澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 20… 澤田 幸弘(さわだ ゆきひろ、1933年1月15日 - 2022年9月21日)は、日本の映画監督。 神奈川県横浜市出身。1956年、中央大学経済学部卒業。 横浜市立横浜商業高等学校卒業後、1年間の銀行勤務を経て中央大学経済学部に入学。在学中の三年時には東京児童劇団に裏方として参加。卒業後の1956年、日活に入社。鈴木清順、斎藤武市らに師事し、長い間の助監督を経て、1970年、渡哲也主演映画『斬り込み』で監督デビューした。 長谷部安春、小澤啓一、藤田敏八らとともに日活ニューアクション路線を大きく支えた。日活がロマンポルノ製作をメインにしてからも、松田優作主演『あばよダチ公』、『高校大パニック』などの一般向け映画から、福祉・家族向け映画も手掛け、1974年の『ともだち』は翌年のベオグラード国際児童映画祭にてグランプリ(ユニセフ大賞)を受賞した。
小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、… 小島 康男(こじま やすお、1933年1月15日 - )は、日本の男性声優、俳優。奈良県出身。『W3』のノッコ役で知られる。 日本大学卒業後、東宝芸能学校演技科を経て、東宝劇団に所属。『恋すれど恋すれど物語』が初舞台。その後、シバプロ、鷹の会を経て、1969年4月、六芸社に所属。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は… 脇村 春夫(わきむら はるお、1932年1月15日 - )は、日本の実業家、元アマチュア野球選手。第5代日本高等学校野球連盟会長(2002年11月 - 2008年11月)。現在は、公益財団法人脇村奨学会代表理事。博士(経済学)(大阪大学)。 脇村禮次郎と祐子(正田貞一郎の三女)との子として東京府東京市小石川区(現:東京都文京区)に生まれる。祖父は田辺市名誉市民・脇村市太郎、正田貞一郎。おじに経済学者・脇村義太郎、鉱物学者・正田篤五郎、数学者・正田建次郎がいる。上皇后美智子の従兄にあたる。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2… 治山 正次(はるやま しょうじ、1932年1月15日 - 2022年12月17日)は、日本の経営者。はるやま商事の創業者。岡山県出身。 1954年に大阪市立大学を卒業。 1955年、玉野市に前身となるはるやま洋服店を創業。1973年にはるやま商事を設立して社長に就任。1978年、倉敷市の幹線道路沿いに初めて郊外型の店舗を出店し、1988年には岡山市内に大型店をオープン。以降、全国の主要幹線道路沿いに店舗を展開し、紳士服大手企業として発展させた。2003年6月に社長職を息子の正史に譲り、2009年まで代表取締役会長を務めた。2009年からは名誉会長に就任。 その後、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大よる経営不振を理由に、2020年の株主総会で大株主である長女とともに正史ら経営陣の退任を要求。
伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 20… 伊藤 豊章(いとう とよあき、1932年1月15日 - 2001年11月6日)は、日本の経営者。NTN社長を務めた。山口県萩市出身。 1956年に関西学院大学経済学部を卒業し、同年に東洋ベアリング製造(のちのNTN)に入社。 1987年6月に取締役に就任し、1990年6月に常務、1994年4月に専務を経て、1995年6月には社長に就任。 1999年11月に藍綬褒章を受章。 2001年11月6日冠不全のために在任中に死去。70歳没。
谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2… 谷村 啓介(たにむら けいすけ、1932年1月15日 - 2017年2月21日)は、日本の政治家。日本社会党衆議院議員(1期)。 岡山県高梁市出身。1954年同志社大学経済学部卒。新聞記者、岡山市議会議員を経て、1967年より岡山県議会議員を6期務める。1990年の総選挙で旧岡山1区から立候補して初当選。1993年の総選挙で落選した。 2017年2月21日、多臓器不全のため、死去した。85歳没。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - … 劍龍 猛虎(けんりゅう たけとら、1932年1月15日 - 1998年1月25日)は、時津風部屋に所属した元力士。元関脇・巨砲丈士の実父。本名は松本 隆一(まつもと りゅういち)。現在の福岡県嘉麻市出身。168cm、81kg。最高位は東十両筆頭。得意技は左四つ、下手投げ。 1947年6月場所に初土俵。1953年3月場所に十両昇進。1955年5月場所は東十両筆頭まで躍進したが5勝10敗と負け越し、ついに入幕はならず、右膝の負傷で途中休場した1957年5月場所限りで廃業した。
本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日 - 202… 本田 和子(ほんだ ますこ、1931年1月15日 - 2023年2月12日)は、日本の児童学者。お茶の水女子大学名誉教授。元お茶の水女子大学学長。専門は児童文化論、児童社会史。 新潟県生まれ。放送倫理・番組向上機構(放送と青少年に関する委員会(青少年委員会))委員長も務めた。 2023年2月12日、死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 20… 平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 2008年11月22日)は、日本の食物史家。儀礼文化学会専門委員。なお雅章はペンネームである。本名・平野 武(たけし)。初期の筆名は正章だったが1980年ころ雅章に改名。千葉県富津市生まれ、同市に在住した。 早稲田大学第二文学部心理学専修卒業。大学在学中より北大路魯山人に師事し海外旅行にも同行した。魯山人の遺した美術・料理等の著作を編纂した。主婦の友社編集局に勤務の後、日本食物文化史の研究に専念し文筆活動を続ける。 フジテレビ系列の人気番組であった『料理の鉄人』に「かの魯山人の愛弟子」との紹介され、審査員としてレギュラー出演した。同じく審査員としてレギュラー出演していた料理記者の岸朝子は、主婦の友社時代の同僚でもあった。
瀧島 未香(たきしま みか、1931年〈昭和6年〉1月15日… 瀧島 未香(たきしま みか、1931年〈昭和6年〉1月15日 - )は、日本のフィットネスインストラクター。株式会社パワーエイジング所属。SIXPAD HOME GYMのインストラクター。 1931年1月15日、東京府荏原郡(現在の東京都品川区)のすし屋の5女として生まれる。 1949年、日本橋の高島屋に就職。子供服売り場担当であった。知人の紹介で知り合った男性と1年ほど交際し、24歳で結婚して2人の娘を出産。娘たちが独立した後、家事の負担が減ったが運動をしてなかったため15キロ太った。65歳の時、家族から体型を指摘され夫が探したジムに入会。しかしそのジムが閉店したため別のジムに移り、そこでパーソナルトレーナーの中沢智治に出会い、パーソナルトレーニングを受ける。
宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15… 宮崎 邦次(みやざき くにじ、1930年(昭和5年)1月15日 - 1997年(平成9年)6月29日)は、日本の銀行家。第一勧業銀行頭取・会長、全国銀行協会連合会会長、日本経営者団体連盟副会長等を歴任した。 1997年に発覚した第一勧業銀行が関連した総会屋利益供与事件(小池隆一事件)で取り調べを受けていた最中、自宅で首吊り自殺した。 佐賀県佐賀市出身。父の宮崎林三郎(2代目)は、失明と貧困の中で画期的な縄ない機を発明し成功を収めた林三郎(初代)から見込まれ、養子に入り農機具販売店を営み、両親共に篤志家()として知られていた。 宮崎は7人兄弟の下から2番めの4男として生まれ、長兄の宮崎善吾は佐賀県副知事を経てエフエム佐賀社長等を歴任、次兄は家業を継ぎ、三兄の宮崎幸造は西日本新聞社で編集局次長を務めた。
涌田 宏昭(わくた ひろあき、1930年1月15日 - 20… 涌田 宏昭(わくた ひろあき、1930年1月15日 - 2003年8月25日)は、日本の経営学者。東洋大学名誉教授。 東京出身。1953年早稲田大学商学部卒、1959年同大学院博士課程満期退学、甲南大学理学部専任講師、1961年経営学部専任講師、1963年東洋大学経済学部専任講師、1964年助教授、66年経営学部助教授、1970年教授。2000年定年、名誉教授。日本情報経営学会初代会長。子に涌田幸宏(1964-)名古屋大学准教授。
松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2… 松本 慶蔵(まつもと けいぞう、1929年1月15日 - 2023年10月2日)は、日本の医学者であり、感染症学・熱帯医学の専門家。長崎大学熱帯医学研究所名誉教授であり、長崎大学医学部附属病院の熱研内科科長も務めた。特に呼吸器感染症や結核の研究において多大な貢献を果たし、日本の熱帯医学発展に寄与した。1991年に紫綬褒章を受章。 1929年(昭和4年)、宮城県大崎市に生まれる。戦時中は海軍兵学校に入り、長崎県佐世保の針尾島にいた。戦後、1947年(昭和22年)に旧制古川中学校(宮城県古川高等学校)卒業。第二高等学校を経て東北大学医学部に進学し、東北大学医学部大学院内科系を修了した。その後は同大学第一内科学教室で研究を開始した。
津室 隆夫(つむろ たかお、1929年1月15日 – 200… 津室 隆夫(つむろ たかお、1929年1月15日 – 2005年11月22日)は、総合建設会社・大林組の第4代社長である。日本経営者団体連盟(現日本経済団体連合会)常任理事および政策委員、日本サテライトオフィス協会理事も務めた。 1929年1月15日、大阪府大阪市で誕生。京都大学工学部建築学科を卒業後、大林組に入社した。 東京本社に新設された「エンジニアリング本部」の初代本部長に就任。1989年6月、第3代社長・大林芳郎の後を継いだ。創業者一族以外の社長就任は同社史上初である。 1990年7月にCI(コーポレートアイデンティティ)を導入、新たな社章の制定や地球環境部の設置を行った。また、創業100周年となる1991年には、長期経営ビジョン「大林組ルネッサンス111」の策定を推進した。
松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1… 松村 禎三(まつむら ていぞう、1929年 <昭和4年> 1月15日 - 2007年 <平成19年> 8月6日)は、日本の作曲家、俳人。東京芸術大学名誉教授。 京都市(下京区仏光寺通室町西入ル)で生まれる。両親は京都の町人の出身であり、父は代々呉服屋の家系であった。父は尺八を、母は箏を嗜んでいた。禎三は、幼い頃から音楽に興味を示し、小学生で簡単な作曲は始めていた。京都時代は1945年から1949年まで高橋恒治にピアノを、1947年から1949年まで和声を長廣敏雄に師事。10歳の頃には父をがんで失い、1949年には母を結核で失う。1945年に旧制第三高等学校理科に入学。寮生活を通じて、音楽だけでなく様々な出会いと経験を積む。
江守 五夫(えもり いつお、1929年1月15日 - 201… 江守 五夫(えもり いつお、1929年1月15日 - 2016年10月18日)は、日本の社会学・法学者。千葉大学名誉教授。専門は法社会学、民族学。 結婚のあり方などから日本社会の構造を探究し、村落、家族の研究につとめ、婚姻史、婚姻思想の分析に業績をあげた。 石川県金沢市に生まれる。1951年に東京大学法学部を卒業した。東京大学社会科学研究所助手を経て、1958年に明治大学法学部助教授となる。以後、同大学で教授に就任後、千葉大学人文学部に移り、さらに法経学部の教授を務めた。1983年から1987年まで、東大社会科学研究所の併任教授も兼務した。1993年に千葉大学を定年退官して、名誉教授となる。その後は帝京大学文学部教授、東京家政大学文学部教授を務めた。
久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 -… 久保 亘(くぼ わたる、1929年(昭和4年)1月15日 - 2003年(平成15年)6月24日)は、日本の政治家。参議院議員(4期)、副総理(第1次橋本内閣)、大蔵大臣(第101代)、鹿児島県議会議員(3期)、日本社会党書記長、社会民主党副党首、民主改革連合最高顧問、民主党参議院議員会長を歴任。正三位勲一等旭日大綬章。 鹿児島県姶良郡姶良町(現:姶良市)出身。(旧制)長崎県立佐世保中学校1年修了を経て熊本陸軍幼年学校に進学。陸軍予科士官学校在籍中に敗戦により学校解散・復員し、鹿児島師範学校(現:鹿児島大学)に編入学。予科士官学校では鹿児島市長赤崎義則と同期。師範学校卒業後に広島文理科大学(現:広島大学)史学科へ入学し西洋史を専攻、1952年に卒業して鹿児島県の高校教諭となる。
白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 19… 白石 英司(しらいし えいじ、1929年1月15日 - 1983年1月27日)は、日本の実業家。白石古京の長男でもある。 京都府出身。立命館大学法学部卒業後に1959年に京都新聞社に入社。取締役を経て、1978年には副社長に就任し、1981年には社長に就任した。1977年には近畿放送の社長にも就任した。 日本文化財団理事長、日本新聞協会理事、共同通信社理事なども歴任した。 1972年にノルウェーの聖オーラヴ勲章(国際文化功労)を、1973年に紺綬褒章を、1979年にイタリアのコンメンダトーレ勲章(国際文化功労)をそれぞれ授章した。 1983年1月27日、転移性骨腫瘍のために在職中のまま京都市の病院で死去。
小森 厚(こもり あつし、1928年1月15日 - 2002… 小森 厚(こもり あつし、1928年1月15日 - 2002年4月3日)は、動物園職員の文筆家。 インド・ボンベイ生まれ、長崎県出身。1947年東京都立上野高等学校夜間部卒。在学中から上野動物園に就職。1964年から多摩動物公園勤務、飼育課長をへて1979年上野動物園飼育課長。1984年退職、日本動物園協会事務局長となる。日本動物園水族館協会専務理事、のち顧問を務めた。 1966年、毎日出版文化賞(小原秀雄,浦本昌紀共著『現代の記録・動物の世界』)受賞。
酒井 憲二(さかい けんじ、1928年1月15日 - 201… 酒井 憲二(さかい けんじ、1928年1月15日 - 2012年11月28日)は、日本の国語学者・国文学者。 1928年、酒井與蔵・美世里の長男として、福井県今立郡北中山村川島(現鯖江市川島町)に生まれる。北中山尋常高等小学校(北中山村国民学校)・福井師範学校・日本大学文学部国文学科(二部)を首席で卒業。文学博士(日本大学)。鯖江市中央中学校、東京都墨田区立言問小学校、都立小松川高校・上野高校(いずれも定時制)教諭、山梨県立女子短期大学(現山梨県立大学)講師、図書館短期大学助教授(図書館大学(仮称)創設準備室委員)、図書館情報大学(現筑波大学図書館情報メディア研究科)教授(大学院担当科目は書誌学特論1、および、日本大学文理学部にて国語学演習)、平成4年(1992)定年退官。
長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 -… 長島 一成 (ながしま かずしげ、 1928年1月15日 - 2021年9月17日)は日本の実業家。共同石油と日本鉱業の合併を実現し、合併により誕生したジャパンエナジー(現:ENEOS/JX金属)の初代社長や会長を務めた。また1989年に米アモコ社からライセンスを取得し、日本でのam/pmのコンビニエンスストア事業の展開を開始させた。勲二等瑞宝章受章。 東京都出身。1952年、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本鉱業入社。1965年共同石油入社、1978年取締役、1980年常務取締役、1984年専務取締役、1986年副社長就任。 1990年、副会長に退く、通商産業省出身の左近友三郎社長の後任として、共同石油代表取締役社長に就任。
横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、… 横山 準(よこやま じゅん、1928年1月15日 - )は、日本の元子役、俳優である。本名は横山 昇一(よこやま しょういち)。子役時代の芸名は爆弾小僧(ばくだんこぞう)。 1928年(昭和3年)1月15日、新潟県東頚城郡(現在の同県十日町市)に生まれる。 1933年(昭和8年)3月1日、松竹蒲田撮影所に入社。野村芳亭監督映画『島の娘』に初出演する。1935年(昭和10年)の清水宏監督映画『若旦那 春爛漫』から爆弾小僧の芸名を名乗る。『有りがたうさん』『風の中の子供』『按摩と女』など清水の作品に多数出演、また斎藤寅次郎監督の映画にも重用される。同時期に松竹に所属していた突貫小僧、葉山正雄、アメリカ小僧とともに子役の四天王と評された。
渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1… 渡部 敬太郎(わたなべ けいたろう、1927年〈昭和2年〉1月15日 - 1997年〈平成9年〉11月26日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官である。陸軍予科士官学校卒業(第60期)。第18代陸上幕僚長、第15代統合幕僚会議議長。息子渡部直己は文芸評論家で、元・早稲田大学文学学術院教授。陸海空自衛隊を通じ初の昭和生まれの幕僚長。 福島県相馬中学から仙台陸軍幼年学校を経て陸軍予科士官学校を卒業、陸軍士官学校本科(第60期)に入校直後に終戦を迎える。1950年(昭和25年)、警察予備隊に2等警査(2等陸士)として入隊する。その後は在ソビエト日本大使館付防衛駐在官、第2普通科連隊長、陸幕人事部長、第10師団長と、陸上自衛隊の成長とともに歩んでいった。
井上 博通(いのうえ ひろみち、1927年(昭和2年)1月1… 井上 博通(いのうえ ひろみち、1927年(昭和2年)1月15日 - 2006年(平成18年)2月19日)は、昭和から平成時代の政治家。愛知県瀬戸市長。 愛知県東春日井郡水野村大字中水野(現瀬戸市中水野町)に生まれる。旧制東海中学校卒業。 1947年(昭和22年)水野村役場に奉職。1951年(昭和26年)同村が瀬戸市に合併され、瀬戸市役所勤務となる。 以後、衛生課長、職員課長、市長公室長を経て、1982年(昭和57年)より4年間にわたり助役を務め、1987年(昭和62年)5月、市長に初当選した。3期務め、1999年(平成11年)4月、引退した。2006年(平成18年)2月19日死去、79歳。死没日をもって従五位に叙される。
小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は… 小原 敏人(こはら としひと、1927年1月15日 - )は日本の実業家。日本ガイシ社長・会長、日本ファインセラミックス協会会長等を務めた。勲二等瑞宝章、フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ章、ベルギー王冠章コマンドール勲章、藍綬褒章受章、日本セラミックス協会賞功労賞受賞、在名古屋フランス名誉領事。
岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、… 岡崎 寛(おかざき ひろし、1927年1月15日 - )は、日本の経営者。横浜ベイスターズ球団社長を務めた。 高知県出身。1952年に東京商科大学を卒業し、同年に大洋漁業に入社。1990年3月には横浜大洋ホエールズ球団社長に就任。横浜ベイスターズでも引き続き球団社長を務め、1994年3月には社長の座を大堀隆に譲り、自身は相談役に退いた。
尾山 令仁(おやま れいじ、1927年1月15日 - 202… 尾山 令仁(おやま れいじ、1927年1月15日 - 2023年5月16日)は、日本の牧師、神学者、聖書学者、神学校教師、神学博士。聖書キリスト教会元会長牧師。日韓親善宣教協力会会長、厚木聖書キリスト教会主任牧師。号は「唯人」。 陸軍経理学校、早稲田大学大学院博士課程修了。戦後、日本の福音派指導者として聖書信仰の確立のために働く。大学時代にキリスト者学生会を設立。日本プロテスタント聖書信仰同盟の3代目実行委員長として日本福音同盟の結成に関わる。第2回日本伝道会議京都宣言起草委員長。 長男の尾山謙仁は牧師。娘婿の岡野俊之は牧師。次男の尾山清仁は聖書キリスト教会会長牧師。孫の岡野義喜は牧師。 会社員の家庭に生まれた。
相馬 和夫(そうま かずお、1927年1月15日 - 200… 相馬 和夫(そうま かずお、1927年1月15日 - 2005年7月23日 )は、日本の実業家。ヤクルト本社取締役、ヤクルトスワローズ球団社長。 埼玉県熊谷市出身。ヤクルト本社取締役を経て、1970年からヤクルトアトムズ(1974年よりスワローズ)の球団取締役、球団代表などを歴任。 1985年4月に球団社長に就任すると、球団代表の田口周と共に、低迷状態にあったチーム体質の改革に取り組んだ。まず、前年途中に投手コーチから代理監督へと昇格していた土橋正幸を続投させ、若手の抜擢を依頼して新旧交代を推し進め、「ぬるま湯」と称されたチームの雰囲気を変えていった。1987年には田口の勧めで関根潤三監督を招聘し、イケトラコンビ(池山隆寛・広沢克己)をはじめとする若手選手たちを徹底的に鍛え上げさせた。
鬼頭 梓(きとう あずさ、1926年1月15日 - 2008… 鬼頭 梓(きとう あずさ、1926年1月15日 - 2008年8月20日)は日本の建築家。男性。
今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2… 今村 与志雄(いまむら よしお、1925年1月15日 - 2007年1月22日)は、日本の中国文学者。 1925年、東京生まれ。1943年、東京府立第六中学校(現・都立新宿高等学校)を卒業し、東京大学文学部中国文学科で学んだ。 旧・東京都立大学助教授を務めたが、学園紛争に際し辞職。学界では、中国社会文化学会会員であった。 古典から近現代まで中国文学全般に通じ、魯迅研究を専門にした。古典作品(伝奇小説)も訳している。
田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日… 田辺 広雄(田邊 廣雄、たなべ ひろお、1925年1月15日 - 1999年4月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、名古屋市会議員(5期)、守山市議会議員などを務めた。 愛知県名古屋市生まれ。父親は守山町長を務めた。関西学院大学専門学校政経科卒業後、家業の毛織物会社を継いだ。1955年、守山市議会議員に立候補し当選。1963年に守山市が名古屋市と合併した後は名古屋市会議員を5期務め、議長も務めた。 1983年の衆議院選挙と1986年の衆議院選挙に旧・愛知1区から立候補するが落選。自民党内では安倍派に所属し、竹下派の今枝敬雄と公認を争った。 1990年2月18日に行われた衆議院選挙に自民党の公認を得て立候補し初当選。
殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月1… 殿岡 政雄(とのおか まさお、1925年〈大正14年〉1月15日 - )は、日本の経営者。栃木県足利市出身。 興国化学工業(現在のアキレス)創立者・殿岡利男の長男。1945年に桐生工業専門学校を卒業し、1947年に興国化学工業に入社。 取締役、常務、専務を経て、1971年6月に副社長に就任し、1977年1月には社長に昇格した。1992年6月に会長を経て、2001年6月には取締役相談役に就任した。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲三等瑞宝章を受章した。
後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 -… 後藤 昌次郎(ごとう しょうじろう、1924年1月15日 - 2011年2月10日)は岩手県出身の弁護士(東京弁護士会所属)。 岩手県和賀郡黒沢尻町(現・北上市)生まれ。旧制黒沢尻中学校(現岩手県立黒沢尻北高等学校)卒業、旧制第一高等学校文科および理科卒業、東京大学法学部を経て、1954年に弁護士となる。 かかわった主な事件として松川事件、八海事件、青梅事件、土田・日石・ピース缶爆弾事件、警視総監公舎爆破未遂事件、日大闘争警官傷害致死事件などがある。1992年に東京弁護士会人権賞受賞した。神戸連続児童殺傷事件では冤罪を主張しており、A少年を偽計による「自白調書」で逮捕・勾留した警察官・検察官を告発している。
後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 201… 後藤 次男(ごとう つぐお、1924年1月15日 - 2016年5月30日)は、熊本県熊本市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。
吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 199… 吉本 均(よしもと ひとし、1924年1月15日 - 1996年3月29日)は、日本の教育学者。広島大学名誉教授。教育学博士。 広島県比婆郡東城町(現・庄原市)生まれ。1952年(旧制)広島文理科大学教育学科(現・広島大学)を卒業。1956年広島大学教育学部に着任。そのころ、ペスタロッチ研究者長田新のもとでペスタロッチ全集の編集翻訳作業に携わる。日本における教育方法学の確立に貢献したといわれる。1987年に広島大学を退官。その後は、神戸女子大学教授となった。 1996年3月29日、脳梗塞のため死去。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 200… 橋元 親(はしもと ちかし、1923年1月15日 - 2000年1月29日)は、日本の柔道家(講道館9段、大日本武徳会錬士)。 天理大学柔道部や旭化成柔道部の師範のほか、全日本柔道連盟参与、近畿地区柔道連盟評議委員、関西学生柔道連盟会長等を歴任した。 宮崎県延岡市出身。県立延岡中学校入学と同時に、幼少からの病弱を案じた両親の意向に従い剣道部に入部した。2年生になり柔道部へ移ると、武道専門学校出身の平野直の手ほどきを受けて成長したほか、家から学校までアップダウンのある片道15kmを自転車で毎日通学し、これにより強靭な足腰が出来上がっていったという。3年生で大日本武徳会の初段、翌年に2段、卒業時には当時少なかった3段にまで昇段している。
杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、… 杉江 文二(すぎえ ぶんじ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛… 鵜飼 勉(うがい つとむ、1923年1月15日 - )は、愛知県出身のプロ野球選手(二塁手)。
宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日… 宮田 孝治(みやた こうじ、1923年1月15日 - )は日本出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはハーフバック(現在の守備的MF)。
杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 -… 杉之原 壽一(すぎのはら じゅいち、1923年1月15日 - 2009年7月15日)は、日本の社会学者。神戸大学名誉教授。部落問題研究の中心的な論客の一人である。京都府出身。 京都市生まれ。1943年、京都帝国大学文学部哲学科卒業。京都大学人文科学研究所助手を経て、1986年まで神戸大学文学部教授。日本学術会議会員。 部落の中で階層分化が進行していることを実態調査から明らかにし「アメリカ帝国主義に従属する日本独占資本」を部落差別の主敵とする日本共産党の主張の正当性を訴えていたが、当の共産党が国民融合論を提唱した後には一転し、同じ調査を根拠に部落差別は解消しつつあるとの立場を取るようになった。1984年、「現代部落差別の研究」で第9回野呂栄太郎賞を受ける。
平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日… 平野 晃(ひらの あきら、1922年(大正11年)1月15日 - 2009年(平成21年)12月27日)は、大日本帝国海軍軍人及び航空自衛官である。第13代航空幕僚長。鹿児島県出身。 鹿屋中学を経て海軍兵学校(第69期)卒業。戦時中は当初は艦隊勤務で真珠湾攻撃時は戦艦「霧島」に乗艦して作戦に参加。軽巡洋艦「阿武隈」ではアッツ島の戦いで陸戦隊を指揮している。空母「翔鶴」では高角砲指揮官として南太平洋海戦、第二次ソロモン海戦に参加したが、航空機の優位を痛感し、飛行学生を志望する。 艦上爆撃機の訓練を受けるが、1944年(昭和19年)末に特攻隊が編成され、その分隊長となる。特攻兵器「桜花」22型の開発実験に携わり、1945年(昭和20年)8月15日午後1時に正式採用のための最終判定の実験が行われることとなり、爆撃機「銀河」に搭載された「桜花」に搭乗する予定であった。
李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 200… 李 源京(イ・ウォンギョン、1922年1月15日 - 2007年8月3日)は、韓国の政治家、元駐日大使。 韓国・慶尚北道出身。旧制五高を経て東京帝国大学法学部中退後、ソウル大学校経済学部卒。1948年、韓国政府が初めて実施した外交官試験に合格。駐日代表部参事官、外務部次官などを歴任した後、1980年に国家保衛立法会議委員に選出された。1983年から1986年まで外務部長官。1988~1991年には外相経験のある「大物大使」として、駐日大使を務めた。日本でも交友関係が広く、知日派とされた。 2007年8月3日、老衰のため死去。85歳没。
木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 201… 木村 敏雄(きむら としお、1922年1月15日 - 2019年10月11日)は、日本の地球科学者。専門は構造地質学。福岡県生まれ。 1938年に第一高等学校理科乙類へ入学し、1941年に東京帝国大学理学部地質学科へ入学、1943年9月に東京帝国大学大学院へ入学する。その後休学し、海軍技術見習尉官(短期)となる。1945年に海軍技術大尉となり、1946年5月に復員。10月東京帝国大学大学院に復学する。1947年9月に東京帝国大学理学部助手となり、1950年3月に名古屋大学理学部助教授、1957年に東京大学教養学部助教授となる。1958年に東京大学より理学博士の学位を受ける。1962年5月に東京大学理学部教授(地質学第二講座)、1964年より1976年まで東京大学地震研究所教授を併任、1982年定年により退職し、東京大学名誉教授となる。
坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15… 坂部 武夫(さかべ たけお、1921年(大正10年)1月15日 - 1987年(昭和62年)1月26日)は、日本の実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長を務めた。 広島県福山市出身。旧制広島高校を経て1943年東京帝国大学法学部政治学科卒業、旭硝子入社。1975年取締役総務部長に昇格。1981年から社長を務めた。社長在任中に「21世紀に繁栄する企業作り」を標榜し、新製品、新規事業への投資を中心とする拡大路線を指揮。エレクトロニクス、エンジニアリングセラミックス、バイオテクノロジー分野などに積極展開した。健康悪化により1987年1月には会長に退いたが、まもなく肺炎のため死去した。享年66。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 200… 佐竹 申伍(さたけ しんご、1921年1月15日 - 2005年2月24日)は、日本の小説家。 東京小石川生まれ。本名・佐藤静夫。日本大学芸術学部卒。映画関係の仕事を経て、文筆活動にはいる。はじめ時代小説を書き、のち歴史小説を書いた。一時期NHK大河ドラマにあわせて執筆していた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 194… 久納 好孚(くのう こうふ、1921年1月15日 - 1944年10月21日)は、日本の海軍軍人。戦死による特進で最終階級は海軍少佐。未帰還になった神風特攻隊大和隊の隊長であり、特攻第一号とする主張がある。 1921年1月15日愛知県で生まれる。外地の大田中学校を経て、1942年9月法政大学専門部卒業。1942年9月第11期飛行予備学生。霞ヶ浦航空隊付。1943年8月予備少尉、徳島航空隊付。1943年12月265空付。1944年7月予備中尉、第二〇一海軍航空隊付。久納は法政大学在学時から羽田海軍予備航空団に在籍しており、他の予備学生の航空士官と比較して操縦技術はベテランの域に達していた。二〇一空は零式艦上戦闘機を爆戦として運用して敵艦隊を攻撃しようと計画し、副長玉井浅一中佐を中心として零戦による急降下爆撃の訓練を行っていた。
野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - … 野々川 大介(ののがわ だいすけ、1921年1月15日 - 2019年8月4日)は、日本の実業家。日本メナード化粧品の創業者。愛知県小牧市出身。 1935年に篠岡高等小学校を卒業。1941年に野々川産業を設立し、1950年にダリヤ商事社長を経て、1959年に日本メナード化粧品社長に就任し、1990年には会長に就任。1987年にはメナード美術館を開館させた。 1980年に藍綬褒章を受章し、1991年に勲三等瑞宝章を受章。 2019年8月4日老衰のために死去。98歳没。
國島 文彦(くにしま ふみひこ、1920年〈大正9年〉1月1… 國島 文彦(くにしま ふみひこ、1920年〈大正9年〉1月15日 - 2006年〈平成18年〉7月26日)は、日本の警察官僚。第71代警視総監。勲二等旭日重光章。 東京府、現在の豊島区出身。旧制一高を経て、1944年東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1945年、内務省に入省し警保局に配属。 1946年、終戦連絡事務局に転じた。以後、岡山県警察部経済防犯課長、国家地方警察岡山県本部警務部警務課長、警視庁本富士警察署長、警視庁刑事部鑑識課長、同警備第二部公安第一課長、同警務部人事課長、佐賀県警察本部長、九州管区警察局公安部長、池田勇人内閣総理大臣秘書官、警察庁警備局資料課長、警視庁交通部長、警察庁警務局人事課長、京都府警察本部長、警視庁警務部長、警察庁長官官房長、同庁警務局長などを歴任。
大熊 宗清(おおくま むねきよ、1920年1月15日 - 1… 大熊 宗清(おおくま むねきよ、1920年1月15日 - 1991年2月11日)は、広島県大竹市元町出身で熊ヶ谷部屋に所属した大相撲力士。本名は和田 宗清(わだ むねきよ)。現役時代の体格は182cm、100kg。最高位は西前頭6枚目(1947年11月場所)。 実家は農家で、地元に住んでいた大相撲の世話人に勧められて、16歳の時に熊ヶ谷部屋へ入門。1937年1月場所で、初土俵を踏んだ。 幕下時代は、神風正一や輝昇勝彦とともに「幕下三羽烏」と呼ばれた。番付に初めて付いて以来1度も負け越しなしで、1941年1月場所にて十両に昇進した。 この地位でも勝ち越しを続け、1942年5月場所にて、22歳で新入幕を果たした。