加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月1… 加山 雄三(かやま ゆうぞう、1937年〈昭和12年〉4月11日 - )は、日本の歌手、俳優、タレント、ギタリスト、ピアニスト、ウクレレ演奏者、画家。本名、池端 直亮(いけはた なおあき)。ニックネームは、若大将。作曲家として、弾 厚作(だん こうさく)のペンネームを用いる。 神奈川県横浜市生まれ、茅ヶ崎市出身。公益財団法人日本セーリング連盟応援団長、文化功労者。勲等は旭日小綬章。 父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方の高祖父は明治の元勲・岩倉具視である。 神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷の家に生後8か月まで、次の東京都大田区田園調布には1歳9か月までいた。
小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと… 小林 千登勢(こばやし ちとせ、本名:山本 千登勢(やまもと ちとせ)、1937年2月13日 - 2003年11月26日)は、日本の女優、タレント。夫は山本耕一。愛称は「おっかさん」。 朝鮮京畿道京城府(現:大韓民国ソウル特別市)生まれ。戦後に福岡県八幡市(現:北九州市八幡東区)に引き揚げ、のちに東京へ移る。 共立女子高等学校卒業後、文学座の研究生となり、1958年にNHKと専属契約を結ぶ。清純さの中にどこか哀愁を漂わせ、「鈴を張ったような」と形容された大きな目の美貌で人気を集め[要出典]、馬渕晴子と冨士眞奈美と合わせて「NHK三人娘」と呼ばれ、テレビ草創期のスターとなった。 1965年、俳優の山本耕一と結婚。
砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は… 砂川 啓介(さがわ けいすけ、1937年2月12日 - )は、日本の俳優、タレント。東京都出身。妻は女優、声優の大山のぶ代。
江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ… 江利 チエミ(えり ちえみ、本名:久保 智恵美(くぼ ちえみ)、1937年〈昭和12年〉1月11日 - 1982年〈昭和57年〉2月13日)は、昭和期に活躍した日本の歌手・女優・タレント。 1937年(昭和12年)1月11日(月曜日)、東京市下谷区(現・東京都台東区入谷)に3男1女の末娘として生まれる。血液型はA型。 父・久保益雄は福岡県田川郡添田町の出身。独学でクラリネット奏者になったが、軍事徴用での工場の作業で指の先を痛め、以降再び独学でピアノ弾きに転向したりと、ともかく「音楽センス」の素晴らしい人だったと言われており、智恵美が生まれた頃は船のバンドマスター、吉本興業に所属していた。益雄はバンドマスターを経て吉本所属(東京吉本)の大スター、柳家三亀松(三味線漫談)の相三味線やピアノ伴奏を務める。
柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日… 柳生 博(やぎゅう ひろし、1937年〈昭和12年〉1月7日 - 2022年〈令和4年〉4月16日)は、日本の俳優、司会者、タレント、声優、団体役員。 茨城県稲敷郡舟島村(現在の阿見町)出身。茨城県立土浦第一高等学校卒業。東京商船大学(現在の東京海洋大学)中退。竹内事務所に所属していた。 作庭家(庭師)としても活動し、第5代日本野鳥の会会長・名誉会長を務め、コウノトリファンクラブ会長も務めた。身長175cm。血液型O型。 柳生新陰流で知られる柳生宗厳(柳生氏)の末裔にあたる家系に誕生。 船員を目指し大学に入学したが、視力が悪く断念。その後体調を崩し中退。 その後、役者を志し、劇団俳優座の養成所へ入所。
花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞ… 花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)、1937年〈昭和12年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉8月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。 生前は吉本興業に所属し、盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き、長きに渡って君臨した。 大阪府大阪市天王寺区出身、阿倍野区育ち。父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。また、父子は一度も共演していない。また兄は関西テレビの元プロデューサーで、吉本新喜劇の中山美保は義姉(兄嫁)に当たる。
水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日… 水野 久美(、1937年〈昭和12年〉1月1日 - )は、日本の女優・タレント。本名は五十嵐 麻耶。高瀬プロダクションを経てオフィスPSCに所属。 新潟県三条市出身。実家は写真館を経営。新潟県立三条東高等学校卒業。 実家の隣が「三条座」という劇場であったことから、江利チエミや美空ひばりのショーや歌舞伎の演目などを観劇しているうちに役者を志すようになった。シェイクスピア悲劇『リア王』のコーディリア姫役を中学で演じ、本物の涙を流す演技をしたことでますます「舞台への思い」が強くなり、高校在学中には演劇部に所属し、『源氏物語』の「末摘花」などの発表会では3年連続でヒロイン役を演じたほか、ティーンエイジャー向け雑誌・ジュニアそれいゆ主催によるミス・ジュニアそれいゆで1位に選出された。
白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月… 白石 冬美(しらいし ふゆみ、1936年〈昭和11年〉10月14日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、日本の声優、女優、ラジオパーソナリティ、タレント。 静岡県出身。生まれは中華民国北平市(現・北京市)。最終所属は賢プロダクション。 1936年、4人姉妹の長女として北平市(現・北京市)に生まれる。父は医師であった。家族と共に中国より引き揚げて静岡県に暮らす。幼い頃から読書好きであり、物語の世界に入り込んだり、空想を巡らせるのが楽しかったという。学校では放課後の演劇部に熱心なくらいだったという。ミッションスクールの静岡雙葉学園へと進み、在学中から中村錦之助の時代劇に憧れて育った。静岡雙葉高等学校中退後、松竹歌劇団の入団試験に応募して合格を果たし上京するが、自身の未熟さを痛感して入団から3か月後に、新たに基礎から学ぶべく東宝芸能学校の演技科へと席を移した。
アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wick… アントン・ウィッキー・アンパラヴァナル(Anton Wicky Ampalavanar、1936年9月26日 - )は、スリランカ・コロンボ生まれで日本在住の国際比較学者、外国人タレント。国立セイロン大学卒。血液型B型。 セイロン大学卒業後、水産庁に入庁するが、それからすぐの頃に留学へ。カリフォルニア大学留学中に東京大学農学部教授の檜山義夫と知り合ったのがきっかけで、日本の留学の試験を受けて合格。同時にカナダへの留学の試験も受けていてこちらも合格したが、合格通知が先に届いた日本に行くことにし、1961年に文部省の国費留学生として来日した。当初日本語はまったく話せず、日本語学校での勉強に加え、毎晩渋谷のバーで、日本人にその日に学習した文章で話しかける「突撃スタイル」で日本語を習得した。
楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3… 楳図 かずお(うめず かずお、1936年〈昭和11年〉9月3日 あるいは9月25日 - 2024年〈令和6年〉10月28日)は、日本の漫画家・タレント・作詞家・作曲家。血液型O型。本名は楳図 一雄(読み同じ)。初期には山路 一雄やウメヅ カズヲの名義による作品もある。 和歌山県伊都郡高野町で生まれ、奈良県五條市に育つ。1955年に貸本漫画家としてデビュー、『週刊少年サンデー』などに作品を発表。代表作に『漂流教室』『まことちゃん』『わたしは真悟』など。作品は恐怖ものからSF、ギャグもの、時代劇まで、少年もの、少女もの、青年ものを問わず幅広いが、一般にはホラー漫画の第一人者として知られる。 1995年以降、腱鞘炎などといった理由で漫画は休筆し、1990年代後半からはタレント活動を精力的に行っていた。
川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22… 川口 浩(かわぐち ひろし、1936年(昭和11年)8月22日 - 1987年(昭和62年)11月17日)は、日本の映画俳優・タレント・探検家。作家で大映専務の川口松太郎、女優の三益愛子夫妻の長男。女優の野添ひとみの夫、元俳優の川口恒、川口厚、元女優の川口晶(現在は陶芸家の国重晶)の長兄。元タカラジェンヌで宝塚歌劇団24期生の紀川瑠璃子は母方の叔母にあたる。
東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)… 東 八郎(あずま はちろう、本名:飛田 義一(ひだ ぎいち)、1936年〈昭和11年〉5月31日 - 1988年〈昭和63年〉7月6日)は、日本のコメディアン、タレント。昭和を代表するコメディアンの一人。妻との間に3男2女があり、次男はお笑いコンビ・Take2の東貴博、三男はタレントの東朋宏。タレントの安めぐみは義娘(次男・貴博の妻。ただし、東の死去から23年後の2011年に結婚したため、生前に面識は無い)にあたる。 東京府東京市浅草区 (現・東京都台東区浅草) 出身。父は岐阜県大垣市の出身で皇宮警察官であった。戦時中に家族とともに名古屋市に疎開し、名古屋時代の親友にプロゴルファー塩谷育代の父親がいた。
諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろ… 諸口 あきら(もろぐち あきら、本名:南 弘人(みなみ ひろと)、1936年〈昭和11年〉5月21日 - 2017年〈平成29年〉9月10日 )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、カントリーシンガー、俳優、評論家、書家。妻はプロゴルファーの中村悦子。 福岡県門司市(現在の北九州市門司区)出身で、多摩美術大学油絵学科を卒業した。1960年代に、「茂呂 弘人」や「諸口 旭」名義で俳優として活動した。 1970年代にカントリーシンガーとして一世を風靡したほか、関西地方を中心にディスクジョッキーや放送タレントとしての活動を展開した。『日本列島ズバリリクエスト』(KBS京都ラジオ)や『MBSヤングタウン』(毎日放送ラジオ)をはじめ、関西地方のラジオ局が制作する番組に数多く出演した。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月2… 桑原 和男(くわばら かずお、1936年〈昭和11年〉2月23日 - 2023年〈令和5年〉8月10日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。本名:九原 一三(くはら かずみ)。吉本新喜劇の座員として吉本興業に所属し、一時は座長も務めた。座長退任後は専科や若手育成も兼ねた座長格の主演、重鎮クラスなどの形で出演し、生き字引のような存在で吉本新喜劇を支え続けた。 1955年に地元の常磐高等学校を卒業。教師を志望していたため福岡の教育大学を受験し、その後夢路いとし・喜味こいしに師事する。初舞台は1956年で、「原あち郎・こち郎」の芸名で漫才の舞台に立った。漫才脚本家秋田實が立ち上げた劇団「宝塚新芸座」に所属した後、漫才活動を経て、1961年、吉本新喜劇の前身「吉本ヴァラエティ」に入団する。
天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13… 天野 鎮雄(あまの しずお、1936年(昭和11年)2月13日 - 2023年(令和5年)11月5日)は、日本の俳優、タレント。劇団「劇座」代表。妻は、女優の山田昌。愛称は「アマチン」。 愛知県名古屋市港区出身。知多市新舞子在住。幼少期に福井県へ疎開し終戦を迎える。その後、兵庫県在住を経て、中学生の時に帰郷。名古屋市立菊里高等学校を経て、愛知学芸大学に入学。 大学時代にNHK名古屋放送劇団に入団。同大学学芸学部英語科卒業。文学座研究生、大島渚主宰の「創造社」、「山本安英の会」などを経て、1985年(昭和60年)に妻の山田昌と「劇座」を結成。あわせて付属俳優養成所の「名古屋劇塾」も設立した。 1968年(昭和43年)から3年間、東海ラジオの深夜番組『ミッドナイト東海』の初代パーソナリティを務め、森本レオらと共に人気を博した。
松岡 憲治(まつおか けんじ、1936年1月30日- 201… 松岡 憲治(まつおか けんじ、1936年1月30日- 2019年12月8日)は、日本のタレント、俳優。岐阜県大垣市出身。岐阜県立大垣南高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。 早稲田大学卒業後、ラジオ東京(現在のTBS)に入社。以後、1996年の定年退職までスポーツ局員のち制作局員として番組制作に従事。在職時に「モーニングEye」で人生相談コーナーを担当。定年退職後に田辺エージェンシーに所属、タレント、俳優活動を開始した。 2019年12月8日に83歳で死去した。本人の意思により、葬儀は執り行われず、墓も持たないこととなった。供花、香料の義は固く辞退している。本人の辞世の言葉によれば、「思えば愉快な一生でありました。
朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - )は… 朝丘 雪路(あさおか ゆきじ、1935年7月23日 - )は、日本の女優・タレント・歌手。本名;加藤 雪会(かとう ゆきえ)。旧姓・勝田。
矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月… 矢追 純一(やおい じゅんいち、1935年〈昭和10年〉7月17日 - )は、日本のディレクター、テレビタレント、実業家、UFO・超常現象研究家。1970年代から1990年代までに制作を指揮したオカルト関連のテレビ番組で特に有名となったが、1995年からは宇宙塾を主宰するなど、実業家としてテレビ番組制作以外での活動に比重を置いている。 1935年、満洲国新京生まれ。元々裕福な家庭であったが、名古屋帝国大学を首席級の成績で卒業したエリートであった父親を亡くした上に、日本が太平洋戦争の敗戦国となった途端、大連で敵国民としての扱いを受けて極貧生活に転落。当時病弱だった純一の体の健康を気にした母親は自宅学習を禁止し、自宅では運動をして遊ばせるとともに、授業だけで好成績を取るように厳命する。
芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日… 芳村 真理(よしむら まり、1935年4月3日 - )は、日本の女優、モデル、タレント、司会者。 個人事務所・フリーでの活動が長いが、かつてはHIRAKU(東京都港区元赤坂)、生島企画室(現在のFIRST AGENT)に所属していたこともある。 芳村は「夜ヒット」を初め「FNS歌謡祭'77〜'86グランプリ」「新春かくし芸大会」というフジテレビの年末年始の一大イベントといえる大型番組を長年担当した。「小川宏ショー」「3時のあなた」といったフジテレビワイドショー番組の源流である2番組のホステス役も務める。
押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28… 押阪 忍(おしざか しのぶ、1935年〈昭和10年〉2月28日 - 2024年〈令和6年〉6月29日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント、芸能プロモーター。元日本教育テレビ(NETテレビ、現在のテレビ朝日)アナウンサー。 岡山県津山市出身。「押阪」姓は飛鳥時代の皇族・押坂彦人大兄皇子がルーツという。岡山県立津山高等学校、立教大学経済学部を卒業した。5人兄弟の末っ子で、上の4人をすべて結核で失い、母親も早くに亡くした。そのため、同大学時代は実父の知人であった出羽海親方(元横綱・常ノ花)の伝手で出羽海部屋の書生を務めており、アナウンサーの中では非常に珍しい苦学生だった。 1958年4月、開局を翌年に控えた『日本教育テレビ』(NETテレビ、現在のテレビ朝日)にアナウンサーとして入社した。
藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月… 藤本 統紀子(ふじもと ときこ、1935年〈昭和10年〉2月11日 - )は、日本のタレント、エッセイスト。作家・藤本義一の妻。義一との間に2女があり、次女はアーティストのフジモト芽子(まいこ)。 兵庫県神戸市須磨区生まれ。小学二年から商社マンだった父の赴任先、蒙古張家口で育つ。終戦後引き揚げ、父が故郷・広島県尾道市で事業を始めたため、中学一年から高校卒業まで尾道に住んだ。 広島県立尾道北高校を経て大阪女子大学(現・大阪公立大学)英文科に進学。高校、大学と演劇部に所属し、当時大阪府立大学の演劇部だった藤本義一と知り合う。 大学卒業後、スポーツニッポンの文化部記者として二年間勤務。藤本と結婚後退社。
浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10… 浜村 淳(はまむら じゅん、1935年〈昭和10年〉1月10日 - )は、日本の司会者、タレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。既婚者で、妻もかつてタレントとして活動していた。 京都府京都市の出身。家庭の事情(両親が上海に渡った)から2歳で養子に出されたため、本名の苗字(塩濱)は子供がいなかった母方の伯母夫妻にあたる養父母の苗字でもある。 京都市立旭丘中学校、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部を卒業。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、元阪神タイガース監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、元毎日放送アナウンサーの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。
山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月2… 山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 2014年〈平成26年〉2月26日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント。TBSアナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)またはブンさん。妻はタレントの山本由美子。 東京市小石川区(現在:東京都文京区小石川)出身。一人っ子。1994年9月にTBSを退職してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。 1944年、母方の実家がある島根県に1人で疎開する。 父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍へ召集。広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日に被爆して全身に火傷を負った末、15日後に死去した。母親は薬剤師で、父親と死別後、一人息子である山本を連れて子連れ同士で再婚。
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月… 藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日)は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 実父はスバル興業社長2代目や国際宣伝企業株式会社常務を務めた藤村一良。兄に藤村哲司、妹に晴美、弟に藤村和三郎、藤村良典(後にキョードー東京関連会社キョードー横浜の会長を務めた)、藤村和良がいる。父は1904年6月東京生まれで、1923年に慶応義塾商業を卒業後旭硝子に入り日本油化工業の課長を務め、1946年からスバル興業専務となった。
新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3… 新間 正次(しんま しょうじ、1934年〈昭和9年〉11月3日 - )は、日本のタレント、ラジオパーソナリティ、俳優、リポーター、元政治家、元参議院議員。元民社党愛知県連副委員長。愛称は「新間ちゃん」。 長男は教育芸人(教育エンターテイナー)の新間竹彦。新日本プロレス専務やスポーツ平和党幹事長を務めた新間寿は従兄弟で、父の弟の新間信雄の息子である。 愛知県蒲郡市出身(出生は豊橋市)。靴屋「早稲田堂」を経営する新間邦次の三男として生まれる。邦次はスパイクシューズを作っていた。1945年6月の豊橋空襲で靴屋と自宅が焼失したため、蒲郡へ移住した。愛知県立蒲郡高等学校卒業、高校時代は生徒会長を務めた。高校時代の先輩の勧めでNHK名古屋放送劇団に入団。
宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、… 宝田 明(たからだ あきら、1934年4月29日 - )は、日本の映画俳優、タレント、声優、司会者である。
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月2… 大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日 - 2016年〈平成28年〉7月12日)は、日本のテレビタレント、司会者、俳人、放送作家、政治家。この他、競馬評論家、ジャズ評論家、時事評論家としての活動も行い、馬主でもあるなど、日本のマルチタレントの先駆けとなった。実業家・芸能プロモーターとしてもオーケープロダクション(旧・大橋巨泉事務所)を創業し、取締役会長を務めたほか、一部の国で、お土産物屋「オーケーギフトショップ」を経営するオーケーギフトショップグループの取締役社長を務めた。また、政治家として参議院議員を務め、会派は民主党・新緑風会に所属した。 本名は大橋 克巳(おおはし かつみ)。
宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年〈昭和9年〉3月8日… 宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年〈昭和9年〉3月8日 - 2011年〈平成23年〉7月12日)は、日本のタレント。本名は山口 進。 満洲国(現在:中国東北部)で生まれ、敗戦後は鹿児島県阿久根市へ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす。鹿児島県立阿久根高等学校卒業。 鹿児島県川内市(現在:薩摩川内市)で洋服店を経営していたが(当時は、まだ珍しい月賦販売をしていた)、事業に失敗し倒産。その後、上京してデパートの紳士服売り場に勤め1969年に漫談家の宮尾たか志に師事。 森進一のショーなどで歌手の司会などを務めた後、タレントとしてテレビに進出しバラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。特にフジテレビ系『スターどっきり(秘)報告』のレポーターとして一気に名を馳せた。
ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2… ケーシー 高峰(ケーシー たかみね、1934年〈昭和9年〉2月25日 - 2019年〈平成31年〉4月8日)は、日本のコメディアン、タレント・俳優。本名:門脇 貞男(かどわき さだお)。主なギャグに、インターンからUターンして、セニュール、グラッチェ、よし子、などがある。 白衣姿で黒板やホワイトボードを用いる医事漫談の創始者だった。『笑点』など、テレビのお笑い/寄席番組でも人気を博した。俳優としても活躍した。シングル、アルバムもリリースしている。 山形県最上郡最上町出身。母方は先祖代々医師の家系であり、母・シヅエは生涯現役で診察を務めた産婦人科医であり、ケーシーの姉も医師、父は海外出張の多い商社マンで、レコードの収集家だった。
児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年… 児玉 清(こだま きよし、1934年1月1日 - 2011年5月16日)は、日本の俳優、タレント、テレビ司会者、作家。東京府東京市滝野川区(現在の東京都北区)出身。学習院大学文学部ドイツ文学科卒業。本名は北川 清(きたがわ きよし)。出生名および旧芸名は小玉 清(こだま きよし)。 元児玉清事務所代表取締役。事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ元専務取締役。妻は元女優の北川町子。長男は元タレントで児玉清事務所代表取締役兼事務用品の販売・卸会社の株式会社チカダ代表取締役社長の北川大祐。 俳優業・司会業で人気を博した他、書評や政治評論でも存在感を示し、後者では保守の立場から日本の現状への憂いなどを綴った文章を度々寄稿していた。
ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧… ペギー葉山(ペギーはやま、本名:森 繁子(もり しげこ)、旧姓:小鷹狩(こたかり)、1933年12月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。社団法人日本歌手協会7代目会長(後に名誉会長)。 東京都新宿区出身。青山学院女子高等部(現:青山学院高等部)卒業。1952年にキングレコードよりレコードデビュー。
宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1… 宍戸 錠(ししど じょう、(英:Joe Shishido)1933年〈昭和8年〉12月6日 - 2020年〈令和2年〉1月18日)は、日本の俳優・タレント・司会者。血液型はB型。宍戸錠事務所所属。愛称は「エースのジョー」。 妻はエッセイスト、宍戸游子。宍戸開は長男、宍戸史絵(現・紫しえ)は長女、郷鍈治は実弟、ちあきなおみは義妹(実弟・郷鍈治の妻)。大阪府桜宮(現在の大阪市都島区)出身。宮城県白石高等学校卒業、日本大学藝術学部演劇科中退。 父の左義右は1898年9月、現在の福島県伊達市に生まれた。兄に義一郎がいた。錠によれば母の文は神奈川県横浜市出身だが、母親自身の話では父(錠の祖父)が台湾総督の副官であり、台湾で生まれ、父の転勤で日本へ戻り、静岡県浜松市で育ったと述べている。
黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は… 黒柳 徹子(くろやなぎ てつこ、1933年8月9日 - )は、日本の女優、タレント、テレビ司会者、エッセイスト。愛称は、トットちゃん、チャック。 吉田名保美事務所所属。日本史上最初のテレビ出演者のひとりで、ニュースショーのキャスターや、トーク番組の司会を女性では初めて務めた。日本芸術院会員。1984年から現在までユニセフ親善大使。 日本でテレビの放送を開始した初日(1953年2月1日)からテレビ出演を続ける、日本史上最初のテレビ女優である。テレビ草創期から活躍を続けるタレントの一人として知られ、日本史上最初のテレビ女優としては唯一、21世紀に至るまでテレビ番組のレギュラーを継続して持ち続けており、日本のテレビ放送史を代表する芸能人の1人であると言える。
金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、… 金田 正一(かねだ まさいち、1933年8月1日 - )は、愛知県中島郡平和村(現・稲沢市)出身の元プロ野球選手(投手)・監督、解説者・評論家、実業家・タレント。愛称は「カネやん」「カネさん」。
吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 202… 吉田 義男(よしだ よしお、1933年7月26日 - 2025年2月3日)は、京都府京都市中京区出身のプロ野球選手(内野手、右投右打)・コーチ・監督、野球解説者、野球評論家、タレント、甲子園歴史館の運営会議顧問であった。 現役時代は「今牛若丸」と称され、華麗かつ堅実な守備で知られた守備の達人であった。引退後は3度にわたって阪神タイガースの監督を務めた。阪神を初めて日本一に導き、また阪神の監督を3度経験した唯一の人物である。 ニックネームは「よっさん」。1989年から1996年まで野球フランス代表監督を務め、「ムッシュ」とも呼ばれる。甥の谷真一も近鉄バファローズの元プロ野球選手。 1946年、旧制中等学校の京都市立第二商業学校に入学。
阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、… 阿部 百合子(あべ ゆりこ、1933年6月11日 - )は、群馬県出身の女優、タレント。俳優座所属。身長161cm、体重47kg。矢野宣は夫。 群馬県立高崎女子高等学校、群馬大学教育学部音楽専攻卒業後、俳優座養成所を経て俳優デビュー。 趣味は映画鑑賞。特技は習字・料理。
山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 199… 山崎 唯(やまざき ただし、1933年5月29日 - 1990年12月30日)は、日本のピアニスト、作曲家、声優、タレント。東京都出身。妻は女優の久里千春。 大学教授の長男として誕生。当初は声楽家を目指し、国立音楽大学声楽科を卒業。同大学に進学した時は父の猛反対を受けていた。だがジャズやナット・キング・コールに傾倒してゆき、『渡辺晋とシックス・ジョーズ』のピアニストとしてデビュー。日本で最初のピアノの弾き語りを始める。 人形劇『トッポ・ジージョ』では主人公トッポ・ジージョの声を担当。その個性的な声から、声優としても話題を呼ぶ。 妻の久里千春とはおしどり夫婦として知られ、芸能活動も多かった。また、2人の娘がいて「仲良し家族」としてテレビ出演も多かった。
野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月… 野呂 圭介(のろ けいすけ、本名:板元 義典、1933年4月3日 - )は、日本の俳優・タレント・ローカルタレント・陶芸家。鹿児島県鹿児島市出身。 鹿児島市立鹿児島玉龍高等学校卒業。 俳優を志して上京し、1958年に『踏みはずした春』(日活)でデビュー以後、脇役として日活のスクリーンで活躍した。 邦画産業が斜陽化した1969年以降、僚友の宍戸錠と共に、テレビ番組『元祖どっきりカメラ』(NTV系)に転出。長髪にGパン、デニムベストのヒッピー風スタイルで赤ヘルを被り、ストーリーの最後に「どっきりカメラ NTV」と書かれたプラカードを掲げて現れては、だまされた相手が怒って逆襲し殴られる役(赤ヘルはこの目的)で、19年間にわたって人気を博す。
ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月1… ミッキー安川(ミッキーやすかわ、1933年〈昭和8年〉2月10日 - 2010年〈平成22年〉1月18日)は、日本のタレント・ラジオパーソナリティ・随筆家・実業家。本名:安川 実(やすかわ みのる)。 神奈川県横浜市中区本牧出身。父親は横浜市の富岡海岸で漁業権を管理していた網元であり、漁業以外にも多くの副業を営む事業家であった。また、遡ると房総半島の片貝海岸辺りで代々漁師を営んでいた家でもあったという。第二次世界大戦中は素行の悪さから学童疎開を拒否され、当時敵国籍の子弟を預かっていた中区山手にあるセント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジへ一緒に入れられた。 横浜高等学校を経て、1952年6月に単身渡米。
槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タ… 槇 洋介(まき ようすけ、1932年12月2日 - )は、タレント・ラジオパーソナリティ・放送作家・ファッション評論家・フリープロデューサー。主に関西で活躍中。 神戸市出身。神戸二中(現兵庫高等学校)卒業。1955年慶應義塾大学卒業後に朝日放送に入社、同期に植草貞夫と山内久司と澤田隆治らがいる。その後、大阪テレビ放送へ出向し、大阪テレビ放送が朝日放送と合併後は新日本放送(現・MBSメディアホールディングス)へ移籍。毎日放送退社後は松下電工(現・パナソニック電工)に転職。 朝日放送・大阪テレビ時代は制作部に所属し、多くの番組でディレクターとして活動。新日本放送時代は制作部門を渡り歩き、松下電工時代は広報・宣伝に携わる。
小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11… 小林 亜星(こばやし あせい、1932年〈昭和7年〉8月11日 - 2021年〈令和3年〉5月30日)は、日本の作曲家、作詞家、俳優、タレント。 日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯で6,000曲以上を残した。1976年に「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。 東京都渋谷区幡ヶ谷生まれ、杉並区堀ノ内で育った。父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は新築地劇団の元女優で、小林を産むまで劇団に所属していた。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10… 市田 ひろみ(いちだ ひろみ、1932年〈昭和7年〉7月10日 - 2022年〈令和4年〉8月1日)は、日本の美容師、服飾評論家、エッセイスト、女優、タレント。新しい歴史教科書をつくる会の理事と、日本会議の4つの関連団体の役員を務めた。 大阪府大阪市大正区出身。京都市立堀川高等学校、京都府立大学女子短期大学部国文科卒。 父の仕事(華中鉱業)の都合で、小学生時代を上海特別市で過ごした。1945年2月戦況の悪化を受けて、母弟と3人で日本へ帰国。母の郷里滋賀県大津市膳所で終戦を迎え、まもなく伯父の世話で京都(西洞院四条)へ移った。父が帰国するまで、と母が自宅で始めた美容院が繁昌し、高校三年生の時に美容師免許を取得。
小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は… 小林 完吾(こばやし かんご、1932年4月27日 - )は、日本のアナウンサー、ニュースキャスター、司会者、ジャーナリスト、タレント。CMにも出演。愛称は「完吾さん」。 1960年2月6日、ラジオ南日本(現在の南日本放送)に入社し、放送業界に入った。1963年9月2日、日本テレビ放送網に移籍した。1992年4月、日本テレビ放送網を定年退職した。フリーアナウンサーとなり、オフィスこばやしを立ち上げた。 神奈川県鎌倉市出身。6人兄弟(兄2・姉2・弟)の5番目で三男である。両親はともに東京都出身である。祖父は洋画家の小林萬吾、母方の祖父は医学博士の中島譲吉である。親戚には元九州朝日放送アナウンサーで現在の福岡市長である高島宗一郎がいる。
野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26… 野村 沙知代(のむら さちよ、1932年〈昭和7年〉3月26日 - 2017年〈平成29年〉12月8日)は、日本のタレント、女優。所属事務所は株式会社エフエンタープライズ(東京都千駄ヶ谷)。 元プロ野球選手・プロ野球監督である野村克也の妻として知られる。愛称は「サッチー」で、『森田一義アワー 笑っていいとも!』で共演した中居正広から名付けられたという。 出生名、伊東 芳枝(いとう よしえ)。沙知代に改名したのは1976年だが、本記事では便宜上、改名前の事項についても「沙知代」と表記する。 1932年3月26日(土曜日)に福島県西白河郡西郷村で伊東巳之吉・さく夫妻の長女として生まれる。父は地方公務員(東京都交通局職員。
武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭… 武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭和7年)2月15日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の歌手、タレント、ラジオパーソナリティ。元コロムビア専属歌手で、1970年代以降は宮崎放送(MRT)所属のタレントとしてMRT制作のラジオ・テレビ番組に数多く出演。宮崎県の企業CM出演や地元イベント参加など郷土に根ざした活躍で知られた。また歌謡学校などで歌手を指導・育成したり、障がい者支援の慈善活動を行うなど多岐にわたる活動を展開した。宮崎放送制作のテレビ番組「おくさま9:30」にてMRT正面玄関前レポーター担当などタレントとして活動していた武中吾子(たけなかあこ)は娘。 ※南国慕情(B面):作詞・赤城慧、作曲:山本丈晴 ※元気だしなよ(A面):作詞・山塚重人、作曲・堀川敏幸、編曲・甲斐靖文、歌・武中はじめ※四角い空(B面):作詞・はらちあき、作曲・武中アコ、編曲・甲斐靖文、歌・武中アコ この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本… 寿美 花代(すみ はなよ、1932年2月6日 - )は、日本の女優、タレント。宝塚歌劇団の元星組男役トップスター。 血液型はAB型。東宝芸能所属。本名:高嶋 節子(たかしま せつこ、旧姓:松平)。宝塚歌劇団時代の愛称は旧姓からマッちゃん。兵庫県西宮市出身。
石井 光三(いしい みつぞう、1931年〈昭和6年〉10月1… 石井 光三(いしい みつぞう、1931年〈昭和6年〉10月13日 - 2015年〈平成27年〉1月6日)は、東京府出身の俳優・タレント・芸能プロモーターである。 自分の名前を冠した芸能事務所・石井光三オフィスの社長・会長を務め、テレビ出演等では石井社長として親しまれた。 生まれは東京であるが、主に大阪で育ち、その為話す言葉は大阪弁である。大阪産業大学附属高等学校を卒業。1939年に子役としてJO京都撮影所(旧東宝京都)に入所。1946年、東横映画京都第1期ニューフェイスとなる。 1952年からは漫才作者の秋田實が主宰する宝塚新芸座に在籍していたが、1963年にタレント引退。松竹芸能社員として裏方に転身。
水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日… 水野 晴郎(みずの はるお、1931年〈昭和6年〉7月19日 - 2008年〈平成20年〉6月10日)は、日本の映画評論家、映画監督、タレント。倉敷芸術科学大学教授、大阪芸術大学客員教授。 映画監督としてはMIKE MIZNO(マイク・ミズノ)の名義を使っていた。出生時の本名は水野 和夫(みずの かずお)であったが、山下奉文陸軍大将への尊敬の念と、自ら製作・監督し山下を演じた『シベリア超特急』シリーズへの愛着から、戸籍上の本名を山下奉文と一文字違いの山下奉大(やました ともひろ)に改名した。日本アカデミー賞の発案者。 1931年(昭和6年)7月誕生。戸籍では19日の生まれだが、両親が「17日だったよ」と言っていたような気がするとも述べている。