横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、… 横山 清(よこやま きよし、1935年5月15日 - )は、日本の実業家。アークス代表取締役会長、ラルズ代表取締役会長、初代新日本スーパーマーケット協会会長、恵迪寮同窓会理事長。元全国スーパーマーケット協会理事長。藍綬褒章受章。 北海道芦別市の鍛冶屋の家に生まれる。北海道芦別高等学校卒業後、明治鉱業芦別炭鉱で2年間炭鉱夫として働いたのち、1960年に北海道大学水産学部を卒業した。 北海道大学恵迪寮に入寮し、当時寮長を務めていたこともあり、寮費を滞納する先輩からも臆せず取り立てを行っていたという。 大学卒業後は野原産業に入社。1961年大丸スーパー(現アークス)入社。1985年から大丸スーパー代表取締役社長を務め、1989年丸友産業と合併しラルズに改組後も引き続き代表取締役社長を務めた。
内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 -… 内山 斉(内山 齊、うちやま ひとし、1935年2月6日 - 2022年2月2日)は、読売新聞グループ本社顧問、同社元代表取締役社長、日本新聞協会会長、第13代横綱審議委員会委員長。位階は正三位。 北海道札幌市出身。北海道札幌西高等学校、日本大学文学部社会学科卒業。1957年4月、読売新聞社入社。地方部を中心に記者として活動する。制作局を担当していた当時、印刷拠点の分散化を経営トップに進言して功績が認められる。のちに渡邉恒雄から後継者指名を受ける。 2022年2月2日21時48分、心不全のため、東京都内の病院で死去。86歳没。同日付をもって正三位に叙され、旭日大綬章を受章した。
木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 20… 木梨 芳一(きなし よしいち、1934年12月8日 - 2004年11月12日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道帯広市出身。1957年に小樽商科大学を卒業し、同年に北海道新聞社に入社。1991年1月に取締役、1995年1月に常務、1997年11月に専務を経て、1998年6月に北海道文化放送社長に就任。2004年6月に会長に就任。 2004年11月12日に胃癌のために死去。69歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、… 本多 一夫(ほんだ かずお、1934年7月11日 - )は、日本の劇場経営者、実業家、俳優である。本多劇場グループ代表として、下北沢が「演劇の街」と呼ばれるようになった契機を作った。社団法人日本劇団協議会顧問。東京都世田谷区在住[要出典]。息子は本多劇場総支配人の本多愼一郎。 北海道札幌市に生まれ、1953年(昭和28年)に北海道立伏見高校(現・北海道札幌啓北商業高等学校)を卒業後、北海道放送(HBC)の演劇研究所で学んだ後に上京した。 初めは俳優として活動し、映画俳優として新東宝に入社、1955年(昭和30年)の「新東宝ニューフェイス 第4期生」となった。新東宝ニューフェイスの同期には、女優・三ツ矢歌子、原知佐子、万里昌代、北沢典子、浅田勝子らがいた。
大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の… 大西 匡(おおにし ただし、1934年7月 - )は、日本の自動車技術者、実業家。豊田工機代表取締役会長兼社長や、日本工作機械工業会会長、中部品質管理協会会長等を歴任した。 北海道函館市出身。1957年北海道大学工学部卒業、トヨタ自動車工業入社。トヨタ生産方式の整備にあたり、1984年には大橋正昭、高橋朗らとともに、トヨタ自動車取締役に昇格した。1988年トヨタ自動車常務取締役。1994年トヨタ自動車専務取締役。 1996年豊田工機代表取締役社長。2000年豊田工機代表取締役会長。2001年日本工作機械工業会会長会長。 2003年豊田工機代表取締役会長兼社長。2004年豊田工機相談役、中部品質管理協会会長。
笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25… 笹村 二朗(ささむら じろう、1934年〈昭和9年〉3月25日 - 2022年〈令和4年〉7月11日)は、日本の実業家、トカプチアイヌ協会代表、北海道ウタリ協会理事長、アイヌ文化振興・研究推進機構副理事長。帯広市議会議員。 1934年、北海道帯広市生まれ。和人の父とアイヌ人の母を持つ。 1961年に建設業「笹村組」を開業し、1972年に法人化し社長に就任。 帯広市にあった古戦場のチョマトー埋め立て問題で、1975年ごろより、北海道ウタリ協会の活動に関わる。 1996年、北海道ウタリ協会の理事長に就任する。「日本国政府による補償も必要だが、アイヌ民族の自立が重要である」との姿勢をとる。 アイヌ文化振興法の1997年の制定に、理事長として動き回る。
井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2… 井上 一郎(いのうえ いちろう、1934年2月16日 - 2026年3月8日)は、日本の実業家。北海道小樽市出身。光合金製作所代表取締役会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を… 菊地 日出男(きくち ひでお、1934年 - )は、北海道を中心に活動する写真家、画家、実業家。北海道江別市出身。 1952年北海道札幌工業高等学校採鉱科卒業。同年、三菱鉱業芦別鉱業所に入社。1954年に同社を退職し、画家に転向。1955年に読売日本アンデパンダン展に出展や、東京・銀座養生堂画廊で個展を開催。 北海道振興代表取締役社長久末鉄男の助力を得て、1964年にスナックバー (飲食店)の「バー・サン」を経営。さらに、シャンソンバーやパブを手掛け、1966年ドリームフード株式会社を札幌に設立し、同社代表取締役社長に就任。1970年に居酒屋「いろはにほへと」を札幌にオープンさせ、全国にチェーン店方式を採用し、「いろはにほへと」のほか「春花秋灯」「常盤うどん」などの飲食店チェーンを札幌圏を中心に出店する一方、関東、関西、東北にも進出。
東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月1… 東福 洋(とうふく ひろし、1934年 - 2008年9月17日)は、雑誌編集者、実業家。地元である函館市を中心に、北海道にまつわる書籍・雑誌を出版した。 幼少期は、地方回りで家にあまりおらず、母も家業で忙しく、祖父母と過ごす時間が多かった。函館西高校から明治大学文学部卒。父に大学進学に反対され、学生時代はアルバイトに明け暮れていたが、女子高校の教師をしていた伯母が学費を援助してくれていた。東京で編集社に入社し、料理の雑誌編集に携わり、編集長を10年ほど務めた。その後、50歳ころ、函館に戻り、当時、函館唯一の出版社である1986年2月に幻洋社を設立。設立してから数年後、ラジオ番組で「地方の生きのいい、ぴちぴちとしたテーマをもとに、いい本づくりが私たちの手で生まれてもいい」と意気込みを語っていた。
加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経… 加野 忠(かの ただし、1933年 - )は日本の実業家、経済学者。元ソロモン・ブラザーズ銀行日本代表、博士(経済学)(中央大学・論文博士・2009年)。 北海道小樽市出身。1957年一橋大学経済学部卒業。大学では都留重人ゼミナールに参加。1962年イェール大学大学院修士課程修了。一橋都留ゼミの同期に、仲澤泰彦(元日本電気常務)、近藤久也(元フジテレビディレクター)、関根友彦(元ヨーク大学教授)、岩崎八男(通産官僚、元中小企業庁長官)などがいる。 大学卒業後東京銀行に入行し証券部長等を経て、1985年退社。セキュリティ・パシフィックに移り、円スワップ取引部門の立ち上げを行う。その後ソロモン・ブラザーズで銀行子会社の設立を行う。
小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2… 小池 聰行(こいけ そうこう、1932年10月15日 - 2001年1月20日)は、日本の実業家で、オリコンの創業者。
鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年… 鶴羽肇(つるは はじめ、1932年6月30日 - 2023年11月12日)は、日本の経営者。ドラッグストアチェーン、ツルハホールディングス初代社長。北海道上川郡東旭川村(現・旭川市)出身。 北海道上川郡東旭川村で鶴羽薬師堂(旭川市4条)経営者の平民鶴羽勝の次男として生まれる。旧制旭川中学を経て新制旭川東高校、京都大学医学部薬学科を卒業し、父親の強い要望が有り、厚生官僚の道を諦め、家業の鶴羽薬師堂に薬剤師として就職。 1956年父のツルハ薬局創業に伴いツルハ薬局に転籍、1959年より国鉄購買部が一般販売を始めたため家業のツルハ薬局が廃業の危機に陥る。1961年から経営危機の改善のために旭川市内で国鉄、国策パルプの購買以外では初の薬の廉売を始めた。
大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日… 大星 公二(おおぼし こうじ、1932年4月7日 - )は日本の実業家。NTTドコモ社長、同社会長を歴任。北海道札幌市出身。 1945年北海道庁立札幌第一中学校入学、1951年北海道札幌北高等学校卒。1957年東京大学法学部卒業後、日本電信電話公社(現NTT)入社、1966年北海道石狩深川電報電話局長。電気通信総合研究所経営研究室長、データ通信本部営業部長などを経て、1988年NTT取締役経営企画本部長、1990年同常務企業通信システム本部長、1992年NTT移動通信網(NTTドコモ)社長、1998年同会長、現在に至る。社長時代にiモード開発を推進した。 多趣味で知られ、学生時代は全都道府県を旅行したように、今もぶらり出かける外出を好む。
安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - … 安川 英昭(やすかわ ひであき、1931年11月13日 - 2014年2月25日)は、日本の技術者、実業家。セイコーエプソン代表取締役社長を務めた。 東京都生まれ。北海道小樽市で育つ。北海道庁立小樽中学校(現・北海道小樽潮陵高等学校)を経て、1955年東京大学工学部精密工学科卒業、第二精工舎(現・セイコーインスツル)入社。1959年諏訪精工舎(現・セイコーエプソン)転籍。自動巻き腕時計「ジャイロマーベル」、世界初のクォーツ腕時計「セイコークォーツ・アストロン」などを開発し商品化。1976年同社取締役。1991年セイコーエプソン代表取締役社長。1998年長野県経営者協会会長。2001年セイコーエプソン会長。
我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )… 我孫子 健一(あびこ けんいち、1931年6月13日 - )は、日本の地方公務員、航空実業家。北海道副知事、北海道住宅供給公社理事長、北海道空港代表取締役社長、北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長などを歴任した。日本棋院普及功労賞受賞。瑞宝中綬章受章。 北海道札幌南高等学校を経て、1954年北海道大学経済学部卒業、北海道庁入庁。1972年開発調整部参事。1977年開発調整部次長。1980年上川支庁長。1983年開発調整部長。1987年北海道副知事。1991年北海道住宅供給公社理事長。1994年北海道空港代表取締役社長。2000年北海道国際航空会長、北海道経済連合会副会長、北海道観光連盟会長。
児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 … 児島 仁(こじま まさし、1930年〈昭和5年〉12月5日 - 2023年(令和5年)5月31日)は日本の実業家。第3代日本電信電話株式会社(NTT)代表取締役社長。位階は従三位、旭日大綬章受章。 北海道深川市生まれ。北海道立札幌第一中学校(現北海道札幌南高等学校)を経て、1953年北海道大学法経学部卒業。なお、ベストセラー作家の増田俊也は大学の後輩にあたる。日本電信電話公社入社。1980年職員局長。1983年総務理事。「電電公社始まって以来の乱暴者」と評されるほどの武闘派で知られ、郵政省の公社分割案に反対し、大学の後輩にあたる郵政省の五十嵐三津雄との折衝にあたるなどした。 日本電信電話公社民営化に尽力し、1985年に日本電信電話が設立されると常務に就任し、翌年の1986年には副社長に昇格。
本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2… 本橋 浩一(もとはし こういち、1930年4月12日 - 2010年10月26日)は、日本の男性実業家、アニメーションプロデューサー。北海道室蘭市生まれ、小樽市育ち。日本アニメーション株式会社代表取締役社長。 1952年、中央大学法学部卒業。 1953年、学陽書房編集部。同年本橋電機社長。 1960年、聯合広告社代表。 1967年、小谷正一の紹介で日本万国博覧会電力館担当プロデューサー。 1972年、やはり小谷の奨めでズイヨー映像社長。 1975年、日本アニメーションを設立して代表取締役社長。 『フランダースの犬』『母をたずねて三千里』『あらいぐまラスカル』『赤毛のアン』などの作品で知られる〈世界名作劇場〉や、『未来少年コナン』『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』『HUNTER×HUNTER』などのテレビアニメ製作を手がけた。
小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日… 小野 栄一(おの えいいち、1930年2月5日 - )は、日本の司会者、コメディアン、ボードビリアン、実業家である。娘は歌手の小野ひとみ。 1930年(昭和5年)2月5日、北海道に生まれる。新制・北海道立札幌第二高等学校(現在の北海道札幌西高等学校)では映画評論家の品田雄吉と同期、俳優の左右田一平は一期下であった。同校卒業後、北海道大学に進学するも中途退学。 1952年(昭和27年)、日本コロムビアの司会者として舞台に立ち、デビューする。 昭和中期にテレビや寄席などで活躍、美空ひばりや灰田勝彦の物まね、テレビ番組『そっくりショー』の司会などで知られた。また、テレビ映画『オットいたゞき』では人情味あふれる詐欺師役を演じ、テレビ人形劇『ひょっこりひょうたん島』では声優を務めるなど、多方面で活躍した。
橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 201… 橋本 博治(はしもと ひろじ、1930年1月6日 - 2010年2月22日)は、日本の経営者、工学博士で、日立電線社長、会長を務めた。 北海道旭川市出身。海軍兵学校を経て、1952年に北海道大学工学部電気工学科を卒業し、同年4月に日立製作所に入社した。 1956年に日立電線に転じ、1977年6月に取締役に就任、1981年6月に常務、1982年6月に専務を経て、1983年6月に副社長に就任し、1985年6月には社長に昇格。1995年6月に会長を経て、1999年6月には相談役に就任。 1993年4月に藍綬褒章を受章し、2000年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2010年2月22日肺炎で死去。80歳没。
八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2… 八木 祐四郎(やぎ ゆうしろう、1929年8月21日 - 2001年9月9日)は、日本の実業家。 北海道枝幸郡中頓別村(現・中頓別町)出身。旧制旭川中学校(現北海道旭川東高等学校)、日本大学法学部法律科卒業。卒業後は国民生活金融公庫に勤務する傍ら、スキー指導に携わり、母校日本大学スキー部監督や全日本スキー連盟専務理事、全国ビルメンテナンス協会会長、日本オリンピック委員会会長を歴任した。
岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月1… 岩本 政光(いわもと まさみつ、1929年(昭和4年)4月15日 - 2014年(平成26年)7月5日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(自民党)。 北海道札幌郡豊平町石山(現札幌市南区石山)生まれ。北海中学校を経て北海道大学工学部土木科を卒業した。学生時代からスキーの製作を手がけ、そのまま実業界へと入る。1960年(昭和35年)にタクシー業の東洋交通を設立した。父・政一の選挙活動を手伝ううちに、政界を志すようになる。北海道議会議員を2期務めたのち、1980年(昭和55年)の第12回参議院議員通常選挙で自民党から立候補、初当選を果たし参議院議員を2期務めた。 1990年(平成2年)にクモ膜下出血で倒れた。
西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 200… 西尾 長光(にしお ながみつ、1929年2月18日- 2004年3月24日 )は、日本の経営者。丸ヨ西尾社長を務め、セイコーマートの創立者でもある。 北海道札幌市出身。札幌北の誉酒造社長の西尾長平の長男として生まれる。ルーツは石川県金沢市。旧制中学校二年生まで札幌で過ごし、残りの二年は旭川中学校(現・北海道旭川東高等学校)に通った。 1952年に早稲田大学第一商学部を卒業し、同年に丸ヨ西尾商店に入社、常務に就任。1954年に専務に就任し、1960年には北の誉酒造専務に就任し、1977年12月に副社長を経て、1978年に社長に就任。1985年11月に会長に就任。2001年から2004年まで、第15代札幌商工会議所会頭。
岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )… 岩崎 琢弥(いわさき たくや、1928年11月29日 - )は、日本の経営者。日興証券社長を務めた。 北海道小樽市出身。松本高等学校文科を経て、1954年に東京大学法学部政治学科を卒業し、同年に日興証券に入社。1979年12月に取締役に就任し、1981年9月に常務、1984年11月に専務、1985年11月に副社長を経て、1986年12月に社長に就任。大口投資家への損失補てんによる責任を取る形で社長を辞任し、1991年6月に副会長に退き、1996年6月に会長を経て、1997年10月から顧問を務めた。 2000年6月からコナミ取締役も務めた。 旧制松本高等学校時代にサッカー部であったことから、社長時代の1990年に同社の女子サッカーチーム「日興證券女子サッカー部ドリームレディース」の結成に関わった。
山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月… 山崎 幹雄(やまざき みきお、1928年 <昭和3年> 9月17日 - 2008年 <平成20年> 3月16日)は、日本の実業家・地方公務員・学校経営者。釧路市助役、葵建設社長、釧路短期大学学長を歴任。位階は正五位。 北海道網走市出身。1948年、北海道帝國大學工学部土木専門部卒業。北海道立釧路工業高等学校教諭。1950年、釧路市役所に入所。同市港湾部長。1972年、同市総務部長。1973年、同市助役。1977年、釧路市役所退職。葵鉱発に入社。1983年、同社代表取締役専務。1984年、葵建設代表取締役専務。1986年、同社代表取締役社長。2001年、葵建設退社。釧路短期大学学長。2003年、同大学退職。
板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 … 板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2011年〈平成23年〉11月30日)は、日本の政治家、実業家。北海道苫小牧市長を経て、北海道議会議員(5期)。 北海道苫小牧市出身。実家は「千鳥屋商店」(現・千鳥屋板谷商店)を営み、北海道苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)、海軍兵学校(77期)を経て、1949年(昭和24年)北海道大学農学部農芸化学科を卒業。理学博士。 北大卒業後富士紡績に入社し東京本社科学研究所などに勤務、在京時の1959年(昭和34年)に結婚し3児をもうける。その後新富士エンジンや北海道炭礦汽船に出向の後1972年(昭和47年)に苫小牧へ戻り、岩倉組土建取締役常務を経て、1983年(昭和58年)苫小牧市長選挙で苫小牧市長に初当選するも、次の1987年(昭和62年)市長選挙で鳥越忠行に敗れた。
正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 202… 正野 勝也(しょうの かつや、1928年1月2日 - 2024年12月2日)は、日本の経営者。雪印乳業社長を務めた。北海道小樽市出身。 1949年に北海道大学農学部を卒業し、同年に北海道酪農協同(のちの雪印乳業)に入社。1981年に取締役に就任し、1985年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1988年1月に社長に就任。1993年6月に会長を経て、1998年6月には相談役に就任。社長在任時には、自社グループの結束と強化、海外進出による国際化の進展、チーズの日の創設による普及活動への貢献などを行った。1997年6月には農林中央金庫監事にも就任。 1996年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2024年12月2日に死去。
蔦井 政信(つたい まさのぶ、1927年9月13日 - )は… 蔦井 政信(つたい まさのぶ、1927年9月13日 - )は、日本の実業家。北海道滝川市出身。 道南海運社長や東日本フェリー初代社長、北海道旅客船協会会長を務めた蔦井與三吉の息子として生まれ、1946年に旧制滝川中学校を卒業。父が経営する稚内利礼運輸の経営不振や終戦後の混乱で大学進学を断念し、同年蔦井木材工業所に入社、稚内へ移り家業に専念し、1951年には稚内利礼運輸取締役となる。1957年には日本通運札幌支店に監査役として入社し、昭和30年代序盤の3年間で支店の監査や指導を行った。 その後は1961年に桑園倉庫常務、1964年7月に道南海運専務、1965年7月に東日本フェリー専務取締役、蔦井商事監査役といった、蔦井グループの要職を務める。
吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日… 吉野 龍男(よしの たつお、1927年9月2日 - )は、日本の経営者。伊藤組土建社長を務めた。北海道札幌市出身。 1947年に北海道大学工学部専門部を卒業し、同年に鹿島建設に入社。1949年5月から1950年12月までに北海道大学工学部土木科で助手を務め、1951年4月に伊藤組土建に入社。1977年3月に取締役に就任し、1984年6月に常務、1986年6月に専務、1994年6月に副社長を経て、2002年6月に社長に就任。2008年4月から2009年3月までに会長を務めた。
伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2… 伊藤 義郎(いとう よしろう、1926年12月14日 - 2023年12月5日)は、日本の実業家。北海道札幌市出身。伊藤組土建代表取締役社長、テレビ北海道代表取締役社長、全日本スキー連盟会長、日本赤十字社北海道支部長等を歴任した。 旧制北海道庁立札幌第一中学校(現在の北海道札幌南高等学校)を経て、早稲田大学に進学。1944年からは学徒動員に伴い川崎の日本鍛造へ勤務、渋谷で東京大空襲に被災し、市ヶ谷の東部軍司令部での事務作業の最中に終戦を迎え、一旦札幌に戻った後1年後に早大へ復学。 1950年に早稲田大学政経学部を卒業した。同年5月に伊藤組土建に入社。一方で終戦直後から「日本を負かしたアメリカはどのような国なのか見てみたい」との思いでアメリカへの留学を考えGHQ総司令部に相談し進駐米軍将校の住宅でハウスボーイとして働いた後1951年に渡米し近代経営学を学び、1952年にカリフォルニア大学大学院を修了し、1953年にコロンビア大学大学院を修了。
安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997… 安井 誠(やすい まこと、1926年5月19日 - 1997年3月11日)は、北海道出身の大蔵官僚、実業家。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月2… 辰繁 存(たつしげ すすむ、1926年 - 2013年1月25日)は、日本の放送局経営者。エフエム富士(FM-FUJI)初代社長。 北海道小樽市生まれ。小樽中学校(旧制。のちの北海道小樽潮陵高等学校)、静岡高等学校(旧制。のちの静岡大学)、東京大学国文科を卒業後、日本放送協会へ入局。 民間放送草創期に東京放送(TBS)へ移籍し、TBSラジオの番組編成・制作業務に従事。ラジオの編成課長だった1963年(昭和38年)、プロ野球シーズン中の夜間にナイター中継を優先させる編成の導入へ関わった。その後、テレビ営業局ネットワーク業務部副部長を経て、1969年(昭和44年)9月にテレビ山梨(UTY)へ出向。中学校の先輩である諏訪博からバックアップを受け、1981年(昭和56年)のTBS定年退職後も引き続きUTYへ残り、最終的には取締役専務を務めた。
高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-20… 高桑 義高(たかくわ よしたか、1925年11月10日-2006年5月17日 )は、日本の経営者。サッポロビール社長、会長を務めた。北海道函館市出身。 1949年に東京商科大学を卒業し、同年に大日本麦酒(のちのサッポロビール)に入社した。1973年に経理部長に就任し、取締役、常務、専務を経て、1983年3月には社長に就任した。1989年3月に会長に就任し、1991年3月から相談役を務めた。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2006年5月17日下咽頭がんのために死去。80歳没。
大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14… 大道寺 小三郎(だいどうじ こさぶろう、1925年(大正14年)5月1日 - 2005年(平成17年)7月21日)は、日本の銀行家、実業家。みちのく銀行頭取を務めた。 北海道静内郡静内町(現・日高郡新ひだか町)出身。医家に生まれ、父・小市は函館市に診療所を開設。のちに病床を20以上備えた函館一の規模を誇る病院となった。 旧制函館中学、旧制弘前高校を経て東北大学法学部を卒業する。弘前高校時代の同期には鈴木清順(映画監督)、一期下にはその弟の鈴木健二(NHKアナウンサー)もいた。 大学卒業当初は、弁護士を目指して司法試験に6度挑戦したとされるが、突破できなかったため、渋々ながら齢32にして当時の弘前相互銀行に入行。
林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日… 林 正道(はやし まさみち、1925年(大正14年)4月1日 - 2008年(平成20年)9月8日)は、日本の工学者、元地方公務員・実業家。工学博士(北海道大学)。北見工業大学・道都大学元学長。北見工業大学・道都大学名誉教授。専門は、コンクリート工学。 北海道江別市出身。1948年(昭和23年)に北海道大学工学部土木工学科を卒業し、北海道庁網走土木現業所に入所。1951年(昭和26年)北海道開発局土木試験所に移る。1970年(昭和45年)同所所長。1975年(昭和50年)北海道開発局退官。日本セメント顧問。1977年(昭和52年)北見工業大学工学部教授。1984年(昭和59年)北見工業大学4代学長に就任。
工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 -… 工藤 万砂美(くどう まさみ、男性、1925年2月22日 - 1996年8月27日)は、日本の実業家。政治家。参議院議員(1期、自由民主党)。北海道議会議員(通算4期)。 北海道歌志内市出身。1943年早稲田実業学校卒。翌年陸軍に召集される。中央大学法学部に入るも中退。戦後、空知建設工業株式会社を創立し、代表取締役となる。ほか空知物産(株)、丸美大道通商(株)の各代表取締役に就任し、歌志内商工会議所会頭を務めた。1971年から北海道議を3期務め、1983年の第13回参議院議員通常選挙で北海道選挙区から自民党公認で立候補し当選。1986年の第3次中曽根内閣で法務政務次官、1988年の竹下改造内閣で北海道開発政務次官に就任。
長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年1… 長岡 宗一(ながおか そういち 1925年 - 1994年10月8日)は、日本のヤクザ、北海道ボクシングジム経営者。北海道同志会(後の三代目山口組柳川組北海道支部)初代会長。北海道空知郡岩見沢町出身。通称はジャッキー。 大正14年(1925年)、北海道空知郡岩見沢町(現:岩見沢市志文町)で、長岡吉元と菊の子の12人兄弟の長男として生まれた。札幌市内の商業学校に進学し、在学中は、ボクシングと柔道の練習に打ち込んだ。 昭和36年(1961年)12月、三代目山口組柳川組・柳川次郎組長(本名は梁 元錫。通称はマテンの黒シャツ)は、札幌市で力道山一行のプロレス興行を行った。このとき、長岡は、柳川次郎と柳川組若頭・谷川康太郎(本名は康 東華。
島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2… 島村 靖三(しまむら せいぞう、1924年10月6日 - 2019年7月18日)は、日本の経営者。明治乳業社長を務めた。北海道旭川市出身。 1947年に北海道大学農学部を卒業し、同年に明治乳業に入社。1973年11月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1981年9月に社長に就任。1989年6月から会長を務めた。 1994年11月に勲三等旭日中綬章を受章。 2019年7月18日心不全のために死去。94歳没。墓所は多磨霊園(18-1-12)。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月… 一戸 豊信(いちのへ とよのぶ、1924年(大正13年)7月23日 - 2014年(平成26年)3月24日)は日本の実業家、元室蘭民報社社長。北海道室蘭市出身。 その他、室蘭市教育委員(1978年から1995年まで)・NHK番組審査委員・室蘭保健所保健協議会委員・室蘭市労働問題審議会委員・室蘭交通安全協会理事・室蘭市中央卸売市場開設運営協議会委員・室蘭防犯協会理事・室蘭剣道連盟会長などを歴任。
角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年… 角 五郎(かど ごろう、1922年8月26日 - 1990年7月24日)は、日本の経営者。北海道文化放送社長、会長を務めた。 北海道室蘭市出身。1942年に名古屋高等商業学校を卒業し、1945年10月に北海道新聞社に入社。1977年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1982年に道新通信社社長に就任。1984年に北海道文化放送社長に就任し、1988年6月には会長に就任。 1990年7月24日に肝不全のために死去。67歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月2… 神 彰(じん あきら、1922年6月27日‐1998年5月28日)は、北海道出身の興行師、事業家、国際芸能プロモーター。
戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006… 戸田 一夫(とだ かずお、1922年4月19日 - 2006年10月21日)は、日本の実業家。フィンランド視察を基にした、北海道産業クラスター構想提唱者。北海道札幌市出身。東京工業大学(現東京科学大学)卒。
永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本… 永井 正(ながい ただし、1922年 - 2002年)は日本の実業家。元三井ホーム社長。
香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 200… 香木 正雄(こうき まさお、1921年8月26日 - 2002年4月28日)は日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社取締役会長を務めた。 北海道小樽市出身。小樽高等商業学校(現小樽商科大学)卒業後、日本製粉入社。日本製粉専務取締役を経て、1985年から日本製粉代表取締役社長を務め、男女満60歳への定年延長や、国立市での食品部冷凍食品管埋センター開設などにあたった。1987年にはワタミフードサービス創業者渡邉美樹と面会するなどし、ワタミフードサービスへの出資を行った。 1992年、勲三等旭日中綬章を受章。2002年4月28日、心不全のため死去。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。
志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 201… 志村 和雄(しむら かずお、1920年2月22日 - 2014年1月5日)は、日本の政治家・実業家。北海道小樽市出身。1943年北海道帝国大学農学部水産学科卒。地方公務員を経て、1975年から1987年まで北海道小樽市長を務めた。 1943年に日本化成工業に入社。まもなく徴兵され、終戦によって復員。北海道小樽水産高等学校教諭を経て、1951年小樽市役所に入る。1967年より同市役所助役を8年務める。助役として、新日本海フェリー就航や小樽駅前再開発事業に尽力した。 その後、小樽市役所を退職し、1975年小樽市長選に立候補し初当選。以後連続3期。市街地再開発派の市長であったが、在任中の1983年には小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例を制定。
小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月3… 小林 傭佶(こばやし ようきち、1920年(大正9年)1月31日 - 1993年(平成5年)4月19日)は、日本の実業家・学校経営者。北海道古宇郡神恵内村生まれ。1942年(昭和17年)東京商科大学卒。「小林傭吉」「小林用吉」とも表記される。 三菱重工業勤務を経て、1946年(昭和21年)札幌文科専門学院教授。1949年(昭和24年)明和学園理事( - 1954年(昭和29年))。1950年(昭和25年)札幌短期大学商業科客員教授( - 1967年) 1957年(昭和32年)札幌日交タクシー社長。1959年(昭和34年)小樽日興交通社長。1960年(昭和35年)釧路日興交通社長。1961年(昭和36年)日交興業開発(後の小林企業)社長。
3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日… 3代 地崎 宇三郎(ちざき うさぶろう、1919年7月21日 - 1987年11月11日)は、日本の政治家、実業家。旧名は九一。北海道札幌市出身。旧制小樽中学卒業、立命館大学経済学部中退。 3代目地崎宇三郎は、かつて北海道を代表するゼネコンであった地崎工業の前身、株式会社地崎組の3代目社主(オーナー社長)。1943年に父の2代目宇三郎から地崎組社長を継承し、1973年に地崎工業と改称、1981年に長男の地崎昭宇に社長の座を譲った。 父の公職追放直後の1947年の第23回衆議院議員総選挙に立候補するも選挙戦途中で辞退。1963年、第30回衆議院議員総選挙に旧北海道1区より立候補し、初当選。当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・田中六助・渡辺美智雄・藤尾正行・佐藤孝行・中川一郎・三原朝雄・西岡武夫・鯨岡兵輔・奥野誠亮など。
中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2… 中道昌喜(なかみち まさよし、1918年10月27日 - 2007年1月15日)は、日本の実業家。中道機械株式会社および中道リース株式会社の創業者。 北海道函館市出身。後に北海道夕張市に移住し、幼少期を夕張で過ごした。夕張市立夕張第二小学校卒業。北海中学校を卒業する。 1945年機械販売と製作の中道兄弟商店を札幌に設立する。1950年1月19日株式会社に改組し、社名を中道兄弟機械株式会社と改称する。さらに、1963年1月社名を中道機械株式会社と改称。同社代表取締役社長。1963年札幌証券取引所に上場。1972年1月中道リース株式会社を設立し、リース部門に進出。同社代表取締役社長に就任。1985年中道リース代表取締役会長に就任。
北 二郎(きた じろう、1918年9月13日 - 1950年… 北 二郎(きた じろう、1918年9月13日 - 1950年1月29日)は、日本の政治家、農業経営者。父は衆議院議員を4期、参議院議員を1期務めた北勝太郎。弟に北海道開発庁長官・開発庁長官を務めた北修二、奈井江町長の北良治がいる。 北海道空知郡奈井江村生まれ。1937年旧制北海道庁立岩見沢中学校(現・北海道岩見沢東高等学校)卒業。酪農義塾(現・酪農学園大学)、町村農場で農業・畜産を修得し、その後農業を営む。奈井江村酪農振興会会長。 父・勝太郎が第二次世界大戦後公職追放されると、その身代わりとして1947年の第23回衆議院議員総選挙において北海道4区から立候補し初当選。政界に入り、日本農民党・農民新党・農民協同党に所属した。
松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 199… 松尾 英男(まつお ひでお、1918年8月30日 - 1998年4月3日)は、日本の実業家。 元東急不動産社長、東急ハンズ社長、東京急行電鉄専務。 北海道札幌市出身。小学校卒業後、母親の再婚で東京に移る。1942年慶應義塾大学経済学部を卒業し、戦後の1946年に東京急行電鉄に入社。1953年に東急不動産に出向し、田園都市部長・常務・専務などを経て、1978年社長に就任し、のち会長となる。同社を総合ディベロッパーに育てあげ、「中興の祖」と呼ばれた。さらに1976年に東急ハンズの設立に関わり、初代社長を務める。また、この間東京急行電鉄取締役・専務なども歴任し、東急グループの重鎮として活躍した。