楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6… 楠山 俊介(くすやま しゅんすけ、1954年(昭和29年)6月4日 - )は、日本の政治家、歯科医師。 2012年から2016年まで、静岡県下田市長を1期務めた。また、2023年4月より下田市議会議員(1期目)を務める。 静岡県下田市出身。下田市立朝日小学校、下田市立下田中学校、静岡県立下田北高等学校、城西歯科大学(現・明海大学)歯学部卒業。1982年(昭和57年)3月、下田市吉佐美に歯科医院を開業する。並行して1993年(平成5年)、下田青年会議所理事長。1994年(平成6年)、下田を中心に南豆地域の活性化を目的とした任意団体「下田にぎわい社中(現:NPO法人下田にぎわい社中)」の設立に参画、2006年(平成18年)に同代表理事。
中島 久枝(なかしま ひさえ、1954年6月4日 - )は、… 中島 久枝(なかしま ひさえ、1954年6月4日 - )は、日本のフードライター、小説家。 東京都生まれ。学習院女子高等科を経て、学習院大学文学部哲学科を卒業。大学卒業後、絵本の出版社、編集プロダクションなどを経て、1995年に独立。食と料理をテーマに、雑誌や単行本の企画・構成・編集などを行っている。食に関するウェブサイト、イベント企画なども行っている。2013年、時代小説『日乃出が走る 浜風屋菓子話』で第3回ポプラ社小説新人賞特別賞を受賞する。2014年、同作がポプラ文庫より刊行され、小説家デビューを果たす。同作について、文芸評論家の池上冬樹は「料理を扱った小説が増えているが、フードライターの手による本作は他と一線を画している」と評している。
小嶋 進(おじま すすむ、1953年6月4日 - )は、日本… 小嶋 進(おじま すすむ、1953年6月4日 - )は、日本の実業家、歌手、株式会社ヒューザー(破産により消滅)の創業者。 2005年~2006年にかけて、構造計算書偽造問題の関係者として注目された。 専有面積50~70m2のマンションが当たり前の日本社会に疑問を持ち、21世紀には100m2超のマンションが一般的になると確信していた。 他では真似の出来ない、首都圏で専有面積平均100m2超の分譲マンションを供給していることについては「ビジネスシューズは24cmでも27cmでも、サイズは違えど同じ値段で売っているじゃないか。だったら分譲マンションだって100m2でも70m2と同じ値段で売れるはずだ」というのが基本的な考え方だった。
渡辺 三男(わたなべ みつお、1953年6月4日 - )は、… 渡辺 三男(わたなべ みつお、1953年6月4日 - )は、栃木県那須郡那須町出身の元サッカー選手。ポジションはFW。 フジタ工業などに所属し、日本代表として28試合に出場し、4得点を挙げた。 2017年度の日本サッカー殿堂の候補者にノミネートされたが受賞はならなかった
関口 昌一(せきぐち まさかず、1953年〈昭和28年〉6月… 関口 昌一(せきぐち まさかず、1953年〈昭和28年〉6月4日 - )は、日本の政治家、歯科医師。参議院議長(第34・35代)、自由民主党所属の参議院議員(5期)。 総務副大臣兼内閣府副大臣(第2次安倍内閣)、外務大臣政務官(第1次安倍内閣)、参議院文教科学委員長、埼玉県議会議員(3期)、自由民主党参議院議員会長(第30代)、同党参議院国会対策委員長などを歴任。 父は参議院議員、埼玉県歯科医師会会長を務めた関口恵造。長男は関口の第一秘書を務めている。 埼玉県秩父郡皆野町出身。日本大学豊山高等学校、城西歯科大学(現:明海大学)歯学部卒業。大学卒業後、出身地の秩父郡皆野町で歯科医院を開業。 1995年(平成7年)、埼玉県議会議員選挙に北2区(秩父郡皆野町、長瀞町、吉田町、小鹿野町、両神村、大滝村、荒川村、東秩父村)から自由民主党公認で出馬し、初当選。
津田 一郎(つだ いちろう、1953年(昭和28年)6月4日… 津田 一郎(つだ いちろう、1953年(昭和28年)6月4日-)は、日本の数理科学者、応用数学者、物理学者、文芸家。北海道大学名誉教授、中部大学名誉教授、札幌市立大学特任教授。 カオス学の確立者。日本における複雑系科学研究の先駆者の一人。脳のダイナミクスに世界的にいち早く着目し、カオス脳理論、脳の解釈学を提唱。大学院生当時、化学反応系にカオスが存在することを経験的ローレンツプロットと一次元時間離散力学系モデルの併用によって世界で初めて実証したことでも知られる。 岡山県出身。大阪大学理学部物理学科卒業、京都大学大学院理学研究科物理学第一専攻博士課程修了、1982年「非線型・非平衡系のカオスと分岐構造」で理学博士(京都大学)。
江木 俊夫(えぎ としお、1952年6月4日 - )は、日本… 江木 俊夫(えぎ としお、1952年6月4日 - )は、日本の俳優、歌手、タレント。本名は亀田 学(かめだ まなぶ)。東京都武蔵野市出身。愛称・トシ坊。渋谷区立外苑中学校 → 堀越高等学校の出身。幼年期は子役として活躍し、青年期は男性アイドルグループ・フォーリーブスのメンバーとして芸能界の第一線で活躍。 ※フォーリーブスとしての出演はフォーリーブスの項目参照
青木 達也(あおき たつや、1952年6月4日 - )は、株… 青木 達也(あおき たつや、1952年6月4日 - )は、株式会社ハークスレイ代表取締役会長。持ち帰り弁当の草分けであるほっかほっか亭の創業に参加し、持ち帰り弁当ビジネスの普及に貢献した。拓殖大学商学部卒業。
長松 純明(ながまつ すみあき、1952年6月4日 - )は… 長松 純明(ながまつ すみあき、1952年6月4日 - )は、大分県中津市出身の元プロ野球選手(捕手)。 中津工高では、1970年夏の甲子園県予選準決勝で津久見高に敗れ、中九州大会には進出できなかった。卒業後は福岡工業大学へ進学。福岡六大学リーグでは1972年秋季リーグから4季連続優勝。リーグ通算16本塁打、首位打者2回、3年春から4季連続ベストナイン。1973年には5試合連続本塁打を放ちリーグ記録を更新。高校、大学の同期に筧文夫(日本ハム)がいた。 1974年ドラフト2位で、ロッテオリオンズに入団。強肩強打の捕手として期待されるが、村上公康、高橋博士らの控えに甘んじる。しかし1983年には20試合に先発マスクを被り、袴田英利、土肥健二と正捕手の定位置を争った。
宍戸 仙助(ししど せんすけ、1952年6月4日 - )は、… 宍戸 仙助(ししど せんすけ、1952年6月4日 - )は、教育実践家、東南アジア教育環境改善支援家、講演家。 / NPO法人「シーエスアールスクエア」の理事長。 福島県福島市生まれ。1977年福島大学教育学部を卒業。石川郡浅川町立里白石小学校教諭を振り出しに、東白川郡古殿町立山上小学校、白沢村立(現在本宮市立)和田小学校、福島市立矢野目小学校、福島市立福島第四小学校に勤務。その後、教頭として東白川郡矢祭町立下関河内小学校教頭、福島市立下川崎小学校、同大森小学校、同森合小学校に勤務。2008年に東白川郡矢祭町立東舘小校長として勤務。東日本大震災で被災する。2011年8月より伊達市立富野小校長として勤務、2013年に福島県公立学校教職員を定年退職。
四宮 啓(しのみや さとる、1952年6月4日 - )は、日… 四宮 啓(しのみや さとる、1952年6月4日 - )は、日本の弁護士(渋谷パブリック法律事務所客員弁護士)、國學院大學法科大学院名誉教授。 アメリカ合衆国の陪審員制度に詳しく、司法制度改革推進本部の検討会委員として、裁判員制度の導入にも関わった。
上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、… 上田 雄三(うえだ ゆうぞう、1951年6月4日 - )は、日本のキュレーター。多摩美術大学芸術学科非常勤講師(2008-2012)、同大学校友会理事(副会長)を務める。
青柳 いづみこ(あおやぎ いづみこ、1950年6月4日 - … 青柳 いづみこ(あおやぎ いづみこ、1950年6月4日 - )は、日本のピアニスト、エッセイスト。学術博士(東京芸術大学)、大阪音楽大学名誉教授。ドビュッシー研究家。東京都出身。 東京都杉並区阿佐ヶ谷に生まれ育つ。祖父は仏文学者青柳瑞穂。4歳からピアノを習う。東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を経て東京芸術大学音楽学部卒業。フランスに留学し、国立マルセイユ音楽院首席卒業。東京芸術大学大学院博士課程修了。安川加壽子とピエール・バルビゼに師事。 1980年に帰国し、東京で初めてのリサイタルを開く。1989年、論文『ドビュッシーと世紀末の美学』によって東京芸術大学より学術博士を授与(フランス音楽の分野で初めての博士号だった)。
上原 敏夫(うえはら としお、1950年6月4日 - )は、… 上原 敏夫(うえはら としお、1950年6月4日 - )は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・民事執行法・倒産処理法。学位は、博士(法学)(一橋大学・論文博士・1996年)(学位論文「債権執行手続の研究」)。一橋大学名誉教授、明治大学名誉教授。弁護士(第一東京弁護士会所属。山本柴﨑法律事務所)。三ヶ月章門下。弟子に村上正子など。 東京都品川区生まれ。世田谷区立弦巻中学校、東京都立戸山高等学校を経て、一橋大学法学部3年在学中に旧司法試験に合格。1973年に大学を卒業し、1975年 東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。1977年に最高裁判所司法研修所司法修習(第29期)を修了後、一橋大学法学部助手に就任。
庄司 陽子(しょうじ ようこ、1950年6月4日 - )は、… 庄司 陽子(しょうじ ようこ、1950年6月4日 - )は、日本の漫画家。千葉県茂原市出身、最終学歴はトキワ松学園女子短期大学(当時)卒業。 1950年6月4日、父43歳・母36歳の時に千葉県茂原市の日立製作所の社宅「高志寮」の一室で隣室の家族に見守られながら四人姉妹の末っ子として誕生。1969年に東京都立大森高等学校を卒業し、1971年にトキワ松学園女子短期大学(当時)を卒業。2歳年上の里中満智子が第1回講談社新人漫画賞の受賞により16歳デビューを知り同じく講談社に絞って投稿を始め、1968年高校3年生の春、投稿3作目で「佳作入選」を果たし担当編集者がつく。没ネーム多数ののち担当者に指導されながら描いた16ページの短編『海とルコックちゃん』が同年冬の『少女フレンド増刊』(講談社) に掲載されてデビュー。
住田 正則(すみた まさのり、1948年6月4日 - )は、… 住田 正則(すみた まさのり、1948年6月4日 - )は、日本の実業家。東京都出身。株式会社ココスジャパン元代表取締役社長。 東京都出身。1972年、上智大学法学部卒業。同年4月、日綿實業株式会社(現・双日株式会社)入社。2003年、ニチメン株式会社(現・双日株式会社)執行役員人事・総務部長に就任。2004年、株式会社なか卯代表取締役社長に就任。2009年、株式会社華屋与兵衛代表取締役社長に就任。2010年、株式会社ココスジャパン社長執行役員に就任。2011年、同社代表取締役社長に就任。2017年、同社代表取締役社長から退任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
青木 卓司(あおき たくじ、1948年6月4日 - )は、福… 青木 卓司(あおき たくじ、1948年6月4日 - )は、福岡県北九州市出身の日本の俳優。旧芸名は青木 卓(あおき たく)。御麿プロダクション所属。 株式会社仕事、横島事務所、坂東事務所と順に所属を経て、現在は御麿プロダクション所属。 1967年に東映東京演技課俳優部に入社し、高倉健の付き人を1968年から1985年まで務め、1970年頃より東映の俳優としてキャリアをスタートさせる。 主にヤクザ映画に端役で出演していたが1970年代から1980年代の現代劇テレビドラマでは犯人役などを数多く演じ、1990年代からは刑事役としても活躍している。
川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4… 川端 槇二(かわばた しんじ、1948年(昭和23年)6月4日 - )は、日本の俳優、演出家。劇団NLT代表。NPO法人日本オペレッタ協会副理事長。
坂本 光司(さかもと こうじ、1947年6月4日 - )は、… 坂本 光司(さかもと こうじ、1947年6月4日 - )は、日本の経営学者(地域経済論・地域企業論)。元法政大学大学院政策創造研究科教授、特定非営利活動法人SOHO・アット・しずおか理事長、人を大切にする経営学会会長、アチーブメント株式会社顧問。 特定非営利活動法人オールしずおかベストコミュニティ理事長、特定非営利活動法人ストリートデザイン研究機構理事長、社会起業大学顧問などを歴任した。 1947年、静岡県志太郡(のちの大井川町。現在の焼津市)にて生まれた。 静岡県立榛原高等学校を経て、法政大学経営学部を卒業した。 法政大学経営学部講師、静岡県立大学経営情報学部講師、浜松大学経営情報学部教授・大学院経営学研究科教授、福井県立大学地域経済研究所教授、静岡文化芸術大学文化政策学部教授・大学院文化政策研究科教授、法政大学大学院イノベーションマネジメント研究科客員教授、静岡県立大学経営情報学部客員教授、法政大学大学院政策創造研究科教授などを歴任した。
四代目 今藤 長十郎 (よだいめ いまふじ ちょうじゅうろう… 四代目 今藤 長十郎 (よだいめ いまふじ ちょうじゅうろう、1947年〈昭和22年〉6月4日 - )は、長唄女流三味線奏者。長唄今藤流四世家元。本名は坂田 小苗(さかた さなえ)。東京都生まれ。 人間国宝の三代目今藤長十郎の三女。伯母は長唄女流三味線弾きの第一人者で重要無形文化財保持者の今藤綾子。 1992年から毎年リサイタル「三味線の響」を開催。長唄の古典の大曲から、父・三代目の作曲した作品、自身の作曲した作品まで披露している。 2011年は3月には「平成22年年度文化庁国際芸術交流支援事業」としてベルリンのベルリン市庁舎ホールで公演が行われた。 創作曲として夫・小松原まさしと共に作曲した『冬の星空』が上演される。
切池 信夫(きりいけ のぶお、1946年6月4日 - )は、… 切池 信夫(きりいけ のぶお、1946年6月4日 - )は、日本の医学者、精神科医。大阪市立大学大学院医学研究科名誉教授。専門分野は摂食障害。大阪市出身。 大阪府立生野高等学校17期生。1971年、大阪市立大学医学部卒業。同大学付属病院臨床研究医、北野病院精神科、ネブラスカ州立大学医学部薬理学教室、大阪市立大学教授(神経精神医学教室)を経て、2012年より大阪市立大学名誉教授。専門は心療内科、精神神経科。日本精神科診断学会会長を歴任、日本精神神経学会評議員を務める。厚生労働省の研究班の主任研究者として、摂食障害診療に携わる専門家向けのガイドラインを取りまとめた。1997年、大阪市医学会市長賞を受章した。
設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日… 設楽 幸嗣(したら こうじ、1946年6月4日 - )は、日本の作曲家・編曲家、音楽プロデューサーであり、元俳優、元子役俳優である。本名同じ。 1946年(昭和21年)6月4日、山形県酒田市に生まれる。父は設楽幸聖(日本正統運命学研究会会長)、母は一楽庵宗美(石州流茶道)、作曲家の武満徹は叔父にあたる。 父の幸聖が松竹の洋画宣伝部に在籍していた1951年(昭和26年)、『夢と知りせば』に出演する子役を探していた同作の監督の中村登に見いだされ、木暮実千代演じる「阿久津絹代」の息子「光久」役で同作に出演、同作は1952年(昭和27年)1月3日に公開されて映画界にデビューした。1953年(昭和28年)には東宝に貸し出され、千葉泰樹監督の『愛情について』、熊谷久虎監督の『白魚』、杉江敏男監督の『サラリーマンの歌』、および南旺映画製作、新東宝配給、斎藤達雄監督の『純情社員』にも出演した。
堀坂 浩太郎(ほりさか こうたろう、1944年6月4日 - … 堀坂 浩太郎(ほりさか こうたろう、1944年6月4日 - )は、日本のブラジル政治経済学者、上智大学名誉教授。 東京都出身。1968年国際基督教大学卒業、1970年日本経済新聞社証券部記者、1972年財団法人国際開発センター研究助手、1973年日本経済新聞産業部記者、1978年サンパウロ支局特派員、1982年外報部記者、1983年上智大学外国語学部ポルトガル語学科助教授、教授、2003-2004年外国語学部長。2007年10月 - 2010年3月上智大学イベロアメリカ研究所所長。2010年名誉教授。 ブラジルについて研究、1987年『転換期のブラジル』でヨゼフ・ロゲンドルフ賞受賞。2022年、瑞宝中綬章受章。
押田 令三(おしだ れいぞう、1943年6月4日 - )は、… 押田 令三(おしだ れいぞう、1943年6月4日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手(投手)。 篠山鳳鳴高校から1962年に毎日大映オリオンズへ入団。1963年に中継ぎで4試合に登板、同年のジュニアオールスターにも出場する。しかし1964年には登板機会がなく同年限りで引退した。
梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日 - 2020… 梓 みちよ(あづさ みちよ、1943年6月4日 - 2020年1月29日)は、日本の歌手、女優。本名は林 美千代(はやし みちよ)。血液型はO型。株式会社アラベスク所属で株式会社プロダクション尾木と業務提携。 日本統治下の朝鮮釜山市生まれ。福岡県福岡市博多区出身。福岡女学院中学校・高等学校2年中退。宝塚音楽学校中退。1960年代から1970年代を中心にヒットを飛ばした。アメリカンポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを持つ。 1960年、福岡女学院高校を2年で中退して宝塚音楽学校に48期生として入学。同校在学中に渡辺プロダクションのオーディションに応募し合格。上京し契約する(宝塚音楽学校は中退)。
中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 201… 中桐 伸五(なかぎり しんご、1943年6月4日 - 2016年2月12日)は、日本の政治家、医師。衆議院議員(2期)を務めた。 岡山県児島郡灘崎町(のち岡山市)出身。岡山大学医学部卒業。岡山大学助手等を経て、自治労常任顧問医。 1996年の第41回衆議院議員総選挙に民主党公認で岡山2区から出馬。自由民主党から出馬した熊代昭彦に敗れるも比例復活し、初当選。2000年の第42回衆議院議員総選挙では再び熊代昭彦に敗れ比例復活もできず落選。落選後、「若い人に道を譲りたい。」と述べ、引退を表明。しかし、2003年8月に比例中国ブロックで当選していた山田敏雅が福山市長選挙出馬のため辞職したため、繰り上げ当選した。
谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018… 谷光 大(たにみつ ひろし、1943年6月4日 - 2018年2月24日)は、株式会社ジェイ・エム・エス元代表取締役社長。広島県三次市出身。 発注生産管理に於いてコンピューターでの一元管理システムの構築に貢献。シンガポール子会社設立に携わった。趣味は囲碁。
糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉… 糸山 英太郎(いとやま えいたろう、1942年〈昭和17年〉6月4日 - )は、日本の政治家、実業家。参議院議員(1期)、衆議院議員(3期)。 東京生まれ。ゴルフ場経営で財を築いた実業家で新日本観光興業(現:新日本観光株式会社)の創立者である佐々木真太郎(1969年には所得日本一となった)と妾との間に出来た子。佐々木は二人の正妻との間には5人の子を儲け、娘婿に井口三郎(井口良二三男)がいる。幼少時は虚弱児で、4歳の時には疫痢で死線をさまよった。 東京府豊島師範学校附属幼稚園を経て、5歳のとき療養で藤沢市に転居。男の子についていけないことを危惧した母の判断により、私立の女子校である聖園女学院附属小学校(2004年に廃校)に入れられたが、女の子ばかりの学校に適応できず、4か月で私立湘南学園小学校に転校。
西山 正容(にしやま まさやす、1942年6月4日 - )は… 西山 正容(にしやま まさやす、1942年6月4日 - )は、英語学者、英文学者。シェイクスピア文学等が専門。博士(文学)。皇學館大学名誉教授。
金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022… 金 昌国(きん しょうこく、1942年6月4日 - 2022年7月15日)は、大阪生まれの韓国籍フルート奏者、指揮者。東京芸術大学名誉教授。 在日韓国人として大阪府に生まれる。神戸高校時代にフルートを始め、東京芸術大学および大学院修了。この間、川口勝治郎、川崎優、吉田雅夫に師事。 1967年、日本音楽コンクール第1位。 1969年、ジュネーブ国際コンクール第2位(1位なし)。 1970年よりドイツ、ハノーファー国立歌劇場管弦楽団首席奏者を務める。この間、マルセル・モイーズ、アンドレ・ジョネ、ハンス・ペーター・シュミッツに師事。 1981年に帰国し、東京藝術大学に勤めながら演奏活動を続ける。 1985年、神戸国際フルートコンクール審査委員長(4年に一度開催)。
石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980… 石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。 長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。 社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。
日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年〈昭和16年〉6月4… 日色 ともゑ(ひいろ ともえ、1941年〈昭和16年〉6月4日 - )は、日本の女優。劇団民藝所属。 本名は中園ともゑ(なかその ともえ)。東京都出身。父親は東京新聞社社員で将棋観戦記者・演芸評論家の日色恵。夫は建築家の中園正樹(株式会社松田平田設計代表取締役社長:1995 - 2018年在任)。 小学生の時に観た映画『原爆の子』に心を打たれたことが役者を目指す原点となる。自身も戦争で祖母と叔父、叔母を亡くしており、近年も平和の尊さを訴える朗読劇に積極的に参加している。 『大草原の小さな家』の吹き替えの依頼が来た当初は声優の経験がほとんど無かったことから自信が持てなかったので、1クール(22話分)だけのつもりで引き受けたという。
黒沼 ユリ子(くろぬま ゆりこ、1940年6月4日 - )は… 黒沼 ユリ子(くろぬま ゆりこ、1940年6月4日 - )は、日本の女性ヴァイオリニスト。東京都出身。兄は元テレビ東京プロデューサーの黒沼昭久(1933年3月29日 - )。
西川 右近(にしかわ うこん、1939年6月4日 - 202… 西川 右近(にしかわ うこん、1939年6月4日 - 2020年12月12日)は、名古屋西川流三世家元。本名、近藤雅彦。愛知県名古屋市出身。 東京都新宿区に本部を置く「西川流®」(一般財団法人 西川流)とは無関係。 1939年6月4日、近藤茂と静子(西川司津)の長男として生まれる。3歳で初舞台。1956年、名古屋西川流名取「西川右近」となる。高校中退し、4歳年上の名妓連芸妓・八重子と同棲。この頃から、藤間勘祖 (2世)に師事する。 1983年8月、 父二世西川鯉三郎死去、名古屋西川流三世家元を継承。流派で内紛が起こり、1985年4月8日、右近は記者会見を開いて分家の実姉西川左近の絶縁を発表。1985年4月16日、左近も名古屋西川流の分家問題や名取免許授与をめぐり紛糾している問題で記者会見した。
望月 英樹(、1937年〈昭和12年〉6月4日 - )は、日… 望月 英樹(、1937年〈昭和12年〉6月4日 - )は、日本映画の照明技師、日本映画テレビ照明協会会長。東京都出身。 1956年に東京都立蔵前工業高等学校を卒業[要出典]、東宝の照明助手となる。1980年に照明技師へ昇進する。 ブルーバック(グリーンバック)合成での撮影は、緻密に計算するよりも臨機応変にフレキシブルな対応をする方が良いと考えており、太陽光線の角度などを正確に作っても人間の視覚にはそういった情報は残らないと述べている。 役者と会話をすることで場を和ませることに長けており、監督勢からも重用されたほか、中尾彬から「一番好きなライトマン」と評されたこともあった。ゴジラシリーズを多数担当していたことから海外にもファンがおり、『GODZILLA』(1997年)の監督を務めたローランド・エメリッヒにも対面して喜ばれたという。
武市 英雄(たけいち ひでお、1937年6月4日 - )は日… 武市 英雄(たけいち ひでお、1937年6月4日 - )は日本の新聞学者。上智大学名誉教授。専門はジャーナリズム、マスコミュニケーション、マスメディア。 東京都出身。1960年に上智大学文学部卒業後、読売新聞で記者となる。1967~1968年にフルブライト留学生としてミネソタ大学大学院ジャーナリズム専攻へ留学する。1970年に記者を退職し、上智大学文学部新聞学科専任講師へ転身した。上智大学教授に就任後は、1997年に文学研究科委員長、2000年に同大学社会正義研究所長となり、2001年に名誉教授を授与される。その後、大妻女子大学文学部コミュニケーション文化学科教授となる。 この間、1991年に日本時事英語学会会長、1999年に日本マス・コミュニケーション学会会長を務める。
寺久保 友哉(てらくぼ ともや、1937年6月4日 - 19… 寺久保 友哉(てらくぼ ともや、1937年6月4日 - 1999年1月22日)は、小説家・精神科医。東京都出身。 北海道大学医学部在学中の1966年に、『ジャンパー』で「文藝」全国学生小説コンクール佳作。同人雑誌「くりま」に小説を発表し始める。なお「くりま」同人には渡辺淳一・高橋揆一郎などがいた。京都大学で研修後、札幌市中央区に「オフィス街クリニック」を開業し院長として診療に当たるかたわら、小説を書き続けた。1974年、「停留所前の家」で第8回北海道新聞文学賞受賞。1976年から1977年にかけ芥川賞候補に連続4回ノミネートされたが、いずれも受賞には至らなかった(第75回『棄小舟』、第76回『陽ざかりの道』、第77回『こころの匂い』、第78回『火の影』)。
瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014… 瀬川 昌也(せがわ まさや、1936年6月4日 - 2014年12月14日)は、日本の医学者、小児科医、医学博士、専門は小児神経学。1972年に報告した「著明な日内変動を呈する遺伝性ジストニア(Hereditary progressive dystonia with marked diurnal fluctuation=HPD)」「dopa responsive dystonia 5 =DRD5」には、瀬川病(Segawa Disease)の名前がつけられている。瀬川小児神経学クリニック(現:瀬川記念小児神経学クリニック)院長、獨協医科大学特任教授、日本小児神経学会理事、日本睡眠科学研究所顧問、などを務めた。
佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日… 佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日 - 2020年(令和2年)11月9日)は、日本の政治家、元衆議院議員(5期)。位階は従四位。一般社団法人日本経営士会元会長。 秋田県出身。成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。 1977年、第11回参議院議員通常選挙に新自由クラブ公認で全国区から立候補したが落選。 1986年に、衆議院選挙秋田1区から自由民主党公認で立候補し初当選(当選同期に鳩山由紀夫・斉藤斗志二・三原朝彦・村井仁・逢沢一郎・武村正義・園田博之・中山成彬・谷津義男・新井将敬・石破茂・笹川堯・村上誠一郎・井出正一など)。1994年に自由民主党を離党して新党みらいの結党に参加、同年の12月に新進党に合流した。
半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は… 半藤 末利子(はんどう まりこ、1935年6月4日 - )は、日本の随筆家。旧姓は松岡(まつおか)。 東京府生まれ。夏目漱石の長女・筆子と作家松岡譲の間に四女として誕生 第二次世界大戦中は、父の故郷である新潟県長岡市に疎開した。新潟県立長岡高等学校を経て、早稲田大学芸術科と上智大学比較文化科を卒業した。2017年9月24日、夏目漱石生誕150年に新宿区立漱石山房記念館名誉館長に就任した。 著書に『夏目家の糠みそ』『漱石夫人は占い好き』などがある。 夫の半藤一利は作家、随筆家。姉の松岡陽子マックレインは比較文学研究者でオレゴン大学名誉教授。
新井 郁男(あらい いくお、1935年6月4日 - )は、日… 新井 郁男(あらい いくお、1935年6月4日 - )は、日本の教育学者。上越教育大学名誉教授。日本学習社会学会会長。教育社会学を専攻。 東京府生まれ。長野県須坂市育ち。1959年東京大学教育学部卒業。文部省入省、1966年国立教育研究所、東京工業大学助教授、上越教育大学教授、1989年副学長、2001年定年退官、名誉教授、愛知学院大学教授、放送大学教授、財団法人教育調査研究所理事長。2006年~2008年まで日本教育社会学会会長を務めた。現在、日本学習社会学会会長を務めている。
緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日… 緒方 重威(おがた しげたけ、昭和9年(1934年)6月4日 - )は、日本の元検察官、元法務官僚、元弁護士。元公安調査庁長官。東京都目黒区のハーベスト投資顧問株式会社代表取締役。 父は検察官・弁護士の緒方浩、兄は化学者で上智大学副学長・千歳科学技術大学学長の緒方直哉。 父・浩が当時、岡崎検事局に勤務していたため愛知県岡崎市で生まれた。父はその後、名古屋、金沢、東京と転勤し、昭和14年(1939年)、満洲国最高検察庁検事として満州に赴任することになった。昭和14年(1939年)11月初旬、一家5人が満州国へと到着した。緒方と兄は、父に命じられていたこともあり、幼い頃から剣道を習っていた。 終戦後約1ヵ月をかけて母、兄、姉そして緒方の家族4人は無事に日本まで引き揚げてきた。
高沢 武司(高澤 武司、たかさわ たけじ、1934年6月4日… 高沢 武司(高澤 武司、たかさわ たけじ、1934年6月4日 - 2015年5月7日)は、社会福祉学者、日本社会事業大学・岩手県立大学名誉教授。 東京都・田端生まれ。1961年日本社会事業大学卒業、1963年東京都立大学 (1949-2011)大学院社会科学研究科修士課程修了、日本社会事業大学助手、講師、助教授、教授、大学院研究科長、図書館長、常務理事。1998年岩手県立大学社会福祉学部教授、学部長、2002年社会福祉学研究科教授、研究科長。2006年岩手県立大学を病気のため退職、名誉教授。
金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月1… 金子之(かねここれ、1934年6月4日 - 2015年9月15日)は、画家、イラストレーターである。
川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日… 川村 秀(かわむら すぐる、1933年6月4日 - )は、日本の歴史学者、翻訳家、通訳。 1933年(昭和8年)6月4日、静岡県沼津市生まれ。東京都立北園高等学校(旧・東京府立第九中学校)を経て、早稲田大学文学部ロシア文学科卒業。ロシア史家。翻訳家。川上貿易、蝶理等のモスクワ駐在員を経て、1990年(平成2年)、積水樹脂とアース・コーポレーションを設立、代表取締役副社長としてモスクワ常駐。その間、ロシア科学アカデミー東洋学研究所と日露文化センターを設立。1994年(平成6年)に退職後は、大学への留学生の交換や研究論文の発表など日露間の学術・文化交流に従事。また、晩年の杉原千畝を直接知る数少ない歴史の証人として、その事績を若い世代に伝えている。
立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 201… 立石 友男(たていし ともお、1933年6月4日 - 2017年7月11日)は、日本の地理学者。日本大学名誉教授。 1933年、長野県に生まれた。1952年に長野県諏訪清陵高等学校を卒業し、日本大学文学部人文地理学科に入学。1956年に同大学を卒業し、翌1957年に同大学大学院に進んだ。 1959年に日本大学文理学部副手に採用。1960年に助手、1970年に専任講師、1973年に助教授、1981年に教授へと昇任した。1982年、学位論文『庄内砂丘における海岸砂丘林に関する研究』を日本大学に提出して理学博士号を取得した。学界では、1999年から2002年まで歴史地理学会会長を務めた。2003年に日本大学を定年退職し、名誉教授となった。
中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 -… 中村又蔵(なかむら またぞう、2代目、1933年6月4日 - 2017年3月7日)は、歌舞伎俳優。 東京市出身。本名・伊藤進。俳名は伊藤公貴、ペンネームは田口大蔵。上智大学文学部独文科に学び、演劇部で活動、一学年下に井上ひさしがいた。在学中に坂東三津五郎 (8代目)の知遇を得て、義弟にあたる中村又五郎 (2代目)に入門する。1961年、又五郎について東宝入りし、本名の伊藤進で、62年「義経千本桜」で初舞台、64年東宝の「国性爺合戦」の虎の役で菊田一夫奨励賞を受賞、67年国立劇場『佐倉義民伝』で二代目中村又蔵を襲名、名題昇進する。国立劇場歌舞伎俳優養成課で研修生の指導に当たる。75年松竹に復帰。英語、ドイツ語が堪能で、1978年ハワイ大学演劇部の学生に稽古をつけ、82年には国際交流基金の依頼でミュンヘン大学で歌舞伎を教える。
屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 … 屋山 太郎(ややま たろう、1932年〈昭和7年〉6月4日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の政治評論家。コラムニスト。公益財団法人社会貢献支援財団理事、公益財団法人日本財団評議員、一般社団法人日本戦略研究フォーラム会長、国家基本問題研究所理事。 福岡県福岡市生まれ。父は鹿児島市の出身で、終戦の時期には鹿児島市で過ごす。東京都立青山高等学校、東北大学文学部仏文科卒業。学生時代は剣道部に所属していた。 1959年時事通信社入社。ローマ特派員、首相官邸キャップ、ジュネーヴ特派員、編集委員兼解説委員を歴任し、1987年退社。 1981年第2次臨時行政調査会(土光臨調)に参画、以後、第1次~第3次行政改革推進審議会専門委員、選挙制度審議会委員、臨時教育審議会専門委員を務めた。
熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4… 熊本 哲之(くまもと のりゆき、1931年(昭和6年)6月4日 - 2018年(平成30年)5月2日)は、日本の政治家。東京都世田谷区長(2期)、東京都議会議長(第35代)、東京都議会議員(6期)を務めた。 広島県呉市生まれ。中央大学法学部卒業。衆議院議員秘書を経て、1977年東京都議会議員選挙に立候補し、初当選。6期24年にわたって都議を務める。1988年、当時の鈴木俊一東京都知事の下で都庁舎の新宿への移転が行われるにあたり設置された新都庁舎建設特別委員会の委員長に就任。1995年、青島幸男都政下では地方分権推進特別委員長に就任し、同年9月には東京都議会議長に就任(1997年7月まで)。 1999年、都議を任期途中で辞職し、世田谷区長選挙に自民党・自由党推薦で立候補したが、現職の大場啓二に敗れた。
寺尾 誠(てらお まこと、1930年6月4日 - 2015年… 寺尾 誠(てらお まこと、1930年6月4日 - 2015年6月1日)は、日本の経済史学者。 東京・渋谷生まれ。1953年慶應義塾大学経済学部卒。同大学院をへて、1961年慶大経済学部専任講師、1963年助教授、1972年教授。1996年定年退職、名誉教授。