薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月… 薬師寺 克一(やくしじ かついち、1933年(昭和8年)2月15日 - 2004年(平成16年)3月7日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。東京都目黒区長(2期)。 大分県で生まれ、中央大学法学部を卒業し、目黒区職員課長、区議会事務局長、総務部長、助役など務めた。 1998年10月18日の目黒区長選挙で、自民党・民主党・公明党・自由党・社民党・自由連合から推薦を得て立候補し、共産党推薦の片岡敏康を破り初当選した。 1988年の区長選挙で選挙参謀を務めた元区長室長の菊谷伸夫と目黒区議会議員の横山大は、公職選挙法違反で2001年5月に逮捕されるも起訴猶予となる。 2002年10月に自民党・民主党・公明党・自由党・社民党から推薦を受けて再選される。
加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は… 加藤 淳平(かとう じゅんぺい、1933年2月15日- )は、日本の外交官。 岐阜県生まれ。1955年東京大学教養学部教養学科卒業、外務省入省。フランスのポワティエ大学とトゥール大学で、フランス語とフランス哲学を学んだ後、パリの日本大使館勤務。その後エジプト大使館、ヨーロッパ共同体 (EC) 日本代表部、ベトナム大使館などの書記官として、外務省で主として経済協力局、官房調査部に勤務。その間、昭和天皇のフランス語通訳、外交官試験試験官。1975年以後は、国連日本代表部参事官、公使、国際協力事業団 (JICA) 企画部長と同時に、上智大学、早稲田大学等の非常勤講師を務める。1983年には、オマーン常駐の初代大使として、在オマーン日本国大使館を開設。
松下 宗之(まつした むねゆき、1933年2月15日 - 1… 松下 宗之(まつした むねゆき、1933年2月15日 - 1999年2月9日)は、日本のジャーナリスト、元朝日新聞社社長。 東京市深川区御船蔵前町(現東京都江東区新大橋)で歯科医師の父幸雄、母さだゑの次男として生まれる。1945年3月10日の東京大空襲で父を失い、終戦を両親の故郷である長野県で迎える。1954年、長野県飯田長姫高等学校定時制を卒業し、医者を目指して東京大学教養学部理科二類に入学したが文学部へ転部。1958年、東京大学文学部美学・美術科を卒業、朝日新聞東京本社に入社。山形支局、浦和支局を経て1962年4月政治部員となる。1974年8月政治部次長、1975年11月内勤次長、1977年1月編集委員、1978年5月論説委員兼務、1983年8月政治部長、1987年6月東京本社編集局次長、1989年5月東京本社編集局長、1991年6月取締役・東京本社編集局長、1992年4月常務取締役(総務・労務担当)、1993年8月常務取締役(編集担当)、同年12月専務取締役(編集担当)、1994年8月代表取締役専務取締役(編集担当)を歴任して、1996年6月社長に就任。
遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1… 遠藤 雅古(えんどう まさひさ、1933年2月15日 - 1999年4月10日)は、日本の指揮者。 東京都出身。1956年、東京藝術大学声楽科を卒業後、東京藝術大学大学院指揮研究科に進み、1960年大学院前期博士課程修了、1962年東京藝術大学専攻科修了。指揮法を山田一雄、渡辺暁雄に師事。また、1982年~1983年、文化庁派遣芸術家在外研修員としてミュンヘンに派遣され、セルジュ・チェリビダッケの下で研鑽を積んだ。 群馬交響楽団指揮者、札幌交響楽団副指揮者、東京音楽大学講師を経て、1963年東京藝術大学指揮科助教授、1997年東京藝術大学指揮科教授に就任、後進の育成にあたったが、1999年に死去。
彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日… 彦坂 諦(ひこさか たい、1933年2月15日 - )は、日本の社会評論家、翻訳家、社会運動家。 宮城県仙台市生まれ。1945年旅順工科大学勤務の父について渡り、3か月後敗戦。1949年帰国。1957年東北大学文学部国史学科卒業、1967年早稲田大学大学院文学研究科ロシア文学専攻博士課程満期退学。 木材検収員、通訳、非常勤講師(芝浦工業大学)などをしつつ戦争論や社会評論活動を行う。九条の会会員。 父は物理学者で新潟大学名誉教授の彦坂忠義。弟は物理学者で広島大学名誉教授の彦坂正道。母方の祖父は西洋史学者の阿刀田令造。妻は作家・フランス文学者の白井愛。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 202… 矢田部 理(やたべ おさむ、1932年2月15日 - 2021年12月5日)は、日本の政治家・弁護士・平和運動家・作家。参議院議員(4期)、初代新社会党委員長。矢田部理法律事務所代表。茨城県大子町出身。 茨城県大子町出身。茨城県立太田第一高等学校から中央大学法学部に進学。在学中から左翼思想に傾倒し、活動にいそしむ。苦学の末、司法試験に合格する。司法修習所での研修を経て、弁護士開業。 1974年、第10回参議院議員通常選挙の茨城県選挙区に日本社会党から立候補し、当選。以後、改選数2で、「自民党と社会党の指定席」と言われた同選挙区で4回の当選を果たす。その間、党内では茨城県本部委員長となり、左派系の論客として知られ、参議院では予算委員会等での自民党政権追及に活躍、「参院の爆弾男」と呼ばれた。
三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年… 三浦 精(みうら せい、1932年2月15日 - 2022年3月11日)は、日本の工学者。専門は、機械材料・材料力学。学位は、工学博士(京都大学・論文博士・1966年)(学位論文「Production of lattice defects by plastic deformation in FCC metals 」)。京都大学名誉教授。大阪府出身。
白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は… 白土 三平(しらと さんぺい、1932年2月15日 - )は、日本の漫画家。東京府出身。男性。本名は岡本 登(おかもと のぼる)。A型。『忍者武芸帳 影丸伝』『サスケ』『カムイ伝』など忍者を扱った劇画作品で人気を博した。
八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、… 八木 誠一(やぎ せいいち、1932年2月15日 - )は、日本の新約聖書学者、神学者、宗教哲学者。東京工業大学名誉教授。 1932年、神奈川県横浜市生まれ。実家は無教会系のクリスチャンホームであった。1955年、東京大学教養学部ドイツ科を卒業し、1962年、同大学院西洋古典学専攻博士課程を単位取得満期退学。ゲッティンゲン大学で学んだ。 1960年に関東学院大学専任講師となり、1964年に助教授昇進。しかし、関東学院大学において新約聖書への批判的言辞は研究にとどめ、授業では教授しないことを求められて学問の自由の立場から同大を辞職。東京工業大学助教授となり、1975年に教授昇進。1967年に学位論文『新約思想の成立』を九州大学に提出して文学博士号を取得。
花輪 光(はなわ ひかる、1932年2月15日 - 1999… 花輪 光(はなわ ひかる、1932年2月15日 - 1999年)は、フランス文学者。 山梨県生まれ。1955年に東京教育大学文学部仏文科卒業、59年同大学院博士課程中退。筑波大学文芸・言語学系教授を務めた。ロラン・バルトを主として研究・翻訳した。
姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - … 姜 徳相(カン・ドクサン、강덕상、1932年2月15日 - 2021年6月12日)は、日本統治時代の朝鮮出身の歴史学者。朝鮮近現代史の第一人者の一人として知られる。専門は朝鮮独立運動。関東大震災時の朝鮮人虐殺の研究では先駆的な役割を果たした。一橋大学教授、滋賀県立大学名誉教授。国籍は韓国。 日本統治下の慶尚南道咸陽郡に生まれる。1934年12月、2歳のときに母に連れられて父のいる日本に渡った。親は廃品回収業を営み、東京都渋谷区の広尾で育った。1950年3月、東京都立青山高等学校卒業。同年4月、早稲田大学第一文学部史学科に入学。大学では中国史を勉強するサークルに所属した。1955年3月、早稲田大学卒業。
武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭… 武中 はじめ(たけなか はじめ、本名:武中肇、1932年(昭和7年)2月15日 - 1995年(平成7年)9月7日)は、日本の歌手、タレント、ラジオパーソナリティ。元コロムビア専属歌手で、1970年代以降は宮崎放送(MRT)所属のタレントとしてMRT制作のラジオ・テレビ番組に数多く出演。宮崎県の企業CM出演や地元イベント参加など郷土に根ざした活躍で知られた。また歌謡学校などで歌手を指導・育成したり、障がい者支援の慈善活動を行うなど多岐にわたる活動を展開した。宮崎放送制作のテレビ番組「おくさま9:30」にてMRT正面玄関前レポーター担当などタレントとして活動していた武中吾子(たけなかあこ)は娘。 ※南国慕情(B面):作詞・赤城慧、作曲:山本丈晴 ※元気だしなよ(A面):作詞・山塚重人、作曲・堀川敏幸、編曲・甲斐靖文、歌・武中はじめ※四角い空(B面):作詞・はらちあき、作曲・武中アコ、編曲・甲斐靖文、歌・武中アコ この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。
木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年… 木村 敏(きむら びん、1931年2月15日 - 2021年8月4日)は、日本の医学者・精神科医。位階は従四位。専門は精神病理学。河合文化教育研究所所長。学位は、医学博士(京都大学・論文博士・1964年)。京都大学名誉教授。元名古屋市立大学医学部教授。元日本精神病理学会理事長。 人間存在を探究し、「あいだ」を基軸とする独自の人間学を構築して、国内外に影響を与える。著書に『自己・あいだ・時間』(1981年)、『関係としての自己』(2005年)などがある。 1931年、朝鮮慶尚南道生まれ。旧制岐阜県斐太中学校、三高を経て、1955年に京都大学医学部卒業。1964年、京都大学より医学博士の学位を取得。
黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000… 黒田 清(くろだ きよし、1931年2月15日 - 2000年7月23日)は、日本のジャーナリスト、元読売新聞記者。兄には関西六大学野球連盟理事長の黒田脩、神戸大学名誉教授の黒田健二郎がいる。 大阪府大阪市北区天満出身、天満橋北詰の天満市場前で、製粉工場を経営する父と母の9人兄弟の末っ子として生まれた。旧制大阪府立高津中学校卒業、旧制第四高等学校(現:金沢大学)、京都大学経済学部卒業。 1952年12月、大阪進出直後の大阪読売新聞社に新卒1期生として入社。遊軍記者からスタートし、社会畑を歩み、1976年に社会部部長就任。以後、この社会部チームの記者は在京のメディアから「新しい新聞記者集団」として「黒田軍団」と名付けられ注目を集めた。
佐藤 全弘(さとう まさひろ、1931年2月15日 - )は… 佐藤 全弘(さとう まさひろ、1931年2月15日 - )は、日本の宗教学者、大阪市立大学名誉教授。近代日本のキリスト教、特に新渡戸稲造を研究した。 大阪生まれ。大阪市立大学文学部卒。同大学院博士課程満期退学。同助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、関西外国語大学教授。キリスト教愛真高等学校理事長。なにわ聖書研究会主宰。2009年新渡戸・南原賞受賞。
和田 弘(わだ ひろし、1931年(昭和6年)2月15日 -… 和田 弘(わだ ひろし、1931年(昭和6年)2月15日 - 2004年(平成16年)1月5日)は、日本の歌手・ギタリスト。スティール・ギター奏者で和田弘とマヒナスターズのリーダー。専修大学卒業。 東京府東京市本郷区(現東京都文京区本郷)出身。父は製本業を営んでいた。 幼い頃からオルガンに親しみ、銀座日本劇場で灰田晴彦とモアナ・グリー・クラブの演奏を聴いてスティール・ギターに傾倒。兄の同級生である浜口庫之助に弟子入りし、ハワイアンミュージシャンになる。 1949年(昭和24年)4月、専修大学に入学。在学中にリリー・アイランダースを結成し、自らリーダーを務めた。 1950年(昭和25年)4月、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズにギタリストとして加入。
韓 昌祐(ハン・チャンウ、かん しょうゆう、Han Chan… 韓 昌祐(ハン・チャンウ、かん しょうゆう、Han Chang-Woo、1931年2月15日 - )は、日本の実業家。大手パチンコ店グループ・マルハンの創業者で代表取締役会長。公益財団法人韓昌祐・哲文化財団名誉最高顧問。 朝鮮・慶尚南道泗川郡(現・泗川市)三千浦で小作農をする家庭に生まれる。別名・西原昌佑[要出典]。 1945年10月21日、 日本でレンガ工をしていた実兄の招きを受けて密航船に乗り込み、同年10月22日に山口県下関市から日本へ密入国で渡った。 その後、朝鮮奨学会の支援を得て法政大学経済学部に進学、1952年に卒業した。就職先のなかった韓は、京都府中郡峰山町(現・京丹後市)において「千波 峰山店」の屋号でパチンコ台20台を抱えるパチンコ店を展開していた義兄のところへ身を寄せ、その後義兄からパチンコ店事業を継承し、「ぱちんこ峰山カジノ店」に屋号を変更。
山岡 重信(やまおか しげのぶ、1931年2月15日 - 2… 山岡 重信(やまおか しげのぶ、1931年2月15日 - 2022年6月20日)は日本の指揮者。東京都生まれ。 早稲田大学理工学部在学中より、早稲田大学交響楽団(アマチュア・オーケストラ)を指揮する。卒業後読売日本交響楽団ヴィオラ奏者としても活躍。プロ指揮者としては1967年デビュー。同年、第1回民音指揮者コンクールで第2位に入賞。翌年には日本音楽舞踏批評家協会賞も受賞。 藤原歌劇団副指揮者、読売日本交響楽団副指揮者を経て1969年より1972年まで読売日本交響楽団指揮者、1969年より1970年まで札幌交響楽団指揮者、1972年より1976年まで東京都交響楽団指揮者を務めた。その後も、群馬交響楽団、ニューフィルハーモニーオーケストラ千葉にて、指揮者を歴任した。
澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003… 澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003年7月10日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1971年)(学位論文「公害の私法的研究 」)。関西大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中中学(現・豊中高校)、旧制浪速高校を経て、1949年大阪大学医学部に入学。その後、1953年に法学部に転部、1955年同学部を卒業。1957年大阪大学大学院修士課程修了、関西大学法学部助手。1960年同専任講師、1963年同助教授、1969年同教授に昇進。1973年から1974年まで関西大学学生部長を務め、1980年から1981年まで関西大学法学部長を務めた。
3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)… 3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)2月15日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の実業家。坂口合名会社(坂口財閥)代表社員会長。米子商工会議所会頭。旧名平吉郎。 2代坂口平兵衛の長男として、鳥取県米子市尾高町に生まれる。 1954年(昭和29年)東京大学法学部政治学科卒業後、坂口合名会社入社。1964年代表社員副社長、1965年代表社員社長に就任。 1980年(昭和55年)米子商工会議所会頭に就任。 2012年6月14日、病気のため米子市内で死去。81歳没。
花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労… 花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労働法学者、弁護士。上智大学名誉教授。法学博士(東京大学)。名誉法学博士(ルーヴァン大学)。専門は、労働法及び労使関係。特に、使用者の懲戒権、雇用平等の研究、ILO条約と日本の団結権に関する研究など。東京都出身。
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
荒瀬 豊(あらせ ゆたか、1930年(昭和5年)2月15日 … 荒瀬 豊(あらせ ゆたか、1930年(昭和5年)2月15日 - )は、日本の社会学者である。 東京府(現在の東京都)の生まれ。東京大学卒業後、1952年(昭和27年)に朝日新聞社に入社する。翌1953年(昭和28年)に退社後は、母校の東京大学内の新聞研究所職員として活動した。 1972年(昭和47年)には同大学の教授となり、同大学退職後は日本女子大学にて社会学の教鞭を執った。同大学勤務中は日高六郎らと共に天皇制イデオロギーや言論統制、マスメディア等の大衆文化の研究に携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 202… 田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 2026年1月11日)は、日本のフェミニズム運動家・編集者。 東京生まれ。早稲田大学文学部フランス文学科卒業。大学院へ進むが、夫の田中昭二(東大名誉教授)の渡米に従い、研究者を断念。グループわいふ代表取締役、政治雑誌『ファム・ポリティク』編集長。1976-2000年主婦の投稿誌『わいふ』編集長。1997年「ニュー・マザリングシステム(NMS)研究会」を創設。 1999年、林道義の『主婦の復権』に関して『諸君!』誌上で論争を行った。
立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15… 立川 清登(たちかわ すみと、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 1985年〈昭和60年〉12月31日)は、日本のバリトン歌手。二期会所属。本名は立川 澄人(たつかわ すみと)。旧芸名は立川 澄人、所属レコード会社はビクター音楽産業(現在のビクターエンタテインメント〈二代目法人〉)。洗足学園大学客員教授も務めた。 大分県大分市出身。春日浦海岸近くのフグ料理の料亭である春日亭(現在は閉店)に生まれる。大分県立別府第二高等学校(現在の大分県立芸術緑丘高等学校)、東京芸術大学卒業。マルガレーテ・ネトケ=レーヴェ、中山悌一に師事し、1953年『椿姫』のジェルモンでデビュー。歌劇を始めミュージカル、テレビ番組への出演も多く、NHK紅白歌合戦にも1963年から1966年まで連続4回出場した。
小幡 昭子(おばた しょうこ、1929年2月15日 - 消息… 小幡 昭子(おばた しょうこ、1929年2月15日 - 消息不明)は、日本の女性声優。旧芸名および結婚前の本名は浜崎 昭子。夫はCMディレクターの小幡章。京都府出身。 大阪府大阪市船場で生まれ、兵庫県の阪神間地域で子供時代を過ごす。実家は大阪市北浜で株屋を営んでいた。 京都女子大学育児科卒業後、幼稚園で保母の仕事をしながら大阪でラジオに出演。1953年に大阪放送劇団に7期生として入団。1954年、『雨月物語』がテレビ番組デビュー作となる。 1955年2月、上京してラジオ東京放送劇団に入団。上京の理由はNHK大阪放送局からラジオ東京に移籍した小幡章を慕ってのことであり、1956年2月に結婚。その後はフリーランス期間を経て、増井事務所に所属していた。
戸部 満壽夫(とべ ますお、1929年〈昭和4年〉2月15日… 戸部 満壽夫(とべ ますお、1929年〈昭和4年〉2月15日 - 2008年〈平成19年〉11月23日)は、厚生労働省厚生技官・研究者、専門は薬理学、毒性学。AF-2の毒性評価などの研究がある。医学博士。 群馬県吾妻郡嬬恋村に生まれる。旧制山梨高等学校を経て、1954年(昭和29年)前橋医科大学(現・群馬大学医学部)を卒業。日本医科大学講師として勤めたのち、1964年(昭和39年)より国立衛生試験所毒性部に勤務し、同毒性部長を務めた。 日本薬理学会、日本毒科学会、日本食品衛生学会に所属。中央薬事審議会、中央公害対策審議会審議会、生活環境審議会委員、薬剤師国家試験委員などを歴任。 1987年(昭和62年)国立衛生試験所安全性生物試験研究センター長に就任。
村瀬 俊夫(むらせ としお、1929年2月15日 - 202… 村瀬 俊夫(むらせ としお、1929年2月15日 - 2020年8月18日)は、日本の牧師、神学校教師。 新改訳聖書のコリント人への手紙第二、テサロニケ人への手紙第二を翻訳した。福音主義神学会の創立に関わった。 東京府出身。東京水産大学卒業、慶應義塾大学大学院文学研究科修士課程修了。文学修士。1953年東京神学塾卒業後、板橋で開拓伝道を開始。日本長老教会、蓮沼キリスト教会牧師、聖契神学校講師。 2020年8月18日15時30分、東京都内の病院で死去。91歳没。 この項目は、キリスト教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:キリスト教/PJ:キリスト教)。
沖田 正人(おきた まさと、1929年2月15日 - 200… 沖田 正人(おきた まさと、1929年2月15日 - 2001年6月15日)は、日本の政治家。位階は正五位。元衆議院議員(日本社会党)。 山口県生まれ。西南学院専卒業後、東京土建産業労組副委員長を務めた後、1955年以降渋谷区議2期、東京都議を5期務め、社会党都議団政調会長、東京建設業国保組合理事長、社会党都議団幹事長、社会党渋谷総支部委員長を経て、1990年旧東京4区から衆院議員に当選、1期務めた。1990年代初頭はイラクに医薬品を運ぶなどの活動をした。党内派閥は左派の「社会主義研究会」(社研、旧佐々木更三派)に所属していた。1993年に落選。1984年藍綬褒章、1999年勲四等旭日小綬章受章。
井上 謙治(いのうえ けんじ、1929年2月15日 - 20… 井上 謙治(いのうえ けんじ、1929年2月15日 - 2026年5月14日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。明治大学・桜美林大学名誉教授。 東京生まれ。1951年東京大学英文科卒業、53年同大学院旧制満期修了。54年専修大学商経学部専任講師、59年オバーリン大学に学ぶ。61年助教授、63年明治大学工学部助教授、68年理工学部教授、95年定年となり名誉教授、桜美林大学教授、99年退任。 ジョン・アップダイクの「ウサギ」シリーズを全訳した。 1998年に日本翻訳文化賞を受賞した。 2026年5月14日死去。97歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
中西 亮(なかにし あきら、1928年2月15日 - 199… 中西 亮(なかにし あきら、1928年2月15日 - 1994年4月)は、中西印刷株式会社第6代社長。文字研究家。印刷会社経営の傍ら、世界の文字資料を収集したことで知られる。 京都府出身。1955年京都大学法学部卒業。 印刷会社の経営者としては活版印刷の近代化に尽力し、モノタイプを電子的に駆動したワープロ入力活字出力システムを考案した。ただし、活版はその後DTPや平版印刷に駆逐されてしまったため、その試みは成功しなかった。 印刷会社の経営者という立場から文字の研究にのめりこみ、世界中をまわって文字資料の収集に努めた。そのコレクションは国立民族学博物館初代館長梅棹忠夫に高く評価され、死後、国立民族学博物館に寄贈された。
高橋 和夫(たかはし かずお、1928年2月15日 - )は… 高橋 和夫(たかはし かずお、1928年2月15日 - )は、国文学者、群馬大学名誉教授。 東京生まれ。1950年東京大学文学部国文科卒、1962年同大学院修士課程修了、群馬大学教育学部講師、助教授、教授。1993年定年退官、名誉教授。 1962年垣内松三賞、1967年久松賞、1975年博報賞受賞。
大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 202… 大和 岩雄(おおわ いわお、1928年2月15日 - 2021年6月20日)は、日本の編集者、出版事業家、古代史研究家。大和書房(だいわしょぼう)および青春出版社の創業者。 長野県上伊那郡高遠町(現在の伊那市)にて、江戸時代から続く呉服商の家庭に生まれる。生家が没落したため、高等小学校卒業後、名古屋市の三菱重工業に旋盤工として就職する予定であったが、1942年、官費で学べる長野師範学校(信州大学教育学部)に入学し、1948年に卒業すると長野県下伊那郡大鹿村立鹿塩中学校に赴任、国語と音楽を教えていた。1948年12月に退職し、長野市に移住。ここで山本茂実主宰の人生誌「葦」に参加。第4号以降、同誌の編集長となる。
松坂 和夫(まつさか かずお、1927年(昭和2年)2月15… 松坂 和夫(まつさか かずお、1927年(昭和2年)2月15日 - 2012年(平成24年)1月4日)は、日本の大学人、数学者。一橋大学名誉教授。
松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926… 松谷 みよ子(まつたに みよこ、本名:松谷 美代子、1926年2月15日 - 2015年2月28日)は、日本の児童文学作家。 父は社会派の弁護士で、無産政党代議士となった松谷與二郎。元夫は児童文学関係者で人形劇団座長の瀬川拓男。自伝に『小説・捨てていく話』(1992年)、『自伝 じょうちゃん』(2007年)がある。瀬川康男との共著『いないいないばあ』は2020年11月24日付で339刷700万部出版されており、絵本の歴代発行部数1位となっている。 1926年(大正15年)、東京市神田区元岩井町(現・東京都千代田区岩本町)に4人きょうだいの末っ子として生まれる。西巣鴨第五尋常小学校から東洋高等女学校に進み、1943年に卒業。
月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)… 月形 哲之介(つきがた てつのすけ、1926年(大正15年)2月15日 - 2009年(平成21年)9月26日)は、戦後昭和に活躍した俳優、教育者。本名:門田 彊介(もんでん きょうすけ)。 京都府京都市上京区大将軍鷹司町の生まれ。父は俳優の月形龍之介である。立命館中学校卒業後、海軍に入隊。終戦後、マキノ芸能社から俳優としてデビュー、その後東映専属を経て、晩年は俳優の育成に携わった。
元田 脩一(もとだ しゅういち、1926年2月15日 - 1… 元田 脩一(もとだ しゅういち、1926年2月15日 - 1977年1月17日)は、日本のアメリカ文学者。 1951年九州大学文学部英文科卒、北九州大学講師、九州大学助教授、教授。50歳で死去。
松室 三郎(まつむろ さぶろう、1926年2月15日 - 2… 松室 三郎(まつむろ さぶろう、1926年2月15日 - 2007年6月6日)は、日本のフランス文学者。立教大学名誉教授。 長崎県生まれ。1953年東京大学文学部仏文科卒。立教大学助教授・教授、1992年定年退任し、名誉教授。ステファヌ・マラルメを軸にフランス象徴主義・詩学を研究した。 2007年6月6日、急性骨髄性白血病のため死去。
石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、… 石田 霞村(いしだ かそん、1926年2月15日 - )は、日本の書家。福岡県生まれ。 1926年(大正15年)福岡県大牟田市に生まれる。石田霞洞、辻本史邑、広津雲仙に師事。山陽書道会会長、日本書道協会理事、日本教育書道連盟審査員参与、世界芸術振興認定作家。第七次中華民国親善訪問代表。
君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 20… 君島 久子(きみしま ひさこ、1925年2月15日 - 2023年6月8日)は、日本の中国文学者・民族学者。国立民族学博物館名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学名誉教授。 栃木県出身。慶應義塾大学文学部卒業。旧・東京都立大学大学院修士課程修了。国立民族学博物館教授を務め、1990年に定年退任し名誉教授、聖徳学園岐阜教育大学・岐阜聖徳学園大学教授。中国中央民族大学および雲南大学名誉教授。 中国児童文学研究会代表として『西遊記』『王さまと九人のきょうだい』など、多くの中国の昔話・民話の翻訳・研究著書を刊行している。
山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 199… 山本 広(やまもと ひろし、1925年2月15日 - 1993年8月27日)は、日本のヤクザ、暴力団・一和会会長、三代目山口組組長代行。通称は山広(やまひろ)。 兵庫県津名郡都志村(現:洲本市五色町都志)で出口千代吉の三男として生まれる。 2歳の時、姉の嫁ぎ先に養子に出て、以降「山本」姓を名乗る。 神戸市兵庫区の兵庫高等小学校を卒業後、一時工員として働いたが、1942年、海軍へ徴兵され、南方方面を転戦して海軍一等兵曹となって1947年に復員した。 復員後、尼崎市の土建業・白石組(白石幸吉)の若衆となり、暫く白石の下で土木業務や神戸港の港湾荷役業務などに従事し、次第に頭角を現し、実績を出していった。
田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 -… 田畑 政一郎(たばた まさいちろう、1924年2月15日 - 1994年5月21日)は、日本の政治家、日本社会党元衆議院議員(2期)。 福井県出身。旧制北陸中卒。国鉄に入り、福井県労働組合評議会事務局長、福井県議を経て、1958年の総選挙から1963年の総選挙まで3回連続福井全県区から日本社会党公認で立候補したが落選。この間1962年の第6回参議院議員通常選挙で福井県地方区から日本社会党公認で立候補して落選。1976年の第34回衆議院議員総選挙で福井全県区から立候補して初当選する。連続2期当選し、1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。1983年の第37回衆議院議員総選挙で再び立候補したが落選。
佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013… 佐野 勝男(さの かつお、1923年2月15日 - 2013年)は、日本の心理学者、慶應義塾大学名誉教授。 北海道生まれ。1933年より徳島で育つ。1944年応召、軍曹で敗戦。1949年慶應義塾大学文学部心理学科卒、慶大助手、1956年慶大文学部専任講師、1957年助教授、1964年「パースナリティ診断におけるテスト・バッテリィの構成 SCT,INT,TATによる構成」で慶大文学博士。1965年教授、1988年定年、名誉教授、東京国際大学教授、1992 - 1995年特任教授、1995年同常任理事。イリノイ大学訪問研究員など。
藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明… 藤本 泉(ふじもと せん、1923年2月15日 - 生死不明)は、日本の小説家、推理作家。 伝奇ミステリ「えぞ共和国」シリーズで、東北地方において古代から受け継がれた原始共産国家が存在しているという設定で、土俗の民と中央権力との相剋を描いた。 また、『源氏物語』、『枕草子』など王朝文学の作者は紫式部、清少納言など一人の作者でなく多作者によるとの説についての著作を出した。 篠田節子『聖域』の登場人物は、藤本泉をモデルにしたものと言われている。 東京都生まれ。日本大学国文科卒業。 後に『文芸首都』および『現象』の同人として創作活動を行う。処女作は1955年ごろ『文芸首都』に発表した「作為の他」である。
山内 リエ(やまうち リエ、1922年2月15日 - 200… 山内 リエ(やまうち リエ、1922年2月15日 - 2000年10月8日)は、日本の陸上競技選手。女子三段跳、走高跳、走幅跳の三種目の元・日本記録保持者。戦中、戦後に世界的な好記録を連発しながら、戦争によってオリンピック参加の道を閉ざされた悲運の女性アスリートである。広島県呉市出身。 小学校5年の春、陸上競技を始める。呉精華高女に進学するが、当時この学校のグラウンドは狭く、走高跳の助走を取るスペースもなく、近くの小学校で我流で練習を積む。跳躍技についての正式な指導を受けたのは女学校4年の時、郷土の先輩・織田幹雄の講習会に参加したのが最初。 1936年、女学校3年15歳の夏を過ぎると、恵まれたバネで飛躍的に記録が伸び、11月に広島市で行われた大会で、走高跳の当時日本最高記録1m52を楽々と飛び、1m55の日本新記録をマーク。
土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 199… 土田 芳男(つちだ よしお、1922年2月15日 - 1993年10月25日)は、日本の経営者。 昭和電線電纜社長を務めた。東京都出身。 1946年に東京商科大学を卒業し、1947年に昭和電線電纜に入社。1972年に取締役に就任し、1976年7月に常務、1980年7月に専務を経て、1986年7月には社長に就任。1988年6月には会長に就任。 1988年4月に藍綬褒章を受章。 1993年10月25日急性循環不全のために死去。71歳没。
平井 隆太郎(ひらい りゅうたろう、1921年2月15日 -… 平井 隆太郎(ひらい りゅうたろう、1921年2月15日 - 2015年12月9日)は、日本の心理学者、新聞学者。立教大学名誉教授。大阪府出身。 平井太郎(江戸川乱歩)の一人息子として大阪府北河内郡守口町(現在の守口市)に生まれる。東京府立第五中学校から1年浪人して第一高等学校に入学。このとき1級下に藤村正太がいた。1942年、東京帝国大学文学部心理学科に入学。1943年11月、同大学を仮卒業し(正式卒業は1944年9月)、1943年12月に学徒出陣で徴兵されて大日本帝国海軍に入団。千葉県の館山海軍砲術学校に配属され、高射砲を専修。予備学生として横須賀市武山の海兵団で過ごした後、海軍少尉として茨城県土浦市の航空隊に赴任。
斎藤 眞(さいとう まこと、1921年〈大正10年〉2月15… 斎藤 眞(さいとう まこと、1921年〈大正10年〉2月15日 - 2008年〈平成20年〉1月16日)は、日本の政治学者(アメリカ政治外交史)。勲等は文化勲章。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者。名の「眞」は「真」の旧字体のため、新字体で斎藤 真(さいとう まこと)とも表記される。 東京大学法学部教授、国際基督教大学教授、国際基督教大学平和研究所所長などを歴任した。 斎藤勇(英文学者、文化功労者、東京大学名誉教授)の次男として東京都に生まれる。アメリカ文学者の斎藤光は実兄。 1927年、成城学園小学校入学。1937年に受洗。同年、成城高等学校文科乙類入学。1940年に同校を卒業。高木八尺に師事し、1942年東京大学法学部政治学科卒業。
宮川 知彰(みやがわ ともあき、1921年2月15日 - 2… 宮川 知彰(みやがわ ともあき、1921年2月15日 - 2007年12月21日)は、日本の教育学者。 福井県出身。東京帝国大学文学部教育学科卒。東北大学教育学部助教授、教授、1979年「青年における生活条件と語の認知閾との関係に関する実験的考察」で東京大学教育学博士。1984年東北大を定年退官、名誉教授、放送大学教授。 1995年、勲二等瑞宝章を受章。2007年12月21日、心不全のため死去。
久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 199… 久保 亮五(くぼ りょうご、1920年2月15日 - 1995年3月31日)は、日本の物理学者。東京大学、京都大学、慶應義塾大学教授。全米科学アカデミー、フランス科学アカデミー名誉会員。線形応答理論で知られる。 統計物理学、物性物理学の分野で国際的に知られた。 1920年、東京府駒込で中国文学者の久保天随の5人目の子供(4男)として2月15日に誕生。1931年、父・天随が台北帝国大学教授に就任したため、一家は台湾の台北市に移った。翌1932年、台北高等学校尋常科に入学。しかし、1934年に父が死去したことにともない、駒込に戻る。東京府立第五中学校に編入して中学校を4年で修了し、1936年に第一高等学校 (旧制)理科甲類に入学。