石黒 正大(いしぐろ まさひろ、1942年5月8日 - )は… 石黒 正大(いしぐろ まさひろ、1942年5月8日 - )は、日本の通産官僚、実業家。 福岡市に生まれる。1961年福岡県立修猷館高等学校を経て、1966年東京大学法学部を卒業。 1966年通商産業省(現・経済産業省)に入省。工業技術院(産業技術総合研究所の前身)総務部人事課長を経て、1984年通商産業省産業政策局大規模小売店舗調整官、1985年貿易局輸入課長、1986年生活産業局原料紡績課長、1989年基礎産業局総務課長、1990年資源エネルギー庁長官官房総務課長、1991年6月中小企業庁小規模企業部長、1992年6月通商産業省大臣官房審議官産業政策局担当、1993年6月国土庁長官官房審議官長官官房担当、1994年8月衆議院商工委員会調査室長専門員、1996年7月中小企業庁長官に就任。
兼岡 一郎(かねおか いちろう、1942年5月8日 - )は… 兼岡 一郎(かねおか いちろう、1942年5月8日 - )は、日本の地球科学者。専門は同位体地球化学。理学博士。
樺山 紘一(かばやま こういち、1941年5月8日 - )は… 樺山 紘一(かばやま こういち、1941年5月8日 - )は、日本の歴史学者、東京大学文学部名誉教授、印刷博物館館長。
豊岡 秀訓(とよおか ひでのり、1941年5月8日 - 20… 豊岡 秀訓(とよおか ひでのり、1941年5月8日 - 2020年7月8日)は、日本の麻酔科医、元帝京大学医学部麻酔科教授。 1980年、「Effects of morphine on the rexed lamina 7 spinal neuronal response to graded noxious radiant heat stimulation(侵害性輻射熱刺激に対するRexed7層脊髄細胞の反対に及ぼすモルフィンの効果)」で、東京大学より医学博士を取得。おもな研究テーマは、麻酔のファーマコキネティクス(薬物動態学)[リンク切れ]、急性呼吸不全、低流量麻酔。 1967年、東京大学医学部卒業。
大笹 吉雄(おおざさ よしお、1941年5月8日 - )は、… 大笹 吉雄(おおざさ よしお、1941年5月8日 - )は、日本の演劇評論家。 大阪府に生まれる。早稲田大学第一文学部演劇科で郡司正勝に師事する。1964年に卒業後、歌舞伎雑誌『演劇界』を発行している演劇出版社に勤務するが、演劇批評をするため1975年に退社。6か月たって初めて原稿依頼があったという。37歳で最初の著書『正統なる頽廃』を刊行した。 1985年よりライフワーク『日本現代演劇史』の刊行を始め、同年に第1巻でサントリー学芸賞受賞した。以後も1991年に『花顔の人・花柳章太郎伝』で大佛次郎賞受賞。2008年『女優二代』で読売文学賞受賞。2010年『新日本現代演劇史』で河竹賞受賞。2014年『最後の岸田國士論』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は… 佐々木 有三(ささき ゆうぞう、1940年5月8日 - )は、島根県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 中学時代は陸上部で走り高跳びの選手だった。 益田産業高校(現:益田翔陽高校)時代は長距離打者として鳴らし、3年生時の1958年に同期のエース福原勝(近鉄)を擁し、一塁手として夏の甲子園に出場。1回戦で鈴木正のいた松阪商に敗退したが自身は大会第1号となるホームランをレフトスタンドへ打っている。1959年に木庭教からスカウトされ、広島カープに入団。 入団2年目の1960年に一軍出場を果たすが、1962年までは三振の山を築いていた。入団5年目の1963年はやや粗さが消え、プロ初本塁打も放つ。1964年は控え要員ながら自己最多の89試合に出場するものの、低打率にあえぎ本塁打なしに終わる。
近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、… 近衞 忠煇(このえ ただてる、1939年5月8日 - )は、近衞家第32代当主で日本赤十字社名誉社長。国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長を歴任。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)元顧問、公益財団法人日本国際フォーラム参与。初名は細川 護煇(ほそかわ もりてる)。 旧肥後熊本藩細川侯爵家の細川護貞と温子夫人(近衛文麿の次女)の次男として生まれた。兄は細川護熙(第79代内閣総理大臣)。 清泉小学校、栄光学園中学校・高等学校を経て、1962年(昭和37年)に学習院大学政経学部政治学科を卒業(学位:政治学士)。その後、英国のロンドン大学ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスヘ留学(国際関係論)。
赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉… 赤木 圭一郎(あかぎ けいいちろう、1939年〈昭和14年〉5月8日 - 1961年〈昭和36年〉2月21日)は、日本の映画俳優。本名:赤塚 親弘(あかつか ちかひろ)。愛称はトニー。 東京府東京市麻布区麻布笄町(現在の東京都港区西麻布4丁目)で歯科医の家庭に生まれ、後に神奈川県鎌倉市へ疎開。1948年(昭和23年)4月、藤沢市鵠沼に転居する。薩摩藩士の流れである。 栄光学園中学校から藤沢市立鵠沼中学校を経て神奈川県立鎌倉高等学校卒業後、成城大学文芸学部に入学した(在学中に他界)。 1958年(昭和33年)、日活第4期ニューフェイスとして日活へ入社。石原裕次郎主演の『紅の翼』に本名の「赤塚親弘」名義で群衆の一人としてエキストラ出演し、これが映画デビュー作となった。
近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1… 近衞 忠煇(このえ ただてる、 (1939-05-08) 1939年5月8日(78歳) - )は、現近衞家当主で国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)会長及び日本赤十字社社長。特定非営利活動法人日本紛争予防センター顧問。公益財団法人日本国際フォーラム参与。
高橋 迪雄(たかはし みちお、1939年5月8日 - )は、… 高橋 迪雄(たかはし みちお、1939年5月8日 - )は、日本の動物生理学者。専門は獣医生理学。金沢市生まれ。
杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本… 杉山 卓(すぎやま たく、1937年5月8日 - )は、日本の男性アニメーター、アニメ演出家、アニメ監督。造形表現研究所所長及びタクプロダクション代表(株式会社デック)。京都アニメーション共同創業者の八田陽子(旧姓: 杉山)は実妹。2019年現在は静岡県浜松市北区に在住。妻も東映動画の元アニメーター(入社は杉山より3年後)である。 東京府(後の東京都)出身。太平洋戦争末期は山形県に疎開していた。東京都立豊多摩高等学校卒業。高校時代は山岳部に所属していた。宮崎駿夫人となる大田朱美とは中学高校で同窓だったという。 1956年5月、浪人生として東京芸術大学油絵科を目指していた時に、新聞に載った東映動画の募集広告を見た姉の勧めで採用申込に応じ、東映動画(現・東映アニメーション)に1期生として入社する。
梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5… 梶木 剛(かじき ごう、1937年5月8日 - 2010年5月19日)は、日本の文芸評論家。本名は佐藤春夫。 新潟県新潟市生まれ。1957年に新津高校を卒業し、法政大学文学部に入る。在学中に、吉本隆明と出会い、雑誌「試行」に文学評論を発表する。1962年より千葉県の県立高校に教諭として勤務し、1998年に退職する。その後、弘前学院大学教授、法政大学大学院講師などを務めた。 2010年5月19日0時8分、千葉市中央区の病院で食道癌による敗血症のため73歳で死去。
松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は… 松浦 三千男(まつうら みちお、1937年5月8日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(投手)。
梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月… 梶谷 素久(かじたに もとひさ、1937年(昭和12年)5月8日 - )は、日本の社会学者。 岐阜県生まれ。1961年東京外国語大学英語科卒。1964年京都大学大学院文学研究科社会学修士課程修了、64年暁烏賞受賞。名城大学法学部助教授、教授、2008年定年。 1972-1974年オックスフォード大学客員研究員、1990年カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員教授。国際社会学会 (ISA) 終身会員。
砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8… 砂原 幸雄(すなはら ゆきお、1937年(昭和12年)5月8日 - 2020年(令和2年)8月12日)は、日本の実業家・テレビディレクター。 東京放送 (TBS) の社長・会長、横浜ベイスターズの球団オーナー、東京エレクトロンの取締役を務めた。 香川県出身。慶應義塾大学文学部卒業。 1961年(昭和36年)、TBSに入社。1967年(昭和42年)に制作部に配属され、『半七捕物帳』『時間ですよ』などのサブプロデューサーを務めた。1977年(昭和52年)にはテレビ編成部専任部長、1984年(昭和59年)にはニューヨーク支局長にそれぞれ異動となり、ニューヨーク支局長時代にはマスターズゴルフの中継権交渉などを担当した。
長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本… 長崎 浩(ながさき ひろし、1937年5月8日- )は、日本の社会評論家、身体運動学者。元の妻は東大名誉教授の長崎暢子。 東京生まれ。東京大学理学部卒、同大学院修士課程を経て、東京大学物性研究所、東北大学医学部リハビリテーション医学研究施設、東京都老人総合研究所勤務。1986年東北大学医学博士。1999年から東北文化学園大学医療福祉学部教授。2009年退職。 学生時代は1960年安保運動に参加し第一次共産主義者同盟で活動した。全共闘運動には助手共闘の一員として参加する。その後も左翼活動家として著述活動を続けた。 成田空港問題において、成田開港翌年の1979年に三里塚芝山連合空港反対同盟の幹部が政府と締結した覚書(その後情報漏洩により協定は流産となった)の文案は、長崎が書いたものだといわれる。
小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわ… 小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までの筆名は小池 一雄。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 秋田県大仙市出身。中央大学法学部卒。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。
結城 昭康(ゆうき あきやす、1936年5月8日 - 199… 結城 昭康(ゆうき あきやす、1936年5月8日 - 1991年5月2日)は、福岡県出身の元ラグビー選手、ラグビー指導者。元ラグビー日本代表選手。キャップ1。主なポジションはプロップ(Pro.)。
福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月… 福永 有利(ふくなが ありとし、1935年(昭和10年)5月8日 - 2015年(平成27年)5月6日)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・破産法。神戸大学名誉教授、北海道大学名誉教授。元同志社大学教授。兵庫県加古川市生まれ。従四位瑞宝中綬章。 妻は、大阪大学教授(大学院高等司法研究科)の千葉恵美子。門下生に、 成城大学法学部教授の町村泰貴がいる。
東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日… 東川 孝(ひがしかわ たかし、1934年(昭和9年)5月8日 - 2015年(平成27年)8月18日)は、日本の政治家。北海道千歳市市長(1991年-2003年)。位階は従五位。旭日小綬章。 北海道苫小牧市出身。北海道千歳高等学校卒。1950年(昭和25年)に千歳町役場(現在の千歳市役所)に、事業生として入り、1954年(昭和29年)には千歳町役場を退職し、北海道自治講習所に入所し、1年間通い、翌1955年(昭和30年)の4月1日に再び千歳町役場に入り、税務課町民税係へ配属される。その後、企画調整課企画係長や環境部環境課長、経済部長等を経て、1987年(昭和62年)の12月6日に千歳市収入役となる。
高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年〈昭和9年〉5月8… 高坂 正堯(こうさか まさたか、1934年〈昭和9年〉5月8日 - 1996年〈平成8年〉5月15日)は、日本の国際政治学者、歴史家、思想家。京都大学(京大)法学部教授を長く務め、学んだのも京大であった。国際政治学や欧州外交史を専門とし、現実主義(リアリズム)の立場から理論や日本の針路についての発言を展開した。日本の国際政治学に大きな影響を与えたほか、論壇でも活躍した。主著に『古典外交の成熟と崩壊』『国際政治』『宰相吉田茂』『海洋国家日本の構想』など。 生まれも京都市で、哲学者高坂正顕の次男である。 高坂家の先祖は高坂弾正忠昌信と言われる(後述)。父の高坂正顕は西田幾多郎に学んだ京都学派の哲学者で、「近代の超克」を唱えた。
大塚 安則(おおつか やすのり、1934年5月8日 - 19… 大塚 安則(おおつか やすのり、1934年5月8日 - 1991年6月3日)は、香川県三豊郡詫間町出身のプロ野球選手(投手)。 高瀬高校から1953年に西鉄ライオンズへ入団。 1955年に大映スターズへ移籍。同年開催されたイースタン・リーグのオールスターゲームにも出場した。1956年に引退。
井口 樹生(いぐち たつお、1934年5月8日 - 2000… 井口 樹生(いぐち たつお、1934年5月8日 - 2000年1月18日)は、国文学・民俗学者。
山村 賢明(やまむら よしあき、1933年5月8日 - 20… 山村 賢明(やまむら よしあき、1933年5月8日 - 2002年9月15日)は、日本の教育社会学者、立教大学名誉教授。 東京生まれ。1956年東京教育大学卒。1966年「現代日本における母のコンセプションの教育」で東京教育大学教育学博士。東京教育大学助手、埼玉大学助教授、筑波大学教授、立教大学教授、1995年定年、文教大学教授。 土居健郎などに基づく日本文化論を唱え、茶道を研究、実践した。 2002年9月15日、肝臓癌のため死去。
杉山 武雄(すぎやま たけお、1933年5月8日 - )は、… 杉山 武雄(すぎやま たけお、1933年5月8日 - )は、神奈川県出身の日本のバスケットボール選手である。 立教大学卒業。大学卒業後、八幡製鐵で選手として活躍。 全日本チームにも選ばれ、メルボルン・ローマの五輪2大会に出場した。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 199… 神吉 敬三(かんき けいぞう、1932年5月8日 - 1996年4月18日)は、日本の美術史家。上智大学名誉教授。専攻は16世紀のバロック期(スペイン黄金時代美術)からパブロ・ピカソに至るスペイン美術史。 山口県下関市長府町生まれ。浦和市(現さいたま市)に転居し、1948年(昭和23年)埼玉県立浦和高等学校を卒業、1956年上智大学経済学部を卒業。在学中に聖イグナチオ教会で受洗し、カトリック信者となる。同年から1959年までスペイン政府給費留学生としてマドリード・コンプルテンセ大学に留学、1965年に上智大学外国語学部助教授、1969年に教授。1970年にスペインの芸術文化勲章である「賢王アルフォンソ十世章」を受章。
鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、… 鶴見 丈二(つるみ じょうじ、1932年5月8日 - )は、日本の俳優。千葉県市川市出身。本名は増田 清貴。日本舞踏家でもあり、水木歌紅の門下。 慶應義塾高等部卒業。1954年、第8期大映ニューフェイスに合格し、大映演技研究所を経て大映に入社。1955年に『弾痕街』でデビュー。
高木 教典(たかぎ のりつね、1931年5月8日 - 201… 高木 教典(たかぎ のりつね、1931年5月8日 - 2015年5月7日)は、日本のマスコミュニケーション研究者、東京大学名誉教授。 東京府北多摩郡小平村(後の東京都小平市)の天台宗の寺に生まれる。1950年、東京都立小石川高等学校を卒業し、東京大学教養学部文科1類に入学。1952年4月に経済学部へ進学するが、学生運動への関わりにより退学処分を受け、7月に退学、のち1954年5月に再入学し、1956年に経済学部を卒業して、新聞研究所研究生となった。1957年に大学院社会科学研究科社会学専攻新聞学専修に進学、1961年に博士課程を中途退学して、新聞研究所助手。以降、1965年に助教授、1981年に教授へ昇任し、1982年から1983年にかけてはロンドン大学、コロンビア大学の客員教授も務めた。
伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- … 伊藤 喜栄(いとう よしえい/よしえ、1931年5月8日- )は、日本の地理学者。慶應義塾大学名誉教授。経済地理学専攻。 愛知県一宮市第四小学校(在籍中に国民学校へ移行)から愛知県立一宮中学校に進み、在学中に昭和東南海地震を経験した。1945年4月、大阪陸軍幼年学校に入学し49期生となったが、これは最後の陸軍幼年学校生徒となったことを意味していた。敗戦後、幼年学校は8月28日に閉校となり、伊藤は9月に一宮中学校へ復学した。 愛知県立一宮高等学校を経て、名古屋大学文学部史学科を卒業する。1961年、名古屋大学大学院博士課程を満期退学し、大分大学経済学部専任講師となる。以後、名古屋市立大学助教授、金沢大学法文学部助教授を経て、1979年慶應義塾大学経済学部教授に就任。
清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日… 清水 三夫(しみず みつお、1931年5月8日 - )は、日本の経営者。ライフストア(現在のライフコーポレーション)社長を務めた。 三重県出身。1954年に同志社大学法学部政治学科を卒業し、同年に清水商店(のちのライフコーポレーション)に入社した。1956年に専務、1978年に副社長を経て、1982年から1988年までに社長を務めた。1995年から2003年までと2010年から2013年までにライフフーズ社長を務めた。
野中 一二三(のなか かずみ、1931年〈昭和6年〉5月8日… 野中 一二三(のなか かずみ、1931年〈昭和6年〉5月8日 - 2024年〈令和6年〉3月31日は、日本の政治家。京都府船井郡園部町長(7期)。 1931年(昭和6年)、京都府船井郡園部町大村(現・園部町城南町)の農家に野中北郎の次男として生まれた。園部小学校卒業。 船井郡連合青年団長、京都府社会教育委員、日本青年団協議会理事、京都府連合青年団長を経て、1971年(昭和46年)から1979年(昭和54年)まで園部町議会議員を2期務める。1979年(昭和54年)47歳の時、6代目となる園部町長に就任。 2006年(平成18年)の南丹市発足による園部町廃止まで、7期27年間町長を務めた。2024年(令和6年)3月31日、誤嚥性肺炎により死去。
栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 200… 栗木 安延(くりき やすのぶ、1930年5月8日 - 2002年3月1日)は、日本のマルクス経済学者・歴史学者。専修大学名誉教授。博士(経済学)。 大分県中津市出身。雑貨商の家に生まれる。1944年、旧制大分県立中津中学校(現在の大分県立中津南高等学校・大分県立中津北高等学校の前身)在学中に、熊本陸軍幼年学校に入学した。しかし、敗戦に伴い、陸軍幼年学校は解散し、中津中学校に復学した。中学校卒業後、旧制第五高等学校(現在の熊本大学)への入学を希望したが、GHQが軍関係の学校に在籍していた者の旧制高等学校入学者に占める割合を制限したため、やむなく1948年、官立明治工業専門学校(現在の九州工業大学)に進学した。
木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930… 木戸 文右衛門(きど ぶんえもん、本名:木戸 敏郎、1930年5月8日 - )は、日本の芸術舞台演出家である。 元国立劇場演出室長。同劇場を拠点に日本の儀礼音楽を芸術音楽に再構造化する音楽運動を展開。定年退職後は札幌大学、京都造形芸術大学(現京都芸術大学)教授として活躍の場をグローバルに拡大し、一層先鋭化した音楽、舞台芸術運動を演出家としても国内外公演で展開してきた。その成果は数多くセンセーショナルな実績を残してきた。2005年〜創造する伝統実行員会委員長就任。2011年以降は全ての公職を離れて、「日本文化が内包する美学」を物質に可視化する運動(文右衛門工房)を設立し、新たな日本文化の息吹を吹き込んでいる。
宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、… 宮脇 陽三(みやわき ようぞう、1930年5月8日- )は、日本の教育学者、佛教大学名誉教授。 広島大学教育学部卒、同大学院博士課程満期退学、1968年「フランス大学入学資格試験制度史研究」で広大教育学博士。皇學館女子短期大学講師、美作女子大学助教授、佛教大学文学部助教授、教授、1995-97年教育学部長を兼任。
大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 202… 大場 智満(おおば ともみつ、1929年5月8日 - 2023年5月11日)は、日本の大蔵官僚、元財務官。東京府(現在の東京都杉並区)出身。国際金融の専門家として、日本の金融自由化を推進した。 大蔵省では吉野良彦(のち大蔵事務次官)らと入省同期にあたる。1983年に財務官就任後、日米円・ドル委員会(1983年11月設置、のちの日米金融協議 (コトバンク))での東証のオフショア市場開設会合や、1985年のプラザ合意での政策決定交渉過程に、行天豊雄(国際金融局長)らと共に日本側事務方代表の財務官職として実務者協議に関わった。 のちに、プラザ合意が日本のバブル経済の直接的原因ではなかった点も述べている(プラザ合意#議論・評価、竹内道雄、金融政策#日本も参照)。
大西 信行(おおにし のぶゆき、1929年5月8日 - 20… 大西 信行(おおにし のぶゆき、1929年5月8日 - 2016年1月10日)は、日本の劇作家、脚本家、演芸研究家。正岡容の門下。同門には小沢昭一、永井啓夫、3代目桂米朝、都筑道夫、加藤武、小島貞二らがいる(小沢昭一、加藤武とは、麻布中学・早稲田大学を通じての友人)。俳号は獏十。
水野 瑞夫(みずの みずお、1929年5月8日 - 2024… 水野 瑞夫(みずの みずお、1929年5月8日 - 2024年1月28日)は、日本の薬学者。学位は薬学博士。岐阜薬科大学名誉教授・第7代学長。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
大曽根 章介(おおそね しょうすけ、1929年5月8日 - … 大曽根 章介(おおそね しょうすけ、1929年5月8日 - 1993年8月26日)は、日本文学者、漢文学者。 東京大学文学部国文学科卒業。1971年、文学博士。東京大学助手、共立女子短期大学教授を経て中央大学教授。 平安文学、特に漢文学が専門。1989年より刊行された新日本古典文学大系の編集委員をつとめたが、1993年に急死した。64歳没 。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月… 湯本 大蔵(ゆもと たいぞう、1929年 <昭和4年> 5月8日 - 2000年 <平成12年> 7月23日)は、日本の経営者。ウシオ電機社長を務めた。 東京都出身。1953年に東京商科大学を卒業し、同年に協和銀行に入行。1974年にウシオ電機取締役に就任し、1975年に常務、1980年3月に専務を経て、同年12月には社長に就任。1995年3月に取締役相談役を経て、1997年6月には相談役に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 2000年7月23日肺癌のために死去。71歳没。
臼井 正明(うすい まさあき、1928年5月8日 - 201… 臼井 正明(うすい まさあき、1928年5月8日 - 2016年11月23日)は、日本の俳優、声優。 東京市大森区出身。芝区赤羽小学校(現港区立赤羽小学校)で児童文学作家の中村博と同級生になり、東京府立第五中学校では、澁澤龍彥、脚本家の松木ひろしと同級生になった。なお、澁澤龍彦とは大人になってからも交遊があった。 1946年に東京放送劇団2期生になる。ラジオドラマ全盛期に活躍し、『君の名は』などに出演した。同作が縁となり、1954年に東京放送劇団1期生の七尾伶子と結婚。『君の名は』の作者の菊田一夫が仲人となった。この当時、雑誌等では「声優界の池部良」と称されていた。1956年、息子が生まれる。 その後1959年に東京放送劇団を退団し、劇団手織座に入団。
宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本… 宗田 理(そうだ おさむ、1928年5月8日 - )は、日本の作家、小説家。
笠原 和夫(かさはら かずお、1927年5月8日 - 200… 笠原 和夫(かさはら かずお、1927年5月8日 - 2002年12月12日)は、日本の脚本家。東京府日本橋出身。日本大学中退。 裸電球を一つを灯した部屋に壁に作品の時間軸を記した巻物を壁に貼り執筆した。 第二次世界大戦後まもない頃に、大日方傳の経営していたキャバレーで従業員兼用心棒をしていた[要出典]。晩年にも日本の政治などの現状を憂いており、「戦後、暗殺事件がもっとあったなら、今よりは良い社会になっていたかもしれない。」と発言。 生前、自身の脚本について「ストーリーではなく、怒りを売っている。鬱屈したものを叩きつけている」と発言し、「大衆は、作っている人間の情念、怨念、恨みつらみを受け止めている」と語っていた。
武田 八洲満(たけだ やすみ、1927年5月8日 - 198… 武田 八洲満(たけだ やすみ、1927年5月8日 - 1986年9月13日)は、日本の作家。 宮城県遠田郡南郷町(現・美里町)生まれ。東京商科大学専門部(現一橋大学)中退。日本図書館協会、出版業を経て、長谷川伸に師事、1963年「大事」でオール読物新人賞受賞。1970年「紀伊国屋文左衛門」、1972年「信虎」、1973年「炎の旅路」、1975年「生麦一条」で計4回直木賞候補となった。 歴史小説を主とし、マリア・ルス号事件を描いたノンフィクションもある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8… 大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 1924年(大正13年)5月8日、岩手県盛岡市八幡町に、父・菅野佐介、母・カネの三姉妹の次女として生まれる。 盛岡市立城南尋常小学校、岩手県立盛岡高等女学校(現岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)へ進む。石川啄木に憧れ、在学中に前川佐美雄の短歌指導を受ける。卒業後、岩手県立釜石高等女学校(現岩手県立釜石高等学校)の教諭となり、終戦を迎えた。1947年(昭和22年)結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 19… 行沢 健三(ゆきざわ けんぞう、1924年5月8日 - 1980年2月8日)は、日本の経済学者。 京都生まれ。1946年京都帝国大学経済学部卒、関西学院大学助教授、教授、1960年「国際経済学序説」で経済学博士(関西学院大学)。1978年京都大学経済研究所所長となるが、在任中に55歳で死去した。1976年『労働生産性の国際比較』で日経・経済図書文化賞受賞。
小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 20… 小川 修三(おがわ しゅうぞう、1924年5月8日 - 2005年1月9日)は、日本の物理学者(素粒子物理学)。名古屋大学名誉教授、広島大学名誉教授。 1924年、山口県都濃郡徳山で生まれた。徳山で育つが、1940年3月に三重県四日市市に転居したことに伴い、徳山中学校から富田中学校に移った。第八高等学校理科で学び、1944年9月に卒業。名古屋帝国大学理学部物理学科へ進学し、1947年に卒業。 卒業後は、同年12月より同大学の幅助手となった。1949年に理学部の文部教官となり、翌1950年に助手となった。1955年に学位論文『相互作用の普遍性に関する研究』を名古屋大学に提出して理学博士号を取得。同年4月より、広島大学理学部講師となった。
町井 正登(まちい まさと、1923年(大正12年)5月8日… 町井 正登(まちい まさと、1923年(大正12年)5月8日 - 2006年(平成18年)10月17日)は、日本の政治家。舞鶴市長。舞鶴市名誉市民。1979年から1995年まで、4期16年に渡り舞鶴市長を務めた。 京都府綾部市生まれ。金沢高等工業学校(現・金沢大学)を卒業後、舞鶴市役所へ就職。助役を務めたのち、1979年市長選に出馬し当選。在任期間中は、道路や市民病院の整備を進めたほか、軍港である赤煉瓦を見直して舞鶴市政記念館をオープンするなど、多くの公共事業を進めた傍ら、財政については黒字を維持することに成功した。 1995年、妻の体調を理由に不出馬。同年、舞鶴市名誉市民条例にもとづき、名誉市民の認定を受ける。
野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1… 野本 喜一郎(のもと きいちろう、1922年5月8日 - 1986年8月8日)は、埼玉県加須市出身のプロ野球選手、学生野球指導者。 旧制の不動岡中学校(現在の埼玉県立不動岡高等学校)卒業。第二次世界大戦が勃発すると日本軍に徴兵され、中国戦線へ送られた。 不動岡中時代から野球部の投手を務めており、戦後、社会人野球のコロムビアを経て、1950年に西日本パイレーツへ入団した。1951年、西日本パイレーツと西鉄クリッパースが合併し、西鉄ライオンズと改称したが3シーズンに渡って同チームに在籍し、1953年に近鉄パールスへ移籍し、アンダースローの投手としてプロ通算18勝をあげた。同年限りで現役を引退し、その後は郷里の埼玉県に戻り上尾町(後の上尾市)で銭湯を営んでいた。
原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - … 原 曻(はら のぼる、1922年(大正11年)5月8日 - 2016年(平成28年)2月14日)は、日本の政治家。大阪府岸和田市長。大阪府市長会顧問。 大阪府岸和田市出身。元特攻隊隊員。1956年(昭和31年)関西大学経済学部を卒業後、岸和田市役所に入る。1962年(昭和37年)青少年課長、1965年(昭和40年)職員課長、1970年(昭和45年)総務部長と昇進を続け、1973年(昭和48年)の岸和田市長選挙に立候補、社会党と共産党の推薦を得て、当時4選を狙っていた自民推薦の現職・中澤米太郎を破り初当選する。泉州地域では初めて社共共闘による革新市長が誕生した。 定住外国人(主に在日朝鮮人)への地方参政権付与を認める決議を採択し、韓国の当時の大統領盧武鉉より修交勲章崇礼章を授与された。
中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 201… 中島 省吾(なかじま せいご、1922年5月8日 - 2013年12月24日)は、日本の会計学者。商学博士(一橋大学・論文博士・1971年)。国際基督教大学名誉教授。第5代日本会計研究学会会長。第2代国際会計研究学会会長。初代International Association for Accounting Education & Research副会長。キリスト教功労者。 東京府東京市生まれ。1943年12月、武山海兵団に入団。短期現役海軍主計科士官(11期)を志願し、1944年2月に海軍主計見習尉官となり海軍経理学校に入校。同年9月に経理学校を卒業し、第22海軍航空廠付総務課労務係官に就任。同年12月、海軍主計少尉に任官。