細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8… 細川 律夫(ほそかわ りつお、1943年〈昭和18年〉8月8日 - )は、日本の政治家、弁護士。 厚生労働大臣(第13代)、厚生労働副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣)、衆議院決算行政監視委員長、同環境委員長、衆議院議員(7期)、第89代裁判官弾劾裁判所長、民主党国会対策委員長代理などを歴任した。 高知県吾川郡吾北村(のちの高知県吾川郡いの町)出身。高知学芸高等学校を経て、1966年、明治大学法学部を卒業。卒業後、司法試験に合格し、1974年に弁護士登録(埼玉弁護士会)。1981年、越谷総合法律事務所を開設。大森勧銀事件の被告人の弁護を手がけ、冤罪を晴らし逆転無罪を勝ち取った。 その後、2回連続で総選挙に立候補するが落選。
橘木 俊詔(たちばなき としあき、1943年8月8日 - )… 橘木 俊詔(たちばなき としあき、1943年8月8日 - )は、日本の経済学者、京都女子大学客員教授、京都大学名誉教授、元同志社大学経済学部特別客員教授。専攻は労働経済学。
梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 20… 梅村 正廣(うめむら まさひろ、1943年8月8日 - 2007年12月25日)は、京都市出身の日本の経営者。京セラ元代表取締役副社長・副会長/CFO。 1966年大阪工業大学工学部卒業後、同年京セラ入社。1968年に当時の京セラ貿易部長の上西阿沙(後に京セラ副社長)と部員の梅村正廣の2人が米国丸紅(ロサンゼルス)の中に事務所を開設、駐在した。1991年 京セラ取締役。1993年 同社常務取締役。1997年 同社代表取締役専務。1999年 同社代表取締役副社長およびエア・ドゥ取締役を兼任。2005年 京セラ代表取締役副会長/CFO。その間、上海京瓷房地産開発有限公司董事長、上海京瓷貿易有限公司董事長も経験。
森中小三郎(もりなか こさぶろう、1942年〈昭和17年〉8… 森中小三郎(もりなか こさぶろう、1942年〈昭和17年〉8月8日 - 2020年〈令和2年〉12月27日)は、日本の実業家。元住友商事副社長。元成田国際空港株式会社社長(のち相談役)。滋賀県出身。 2007年5月、日本国政府がめざす航空自由化に反対の立場だとして運輸事務次官経験者の黒野匡彦前社長を更迭した首相官邸(第1次安倍内閣)サイドにより、成田国際空港株式会社(NAA)2代目社長に抜擢された。民営化前の新東京国際空港公団時代も含め成田空港トップに民間人を起用したのは初めて。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
大石 昭忠(おおいし あきただ、1942年(昭和17年)8月… 大石 昭忠(おおいし あきただ、1942年(昭和17年)8月8日 - )は、日本の元政治家。大分県日田市の第7代市長を務めた。 日田市出身。横浜国立大学経済学部卒業後、30年間にわたり安宅産業や伊藤萬などの商社で勤務。主に食品畑を歩み、その間西ドイツの駐在員や、居酒屋チェーン副社長も務めた。1991年よりシダックス取締役。1995年に日田市長に初当選。3期にわたり日田市長を務めたが、4選を目指した2007年7月29日の市長選挙で新人の佐藤陽一に大差で敗れ落選した。 2010年6月から、国際協力機構(JICA)のシニア海外ボランティアとしてアルゼンチン南部のパタゴニアに赴任した。 就任後、職員を100人削減して440人にするなど、行政改革を推進した。
和田 洋子(わだ ひろこ、1941年〈昭和16年〉8月8日 … 和田 洋子(わだ ひろこ、1941年〈昭和16年〉8月8日 - )は、日本の政治家。参議院議員(2期)、福島県議会議員(2期)、参議院地方行政・警察委員長、参議院内閣委員長を歴任。 福島県河沼郡会津坂下町出身。福島県立会津女子高校(現福島県立葵高等学校)卒業。 県議会議員であった夫が急死したことを受けて県議会補欠選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。2期務めた。 1993年(平成5年)に自由民主党を離党。3選を目指した1995年(平成7年)4月の選挙では、古巣の自由民主党に対抗馬を擁立されて落選したが、同年7月の第17回参議院議員通常選挙では、急遽新進党公認候補として福島県選挙区から立候補し初当選。
岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010… 岡部 牧夫(おかべ まきお、1941年8月8日 - 2010年12月6日)は、日本の文筆家、歴史学者。 東京市渋谷区代々木生まれ。本名・岡部 長興(おかべ ながおき)。太平洋戦争中は新潟県小出に疎開し、戦後は神奈川県で母方の祖父・岩崎輝弥が経営していた子安農園に住んだ。森村学園小学校、成蹊中学、成蹊高校から1965年に成蹊大学政治経済学部卒業。中学・高校教員、雑誌『アルプ』編集委員を経て、1971年に長野県諏訪郡富士見町へ移住し、自然や環境についての文筆活動を行った。さらに、高校時代の恩師である荒井信一に誘われたのがきっかけで、日本近現代史研究、特に植民地支配や天皇制についての研究を進めた。1993年から串田孫一らとともに財団法人自然保護助成基金の評議員を務めた。
河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 … 河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本のジャーナリスト。『愛と死をみつめて』の筆者でもある。 大阪府大阪市に生まれる。太平洋戦争中、長野県伊那市に疎開した。自身は「長野の農家の息子」と称し、畑仕事は小学生時から嫌々ながら手伝わされたという。 長野県伊那北高等学校卒業後、浪人中に大阪大学医学部附属病院に入院する。中央大学商学部に進学後、3年生の時に実体験をもとにした『愛と死をみつめて』を出版し、150万部を超えるベストセラーとなった。のちに大学は中退した。 1965年(昭和40年)、ジャーナリストを目指して、東京写真専門学校報道写真科に入る。 その後、フリーカメラマン、自動車専門誌記者を経て、1976年(昭和51年)、経済界 (出版社)に入社。
鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日… 鈴木 與平(すずき よへい、1941年8月8日 - )は、日本の実業家。鈴与代表取締役社長を経て、現在は同社代表取締役会長。旧名 鈴木道弘。社長在任中、Jリーグ 清水エスパルスの運営支援を開始、フジドリームエアラインズを設立、航空事業へ参入した。 静岡市出身。1960年、静岡県立静岡高等学校卒業。1965年、慶應義塾大学経済学部卒業。1967年、東京大学経済学部卒業。同年、鈴与入社。日本郵船に出向。1970年、鈴与取締役。1974年、鈴与常務。1976年、鈴与副社長。1977年、鈴与社長。2014年、鈴与会長兼社長。2015年、鈴与会長。 1992年、2月より日本プロサッカーリーグ(Jリーグ) 清水エスパルスの運営支援を開始、球団会長。
松枝 寛祐(まつえだ ひろすけ、1941年8月8日 - 20… 松枝 寛祐(まつえだ ひろすけ、1941年8月8日 - 2025年3月26日)は、日本の経営者。大陽日酸社長、会長を務めた。 東京都出身。1965年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に日本酸素に入社。1994年に取締役に就任し、1995年に常務、2001年に専務、2003年に副社長を経て、2006年9月には大陽日酸社長に就任。2010年6月から2012年10月までに会長を務めた。 2025年3月26日、敗血症のため死去。83歳没。
西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年… 西條 笑児(さいじょう しょうじ、 本名:河内弘、1941年〈昭和16年〉8月8日 - 1996年〈平成8年〉4月3日)は、元漫才師、タレント。 兵庫県神戸市出身。甲南大学文学部卒業。父は西条凡児。兄は西條遊児。娘は元宝塚歌劇団の西條三恵。 1966年、それまで勤務していた広告代理店をリストラされたことを機に兄とコンビを結成し漫才師デビュー。神戸を中心にラジオのパーソナリティーを長年勤めた。 1996年4月3日、死去。55歳没。 西條の没後、日本映画批評家大賞内の舞台ミュージカル大賞に西條笑児賞の副名称がつけられている。
寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、… 寺崎 一雄(てらさき かずお、1940年8月8日 - )は、日本の実業家。テレビ西日本代表取締役会長。福岡県出身。 1959年に福岡県立明善高等学校を経て、早稲田大学法学部に進学。早稲田大学卒業後、1964年4月に西日本新聞社入社。1991年2月に同社社会部長、1993年7月に編集局次長、1995年6月に東京支社長(局長)に就任。1997年6月にテレビ西日本取締役。1999年6月に同社常務、2003年6月に専務に昇進。2005年6月に社長就任。2013年6月より同社会長。
モルシェド・カーン(ベンガル語: মোরশেদ খান、ラテ… モルシェド・カーン(ベンガル語: মোরশেদ খান、ラテン文字:M.Morshed Khan、1940年8月8日 -)はバングラデシュの政治家。2001年から2006年までバングラデシュの外務大臣を務めた。 イギリス領インド帝国チッタゴン生まれ。1962年から東京農工大学に留学し、同大学卒業。1986年国会議員に選出。2001年から2006年まで外務大臣を務めた。2007年に汚職防止委員会に告訴され、2008年に特別判事法廷で懲役13年の判決が下された。2019年にバングラデシュ民族主義党副総裁を退任し政界引退を表明した。 この項目は、政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の… 服藤収(はらふじ おさむ、1939年8月8日 - )は日本の大蔵官僚。総務庁人事局次長などを務めた。 愛媛県越智郡出身(両親も愛媛県)。愛媛県立今治西高等学校、京都大学経済学部経済学科卒業。1962年 大蔵省入省(主計局総務課)。この見習い時代に「日本経済の計量経済モデル」を作成した。1968年7月10日 高田税務署長。 東京国税局直税部次長、国税庁長官官房総務課長補佐、大臣官房企画官兼国税庁長官官房総務課、大臣官房企画官兼大臣官房調査企画課財政金融研究室総括主任研究官などを務めた後、1981年7月 北海道開発庁予算課長。1983年6月 経済企画庁調整局財政金融課長。1985年6月 経済企画庁総合計画局計画課長。
寺林 峻(てらばやし しゅん、1939年8月8日 -2017… 寺林 峻(てらばやし しゅん、1939年8月8日 -2017年9月30日)は日本の歴史小説作家、ノンフィクション作家。兵庫県姫路市夢前町生まれ。日本文芸家協会、日本ペンクラブ会員。実家は高野山真言宗鹿谷山薬上寺で、僧侶の資格を持った。 兵庫県立福崎高等学校では岸上大作と同期。慶應義塾大学文学部仏文科卒業後、宗教専門紙「中外日報」記者。父の跡を継ぎ実家の寺の住職となり、僧侶としての勤めの傍ら作家活動に入る。1980年(昭和55年)農村歌舞伎一座の最後の光芒を描いた「幕切れ」にて第57回オール讀物新人賞を受賞する。以降、歴史小説、密教などの仏教関連、播磨国/兵庫県関連などのノンフィクションを軸に執筆する。
古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015… 古川 清(ふるかわ きよし、1939年8月8日 - 2015年4月20日)は、日本の演劇プロデューサー、演出家。北九州市ソレイユホール館長。 父は喜劇俳優の古川ロッパ、弟は俳優の古川ロック。 東京に生まれる。1962年、慶應義塾大学文学部美学美術史科卒業。 卒業と同時に、東宝演劇部へ。演出部を経て、1967年、現在の帝国劇場の開場よりプロデューサーを務める。東宝時代は『スカーレット』(1970年『風と共に去りぬ』のミュージカル化)、『シカゴ』(1985年、1986年)、『レ・ミゼラブル』(1987年日本初演)、『ミス・サイゴン』(1992年日本初演)などの製作を担当。師である菊田一夫の演出助手を主に務め、演出作品としてミュージカル『ピピン』、演出補として『屋根の上のヴァイオリン弾き』『佐渡島他吉の生涯』『マイ・フェア・レディ』など多数を手がけた。
わたり むつこ(1939年〈昭和14年〉8月8日 - )は、… わたり むつこ(1939年〈昭和14年〉8月8日 - )は、日本の絵本作家、児童文学作家。本名、池田 睦子。 宮城県白石市出身。1962年、東京女子大学文理学部日本文学科を卒業。卒業後は児童文学同人『バオバブ』を結成。1963年に結婚してアラスカに2年居住し、1971年に「アラスカの七つ星」でデビューする。『バオバブ』に連載した長編ファンタジー『はなはなみんみ物語』で、1980年度サンケイ児童出版文化賞を受賞。『もりのおとぶくろ』で2011年度サンケイ児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年… 小川 薫(おがわ かおる、1937年8月8日 - 2009年4月27日)は、日本の実業家。総会屋。「最後の総会屋」と呼ばれた。 広島市の歓楽街・弥生町の入口、下柳町(現中区銀山町)生まれ。当地は証券街で、かつ遊郭もあり、ヤクザの多い街でもあった。1945年、7歳国民学校二年の夏、爆心地から1.1キロの自宅で被爆。薫は釣りに行くため自宅を出る直前だった。幸い家族もみな軽傷で済んだ。1946年、戦場から父親が復員。戦前から経営していた電器店を再開したが、父は博徒岡組(のちの共政会)組長・岡敏夫と親しく野球賭博を始め店を潰し、その後は食堂を営んだ。 小川の兄・義夫と弟・明男の三人は喧嘩が滅法強く「小川三兄弟」と恐れられたが、叔父の田部武雄がプロ野球選手だったこともあり、野球もうまく、みな野球強豪高校でレギュラーとなった。
藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、… 藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手)。
新村 鋭男(しんむら としお、1936年(昭和11年)8月8… 新村 鋭男(しんむら としお、1936年(昭和11年)8月8日 - 2024年11月22日)は、平成29年3月に株式会社モリタホールディングスの相談役退任。過去には山一證券副社長、山一情報システム社長を歴任した。
永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 201… 永田 恒治(ながた つねはる、1936年8月8日 - 2016年3月28日)は、日本の弁護士。松本サリン事件において、事件の第一通報者で、一時は事実上の容疑をかけられる状態にあった河野義行を、弁護士として支援したことで知られる。 長野県東筑摩郡山形村出身。 東京大学法学部卒業。当初は官僚を目指していたが、60年安保闘争の中で、向坂逸郎の指導下で政治運動に関わり、公安条例違反での逮捕も経験した。30歳を過ぎてから弁護士を志し、1972年に弁護士登録して、松本市で弁護士事務所を開業し、1991年から1992年にかけては長野県弁護士会の会長も務めた。 松本サリン事件の際には、警察が、被疑者不詳のまま河野宅を家宅捜索し、さらに河野に長時間の事情聴取を行なったこと、また、マスコミが河野を犯人同然に扱う報道を展開したことを厳しく批判し、河野の人権擁護と、後の名誉回復に尽力した。
長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静… 長坂 衛(ながさか まもる、1934年8月8日 - )は、静岡県出身のプロ野球選手(投手)。 1954年に西鉄ライオンズに入団。2年目の1955年に公式戦の開幕投手を務め、8月3日の近鉄戦でプロ初勝利を挙げた。1957年限りで現役を引退した。
中島 貞夫(なかじま さだお、1934年(昭和9年)8月8日… 中島 貞夫(なかじま さだお、1934年(昭和9年)8月8日 - )は、日本の映画監督・脚本家。
藤田 和弘(ふじた かずひろ、1934年8月8日 - 202… 藤田 和弘(ふじた かずひろ、1934年8月8日 - 2026年4月25日)は、日本のアナウンサー。 東京府(現在の東京都)出身。立教大学経済学部卒業。 1959年4月、TBSにアナウンサー6期生として入社(同期には池田孝一郎・石井智・川野昌宏・里見恭夫・新堀俊明・土屋統督・料治直矢・相場君子・今井登茂子・加藤かな子・加藤珪子・土井誉子・蛭田玲子)。主にスポーツ中継(野球、ボクシング)、情報番組を担当。1963年11月1日、報道局運動部兼ニュース部アナウンサーに。 1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴い報道局運動部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月、ラジオ本部アナウンス室兼テレビ本部報道局運動部。
牧野庄三(まきの しょうぞう、1934年8月8日 - 202… 牧野庄三(まきの しょうぞう、1934年8月8日 - 2022年1月10日)は日本の実業家。元株式会社新潟放送代表取締役会長。 京都府出身。立命館大学経済学部卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
清水 多吉(しみず たきち、1933年8月8日 - 2024… 清水 多吉(しみず たきち、1933年8月8日 - 2024年12月3日)は、日本の哲学者、立正大学名誉教授。フランクフルト学派の研究に取り組んだ先駆的哲学者。 福島県会津若松生まれ。東京都立新宿高等学校を卒業、東京大学文学部哲学科卒。1963年から立正大学に勤務、教授、2004年に定年退任、名誉教授。また、神奈川大学の非常勤講師も務めた。 2024年12月3日、慢性心不全のため死去。91歳没。
田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日… 田辺昭三(たなべ しょうぞう、1933年(昭和8年)8月8日 - 2006年(平成18年)2月20日)は、日本の考古学者。須恵器の研究や、日本における水中考古学の研究に先鞭をつけたことで知られる[要出典]。奈良大学助教授となり、後に同教授に昇格。京都市埋蔵文化財研究所調査部長、京都芸術短期大学教授・京都造形芸術大学教授、神戸山手大学教授。 1933年、静岡県小笠郡菊川町(現菊川市)で生まれた。中学生だった1948年、登呂遺跡の発掘調査に参加。同年、菊川市の白岩遺跡の発掘調査も手伝った。この際東洋大学教授の和島誠一に出会い、強い影響を受けた。これらの経験を通して、早くから考古学に傾倒していった。1952年、静岡県立掛川西高等学校を卒業。
ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本… ロミ・山田(ロミ・やまだ、1933年8月8日 - )は、日本の女優、歌手。本名は山田ひろみ。朝鮮の京城生まれ、兵庫県育ち。小林聖心女子学院小学校・中学校・高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。 実父の和辻廣樹は朝日新聞社会部記者。実父方の祖父は京都帝国大学医学部耳鼻咽喉科初代教授の和辻春次、母方の祖父は新聞記者で大韓協会、大韓自強会顧問、京城通信社記者の大垣丈夫。元夫は放送作家の岡田教和。親族に和辻春樹(実父の兄)、和辻哲郎(実父の従兄)がいる。 実父の赴任地、朝鮮の京城(現在の韓国・ソウル市)で生まれる。1歳で兵庫県へ帰国、宝塚市や神戸市で育つ。4歳のとき、実父の和辻廣樹が胃がんで逝去する。10歳のとき、母が毎日新聞社社員(のちに東京放送常務)の山田眞一と再婚する。
大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年… 大海 竹郎(たいかい たけろう、1933年8月8日 - 没年不明 )は、現在の岩手県八幡平市出身で花籠部屋に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 竹郎(さとう たけろう)。176cm、86kg。最高位は東十両10枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年1月場所に初土俵。1958年7月場所に十両昇進。腕力を活かした左四つの相撲が得意であったが、押し相撲の力士を苦手にしていた。幕下で2場所連続で負け越した1960年3月場所で26歳で廃業した。
植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 201… 植松 治雄(うえまつ はるお、1931年8月8日 - 2018年3月7日)は、日本の医師。第16代日本医師会会長、財団法人日本学校保健会会長。その他、厚生省医道審議会委員など歴任。医学博士(大阪大学、1960年)。香川県生まれ。 初代 北里柴三郎1916-1931 / 2代 北島多一1931-1943 / 3代 稲田龍吉1943-1946 / 4代 中山寿彦1946-1948 / 5代 高橋明1948-1950 / 6代 田宮猛雄1950 / 7代 谷口弥三郎1950-1952 / 8代 田宮猛雄1952-1954 / 9代 黒澤潤三1954-1955 / 10代 小畑惟清1955-1957 / 11代 武見太郎1957-1982 / 12代 花岡堅而1982-1984 / 13代 羽田春兔1984-1992 / 14代 村瀬敏郎1992-1996 / 15代 坪井栄孝1996-2004 / 16代 植松治雄2004-2006 / 17代 唐澤祥人2006-2010 / 18代 原中勝征2010-2012 / 19代 横倉義武2012-2020 / 20代 中川俊男2020-2022 / 21代 松本吉郎2022- この項目は、医療関係者に関連した書きかけの項目です。
観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 201… 観世 元信(かんぜ もとのぶ、1931年8月8日 - 2019年11月10日)は、日本の能楽師。能楽観世流囃子方太鼓方十六世宗家。日本能楽会会員。 1931年 能楽囃子方観世流太鼓十五世宗家・観世元継の長男として東京府(現世田谷区)に生まれる。1946年 父の観世元継が死去し、宗家を継承。1947年 「岩舟」で初舞台。1950年 学習院大学文学部に入学。1952年 東京藝術大学非常勤講師となる。1954年 学習院大学文学部文学科国文学専攻卒業。同年初めての能楽使節団の一員としてイタリア・ビエンナーレ演劇祭に参加。 1959年 「石橋大獅子」を披見。「道成寺」・「乱」・「石橋」等の大曲・秘曲を含め数多くの舞台を勤める。
笠松 宏至(かさまつ ひろし、1931年8月8日 - 202… 笠松 宏至(かさまつ ひろし、1931年8月8日 - 2025年2月17日)は、日本の歴史学者。専門は日本中世史。東京大学名誉教授。中世法の研究の権威である。 1956年3月東京大学文学部国史学科卒業。1959年3月東京大学大学院人文科学系国史学専攻修士課程修了。 1962年4月東京大学史料編纂所助手、1972年5月助教授、1979年10月教授を経て1992年3月に定年退職して5月に東京大学名誉教授になる。その後、神奈川大学歴史民俗資料学研究科教授を歴任。 東大時代は佐藤進一に師事、資料の厳密な解釈を学ぶ。 『中世の罪と罰』の共著者である網野善彦、石井進、勝俣鎭夫と共に日本中世史の「四人組」と呼ばれ、学界をリードした。
高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991… 高木 重朗(たかぎ しげお、1930年8月8日 - 1991年1月7日)は、日本の奇術研究家・アマチュアマジシャン。東京生まれ。 1935年頃、新橋演舞場で松旭斎天勝のイリュージョン(人体浮揚や美女の胴体切り)を見て奇術に興味を持つようになった。1952年、慶応義塾大学経済学部卒業、1954年、慶応義塾大学法学部卒業。 衆院事務局参事を経て、国立国会図書館参考書誌部索引課主査。1986年4月退官。 1950年代~1960年代ごろ、日本国外の奇術の書籍・雑誌があまり日本に流通していなかったころから、日本国外の専門書の翻訳や解説書の執筆を精力的に行って日本の奇術界に貢献した。特に専門季刊雑誌『奇術研究』を通じてのクロースアップ・マジックの紹介は、当時の日本では非常に貴重なものだった。
門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年… 門馬 晋(もんま すすみ、1930年8月8日 - 2002年11月30日)は、日本のジャーナリスト。福島県出身。
石上 善應(いしがみ ぜんのう、1929年8月8日 - 20… 石上 善應(いしがみ ぜんのう、1929年8月8日 - 2020年11月29日)は、日本の仏教学者。専門は印度哲学、仏教文化史。大正大学名誉教授、前淑徳短期大学学長、浄土宗僧侶。北海道小樽市生まれ。 1929年、北海道小樽市生まれ。1953年、大正大学仏教学部仏教学科卒業。1956年、同大学大学院文学研究科仏教学修士課程修了。芝中学校・高等学校講師を経て、1963年大正大学仏教学部助教授。1971年同教授。1993年同大学人間学部教授。2000年、大正大学名誉教授、浄土宗総合研究所所長、韓国東国大学校碩座教授。2002年淑徳短期大学学長(- 2014年)。2014年、淑徳大学教授、瑞宝中綬章受章。
小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4… 小山 觀翁(小山 観翁、こやま かんおう、1929年(昭和4年)8月8日 - 2015年(平成27年)3月30日)は、日本の古典芸能評論家。 学習院大学国劇部創立メンバー。伝統歌舞伎懇話会会長、江戸勘亭流書道家元、国立劇場講師、日本演劇興行協会理事、松竹顧問。宗家神崎流理事(神崎秀扇)。本名:小山 昭元(こやま てるもと)。 歌舞伎座や国立劇場などにおいて歌舞伎と文楽のイヤホンガイド導入の中心的人物として著名。 東京府出身。初等科から大学まで学習院に在籍。戦後、川尻清譚に師事、歌舞伎の研究をするかたわら雑誌「歌舞伎」の編集に参画。1952年(昭和27年)に電通に入社し、おもに放送番組企画制作畑を歩み、1975年(昭和50年)に同社を退職。
麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 … 麻田 鷹司(あさだ たかし、1928年(昭和3年)8月8日 - 1987年(昭和62年)7月1日)は、昭和時代の日本画家。父は日本画家の麻田辨自、弟は洋画家の麻田浩。義弟は、国文学者・万葉学者の佐竹昭広、本名は麻田 昂(読み同じ)。風景画を描き、晩年には出身地の京都を主に描く。
太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988… 太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988年10月13日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。 1928年(昭和3年)8月8日、神奈川県横浜市に生まれる。 東京市大森区調布嶺町(現在の東京都大田区鵜の木)の旧制・東京中学校(現在の東京高等学校)を卒業して旧制・東京高等師範学校に進学、同校は1949年(昭和24年)5月に設立された新制・東京教育大学(現在の筑波大学の母体)に包括されたため、同学哲学科に在籍、1953年(昭和28年)3月に同学を卒業した。「好きな映画で生活していこう」と考え、同年4月2日、定期採用第2期生として東映に入社した。企画本部に配属され、東京撮影所演出部に配転された。
十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2… 十代目 岩井 半四郎(いわい はんしろう、1927年〈昭和2年〉8月8日 - 2011年〈平成23年〉12月25日)は、俳優、歌舞伎役者、日本舞踊家。屋号は大和屋。定紋は丸に三ツ扇、替紋は杜若丁字。俳名に杜若・紫若・扇蝶。本名は仁科 周芳(にしな ただよし)。所属事務所はミナァバ。明治大学文芸科卒業。 舞踊家花柳壽太郎の長男として東京に生まれる。1935年有楽座の『侠艶録』で仁科周芳で初舞台。1939年2月、二代目市川猿之助の門人となり二代目市川笑猿を襲名。同年5月有楽座『隅田川続俤』「法界坊」で里の子喜三松。1951年10月歌舞伎座『源氏物語』の若き光の君と『寿曽我対面』の化粧坂少将で十代目岩井半四郎を襲名。
畑中 時雄(はたなか ときお、1926年8月8日 - 199… 畑中 時雄(はたなか ときお、1926年8月8日 - 1995年10月8日)は、岐阜県出身のプロ野球選手。
古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8… 古田 武彦(ふるた たけひこ、1926年(大正15年)8月8日 - 2015年(平成27年)10月14日)は、日本の思想史学者・古代史研究家。専門は親鸞等の中世思想史だが、むしろ古代史研究において著名である。
児玉 俊一郎(こだま しゅんいちろう、1926年8月8日 -… 児玉 俊一郎(こだま しゅんいちろう、1926年8月8日 - 2019年3月17日)は、日本の経営者。呉羽化学工業(現在のクレハ)社長を務めた。 東京都出身。1950年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に呉羽化学工業(現在のクレハ)に入社。1979年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務を経て、1988年6月には社長に就任。1997年6月に会長を経て、2001年6月には最高顧問に就任。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年3月17日に慢性心不全のために死去。92歳没。
神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 201… 神津 友好(こうづ ともよし、1925年8月8日 - 2019年12月28日)は、日本の放送演芸作家。 長野県小県郡中塩田村(現上田市)生まれ。旧制丸子農商学校(長野県丸子修学館高等学校)を経て、上智大学文学部新聞学科在学中に学徒出陣で兵役に就くが、訓練中に終戦を迎えたために復員する。 戦後に上智大学に復学し卒業した後に「より文学上の知識を得たい」として法政大学文学部英文科に入学し、4年間学ぶ。法政大学卒業後は雑誌や業界紙記者をへて、1953年から演芸台本作家となる。 手掛けた主な放送番組に『やじうま寄席』(日本テレビ放送網)、『お好み演芸会』、『演芸風土記』(共に日本放送協会)などがある。 1970年からはNHK演芸担当者と協力して漫才師を志す新人向けの勉強会を定期的に行うなど、新人発掘やサポートも手掛けた。
丹野 章(たんの あきら、1925年8月8日 - 2015年… 丹野 章(たんの あきら、1925年8月8日 - 2015年8月5日)は、日本の写真家。 東京都生まれ。日本大学芸術科写真学科を戦後1期生として卒業後、フリーカメラマンが少数の時代にフリーランスとして活動を始める。舞台写真の分野で活躍した後、新感覚の写真のグループVIVOに参加。東京都写真美術館、山口県立美術館、日本大学芸術学部、東京工芸大学ほかに作品がコレクションとして収蔵されている。 写真の著作権の保護期間問題に関わり、日本写真著作権協会(JPCA)の創設に貢献。1970年、著作権法の改正に関して、日本写真家協会を代表し、渡辺義雄とともに、第63回通常国会の衆参両院の関係委員会で意見を述べた。
馬場 一雄(ばば かずお、1920年(大正9年)8月8日 -… 馬場 一雄(ばば かずお、1920年(大正9年)8月8日 - 2009年(平成21年)8月24日)は、日本の小児科医学者。 東京生まれ。1944年、東京帝国大学医学部卒。1945年、同医学部小児科医局に入り、東京大学医学部助教授。1951年「新生児並に乳児に於ける諸反射」で東京大学より医学博士の学位を取得。東京都立築地産院。1963年、日本大学医学部小児科学教室教授。日本大学医学部附属板橋病院長、日本大学総合科学研究所教授。1994年、日本学術会議会員、勲三等瑞宝章受章。山下家の五つ子の研究にかかわる。 2009年8月24日、老衰のため死去。
内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 199… 内田 るり子(うちだ るりこ、1920年8月8日 - 1992年5月1日)は、日本の声楽家、民俗音楽研究者。 東京生まれ。1942年東京音楽学校声楽科卒。1952年山形大学助教授、1954年日本女子体育短期大学助教授、1956年国立音楽大学助教授、教授。1962年ウィーン大学哲学科中退。83年『奄美民謡とその周辺』で第1回志田延義賞受賞。91年国立音大名誉教授。91年「奄美民謡とその周辺」で國學院大學文学博士。門下にペギー葉山がいる。
梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8… 梁 粛戎(りょう しゅくじゅう、1920年〈民国9年〉8月8日 - 2004年〈民国93年〉8月27日)は、中華民国(台湾)の政治家。立法院長を務めた。 1920年、奉天省昌図県で出生する。 1941年、満洲国長春法政大学(長春大学)卒業。大学在学中の1939年に中国国民党の秘密党員となり、地下工作員として抗日活動に従事した。満州国の官吏養成機関であった大同学院、司法官訓練所で学ぶ。立法委員となってから、日本の明治大学で修士号を取得した後、1976年に博士号を取得(法学)。 満州国の検察官となるが、工作員であることが発覚して1944年3月に逮捕され、1945年(康徳12年)5月に満洲国法院で懲役12年の実刑判決を受けて服役する。
三上 誠(みかみ まこと、1919年8月8日 - 1972年… 三上 誠(みかみ まこと、1919年8月8日 - 1972年1月16日)は、昭和戦後期に活躍した日本画家である。 1919年大阪市に生まれ、福井市で育つ。旧姓・嶋田。1940年東京美術学校 (旧制)油画科受験に失敗し、京都市立絵画専門学校(絵専、現・京都市立芸術大学)日本画科予科に入学。1944年絵専本科を卒業し、同校副手となる。 1948年の日本画家・洋画家・陶芸家から成るパンリアルを経て、翌1949年日本画家達によってパンリアル美術協会を結成。"パンリアル"という名称を発案し、パンリアル美術協会結成時には宣言文の草稿を執筆した。1951年同協会会長に就任し、中心的役割を果たす。 1952年肺結核のため京都病院に入院。
森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年… 森 美秀(もり よしひで、1919年8月8日 - 1988年5月15日)は、日本の政治家、企業家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。 自由民主党の衆議院議員。千葉県勝浦市出身。長男は自由民主党衆議院議員の森英介。 父は森コンツェルンの総帥で衆議院議員の森矗昶。森清、森曉、三木武夫の妻睦子の弟にあたる。 1940年に玉川塾(専門部)を卒業し、日本冶金工業に入社する。戦後は、東亜精機代表取締役、苫小牧ファーム社長などを歴任。1949年9月3日、東京青年商工会議所(現、東京青年会議所)の発足に参画。発足当初のチャーター・メンバー48名のひとりとなる。 兄・清の急死により、後継者として1969年の第32回衆議院議員総選挙に立候補し、初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 … 河合 斌人(かわい あやと、1918年〈大正7年〉8月8日 - 2005年〈平成17年〉9月6日)は、日本の実業家、教育者。河合塾理事長、山一證券副社長。 河合逸治の長男。東京商大を経て日本勧業銀行に入行し、経済安定本部や名古屋造船、山一證券にも出向した。後に実家の河合塾を継ぎ、弟の河合邦人と共に愛知県のローカル予備校から三大予備校の一角にまで育て上げた。1992年、フランス教育功労章オフィシエ受章。 静岡県生まれ。愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校、59回卒業)、名古屋高商(現・名古屋大学経済学部)を経て、1941年12月、東京商科大学(現・一橋大学)繰り上げ卒業(井藤半彌ゼミ)。卒業論文は「国際租税論の基本問題」。