野田 清(のだ きよし、1887年(明治20年)7月6日 -… 野田 清(のだ きよし、1887年(明治20年)7月6日 - 1974年(昭和49年)3月29日)は、日本の海軍軍人。大本営海軍報道部長。階級は海軍中将。北海道出身。 北海道出身。旧制函館中学校卒業。海軍兵学校35期。席次は172人中40番。同期生に近藤信竹、高須四郎、野村直邦がいる。「浅間」分隊長として第一次世界大戦に出征した。野田は海軍大学校乙種、砲術学校高等科を修了した砲術専攻士官で、のちに戦艦「鹿島」砲術長を務めている。皇太子裕仁親王の欧州訪問の供奉艦「鹿島」の分隊長として渡欧した際は、海軍士官に芸術の素養が必要であるとの報告書を提出した。帰国後海大甲種17期を卒業。 佐官時代は艦隊では第三艦隊、第二艦隊の各参謀や軽巡洋艦「鬼怒」副長、軍政では軍務局局員兼教育本部員、海軍省副官兼大臣秘書官、臨時調査課長、軍令では海大戦略教官、軍令部第二課長(後任は南雲忠一)などを歴任した。
阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日 -… 阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日 - 1980年9月10日)は、日本の俳人。本名はミツ。北海道札幌区(現・札幌市)生まれ。父は第2代北海道庁長官・永山武四郎。 北星女学校(現北星学園女子中学高等学校)修了。 1910年、阿部卓爾と結婚して東京に住むが、結核のため鎌倉で療養。この頃から俳句を始める。1915年、高浜虚子に師事、以後「ホトトギス」を中心に作品を発表。始めは主情的な俳風だったが、後に虚子が客観写生を説くと彼女もそれに従い、更に写生を極めるために洋画家森田恒友に素描を学んだ。長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人。金子兜太はかな女・久女を感情型、みどり女を想念型と指摘している。
中村 武羅夫(なかむら むらお、1886年(明治19年)10… 中村 武羅夫(なかむら むらお、1886年(明治19年)10月4日 - 1949年(昭和24年)5月13日)は、日本の編集者、小説家、評論家。 北海道岩見沢村生まれ。家は鳥取県からの開拓移民で旧士族の家系。岩見沢村立東小学校卒。岩見沢尋常高等小学校卒業後、進学を望むも家のりんご園経営が没落したため断念。小学校の代用教員を経て、博文館の「文章世界」で小説が次点佳作となったのをきっかけに1907年に上京。大町桂月、徳田秋声と親しくなり彼らの紹介で、小栗風葉門下に入る。 後に真山青果の紹介で『新潮』記者となり、明治末から大正期にかけて同誌の中心的編集者として活躍した。『中央公論』の滝田樗陰と並んで大正期の名編集者と称された。
堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 -… 堀 末治(ほり すえじ、1886年(明治19年)9月9日 - 1976年(昭和51年)10月16日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 北海道岩内郡、のちの岩内町で生まれる。北海道庁立小樽中学校(現北海道小樽潮陵高等学校)を卒業した。 小樽市の醸造業者で経験を積んだ。1924年(大正13年)不況のため経営不振となった北海道内4酒造業者を救済する合併事業に参画し、合同酒精が設立され専務に就任。1945年(昭和20年)同社長となる。1946年(昭和21年)旭川商工会議所会頭に就任した。 1947年(昭和22年)4月、第1回参議院議員通常選挙で北海道地方区から出馬して当選。以後、第3回、第5回通常選挙でも当選し、参議院議員を連続3期務めた。
岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年〈明治19年〉6月… 岡本 一平(おかもと いっぺい、1886年〈明治19年〉6月11日 - 1948年〈昭和23年〉10月11日)は、日本の画家・漫画家・文筆家・仏教研究家。妻は歌人・小説家の岡本かの子。長男は芸術家の岡本太郎。 義弟(妹の夫)に洋画家の池部鈞がおり、甥は俳優の池部良。 津藩に仕えた儒学者、岡本安五郎の次男で書家の岡本可亭(本名:良信(喜信)、通称:竹二郎)と母・正の長男として北海道函館区汐見町に生まれる。東京・大手町の商工中学校から東京美術学校西洋画科に進学し、藤島武二に師事する。この時美校の同級生、中井金三の仲介で大貫カノ(岡本かの子)と知り合い、後に和田英作の媒酌で2人は結婚するが岡本家に受け入れられず、2人だけの新居を構えた。
石橋 智信(いしばし とものぶ、1886年5月15日 - 1… 石橋 智信(いしばし とものぶ、1886年5月15日 - 1947年12月21日)は、日本の宗教学者。
中島 九郎(なかじま くろう、1886年3月5日 - 195… 中島 九郎(なかじま くろう、1886年3月5日 - 1959年)は、日本の農学者・経済学者。農学博士。北海道大学名誉教授。札幌短期大学学長事務取扱。佐賀県出身 1910年東北帝国大学農科大学助手、1912年同助教授を経て、1922年北海道帝国大学農学部教授(農政学・農業経済学を担当) この他、北海学院兼任教授も務めた。 大正から昭和前期にかけて農政学の第一人者。農業経済学にも精通。恩師は、上原轍三郎。また、北大史のパイオニアで、『北海道帝國大學沿革史』という北大の通史編集や『佐藤昌介』等の北大著名人の人物伝を執筆した。
吉良平治郎(きら へいじろう、1886年2月3日 - 192… 吉良平治郎(きら へいじろう、1886年2月3日 - 1922年1月18日)は、アイヌ民族で北海道の釧路郵便局の逓送人(郵便配達員)である。 吉良は1886年(明治19年)2月3日、釧路の桂恋コタンで生まれた。父はヌサシベ(和名:縫治)、母はマツツル(和名:ミツ)という。父の死後、母は再婚したため父方の叔母によって養育された。15歳のとき高熱(リュウマチが原因といわれる)のために左手と左足が麻痺したが、その後の訓練によって少しずつ動かせるようになった。炭焼きや薪割などの仕事に従事していたが、生活は貧しかった。吉良は無口だが働き者で実直な性格だったため、雇い主からも信頼されていたという。 1922年(大正11年)1月16日、昆布森郵便局の臨時逓送人に採用され、釧路局と昆布森局の間の郵便物の逓送をすることになった。
河村 幹雄(かわむら みきお、明治19年(1886年) - … 河村 幹雄(かわむら みきお、明治19年(1886年) - 昭和6年(1931年))は、日本の大正、昭和期を代表する地質学者・教育者・哲学者・宗教家である。九州帝国大学名誉教授であり、理学博士。
田中 正太郎(たなか しょうたろう、1885年(明治18年)… 田中 正太郎(たなか しょうたろう、1885年(明治18年)11月23日 - 1965年(昭和40年)1月17日)は、大正から昭和時代の政治家、教育者、実業家。北海道勇払郡苫小牧町長、初代苫小牧市長。 札幌県新冠郡(現・北海道新冠郡新冠町)にて生まれ、1893年(明治26年)苫小牧へ移り住む。苫小牧尋常高等小学校(現・苫小牧市立西小学校)を経て、1908年(明治41年)北海道師範学校第1部(現・北海道教育大学札幌校)卒業。卒業後、直ちに母校の苫小牧尋常高等小学校の訓導となり、その後、1918年(大正7年)苫小牧東尋常小学校(現・苫小牧市立東小学校)訓導兼校長を経て、1921年(大正10年)苫小牧東尋常高等小学校の校長に就任する。
梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - … 梁田 貞(やなだ ただし(てい))、1885年7月3日 - 1959年5月9日)は教育者、作曲家。北海道札幌市出身。
椎久年蔵(しいく としぞう、明治17年(1884年)5月5日… 椎久年蔵(しいく としぞう、明治17年(1884年)5月5日 - 昭和33年(1958年)3月27日)は、八雲のアイヌ、アイヌ文化伝承者。アイヌ語八雲方言の最後の話者。 北海道山越郡八雲町字遊楽部に生まれ、終生そこに住む。椎久家は首長(コタンコㇿクㇽ)の家系であり、年蔵は次男であった。父母ともに遊楽部(ゆうらっぷ)の人。姓は、先祖に弓の名人がいたことからsíku「大きな弓」の当て字である。「シク」と読まれることもある。アイヌ名はTóytareki、トイタレキ、トイタレケ、トヨタリケ。名前はアイヌ語でtóyta「畑仕事」、 rek「叫ぶ」で、母が畑仕事の最中に産気付き、家に戻る途中に畑野中の道で産み落としたことに由来する。
大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月… 大久保 偵次(おおくぼ ていじ、1883年(明治16年)6月15日 - 1973年(昭和48年)2月10日)は、日本の大蔵官僚。銀行局長時代に帝人事件の被告となるも無罪判決を受けた。関場家の養子となっていたため、前半生では関場偵次と名乗る。 鹿児島県に生まれる。長兄が屯田兵となっていたことから北海道琴似村に移住し、17歳で関場不二彦の養子となった。札幌中学、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学を卒業。文官高等試験に合格し、大蔵省に入省する。同期生に首席の後藤文夫や、石黒忠篤などがいる。 官歴は大蔵属に始まる。大蔵省事務官、同書記官を経て、仏国、英国各駐剳財務官代理、国際連盟総会随員を歴任。第一次世界大戦終結後の独国による対日賠償に関わった。
安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治… 安孫子 孝次(あびこ こうじ / たかつぐ、1882年(明治15年)12月16日 - 1973年(昭和48年)3月26日)は、日本の農学者、教育者、政治家。衆議院議員、北海道札幌郡琴似町長。 北海道札幌郡琴似村屯田兵村(現札幌市西区琴似)で旧会津藩士・屯田兵、安孫子倫彦の長男として生まれる。農作業の経験から、寒冷地農業の確立の志を持つようになる。北海道庁立札幌中学校を経て札幌農学校に入学。同校が改称した東北帝国大学農学部を1908年に卒業した。 卒業後、北海道庁地方農事試験場技手として採用され、北見分場長に就任。1910年、北海道庁技師・北海道農事試験場渡島支場長に就任。1927年、北海道農事試験場長となる。
荒城 二郎(あらき じろう、1880年(明治13年)11月6… 荒城 二郎(あらき じろう、1880年(明治13年)11月6日 - 1952年(昭和27年)6月3日)は、北海道出身(本籍は東京都)の海軍軍人(中将)。兄の卓爾は陸軍少将。妹は井上達三の妻で、井上成美とは縁戚関係にあった。 旧徳島藩洲本城城代稲田家家臣・陸軍屯田兵少佐・荒城重雄の二男として北海道札幌市に生まれる。小学校卒業後上京し、攻玉社を経て海軍兵学校29期。日露戦争に「香港丸」「朝霧」乗組として出征。「扶桑」水雷長・「村雨」駆逐艦長などを経て、1913年(大正2年)海軍大学校甲種11期卒。同年から1916年(大正5年)まで英領シンガポールに駐在武官として出張。1917年(大正6年)第7駆逐隊司令、1920年(大正9年)大佐、1921年(大正10年)~1923年(大正12年)在ドイツ駐在武官。
安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年… 安倍 季雄(あべ すえお、1880年9月7日 - 1962年12月19日)は、日本の童話作家。号は村羊。 山形県出身。函館中学校(現北海道函館中部高等学校)卒。 1908年時事新報社に入社、『少年』『少女』の編集主幹となりみずからも執筆する。1929年退社し、東京中央放送局『コドモ・テキスト』編集顧問となり、口演童話を開拓、大阪毎日新聞嘱託講師として全国各地に講演旅行する。1952年久留島武彦と全国童話人協会を設立し、のち2代委員長となる。
武林 無想庵(たけばやし むそうあん、1880年2月23日 … 武林 無想庵(たけばやし むそうあん、1880年2月23日 - 1962年3月27日)は、日本の小説家、翻訳家。本名は磐雄(いわお)、のちに盛一(せいいち)。
布施 現之助(ふせ げんのすけ、1880年1月24日 - 1… 布施 現之助(ふせ げんのすけ、1880年1月24日 - 1946年12月12日)は、解剖学者。医学博士。専攻は神経解剖学。
柏木 ベン(かしわぎ ベン、1879年〈明治12年〉12月1… 柏木 ベン(かしわぎ ベン、1879年〈明治12年〉12月12日 - 1963年〈昭和36年〉8月14日)は、宗谷のアイヌ。アイヌ語宗谷方言の話者であり、当地のアイヌ文化の保持者であった。アイヌ名はHatankoyma、ハタンコイマッ、ハタンコイマ。 1879年12月12日、イキコマナイ 'Ikikomanay(現・稚内市大字宗谷村会所前)に生まれる。父・柏木弁太(ベンタ)(嘉永3年(1850年)6月-?)はオランナイ 'Oran Nay(現・稚内市大字宗谷村字第二清浜)の人、父方祖父・イクニンケ 'Ikuninkeは紋別の人、父方祖母はオランナイの人であった。また、父は首長であった。母・シマ(安政4年(1857年)6月-?)はその父母ともに石狩の人であり(シマはオランナイ出身との記述もある)、宗谷のことは何も知らなかったという。
半澤 洵(半沢 洵、はんざわ じゅん、1879年1月9日 -… 半澤 洵(半沢 洵、はんざわ じゅん、1879年1月9日 - 1972年9月25日)は、日本の農学者・教育者。学位は、農学博士(北海道帝國大學)。日本学士院会員。北海道帝國大學名誉教授。市立名寄短期大学初代学長。北海道札幌郡白石村(現・札幌市白石区)出身。 納豆菌の純粋培養を大正時代に成功させ、納豆製造業の近代化に道を開いたことで知られる。 細菌学を研究し、細菌研究の先駆者にして、第一人者。特に、納豆菌研究が有名。半澤に拠れば「滋養に富み、消化良好にして、欧米のチーズに匹敵する」として、「半澤式納豆製造法」として確立した。従来の藁納豆に比べ、衛生的で、純粋培養の納豆菌の使うだけに高い栄養価も維持された。
結城弘毅(ゆうき こうき、1878年12月 - 1956年)… 結城弘毅(ゆうき こうき、1878年12月 - 1956年)は、鉄道省(国鉄を当時運営)の局員であった人物。
谷津 直秀(やつ なおひで、1877年9月8日 - 1947… 谷津 直秀(やつ なおひで、1877年9月8日 - 1947年10月2日)は、日本の動物学者。日本の動物生態研究の礎を築いた人物。Ph.D.(コロンビア大学)。東京帝国大学名誉教授。 東京で生まれる。その後、親と共に北海道に渡り、北海英語学校で学ぶ。1894年(明治27年)尋常中学共立学校卒業。1897年(明治30年)第一高等学校 (旧制)卒業。1900年(明治33年)東京帝国大学理科大学を卒業後、浅羽靖の援助によりアメリカ・コロンビア大学のE・B・ウィルソン(英語版)のもとで実験形態学の研究を行い、Ph.D.(博士号)の学位を得た。1907年(明治40年)に帰国し、東京帝国大学理科大学講師を嘱託され、1910年(明治43年)には同助教授となった。
鳥潟 隆三(とりかた りゅうぞう、1877年明治10年)8月… 鳥潟 隆三(とりかた りゅうぞう、1877年明治10年)8月20日- 1952年(昭和27年)2月19日) 。医学博士。日本の生理学者。明治-昭和時代の外科医学者・免疫学者。 1877年、北海道函館市生まれ。幼名は隆一。その後、6歳まで父・鳥潟精一の故郷秋田県大館市花岡で過ごした。鳥潟家は慶長年間のころから続く旧家で、花岡村の肝煎を代々務める家柄であった。 6歳まで花岡で育ったのち、大分県で病院長だった叔父鳥潟恒吉・サイ夫妻の許で大分県立大分中学校を卒業。恒吉夫人が甥・息子らを引率して上京し、旧制第一高等学校に進学、卒業に当たり、狩野亨吉の勧めで京都帝国大学医科大学に入った。1904年、恩賜の銀時計を授与されて同大学医科大学を卒業した。
金成 マツ(かんなり まつ、1875年〈明治8年〉11月10… 金成 マツ(かんなり まつ、1875年〈明治8年〉11月10日 - 1961年〈昭和36年〉4月6日)は、アイヌの口承文芸・ユカㇻの伝承者、キリスト教伝道師。アイヌ名はイメカヌ/Imekanu、戸籍名は金成 广知、洗礼名はマリア。 北海道幌別郡幌別村(現:登別市本町)出身のアイヌ女性で、母はアイヌの口承文芸の名手と称された金成モナㇱノウㇰ、姪で養女に『アイヌ神謡集』を編訳した知里幸恵、甥にアイヌ語研究者の知里真志保。母から受け継いだアイヌ文学を大学ノート約2万ページに記録し、アイヌ文学研究者のインフォーマントとなった。1956年に無形文化財の技術保持者に認定され、紫綬褒章を受章。 1875年11月10日、父・ハエリレと母・モナㇱノウㇰの長女として誕生。
佐々木 飛吉(ささき とびきち、明治2年1月15日(1869… 佐々木 飛吉(ささき とびきち、明治2年1月15日(1869年2月25日) - 昭和28年(1953年)5月23日)は、明治から昭和にかけて北海道静内郡静内町に居住したアイヌ。アイヌ協会の創立メンバーで、アイヌ文化伝承者であった。 東静内アザミの沢出身で、同地に住んだアイヌ名はOperikun、オペリクン、オペレクン・テクンアレ、ペイレン。opは海でカジキマグロを獲るのに使うホコであり、それを使うのが上手と言うこと、「ホコ使い上手」を意味するオッㇷ゚エリクンが転訛したものという。 アイヌ語に優れ、パルンクル(雄弁家)であった。静内地方でも著名な首長、長老であり、戦前・戦後を通し多くの著名人が訪れた。
金成 太郎(かんなり たろう、アイヌ名:ペテロ、1867年1… 金成 太郎(かんなり たろう、アイヌ名:ペテロ、1867年1月20日〈慶応2年12月15日〉 - 1897年〈明治30年〉1月20日)は、北海道幌別郡幌別村(現:登別市幌別)出身のアイヌ。アイヌ学校愛隣学校の教師。アイヌで最初にプロテスタントの洗礼を受けた人物で、アイヌ初の伝道者である。 幌別アイヌの長老である金成喜蔵(アイヌ名:カンナリキ)の長男で、金成マツ(同名:イメカヌ)・ナミ(同名:ノカアンテ)姉妹の従兄で、知里幸恵・高央・真志保姉弟の従伯父である。 1877年(明治10年)5月に常盤小学校に入学し、ただ一人アイヌ生徒として教育を受けた。聖公会の宣教師のジョン・バチェラーにアイヌ語を教えていく中で、キリスト教に入信して、1885年(明治18年)にバチェラーより、アイヌとして最初の洗礼を受けた。
小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治… 小橋 栄太郎(こばし えいたろう、1865年3月30日(元治2年3月4日) - 1932年(昭和7年)8月14日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員。 箱館で商業・小橋宗七の子息として生まれる。1882年、函館商船学校を卒業。その後、東京に出て近藤塾で学んだが、当時の自由民権運動に共鳴し政治の世界に身を投じた。1883年、先輩と共に北海自由党を結成しようとしたが、当局からの妨害を受けて実現できなかった。1889年、『日刊北辰』を創刊。1894年1月、改めて政事新聞『めざまし』を創刊し、1898年、『函館日日新聞』と改題した。 1900年、平出喜三郎に協力して立憲政友会函館支部を創立して、その幹部に就任。
天川 恵三郎(あまかわ けいさぶろう、1864年〈元治元年〉… 天川 恵三郎(あまかわ けいさぶろう、1864年〈元治元年〉 - 1934年〈昭和9年〉4月5日)は、アイヌの民族活動家。旭川の近文で、第7師団の移転に伴うアイヌの土地の詐取的な取り上げに対する返還要求運動に関わり注目され、金田一京助らから「アイヌの佐倉惣五郎」と呼ばれる。アイヌ名はイサラ。 現在の北海道小樽市の領域にあたるオタルナイにて生まれ、1873年(明治6年)、量徳小学校に第1期生として入学する。勉学に秀でていた天川は、小学校を視察した大隈重信、西郷従道、白仁武らの目に留まる。特に大隈は、「成長して東京へ出たら必ず寄れ」と言うほどであった。のち石狩支庁の浜益村に移住し、農業を営んだ。 旭川の近文には、アイヌへの給与地が存在した。
大竹 多氣(おおたけ たけ/おおたけ たき、文久2年10月7… 大竹 多氣(おおたけ たけ/おおたけ たき、文久2年10月7日(1862年11月16日) - 大正7年(1918年)7月19日)は、日本の工学者。 専門は繊維工学。日本の染色技術、毛織物工業の近代化に貢献。学位は、工学博士。千住製絨所長を経て、米沢高等工業・桐生高等染織学校の初代校長を歴任。位階勲等は従三位勲二等。ペンネームは大竹美鳥、みどり、雅号碧玉。 父は会津藩士松田俊蔵である。会津時代の松田家は御薬園付近にあったが、藩の蝦夷地支配に従って同地に赴き、大竹は現在の北斗市に生まれた。四男であった大竹は慶応3年(1867年)に同藩士大竹作右衛門元一の養子となる。長兄精介は鳥羽・伏見の戦いに参戦し、箱館戦争を戦った。
2代佐藤 栄右衛門(さとう えいえもん、1862年8月14日… 2代佐藤 栄右衛門(さとう えいえもん、1862年8月14日(文久2年7月19日) - 1917年(大正6年)1月23日)は、日本の政治家、漁業家、実業家。衆議院議員。幼名・幾太郎。 蝦夷地箱館(現・函館市)で佐藤重三郎の息子として生まれる。明治2年6月(1869年)、歌棄郡(現・寿都郡)の漁業家、初代・佐藤栄右衛門の養子となる。1885年に養父の隠退に伴い家督を相続し栄右衛門を襲名。歌棄郵便局長、歌棄水産物営業人組合納税委員、歌棄村惣代人、歌棄郡惣代人、歌棄水産組合頭取、学務委員、寿都外三郡聯合漁業組合副会長、歌棄水産税区会議員、歌棄水産組合組長、寿都外三郡水産組合聯合会組長、歌棄村会議員、寿都銀行頭取、寿都汽船取締役、寿都倉庫重役、後志興農監査役、北海道会議員などを歴任。
佐藤 昌介(さとう しょうすけ、1856年12月21日(安政… 佐藤 昌介(さとう しょうすけ、1856年12月21日(安政3年11月24日) - 1939年(昭和14年)6月5日)は、日本の教育者。北海道帝国大学初代総長。日本初の農学博士のひとり。 現在の岩手県花巻市出身。父は南部藩士の佐藤昌蔵。1870年(明治3年)1月には藩校の作人館に入り漢学を学ぶ(同窓生に原敬らがいる)。1871年に上京。私塾や大学南校などで英学を修業。また、この頃に横浜でキリスト教に接した。1872年(明治5年)5月に一時帰郷。その後、1874年3月に東京外国語学校に入学(英語科は同年12月27日に東京英語学校に改組、東京開成学校の「予科」と統合されて東京大学予備門となり、現東京大学)。
辨開 凧次郎(べんかい たこじろう、1847年(弘化4年)6… 辨開 凧次郎(べんかい たこじろう、1847年(弘化4年)6月 - 1924年(大正13年)10月23日)は、アイヌの家畜商、のちに許可を受けて獣医を兼業した。アイヌ語によるアイヌ名は「エカシバ」。なお、「辨開」を「弁開」と表記することも多い。 のちに二海郡八雲町落部となる地域のコタンに生まれ、20歳で落部コタンのリーダーとなる。当時の獣医にあたる伯楽の活動で周囲から尊敬を受け、薬草の知識もあり、また造園家としても活躍した。 1900年(明治33年)5月、皇太子明宮嘉仁親王の結婚の儀に際し、ヒグマ2頭を献上した。この時のアイヌ正装姿の写真が小学校教科書にアイヌ風俗として掲載された。また、凧次郎は皇室より、紋章付の器具、菓子、巻煙草、酒、手箱、千本松の盆栽32本(「御所の松」)を拝領し、明治天皇・皇后引見の栄誉を受けた。
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年… 内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847年5月29日(弘化4年4月15日) - 1926年(大正15年)2月20日)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏、明治・大正期の俳人。幼名は助之進、元服して師克(もろかつ)、のち素行(もとゆき)。俳号の「鳴雪」は、「何事も成行きに任す」の当て字という。鳴雪の号のほか、南塘・破蕉・老梅居も用いた。 伊予松山藩の上級武士内藤房之進と八十(やそ)の長男として、藩の江戸中屋敷に生まれた。嘉永2年(1849年)に実母が死去すると、曾祖母と祖母のもとで育てられた。安政元年(1854年)頃から父に漢籍を教わり、軍記物や草双紙、寄席や義太夫に親しんだ。なお、同時期に小使として出仕していた原田左之助(後の新撰組幹部で十番隊隊長。
太田 紋助(おおた もんすけ、1846年2月11日(弘化3年… 太田 紋助(おおた もんすけ、1846年2月11日(弘化3年1月16日) - 1892年4月3日)は日本の実業家。北海道厚岸郡厚岸町の開拓に尽力し、屯田兵村、太田村の村名にその名を残した。日本人とアイヌの混血である。 1846年2月11日(弘化3年1月16日)に場所請負人山田文右衛門の番人、中西紋太郎と奔渡村のアイヌの女性であるシャリコトムの間に生まれる。庶子であった上、幼少期に父を失ったことで母親に女手一つで育てられていたが、それを不憫に思った国泰寺の住職、香山聞禅に引き取られて読み書きそろばんや農業を教わり、8年間同寺の寺男として働いている。1867年(慶応3年)には22歳でアイヌの女性、真歌と結婚する。
蛯子 末次郎(えびこ すえじろう、天保13年12月27日(1… 蛯子 末次郎(えびこ すえじろう、天保13年12月27日(1843年1月27日) - 大正元年(1912年)8月29日)は、幕末から明治期の日本の航海者。函館大経・深瀬鴻堂と共に「函館三士」と称される。 天保13年12月27日(1843年1月27日)、箱館に生まれる。箱館の諸術調所で蘭学者・武田斐三郎より航海術を学び、箱館奉行企画の黒竜江出貿易及び上海出貿易航海で測量方を務めた。 大政奉還後の明治5年(1872年)正月、開拓使御用掛に任ぜられ「樺戸丸」の船長となる。その際に開拓長官・黒田清隆の指示で航海に際しての旗印として夜空に赤く光る北極星をイメージした「北辰旗」をデザインし、この旗印は1882年まで開拓使のシンボルとして使用された。
平村 ペンリウク(ひらむら ペンリウク、1833年 - 19… 平村 ペンリウク(ひらむら ペンリウク、1833年 - 1903年(明治36年)11月28日)は、明治期のアイヌ指導者の一人。平取コタンのコタンコロクル(首長)。 1833年(天保4年)、平取コタンにシュロクの長男として生まれ、松浦武四郎『左留日誌』のなかにも名前が記されている。幼年の頃から勇敢で知られ、成長してからは同胞の苦難を救うためにしばしば北蝦夷地(樺太)に渡った。 1876年(明治9年)、イギリス人宣教師のウォルター・デニングはペンリウクの家に来てアイヌ語を学んだという。1878年(明治11年)、ハインリヒ・フォン・シーボルト次いでイギリス人の旅行者イザベラ・バードを迎え、バードはその滞在の思い出を紀行文に残した。
金成 喜蔵(かんなり きぞう、旧字体: 金成 喜藏、アイヌ名… 金成 喜蔵(かんなり きぞう、旧字体: 金成 喜藏、アイヌ名:カンナリキ、1824年2月18日〈文政7年1月19日〉 - 1912年〈明治45年〉1月1日)は、北海道幌別郡幌別村(現:登別市幌別)出身のアイヌ(父親は和人)。実業家。愛隣学校の創設者。 喜蔵は幌別で漁業、農業で成功し、宿屋を経営するなど多くの雇用を生む実業家であった。キリスト教を信仰し、正直者として徳望が高く、酒もタバコもやらない人物で、幌別にアイヌのための学校を作る活動をした。 1883年、東京・上野恩賜公園で開催された水産博覧会に投銛を出品し、褒状を授与された。 1888年9月、北海道幌別郡幌別村に愛隣学校を開設。 廃使置県、室蘭も含めて札幌県管轄になった年、1882年(明治15年)に札幌県に対して「幌別旧土人学校設立嘆願書」がカンナリキ他5名の署名で出されている。
秋山 羊子(あきやま ようこ、12月25日 - )は、日本の… 秋山 羊子(あきやま ようこ、12月25日 - )は、日本の女性シンガーソングライター。北海道小樽市生まれ。 活動の場所を東京へ移す。 1stアルバムを自主制作。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
メイリ(Meiri、美梨、12月21日 - )は、日本のグラ… メイリ(Meiri、美梨、12月21日 - )は、日本のグラビアアイドル、女優。北海道岩見沢市出身。旧名義にメイリ・マロンフィール、水沢めいがある。 アイドルユニット「アフィリア・サーガ・イースト」や「clip clip」の元メンバーでもあり、セルワールドエンタテイメントやゼロイチファミリアを経て、2023年現在はフリーランスで活動中。 小学校高学年の頃、モーニング娘。への憧れをきっかけとして芸能界を目指す。高校時代から演技、ナレーション、ダンス、歌などを習っており、旅行雑誌のモデルを務めたり地元のCMやラジオ番組にも出演したりしていたが、グラビアもやってみたいと思っていたところ、高校からアクターズスタジオ北海道を経てセルワールドエンタテイメントにスカウトされて上京し、所属していた。
天輝 レオ(あまき れお、12月13日 - )は、OSK日本… 天輝 レオ(あまき れお、12月13日 - )は、OSK日本歌劇団の男役スター。北海道苫小牧市出身。とまこまい観光大使。B型 。 駒澤大学附属苫小牧高等学校卒業生 2012年、OSK日本歌劇団研修所入学。90期生。同期に登堂結斗、結菜ほのり、りつき杏都ら。 2014年、2月~3月の大丸心斎橋公演『カルディアの鷹』で舞台実習出演として出演したのち、OSK日本歌劇団に入団。6月の同作品の追加公演で入団後の初舞台を踏む。 2018年、『OSK Revue Cafe ~獅子の星 ―Stella Leonis―』で初主演。その後も道頓堀/心斎橋角座での中劇場公演やOSK Revue Cafe in Brooklyn Parlor OSAKAでの主演を務める。
能登 瑶子(のと ようこ、11月28日 - )は、日本のフリ… 能登 瑶子(のと ようこ、11月28日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHK釧路放送局の契約キャスターで、元群馬テレビのアナウンサー兼報道記者。 2014年4月にNHK釧路放送局に入局。2017年3月にNHK釧路放送局を退局。 退局後にはフリーアナウンサーとして活動。 同年12月8日に群馬テレビに入社。2021年3月に退社後、群馬県を中心としたフリーアナウンサーとして活動中。 特技はいつでも爆睡できること、オムそばを綺麗に取り分けられること。 座右の銘は「失敗は成功の対極ではない」。 関西アナウンススクール札幌校出身。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
菅原 那緒子(すがわら なおこ、11月10日 - )は、元テ… 菅原 那緒子(すがわら なおこ、11月10日 - )は、元テレビ岩手のアナウンサー。 北海道函館市出身。慶應義塾大学卒業。 大学を卒業後、2004年4月にテレビ岩手に入社。報道制作局アナウンス部に配属され、同局のアナウンサーになる。同期に同局アナウンサーの蔦京平がいる。 テレビ岩手在籍時には、『5きげんテレビ』と『ニュースプラス1いわて』のサブキャスターを務めていた。また、岩手県内の民放地上デジタル放送開始告示CMにテレビ岩手代表として出演した。 2009年に結婚。2010年夏から産休を取り、同年秋に第1子を出産した。そして1年間の育休期間を経て、2011年9月に職場復帰した。 その後、岩手県沿岸部の街へ引っ越すことになったのを機に、2014年3月にテレビ岩手を退社した。
さおり(10月31日 - )は、主に北海道で活動しているロー… さおり(10月31日 - )は、主に北海道で活動しているローカルタレント。テレビ番組でのアシスタントや司会のほか、モデルとしても活動している。オフィスセブン所属。 趣味は料理とお菓子作り、特技はテニス・水泳・変な顔。 現在は北海道のテレビ・ラジオ番組、CMなどでのナレーションが活動の中心。 かつてはコミュニティ放送局で単独番組を担当していたこともあるほか、ドラマのエキストラなども多数[要出典]。
いしかわ ひとみ(10月31日 - )は、日本の女優、声優。… いしかわ ひとみ(10月31日 - )は、日本の女優、声優。北海道釧路市出身。ケンユウオフィス準所属。 文学座附属演劇研究所卒業。以前はスターダス・21に所属していた。 特技はスピードスケート、ラテアート。趣味は料理。 太字はメインキャラクター。 この項目は、声優(ナレーターを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJ:アニメ/PJ:声優)。
野切 耀子(のぎり ようこ、10月23日 - )は、日本の漫… 野切 耀子(のぎり ようこ、10月23日 - )は、日本の漫画家。北海道出身。北海道有朋高等学校出身で、札幌マンガ・アニメ&声優専門学校出身。 2008年、「熱源は此処」が第196回LMSベストルーキー賞を受賞し、『LaLaスペシャル』(白泉社)2008年6月号に掲載されデビュー。2009年、「君が光」が第50回LMGゴールドデビュー賞を受賞し、『LaLa』(同)2009年5月号に掲載。 2013年、『シルフ』(アスキー・メディアワークス)にて連載されていた小説『BROTHERS CONFLICT』のコミカライズである『BROTHERS CONFLICT feat.Natsume』の連載を開始。
黒沢 咲(くろさわ さき、10月6日 - 、本名非公開、年齢… 黒沢 咲(くろさわ さき、10月6日 - 、本名非公開、年齢非公開)は、競技麻雀のプロ雀士。北海道札幌市生まれ、東京都世田谷区出身。上智大学理工学部化学科卒業。日本プロ麻雀連盟(現在、同団体内での段位は七段)、TEAM RAIDEN/雷電所属。キャッチフレーズは「強気のヴィーナス」、愛称は「セレブ」、「お嬢」。 大学卒業後は、人事コンサルティングの会社に勤務。この時から麻雀が趣味で、最終面接では麻雀の魅力について語っていたほどだった。しかし、プロ雀士とは全く縁のない生活を送っていた。ある日、行きつけの雀荘で働いていた二階堂姉妹の父にプロ入りを勧められる。さらに数か月後、『近代麻雀』に掲載されたプロ雀士の試験募集要項をたまたま目にしたことで、迷いながらもプロ入りを決意する。
伊藤 奏子 (いとう かなこ、9月26日 - ) は、競技麻… 伊藤 奏子 (いとう かなこ、9月26日 - ) は、競技麻雀のプロ雀士である。 最高位戦日本プロ麻雀協会北海道本部に所属。夫はプロ雀士の伊藤聖一。 北海道函館市出身。大学時代に英国への留学から帰国後に、土田浩翔が経営する雀荘でアルバイトしたことで麻雀を始める。英語教師を務めていたが、結婚を機に麻雀プロに転向。2020年に行われた女流最高位戦で初のタイトルホルダーを獲得する。 この項目は、雀士に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝)。
伊科田海(いかだ かい 9月22日 - )は、日本の漫画家。… 伊科田海(いかだ かい 9月22日 - )は、日本の漫画家。北海道北見市出身。増田海名義でも活動していた。 幼いころより絵を描くのが好きで、「明確なきっかけはないですが、ものすごく漠然と『自分は漫画家になるんだろうな』と思っていた」という。高校まで北見で過ごし、その後札幌市で創作活動を行う。 2016年、増田海名義で「FALL OUT」で第1回「3誌合同新人まんが賞NEXT CHAMPION」新人大賞を受賞。同年、『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で『PSYCHO LOAD』を短期集中連載。2017年から2018年にかけて『GREAT OLD〜ドラゴンの創り方〜』を連載(全3巻)。 締め切り直前に2018年度ジャンプスカウトキャラバンの存在を知り、5日で『インスタントギャルメンコちゃん』を描き上げて出張編集部に投稿する。
真弘 蓮(まひろ れん、9月19日 - )は、宝塚歌劇団月組… 真弘 蓮(まひろ れん、9月19日 - )は、宝塚歌劇団月組に所属する男役。 北海道苫小牧市、苫小牧東高校出身。身長168cm。愛称は「オラフ」、「ろーれん」「まっぴー」。 2016年4月、宝塚音楽学校入学。 2018年4月、宝塚歌劇団に104期生として入団。入団時の成績は3番。星組宝塚大劇場公演『ANOTHER WORLD/Killer Rouge』で初舞台。その後、月組に配属。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役) 秩父晴世 - 打吹美砂 - 楓茂美 - 玉野ひかり - 日下輝子 - 櫻野美也子 - 玉野ひか留 - 美山しぐれ - 桃山千歳 - 桂木ゆたか - 睦千賀&桂木ゆたか - 御幸沙智子&歌川波瑠美 - 歌川波瑠美 - 藤園さとみ - 銀あけみ - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 磯野千尋 - 一原けい - 梨花ますみ - 高翔みず希 - 悠真倫 - 紫峰七海 - 花野じゅりあ - 芽吹幸奈 - 冴月瑠那 - 美風舞良 - 航琉ひびき - 紫門ゆりや(現役) 紅羽真希(現役)
宇佐美 由美子(うさみ ゆみこ、9月16日- )は、日本の演… 宇佐美 由美子(うさみ ゆみこ、9月16日- )は、日本の演歌歌手。 北海道厚岸町出身。おとめ座。