大貫 惇睦(おおぬき よしちか、1947年9月1日 - )は… 大貫 惇睦(おおぬき よしちか、1947年9月1日 - )は、日本の物理学者。大阪大学名誉教授。21世紀COEプログラム「究極と統合の新しい基礎科学」拠点リーダー。理学博士(東京大学、1976年)。 専門は物性物理学で、特に重い電子系の物性を実験的に研究している。最大の業績として、絶対零度でも磁気秩序を起こさないCeCu6という物質を発見したことがある。 通常、磁性を持つ不純物が含まれる金属物質は、近藤効果により低温で電気抵抗が増していく。これに対しCeCu6は、逆に絶対零度の極低温で電気抵抗が減少するというユニークな特性を持つ。この特性から、CeCu6は重い電子系の典型物質とされ、重い電子系の超伝導や磁性の性質を調べる上で貴重な研究材料となった。
川又 三智彦(かわまた さちひこ、本名:川又 幸彦、1947… 川又 三智彦(かわまた さちひこ、本名:川又 幸彦、1947年9月1日 - ) は、日本の実業家。「会津昭和30年代村企画株式会社」代表。栃木県出身。 サレジオ学院高等学校卒業後、米国ノースウエスタン・ミシガンカレッジに留学。1973年、家業の不動産業「司建物管理有限会社」社長に就任。1985年、ウィークリーマンションを大ヒットさせるが、1999年にはウィークリーマンション事業をリーマン・ブラザーズに売却した。 しかしその所為で2008年のリーマン・ショックに巻き込まれ、2009年に「司建物管理有限会社」は経営破綻した。 会社の経営破綻前は不動産事業の他、福祉・介護事業、インターネット関連事業等を展開。
城納 一昭(じょうのう かずあき、1947年9月1日 - )… 城納 一昭(じょうのう かずあき、1947年9月1日 - )は、日本の地方自治体広島県の元行政公務員。広島県副知事などを歴任した。県庁退職後、広島の自動車会社マツダ株式会社取締役。 1947年9月生れ、神奈川大学法学部卒業後、広島県庁入庁、総務部部長を経て広島県副知事(平成19年4月1日~平成23年3月31日)、地方分権改革、行財政改革など「元気な広島県」づくりに取り組む。2015年よりマツダ取締役。
佐々木 誠吾(ささき せいご、1946年9月1日 - )は、… 佐々木 誠吾(ささき せいご、1946年9月1日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
山田 亘宏(やまだ のぶひろ、1946年(昭和21年)9月1… 山田 亘宏(やまだ のぶひろ、1946年(昭和21年)9月1日 - )は、日本の政治家。元滋賀県守山市長(2期)。 滋賀県出身。1969年京都大学農学部卒。守山市民病院に勤務し、その後、野洲病院理事長となる。1995年の守山市長選挙に立候補したが落選した。1999年守山市議会議員に当選。2003年の守山市長選挙に立候補し、三選を目指した現職の甲斐道清を破って初当選した。2007年に再選。2011年の市長選挙には立候補しなかった。
新井 良亮(あらい よしあき、1946年9月1日 - )は、… 新井 良亮(あらい よしあき、1946年9月1日 - )は、日本の実業家。ルミネ相談役。 高校卒業後、国鉄に入社するも、組織に嫌気がさし働きながら夜学に通い卒業した。JR東日本経営陣の中では異色の経歴として知られる。 同社における駅ナカ商業施設の開発を手掛け、2011年6月にルミネ社長谷哲二郎の急逝をうけ、JR東日本副社長を兼務のままルミネ社長に就任。2017年6月に会長、2018年6月には取締役相談役に退く。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
諸星 衛(もろぼし まもる、1946年〈昭和21年〉9月1日… 諸星 衛(もろぼし まもる、1946年〈昭和21年〉9月1日 - )は、日本の経営者。日本赤十字社理事。 北方領土問題対策協会理事長、NHKインターナショナル経営特別主幹、同理事長などを歴任した。 茨城県出身。早稲田大学政治経済学部卒業後、1970年(昭和45年)4月、日本放送協会(以下、NHK)に入局した。入局後、報道局長、理事(報道、海外、スポーツ、広報担当)、NHKインターナショナル理事長、同経営特別主幹などを歴任した。NHKの経営方針の策定などに携わった。 2018年(平成30年)4月1日、北方領土問題対策協会理事長に就任した。在任中、ロシア連邦への日本政府の政策に対する報復措置に関してのロシア外務省声明で、自身を含む日本人63人がロシアへの入国を無期限で禁止する措置が講じられた。
水谷 眞(みずたに まこと、1945年9月1日 - )は、東… 水谷 眞(みずたに まこと、1945年9月1日 - )は、東京都出身の元ラグビー選手。 現役時代のポジションは主にウイング(WTB)及びセンター(CTB)。 目黒高校を経て、法政大学へ進む。同大学在籍時代には、第1回/第4回大学選手権で優勝を経験。日本代表に選出され、キャップ4を獲得。 卒業後はリコーに入社。同チーム在籍時代には、『和製オールブラックス』という愛称を持つ強豪チームの一員として、日本選手権で2回、全国社会人大会で3回の優勝を経験した。 引退後はリコー監督、関東ラグビーフットボール協会理事長、日本ラグビーフットボール協会理事等を歴任。また、ラグビー中継の解説者としても多数出演歴がある。
青木 和雄(あおき かずお、1945年9月1日 - )は、日… 青木 和雄(あおき かずお、1945年9月1日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、タレント。元毎日放送アナウンサー・専属パーソナリティー。 現在はフリーアナウンサー。ニックネーム「青ちゃん」。174cm。既婚、1男あり。 静岡県富士宮市出身。静岡県立富士高等学校卒業後に上京。明治大学卒業後、1968年に毎日放送入社。大阪に拠点を移してからは関西弁をマスターし、日常会話も静岡弁から関西弁に矯正した。 大学の同期には横浜DeNAベイスターズGMの高田繁、MBSの同期には板倉俊彦、角淳一(共にアナウンサー)など。MBSの最長寿番組でもあった「素人名人会」のプロデューサーも番組末期に務めていた。 TBS制作の音楽番組『ザ・ベストテン』(1978年 - 1989年)で、近畿2府4県と徳島県の中継リポーター(通称:追っかけマン)を務めた(初代は斎藤努)。
田中 直毅(たなか なおき、1945年9月1日 - )は、日… 田中 直毅(たなか なおき、1945年9月1日 - )は、日本の政治評論家。
竹内 勤(たけうち つとむ、1945年9月1日 - 2018… 竹内 勤(たけうち つとむ、1945年9月1日 - 2018年3月20日)は、日本の医師、医学者。専門は、熱帯医学・寄生虫学。慶應義塾大学名誉教授。 公益財団法人大山健康財団が、その理事長であった竹内勤の遺徳を永く記念すべく、2018年(平成30年)10月に創設した。長年、発展途上国で熱帯医学、寄生虫学の研究に貢献し、今後とも大いに活躍が期待される若手の研究者に、公募により毎年1回、原則として1名に賞状及び副賞として30万円を贈呈する。 我が国のバイオセキュリティの向上に関する調査研究 : 報告書』 竹内勤研究統括 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所 2009.3 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 201… 金野 昭次(こんの あきつぐ、1944年9月1日 - 2019年9月5日)は、北海道札幌市西区出身の元スキージャンプ選手。母方の血縁に大倉山ジャンプ競技場初代バッケンレコード保持者の浜謙二がいる。 小学3年生の時にスキージャンプを始める。北海高校から日本大学に進学し、同大スキー部監督の八木祐四郎の指導を受ける。卒業後は北海道拓殖銀行に入行。 1968年グルノーブルオリンピックで五輪初出場。しかし、70m級で24位、90m級で20位に終わる(4年後に札幌オリンピックの開催が決まっていた日本は、この大会に過去最高の62選手を送り込んだが、メダルはおろか6位入賞すら果たせなかった)。 1972年の札幌オリンピックで2度目の五輪出場を果たし、70m級で銀メダルを獲得。
浜口 哲夫(はまぐち てつお、1944年9月1日 - )は、… 浜口 哲夫(はまぐち てつお、1944年9月1日 - )は、日本のプロデューサー。元フジテレビスポーツ局長、日本レースプロモーション社長、デジタル放送推進協会常務理事。2020年10月現在、株式会社にっぽん市取締役社長。 1944年、京都府舞鶴市で浜口家の長男として誕生。父・浜口玄吉は和歌山県那智勝浦町出身、元海軍少佐で終戦後は海上自衛隊の創設に参加、海上自衛隊海将・舞鶴地方総監を務めた。母・浜口俊(とし)は和歌山県新宮市出身、熊野三山の熊野速玉大社宮司・上野殖の長女。 幼少時は父の転勤に従って住居を転々とし、小学校の転校が7回に及んだ。1955年より東京在住。武蔵野市立第二中学校、東京都立日比谷高等学校を経て、東京大学文学部西洋史学科を卒業。
中台 良男(なかだい よしお、1943年〈昭和18年〉9月1… 中台 良男(なかだい よしお、1943年〈昭和18年〉9月1日 - )は、日本の政治家、元千葉県四街道市長(1期)。千葉県議会議員(4期、自由民主党)。 千葉県印旛郡旭村(のち四街道町、現・四街道市)出身。千葉県立市川工業高等学校卒。卒業後は日立製作所に入り、その後、総日機電(株)に移る。後に退社し、石油販売業を始め、有限会社なかだいを創立し、代表取締役となる。ほか四街道市商工会会長、市社会教育委員長などを務める。 自民党に入り、1976年四街道町議会議員に当選。四街道市議会議員を5期務め、議長となる。その後千葉県議会議員を2期務める。1996年、四街道市長小川進の死去に伴う市長選挙に立候補し、当選する。
吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)… 吉本 直志郎(よしもと なおしろう、1943年(昭和18年)9月1日 - )は、日本の作家。 子供たちを中心に描いた物語のほか、歴史を題材にした作品などを手がける。 福岡県生まれ、広島県広島市育ち(満1歳から)。11歳の時、原爆孤児のための養護施設「広島戦災孤児育成所」(佐伯郡五日市町(現:広島市佐伯区))に入所。広島県立広島国泰寺高等学校卒業までここで過ごす。 1978年に同所の体験をもとにした『青葉学園物語 右向け、左!』を発表し、児童文学作家としてデビュー。同作は日本児童文学者協会新人賞受賞、ベストセラーとなりシリーズ化、1981年市毛良枝主演で映画化もされた。 1981年に川村たかし、那須正幹ら児童文学者とともに児童文学創作集団・亜空間を結成し、同人誌『亜空間』を創刊した。
藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の… 藪野 健(やぶの けん、1943年9月1日 - )は、日本の洋画家、日本藝術院会員、二紀会副理事長。早稲田大学栄誉フェロー、名誉教授、維持員。広島大学名誉博士。府中市美術館館長。
内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1… 内保 博仁(うちほ ひろひと、1943年〈昭和18年〉9月1日 - )は、日本の政治家。三重県伊賀市長(1期)。 龍谷大学文学部卒。阿山郡阿山町(現・伊賀市)役場に入り、総務課長など務めた。1997年(平成9年)、阿山町長に当選した。2001年(平成13年)、再選を果たした。2004年(平成16年)11月1日、阿山町は上野市などと合併し、伊賀市が発足。助役に就任した。 2008年(平成20年)の市長選挙に無所属で立候補し、新人2人を破って当選した。 ※当日有権者数:79,075人 最終投票率:56.23%(前回比:-pts) 11月21日に就任した。2012年(平成24年)の選挙には立候補しなかった。
太田 芳枝(おおた よしえ、旧姓:浜、1942年9月1日 -… 太田 芳枝(おおた よしえ、旧姓:浜、1942年9月1日 - )は、日本の元労働官僚。旧労働省婦人局が改組なった女性局の初代局長。 1995年6月、松原亘子に次いで婦人局長に就任した。同局は在任中、女性局と改称され、同局長ポストを合わせて3年ほど務めた。松原に次ぐ二人目の女性次官に就任するチャンスもあったが、男女雇用機会均等法、育児休業法及び介護休業法(現在の育児介護休業法)の改定作業など、雇用における男女間の機会均等や女性の均等な待遇確保といった格差是正の諸施策が山積みとして立ち塞がり難しい立場にあった。1998年、女性局長を最後に退官した。 入省同期では、労政関係全般に強いと云われていた伊藤庄平元労働事務次官や、長勢甚遠元法務大臣などがいる。
近藤 利一(こんどう りいち、1942年9月1日 - 201… 近藤 利一(こんどう りいち、1942年9月1日 - 2019年11月17日)は、日本の実業家、馬主。 日本中央競馬会(JRA)の馬主として「アドマイヤ」の冠名で知られ、死去までにJRAの重賞60勝(うちGI級競走13勝)を挙げた。前妻は近藤英子で、同じく馬主として著名。 代表を務めていた合建株式会社は、大阪府大阪市北区にあるはつり・建築解体工事会社。 1942年、徳島県出身。大阪府で出会った近藤英子と結婚し、夫婦で合建株式会社を立ち上げた。のちに英子とは離婚し、旬子を後妻に迎えている。 2019年夏にがんを罹患していることを公表し闘病していたが、同年11月17日早朝、大阪市内の病院で死去。77歳没。
小川 公人(おがわ きみと、1941年(昭和16年)9月1日… 小川 公人(おがわ きみと、1941年(昭和16年)9月1日 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道江別市出身。1960年(昭和35年)北海道江別高等学校卒業。北海道江別市長(1995年-2007年)。 1960年(昭和35年)江別市役所に入所。勤務した後、江別市役所を退職。1971年(昭和46年)江別市議会選挙に出馬し、初当選。以来、同市議会議員を6期務める。1995年(平成7年)に江別市長選挙に出馬し現職である岡英雄を破り、初当選。連続3期務め、2007年に勇退した。 市議会議員時代は、総務文教常任委員会委員、厚生常任委員長、総務文教常任委員長、建設常任委員、江別市議会副議長、厚生常任委員などを務めた。
高島 肇久(たかしま はつひさ、1940年9月1日 - )は… 高島 肇久(たかしま はつひさ、1940年9月1日 - )は、海外通信・放送・郵便事業支援機構会長、外務省参与。NHK解説委員長、国際連合広報センター所長、外務省大臣官房外務報道官、BBCワールドニュース放送番組審議会委員、日本国際放送社長など歴任。 東京出身。東京学芸大学附属高等学校を経て学習院大学政経学部政治学科卒業。 大学卒業後の1963年、NHKに入局し報道局記者となる。高松放送局を経て1968年から報道局外信部(現在の国際部)。サイゴン支局特派員(1972年~1973年)NHKワシントン支局特派員(1974年~1978年、1982年~1984年の2回)、NHKロンドン支局長(1984年~1988年)を経験。
長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 201… 長田 あつし(ながた あつし、1940年9月1日 - 2014年8月2日)は、日本の演歌歌手。兵庫県津名郡北淡町(現:淡路市)出身。元殿さまキングスのリーダー。男女デュオ「オヨネーズ」としても成功を収めた。 1960年にコミックバンド「ファンキーガイズ」を結成。人気を得る。さらに1967年に「殿さまキングス」を結成。リーダーとして活躍。後に歌謡曲に転向。1973年にリリースされた「なみだの操」は、爆発的なヒットとなった。後に続く「夫婦鏡」「おんなの運命」などもヒットした。 殿さまキングスの解散前年の1989年に杏しのぶとオヨネーズを結成。1990年にリリースしたデュエット「麦畑」は、東北弁でコミカルに歌い上げ、大ヒットした。
五十嵐 三津雄(いがらし みつお、1939年9月1日 - )… 五十嵐 三津雄(いがらし みつお、1939年9月1日 - )は日本の郵政官僚。郵政事務次官、簡易保険福祉事業団理事長、KDDI代表取締役会長等を歴任した。 北海道空知郡北村出身。北海道札幌南高等学校を経て、1963年 北海道大学法学部卒業。民法学 川井健ゼミ出身。大学卒業後、郵政省入省。郵務局業務課長補佐、人事局管理課長補佐を経て、1976年 東北郵政局郵務部長。1978年東京郵政局郵務部長。1980年 郵務局服務課長。1981年 電気通信政策局業務課長。1983年 電気通信政策局監理課長。1984年 電気通信事業部監理課長。1985年 電気通信局総務課長。1986年 大臣官房秘書課長。1988年 電気通信局電気通信事業部長。
水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1… 水越 浩士(みずこし こうし、1938年(昭和13年)9月1日 - )は、日本の実業家。神戸製鋼会長。朝鮮京城府の生まれで、1945年引き揚げ後中学校まで父の郷里広島県豊田郡大崎上島で育つ。東京教育大学附属駒場高等学校を経て1961年3月に東京大学経済学部を卒業し、同年に神戸製鋼入社。
丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は… 丸山 敬一(まるやま けいいち、1938年9月1日 - )は、日本の政治学者、中京大学名誉教授。 長野県伊那市生まれ。1966年京都大学法学部卒。1976年大阪市立大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学、中京大学法学部助教授、81年教授、87-89年法学部長。2001-03年法学研究科長、2009年定年退職、名誉教授。91年「マルクス主義と民族自決権」で、法学博士(大阪市立大学)の学位を取得。専攻はドイツ、オーストリアの政治思想史。
加藤 力雄(かとう りきお、1937年9月1日 - )は、愛… 加藤 力雄(かとう りきお、1937年9月1日 - )は、愛知県蟹江町出身の元プロ野球選手。 松蔭高校では二塁手であったが中京大学準硬式野球部では投手で4番を打ち、1960年に中日ドラゴンズへ入団。1961年に外野手へ転向。1963年引退。
梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )… 梅林 宏道(うめばやし ひろみち、1937年9月1日 - )は、平和運動家。NPO法人ピースデポ代表。工学博士。兵庫県洲本市出身。 ほか、核軍縮議員ネットワーク(PNND)東アジア・コーディネーターなどを務める。
河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は… 河原 主尚(かわはら きみなが、1937年9月1日 - )は、岡山県久米郡久米町坪井出身のプロ野球選手(内野手→外野手)。 岡山県立津山高等学校から、1957年に大阪タイガースにテスト入団。当初は打力を買われて、内野手の入団だったが、やがて強肩に注目が集まり、外野手にコンバートされてウエスタン・リーグに出場するようになった。一軍では打席に経つ事はなかったが、4試合代走で出場した事がある。翌1958年に引退。
後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、… 後藤 武晴(ごとう たけはる、1937年9月1日 - )は、徳島県出身の元プロ野球選手。 脇町高校から東洋大学を経て1960年に東映フライヤーズへ入団。1軍試合出場は1年目の2試合のみとなり1963年に引退。
菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛… 菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。 八幡浜高校から1956年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日… 増田 熙男(ますだ ひろお、1937年(昭和12年)9月1日 - )は、日本の銀行家、大蔵官僚。元東和銀行頭取、元岩手県副知事。 東京大学法学部卒業後の1962年4月に大蔵省に入省。1987年7月より2年間岩手県副知事を務める。大蔵省大臣官房審議官、生命保険協会常務理事を歴任後の1992年7月に東和銀行に顧問として入行。1993年6月に取締役副頭取、1994年6月に代表取締役頭取に就任。在任中はATMの365日稼動や郵便貯金やセブン銀行との相互利用・利用提携の開始などの施策を実行したが、2007年5月、経営赤字の責任を取り、辞任した。
比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020… 比屋根 毅(ひやね つよし、1937年9月1日 - 2020年6月4日)は、日本の洋菓子職人、実業家。エーデルワイス創業者。石垣市名誉市民。 1937年9月1日、沖縄県八重山郡石垣町(現在の石垣市)のサトウキビ農家で、8人兄弟の3番目として生まれる。15歳の時に石垣島を出て那覇市で2年を過ごした後、17歳の時に大阪府の製菓会社に就職。全国菓子大博覧会で大賞を受賞したことを機に、1966年3月29日、兵庫県尼崎市の立花商店街に7坪の店舗を構え、エーデルワイスを創業。同社の代表取締役社長、会長として、80店舗を展開する企業に成長させた。 旭日双光章、レオポルド2世勲章コマンドゥール章を受章。兵庫県洋菓子協会会長、日本洋菓子協会連合会副会長、尼崎商工会議所副会頭を歴任。
服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 200… 服部 哲治(はっとり てつじ、1936年9月1日 - 2000年7月2日)は、日本の元俳優、元声優。東京都中野区出身。 小学生であった1946年、児童劇団こけし座に入団。NHKラジオの学校放送などに出演し、1955年に映画『たけくらべ』でデビュー。慶應義塾高等学校卒業。慶應義塾大学経済学部中退。 1956年、桑野みゆきや毒蝮三太夫、増山江威子らと劇団山王を結成。衣笠プロ、三木事務所を経て、1970年の時点では天知プロに所属していた。その後、1977年には藤山寛美の誘いで松竹新喜劇へ入団し活動した。 二枚目だが敵役や三枚目の役もこなし、中堅俳優として活躍した。 2000年に死去するが、遺族との連絡がつかないらしく、aRmaに権利者が捜索されている。
小島 武司(こじま たけし、1936年9月1日 - )は、日… 小島 武司(こじま たけし、1936年9月1日 - )は、日本の法学者。専門は、裁判法・民事訴訟法・民事系手続法全般。日本を代表する民事手続法の大家の一人である。[要出典]学位は、法学博士(中央大学・論文博士・1977年)(学位論文「訴訟制度改革の理論」)。中央大学名誉教授。桐蔭横浜大学元学長。神奈川県出身。2018年春瑞宝中綬章受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈康徳2年 / 昭和1… 小澤 征爾(おざわ せいじ、1935年〈康徳2年 / 昭和10年〉9月1日 - 2024年〈令和6年〉2月6日)は、日本の男性指揮者。1973年からボストン交響楽団の音楽監督を29年間務め、2002年 - 2003年のシーズンから2009年 - 2010年のシーズンまでウィーン国立歌劇場音楽監督を務めた。 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団名誉団員、ボストン交響楽団桂冠音楽監督、セイジ・オザワ 松本フェスティバル総監督、小澤征爾音楽塾塾長・音楽監督、新日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者など。 1935年満洲国奉天省奉天市(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)で生まれる。
一色 貞輝(いっしき さだてる、1935年〈昭和10年〉9月… 一色 貞輝(いっしき さだてる、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2011年〈平成23年〉8月29日)は、昭和から平成時代の政治家。実業家。大阪府豊中市長 (第19代・20代)。位階は従五位。旭日中綬章受章。 大阪府出身。1954年(昭和29年)大阪府立桜塚高等学校卒業。1959年(昭和34年)甲南大学経済学部卒業。 1958年(昭和33年)住友商事入社。1968年(昭和43年)摂津米穀取締役、1975年(昭和50年)社長を経て、1983年(昭和58年)第10回統一地方選挙に立候補し大阪府議会議員に初当選、以降4選。 1998年(平成10年)豊中市長に当選。2期8年務めた。 2006年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。
松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月… 松下 三郎(まつした さぶろう、1935年〈昭和10年〉9月1日 - 2020年〈令和2年〉4月19日)は、日本の柔道家。段位は講道館柔道九段。 鹿児島県日置郡吹上町 (現在の鹿児島県日置市吹上町)で生まれる。吹上町立伊作小学校を経て、吹上町立伊作中学校在学中に先輩の誘いで柔道と出会い、稽古に参加するようになった。 鹿児島商業高等学校進学後は野球部に入部したものの、ボール拾いやランニング、古いボールの繕いといったことの連続で練習の機会が無かった。そんな折、母校である伊作中学校に立ち寄った際に剣道の先生から柔道をやるよう勧められたこと、柔道部の顧問から勧誘されたことを理由に柔道部に転部し、県大会やインターハイに出場した。
北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日… 北中 誠(きたなか まこと、1935年9月1日 - )は、日本の実業家。公益財団法人小田急財団顧問。小田急電鉄では代表取締役社長として、バブル崩壊の影響を受け業績が悪化していた小田急グループの建て直しを図った。また日本民営鉄道協会副会長も務めた。 茨城県出身。1959年に一橋大学商学部を卒業し、小田急電鉄に入社。同社では、入社以来社長就任まで5年間を除き、33年間経理を担当した。1968年には知識の整理と確認のために公認会計士試験を受験し、合格した。 1975年に突如腹痛が生じたため、救急車で病院に搬送されたものの、盲腸との診断は出ず、いったん帰宅した。その夜、再び腹痛が生じたため、再度病院に行ったところ盲腸であると診断され、緊急手術を受けた。
佐野 真由美(さの まゆみ、1935年9月1日 - )は、日… 佐野 真由美(さの まゆみ、1935年9月1日 - )は、日本のアナウンサー。元テレビ東京パーソナリティー室理事・アナウンサー。 福岡県出身。早稲田大学卒業後、1958年に九州朝日放送に入社し、その後関西テレビ→東京12チャンネル(現在のテレビ東京)へそれぞれ移籍。東京12チャンネル開局時の第一声を担当。その後、料理番組からニュースまで幅広く番組を担当し、アナウンス畑を一貫して歩む。昭和から平成の変わり目、宮内庁記者クラブを兼務し皇室番組を担当。アナウンサー業務の傍ら、管理職業務として新人アナウンサーの採用、養成に携わる。現在はフリーアナウンサーの傍ら、古巣のテレビ東京での新人アナウンサー研修や「学生の為のアナウンス教室」の講師も務める。
友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 20… 友岡 子郷(ともおか しきょう、1934年9月1日 - 2022年8月19日)は、兵庫県出身の俳人。本名は清。 神戸市灘区生まれ。兵庫県立神戸高等学校を経て、甲南大学文学部卒業。大学在学中、高浜虚子の「ホトトギス」、波多野爽波の「青」に投句。1957年「椰子会」を結成。1958年より「青」編集。1968年、「青」を辞し「雲母」入会、飯田龍太に師事。同誌同人。同人誌「椰子」創刊。1991年、椰子会代表。1992年、「柚」創刊に参加。1993年、廣瀬直人の「白露」創刊に参加。1998年「椰子」終刊。2012年「椰子会」解散。 1977年、第1回雲母選賞、1978年、第25回現代俳句協会賞、2006年、『雲の賦』で第6回俳句四季大賞、2009年、『友岡子郷俳句集成』で第24回詩歌文学館賞、2013年、『黙礼』で第5回小野市詩歌文学賞受賞、2018年、『海の音』で第52回蛇笏賞受賞。
川北 良造(かわぎた りょうぞう、1934年9月1日 - )… 川北 良造(かわぎた りょうぞう、1934年9月1日 - )は、日本の木工芸家。 重要無形文化財「木工芸」の保持者(いわゆる人間国宝)。木工芸の人間国宝としては5番目の認定者(1994年認定)。 石川県出身。木の挽物の産地である山中町(現加賀市)に生まれ、木工芸家である父・川北浩一に師事。のちに氷見晃堂に師事。挽物の技術に秀で、伝統的で高度な技術を持つ。川北作品は挽物が中心なので作品は一枚の板からロクロで削りだした皿や椀など丸い形のもの、あるいは丸く作って辺を切るものなどシンプルなものが多く、回転ではできない指物によるような四角い箱型の物は少ない。材は欅を中心に桑・楓・黒柿・栃なども使う。近年では象嵌の技法も取り入れる。
今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、… 今井 洋行(いまい ひろゆき、1933年9月1日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手。 天王寺高から、1951年に南海ホークスの2軍的なチームだった社会人野球の南海土建に入部。 1952年、南海ホークスに昇格する。シュートが武器のサイドスロー投手。1955年に引退。
野見山 俊一(のみやま しゅんいち、1933年9月1日 - … 野見山 俊一(のみやま しゅんいち、1933年9月1日 - 2012年7月16日)は、日本の陸上競技選手・指導者(長距離)、熊本学園大学名誉教授。 島根県松江市生まれ。福岡県立嘉穂高等学校、東京教育大学体育学部卒。 高校時代は水泳部に所属していたが、長距離選手としての特性を見いだされ陸上競技部に転部。東京教育大学時代は箱根駅伝に2回出場(第30回7区、第31回10区)。 熊本国体(1960年)の開催年に熊本商科大学(現・熊本学園大学)に招聘され、以後46年間にわたり指導にあたる。野見山の指導する熊本商科大学は、全日本大学駅伝対抗選手権大会に2回出場を果たした(第2回、第12回)。 九州一周駅伝では熊本県チームの監督団の一員として参加。
嶋倉 民生(しまくら たみお、1933年9月1日 - 202… 嶋倉 民生(しまくら たみお、1933年9月1日 - 2024年7月2日)は、日本の経済学者。愛知大学名誉教授。中華民国遼寧省金州生まれ。
大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 … 大出 峻郎(おおで たかお、1932年〈昭和7年〉9月1日 - 2005年〈平成17年〉9月29日、満73歳没)は、日本の元最高裁判所判事。位階勲等は正三位旭日大綬章。 1988年(昭和63年)10月11日、参議院内閣委員会にて、内閣法制局第一部長として次のように答弁している。「今日では、実質的な国家統治の大権を持たれなくても国家におけるいわゆるヘッドの地位にある者を元首と見るなどのそういう見解もあるわけでありまして、このような定義によりますならば、天皇は国の象徴であり、さらにごく一部ではございますが外交関係において国を代表する面を持っておられるわけでありますから、現行憲法のもとにおきましてもそういうような考え方をもとにして元首であるというふうに言っても差し支えないというふうに考えておるわけであります。
白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1… 白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1日 - 2015年(平成27年)1月2日)は、日本の脚本家である。本名︰八住 利義(やすみ としよし)。市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。 1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄(1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。 中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。
徳永 喜久夫(とくなが きくお、1931年9月1日 - )は… 徳永 喜久夫(とくなが きくお、1931年9月1日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。投法はサイドスロー。スライダー、カーブ、シュート、シンカーを武器とした。 愛知県立瑞陵高等学校では、エースとして高校同期の一柳忠尚とバッテリーを組み、甲子園に3回出場した。 2年生時の1949年には、愛知大会準決勝で金田正一を擁する享栄商業高校を4-0と完封で抑えて勝ち上がり、夏の甲子園大会に出場した。しかし、1回戦で兵庫県立芦屋高に大敗した。 翌1950年春の選抜も1回戦で大阪府立北野高に惜敗。夏の愛知大会では優勝を果たし、これが愛知県の公立校としては唯一の連覇となっている。しかし、夏の甲子園大会は1回戦で福岡県立小倉高に敗退し、甲子園での勝利はならなかった。
吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、… 吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。
藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、… 藤原 房子(ふじわら ふさこ、1930年9月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名・黒羽房子。夫は教育学者・社会学者の黒羽亮一。 福井県福井市生まれ。1948年福井県立福井高等女学校卒業。1953年東京女子大学文学部社会科学科卒業。日本経済新聞社に入社し、社会部、出版局、婦人部を経て退職後、東京都監査委員、財団法人日本女子社会教育会理事長を務める。『手の知恵――秘められた可能性』(山手書房) にて1979年度サントリー学芸賞受賞。日本エッセイスト・クラブ理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 200… 大牟田 稔(おおむた みのる、1930年9月1日 - 2001年10月7日)は、日本のジャーナリスト。元広島平和文化センター理事長。 宮崎県出身。広島高等師範学校、広島大学文学部仏文科卒業。1950年から梶山季之とともに雑誌『天邪鬼』を創刊。 1953年、中国新聞社に入社。記者となる。 1964年に当時アメリカ軍の支配下におかれた沖縄を訪れ、同地の被爆者を日本のジャーナリストとして初めて取材した。 ある時、中国新聞の記者として広島に投下された原爆の悲惨さを告発し続けた金井利博に影響を受け、広島に興味を持つようになった。市長の平岡敬に勧められ、1992年に広島平和文化センターの理事長となる。同年中国新聞の編集者を引退した。