池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - … 池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手。 大分商業高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
12月10日生まれ:346人
池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - … 池永 浩之(いけなが ひろゆき、1943年12月10日 - )は、大分県大分市出身の元プロ野球選手。 大分商業高校から1962年に西鉄ライオンズへ入団。1966年に引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )… 村田 秀一(むらた ひでかず、1943年12月10日 - )は、日本の工学者、土木工学者。山口大学名誉教授、工学博士。専門は、地盤工学、岩石力学。 鹿児島県出身。川内市(現薩摩川内市)で育ち、小学6年生の時に鹿児島市へ移る。1962年、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1967年、九州大学工学部土木工学科卒業。大学院で、防災工学的見地から九州南部のシラス地盤を研究し、1969年に九州大学大学院工学研究科土木工学専攻修士課程を修了。同年、鹿児島工業高等専門学校の助手となり、翌年、講師に就く。1974年、鹿児島工業高等専門学校助教授に就任。九州大学研究員として「地山シラスの破壊機構と斜面安定に関する研究」に取り組み、1978年10月3日に工学博士の学位を授与される。
小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は… 小城 得達(おぎ ありたつ、1942年12月10日 - )は、広島県広島市千田町(現・中区)出身の元サッカー選手(FW、MF、DF)・コーチ・監督。 昭和40年代を代表する名選手の1人であり、釜本邦茂・杉山隆一・宮本輝紀と共に当時のスタープレイヤーの一人。現役時代はフォワードもミッドフィルダーもディフェンダーもこなしたオールラウンドプレーヤーで、日本代表として東京五輪およびメキシコ五輪でフル出場を果たし、メキシコでは銅メダル獲得に貢献。 前広島県サッカー協会会長。 実家は材木店を営んでいたが、2歳の夏に爆心地に近い千田町で被爆。倒れた柱と柱が隙間を作り、母と姉と共に助かる。広島大学附属小学校時代はサッカーを楽しむ程度であり、ちょうど広島カープが誕生したため野球が大好きになり、体もひ弱であったため野球に興じる。
柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - … 柏梁 勝雄(はくりょう かつお、1942年12月10日 - 2019年1月16日)は、岩手県気仙郡三陸町(現大船渡市)出身で伊勢ノ海部屋に所属した元大相撲力士。本名は中村 勝男(なかむら かつお)。188cm、110kg。得意技は左四つ、寄り。最高位は西十両3枚目。 子供の時は相撲と野球が好きだったが、1対1で力をぶつけ合う相撲の方に魅力を感じ、高校の担任に相談すると入門を勧められたので、柏戸を慕って伊勢ノ海部屋に手紙を書いてもらって入門を願った。部屋からは「学校を中途退学して上京しろ、1日も早い方が良い」と返事が来たので両親と相談したが、母には「中退するなんていけない事だ」と反対されたが説得し、高校を中途退学して上京した。
坂本 九(、出生名:さかもと ひさし、1941年〈昭和16年… 坂本 九(、出生名:さかもと ひさし、1941年〈昭和16年〉12月10日 - 1985年〈昭和60年〉8月12日)は、日本の歌手、俳優、タレント、司会者。本名、大島 九()。愛称は九ちゃん。 神奈川県川崎市川崎区南町出身。妻は柏木由紀子。柏木との間に娘が2人おり、長女は大島花子、次女は舞坂ゆき子。実祖父は茨城県新治郡田伏村(現在のかすみがうら市)出身の漁師・坂本金吉。またサックス奏者の阿部薫は甥(姉の息子)。 1959年6月に『題名のない唄だけど』でデビューして以来、『上を向いて歩こう』『見上げてごらん夜の星を』『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。
半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )… 半谷 進彦(はんや のぶひこ、1941年12月10日 - )は、元NHKアナウンサー。 愛知県出身。愛知県立明和高校、名古屋大学文学部卒業、1965年入局。初任地は函館。以後、東京アナウンス室、名古屋、広島、長崎、松山などで勤務した。その後、1993年日本語センター専属となる。1998年、日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。NHK職員研修、企業・団体研修等の講師等を務める。
高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )… 高野 公彦(たかの きみひこ、1941年12月10日 - )は、日本の歌人。歌誌「コスモス」編集人、選者。本名は、日賀志康彦。 「コスモス」に入会し、宮柊二に師事。厳選された端正な表現で人生の深奥をうたう。「桟橋」創刊。歌集に『汽水の光』(1976年)、『天泣』(1996年)、『水苑』(2000年)、『河骨川』(2012年)、『流木』(2014年)などがある。 愛媛県喜多郡長浜町(現・大洲市)出身。東京教育大学文学部国文科卒業。1964年、「コスモス」に入会し、宮柊二に師事する。河出書房新社の編集者を26年間務めた後、青山学院女子短期大学国文学科教授。日経歌壇選者(1993年~2004年)、朝日歌壇選者(2004年~)、新潟日報読者文芸選者 、南日本新聞南日歌壇選者。
青柳 一彦(あおやぎ かずひこ、1941年12月10日 - … 青柳 一彦(あおやぎ かずひこ、1941年12月10日 - )は、日本の実業家。東京都出身、武蔵大学経済学部卒。兼松日産農林株式会社代表取締役社長。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
堀 鉄蔵(ほり てつぞう、1941年12月10日 - )は、… 堀 鉄蔵(ほり てつぞう、1941年12月10日 - )は、日本の経営者。名古屋テレビ放送社長を務めた。東京都出身。 1965年に横浜国立大学経済学部を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。2000年6月に全国朝日放送に転じ、顧問と取締役に就任し、2001年6月に常務を経て、2004年6月に名古屋テレビ放送社長に就任。2010年1月に取締役相談役に就任。 2014年11月に旭日中綬章を受章。
福村 三男(ふくむら みつお、1940年〈昭和15年〉12月… 福村 三男(ふくむら みつお、1940年〈昭和15年〉12月10日 - 2023年〈令和5年〉3月15日)は、日本の政治家。元熊本県菊池市長(3期)。位階は正五位。旭日小綬章受章。 熊本県出身。熊本短期大学卒業。卒業後は肥後農販に入社し、その後、同社の取締役となる。のちに熊本設備を設立、同社の社長に就任。この間、熊本県議会議員に当選し、議員を3期務める。 1993年と1997年の菊池市長選挙に続けて立候補するが、落選する。2001年の市長選挙に立候補し、現職を破って当選する。2005年菊池市は菊池郡七城町・旭志村・泗水町と合併し、新たな菊池市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、元市長らを破って当選した。
根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 202… 根岸善雄(ねぎし よしお、1939年12月10日 - 2022年1月16日)は、日本の俳人。 埼玉県羽生市出身。早稲田大学大学院商学研究科修士課程中退[要出典]。水原秋桜子に師事。1973年「馬酔木」同人[要出典]。公益社団法人俳人協会名誉会員[要出典]。
遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )… 遠山 敦子(とおやま あつこ、1938年12月10日 - )は、日本の文部官僚。財団法人新国立劇場運営財団顧問。公益財団法人トヨタ財団理事長。公益財団法人パナソニック教育財団理事長。財団法人日本いけばな芸術協会会長。日本・トルコ協会副会長。2007年6月に株式会社NHKエンタープライズの社外取締役、2008年6月には株式会社電通の監査役にも就任している。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会評議員。
酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は… 酒井 武史(さかい たけし、1938年12月10日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。武照舎創業者であり、のち休眠中の創土社を買収し、同社代表取締役を務めた。 1961年一橋大学卒業。大学在学中は、宮崎省吾、川岸近衛、平尾光司、飯沼健真らと学生運動に参加した。朝日新聞社記者を経て、1990年武照舎を設立し、大学の先輩である二瓶一郎が社長を務めていた新評論に委託する形で人文書の出版などを行った。2001年二瓶の新評論社長退任に伴い、休眠会社の創土社を買収し同社代表取締役に就任。出版不況が続く中、フェイスとの業務提携を行うなどし、版権を保有する人気ゲームブックの再販を進めるなどした。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月1… 古城 武司(こしろ たけし、1938年〈昭和13年〉12月10日 - 2006年〈平成18年〉2月8日)は、日本の元漫画家。広島県呉市(旧・豊田郡)安浦町三津口出身。 1958年に上京。同年、講談社の雑誌『なかよし』夏の増刊号掲載『二つのうそ』でデビュー。1959年、同誌に『ぶどう園の歌』を発表。1960年、『なかよし』で『花の子マリ』連載。吉田竜夫のアシスタントも務めていた。 1966年に妹が結婚して、漫画家の望月三起也と姻戚になる。 1970年代には『超人バロム・1』、『流星人間ゾーン』、『勇者ライディーン』、『伝説巨神イデオン』などのコミカライズで活躍。集英社の伝記物の学習漫画も手掛けた。
小林 兵太郎(こばやし ひょうたろう、1936年12月10日… 小林 兵太郎(こばやし ひょうたろう、1936年12月10日 - 2022年8月30日[要出典])は、大阪府出身のプロ野球選手。 関西大倉高校から青山学院大学を経て1959年に大洋ホエールズへ入団。
木下 豊房(きのした とよふさ、1936年12月10日 - … 木下 豊房(きのした とよふさ、1936年12月10日 - 2025年2月26日)は、日本のロシア文学者、比較文学者。千葉大学名誉教授。ドストエーフスキイの会前代表。国際ドストエフスキー学会(IDS)元副会長。 長崎市生まれ。早稲田大学大学院文学研究科博士課程(露文専攻)修了。千葉大学教養部教授、文学部教授を経て2002年定年退官、名誉教授。ドストエフスキー、および日本におけるドストエフスキー受容に関して研究。2000年8月、千葉大学国際ドストエフスキー研究集会「ドストエフスキーの眼で見た21世紀人類の将来」を主宰。 亀山郁夫の新訳『カラマーゾフの兄弟』について誤訳が多いことの指摘の他に、亀山著のドストエフスキー論に見られる作家像の恣意的な解釈、歪曲について批判している。
寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12… 寺山 修司(てらやま しゅうじ、1935年〈昭和10年〉12月10日 - 1983年〈昭和58年〉5月4日)は、日本の歌人・劇作家。演劇実験室を標榜した前衛演劇グループ「天井桟敷」主宰。 「言葉の錬金術師」「アングラ演劇・四天王のひとり」「昭和の啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の文芸作品を発表した。競馬への造詣も深く、競走馬の馬主になるほどであった。 1935年(昭和10年)12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務の特高警察刑事を務めていた。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の九條今日子によると、青森県弘前市紺屋町生まれとされ、戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。
山尾 幸久(やまお ゆきひさ、1935年12月10日 - 2… 山尾 幸久(やまお ゆきひさ、1935年12月10日 - 2021年11月4日)は、日本の歴史学者。専門は日本古代史。立命館大学名誉教授。 旧満洲撫順出身。後に、満洲での中国人との関わりや引き揚げ体験の記憶が、自らの歴史観に大きく影響していたと回顧している。 1962年、立命館大学二部(夜間)文学部日本文学専攻に入学。中国文学専攻の白川静の授業を受講して学問に目覚めた。北山茂夫と出会ったことにより日本古代史を志し、一部(昼間)文学部日本史学専攻に転籍した。卒業論文は「魏志倭人伝の史料批判」で、『立命館文学』267号(1967年)に掲載された。 大学院修士課程に進学し、1969年に立命館大学文学部助手となった。
池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、… 池田 幾三(いけだ いくぞう、1935年12月10日 - 、本名同じ)は、大阪府堺市出身の放送作家・ラジオパーソナリティー。新野新と「ペン企画」主宰。B型。既婚、1男1女あり。兵庫県西宮市在住。 滋賀県近江八幡市生まれ。父は菓子屋でパンを売っていた。大阪府堺市浜寺公園の海辺で1歳から約40年を暮らす。浜寺水練学校出身。浜寺昭和小学校、浜寺中学校、大阪府立三国丘高校(6期)卒業。1954年4月、早稲田大学文学部演劇科入学。印南高一ゼミに所属。1959年3月、卒業。映画の脚本家を目指し松竹大船撮影所での入社試験を受け、大島渚の助監督になる予定が、試験当日に寝過ごしてしまい映画を諦める。印南にテレビの構成放送作家を薦められ、1959年4月に東宝テレビ部入社。
楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 … 楠部 大吉郎(くすべ だいきちろう、1934年12月10日 - 2005年8月27日)は、日本の男性アニメーター。シンエイ動画株式会社創立者・前会長。旧・満洲国生まれ、群馬県沼田市出身。シンエイ動画2代目社長の楠部三吉郎は実弟。楠部工、楠部文は子。 満洲国に生まれる。戦後引き揚げて群馬県沼田市に住む。群馬県立沼田高等学校を卒業。彫刻家を志望し、東京芸術大学を3度受験したが合格できず、断念する。1957年に漫画を書き光文社の『少年』に持ち込みをする。光文社との打ち合わせで東映動画設立の話を聞き、完成したばかりの大泉スタジオを訪ねる。そこで山本早苗と面談し、アニメーター募集に応募することを決める。同社の第1回目の一般公募で入社。
山口 わか子(やまぐち わかこ、1934年12月10日 - … 山口 わか子(やまぐち わかこ、1934年12月10日 - )は、日本の政治家、保健師。長野県出身。元衆議院議員(1期)。祖父は衆議院議員、松本市長を務めた百瀬渡。 信州大学付属高等看護学校、長野県保健婦専門学院卒業。 1957年、豊科町役場に保健婦として奉職する。同学校給食センター所長、学校教育課長、住民課長、総務課長を歴任し、1995年に同町の収入役(女性の就任は長野県では初)となる。 2000年の第42回衆議院議員総選挙で長野2区から社会民主党公認で立候補し小選挙区では落選したが、重複立候補していた比例北陸信越ブロックで復活当選、1期務める。 2003年の第43回衆議院議員総選挙では再選を目指して長野2区から社民党公認で立候補したが落選し、重複立候補の比例北陸信越ブロックでも議席に届かなかった。
牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日… 牧野 洋(まきの ひろし、1933年(昭和8年)12月10日 - 2021年10月5日)は、日本の機構学、ロボット工学の研究者、技術者。技術士(機械部門)、工学博士(東京大学)。山梨大学名誉教授、自動化推進協会名誉会長で、牧野オートメーション研究所代表。ロボット殿堂入りした組み立て用産業用ロボット「SCARA(スカラ)」の開発者で、カムやロボットなどの機構解析でも顕著な業績を挙げている。 山梨大学教授、同 地域共同開発研究センター長、精密工学会自動組立専門委員会委員長、自動化推進協会会長などを歴任。「牧野の平面三角法」「牧野座標系」「牧野機構学」など、名前を冠する用語もある。1985年エンゲルバーガー賞、アセア・ゴールデンロボット賞、2013年瑞宝中綬章。
辻 宏(つじ ひろし、1933年12月10日 - 2005年… 辻 宏(つじ ひろし、1933年12月10日 - 2005年12月22日)は、愛知県春日井市出身のパイプオルガン建造家。オルガン奏者。ピストイア名誉市民。妻は翻訳家の辻紀子(つじ としこ)。
宮崎 一夫(みやざき かずお、1932年12月10日 - 2… 宮崎 一夫(みやざき かずお、1932年12月10日 - 2016年3月24日)は、神奈川県逗子市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 逗子開成高卒業後はコロムビアを経て、1952年に毎日オリオンズへ入団。 毎日ではオーバースローから投げるカーブ・シュートを武器とし、4年間で21勝をマーク。先発・リリーフ両面で活躍した一方で別当薫監督とは反りが合わず、エースの荒巻淳を優遇する投手起用方針に対して意見するなど言い争うことがあったため、1955年も4勝1敗・防御率2.19と好成績を挙げながら、シーズンオフに解雇通告を受ける。 毎日球団からは大洋への移籍を勧められるが、宮崎はパ・リーグに残って毎日を倒したい気持ちから断り、解雇通知を受けた有楽町の毎日球団事務所からその足で銀座の高橋ユニオンズ球団事務所に行き、すぐに入団交渉を行い、そのまま仮契約を結んだ 1956年3月25日の毎日戦に志願先発するが、3回3失点と打ち込まれて敗戦投手になる。
青木 栄一(あおき えいいち、1932年12月10日 - 2… 青木 栄一(あおき えいいち、1932年12月10日 - 2020年5月4日)は、日本の地理学者。理学博士。歴史地理学会会長(2002年 - 2005年)。専門は文化地理学、交通地理学、地図情報論、交通情報論、産業考古学。研究テーマは地域社会を通じての鉄道の歴史地理学、シーパワーの政治地理学、及び海事史。東京学芸大学名誉教授。 鉄道ファンとして知られる。またそれを個人的趣味にとどめることなく、主にアマチュアである鉄道ファンによって支えられてきた鉄道分野の研究を、文化地理学の一環として認知・昇華させるべく活動している。 東京市品川区生まれ。父がサラリーマンだった関係で、小学校時代に東京市から中津川、苫小牧と二度転校。
関口 欣也(せきぐち きんや、1932年(昭和7年)12月1… 関口 欣也(せきぐち きんや、1932年(昭和7年)12月10日 - 2020年(令和2年)5月24日)は、日本の建築史家。横浜国立大学名誉教授。中世禅宗寺院の建築に造詣が深い。
土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 200… 土田 浩(つちだ ひろし、1931年12月10日 - 2009年8月28日)は、日本の政治家・酪農家。満洲出身。酪農学園短期大学通信課程卒。青森県六ヶ所村村長(1989年-1997年)。 山形県立酒田東高等学校卒業後、18歳で青森県上北郡六ヶ所村の「庄内地区」に入植。酪農業を手がけ、青森県酪農協会連合会会長や庄内酪農協同組合理事長も務めた。1975年から六ヶ所村村議会議員を連続4期務め、1989年に核燃料サイクル施設の工事凍結を公約に六ヶ所村長選挙に無所属で出馬し六ヶ所村長に初当選。以後連続2期8年を務めた。村長就任後は、使用済み核燃料再処理工場など核燃料サイクル事業推進へ方針転換し、ITER(国際熱核融合実験炉)の誘致にも関わった。
篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は… 篠原 眞(しのはら まこと、1931年12月10日 - )は日本の現代音楽の作曲家。大阪府出身。主としてオランダのユトレヒト在住だが東京と京都にも住まいがある。
池田 温(いけだ おん、1931年12月10日 - 2023… 池田 温(いけだ おん、1931年12月10日 - 2023年12月11日)は、日本の東洋史学者。専攻は、中国古代・中世史。東京大学名誉教授。 1931年、静岡県で生まれた。1950年、東京大学文学部に入学。東洋史学科で学び、1954年に卒業論文『楊堅の出自』を提出して卒業。同大学大学院に進学し、西嶋定生、山本達郎に師事した。修士課程を修士論文『唐代均田制の一考察:その施行の実態を中心として』を提出して修了。1961年に博士課程を中退。 1961年11月、東京大学文学部助手に採用された。1964年、北海道大学文学部助教授に就いた。1971年より東京大学東洋文化研究所助教授となり、1976年に教授昇格。
髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は… 髙田 次郎(たかだ じろう、1931年12月10日 - )は、日本の喜劇俳優。 兵庫県神戸市出身。松竹新喜劇所属。 兵庫県神戸市に生まれる。立命館大学卒業後、「神戸道化座」、「松竹新春座」を経て、1957年「松竹家庭劇」旗揚げに参加する。1967年から、松竹芸能に席をおき、テレビドラマを中心に活動する。 その後、花登筺主宰の「劇団喜劇」を経て、1982年から「松竹新喜劇」に所属して舞台を中心に活動中。2014年には食道癌を患い、7月に出演予定だった新橋演舞場公演を降板したが、同年9月の大阪松竹座公演「道頓堀パラダイス」で復帰している。2018年、第44回菊田一夫演劇賞特別賞を受賞した。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。
石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 -… 石本 隆一(いしもと りゅういち、1930年12月10日 - 2010年3月31日)は、日本の歌人。 東京市芝区白金志田町の鉄工場の家に生まれる。戦時中は茨城県樺穂村に疎開した。茨城県立真壁高等学校を卒業後、中学校助教諭を経て早稲田大学第一文学部英文科卒。専攻はイギリス演劇。在学中に香川進主宰の歌誌『地中海』に参加する。大学院進学後、早稲田大学短歌会に入会。同じく会員であった小野茂樹を『地中海』に導いた。 大学院を中退後、東京商業高等学校教諭を経て1964年に角川書店に入社。「短歌」編集部に勤務する。同年、第一歌集『木馬騎士』を刊行し、第9回現代歌人協会賞候補となる。1971年、第二歌集『星気流』で第18回日本歌人クラブ推薦歌集(後の日本歌人クラブ賞)に選ばれる。
鈴木 隆(すずき たかし、1930年12月10日 - )は、… 鈴木 隆(すずき たかし、1930年12月10日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)。 愛知県立岡崎商業高等学校から1949年に中日ドラゴンズに入団。2リーグ制となった1950年に一軍初出場を果たす。1951年は一軍出場はなかったが、1952年は75試合に出場した。しかし、目立った成績を残せず、1952年限りで現役引退。
宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - … 宮下 健三(みやした けんぞう、1930年12月10日 - )は、ドイツ文学者、宇都宮大学名誉教授。 北海道小樽市生まれ。1953年北海道大学独文科卒。北大講師、1965年金沢大学助教授、1970年宇都宮大学助教授、教授、1996年定年退官、名誉教授。
越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2… 越森 幸夫(こしもり ゆきお 1930年12月10日 - 2005年2月28日)は、日本の政治家。奥尻町の町長。 北海道の奥尻町で生まれる。北海道函館工業高等学校を中退。その後、1959年4月に、奥尻町議会議員となり、4期を務めた。1967年から1975年まで町議会の副議長を務め、1975年に奥尻町長になり、2001年まで7期、22年間務めた。在職中の1993年に北海道南西沖地震に遭遇し、復興に尽力した。 2001年に発注工事において収賄および競売入札妨害をした容疑のため逮捕された。これを受け、2001年3月18日に、鴈原徹が町長になった。2004年に札幌高等裁判所で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
窪田 篤人(くぼた あつんど、1929年12月10日 - 1… 窪田 篤人(くぼた あつんど、1929年12月10日 - 1998年5月16日)は、日本の脚本家。東京都出身。趣味は旅行。所属団体は日本放送作家協会、日本脚本家連盟 少年時代は現在の浜松市へ疎開して暮らす。1947年に浜松一中(現・静岡県立浜松北高等学校)を卒業後、東京の大学を受験するも失敗、ぶらぶらしながら小説家になろうか、映画監督になろうかと思っていた1948年、ふと新宿を通りかかって目についたという劇団ムーラン・ルージュ文芸部に入り、処女作「桃色の宿題」を発表。解散後は脚本家として活動。脚本家として駆け出してしばらくは映画監督の川島雄三が経済的な面倒をみて、ムーラン・ルージュ時代の師匠でもあった中江良夫が大映のプロット作家を紹介してくれた。
井手 至(いで いたる、1929年12月10日 - 2017… 井手 至(いで いたる、1929年12月10日 - 2017年4月22日[要出典])は、日本の国語学者・国文学者。大阪市立大学名誉教授。専門は『万葉集』。 愛媛県出身。1952年京都大学文学部国文科卒、同大学院修士課程修了。大阪市立大学助教授、教授、1975年「萬葉集用語・用字の研究」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。1991年定年退官、名誉教授、京都女子大学教授。2000年退職。
稲垣 俊(いながき しゅん、1929年12月10日 - )は… 稲垣 俊(いながき しゅん、1929年12月10日 - )は日本の映画監督、脚本家。本名は稲垣公一。東京都出身。 1954年に東京大学文学部社会学科を卒業と同時に松竹大船撮影所演出部に入社し助監督として小林正樹監督につく。1966年に松竹と契約し1967年からフリーとなり稲垣俊のペンネームで活躍。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、… 二瓶 敏(にへい さとし、1929年12月10日 - )は、マルクス経済学者。元専修大学経済学部教授、専修大学社会科学研究所所員。 横浜市生まれ。兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)および台北で育つ。1944年秋に日本に引き揚げ、福島県の旧制会津中学校に転校した。1945年江田島の海軍兵学校に入学した。敗戦後に会津中学校の4年生に復帰した。1947年、旧制浦和高等学校に入学した。1949年に落第および旧制高校廃止により中退し、東京大学教養学部文科2類に入学した。日本共産党に入党した。学生自治会結成と同時に副委員長を務めた。1950年夏より全学連書記局を務めた。「50年問題」では国際派に所属する。
小山 晃佑(こやま こうすけ、英: kosuke koyam… 小山 晃佑(こやま こうすけ、英: kosuke koyama、1929年12月10日 - 2009年3月25日)は、日本で生まれたアメリカ合衆国の牧師、宣教師、神学者。 東京府生まれ。1952年日本基督教神学専門学校(現在の東京神学大学)卒業。在学中、北森嘉蔵教授に師事。日本基督教団の補教師となる。1954年米国・ドルウ神学大学卒。1959年米国・プリンストン神学大学大学院にて神学博士。 1960年から1968年まで、日本基督教団宣教師としてタイ国チェンマイ神学校にて教える。1961年、タイ王国キリスト教会牧師として按手を受ける。1968~1974年シンガポール・東南アジア神学大学院(ATESEA、現在はフィリピン)学長を務め、1974年ニュージーランド・オタゴ大学神学部教授、1981年米国・ニューヨーク・ユニオン神学大学エキュメニックス(英: Ecumenics)教授、1996年退任。
阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 200… 阿部 克自(あべ かつじ、1929年12月10日 - 2008年9月17日)は、ジャズ・フォトグラファー。 東京・早稲田出身。1940年に紀元2600年全国児童絵画展で文部大臣賞銀賞を受賞。 1945年に海軍兵学校に入校(78期)。この時期に米軍の英語放送を聴き、ジャズの魅力にはまる。 その後、1948年に旧制早稲田中学校卒業、1951年に旧制早稲田大学卒業。 翌1952年にはBOAC(英国海外航空会社:現在のブリティッシュ・エアウェイズの前身会社)に就職。 1953年頃よりレコード・ジャケットのデザインと写真をメインに活動。また、ジャズのDJとしてラジオ番組を持つことになった。 1960年初頭からカヴァー・アートの研究のため渡米するようになり、ニューヨークを拠点に活動を始める。
井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 20… 井上 昭(いのうえ あきら、1928年12月10日 - 2022年1月9日)は、日本の映画監督。京都府出身。京都商業学校を経て、同志社大学文学部英文科卒業。 1950年、大映京都撮影所に入社、助監督となる。同期には土井茂、黒田義之、池広一夫らがいる。 助監督として溝口健二、森一生、吉村公三郎らについた。井上は森から映画を撮るテクニックを、溝口から「形而上学的な情念の世界」を学んだと述べている。1960年に『幽霊小判』で監督としてデビュー。井上によるとこの作品は『悪魔のような女』を時代劇にアレンジしたものだという。監督デビュー以降も『大菩薩峠』、『釈迦』では助監督を務めた。大映在籍中に21本の作品で監督を務めた。
塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2… 塚田 新市(つかだ しんいち、1928年12月10日 - 2004年10月3日)は日本の政治家。鹿児島県串木野市長(6期)。串木野市名誉市民。 鹿児島県串木野市下名(現いちき串木野市)出身。串木野の尋常高等小学校を1929年に卒業した後、大阪で鋳物工場の給仕や夜学の教師として働きながら苦学。1933年関西大学第二商業科卒業。1941年関西大学法文学部法律学科(現関西大学法学部)卒業。関大法科卒業後は東京に移り、築地本願寺近くの織物統制会社に就職。1944年5月、鹿児島県庁に入職。鹿児島県職業指導主事補(1944年)、地方事務官鹿児島県勤務(1946年)、鹿児島県議会事務局庶務課長(1951年)、調査課長(1955年)、鹿児島県民生労働部労政課長(1958年11月)、農政部農業経済課長(1963年5月)、衛生部医務課長(1965年)、鹿児島県監査委員事務局長(1967年6月)を経て、1968年7月より鹿児島県民生労働部長。
鎌田 茂雄(かまた しげお、道号:梅嶺、1927年12月10… 鎌田 茂雄(かまた しげお、道号:梅嶺、1927年12月10日 - 2001年5月12日)は、日本の仏教学者。中国仏教史研究に多大な業績がある。学位は、文学博士。東京大学名誉教授。僧名は慧忍。 1927年、神奈川県鎌倉市に生まれた。陸軍幼年学校に入学し、1945年に卒業。陸軍士官学校に進むが、終戦により中途退学。退学後は駒澤大学予科に編入した。 駒澤大学予科に編入後、円覚寺で参禅。1948年、駒澤大学予科を卒業し、同大学文学部仏教学科に進んだ。1951年に卒業し、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程に進んだ。華厳学を専攻し、1955年に修士課程を修了。1958年、博士後期課程を満期修了。
佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1927年 <昭和2年… 佐藤 昌一郎(さとう しょういちろう、1927年 <昭和2年> 12月10日 - 2010年 <平成22年> 8月25日)は、日本の政治家。元山形県村山市長(5期)。位階は従四位。勲四等旭日小綬章。 山形県出身。1951年、東北大学農業経営学科卒。NHKに入り、報道部勤務を経て、宮崎、山形の各放送局長、中央研究所教授を務める。1980年の第12回参議院議員通常選挙において山形県選挙区から野党系候補として無所属で立候補したが落選した。1982年に村山市長選挙に立候補して初当選し、5期務めた。2010年死去。死没日付をもって従四位に叙された。
阿部 明子(あべ あかし、女性、1927年12月10日 - … 阿部 明子(あべ あかし、女性、1927年12月10日 - 2018年2月28日)は、日本の育児学者、東京家政大学名誉教授。 東京出身、旧満洲(中国東北部)生まれ。旧姓・小田島。英文学者の小田島雄志は弟、エッセイストの松村紀代子は妹。 日本女子大学家政学部児童学科卒業、同大学院修士課程修了、東京家政大学短期大学部講師、助教授、教授、1998年東京家政大学名誉教授。 2018年2月28日午後、多臓器不全のため、東京都目黒区の病院で死去。90歳没。
梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - … 梅田 昌志郎(うめだ よしろう、1927年12月10日 - )は、英文学者、作家。本名は芳朗。 札幌市生まれ。1951年(昭和26年)北海道大学卒、1960年「海と死者」で中央公論新人賞受賞。文化学院や法政大学講師を務め、英文学などの翻訳がいくつかある。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - … 大山 智弥子(おおやま ちやこ、1926年12月10日 - 2006年6月6日)は、元極真会館大山派館長。旧姓:藤巻 照子(ふじまき てるこ)。東京市日本橋区(現・東京都中央区日本橋)出身。夫は極真会館創始者の大山倍達。娘は3人おり、三女は大山喜久子。弟は俳優の藤巻潤。 1946年6月、大山倍達と結婚。旧名は「照子」、結婚後「置弥子(のちに智弥子)」と改名。倍達存命時は極真会館の事務長を務めた。 1994年、大山倍達の死後に極真は分裂。翌年2月に高木薫ら5人の支部長とともに大山智弥子未亡人を館長とし遺族派を結成する。 1995年4月、遺族派と支部長協議会派が合流し、大山派館長に就任。しかし1998年には大山派館長を辞任し、大山智弥子を含む旧遺族派は極真会館 宗家として、旧支部長協議会派は新極真会として再分裂した。
清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1… 清水 照久(しみず てるひさ、1925年12月10日 - 1987年2月22日)は、日本の経営者、工学博士。富士電機社長、会長を務めた。 兵庫県出身。1948年に京都大学工学部を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1974年11月に取締役に就任し、1976年1月に常務、1979年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任し、1986年6月に社長に昇格。 1983年4月に藍綬褒章を受章。 1987年2月22日急性心不全のために死去。61歳没。
大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2… 大谷 杉郎(おおたに すぎお、1925年12月10日 - 2010年7月1日)は日本の化学者、工学博士。 1962年より群馬大学工学部教授。1991年より東海大学開発工学部教授、群馬大学名誉教授。コールタールピッチや石油ピッチを原料とする、ピッチ系炭素繊維を発明したことで知られる。 専門は炭素材料の研究で、炭素化過程の基礎研究と新材料開発に従事した。 1963年、ピッチを原料にして炭素繊維を作ることに成功。1969年には、ピッチを熱処理して得られるメゾフェーズ・ピッチを原料に用いると性能の高い炭素繊維が得られることを発見し、ピッチ系メゾフェーズ炭素繊維を発明した。これを受けて1970年には呉羽化学工業株式会社(現・株式会社クレハ)がピッチ系炭素繊維(等方性)の生産を開始している。
武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月… 武井 正直(たけい まさなお、1925年(大正14年)12月10日 - 2012年(平成24年)2月3日)は、日本の銀行家。日本銀行考査局次長および北洋銀行頭取などを歴任した。 山梨県に生まれる。陸軍予科士官学校卒業後、満州国に赴任する。戦後の一時期は鳥取県で農協に就職するがやがて慶應義塾大学法学部に進学し、1950年に卒業する。 大学卒業後は日本銀行に就職し、市中銀行の経営状態を調べる部門である考査局に通算17年勤め、考査局次長にまで昇進した。 1978年6月、北洋相互銀行専務に就き、1980年の同社副社長就任を経て、1982年6月に社長となる。1989年2月には、北洋相互銀行が普通銀行の「北洋銀行」となるのに伴い、初代頭取となる。