吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の… 吉崎 清富(よしざき きよとみ、1940年 - )は、日本の現代音楽作曲家。 秋田県大館市生まれ。中学卒業と同時に上京し、桜美林高等学校卒業。東京芸術大学卒業、同大学院修了。作曲を下総皖一、石桁眞禮生に師事。ドイツ政府給費留学生としてベルリン国立音楽大学に留学。ボリス・ブラッハー、ジェルジ・リゲティに学ぶ。在学中の69、70、72年、ダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加。ヴィオッティ国際音楽コンクール、ベルリン国際作曲コンクールなどの国際コンクールで入賞を果たす。同大卒業後、ベルリン工科大学電子音楽スタジオ研究員に着任。79年、スタンフォード大学コンピュータ音楽セミナーに参加。 鹿児島大学講師着任後、東京学芸大学教授、国立音楽大学講師、鹿児島大学教授を歴任。
加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 20… 矢口 高雄(やぐち たかお、1939年10月28日 - 2020年11月20日)は、日本の漫画家・エッセイスト。株式会社矢口プロダクション代表取締役。本名:高橋 高雄(たかはし たかお、戸籍上は「高」が異体字(はしご髙)で髙橋 髙雄)。血液型A型。 自然の中での生活をテーマにした作品を描き、代表作の『釣りキチ三平』、『幻の怪蛇バチヘビ』で、釣りとツチノコブームを起こした。 秋田県雄勝郡西成瀬村狙半内(後の平鹿郡増田町狙半内、現在の横手市増田町狙半内)出身。町の中心部から20km離れた山村に生まれ、自然に囲まれて育つ。この子供時代の生活が、後に漫画の題材となった。 4歳の時に、母親に読み聞かせてもらった宮尾しげをの『西遊記』や田河水泡の『のらくろ』で漫画に接し、以来無類の漫画好きになる。
杉江 宗祐(すぎえ むねゆう、1939年(昭和14年)10月… 杉江 宗祐(すぎえ むねゆう、1939年(昭和14年)10月28日 - 2019年(令和元年)11月29日)は、日本の政治家。秋田県鹿角市長。位階は従五位。 秋田県鹿角郡花輪町(現・鹿角市)六日町出身。秋田県立花輪高等学校を卒業後は花輪町(現・鹿角市)役場に勤める、総務部財政課長、同総務課長、民生部保健課長を歴任し、1988年、鹿角市長に初当選する。1992年、1996年に再選。2000年に落選。2003年に秋田県議会議員に当選した。2019年死去。死没日付をもって従五位に叙された。
開隆山 勘之亟(かいりゅうやま かんのじょう、本名:青木 勘… 開隆山 勘之亟(かいりゅうやま かんのじょう、本名:青木 勘之丞(あおき かんのじょう)、1939年8月28日 - 1986年9月10日)は、秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)出身で、1960年代に活躍した大相撲力士。伊勢ヶ濱部屋(入門時は荒磯部屋)に所属していた。最高位は西関脇(1964年5月場所・1964年11月場所)。現役時代の体格は179cm、116kg。得意手は右四つ、寄り、上手捻り、首投げ。
佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23… 佐々木 巌(ささき いわお、1939年〈昭和14年〉8月23日 - 1999年〈平成11年〉3月30日)は、日本人正教徒でありイコン画家。秋田県大館市に生まれ、北麓ハリストス正教会で洗礼を受ける。聖名はペトル。フィンランドにおけるローマ字表記は"Petros Sasaki"(ペトロス ササキ)。 秋田県立大館鳳鳴高等学校を卒業後、ニコライ堂境内にある日本正教会が運営する神学校を1962年に卒業。教団で伝教者として働き、『正教時報』の編集に携わった。1963年7月、大阪ハリストス正教会に赴任し、日曜学校の指導、指導者の養成を行う。ギリシアで正教神学と正教伝統のビザンティン・イコンを学ぶため、1964年8月伝教者としての職を辞し、9月にギリシアに渡り、アテネ大学、工芸大学などで学んだ。
石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 -… 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。 千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年の第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。 1989年、秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。
佐藤 有文(さとう ありふみ、1939年5月27日 - 19… 佐藤 有文(さとう ありふみ、1939年5月27日 - 1999年)は、日本の怪奇作家・オカルト研究者。秋田県大館市出身。父親は作家の佐藤鉄章。茨城大学中退、「まらりあ」同人会会員。 茨城大学在学中から「水戸文学」「青い水」といった同人誌に「赤い血」「リボンが慾しい」などの小説を発表。1967年には「アポリア」に「蟷螂」を発表。 1969年から『小学四年生』などの児童雑誌に児童向けの読み物を書き始める。1970年代には、当時流行していた怪奇系児童書を主に手がける。特に妖怪や悪魔に関するものを多数執筆しているが、著書の解説には資料としての正確性において疑問が呈される内容が多いことでも知られている。
菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - … 菅原 貞敬(すがわら さだとし、 1939年2月18日 - )は、日本の元バレーボール選手、元全日本選手、指導者。 全日本ジュニア男子監督、ケニア女子代表監督、日立佐和リヴァーレ監督、シニアアドバイザーなど国内外で監督を歴任。 秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校を経て、1957年、東洋レーヨンに入社。東レ九鱗会の選手として活躍した。 1960年に全日本に初選出され、1964年東京五輪に出場し銅メダルを獲得した。 1968年に東レ九鱗会の監督に就任。1978年に全日本ジュニア男子監督に就任し、中垣内祐一、大竹秀之ら1990年代の全日本を牽引してきたバレーボール選手を育てた。 1995年10月にケニア女子代表監督に就任、同年ワールドカップ(11月開幕)ではケニアチームの指揮を執った。
煙山 力(けむりやま つとむ、1938年〈昭和13年〉11月… 煙山 力(けむりやま つとむ、1938年〈昭和13年〉11月28日 - )は、日本の政治家。元東京都文京区長(2期)。 秋田県仙北郡千屋村(千畑町を経て、現在の美郷町)に生まれる。秋田県立横手高等学校卒業。東北大学教育学部中退。国会議員秘書、専門学校理事を経て、1975年〈昭和50年〉文京区議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、初当選。以来連続6回当選。その後区議会議長となる。後に新進党に移った。 1999年〈平成11年〉文京区長選挙に立候補し初当選する。2003年〈平成15年〉に再選。区長を2期務め、2007年〈平成19年〉に引退した。2009年〈平成21年〉4月29日に旭日小綬章を受章した。
三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 201… 三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 2016年7月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手)。 秋田市立土崎中学校卒。秋田商では、エース三浦清(慶大-日本石油-大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。 1957年の産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。 1958年に大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄の伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。
棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2… 棟方 宏一(むなかた こういち、1938年7月13日 - 2019年2月11日)は、日本のアナウンサー(NETテレビ・テレビ朝日→フリー)。またテレビ朝日アスクの講師を歴任した。秋田県大曲市出身。 報道・ワイドショー番組
菅原 武男(すがわら たけお、1938年5月23日 - )は… 菅原 武男(すがわら たけお、1938年5月23日 - )は、日本のハンマー投げ選手。秋田県鹿角市出身。秋田県立毛馬内高等学校、日本大学卒業。 1960年ローマオリンピック、1964年東京オリンピック、1968年メキシコシティーオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックに出場した。メキシコシティーオリンピックでは日本選手団の主将を務めた。 ハンマー投げを始めたのは高校3年と遅いスタートだったが、その年の県大会で優勝、東北大会で優勝、インターハイで4位入賞。日本大学4年時にローマオリンピックに初出場したが予選落ち。 大学卒業後、リッカーミシンに入社。東京オリンピックの前年に67m73の日本記録を打ち立てたが、1日12時間の猛練習で腰を痛め、東京オリンピックでは63m69の不本意な記録で13位に終わった。
二田 孝治(ふただ こうじ、1938年5月4日 - )は、日… 二田 孝治(ふただ こうじ、1938年5月4日 - )は、日本の元政治家。自由民主党所属の元衆議院議員(7期)。父は元衆議院議員・第2代天王町長を務めた二田是儀。
町田 睿(まちだ さとる、1938年(昭和13年)2月17日… 町田 睿(まちだ さとる、1938年(昭和13年)2月17日 - 2018年(平成30年)1月30日 )は、日本の銀行家。北都銀行取締役会長。ノースアジア大学客員教授。2014年(平成26年)旭日小綬章受章。 富士銀行常務を経て荘内銀行頭取に就任。同行の経営改革を進めたほか、荘銀と北都銀行との経営統合による金融持株会社であるフィデアホールディングス設立を主導した。 両親とも教職に従事する家庭の4人兄弟の長男として、秋田県仙北郡千屋村(千畑町を経て、美郷町)に生まれ、後に秋田市に移住する。 秋田県立秋田高等学校に進学し、同校では生徒会長を務め、卒業後は東京大学法学部に進む。在学中のクラスメートには、堤富男元通産省事務次官、永島旭元中国銀行頭取らがいた。
佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 198… 佐藤 周子(さとう ちかこ、1938年2月13日 – 1988年6月23日)は、日本の放射線医学者。 1938年、秋田県大館市に生まれる。1946年、教師だった父の転勤に伴い、岩手県花巻市に移住した後、秋田県秋田市に移住。秋田県立秋田高等学校卒業。1962年、東北大学医学部卒業と同時に結婚。1963年、東北大学放射線基礎医学教室助手、1970年、愛知県がんセンター研究所放射線部研究員に勤務。1972年、スタンフォード大学留学を経て、愛知県がんセンター研究所研究室長に就任。1985年、同研究所放射線部長(同センター初の女性管理職)。1988年、猿橋賞を受賞するが、その1ヶ月後に死去。 佐藤周子 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース
須藤 功(すとう いさお、1938年2月12日 - )は、日… 須藤 功(すとう いさお、1938年2月12日 - )は、日本の民俗学写真家。 秋田県横手市に生まれる。1957年に川口市立県陽高等学校を卒業した。航空自衛隊写真班に所属していたが、1966年から日本観光文化研究所において宮本常一の教えをうける。1989年、日本地名研究所より第8回「郷土研究賞」を受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - … 開錦 豪藏(かいにしき ごうぞう、1938年2月11日 - 没年不明)は、現在の秋田県横手市出身で錦島部屋、時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は土田 房三。183cm、104kg。最高位は東十両16枚目。得意技は左四つ、寄り。 1954年9月場所初土俵、1965年1月場所に十両昇進を果たすも、4勝11敗と大敗して翌場所に幕下陥落。そして新十両から1年後の1966年1月場所後に廃業した。廃業後は茨城県水戸市堀町1163-13で料理屋「ちゃんこ錦」を経営した。
小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 202… 小西 秀朗(こにし ひでろう、1937年9月8日 - 2020年1月13日)は、秋田県出身のプロ野球選手(外野手)。左投左打。 秋田高校では1954年、2年生の時にエース青山伍(大映スターズ)を擁し、四番打者、右翼手として第36回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦(初戦)で恵川康太郎のいた三原高に敗退。青山以外のチームメートに高橋捷郎(慶大-東洋レーヨン)がいた。同年の秋季奥羽大会県予選も決勝に進むが、エース嵯峨健四郎を擁する秋田商に惜敗。翌1955年夏は奥羽大会1回戦で岩手高に敗れ、甲子園には出場できなかった。 高校卒業後は立教大学に進む。東京六大学野球リーグでは5度の優勝を経験。4年時の1959年秋季リーグで優勝に貢献し、自身もベストナイン(外野手)に選ばれている。
嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2… 嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2011年11月1日)は、秋田県秋田市上北手出身のプロ野球選手(投手)。 秋田商業高では、エースとして1954年秋季東北大会準決勝に進むが、盛岡商業高に敗退。翌1955年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き、奥羽大会に進むが1回戦で盛岡工業高に敗れる。なお、高校時代の1年後輩には、後に大毎オリオンズや阪急ブレーブスなどで活躍する三平晴樹がいた。三平も高校卒業後、嵯峨と同じルートでプロ入りしている(但し、プロでチームメイトになる事は無かった)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。1956年の都市対抗野球にエースとして出場、準々決勝に進むが大昭和製紙に敗れる。
大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 -… 大野咲 慎祐(おおのさき しんすけ、1937年7月21日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 晋。現在の秋田県北秋田市出身。174cm、92kg。最高位は西十両4枚目。得意技は左四つ、寄り。 1951年9月場所に初土俵。当初は序ノ口、序二段で勝ち越せずに苦戦したが、1954年9月場所で入門して初めての勝ち越しを決めると、そこから勝ち越しを続けていき、1961年5月場所に十両昇進。1961年11月場所には自己最高位となる十両4枚目まで番付を上げるも入幕は果たせなかった。1962年9月場所で幕下陥落すると、以降十両へ復帰できずに幕下下位で3勝4敗と負け越した1963年9月場所限りで廃業した。
照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 -… 照ノ海 十二(てるのうみ じゅうじ、1937年7月18日 - 没年不明 )は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元大相撲力士。本名は鈴木 十二(すずき じゅうじ)。現在の秋田県横手市出身。174cm、96kg。最高位は西十両17枚目。得意技は左四つ、寄り。 平鹿町立浅舞中学校(現在は横手市立平鹿中学校へ統合)で相撲を始めたが、平鹿郡大会で負けたので一時的に止め、野球部に転向した。ポジションは一塁手を務めた。秋田県立大曲農業高等学校に進学してからは相撲を再開し、2年生の時には青年相撲で優勝し、北海道巡業から帰る途中で立ち寄っていた5代伊勢ヶ濱から照國杯を貰った時に素質を見出されて入門した。ある年の巡業先で預かった酒を宿に忘れ、発車寸前の汽車から慌てて飛び降り、酒を取りに戻った。
小林 宏晨(こばやし ひろあき、1937年7月11日 - 2… 小林 宏晨(こばやし ひろあき、1937年7月11日 - 2025年8月24日)は、日本の法学者。専門は、ドイツ基本法(憲法)・国際法・安全保障関係法・比較憲法・EU法。法学博士(ヴュルツブルク大学・論文博士)。日本大学名誉教授。防衛法学会顧問。比較憲法学会名誉理事。オーストリア一等学術栄誉賞受賞、瑞宝中綬章受章。元秋田県上小阿仁村村長。 秋田県上小阿仁村出身で、秋田県立秋田高等学校を歴て上智大学を中退し、ヴュルツブルク大学、ジュネーヴ大学、パリ大学法学部博士課程でドイツ語、政治学、法学を学び、ヴュルツブルク大学でアウグスト・フォン・デア・ハイテ教授に師事して法学博士を授かる。帰国して上智大学で法学部助手、外国語学部教授を経て、日本大学法学部教授、慶應義塾大学大学院法学研究科などで教鞭をとった。
遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月1… 遠藤 幸雄(えんどう ゆきお、1937年(昭和12年)1月18日 - 2009年(平成21年)3月25日)は、日本の元体操競技選手。日本大学名誉教授。 秋田県秋田市広面字谷内佐渡出身。秋田工業高校から東京教育大学(現筑波大学)卒業。 広面小3年生の時に母親を亡くし、久保田中1年 の冬から養護施設感恩講で育つ。中学2年の時、先生の勧めで体操部に入部し、市内大会では数々の表彰台に上がる。 同じ秋田県出身の小野喬を目標に競技を続け、東京教育大学在学時代から体操競技日本代表選手に選ばれてオリンピック、世界選手権など数々の国際大会に出場した。1964年東京オリンピックでは日本選手としては初めてとなる個人総合優勝を果たした。
笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - … 笹山 隆生(ささやま たかお、1937年(昭和12年) - 1996年(平成8年))は、日立製作所の元主任研究員、工学博士。 秋田県横手市出身。横手美入野高校(現秋田県立横手高等学校)卒業、1963年慶應義塾大学工学部卒業後、日立製作所日立研究所入社。同所主任研究員、日立アメリカ・リミテッド研究開発副社長、同社自動車機器事業部副技師長を経る。IEEEおよびSAEフェロー。電気学会センサシステム応用技術委員会、「自動車センサ関連調査専門委員会)委員長などを歴任。 1984年、慶応義塾大学工学博士 論文の題は「トランジスタの二次降伏耐量の研究とその自動車用電子装置への適用 」。
加藤 廣志(かとう ひろし、1937年 - )は、秋田県山本… 加藤 廣志(かとう ひろし、1937年 - )は、秋田県山本郡藤里町出身の元高校教諭、バスケットボール指導者である。能代工業高校バスケットボール部の礎を築いた名将として知られる。
土田 正顕(つちだ まさあき、1936年8月18日 - 20… 土田 正顕(つちだ まさあき、1936年8月18日 - 2004年1月30日)は、日本の官僚。元国税庁長官(第25代)。東京証券取引所社長(初代)。秋田県由利郡矢島町(現・由利本荘市矢島町)出身。 学習院初等科、学習院中等科、都立小石川高校を経て、1959年4月、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業、大蔵省にトップで入省。大臣官房文書課配属。大蔵省の入省同期には斎藤次郎(大蔵事務次官、日本郵政社長)、公文宏(国土事務次官、内閣内政審議室長)、大須敏生(理財局長)、瀧島義光(関税局長、生命保険協会副会長)、日吉章(防衛事務次官)、米倉明(東大法学部名誉教授)、永谷敬三(ブリティッシュコロンビア大学名誉教授)ら。
斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月… 斉藤 京子(さいとう きょうこ、1936年(昭和11年)6月19日 - 2022年(令和4年)1月2日)は、日本の民謡歌手。秋田県北秋田郡栄村(現・北秋田市)太田生まれ。本名は齋藤京子。 「江差追分」の名人であった父・二代目大船繁三郎と、民謡歌手の母・函青白糸との間に生まれる。両親とともに巡業で各地を回り、4歳のとき函館で初舞台を踏む。 秋田・東北を中心に全国の民謡を手がけ、さらに端唄・小唄などの俗謡や、ご当地ソング・舞踊歌謡とレパートリーも幅広い。 1953年、17歳のときコロムビアから「新タント節」「もみすり唄」他でデビュー。20歳でキングレコードに移籍し、「おんな白虎隊」「あゝ川中島」などをヒットさせる。
小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわ… 小池 一夫(こいけ かずお、本名及び僧号: 俵谷 星舟〈たわらや せいしゅう〉、旧名: 譲〈たわらや ゆずる〉、作詞家としての別名: 東 文彦〈あずま ふみひこ〉、1936年5月8日 - 2019年4月17日)は、日本の漫画原作者、小説家、脚本家、作詞家、作家。男性、身長183cm、血液型はB型。1976年までの筆名は小池 一雄。別筆名に小池一雄、緒塚敬吾、イゴル・キニスキー等がある。 秋田県大仙市出身。中央大学法学部卒。大阪芸術大学キャラクター造形学科教授(学科長)、神奈川工科大学情報学部情報メディア学科教授、大阪エンタテインメントデザイン専門学校教授を歴任した。出版社の小池書院元編集長。 漫画原作作品に『子連れ狼』(画: 小島剛夕)、『御用牙』(画: 神田たけ志)、『高校生無頼控』(画: 芳谷圭児)、『修羅雪姫』(画: 上村一夫)、『クライング フリーマン』(画: 池上遼一)、『オークション・ハウス』(画: 叶精作)、小説に『乾いて候』、『夢源氏剣祭文』がある。
佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、… 佐藤 歳二(さとう としじ、1936年4月23日 - )は、日本の裁判官、弁護士。東京地方裁判所部総括判事、最高裁判所上席調査官、司法研修所上席教官、横浜地方裁判所所長、早稲田大学法学部特任教授、司法協会理事長、TMI総合法律事務所顧問弁護士等を歴任。 1955年秋田県立角館高等学校卒業。1959年中央大学法学部卒業。1964年裁判官任官、仙台地方裁判所判事補。東京地方裁判所判事、司法研修所教官(民事裁判担当)、東京地方裁判所判事、最高裁判所事務総局民事局第一課長兼第三課長、東京地方裁判所部総括判事、司法研修所教官(第一部裁判官担当・民事)、最高裁判所上席調査官、東京地方裁判所所長代行等を経て、1996年新潟地方裁判所所長。
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - … 御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。 自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。
安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 202… 安井 浩司(やすい こうじ、1936年2月29日 - 2022年1月14日)は、俳人。秋田県能代市出身。秋田県立能代高等学校、日本歯科大学卒業。 1954年上京、1969年より4年間飛騨高山に住んだのち秋田に帰郷。10代のとき寺山修司編集の「牧羊神」に参加。1958年ころから永田耕衣の「琴座」に投句、のち同人。また1964年より高柳重信の「俳句評論」同人。1968年に加藤郁乎、大岡頌司らと「ユニコーン」を創刊するが、4号で廃刊。1984年「騎」創刊に参加。歯科医師のかたわら句作を行った。しばしばエロティックなイメージを伴う土俗的・秘教的な句風で、俳壇からも距離を置いて句作を続けた。代表句に「ひるすぎの小屋を壊せばみなすすき」など。
小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 … 小野 清子(おの きよこ、1936年〈昭和11年〉2月4日 - 2021年〈令和3年〉3月13日)は、日本の体操選手、政治家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。旧姓は大泉。 参議院議員(3期)、環境政務次官(第2次海部改造内閣)、社団法人日本音楽著作権協会理事長、国家公安委員会委員長(第69・70代)、内閣府特命担当大臣(青少年育成及び少子化対策担当、食品安全担当)、参議院予算委員長、独立行政法人日本スポーツ振興センター理事長、笹川スポーツ財団理事長などを歴任した。 宮城県岩沼市に生まれ、その後秋田県秋田市に移る。幼少時、病弱だったため体操を始めた。 1952年の国民体育大会で後の夫となる同じ秋田県出身で4学年上の体操選手の小野喬と知り合った。
相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、19… 相場 一宏(あいば いっこう、または、あいば かずひろ、1936年 - )は、囲碁ライター、編集者。 秋田県秋田市出身。1955年に僧籍に入り、駒澤大学仏教学部に入学。駒澤大学仏教学部中退。1962年に囲碁ライターに転じる。安永一の1966年の著書『囲碁百年』(全3巻、時事通信社)では、記述・編集を担当した。 囲碁ライター協会名誉会長。全日本囲碁協会元・理事。囲碁史の研究も行い、2006年4月にスタートした「囲碁史会」の運営委員。天元戦・新人王戦の観戦記者をつとめた。 1981年から1985年まで出版社・四星社も経営し、『趙治勲のかならず勝つ』『棋聖秀行の碁』『囲碁名局年鑑』『囲碁新手年鑑』などを刊行した。
佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日… 佐藤 敬夫(さとう たかお、1935年(昭和10年)6月4日 - 2020年(令和2年)11月9日)は、日本の政治家、元衆議院議員(5期)。位階は従四位。一般社団法人日本経営士会元会長。 秋田県出身。成蹊高等学校、成蹊大学政治経済学部卒業。 1977年、第11回参議院議員通常選挙に新自由クラブ公認で全国区から立候補したが落選。 1986年に、衆議院選挙秋田1区から自由民主党公認で立候補し初当選(当選同期に鳩山由紀夫・斉藤斗志二・三原朝彦・村井仁・逢沢一郎・武村正義・園田博之・中山成彬・谷津義男・新井将敬・石破茂・笹川堯・村上誠一郎・井出正一など)。1994年に自由民主党を離党して新党みらいの結党に参加、同年の12月に新進党に合流した。
清ノ森 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - 2… 清ノ森 政夫(きよのもり まさお、1935年4月8日 - 2019年4月20日)は、秋田県横手市(現役当時は平鹿郡大森町)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。出生名は佐々木 政夫(ささき まさお)。後年、桂川(檀崎質郎)・春枝夫妻の婿養子となり、檀崎 政夫(だんざき -)に改名。現役時代の体格は183cm、92kg。得意手は右四つ、寄り。最高位は東前頭9枚目(1960年9月場所)。大正時代の幕内力士、日本海忠藏は大叔父に当たる。 17歳の時、同郷の先輩でもある元関脇・清瀬川が師匠を務めていた伊勢ヶ濱部屋(一時期は荒磯部屋に改称)へ入門し、1953年1月場所で初土俵を踏んだ。 1957年5月場所で十両に昇進し、1959年3月場所で新入幕を果たした。
阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外… 阿曾村 邦昭(あそむら くにあき、1935年‐)は、日本の外交官 。書籍等の著者名では「阿曽村 邦昭」と表記されている。 1935年、秋田県秋田市生まれ。東京大学農業経済学科及び米国アマースト大学政治学科各卒業。 外務省に入り、1988年に在ベトナム、1991年に在チェコスロバキア(1993年チェコに改称)、1994年に在ベネズエラ各特命全権大使を歴任した。 その後、富士銀行顧問、麗澤大学外国語学部客員教授、吉備国際大学大学院国際協力研究科科長(主任教授)、ノースアジア大学法学部教授、日本紛争予防センター所長、ジャパン・プラットフォームNGOユニット理事、(社)ラテンアメリカ協会理事、(株)インターナショナル映画社取締役会長を経て、(岡山県)公設国際貢献大学校教授、日本教育再生機構代表委員、認定NPO法人「難民を助ける会」顧問、「メコン地域研究会」会長を務めた。
菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1… 菅 貫太郎(すが かんたろう、1934年12月12日 - 1994年3月22日)は、日本の俳優。本名は同じ。愛称はスガカン。 秋田県湯沢市出身。秋田県立湯沢高等学校卒業、中央大学中退。劇団俳優座出身。田村企画を経て、東映俳優センターに所属していた。 高校卒業後、中央大学に進むが中退。 1957年(昭和32年)に俳優座養成所に第9期生として入所。 1960年(昭和35年)に座員となり、「セチュアンの善人」で初舞台を踏む。 1971年(昭和46年)に菅孝行作の「はんらん狂騒曲」上演を禁じた俳優座幹部と対立、中村敦夫、原田芳雄、市原悦子らと共に、俳優座劇場で同作の造反公演劇団を行い、退団した。 劇団在籍中から、映画やテレビドラマにも出演。
丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - … 丸山 博一(まるやま ひろかず、1934年11月20日 - 2023年9月29日)は、日本の俳優、演出家。東宝専属で劇団「東宝現代劇75人の会」メンバー。舞台演劇を中心に活動していた。秋田県出身。身長167センチメートル、血液型O型。 1934年(昭和9年)、秋田県秋田市土崎港新柳町生まれ。1953年(昭和28年)秋田県立秋田高等学校を卒業。大学受験に失敗した浪人中にルネ・クレマン監督のフランス映画『禁じられた遊び』に強く感銘を受けて映画監督に憧れるようになる。志望先を変更して1954年(昭和29年)、早稲田大学第一文学部文学科演劇専攻を受験、合格して同年、入学する。大学の入学式当日に早大演劇研究会に入会した。
鈴木 重晴(すずき しげはる、1934年4月5日 – 201… 鈴木 重晴(すずき しげはる、1934年4月5日 – 2012年2月27日)は、日本の陸上競技選手、指導者。 1946年、学制改革期の旧制秋田中学校(在学中の1948年に秋田南高等学校と改称。現在の秋田県立秋田高等学校)に入学。楢山の歯医者であった叔父宅から通学しており、鈴木自身も歯医者を目指していたという。1年生より陸上競技を始め、3年生の折に400mと800mで全県大会・東北大会に優勝して駒を進め、インターハイで両種目3位。東西対抗400mで全国優勝を果たした。 早稲田大学に進学し競走部に入部。大学在学中に中距離4種目(400m、800m、1000m、1600mリレー)で日本新記録を立てた。
諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 -… 諏訪 純人(すわ まこと、1934年(昭和9年)4月2日 - 2011年(平成23年)3月2日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。 秋田県鹿角市出身。慶大卒後、秋田銀行入行。 営業、企画、人事と幅広く経験。東北の金融界においても顔が広く行動派と目されていた。 1997年(平成9年)、頭取就任。2期4年の在任中は、1999年(平成11年)の創業120周年、新店頭体制への移行や共同バックアップセンターの設置また、融資パソコンシステムの導入やエリア営業体制の試行のほか、本部にIT戦略室を設置。次世代への布石を打った。 2001年(平成13年)、相談役に退き秋田経済研究所理事長に就任した。 2011年(平成23年)3月2日、肺がんのため死去。
菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県… 菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県仙北郡豊川村(現在の大仙市)出身の卓球選手。きくち体操の創始者である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHI… 戸嶋 靖昌(としま やすまさ, Yasumasa TOSHIMA, 1934年 – 2006年7月20日)は、栃木県出身の画家。武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)卒業。 1934年、栃木県塩谷郡船生村(現・塩谷町)に生まれた。1939年に父親が肺結核で病死したため、親の故郷である秋田県北秋田郡坊沢村(現・北秋田市)に引っ越し、母子家庭(母、靖昌、弟、妹)で育った。実家は大地主の富農であり、代々坊沢村長を務める名家だった。なお、出生地が鷹巣町坊沢であるとされることもあるが、生涯にわたって戸嶋の作品を取り扱った清澄画廊は戸嶋の出生地を栃木県であるとしている。坊沢村立尋常小学校、坊沢村立小学校、秋田県立大館中学校(旧制中学/現・秋田県立大館鳳鳴高校)に進学し、大館中学校美術部では部長を務めた。
山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19… 山谷 初男(やまや はつお、1933年〈昭和8年〉12月19日 - 2019年〈令和元年〉10月31日)は、日本の俳優。本名:山谷 八男。旧芸名:山谷 初夫。舞プロモーションに所属。秋田県仙北郡角館町(現:仙北市)出身。秋田県立角館北高等学校(現:秋田県立角館高等学校)卒業。役者仲間からは「はっぽん」の愛称で親しまれた。 八か月の早産で産まれたことから、八男と名付けられたが、生死が危ぶまれていた中、奇跡的に生き続けたため、もう一つの名前として「初男」を与えられている。その「はつお」から「ハツ坊」「ハッポ」というあだ名がつけられた。 高校卒業後に画家を目指して上京。当初は中野の通信学校に入っていたが、昼は代々木の予備校、夜は阿佐ヶ谷の絵の学校にも通う。
畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉… 畠山 健治郎(はたけやま けんじろう、1933年〈昭和8年〉11月17日 - 2023年〈令和5年〉6月3日)は、昭和から平成期の地方公務員、政治家。位階は正五位。 衆議院議員(2期)、大館市長を務めた。 秋田県北秋田郡森吉町出身。1954年(昭和29年)農業講習所農業科を卒業。同年、秋田県庁に入庁。1962年(昭和37年)大館地方労事務局長。1965年(昭和40年)県北生活協同組合理事。1976年(昭和51年)県職労中央執行委員長。1979年(昭和54年)大館市長に初当選。以降3期務めた。 1993年(平成5年)日本社会党公認で第40回衆議院議員総選挙で旧秋田1区から初当選。1996年(平成8年)の第41回総選挙では社会民主党公認で秋田2区から立候補。
阿部 牧郎(あべ まきお、1933年9月4日 - )は、日本… 阿部 牧郎(あべ まきお、1933年9月4日 - )は、日本の小説家。
小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2… 小番 宜一(こつがい よしかず、1933年8月10日 - 2021年1月24日)は、日本の政治家。秋田県本荘市長(2期)、秋田県議会議員(1期)、本荘市議会議員(3期)、由利本荘市議会議員(1期)。 秋田県由利郡子吉村(のち本荘市、現・由利本荘市)出身。1949年、子吉村立子吉中学校卒。1971年、本荘市議に当選、3期務める。市議会副議長も務めた。 1983年、本荘市長選挙に立候補して、無投票の8選を目指した現職の佐藤憲一をわずか9票差で破って初当選を果たした。 ※当日有権者数:-人 最終投票率:-%(前回比:-pts) 1987年に再選を果たした。1991年には3期目を目指したが、元秋田県職員の柳田弘に敗れた。
高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は… 高杉 晋吾(たかすぎ しんご、1933年3月18日 - )は日本の社会評論家、ジャーナリスト。本名、石川晋吾。 秋田県秋田市生まれ。1957年、早稲田大学第一文学部卒業。団体記者を経て、1962年、日本社会党機関紙「社会新報」記者となるが、1970年にフリーランスとなり、『朝日ジャーナル』『現代の眼』などにルポや論文を発表。 袴田事件を当初[いつ?]から冤罪であると考え、死刑判決後にルポを発表するなど20年にわたり支援活動に携わる。人体実験についての著作も複数ある。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
公地 次男(こうち つぐお、1933年2月20日 - 没年不… 公地 次男(こうち つぐお、1933年2月20日 - 没年不明)は、伊勢ヶ濱部屋、荒磯部屋、再度伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名同じ。現在の秋田県横手市出身。179cm、100kg。最高位は西十両3枚目。得意技は左四つ、寄り。 1952年5月場所初土俵、1958年11月場所に十両昇進し、30場所務めた。1964年1月場所限りで廃業した。
大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没… 大矢崎 武男(おおやざきたけお、1933年2月10日 - 没年不明)は、荒磯部屋、伊勢ヶ濱部屋に所属した元力士。本名は木越 武男。現在の秋田県大館市出身。182cm、119kg。最高位は東十両7枚目。得意技は左四つ、寄り。 1953年9月場所初土俵、1961年3月場所十両昇進。十両を11場所務めたが、十両中位の壁を破れず、1963年9月場所限りで廃業した。 叔父は大正から昭和にかけての十両力士の大矢崎信哉。