丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - … 丸山 雅仁(まるやま まさひと、1943年12月23日 - 2020年6月3日)は、日本の作曲家、編曲家。 2014年、第56回日本レコード大賞で編曲賞を受賞。 2020年6月3日、急性呼吸器不全のため死去。76歳没。約2年前から体調を崩して療養中だった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )… 丸山 健二(まるやま けんじ、1943年12月23日 - )は、日本の小説家。 高校を卒業後、通信士として商社に勤務。傍ら創作をはじめ、生と死の主題を冷静な筆致で描いた『夏の流れ』(1966年)で芥川賞受賞。『正午なり』(1968年)、『朝日のあたる家』(1970年)などで帰郷と定着の問題を扱い、一層の社会性を加える。 国語教師の息子として長野県飯山市で生まれ、父の転勤に伴い各地を転々とし、大町市に育ち、長野市篠ノ井で中学校を卒業。1964年、国立仙台電波高等学校(現在の仙台高等専門学校広瀬キャンパス)を卒業後、1967年まで株式会社江商東京支社総務部通信課にテレックス・オペレーターとして勤務。
百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月… 百瀬 二三男(ももせ ふみお、1942年〈昭和17年〉12月23日 - )は、日本の実業家。長野県塩尻市出身。
内倉貢(うちくら みつぐ、1942年12月23日 - )は、… 内倉貢(うちくら みつぐ、1942年12月23日 - )は、日本の実業家。元日本乾溜工業株式会社 代表取締役社長、取締役会長。 1942年生まれ。千葉商科大学商経学部卒業。1966年日本乾溜工業株式会社入社。1992年取締役土木事業部長・鹿児島支店長、1993年取締役土木事業部長、1998年5月取締役建設事業部長、同年12月常務取締役建設事業部長、2001年取締役建設事業部南九州地区担当、2002年事業本部参与、2004年代表取締役社長事業本部長、2005年代表取締役社長、2011年取締役会長、2015年名誉会長就任。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2… 中津 文彦(なかつ ふみひこ、1941年12月23日 - 2012年4月24日)は、日本の小説家。 岩手県一関市出身。本名は廣嶼文彦(ひろしま ふみひこ)。岩手県立一関第一高等学校、学習院大学政経学部卒業。ペンネームの由来は、家の傍に中津川が流れていたことから。 岩手日報社で報道記者として務めていた1982年、『黄金の砂(出版時は『黄金流砂』に改題)』で第28回江戸川乱歩賞を受賞した。その後、退社して作家活動に専念する。1985年には『七人の共犯者』で第12回角川小説賞を受賞した。 2012年4月24日、肝不全により逝去。70歳没。
大幸 甚(おおさか じん、1941年(昭和16年)12月23… 大幸 甚(おおさか じん、1941年(昭和16年)12月23日 - )は、日本の政治家。石川県議会議長等を経て、加賀市の初代市長を務めた。 石川県江沼郡大聖寺町本町生まれ。石川県立小松高等学校を経て、専修大学法学部卒業。代議士秘書を経て、29歳で加賀市議会議員に初当選。1975年石川県議会議員(自由民主党)に初当選し、爾後6期務め石川県議会議長にも選出された。1999年加賀市長。2003年再選。加賀市・山中町合併協議会会長として平成の大合併にあたり、2005年には合併後の新制加賀市の初代市長に当選した。
新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は… 新井 英治(あらい えいじ、1941年12月23日 - )は、日本のトロンボーン奏者。スタジオ・ミュージシャン。広島県広島市出身。 武蔵野音楽大学在学中にプロとしてデビューする。 東京ユニオン、ニューブリード等のバンド活動を経て、1969年からフリーの音楽家としてコンサートや公演等への参加を開始する。主に1970年代から80年代にかけては、スタジオ・ミュージシャンとして膨大な数のレコーディングに参加するようになる。また、トロンボーン音楽教室やビッグバンドのコーチなども積極的に行っている。ほか、東京ディズニーランドの音楽監督や「夜のヒットスタジオ」の音楽監督および指揮、アレンジ等も担当している。 演奏家のあいだでは″チャンピオン″の愛称で知られる。
太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )… 太田 紘一(おおた こういち、1940年12月23日 - )は兵庫県神戸市出身の元プロ野球選手(投手)。 兵庫高では甲子園に出場できなかったが、コールドゲーム参考記録を含め3度のノーヒットノーランを記録した。卒業後は立教大学に進むが中退し、1960年11月に大阪タイガース入団。 翌1961年にリリーフで初登板、9月には初先発を果たす。1962年には中継ぎとして一軍に定着し、リーグ優勝に貢献した。同年の東映フライヤーズとの日本シリーズでも2試合に登板。その後も毎年20~30試合程度に登板し、防御率も2点台から3点代前半と安定していた。落ちるシュートとカーブが武器の投手だった。 1965年頃から登板数が減り始め、1967年には登板機会もなく自由契約になる。
大田 哲哉(おおた てつや、1940年12月23日 - 20… 大田 哲哉(おおた てつや、1940年12月23日 - 2011年11月7日)は、日本の実業家、広島電鉄代表取締役会長。広島商工会議所会頭を務めた[3]。
高橋 亮人(たかはし あきと、1940年12月23日 - )… 高橋 亮人(たかはし あきと、1940年12月23日 - )は、日本の工学者、工学博士。大阪大学名誉教授。専門は核融合中性子工学・核反応。 岡山県出身。1963年大阪大学電気工学科卒業、1965年大阪大学大学院原子核工学専攻修了。1965年から2004年まで大阪大学原子力工学科にて助手・助教授・教授を勤め、2004年定年退官。日本原子力学会特賞、同フェロー。タイ、チェンマイ大学名誉理学博士。2004年より国際常温核融合学会理事。株式会社テクノバ理事。
水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭… 水森 亜土(みずもり あど、本名:里吉 文江、1939年〈昭和14年〉12月23日 - )は、日本のイラストレーター、歌手、女優、画家、作家。「劇団未来劇場」所属。愛称は「あどちゃん」「あどタン」。夫は「劇団未来劇場」の主宰者である里吉しげみ。旧姓:森。 東京府東京市日本橋区(現:東京都中央区日本橋)出身。父は建築家。母親は日本画家の森美子。幼い頃に絵やバレエ、ピアノを習う。 中央区立常盤小学校、桜蔭中学校・高等学校卒業。ハワイのモロカイハイスクールに遊学し、英語とジャズに触れる。 日劇ミュージックホールで歌手デビュー。英会話雑誌でイラストも描き始める。1964年、のちの夫・里吉しげみ(1965年に結婚)の主宰する劇団未来劇場公演「彼も仲間も悪い奴」で初舞台。
小林 禮子(こばやし れいこ、旧姓・木谷 1939年12月2… 小林 禮子(こばやし れいこ、旧姓・木谷 1939年12月23日 - 1996年4月16日)は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。神奈川県平塚市出身、七段。父は木谷實九段、夫は小林光一名誉三冠、女流本因坊などを獲得した小林泉美六段は娘。 1939年木谷實の三女に生まれる。平塚市立花水小学校、平塚市立浜岳中学校から神奈川県立平塚江南高等学校に進学。父の木谷實の道場で大勢の弟子達に混じって腕を磨き、1956年に入段。木谷の子女の中では唯一のプロ入り。1961年三段に昇進。1963年四段時に、女流選手権戦で伊藤友恵五段を破って初タイトル獲得、以後女流碁界のリーダー的存在として活躍。1964年に囲碁使節団の一員として渡米。
中川 了滋(なかがわ りょうじ、1939年12月23日 - … 中川 了滋(なかがわ りょうじ、1939年12月23日 - )は、日本の元裁判官、弁護士。石川県津幡町出身。元最高裁判所判事(2005年1月19日 - 2009年12月22日)。金沢大学法文学部10期生。金沢大学同窓会(北の都会)の東京支部長。東京都文京区在住。
山火 正則(やまび まさのり、1939年〈昭和14年〉12月… 山火 正則(やまび まさのり、1939年〈昭和14年〉12月23日 -2018年〈平成30年〉1月15日 )は、日本の法学者。神奈川大学名誉教授。専攻は刑事法学。 1939年(昭和14年)12月23日、北海道小樽市に生まれる。1963年(昭和38年)東北大学文学部哲学科卒業。1970年(昭和45年)東北大学大学院法学研究科公法専攻博士課程修了(法学博士)。神奈川大学法学部教授。神奈川大学学長(2000年 - 2007年)。 科刑論、罪数論等で重要な理論的要素となる、犯罪競合(「観念的競合」、「法条競合」、「かすがい理論」、「幅の理論」等)等に関する論文を執筆した。また、明治40年刑法典の成立過程に関する研究にも注力した。
矢崎 秀一(やざき ひでかず、1938年12月23日 - )… 矢崎 秀一(やざき ひでかず、1938年12月23日 - )は、日本の裁判官。東京高等裁判所部総括判事を務めた。 長野県出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学法学部卒業。1964年東京地方家庭裁判所判事補。1967年福島地方家庭裁判所白河支部判事補・白河簡易裁判所判事。1970年東京地方家庭裁判所判事補・東京簡易裁判所判事。1972年法務大臣官房訟務部付検事。1976年東京地方裁判所判事。1978年札幌高等裁判所判事。1981年最高裁判所調査官(東京地方裁判所判事)。1983年東京地方裁判所判事。1984年東京地方裁判所部総括判事。1987年水戸地方家庭裁判所部総括判事。1992年東京高等裁判所判事。
野澤 久人(のざわ ひさと、1938年(昭和13年)12月2… 野澤 久人(のざわ ひさと、1938年(昭和13年)12月23日 - )は、日本の政治家。元福生市長(2期)。 長野県出身。1962年、東京教育大学卒業後、当時の福生町役場の教育委員会社会教育主事として入庁。その後20年間同市の社会教育に携わり、その後は市長部局に移り、企画財政課長、企画財政部長、助役を歴任した。 2000年5月に行われた市長選挙に自民党・公明党推薦・民主党支持で立候補し共産党推薦の新人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:38.39%(前回比:-pts) 同月21日に就任した。2004年5月の選挙では無投票当選を果たした。2008年5月11日に投開票された3期目の選挙には立候補しなかった。
藤巻 裕蔵(ふじまき ゆうぞう、1938年12月23日 - … 藤巻 裕蔵(ふじまき ゆうぞう、1938年12月23日 - )は、日本の鳥類学者。帯広畜産大学名誉教授、山階鳥類研究所特任研究員、農学博士。別名「祐蔵」。 1938年東京都出身。1961年北海道大学農学部農業生物学科卒業。1966年北海道大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士の学位を取得。北海道立林業試験場研究職員を経て、帯広畜産大学教授。2002年定年退職、名誉教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 -… 浅見 源司郎(あさみ げんしろう、1937年12月23日 - 2024年6月)は、日本テレビ放送網、アール・エフ・ラジオ日本(RFラジオ日本)アナウンサー。東京プロ野球記者OBクラブ会員。東京都出身。都立西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。 1962年(昭和37年)に早大を卒業し、日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球の読売ジャイアンツ(巨人)戦を中心としたスポーツ放送を担当。プロ野球では、1977年9月3日の巨人対ヤクルトスワローズ戦で、王貞治選手(巨人)が放った通算756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。
蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - … 蔦川 正義(つたがわ まさよし、1937年12月23日 - 2022年12月3日)は、日本の経済学者。佐賀大学名誉教授。専門は、地域経済論、地域開発論。
木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、… 木村 要(きむら かなめ、1937年12月23日 - )は、日本の裁判官。法務省広島法務局訟務部長や、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長等を歴任した。 中央大学卒業後、広島地方裁判所判事補、岐阜地方裁判所多治見支部長、法務省広島法務局訟務部長等を経て、局付などを経験しないまま異例の人事で最高裁判所事務総局家庭局第一課長に就任。その後は、エリートコースを歩み、東京家庭裁判所部総括判事、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局家庭局長、千葉家庭裁判所長を歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 -… 保苅 瑞穂(ほかり みずほ、男性、1937年12月23日 - 2021年7月10日)は、日本のフランス文学者、東京大学・獨協大学名誉教授。 東京府東京市神田区元佐久間町(現在の東京都千代田区神田佐久間町)の、保苅保の子として生まれる。祖父は保苅忠助といった。九段高等学校から、1961年東大文学部仏文科卒、1963年同大学院修士課程修了、1964 - 1967年パリ大学、パリ高等師範学校留学、1968年東大博士課程単位取得満期退学、中央大学専任講師、1974年東大教養学部助教授、1990年教授、1998年定年退官、獨協大学教授、2008年名誉教授。 はじめプルーストを研究、モンテーニュなどにも考察を提示した。
仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月2… 仁賀 克雄(じんか かつお、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2017年〈平成29年〉12月22日)は、日本の作家、英米文学翻訳家、アンソロジスト、文芸評論家。本名は大塚勘治で、ペンネームの由来は本名を逆読みしたもの。 神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横須賀高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。在学中の1957年(昭和32年)、江戸川乱歩を顧問に迎えてワセダミステリクラブを創設し、幹事長となる。 卒業後は北スマトラ海洋石油資源開発(のちに現在の国際石油開発帝石に合併され消滅)、アラビア石油に勤務する傍ら、創作活動や海外のミステリ小説、ホラー小説、SF小説の研究・翻訳やアンソロジー編集などを行った。
二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月… 二木 英徳(ふたぎ ひでのり、1936年〈昭和11年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉8月10日)は、日本の実業家。従四位旭日重光章。 元ジャスコ社長、副会長、イオン名誉相談役、日本体操協会名誉会長、元日本チェーンストア協会会長。 兵庫県姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て、1960年東京大学経済学部卒業と同時に、父親である二木一一創業のフタギ株式会社に入社。常務取締役等を歴任後、1970年ジャスコと合併した後、取締役、取締役社長に就任。 その後、取締役副会長、相談役を歴任し、社名がイオンに変更された2001年には、日本体操協会会長に就任。 1995年(平成7年)5月15日 春の褒章で藍綬褒章を受章。
上田 睆亮(うえだ よしすけ、Ueda Yoshisuke,… 上田 睆亮(うえだ よしすけ、Ueda Yoshisuke, 1936年12月23日 - )は、日本の電気工学者、物理学者、応用数学者。京都大学名誉教授、アバディーン大学名誉教授、ハルビン工業大学名誉教授。 兵庫県神戸市出身。1959年、京都大学工学部電気工学科卒業。1964年同大学大学院博士課程単位取得退学。京都大学工学部助手、助教授、教授を経て、2000年に定年退官。同年、公立はこだて未来大学複雑系科学科教授となり、2007年に定年退職。弟子には赤松則男、稲垣耕作らがいる。2017年4月、春の叙勲で瑞宝中綬章を受章。2023年、IEEE GUSTAV ROBERT KIRCHHOFF AWARDを受賞。
涂照彦(と しょうげん、1936年12月23日-2007年)… 涂照彦(と しょうげん、1936年12月23日-2007年)は、台湾出身、日本で活動した経済学者。名古屋大学名誉教授。専攻は国際経済論。日本名・村岡輝三。 台湾雲林県斗六市生れ。1959年台湾大学卒業、1961年に来日、東京大学大学院博士課程修了、1972年「台湾植民地経済の構造と変容」で経済学博士。長崎県立国際経済大学教授、佐賀大学教授、新潟大学教授、名古屋大学教授を務め、2000年定年退官、名誉教授、國學院大學教授。2007年退職。
桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2… 桜井 康雄(さくらい やすお、1936年12月23日 - 2017年4月10日)は、日本のスポーツ新聞記者、プロレス評論家。 元東京スポーツ記者、取締役編集局長を歴任。正確には「櫻井 康雄」。 東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)出身。法政大学卒業後の1961年に東京スポーツ新聞社に入社。運動部に配属されプロレス記者として活躍、運動部長を経て取締役編集局長にまで出世する。その一方、テレビ東京のプロレスアワー、テレビ朝日の新日本プロレス中継『ワールドプロレスリング』の解説者として、舟橋慶一・古舘伊知郎らとのコンビで1980年代中盤まで親しまれた。 桜井は、日本初のプロレス専門誌「月刊ファイト」で主幹を務めた田鶴浜弘、「日刊スポーツ」で運動部長を務めた鈴木庄一と並んで、昭和以降のプロレス史実を記述した人物として知られる。
鈴木 誠一(すずき せいいち、1936年12月23日 - 1… 鈴木 誠一(すずき せいいち、1936年12月23日 - 1974年6月2日)は、日本のモーターサイクル・ロードレーサー、モトクロス選手、レーシングドライバー。東京都板橋区出身。血液型O型。1962年のロードレース世界選手権50ccクラスにスズキのワークスライダーとして出場した。 日産系のエンジンチューナーとして名高い東名自動車(現:東名パワード)の創設者の1人。日本では数少ないメカニカル技術を併せ持ったレーシングドライバーであった。 愛称は誠さん(せいさん)。東名パワード社長の鈴木修二は実弟。 1956年に埼玉県で開催された2輪スクランブルレースにヤマハYA-1(通称赤とんぼ)で出場し優勝したのがデビュー戦と言われている 1958年前後、仲間と共に城北ライダースクラブ(JRC)を結成し、主将的な存在になる。
中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月2… 中島 衛(なかじま まもる、1935年(昭和10年)12月23日 - 2013年(平成25年)11月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 科学技術庁長官(第48代)・総理府原子力委員会委員長(第48代)、衆議院議員(6期)等を歴任した。 父は元衆議院議員の中島巌。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。飯田高松高等学校(現長野県飯田高等学校)、中央大学経済学部卒業。大学卒業後、父・中島巌が経営する信南交通に入社。信南交通を経て地元・飯田市の青年会議所理事長を務める。 青年会議所での活動を通じて、仲間の企業家から政界への進出を勧められ、1972年の第33回衆議院議員総選挙に旧長野県第3区(定数4)から無所属で出馬したが、得票数6位で落選。
渡辺 信三(わたなべ しんぞう、1935年12月23日 - … 渡辺 信三(わたなべ しんぞう、1935年12月23日 - )は日本の数学者。京都大学名誉教授。立命館大学理工学部名誉教授。確率論を専門とする。 1958年に京都大学理学部を卒業。理学研究科修士課程修了後、京都大学理学部助手となり1963年9月に京都大学理学博士、同大学教養部講師、理学部助教授を経て、1974年京都大学理学部教授。1999年京大退官後、立命館大学教授。2006年立命館大学退職。伊藤清の弟子に当たり、大学院では国田寛、福島正俊の一学年上であった。弟子に重川一郎がいる。確率解析学の第一人者であった。
渡辺信一郎(わたなべ しんいちろう、1934年12月23日 … 渡辺信一郎(わたなべ しんいちろう、1934年12月23日 ‐ 2004年2月4日)は、江戸庶民文化研究者、古川柳研究者。別名・蕣露庵主人。 東京生まれ。早稲田大学卒業。東京都立高校で国語教諭を務めるかたわら、20代から古川柳の研究を始め、多数の著書を著す[要出典]。1992年から1995年まで東京都立深沢高等学校校長[要出典]。近世庶民の生活文化、特に性的な面に関する一般向け書物の著者としては花咲一男と並ぶ第一人者である[要出典]。
折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月… 折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 1990年〈平成2年〉3月17日)は、俳人、新聞記者。本名・美昭。 神奈川県横須賀市出身、早稲田大学高等学院・中学部国文学科卒。在学中に同人誌に文芸作品を発表するとともに早大俳句会に参加。1958年東京新聞社に入社。同年『俳句評論』が創刊されて同誌の編集同人となり高柳重信に師事、新聞記者として働く傍らで俳句作品や俳句評論を精力的に執筆する。1967年第3回俳句評論賞を受賞(評論の部)。「俳句評論」終刊のちに、有力同人10人限定の同人俳句誌「騎」創刊(1984年)に参加し、その志を継いだ。ほかの創刊同人は、坂戸淳夫、岩片仁次、安井浩司、寺田澄史、川名大、大岡頌司、阿部鬼九男、志摩聰、佐藤輝明。
高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2… 高尾 吉郎(たかお きちろう、1934年12月23日 - 2017年10月6日)は、日本の実業家。日興證券代表取締役社長。大阪府大阪市出身。大阪府立住吉高等学校、和歌山大学経済学部卒業。
北島 万次(きたしま まんじ、1934年12月23日(戸籍上… 北島 万次(きたしま まんじ、1934年12月23日(戸籍上は1935年1月3日) - 2018年5月14日)は、日本の歴史学者。専攻は日本中近世対外関係史。 愛知県名古屋市生まれ。1957年早稲田大学文学部史学科卒業。1959年東京都立大学 (1949-2011)大学院人文科学科日本史修士課程修了。1991年「豊臣政権の対外認識と朝鮮侵略」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。高崎経済大学助教授、教授、共立女子大学国際文化学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
井口 民樹(いぐち たみき、別名:井口 隆史、1934年12… 井口 民樹(いぐち たみき、別名:井口 隆史、1934年12月23日 -2022年10月7日)は、日本の作家・ノンフィクション作家。 大分県生まれ。早稲田大学卒。『産経新聞』、『週刊サンケイ』記者を経て1963年にフリーとなり、小説、ノンフィクションを書く。丸山ワクチンの擁護者。2012年に『安部磯雄の生涯 - 質素之生活 高遠之理想』(著者名は別名の、井口隆史)で、第60回 日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した。
山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月2… 山本 文郎(やまもと ふみお、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 2014年〈平成26年〉2月26日)は、日本のフリーアナウンサー、司会者、タレント。TBSアナウンサー5期生。愛称は文さん(ぶんさん)またはブンさん。妻はタレントの山本由美子。 東京市小石川区(現在:東京都文京区小石川)出身。一人っ子。1994年9月にTBSを退職してからは、個人事務所の「オフィスぶん」に所属していた。 1944年、母方の実家がある島根県に1人で疎開する。 父親は開業医だったが、第二次世界大戦中に大日本帝国陸軍へ召集。広島陸軍病院勤務中の1945年8月6日に被爆して全身に火傷を負った末、15日後に死去した。母親は薬剤師で、父親と死別後、一人息子である山本を連れて子連れ同士で再婚。
諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明… 諏訪 淳(すわ あつし、1933年12月23日 - 没年不明)は、日本の映画監督。 長野県諏訪郡下諏訪町出身。実家は代々教師の多い家系。中学時代から演劇に興味を持ち、脚本を書いて仲間と舞台作品を発表。長野県諏訪清陵高等学校時代は映画鑑賞して友人と語り合った。東京芸術大学を経て、成城大学経済学部在学中に演劇部に所属、映画美術助手として水谷浩、下河原友雄に師事。美術では限界があり、大監督の作品に満足できなくなり、監督を目指すようになり、契約助監督となる。1959年同大学卒業後、岩波映画製作所入社。羽仁進、羽田澄子らの助監督を務める。1965年『道程』で初監督。1995年同社社長に就任。その後、岩波映像販売社長、岩波映像会長を務める。
中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - … 中嶋 明勲(なかじま あきのり、1933年12月23日 - 2010年4月21日)は、教育社会学者。 仙台市出身。東北大学教育学部卒、同大学院博士課程修了、「社会学的教育思想の形成 フランスに於ける「社会学主義」を中心に」で教育学博士。愛知教育大学助教授、教授、90年名誉教授、名古屋工業大学教授、金城学院大学教授、東北学院大学教授。 長男は分子生物学者・東北大学准教授の中嶋正道(1960 - )。
丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月… 丸森 仲吾(まるもり ちゅうご、1932年〈昭和7年〉12月23日 - 2021年(令和3年)10月25日)は、日本の銀行家。七十七銀行頭取、仙台商工会議所会頭などを歴任した。 出生地は現在の登米市だが、実家は、姓の由来でもある宮城県丸森町の山林地主にあたる。 宮城県佐沼高等学校、東北大学時代は野球部で捕手として活躍。同大野球部でバッテリーを組んだ先輩が七十七銀行に入行しており、その紹介もあって就職を決める。 労働組合書記長や委員長を歴任したほか、人事部長に就任するまで14年間にわたり人事部に在籍。それ以降は、ほとんど営業一筋にキャリアを積んだ。 2001年(平成13年)頭取に昇格し、不良債権処理を進め、強固な経営基盤の確立や人材育成に力を入れた。
高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2… 高井 良純(たかい よしずみ、1932年12月23日 - 2020年8月31日)は、日本のミュージカル作曲家、編曲家、演出家。大阪音楽大学卒業。元宝塚歌劇団作曲家(1992年まで在籍)。 関西のミュージカル劇団、日本ミュージカル研究会・劇団JMA 創立者・主宰、但馬ミュージカル研究会 創立者・芸術監督、市民ミュージカル劇団『希望』創立者代表・芸術監督を務める。宝塚歌劇団時代の主な作品に、虞美人、華麗なる千拍子、ワン・ボーイ、ガールス・オー!ガールス、ほか。劇団のモットーは、芸術+エンターテイメント=JMAミュージカル。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。
高橋 正彦(たかはし まさひこ、1931年〈昭和6年〉12月… 高橋 正彦(たかはし まさひこ、1931年〈昭和6年〉12月23日 - 2004年〈平成16年〉1月7日)は、日本の歴史学者、古文書学者、書家。慶應義塾大学名誉教授。東京都出身。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )… 山田 圭一(やまだ けいいち、1931年12月23日 - )は、日本の写真家、教育工学者、社会工学者。筑波大学名誉教授。 東京府出身。1954年東京大学工学部応用化学科卒。ゲッティンゲン大学、フライブルク大学に学ぶ。理学博士、64年東大工学博士。東京工業大学助教授、教授、筑波大学社会工学系教授。95年定年退官、名誉教授、電気通信大学教授。 山岳航空写真のパイオニアとして、国際航空安全学会KO3(岡部)賞、日本航空協会航空功績賞を受ける。航空保安協会評議員。航空ジャーナリスト協会会員。RCC3(第二次ロッククライミングクラブ)同人。
今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、… 今井 敬(いまい たかし、1929年12月23日 - )は、日本の実業家。新日本製鐵(現・日本製鉄)相談役名誉会長、元社長。日本経済団体連合会名誉会長で、第9代経済団体連合会会長。 現在は公益財団法人国際花と緑の博覧会記念協会会長、全日本交通安全協会の会長・新潟県知事泉田裕彦後援会相談役、公益財団法人日本国際フォーラム代表理事(会長)、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役などを務める。ホテルニューオータニ取締役(2019年<平成31年>4月1日-2020年<令和2年>3月31日)。 現在の神奈川県鎌倉市に生まれる。兄は今井善衛(元通商産業事務次官)、甥に同じく経産官僚で安倍晋三総理の内閣総理大臣補佐官、首相政務担当秘書官などを務めた今井尚哉がいる。
岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 20… 岡田 精司(おかだ せいし、1929年12月23日 - 2019年1月25日)は、日本史学者。 東京生まれ。1954年國學院大學文学部史学科卒、1973年「古代王権の祭祀と神話」で大阪市立大学文学博士、立命館大学助教授、三重大学教授、1993年定年。
高橋 高見(たかはし たかみ、1928年12月23日 - 1… 高橋 高見(たかはし たかみ、1928年12月23日 - 1989年5月10日)はミネベアの元社長、元会長。元民社党衆議院議員の高橋高望は弟。ミネベアミツミ代表取締役会長兼社長執行役員の貝沼由久は娘婿。 東京都出身。父・精一郎は鉄屑商から身を起こしミネベアを創業して成功させた資産家であったが、「鉄屑屋の息子」という生い立ちにはコンプレックスを抱えていた。慶應義塾大学経済学部在学中は応援団長や経済学部自治会委員長を歴任し、応援団の制服を学ランからセーターに変え、早慶戦前夜祭を創設した。 鐘淵紡績から日本ミネチュアベアリング(現・ミネベアミツミ)に移り、社長に就任。日本におけるM&Aの先駆者であり、1970年代に企業買収を繰り返し、従業員数十人規模の日本ミネチュアベアリングを上場企業に成長させた。
鈴木 嘉吉(すずき かきち、1928年〈昭和3年〉12月23… 鈴木 嘉吉(すずき かきち、1928年〈昭和3年〉12月23日 - 2022年〈令和4年〉12月16日)は、日本の建築史学者。 東京府出身。1952年(昭和27年)東京大学工学部建築学科卒業。1961年(昭和36年)に論文『遺構の復原を主とした奈良時代寺院僧房の研究』で工学博士。奈良国立文化財研究所平城宮跡発掘調査部長。文化庁文化財保護部建造物課長。同文化財鑑査官。奈良国立文化財研究所長。(財)文化財建造物保存技術協会理事。 飛鳥寺や薬師寺の発掘調査に加えて、正倉院御物や法隆寺東室などの修理に携わり、「60年来の修理屋」を自称する。 2018年(平成30年)に終わった興福寺中金堂(ちゅうこんどう)の再建を指導し、東大寺境内整備にも助言している。
渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - … 渡辺 三郎(ワタナベ サブロウ、1926年12月23日 - 2003年2月14日)は、日本の元政治家。衆議院議員(5期)。
尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年… 尚 詮(しょう せん、1926年12月23日 - 1990年8月31日)は、昭和の実業家。琉球王国19代尚泰王の四男・尚順の六男。
山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年12月23日 - 2… 山口 信夫(やまぐち のぶお、1924年12月23日 - 2010年9月14日)は、日本の実業家。第17代日本商工会議所会頭、元旭化成代表取締役会長・代表取締役名誉会長。2007年旭日大綬章。 広島県甲奴郡総領町(現・庄原市)出身。1942年広島高等師範学校附属中学(現広島大学附属高校)卒業、1943年陸軍予科士官学校卒業を経て、1945年6月陸軍士官学校(58期)を首席で卒業し、少尉として平壌へ出征。ソ連タタール共和国での抑留生活を経験した。 復員後の1952年東京商科大学 (旧制)(現・一橋大学)卒業、同年旭化成入社。同社の「中興の祖」宮崎輝元社長の右腕となり、1974年住宅事業部長に就任し赤字部門からグループ内で最も利益を上げる部門に転換させた。
佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2… 佐藤 晃一(さとう こういち、1924年12月23日 - 2022年5月10日) は、日本の中央銀行家、実業家。ホテルオークラ代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。佐藤潤象元衆議院議員の孫。 ホテルオークラ創業家の大倉喜八郎らと事業を興した実業家・佐藤潤象元衆議院議員の孫である。府立一中、旧制学習院高等科を経て、1948年に東京大学経済学部卒業後、日本銀行入行。大成観光(のちにホテルオークラに商号を変更)常務取締役や、同社取締役副社長を経て、1992年から代表取締役社長を務めた。1995年から代表取締役会長を務め、1999年に青木寅雄らとともに代表権を返上し、相談役に退いた。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。
千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 201… 千葉 和郎(ちば わろう、1923年12月23日 - 2018年1月17日)は、日本の裁判官。最高裁判所事務総局刑事局長や、東京高等裁判所部総括判事、福岡高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官等を歴任した。 第二高等学校で寮歌「散りにし花は」を作曲。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年(昭和20年)に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 東北大学卒業後、東京地方裁判所判事補、最高裁判所事務総局刑事局第二課長、東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所事務総局秘書課長、最高裁判所事務総局刑事局長、大津地方裁判所長、東京高等裁判所部総括判事、横浜地方裁判所長、東京家庭裁判所長等を経て、1985年福岡高等裁判所長官。