臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24… 臼井 勝三(うすい かつぞう、1913年(大正2年)5月24日 - 2004年(平成16年)5月20日)は、日本の政治家。岩手県大船渡市長(3期)。 岩手県大船渡市出身。高小卒。卒業後は、郵便局に勤務し、その後、気仙郡広田村役場に入り、書記となる。戦時中の1939年に召集され、4年後に帰還、復職し、収入役、助役となる。。戦後は盛岡市役所に転じ、文書、審査の各係長を務めた。1953年に市制施行後の大船渡市に戻り、市役所に勤務。福祉事務所長、産業、総務、財務の各課長を経て、収入役、助役となり、1976年、大船渡市長に当選した。市長は3期務め、3期途中の1986年に病気のため退任した。1987年秋の叙勲で勲四等瑞宝章受章。
増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991… 増田 盛(ますだ さかり、1913年4月11日 - 1991年9月23日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、自由民主党)、農林官僚。 岩手県胆沢郡前沢町(現奥州市)出身。 岩手県立一関中学校、京都帝国大学法学部卒。大学在学中滝川事件に対する教授らへの対応に抗議し、無期停学処分を受ける。 1937年大学卒業後、農林省に入省。振興局長などを務めて退官。 1963年、岩手県知事選に出馬するも落選。衆議院議員選挙にも落選し、5年間浪人生活を送る。 1968年の第8回参議院議員通常選挙に当選してから、参議院議員を3期、農水・行政管理・北海道開発各政務次官を務めた。1986年の第14回参議院議員通常選挙には無所属で出馬したが落選し、政界から引退。
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 19… 中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 1912年、岩手県紫波郡紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしているほか、岩手めんこいテレビの開局に尽力した。
鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月1… 鈴木 善幸(すずき ぜんこう、1911年〈明治44年〉1月11日 - 2004年〈平成16年〉7月19日)は、日本の政治家。位階は正二位。勲等は大勲位。 郵政大臣(第15代)、内閣官房長官(第26代)、厚生大臣(第42代)、自由民主党総務会長(第15・17・23代)、農林大臣(第48代)、自由民主党総裁(第10代)、内閣総理大臣(第70代)などを歴任した。 岩手県下閉伊郡山田町で、アワビ、スルメ漁、水産加工業を営む網元の家に生まれた。鈴木家は屋号「黒米屋」と呼ばれる米屋も兼ねていた。父の善五郎は日露戦争に従軍した際の戦傷で漁に出られなくなったこともあり、男手の無かった妻・ヒサの実家の商売を切り盛りしていた。
小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉… 小笠原 二三男(おがさわら ふみお、1910年〈明治43年〉4月12日 - 1977年〈昭和52年〉7月5日)は、昭和期の教育者、労働運動家、政治家。参議院議員。 岩手県遠野市出身。1930年(昭和5年)岩手県師範学校専攻科を卒業した。 小学校教員を20年間勤めた。戦後、労働運動に加わり全日本教員組合協議会副委員長に就任。日本教職員組合が結成され書記長に就任し、さらに同副委員長に就任。その他、日本教育会常務理事、教育刷新審議会委員、日本教育会館専務理事、日本社会党中央執行委員などを務めた。 1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙で岩手県第1区に社会党公認で出馬して次点で落選。1950年(昭和25年)6月の第2回参議院議員通常選挙で全国区に出馬して当選し、1956年(昭和31年)7月の第4回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月… 渡辺 勘吉(わたなべ かんきち、1910年(明治43年)1月2日 - 1988年(昭和63年)10月31日)は、日本の政治家。参議院議員(1期、日本社会党)。 岩手県花巻市出身。1927年盛岡中学卒、1950年小樽高等商業学校卒。岩手県産業組合連合会に入り、同県信連、同県中央会各参事、全国農業会企画部長、全国農協中央会農政部長などを歴任する。1962年の参院選で日本社会党公認で岩手地方区から立候補し、現職の千田正らを破って当選する。参議院議員は1期務め、1968年の参院選で落選した。落選後の1971年の花巻市長選挙に無所属で立候補したが、現職の八重樫利康に敗れた。1980年春の叙勲で勲三等旭日中綬章受章。
和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2… 和村 幸得(わむら こうとく、1909年 <明治42年> 2月21日 - 1997年 <平成9年> 10月18日)は日本の政治家。岩手県普代村長。位階は従五位。勲四等瑞宝章。 普代村出身。盛岡中学(現岩手県立盛岡第一高等学校)から慶應義塾大学に進むが、健康を害して中退、普代に戻った。 1933年、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した。後に著した回想録『貧乏との戦い四十年』では「阿鼻叫喚とはこのことか。堆積した土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時にはなんと申し上げてよいか、言葉も出なかった」と述懐している。 普代村役場で働いたのち、1947年に村長選挙に出馬して当選し、以後1987年まで10期40年に亘り務める。
吉岡 誠(よしおか まこと、1906年〈明治39年〉9月12… 吉岡 誠(よしおか まこと、1906年〈明治39年〉9月12日 - 1991年〈平成3年〉2月11日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長(1期) 。位階は従四位。 盛岡市出身。1929年、福島高等商業学校(現・福島大学経済学部)卒。盛岡銀行、盛岡瓦斯に勤務した。1933年に岩手県庁に入り。商工、秘書の各課長、教育、労働、民生、農地、商工水産、総務の各部長を歴任した。1961年に岩手県副知事に就任した。副知事を2年間務めた後、1965年の盛岡市長選挙で当選した。市長を1期務め、1969年に退任した。1991年に死去。死没日付をもって従六位から従四位に進階した。
上杉 武雄(うえすぎ たけお、1906年(明治39年) - … 上杉 武雄(うえすぎ たけお、1906年(明治39年) - 1984年(昭和59年))は、日本の政治家。岩手県盛岡市出身。北海道常呂町長(1961年5月~1981年4月)。常呂町名誉町民。 この他、常呂町森林組合長なども歴任した。
深沢 晟雄(ふかさわ まさお、1905年12月11日 - 1… 深沢 晟雄(ふかさわ まさお、1905年12月11日 - 1965年1月28日)は、日本の政治家。岩手県沢内村(現・西和賀町)の村長(2代目)を務めた。 明治38年(1905年)12月11日、岩手県沢内村の小地主の家に一人っ子として生を受ける。小学校は村立新町小学校太田分教場に入学した。性格は明るく、人一倍賢いが、心根は常に優しい子だったという。学業が優秀だったことから、後に一関中学校から第二高等学校を経て東北帝国大学に進む。かつて深沢の祖父が政治家をして家財を傾けた経験から、両親からは医者になるよう望まれたが、本人は早くに医学部に愛想を尽かし、後にこっそりと法文学部へと移籍しそのまま卒業した。
高田 弥市(たかだ やいち、1905年(明治38年)10月8… 高田 弥市(たかだ やいち、1905年(明治38年)10月8日 - 1970年(昭和45年)1月15日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・千田。 岩手県和賀郡鬼柳村(現北上市)で、千田徳松の三男として生まれ、高田貞次郎の養子となる。鬼柳小学校を卒業後、大工として働いた。 1930年(昭和5年)高弥組(現:株式会社タカヤ)を創業し、東北を代表する建設会社に成長させ、組長、高弥建設社長を務めた。岩手県労務報国会黒沢尻支部長、東北土木建築統制会監事、学務協会岩手支部副支部長、日本建築工業会評議員、岩手県建設業協会長、黒沢尻商工会議所会頭などを務めた。 1947年(昭和22年)4月、第23回衆議院議員総選挙で岩手県第2区から出馬して当選。
千葉 七郎(ちば しちろう、1905年(明治38年)9月27… 千葉 七郎(ちば しちろう、1905年(明治38年)9月27日 - 1987年(昭和62年)12月9日)は、昭和期の農民運動家、政治家。衆議院議員。 岩手県東磐井郡千厩町(現一関市)出身。1920年(大正9年)千厩町立千厩尋常高等小学校高等科を卒業した。卒業後は地元で職業を転々とした後、上京し、大日本麦酒株式会社に就職。政治運動に関わるようになる。 その後、帰郷し、千厩町役場書記を務めた。1927年(昭和2年)労働農民党に入党し、農民運動に加わる。1932年(昭和7年)衆議院総選挙に関わったことを理由に町職員を免職される。免職後は東京日日新聞と河北新報の嘱託記者となる。1933年(昭和8年)千厩町会議員に選出され3期在任した。
北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2… 北山 愛郎(きたやま あいろう、1905年7月16日 - 2002年2月22日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員。 岩手県花巻市生まれ。盛岡中学と東京帝国大学で学び、中国へ渡って貿易統制機関で働く。戦後引き揚げて社会党結成に参加し、1947年まで花巻町長を2期務める。1953年の衆院選に岩手2区から左派社会党公認で出馬、当選して1983年の衆院選で落選するまで通算10期務める。 この間、党政策審議会長(1970年 - 1972年)・党中央執行副委員長(1978年 - 1981年)を歴任。国民服(中国の人民服)で国会に登壇したり、政界を退いた後もミニコミ紙を発行して政治評論活動を続けるなど、独特の活動を行っていた。
栗沢 勇治(栗澤、くりさわ ゆうじ、1904年〈明治37年〉… 栗沢 勇治(栗澤、くりさわ ゆうじ、1904年〈明治37年〉9月19日 - 1976年〈昭和51年〉1月31日)は、日本の政治家。釜石市長(2期)。位階は従五位。 岩手県上閉伊郡栗橋村(現・釜石市)に生まれる。栗橋尋常高等小学校卒。炭焼きから身を興し、土木作業員を経て、1928年(昭和3年)釜石製鉄所に入る。1942年(昭和17年)釜石市の隣の甲子村会議員となる。戦後、釜石製鉄所の労働組合結成に参加し、副組合長から組合長になる。1955年(昭和30年)、上閉伊選挙区から日本社会党公認で岩手県議会議員選挙に立候補し、当選する。1963年(昭和38年)の選挙では釜石選挙区から立候補して当選した。県議は3期務める。
志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12… 志賀 健次郎(しが けんじろう、1903年(明治36年)12月10日 - 1994年(平成6年)9月28日)は、日本の政治家。位階は従三位、勲等は勲一等。 防衛庁長官(第15代)、衆議院議員(9期)を務めた。 岩手県東磐井郡大原町(のちの大東町、一関市)出身。岩手県立一関中学校を経て、1931年(昭和6年)早稲田大学政治経済学部政治学科卒。朝日新聞記者を経て、1941年大日本産業報国会参事、1942年に翼賛選挙に非推薦で立候補し敗れる[要出典]。1947年の総選挙で初当選(当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘など)。保守合同後も有田喜一・荒木万寿夫・小島徹三らと芦田均派を維持するが、芦田の死後は三木武夫派に加入。
佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1… 佐藤 哲郎(さとう てつろう、1901年〈明治34年〉3月1日 - 1995年〈平成7年〉1月4日)は、日本の政治家。元岩手県水沢市(現・奥州市)長(3期)。 岩手県胆沢郡水沢町(のち水沢市、現・奥州市)出身。1920年(大正9年)、岩手県師範学校(現・岩手大学教育学部)卒。岩手県内の小学校の訓導や校長を経て、戦後、中学校校長となる。岩手県社会教育主事、水沢町教育長となった。 1956年(昭和31年)、水沢市長に立候補して新人1人を破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 同年1月29日に就任した。 1960年(昭和35年)の市長選も新人1人との争いになったが、これを破って再選を果たした。
菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1901年(明治34… 菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1901年(明治34年)1月16日 - 1974年(昭和49年)8月19日)は、日本の政治家。元立憲政友会→日本自由党衆議院議員(2期)。 岩手県出身。1920年(大正9年)盛岡中学校卒業。宮古町会議員、同町長、下閉伊郡町村会長、宮古市会議員、同議長、初代宮古市長、岩手県会議員などを務めた。 1936年の第19回衆議院議員総選挙で立憲政友会から立候補して当選。その後、1946年の第22回衆議院議員総選挙で日本自由党から立候補して再選。2期務めた。翌1947年、公職追放となる。 岩手県漁業組合連合会会長、同水産協会会長、東京都水産物卸売人協会理事、六大都市水産物卸売人協会常任理事を務めるなど水産関係の要職を歴任し、中央魚類㈱取締役社長、中央冷凍㈱取締役、東京豊海冷蔵㈱取締役、㈱宮古製氷冷凍工場取締役社長を務めるなど水産流通業界において重きをなした。
菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日 - 199… 菅原 エン(すがわら エン、1900年2月27日 - 1994年2月15日)は、日本の政治家。元衆議院議員(1期)。歌人、俳人、号は艶女。 岩手県東磐井郡渋民村曽慶(現一関市大東町曽慶)出身。盛岡高等女学校(現・岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、結婚し子供を儲けるが、離婚し、実家に戻り、地元の小学校に勤務する。その後、上京し戸板裁縫学校高等師範科(現・戸板女子短期大学)に入り、1929年に卒業する。卒業後は帰郷し、岩手県歌人協会会員。岩手県翼賛報国会文芸部員となり、歌人、俳人として短歌や俳句を詠んだ。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で、岩手県全県区にて日本進歩党から立候補してトップで初当選した。
千田 正(ちだ ただし、1899年4月28日 - 1983年… 千田 正(ちだ ただし、1899年4月28日 - 1983年2月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。勲等は勲一等。学位は商学士(早稲田大学)。金ケ崎町名誉町民。 参議院議員3期(1947年 - 1962年)、岩手県知事4期(1963年 - 1979年)を歴任した。 1899年(明治32年)、岩手県胆沢郡金ケ崎村(現・金ケ崎町)三ケ尻に父・政五郎と母・マサの長男として生まれる。千田家は水沢から三ケ尻に移り住み、北上川の舟運事業を行う地域有数の豪農だった。7歳で父を亡くした千田は、マサと養蚕と雑貨屋を始めた。 1905年(明治38年)、三ヶ尻小学校尋常科入学。1913年(大正2年)、胆沢郡立胆沢農業高等学校(現・岩手県立水沢農業高等学校)に進み、水沢の祖母宅から通った。
小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898… 小沢 佐重喜(旧字体: 小澤佐重喜、おざわ さえき、1898年〈明治31年〉11月25日 - 1968年〈昭和43年〉5月8日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(10期)。栄典は正三位勲一等。 吉田茂の側近の一人。新進党、民主党代表などを歴任した小沢一郎の父。 『朝日人物事典』によると、 岩手県生まれ。馬車引きなどをしながら1923年に日本大学法学部法律学科を卒業。弁護士となり、三木武吉に師事して1929年から東京市議、府議を5期務める。1946年の戦後初の総選挙で岩手県から衆議院議員に当選(自由党)。選挙法改正の論功行賞で1948年に第2次吉田内閣の運輸大臣に抜擢され、以後も、郵政・電気通信大臣、行政管理庁長官、自由民主党国会対策委員長を歴任。
及川 顕司(おいかわ けんじ、1897年〈明治30年〉11月… 及川 顕司(おいかわ けんじ、1897年〈明治30年〉11月21日 - 1985年〈昭和60年〉11月28日)は、日本の政治家。初代岩手県北上市長(2期)。 現在の岩手県北上市生まれ。1917年〈大正6年〉和賀郡黒沢尻町(現・北上市)役場に入る。1937年〈昭和12年〉同町助役。1941年〈昭和16年〉稗貫郡湯本村村長代理。同年西磐井地方事務所総務課長を経て、県嘱託。1944年〈昭和19年〉九戸、二戸、下閉伊各地方事務所総務課長。1947年〈昭和22年〉地方事務官西磐井地方事務所長となる。翌1948年〈昭和23年〉黒沢尻町長に当選。4年後の1952年〈昭和27年〉に再選。1954年〈昭和29年〉黒沢尻町は周辺の町村と合併して北上市が発足。
鎌田 逸郎(かまた いつろう、1897年(明治30年)10月… 鎌田 逸郎(かまた いつろう、1897年(明治30年)10月1日 - 1980年(昭和55年)9月4日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員。 岩手県稗貫郡花巻町で鎌田元三郎の三男として生まれる。 1922年(大正11年)岩手製綿を設立して社長に就任。1941年(昭和16年)3月、盛岡商工会議所常議員に当選。その他、下台土地建物社長、岩手被服工業社長、岩手県商工経済会評議員、同県製綿工業組合理事長、全国製綿工業協同組合理事長、花巻電気鉄道取締役、東北振興燐寸取締役などを務めた。 1947年(昭和22年)4月の第1回参議院議員通常選挙に全国区から出馬して当選(補欠、任期3年)し、その後、緑風会に所属して参議院議員を1期務めた。
石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉… 石川 金次郎(いしかわ きんじろう、1897年〈明治30年〉1月14日 - 1953年〈昭和28年〉3月24日)は、日本の政治家、社会運動家、弁護士。衆議院議員(4期、日本社会党)。 国家社会主義の活動家だった石川準十郎は実弟。子息の石川克次郎は、弁護士で民主社会党結成に参加した。 岩手県岩手郡玉山村大字日戸(現在の盛岡市近郊)に比較的裕福な家庭に生まれる。1907年(明治40年)日戸小学校を卒業(四年制)。後、義務教育年限延長により王仁小学校に通学。1909年(明治42年)王仁小学校尋常科を卒業、盛岡市立高等小学校に進学。1911年(明治44年)岩手県立工業学校(現・岩手県立盛岡工業高等学校)機械科に進学、1914年(大正3年)同校を卒業。
八重樫 利康(やえがし りこう / としやす、1894年7月… 八重樫 利康(やえがし りこう / としやす、1894年7月19日 - 1982年10月5日)は、日本の衆議院議員(1期)、花巻市長。 岩手県花巻市出身。高小卒。和賀郡笹間村(現・花巻市)会議員、同村長を経て、1946年の第22回衆議院議員総選挙に岩手県から立候補して当選。翌年、公職追放となる。衆議院議員を1期務めた後、追放解除後の1958年に花巻市長に選出され、1974年まで4期16年務めた。市長在任中、花巻空港の開港(1964年)、奥州大学(現富士大学)の開学(1965年)の他、市の小中学校の新設や校舎の新築、市内の水道整備、老人福祉センターの開所(1968年)、市体育館の開館(1969年)、市役所新庁舎の完成(1970年)、市立図書館の新築(1973年)などの業績を挙げた。
阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月2… 阿部 千一(あべ せんいち、1893年(明治26年)11月23日 - 1972年(昭和47年)9月3日)は、日本の政治家。衆議院議員(1952-1953)、岩手県知事(1955年-1963年)などを務めた。 1893年(明治26年)11月23日、岩手県稗貫郡湯口村大字中根子(現在の花巻市中根子)に、小学校教員(後に湯口村村長)の父・晁(ちょう)と母・テルの長男として生まれた。仮死状態で生まれ、家族は一時あきらめたが、祖母が千に一つの望みに、と医師を呼んで手当をしてもらって奇跡的に助かったことから、その医師・三又与次郎の発案で千一と名付けられた。1912年に盛岡中学校、1916年に第一高等学校を卒業。
4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26… 4代 瀬川 弥右衛門(せがわ やえもん、1893年〈明治26年〉11月4日 - 1967年〈昭和42年〉11月21日)は、日本の資産家、実業家、政治家(貴族院多額納税者議員)。「弥右衛門」の名前は代々襲名されており、本記事に記載するのは4代目である。 岩手県稗貫郡花巻町出身。出生名は周蔵。花巻町でも有数の豪農である瀬川家に、3代弥右衛門の子として生まれ、父の死去に伴い1922年(大正11年)1月に家督を相続し弥右衛門を襲名した。 慶應義塾大学経済学部を卒業。父が没した1922年の時点では瀬川家は県下一の多額納税者であった。この時期には農家から貸金業に中心は移っていたとみられている。豊富な資金を岩手軽便鉄道・花巻電気などに投資し、その役員となった。
及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26… 及川 規(おいかわ ただし、1893年(明治26年)5月26日 - 1981年(昭和56年)11月26日)は、大正から昭和期の教育者、弁護士、政治家。衆議院議員。 岩手県江刺郡岩谷堂町(江刺町、江刺市を経て現奥州市)で生まれる。岩手師範学校を経て、1917年(大正6年)東京高等師範学校(のち東京教育大学)を卒業。 岩手県師範学校教諭、島根県立杵築中学校(現島根県立大社高等学校)教諭を歴任。1920年(大正9年)高等試験行政科試験に合格。神奈川県視学官に就任。その後、横浜市で弁護士を開業し、横浜弁護士会副会長も務めた。その他、私立本牧中学校(のち現在の横浜中学校・高等学校に合併)校長兼理事長となった。
大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1… 大矢 半次郎(おおや はんじろう、1892年〈明治25年〉1月9日 – 1977年〈昭和52年〉12月7日)は、大正から昭和期の大蔵官僚、弁護士、政治家。参議院議員、農林中央金庫副理事長。旧姓は佐々木。 岩手県紫波郡、のちの都南村(現盛岡市)で、佐々木定吉の三男として生まれ、政治家大矢馬太郎の養子となり1918年(大正7年)に分家した。盛岡中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、第一高等学校を卒業し、1917年(大正6年)10月、文官高等試験行政科試験に合格。1918年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業した。同年、大蔵省に入省し参事官室属となる。 以後、富山税務署長、品川税務署長、永代税務署長、仙台税務監督局直税部長、大阪税務監督局直税部長、銀行検査官、大蔵省主税局国税課長兼主税局臨時土地調査課長、東京税務監督局長、日本銀行監理官、大蔵省主税局長などを歴任。
熊谷 綾雄(くまがい あやお、1892年(明治25年)1月5… 熊谷 綾雄(くまがい あやお、1892年(明治25年)1月5日 - 1968年(昭和43年)6月19日)は、日本の政治家。室蘭市長(5期)。位階は正五位。 岩手県西磐井郡一関町(現・一関市)出身。鉄道教習所を卒業後、旭川駅電信掛を皮切りに鉄道員の道を歩む。その後、名寄、滝川、岩見沢、室蘭の各駅長、稚内、旭川、室蘭の各運輸事務所長、稚内、室蘭の各管理部長を務めた。 戦後の1946年、室蘭市長松尾孝之が死去。市長選挙(準公選)が行われることになり、市長選挙に立候補して当選した。翌年4月の選挙でも当選した。市長在職中は小中学校の校舎の充実や室蘭工業専門学校の大学昇格、室蘭工業大学短期大学部の設置、図書館の開設、消防力の強化、社会福祉の充実など市の再建に大きく貢献した。
川村 松助(かわむら まつすけ、1890年(明治23年)9月… 川村 松助(かわむら まつすけ、1890年(明治23年)9月1日 - 1961年(昭和36年)6月28日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(2期)。吉田派。 岩手県紫波郡徳田村(現・矢巾町)に川徳創業者の川村徳松の息子に生まれる。岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。陸軍に入り、除隊後盛岡に松屋百貨店(現存せず)を創業する。盛岡市会議員、盛岡商工会議所会頭、花巻温泉、花巻電鉄の各社長となる。このほか東北六県織物商業組合理事長、全日本繊維商業協同組合、盛岡観光協会、岩手県貿易振興協会各会長などを務めた。 1947年(昭和22年)4月第1回参議院議員通常選挙岩手県選挙区から無所属で出馬、落選。
依田 養七(よだ ようしち、1889年〈明治22年〉10月2… 依田 養七(よだ ようしち、1889年〈明治22年〉10月28日 - 1976年〈昭和51年〉10月22日)は、岩手県の政治家。初代江刺市(現在の奥州市)長(1期)を歴任。 江刺郡岩谷堂町(のち江刺郡江刺町→江刺市、現在の奥州市)の味噌醤油醸造業の家に生まれる。1921年〈大正10年〉岩谷堂町会議員となり、3期務めたほか、学務委員となった。1934年〈昭和9年〉岩谷堂町長に当選する。1938年〈昭和13年〉まで務めた後、1945年〈昭和20年〉に再任。翌年まで務めた。 戦後、公職追放となり、追放解除後の1954年〈昭和29年〉岩谷堂町長に復帰。当時、「昭和の大合併」による岩手県が進めていた町村合併計画を実現するにあたり、江刺郡内では各町村の利害が対立し、その意向が極度にそろわない状態だった。
金子 定一(かねこ ていいち、1885年(明治18年)6月3… 金子 定一(かねこ ていいち、1885年(明治18年)6月3日 - 1960年(昭和35年)4月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。衆議院議員(1期)。 岩手県盛岡市出身。1907年に陸軍士官学校(19期)を、1915年に陸軍大学校(27期)を卒業する。第八師団、支那駐屯軍などの各参謀、参謀本部員、金沢連隊区司令官、陸軍大学校教官などを歴任し、1936年に陸軍少将に累進し、予備役となる。予備役編入後は満州国中央警察学校講師、新京実務学院、同女子実務学院各校長、満州国蒙政部嘱託、同協和会中央委員となる。1942年の翼賛選挙では岩手2区(当時)から翼賛政治体制協議会の推薦を受けて当選した。
菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月1… 菅原 佐平(すがわら さへい、1885年〈明治18年〉3月17日 - 1969年〈昭和44年〉7月17日)は、日本の海軍軍人(海軍軍医)、政治家。最終階級は海軍軍医中将。一関市長。正七位。 岩手県西磐井郡真滝村(現・一関市)出身。滝沢小学校、一関中学校を経て、第二高等学校、1911年(明治44年)東京帝国大学医科卒。同年海軍軍医となる。1928年(昭和3年)海軍軍医大佐となり、1930年(昭和5年)のロンドン海軍軍縮会議の随員として加わる。帰国後は第二艦隊軍医長などを務めた。1933年(昭和8年)に湊海軍病院長に就任し、翌1934年(昭和9年)に海軍軍医少将に昇進するとともに呉海軍病院長に就任、1935年(昭和10年)に佐世保海軍病院長に就任した。
小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年(明治16年)7… 小野寺 有一(おのでら ゆういち、1883年(明治16年)7月1日 – 1965年(昭和40年)1月4日)は、衆議院議員。岩手県釜石市長。 岩手県東磐井郡黄海村(藤沢町を経て現在の一関市)出身。岩手県巡査となり、普通文官試験に合格して、1909年(明治42年)より岩手県警部を務めた。その後、宮城県警部に転じ、角田警察署長、石巻警察署長、塩釜警察署長、高等保安警務課長を歴任。1921年(大正10年)に警視に昇進し、仙台警察署長に就任した。その後、伊具郡長となった。 1928年(昭和3年)より釜石町長を務め、1937年(昭和12年)に市制施行されると初代市長に就任した。 1942年(昭和17年)、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受けて出馬し、当選を果たした。
小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉… 小泉 多三郎(こいずみ たさぶろう、1883年〈明治16年〉1月10日 - 1952年〈昭和27年〉8月12日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 岩手県東和賀郡十二鏑村(のち和賀郡土沢町→東和町現・花巻市)出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)を経て、1906年、盛岡高等農林学校(現・岩手大学農学部)卒。樺太民政署に入り、東京営林局などに勤務した。その後、1908年に母校の盛岡高等農林学校の助教授となり、1918年に教授となった。同年に退職後、岩手林業に入り、常務取締役となった。 1929年、盛岡市会議員となり、18年務めた。 盛岡市長選挙に立候補して、社会党の新人を破って初当選を果たした。
見坊 田鶴男(けんぼう たづお、1883年〈明治16年〉1月… 見坊 田鶴男(けんぼう たづお、1883年〈明治16年〉1月6日 - 1955年〈昭和30年〉1月20日)は日本の政治家。岩手県盛岡市長。 盛岡市出身。盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)卒。岩手県庁に入り、岩手郡書記となる。内務省警保局書記を経て、青森県北津軽郡長、福島県相馬郡長を歴任した。1927年に満州に渡り、遼陽、鞍山の各事務所長を経て、関東州果樹組合専務理事に就任した。1936年に退職し帰国した。 1939年に盛岡市長に就任。盛岡市は厨川、中野、本宮、浅岸と合併。太平洋戦争が始まり、戦時体制下の市政運営となり、困難を極めた。市長は1943年に辞職した。 戦後、公職追放となり、追放解除後の1955年に死去した。
浅利 三朗(淺利 三朗、あさり さぶろう、1882年(明治1… 浅利 三朗(淺利 三朗、あさり さぶろう、1882年(明治15年)11月10日 – 1966年(昭和41年)11月3日)は、日本の内務及び朝鮮総督府官僚、政治家。栃木県知事(官選第25代)、香川県知事(官選第19代)、衆議院議員(3期)。 岩手県西磐井郡平泉町出身。浅利杏坪の三男として生まれ、兄・浅利寛の養子となる。一関中学、第二高等学校を経て、1909年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、内務省に入省し三重県属となり、内務部勧業課に配属された。 1910年5月、三重県内務部地方課に配属。以後、山形県事務官、同視学官、大阪府視学官、茨城県警察部長、高知県警察部長、新潟県警察部長、北海道庁警察部長、富山県内務部長などを歴任。
岡本 一巳(おかもと かずみ、1881年(明治14年)12月… 岡本 一巳(おかもと かずみ、1881年(明治14年)12月2日 - 1947年(昭和22年)11月19日)は、日本の政治家、実業家。 岩手県盛岡市出身。明治法律学校と専修学校で学ぶ。実業界に進み、盛岡新聞社を創設した他、岩手銀行支配人、扶桑新聞社政治経済部長、大阪新報社政治部長兼外交部長などを歴任した。 1932年2月の第18回衆議院議員総選挙に栃木県第二区で立憲政友会から出馬して当選し、衆議院議員を一期務めた。1934年2月に立憲政友会から第一控室に移る。1935年3月には尾崎行雄、床次竹二郎らと院内会派「無所属室」を結成し、加入する。1936年の第19回衆議院議員総選挙では栃木県第一区から中立(無所属)で出馬したが、最下位で落選した。
田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月1… 田子 一民(たご いちみん、1881年〈明治14年〉11月14日 - 1963年〈昭和38年〉8月15日)は、日本の官僚、政治家。位階は正三位。 衆議院議長(第34代)、衆議院副議長(第27代)、官選三重県知事、農林大臣(第4次吉田内閣)、衆議院議員(通算9期)などを務めた。岩手県盛岡市出身。東京帝国大学法科大学卒業。 岩手県士族の田子勘治の次男として生まれる。現在の盛岡市立城南小学校、盛岡中学、旧制二高を経て、1908年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業し、内務省に入省。山口県警部、山口県都濃郡長、山口県警察部長、内務省社会局第一課長兼第二課長、社会局長、官選三重県知事などを歴任し、その後政界に転じる。
八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月… 八角 三郎(やすみ さぶろう、1880年〈明治13年〉12月19日 - 1965年〈昭和40年〉1月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。最終階級は海軍中将、衆議院議員。 岩手県盛岡市出身。栃内曽次郎海軍大将は叔父。八角が海軍兵学校を志願するきっかけは原敬の激励だったという。 岩手県立盛岡尋常中学校より海軍兵学校(29期)へ進んだ。席次は入校時137名中119番。卒業時は125名中75番。第一駆逐隊所属の駆逐艦「吹雪」乗組み中尉として日本海海戦に参戦。大尉時代に『敵艦進路及び速力の誤測に対する命中限界算法、魚雷動的発射に於ける誤差』と題する論文を発表 し、海軍水雷術の発展に貢献している。海軍水雷学校校長、第二水雷戦隊司令官を務めた水雷の権威である。
瀬川 嘉助(せかわ かすけ、1880年(明治13年)5月24… 瀬川 嘉助(せかわ かすけ、1880年(明治13年)5月24日 - 1942年(昭和17年)2月6日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 岩手県東和賀郡黒沢尻村(黒沢尻町、和賀郡黒沢尻町を経て現北上市)で、瀬川理三郎の二男として生まれ、瀬川トクの養子となる。1900年(明治33年)家督を相続し帯鋸製作業を営む。 中外時計専務取締役、築地電軌監査役、名古屋証券交換所取締役、甲陽土地取締役、芝園工作所取締役、名古屋市白鳥線土地区画整理組合長、名古屋薬学専門学校(のち名古屋薬科大学)常任理事などを務め、愛知県時計同業組合長となった。 政界では、愛知県会議員、同参事会員、都市計画愛知地方委員会委員、名古屋市会議員、同市財政調査会委員などを務めた。
米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880… 米内 光政(よない みつまさ、旧字体: 米內 光政、1880年〈明治13年〉3月2日 - 1948年〈昭和23年〉4月20日)は、日本の海軍軍人、政治家。海兵29期・海大12期。最終階級は海軍大将。位階は従二位。勲等は勲一等。功級は功一級。 連合艦隊司令長官(第23代)、海軍大臣(第19・24代)、内閣総理大臣(第37代)を歴任した。 1880年(明治13年)、岩手県南岩手郡三割村(現:盛岡市)に旧盛岡藩士・米内受政の長男として誕生する。 1886年(明治19年)、鍛冶町尋常小学校に入学。1890年(明治23年)、盛岡高等小学校に入学。1894年(明治27年)、岩手県尋常中学校に入学。1898年(明治31年)、海軍兵学校29期に入校。
出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25… 出淵 勝次(でぶち かつじ、1878年(明治11年)7月25日 - 1947年(昭和22年)8月19日)は、日本の外交官、政治家。外務次官、在アメリカ合衆国日本大使、貴族院勅選議員、参議院議員。位階は正三位、勲等は勲一等。 岩手県第一大区一小区仁王村(現盛岡市梨木町)で旧盛岡藩藩士の次男として生まれる。旧制盛岡中学校(岩手県立盛岡第一高等学校の前身)卒、1902年旧制東京高等商業学校(一橋大学の前身)専門部貿易科卒業。同期に山中千之元国際連盟委任統治委員、高嶋菊次郎元中支那振興総裁、上田貞次郎元帝国学士院会員など。 1902年、外交官及び領事官試験に合格し外務省入省。京城在勤、ドイツ在勤、政務局第一課長を歴任。
国分 謙吉(こくぶん けんきち、1878年(明治11年)2月… 国分 謙吉(こくぶん けんきち、1878年(明治11年)2月3日 - 1958年(昭和33年)11月24日)は、農政指導者、政治家。岩手県知事2期(1947年 - 1955年)。 岩手県二戸郡福岡村下川又(現:二戸市)出身。旧盛岡藩士の父・国分喜惣治、母・ミセとの間に三男として生まれた。幼名は小八郎。 学問好きな父の方針により、学齢に達する前の数え年6歳で福岡尋常小学校に入学したが、教室を抜け出して遊び疲れることもままあり、1年落第した。 1888年(明治21年)、福岡尋常小学校に、4年間(落第した1年を加えると5年間)通学した後は、数え年13歳から、父の方針により、泉山銀行へ丁稚奉公に出た。昼は銀行の給仕として雑役いっさいを受け持ち、夜は呉服店の仕事を行い、他の人が寝静まると蝋燭の灯りをたよりに、農業書などを読んだ。
宮澤 政次郎(みやざわ まさじろう、1874年〈明治7年〉2… 宮澤 政次郎(みやざわ まさじろう、1874年〈明治7年〉2月23日 - 1957年〈昭和32年〉3月1日)は、日本の実業家・地方政治家。詩人・童話作家の宮沢賢治の父である。花巻川口町町会議員、民生委員、調停委員を務めた。また、浄土真宗の篤信家でもあり、暁烏敏や近角常観などと交流を持った。姓については子息の賢治と同様、常用漢字体で宮沢とも表記される(以下の文中でも「宮沢」で統一する)。 宮沢喜助とキンの長男として現在の岩手県花巻市に生まれる。2男2女の4人きょうだいの長男(上に姉あり)だった。当時の宮沢家は、喜助が開いた質・古着商を家業としていた。1885年に本城小学校を卒業すると家業に従事し、15歳 - 16歳頃には父の代理を務めるほどだった。
菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1873年(明治6年… 菊池 長右衛門(きくち ちょううえもん、1873年(明治6年)11月3日 - 1922年(大正11年)5月16日)は、日本の政治家。立憲政友会衆議院議員(1期)。 岩手県出身。菊池家は盛岡藩の豪商であった東屋の一族である。宮古町会議員、下閉伊郡会議員、同参事会員、同議長、宮古町漁業組合長などを勤め、1920年の第14回衆議院議員総選挙で立憲政友会から立候補して当選。1期務めた。明治期に閉伊川河口の埋め立て工事が行われた際は私財を投じてこれにあたった。また自らが中心となり盛宮自動車を設立。さらに原敬と共に山田線の地元誘致へ働きかけるなど、劣悪だった地域の交通事情改善のため尽力した。
大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治… 大矢 馬太郎(おおや うまたろう、1870年7月24日〈明治3年6月26日〉 - 1939年〈昭和14年〉7月11日)は、明治時代後期から昭和時代前期の政治家、実業家。岩手県盛岡市長。貴族院多額納税者議員、衆議院議員。旧姓は中村。 中村俊太郎の伯父として、現在の盛岡市馬場町(馬場小路)に生まれる。のち大矢五蔵の養子となり家督を相続する。1888年(明治21年)7月、岩手県中学校(現岩手県立盛岡第一高等学校)を卒業し、盛岡市参事会員を経て、1907年(明治40年)11月、盛岡市長に就任。1910年(明治43年)8月、市長の座を退き、岩手県会議員、岩手県参事会員、盛岡市会議員、同議長などを経て、1916年(大正5年)12月、補欠選挙で貴族院議員に当選し、同年12月26日から1918年(大正7年)9月28日まで在任した。
伊藤 広幾(いとう ひろちか / ひろき、1870年1月4日… 伊藤 広幾(いとう ひろちか / ひろき、1870年1月4日(明治2年12月3日) - 1923年(大正12年)4月4日)は、日本の篤農家、実業家、政治家。衆議院議員。 陸中国稗貫郡、のちの岩手県稗貫郡根子村(花巻川口町、花巻町を経て現花巻市)で、伊藤弓太の長男として生まれる。1893年、札幌農学校農学科を卒業した。その後、北海道空知郡奈江村(現奈井江町)の土地50万坪を借りて開墾に従事。1895年、夕張郡角田村(現栗山町)に移り、水田の開墾に尽力し、同村を北海道水田の模範地となした。角田村会議員、同村農会長、夕張郡農会長、北海道農会副会長を歴任。 1919年11月、資本金百万円で北海道殖産銀行を設立し頭取に就任。
水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869… 水上 斉之助(みずかみ さいのすけ / せいのすけ、1869年11月4日〈明治2年10月1日〉 - 1944年〈昭和19年〉10月25日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 陸前国気仙郡吉浜村(のち岩手県気仙郡吉浜村→三陸村→三陸町、現・大船渡市)出身。気仙郡唐丹村(現・釜石市)で長年にわたり、水産業に従事する。兄の水上助三郎とともに千島列島近海のサケ・マス漁業やラッコ・オットセイ猟、メキシコ沿岸でのマグロ・カツオ漁に出漁し、帰国後は吉浜湾でのアワビの養殖に手を染め、中国への輸出を手掛けた。 政治面では、1910年に唐丹村会議員となり、3期務める。ほか、気仙郡会議員となり、1930年の第17回衆議院議員総選挙において岩手2区から立憲民政党公認で立候補して当選し、衆議院議員を1期務めた。
松本 与右衛門(與右衞門、まつもと ようえもん、1868年4… 松本 与右衛門(與右衞門、まつもと ようえもん、1868年4月10日(明治元年3月18日)- 1920年(大正9年)8月10日)は、明治から大正期の酒造家、実業家、政治家。衆議院議員。 陸奥国胆沢郡塩竃村(岩手県胆沢郡水沢町、水沢市を経て現奥州市水沢中上野町)で、庄屋・松本元助、きさ の長男として生まれた。1888年(明治21年)明治法律学校(現明治大学)に入学した。 1889年(明治22年)帰郷して条約改正反対運動を進めた。その後、岩手自由青年会を組織して幹事に就任。1897年(明治30年)憲政党岩手支部幹事となる。また、胆沢郡会議員、水沢町会議員、岩手県会議員にも在任した。 1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(岩手県郡部、立憲政友会)で当選し、1903年(明治36年)3月、第8回総選挙(岩手県郡部、立憲政友会)でも再選され、衆議院議員に連続2期在任した。