警備員のアルバイトに従事しており、教師になってからは20年間にわたり埼玉県の公立高校で教員として勤務した後、2019年3月まで関東学院大学、埼玉大学、明治大学などで教育学・教育法学・教育社会学などの分野で講師を務めた。主に「子ども・若者の貧困と格差」を研究テーマに教育と持続的な地域づくりという視点から研究をしている。2011年7月に友人らと特定非営利活動法人さいたまユースサポートネットを設立。その後は、さいたま市で学習支援、居場所づくり、就労支援など若者たちの包括的支援のネットワークと地域拠点をつくる活動をしている。
吉永 元信(よしなが もとのぶ、1948年〈昭和23年〉 -… 吉永 元信(よしなが もとのぶ、1948年〈昭和23年〉 - )は、日本の図書館員、教育者。第17代国立国会図書館長。 兵庫県芦屋市出身。中学校の同窓に村上春樹がおり、高校生の頃は受験勉強のために毎日図書館へ通った。 大学進学後は政治学を専攻したものの、学生運動が盛んだったため講義があまり開かれなかった。その経験から落ち着いた人生を送りたいと考える様になり、研究をしたいという願望と国立国会図書館に勤務する大学の先輩から国会図書館で調査研究が出来ると聞いて興味を持ったことから、1971年に早稲田大学政治経済学部を卒業し、その2年後の1973年に国立国会図書館へ入館した。 入館後、総務部長、副館長などを歴任。
鴨 桃代(かも ももよ、1948年 - )は日本の労働運動家… 鴨 桃代(かも ももよ、1948年 - )は日本の労働運動家、政治活動家。2002年に結成された全国コミュニティ・ユニオン連合会(全国ユニオン)の初代会長を務めた。 静岡県清水市(現在の静岡市清水区)出身。同市立袖師小学校、静岡雙葉中学校・高等学校卒業後、千葉県千葉市の淑徳大学で全共闘運動に参加した。1972年に同大学社会福祉学部を卒業し、保育士職(当時は「保母」)として千葉県職員となる。その後、学生運動を通じて知り合った中央大学出身の鴨哲登志と結婚。 2人の男児が共に難病となって長男が死亡、育児との両立が困難になったため退職。以後、鴨は日本社会党員かつ社会主義青年同盟の活動家である夫の活動を支えた。
岡本 公三(おかもと こうぞう、1947年12月7日 - )… 岡本 公三(おかもと こうぞう、1947年12月7日 - )は、日本の新左翼党派・共産主義者同盟赤軍派のテロリスト。テルアビブ空港乱射事件の実行犯の一人。 一般には日本赤軍メンバーとされるが、正確には日本赤軍成立前のメンバーで、イスラエルからの釈放後にレバノンに亡命し、日本警察からは国際手配中。なおよど号グループの岡本武は実兄。 熊本県葦北郡芦北町で、小学校校長の子として生まれる。熊本マリスト学園高等学校卒業。 長兄と次兄の岡本武と同じ進学先である京都大学を二度受験したが失敗し、1968年、鹿児島大学農学部に入学。1971年、鹿児島大学にやってきた若松孝二・足立正生監督の映画『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』に共鳴し、上映運動を展開する「赤バス隊」に参加。
城崎 勉(しろさき つとむ、1947年12月5日 - 202… 城崎 勉(しろさき つとむ、1947年12月5日 - 2024年7月20日)は、日本のテロリスト、新左翼活動家。 「イシダ・ヒロフミ(Hirofumi Ishida)」「キクチ・シュンスケ(Shunsuke Kikuchi)」といった偽名を持っていた。 富山県下新川郡入善町出身。ベトナム戦争への反戦運動に参加し、徳島大学工学部を中退後、共産同赤軍派に参加。M作戦に関与して1971年に逮捕され、懲役10年が確定。 府中刑務所服役中の1977年にダッカ事件で超法規的措置で釈放され、日本赤軍に参加とされているが、本人は否定、日本赤軍からの生活費の支援は受けつつも加入せず、パレスチナ解放人民戦線に加入したとしている。
齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 19… 齋藤 和(さいとう のどか、1947年11月14日 - 1975年5月19日)は、日本の政治活動家。男性。 元東アジア反日武装戦線 “大地の牙” メンバーで、同部隊の事実上のリーダーであった。1974年の三井物産爆破事件をはじめ、同部隊による連続企業爆破事件において、主導的役割を担ったとされる。 北海道室蘭市出身。北海道室蘭東高等学校では生徒会長を務めた。高校時代にアナキズム理論に出会い、松田政男、山口健二、川仁宏、笹本雅敬らの東京行動戦線に賛同し、シンパとなった。夏休みには上京し東京行動戦線の母体である現代思潮社でアルバイトをするほどの熱心さだった。 東京都立大学人文学部に進学し上京。東京行動戦線から派生した笹本、朝倉喬司らのベトナム反戦直接行動委員会にも参加し、1966年10月19日に東京都田無市(現:西東京市)の日特金属工業(現:住友重機械工業)を襲ったメンバーの一人だったが、逮捕はされなかった。
長谷川 潤(はせがわ じゅん、1947年〈昭和22年〉11月… 長谷川 潤(はせがわ じゅん、1947年〈昭和22年〉11月10日 - )は、日本の教育者および政治活動家。父はチッソ興産(現:日祥)元代表取締役社長の長谷川達海。 同志社大学文学部卒業後、民間企業勤務の営業マンとして勤務する。1975年(昭和50年)より枚方市立第一中学校の中学校教師(社会)を務める。 勤務の傍ら定例勉強会「一日会」を主宰し機関紙「神風」 を発行するなど、中山嶺雄として関西右翼の重鎮としても活動してきた。田中正明や日本皇民党とも関係があり、中央政界や維新政党・新風 ともパイプを持つ。 なお中学が荒れていた時期はマスコミに登場することも多かったが、雑誌などでの執筆やインタビュー、また「朝まで生テレビ!」などへの出演では、「中学教師の長谷川」で通していた。
作田 学(さくた まなぶ、1947年10月31日 - )は、… 作田 学(さくた まなぶ、1947年10月31日 - )は、日本の医師、活動家。日本禁煙学会理事長。一口坂クリニック勤務。神経内科、禁煙学が専門。兄は精神医学者の作田勉、弟は精神科医の作田明。 千葉県市川市生まれ。日出学園小学校、武蔵中学校・高等学校を経て、1973年に東京大学医学部医学科を卒業後、東京大学医学部附属病院、ミネソタ大学研究員などを経て、2002年に杏林大学第一内科主任教授。2006年、日本禁煙学会理事長に就任、現在まで同学会理事長を務める。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
坂内 三夫(ばんない みつお、1947年9月25日 - )は… 坂内 三夫(ばんない みつお、1947年9月25日 - )は、日本の社会運動家。全国労働組合総連合(全労連)元議長。 新潟県南蒲原郡下田村(現三条市)生まれ。中学校卒業後、集団就職で上京。1968年、定時制高校を卒業。中野共立病院に就職、労働組合で青年部長・書記長・委員長を歴任。中野区労協事務局長として革新区政誕生に関わった。 1981年より、東京地方医療労働組合連合会専従。1984年、日本医療労働組合協議会(現日本医療労働組合連合会、医労連)専従。1987年、日本医療労働組合連合会初代書記長。 1998年7月の全国労働組合総連合(全労連)大会で事務局長に選任された。2006年7月-2008年7月、全労連議長。
伊藤 哲夫(いとう てつお、1947年9月23日 - )は、… 伊藤 哲夫(いとう てつお、1947年9月23日 - )は、日本の政治活動家。日本政策研究センター代表、日本会議常任理事(政策委員)、神道政治連盟政策委員、日本李登輝友の会常務理事、元生長の家中央教育宣伝部長。 新潟県上越市生まれ。新潟大学人文学部卒業。生長の家の「飛田給派」(現・生長の家本流運動)の一員だったが、教団が政治活動から手を引いたため自身も教団を抜け、1984年、「日本政策研究センター」を設立。日本会議常任理事を務める。1996年には、選択的夫婦別姓制度導入に反対する「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」の呼びかけ人を務めている。 「日本政策研究センター」は、生長の家学生会全国総連合(生学連)OBを中心に、伊藤が設立した「生長の家」の関連団体であり、「日本会議」のシンクタンクである。
吉田 万三(よしだ まんぞう、1947年(昭和22年)9月1… 吉田 万三(よしだ まんぞう、1947年(昭和22年)9月19日 - )は、日本の政治家、社会運動家である。第5代東京都足立区長。歯科医師。 特定医療法人健和会蒲原歯科診療所長、全日本民主医療機関連合会(全日本民医連)副会長、中央社会保障推進協議会(中央社保協)代表委員などを歴任。 東京都目黒区生まれ。東京都立大学附属高等学校、北海道大学歯学部卒業。高校時代に日本民主青年同盟に加盟した。北大歯学部卒業後、歯科医院勤務を経て、1979年に八丈町・八丈島で歯科医院を開業した。1983年、足立区で蒲原(かばら)歯科診療所を開業。訪問歯科医療を先駆的に取り組んだ。 1996年、無所属(日本共産党・新社会党推薦)で足立区長選挙に出馬。
梅内 恒夫(うめない つねお、1947年8月23日 - 生死… 梅内 恒夫(うめない つねお、1947年8月23日 - 生死不明)は、共産主義者同盟赤軍派の活動家。 1947年、青森県に生まれる。青森県立八戸高等学校卒業後、福島県立医科大学に入学。在学中に共産主義者同盟に加盟し、赤軍派の結成と同時に赤軍派のメンバーとなる。後に連合赤軍メンバーとなる植垣康博を赤軍派にオルグしたりしている。 梅内は爆弾製造を担当しており、考案した爆弾は俗に「梅内爆弾」と呼ばれるようになり、新左翼の爆弾闘争を飛躍させることになる。しかし、大菩薩峠事件の捜査で梅内の名前が浮上したことから、爆発物取締罰則違反で指名手配となった。その直後に地下に潜行した。手記で表された思想は、後に日本原住民論として結実し、反日テロが続発するきっかけとなった。
古賀 浩靖(こが ひろやす、1947年〈昭和22年〉8月15… 古賀 浩靖(こが ひろやす、1947年〈昭和22年〉8月15日 - )は、日本の政治活動家、宗教家。三島由紀夫が結成した「楯の会」の2期生で第5班副班長。1970年(昭和45年)11月25日の三島事件に参加し、三島由紀夫と森田必勝の割腹自殺の介錯をした。仮釈放後、谷口清超の長女の佳代子と1980年(昭和55年)3月に結婚。荒地浩靖と改姓し、生長の家札幌教区の教化部長となった。 1947年(昭和22年)8月15日、父・幸利と母・幸の次男として北海道滝川市字北滝の川862番地に誕生。父・幸利は元小学校校長で、宗教法人「生長の家」の本部講師をしていた。浩靖は、二男五女の末っ子であった。 高校時代に、「生長の家」練成会に入り、合宿生活をしたこともあった古賀は、小・中学校の授業では教わることのなかった「真の人間の存在価値」に触れ、日本の歴史の生命と自分の生命の一体化を知り、人生観が変化していった。
黒川 征一(くろかわ せいいち、1947年(昭和22年)7月… 黒川 征一(くろかわ せいいち、1947年(昭和22年)7月24日 - )は、日本の政治家、労働運動家。元徳島県三好市長(2期)、元徳島県議会議員(4期)。 1947年7月24日、徳島県三好郡三縄村松尾で、農家の黒川村一・アキヱの三男に生まれる。池田町立出合小学校・中学校、徳島県立池田高等学校を卒業。貧困のため大学進学を諦め就職。 1966年から徳島西部交通、美馬郵便局、池田石油、神戸製鋼所などを遍歴した。1968年から池田町役場に勤務。役場に通いながら通信教育を受け、1973年3月に近畿大学法学部法律学科を卒業。1987年3月に法政大学文学部地理学科を卒業。 1991年から介護保険講師として講演活動も行っている。
天木 直人(あまき なおと、1947年7月19日 - )は、… 天木 直人(あまき なおと、1947年7月19日 - )は、外交評論家、作家、政治運動家。インターネット政党の新党憲法9条の発起人。元駐レバノン日本国特命全権大使。
岸 宏一(きし こういち、筆名:麻生浩、1947年7月 - … 岸 宏一(きし こういち、筆名:麻生浩、1947年7月 - 2017年3月?)は、日本の新左翼活動家。 群馬県渋川市生まれ。 群馬県立渋川高等学校を経て、1966年慶應義塾大学経済学部に入学。 1967年に砂川闘争・第一次羽田事件に参加、同年12月マルクス主義学生同盟中核派に加盟。 1968年の米軍王子野戦病院開設阻止闘争・新宿米タン阻止闘争で逮捕・起訴された。同年12月革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)に加盟する。 1969年5月全学連(中核派)書記局、8月全学連書記長代行、全国全共闘書記局員をつとめ、第二次羽田事件で総指揮者の一人となり、1970年2月に逮捕・起訴される。 1971年、破防法裁判闘争を支える会事務局に着任するが、1974年1月14日の革マル派による破防法被告・弁護団襲撃時、最高指導者本多延嘉の護衛中に負傷。
中島 恒雄(なかじま つねお、1947年(昭和22年)6月2… 中島 恒雄(なかじま つねお、1947年(昭和22年)6月26日- )は、日本の教育者、福祉活動家。尾州茶屋家17代当主。学位は教育学博士(フォーダム大学・1989年)。学校法人茶屋四郎次郎記念学園創立者・理事長、東京福祉大学・大学院総長・学長、学校法人たちばな学園創立者・理事長、理学・作業名古屋専門学校名誉校長、保育・介護・ビジネス名古屋専門学校校長、社会福祉法人茶屋福祉記念会茶屋とくしげ保育園理事長、社会福祉法人茶屋の園特別養護老人ホームたちばなの園白糸台創立者、特定非営利活動法人(NPO)日本・留学生交流援護会創設者、茶屋四郎次郎記念学術学会創設者(日本学術会議登録学術研究団体)、上海師範大学名誉教授、海南師範大学名誉教授、前ハーバード大学教育学大学院招聘学者、講道館柔道5段。
鈴木 尚之(すずき なおゆき、1947年6月23日 - 20… 鈴木 尚之(すずき なおゆき、1947年6月23日 - 2011年5月4日)は、日本の労働運動家、市民運動家。新しい歴史教科書をつくる会事務局長。鉄道労働組合(鉄労)書記長。 福島県白河市生まれ。1966年4月、新国労に就職。1968年3月、民社党入党。1970年3月、中央大学第二法学部卒業。1982年9月、鉄労経営対策部長、1984年9月、情宣部長、1985年8月、企画部長、1986年7月、副書記長、1987年2月、書記長に就任。同年9月、鉄労友愛会議副議長。 労働運動を離れてからは、1991年6月、大内啓伍衆議院議員秘書、1994年6月、民社党福島県連副委員長。同年12月、民社党の解党、新進党への合流に伴い福島民社協会代表理事になった。
結柴 誠一(けしば せいいち、1947年5月21日 - )は… 結柴 誠一(けしば せいいち、1947年5月21日 - )は、日本の政治家、市民運動家。東京都杉並区議会議員(7期)。
丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛… 丹波 正史(たんば せいし、1947年4月12日 - )は愛知県出身の部落解放運動家、地方議員。 愛知県海部郡甚目寺町(現・あま市)生まれ。父の丹波繁正は富山県の被差別部落の出で、社会大衆党神戸支部執行委員を経て、甚目寺町の町会議員を3期つとめた。母の弟の井村末次郎も甚目寺町の町会議員(日本共産党)を1期つとめた。甚目寺町の町会議員を正史自身も1期、正史の妻の真理も7期つとめている。 愛知県立中村高等学校在学中、18歳で日本共産党に入党。1974年、甚目寺町議に当選し、4年間にわたり愛知県部落解放運動連合会(略称・愛解連)委員長と兼任。1978年、31歳で全国部落解放運動連合会(略称・全解連)中央執行委員になり、1983年、35歳で全解連書記次長となる。
岡本 光一(おかもと こういち、1947年(昭和22年)4月… 岡本 光一(おかもと こういち、1947年(昭和22年)4月9日 - )は、日本の実業家・慈善家。キーエンス元常務取締役 兼 企画開発部長。公益財団法人プラザ・コム代表理事。 東京都出身。兵庫県宝塚市在住。1970年(昭和45年)立命館大学理工学部を卒業。電子技術エンジニアとして回路設計に携わっていたが、30歳手前の時に失業。 1975年(昭和50年)リード電機(現:キーエンス)に3人目の社員として入社。1977年(昭和52年)取締役、1986年(昭和61年)6月常務に就任(同年キーエンスに改称)。1994年(平成6年)に退職し、監査役を務めた。 阪神・淡路大震災をきっかけに、宝塚市内で日曜大工や手話のボランティアを始め、公益財団「プラザ・コム」を夫妻で設立。
河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、… 河野 美代子(こうの みよこ、1947年4月2日 - )は、日本の政治活動家・医師。ボランティア団体「広島エイズ・ダイヤル」代表。河野セクシャリティー医学研究所所長。 広島生まれ。1960年、広島市立観音小学校卒業。1963年、観音中学校卒業。1966年、県立観音高校卒業。 1972年、広島大学医学部卒業。同大学医学部産科婦人科学教室入局。1981年、医療法人あかね会土谷総合病院産婦人科部長。 1990年、河野産婦人科クリニック(広島市中区紙屋町)を開業。 2007年、第21回参議院議員通常選挙に無所属で広島県選挙区から立候補するも落選。
大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 20… 大草 秀幸(おおくさ ひでゆき、1947年4月2日 - 2019年6月12日)は、日本のジャーナリスト、政治家、社会運動家。元佐賀県相知町長(2期)。 佐賀県唐津市生まれ。佐賀県立唐津東高等学校、日本大学法学部新聞学科卒業。1970年(昭和45年)に佐賀新聞社へ入社。記者を経て、編集局次長や販売局長などを歴任。 記者時代の連載「ガン制圧への道」は日本対がん協会賞を受賞した(受賞は佐賀新聞社)。1999年(平成11年)に退職。翌年、相知町(現唐津市)の町長選で初当選し、2期務めた。市町村合併に伴い、2005年の唐津市長選に出馬したが、坂井俊之に敗れ落選した。 その後は左派活動に携わり、「憲法理念の実現をめざす第55回大会(護憲大会)」佐賀県実行委員長、悪魔の飽食佐賀合唱団団長、「戦争をさせない佐賀県1000人委員会」代表や、国政選挙で野党共闘を支援する「市民連合さが」の代表代行を務め、2019年の参院選で野党候補一本化の調整役を務めていた。
牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7… 牧田 吉明(まきた よしあき、1947年〈昭和22年〉3月7日 - 2010年〈平成22年〉5月29日)は、日本の政治活動家。通称は爆弾屋。アナーキスト、新左翼、民族派の活動家 三菱重工業社長として采配を振り、のちに牧田天皇と呼ばれた牧田與一郎の6人きょうだいの末子(4男)として静岡市に生まれる。1950年、東京都新宿区諏訪町(現在の高田馬場)の社宅に移り住み、1959年まで住み続ける。少年時代は昆虫好きの理科少年だった。のち家族と共に世田谷区下馬を経て港区高輪へ転居。 1959年4月、新宿区立戸塚第二小学校を経て、三菱財閥系列の成蹊中学校に入学。テニス部と生物部を経て登山部に入部。成蹊高等学校在学時代は学校に対して反抗的な態度を続けたため、同校卒業生中ただ一人成蹊大学への推薦を拒否され、1965年に一般入試で同大学政治経済学部と文学部に合格し、文学部文化学科に進む。
熊岡 路矢(くまおか みちや、1947年2月1日 - )は、… 熊岡 路矢(くまおか みちや、1947年2月1日 - )は、市民活動家。日本映画大学名誉教授、法務省難民審査参与員、日本国際ボランティアセンター(JVC)顧問、カンボジア市民フォーラム共同代表世話人。東京生まれ。 東京都立田園調布高等学校を卒業後、東京外国語大学(中国語学科)に進学。1970年3月同中退後、1979年まで、自動車修理・整備の訓練を受け、職業訓練指導員となる。1980年タイにおいて日本奉仕センター(JVC.1983年からは、日本国際ボランティアセンターに名称変更。)に参加後、同年3月一ボランティアとして、東北タイのウボン・ラオス人難民キャンプ(タイ内務省およびUNHCR=国連難民高等弁務官事務所管轄。
溝口 敏盛(みぞぐち としもり、1947年1月12日 - )… 溝口 敏盛(みぞぐち としもり、1947年1月12日 - )は、日本の政治活動家。肩書きは、維新政党・新風国民運動委員長、神奈川県本部代表。元航空自衛官。 佐賀県小城市出身。中央大学理工学部卒業後、幹部候補生学校を経て航空自衛隊に勤務する。退職後は住友不動産に勤めた。 2005年頃、産経新聞社の雑誌「正論」で広告を見たことから、右派の政治団体である維新政党・新風に入党[要出典]。その後神奈川県本部代表に任命され[要出典]、2007年の第21回参議院議員通常選挙では新風の公認候補として神奈川県選挙区から立候補したが、21,645票(得票率0.5%)に留まり最下位落選、供託金を没収された。 2010年の第22回参議院議員通常選挙でも同様に新風の公認候補として神奈川県選挙区から立候補する予定だったが、党が資金難などを理由に参院選から撤退したため幻に終わった[要出典]ものの、2013年の第23回参議院議員通常選挙では新風の公認候補として神奈川選挙区から立候補、41,359票で落選(得票率1.33%、候補者11名中9位)している。
坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は… 坂東 國男(ばんどう くにお、1947年1月10日 - )は、日本のテロリスト、新左翼活動家。共産主義者同盟赤軍派兵士を経て連合赤軍に合流。あさま山荘事件で逮捕後、クアラルンプール事件によって日本赤軍に参加した。 滋賀県大津市生まれ。生家は東海道本線(琵琶湖線)石山駅前で旅館を営んでいた。滋賀県立膳所高等学校卒業。防衛大学校を志望したが色覚異常のため断念。 1966年に京都大学農学部林学科に入学するがのちに退学。1971年代に赤軍派の坂東隊として、植垣康博、山崎順らを率いてM作戦(金融機関強盗)を行った。赤軍派が京浜安保共闘と統一し連合赤軍となると、連合赤軍中央委員に就任。連合赤軍での序列は5位。
田村 正敏(たむら まさとし、1947年1月8日 - 199… 田村 正敏(たむら まさとし、1947年1月8日 - 1998年9月25日)は、日本の新左翼活動家。元日本大学全学共闘会議(日大全共闘)書記長。 日大紛争後、北海道豊浦町で酪農家として生活した。 東京都出身(ただし、出生地は埼玉県川口市)。日大全共闘書記長として、委員長の秋田明大とコンビを組む。日本大学文理学部哲学科を中退した。 闘争後、書店経営などを経て、1975年6月から北海道に移住した。1983年の北海道知事選挙では「横路孝弘と勝手に連帯する若者連合」(愛称・勝手連)を発足させ、日本社会党推薦で前衆議院議員の横路孝弘を当選させる。 勝手連運動の後は、北海道伊達市館山町にコンピューター専修学校・情報芸術学院を設立して、理事に就任した。
谷口 智治(たにぐち ともはる、1947年1月1日 - )は… 谷口 智治(たにぐち ともはる、1947年1月1日 - )は、日本の実業家、社会活動家。全国経営者団体連合会(全経連)理事長。岐阜県高山市出身。 岐阜県立斐太高等学校を経て、大阪商業大学を卒業。大学卒業後、マックスファクターに入社。営業現場で1年間、徹底した対面調査と販売の実践を積み、相手に喜んでもらうことを優先する「ゴールデン・ルール」を身につける。 1975年、社会人の自己啓発・能力開発を目的とした株式会社にじゅういちを設立し、代表取締役に就任。 1983年、野田一夫(多摩大学名誉学長)らと共に、異業種交流や経営者教育を目的とした任意団体「全国経営者団体連合会」を設立し、事務局長に就任。現在は同団体の理事長を務める。
高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活… 高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活動家、特定非営利活動法人ネットワーク『地球村』代表、著作家、講演家。また、コミュニケーションやコーチング、ワークショップの講師として活動している。大阪府堺市西区出身。 大阪大学基礎工学部物性物理学コースを経て、松下電器(現パナソニック)に就職し28年間勤務。在職中は、フロンガス全廃等の環境政策に携わった。社内で合唱団を設立し(現・パナソニック合唱団)、指揮者として活躍し全日本合唱コンクールで金賞を受賞した。元大阪府合唱連盟理事。 1981年にオートバイの事故で瀕死の重傷を負い臨死体験をしたという。当時の病床での生活がその後の活動に大きな影響を与えたと語っている。
金子 洋三(かねこ ようぞう、1947年 - )は、日本の福… 金子 洋三(かねこ ようぞう、1947年 - )は、日本の福祉活動家。前青年海外協力隊事務局長。現在、社団法人青年海外協力協会 (JOCA) 会長。 広島県広島市出身。1970年京都大学農学部卒業、同大学院に進み森林生態学の研究をしていたが、青年海外協力隊に応募し、1972年から2年間、天然痘撲滅計画の最後に残ったエチオピアに派遣され天然痘監視員として活動。1978年にJICAに入団。2000年10代目の青年海外協力隊事務局長に初の生え抜きとして就任した。2004年退団。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )… 中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )は、日本のジャーナリスト、社会運動家。ホンマルラジオ元パーソナリティー。 大阪府茨木市出身。甲南大学卒業。1980年代から、京都新聞の記者として文化人類学の知識を背景に風俗産業のルポルタージュなどに取り組みながら、京都民俗学会でも性風俗についての報告をしていた。1997年(平成9年)に、京都新聞社を退社し、以降はフリー・ジャーナリストとして活動している。 2017年からホンマルラジオ大阪 パーソナリティー。番組名「勃ち上がれ中高年 〜70代男性セラピスト中村彰と語る「性」と「生」〜」。 この間、フェミニズムやメンズリブの思想に共鳴し、1991年(平成3年)に大阪でメンズリブ研究会の立ち上げに参加、1995年(平成7年)には大阪に男性団体のメンズセンターを設立し2006年(平成18年)までその運営委員長を務めた。
松本 淳一郎(まつもと じゅんいちろう、1947年 - )は… 松本 淳一郎(まつもと じゅんいちろう、1947年 - )は、日本の政治活動家。政治団体「清和政策研究会」の代表者兼会計責任者。 早稲田大学第一政治経済学部卒業後、1972年、日本電信電話公社(NTT)入社。1995年3月-1997年11月帯広支店長、NTTクオリス(現NTT印刷)常務取締役、2008年6月-NTTコムウェア常勤監査役など、NTTグループ企業の役職を歴任した。 とかち観光大使、日本ユネスコ協会連盟参与、特定非営利活動法人日本児童文化研究所理事、株式会社日本YCR取締役相談役、株式会社ナカタ電業社相談役、2019年5月、一般社団法人新しい歴史教科書をつくる会監事を務めた。日本文化チャンネル桜賛同者の一人。
岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の… 岩重 慶一(いわしげ けいいち、1947年 - )は、日本の社会運動家。NGOのHAB21イルカ研究会を設立し、代表を務める。メコン川イルカ保護と地域振興における海洋政策研究、イルカと人間の心の成長を科学する(イルカセラピー)研究者。東京海洋大学研究者学者、西南学院大学研究者。鹿児島県出身。 岩重英子郎の長男として生まれる。鹿児島市立荒田小学校、甲南中学、鹿児島県立甲南高等学校卒業後、1968年、下関市立大学経済学部に入学後退学し、西南学院大学経済学部に入学。1972年三菱信託銀行に入行。神戸支店などを経て財務相談部ライフプラン企画営業推進役・財務コンサルタントを務める。イルカ研究者として、後に日本鯨類研究所大隅清治顧問、国立博物館館長・山階鳥類研究所所長林良博教授に従事してメコン川イルカ調査研究に携わる。
安田 安之(やすだ やすゆき、1947年? - 1972年5… 安田 安之(やすだ やすゆき、1947年? - 1972年5月30日)は、日本の新左翼活動家、テロリスト、革命家。1972年5月30日に奥平剛士、岡本公三らとテルアビブ空港乱射事件を起こして死亡。 日本赤軍のメンバーの一人として紹介されることがあるが、厳密にいえば乱射事件発生時点では、日本赤軍は結成されていない。 三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)で製材業を営む父親の元に生まれる。1966年、三重県立四日市高等学校を卒業。同年京都大学工学部建築科へ入学。1970年に同校を休学。1971年9月30日、家族にギリシャへ建築の勉強に行くと言い残して出国。1972年1月、レバノンのベイルートで京都大生が水泳中に死亡する事故があったが、この際に一緒に行動していたことが確認されている。
上原 敦男(うえはら あつお、1947年- )は、日本の新左… 上原 敦男(うえはら あつお、1947年- )は、日本の新左翼活動家、共産主義者同盟赤軍派幹部。 香川県立高松商業高等学校を経て明治大学二部政経学部(夜間学部)卒業。大学在学中に社会主義学生同盟に参加。明治大学現代思想研究会で重信房子や遠山美枝子らと活動した。 東大安田講堂事件では講堂屋上に籠城し、学生らの中で最後に検挙された。 1970年6月30日、よど号ハイジャック事件の事前準備を行った罪状により逮捕された。
菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテ… 菊村 憂(きくむら ゆう、1947年 - )は、日本赤軍のテロリスト。宮崎県出身、宮崎県立小林高等学校卒、東京外国語大学中退。 1974年に渡欧、ギリシャのアテネで書店を経営し、現地の日本人会にも溶け込んでいた。その傍ら1980年代に日本赤軍が拠点を置いていたレバノン・ベカー高原で軍事訓練を受けており、爆弾製造技術を持っていたため、他の訓練参加者にその技術を教える立場でもあったとされる。 1986年にオランダのスキポール空港で荷物の中に爆弾が発見され逮捕。国外追放処分となって日本に送還されたが、細かい規定のため結局釈放された。 1988年4月12日、米ニュージャージー・ターンパイク有料高速道路のサービスエリアで、菊村を挙動不審に思った州警察官によって逮捕された。
宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉1… 宇都宮 健児(うつのみや けんじ、1946年〈昭和21年〉12月1日 - )は、日本の弁護士、公益活動家、政治活動家。多重債務問題、消費者金融問題の専門家。 日本弁護士連合会会長(2010年 - 2011年度)、日弁連消費者問題対策委員会委員長、東京弁護士会副会長などを歴任。 現在は週刊金曜日編集委員、全国ヤミ金融対策会議代表幹事、オウム真理教犯罪被害者支援機構理事長、反貧困ネットワーク代表、年越し派遣村名誉村長。TPP阻止国民会議副代表世話人、のりこえねっと(ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク)共同代表。 愛媛県東宇和郡高山村(現:西予市明浜町)田之浜に傷痍軍人の長男として生まれる。