佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は… 佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(捕手)。
10月10日生まれ:328人
佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は… 佐々木 勲(ささき いさお、1937年10月10日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手(捕手)。
塩野 芳彦(しおの よしひこ、1937年 <昭和12年> 1… 塩野 芳彦(しおの よしひこ、1937年 <昭和12年> 10月10日 - 1999年 <平成11年> 9月17日)は、日本の実業家、塩野義製薬株式会社元代表取締役社長。位階は従四位。勲三等旭日中綬章。 1937年10月10日生まれ。兵庫県出身。立教大学卒業。 1961年、塩野義製薬株式会社入社。1982年、同社取締役に就任。1985年同社常務、1987年専務、1990年副社長に就任。 1992年、同社代表取締役社長に就任。1999年死去。死没日付をもって従四位に叙され、勲三等旭日中綬章を追贈された。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 … 立子山 博恒(たつこやま ひろつね、1936年10月10日 ‐ 2006年12月11日)は、日本のアナウンサー。日本放送協会 (NHK)に所属した。 東京都出身。早稲田高等学校、立教大学を卒業後、1959年に入局する。[要出典] バラエティ番組などを多く担当した。 1970年代初めに福岡放送局に勤務、その後管理職に昇格して、1975年頃は室蘭放送局で放送部副部長を務め、新人時代の川端義明を指導した。
小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月1… 小林 清(こばやし きよし、1936年(昭和11年)10月10日 - )は、日本の政治家。元新潟県燕市長(1期)。
熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は… 熊井 英水(くまい ひでみ、1935年10月10日 - )は、日本の水産学者。近畿大学農学部名誉教授、学校法人近畿大学本部理事。農学博士。近畿大学水産研究所元所長。 長野県塩尻市出身。長野県松本深志高等学校を経て、1958年、広島大学水畜産学部を卒業、近畿大学白浜臨海研究所(現・水産研究所)副手に就任。以来、約半世紀にわたり、一貫して魚類の養殖にたずさわる。数々の海産魚の完全養殖に成功したほか、交雑魚の研究でも成果をあげた。1983年同農学部教授。1991年から2008年まで同水産研究所所長。 2002年には、研究チームのリーダーとして、難しいと思われていたクロマグロの完全養殖を成功に導いた。世界初の成果である。
倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10… 倉橋 由美子(くらはし ゆみこ、1935年(昭和10年)10月10日 - 2005年(平成17年)6月10日)は、日本の小説家。本名・熊谷(くまがい)由美子、旧姓・倉橋。明治大学在学中に『パルタイ』を発表して脚光を浴び、その後も『聖少女』『スミヤキストQの冒険』『アマノン国往還記』などを発表。カフカやカミュの影響を受け、日本の女流作家としては稀な抽象的、寓話的作風を示して注目された。 高知県香美郡土佐山田町(現香美市)に歯科医の長女として生まれる。私立土佐高等学校を経て、精神科医を志し公立医学部を受験するが失敗。母が浪人に反対したため京都女子大学国文学学科に籍を置き、医学部を再度受験するが失敗。
小原 宏裕(おはら こうゆう、1935年10月10日 - 2… 小原 宏裕(おはら こうゆう、1935年10月10日 - 2004年2月20日)は、日本の映画監督。 ロマンポルノ映画『檻の中の妖精』(1977年)や『桃尻娘』シリーズ(1978年-1980年)で知られる。日活で最も多才・多産な監督の一人であり、1979年だけで8本もの映画を製作しており、文字通りの没頭さは彼を"ポップアートポルノの王"と呼ばせた。 東京市淀橋区西大久保出身。祖父が日活で監督をしていたことから映画に関心があった。彼は子供の頃に年間200本の映画を見てきたと主張している。1959年に慶応義塾大学法学部を卒業後、衆議院議員の秘書として働いていたが、弁護士試験を受けるよりも松竹の入社試験を受けた。
三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - … 三田村 元(みたむら はじめ 、1935年10月10日 - )は、日本の俳優。本名、村瀬 桂造。旧芸名は村上 文二。 愛知県江南市布袋伝馬町出身。大映、東京俳優生活協同組合、赤坂プロ、日活、アローエンタプライズ、ユーアイプロに所属していた。 実家は村瀬酒造。父親が陸軍軍人であり、各地を転々としていた事情から、幼少時は兄や姉と共に祖父の家で暮らしていたが、問題児であったことを見かねた父親に母親とともに呼び寄せられ、静岡県三島市、千葉県銚子市、千葉県四街道市などで2年間父と過ごした後、愛知に戻り、江南市立布袋小学校入学。負けず嫌いな性格であったことが功を奏し、2年生から卒業までは学年でトップの成績だったとされる。
福積 忠男(ふくづみ ただお、1935年10月10日 - )… 福積 忠男(ふくづみ ただお、1935年10月10日 - )は、日本の実業家である。株式会社長府製作所元代表取締役社長、元会長。 1935年10月10日に山口県に生まれる。1958年3月に明治大学商学部を卒業後、航空自衛隊での勤務を経て、1970年5月に長府製作所に入社する。取締役栃木工場営業部長、取締役栃木工場長、常務取締役を歴任し、1987年3月14日に代表取締役社長に就任。社長在任中は、会長の川上米男の元、首都圏の販売に注力し、1997年11月7日には、東証二部上場を果たした。1997年12月9日に「若返りを図る」という理由で社長を辞任し、代表権のない会長に退いた。翌年の1998年3月27日付で会長職を退任。
今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 … 今藤 政太郎(いまふじ まさたろう、1935年10月10日 - 2026年6月30日)は、日本の長唄三味線奏者、作曲家。重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、日本藝術院賞受賞者でもある。本名は中川 昇一(なかがわ しょういち)。 四世藤舎呂船、藤舎せい子の長男として東京日本橋に生まれる。十世芳村伊四郎、三世今藤長十郎、今藤綾子、山田抄太郎に師事した。 1959年、東京藝術大学音楽学部邦楽科を卒業した。1963年、二世今藤政太郎を襲名した。 大学卒業後は演奏活動と作曲活動を続け、海外公演にも参加した。また、桐朋女子短期大学講師、国立音楽大学講師、国立劇場養成課講師、NHK邦楽技能者育成会講師などを歴任し、2017年からは京都市立芸術大学客員教授を務めている。
岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 … 岩橋 邦枝(いわはし くにえ、女性、1934年10月10日 - 2014年6月11日)は、日本の小説家。本名、根本邦枝。 広島県広島市生まれ。父・岩橋八洲民は植物学者で当時広島文理科大学副手。1945年10歳の時、広島の原爆投下の直前に父の実家のある佐賀県佐賀市へ疎開した。佐賀県立佐賀高等学校(現佐賀県立佐賀西高等学校)から、お茶の水女子大学教育学科に進み、在学中の1954年『婦人公論』の作文選に「水紋」が川端康成の選により掲載、初めて書いた小説「つちくれ」が『文藝』全国学生小説コンクールに当選、1955年『婦人公論』募集の女流小説に「不参加」が入選、1956年「逆光線」が『新女苑』に発表され、女版石原慎太郎としてマスコミが殺到した。
花房 正義(はなぶさ まさよし、1934年10月10日 - … 花房 正義(はなぶさ まさよし、1934年10月10日 - )は、日本の実業家。 岡山県出身。画家を目指して上京するが、才能の限界を感じ、1957年東京経済大学経済学部卒業。大学では山城章ゼミで師事し、以後1993年に山城が死去するまで指導を受け、1972年の山城経営研究所の設立の支援なども行った。 1977年日立クレジット取締役経理部長。1990年東京経済大学理事。1991年日立クレジット代表取締役社長。2000年日立キャピタル代表取締役社長。2001年日立キャピタル代表取締役会長。2003年日立製作所取締役、日立化成工業取締役、2004年東京ガス監査役。2005年度財界賞経営者賞受賞。2006年企業研究会会長。
樫原朗(かしはら あきら、1933年10月10日- )は、日… 樫原朗(かしはら あきら、1933年10月10日- )は、日本の経済学・社会福祉学者、神戸学院大学名誉教授。 大阪府出身。1956年甲南大学経済学部卒、神戸大学大学院経営学研究科博士課程満期退学、90年「イギリス社会保障の史的研究 戦後の社会保障のはじまりから1986年社会保障法へ」で京都大学経済学博士。神戸学院大学経済学部講師、助教授、教授。2006年定年、名誉教授、山口県立大学教授を務めた。
及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は… 及川 馥(おいかわ かおる、1932年10月10日 - )は、日本のフランス文学者。茨城大学名誉教授、弘前大学教授、愛国学園大学教授。専門はフランス文学(近代詩、文芸批評)。 宮城県生まれ。宮城県古川高等学校卒業。1961年、東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。弘前大学、茨城大学を経て、愛国学園大学教授。日本フランス語フランス文学会会員、H.Boco研究会会員。みずから詩も書く。トドロフ、セール、バシュラールなどフランス思想書の数々の翻訳でも知られる。 2011年、瑞宝中綬章受章。
鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10… 鈴木 朝夫(すずき ともお、1932年〈昭和7年〉10月10日 - 2025年〈令和7年〉1月23日)は、日本の材料科学者。東京科学大学名誉教授。学位は工学博士(東京工業大学・1969年)。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。高知工科大学副学長、第44代日本金属学会会長、第41・44・45代高知県公安委員会委員長等を歴任した。 千葉県我孫子市出身。1951年(昭和26年)東京都立国立高等学校卒業。1955年(昭和30年)東京工業大学(現東京科学大学)理工学部金属工学科卒業。1969年(昭和44年)同大学より工学博士の学位を取得。 東京工業大学精密工学研究所助手、東京工業大学精密工学研究所助教授、東京工業大学精密工学研究所教授を経て、1989年(平成元年)東京工業大学工学部金属工学科教授。
大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )… 大隅 和雄(おおすみ かずお、1932年10月10日 - )は、日本の歴史学者、思想史家。専攻は中世思想史(仏教思想)。東京女子大学名誉教授。 1932年、福岡県福岡市生まれ。父大隅芳雄は鉱山学者で、九州帝国大学に勤めていた。戦時中であった1945年4月、全国から理系科目に秀でた生徒を特別に集めた広島高等師範学校附属中学校特別科学教育学級に進学。しかし戦局悪化にともない疎開中、広島へ原子爆弾が投下されたことにより校舎が壊滅し、福岡県立中学修猷館に転校した。 1951年、新制になった福岡県立修猷館高等学校を卒業。 東京大学に進み、1955年に文学部国史科を卒業した。1964年、東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得満期退学。
椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - … 椎原 邦彦(しいはら くにひこ、1932年10月10日 - )は、日本の男性俳優、声優。鹿児島県出身。 1951年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。高校演劇コンクールで優勝し演出賞と演技賞を受けたことをきっかけに新劇入りを決意。1954年、俳優座演劇研究所3期卒業後、三期会(のちの東京演劇アンサンブル)を結成。地方にも巡演して、新劇運動を続けた。 1964年9月、劇団新劇場に加盟し、創作活動に入る。映画やテレビドラマにも出演。その後は劇団歴史座に所属していた 劇団外のマネジメントはグループ・てえぶらを経て、1959年、太平洋テレビジョン芸能部、1960年から東京俳優生活協同組合に所属。
高野 孝(たかの たかし、1932年10月10日 - )は、… 高野 孝(たかの たかし、1932年10月10日 - )は、日本の経営者。野村不動産社長を務めた。 京都府出身。1956年に京都大学法学部を卒業し、同年に野村證券に入社。1978年12月に取締役に就任し、1981年12月に常務、1983年12月に専務、1986年12月に副社長を経て、1987年12月に野村不動産社長に就任。1992年6月に会長に就任し、1995年6月には相談役に就任。
藤代 幸一(ふじしろ こういち、1932年10月10日 - … 藤代 幸一(ふじしろ こういち、1932年10月10日 - 2020年1月14日)は、日本の中世ドイツ文学者、旧・東京都立大学名誉教授。 1932年、東京市築地(現中央区)で生まれた。東京外国語大学ドイツ語科を卒業。大学院は東京都立大学大学院へ進み、1958年に修士課程を修了。 1959年、日本大学講師に就いた。1964年に静岡大学講師に転じ、1967年より東京都立大学助教授となった。1983年に教授昇格。1996年に東京都立大学を定年退官し、名誉教授となった。2020年1月14日、肺炎のため死去。87歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。 幼少時から歌舞伎、落語に親しみ、中世ドイツの笑いのある演劇・文芸を研究した。
泉田 昭(いずた あきら、1931年10月10日 - 202… 泉田 昭(いずた あきら、1931年10月10日 - 2021年9月16日)は、日本の福音派牧師。日本福音同盟初代理事長。日本聖書刊行会常任理事。東京キリスト教学園顧問などを務める。福音主義神学会の創立に関わった。 1931年10月10日に広島県三原市幸崎渡瀬に生まれる。渡瀬小学校時代、浄土真宗の日曜学校に通う。幸崎中学時代に終戦を迎える。広島大学三原分校附属高校に進む。 中央大学法学部に入学し、憲法学者の宮沢俊義、佐藤功から憲法を学ぶ。大学で国際ギデオン協会が配布した『英和対訳聖書』を読み始め、日本基督教団久ヶ原教会に通うようになる。木村清松名誉牧師の説教に感動し、毎週礼拝に通うようになった。
村木 毅(むらき たけし、1931年10月10日 - 201… 村木 毅(むらき たけし、1931年10月10日 - 2010年10月15日 )は日本の医学者(解剖学)、外科医。医学博士。聖マリアンナ医科大学客員教授(解剖学)。臨床漢方医学にも造詣が深く現代漢方医の第一人者とされる。 東京都千代田区出身。1958年東京慈恵会医科大学卒業。同大学第一外科学教室及び解剖学教室を経て、1963年テキサス大学に留学。1964年医学博士(東京慈恵会医科大学)、博士論文の題は 「関東地方日本人環椎の解剖学的研究/関東地方日本人軸椎の解剖学的研究」。 1965年2月横浜市立大学第二外科学教室、1966年4月東邦大学解剖学教室助教授。漢方医学は山田光胤に師事。1969年東京都大田区に村木外科胃腸科を開設。
北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 -… 北川 幸比古(きたがわ さちひこ、1930年10月10日 - 2004年12月25日)は、日本の児童文学作家、翻訳家、編纂家。 のちの東京都立豊多摩高等学校在籍時は中原中也や立原道造などの詩に傾倒し、自ら詩の雑誌を作るなどしていた。同級の友人であった谷川俊太郎は、それに影響され自らも詩作を行うようになった。 1954年に早稲田大学國文科を卒業した。児童雑誌『ぎんのすず』編集部に勤務した。 1956年頃から2年ほど的場書房という出版社を独りで経営していた。的場書房からは谷川の『絵本』(1956年)、寺山修司の第一歌集『空には本』(1958年)などを出版している。 その後、児童文学の道を歩み、1960年代から児童SFを執筆し、のちに詩集の編纂を多く手掛ける。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二… 高千穂 ひづる(たかちほ ひづる、本名:大瀬 郁恵、旧姓:二出川〈にでがわ〉、1930年10月10日- 2016年2月27日)は、日本の元女優。兵庫県出身。愛称は「イクちゃん」。 父はプロ野球審判員を務めた二出川延明。 自著『胡蝶奮戦』(P8)によると、「いろいろな映画の本には、昭和七年生まれと書いてあるそうで、この機会に訂正しておきますね。宝塚歌劇団のときはちゃんと昭和五年生まれになっていたのですが、いつの間にか二歳若くなってしまったようです。」との記述がある。 西宮市立大社小学校を経て、神戸女学院中学部卒業後に宝塚音楽学校に入学。1948年、宝塚歌劇団35期生として宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は46人中3位。
久保 正彰(くぼ まさあき、1930年10月10日 - )は… 久保 正彰(くぼ まさあき、1930年10月10日 - )は、日本の文学研究者(西洋古典学専攻)。勲等は瑞宝重光章。学位は文学修士(東京大学・1957年)。東京大学名誉教授、東北芸術工科大学名誉教授、日本学士院会員。 東京大学教養学部助手、成蹊大学文学部助教授、東京大学教養学部助教授、東京大学文学部教授、東京大学文学部学部長、東北芸術工科大学学長、日本学士院院長、一般社団法人学士会理事長などを歴任した。 日本における西洋古典学の第一人者で、太平洋戦争後、ハーバード大学を卒業し、東京大学の大学院修士課程を修了、東京大学や成蹊大学で教鞭を執った。東京大学文学部では学部長に就き、新設された東北芸術工科大学で初代学長に就任するなど、要職を歴任した。
香坂 信之(こうさか のぶゆき、1930年10月10日 -1… 香坂 信之(こうさか のぶゆき、1930年10月10日 -1992年3月21日)は、元讀賣テレビ放送チーフプロデューサー、ディレクター。広島県出身。 日本大学藝術学部卒業。 1980年から1992年までの12年間、読売テレビ中心で製作された「木曜ゴールデンドラマ」の枠にて、浜木綿子主演の"嫁姑"ものなど最多の108本を演出。 ドラマの世界には現在も「早撮りの香坂」という神話がある。1本を3日で撮った、その3日が自慢で、バレリーナだった妻のお供でモスクワに行った折りに当地の高名な大学教授に撮影日数を聞かれ、待ってましたと「3日です!」と答えたら、妻に思いっきり向こうづねを蹴られてついつい「3ヶ月です」と訂正した、画面にマイクが映ってしまった際に「セリフを拾ってんだから当然だ!」と言ったなどである。
石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 20… 石井 米雄(いしい よねお、1929年10月10日 - 2010年2月12日)は、日本の歴史学者。京都大学名誉教授、神田外語大学名誉教授。文化功労者。専門は東南アジア史、特にタイ王国研究。 1929年、東京生まれ。1945年3月、山形県飽海郡高瀬村(元遊佐町)に疎開。疎開先の酒田中学校で学びつつ、帝国石油の油田で勤労動員に応じた。戦後の1947年東京に戻り、旧制早稲田第一高等学院(1949年学制改革後、早稲田大学に移行)に入学するも、東京工業大学の言語学者小林英夫の言語学講義にのめり込み、その中でその後に学び続けることになるタイ語やラテン語など言語研究やタイ語学者松山納など研究者と出会うことになった。
羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 … 羽仁 進(はに すすむ、1928年〈昭和3年〉10月10日 - )は、日本の映画監督。父は歴史家で参議院議員を務めた羽仁五郎、母は婦人運動家の羽仁説子。母方の祖父母は自由学園創立者の羽仁吉一と羽仁もと子、父方の祖父は第四十銀行創立者の森宗作。妹に音楽教育家の羽仁協子。 祖母の羽仁もと子が創立した自由学園を1947年に卒業後、1年間の共同通信社記者生活を経て、1949年、岩波映画製作所の設立に加わる。最初は岩波写真文庫の編集などに携わり、1952年に厚生省(現・厚生労働省)がスポンサーとなった『生活と水』で監督デビューする。 1955年に公開された記録映画『教室の子供たち』は、授業中の子どもたちの姿をいきいきと活写し、教育映画祭最高賞を受賞するなど絶賛された。
村上 重良(むらかみ しげよし、1928年10月10日 - … 村上 重良(むらかみ しげよし、1928年10月10日 - 1991年2月11日)は、日本の宗教学者。
香山 美子(こうやま よしこ、1928年10月10日 - )… 香山 美子(こうやま よしこ、1928年10月10日 - )は、日本の児童文学作家・絵本作家、詩人。日本児童文学者協会評議委員。 東京都生まれ。旧制金城女子専門学校(現:金城学院大学)国文学科卒。 1963年、『あり子の記』でNHK児童文学奨励賞、日本児童文学者協会賞を受賞。 数多くの創作・詩・絵本などの著書がある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
ルイ・フランセン(仏: Louis Fransen、1928… ルイ・フランセン(仏: Louis Fransen、1928年10月10日 - 2010年4月26日)は、ベルギーの芸術家。 1928年10月10日、ベルギーのアントワープ州に生まれる。子供の頃から美術好きで、中学生になると美術のサークルに参加し、デッサンや油絵を描いていた。高校生に入るとステンドグラスにも関心を持つようになり、近くに住む美術大学の教師に制作を習っていた。このころから外国の文化、芸術への関心を持ち、多くの国を訪ねることを夢見ていた。 ルーヴェン・カトリック大学で哲学と神学を学び、中学校でギリシア語とラテン語の教鞭を2年間とった後、1957年カトリック教会の宣教師として姫路の淳心会に赴任した。
江藤 恭二(えとう きょうじ、1928年10月10日 - 2… 江藤 恭二(えとう きょうじ、1928年10月10日 - 2013年12月25日)は、日本の教育学者。名古屋大学・愛知淑徳大学名誉教授。 静岡県生まれ。東京大学文学部哲学科卒。 野間教育研究所研究員、東京大学助手、九州大学教育学部助手、1960年名古屋大学教育学部助教授、1973年教授。1976-1979年名古屋大学教育学部附属中学校・高等学校校長、1983年教育学部長、1992年定年退官、名誉教授、愛知淑徳大学現代社会学部教授、学部長、2004年退職、名誉教授。
琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 -… 琴ヶ濵 貞雄(ことがはま さだお、1927年10月10日 - 1981年6月7日)は、香川県三豊郡(現在の同県観音寺市)出身(出生地は宮崎県)で佐渡ヶ嶽部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。本名は宇草 貞雄(うくさ さだお)。最高位は東大関。現役時代の体格は177cm、117kg。得意手は左四つ、内掛け、上手投げ。 宮崎県で馬の仲買人の長男として生まれ、後に香川県へ移った。幼い頃から大柄な体格で17歳の時には身長169cmに達した。 高等小学校を卒業すると父親が早世した影響で1944年9月に海軍に志願、その体格から上官に見出され海軍相撲に参加することになった。敗戦により軍が解散すると故郷に帰ったが食うに困らないとの理由で力士になろうと思い、同郷の初代・琴錦を紹介してもらい、二所ノ関部屋に入門した。
井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2… 井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2011年3月18日)は、日本の国文学者。専攻は、中古・中世和歌史。学位は、文学博士(立教大学・論文博士・1966年)(学位論文「中世歌壇史の研究 南北朝期」)。立教大学名誉教授。 東京生まれ。1949年第二早稲田高等学院(文科)修了後、学制改革により早稲田大学第一文学部国文学専修に編入、1951年同学科卒業。1953年早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻修了。1953年早稲田大学高等学院教諭、1962年立教大学専任講師、1965年同大学助教授。1966年「中世歌壇史の研究 南北朝期」で立教大学より文学博士の学位を取得。1971年立教大学教授。
小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 -… 小野 一一郎(おの かずいちろう、1925年10月10日 - 1996年12月7日)は、経済学者。京都大学名誉教授。 大阪市出身。1949年京都帝国大学経済学部卒、大阪市立大学経済研究所に入所。1951年京都大学助手、1956年助教授、1970年教授。1989年定年退官、名誉教授、阪南大学教授。
佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1… 佐藤 雅彦(さとう まさひこ、1925年10月10日 - 1988年3月23日)は、日本の美術史家、陶磁器研究家。東洋美術史、中国、日本の陶磁史を研究。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部芸術学科卒。1951年大阪市立美術館学芸員、学芸課長、1972年京都市立芸術大学教授、1980年学長。北海道立近代美術館館長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - … 小林 重順(こばやし しげのぶ、1925年10月10日 - 2010年5月9日)は、デザイン研究者。 愛媛県今治市に生まれる。旧制広島工業専門学校電気工学科(現広島大学)を卒業後、早稲田大学第二文学部、同大学院で心理学を修了。東洋美術学校、武蔵工業大学講師などを経て、1966年、(株)日本カラーデザイン研究所を創設、代表取締役に就任。1973年以降1997年迄、国際色彩学会で研究発表、国内外の色彩研究者と広く交流を重ねる。1978年、カラーイメージスケール特許公開、1982年、特許認可。論文発表、講演活動、執筆などを通じ、色の見方や配色テクニック、カラーイメージスケールの啓蒙、普及に努める。 2002年日本色彩学会名誉会員に推挙。
菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - … 菅原 信海(すがわら しんかい、1925年10月10日 - 2018年2月11日)は、日本の仏教学者、早稲田大学名誉教授、天台宗僧侶(勧学・大僧正・日光山輪王寺執綱・妙法院門跡門主)。栃木県日光市生まれ。 天台宗庶務部長・教学部長菅原英信の子に生まれる。昭和26年(1951年)、早稲田大学第一文学部東洋哲学専修卒業。同大講師・助教授を経て、昭和47年(1972年)教授。1991年「山王神道の基礎的研究」で大正大学文学博士。早稲田大学仏教青年会第7代会長も務める。 2000年に妙法院門跡に就任し、2001年には坂本・東南寺で戸津説法を務める。 2018年2月11日午前9時25分、転移性肝癌のため栃木県日光市の病院で死去した。
杉浦 竜太郎(すぎうら りゅうたろう、1923年10月10日… 杉浦 竜太郎(すぎうら りゅうたろう、1923年10月10日 - 1994年1月26日)は、茨城県水戸市出身のプロ野球選手。ポジションは投手。 水戸工業から山藤クラブ、社会人野球の熊谷組を経て、1951年に広島カープへ入団した。小柄だがコーナーワークがよく、サイドスローから繰り出すカーブ、シュートを使ってのチェンジオブペースを武器に活躍した。 入団した51年に長谷川良平が中耳炎を患っていたこともあり、新人でありながら異例の開幕投手を任された。杉浦は強力阪神打線をわずか7安打1点に抑えて完投勝利を挙げた。喜びに浸るのも束の間、杉浦は翌日も先発する。その2試合後に救援で登板すると翌日は再び先発するなど、苦しい台所事情の中で大車輪の活躍を見せた。
谷口 恵美子(たにぐち えみこ、1923年(大正12年)10… 谷口 恵美子(たにぐち えみこ、1923年(大正12年)10月10日 - 2023年10月22日)は、日本の宗教家。元生長の家白鳩会総裁。谷口雅春と谷口輝子の長女。 富山県高岡市で生れる。香蘭女学校卒業。1946年、のちに生長の家総裁となる荒地清超(谷口清超)と結婚。 写真撮影を趣味とし、機関誌『生長の家白鳩会』に長く写真を掲載した。また、「母と子のうた」「こどものために」「あかるい窓」「地球の人よ」などの生長の家の聖歌を作詞作曲した。 1979年5月2日、立教五十周年記念白鳩会全国大会が日本武道館で開かれる。恵美子は同大会に登壇し、「議会というのは、日本の国を良くしてゆくために皆が寄り集まって話し合って、立派な日本を築き上げてゆくところであるのに、野党は、与党の言うことにはみんな反対、反対といって演説を聞こうとしない。
北澤 博(きたざわ ひろし、1923年10月10日- 20… 北澤 博(きたざわ ひろし、1923年10月10日- 2007年10月17日)は、日本の経営学者。 長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市)生まれ。昭和23年(1948年)東北大学法学部卒業、三菱電機入社。昭和50年(1975年)経営情報本部情報システム部長、同52年(1977年)情報管理部長、同53年(1978年)三菱総合研究所取締役、同54年(1979年)常務取締役。同63年(1988年)長野大学教授に就任、平成7年(1995年)同学長。 専門は物流と情報システム、ビジネスネットワークシステムなど。昭和61年(1986年)通商産業大臣賞受賞。弟の北沢正啓は、名古屋大学名誉教授・中京大学元学長。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2… 安居 玉一(やすい たまいち、1922年10月10日 - 2002年8月22日)は、昭和時代前期に活躍したプロ野球選手。改姓前は、玉置 玉一(たまき-)。
馬場 和夫(ばば かずお、1922年10月10日 - 201… 馬場 和夫(ばば かずお、1922年10月10日 - 2014年10月1日)は日本の映画プロデューサー。 東京都出身。1944年に慶応義塾大学経済学部を卒業と同時に東宝撮影所製作部へ入社。1959年に製作部長に昇進。1965年に撮影所所長補佐。1969年に製作担当役員補佐などを歴任し1972年に東宝映画専務取締役に就任。 1980年に契約者となり1987年に東宝映画を退職、日本アカデミー賞協会事務局長となる。 2014年10月1日死去、91歳。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10… 川合 勇(かわい いさむ、1922年(大正11年)10月10日 - 没年不明)は日本の実業家。富士重工業代表取締役社長を経て、同社代表取締役会長に就任したが在職中、贈賄容疑で逮捕、起訴され辞任した。 静岡県出身。1945年東京帝国大学工学部卒業。1946年日産自動車入社。日産自動車追浜工場工務部長を経て、1984年取締役に昇格。1985年日産ディーゼル工業代表取締役社長。1990年富士重工業(現SUBARU)代表取締役社長。1996年富士重工業代表取締役会長。 1998年に救難飛行艇開発汚職事件が発覚し、中島洋次郎防衛政務次官に対する贈賄容疑で逮捕、起訴され富士重工業代表取締役会長を辞職した。2006年最高裁判所で上告が棄却され、懲役1年6月、執行猶予3年とした東京高等裁判所の2審判決が確定した。
渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - … 渡辺 武三(わたなべ たけぞう、1922年10月10日 - 1982年4月23日)は、日本の政治家、労働運動家。民社党の衆議院議員(5期)。 愛知県碧海郡依佐美村(現・刈谷市小垣江町)の三州瓦を扱う商家に生まれる。11歳のときに父親を亡くす。1937年、高等小学校を卒業。1938年、豊田自動車工業株式会社に就職。1943年、豊田工科青年学校(現・トヨタ工業学園)を卒業。 徴兵され、中国大陸各地を転戦した。1946年、復員。1948年3月に全日本自動車産業労働組合が結成されると、同組合東海文部の法規対策部長に就任。1955年から挙母市(現・豊田市)議会議員を1期務めた。 1966年9月から1969年8月までトヨタ自工労働組合委員長を務めた。
橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本… 橘 公子(たちばな きみこ、1921年10月10日 - 、本名は豊田喜三子。旧姓・川村)は、日本の女優。
手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )… 手塚 明治(てづか あきはる、1921年10月10日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは三塁手。1956年の登録名は手塚 耀朗(てづか てるお)。
梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2… 梅本 堯夫(うめもと たかお、1921年10月10日 - 2002年9月13日)は、日本の教育心理学者、京都大学名誉教授。 旧制第三高等学校文科乙類を経て、1948年に京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1966年、「音楽心理学の体系的研究」で京都大学より教育学博士の学位を取得。京都大学助教授、教授、1985年、定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授。 1996年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年9月13日、心筋梗塞のため死去。
川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - … 川原 栄峰(かわはら えいほう、1921年10月10日 - 2007年1月23日)は、日本の哲学者。僧侶、早稲田大学名誉教授。主としてハイデッガー哲学を研究した。 徳島県の真言宗の寺に生まれる。1943年早稲田大学文学部哲学科卒業。卒業直後、砲兵隊に入隊。戦後は高野山で修行に励み、そのまま高野山大学の教員となった。1957年早稲田大学法学部に移り、1973年同大学文学部教授。1977年「ハイデッガーの思惟」で早稲田大学文学博士。 1955年頃からドイツへの留学をかさね、カール・ヤスパースやマルティン・ハイデッガーといった人物と交友を持った。ハイデルベルク大学(1956-1957年、1977-1978年)やマインツ大学(1982-1983年)に学ぶ。
鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2… 鈴木 久章(すずき ひさあき、1921年10月10日 - 2012年8月3日)は、日本の経営者。横浜ゴム社長、会長を務めた。東京都出身。 1946年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に橫濱護謨製造(のちの横浜ゴム)に入社。1973年8月に取締役に就任し、1979年3月に常務、1980年3月に専務を経て、1981年3月に社長に就任。1987年3月に会長に就任し、1993年3月に取締役相談役を経て、1995年4月に相談役に就任。 1984年4月に藍綬褒章を受章し、1992年11月に勲二等瑞宝章を受章した。 2012年8月3日、老衰のために死去。90歳没。