平島 正一(ひらしま まさかず、1939年1月8日 - )は… 平島 正一(ひらしま まさかず、1939年1月8日 - )は、日本の元俳優。福岡県出身。 多摩美術大学附属芸術学園演技科卒業。1960年5月に劇団現代座に入団し、1961年11月まで在籍。1962年5月、劇団青年座に入団。その後は劇団現代に所属していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
山本 眞輔(やまもと しんすけ、1939年1月8日 - )は… 山本 眞輔(やまもと しんすけ、1939年1月8日 - )は、愛知県出身の日本芸術院会員。名古屋市立大学名誉教授。白日会副会長 ・彫刻部会員。公益社団法人日展理事。
並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 … 並河 勉(なびか つとむ、1939年(昭和14年)1月8日 -2020年(令和2年)9月5日 )は日本の実業家。山陰酸素工業社長。並河家第18代当主。 1962年(昭和37年)同志社大学商学部卒業、同年松下電器貿易勤務 1964年(昭和39年)同ベイルート事務所勤務 1975年(昭和50年)同カイロ事務所所長 1982年(昭和57年)同社退職、同年山陰酸素工業、山陰冷食(現さんれいフーズ)勤務 1987年(昭和62年)山陰酸素工業・さんれいフーズ代表取締役社長就任 2011年(平成23年)さんれいフーズ 代表取締役会長兼社長就任 2020年(令和 2年)山陰酸素工業代表取締役会長就任 並河家の先祖は丹波・亀岡の豪族であった。
松木 明知(まつき あきとも、1939年1月8日- )は、日… 松木 明知(まつき あきとも、1939年1月8日- )は、日本の麻酔科医・医学史家・歴史家。弘前大学名誉教授。専門は麻酔医学。医学史・津軽史などの著書が多数ある。 弘前生まれ。父は医師・歴史家の松木明。1965年弘前大学医学部卒、1970年同大学院博士課程修了、医学博士。弘前大学医学部助教授、教授。2004年定年退官、名誉教授。
笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月… 笹川 陽平(ささかわ ようへい、1939年〈昭和14年〉1月8日 - )は、日本の社会運動家。笹川良一(日本船舶振興会初代会長)の三男。 公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)名誉会長、同笹川平和財団名誉会長、東京財団顧問、世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本国)などの役職を歴任し、2012年6月11日にはミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。 日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。明治大学政治経済学部卒業。次兄に自由民主党元衆議院議員・笹川堯がいる。政治家の笹川博義(笹川堯の息子)は甥。
矢部 丈太郎(やべ じょうたろう、1939年(昭和14年)1… 矢部 丈太郎(やべ じょうたろう、1939年(昭和14年)1月8日 - )は、日本の官僚。元公正取引委員会事務総長。横浜市生まれ。横浜市立大学後援会会長、公立大学法人横浜市立大学理事。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
藤原 和人(ふじわら かずひと 1938年(昭和13年)1月… 藤原 和人(ふじわら かずひと 1938年(昭和13年)1月8日 - 2009年(平成21年)10月12日 )は、日本の大蔵官僚、銀行家。十八銀行頭取、国土事務次官(旧・国土庁)。
木南 隆彦(きなみ たかひこ、1938年1月8日 - 202… 木南 隆彦(きなみ たかひこ、1938年1月8日 - 2021年1月3日)は、日本の経営者。安田信託銀行社長を務めた。兵庫県出身。 1961年に東京大学法学部を卒業し、同年に安田信託銀行に入行。1988年6月に取締役に就任し、1991年5月に常務、1994年5月に専務、1995年5月に副社長を経て、1998年4月には社長に就任。2000年4月に会長に就任し、同年10月に取締役相談役を経て、2001年6月から相談役を務めた。 1月3日誤嚥性肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中西 宏幸(なかにし ひろゆき、1938年1月8日 - 20… 中西 宏幸(なかにし ひろゆき、1938年1月8日 - 2021年7月5日)は、日本の技術者、実業家、工学博士。三井化学代表取締役会長兼社長や、日本化学会会長などを務めた。 山口県出身。1957年静岡県立静岡高等学校卒業。1961年東北大学工学部卒業。1966年東北大学大学院工学研究科博士課程修了、工学博士。同年 三井石油化学工業(現三井化学)入社。本店経営計画室企画調整部長を経て、1991年取締役岩国大竹工場長に昇格。1993年常務取締役本店経営計画室長。1996年専務取締役本店経営計画室長。1997年代表取締役副社長。 1999年から三井化学代表取締役社長を務め、住友化学との経営統合交渉にあたるなどした。
坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 201… 坂口 正雄(さかぐち まさお、1937年1月8日 - 2014年1月25日)は、日本の経営者。きんでん元代表取締役副社長。元常翔学園理事長。 1937年奈良県大和郡山市生まれ。1959年大阪工業大学工学部電気工学科(現: 電気電子システム工学科)卒業。その後、きんでん代表取締役副社長を経て、2003年学校法人大阪工大摂南大学(現: 学校法人常翔学園)評議員・理事、2006年理事長就任。2007年常翔学園創立90周年奨学基金を設立。2011年常翔学園中学校を開設。2017年に新設された大阪工業大学梅田キャンパス拠点構想を展開するなど数々の功績を残し、大阪工業大学の発展に多大な貢献をもたらした。 2014年1月25日に病気のため逝去、享年77歳。
結城 亮一(ゆうき りょういち、1937年1月8日 - )は… 結城 亮一(ゆうき りょういち、1937年1月8日 - )は、日本の作家。山形県生まれ。國學院大學文学部国文科卒。日本大学山形高等学校の教諭をしながら、執筆活動を続けた。1966年に『マタニティ・ドレス』で山新文学賞を受賞。 日本初の歌謡曲歌手とされる佐藤千夜子の生涯を描いた『あヽ東京行進曲』が1977年、NHKの朝の連続テレビ小説『いちばん星』(宮内婦貴子脚本)の原作となった。
中村 健二(なかむら けんじ、1937年1月8日 - )は、… 中村 健二(なかむら けんじ、1937年1月8日 - )は、日本の英文学者、翻訳家。東京大学名誉教授。 朝鮮京城府生まれ。岐阜市立高校卒、1961年東大文学部英文科卒、同修士課程修了。大阪大学教養部助教授、1972年東大教養学部助教授、1982年教授、1997年定年退官、名誉教授、東洋大学教授。2007年退職。
城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年… 城間 繁(しろま しげる、1937年1月8日 - 2005年11月17日)は昭和時代の日本およびアメリカ合衆国(米国)施政権下の沖縄で活動した声楽家、作曲家。琉球大学教授。 1937年(昭和12年)、沖縄県首里市(現在の那覇市首里)に生まれる。1961年(昭和36年)に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業の後、東京混声合唱団に所属した。 1966年(昭和41年)に東京混声合唱団を退団し米国施政権下の沖縄へ帰郷、琉球大学教育学部教授に着任する。1967年(昭和42年)、琉球放送の公開番組『オキコワンワンチャンネル』内のコーナー「みんなで歌おう」内の楽曲を監修。1972年(昭和47年)5月15日の沖縄返還(本土復帰)と同日に制定された「沖縄県民の歌」を始め、県内の市町村歌や校歌、イベントのテーマソングなどを精力的に作曲し、沖縄県内の音楽文化振興に務めた。
大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8… 大森 暁美(おおもり あけみ、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の女優である。本名:椎名 暁美。宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身。身長160cm、血液型はB型。特技はジャズダンス。東京理科大学名誉教授の大森英樹は実弟。作家の大森黎は実姉。 短大生だった19歳の時にスカウトされて日活に入社する。 テレビドラマ初出演は1957年である。 翌年から始まった『バス通り裏』にレギュラー陣の1人として出演する(十朱幸代や岩下志麻らを世に出した人気ドラマだった)。番組が終了すると活動の中心を舞台へ移し、子ども向けミュージカルで歌って踊り、1年に200本もの舞台をこなしていたという。 私生活では28歳で結婚、30代半ばで劇団を辞めて一時休業(子供はいない)。
浜田 宏一(はまだ こういち、1936年〈昭和11年〉1月8… 浜田 宏一(はまだ こういち、1936年〈昭和11年〉1月8日 - )は、日本の経済学者。専攻は、国際金融論・ゲーム理論。国際金融に対するゲーム理論の応用で世界的な業績があり、東京大学名誉教授、イェール大学名誉教授。Econometric Society終身フェロー。元内閣官房参与、理論・計量経済学会(現日本経済学会)会長、法と経済学会初代会長、Econometric Society理事、世界貿易機関事務局長助言グループのメンバーを歴任。 バブル崩壊後の失われた10年においては金融政策の失策がその大きな要因とみなし、特に岩田規久男の主張を評価している。日本銀行の金融政策を批判し、リフレーション政策の支持者の一人であり、アベノミクスをトリクルダウン理論であるとして、支持した。
小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8… 小宮路 敏(こみやじ さとし、1936年(昭和11年)1月8日 - 2018年(平成30年)11月14日)は、昭和・平成時代に活動した日本の教育者、作曲家。玉川学園小学部教諭、玉川大学講師(通信教育課程で音楽を担当)。元文部科学省認定小学校音楽教科書編集委員。名前は「こみやじ びん」と音読みで呼ばれることが多かった。 関東州大連市生まれ、内地引き揚げ後は鹿児島県に住む。現在の鹿児島大学教育学部附属中学校から鹿児島県立鶴丸高等学校を経て、鹿児島大学教育学部音楽科で学ぶ。鹿児島大学卒業後、鹿児島県揖宿郡開聞町(現・指宿市)の開聞中学校で音楽教師を4年間勤めた後、玉川学園創設者小原國芳に導かれ、1962年(昭和37年)東京都町田市にある玉川学園に赴任。
仙名 紀(せんな おさむ、1936年1月8日 ‐ 2021年… 仙名 紀(せんな おさむ、1936年1月8日 ‐ 2021年)は、日本の翻訳家。 東京市(現東京都渋谷区)生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。朝日新聞社出版局で雑誌編集などをし、1996年定年退職。新聞社在職中から、上智大学で非常勤講師を務め、また翻訳を手がけていた[リンク切れ]。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古田 孝之(ふるた たかゆき、1935年1月8日 - 201… 古田 孝之(ふるた たかゆき、1935年1月8日 - 2016年6月27日)は、日本の数学者、理学博士。
平野 拓也(ひらの たくや、1935年1月8日 - )は、日… 平野 拓也(ひらの たくや、1935年1月8日 - )は、日本の元大蔵官僚・科学技術官僚。大阪府大阪市出身。 国家公務員採用中級試験(行政)に合格し、大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)外国語学部中国語学科を卒業して1959年に大蔵省に入省するが、同年国家公務員採用上級試験(行政)に合格し、改めて科学技術庁に事務系官僚で入った。その後、航空宇宙技術研究所管理部長、原子力局長、官房長、科学審議官を経て、1992年に事務系として初の科学技術事務次官となる。 1994年に定年退官。その後に海洋科学技術センター理事長に就任。 1995年の大阪府知事選挙に自民党、社会党など日本共産党以外の政党から支援されて無所属で立候補するが、無党派の横山ノック(無所属)に敗れて落選。
石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-… 石井 祥(いしい しょう、1935年(昭和10年)1月8日-)は日本の実業家、銀行家。南日本銀行代表取締役頭取や会長を務めた。 鹿児島県出身で一橋大学経済学部卒。1957年に富士銀行に入行し、支店業務第三部長などを務める。 1985年に富士銀行を退職して旭相互銀行(後の南日本銀行)に入行し、専務取締役に就任する。相互銀行から普通銀行後の1992年に副頭取となり、1993年に頭取に就任する。2006年に頭取を森俊英に譲って代表取締役会長に就任した。 2009年に代表を降りて取締役相談役となり、2010年に取締役を退任する。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日… 小川 國彦(おがわ くにひこ、1933年(昭和8年)1月8日 - 2017年(平成29年)5月20日)は、日本の政治家。衆議院議員(6期、日本社会党)。成田市長(第12・13代)。 千葉県成田市上町に生まれる。父は成田バス(現千葉交通)に勤めており、市内にある同社社宅で暮らす。 3歳のときに母が死去し、祖父母の手で育てられる。なお、祖父は多古線の駅長をしており、父も成田バスで務める前は曽祖父とともに千代田駅前から宮内庁下総御料牧場へ肥料・飼料・資材等を運搬する運送業を営んでいた。 1936年に父が召集され、1946年の復員までの間、一家は困窮する。戦後の物資不足の中、食料品などを隠匿しヤミに流して儲ける者を目の当たりにし、世の中の矛盾した姿を心に焼き付ける。
米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 20… 米谷 美久(まいたに よしひさ、1933年1月8日 - 2009年7月30日)は、日本の光学技術者。元オリンパス光学工業常務。 香川県三豊郡大野原村(現 観音寺市大野原町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、早稲田大学第一理工学部機械工学科卒業。 醤油醸造業を営む家庭に生まれる。高校生の頃から父親の持っていたライカのカメラで撮影を行い、早稲田大学に進むと在学中にカメラの内部構造に関する特許など4件を取得している。1956年(昭和31年)に同大学を卒業してオリンパス光学工業に入社。 入社3年目の1959年(昭和34年)に、当時の標準的なカメラの3分の1程度の価格となる6,000円で質の高いカメラを作るように命ぜられた。
吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 198… 吉田 義昭(よしだ よしあき、1932年1月8日 - 1989年5月9日)は、日本の脚本家、劇作家である。初期の別名に吉田 貴彰(よしだ たかあき)がある。日本脚本家連盟信託者。『山ねずみロッキーチャック』、『アルプスの少女ハイジ』、『フランダースの犬』等のテレビアニメーションの脚本のメイン作家として知られる。 日本映画データベース等で混同されている、同時代に活動した脚本家の吉田喜昭(1937年 - 2001年)は同音異字の別人。また、第20回小野十三郎賞(2018年)を受賞した詩人の吉田義昭も別人。 1932年(昭和7年)1月8日、青森県青森市に生まれる。 1950年(昭和25年)3月、青森県立青森高等学校を卒業、満20歳を迎えた1952年(昭和27年)に東京に移る。
鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022… 鈴木 幸雄(すずき さちお、1932年1月8日 - 2022年9月26日)は、和歌山県和歌山市小松原出身のプロ野球選手(投手)・解説者。 幼少期に通学していた吹上小の先輩に真田重蔵がいる。戦後光風工業高等学校に入学し、そこで野球を始める。卒業後、1951年に阪急ブレーブスへ入団。1年目から一軍に出場し、南海キラーとして活躍。アンダースローからカーブ、シュートを武器とした。 その後はサンテレビボックス席解説者(1974年)を経て、2002年から2016年まで智弁学園和歌山高校で投手コーチを務め、在任中は岡田俊哉らを育て上げた。2008年秋から半年間は髙嶋仁に代わり同校の監督として大分国体、秋季県2次予選、秋季近畿大会で指揮を執った。
星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022… 星野 昌子(ほしの まさこ、1932年1月8日 - 2022年12月2日)は、日本のNGO活動家。特定非営利活動法人日本国際ボランティアセンター特別顧問。元敬愛大学教授。 東京都生まれ。慶應義塾大学文学部社会学科卒業。 1965年、青年海外協力隊初代隊員としてラオスの首都で日本語教育に従事。1968年、在ラオス大使館大使秘書。1971年、ベトナム戦争の激化でラオスを離れ、タイ王国に移住、引き続き途上国支援に携わる。1980年、日本国際ボランティアセンター(JVC)をバンコクに設立。事務局長、東京本部事務局長、特別顧問を歴任。 1991年、神奈川県立かながわ女性センター館長。その後、日本NPOセンター代表理事、敬愛大学国際学部教授、2008年G8サミット・NGOフォーラム代表などを歴任。
山口 博(やまぐち ひろし、1932年1月8日 -2024年… 山口 博(やまぐち ひろし、1932年1月8日 -2024年8月8日 )は、日本の国文学者。富山大学名誉教授・聖徳大学名誉教授。。専門は日本古代文学。 1932年、東京都生まれ。1961年、東京都立大学大学院国文学博士課程を満期退学。 その後は富山大学人文学部講師となり、助教授、教授に昇格。1982年に学位論文『桓武朝より円融朝に至る王朝歌壇の研究』を都立大学に提出して文学博士号を取得。1983年、『万葉集』の編者を菅原道真とする説を唱えた。1985年から1986年、北京の日本学研究センターに研究滞在。1991年、富山大学を退職した。その後は新潟大学教授として教鞭をとり、1997年に定年退官。次いで聖徳大学教授を務めた。
稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 202… 稲畑 汀子(いなはた ていこ、1931年1月8日 - 2022年2月27日)は、神奈川県出身の俳人。俳人高浜年尾の娘で、俳人高浜虚子の孫。『ホトトギス』名誉主宰、日本伝統俳句協会名誉会長。 神奈川県横浜市に、父高濱年尾、母喜美の次女として生まれる。幼児期を鎌倉で過ごしたのち、1935年に兵庫県芦屋市に転居する。小学校のころから祖父高濱虚子と父年尾のもとで俳句を教わった。小林聖心女子学院高校卒業、1949年同英語専攻科在学中に病を得て中退する。英語専攻科中退後、俳句修行に専念し、祖父と父に同行して全国を廻る。1956年、24歳で稲畑勝太郎の孫、稲畑順三と結婚。のち2男1女の母となる。1965年『ホトトギス』同人。
伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 199… 伊海田 弘(いかいだ ひろし、1931年1月8日 - 1997年10月24日)は、日本の俳優である。1967年(昭和42年) - 1972年(昭和47年)の一時期、二階堂 浩(にかいどう ひろし)と名のった時期がある。東宝資料室では伊海田 宏と表記されている。テッサロニキ国際映画祭等に出品されて再評価される『㊙湯の街 夜のひとで』(監督渡辺護、1970年)に「トリ金」役で出演しているほか、テレビドラマ『スーパーロボット レッドバロン』(1973 - 1974年)の「デビラー総統」役、『スーパーロボット マッハバロン』(1974年 - 1975年)の「ララーシュタイン」役で知られる。 1931年(昭和6年)1月8日、新潟県北蒲原郡(現・阿賀野市)に生まれる。
田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 202… 田中 重信(たなか しげのぶ、1931年1月8日 - 2021年8月26日)は、日本の経営者。フジクラ社長、会長を務めた。東京都出身。 1953年に千葉大学工学部電気工学科を卒業し、同年に藤倉電線(のちのフジクラ)に入社。1978年に取締役に就任し、1981年6月に常務、1986年6月に専務を経て、1991年6月に副社長に就任し、1992年12月には社長に昇格。1999年6月に会長に就任し、2002年6月から相談役を務めた。 1997年4月に藍綬褒章を受章し、2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2021年8月26日死去。90歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 201… 塚越 恒爾(つかごし つねじ、1931年1月8日 - 2016年3月21日)は、元アナウンサー、児童文学作家。 神風号のパイロットとして名前を知られた塚越賢爾の長男として東京に生まれる。 1955年横浜国立大学工学部卒業。当初は父と同じく朝日新聞社に入って航空分野で活躍しようとした節があるが、相談相手で賢爾を知っていた斉藤寅郎に「君は本流を歩きなさい」と反対され、NHKにアナウンサーとして入局。あさま山荘事件やアポロ11号月着陸の報道特別番組における現場からの中継に携わった。 1987年の定年退職後は対話総合研究所を設立して後進の指導を行う一方、児童文学の執筆も行い、「ファンタ爺さん」として全国の小学校で口演などを行い、語り伝えの普及に努めた。
小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひ… 小山内 美江子(おさない みえこ、本名:笹平 美江子(ささひら みえこ)、1930年(昭和5年)1月8日 - )は、日本の脚本家である。代表作には、TBSのテレビドラマ『3年B組金八先生』やNHKの大河ドラマ『徳川家康』『翔ぶが如く』などがある。
久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)… 久野 昭(くの あきら、1930年1月8日 - 2018年)は、日本の哲学者。専攻は比較思想論。広島大学名誉教授。国際日本文化研究センター名誉教授。実父は久野朔郎。実弟は小笠原暁、久野暲。 愛知県名古屋市出身。第八高等学校を経て、1952年京都大学文学部哲学科卒業。東洋大学、広島大学、国際日本文化研究センター各教授を歴任した。
門田 英郎(もんでん ひでお、1930年1月8日 - 200… 門田 英郎(もんでん ひでお、1930年1月8日 - 2009年7月1日)は日本の行政管理・総務官僚。行政管理庁行政管理局長、総務庁長官官房長、総務事務次官などを歴任。 広島県出身。京都大学経済学部卒業。1953年 行政管理庁に入庁。統計基準部に配属。1973年 行政管理局管理官。1977年 長官官房秘書課長。1978年 長官官房審議官(行政管理局担当)。1983年4月 行政管理局長。1984年7月 総務庁長官官房長。1985年5月 総務事務次官。1986年10月 財団法人国際開発センター理事。
山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日… 山田 昭次(やまだ しょうじ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - 2025年〈令和7年〉3月15日)は、日本の日本史学者、立教大学名誉教授。 1930年、埼玉県入間郡山口村(現・所沢市)に生まれる。1953年、立教大学文学部史学科卒業。1962年、立教大学一般教育部講師。後に助教授、教授。1995年、同大学を定年退職、名誉教授。 2025年3月15日、誤嚥性肺炎で死去。95歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 … 東 世津子(あずま せつこ、1930年〈昭和5年〉1月8日 - )は、京都府京丹後市出身の郷土史家。 京都府竹野郡間人町(現・京丹後市丹後町間人)に1930年(昭和5年)1月8日に生まれた。生家は、戦前、間人に3軒あった傘屋のひとつ「清水傘店」で、屋号を宮津屋という。祖父の代までは隣接する竹野村(たかのむら)で造り酒屋を営んでいたが、あるとき蔵をたたんで間人の岡成地区に転居し、世津子の父が宮津市内の傘屋で修業し、和傘や提灯の製造販売を始めた。 1944年(昭和19年)に14才で舞鶴女学院に入学。当時は太平洋戦争中であったため、授業は行われず、学徒動員により軍服縫工所で働いた。おもにポケットの型板にそって縫代を折りまげ、はりつけやすいようアイロンをかける仕事だった。
蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月… 蝶野 照正 (ちょうの てるまさ、1929年(昭和4年)1月8日 - 1994年(平成6年))は、日本の実業家。 山陽国策パルプ(現:日本製紙)元専務取締役。山陽国策産業(現:日本製紙総合開発)元社長。 愛媛県新居浜市出身。蝶野勝四郎・ヒロの次男に生まれる。1952年(昭和27年)九州大学農学部林学科を卒業し、同年4月山陽パルプ(現:日本製紙)に入社。1972年(昭和47年)3月31日に山陽パルプと国策パルプ工業が合併し、山陽国策パルプ発足後、1981年(昭和56年)6月取締役に就任。 1985年(昭和60年)常務、1989年(平成元年)6月専務を経て、1991年(平成3年)6月退任。山陽国策パルプ(現:日本製紙総合開発)に就任した。
坂田 期雄(さかた ときお、1929年1月8日 - 没年不詳… 坂田 期雄(さかた ときお、1929年1月8日 - 没年不詳)は日本の行政学者・ 博士 (社会福祉学)。専門は地方自治、地域福祉。都市経営総合研究所所長。東洋大学名誉教授、西九州大学客員教授。 長野県生まれ。東京府出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日… 渡辺 文雄(渡邉 文雄、わたなべ ふみお、1929年1月8日 - 2020年3月7日)は、日本の政治家。位階は従三位。元栃木県知事(在任期間は1984年12月9日 - 2000年12月8日)。 栃木県出身。旧制宇都宮中学校(現栃木県立宇都宮高等学校)から、東京陸軍幼年学校へ。終戦後に旧制宇都宮中学校へ復学。水戸高等学校 (旧制)を経て1953年3月、東京大学法学部を卒業、農林省に入省。食品流通局長や水産庁長官などを経て1984年7月に農林水産事務次官に就任。同年11月に事務次官を辞任し、同年12月9日に行われた船田譲の辞職に伴う栃木県知事選挙に立候補し当選。5期目を目指して立候補した2000年11月19日の栃木県知事選挙でわずか875票の差で前今市市長の福田昭夫に敗れた。
市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015… 市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015年12月1日)は、日本の会計学者。 岐阜県恵那市生まれ。名城大学商学部卒、1956年立教大学大学院修士課程修了。関東学院大学助教授、1968年東京経済大学経営学部助教授、72年教授、経営学部長、99年定年、名誉教授。『万葉集』の研究もおこなった。
大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年… 大野 茂(おおの しげる、1928年1月8日 - 2006年6月2日)は、日本の実業家。九州電力代表取締役社長や、同社代表取締役会長、九州・山口経済連合会会長等を歴任した。旭日大綬章受章。岡山県岡山市出身。 1951年九州大学経済学部卒業、日本発送電入社。九州電力東京支社長、九州電力取締役副社長を経て1991年から九州電力代表取締役社長を務めた。1997年九州電力代表取締役会長。同年より九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)会長を務め、九州・沖縄サミット協力特別委員会を設立。2000年の第26回主要国首脳会議への対応にあたった。王貞治後援会王友会会長等も歴任。2004年秋の叙勲で旭日大綬章受章。
佐田 登志夫(さた としお、1926年1月8日 - 2010… 佐田 登志夫(さた としお、1926年1月8日 - 2010年4月13日)は、日本の生産工学者。1996年「コンピューターモデルによる設計生産の総合化」(共同研究)で日本学士院賞を受賞。東京都出身。 父は内務省復興局勤務中に聖橋の橋梁設計に関わった土木設計者の佐田昌夫。息子は日本機械学会会長佐田豊 専門は生産加工学。機械磨耗、切削加工、研削加工、工作機械、フレキシブル生産システムなど広い分野で独創的な研究を行う。また、その成果は工作機械メーカや自動車メーカに導入され、生産設備の高精度化と自動化に直接結びつき、さらにコンピュータメーカと機械メーカからなる統合化設計生産システムのコンソーシアムを組織するなど、日本のものづくりをリードする。
森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1… 森 英恵(森 英惠、もり はなえ、1926年〈大正15年〉1月8日 - 2022年〈令和4年〉8月11日)は、日本のファッションデザイナーであり、日本人で唯一のパリのオートクチュールデザイナー。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。位階は従三位。1996年、文化勲章、2002年、レジオンドヌール勲章オフィシエ章を受章。旧姓「藤井」。 1965年にニューヨーク・コレクションで成功をおさめ、日本人デザイナーの海外進出の先駆けとなった。1977年には東洋人として初めてパリ・オートクチュール協会(サンディカ)のメンバーとなる。バルセロナおよびリレハンメルオリンピックの日本選手団の公式ユニフォームのデザインや、歌舞伎、海外のオペラやバレエの舞台衣裳を担当するなど、ファッション界の第一人者として活躍した。
筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - … 筑後山 一政(ちくごやま かずまさ、1926年1月8日 - 1978年3月12日)は、福岡県柳川市(旧福岡県山門郡)出身で立浪部屋に所属した元大相撲力士。本名は石橋 一政(いしばし かずまさ)。185cm、106kg。最高位は東十両2枚目。得意技は右四つ、寄り。 福岡県柳川市の中學伝習館(現在の福岡県立伝習館高等学校)から中央大学法学部に進み、卒業直前に召集、大きな体に合う軍服が無かったため、陸軍気象部に配属され終戦を迎えた。卒業後は農林省に入省。 官僚時代に横綱・羽黒山政司一行が巡業で柳川に来た際に勧誘されて立浪部屋に入門することになり、その翌年1948年5月場所に初土俵を踏む。1954年3月場所に十両に昇進。
杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1… 杉山 彌太郎(杉山 弥太郎、すぎやま やたろう、1926年1月8日 - 1991年)は日本の大蔵官僚。大臣官房地方課長、日本専売公社総務部長、日本専売公社総務理事などを務めた。 静岡県出身。旧制静岡中学校4年から第一高校文科丙類に進学する。1949年 東京大学法学部政治学科卒業。「我が国の復興に働きたい」との現地から大蔵省かジャーナリストを目指していた。1950年1月 国家公務員六級職試験を合格。 同年 大蔵省入省。東京財務部総務課属。1955年6月30日 石狩税務署長。 1965年12月 海外経済協力基金調査部調査第一課長。1967年12月 広島国税局総務部長。1969年8月15日 国際金融局企画課長。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021… 原田敏丸(はらだ としまる、1925年1月8日 - 2021年3月15日)は、日本の経済史学者、専門は農村社会経済史。大阪大学経済学博士、同名誉教授。 熊本県鹿本郡吉松村(現・熊本市北区)出身。民俗学者原田敏明の長男。九州大学法文学部経済科卒、同大学院中退、宮本又次に師事した。1951年大分大学経済学部講師、1953年滋賀大学に移り1954年助教授、1968年教授。1969年より大阪大学経済学部教授。1970年「近世山割制度の研究」で大阪大学経済学博士。1988年定年退官、名誉教授。同年より1996年まで帝塚山大学教授。2021年3月16日、96歳で死去。 2002年(平成14年)4月29日 - 勲二等瑞宝章
大迫 輝通(おおさこ てるみち、1924年(大正13年)1月… 大迫 輝通(おおさこ てるみち、1924年(大正13年)1月8日 - 2022年(令和4年)11月30日)は、日本の経済学者。岐阜経済大学名誉教授。日本やアジアの養蚕を専門分野とした。 1924年(大正13年)京都府に生まれる。1954年(昭和29年)から奈良育英学園勤務。1966年(昭和41年)立命館大学大学院文学研究科を卒業後、1967年(昭和42年)岐阜経済大学講師。翌1968年(昭和43年)同大助教授、1972年(昭和47年)教授。後に経済学部学部長も務めた。 2022年(令和4年)11月30日、老衰のため死去、98歳。
竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 20… 竹田 現照(たけだ げんしょう、1924年1月8日 – 2006年4月18日)は、日本の政治家、参議院議員(2期)。 北海道夕張市出身。1944年(昭和19年)逓信官吏講習所外国通信語学科を卒業後、札幌郵便局に入り、郵政事務官として勤務する。全逓北海道地方本部書記長を経て、1965年(昭和40年)参議院議員選挙に北海道地方区から日本社会党で立候補し当選。以後2期12年務める。1994年(平成6年)春の叙勲で勲二等瑞宝章受章。 2006年(平成18年)4月18日、肺炎のため札幌市内の病院で死去、82歳。死没日をもって従四位に叙される。 新東京国際空港(現成田国際空港)の一坪共有地の名義人の1人であった。
駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 199… 駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 1998年11月12日)は、日本の経営者。ダスキン社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1943年に大阪商科大学高等部商業科を卒業。安宅産業、自営業、クントクでの勤務を経て、1963年にダスキンの創業に参加し、取締役、副社長を経て、1979年11月に社長に就任。1994年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1998年11月12日心不全のために死去。75歳没。
朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1… 朝若 佐太郎(あさわか さたろう、1923年1月8日 - 1969年11月25日)は、愛媛県松山市西垣生町出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は中矢 悟(なかや さとし)。最高位は東前頭21枚目(1950年5月場所)。現役時代の体格は168cm、101kg。得意手は左四つ、寄り。 15歳の時に上京し、同郷の元大関・朝潮が率いる高砂部屋へ入門。1939年1月場所で初土俵を踏んだ。 身長170cmに満たない短身で、体重も100kg前後と軽量であったが、そうした体のハンディを克服して順調に出世。 1946年11月場所で新十両に昇進し、以後、暫くはこの地位で一進一退を繰り返した。だが、次第に十両上位でも好成績を残せるようになり、1950年5月場所にて新入幕を果たした。