小浜 八弥(おばま はちや、1891年(明治24年)12月8… 小浜 八弥(おばま はちや、1891年(明治24年)12月8日 - 1973年(昭和48年)4月6日)は、日本の農林官僚。官選静岡県知事、農林次官。旧姓・稲富。 佐賀県出身。稲富正六の二男として生まれ、小浜又吉の養子となる。第一高等学校を卒業。1917年3月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年4月、農商務省に入省し農商務属となり農務局に配属。同年10月、文官高等試験行政科試験に合格した。 1918年7月、臨時産業調査局事務官・第一部勤務となる。以後、農務局事務官、農商務事務官、農林事務官、兼農林書記官・農務局副業課長、水産局漁政課長、農務局農政課長、大臣官房文書課長、農林省農務局長、内閣調査局調査官などを歴任し、1937年5月、農林省農務局長に再任された。
神林 美治(かんばやし よしはる、明治23年(1890年)1… 神林 美治(かんばやし よしはる、明治23年(1890年)12月8日 - 昭和54年(1979年))は、大日本帝国の海軍軍人。最終階級は海軍軍医中将。呉海軍病院長、海軍医学校校長を歴任する。長野県長野市出身。 明治23年(1890年)12月8日、長野県更科郡稲里村(現在の長野市)の士族であった神林英三郎の五男として出生する。第二高等学校を経て、大正6年(1917年)に九州帝国大学医学部医学科を成績優秀で卒業し、恩賜の銀時計を授与される。海軍省に入省後、軍医となる。大正12年4月に九州帝国大学大学院へ進学し、小野寺教授の下で指導を受ける。大正14年11月に同校を修了する。 大正15年(1926年)には、久邇宮の欧州外遊に同行し、昭和3年(1927年)2月、ドイツ駐在員となる。
中田 儀直(なかた ぎちょく、1889年12月8日 - 19… 中田 儀直(なかた ぎちょく、1889年12月8日 - 1975年6月10日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)。位階は正五位。 秋田県出身。1910年、秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)卒。陸軍に入り、歩兵中尉に進む。その後、大館町議、秋田県議、大館町長、内閣東北局委員、帝国在郷軍人会本部評議員、同秋田支部評議員会議長、北秋田郡連合青年団長、(株)大館製作所取締役社長、北鹿新聞社、東北酒造各(株)取締役、秋田鉄工業組合長となる。 1936年の第19回衆議院議員総選挙で秋田1区(当時)から立憲政友会公認で立候補して初当選。次点の候補者(石川定辰)と1票差だった。そのため、選挙結果が争われ、石川が当選者と認められ、中田は当選無効となり失職する。
藤井 厚二(ふじい こうじ、1888年〈明治21年〉12月8… 藤井 厚二(ふじい こうじ、1888年〈明治21年〉12月8日 - 1938年〈昭和13年〉7月17日)は、日本の建築家・建築学者。広島県出身。建築環境工学の先駆者の一人。東京帝国大学工科大学建築学科卒業。 広島県福山市の酒造家・金融業の「くろがねや」の次男として生まれる。経済的にも文化的にも恵まれた環境で育ち、福山中学校(現・福山誠之館高校)、第六高等学校を経て、1913年(大正2年)に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業した後、竹中工務店に就職。大阪朝日新聞社などの設計を手がけ、1919年(大正8年)まで勤務。同社退職後から約9ヶ月間、欧米諸国を巡遊し、環境工学への関心を高めた。 欧米から帰国した後の1920年(大正9年)、同郷の武田五一が創設した京都帝国大学工学部建築学科に招かれ、1926年(大正15年)に教授となった。
空閑 昇(くが のぼる、1887年〈明治20年〉12月8日 … 空閑 昇(くが のぼる、1887年〈明治20年〉12月8日 - 1932年〈昭和7年〉3月28日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少佐。 佐賀県佐賀市水ヶ江町出身。地裁監督書記・空閑正尚の長男として生れる。空閑家は龍造寺家の血を引き、代々鍋島藩の槍術師範を務めた家柄で、父・正尚は佐賀の乱に参戦した経歴がある。高等小学校、広島陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1910年(明治43年)5月、陸軍士官学校(22期)を卒業。同年12月歩兵少尉に任官し歩兵第69連隊付となる。青島守備歩兵第3大隊付、歩兵第69連隊付などを経て、シベリア出兵に従軍。1925年(大正14年)5月、陸軍歩兵学校甲種を卒業。
佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年〈明治18年〉1… 佐々木精治郎(ささき せいじろう、1885年〈明治18年〉12月8日 - 1971年〈昭和46年〉11月28日)は、日本の画家。岩手県江刺郡黒石村出身。 ロサンゼルス美術学校、ニューヨーク美術学院を卒業し、帰国。それ以降も渡欧などを経て、多くの展覧会出品や個展を開催する。 パステル画を中心とした作品が特徴である。 1885年12月8日、岩手県江刺郡黒石村長根(現:奥州市水沢黒石町字長根)の農家に7人兄弟の次男として生まれる。実家はかつて庄屋を務めるほど豪農である。1892年ごろ黒石村立博文尋常小学校(のちの奥州市立黒石小学校)に入学し、熊野神社神主より漢学を学んだ。卒業後、当時村内には高等小学校が無いため、胆沢郡前沢町の前沢尋常高等小学校へ進み、のちに七光社同人となる村上隆一と自炊生活を始めた。
水島 爾保布(みずしま におう、1884年12月8日 - 1… 水島 爾保布(みずしま におう、1884年12月8日 - 1958年12月30日)は、日本画家、小説家、漫画家、随筆家。本名:爾保有。これは『難訓辞典』の著者である父・水島慎次郎(鳶魚斎)による命名。 また、長男の行衛(ゆきえ)は、SF作家の今日泊亜蘭である。 東京府下谷区根岸に生まれる。1909年、東京美術学校(現・東京芸術大学美術学部)日本画科を卒業。 1911年、川路誠(柳虹、1912年卒業)・小泉勝爾(1908年卒業)・小林源太郎(1912年卒業)・広島晃甫ら、学校仲間を中心とした全12名で「行樹社」を結成する。同年11月1日から7日にかけて、赤坂三会堂にて第1回展覧会を開催、18人70余点が出品される。
逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年… 逆瀬川 仁次郎(さかせがわ にじろう、1883年(明治16年)12月8日 – 1930年(昭和5年)10月29日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)。ジャーナリスト。 鹿児島県姶良郡敷根村(現在の霧島市)出身。鹿児島県立加治木中学校 (旧制)を卒業して東京高等師範学校に進むが退学。第一高等学校 (旧制)を卒業し、1916年(大正5年)東京帝国大学法科大学政治科を卒業。大阪毎日新聞社に勤務した。 1924年(大正13年)の第15回衆議院議員総選挙に政友本党で立候補して落選するが、1926年(大正15年)11月1日の衆議院鹿児島7区補欠選挙で当選。
常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年〈明治14年〉12月8… 常盤 盛衛(ときわ もりえ、1881年〈明治14年〉12月8日 - 1971年〈昭和46年〉8月8日)は、日本の海軍軍人。軍令部、艦隊、鎮守府、要港部などの参謀職を歴任した海軍少将である。 福島県出身。父は旧会津藩士・常盤盛敦。会津中学5回生で外務省顧問・斎藤良衛、樺太庁長官・岸本正雄は同級生である。1899年(明治32年)海軍兵学校入校(30期)。二年次に学術優等章を授与される。1902年(明治35年)卒業。席次は187名中5番。 「初瀬」乗組みとして日露戦争を迎えたが、同艦は1904年(明治37年)5月15日に旅順港外において触雷し沈没。その際常盤は初瀬の艦載水雷艇を指揮し、哨戒のため裏長山列島に赴いていた。
新井 章治(あらい しょうじ、1881年(明治14年)12月… 新井 章治(あらい しょうじ、1881年(明治14年)12月8日 - 1952年(昭和27年)9月1日)は、日本の実業家。元・東京電力会長。元・日本発送電総裁。 埼玉県大里郡大麻生村(現熊谷市)に篤農家だった新井健吉の長男として出生。1905年に早稲田大学大学部政治経済学科を卒業。秩父鉄道勤務を経て日本鉄道に入社するも病気で退社し、加療の後に義父の葉住利蔵が経営していた利根発電へ1913年に入社して取締役支配人となる。1921年に利根発電が東京電燈に吸収合併されてからは前橋支店長から本社で営業部次長となり1933年に取締役営業部長に就任してから常務取締役(1936年)・副社長(1937年)を歴任した。
お鯉(おこい、1880年12月8日 - 1948年8月14日… お鯉(おこい、1880年12月8日 - 1948年8月14日)は、芸妓から、のちに政治家桂太郎の愛妾になり、晩年に尼僧となった女性。本名は小久江(のち安藤)照。 東京・四谷見附の漆問屋に生まれ(貰い子とも)、6歳で新宿の引手茶屋主人・安藤兼作の養女となるも養家の家産が傾き、14歳で新橋「照近江」の芸者となり花柳界に入る。のち市村羽左衛門と結婚したが、間もなく離婚して花柳界に戻った。24歳ころ、山縣有朋の紹介で60歳近い桂太郎の愛妾となり、赤坂榎坂町に暮らし、病気がちな本妻可那子に代わって桂の世話をした。日比谷焼討事件では「桂とともにお鯉を殺せ」の声が上がり、榎坂町の自邸が焼かれた。 1913年、桂の死後は待合や銀座カフェー・ナショナルを経営した。
近藤 寿一郎(こんどう じゅいちろう、1880年〈明治13年… 近藤 寿一郎(こんどう じゅいちろう、1880年〈明治13年〉12月8日 - 1958年〈昭和33年〉11月7日)は、日本の実業家、林業並びに製薬業鋼商。近藤家第7代。 鳥取県日野郡根雨宿(のち日野郡根雨町、現日野町)出身。近藤喜兵衛の長男。近藤家は製鉄業を営み、大山林地主である。大阪工業学校(現大阪大学工学部)に学んだが、中退する。 1912年、根雨銀行監査役に就任する。1913年、日野郡根雨町に木材乾溜工場を設立する。1914年、日野郡是製糸取締役となる(後に社長)。1916年、酢酸精製工場として大阪府堺市に近藤製薬工場を建設する。1920年、日野郡教育会長に就任する。 1921年、日野郡木炭同業組合副会長に就任する。
金谷 眞一(かなや しんいち、1879年12月8日 - 19… 金谷 眞一(かなや しんいち、1879年12月8日 - 1967年2月16日)は、日本の実業家、日光金谷ホテル元代表取締役社長、帝国ホテル元取締役、富士屋ホテル元取締役、日光電気軌道元監査役。 1879(明治12年)12月、栃木県・日光金谷ホテルの金谷善一郎の長男として生まれる。日光金谷ホテルは1873年(明治6年)に外国人向けの民宿として、ジェームズ・ヘボンの薦めで「金谷カッテージ・イン」として創業したクラシックホテルで、現存する日本最古のリゾートホテルとして知られている。 明治期に立教学校(立教大学の前身の一つ)の初代校長を務め、建築家としても活躍したジェームズ・ガーディナーは、民宿の経営者である金谷善一郎に、日光を訪れる外国人向けに本格的なホテルが必要となることを助言し、長男・眞一に自身が教える築地の立教学校で英会話を含む英学を学ぶことを薦めた。
森田 小六郎(もりた ころくろう、1877年(明治10年)1… 森田 小六郎(もりた ころくろう、1877年(明治10年)12月8日 - 1956年(昭和31年)10月8日)は、日本の衆議院議員(立憲政友会→中正会→憲政会)。ジャーナリスト。 愛知県愛知郡下之一色村(現在の名古屋市中川区)出身。愛知県立中学校在学中に同盟休校の首謀者として退校処分を受けて上京し、1896年(明治29年)に東京専門学校(現在の早稲田大学)に入学した。1898年(明治31年)、東京帝国大学法科大学選科に移り、高等学校入学卒業資格試験に合格し、本科に編入された。1903年(明治36年)に卒業した後は、東京市役所に入った。 1906年(明治39年)、アメリカ合衆国に渡り、オグデン市の日本雑貨店支配人を経て、サクラメント市で邦字日刊紙『桜府日報』を創刊した。
新井 亀太郎(あらい かめたろう、1875年〈明治8年〉12… 新井 亀太郎(あらい かめたろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1932年〈昭和7年〉11月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 群馬県出身。新井沢次郎の四男として生まれる。群馬県境野小学校、同山田第一高等小学校、錦城商業学校を経て、1896年(明治29年)11月陸軍士官学校(8期)を卒業。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官される。歩兵第16、9、35の各連隊付を経て、1903年(明治36年)陸軍大学校に入学。 日露戦争の勃発に伴い修学を中退、原隊復帰、第一回旅順攻撃(歩兵第35連隊第12中隊長)、第二回攻撃(歩兵第6旅団副官代理)、第三回攻撃及び奉天の会戦(同副官)に参加。 1907年陸軍大学校(第19期)を卒業。
野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12… 野口 米次郎(のぐち よねじろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1947年〈昭和22年〉7月13日)は、明治・大正・昭和前期の英詩人、小説家、評論家、俳句研究者。海外の文芸思潮の紹介に携わり、また海外に日本文化を紹介した。イサム・ノグチの父親。内田魯庵からノーベル文学賞の受賞を待望された。 愛知県海部郡津島町(現・津島市)生まれ。雑貨店を営む父・傳兵衛、母・久己(くわ)の四男として生まれた。10歳で英語を学び始める。 1888年(明治21年)生家を離れ名古屋で英学を学び、ユニオン第四読本、スマイルズ著『自助論』を学ぶ。1889年(明治22年)愛知県尋常中学校(現・愛知県立旭丘高等学校)に入学し、ザ・セカンド・ナショナル読本を学ぶも、1890年(明治23年)2月退学し、四日市から海路で上京、伯父である鵜飼大俊和尚旧居である芝・増上寺の通元院に寄寓し、のち現在の銀座に当たる京橋にあった長兄野口秀之助の知人である磯長宅に寄寓。
瀧川 儀作(たきがわ ぎさく、1874年(明治7年)12月8… 瀧川 儀作(たきがわ ぎさく、1874年(明治7年)12月8日 - 1963年(昭和38年)1月31日)は、日本の実業家、政治家。瀧川辨三の養嗣子。旧姓梶岡。 瀧川辨三が発展させた東洋燐寸株式会社社長を引き継ぎ日本のマッチ王と呼ばれる。 奈良県吉野郡、のちの高見村(現東吉野村)で豪家梶岡源重郎、たみの三男として生まれた。後旧長州豊浦藩藩士瀧川辨三の養子となり、明治32年(1899年)分家す。 明治29年(1896年)大阪商業学校卒業。岳父を助けて幾多の事業に参画。 1918年1月には兵庫県下の28工場を合併して帝国燐寸株式会社を設立、2月には膠州湾租借地に青島燐寸株式会社を設立。神戸商業会議所会頭、神戸日華実業協会長、瀧川学園理事を歴任。
本多 熊太郎(ほんだ くまたろう、明治7年(1874年)12… 本多 熊太郎(ほんだ くまたろう、明治7年(1874年)12月8日 - 昭和23年(1948年)12月18日)は、明治・大正・昭和の外交官、太平洋戦争時の中華民国大使、東條内閣の外交顧問。戦後はA級戦犯容疑者として逮捕された。 和歌山県那賀郡で本多宇兵衛の子として生まれる。東京法学院(中央大学)法科在学中の1894年(明治27年)5月に外務省留学生試験(講習語は中国語)に合格し、同年6月に法学院を中途退学。翌1895年(明治28年)8月に外務省書記生試験(後の外務専門職試験)に合格し外務書記官。同期に中村巍、高橋橘太郎らがいる。1898年(明治31年)、外交官及領事官試験(第7回、後の外交官1種試験)に合格し外交官補となる。
古川 尭道(ふるかわ ぎょうどう、明治5年11月9日(187… 古川 尭道(ふるかわ ぎょうどう、明治5年11月9日(1872年12月8日) - 昭和36年(1961年))は、明治・大正・昭和期の臨済宗の僧。島根県簸川郡出東村の生まれ。出家後しばらくは本名の古川慧訓を通す。号は尭道。室名は毒狼窟。
磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年1… 磯貝 一(いそがい はじめ、1871年12月8日(明治4年10月26日) - 1947年(昭和22年)4月19日)は、日本の柔道家。段位称号は講道館柔道十段、大日本武徳会柔道範士。講道館柔道殿堂。 延岡藩藩士で関口流柔術家にして柔道教士の磯貝恒久の長男として、現在の宮崎県延岡市に生まれる。 1891年(明治24年)上京し講道館に入門する。 1893年(明治26年)京都の第三高等学校の嘱託柔道教師となる。 1899年(明治32年)、大日本武徳会柔道教授に就任。 1913年(大正2年)4月、大日本武徳会柔道範士の称号を授与される。 1923年(大正12年)12月22日、永岡秀一と共に、当時の生存者としては初の十段に昇進した。
五辻 治仲(いつつじ はるなか、1867年12月8日(慶応3… 五辻 治仲(いつつじ はるなか、1867年12月8日(慶応3年11月13日)- 1932年(昭和7年)10月16日)は、明治から昭和期の政治家、実業家、華族。貴族院子爵議員。 山城国京都で大膳大夫・五辻安仲の長男として生まれる。父の死去に伴い、1906年(明治39年)3月22日、子爵を襲爵した。 1894年(明治27年)7月、学習院大学科を卒業。1911年(明治44年)臨時治水調査会委員に就任。その他、大国銀行取締役、高野山電気鉄道監査役などを務めた。 1911年7月10日、貴族院子爵議員に選出され、研究会に所属して活動し、死去するまで4期在任した。
今井 五介(いまい ごすけ、安政6年11月15日(1859年… 今井 五介(いまい ごすけ、安政6年11月15日(1859年12月8日) - 昭和21年(1946年)7月9日)は、日本の実業家、政治家。片倉財閥家出身。片倉兼太郎の実弟。 信濃国諏訪郡三沢村(現長野県岡谷市)の片倉市助の三男に生まれる。藤森桂谷、武居用拙らに学び、1877年(明治10年)今井太郎の養子となる。1886年(明治19年)農商務省の蚕病試験場に入り、一時渡米を経て、片倉組松本製糸所長となる。 1909年(明治42年)松本商業会議所初代会頭、松本電灯社長に就任。1914年(大正3年)には信濃鉄道(現・JR大糸線)の社長に就任し、信濃大町駅-松本駅間を開通させる。また経営難に陥っていた私塾「松本戊戌学校」を支援し、「松本商業学校」として再出発させた。
安立 綱之(あだち つなゆき、1859年12月8日(安政6年… 安立 綱之(あだち つなゆき、1859年12月8日(安政6年11月15日) - 1938年(昭和13年)12月2日)は、日本の内務官僚、政治家。警視総監、貴族院議員。旧名・国分彦七、迫田彦七、安立彦七。1889年6月、綱之と改名。 鹿児島城下城ヶ谷(現在の鹿児島市長田町)に薩摩藩士・国分市郎右衛門の三男として生まれる。明治4年10月(1871年)、長兄・国分友諒に伴われ上京し、共立学舎に入る。明治六年政変により兄・友諒が警察を辞し帰郷したのに同行。1874年5月、二人の兄、友諒、友実と共に台湾出兵に従軍。兄・友実は病死し、同年9月、鹿児島に帰還。1875年、兄・友諒の再度の上京に同行し、共立学舎に復して学んだ。
古川 阪次郎(ふるかわ さかじろう、安政5年11月4日(18… 古川 阪次郎(ふるかわ さかじろう、安政5年11月4日(1858年12月8日) - 昭和16年(1941年)3月2日)は、日本の鉄道官僚。学位は、工学博士。土木学会第9代会長。錦鶏間祗候。 讃岐国塩飽諸島広島 (香川県)(現丸亀市広島町)に山口吉十郎の二男として生まれ、叔父古川庄八(幕府オランダ留学生)の養子となった。1884年(明治17年)、工部大学校を卒業。鉄道局に入り、鉄道作業局八王子出張所所長を務め、笹子トンネルの設計に携わった。日露戦争中は嘱託技師として、東清鉄道南部線の技術運営を担当した。南満州鉄道発足後は鉄道作業局に戻り、鉄道院技師、中部鉄道管理局長、技監、技術部長を歴任した。1913年(大正2年)、鉄道院副総裁に抜擢され、運輸局長も兼ねた。
中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年… 中村 弥六(なかむら やろく、安政元年12月8日〔1855年1月25日〕 - 昭和4年〔1929年〕7月7日)は日本の林学者・農商務官僚・政治家(代議士)。号は「背水」または「背山」で、通称「背水将軍」。 日本初の林学博士の一人で、原敬首相暗殺犯中岡艮一の大叔父(中岡の父・精の叔父)にあたる。歴史学者の中山久四郎元東京文理科大学教授は養子で、その長女二三子は、南洋拓殖社長を務めた下田文一の妻。 信濃国伊那郡高遠城下(現在の長野県伊那市)に儒学者・中村元起(黒水と号す)の二男として生まれる。中村家は代々高遠藩の藩儒の家柄。明治2年(1869年)上京し安井息軒に学んだのち、翌年貢進生として開成学校に入学する。
岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(184… 岩村 高俊(いわむら たかとし、弘化2年11月10日(1845年12月8日)- 明治39年(1906年)1月4日)は、日本の江戸時代後期から明治期の武士(土佐藩士)、官僚、華族である。初名は鉄五郎、のち精一郎。 宿毛領主伊賀家に仕えた岩村英俊(礫水)の三男で、岩村通俊、林有造の弟。位階勲等は従二位、勲二等、男爵。美術評論家・美術史家の岩村透は長男、次男は建築家の竹腰健造。 土佐国幡多郡、のちの宿毛村貝塚(宿毛町を経て現宿毛市)に生まれる。藩校の文武館で蘭学や砲術を学ぶ。慶応3年(1867年)9月に通俊の鉄砲購入に随行して長崎へ行く。ここで監察・佐佐木高行の添え書きを得て11月に上京し、陸援隊に入隊した。
剣持 章行(けんもち あきゆき、旧字体: 劍持章行、1790… 剣持 章行(けんもち あきゆき、旧字体: 劍持章行、1790年12月8日(寛政2年11月3日)- 1871年7月27日(明治4年6月10日))は日本の数学者、和算家。諱は章行。字は成紀。号は豫山または任数堂。通称は要七。後半生は関東各地を遊歴し、香取、海上、印旛、匝瑳、常陸、武州等を中心に、約1000人の門弟を持った。 上野国吾妻郡沢渡(現在の群馬県中之条町)に生まれ、本業は農業。幼いころから数学を好んだ。小野榮重に師事し、1824年(文政7年)には「小野栄重門人 上毛吾妻郡澤渡邑 剣持要七郎章行」として清水寺(高崎市石原町)観音堂に算額を奉納している。1827年(文政10年)栄重から免許皆伝を与えられた。
サイトウユウ(12月8日 - )は、日本の音響監督、舞台プロ… サイトウユウ(12月8日 - )は、日本の音響監督、舞台プロデューサー、映画プロデューサー。 株式会社CHANCE iN(チャンス イン)所属。 ※特記がない限り音響監督としての参加
佳波 芽依(かなみ めい、12月8日 - )は日本の女優、映… 佳波 芽依(かなみ めい、12月8日 - )は日本の女優、映画監督である。愛称はメイ。兵庫県尼崎市出身。前所属劇団はスクエア。
城月 れい(きづき れい、12月8日 - )は、OSK日本歌… 城月 れい(きづき れい、12月8日 - )は、OSK日本歌劇団の娘役スター。新潟県上越市出身。O型 2007年、NewOSK日本歌劇団研修所(当時)入学。85期生。同期に華月奏(男役スター)がいる。 2008年、大阪松竹座で上演された『第五回 レビュー春のおどり』に、舞台実習生として出演。 2009年、OSK日本歌劇団に入団、大阪松竹座『春のおどり』で初舞台。以降、娘役として活動。2012年4月にチェリーガールズ第3期〜第4期メンバーに選出されたほか、8月の『レディレインの肖像 〜フランツその愛〜』では桐生麻耶の相手役であるアンネリーゼ(レディレイン)に抜擢された。 2017年の『Precious Stones』をはじめ、2018年の『巴里のアメリカ人』、第39回・40回たけふレビューなど、ライブから中・大劇場公演のヒロインや娘役筆頭をつとめている。
あべ みずほ(あべ みずほ 、12月8日 - )は日本の歌手… あべ みずほ(あべ みずほ 、12月8日 - )は日本の歌手、女優である。神奈川県平塚市出身。神奈川県立高浜高等学校を卒業[要出典]。 「る南歌のコンテスト」でavex・Sonyよりグランプリを受賞[要出典]。同時にスカウトされ[要出典]、ラジオ出演やバンドボーカルを務めるなど、都内を中心に活動[要出典]。 bare-ベア-2016年、新宿シアターサンモールナディア役 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
大雪 師走(おおゆき しわす、生年未詳・12月8日生)は、日… 大雪 師走(おおゆき しわす、生年未詳・12月8日生)は、日本の女性漫画家、イラストレーター。愛知県名古屋市出身、至学館高等学校卒業、名古屋造形芸術大学卒業。1974年よりハムスターを飼い始め、動物観察漫画の第一人者として知られる。尊敬する漫画家はますむらひろし。