青野 照市(あおの てるいち、1953年1月31日 - )は… 青野 照市(あおの てるいち、1953年1月31日 - )は、静岡県焼津市出身の将棋棋士。廣津久雄九段門下・棋士番号114。主な実績は竜王戦1組通算6期・順位戦A級通算11期・王座戦挑戦1回・棋戦優勝4回。 研究派として知られ、A級在籍時には大山康晴、中原誠、米長邦雄、谷川浩司等としのぎを削り、さらに羽生善治、佐藤康光、森内俊之、藤井猛等(いわゆる「羽生世代」)が台頭してきた中でも健闘した。1999年度のB級1組順位戦で1位となり、2000年に10年ぶりにA級に復帰したとき、羽生世代の棋士たちがA級の大半を占める中での活躍は「中年の星」として話題となった。 桐山清澄が2022年4月27日付で引退して以降、現役最古参棋士(四段昇段が最も古い)かつ現役最年長棋士となり、1950年代生まれの棋士としては唯一、70歳を過ぎても現役を続けていたが、2024年6月13日付で引退した。
高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )… 高橋 祥泰(たかはし よしやす、1952年1月31日 - )は、日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター北に所属していた元調教師。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1952年、国営競馬所属騎手高橋英夫の次男として生まれる。幼少期は騎手を志していたが、身体が大きくなり過ぎたために断念。代わって獣医師を志し、日本大学第一高等学校を経て、日本大学農獣医学部獣医学科に入学した。獣医師資格取得、大学卒業後の1973年より中山競馬場、次いで日本中央競馬会宇都宮育成場で獣医師助手を務める。宇都宮育成場では助手業の傍らで騎乗技術を習得、1975年に父・英夫の厩舎で調教助手となり、7年間を務めた。 1983年に調教師免許を取得。
前田 悦智子(まえだ えちこ、現姓・田村、1952年1月31… 前田 悦智子(まえだ えちこ、現姓・田村、1952年1月31日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。1976年モントリオールオリンピック金メダリスト。1970年代の女子バレーボール界を支えたミドルブロッカーとして、世界の頂点を制した名選手。引退後も、その影響力はスポーツ界のみならず、地域社会や文化活動、国際支援活動へと広がり、現在に至るまで精力的に活動。 中国人の父を持つ4人兄妹の末っ子として東京都大田区に生まれる。トキワ松学園高校を経て、1970年に実業団リーグの三洋電機(当時)に入部。 1974年に全日本入りを果たし、1974年の世界選手権金メダル、1976年のモントリオールオリンピックでも金メダルを獲得。
大住誠(おおすみ まこと、1952年1月31日 - )は、日… 大住誠(おおすみ まこと、1952年1月31日 - )は、日本の臨床心理学者、浄土真宗の僧。 神奈川県生まれ。浅野高等学校を経て、青山学院大学文学部卒業。武蔵野女子大学大学院で臨床心理学を学ぶ。高校教諭、県教育センター指導主事(教育相談研究室)、聖マリアンナ医科大学神経精神科学教室、横浜国立大学、聖マリアンナ医科大学非常勤講師を経て、現在は同朋大学社会福祉学科大学院特任教授(研究指導)に至る。大住心理相談室室長。2011年「パーソナリティ障害を伴ううつ病性障害に対する精神療法の検討 箱庭療法施行後の外来森田療法追加施行の有効性」で聖マリアンナ医科大学博士(医学)。森田療法とユング心理学との統合的アプローチの研究を行っている。
飯塚 知一(いいづか ともかず、1952年1月31日 - )… 飯塚 知一(いいづか ともかず、1952年1月31日 - )は、日本の実業家、馬主。 東京都港区に本社を置く、物流コンサルタントを手がける株式会社シンコーの代表取締役を務める。 日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録する馬主として知られる。勝負服の柄は青、黄縦縞、袖黄一本輪で、冠名には「シャドウ」を用いる。また、2026年まで新潟馬主協会の会長理事を務めていた。競馬に興味を持ったきっかけは、1971年のヒカルイマイが勝った東京優駿(日本ダービー)や、学生時代にWINS渋谷へ向かう人々を見たことだという。 引退競走馬への関心が強く、「引退馬の余生を考えよう実行委員会」を主宰し、2015年には新潟競馬場で企画展『引退馬の余生を考えよう』を開催した。
前田 泰生(まえだ やすお、1951年1月31日 - )は、… 前田 泰生(まえだ やすお、1951年1月31日 - )は、日本の土木技術者、実業家。元電源開発株式会社代表取締役会長。高知県出身。 高知県出身。1969年神奈川県立多摩高等学校卒業。1974年東京工業大学工学部土木工学科卒業、電源開発入社。1990年原子力部原子力建設室課長。1992年建設部建設業務室課長。1993年建設部工事課長。1995年橘湾火力建設所長代理。1997年建設部建設管理グループリーダー。2000年建設部長代理。2001年エンジニアリングセンター所長代理。2002年執行役員エンジニアリング事業部長。2004年取締役執行役員エンジニアリング事業部長。2006年常務取締役。2009年代表取締役副社長。
大橋 健男(おおはし たけお、1951年(昭和26年)1月3… 大橋 健男(おおはし たけお、1951年(昭和26年)1月31日 - 2019年(令和元年)10月23日)は、日本の政治家。宮城県宮城郡松島町長(2期)。 宮城県宮城郡松島町出身。東北大学大学院工学研究科を修了し、一級建築士となった。 1978年(昭和53年)に仙台市役所入庁後、街並みデザイン課長・住環境整備課長等を歴任し、松島町長選挙へ立候補するため2006年(平成18年)12月に退職した。 仙台市役所を退職後、汚職事件で逮捕・起訴された内田鉄夫の辞任に伴い2007年(平成19年)1月9日に告示された松島町長選挙に立候補した。選挙では前松島町議会議員の松谷昭一に443票差で落選した。※当日有権者数:13,529人 最終投票率:72.75%(前回比:-6.36pts) 松谷昭一が当選し町長に就任してから2か月が経った2007年(平成19年)3月4日、利府町内の国道45号で起きた交通事故により松谷は死去した。
堤 公長(つつみ きみなが、1950年(昭和25年) 1月3… 堤 公長(つつみ きみなが、1950年(昭和25年) 1月31日 - )は、日本の歌人。宮内庁掌典。堤家の第16代当主。玉川大学文学部卒業。東京都出身。 東京都出身。子爵・堤経長とその後妻の鍵和田貴代の次男として生まれる。1971年(昭和46年)宮内庁式部職嘱託。1973年(昭和48年)に玉川大学文学部を卒業し、大学卒業同年に宮内庁掌典を拝命。1994年(平成6年)から2008年(平成20年)まで学校法人学習院評議員を歴任した。 私生活では九鬼宗隆の次女である紀子と結婚し2男を授かる。 2011年(平成23年)に歌会始を取り仕切る披講会の会長に就任。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
ささや ななえこ(1950年〈昭和25年〉1月31日 - 2… ささや ななえこ(1950年〈昭和25年〉1月31日 - 2024年〈令和6年〉6月8日、本名・佐川七重、旧名・ささや ななえ)は、日本の漫画家。北海道芦別市出身。血液型はB型。ペンネームは旧姓の本名「笹谷七重」より。1996年に「ささやななえ」から「ささやななえこ」に改名した。24年組のひとりで、山岸凉子、萩尾望都、竹宮惠子、坂田靖子らとも親交が深い。 1970年、第5回りぼんコミック賞の受賞作『かもめ ―GULL―』が月刊誌『りぼんコミック』1月号(集英社)に掲載されデビュー。1990年に『おかめはちもく』で日本漫画家協会賞優秀賞、2004年に『凍りついた瞳』でエイボン教育賞を受賞している。
藤掛 廣幸(ふじかけ ひろゆき、1949年1月31日 - )… 藤掛 廣幸(ふじかけ ひろゆき、1949年1月31日 - )は、日本の作曲家・編曲家・指揮者・シンセサイザー奏者・音楽プロデューサー。Hiro Fujikake はペンネーム。 岐阜県出身。愛知県立芸術大学卒業、同大学院修士課程修了。石井歓、中田直宏、保科洋に師事した。1977年に、世界三大コンクールのひとつであるエリザベート王妃国際音楽コンクール作曲部門で、日本人として初めてグランプリを受賞。日本国内でも数々の作曲コンクールで受賞歴がある。日本人の名前を英語で表記する時には名字→名前の順でなく、Hiroyuki Fujikake と逆に書かなければならない。「これでは響きが音楽的ではない」との理由で、海外に向けてのペンネームとして【Hiro Fujikake】 の名前でアルバムや作品を発表している。
鳥居 真(とりい まこと、1949年1月31日 - )は、日… 鳥居 真(とりい まこと、1949年1月31日 - )は、日本の経営者。相模鉄道社長を務めた。神奈川県出身。 1971年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に相模鉄道に入社。1998年6月に取締役に就任し、2001年に常務を経て、2007年6月に社長に就任。2009年9月に社長を退任し、取締役に退いた。
嶋津 格(しまづ いたる、1949年1月31日 - )は、日… 嶋津 格(しまづ いたる、1949年1月31日 - )は、日本の法学者。専門は法哲学。法学博士(東京大学・1982年)。千葉大学名誉教授。2005年から日本法哲学会理事長、2000年から2004年まで日本学術会議会員。 この間専修大学法科大学院兼任講師等も歴任。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31… 鈴木 宗男(すずき むねお、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の参議院議員(2期)。地域政党新党大地代表。 北海道開発庁長官(第66代)、沖縄開発庁長官(第35代)、沖縄担当大臣(第2次橋本改造内閣)、内閣官房副長官(小渕内閣・小渕第1次改造内閣)、防衛政務次官(宇野内閣・第1次海部内閣・宮澤改造内閣)、外務政務次官(第2次海部改造内閣)、参議院懲罰委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院外務委員長、同議院運営委員長、同沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(8期)、日本維新の会国会議員団副代表、同北海道総支部代表、自由民主党総務局長、同副幹事長、同国防部会長などを歴任。
福田 逸(ふくだ はやる、1948年〈昭和23年〉1月31日… 福田 逸(ふくだ はやる、1948年〈昭和23年〉1月31日 - )は、日本の演出家、翻訳家。明治大学名誉教授。国家基本問題研究所評議員。 サウンディングズ英米文学研究会、日本シェイクスピア研究会、日本演劇協会、各会員。元財団法人「現代演劇協会」理事長。父は劇作家・評論家の福田恆存。 神奈川県中郡大磯町出身。恆存の次男として生まれる。 1970年、上智大学文学部英文学科卒業。1973年、同大学院文学研究科英文学専攻修士課程修了。以後多くの大学・短大の兼任講師を務め、北里大学専任講師・助教授、明治大学商学部字助教授・教授として勤めるかたわら、父の演劇活動を継ぐ。(財)現代演劇協会「創立50周年誌」(平成25年(2013年)9月5日刊行)に拠ると、結成した「劇団雲」の流れを汲む「劇団昴」などで、シェイクスピア作品ほかの訳・演出、多くの翻訳を手掛けている。
吉川 一義(よしかわ かずよし、1948年1月31日 - )… 吉川 一義(よしかわ かずよし、1948年1月31日 - )は、日本のフランス文学者、京都大学名誉教授。専攻はプルースト研究。 大阪市生まれ。大阪府立高津高等学校を経て、1970年東京大学文学部仏文科卒、1972年同大学院人文科学研究科修士課程修了、1977年同博士課程単位取得満期退学、ソルボンヌ大学博士号取得。1988年東京都立大学助教授、1993年教授に昇任、2006年に退職し名誉教授。同年京都大学文学部仏文科教授、同文学研究科教授、2012年に定年退任し名誉教授。 2009年より2013年まで日本フランス語フランス文学会会長。2010年に、フランス政府から教育功労章(オフィシエ級)を受章、アカデミー・フランセーズ(フランス学士院)より、学術大賞の一つ「フランス語フランス文学顕揚賞」(1960年設立)を受賞した。
松原 茂(まつばら しげる、1948年1月31日 - )は、… 松原 茂(まつばら しげる、1948年1月31日 - )は、日本の実業家。岐阜県出身。愛知大学法経学部法学科卒業。現在、東山フイルム株式会社代表取締役社長。
海堀 周造(かいほり しゅうぞう、1948年1月31日 - … 海堀 周造(かいほり しゅうぞう、1948年1月31日 - )は、日本の実業家。横河電機会長。 神奈川県出身。慶大院修了後、1973年横河電機製作所(現・横河電機)入社。米国子会社社長などを経て、2007年社長。2013年会長。
岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日… 岡田 広(おかだ ひろし、1947年(昭和22年)1月31日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(4期)。 厚生労働大臣政務官、内閣府副大臣、復興副大臣、水戸市長(3期)、茨城県議会議員(2期)を務めた。 茨城県水戸市生まれ。茨城県立水戸商業高等学校、立命館大学産業社会学部卒業。大学卒業後、岩上妙子・岩上二郎両参議院議員の秘書を務める。 1986年、茨城県議会議員選挙に立候補し、初当選。1993年、2期目の任期途中、佐川一信の茨城県知事選立候補に伴う辞職により実施された水戸市長選挙に県議を辞職して立候補し、当選。(佐川後継で野党各党が推薦する学校経営者・大久保博之を、圧倒的大差で破る)。
上西 紀夫(かみにし みちお、1947年1月31日 - )は… 上西 紀夫(かみにし みちお、1947年1月31日 - )は、日本の医学者、医学博士。専門は外科。 東京に生まれる。1966年桐朋高等学校卒、1974年東京大学医学部卒業、東京大学医学部第三外科学教室入局。1997年から2008年まで東京大学大学院医学系研究科消化管外科学分野教授。この間、東京大学医学部附属病院分院副院長を歴任。2008年より公立昭和病院院長。2023年より一般財団法人多摩緑成会総長。 主な著作は以下のとおり。
加古 隆(かこ たかし、1947年1月31日 - )は、日本… 加古 隆(かこ たかし、1947年1月31日 - )は、日本の作曲家、ピアニスト。 大阪府豊中市出身。東京藝術大学作曲科卒業、同大学大学院修了。パリ国立高等音楽院卒業。息子は俳優・声優の加古臨王。神奈川県湯河原町と長野県軽井沢町の2カ所にアトリエを構える。 作曲においては、ジャズ・クラシック・現代音楽の要素を融合させた独自の作曲形式を確立しており、ピアニストとしては、自身の作品の演奏を中心に活動している。また、映像作品とのコラボレーションによる音楽も数多く手掛け、映像音楽の作曲家としても活動の幅を広げている。自身の作品によるコンサートは世界各国に及び、オリジナルアルバムは50作品を超える。ピアノから紡ぎ出される透明な音の響きから、「ピアノの詩人」あるいは「ピアノの画家」と称される。
筑紫 勝麿(ちくし かつまろ、1947年(昭和22年)1月3… 筑紫 勝麿(ちくし かつまろ、1947年(昭和22年)1月31日 - )は、日本の大蔵官僚。元財務省造幣局長。
須藤 健一(すどう けんいち、1946年1月31日 - )は… 須藤 健一(すどう けんいち、1946年1月31日 - )は、日本の文化人類学者。堺市博物館館長、国立民族学博物館名誉教授・元館長。 1946年、新潟県佐渡市で生まれた。1965年に新潟県立佐渡高等学校を卒業し、埼玉大学教養学部に進学。1969年に卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科に進み、1975年に博士後期課程を単位取得退学。 1975年、国立民族学博物館第4研究部助手に採用された。1986年、国立民族学博物館第1研究部助教授に昇格。1986年、学位論文『ミクロネシアの親族組織と土地所有:母系制社会の構造と変化』を東京都立大学に提出して文学博士の学位を取得。1991年より総合研究大学院大学文化科学研究科助教授を併任。
竹内 信夫(たけうち のぶお、1945年1月31日 - 20… 竹内 信夫(たけうち のぶお、1945年1月31日 - 2026年2月3日[要出典])は、日本のフランス文学者、空海研究家、東京大学名誉教授。四国新聞客員論説委員。 大阪に生まれるが、米軍空襲下だったため、本籍地の香川県で育つ。香川県立高松高等学校を経て、1970年東京大学文学部仏文科卒業、1972年同大学院人文科学研究科修士課程修了。1973年から1976年までパリ第4大学に留学。 東大文学部助手、明治学院大学専任講師、東京工業大学助教授、1983年東大教養学部助教授(フランス語・フランス文学担当)を経て、教授となる、2000年から2年間、比較文学比較文化研究室主任。その他、東大比較文学会会長を務めた。
泰道 三八(たいどう さんぱち、1945年〈昭和20年〉1月… 泰道 三八(たいどう さんぱち、1945年〈昭和20年〉1月31日 - )は、日本の実業家、元政治家。元衆議院議員(1期)。千葉県出身。旧名彰良。名前の由来は、自身の出生時の父・泰道照山の年齢。元エスエス製薬会長。元コスモ信用組合理事長。 1945年1月31日、東京都生まれ。1957年、千代田区立番町小学校卒業。1960年、千代田区立麹町中学校卒業。1963年、開成高等学校卒業。 1964年4月、米国ニューヨークの製薬会社ファイザー・インターナショナルとアラバマ州の銀行シティーナショナルバンク・オブ・タスカルーサにて研修生として約半年間勤務。 1968年、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、エスエス製薬に入社。
桜井 由躬雄(さくらい ゆみお、1945年(昭和20年)1月… 桜井 由躬雄(さくらい ゆみお、1945年(昭和20年)1月31日 - 2012年(平成24年)12月17日)は、日本の歴史学者、東南アジア史学者、東京大学名誉教授。 1945年、福井県敦賀市生まれ。東京大学文学部東洋史学科で学び、1967年に卒業。同大学大学院文学研究科に進んで、1977年に博士課程満期退学。 卒業後は京都大学東南アジア研究センターの助手となった。1983年、同センター助教授に昇進。1989年、学位論文「ベトナム村落の形成:村落共有田=コンディエン制の史的展開」を東京大学に提出して文学博士号を取得。1990年、東京大学文学部東洋史学科助教授に着任。1992年、学位論文「ヴェトナム紅河デルタの開発特性と水田水利の発達過程に関する研究:東南アジア主要河川デルタ開発との比較において」を提出して農学博士号を取得。
山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月… 山本 裕洋(やまもと やすひろ、1944年(昭和19年)1月31日 - )は、日本の柔道家、段位は8段、全日本実業柔道連盟副理事長、西日本実業柔道連盟理事長、宮崎県延岡市に在住。 広島県出身。広島市の中学校から柔道を始め、広島県立広島商業高等学校に進学して山肩敏美と出会い、崇徳高等学校に転校し学校と道場での練習を積み、3年のとき主将として全国大会初出場を果たした。 明治大学に進学後は曽根康治、神永昭夫の両指導者の下で厳しい指導を受け、全日本学生柔道選手権大会無差別級で2年連続優勝を果たした。 1967年 旭化成工業(現 旭化成)に入社し、当時衰退していた柔道部の監督に入社3年目で就任。「他社に無い練習を」をスローガンに早朝5時30分からのトレーニングを率先励行したことで徐々に部員の意欲が高揚し、会社の理解もあって、好成績が続き社内外で認められるようになり、各地から名選手が入社するようになって現在の強い柔道部が出来上がった。
根本美香(ねもと みか、1944年1月31日 - )は、日本… 根本美香(ねもと みか、1944年1月31日 - )は、日本のバレエダンサー、バレエ指導者。谷桃子バレエ団所属。根本美香バレエスクール主宰者。神奈川県横浜市出身。関東学院短期大学卒業。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。 この項目は、舞台芸術に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:舞台芸術)。
川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は… 川道 武男(かわみち たけお、1944年1月31日 - )は、日本の動物学者。 富山県魚津市出身。1967年北海道大学理学部生物学科(動物学専攻)卒業、1973年同大学大学院理学研究科博士課程中退。この間、1972年アラスカ州立大学北極生物研究所に所属。1973年大阪市立大学理学部生物学科助手。1976年「ナキウサギの比較行動学並びに比較社会学」で北海道大学理学博士。1982年大阪市立大学理学部講師、1985年-2000年助教授。 学生時代に世界を放浪し、独立したばかりのアフリカ諸国での野生哺乳類への無法な扱いを目の当たりにし、野生哺乳類の生態研究を決意する。1970年代半ばに奈良の社寺林でムササビの生態観察を開始し、国内外でナキウサギ、ツバイなど単独性哺乳類の社会を研究している。
新 欣樹(あたらし きんじゅ、1943年1月31日 - )は… 新 欣樹(あたらし きんじゅ、1943年1月31日 - )は、日本の官僚、実業家。
東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 20… 東野 英心(とうの えいしん、1942年1月31日 - 2000年11月14日)は、日本の俳優・声優。旧芸名は東野孝彦。 東京市淀橋区大久保(現、東京都新宿区大久保)出身。成蹊高等学校卒業。 東野英治郎の長男。妻は服部マリ。長男は東野克(とうの かつ)。身長170cm、体重83kg。 高校卒業後、俳優座養成所に第12期生として入所(妻は養成所の1期後輩にあたる)。 1962年、『青べか物語』で映画初出演を果たす。 1965年から1976年までは東野孝彦の芸名で活動し、その後は本名に戻す。 『ウルトラマンタロウ』(TBS)で明るいキャラクターを活かして、ZATの荒垣修平 副隊長役を好演。『花神』(NHK総合)では井上聞多(馨)役を演じ、尾藤イサオの小柄な伊藤俊輔(博文)と凸凹コンビを組んで元勲の青春像を演じた。
内山 勝利(うちやま かつとし、1942年1月31日 - )… 内山 勝利(うちやま かつとし、1942年1月31日 - )は、西洋古典学者、ギリシア哲学研究者、京都大学名誉教授。古代ギリシア哲学専攻。
梅本 茂夫(うめもと しげお、1942年〈昭和17年〉1月3… 梅本 茂夫(うめもと しげお、1942年〈昭和17年〉1月31日 - 2015年〈平成27年〉11月8日)は、日本の実業家。元富士紡ホールディングス代表取締役社長。アンジャッシュの渡部建は甥にあたる。 千葉県出身。梅本正倫・とねの三男として生まれる。1965年九州大学経済学部卒業、富士紡績入社。1996年富士紡績取締役製品事業部長兼フジボウアパレル代表取締役社長。2000年富士紡績常務取締役。2001年から富士紡績代表取締役社長を務め、商品開発などを進めた。2005年に持株会社化し富士紡ホールディングス代表取締役社長。2015年肺がんで死去。
平岡 正明(ひらおか まさあき、1941年(昭和16年)1月… 平岡 正明(ひらおか まさあき、1941年(昭和16年)1月31日 - 2009年(平成21年)7月9日)は、日本の評論家。東京都出身。 東京市本郷区湯島新花町(現・東京都文京区湯島2丁目)に生まれる。1945年6月、空襲を避けて神奈川県足柄下郡酒匂町(現・小田原市)に疎開。酒匂小学校を経て、1949年7月に東京へ戻り、文京区立汐見小学校に転校。父が旭光学の社長の運転手になったため、同校6年の夏休みに東京都板橋区志村前野町の旭光学寮に転居。京華中学校を経て、1959年7月に同高等学校を卒業。同校では漢文を千田九一に、古文を竹盛天雄に、現代文学を古林尚・紅野敏郎に学ぶ。 7月卒業となったのは、高校の卒業試験を受けている時、カンニングの発覚を恐れて教師の前で答案を破り卒業保留処分を受けたためである。
吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月3… 吉田 嘉明(よしだ よしあき、1941年〈昭和16年〉1月31日 - )は、日本の実業家。株式会社大和心代表取締役会長兼社長。 株式会社DHCの創業者であり、代表取締役会長ならびに最高経営責任者(CEO)を務めた。日本経団連評議員[要出典]を務めた。 日本統治時代の朝鮮に吉田稔(佐賀県出身)・信子(広島県出身)の次男として生まれる。 両親の結婚記念日に生まれたので、目出度い日に生まれたという事で「嘉明(よしあき)」という名前がついた。 父親は佐賀県の農学校を出て、当時の農林省から朝鮮に派遣された役人だった。外祖父の松場密三郎は当時日本の統治下にあった朝鮮・満州・台湾を舞台に大活躍した有名な実業家であった。
西村 勇(にしむら いさむ、1941年1月31日 -)は、日… 西村 勇(にしむら いさむ、1941年1月31日 -)は、日本の医師、著述家。元通産官僚・特許庁審査官。 名古屋大学工学部を卒業し、通商産業省に入省して官僚生活を送った後、金沢大学で医学を学んで医師免許を取得し、へき地医療に身を投じたという特異な経歴を持つ。 2012年10月1日、それまで赴任した医師が3代連続して1年以内に職を辞していた秋田県北秋田郡上小阿仁村の上小阿仁国民健康保険診療所の所長に就任し、話題となったが、わずか1か月で、体調不良を理由に辞意を表明した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
野口 晴利(のぐち はるとし、1941年1月31日 - 20… 野口 晴利(のぐち はるとし、1941年1月31日 - 2019年4月13日)は、日本の経済学者。帝塚山大学名誉教授。東京市日本橋区出身。 1964年に立教大学社会学部を卒業後、1968年に大阪大学大学院経済学研究科修士課程を修了する。その後、1974年に帝塚山大学教養学部講師から心理福祉学部教授、人間環境科学部研究所所長等を経て、帝塚山大学名誉教授。 2019年4月13日、肺炎のため死去。 この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 201… 有田 泰而(ありた たいじ、1941年1月31日 - 2011年7月17日)は、日本の商業写真家。非商業的なヌード作品なども発表し、写真以外の芸術作品も制作した。 有田泰而は、1941年1月31日に、当時の福岡県小倉市(現在の北九州市小倉北区)に生まれた。中央大学法学部に進学したものの、程なくして写真家を志し、東京綜合写真専門学校の学生となって石元泰博の下で学んだ。 有田は、1964年から1991年まで、もっぱら写真家として活動した。1964年から1966年には、日本デザインセンター写真部に所属し、その後、1977年まではフリーランスの写真家として数多くの出版社や広告企業に作品を提供した。1975年に、自分の家族(最初の妻とその息子)を撮影した「First Born」の作品群を発表した。
田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 20… 田中 千香士(たなか ちかし、1939年1月31日 - 2009年1月19日)は、日本のヴァイオリニスト、音楽教育家。父はヴァイオリニストの田中詠人、母は声楽家の田中伸枝、実姉はピアニストの田中希代子。 幼少時よりヴァイオリニストである父に指導を受けた。1950年、全日本学生音楽コンクールで1位。1951年、日本音楽コンクールで入選。1953年、同コンクールで1位。同年、桐朋学園を中退。1955年、パリ国立音楽院に留学しガブリエル・ブイヨン(英語版)に師事。1957年、同校を首席で卒業。1962年に帰国。 1963年、京都市交響楽団のコンサートマスターに就任。1966年、NHK交響楽団のコンサートマスターに就任。
伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 202… 伊藤 孝雄(いとう たかお、1937年1月31日 - 2024年8月14日)は、日本の俳優。岩手県東磐井郡大東町(現:一関市)出身。劇団民藝所属。身長174cm。 岩手県立一関第一高等学校を経て、1955年に早稲田大学法学部に入学する。同年10月に早大在籍のまま、宝塚映画に入社し、映画『箱入娘と番頭』でデビュー。1959年には、日活の『密会』(中平康監督)でヒロイン役の桂木洋子の相手役として抜擢される。同年早大を中退するとともに、宝塚映画を退社。翌1960年、俳優座養成所に12期生として入所する(同期は中村敦夫、山本圭、成田三樹夫、東野英心、松山英太郎、樫山文枝)。 1963年に俳優座養成所を修了し、劇団民藝に入団。
國田 寛(くにた ひろし、1937年1月31日 - 2019… 國田 寛(くにた ひろし、1937年1月31日 - 2019年7月26日)は、日本の数学者。九州大学名誉教授。専門は応用確率解析。確率微分方程式の展開に寄与した。 1937年1月31日大阪府東淀川区生まれ。1955年北野高校卒業後、京都大学に進学、1961年修士課程修了。伊藤清の門下で、大学院の同期に福島正俊、一学年上に渡辺信三がいた。理学博士(論文博士)。 九州大学助手、名古屋大学助手、同助教授を経て、1977年 九州大学教授。 この間にJ.L.ドゥーブの招待で、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校に1964年と1965年8月から1967年7月までの2回留学している。 2000年の九州大学退官後に、名古屋の南山大学の教授を2008年まで務めた。
高橋 和島(たかはし わとう、本名:たかはし かずしま(表記… 高橋 和島(たかはし わとう、本名:たかはし かずしま(表記同じ)、1937年1月31日 - )は、日本の作家。 樺太生まれ。7歳から3年間を台湾で過ごした。中央大学法学部卒業。工業機械専門誌の編集者などを経て、1989年「十三姫子が菅を刈る」で、オール讀物新人賞を受賞、小説クラブ新人賞を受賞。歴史小説、時代小説を書く。岐阜県多治見市笠原町在住。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
宮川 孝雄(みやがわ たかお、1936年1月31日 - 20… 宮川 孝雄(みやがわ たかお、1936年1月31日 - 2016年1月8日)は、福岡県出身のプロ野球選手(外野手)。晩年の姓は「村上」。 通算代打安打数の日本記録(186本)保持者で、引退後は30年以上に渡り、広島のスカウトを務めた。 豊国学園高校から門司鉄道管理局に進む。 1957年から右翼手、三番打者として2年連続で都市対抗に出場。 1959年オフに広島カープへ入団。広島入団に際しては、ノンプロでライバルであった八幡製鐵の加藤喜作監督が、「あいつがいたのでは、うちは都市対抗に出れん」と、広島に話を持ちかけた、といういきさつがある。 卓越した打撃技術を買われ、背番号は新人ながら「2」に決まったが、入団当時の広島には宮川と同じ左打ちの外野手が多かった。
保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日… 保科 洋(ほしな ひろし、1936年1月31日 - )は、日本の作曲家、編曲家、指揮者。 東京都生まれ。1960年東京芸術大学作曲科卒。作曲を長谷川良夫、指揮法を渡邉暁雄に師事。卒業作品にて第29回毎日コンクール作曲部門(管弦楽)で第1位受賞。以後作曲活動の傍ら、東京音楽大学、愛知県立芸術大学、兵庫教育大学で教鞭をとり、兵庫教育大学名誉教授。作陽音楽大学客員教授、浜松アクト音楽院音楽監督を歴任。日本バンドクリニック委員会名誉顧問。作品は管弦楽曲、オペラ、室内楽、ミュージカルなど幅広く、吹奏楽では日本を代表する作曲家の一人。 管弦楽分野では、1966年より岡山大学交響楽団の常任指揮者となり、同団を全国的な水準へ押し上げた。
成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月3… 成田 三樹夫(なりた みきお、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 1990年〈平成2年〉4月9日)は、日本の俳優。愛称はミッキー。山形県酒田市出身。 戦後日本映画史において、悪役の系列に確実に名を残した俳優であった。 父親は司法省の職員で、秋田、旭川、仙台の刑務所長を歴任した。実家は日用品を扱う雑貨店を営み、母親が切り盛りしていた。四男一女の三男として生まれ、兄弟たちは地元で評判のエリートとして知られた。 父親に手ほどきされた剣道は三段、スポーツは水泳、野球など何でもこなす万能選手だったが、野球の試合中に右眼に打球を受けて網膜剥離になり、失明寸前となって、以降も右眼はほとんど見えなかった。山形県立酒田東高等学校に進学後から演劇に興味を持ち始め、地元の演劇コンクールに参加し、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を脚色して優秀賞を受賞した。
大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年〈昭和10年〉… 大江 健三郎(おおえ けんざぶろう、1935年〈昭和10年〉1月31日 - 2023年〈令和5年〉3月3日)は、日本の小説家。昭和中期から平成後期にかけて活躍した現代日本文学を代表する小説家の一人。愛媛県喜多郡大瀬村(現:内子町)出身。 東京大学文学部仏文科卒。学生小説家としてデビューして、大学在学中の1958年、短編小説「飼育」により当時最年少の23歳で芥川賞を受賞。新進小説家として脚光を浴びた。 新しい文学の旗手として、豊かな想像力と独特の文体で、現代に深く根ざした作品を次々と発表していく。1967年、代表作とされる『万延元年のフットボール』により歴代最年少で谷崎潤一郎賞を受賞した。 1973年に『洪水はわが魂に及び』により野間文芸賞、1983年に『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』により読売文学賞(小説賞)など多数の文学賞を受賞。
村井 正(むらい ただし、1935年1月31日 - )は、日… 村井 正(むらい ただし、1935年1月31日 - )は、日本の法学者。専門は租税法。関西大学名誉教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝)。
江口 大象(えぐち たいしょう、本名:江口 啓爾(けいじ)1… 江口 大象(えぐち たいしょう、本名:江口 啓爾(けいじ)1935年〈昭和10年〉1月31日 - 2020年〈令和2年〉9月3日)は、日本の書家。 中国青島市出身。本籍は佐賀県佐賀市。父親の仕事の関係で小学四年生頃まで中国で過ごし、戦後帰国した後東京学芸大学書道科を卒業。1990年には師の小坂奇石の後を継いで書道研究璞社(ぼくしゃ)会長に就任した。 月刊書道研究誌「書源」「みなもと」主幹。日展特別会員。日本書芸院顧問。全国書美術振興会参事。読売書法会常任理事。 2020年9月3日に死去。85歳没。 法名は彰源院釋大象。
久保 嘉治(くぼ よしはる、1935年(昭和10年)1月31… 久保 嘉治(くぼ よしはる、1935年(昭和10年)1月31日 - 2017年(平成29年)7月11日)は、日本の農学者・経済学者。学位は、農学博士(北海道大学・1963年)。専門は農業経済学。元帯広畜産大学学長。元雪印メグミルク酪農総合研究所所長。指導教授は矢島武。 北海道空知郡栗沢町出身。北海道大学農学部農業経済学科卒。1958年(昭和33年)同大学院農学研究科博士課程修了。同農学部助手。1962年(昭和37年)帯広畜産大学畜産学部助手。1968年(昭和43年)同畜産学部助教授。1977年同畜産学部教授。1994年(平成6年)同図書館長。1996年(平成8年)帯広畜産大学9代学長に就任。2000年(平成12年)帯広畜産大学退官、同名誉教授。
石津 祥介(いしづ しょうすけ、1935年1月31日 - 2… 石津 祥介(いしづ しょうすけ、1935年1月31日 - 2023年11月2日)は、日本のファッションデザイナー・ファッションディレクター。有限会社石津事務所、代表取締役。社団法人日本メンズファッション協会常任理事。公益財団法人日本ユニフォームセンター理事。ヴァンヂャケット創業者・石津謙介の長男。岡山県岡山市生まれ。 明治大学中退。桑沢デザイン研究所、セツ・モードセミナー卒業後、婦人画報社入社。創刊初期の「男の服飾」〜「MEN'S CLUB」編集部勤務。 1960年にヴァンヂャケット入社。その後、高度成長期のファッション界を席巻したヴァンヂャケット社創業者で父親の石津謙介の片腕として活躍。
尾崎 訒(おざき しのぶ、1934年1月31日 - )は、日… 尾崎 訒(おざき しのぶ、1934年1月31日 - )は、日本の材料工学者。 コンクリート特性研究でコンクリート構造物の耐久性向上技術に尽力した。室蘭工業大学での研究の他、イーエス総合研究所で技術顧問を行った。 1957年 室蘭工業大学土木工学科卒業。1959年 北海道大学大学院工学研究科土木工学専攻 修士課程修了。 1959年 室蘭工業大学 講師(土木工学科)。昭和36年 室蘭工業大学 助教授。 1972年 工学博士(北海道大学)。昭和48年 室蘭工業大学工学部 教授。 1975年 文部省 在外研究員(カナダ カルガリー大学)。 1986年 室蘭工業大学 学生部長。昭和62年 室蘭工業大学 保健管理センター所長。