川原 勝麿(かわはら かつまろ、1908年(明治41年)6月… 川原 勝麿(かわはら かつまろ、1908年(明治41年)6月24日 - 没年不明)は、昭和時代の政治家。福岡県直方市長。 1933年(昭和8年)高野山大学卒業。 1940年(昭和15年)直方市役所、1941年(昭和16年)より福岡県庁に勤務。戦中軍務を経て戦後は直方市役所勤務に戻る。 1971年(昭和46年)の直方市長選挙にて市長に当選。
6月24日生まれ:296人
川原 勝麿(かわはら かつまろ、1908年(明治41年)6月… 川原 勝麿(かわはら かつまろ、1908年(明治41年)6月24日 - 没年不明)は、昭和時代の政治家。福岡県直方市長。 1933年(昭和8年)高野山大学卒業。 1940年(昭和15年)直方市役所、1941年(昭和16年)より福岡県庁に勤務。戦中軍務を経て戦後は直方市役所勤務に戻る。 1971年(昭和46年)の直方市長選挙にて市長に当選。
靉光(あいみつ、1907年6月24日 - 1946年1月19… 靉光(あいみつ、1907年6月24日 - 1946年1月19日)は、日本の洋画家。昭和前期(戦前・戦中期)に活動した。本名は石村 日郎(いしむら にちろう)。 靉光はシュールレアリズム風や宋元画風など特異な画風で知られるが、生前に多くの作品を破棄した上、残された作品も原爆で失われたことからその数は非常に少ない。将来性を大いに嘱望されていたが敗戦後に戦地からの復員を待たず、38歳で病死した。 戦時下の状況から、靉光は戦争画を描く事を当局より迫られ「わしにゃあ、戦争画は(よう)描けん。どがあしたら、ええんかい」と泣くようにいったという。 東京国立近代美術館(MOMAT)の入り口に作品が飾られているほど近代美術にとって重要な人物である。
近藤 東(こんどう あずま、1904年〈明治37年〉6月24… 近藤 東(こんどう あずま、1904年〈明治37年〉6月24日 - 1988年〈昭和63年〉10月23日)は、日本の詩人。 1904年東京京橋に生まれる。岐阜中学時代より短歌を作り始め、15歳で窪田空穂に年少の才能を賞賛される早熟ぶりを示した。明治大学在学中に「謝肉祭」を創刊。明大卒業後、鉄道省に入り、その一方で詩作をし、春山行夫、竹内隆二、棚夏針手、佐藤一英などと交友をもった。北原白秋に認められ、「詩と音楽」「近代風景」などで新進詩人として出発。27年上海外遊。28年雑誌『詩と詩論』創刊に編集同人として参加、以後「MADAME BLANCHE」「文学」「詩法」「新領土」と戦前戦中のモダニズム詩運動の中心で活動した。
高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 19… 高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 1980年7月1日)は、東京都出身のサッカー選手、教育者。 東京都生まれ。御影師範附属小時代にサッカーを覚え、兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現:兵庫県立神戸高等学校)時代には第1回日本フートボール優勝大会(1918年)に出場した。白洲次郎は神戸一中サッカー部の1年先輩に当たる。 1921年に神戸一中を卒業。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学し、快足のフォワードとして活躍。1927年10月に開催された第4回明治神宮競技大会兼ア式蹴球全國優勝競技會(第7回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に神戸一中および東京帝大の後輩にあたる若林竹雄らと共に神戸一中クラブのメンバーとして出場して大会優勝に貢献した。
谷口 吉郎(たにぐち よしろう、1904年(明治37年)6月… 谷口 吉郎(たにぐち よしろう、1904年(明治37年)6月24日 - 1979年(昭和54年)2月2日)は、昭和期の建築家である。石川県金沢市出身。
森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958… 森 三樹二(もり みきじ、1903年6月24日 - 1958年12月1日)は、日本社会党衆議院議員(6期)。弁護士。中央大学評議員。中央大学講師。父は徳島県議会副議長を務めた。
喜田 新六(きた しんろく、1903年6月24日 - 196… 喜田 新六(きた しんろく、1903年6月24日 - 1964年7月4日)は、日本の歴史学者。中央大学文学部教授。専門は日本古代史。 1903年(明治36年)6月、歴史学者である喜田貞吉の長男として、東京にて生まれる。なお「新六」の名は、彼の生誕地である「新宿六丁目」に由来する。東京高等師範学校附属中学校(現筑波大学附属中学校・高等学校)、第一高等学校文科乙類を経て、1926年(大正15年)、東京帝国大学文学部国史学科に入学。1929年(昭和4年)、東京帝国大学卒業ののち、同大学大学院に入学し、併せて同大学副手になった。1934年(昭和9年)、京城帝国大学法文学部教授に就任し、1942年(昭和17年)、神宮皇學館大學学部教授に就任した。
竹内 鐡二(たけうち てつじ、1903年6月24日 – … 竹内 鐡二(たけうち てつじ、1903年6月24日 – ?)は、日本の教育者。金蘭千里高等学校校長。 鳥取県生まれ。1925年九州帝国大学農学部農芸化学科卒業。 旧制福井県小浜中学校、京都府第一中学校教諭、京都府福知山女子高等学校・京都府立鴨沂高等学校・大阪府立貝塚高等学校・大阪府立三国丘高等学校校長を経て大阪府立北野高等学校校長に就任。 1964年3月31日、府立高等学校を退職。私立金蘭千里高等学校長となる。
春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24… 春日 佳一(かすが かいち、1903年(明治36年)6月24日 - 1981年(昭和56年)11月13日)は、昭和期戦後の政治家。長野県飯山市長。位階は従五位。勲四等旭日小綬章。 長野県下水内郡外様村(現飯山市)で、春日寿平、とも の四男として生まれた。1921年(大正10年)3月、旧制飯山中学(現長野県飯山高等学校)卒業。同年、外様村小学校教諭を勤め、1931年(昭和6年)に退職。 1947年(昭和22年)4月、外様村長に就任し1期在任。1954年(昭和29年)12月には合併後の飯山市議会議員となり、1956年(昭和31年)に議長となる。1961年(昭和36)飯山市教育委員に就任し翌年まで在任した。
高橋 敏雄(たかはし としお、1901年〈明治34年〉6月2… 高橋 敏雄(たかはし としお、1901年〈明治34年〉6月24日 - 1967年〈昭和42年〉11月15日)は、日本の内務・厚生官僚。官選群馬県知事。 長崎県東彼杵郡佐世保村(現佐世保市)で、父・高橋敏二郎、母・三九重の長男として生まれる。1909年(明治42年)1月、東京市に移り、府立第一中学校(現東京都立日比谷高等学校)、第一高等学校を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格し、翌年12月、高等試験司法科試験にも合格した。1926年3月、東京帝国大学法学部法律学科(英法)を卒業。内務省に入省し社会局属となる。 以後、地方事務官、宮内書記官、厚生書記官、厚生大臣官房人事課長、厚生大臣秘書官、内務省大臣官房人事課長、内務大臣秘書官などを歴任。
出光 計助(いでみつ けいすけ、1900年6月24日 - 1… 出光 計助(いでみつ けいすけ、1900年6月24日 - 1994年1月8日)は、日本の実業家。出光興産第2代社長。石油連盟会長も務め、勲二等旭日重光章を受章した。 出光興産の創業者である出光佐三の末弟。出光謙介元出光興産厚生年金基金理事長は長男。株式公開や脱創業家を行い、出光家出身の最後の社長となった出光昭第7代出光興産社長は二男。 福岡県の生まれ。旧制東筑中学(のちの福岡県立東筑高等学校)、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)卒業。内池廉吉ゼミ出身。卒業後南満洲鉄道に入社。系列の鉄鋼会社や商社を経て、戦後、兄である出光佐三社長に勧められ出光興産入社。 1952年に専務を務めていた際、石油メジャーから原油購入を拒否されていたモハンマド・モサッデク政権下のイランに渡航、原油購入契約を締結、自社タンカーの日章丸でイギリス海軍の海上封鎖を突破してイラン原油を日本に持ち帰り、世界の注目を集めた(日章丸事件)。
井口 海仙(いぐち かいせん、1900年6月24日 - 19… 井口 海仙(いぐち かいせん、1900年6月24日 - 1982年6月8日)は、日本の茶道家。京都市に、13代千宗室の3男として生まれた。名は三郎、号は宗含。裏千家宗家の父に茶道を学ぶ。茶道教授をしながら、機関誌「茶道月報」を主宰。戦後は淡交社社長として茶道書の出版、執筆に活躍した。
桑田 笹舟(くわた ささふね、1900年〈明治33年〉6月2… 桑田 笹舟(くわた ささふね、1900年〈明治33年〉6月24日 - 1989年〈平成元年〉7月31日)は、日本の書道家。福山市名誉市民。本名・桑田 明。 広島県福山市坪生町出身。1922年、神戸市立教員養成所に入学し、安東聖空に師事。1924年、文部省師範学校中学校高等女学校教員検定試験習字科に合格し、教員生活を始める一方、西谷卯木らとかな書の研究を始め、古筆研究家の田中親美に師事。同年、一楽書学院(一楽書芸院)を設立して笹舟と号す。1927年『かなとうた』発刊。1932年、関西書道会展、東方書道会展で最高賞受賞。1940年、教員を退職し、創作と学院の運営に専念する。 戦後は日本かな書道界を牽引し、現代かな書の先駆けとなる。
浅見 淵(あさみ ふかし、1899年〈明治32年〉6月24日… 浅見 淵(あさみ ふかし、1899年〈明治32年〉6月24日 - 1973年〈昭和48年〉3月28日)は、日本の小説家、文芸評論家。 兵庫県神戸市に生まれる。1926年早稲田大学文学部国文科卒業。在学中に「朝」の同人に加わり、初めて書いた小説「山」が下村千秋に推賞される[要出典]。1933年尾崎一雄や丹羽文雄らとともに「小説」を創刊。1934年尾崎と丹羽、田畑修一郎と「世紀」を創刊。1935年尾崎と小田嶽夫らと「木靴」を創刊。同年、砂子屋書房の創業に参加。戦中は満洲国で文学活動を行った。1949年早稲田大学高等学院講師、翌年同学院専任教員。1960年早稲田大学商学部に出講、1970年定年退職。 戦後は井伏鱒二や上林暁らの「阿佐ヶ谷会」の主要メンバーで、尾崎一雄と親しく、随筆『単線の駅』や、回想記『あの日この日』によく出ている[要出典]。
芦間 圭(蘆間圭、あしま けい、1895年6月24日 - 1… 芦間 圭(蘆間圭、あしま けい、1895年6月24日 - 1956年以降)は、日本の文筆家、翻訳家。本名・安島 健(あじま けん)。別筆名に曲木 磯六。 秋田県湯沢市出身。東京帝国大学文学部倫理学科中退。報知新聞、日本評論社の記者をへて文筆に転じる。萩原朔太郎らの『感情』に寄稿したこともあり、菊池寛の代作をした。
沼田 政矩(ぬまた まさのり、1894年(明治27年)6月2… 沼田 政矩(ぬまた まさのり、1894年(明治27年)6月24日 - 1979年(昭和54年)5月9日)は、大正から昭和時代の土木工学者、鉄道官僚。 鳥取県に生まれる。1919年(大正8年)東京帝国大学工学部土木工学科を卒業し、鉄道院総裁官房研究所に入る。同研究所および鉄道省教習所の講師を務めたのち、1926年(大正15年)同省神戸改良事務所に転じ、1928年(昭和3年)から2年間、在外研究員として欧米へ留学した。1933年(昭和8年)鉄道大臣官房研究所に戻り、第四科長、1942年(昭和17年)鉄道技術研究所第二部長兼東京帝国大学第二工学部教授、1945年(昭和20年)鉄道技術研究所長を歴任し、同年退官した。
八木 助市 (やぎ すけいち、1893年 <明治26年> 6… 八木 助市 (やぎ すけいち、1893年 <明治26年> 6月24日 - 1974年 <昭和49年> 11月3日)は、日本の社会政策学者。神戸大学名誉教授。 広島県出身。1911年広島商業学校卒業。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部貿易科卒業。福田徳三門下。1919年神戸高等商業学校教授。3年ほど勤めたのち、ドイツ留学し、ベルリン大学(1学期間研究生)やベルリン高等商業学校(de:Handelshochschule Berlin)で学んだ。 1929年神戸商業大学助教授。1930年神戸商業大学教授。1950年神戸大学学生部長。1954年神戸大学評議員。1957年に退官後、神戸大学名誉教授、福岡大学教授。
岡田 弥一郎(おかだ やいちろう、1892年6月24日 - … 岡田 弥一郎(おかだ やいちろう、1892年6月24日 - 1976年4月28日)は、日本の動物学者。学位は、理学博士(東京大学)。三重県立大学(現三重大学)教授、東海大学教授を歴任。 石川県加賀市出身。水産講習所(現東京海洋大学)卒業、東京帝国大学助手、1929年、理学博士(東京大学)(学位論文:「六枚海綿ファレア・ソラシーの發生に就て」)取得。東京高等師範学校教授、三重水産専門学校校長、戦後三重県立大学(現三重大学)教授、水産学部長。定年後、東海大学教授、日本魚類学会初代会長などを歴任。 動物学者としては、魚類、爬虫類や両生類などの分類学の分野において貢献している。 死後半世紀近くたったため、2020年代には岡田の著作はその殆どが国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化され、インターネット上で公開されている。
吉田 晴風(よしだ せいふう、1891年(明治24年)6月2… 吉田 晴風(よしだ せいふう、1891年(明治24年)6月24日 - 1950年(昭和25年)6月30日)は、日本の尺八奏者、邦楽作曲家。本名は吉田 康次(よしだ やすじ)。旧号は吉田 竹堂(よしだ ちくどう)。 1891年(明治24年)、熊本県玉名郡長洲町で酒造業を営む家に生まれる。父の死後、7歳で家業が途絶える。1898年(明治31年)、長洲町立長洲小学校在学中に近所の若者が吹く尺八の音色に魅了され、翌年には親戚から尺八を贈られ演奏を始めた。1908年(明治41年)、熊本商業学校(現・熊本県立熊本商業高等学校)に入学後、姉の援助で本格的な尺八を購入し、琴古流の鳥井虚霧洞に師事した。 1911年(明治44年)、熊本商業学校を首席で卒業後、日本統治時代の朝鮮に渡り大豆貿易商として修業したのち、穀物商として独立。
長谷川四郎(はせがわ しろう、1891年6月24日 - 19… 長谷川四郎(はせがわ しろう、1891年6月24日 - 1982年3月19日)は、英文学者、教育者。長谷川五郎の父。オセロ (ボードゲーム)の名付け親。別名・長谷川朝暮。 東京本郷生まれ。1914年旧制一高英語文科卒、1917年東京帝国大学文科大学英文科卒。 現在は廃校となった旧制水戸高等学校の元教授。1921年4月、水高の最年少教授となり、以降水高廃校まで29年教壇に立った水高を代表する名物教授であった。教え子に後藤田正晴などがいる。この時代に四郎宅での句会に出席していた金子兜太によると、四郎は変わった髪型(前頭部に後ろの髪をかき集めてきて束ね、とぐろに巻いて油で固定している)にピーマン形の鼻、大きな目にしゃれた小さな縁なし眼鏡をかけ、エドガー・アラン・ポーの心酔者だったという。
三上 英夫(みかみ ひでお、1890年6月24日 - 198… 三上 英夫(みかみ ひでお、1890年6月24日 - 1982年11月6日)は、青森県出身の官僚、実業家。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
片多 徳郎(かたた とくろう、明治22年(1889年)6月2… 片多 徳郎(かたた とくろう、明治22年(1889年)6月24日 - 昭和9年(1934年)4月27日)は、大分県出身の洋画家である。 大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)生まれ。 明治45年(1912年)、東京美術学校卒業。文展第3回に『夜の自画像』、第4回に『黄菊白菊』、第5回に『或る人の母』を出品した。第10回出品の『婦女沐浴』と第11回出品の『伎女舞踏図』は、当時では珍しい伝統的な題材と復古的な重厚な色彩とが異色で、以後、帝展における日本化された洋画の代表者と目され、大正7年(1918年)『花下美人』、大正8年(1919年)『霹靂』、昭和4年(1929年)『秋果図』、昭和7年(1932年)『秋果一枝』を帝展に出品した。
細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6… 細萱 戊子郎(ほそがや ぼしろう、1888年(明治21年)6月24日 - 1964年(昭和39年)2月8日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。位階は従三位。 農業、細萱伊勢吉の四男として長野県南佐久郡桜井村(現佐久市)に生まれる。野沢中学を経て、1908年(明治41年)11月海軍兵学校(36期)を卒業し、1910年(明治43年)に少尉任官。1914年海軍水雷学校高等科を卒業後、駆逐艦「樺」乗組、第1特務艦隊参謀、佐世保鎮守府副官などを歴任。1920年(大正9年)、海軍大学校(甲種18期)を卒業。以後、第4戦隊参謀、軍令部第2班第4課参謀、「夕張」副長、「日向」副長、呉軍需部第1課長、「鳥海」艦長、軍需局第1課長、佐世保工廠造兵部長、「陸奥」艦長などを歴任し、1935年(昭和10年)海軍少将に進級。
安武 直夫(やすたけ ただお、1887年(明治20年)6月2… 安武 直夫(やすたけ ただお、1887年(明治20年)6月24日 - 1959年(昭和34年)3月21日)は、日本の内務官僚、台湾総督府官僚、朝鮮総督府官僚。 福岡県の田崎家に生まれ、長じて後に安武一(はじめ)の婿養子となった。1913年(大正2年)、高等文官試験に合格し、翌年に東京帝国大学法科大学独法科を卒業。内務省に入省し、山形県理事官、警保局事務官、朝鮮総督府事務官を歴任。さらに社会局書記官・庶務課長となり、臨時震災救護事務局書記官、資源局事務官を兼ねた。1932年(昭和7年)、台湾総督府文教局長に就任し、1935年(昭和10年)には平安南道知事に転じた。台湾総督府文教局長時代には、伝習館中学(現在の福岡県柳川市にある伝習館高等学校)の先輩でもあり親交のあった北原白秋を台湾に招聘している。
戸田 由美(とだ よしみ、1886年〈明治19年〉6月24日… 戸田 由美(とだ よしみ、1886年〈明治19年〉6月24日 - 1965年〈昭和40年〉7月23日)は、衆議院議員(憲政会→立憲民政党→国民同盟)。男性。埼玉県大宮市長(第2代)。 長野県上伊那郡東春近村(現在の伊那市)出身。1910年(明治43年)、慶應義塾大学部理財科を卒業。南信毎日新聞社専務取締役・主筆、南信絹糸紡績株式会社専務取締役、信産館製糸株式会社取締役を務め、また東春近村会議員に選ばれた。 1924年(大正13年)、第15回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。第18回に至るまで連続4回当選を果たした。その間、濱口雄幸内閣総理大臣の秘書官を務めた。 1944年(昭和19年)には第2代大宮市長に選出された。
井野 英一(いの えいいち、1884年(明治17年)6月24… 井野 英一(いの えいいち、1884年(明治17年)6月24日 – 1944年(昭和19年)1月3日)は、日本の裁判官、満州国最高法院院長・満州国参議府参議。井野碩哉の兄。 東京府豊多摩郡代々幡町(現在の東京都渋谷区)出身。1908年(明治41年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業し、司法官試補として東京地方裁判所に勤務した。1911年(明治44年)に東京地方裁判所判事となり、翌年よりヨーロッパに留学した。帰国後は東京区裁判所検事、同判事、東京地方裁判所部長、大審院判事を歴任した。 1935年(昭和10年)に退官した後は満州国に招かれて、審判官、最高法院次長、特任審判官、最高法院院長を歴任した。
小野 耕一(おの こういち、1882年(明治15年)6月24… 小野 耕一(おの こういち、1882年(明治15年)6月24日 - 1962年(昭和37年)9月10日)は、大正から昭和時代の政治家。実業家。貴族院多額納税者議員。 東京府麹町区飯田町三丁目(現東京都千代田区飯田橋)出身。小野金六の長男として生まれ、1923年(大正12年)3月に家督を相続する。東京外国語学校を修了し、1907年(明治40年)フランスへ留学する。 東京割引銀行頭取、日本煉炭、東洋製罐、松菱殖産、内外食品、東洋鋼鈑各社長、富士製紙、中央ゴム工業、北海道電灯、富士身延鉄道、秋田電気、小武川電力、王子電気軌道、京浜電力各取締役、富士山麓土地、富士山麓電気鉄道各監査役を歴任した。ほか、帝国水産会特別議員、大日本水産会理事、国家総動員審議会委員などを務めた。
木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1… 木見 金治郎(きみ きんじろう、1878年6月24日 - 1951年1月7日)は、将棋棋士。追贈九段。関根金次郎十三世名人門下。岡山県児島郡木見村(現・倉敷市)出身。 古鉄商の子として生まれる。明治19年、数えで9歳のころ、家族と神戸に移る。 二十歳頃までは実家にいて、家業のかたわら、賭け将棋をしていたらしい。数えの19歳の頃、後の十三世名人関根金次郎に四枚落ちで一ひねりされ、将棋の勉強を始める。1914年、家業を捨て東京に出て、関根金次郎門下に入門。プロ棋士となる。 第一次世界大戦後に古鉄の相場が再び上昇したため、大阪に戻り古鉄商を再開する。しかし将棋と力仕事の両立が難しい事から、古鉄商をやめて棋士の道を歩む。
武井 真澂(たけい しんちょう、1875年(明治8年)6月2… 武井 真澂(たけい しんちょう、1875年(明治8年)6月24日 - 1957年(昭和32年)6月3日)は、日本の山岳画家。本名は真澄。 長野県諏訪郡豊田村十川(現・諏訪市)に生まれる。1896年に東京美術学校本科を卒業。1900年(明治33年)から1914年(大正3年)まで旧制長野県立松本中学校で図画を教えた。退職後は東京に住みながら、長野県内を主体に山梨県・富山県・静岡県などの山に登り、山岳画を描いた。
中原 芳煙(なかはら ほうえん、1875年(明治8年)6月2… 中原 芳煙(なかはら ほうえん、1875年(明治8年)6月24日 - 1915年(大正4年)6月20日)は明治・大正時代の日本画家。 島根県邑智郡都賀行村大字潮村(現・美郷町)に、農業と鉄山経営をしていた旧家の当主・源吉郎の次男として生まれた。本名は佐次郎、画号を芳煙という。 幼い頃から絵を好み、那賀郡町村組合立石見学校(現・島根県立浜田高等学校)を卒業後、1896年(明治29年)9月、画家を志して東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学、川端玉章に師事した。 日本画本科2学年の時に美術学校生徒成績品展覧会で「秋野鹿図」が一等褒状を受賞した。 師の玉章は芳煙の画風を推賞して惜しまなかったといわれる。
牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24… 牛島 滕六(うしじま とうろく、1872年〈明治5年6月24日〉 - 1952年〈昭和27年〉9月11日)は、明治から昭和にかけての日本の俳人。本名は虎之助。 俳誌『時雨』の主宰として、戦前の北海道俳壇における重鎮の地位にあった。 1872年(明治5年)、福岡県久留米市に生まれる。 1891年(明治24年)、屯田兵として東永山兵村へ移住する。 1897年(明治30年)、北海道庁の鉄道敷設事業手として旭川へ赴任する。このころから雪村の雅号で河東碧梧桐選の俳誌『活文壇』に投稿していた。 1900年(明治33年)、札幌の吉見香漣・祝鱸江らとともに俳誌『白雪』を発行するが、8号で廃刊となる。 1902年(明治35年)、俳句結社「若葉吟社」を興し、俳誌『若葉』を4号まで発行する。
高山 正雄(たかやま まさお、1871年6月24日(明治4年… 高山 正雄(たかやま まさお、1871年6月24日(明治4年5月7日) - 1944年(昭和19年)10月10日)は、日本の法医学者。 1871年(明治4年)、伊那県信濃国筑摩郡長畝村(旧天領、現塩尻市)に出生。医学博士、法医学の先駆者として、裏指紋の研究・立証等で活躍。長崎医科大学の学長(4代目)や九州帝国大学総長(5代目)等を歴任。1944年(昭和19年)10月10日、福岡県福岡市にて死去、享年74。墓所は染井霊園。位階として正三位が、叙勲として勲二等旭日重光章授与。
国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5… 国司 伍七(くにし ごしち、1870年6月24日(明治3年5月26日) - 1939年10月25日)は、日本陸軍の軍人。最終階級は陸軍中将。
土居 純橘(どい じゅんきち、1870年6月24日(明治3年… 土居 純橘(どい じゅんきち、1870年6月24日(明治3年5月26日)- 1937年(昭和12年)11月23日)は、日本の民権運動家・社会活動家。高知県生まれ。 1870年5月26日、高知県長岡郡大篠村大埇字関(現南国市)において、土居積盛と加免の長男として生まれる。為人剛毅、膽力に富み、仁義に厚く、人情豊かであった。青壮年の頃から身を政界に投じ、長陵の壮士として活躍した。1888年、保安条例発布に際し東京より退去を命ぜられ帰来、更に政界にあって同志武市安哉を国会におくるなど奮闘大いにつとめた。後断然志を決して、雄図を大陸にはせ活躍すること三十余年、この間日清・日露の両役に際しては民間の志士としてはたらいた。
山隈 康(やまくま やすし、1869年6月24日(明治2年5… 山隈 康(やまくま やすし、1869年6月24日(明治2年5月15日)- 1953年(昭和28年)5月10日)は、明治後期から昭和前期の弁護士、政治家。貴族院多額納税者議員、熊本市長。 肥後国菊池郡合志村(現在の熊本県合志市)出身。1898年(明治31年)3月、明治法律学校(現在の明治大学)を卒業し、翌年に弁護士試験に合格した。熊本市に事務所を開業し、後には熊本弁護士会長に選出された。さらに市会議員に選ばれ、議長に就任した。 1932年(昭和7年)熊本県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日に就任し、研究会に所属して1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任。さらに1934年(昭和9年)5月には熊本市長に選出され、1942年(昭和17年)5月まで在任した。
大岩 勇夫(おおいわ いさお、慶応3年5月22日(1867年… 大岩 勇夫(おおいわ いさお、慶応3年5月22日(1867年6月24日) - 昭和30年(1955年)7月7日)は、日本の政治家、弁護士。名古屋市長や衆議院議員(立憲同志会)などを務めた。 三河国加茂郡花本村(現在の愛知県豊田市)出身。東京法学院(現在の中央大学)に入学し、在学中の1890年に代言人試験に合格した。翌年に卒業した後、弁護士を開業し、名古屋弁護士会会長も務めた。 1899年、愛知県会議員に選出された。1910年からは名古屋市会議員となり、3回にわたって議長を務めた。1915年、第12回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。一期務めた。その他、愛知セメント株式会社専務、中京法律学校理事も兼ねた。
島崎 猪十馬(しまざき いそま、1866年6月24日(慶応2… 島崎 猪十馬(しまざき いそま、1866年6月24日(慶応2年5月12日)- 1952年(昭和27年)3月21日)は、自由民権運動家・歴史家、自由民権運動高知旧各社記念会・世話人。板垣伯銅像記念碑建設同志会理事。 慶応2年5月12日(1866年6月24日)、土佐藩士・島崎善七の次男として、高知城下に生まれる。 明治10年(1877年)10月5日、高知県土佐国高知市第八大区四小区築屋敷38番地より高知市小高坂村越前町22番屋敷(現・高知市桜馬場)に転住。 高知市九反田の旧開成館に開校した立志学舎に学び、同年12月、自由民権運動の少年結社「活動舎」に加盟し、のち「嶽洋社」の活動に加わる。 明治15年(1882年)3月25日、高知第一中学校高等科(現・高知県立高知追手前高等学校)を卒業。
宍戸 俊治(ししど しゅんじ、1866年6月24日〈慶応2年… 宍戸 俊治(ししど しゅんじ、1866年6月24日〈慶応2年5月12日〉- 1925年〈大正14年〉5月19日)は、三河国碧海郡上重原村(現・愛知県知立市)出身の医師。 慶応2年5月12日、三河国碧海郡上重原村(現・愛知県知立市)の旧家である宇都宮家に生まれ、後に刈谷藩の藩医の家系である宍戸家の養子となった。1882年(明治15年)12月に東京大学予備門に入学し、1889年(明治22年)6月に第一高等中学校(予備門の改称後の名称)を卒業すると、1893年(明治26年)11月に東京帝国大学医学部を卒業した。 その後東京帝国大学の大学院で病理学を学び、恩師に病理学者の三浦守治などがいる。1895年(明治28年)7月に養父の宍戸隆一が死去したことで郷土に戻り、宍戸家を継いで宍戸療院を開業させた。
高木 顕明(たかぎ けんみょう、1864年6月24日(元治元… 高木 顕明(たかぎ けんみょう、1864年6月24日(元治元年5月21日) - 1914年(大正3年)6月24日)は、真宗大谷派の僧侶。幸徳事件(大逆事件)の被告の一人である。 尾張国西春日井郡下小田井村(現・愛知県清須市)生まれ。尾張小教校(のちの旧制尾張中学、現在の名古屋大谷高等学校)修了。和歌山県新宮市浄泉寺12代住職。旧姓は山田、幼名は妻二郎。 日露戦争では日本でも数少ない非戦論者の一人であり、公娼制度にも反対し、次第に社会主義に接近していった。 1910年(明治43年)、幸徳秋水の談話会を浄泉寺で開催したことから幸徳事件(大逆事件)の関与を疑われ逮捕される。当初、死刑判決に処されたが、後に無期懲役に減刑された。
大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉… 大綱 銀之助(おおつな ぎんのすけ、1852年6月24日(嘉永5年5月7日) - 1911年)は、明治時代の大相撲力士。本名:沼波銀之助。 現在の岐阜県大垣市出身。京都相撲から高砂の門下となり1879年5月に序ノ口。1885年の新聞記事では阿武松和介門弟となっている。その後高砂部屋所属となった。 1884年5月には幕下に昇進したが幕下中位で10年一進一退だった。1891年5月最高位の幕下15枚目。1896年頃からは三段目が定位置となっている。 1893年頃からは3日ほど出場し残り2日を休場しており、若者頭を兼務していたようである。1905年頃からは常に三段目中位から下位に位置しており、若者頭を兼務しているためと思われる(同時期ののちに若者頭となった若梅も同様に三段目中位から下位に記されている)。
狩野 揆一郎(かのう / かの きいちろう、1850年6月2… 狩野 揆一郎(かのう / かの きいちろう、1850年6月24日(嘉永3年5月15日)- 1893年(明治26年)3月5日)は、明治期の官吏、実業家、政治家。衆議院議員。名・順、名・天佑、号・尚堂、通称・揆一郎。 下総国印旛郡山田村(千葉県印旛郡山田村、六合村、印旛村を経て現印西市)で、豪農、酒醸造業を営む狩野家に生まれた。佐倉の郷儒・島田から学び、さらに江戸の安井海保に師事して漢学を修めた。 廃藩置県後、印旛県から里正、戸長に任じられ、1873年(明治6年)10月、印旛・南相馬郡学区取締に就任。 1876年(明治9年)内務省に出仕し、図書局、戸籍局で勤務した。1880年(明治13年)千葉県に転じ、庶務、学務を担当。
謝 珠栄(しゃ たまえ、6月24日)は、元宝塚歌劇団男役で演… 謝 珠栄(しゃ たまえ、6月24日)は、元宝塚歌劇団男役で演出・振付家。大阪府吹田市出身。
坂梨 公紀(坂梨有剋)(さかなし ともき、6月24日 - )… 坂梨 公紀(坂梨有剋)(さかなし ともき、6月24日 - )は、日本の演出家・テレビディレクター。日本映画学校(現・日本映画大学 )第1期卒業。 父親は元電通のドラマ・アニメのプロデューサーの坂梨港。1人息子。 2021年に仕事上の名前『坂梨有剋(さかなし ともき)』を併用。 ◎松本清張作家活動40年記念ドラマ
純市(じゅんいち、6月24日 - )は、日本のベーシスト。C… 純市(じゅんいち、6月24日 - )は、日本のベーシスト。CIVILIANのメンバーであり、ベース担当。栃木県宇都宮市出身。血液型A型。身長160cm。東京スクールオブミュージック専門学校渋谷卒業。本名は加藤 純市。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、音楽関係者(バンド等)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:芸能人)。
杉山 茜(すぎやま あかね、6月24日 - )は、日本の女性… 杉山 茜(すぎやま あかね、6月24日 - )は、日本の女性声優。滋賀県彦根市出身。旧芸名は辻坂 茜(つじさか あかね)。 ラムズ準所属、リンクアーツ所属を経て、2018年5月よりフリー。 ※太字は主演、またはメインキャラクター この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
吉永 光里(よしなが ひかり、本名:鈴木 田鶴子〈すずき た… 吉永 光里(よしなが ひかり、本名:鈴木 田鶴子〈すずき たづこ〉、6月24日 - 2005年1月21日)は、日本のタレント、シンガーソングライター。北海道佐呂間町出身。ブルーインパルスを始めとする、自衛隊イメージソング作曲・広報活動で活躍。また、各種企業のCMソング等や稲川淳二の怪談ビデオBGMも手がけた。 北海道佐呂間町出身。かに座。 3歳からピアノを習う。 中学三年生の時、東京音大を目指し一人、札幌へ出る。北海道唯一の音楽高校のピアノ科合格。その後、東京音楽大学声楽科に合格。 中学・高校音楽の教員免許、”2才児からの絵と音楽による才能開発造形” リトミック講師資格取得。東京音大を卒業後、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部に合格。