町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10… 町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10月17日 - 2015年〈平成27年〉6月1日)は、日本の政治家。
10月17日生まれ:315人
町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10… 町村 信孝(まちむら のぶたか、1944年〈昭和19年〉10月17日 - 2015年〈平成27年〉6月1日)は、日本の政治家。
野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )… 野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )は、元フジテレビアナウンサー。現在は、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。東京都出身。血液型B型。 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学商学部卒。1966年、フジテレビに入社。同期入社に大林宏、岡正、渡辺直子、宮崎総子がいる。 入社時は若手二枚目アナウンサーとして女性ファンの人気を博し、後にワイドショーの司会からニュースキャスター、ナレーションまで幅広く担当した。アナウンス部専任部長、1996年アナウンス部長、1999年アナウンス室長などを歴任し、60歳になった2003年10月に定年退職。露木茂が退職後の2002年4月からの1年半はフジテレビの最年長アナウンサーだった。
石原 邦夫(いしはら くにお、1943年(昭和18年)10月… 石原 邦夫(いしはら くにお、1943年(昭和18年)10月17日 - )は、日本の実業家。東京海上日動火災保険シニアアドバイザー、経団連副会長、日米経済協議会会長、東京急行電鉄監査役、日本郵政社外取締役、国土審議会会長代理、日本情報システム・ユーザー協会会長。東京海上ホールディングス及び東京海上日動火災保険の初代社長・会長や日本損害保険協会会長、経済同友会副代表幹事、三菱東京UFJ銀行取締役、NHK経営委員会委員長などを歴任。 旧満洲鉱山勤務の父と母の一人っ子として新京市に生まれる。生後間もなく東京都に転居し、麹町小学校、麹町中学校、都立日比谷高校を経て、東京大学法学部法律学科(行政法ゼミ)を卒業。
間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )… 間塚 道義(まづか みちよし、1943年10月17日 - )は、日本の実業家。富士通代表取締役会長兼社長や、同社取締役会長、情報通信ネットワーク産業協会会長、日本知的財産協会会長などを務めた。 東京都出身。神奈川県立希望ヶ丘高等学校を経て、1968年学習院大学経済学部経済学科卒業後、富士通ファコム入社。1971年富士通に転社。1999年常務理事兼産業営業本部長。2001年取締役東日本営業本部長。2002年執行役。2003年経営執行役常務。2005年取締役専務。2006年代表取締役副社長。2008年代表取締役会長。2009年代表取締役会長兼社長。2010年代表取締役会長。2012年取締役会長。2014年社内定年規定に従い取締役相談役に退いた。
湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 20… 湊谷 弘(みなとや ひろし、1943年10月17日 - 2016年6月15日)は、日本の柔道家(講道館9段)。富山県出身。 1967年と1969年に開催された世界選手権大会の軽中量級覇者である。 富山県福野町(現・南砺市)で接骨院を営む家に、7人兄妹の末っ子として生まれる。父が道場を経営していた関係で5歳頃から柔道を始め、当時は幼心にもインターハイか国体への出場を目標に稽古に励んだ。なお、兄妹はいずれもスポーツマン・スポーツウーマンで、後に卓球のダブルスで日本一になった者もいる。 中学校を卒業すると、進学校であり柔道でも県立小杉高校らと共に当時富山県内の4強に数えられた県立福野高校(現・県立南砺福野高校)へ進学。
宮尾尊弘(みやお たかひろ、1943年10月17日- )は、… 宮尾尊弘(みやお たかひろ、1943年10月17日- )は、日本の経済学者、筑波大学名誉教授。 東京都生れ。1966年慶應義塾大学経済学部卒、71年同大学院博士課程満期退学。1974年マサチューセッツ工科大学で経済学博士号を取得。68年慶大助手、1974年トロント大学助教授、1976年南カリフォルニア大学助教授、78年準教授、83年教授を経て1985年筑波大学社会工学系教授、のち名誉教授。1997年国際大学グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)教授。専門は都市経済学。
北村 歳治(きたむら としはる、1943年10月17日 - … 北村 歳治(きたむら としはる、1943年10月17日 - )は、日本の財務官僚、経済学者。早稲田大学教授などを務める。山梨県出身。 山梨県中巨摩郡鏡中條(現・南アルプス市)、酒造業北酒屋(酒銘は「若柳」、当主は代々荻衛門を襲名)の11代目として生まれる(その一族には、明治時代に北海道開拓の先駆となった北村三兄弟がいる)。元大蔵官僚、退官後は早稲田大学教授(2014年名誉教授)。この間、ウズベキスタンをはじめとする中央アジアと東南アジアに対する支援、及び、(国際会計監査問題に係る)公益監視委員会(PIOB)における国際活動。 なお、2016年春に瑞宝中綬章を授与される。 北村の教育・研究は、いずれも30年余の政府・国際機関等の実務を基盤にしている。
石井 俊昭(いしい としあき、1942年10月17日 - 2… 石井 俊昭(いしい としあき、1942年10月17日 - 2018年9月20日)は、日本の銀行家。 千葉県出身。1965年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に千葉銀行に入行。 1991年6月に取締役に就任し、1994年6月に常務、1997年6月に副頭取を経て、2004年6月から2008年6月までに会長を務めた。 2018年9月20日に死去。75歳没。
渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2… 渡辺 克巳(わたなべ かつみ、1941年10月17日 - 2006年1月29日)は、岩手県盛岡市出身の写真家。新宿を舞台に活動した写真家の一人。 盛岡第一高等学校の定時制に通うかたわら、毎日新聞社盛岡支局で補助員の仕事に就き、写真の面白さを知る。 高校卒業後、国鉄に入社するが、写真への思いが断ちがたく1961年に上京。翌年から5年間、東條会館に勤務し、スタジオ撮影を学ぶ。 1965年から、新宿で「1ポーズ3枚1組200円」でポートレート撮影を請け負う「流しの写真屋」になる。 1973年、「カメラ毎日」6月号の新人写真家紹介ページ「アルバム」に「新宿・歌舞伎町」を発表し話題を呼ぶ。「新宿・歌舞伎町」はこの年の「アルバム」の最優秀作品に与えられる「カメラ毎日」アルバム賞を受賞。
平川 英宇(ひらかわ ひでいえ、1941年10月17日 - … 平川 英宇(ひらかわ ひでいえ、1941年10月17日 - )は、日本の経営者。中央信託銀行社長を務めた。三重県出身。 1965年に慶應義塾大学法学部を卒業し、同年に中央信託銀行に入行した。1992年に取締役に就任し、1995年に常務、1997年に専務を経て、1999年に社長に就任。1999年に会長を経て、2000年4月には中央三井信託銀行副社長に就任 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982… 岸田 森(きしだ しん、1939年10月17日 - 1982年12月28日)は、日本の俳優、声優、劇作家、演出家。
甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )… 甲藤 征史(かっとう せいし、1938年10月17日 - )は、高知県香美郡土佐山田町(現:香美市土佐山田町)出身の漫画家、アニメーター。 香南中学2年の頃より『こども高知新聞』に4コマまんが「マンガ横町」を連載。 四国学院大学生の時、横山隆一のアニメーション制作会社「おとぎプロ」に呼ばれ、退学して入社。その後、トキワ荘出身の漫画家を中心に設立された「スタジオゼロ」にうつり、映画『ひょうたんすずめ』、アニメ『パーマン』や『オバケのQ太郎』などの制作にかかわる。 1969年、「何か新しいことに挑戦したい」とドイツに移住。ドイツを中心に、チェコ、スイスなどで新聞マンガ、アニメ、イラストなどを制作。 1993年、『ピングー』の制作を原作者のオットマー・グットマン(英語版)急逝後に引き継ぎ、5年間携わった。
高内秀剛(たかうち しゅうごう、1937年(昭和12年)10… 高内秀剛(たかうち しゅうごう、1937年(昭和12年)10月17日 - )とは、栃木県芳賀郡益子町の陶芸家。 窯の名称は「百童窯」。 大胆かつ力強く豪快で荒っぽい作風を持ち、織部や志野を中心とした釉薬使いと、そして独特な造りの手桶と手付鉢で知られ、その独特な織部釉作品は「高内織部」と呼ばれている。 1937年(昭和12年)10月17日、東京都に生まれる。 東京都立文京高等学校時代には、3年間ずっと同じクラスの同級生であり、高内とは無二の親友となり長い付き合いとなる、後に版画家となり東京芸術大学名誉教授となる中林忠良と同じ美術部に入部し、代替わりを契機として2人で共に「活気溢れる新しい美術部」を作った。
泉 京子(いずみ きょうこ、1937年10月17日 - )は… 泉 京子(いずみ きょうこ、1937年10月17日 - )は松竹映画を中心に活動した日本の元女優。本名は竹中久代。東京府東京市浅草区(現・東京都台東区)出身。
片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷、1937年… 片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷、1937年10月17日 - 2013年2月23日)は、日本の文化人類学者・人文地理学者。 没後2013年11月7日、片倉もとこ記念沙漠文化財団が設立される。財団の目的は、"片倉もとこの志を受け継ぎ「沙漠文化大切にし」「沙漠そのもののうつくしさをひきだす」ことにより、沙漠文化の「諒解」に寄与すること" であり、"片倉もとこ研究資料の整理とその再活用を積極的に推進していくこと" も活動の一点である。 "サウディ・アラビア、マッカ州のワーディ・ファーティマ(Wādī Fāṭima)地域を調査地として選定……1968年12月~1970年8月にかけての20か月間にわたり、集約的なフィールド調査をなしとげ、その後も1971~1975年にかけて毎年のように同地を訪れ、1982~1983年、1988年、そして2003年にも再訪している"。
谷口 吉生(たにぐち よしお、1937年〈昭和12年〉10月… 谷口 吉生(たにぐち よしお、1937年〈昭和12年〉10月17日 - 2024年〈令和6年〉12月16日)は、日本の建築家。位階は従四位。勲等は旭日中綬章。文化功労者。 父は建築家の谷口吉郎。洗練されたモダニズム建築を手掛け、「美術館建築の名手」と呼ばれた。自身の建築について多くを語らず、作品を見せることを優先する「作品主義」の一面があった。 丹下健三都市・建築研究所での勤務を経て、計画・設計工房を高宮眞介と開設し、谷口吉郎建築設計研究所所長、谷口建築設計研究所所長などを歴任した。資生堂アートハウスの設計で1984年 日本建築学会賞、土門拳記念館(1983年)の設計で1984年 吉田五十八賞、東京都葛西臨海水族園(1989年)の設計で1990年 毎日芸術賞を受賞するなど受賞多数。
金森 博雄(かなもり ひろお、1936年10月17日 - )… 金森 博雄(かなもり ひろお、1936年10月17日 - )は、日本の地震学者・地球科学者。カリフォルニア工科大学名誉教授、東京大学理学博士。父は第1次吉田内閣の憲法担当国務大臣、国立国会図書館初代館長の金森徳次郎、兄は経済評論家の金森久雄。 地震発生の物理や、地震を引き起こすテクトニクスを専門としている。 1960年代以前に環太平洋地域で発生した複数の巨大地震の地震波を解析し、それらがプレートの沈み込みに起因することを実証した。また地震の各種パラメータが地震の大きさに応じてどう変化するかをまとめると共に、地震の大きさを表す手法を改良し1977年にモーメント・マグニチュードを考案した。津波の規模の研究を行い、地震の規模と対比して津波の規模が特異的に大きな地震を1972年に津波地震と定義した。
高村 直助(たかむら なおすけ、1936年10月17日 - … 高村 直助(たかむら なおすけ、1936年10月17日 - )は、日本史学者。文学博士(東京大学・論文博士・1984年)(学位論文「日本資本主義史論」)。東京大学名誉教授、フェリス女学院大学名誉教授。専門は日本近代経済史・産業史。三兄は高村泰雄(京都大学名誉教授)。 大阪市出身。1955年大阪府立高津高等学校卒業、1959年東京大学文学部卒業、1965年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学、社会科学研究所助手(- 1966年)。 1971年から東京大学文学部助教授、教授を務め、1997年定年退官、名誉教授、フェリス女学院大学国際交流学部教授。2007年退職、名誉教授。1984年「日本資本主義史論」で東京大学より文学博士の学位を取得。
柳川 福三(やながわ ふくぞう、1936年10月17日 - … 柳川 福三(やながわ ふくぞう、1936年10月17日 - 1994年6月14日)は愛知県出身の元プロ野球選手。
種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10… 種子島 経(たねがしま おさむ、1935年〈昭和10年〉10月17日 - )は、日本の実業家。元BMW東京社長。「日本教育再生機構」代表委員。教科書改善の会賛同者。元新しい歴史教科書をつくる会会長。 実業界から退いた後、東大の同級生で当時、新しい歴史教科書をつくる会の会長だった西尾幹二から「財務を見てくれ」と頼まれ、1999年(平成11年)3月に理事に就任、一時は副会長を務めた。日露戦争について研究し、著書『くたばれ!リストラ―日露戦争に学ぶ経営・人生』を出版したり、学会に呼ばれるなどした。 明石への隠居を決めていた2006年(平成18年)2月、つくる会の内紛で八木秀次が会長を解任されたあおりで、会長に担ぎ出された。
岡部 和雄(おかべ かずお、1935年10月17日 - )は… 岡部 和雄(おかべ かずお、1935年10月17日 - )は、仏教学者。駒澤大学名誉教授。 秋田県出身。1954年3月栴檀学園高等学校、1958年3月、駒澤大学仏教学部禅学科卒業。1961年3月、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専門課程修士課程修了。1966年3月、同博士課程満期退学。同年、駒澤大学仏教学部専任講師兼仏教学研究室助手。1969年に禅研究所講師(併任)、1973年に専任助教授を経て、1979年に教授就任。 仏教学科主任、仏教学部長、大学評議員・理事、禅文化歴史博物館館長を歴任。2006年 駒澤大学を定年退職、名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
松野 太郎(まつの たろう、1934年10月17日 - )は… 松野 太郎(まつの たろう、1934年10月17日 - )は、日本の気象学者。独立行政法人海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター特任研究員、東京大学名誉教授、北海道大学名誉教授。専門は気象学、特に気候システムのダイナミックス、地球温暖化予測などが研究テーマ。 長野県長野市で出生、茨城県水戸市、勝田市(現・ひたちなか市)育ち。茨城県立水戸第一高等学校、東京大学理学部卒業、東京大学大学院数物系研究科地球物理学専攻博士課程を1962年に退学、1966年に理学博士学位取得(東京大学)。東京大学教授、北海道大学教授、海洋研究開発機構地球環境フロンティア研究センター長を歴任。
副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 20… 副田 義也(そえだ よしや、1934年10月17日 - 2021年10月8日)は、日本の社会学者・漫画評論家。筑波大学名誉教授。 東京生まれ。父は牧師・副田正義(1906年-2004年、青山学院神学部卒業)。 1953年、東京都立新宿高等学校卒業。1957年、東京大学文学部社会学科卒業。1959年、同大学院社会科学研究科修士課程修了。1995年、「生活保護制度の社会史」で東京大学より博士(社会学)の学位を取得。1959-1966 日本社会事業大学 嘱託・助手・講師・助教授。1966-1977 東京女子大学助教授・教授。1977-1998 筑波大学 教授 1995年、副学長。1998-2010 金城学院大学教授。
壺阪 龍哉(つぼさか たつや、1934年10月17日 - )… 壺阪 龍哉(つぼさか たつや、1934年10月17日 - )は、日本のコンサルタント。株式会社トムオフィス研究所代表取締役、元駿河台大学教授。専門は記録管理、事務管理。 1934年に東京で生まれる。1958年に慶應義塾大学経済学部を卒業する。鐘紡に入社した後に、共栄工業に転職した。その後、ファイリング・クリニック株式会社を創設し常務取締役に就任する。1990年に株式会社トム オフィス研究所を設立し、代表取締役に就任した。後に駿河台大学文化情報学部・文化情報学研究科客員教授を務め、後進育成を行った。 オフィス業務効率化の専門コンサルタントとして人事・能力開発・総務・企画などの仕事を経たノウハウをもとに多数の著作を執筆し、企業や諸官庁で改善指導を担った。
三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - … 三保 敬太郎(みほ けいたろう、1934年10月17日 - 1986年5月16日)は、東京都出身の作曲家、編曲家、ジャズピアニスト、レーシングドライバー、俳優、映画監督。 妻はボーカリストの宮崎正子。 鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した三保幹太郎の息子。高校時代から、ピアニストの守安祥太郎に師事し、在学中の1950年に「クール・ノーツ」でプロデビュー。慶應義塾大学卒業後は、トミー・パーマー・オーケストラなどでピアニストとして活動。1959年4月、前田憲男、山屋清と「モダンジャズ3人の会」を結成。同年『モグラの唄』で芸術祭奨励賞受賞。1961年、日本ジャズ界の作・編曲分野に大きく貢献し、2度目の芸術祭奨励賞を受賞。
田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月1… 田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月17日 - 2014年〈平成26年〉7月8日)は、日本の神職。石清水八幡宮宮司。 京都府神社庁監事・庁長、京都神社スカウト協議会副理事長、京都國學院院長などを務めた。 昭和9年(1934年)10月17日、田中文清の子として京都府に生まれた。 昭和41年(1966年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した。 昭和42年(1967年)、春日大社出仕となり、翌昭和43年(1968年)に同社権禰宜、昭和54年(1979年)に禰宜に就任した。 昭和54年(1979年)、累代社家として奉職していた石清水八幡宮に還り、同宮権宮司に就任。また昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)まで、ボーイスカウト綴喜第1団の団委員長を務めた。
綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )… 綾部 光芳(あやべ みつよし、1934年10月17日 - )は、日本の歌人。響短歌会主宰。歌誌「響」(隔月刊)編集人。日本短歌協会副理事長。現代短歌協会会員。日本歌人クラブ会員。埼玉県歌人会理事。牧水研究会会員。埼玉県飯能市出身。 1934年10月17日、埼玉県飯能市に生まれる。現在は埼玉県秩父市在住。大野誠夫に師事し、多大な影響を受ける一方で、斎藤茂吉、若山牧水あるいは日本の古典、仏教、文化財などにも傾倒し、幻想と写実の間を漂うような独自の世界を創造し、2012年にはいくつかの例外を除き、一首のなかに一ヶ所のみ漢字を記した短歌を収録した前代未聞の歌集『水月』を上梓するなど、実験的な活動を行うなどして注目されている。
菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17… 菅野 聖子(かんの せいこ、1933年〈昭和8年〉10月17日 - 1988年〈昭和63年〉6月1日)は、日本の仙台出身の美術家。前衛美術グループ・具体美術協会後期の「第三世代」メンバーとしても知られる。製図用品を用い、細く均一な線の集積によって画面を構築する、繊細で詩的な画風が特徴。 宮城県仙台市大町生まれ。旧姓、相澤。1940年から46年の間、太平洋戦争の影響で転居を繰り返す。尚絅女学院高等学部在学中から絵画を学び始め、1954年、福島大学学芸学部図工科に入学。1956年卒業後は仙台に戻り、石巻服飾技芸専門学校に入学。当時尚絅女学院短期大学教授で〈水彩聯盟〉会員であった海老原省象の美術教室に通い、色面構成による叙情的な抽象画で「水彩聯盟展」や「創元会展」に初入選。
橘 祐典(たちばな ゆうてん、本名:橘裕彦(たちばな ひろひ… 橘 祐典(たちばな ゆうてん、本名:橘裕彦(たちばな ひろひこ)、1932年10月17日 - 2010年9月22日)は、日本の映画監督。『どぶ川学級』や『にんげんをかえせ』、『東京大空襲 ガラスのうさぎ』をはじめ、反戦・労働運動を軸に社会派作品を手掛けたことで知られる。日本共産党員であった。 1932年10月17日、東京市牛込(現・東京都新宿区牛込)の出版業を営む家庭に生まれる。幼少時より映画好きが高じ、東京都立新宿高等学校を経て今井正、山本薩夫両監督の下に助監督として入り、以後独立系プロダクションを転々とする。初監督作品は1956年三井芸術プロの記録映画『働く少年のねがい』。1966年には青銅プロ設立に加わる。
小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2… 小浜 元孝(こはま もとたか、1932年10月17日 - 2017年1月12日)は、東京都出身のバスケットボール選手・指導者。 墨田工業高校で選手権(現インターハイ)に出場、2年次には準優勝となり最優秀選手に選ばれる。 卒業後、日本鉱業に入社しバスケット部に所属。ガードとして活躍した。 1958年に現役引退し、指導者を目指すためケンタッキー大学に留学。 帰国後、昭和学院高でコーチキャリアをはじめ、安田生命、日立戸塚、法政大学で指導に当たる。 1979年、全日本男子の監督に就任。同年のアジア選手権準優勝に導いた。 1982年、秋田いすゞ自動車のヘッドコーチに就任。第59回オールジャパンで優勝を果たした。
木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 198… 木村 繁(きむら しげる、1932年10月17日 - 1987年11月13日)は、日本の科学ジャーナリスト。 熊本市生まれ。熊本県立熊本高等学校卒。1955年東京大学教養学部科学史及び科学哲学科卒、朝日新聞社入社。水戸支局員、朝日新聞社科学部員、1970年科学部長、81年米国ウィルソン・センター客員研究員、朝日新聞社調査研究室主任研究員、衛星チャンネル常務取締役。
遅塚 忠躬(ちづか ただみ、1932年10月17日 - 20… 遅塚 忠躬(ちづか ただみ、1932年10月17日 - 2010年11月13日)は、日本の西洋史学者。
園田 恭一(そのだ きょういち、1932年10月17日 ‐ … 園田 恭一(そのだ きょういち、1932年10月17日 ‐ 2010年2月14日)は、日本の医療社会学者。 東京出身。1962年東京大学大学院社会科学研究科博士課程満期退学、東京大学文学部助手、1964年お茶の水女子大学文教育学部講師、助教授、1968年東京大学医学部助教授、83年教授、1993年定年退官し、名誉教授となり、東洋大学社会学部教授、2003年新潟医療福祉大学教授、2005年特任教授。1983年「保健・医療におけるCommunityの問題 アメリカおよびイギリスを中心として」で保健学博士(東京大学)。日本保健医療社会学会会長を務めた。医療福祉学が専門。
濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17… 濱田 篤哉(はまだ あつや、1931年〈昭和6年〉10月17日 - 1986年〈昭和61年〉5月18日)は、栃木県芳賀郡益子町の益子焼の陶芸家である。 「益子焼の中興の祖」である濱田庄司の三男であり、兄の濱田晋作、その息子で甥の濱田友緒も陶芸家である。 1931年(昭和6年)10月17日、陶芸家・濱田庄司の三男として栃木県益子町に生まれる。 1948年(昭和23年)、栃木県立真岡高等学校を卒業後、父・庄司の弟子となる。 1956年(昭和31年)に英国に渡り、約2年間イギリスのセント・アイヴスにあるバーナード・リーチの工房「リーチ・ポタリー(英語: Leach Pottery)」に在籍し、リーチに師事し共に働き、陶芸家としての足場を固めた。
砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、… 砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス。東京都出身。 戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男やすぎやまこういちと同期になる。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学。同高校の同級生に浅利慶太がいた。 1955年に慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。
小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月… 小倉 磐夫(おぐら いわお、1930年 <昭和5年> 10月17日 - 2000年 <平成12年> 10月6日)は、日本の工学者。専門は応用光学。東京大学名誉教授。カメラ、レンズ(カメラ用から工業用までを含む)、ブラウン管、レーザーなどについて研究、開発した。また、カメラについてのエッセイも多い。東京生まれ。理学博士。旭日中綬章受章。位階は正四位。
山田 稔(やまだ みのる、1930年10月17日 - )は、… 山田 稔(やまだ みのる、1930年10月17日 - )は、日本の小説家、フランス文学者、翻訳家。 福岡県門司市(現:北九州市門司区)出身。1953年に京都大学文学部卒業。1954年京都大学人文科学研究所助手、1965年京都大学教養部講師、助教授、教授。1994年定年退官し名誉教授の称号を辞退する。 「日本小説をよむ会」や同人誌「VIKING」の活動に参加し、1982年「コーマルタン界隈」で芸術選奨文部大臣賞、1997年「ああ、そうかね」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。小説・エッセイ・翻訳などの著書が多数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10… 木匠 マユリ(もくしょう マユリ、1929年〈昭和4年〉10月17日 - 没年不明)は女優。東京市出身。本名・旧芸名は木匠久美子。 東京都立大森高等家政女学校(現・東京都立雪谷高等学校)卒業後、第1期東宝ニューフェイスに合格。『地下街二十四時間』(1947年、配給:東宝)で銀幕デビューを果たす。1952年木匠マユリに改名する。1955年、在日米軍の中尉と結婚して渡米したが、離婚して帰国した。
武野 要子(たけの ようこ、1929年10月17日 - 20… 武野 要子(たけの ようこ、1929年10月17日 - 2021年12月19日)は、日本の経済学者。専門は日本経済史。福岡大学教授、兵庫大学教授を経て、福岡大学名誉教授。博多を中心とした東アジア海域の交流を明らかにし、博多商人を通して近世の貿易史を研究。博多学の展開に大きな影響を与える。2004年に福岡県文化賞、2005年に西日本文化賞を受賞。経済学博士。 静岡県に生まれる。3歳より母の実家がある長崎市で育ち、県立長崎高等女学校、活水女子専門学校(現、活水女子大学)英文科を経て、1953年九州大学経済学部卒業。九州大学大学院では日本経済史を専攻。天草の豪商石本勝之丞関連の「石本家文書」を研究し「薩摩藩琉球貿易と貿易商人石本家の関係」(1956年、九州経済論集)など3本の論文を発表。
大森 義弘(おおもり よしひろ、1929年10月17日 - … 大森 義弘(おおもり よしひろ、1929年10月17日 - 2016年11月10日)は、日本の鉄道実業家。北海道旅客鉄道(JR北海道)の初代代表取締役社長や、北海道経済同友会代表幹事を務めた。 東京都出身。東京大学法学部卒業後、1955年に日本国有鉄道入社。北海道総局長を経て、国鉄分割民営化に伴い発足したJR北海道の初代代表取締役社長として、新千歳空港駅開設や札幌駅前開発などにあたった。北海道経済同友会代表幹事なども務めた。叙正四位、旭日重光章追贈。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。 この項目は、鉄道に関連した書きかけの項目です。
山根 雅巳(やまね まさみ、1929年10月17日 - 20… 山根 雅巳(やまね まさみ、1929年10月17日 - 2021年7月25日)は、日本の機械工学者。早稲田大学名誉教授。工学博士。 1929年生まれ。静岡県立静岡中学校卒業。1953年、早稲田大学第一理工学部機械工学科卒業後、福音電機で音響機器の開発、日立製作所中央研究所で高速疲労の研究並びに試験機の開発に従事した。1967年、早稲田大学理工学部機械工学科助教授。1972年、同教授。研究室からは500名以上の学生が、音響機器、潜水機器、自動演奏楽器、疲労試験機、等の研究開発テーマに取り組んで卒業した。 日本で最初のバグパイプバンド、東京パイピングソサエティ(後、東京パイプバンドに改称)を設立、自ら各地で演奏活動を行い、その普及に尽力した。
千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 20… 千田 一路(せんだ いちろ、1929年10月17日 - 2022年7月4日)は、日本の俳人。 石川県珠洲市生まれ。本名・一郎。「風港」名誉主宰。珠洲市役所に勤め、観光・広報・社会教育行政に携わり、福祉事務所長。1954年に俳句結社「風」に入会し、沢木欣一に師事。「風」同人、「白山」顧問を経て、「風港」を主宰。公益社団法人俳人協会評議員、公益社団法人俳人協会石川支部顧問、珠洲並びに石川県俳文学協会顧問、日本ペンクラブ会員、日本文藝家協会会員。 2022年7月4日、病気のため死去。92歳没。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - … 浅沼 和典(あさぬま かずのり、1928年10月17日 - 2010年6月13日)は、日本の政治学者。 岡山県出身。旧制関西中学校を経て、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。拓殖大学教授、明治大学政治経済学部教授。94年退職。
千鹿野 茂(ちかの しげる)、1927年(昭和2年)10月1… 千鹿野 茂(ちかの しげる)、1927年(昭和2年)10月17日 - 2014年(平成26年)4月14日)は、日本の家紋研究家、日本家紋研究会創設者、前会長。埼玉県飯能市出身。 約40年に渡り家紋を研究し、全国各地を遍歴して膨大な家紋を収集し名字と家紋の関係を研究した。日本家紋研究会を創設し、日本の家紋研究に大きく貢献した。また、実の息子の高澤等も家紋研究家で、現在研究会会長を務めている。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
前田 宏(まえだ ひろし、1926年10月17日 - 201… 前田 宏(まえだ ひろし、1926年10月17日 - 2017年12月25日)は、日本の弁護士(登録番号:21882)。元検事総長。日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役。 東京府生まれ。旧制東京高校から東京帝国大学法学部を経て、軍隊に応召されて入隊するも、敗戦後に復員。1951年に検事に任官。その後、内閣法制局参事官、法務省刑事局刑事・総務各課長、大臣官房人事課長、甲府地検検事正、法務大臣官房長、刑事局長、法務事務次官、東京高検検事長を歴任。1985年には次官として検察庁事務章程(昭和60年4月6日法務省令1号)の設置を推進し検察官の権限を拡大した。 1988年3月24日に検事総長に就任。
林 輝太郎(はやし てるたろう、1926年10月17日-20… 林 輝太郎(はやし てるたろう、1926年10月17日-2012年2月28日)は日本の相場師。商品先物取引で名を上げ、一般投資家教育にも尽力した。酒田罫線法を中心に相場技術に詳しく、その著書は証券会社の講習などにも使われる。 陸軍士官学校第61期生。法政大学経済学部および文学部卒業。 幾度も小豆での成功と失敗を繰り返した後、技法を中心とした取引に転換する。ヤマハ通商での事業は成功させることができなかった。その際、林は「相場の世界は実に単純なんです。値動きは激しいし、生き馬の目を抜く世界ですが、すべてが規格化されていて価格の交渉や仕入れ、販売ルートをつくる努力とか、そんなものは不要です。だが相場の世界でうまく立ち回れるからといって、いわゆる商売が上手にできるということではありません」と述べている。
岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - … 岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - 2015年7月29日)は、日本の銀行家。 静岡県沼津市出身。1951年に日本大学農学部を卒業。滝川製紙、駿州製紙での勤務を経て、1960年に駿河銀行に転じ、1964年に取締役に就任し、1966年に常務、1974年に専務、1978年1月に副頭取を経て、1981年3月には頭取に就任。1985年5月に相談役に就任。陸上自衛隊富士学校後援会会長、全国地方銀行協会理事なども歴任した。 2015年7月29日、心不全のために死去。89歳没。
小田村 四郎(おだむら しろう、1923年〈大正12年〉10… 小田村 四郎(おだむら しろう、1923年〈大正12年〉10月17日 - 2017年〈平成29年〉12月9日)は、日本の大蔵官僚、経営者。明成社社長。拓殖大学第16代総長、日本李登輝友の会会長(第2代)、日本会議副会長などを務めた。小田村有芳の子、小田村寅二郎の弟、楫取道明の孫、千種有任・楫取素彦・楫取寿の曾孫。 東京府出身。学生時代は、日本学生協会の活動家として「現行の高校、大学には「情意の枯渇」がはなはだしい」と難じ、その刷新運動に参加した。1943年に学徒出陣。 終戦後に東京帝国大学法学部に復学卒業。1947年(昭和22年)大蔵省(現:財務省)に入省。理財局国庫課に配属。名古屋国税局長、内閣官房内閣審議室長、防衛庁経理局長などを務めた。
藤綱 亮三(ふじつな りょうぞう、1922年10月17日 -… 藤綱 亮三(ふじつな りょうぞう、1922年10月17日 - 1987年9月11日)は、日本の実業家である。神戸新聞社の元代表取締役社長。兵庫県出身。 1942年昭和高等商業学校(現大阪経済大学)卒業、1952年神戸新聞社入社、経理局長、総務局長を経て、1969年取締役、1975年常務、1981年専務、1982年代表取締役社長就任。 1972年から社長に就任していた光田顕司が退任したことにともない社長に就任した。サンテレビ取締役、デイリースポーツ取締役なども歴任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 -… 宮城海 清人(みやぎうみ きよと、1922年10月17日 - 没年不明 )は、宮城県本吉郡津谷町(現役当時、現・同県気仙沼市)出身で出羽海部屋に所属した元大相撲力士。本名は高橋 清人(たかはし きよと)。最高位は西前頭15枚目(1949年10月場所)。現役時代の体格は171cm、94kg。得意手は左四つ、寄り、下手投げなど。 18歳の時に上京し、出羽海部屋へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の横綱・鏡里や大関・松登らがいる。 因みに、当初の四股名は、出身地の宮城県本吉郡に由来する「本吉」であった。 体格にはあまり恵まれていなかったものの順調に出世し、序ノ口に付いてから約4年後の1945年6月場所で新十両に昇進。