赤澤 申也(あかざわ しんや、1947年(昭和22年)6月3… 赤澤 申也(あかざわ しんや、1947年(昭和22年)6月30日 - 2009年(平成21年)12月22日)は、日本の政治家。香川県さぬき市長(1期)。 香川県大川郡志度町(現・さぬき市)出身。1970年日本大学経済学部卒。1991年志度町議会議員選挙に立候補し、当選、1期務める。1995年志度町長選挙に立候補し、当選。2期務める。2002年志度町は津田町・大川町・寒川町・長尾町と合併し、さぬき市が発足。合併後の市長選挙に立候補し、当選した。さぬき市長は1期務め、2006年の市長選挙には立候補しなかった。2009年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
森棟 公夫(もりむね きみお、1946年6月30日 - )は… 森棟 公夫(もりむね きみお、1946年6月30日 - )は、日本の経済学者。専門は、計量経済学・統計学。経済学博士(京都大学・論文博士・1985年)。京都大学名誉教授、椙山女学園大学名誉教授。2009年よりEconometric Society・フェロー。2012年紫綬褒章受章、2025年瑞宝中綬賞。学校法人椙山女学園理事長等を歴任。
千葉 昭(ちば あきら、1946年6月30日 - 2023年… 千葉 昭(ちば あきら、1946年6月30日 - 2023年1月12日)は、日本の経営者。四国電力社長、会長を務めた。香川県出身。 1969年に京都大学経済学部を卒業し、同年に四国電力に入社。2000年6月に取締役に就任し、2003年6月に常務を経て、2005年6月には副社長に就任し、2009年6月に社長に昇格。2015年6月に会長に就任し、2019年6月には相談役に就任。 2023年1月12日心不全のために死去。76歳没。
山崎 治平(やまざき じへい、1946年6月30日 - )は… 山崎 治平(やまざき じへい、1946年6月30日 - )は、日本の経営者。大京社長を務めた。 京都府出身。1971年に京都大学理学部数学学科を卒業し、同年に三和銀行に入行。1998年6月に取締役に就任し、2001年3月に常務、2002年5月にUFJ銀行専務を経て、2004年6月には大京社長に就任。2005年6月に会長に就任。
池澤 秀夫(いけざわ ひでお、1946年6月30日 - )… 池澤 秀夫(いけざわ ひでお、1946年6月30日 - )は、日本の経営者。千葉興業銀行頭取を務めた。 茨城県出身。1969年に専修大学商学部を卒業し、同年4月に千葉興業銀行に入行した。1999年6月に執行役員に就任し、2000年6月に常務を経て、2004年6月には頭取に就任。2009年6月に会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
濱田弘二(はまだ こうじ、1946年6月30日 - )は日本… 濱田弘二(はまだ こうじ、1946年6月30日 - )は日本の郵政・総務官僚。郵政審議官、初代総務審議官(国際担当)などを歴任。 大阪府出身。東京大学法学部卒業。1969年 郵政省入省。1971年 大蔵省主計局法規課へ出向。1997年 郵政省大臣官房総務審議官。1998年6月19日 郵政省郵務局長。2000年6月27日 郵政審議官。2001年1月6日 総務審議官(国際担当)。同年7月6日 退官。大和総研顧問(〜2003年6月)。2003年7月 宇宙通信副社長(〜2004年6月)。2004年7月 国際通信経済研究所理事長。
船岡 誠(ふなおか まこと、1946年6月30日 - )は、… 船岡 誠(ふなおか まこと、1946年6月30日 - )は、日本の日本思想史・倫理学者。北海学園大学名誉教授。 東京都生まれ。1969年明治大学商学部卒業。1977年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。放送大学や駒澤大学などの非常勤講師を経て、1993年北海学園大学人文学部教授(日本思想史など担当)。1999年大学院文学研究科修士課程担当、2001年博士後期課程担当(禅文化史論特殊講義など担当)。2001年から2004年人文学部長、2017年北海学園大学定年退職。同名誉教授。
羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 -… 羽黒岩 智一(はぐろいわ ともかず、1946年6月30日 - 2016年10月23日)は、宮崎県延岡市出身で立浪部屋に所属した大相撲力士。本名は戸田 智次郎(とだ ともじろう)。最高位は東小結(1973年5月場所)。 引退後は年寄・雷として後進の指導に努め、停年まで日本相撲協会に在籍していた。身長179cm、体重133kg。得意手は右四つ、寄り、押し。 本名の戸田を四股名としていた時期も長く、その当時に横綱・大鵬の連勝を45で止める金星を挙げているが、後に「誤審」であると大きな話題となった、このこともあって戸田 智次郎の名でも知られる。 中学校在学中に立浪部屋へ入門し、1961年(昭和36年)5月場所に於いて、14歳で初土俵を踏んだ。
脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は… 脇坂 隆志(わきさか たかし、1945年6月30日 - )は、熊本県出身の元プロ野球選手。
青山 定司(あおやま ていじ、1945年6月30日 - 19… 青山 定司(あおやま ていじ、1945年6月30日 - 1980年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。第1回ヨコハマ映画祭で自主製作賞を受賞した『家獣』で知られる。 1945年(昭和20年)6月30日、関東州(現在の中華人民共和国東北部)大連市に生まれる。同年8月15日、第二次世界大戦が終結し、引き揚げ後、両親は東京都渋谷区の恵比寿で仏具店を開く。 1968年(昭和43年)3月、駒澤大学経済学部を卒業、青山デザイン専門学校(現在の東京デザイン専門学校)アニメ科に進学する。満23歳を迎える同年、初めての8mmフィルム作品『追憶』を発表する。1971年(昭和46年)には、同専門学校の学園紛争をテーマに監督・製作した『たろうトウキョウ』を発表する。
山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作… 山口明雄(やまぐち あきお、1945年6月30日 -)は、作家・広報コンサルタント。石川県加賀市出身。 東京外語大学卒業後、NHKに入局、帯広局、札幌局などでローカル番組を制作。外資系広報企業で広報業務に携わった後、1978年に「岑亜紀良」(みね あきら)のペンネームで執筆した『ハリウッドを旅するブルース』が第31回小説現代新人賞を受賞。その後も『俺のブルースを聞け』などの小説を執筆し、作品の一つ『BEST GUY』は織田裕二主演で映画化され、本人も原作家としてのみならず同映画のプロデューサーとして関わる。執筆業と平行して行っている広報業(PR)では、国内外の企業に広報サービスを行い、95年頃から行っているメディアトレーニング講師としても知られる。
別府 昭郎(べっぷ あきろう、1945年6月30日 - )は… 別府 昭郎(べっぷ あきろう、1945年6月30日 - )は、日本の教育学者、明治大学元教授。ドイツの大学史が専門。 宮崎県・小林市生まれ。1968年広島大学教育学部教育学科卒業の後、1973年3月広島大学大学院教育学研究科博士課程(西洋教育史)で単位修得退学。1973年4月明治大学文学部助手。1975年専任講師、助教授を経て、1989年4月に文学部(教職課程)教授。1982-1983年ミュンヘン大学留学。学外においては、広島大学大学教育研究センター客員研究員、日本女子大学人間社会学部非常勤講師、名古屋大学大学院教育学研究科非常勤講師、上智大学文学部非常勤講師を歴任、学内においては、明治大学二部教務部長(現・副学長)、教職課程主任、明治大学大学史資料センター所長、明治大学体育会サッカー部部長(2002年〜2016年)を歴任。
上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )… 上垣内 誠(かみごうち まこと、1944年6月30日 - )は、広島市出身の元プロ野球選手(外野手・内野手)。
篠原 良昭(しのはら よしあき、1943年6月30日 - )… 篠原 良昭(しのはら よしあき、1943年6月30日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手、遊撃手。 鹿児島商業では2年生の時、1960年の春の選抜に三番打者、遊撃手として出場している。1回戦でエース渡辺泰輔を擁する慶應高に大敗。同年夏の甲子園県予選では準決勝で出水商に敗れる。翌年夏も2年生エース浜崎正人の好投で県予選決勝に進出するが、東条文博のいた鹿児島実に敗退、夏の選手権には出られなかった。 1962年に大毎オリオンズへ入団。俊足好守の内野手と期待され、1964年には一軍に定着する。控え選手の時期が長かったが、1966年に主に遊撃手として82試合に先発出場、石黒和弘とレギュラーを争う。
奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015… 奥成 達(おくなり たつ、1942年6月30日 - 2015年8月16日)は、日本の詩人、ジャズ評論家、著述家、漫画原作者、編集者、作詞家、トランペット奏者。 東京都品川区大井出身。東京都立城南高等学校卒業。雑誌記者、タウン誌編集長、青山学院大学文学部講師を歴任。 さまざまな種類の活動を通して、日本のサブカルチャー界に、広い人脈を築いた。タモリの「密室芸」の命名者である。 また、様々な別名を用いて執筆活動を行った。自身のペンネーム「異魔人」。また高橋肇との共同ペンネーム「影山勲」。弟の奥成繁(久保田呉春)との共同ペンネーム「山口泰」。妻はイラストレーターのながたはるみ。 2015年8月16日、腎盂癌のため死去した。
ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimu… ラッシャー木村(ラッシャーきむら / Rusher Kimura、1941年6月30日 - 2010年5月24日)は、日本のプロレスラー、大相撲力士。本名:木村 政雄(きむら まさお)。北海道中川郡中川町出身。 後期のエースを務めた国際プロレスでは金網デスマッチの鬼の異名を持つブルファイターとして活躍し、新日本プロレス参戦時は国際軍団の総帥としてアントニオ猪木と抗争を繰り広げ、全日本プロレスおよびプロレスリング・ノア在籍時はユーモアあふれるマイク・パフォーマンスで親しまれた。 多くのプロレス団体を渡り歩いたことでも知られる。 2003年よりプロレスリング・ノア終身名誉選手会長。 佐久中学校を経て北海道天塩高等学校に進学、ポール牧と同級生であった。
田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 202… 田代 菊雄(たしろ きくお、1940年6月30日 - 2021年5月12日)は、日本の法学者。専攻は西洋法制史(教会法、カノン法)、社会福祉法制。ノートルダム清心女子大学名誉教授。日本キムイルソン研究会会長。
華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 198… 華山 謙(はなやま ゆずる、1939年6月30日 - 1985年12月25日)は、日本の土地問題研究学者。元東京工業大学教授。ダム補償問題や土地問題を中心に研究。博士(農学)(東京大学、1967年)。東京都生まれ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は… 平井 克彦(ひらい かつひこ、1939年6月30日- )は、日本の経営者。東レ社長、会長を務めた。愛知県出身。 1962年に東京大学経済学部経済学科を卒業し、同年に東洋レーヨン(のちの東レ)に入社した。1993年6月に取締役に就任し、1996年6月に専務に就任し、1997年6月には社長に昇格した。2002年6月に副会長に就任し、2004年6月から相談役を務めた。 2008年4月から2014年4月までに健康保険組合連合会会長を務めた。 2011年11月に旭日重光章を受章した。
甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、… 甲斐 靖文(かい やすふみ、1939年6月30日 - )は、大分県別府市生まれの日本の作曲家・編曲家・明治大学マンドリン倶楽部音楽監督・常任指揮者・OB会会長。古賀政男音楽文化振興財団理事。 1958年、明治大学法学部入学、明治大学マンドリン倶楽部に入部する。1962年に卒業後、大学の先輩にあたる古賀政男に作曲を、佐伯亮に編曲を師事する。 1965年に日本コロムビアに専属作曲家として迎えられ、藤山一郎・島倉千代子・都はるみ・舟木一夫・大川栄策・ペギー葉山・大月みやこ・キム・ヨンジャなどの楽曲、日本相撲協会練成歌(作曲)、器楽曲アルバム、カラオケなどを合わせると、これまでに6,000曲以上の楽譜を制作。
宮﨑 元伸(みやざき もとのぶ 1938年6月30日 - )… 宮﨑 元伸(みやざき もとのぶ 1938年6月30日 - )は、日本の実業家。山田洋行で専務取締役を務めた後、日本ミライズを設立した人物。 福岡県出身。高校卒業後、航空自衛隊に入隊。中央大学経済学部第二部(夜間部)を卒業。除隊後、防衛関連の商社を経て、1969年3月に設立された山田洋行へ航空自衛隊及び防衛関係での人脈を買われて発足時より参画する。守屋武昌を筆頭に防衛庁(現:防衛省)に独自の人脈を形成したこともあって、山田洋行の専務取締役として新参でかつ財閥系でも無い同社が防衛産業での地歩を固めるのに大きく寄与したとされる。 山田洋行オーナーである山田正志は、不動産業にて被った債務弁済のため、宮崎ら他の役員に無断で山田洋行を約百億円で売却しようとした[要出典]。
山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月3… 山根 敬則(やまね よしのり、1938年(昭和13年)6月30日 - )は、日本の政治家、実業家。元岡山県玉野市長(3期)。株式会社NICS(旧:日本情報管理システム)創業者。 大阪府大阪市にて生誕。幼少期に父の仕事の関係で岡山県玉野市へ転入する。岡山県立岡山朝日高等学校を経て、中央大学法学部へ進学した。 大学卒業後は、父が経営する山根船舶工業株式会社に入社。その後、父の死去に伴い同社の代表取締役社長に就任した。社長在任中は若くして玉野青年会議所(玉野JC)の第16代理事長を務めたほか、日本青年会議所岡山ブロック協議会会長、さらには日本青年会議所(日本JC)のアジア委員長、中国地区担当常任理事、監事など数多くの要職を歴任した。
加古 宜士(かこ よしひと、1937年6月30日 - 200… 加古 宜士(かこ よしひと、1937年6月30日 - 2006年12月6日)は、日本の会計学者。専門は財務会計論。商学博士。早稲田大学名誉教授。 愛知県西尾市出身。1956年、愛知県立西尾高等学校卒業。1960年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1966年、早稲田大学大学院商学研究科博士課程満期退学。1982年「物価変動会計論の研究」で商学博士。1966年流通経済大学助手、講師、助教授、教授。1989年筑波大学教授。1997年早稲田大学商学部教授。 早稲田大学大学院会計研究科長、大蔵省企業会計審議会委員、金融庁公認会計士審査会委員、公認会計士第二次試験委員、税理士試験委員、不動産鑑定士第二次試験委員、文部科学省会計分野の専門職大学院に関する検討会主査などを歴任。
広幡 忠恒(ひろはた ただつね、1937年(昭和12年)6月… 広幡 忠恒(ひろはた ただつね、1937年(昭和12年)6月30日 - )は、日本の実業家。富士電機冷機会長。広幡家の第12代当主。父は広幡増弥。学習院大学政経学部卒業。東京都出身。 東京都出身。海軍技術少将・広幡増弥とその妻で広幡忠隆の長女である信子の次男として生まれる。 学習院大学政経学部を卒業後、1960年(昭和35年)に富士電機製造に入社し、1983年(昭和58年)には富士電機冷機の取締役に就任。その後、富士電機冷機で1989年(平成元年)に専務、1993年(平成5年)に専務、1999年(平成11年)に副社長となり、2000年(平成12年)に会長に就任した。また1974年(昭和49年)と1992年(平成4年)に丸一証券の監査役も務めた。
森田 稔夫(もりた のりお、1937年(昭和12年)6月30… 森田 稔夫(もりた のりお、1937年(昭和12年)6月30日 - 1991年(平成3年)7月8日)は、昭和から平成時代初期の政治家。青森県五所川原市長。 森田安雄、キヨの子として青森県西津軽郡木造町(現つがる市)に生まれる。父が旧制木造中学校の教師から応召して戦死後、医師の母に育てられる。東京大学教養学部を卒業し日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)に入社。1967年(昭和42年)五所川原市に移住し森田農場を経営する。衆議院議員総選挙に3度挑戦するものの果たせず、1983年(昭和58年)の五所川原市長選で初当選を果たす。しかし2期目途中、公共工事を巡る側近の疑惑と市政混乱からリコールが成立し辞任した。
一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 … 一乃矢 藤太郎(いちのや とうたろう、1937年6月30日 - 1977年4月19日)は、青森県南津軽郡田舎館村出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は須藤 良一(すどう りょういち)。最高位は西前頭4枚目(1962年3月場所)。現役時代の体格は173cm、86kg。得意手は右四つ、寄り。 明治時代初期から中期にかけて活躍した、大関・一ノ矢藤太郎の曾孫。 同郷で、後に十両まで出世した栃ノ森(後、栃ノ関に改名)の実兄が角界入りの橋渡し役となり、地元の公田寺中学校を卒業後に春日野部屋へ入門した。 なお、入門のために故郷・青森を発つ際には、栃ノ森本人が迎えに来てくれたという。 初土俵は、1953年5月場所。
内重 のぼる(うちのえ のぼる、1937年6月30日生)は、… 内重 のぼる(うちのえ のぼる、1937年6月30日生)は、元宝塚歌劇団月組主演スター(男役)。兵庫県西宮市出身。本名・浦辺 幸子(うらべ さちこ)。 宝塚歌劇団時代の公称身長は163cm。宝塚歌劇団時代の愛称は、サチ、サッちゃん(本名の幸子から)。宝塚歌劇団41期生。 1953年、宝塚音楽学校入学。 1954年、宝塚音楽学校を卒業し、宝塚歌劇団に入団。星組公演『春の踊り』で初舞台。宝塚入団時の成績は51人中3位。初舞台後、星組に配属され、後に月組に異動となる。 1967年5月、宝塚歌劇団退団。最終出演公演の演目は月組公演『霧深きエルベのほとり』 那智わたる・藤里美保とともにマル(那智)・サチ・オソノ(藤里)とたたえられた男役スター。
岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 201… 岩倉 壽(いわくら ひさし、1936年6月30日 - 2018年10月11日)は、日本画家。元日本藝術院会員。元日展常務理事。京都市立芸術大学名誉教授。 香川県三豊郡山本町(現 三豊市山本町)出身。香川県立観音寺第一高等学校、京都市立美術大学(現 京都市立芸術大学)日本画科卒業。同大学専攻科修了。 風景や花鳥などの題材を淡い色彩で描く。京都市立美術大学在学中に日展への初入選を果たす。1959年(昭和34年)同大学卒業後、晨鳥社に入り、山口華楊に師事。日展を中心に活躍する一方、大学に残り、後進の指導に当たってきた。1961年(昭和36年)同大学専攻科修了。1962年(昭和37年)同大学教授に就任。
秋本 祐作(あきもと ゆうさく、1935年6月30日 - 2… 秋本 祐作(あきもと ゆうさく、1935年6月30日 - 2016年5月9日)は、神奈川県中郡大磯町出身のプロ野球選手(投手)、プロゴルファー。 横須賀工業高校では1952年の秋季関東大会県予選準決勝に進むが、慶應高に敗退。1953年秋に知人の紹介で巨人の入団テストを受けるが、身長が基準に満たなかったため不合格となった。 卒業後は京都大丸を経て、1956年に阪急ブレーブスへ入団。3年目の1958年には48試合に登板して13連勝を含む14勝4敗、リーグ3位の防御率1.89を記録し、最優秀勝率のタイトルを獲得。同年に記録した200投球回以上で被本塁打3本は、半世紀後の2008年に岩隈久志が記録している。
伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999… 伊藤 聚(いとう あつむ、1935年6月30日 - 1999年1月6日)は、日本の詩人。東京都出身。 1935年、東京阿佐ヶ谷に生まれる。少年時代を静岡県で過ごした。1945年5月、磐田空襲の直撃を受け、多くの友人を失っている。1954年、静岡県立静岡高等学校卒業。早稲田大学文学部独文科を卒業後、松竹に入社。長く助監督・松竹シナリオ研究所校長を務めた。1951年頃から詩作を発表し始める。後、「氾」「鷭」「壱拾壱」「淼」「アサザ属」「飾粽」「NEW感情」などに所属した。美術への関心も強く、コラージュ・イラスト・オブジェ・写真など、言葉によらない作品も多く残している。
西澤 暲(にしざわ あきら、1934年〈昭和9年〉6月30日… 西澤 暲(にしざわ あきら、1934年〈昭和9年〉6月30日 - )は、兵庫県神戸市出身のフリーアナウンサー。2020年11月の時点で、日本における現役最高齢のスポーツアナウンサーとされている。 神戸市中央区で出生したが、実家は1945年6月5日の神戸大空襲で焼失。当時10歳だった自身は長野県内への学童疎開中だったため難を逃れたものの、実父と実姉を亡くしている。 第2次世界大戦の終戦後に神戸へ帰郷。兵庫県立長田高等学校への在学中には、軟式野球部のキャプテンを務めるかたわら、文化祭で総合司会を務めた。卒業後に進学した関西学院大学では、学内の放送研究会(通称「KGB」、現在の総部放送局)に所属。学生タレントとして、ラジオで多数のCMや番組に出演した。
神野 耕太郎(かみの こうたろう、1934年6月30日 - … 神野 耕太郎(かみの こうたろう、1934年6月30日 - 2022年8月8日)は、日本の医学者・生理学者。医学博士。位階は従四位。 1974年1月に医学博士の学位を授与される、東京医科歯科大学名誉教授。生理機能の光学的計測を専門とし、特に発生初期の胚を対象とした実験をおこなって個体発生における心臓の機能発生・機能形成の過程を明らかにした。また、自らの手で光学的計測方法を開発・改良しながら、生理学と発生学や脳神経学を結び付けた分野(「機能発生学」「発生脳神経生理学」)を切り開いた。 東京府東京市生まれ、鹿児島県金峰町(現:南さつま市の一部)出身。東京の市ヶ谷で生まれて、幼少期に鹿児島県へ引っ越し鹿児島県立加世田高等学校卒業まで育つ。
清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2… 清永 利亮(きよなが としすけ、1934年6月30日 - 2023年1月25日)は、日本の裁判官、弁護士。最高裁判所調査官や東京高等裁判所部総括判事等を歴任した。 九州大学法学部卒業後、1963年に裁判官任官。最高裁判所調査官や東京地方裁判所部総括判事、水戸家庭裁判所長を経て東京高等裁判所部総括判事。知的財産訴訟関連の仕事が多く、東京地裁や東京高裁では知的財産担当の部署に配属され、最高裁調査官時代には最高裁判例に採択されることとなる事件も取り扱った。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
榊原 盛毅(さかきはら せいき、1933年6月30日 - )… 榊原 盛毅(さかきはら せいき、1933年6月30日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手。 尾道西高校から1952年に広島カープ へ入団。9月29日の対名古屋ドラゴンズダブルヘッダー2戦目で初先発に抜擢されると8回1失点、打者でも4打数3安打2打点と活躍し4-3で勝利しプロ初勝利を挙げた。この年の広島は9月28日時点で勝率3割を切っており球団解散危機に瀕していた。榊原の勝利で勢いに乗った広島は次の日のダブルヘッダーを連勝し、その後の8試合を4勝4敗で乗り切り最終的に勝率.316で球団解散の危機を脱した。 1954年に右肩を痛め、その後は登板数も減り1956年に引退した。 引退後は名城大学に進学し、卒業後は東洋工業に勤務した。
別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 20… 別府 隆文(べっぷ たかふみ、1933年6月30日 - 2021年2月27日)は、日本の実業家。 福岡県久留米市出身。1958年に早稲田大学教育学部を卒業し、同年にテレビ西日本に入社。 1985年7月に制作局長に就任し、取締役、常務、専務、副社長を経て、1999年6月から2005年6月までに社長を務め、2005年6月から2009年までに会長を務めた。 西日本新聞社監査役、取締役、フジテレビジョン取締役、フジ・メディア・ホールディングス取締役も務め、2000年から2006年までに日本民間放送連盟理事を務めた。 2008年4月に旭日中綬章を受章した。 2021年2月27日肺炎のために死去。87歳没。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作… 尾原 昭夫(おばら あきお、1932年6月30日- )は、作詞・作曲家/わらべうた・子どもの文化史研究家。 1932年(昭和7年)島根県簸川郡直江村(現出雲市斐川町直江)生まれ。1958年に島根大学教育学部特設音楽科を卒業(作曲・理論専攻)。上京後、東京都公立小学校・養護学校・盲学校音楽専科教諭として教職のかたわら、日本のわらべうた・民謡の採集・研究を行う。1976年久留島武彦文化賞、1993年毎日出版文化賞特別賞(『日本わらべ歌全集』共著)、1994年田村虎蔵特別賞(鳥取県)。2017年 第41回鳥取県出版文化賞影井賞 1932年(昭和14年)島根県簸川郡直江村立直江小学校入学 。 1945年(昭和20年)島根県簸川郡直江村立直江国民学校卒業、島根県立大社中学校入学 。
高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日… 高橋 秀(たかはし しゅう、1930年〈昭和5年〉6月30日 - )は、日本の画家、版画家、彫刻家。元独立美術協会会員、倉敷芸術科学大学名誉教授、文化功労者。本名は髙橋 秀夫(たかはし ひでお)。本名の姓の「髙」 はいわゆる「はしごだか」であるが、筆名の姓の「高」 はいわゆる「くちだか」である。 広島県立府中中学校(現、広島県立府中高等学校)を卒業後に化粧品の訪問販売をしながら絵を描いていた頃(1948年)、終戦後に府中町(現、広島県府中市)に疎開していた二科会の画家、北川実のアトリエに出入りするようになる。そこで北川の油彩画、およびピカソやマティスの画集を目にして、美術の世界に目覚める。 高橋は1959年の第3回安井賞候補新人展、翌年の第4回展に安井賞候補として出品した後、1961年に3回目の候補となり《月の道》でようやく安井賞を受賞した。
一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月3… 一村 哲也 (いちむら てつや、本名。濱口隆1930年6月30日 - )は、日本の写真家。長崎市出身。
滝 良彦(たき よしひこ、1929年6月30日 - )は、愛… 滝 良彦(たき よしひこ、1929年6月30日 - )は、愛知県出身の元プロ野球選手(投手)。
松川 保雄(まつかわ やすお、1929年6月30日 - 20… 松川 保雄(まつかわ やすお、1929年6月30日 - 2019年7月9日)は、日本の経営者。トーメン(現在の豊田通商)社長、会長を務めた。 東京都出身。1953年に名古屋大学法学部法律学科を卒業し、同年に東洋綿花に入社。1979年6月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1987年6月に専務、1990年10月に副社長を経て、1993年6月に社長に就任。1997年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1994年4月に藍綬褒章を受章。 2019年7月9日肺炎のために死去。90歳没。
村山 英雄(むらやま ひでお、1929年6月30日 - )は… 村山 英雄(むらやま ひでお、1929年6月30日 - )は日本の教育学者。専門は教育制度論。甲南女子大学名誉教授である。教育学博士。 広島大学大学院教育学研究科教育行政学専攻博士課程単位取得満期退学(1964年3月)、教育学博士(1975年12月)。次の様な職歴を有する。 文部省の派遣留学生として、1875~1878年(明治8~11年)、アメリカ合衆国のニューヨーク州オスウィーゴー州立師範学校(現在のニューヨーク州立大学オスウィーゴー校(英語版))に留学した高嶺秀夫の学業成績簿が、1968年から69年かけて米国留学中の村山英雄により発見され、その学業成績が明らかにされた。著書「オスウィーゴー運動の研究」に記載されている。
海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 20… 海野 芳郎(うんの よしろう、1928年6月30日 - 2012年12月21日)は、日本の歴史学者・国際政治学者・外交官。専門は国際政治史、日本外交史。静岡県出身。 富士宮市生まれ。富士中学校(旧制)、静岡高等学校 (旧制)を経て、東京大学文学部西洋史学科に進む。1953年に卒業し、事務官として外務省に入省。1961年から在フランス日本国大使館に勤務し、1965年に帰国。その後、外務省百年史編纂委員・日本外交文書編纂委員となり、1971年からは外交史料館編纂室に勤務。1979年に専門官となり、翌年に外交文書編纂室長に就任した。1982年から新潟大学法学部教授を務め、1994年には新潟国際情報大学教授となった。
詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30… 詫摩 武俊(たくま たけとし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2018年〈平成30年〉12月30日、享年91歳)は、日本の心理学者。(旧)東京都立大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。学位は、文学博士(東京大学・1961年)(学位論文「双生児法による遺伝心理学的研究」)。小児科学者詫摩武人の長男。 千葉県出身。旧制都立高等学校理科を経て東京大学文学部卒。 その後、東京大学文学部助手、学習院大学文学部教授を経て(旧)東京都立大学人文学部教授を定年退職まで務めた後、東京国際大学教授として人間社会学部および臨床心理学研究科の設置に関わる。ドイツのミュンヘン大学に留学・滞在した経験とも関係して、日本では比較的珍しいヨーロッパの性格学の流れを汲む性格心理学を展開した。
大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 … 大木 浩(おおき ひろし、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 2015年〈平成27年〉11月13日)は、日本の政治家、外交官。全国地球温暖化防止活動推進センター代表。位階は従三位。 環境大臣(第3代)、環境庁長官(第35代)、衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)。 愛知県西春日井郡西枇杷島町(現清須市)出身。愛知県立第一中学校(現愛知県立旭丘高等学校)時代は岡井隆と同級生で仲が良かった。第八高等学校を経て、旧制松本高校文科卒業後、海軍兵学校(第76期)で終戦を迎え、東京大学法学部卒業。 1952年東大卒業後、外務省に入省した。ワシントン、ベオグラード、ジュネーブでの在外公館勤務。外務省欧亜局東西通商課長、欧亜局東欧第一課長、報道課長、官房総務参事官を経て、1978年官房審議官・多角的貿易交渉担当大使、1979年在ホノルル総領事。
中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30… 中尾 正幸(なかお まさゆき、1927年〈昭和2年〉6月30日 - 没年不明)は、日本の実業家。カネユキ精肉店店主。兵庫県食肉環境衛生同業組合・同食肉協同組合明石支部副支部長。志方食肉組合理事。志方油脂組合長。日ノ出市場商人会会長。 兵庫県印南郡志方町(現・加古川市)出身。志方町立高等小学校を卒業。趣味は登山、ボウリング。宗教は浄土真宗本願寺派。住所は兵庫県印南郡志方町志方。 事業所は兵庫県明石市二見町東二見。家族は妻、長男・政国(加古川食肉産業協同組合理事長)、次男がいる。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
香川 達夫(かがわ たつお、1926年6月30日 - 202… 香川 達夫(かがわ たつお、1926年6月30日 - 2022年9月6日)は、日本の法学者。専門は刑法。学位は、法学博士(京都大学・1962年)(学位論文「中止未遂の法的性格」)。学習院大学名誉教授。神奈川県出身。 1950年、東京大学法学部卒業後、特別研究生として団藤重光に師事し、その後学習院大学法学部教授、同法学部長を務めた。1978年から1988年まで司法試験考査委員(刑法)等を歴任。 出世作は『中止未遂の法的性格』(1963年)。『結果的加重犯の本質』(1978年)では、通説に反して過失不要説を唱えた。また、通説に反し類推解釈を容認し、不真正不作為犯の処罰では正面から類推解釈を認めるべきだとする。
太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6… 太田 大三(おおた だいぞう、1925年 <大正14年> 6月30日 - 2001年 <平成13年> 12月17日)は日本の政治家。盛岡市長(4期) 。位階は従五位。 岩手県盛岡市出身。1948年京都大学農学部卒。同年盛岡市役所に入り、経済課に配属され、産業部農林課長代理、農林課長、庶務部職員課長、財政部財政課長、産業、財政の各部長や市助役を歴任する。1979年、盛岡市長選挙に立候補して初当選した。市長は1995年まで4期務めた。市長在職中は全国市長会理事、副会長、相談役を歴任、東北市長会副会長、岩手県市長会会長も務めた。 市長在職中の主な出来事として東北自動車道盛岡IC開通(1979年)、東北新幹線盛岡開業(1982年)、盛岡市動物公園開園(1989年)、都南村との合併(1992年)が挙げられる。
藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年… 藪 重夫(やぶ しげお、1925年6月30日 - 2008年2月17日)は、日本の法学者・弁護士。北海道大学名誉教授、元学校法人北海学園理事。専門は民法。京都市生まれ。 主に、民法の財産法全般であるが、家族法の一分野である親族法も研究対象としており、実務家からの視点の論稿を幾つも出している。 北海学園大学法学部教授退任後は、後進育成のために、北海学園大学付属図書館に所有図書を寄贈している。
小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 200… 小松 恒夫(こまつ つねお、1925年6月30日 - 2000年12月8日)は、日本の文筆家、元朝日新聞記者。 長野県南安曇郡倭村氷室(現・松本市)生まれ。旧制松本中学(現・長野県松本深志高等学校)を経て松本高等学校 (旧制)理科乙類を卒業後、東京大学理学部物理学科に進学するが同文学部国文科に転部し卒業。 1952年朝日新聞社入社、「週刊朝日」記者、科学部次長、「週刊朝日」編集長を経て、1974年教育雑誌『のびのび』を創刊、1978年の休刊まで編集に参加した。 1980年『百姓入門記』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。1988年日野市教育委員。