貫 成人(ぬき しげと、1956年7月5日 - )は、日本の… 貫 成人(ぬき しげと、1956年7月5日 - )は、日本の哲学者、現象学者、ダンス評論家。専修大学教授。 藝術学関連学会連合 副会長、舞踊学会 副会長を務める。 神奈川県鎌倉市生まれ。父は宇野哲人の三男で日本史学者の貫達人。清泉小学校、栄光学園を経て、1980年東京大学文学部哲学科卒。1985年同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。 1988年より埼玉大学教養学部の専任講師をつとめ、1990年より助教授。2000年より専修大学文学部教授。1986年から1987年、1996年から1997年にはヴッパタール大学へ滞在。2003年「経験の構造:フッサール現象学の速度性モデル」で東北大学より博士(文学)号を取得。
後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 20… 後藤田 三朗(ごとうだ みつお、1956年7月5日 - 2012年4月1日)は、日本の写真家、「手話の日」の提唱者。 岡山県倉敷市出身。3歳のとき薬禍(薬害)により聾唖となる。1980年多摩芸術学園写真科(現 多摩美術大学芸術部写真科)卒業。1983年に町のスナップ写真を集めた初個展「写真機無音」を東京、名古屋、大阪、広島、岡山で開催。1989年には写真集『盗と夢と写・1977~1988』で第39回日本写真協会を受賞。 ユーモア&ウィットに富んだ表現と、トリミングを行わないフレーミングの正確さが後藤田作品の特徴である。国内外で個展多数。 自身が聾唖であることから手話の普及活動にも取り組んだ。『手話の日』(5月5日、手話は両手の5本の指を使うことから)の提唱者でもある。
青樹 明子(あおき あきこ、1955年7月5日 - )は、日… 青樹 明子(あおき あきこ、1955年7月5日 - )は、日本のノンフィクション作家、翻訳家。エクステンション所属 愛知県豊橋市出身。早稲田大学第一文学部演劇科卒業。同大学院アジア太平洋研究科修了。父はサラリーマン新党代表で、元参議院議員の青木茂。 小学生の頃から女優になりたいと思い、中学生時代は演劇部で活動。成城学園高等学校在学中に劇団こまどり入り。特に時代劇出演志望で、1974年頃から日本舞踊も習っていた。脚本家・尾中洋一主宰の企画集団「光筍舎」でアルバイトをしていたのがきっかけで女優の道へ進むこととなり、岸田 奈帆子(きしだ なほこ)の芸名でデビュー。この芸名は尊敬していた岸田今日子に因んで名付けた。
染谷 絹代(そめや きぬよ、1954年〈昭和29年〉7月5日… 染谷 絹代(そめや きぬよ、1954年〈昭和29年〉7月5日 - )は、日本の政治家。静岡県島田市長(4期)。 福島県いわき市出身。目黒区立鷹番小学校、目黒区立第六中学校(現在の目黒区立目黒中央中学校)、実践女子学園高等学校卒業。1975年8月、実践女子大学国文学科中退。同年、文化人類学者の染谷臣道と結婚。夫の転勤(国立大学教師)に伴い、北海道帯広市、インドネシア、福岡県飯塚市など転居したのち、島田市の市民となる。2001年9月放送大学教養学部人間の探求専攻を卒業。静岡県男女共同参画センター理事、島田市行政改革推進委員会副委員長、島田市教育委員長(4期)などを歴任。 2013年5月19日執行の島田市長選挙に無所属で出馬。
入舩 徹男(いりふね てつお、1954年7月5日 - )は、… 入舩 徹男(いりふね てつお、1954年7月5日 - )は、日本の地球物理学者。愛媛大学特別栄誉教授。三重県出身。
十屋 幸平(とや こうへい、1954年〈昭和29年〉7月5日… 十屋 幸平(とや こうへい、1954年〈昭和29年〉7月5日 - )は、日本の政治家。元宮崎県日向市長(2期)。 宮崎県日向市に生まれる。日向市立富高小学校、日向市立日向中学校、宮崎県立日向工業高等学校卒業。 1977年(昭和52年)3月、九州共立大学工学部卒業。同年4月、消火器の販売業社に入社。1980年(昭和55年)4月、有限会社誠交食品に転職。1990年(平成2年)10月、同社の代表取締役に就任。 1995年(平成9年)、日向市議会議員に初当選。2003年(平成15年)3月、宮崎県議会議員に初当選。 2011年(平成23年)、県議会副議長に就任。県議時代は自由民主党に所属した。 2016年(平成28年)3月の日向市長選に出馬し、現職で4期目を目指した黒木健二に7498票差をつけ初当選。
広瀬 佳司(ひろせ よしじ、1954年7月5日 - )は、日… 広瀬 佳司(ひろせ よしじ、1954年7月5日 - )は、日本の英米文学者、関西大学客員教授、ノートルダム清心女子大学名誉教授。 1954年、栃木県生まれ。 関西大学文学部英文科卒、ワシントン大学大学院比較文学修士課程修了、オックスフォード大学大学院ユダヤ学修士、ウェールズ大学院米文学博士課程中退、2000年「イディッシュ語の象徴的意味 :シンガー兄弟、バーナード・マラマッド、シンシア・オジックの研究」で関西大学博士(文学)。 高野山大学講師、ノートルダム清心女子大学助教授、教授。 1991年、「『雪片曲線』への冒険」で第25回・関西文学賞受賞。
三ッ林 隆志(三ッ林 隆志、みつばやし たかし、1953年(… 三ッ林 隆志(三ッ林 隆志、みつばやし たかし、1953年(昭和28年)7月5日 - 2010年(平成22年)8月2日)は、日本の政治家、医師。自由民主党所属の元衆議院議員。 小児科医師として地域医療にも携わった。議員職にあった際にも埼玉県幸手市に開業している現役医師であった(その後は病院長は夫人が務めた)。 埼玉県北葛飾郡幸手町(現・幸手市)出身。三ッ林弥太郎の二男。 1972年(昭和47年)、埼玉県立不動岡高等学校卒業。1978年(昭和53年)、埼玉医科大学卒業。 1982年(昭和57年)、埼玉医科大学大学院修了。勤務医(埼玉医科大学病院、所沢市市民医療センター)。 1989年(平成元年)、埼玉県厚生連幸手総合病院勤務。
入船亭 扇遊(いりふねてい せんゆう、1953年7月5日 -… 入船亭 扇遊(いりふねてい せんゆう、1953年7月5日 - )は静岡県熱海市出身の落語家。本名は岩田 茂(いわた しげる)。落語協会理事。出囃子は「道成寺(合の手)」。静岡県立伊東高等学校卒業。
釜萢 敏(かまやち さとし、1953年7月5日 - )は、日… 釜萢 敏(かまやち さとし、1953年7月5日 - )は、日本の医師・医学者、政治家。自由民主党所属の参議院議員(1期)。医学博士(日本医科大学・1984年)。公益社団法人日本医師会・副会長、小泉小児科医院・院長、公益社団法人日本医師会・常任理事、内閣新型インフルエンザ等対策推進会議委員。厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード構成員、新型コロナウイルス感染症対策分科会委員などを務めた。2025年、引退表明した羽生田俊に代わり第27回参議院議員通常選挙に日本医師会の組織内候補として立候補し当選した。 群馬県高崎市出身。1972年(昭和47年)東京教育大学附属駒場高等学校卒業。1978年(昭和53年)日本医科大学医学部卒業。
村尾 公一(むらお こういち、1953年7月5日 - )は、… 村尾 公一(むらお こういち、1953年7月5日 - )は、日本の地方公務員、技術士。東京都建設局長や、東京都技監、JR東日本技術顧問、首都大学東京客員教授、東京都市大学客員教授等を歴任した。 1978年北海道大学工学部土木工学科卒業、東京都庁入都、東京都建設局配属。1994年東京都都市計画局総務部副参事(建設省派遣)。1996年東京都建設局第三建設事務所工事第一課長。2001年東京都建設局道路建設部計画課長。2003年東京都都市計画局都市基盤部街路計画課長(統括課長)。同年技術士(建設部門/都市及び地方都市)資格取得。2004年技術士(総合技術監理部門/都市及び地方計画)資格取得。 2005年東京都都市整備局参事(首都高速道路公団派遣)。
北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本… 北村 想(きたむら そう、1952年7月5日 - )は、日本の劇作家・演出家。本名:北村 清司(きたむら きよし)。 滋賀県大津市出身。滋賀県立石山高等学校卒業。 高校卒業後、友人を頼って名古屋に住み始め、モグリの学生をやっていた中京大学の演劇部にて演劇活動を始める。 1979年、劇団「TPO師★団」を旗揚げ。その後、1982年に「彗星 '86」、1986年に「プロジェクト・ナビ」と名前を変えながら劇団として活動を続けてきたが、2003年に解散。現在では「avecビーズ」というユニットにおいて年に1作のペースで新作を上演するほか、外部への作品提供も多い。 1980年代初頭から、終末的かつ幻想的なその作風が注目され、現在までに様々な作品を発表している。
武田 信二(たけだ しんじ、1952年(昭和27年)7月5日… 武田 信二(たけだ しんじ、1952年(昭和27年)7月5日 - )は、株式会社TBSテレビエグゼクティブアドバイザー。元毎日新聞社社員。千葉県出身。京都大学経済学部卒業。
伊東 正治(いとう まさはる 1951年〈昭和26年〉7月5… 伊東 正治(いとう まさはる 1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、毎日放送出身のフリープロデューサー・フリーアナウンサー。元・同局アナウンサーで、放送上の愛称はマーボー。 毎日放送では1975年の入社以来、アナウンサー・ラジオ局編成部長・番組審議会事務局長などを歴任。60歳の誕生日(2011年7月5日)で定年を迎えてからも、「シニアスタッフ(嘱託社員)」 という肩書で、MBSラジオでの番組制作・出演を続けていた。2016年7月31日の任期満了を機に、フリーランスのプロデューサー・アナウンサーへ転身。2017年10月からは、フリーアナウンサーとしての活動に専念している。 東京都渋谷区の出身で、血液型はB型。
葛西 聖司(かさい せいじ、1951年7月5日 - )は、日… 葛西 聖司(かさい せいじ、1951年7月5日 - )は、日本のアナウンサー。古典芸能の解説者。 中央大学卒業後、1974年にNHKに入局。初任地は鳥取放送局。その後宮崎放送局、大阪放送局を経て1984年夏から東京アナウンス室勤務。
太田 元治(おおた もとはる、1951年〈昭和26年〉7月5… 太田 元治(おおた もとはる、1951年〈昭和26年〉7月5日 - )は、日本のアナウンサー、テレビディレクター・プロデューサー、実業家。朝日放送(ABC)のアナウンサー→スポーツ局局次長・業務担当部長、スカイ・エー(スカイ・A)のディレクター・プロデューサー、ゴルフキャスター、常務取締役・編成局長。 東京都豊島区長崎出身、専修大学経営学部卒業。1974年にABCへアナウンサーとして入社。趣味はオートバイ。 プロ野球中継などスポーツ実況で長らく活躍し、その独特の語り口で人気があった。中でも日本シリーズでは1979年と1980年の近鉄対広島戦(大阪球場)、1989年の近鉄対巨人戦(藤井寺球場の第1戦)など、近鉄戦の実況やリポートを多く担当した。
藤 圭子(ふじ けいこ、1951年〈昭和26年〉7月5日 -… 藤 圭子(ふじ けいこ、1951年〈昭和26年〉7月5日 - 2013年〈平成25年〉8月22日)は、日本の演歌歌手・俳優。本名は宇多田 純子(うただ じゅんこ)。 夫は音楽プロデューサーの宇多田照實、娘はシンガーソングライターの宇多田ヒカル。元夫は歌手の前川清。実兄は1970年にデビューし、引退後飲食店などの経営を経て、2022年に復帰した演歌歌手の藤三郎。姪は三郎の長女で、父の活動再開と同時に歌手デビューした。 1960年代末から1970年代初頭にかけ、夜の世界に生きる女の情感を描いた暗く哀切な楽曲(怨歌)をハスキーボイスで歌唱し、その可憐な風貌とのギャップも相まって一世を風靡した。代表曲は「新宿の女」「女のブルース」「圭子の夢は夜ひらく」「京都から博多まで」など。
矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年… 矢村 正(やむら ただし、1950年7月5日 - 2024年10月3日)は、元競輪選手。現役時代は日本競輪選手会熊本支部に所属、ホームバンクは熊本競輪場。日本競輪学校(当時)第26期生。選手登録番号8208。 後述するが、中野浩一の師匠的な役割を果たした選手として有名だった。 デビューは1969年5月24日、26期生としてホームバンクである熊本競輪場で迎え1着。またこの開催では完全優勝も果たす。 現役時代、164cmという小柄な体格ながらも武器としていた鋭いダッシュ力を生かし、高松記念では4連覇を達成。特別競輪(現在でいうGI)においても、高松宮杯(1973年)、競輪祭競輪王戦(1978年)で決勝3着の実績があるほか、1983年の第26回オールスター競輪までは特別競輪に出場した。
長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城… 長野 哲(ながの さとし、1949年7月5日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。 佐沼高校では1966年、2年生の時に夏の甲子園県予選3回戦で、宮城水産高を相手に2四球、1失策のノーヒットノーランを達成し勝利。県予選を勝ち抜き東北大会準決勝に進むが、福島商に0-1で敗退し、甲子園出場を逸する。翌年夏は県予選で敗れた。 1967年ドラフト会議でサンケイアトムズから8位指名を受けるが拒否し、熊谷組へ入社。藤津靖雄、大櫃照彦など好投手が多く、なかなか大舞台は踏めなかったが、1968年の明治維新百年記念明治神宮野球大会では、全東京選抜の抑えとして登板、全神奈川選抜に快勝した。 1968年ドラフト会議で大洋ホエールズから5位指名を受け入団。
川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は… 川藤 幸三(かわとう こうぞう、1949年7月5日 - )は、福井県三方郡美浜町出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ、解説者・評論家・タレント・YouTuber。本名:開田 幸三(かいだ こうぞう、旧姓:川藤→武田)。通称「浪速の春団治」、「野次将軍」。あるいは「川さん」、「川」とも。 所属事務所は有限会社ダッシュ・フォーで、田辺エージェンシーのグループ会社・ぐあんばーると業務提携している。 元プロ野球投手の川藤龍之輔は実兄。 地元の名士の家に生まれ、少年時代はやんちゃであったが、佛國寺の甚玄和尚に諭されて、野球に取り組んだ。本格的に野球を始めたきっかけは、同郷で当時日体大生にしてラグビー日本代表選手であった山口良治である。
富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日… 富田 達夫(とみた たつお、1949年〈昭和24年〉7月5日 - )は、日本の技術者、経営者。 情報処理推進機構理事長、富士通研究所取締役会長、情報処理学会会長(第28代)などを歴任。 東京都出身。1972年(昭和47年)12月、東京大学理学部物理学科を卒業し、翌1973年(昭和48年)12月に富士通へ入社。入社以来、IT関連の製品開発に従事し、経営幹部としてミッションクリティカル領域や携帯電話事業等のコンシューマー領域の立ち上げ・拡大など、富士通の全プロダクト事業を統括した。 富士通経営執行役兼モバイルフォン事業本部長、同社経営執行役常務兼システムプロダクトビジネスグループ長、同社取締役副社長(プロダクトビジネスグループ担当)兼ユビキタスプロダクトビジネスグループ長、同社代表取締役副社長兼プロダクトビジネスグループ担当、富士通研究所代表取締役社長、同取締役会長などを歴任。
内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025… 内藤 久(ないとう ひさし、1948年7月5日 - 2025年2月2日)は、山梨県出身のプロ野球選手(外野手)。右投両打。 山梨県立日川高等学校では、高校三年間の通算打率四割、スイッチ・ヒッター、ベース一周14秒1の快足の持ち主だった。 東京六大学入りを希望していた内藤を渡辺スカウトが説得。1966年第1次ドラフト会議にドラフト10位にて西鉄ライオンズへ入団。しかし、僅か1年で西鉄を退団した。 1969年は中南米で新たに発足したグローバルリーグの東京ドラゴンズに参加。しかし、同年限りでリーグが解体したため、帰国を余儀なくされた。 東京ドラゴンズ解散後、玉沢運動具店に入社すると納入企業であった縁から川上哲治監督に素質を見いだされ巨人へ入団。
奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日… 奥野 修司(おくの しゅうじ、1948年7月5日- )は、日本のジャーナリスト・ノンフィクション作家。 大阪府出身。立命館大学経済学部卒業。1978年より移民史研究者で評論家の藤崎康夫に師事して南米で日系移民調査を行う。帰国後、フリージャーナリストとして女性誌などに執筆。1998年「28年前の『酒鬼薔薇』は今」(文藝春秋1997年12月号)で、第4回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞受賞。 2006年『ナツコ 沖縄密貿易の女王』で、第27回講談社ノンフィクション賞・第37回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。同年発行の『心にナイフをしのばせて』は高校生首切り殺人事件を取り上げ、8万部を超えるベストセラーとなった。
瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 19… 瀬戸川 猛資(せとがわ たけし、1948年7月5日 - 1999年3月16日)は、日本のミステリー評論家、映画評論家、編集者。筆名に、宅和宏、藤崎誠などがある。 映画評論家の瀬戸川宗太は弟。 東京都出身。早稲田大学文学部卒業。在学中は「ワセダミステリクラブ」に所属し、海外ミステリ評論を手掛けていた。1年後輩の北村薫や、2年後輩の折原一らと親交があった。卒業後は東宝に入社し、テレビ部に配属されてテレビ番組の制作にたずさわり、7年後に退社。 1973年に紀田順一郎、荒俣宏が創刊した雑誌『幻想と怪奇』に、鏡明とともに編集同人として参加。 1980年、自身の個人出版社「トパーズプレス」を設立。 また、1982年に読書人向けの雑誌『BOOKMAN』を創刊。
本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、ア… 本川 貢(もとかわ みつぎ、1948年7月5日 - )は、アマチュア野球監督、近畿大学野球部監督として1990年代後半に黄金期を築いた名将。広島県東広島市高屋町出身。 広陵高等学校出身だが異色の軟式野球部出身。速球派投手として活躍し国体で無安打無得点試合を達成した。近畿大学(大阪府)に進みプロ野球を目指したが肩を壊し卒業後は同大職員となり野球部コーチとなる。1972年広島六大学野球連盟所属の近畿大学工学部硬式野球部(広島県呉市、現在は東広島市)に就任。直後の部員は10数人、また自前の練習場も持たないジプシー弱小チームを、卓越した指導で同リーグでは無敵の強力チームに育て上げた。また一学部の小野球部ながら全日本大学野球選手権大会でも1980年から三年連続ベスト4に進出、1984年明治神宮野球大会では佐々木修を擁して広島六大学野球リーグ所属チームとして初の決勝進出に導いた(準優勝)。
茂木 和平(もてぎ わへい、1947年7月5日 - )は、日… 茂木 和平(もてぎ わへい、1947年7月5日 - )は、日本の歴史学者。埼玉県地域の郷土史家として知られる。埼玉県の苗字研究の権威。県内すべての市町村を調査し、現存した苗字の起源・現況・史料などを網羅的に蒐集・研究した。 埼玉県立深谷商業高等学校在籍中、同校地理歴史研究部に所属した。中学生の頃に、苗字の由来に興味を持ってから、40年以上かけ単独により県内2千以上の集落を訪問し、52歳で退職。2004年に調査を終えた。 その研究成果は『埼玉苗字辞典』として刊行された。同書録には「本書は、古代苗字発祥から、中世武蔵武士、近世農民の苗字をすべて記載した。埼玉県内の1900余の村々を訪れ、寺院、神社等の碑文に記された苗字を書き写し、寄進帳や過去帳及び古文書を調査した。
水戸岡 鋭治(みとおか えいじ、1947年7月5日 - )は… 水戸岡 鋭治(みとおか えいじ、1947年7月5日 - )は、日本のインダストリアルデザイナー(工業デザイナー)、イラストレーター。
沼野 恵一(ぬまの けいいち、1947年7月5日 - )は、… 沼野 恵一(ぬまの けいいち、1947年7月5日 - )は、日本の経営者。相模鉄道社長を務めた。神奈川県出身。 1970年に東京電機大学工学部を卒業し、同年に相模鉄道に入社。1998年6月に取締役に就任し、2001年に常務を経て、2009年9月に社長に就任。2011年6月に社長を退任。
森 雅一郎(もり まさいちろう、1947年7月5日 - )は… 森 雅一郎(もり まさいちろう、1947年7月5日 - )は、元東北放送(TBC)のアナウンサー。 東京都墨田区出身。明治大学を卒業後1971年TBCに入社。報道制作局次長を最後に2008年3月をもって定年退職し、2020年3月までは嘱託職で主にニュースを担当した。 TBCアナウンス学院学院長を務めた。 九州で過ごした高校時代にアナウンサーを目指していた同級生からアクセントを教えて欲しいと言われたことがアナウンサーになるきっかけだった。なお、その同級生も中国放送のアナウンサーになった。 「ヴェーリャ仙台」というラテン音楽バンドの中心メンバーで、定禅寺ストリートジャズフェスティバルに10年以上参加している。
水田 英実(みずた ひでみ、1946年7月5日 - )は、西… 水田 英実(みずた ひでみ、1946年7月5日 - )は、西洋中世哲学研究者、広島大学名誉教授。 神奈川県生まれ。1969年京都大学文学部哲学科卒、同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1995年「トマス・アクィナスの知性論」で広島大学文学博士。 福井大学教育学部講師、助教授、1989年広島大学文学部助教授、1996年教授。2010年定年、名誉教授、放送大学客員教授。広島大学中世研究会を組織した。
内永 ゆか子(うちなが ゆかこ、1946年7月5日 - )は… 内永 ゆか子(うちなが ゆかこ、1946年7月5日 - )は、日本の実業家。元日本アイ・ビー・エム取締役、元ベルリッツ コーポレーションCEO。 香川県で生まれ、5歳まで京都府で育った。その後埼玉県に引っ越し、高校は東京都立白鷗高等学校に通った。父は車両製造会社でエンジニアとして働き、日本初の新幹線の開発プロジェクトに携わった。その父の影響で自然と理数系の道を進んだ。1971年に東京大学理学部物理学科を卒業、同年日本アイ・ビー・エムに入社。長年ソフトウェア開発に携わり、1995年に同社で初の女性取締役に就任後、取締役、常務取締役、取締役専務執行役員、技術顧問を歴任。2007年に同社を退職した後、ベネッセコーポレーション取締役、ベルリッツ コーポレーションCEOを歴任。
東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮… 東 治男(ひがし はるお、1945年7月5日 - )は、元宮崎放送アナウンサー。宮崎県西諸県郡高原町出身。 宮崎県立小林高等学校、日本大学芸術学部卒、1968年4月宮崎放送に入社。中学・高校・大学とずっと放送部に所属していた。 2001年に報道部副部長を最後に宮崎放送を退社し、無所属、民主党・社会民主党推薦で参議院議員選挙に宮崎県選挙区から出馬するも次点で落選した。2007年の参院選に6年ぶりに立候補したが第3位で落選した。自身が障害者であることから、ボランティアグループ「宮崎わたぼうし会」の会長を務める(この時に読売新聞社福祉賞を受賞している)など、ボランティア活動にも昔から造詣が深い。この他、自然保護観察指導員も務めていたことがある。
藤井 卓也(ふじい たくや、1945年7月5日 - )は、… 藤井 卓也(ふじい たくや、1945年7月5日 - )は、日本の経営者。日本債券信用銀行頭取を務めた。 鳥取県出身。1968年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本銀行に入行した。1998年12月から2000年9月までに日本債券信用銀行頭取を務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
佐藤 正治(さとう まさはる、1944年7月5日 - )は、… 佐藤 正治(さとう まさはる、1944年7月5日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(外野手)。 名古屋商科大学付属高等学校(現:名古屋国際高等学校)では、1年上にエースの鬼頭洋がいた。卒業後は専修大学に進み東都大学野球リーグで活躍。1965年の春秋季リーグでは、1年生エース芝池博明を擁し連続優勝、秋季リーグでは大倉英貴(芝工大)に次ぐ打率2位でベストナインとなる。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で立命大を降し優勝している。1年上のチームメートに佐野真樹夫、同期に塩沢誠がいた。 卒業後は河合楽器に入社し、3年連続都市対抗野球大会に出場。1968年の都市対抗では決勝に進むが、富士製鐵広畑の神部年男、岡田光雄(松下電器から補強)の継投に0-1で完封負け。
新海 征治(しんかい せいじ、1944年7月5日 - )は、… 新海 征治(しんかい せいじ、1944年7月5日 - )は、日本の化学者、工学博士。九州大学名誉教授。現九州大学高等研究院特別主幹教授、崇城大学教授、九州先端科学技術研究所所長。 専門は多岐に渡るが、分子認識メカニズムの解明と、それらの知見を応用した分子機械システムの構築などを行っている。Wiley社が発行する世界的に著名な化学雑誌であるAngewandte Chemie 誌のアドバイザリー・ボード(顧問委員会)の委員を2000年から2009年まで務めた。 科学系の技術情報を網羅するトムソン・ロイター社のトムソン・ロイター・サイエンテフィックが行うトムソン・ロイター引用栄誉賞をジョージ・M・ホワイトサイズ(ハーバード大学)、フレイザー・ストッダート(ノースウェスタン大学)らと共に2003年から3年連続で受賞。
武田 政義(たけだ まさよし、1944年〈昭和19年〉7月5… 武田 政義(たけだ まさよし、1944年〈昭和19年〉7月5日 - )は、日本の地方公務員。兵庫県教育長、同出納長、兵庫県社会福祉協議会会長を歴任。瑞宝小綬章受章。 関西学院大学経済学部卒業。兵庫県庁入庁、1996年 (平成8年) 4月 阪神県民局長、1997年6月 宮崎秀紀の後任として生活文化部長、2001年4月 同職を清原桂子と交代し宮崎の後任として兵庫県教育委員会教育長、2005年3月 吉本知之を後任として同職退任。2006年4月 五百蔵俊彦の後任として出納長、2007年3月 出納長を辞職。 県庁退職後、社会福祉法人兵庫県社会福祉協議会会長、兵庫県国民年金基金理事長。
梶川 隆(かじかわ たかし、1944年7月5日 - )は、日… 梶川 隆(かじかわ たかし、1944年7月5日 - )は、日本の経営者。ヤマハ発動機社長を務めた。 千葉県木更津市出身。 1969年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年にヤマハ発動機に入社した。1997年6月に取締役に就任し、2001年4月に常務、2003年6月に専務を経て、2005年1月に社長に就任し、2009年11月まで務めた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
桑原 真人(くわばら まさと、1943年7月5日 - )は、… 桑原 真人(くわばら まさと、1943年7月5日 - )は、日本の歴史学者。学位は、経済学博士。専門は近代北海道史。愛媛県西条市出身。 愛媛県立松山南高等学校を経て、1966年横浜市立大学文理学部卒。1968年北海道大学大学院文学研究科修了。北海道大学文学部助手、北海道開拓記念館学芸部研究職員を経て、1989年札幌大学教養部助教授、同教養部教授、1995年札幌大学経済学部教授。2011年札幌大学学長および札幌大学女子短期大学部学長。2017年札幌大学学長・同短期大学部学長退任。札幌大学退職。 この他、札幌大学経済学部評議委員、同大学院経済研究科長、同附属総合研究所長を務め、札幌学院大学人文学部や北海学園大学法学部で非常勤講師も務めた。
若島 征四郎(わかしま せいしろう、1943年7月5日 - … 若島 征四郎(わかしま せいしろう、1943年7月5日 - 1998年2月1日)は政治結社正氣塾名誉塾長。民族主義者。 関東州大連市出身。海星高等学校中退後、院外団に所属して民族主義運動に入る。1981年4月、文天祥の詩「正氣の詩」に触れて感動し、正氣の気風を青少年に伝える目的で正氣塾を創立。1990年の長崎市長銃撃事件の後、長崎市長の本島等を批判する立場から1991年・1995年の統一地方選挙長崎市長選挙に立候補したが、いずれも落選し供託金没収となった(1995年の市長選挙では本島も落選した)。1998年、心不全で死去。
渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 20… 渡辺 一徳(わたなべ かずのり、1943年7月5日 - 2022年1月24日)は、日本の地質学者。 専門は自然災害科学で、主に阿蘇山の研究を手がけた。 熊本県和水町出身。熊本県立玉名高等学校を経て熊本大学教育学部卒業。農業高校の理科教諭をへて1972年に母校の熊本大学教育学部の講師、助教授、教授を歴任した。定年退官の際には名誉教授となっている。 その後は、阿蘇火山博物館の学術顧問を死去まで務めていた。
湯田雅夫(ゆだ まさお、1943年7月5日- )は、日本の会… 湯田雅夫(ゆだ まさお、1943年7月5日- )は、日本の会計学者、獨協大学名誉教授。 東京出身。1968年獨協大学経済学部卒、1973年早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学、獨協大学経済学部講師、78年助教授、85年教授。2014年定年、名誉教授。2000年「ドイツ環境会計の実証的研究」で早大商学博士。
犬飼 基昭(いぬかい もとあき、1942年7月5日 - )は… 犬飼 基昭(いぬかい もとあき、1942年7月5日 - )は、日本の元サッカー選手。第11代日本サッカー協会会長。埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。 埼玉県立浦和高等学校時代の1961年に日本ユース代表に選出されAFCユース選手権に出場した経験を持つ。卒業後に慶應義塾大学商学部に進学し、体育会サッカー部へ入部。4年時に主将を務める。 1965年に三菱重工業に入社し、選手として日本サッカーリーグの三菱重工業サッカー部でプレー。日本リーグ通算27試合出場4得点1アシスト、天皇杯通算1試合出場の記録を残し、1968年に現役を引退した。犬飼は、現役時代の自身のポジションについて、「今で言うトップ下。4-3-3の真ん中で前めのポジションをやっていました」と述べている。
溝口 敦(みぞぐち あつし、1942年7月5日 - )は、日… 溝口 敦(みぞぐち あつし、1942年7月5日 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。東京市浅草区(現・東京都台東区)生まれ。川崎市高津区育ち。本名:島田敬三。 日本における組織犯罪問題の第一人者。雑誌編集者として暴力団の取材に着手した20代なかば頃からというもの、“殺菌には日の光に晒すのが一番だそうだ”(米国最高裁判事ルイス・D・ブランダイス)をモットーに著述活動を継続。数多くの「ヤクザ」(暴力団)関連の著作を上梓してきた。 代表作にベストセラーの『暴力団』(2011年 新潮新書)や『食肉の帝王』(2003年 講談社)など。『食肉の帝王』は、第25回「講談社ノンフィクション賞」、「日本ジャーナリスト会議賞」、および「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム大賞」の3賞を同時受賞している。
小泉 恒美(こいずみ つねみ、1942年7月5日 - 199… 小泉 恒美(こいずみ つねみ、1942年7月5日 - 1990年6月2日)は、長野県出身のプロ野球選手。ポジションは本来は一塁手だが、外野手もこなした。 長野県岡谷工業高等学校3年時の1960年に春季北信越大会で準決勝に進出。この試合ではリリーフとして登板したが、金沢市立工業高等学校の前に敗れた。夏の甲子園県予選でも敗退したため、甲子園とは縁がなかった。 卒業後の1961年に南海ホークスへ入団。王貞治に似た一本足打法が持ち味で、入団5年目の1965年には、一塁手や右翼手として69試合に出場した。10月13日の対東京オリオンズ戦(東京スタジアム)では、野村克也に代わる4番打者として先圧起用され、4打数1安打1打点という成績を残した。
井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月… 井上 博允(いのうえ ひろちか、1942年(昭和17年)7月5日 - )は、日本のロボット工学者。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授、工学博士。鹿児島県鹿児島市出身。 1969年に計算機で制御される双動性を備えたマニピュレータの開発に世界で初めて成功、クランクの回転・ピンを穴に抜き差し・直接教示など、触覚と力覚を使う重要な動作機能を実現した。1970年電子技術総合研究所の知能ロボットプロジェクトに加わり、ハンドアイシステムで視覚フィードバックによる組み合わせ作業を実現、客員研究員で訪れたMITにおいてロボットによる千分の一インチのはめあい作業を実現する。 1978年東京大学助教授に着任し情報システム工学(JSK)研究室を開設、1984年教授。
向山 満(むこうやま みつる、1942年7月5日 - 201… 向山 満(むこうやま みつる、1942年7月5日 - 2012年11月18日)は日本のコウモリ類研究者。 1942年新潟県生まれ。1965年弘前大学卒業。兵庫教育大学大学院修士課程修了。青森県立三戸高等学校教諭を務めた後、定年退職。 コウモリなど調査やフェスティバル参加の例としては、1991年11月オオサンショウウオ三重県(案内は佐野明)、1993年8月天間館神社(同行者は三笠暁子、重昆達也、水野昌彦)、1995年8月コウモリフェスティバル乗鞍高原、1994年日本哺乳類学会東京農工大学大会、2008年2月24日宮古市に遠藤公男を訪問、2001年7月7日天間館神社(同行者は福井大ほか)、2003年5月31日柏崎、2004年対馬(同行者は河合久仁子、福井大、赤坂卓美)、などがある。
小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 200… 小山 金七(こやま きんしち、1942年7月5日 - 2000年3月31日)は、日本の警察官。「落とし」の名刑事といわれる。 宮城県石巻市生まれ。宮城県立飯野川高等学校定時制(現宮城県石巻北高等学校飯野川校)卒業。 1962年警視庁巡査。1963年上野警察署警ら係、1967年同署刑事課捜査係。1973年警視庁巡査部長、尾久警察署刑事課捜査係。1976年刑事部捜査第一課。 以後、丸の内警察署刑事課捜査係長、刑事部捜査第一課主任、小松川警察署刑事課長代理、刑事部捜査第一課係長、八王子警察署刑事課長、刑事部捜査第一課管理官を歴任。 巡査部長、警部補、警部、警視の各階級で通算17年間にわたり刑事部捜査第一課に所属し、ロス疑惑、坂本弁護士一家殺人事件、トリカブト殺人事件、地下鉄サリン事件、警察庁長官狙撃事件、南長崎6丁目警察官殺害事件などを担当した。
石川 次郎(いしかわ じろう、1941年7月5日 - )は、… 石川 次郎(いしかわ じろう、1941年7月5日 - )は、東京都生まれの雑誌編集者で、CNNj放送番組審議会委員を務める。 7人姉弟で姉6人の末子として生まれる。戦後まもなく父が他界して母親に育てられる。杉並区立高井戸中学校で美術部に所属して絵描きを志望した。高校受験で第1志望の東京都立西高等学校に不合格となり、第2志望の東京都立富士高等学校へ進学する。 平凡出版創業者の1人である清水達夫は、清水の娘と同級生であることから意気投合する。早稲田大学へ進学後、清水から企画の相談を受ける。 1964年に大学を卒業して旅行代理店に就職するも2年後に退職し、平凡出版(現在のマガジンハウス)へ入社して『平凡パンチ』の編集を担当する。
岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 201… 岡野 圭一(おかの けいいち、1941年7月5日 - 2012年10月7日)は、日本の歴史学者。専修大学名誉教授。専門は西洋美術史。ミドルネームはHeinrich(ハインリッヒ)。 長野県松本市生まれ。長野県松本深志高等学校を経て、1965年上智大学外国語学部ドイツ語学科卒業。1971年ケルン大学哲学部美術史学科卒業、Ph.D.取得。1968年ケルン市美術館勤務、1969年在ケルン日本文化会館勤務を経て帰国し、1976年政府関係特殊法人国際交流基金課長補佐に就任。1978年専修大学文学部専任講師、1986年教授。図書館情報大学、多摩美術大学、明治大学、明治学院大学、東京芸術大学などの兼任講師も務めた。
仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5… 仲本 工事(なかもと こうじ、1941年〈昭和16年〉7月5日 - 2022年〈令和4年〉10月19日)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。東京府東京市日本橋区(現在の東京都中央区日本橋)出身。本名は仲本 興喜(なかもと こうき)。バンドでの担当はボーカルとギター。ドリフから派生したこぶ茶バンドメンバーとしても活動した。生前は渡辺プロダクション→イザワオフィスに所属して、同じザ・ドリフターズメンバーで既に故人となっているいかりや長介、志村けんと同様に没後もイザワオフィス所属となっている。 当初は「仲 こうじ」「仲本 こうじ」「仲本 コージ」を名乗っていた。