岡 三沙子(おか みさこ、1933年 - )は、日本の詩人、… 岡 三沙子(おか みさこ、1933年 - )は、日本の詩人、ノンフィクション作家。 秋田県生まれ、東京都町田市在住。本名・川端みさお。1951年、秋田県立秋田北高等学校卒。1954年、秋田大学教育学部修了。小学校に2年勤務ののち、1956年上京、日本大学芸術学部に編入学。1959年卒業後、新聞記者、コピーライター。1964年、初の詩集『屍』を出版。1992年、日本海中部地震津波遭難児童の遺稿集『岳彦の日記』(編集)で土井晩翠児童賞受賞、2017年、『寡黙な兄のハーモニカ』で日本詩歌句協会・随筆評論賞優秀賞受賞。所属日本詩人クラブ会員、詩誌「日本海詩人会」、短歌誌「埴」同人。
日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月2… 日野 幹雄(ひの みきお、1932年 (昭和7年) 12月24日 - )は、日本の工学者。東京工業大学名誉教授。 専門は、流体力学・水理学・水工学・水文学・海岸工学・風工学・可視化情報学など。 水工学および流体力学の分野で広範な基礎研究を行い、水理工学・流体力学の新分野(Kalman filterの環境問題への応用、Ecohydraulics、植生水文学など)を拓いた。また、研究室からは多くの後継研究者・技術者が輩出した。流体力学・水理学(水工学基礎)に関する多くの著書および評論・解説を行った。また、環境(原子力安全、火力発電所環境審査)に関する政府委員会で長期に亘って貢献した。(注:本記事に記載された全ての事実は、当人が過去に作成された一次情報から抽出したものである。
奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 … 奈良 毅(なら つよし、1932年〈昭和7年〉12月11日 - 2014年〈平成26年〉1月20日 )は、日本のベンガル語学・文学研究者。東京外国語大学名誉教授。公益財団法人日印協会顧問 1932年(昭和7年)12月11日、秋田県秋田市生まれ。秋田大学学芸学部国文科卒。1958年、東京大学大学院言語学専攻修士課程修了。カルカッタ大学比較言語学博士課程修了。PH.D。 1964年東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教授、のち教授。1995年(平成7年)定年退官、名誉教授、清泉女子大学教授。2003年定年。 田中嫺玉とベンガル語による短縮版『マハーバーラタ』を共訳、1974年にマヘーンドラナート・グプターがまとめたラーマクリシュナの言行録『不滅の言葉』を共訳し抄訳として出版、これにより日本翻訳文化賞を受賞した。
笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 20… 笹山 晴生(ささやま はるお、1932年12月8日 - 2024年4月12日)は、日本の歴史学者。日本古代史専攻。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1989年)。東京大学名誉教授。 日本古代史専攻。古代日本の武力・兵制の研究者として著名。このほか山川出版社の高等学校用日本史教科書の執筆・編纂を担当。日本歴史学会会長、横手市史編纂委員、多摩市史編纂委員等も務める。 東京市豊島区雑司が谷生まれ。父は元衆議院議員笹山茂太郎。熊本市で小学校を終え、1951年秋田県立横手美入野高等学校(現・秋田県立横手高等学校)卒業。1955年東京大学文学部国史学科卒業。1960年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学、研究室助手となり、同年国史学科学生の樺美智子が安保闘争で死んだ時の国民葬では樺の遺影を掲げてデモ行進の先頭に立った。
小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月1… 小浪 充(こなみ たかし、1932年 <昭和7年> 11月15日 - 2006年 <平成18年> 11月18日)は、日本の社会学者、東京外国語大学名誉教授。元NHKテレビ英会話講師。元日本カナダ学会会長。位階は正四位。 秋田県生まれ。1955年、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業後、東京大学大学院社会科学研究科入学。東大の教養学科アメリカ分科で主任教授を務めた中屋健一に師事した。東大大学院在学中に、フルブライト奨学生としてコロンビア大学国際関係大学院修士課程に留学。 外務省調査員を経て、母校である東京外国語大学英米語学科の教員となる。在職中(1966-1995年)、学部講座では主にアメリカ事情、大学院では地域研究方法論を担当、1980年代の学際研究ブームの一翼を担った外語黄金期を支えた。
村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 20… 村木 賢吉(むらき けんきち、1932年8月30日 - 2021年6月19日) は、日本の男性演歌歌手。 秋田県鹿角郡尾去沢町(現鹿角市)出身。晩年は静岡県御殿場市に居を構えた。 当時、父親が働いていた三菱金属鉱業(現:三菱マテリアル)に入社。1967年に尾去沢鉱山(鹿角市)から直島製錬所(香川県香川郡直島町)に転勤。勤務中、同じ職場で直島出身の佐義達雄と出会う。 1972年、真木島人(まき しまんど)の芸名で、佐義の作詞作曲の「土方渡世/漁師一代」を出すが一部に注目されるだけで終わった。同年、再び佐義の作詞作曲、村木の唄で演歌「おやじの海」を500枚自主制作する。翌1973年、御殿場に転勤となり、「おやじの海」はその後、当人ですら存在を忘れかけていた。
高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 20… 高井 有一(たかい ゆういち、1932年4月27日 - 2016年10月26日)は、日本の小説家。内向の世代の作家の一人。本名は田口哲郎(たぐち てつお)。日本芸術院会員。 祖父は角館町出身の小説家だった田口掬汀(たぐち きくてい)、父は画家の田口省吾(しょうご)、妻はジャーナリストの中村輝子。 父田口省吾、母信子の長男として、東京府北豊島郡長崎町(現・東京都豊島区)に生まれる。1943年祖父、父があいついで死去。1945年母妹とともに秋田県へ疎開するが、11月に母が死去し、母方の叔父最上孝敬に引き取られる。成蹊高等学校で中村草田男の授業を受け、1951年成蹊大学に進学した。1952年に早稲田大学第二文学部英文学科に編入し、1955年に卒業した。
須々木 主一(すすき しゅいち、1932年〈昭和7年〉4月1… 須々木 主一(すすき しゅいち、1932年〈昭和7年〉4月19日 - 2014年〈平成26年〉10月20日)は、日本の法学者。専門は刑事法、主に刑事政策。早稲田大学名誉教授。齊藤金作門下。秋田県横手市出身。 1932年、秋田県横手市の日本基督教団関係者の家に生まれる。東京都立武蔵高等学校を経て、1955年に早稲田大学第一法学部を卒業。そのまま、早稲田大学大学院法学研究科修士課程・博士課程へと進み、在学中、齊藤金作に師事する。1958年に早稲田大学比較法学研究所助手、1961年に早稲田大学法学部専任講師に嘱任すると、その後1964年に同大同学部助教授、1969年に同大同学部教授に嘱任する。 師である齊藤金作より、刑事政策の研究を勧められ、独学で刑事政策を学ぶ。
高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 20… 高階 秀爾(たかしな しゅうじ、1932年2月5日 - 2024年10月17日)は、日本の美術史学者・美術評論家。位階は従三位。 東京大学文学部名誉教授。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。日本芸術院院長、公益財団法人西洋美術振興財団理事長、大原美術館館長などを務めた。秋田県立美術館顧問。 1932年、東京で生まれた。父は哲学者・高階順治で、母方の姓を継いで旧姓・佐々木を名乗った。東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)に入学し、のちに東大教授となる芳賀徹、平川祐弘、石井進、平田賢とは同じクラス(第1部)であり、波多野里望とはこの頃から仲良しであった。1944年に小学校を卒業し、東京高師附属中学(現・筑波大学附属中学校・高等学校)に入学。
千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22… 千田 謙蔵(ちだ けんぞう、1931年(昭和6年)10月22日 - 2024年(令和6年)12月20日)は、日本の政治家。秋田県横手市長(5期)、横手市議会議員(3期)、横手市観光協会会長などを歴任した。 秋田県横手市生まれ。旧制横手中学校、旧制弘前高等学校を経て、1953年に東京大学経済学部を卒業する。1952年に発生した東大ポポロ事件の被告人として有罪判決を受ける。 卒業後数年間は地元で茶舗を経営する傍ら、1959年、当時27歳にして横手市議会議員に当選。3期12年務める。 1971年、市長選に社会党から出馬し、自民党公認の元助役を119票差で破り、初当選を果たした。 市政では「市民総参加で明るい市政」「東北の夜明けにふさわしいまちづくり」「くらしと健康を守る市政」「積極はつらつの市民性」を基本方針に掲げ、議会においては少数与党(社会党、公明党、民社党、共産党)ではあったが、市民の根強い人気に支えられながら5期20年の任期を終える。
村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月2… 村岡 兼造(むらおか かねぞう、1931年〈昭和6年〉8月27日 - 2019年〈令和元年〉12月25日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲一等旭日大綬章。秋田県本荘市(現・由利本荘市)出身。血液型はB型。 衆議院議員(9期)、郵政大臣(第50代)、運輸大臣(第64代)、内閣官房長官(第62代)、自由民主党国会対策委員長(第34代、第42代)、自由民主党総務会長(第42代)、平成研究会会長代理を歴任した。 秋田県議会議員を経て、1972年の第33回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。1976年の総選挙で落選したが3年後の1979年の衆院選で政界復帰を果たす。 宇野内閣で郵政大臣で初入閣、第2次海部改造内閣で運輸大臣を務めた。
加藤 隆勝(かとう たかかつ、1931年7月30日 - )は… 加藤 隆勝(かとう たかかつ、1931年7月30日 - )は、日本の教育心理学者。学位は、教育学博士(論文博士・1977年)(学位論文「青年期における自己意識の構造」)。筑波大学名誉教授。 秋田県出身。1954年東京教育大学心理学科卒、1960年同大学院博士課程中退、1977年「青年期における自己意識の構造」で教育学博士の学位を取得。岐阜大学講師、文部省初等中等教育局、東京教育大学助教授、筑波大学助教授、教授。1995年定年退官、名誉教授。
小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 -… 小野 喬(おの たかし、1931年(昭和6年)7月26日 - )は、体操競技の元オリンピック選手、元鹿屋体育大学教授。秋田県能代市出身。旧制秋田県立能代中学校(現在の秋田県立能代高等学校)、東京教育大学体育学部、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。現役時代は「鬼に金棒、小野に鉄棒」と呼ばれたことで知られる。全日本体操競技選手権の個人総合で7回の優勝を誇り、オリンピックでも4大会連続で出場し、金メダル5つ、銀メダル4つ、銅メダル4つを獲得した。 東京教育大学では久保田正躬と学生寮で相部屋だった。同大学1年の時に高校教師だった父親を亡くす。同大学3年の時に1952年ヘルシンキオリンピックに出場し跳馬で体操競技では日本初となる銅メダルを獲得。
佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は… 佐藤 隆三(さとう りゅうぞう、1931年7月5日 - )は、日本の経済学者。専門は理論経済学、中でも経済成長理論。ニューヨーク大学C.V.スター冠講座名誉教授。 秋田県湯沢市高松出身。Ph.D(ジョンズ・ホプキンス大学)、経済学博士(一橋大学)。ブラウン大学教授を経て、ニューヨーク大学レナード・スターン経営大学院C.V.スター冠講座教授、同大学日米経営経済研究所所長、ハーバード大学ケネディスクール兼任教授、東京大学大学院経済学研究科客員教授を歴任。 独ボン大学、英ケンブリッジ大学、京都大学、一橋大学客員教授を務めた。 元全米経済研究所(NBER)研究理事。米グーゲンハイム財団賞、日経図書文化賞、読売論壇賞受賞。
堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24… 堀川 孝夫(ほりかわ たかお、1931年(昭和6年)3月24日 - 1999年(平成11年)11月22日)は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取・会長。 秋田県秋田市出身。1953年(昭和28年)、東北大学卒業後、秋田銀入行。 職員組合委員長のほか、本部において企画や人事を長く担当。また秋銀初の外部団体への出向として、「八郎潟新農村建設事業団」へ派遣され、大潟村の大規模モデル農村づくりにも携わった。加えて支店長として初めて赴任した能代支店では、第一次オイルショックの影響を食い止めるべく奔走もした。 1991年(平成3年)、頭取に昇格。トップ在任時は不良債権処理に取り組み、1995年(平成7年)度にはいわゆる住専向け融資、翌年度には「秋田県木造住宅」向けの融資の大半を償却させ、不良債権処理に目処をつけた。
明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 … 明石 康(あかし やすし、1931年〈昭和6年〉1月19日 - )は、日本の外交官、国際公務員、政治家。特定非営利活動法人 Reach Alternatives(REALs)顧問、国際教養大学名誉教授、同大学トップ諮問会議委員、名城大学アジア研究所名誉所長、群馬県立女子大学外国語教育研究所所長、京都文教学園学術顧問、神戸大学特別顧問・特別教授。国際連合事務次長や国際連合事務総長特別代表を歴任。 戦国時代のキリシタン武将の明石全登の子孫であるといわれている。母親の実家は、忠犬ハチ公の生家であった。 秋田県北秋田郡扇田町(現在の大館市比内町扇田)出身。築山小学校在学時に秋田市に移住。県立秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)から旧制山形高校(現在の山形大学人文学部および理学部)を経て、東京大学に進学。
斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は… 斎藤 正三郎(さいとう しょうざぶろう、1931年 - )は、秋田県出身で産総研東北センター顧問・元東北大学工学部教授。
井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2… 井上 隆明(いのうえ たかあき、1930年12月6日 - 2021年1月9日)は、日本近世文学研究者、秋田経済法科大学元学長、同大名誉教授、ノースアジア大学名誉学長。秋田県鹿角市毛馬内生まれ。本籍は群馬県 父の転勤に従い、秋田や山形へ赴く。1950年(昭和25年)秋田中学校を卒業し、早稲田大学第一文学部卒業。傍ら金子光晴、八木義徳らに師事し、小説方法史を専攻した。卒業後は秋田魁新報記者となる。1987年「江戸戯作の研究: 黄表紙を主として」で早稲田大学より文学博士の学位を取得。 秋田経済大学・秋田短期大学助教授、教授を経て、秋田経済法科大学教授。1995年から2001年まで同大学長(在任期間のうち、1997年までは秋田短期大学の学長、のち秋田経済法科大学短期大学部の学長を兼任)、同大名誉教授。
牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 199… 牧 冬吉(まき ふゆきち、1930年11月28日 - 1998年6月27日)は、日本の俳優。本名、岡村 信行。 秋田県大館市出身。秋田県立大館鳳鳴高等学校卒業。松竹芸能に所属していた。 父は公務員で、四男二女の次男。高校卒業後、舞台芸術学院に入学する。1951年に舞台芸術学院を中退し「前進座」に入座。その後、舞台芸術学院の仲間と劇団「舞芸座」を創設し、シェークスピア劇などを演じるが生活は苦しく、アルバイトに明け暮れていた。この間に監督の船床定男と知り合い、宣弘社制作のテレビドラマ『豹の眼』(KRテレビ)の敵役「殺し屋ジョー」役でテレビドラマにデビューする。引き続き同社制作の『快傑ハリマオ』でも敵役を演じる。
人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 198… 人見 きよし(ひとみ きよし、1930年8月1日 - 1985年5月22日)は、秋田県出身の俳優、コメディアン。本名は五十嵐 孝治。 1948年、森川信一座に入り、関西中心に喜劇で活躍。その後、朝日放送のドラマ『びっくり捕物帖』でテレビ初出演。1961年放送の『スチャラカ社員』では「ほんと、ちい〜とも知らなかったわァ」が流行語になった。『てなもんや三度笠』などに出演。その後テレビ、映画、吉本新喜劇などの舞台に数多く出演。時代劇や刑事ドラマでは、コミカルな役や普段のイメージとは違う悪役を多く演じた。家庭での素顔は子煩悩で優しい父親だったという。 1985年5月20日朝6時頃、自宅トイレで吐血して倒れているところを家族に発見される。
荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年… 荒井 献(あらい ささぐ、1930年5月6日 - 2024年8月16日)は、日本の新約聖書学者・グノーシス主義研究者。学位は、神学博士(ドイツ・エアランゲン=ニュルンベルク大学)。東京大学名誉教授、恵泉女学園大学名誉教授。日本学士院会員。 1930年(昭和5年)、秋田県大曲市(現大仙市)で生まれた。秋田県立秋田高等学校より東京大学へ進み、1954年、東京大学教養学部を卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、西洋古典学を専攻した。1959年に博士課程を単位取得満期退学。その後はドイツ・フリードリヒ・アレクサンダー大学エアランゲン=ニュルンベルクに留学し、『ナグ・ハマディ写本』中の『真理の福音』のキリスト論に関する学位論文を提出して神学博士の学位を得た。
相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 20… 相馬 剛三(そうま ごうぞう、1930年2月10日 - 2004年5月21日)は、日本の俳優。秋田県北秋田郡鷹巣町出身。晩年の所属は株式会社仕事。
鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 … 鍋谷 鐵巳(なべや てつみ、1930年(昭和5年)1月2日 - 2010年(平成22年)4月4日)は、元体操選手。 秋田県能代市出身。能代市立渟城第二小学校、秋田県立能代中学校(後に秋田県立能代南高等学校、秋田県立能代高等学校と改称)、東京教育大学(後に筑波大学と改称)を経て、慶應義塾大学法学部政治学科に入学する。能代中学校時代、第1回国民体育大会において、中等学校男子個人総合優勝(2位は同中学後輩の小野喬)。東京教育大学在学中、第3回及び第4回全日本学生体操競技選手権大会の個人総合選手権において優勝。第5回国民体育大会、第8回国民体育大会において一般男子団体優勝。慶應義塾大学在学中、日本が戦後初めて参加した1952年ヘルシンキオリンピックに出場し、団体総合で5位入賞を果たした。
佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、… 佐藤 菊夫(さとう きくお、1929年 11月4日- )は、日本の指揮者。東京管弦楽団音楽監督。東京合奏団主宰・音楽監督。世田谷区民吹奏楽団音楽監督。 国立音楽大学卒業。ウィーン国立音楽大学修了。秋田県秋田市土崎港の生まれ。妻は西川清子(チェンバロ奏者)。 1954年、国立音楽大学卒業。1956年、ウィーン国立音楽大学(オーストリア)に留学し、1960年、同大学の指揮・作曲科を修了。なお、妻の西川清子(挙式は1957年5月)も一緒に留学していた。ウィーン・アカデミー管弦楽団、ウィーン古典合奏団に入団して活動。 その一方、ウィーン少年合唱団の日本招へいなど、オーストリアと日本の音楽交流で尽力。 1961年の日本帰国後、1962年から指揮者として東京交響楽団などを担当。
野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月… 野呂田 芳成(のろた ほうせい、1929年〈昭和4年〉10月25日 - 2019年〈令和元年〉5月23日)は、日本の政治家。位階は正三位。勲等は勲一等旭日大綬章。 農林水産大臣(第22代)、防衛庁長官(第61代)、衆議院予算委員長、衆議院国家基本政策委員長、衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)を歴任。 秋田県能代市出身。中央大学法学部卒業。国家公務員上級試験に合格し、1953年4月、中大卒業後に建設省に入省。山形県や茨城県への出向を経験。建設大臣官房文書課長を最後に1977年に建設省を退官した。 建設省退官後、同年の第11回参議院議員通常選挙に秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し、初当選した。
加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 20… 加藤 日出男(かとう ひでお、1929年8月31日 - 2019年12月22日)は、日本の社会運動家、随筆家。 日本の高度経済成長期、地方から集団就職した勤労青年たちの交流サークル「若い根っこの会」を創設し、亡くなるまで会長を務めた。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田中学校(現・秋田県立秋田高等学校)を経て、1946年に秋田鉱山専門学校(現・秋田大学)に入学するが翌年中退、しばらく住み込みで農業に従事。1953年、東京農業大学農学部農業経済学科卒業。在学中、青山ほとりに合わせ大根を持って応援を行う「大根踊り」を考案したという説がある(異説あり。詳細は青山ほとり#大根踊りを参照)。 1952年から1958年にかけ、東農大在学生のサークル「あすなろ会」、および若者の交流サークル「経堂青年会」「雑草の会」「東京青年の会」を立ち上げる。
佐々木 潤之介(ささき じゅんのすけ、1929年7月16日 … 佐々木 潤之介(ささき じゅんのすけ、1929年7月16日 - 2004年1月23日)は、日本近世史学者。民衆史に着目し、「世直し状況」論、「幕藩制国家」論を提唱した。一橋大学名誉教授。一橋大学教授・早稲田大学教授・歴史学研究会編集長を歴任。 1929年、秋田県大館市で生まれた。秋田県立大館中学校(現・秋田県立大館鳳鳴高等学校)、東京高等学校を経て、東京大学文学部国史学科で学んだ。1953年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科に進み、1960年に博士課程を修了。終了時に東京大学に提出した学位論文は『幕藩制下基礎構造の研究』であり、文学博士号を取得。 1960年より法政大学第二高等学校教諭として勤務。
伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25… 伊藤 助成(いとう じょせい、1929年(昭和4年)5月25日 - 2005年(平成17年)4月21日)は、日本の実業家。 日本生命保険の社長や会長、経済同友会副代表幹事、生命保険協会会長を務めた。また生命保険業界出身者としては初めて経団連副会長を務めた。日本人として8人目の「保険の殿堂」入り。 秋田県羽後町出身。羽後町立羽後中学校、秋田県立湯沢高等学校を経て、1953年(昭和28年)に一橋大学経済学部を卒業し、日本生命入社。大阪本社人事課配属。大学では中山伊知郎ゼミナールに所属。大学同期の渡辺滉(元三和銀行頭取)と親しい仲であった。のちに日本生命副会長や東京オペラシティ文化財団初代理事長を務めた小林玉夫は大学同期で同期入社。
大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日… 大戸崎 祐慈朗(おおとざき ゆうじろう、1929年4月24日 - 1993年3月13日)は、秋田県秋田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は棚谷 勇治。168cm、74kg。最高位は西十両2枚目。得意技は右四つ、投げ。 1949年5月場所で初土俵。新序で好成績を挙げ、序ノ口を飛び越えて序二段で12勝3敗の好成績でいきなり序二段優勝、その後も順調に番付を上げ、1953年9月場所で十両に昇進。1956年9月場所は自己最高位となる十両2枚目まで番付を上げるなど一時期は十両上位で定着し入幕も期待されたが、胃腸疾患で途中休場した1958年11月場所限りで廃業した。
植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3… 植村 伴次郎(うえむら ばんじろう、1929年〈昭和4年〉3月30日 - 2019年〈令和元年〉10月15日)は、日本の実業家、東北新社創業者である。 1929年3月に秋田県由利郡東滝沢村(現:由利本荘市)前郷で生まれ、第二次世界大戦の終戦直前まで同地で育つ。戦時中は、群馬県邑楽郡小泉町(現:大泉町)にあった中島飛行機の工場で学徒動員を経験した。1945年3月に旧制本荘中学校を卒業する。 1950年代からは新橋にて「COMO」というバーを経営。黒柳徹子など当時の若手俳優が集ったという。 1961年4月1日、海外番組の日本語吹き替えを制作する東北新社を創業し、以後代表取締役社長として長く経営した。
鎌田 典三郎(かまた のりさぶろう、1928年11月10日 … 鎌田 典三郎(かまた のりさぶろう、1928年11月10日 - 1999年3月20日)は、日本の音楽家、音楽教育者。秋田県生まれ。 秋田県南秋田郡払戸村(1956年琴浜村に合併後、町制施行で若美町となり、2005年に男鹿市に合併)生まれ。朝鮮清州師範学校音楽科卒。海軍生活の後、当時の男鹿町の小学校で教鞭をとる。 同じく秋田出身の石井漠に見出されて上京し、1951年、東京都大田区の大田区立西六郷小学校に赴任した。 1955年、放課後、音楽室で歌唱指導を始めたのを元にし、ウィーン少年合唱団を模して、合唱団を結成した。これが、西六郷少年合唱団(のちの西六郷少年少女合唱団)である。 1960年代、各合唱コンクールにおいて、優秀な成績を修めた。
小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日… 小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日 - 2010年(平成22年)11月8日)は、秋田県出身の詩人。第7回小熊秀雄賞受賞。本名小坂 芳太郎(こさか よしたろう)。 秋田県雄勝郡西馬音内町(現、羽後町)生まれ。旧制県立横手中学校卒。1951年(昭和26年)より郷里の中学校にて教職に就き、1989年(平成元年)羽後町立三輪中学校(教頭)を定年にて退官。教職の傍ら郷里を基底に詩作を続け、1960年(昭和35年)に思潮社より第一詩集『北方の眼』を刊行。生涯に詩集十冊のほか、評論や随筆集などを著した。1973年(昭和48年)詩「米」(『北の儀式』所収)にて第十回総評文学賞、翌1974年に第四詩集『北の儀式』にて小熊秀雄賞、1987年(昭和60年)には第八詩集『北の鷹匠』で秋田県芸術選奨を受賞している。
宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - … 宮越 郷平(みやこし きょうへい、1928年4月25日 - 2013年6月23日)は、日本の作家。秋田県出身。本名、道晃(どうこう)。 1928年(昭和3年)、西仙北町刈和野(現:大仙市)生まれ。秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、1948年(昭和23年)駒澤大学予科卒業。同年駒澤大学国文科中退。舞台芸術学院修了後、舞台座に入団。その後、小学校教員を経て角館南高校教諭、県教育庁社会教育課長、県生涯学習センター所長。秋田県コミュニティ・カレッジ学長を経て、秋田県社会教育委員連絡協議会長を歴任。 1955年(昭和30年)から1966年まで魁新年文芸に「ある挿話」など入選8回。その間、中編小説に「夜ぶりの頃」が第一席、「河岸段丘」が『家の光』連載小説で佳作。
加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 … 加藤 富夫(かとう とみお、1928年(昭和3年)4月3日 - 1977年(昭和52年)12月2日)は、日本の小説家、教員。 秋田県雄勝郡湯沢町(現・湯沢市)生まれ。1968年に文學界新人賞を受賞したほか、1971年から1975年にかけて四度芥川賞候補となった。 秋田県立横手中学校(現・横手高等学校)在学中に予科練に入隊し、土浦海軍航空隊で桜花特攻要員として訓練中、秋田県北秋田郡合川町(現・北秋田市)の大野岱で終戦を迎えた。復員後、秋田県立湯沢南高等学校(現・湯沢高等学校)から秋田大学学芸学部(現・教育文化学部)英語科に進み、1954年(昭和29年)3月に卒業。秋田県の高校英語科教員として、横手・湯沢北 ・湯沢高校などで教鞭を執った。
土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 … 土方 巽(ひじかた たつみ、1928年〈昭和3年〉3月9日 - 1986年〈昭和61年〉1月21日)は、日本の舞踊家、振付家、演出家、俳優。暗黒舞踏の創始者として、国際的に知名度の高い舞踊家である。 『慈悲心鳥がバサバサと骨の羽を拡げてくる』土方巽 著、吉増剛造 筆録(書肆山田、1992年) あんま(1963年・2007年、白黒、20分) バラ色ダンス(1965年・2007年、白黒、13分)
阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月… 阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月)は、日本の魔方陣研究者。「方陣界の超人」と称されている。 高校卒業後、家業の漆業の職人となる。高校時代に秋田県秋田市の古本屋で方陣の本に出会い、それ以降漆業の傍ら方陣の研究に邁進する。 2008年には「正方形分割224魔方陣」が東京の国立科学博物館で開催された「数学 日本のパイオニアたち : 関孝和三百年祭記念」(真島秀行, 渡辺純成執筆・監修 ; 国立科学博物館展示課編集)において展示された。この展示の中で阿部楽方は唯一故人ではない。この世界最高峰の方陣はサイエンスナビゲーターの桜井進が解説している。 以下に桜井の解説をもとにした概要を記す。
山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月3… 山田 敬蔵(やまだ けいぞう、1927年(昭和2年)11月30日 - 2020年(令和2年)4月2日)は、日本のマラソン選手。1952年ヘルシンキオリンピック男子マラソン日本代表。現役時代の所属は同和鉱業花岡鉱業所。 秋田県北秋田郡大館町(現在の大館市)出身。15歳の時に満蒙開拓青少年義勇軍に志願して中国大陸・満洲国へ渡った経歴を持つ。満洲時代に2,000mや10,000mを走って自信をつけたことを語っている。 第二次世界大戦終了後に満洲から引き揚げ、秋田へ帰郷してから本格的に陸上競技に取り組むようになる。1949年の第4回国民体育大会(東京都)に秋田県代表として一般男子マラソンに出場し、この時に初めて42.195 kmのフルマラソンを走った。
上田 健一(うえだ けんいち、1927年2月2日 - 201… 上田 健一(うえだ けんいち、1927年2月2日 - 2016年10月18日)は、毎日新聞元主筆であり、毎日新聞社元社友。また「日本エッセイスト・クラブ」元理事長。 秋田県秋田市出身。1951年早稲田大学政治経済学部卒業。読売新聞の渡邉恒雄とは東京大学新聞研究所(現・東京大学大学院情報学環教育部)の同期で、長きに渡る交友がある。1951年4月毎日新聞東京本社入社。社会部および政治部記者としてキャリアを積み、同社北米総局次長、ワシントン支局長、政治部長、論説委員長、大阪副代表兼編集局長を経て、1980年同社取締役に就任、同年主筆兼東京本社編集局長。1983年1月より同社顧問。1965年より1990年まで、随時TBS系列の「JNNニュースコープ」などの番組でニュースキャスターとして出演。
細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 201… 細谷 昭雄(ほそや あきお、1927年1月10日 - 2014年3月12日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)を歴任した。 秋田県仙北郡神岡町(現大仙市)出身。旧制秋田県立横手中学校(現在の秋田県立横手高等学校)を経て、秋田大学学芸学部(現在の秋田大学教育文化学部)卒。卒業後は小中学校教員になり、秋田県教職員組合仙北支部書記長、同支部長、大曲仙北郡労事務局長、同議長、日本社会党大曲仙北総支部執行委員長などを経て、1971年秋田県議に当選し2期務めた。1979年の第35回衆議院議員総選挙で秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選し、翌1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。
滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没… 滝田 政治(たきた まさはる、1926年10月26日 - 没年不明)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。左打者。 秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)を卒業後、秋田鉱山専門学校(現:秋田大学)に入学。 卒業後はノンプロの中央工業に所属し、1948年、外野手として急映に入団。1949年からは大映に移籍、1950年には初めて規定打席(33位、打率.249)に達する。1952年6月22日にはサイクルヒットを達成し、同年は63試合に先発出場。翌1953年は一塁手に転向、開幕から三番打者として活躍しチームの3年ぶりの3位進出に貢献した。1954年は自己最高の打率.283(14位)を記録する。
川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - … 川俣 健二郎(かわまた けんじろう、1926年7月5日 - 2016年1月24日)は、日本の政治家。元衆議院議員。秋田県雄勝郡(現・湯沢市)出身。議員当時は日本社会党に所属。 旧制県立横手中学校(秋田県立横手高等学校の前身)から早稲田大学政治経済学部政治学科を経て、同和鉱業に入社。同社の労働組合の役員等に着いた後、義父である川俣清音の糖尿病悪化に伴い後継候補として衆議院議員選挙に秋田2区から出馬、当選。以後8期連続で当選し予算委員会理事などを歴任した。また党内の右派グループ「政権構想研究会」代表を務めるなど、社会党右派の実力者として君臨した。また、自民党内などでも渡辺美智雄と親交があり、隣町の出身の秋田県選出の現自民党衆議院議員金田勝年〔元外務副大臣、参議院議員〕らと親交がある。
辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26… 辻 兵吉(つじ ひょうきち、1926年(大正15年)5月26日 - 2008年(平成20年)7月5日)は、日本の実業家。辻兵グループ総帥。日本青年会議所、秋田商工会議所会頭、日本バスケットボール協会会長などを務めた。秋田県秋田市出身。 秋田県屈指の素封家である1856年(安政3年)創業の呉服店「辻兵」に生まれた。辻兵太郎の息子。秋田県立秋田中学校(現:秋田県立秋田高等学校)、東京商科大学(現:一橋大学)を卒業後、高島屋飯田(現:丸紅)に入社。 1952年(昭和27年)、五代目兵吉を襲名。以後、辻兵・辻不動産・秋田いすゞ自動車などの辻兵グループ企業のトップを務め、同グループを秋田県下有数の企業グループまでに育てた。
佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1… 佐々木 満(ささき まん(実際の読みは、ささき ゆたか)、1926年4月20日 - 2022年4月7日)は、日本の政治家、官僚。自由民主党所属で参議院議員(4期)を務めた。 秋田県雄勝郡山田村出身。秋田県立能代高等学校、東京大学法学部卒業。大学卒業後、自治省に入省。後に秋田県庁に移り、厚生部長などを歴任。山崎五郎の死去に伴う1976年の参議院議員補欠選挙に秋田県選挙区から自民党公認で立候補し初当選。連続当選4回。党内では中曽根康弘→渡辺美智雄派に属し、北海道開発政務次官、自民党参議院政策審議会長などを務めた後、1990年第2次海部改造内閣の総務庁長官として初入閣。1995年には政府が提出した宗教法人法改正案を審議する参議院宗教法人等に関する特別委員長に就任したが、創価学会を基盤とする野党の新進党の強い反発で審議は混乱し、精神的にも肉体的にも自信を失った佐々木は健康上の理由で委員長を辞任。
白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日… 白龍山 慶祐(はくりゅうやま よしひろ、1926年3月10日 - 1968年8月25日)は、秋田県雄勝郡雄勝町(※現役当時、現・同県湯沢市)出身で荒磯部屋(入門時は伊勢ヶ濱部屋)に所属した大相撲力士。本名は金子 寅男(かねこ とらお)。最高位は西前頭12枚目(1956年3月場所)。現役時代の体格は176cm、109kg。得意手は右四つ、寄り、内無双。 14歳の時に上京し、同郷の元関脇・清瀬川が率いる伊勢ヶ濱部屋(後、荒磯部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵を踏んだ。 「両邦山」の名で番付に載るまでに2年かかるなど当初は苦戦したが、その後は順調に番付を上げ、1947年11月場所で新十両に昇進。
本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001… 本間 光夫(ほんま みつお、1926年2月7日 - 2001年5月31日)は、日本の医学者、内科医。慶應義塾大学医学部名誉教授・元JT医薬基礎研究所所長。秋田県出身。 1977年にベルツ賞2等賞を受賞し、1992年に紫綬褒章、1998年に勲三等瑞宝章を受章。2001年5月31日、腎不全のため死去。
穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不… 穂積 生萩(ほづみ なまはぎ、1926年1月4日 - 没年不明)は、日本の女流歌人。本名澤木 数枝。 山林大地主で資産家の澤木再吉の末娘として秋田県男鹿に生まれる。1928年、東京府荏原郡田園調布(東京都大田区田園調布)に移住。1943年、高等女学校を卒えて鈴木亨のもとで古事記を学ぶ。叔父澤木四方吉(慶應義塾大学部文学科教授)が折口信夫の旧友だった影響により、折口に傾倒。1944年4月、戦災を避けて秋田に帰郷。 1948年、折口の媒酌により、酒類評論家で技術士の穂積忠彦(俳優穂積隆信の兄)と結婚。1952年、折口から「生萩」の号を受ける(故郷秋田のナマハゲに由来)。 1975年4月、穂積と離婚。
出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2… 出口 廣光(でぐち ひろみつ、1925年11月17日 - 2000年10月30日)は、日本の政治家、官僚、地方公務員。参議院議員(1期、自由民主党)。 秋田県秋田市出身。1949年東北大学法文学部経済学科卒。自治庁に入り、三重県児童課長、青森県広報文書、労政各課長を経て、経済企画庁に出向。福岡県医務、地方各課長、自治大学校教務部長、労働省大臣官房付、大分県企画部長、自治省大臣官房調査官を歴任。1971年に秋田県庁に出向し、総務部長、出納長、副知事を歴任する。1983年の第13回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から自由民主党公認で立候補し当選。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。落選後は秋田県信用保証協会会長や県交通安全協会会長などを務めた。
大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 … 大ノ浦 一廣(おおのうら かずひろ、1925年10月21日 - 1987年3月26日)は、秋田県能代市出身で花籠部屋(入門時は二所ノ関部屋)に所属した大相撲力士。1950年代から1960年代にかけ、十両・幕内力士として活躍した。本名は水木 一廣(みずき かずひろ)。現役時代の体格は171cm、99kg。最高位は西前頭16枚目(1957年9月場所)。得意手は左四つ、投げ、二枚蹴り、足癖など。 若い頃から地元の素人相撲で活躍していたが、1947年秋に上京し、二所ノ関部屋へ入門。同年11月場所で初土俵を踏んだ。 同場所では番付外で全勝し、途中からは新序に昇格して相撲を取った。そこでも勝ち越したので、翌年5月場所の番付では序ノ口を飛び越して、序二段の地位に四股名が載った。
夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - … 夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - 2006年9月13日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 21歳で柔道を始めた晩学ながら第1回世界選手権大会や全日本選手権大会を制した。現役引退後は秋田県警警察官としての道を全うし、後には全日本柔道連盟評議委員や東北柔道連盟会長等を務めて柔道界の運営に携わった。 秋田県男鹿市船川に生まれる。幼少期から運動神経は抜群で、いわゆる“わんぱく坊主”として近所でもよく知られていた 秋田工業高校入学と同時に、夏井の体格の良さ・足腰の強さに目を付けたラグビー部に勧誘され、入部後はロックとして活躍した。この頃の夏井は柔道の経験は無いが、体が大きいために柔道の試合には臨時選手として引っ張り出されたりもしている。
五井 孝蔵(ごい こうぞう、1925年4月15日 - 200… 五井 孝蔵(ごい こうぞう、1925年4月15日 - 2007年1月12日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手、内野手)。 旧制秋田県立角舘中學校から立教大学へ進学し、主将を務めた。リーグ通算13勝32敗。 1950年に創立された近鉄パールスへ入団。3月31日に対毎日オリオンズ戦でプロ入り初登板、5安打5与四球2奪三振の内容で完封勝利を挙げた。初登板完封勝利は日本プロ野球史上10人目、球団およびパ・リーグでは初めての記録となった。この年は37試合を投げて8勝15敗の成績だった。1951年9月16日の対阪急ブレーブス戦で、野口二郎からパ・リーグ史上初、日本プロ野球史上3人目の代打サヨナラ本塁打を放っている。