松澤 昭(まつざわ あきら、1925年3月6日- 2010年… 松澤 昭(まつざわ あきら、1925年3月6日- 2010年8月13日)は、東京出身の俳人。東京府滝野川町(現北区)生。父は「雲母」同人の松澤鍬江。少年時代より萩原朔太郎、三好達治に憧れて詩作を試み、また10代の頃より松澤家の常連来客である松村蒼石らを知り俳句に興味を持つ。1944年、学徒動員時代に句作を開始。1946年、法政大学経済学部を卒業。この年に飯田蛇笏に会い師事する。1953年、「雲母」同人。1956年より現代俳句協会会員。1961年、石原八束、文挾夫佐恵、柴田白葉女らとともに「秋」を創刊。主宰を務める。1962年、「秋」主宰を辞し、1964年「四季」を創刊・主宰。2000年、現代俳句協会会長に就任。
石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24… 石田 次男(いしだ つぎお、1925年〈大正14年〉2月24日 - 1992年〈平成4年〉2月4日)は、日本の政治家、宗教家。公明党所属の参議院議員、創価学会理事、初代九州総支部長を務めた。 のちに、創価学会の反対派(批判者)になり、創価学会への批判活動を行っていた。 詳細は「創価学会#創価学会に対する批判」を参照。 1925年(大正14年)2月24日、秋田県鹿角市生まれ。芝浦工業専門学校を卒業後、1950年1月、創価学会に入会する。創価学会秘書室を経て、聖教新聞編集長、1951年7月11日、男子部第一部隊長(小岩、向島、城東各支部青年部担当)、1953年1月2日、創価学会小岩支部長に就任し、特に教学方面を担当する。
加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 201… 加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 2012年10月7日)は、日本の経済学者。静岡大学名誉教授。専門はイギリスの経済・政治思想。 秋田市生まれ。秋田市商業学校(現・秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、福島経済専門学校(現・福島大学)に進学、その後、1949年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。秋田大学学芸学部助教授、1971年静岡大学教養部助教授、1972年教授、1977年教養部長、1982年学長、1987年定年退官、名誉教授、1991年「トマス・モアの社会経済思想」で東京経済大学経済学博士。 甥は予備校講師の今井宏。今井は「経済学者ではあるが、物静かな文学青年タイプの人で、著書にもその傾向が常につきまとった」と伯父・加藤のことを評している。
日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19… 日沼 頼夫(ひぬま よりお、1925年(大正14年)1月19日 - 2015年(平成27年)2月4日)は、日本の医学者、ウイルス学者。成人T細胞白血病の成因がウイルスであることを指摘した。京都大学・熊本大学名誉教授。秋田県名誉県民。
分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - … 分銅 惇作(ふんどう じゅんさく、1924年9月23日 - 2009年1月29日)は、日本の近代日本文学研究者。東京教育大学教授・実践女子大学教授を経て、同大学長・名誉教授。1999年勲三等瑞宝章受章。 秋田県南秋田郡五城目町出身。旧制秋田中学校(現在の秋田県立秋田高等学校)等を経て東京文理科大学卒業。 その後、高校教諭、東京教育大学教授、実践女子大学教授、同大学長(1993年)。のち名誉教授。1999年秋、勲三等瑞宝章受勲。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - … 平鹿川 泰二(ひらかがわ たいじ、1924年3月31日 - 1992年4月11日)は、秋田県平鹿郡雄物川町(現役当時、現・同県横手市)出身で立浪部屋(入門時は春日山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は佐藤 泰治(さとう たいじ)。最高位は西前頭13枚目(1957年5月場所)。現役時代の体格は179cm、100kg。得意手は左四つ、上手投げ、下手投げ。 地元の小学校を卒業後上京し、蒲田区(現・大田区)内の製薬会社に勤務していたが、16歳の時に角界入りを決意。元関脇・藤ノ川雷五郎が率いる春日山部屋へ入門し、1941年1月場所で初土俵を踏んだ。同期生には、後に年寄・春日山を襲名することとなる藤川(後、「信州」から「大昇」へ改名、最高位・前頭筆頭)らがいる。
長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1… 長谷部 七郎(はせべ しちろう、1924年3月19日 - 1976年10月5日)は、日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員(1期)。 秋田県出身。1941年秋田県立金足農業学校(現・秋田県立金足農業高等学校)卒。農林省秋田食糧事務所に入り、全食糧労組秋田支部委員長、1955年から秋田県議を4期務め、1969年の第32回衆議院議員総選挙において秋田2区から日本社会党公認で立候補して当選、1期務めた。1972年の第33回衆議院議員総選挙で落選した。1976年死去。
高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月2… 高木 吉友(たかぎ よしとも、1924年(大正13年)1月25日 - 1991年(平成3年)6月3日)は、日本の実業家。 秋田県雄勝郡院内町出身。旧姓は伊藤。明治大学法学部中退。 養父から受け継いだ商店を企業として発展させ、不動産・旅行代理店・家電量販店等の事業にも進出。首都圏を代表するスーパーマーケットチェーン忠実屋を築き上げた。1954年に株式会社化すると社長に就任し、1991年に会長となった。同年6月3日、心不全のため死去。 1987年藍綬褒章を受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年… 森 幹太(もり かんた、1924年1月19日 - 2000年11月15日)は、日本の俳優。本名:鈴木 威。秋田県由利郡下浜村(現 秋田市)出身。
永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 -… 永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 - 2018年4月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田中学(現・秋田県立秋田高校)時代は、第27回全国中等学校優勝野球大会が日中戦争の激化により中止されるなど甲子園出場はなし。専修大学を経て1949年に読売ジャイアンツに入団。同年2試合に出場するも、翌1950年に引退。 2018年4月25日に老衰のため死去。
高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児… 高橋宏幸(たかはし ひろゆき、1923年-2010年)は、児童文学者、挿絵画家。 秋田県由利本荘市東由利老方に生まれる。旧下郷村立老方小学校、旧制秋田中学校(現秋田県立秋田高等学校)卒業。在校中、全国中等柔道大会で準優勝。柔道は講道館五段。旧秋田鉱山学校(現秋田大学工学資源学部)卒業後、入隊。1943年から45年にかけ満州・千島に転戦。1946年小峰書店取締役初代編集長。退任後、日本初の出版プロダクションを設立。1972年「チロヌップのきつね」を機に作家となる。1990年の「オオカミ王ぎん星」で日本児童文芸家協会賞受賞。日本児童文芸家協会理事長、日本児童文芸家協会顧問、産経児童出版文化賞選考委員を務め、実作指導も行った。
関 信弘(せき のぶひろ、1923年 - 2010年)は、日… 関 信弘(せき のぶひろ、1923年 - 2010年)は、日本の機械工学者。北海道大学名誉教授。初代北海道職業訓練短期大学校校長。初代日本熱物性研究会会長。 秋田県立大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)を経て、1945年北海道大学工学部機械工学科卒業、北海道大学工学部機械工学科助手。1952年北海道学芸大学助教授。1961年北海道大学工業教員養成所教授。1962年工学博士。1969年北海道大学工学部機械工学科教授。1980年初代日本熱物性学会会長。1986年北海道大学名誉教授、北海道職業訓練短期大学校校長。1990年移動大学講座運営委員会設立。1999年勲三等旭日中綬章受章。
緋縅 力弥(ひおどし りきや、1922年8月22日 - 19… 緋縅 力弥(ひおどし りきや、1922年8月22日 - 1970年1月2日)は、秋田県南秋田郡昭和町(現役当時、現・同県潟上市)出身で錦嶋部屋に所属した大相撲力士。本名は鎌田 全吉(かまた ぜんきち)。得意手は左四つ、寄り、吊り。現役時代の体格は179cm、120kg。自己最高位は、東前頭10枚目(1954年1月場所)。 18歳の時に上京して錦嶋部屋へ入門し、1941年1月場所で初土俵を踏んだ。 当初の四股名は、若大蛇(わかおろち)。間も無く、緋縅(ひおどし)と改名した(下の名は初めは新太郎、のち、力弥)。 序ノ口に付いてから、1度も負け越す事無く、1946年11月場所で十両昇進を果たした。 その後、1950年1月場所にて新入幕。
沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 198… 沢田 政治(さわだ まさじ、1922年6月18日 - 1985年10月15日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。 現在の秋田県鹿角市出身。東京帝国大学卒業後、三菱金属に入社。全日本金属鉱山労働組合副委員長、同事務局長、総評幹事などを歴任する。 1963年の第30回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1967年の第31回衆議院議員総選挙で落選した。同年、松野孝一(自由民主党)の死去による参議院議員補欠選挙で秋田地方区から立候補して初当選。2期務めた。この間、参議院建設委員長や参議院国会対策副委員長などを務めた。1977年の第11回参議院議員通常選挙では自民党公認の野呂田芳成に敗れて落選。
池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月… 池田 修三(いけだ しゅうぞう、1922年(大正11年)4月30日 - 2004年(平成16年)11月10日)は、秋田県由利郡象潟町(現在のにかほ市象潟)生まれの版画家。 父は開業医で、姉のほか男4人兄弟の3男として生まれる。 秋田県立本荘中学校(現:秋田県立本荘高等学校)を卒業後、1942年に東京高等師範学校(現:筑波大学)芸能科に入学。学業途中で陸軍工兵学校に入隊するが、敗戦で東京高等師範を繰り上げ卒業した。 1946年、秋田県立由利高等学校に美術科教諭として赴任し、1952年には聖霊高等学校(現:聖霊女子短期大学付属高等学校)に移る。たまたま秋田を訪れていた画家の近藤良悦夫妻の知遇を得て、1955年同校を退職。
渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)… 渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)2月8日 - 2013年(平成25年)6月22日)は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手。 秋田市立土崎商業学校(現:秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、1941年に阪神軍に入団。その後、1944年(昭和19年)に応召。 1946年から大阪タイガースに復帰。同年は開幕投手を勤め、10勝を挙げる(12敗)。同年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では、13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間が僅か55分という、日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。この試合ではパシフィック先発の湯浅芳彰と投げ合い、被安打5・88球で完封勝ちした。
佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - … 佐々木 喜久治(ささき きくじ、1921年11月25日 - 2008年5月6日)は、日本の内務官僚、自治官僚、政治家。秋田県知事を務めた。 1921年、秋田県小坂町に生まれる。秋田県第三中学校(現:秋田県立横手高等学校)、東北帝国大学法文学部法学科(現:東北大学法学部)を卒業。1946年3月 内閣戦争調査会事務局、同年 東京都経済局、1948年 秋田県総務部地方課長、1950年4月 地方財政委員会事務局税務部、1955年 大阪府総務部庶務課長、1959年 自治省財政局公営企業課長、1965年10月 自治省税務局財務課長、1966年7月 徳島県副知事、1971年9月 自治省税務局長等を歴任。 1973年11月に消防庁長官に就任。
千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 199… 千葉 治平(ちば じへい、1921年10月31日 - 1991年6月23日)は、秋田県仙北市(旧田沢湖町)出身の小説家。本名は堀川 治平(ほりかわ じへい)。秋田県出身者としては、第41回(1959年)の渡辺喜恵子に次ぐ2人目の直木賞受賞者。 秋田工業学校(現・秋田県立秋田工業高等学校)で電気科を学び、1940年で旧満洲で満鉄調査部科学研究所入社を経て、南満洲工業専門学校を卒業した。 終戦後は故郷の秋田に戻り、農業の傍ら「月刊さきがけ」で懸賞小説に応募して、一席入選し、伊藤永之介に師事し、共に秋田文学を創刊する。 1966年に「秋田文学」23号から27号まで連載された「虜愁記」は第54回直木賞を受賞した。
成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5… 成田壽一郎(なりた じゅいちろう、1921年(大正10年)5月6日 - 2001年(平成13年)4月15日)は秋田県能代市出身の木工家、著述家、教育者。 秋田県立能代工業学校木材工芸科を卒業後、海軍省艦政本部に就職。その後東京高等工芸学校卒業ののち、日本楽器に就職。大日本帝国陸軍航空技術予備役少尉。 軍隊からの復員を果たした後、故郷へ戻り1953年(昭和28年)3月まで秋田県立能代工業高等学校木材工芸科教師を努める。1958年(昭和33年)4月より千葉大学工業短期大学部木材工芸科講師に就任した。その後1978年(昭和53年)に千葉大学建築工学科講師を経て、1985年(昭和60年)2月14日工学博士を取得し、教授に昇格。
渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は… 渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。 秋田市立土崎商業学校(現・秋田市立秋田商業高校)では渡辺誠太郎と共に投手として活躍した。渡辺誠太郎とは後にプロ野球においてもチームメイトとなっている。卒業後の1942年に阪神軍に入団した。 シーズン途中に大洋軍(後の大洋ホエールズとは無関係)に移籍したが、同年引退した。
三浦 久兵衛(みうら きゅうべえ、1921年頃[要出典] -… 三浦 久兵衛(みうら きゅうべえ、1921年頃[要出典] - 2006年)は、日本の漁師。 秋田県出身で、「最後のクニマス漁師」と言われ、田沢湖でクニマスが絶滅した後は、魚卵を分けたとされる地域での探索活動をおこなった。 田沢湖畔で代々漁師を営む家に生まれ、自身も漁師となる。長男によると、捕獲したクニマスについて「網を引き揚げる時の手の感触、キラキラ光る感じが忘れられない」と話していたという。 しかし、1940年に強酸性の川水を中和して発電や農業に利用する目的で、玉川の水が田沢湖に引き込まれ、それから1年以内にクニマスは姿を消した。三浦ら漁師は玉川の水を入れることで魚がいなくなることは予測していたが、「戦争に入って居り、国策遂行に逆らう事は国賊」(三浦自身の手記の表現)という事情で反対することはできなかった。
中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 198… 中田剛直(なかた たかなお、1920年11月8日 - 1980年1月21日)は、日本文学研究者、国文学者。 秋田県大館市生まれ。父は教育者。弘前高等学校卒、1943年東京帝国大学文学部国文科卒。池田亀鑑に師事。東京高等学校講師、48年要書房編集長。1957年獨協高等学校講師、1959年上智大学文学部助教授、66年教授。 『竹取物語』研究の新井信之の義弟。池田亀鑑没後、『池田亀鑑選集』、随筆集『花を折る』(いずれも至文堂刊)を、長野嘗一、木田園子らとともに編集・刊行した。 ・『古本竹取物語』 大修館書店 1968 ・『影印本紫式部日記』新典社、1968
大ノ森 金一(おおのもり きんいち、1920年8月5日 - … 大ノ森 金一(おおのもり きんいち、1920年8月5日 - 没年不明)は、秋田県平鹿郡大森町(現在の同県横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。本名は大黒 金一(おおぐろ きんいち、後、神谷(かみや)に改姓)。現役時代の体格は176cm、83kg。最高位は東前頭5枚目(1946年11月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、足癖。 16歳の時に上京し、1937年1月場所に於いて、伊勢ヶ濱部屋から初土俵を踏む。四股名は出身地の平鹿郡大森町から、「大ノ森」と名乗った。1938年1月場所で序ノ口に付いてからは、負け越しなしで順調に番付を上げた。1941年5月場所で十両に昇進。十両も2場所で通過し、1942年5月場所で入幕した。
井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月… 井上 了介(いのうえ りょうすけ、1920年〈大正9年〉4月10日 - 2000年〈平成12年〉12月7日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取、会長を歴任した。 秋田県秋田市出身。三菱銀行勤務を経て、秋田銀行入行。審査部長、仙台支店長等を歴任する。 1971年(昭和46年)に竣工となった現本店の建設地選考の際には、当時の役員ほぼ全員が旧本店跡地への建設へと傾いた中、企画部長であった井上が県庁、市役所などが集積し官庁街として新しい街並みが形成されつつあった「山王地区」の将来性に着目。3ヶ月で行内を説得し、同地区への新築へと構想を具体化したは長く行内でエピソードとして語り継がれた。 頭取在任時は、第二次オンラインシステムの稼動、預金残高1兆円の達成、CSモニター制の導入など営業体制の整備にあたった。
佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年… 佐藤 久(さとう ひさし、1920年4月1日 - 2020年3月23日)は、日本の地理学者、地形学者、東京大学名誉教授。 1938年に旧制・秋田県立秋田中学校(秋田県立秋田高等学校の前身)、1941年に旧制・水戸高等学校理科甲類を卒業し、東京帝国大学理学部地理学科に学ぶ。1943年9月に学部を卒業し、10月に大学院に進む。これは、第二次世界大戦戦時下での、繰り上げ卒業であり、また徴兵延期の扱いを受けた大学院特別研究生としての進学であった。戦時下では、田山利三郎が率いたニューギニア島調査に加わったり、陸地測量部嘱託となり、この頃から空中写真を利用して地形研究に取り組んだ。また、ニューギニアではマラリアに罹患し、その後の健康を損なったとされる。
佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日… 佐藤 敬治(さとう けいじ、1920年(大正9年)3月10日 - 2009年(平成21年)9月16日)は、昭和から平成期の政治家、教員。衆議院議員(6期)、大館市長。 秋田県大館市出身。1944年(昭和19年)東京帝国大学文学部社会学科を卒業。秋田県立大曲高等学校教諭を経て、1951年(昭和26年)大館市長に初当選。以降4期務めた。 1972年(昭和47年)日本社会党公認で第33回衆議院議員総選挙において旧秋田1区で初当選。6期務めた。1993年(平成5年)に政界から引退した。 2009年9月16日、死去。89歳没。死没日付をもって正八位から正四位に叙され、旭日重光章を追贈された。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 19… 大坂 志郎(おおさか しろう、1920年2月14日 - 1989年3月3日)は、日本の俳優である。 秋田県能代市に生まれる。父の大坂連治郎は萬町で貸金業、米問屋を営んでいた。母の志保は沢口村小森(現在の北秋田市)の味噌醤油醸造工場を営む名望家の神成千代治の娘。妹に人形作家・陶芸家の神成澪がいる。1927年、夫の浮気性に嫌気がさした母は、志郎と澪を連れて上京し、新宿で郷土居酒屋の「秋田」を営んだ。店には太宰治や井上靖、木下恵介、川島雄三、河西克巳などの文壇映画人が集い、志郎の映画デビューも彼らの影響であった。新聞配達で家計を支え、旧制・日本大学第二中学校を中退し、「新築地劇団」研究生になる。その後、早稲田高等工学校機械科を卒業、満州国鞍山市の昭和製鋼の社員を経て、1942年、松竹俳優研究所に入所し、1943年の吉村公三郎監督の『開戦の前夜』でデビューする。
阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 -… 阿部 新(あべ あらた、1919年(大正8年)8月17日 - 2009年(平成21年)1月8日)は、昭和時代の政治家。秋田県鹿角市長。 鹿角市出身。1943年(昭和18年)九州帝国大学農学部卒業。 花輪町農業会長を経て、1948年(昭和23年)秋田県庁に奉職。鹿角地方事務所経済課長を経て、1956年(昭和31年)鹿角郡花輪町長に当選。1972年(昭和47年)合併により初代鹿角市長となった。3期務め、1988年(昭和63年)4月、落選した。ほか、尾去鉱山観光代表を歴任した。2009年(平成21年)1月8日死去、89歳。死没日をもって従四位に叙される。
伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 … 伊藤 功(いとう いさお、1919年〈大正8年〉6月16日 - 2015年〈平成27年〉9月28日)は、昭和から平成時代の政治家。秋田県大曲市長。旧姓は杉山。位階は正六位。 大曲市(現・大仙市)出身。1937年(昭和12年)3月、秋田県立大曲農業学校卒業。同年4月から樺太庁に入り、殖産部林業課に勤務する。 1949年(昭和24年)角間川町役場に奉職し、1955年(昭和30年)合併により大曲市となる。大曲市財政課長、総務課長、1974年(昭和49年)収入役、1976年(昭和51年)助役を経て、1979年(昭和54年)大曲市長に当選。同年10月21日に就任した。2期務め、1987年(昭和62年)引退した。
後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年… 後藤 弘(ごとう ひろし、1919年6月6日 - 2001年6月26日)は、日本の公認会計士、税理士、俳人。 秋田県秋田市生まれ。別名・岡野等。秋田師範学校卒、1943年土浦海軍航空隊に入り、少尉に任官して大分、博多、谷田部で訓練し特攻隊を志願するが敗戦を迎える。1949年東北大学文学部卒。日本興業銀行ほか数社を経て、1957年日本能率協会に入り、経理部長、常務理事、監事、のち顧問。1980年文教大学情報学部教授、92年定年退職。日本能率協会の経営コンサルタントとして数100社に及ぶ一流企業のバランスシートを分析した。 文学に親しみ、学生時代、東北学生俳句連盟の「赤外線」の創刊に参加、1945年新俳句人連盟に入り投句。
大蛇潟 金作(おろちがた きんさく、1919年5月20日 -… 大蛇潟 金作(おろちがた きんさく、1919年5月20日 - 1986年3月21日)は、秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身で錦島部屋に所属した大相撲力士。本名は斎藤 金作(さいとう きんさく)。最高位は西前頭筆頭(1954年1月場所)。現役時代の体格は179cm、120kg。得意手は左四つ、寄り。引退後は、一時期年寄として日本相撲協会に在籍していた。 17歳の時に上京して錦島部屋へ入門し、1937年1月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、「十文字」。 間も無く、「矢留石(やとめいし)」に四股名を改め、1944年1月場所にて十両昇進を果たした。その後一時期幕下に陥落したものの、1947年6月場所で十両に復帰した際に錦島部屋ゆかりの「大蛇潟」と改名してからは上昇気流に乗り、1948年5月場所に於いて新入幕を果たした。
前ノ山 政三(まえのやま せいぞう、1919年5月17日 -… 前ノ山 政三(まえのやま せいぞう、1919年5月17日 - 没年不明)は、秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は佐藤 政三(さとう せいぞう)。得意技は左四つ、寄り。 秋田県平鹿郡平鹿町(現在の横手市)出身。16歳の時に上京して高砂部屋へ入門し、1937年1月場所で初土俵を踏んだ。 1944年5月、幕下上位で勝ち越し、新十両昇進を決めた。だが、すぐに応召、翌11月場所は休場した。まもなく復帰し、1945年6月には十両格で出場した。 戦時中、天皇と同じ名は畏れ多いと、「前ノ山」に改名。 その後、1946年11月場所で新入幕。左四つの体勢からの挟み付けるような寄りが得意だったが、勝ち味が遅く、幕内上位には上がれず、最高位は西前頭13枚目にとどまった。
照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1… 照國 萬藏(てるくに まんぞう、1919年1月10日 - 1977年3月20日)は、秋田県雄勝郡秋ノ宮村(現:秋田県湯沢市)出身で伊勢ヶ濱部屋に所属した大相撲力士。第38代横綱。本名は菅 萬藏(すが まんぞう)で、のちに大野 萬蔵(おおの まんぞう)となる。 1919年1月10日に秋田県雄勝郡秋ノ宮村の農家で生まれ、秋ノ宮第一尋常小学校を卒業後は家業である農業を手伝う。畑作業で土を掘ったり、収穫した野菜などを運搬するうちに力が付き、1930年の夏に「秋田に怪童あり」との評判を聞きつけた母の遠縁である5代伊勢ヶ濱から熱心に勧誘されたが、入門が嫌で逃げ回り、5代伊勢ヶ濱が訪問している間は実家に近寄らなかったほどだった。
渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 200… 渡会 伸(わたらい しん、1918年12月13日 - 2001年5月28日)は日本映画の録音技師。秋田県大館市出身。 1938年に東宝の録音助手として入社。東宝争議の際には人生労働組合の委員長を務めた。1957年より録音技師となり、岡本喜八の独立愚連隊シリーズや暗黒街シリーズにつく。『太平洋の翼』『日本のいちばん長い日』『激動の昭和史 軍閥』『トラ・トラ・トラ!』など戦争映画も多く手がけた。 2001年4月に行なわれた黒澤版『トラ・トラ・トラ!』スタッフ座談会では、黒澤明降板前後の事情について詳しく証言している。 この項目は、映画関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2… 高橋 晄正(たかはし こうせい、1918年6月20日 - 2004年11月3日)は、日本の医師。 秋田県仙北郡西木村(現仙北市)生まれ。1936年(昭和11年)旧制秋田県立角舘中學校を卒業し1941年(昭和16年)東京帝國大學医学部を卒業する。その後物療内科に入局し増山元三郎に推計学を紹介される。 漢方医学(鍼、経絡など伝統中国医学全般)を研究し、1966年(昭和41年)『漢方の認識』(NHKブックス)を出版。その後 論文「西洋医学と東洋医学-科学論の立場から-」(『保健の科学』 37(1):4-、1995年(平成7年))や著作『漢方薬Q&A』(1990年、『漢方薬は危ない』、『漢方薬は効かない』などで伝統中国医学及び漢方薬(副作用)を批判した。
川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 19… 川口 大助(かわぐち だいすけ、1918年3月5日 - 1981年2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)、秋田市長(3期)を務めた。 秋田県河辺郡新屋町(現在の秋田市新屋)出身。秋田県立秋田中学校(旧制、現在の秋田県立秋田高等学校)を卒業後、国鉄に入り、国労秋田地方本部委員長を務める。その後秋田県議になり、日本社会党秋田県本部書記長、同顧問となり、1959年の秋田市長選では社会党公認で立候補して初当選した。以来3期。1971年の秋田市長選では保守系候補の荻原麟次郎に敗れて落選した。1976年の第34回衆議院議員総選挙で秋田1区から日本社会党公認で立候補して当選。1979年の秋田県知事選に立候補したが落選した。
千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965… 千葉禎介(ちばていすけ、1917年10月19日 - 1965年)は、昭和の日本におけるアマチュア写真家である。秋田県仙北郡角館町に生まれ、2歳のとき横手市に転居した[出典無効]。1932年、高校卒業後、呉服店に勤務。コニカの蛇腹カメラBaby Pearlを手に入れて、1940年代~60年代に、主に横手市や平鹿郡の農村風景を撮影していた。2017年12月から2018年1月にかけ、千葉の生誕100年を記念し、彼の故郷に近い秋田県立近代美術館において、「生誕100年 千葉禎介写真展」が開催された。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
菅原 慶吉(すがわら けいきち、1917年〈大正6年〉9月1… 菅原 慶吉(すがわら けいきち、1917年〈大正6年〉9月19日 - 1993年〈平成5年〉3月25日)は、日本の政治家。秋田県男鹿市長。位階は正五位。勲三等瑞宝章。 秋田県南秋田郡北浦町(現・男鹿市)出身。北浦町立鹿山高等小学校卒。1937年から兵役に就き、旧満州を転戦する。1945年敗戦でソ連軍の捕虜になり、シベリアに抑留される。1949年に帰国。男鹿市役所で商工市民課長を務め、退職後は男鹿市議会議員となる。1986年に男鹿市長に初当選。1990年に再選。在職中の1993年に死去した。死没日付をもって正五位に叙され、勲三等瑞宝章を追贈された。
清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - … 清美川 梅之(きよみがわ うめゆき、1917年1月5日 - 1980年10月13日)は、秋田県平鹿郡十文字町(現在の横手市)出身で伊勢ヶ濱部屋所属の元大相撲力士、旧全日本プロレス所属の元プロレスラー。大相撲時代は、身長182cm、体重94kg。得意手は、左四つ、上手投げ、外掛け。最高位は、東前頭筆頭。 本名:佐藤 梅之助(さとう うめのすけ)。大相撲廃業後に入婿の形で結婚し、大橋 梅之助(おおはし うめのすけ)が本名となったが後に離婚、佐藤姓に戻している。 同郷の幡瀬川を頼って伊勢ヶ濱部屋に入門し、1934年1月場所で初土俵を踏む。当初の四股名は薩摩川。早くから有望視されるとともに順調に出世し、四股名を清美川と改名。
河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 198… 河原田 穣(かわらだ じょう、1917年1月3日 - 1985年10月27日)は、日本の政治家。福島市長(2期)。 秋田県角館町(現仙北市)出身。1937年に福島高等商業学校を卒業し、横浜正金銀行に入る。1947年、福島県農地部開墾調査課勤務となり、翌年、福島県信用保証協会に入る。1956年福島市役所に入り、商工課長に就任する。その後、企画商工、厚生、総務の各部長を経て、助役に就任する。1979年から福島市長を2期務める。市長在職中の1985年10月27日死去。
及位 ヤヱ(のぞき やえ、1916年(大正5年)9月16日 … 及位 ヤヱ(のぞき やえ、1916年(大正5年)9月16日 - 2005年(平成17年))は、日本の女性パイロットで秋田県山本郡八竜町出身。通称は、及位ヤエ、及位野衣。戸籍名は『ヤヱ』であったが、第一航空学校在籍時に男性名ばかりの名札の中で目立つことを嫌い、漢字を当てた『野衣』の名で飛行活動を行った。単発小型機で日本一周に成功、NHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』のモデルのひとりである。元社団法人日本婦人航空協会の設立者で理事長。
内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月… 内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月17日 - 1996年〈平成8年〉12月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市で生まれる。1933年(昭和8年)秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)を卒業した。 1935年(昭和10年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省。仙台鉄道局秋田運輸事務所、新潟鉄道局秋田管理部総務課などに勤務。国鉄労働組合中央委員、同秋田支部書記長、秋田県労働組合会議議長、同事務局長、護憲連合秋田県代表委員などを務めた。秋田市議会議員に選出され2期在任し、同総務財政委員長、秋田県地方労働委員も務めた。 1949年(昭和24年)日本社会党に入党。
髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日… 髙田 景次(たかだ けいじ、1916年〈大正5年』1月23日 - 2003年〈平成15年〉3月16日)は、日本のジャーナリスト、政治家。秋田魁新報社監査役や秋田市長(第15代)を務めた。秋田県大仙市(旧中仙町豊岡)出身。 豊岡村立豊岡尋常小学校、秋田県立角館中学校、山形高等学校を経て、1940年(昭和15年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業。 戦後、1945年(昭和20年)秋田魁新報社に入り、政治経済部長、編集局長を経て、1959年(昭和34年)取締役となり、その後、監査役を務めた。 1973年(昭和48年)2月から1990年(平成2年)4月まで、連続5期秋田市長を務める。歴代市長の中で最長となる17年間の在任中、「公園都市秋田市をつくる条例」「秋田市文化振興条例」などの制定や市民の健康と体力づくり運動、秋田新都市の建設、広面や桜ニュータウンなどの東部、御野場・御所野の南部新拠点開発、仙台市道路愛称名にならった秋田市道路愛称名などの制定、都市景観賞など多方面にわたって功績を残すなど秋田市発展の基礎を築く。
赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日… 赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者(秋田市立秋田商業高等学校硬式野球部監督)。プロ野球史上、最も漢字名の長い(7文字)選手として知られる。 なお、「ヒユウタロウ」は誤読である。巨人の星の星飛雄馬風に「ヒュウタロウ」である。 秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ・帝国石油でプレー。 1948年に32歳にして急映フライヤーズに入団。新人ながら加藤正二(35歳)に次ぐ高齢の選手だった。1年目は二軍の急映チックフライヤーズの監督を兼任しながらドロップを武器に一軍で12試合に登板し2勝を挙げるが、9月28日に行われた対金星戦(後楽園球場)で坪内道則に史上初の1000本安打を打たれてしまう。
梅崎 作太郎(うめさき さくたろう 1916年 - 1944… 梅崎 作太郎(うめさき さくたろう 1916年 - 1944年12月)は、日本の元アマチュア野球選手。秋田県出身。ポジションは投手。 1916年、秋田市に生まれた。秋田中学(現・秋田県立秋田高等学校)在学中は、甲子園に4回出場。夏のみ。4回(1931年~1934年まで4年連続)出場し、最後の出場となった1934年夏の大会ではベスト4に入る健闘を見せた(準決勝で、藤村富美男らを擁した優勝候補筆頭の呉港中学〈現・呉港高等学校〉と当たり0-9で大敗)。梅崎、赤根谷飛雄太郎(梅崎のライバルで、秋田商出身。後に急映・東急でプレー)、渡辺誠太郎(土崎商出身。後に阪神等でプレー)の三人を称して、「戦前秋田の三大投手」と呼ばれた。
片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月… 片野 饗一(かたの きょういち、1915年(大正4年)11月16日 - 2002年(平成14年)2月24日)は、日本の銀行家。北都銀行取締役相談役、秋田あけぼの銀行頭取を歴任した。 秋田県湯沢市出身。東京商科大学(現一橋大学)卒業後、三菱商事入社。 1949年(昭和24年)には、父である片野重脩が設立を主導した秋田無尽に入社。その後、秋田相互銀行社長に就任した。 社長在任時は、1976年(昭和51年)の事務センターの開館、翌年にはオンラインシステムの稼動開始など事務のOA化を促進し体制の整備にあたった。また、1982年(昭和57年)には現在の北都ビルディングにあたる「新本店ビル」の竣功にこぎ着けた。
湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 198… 湊 正雄(みなと まさお、1915年11月10日 - 1984年4月16日)は、日本の地質学者。北海道大学名誉教授。
三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日… 三森 英逸(みもり えいいつ、大正4年(1915年)9月8日 - 没年不詳)は、昭和の郷土史家。秋田県仙北郡大曲町(現大仙市)出身。 先祖は由利郡矢島(由利本荘市矢島町)の人。江戸時代の前に大曲村に移住。代々、義右衛門を名乗り、子孫は大曲に残った者、角館町(仙北市角館)に分家した者、のちに東京都へ移住した者がいるのだと云う。 旧陸軍の経理学校を卒業後、第二次世界大戦が始まり、召集され戦地へ。復員後に大曲少史編纂に関わる。1959年(昭和34年)4月10日、「仙北友報」創刊。仙北友報(現・三森印刷)代表。秋田県歴史調査委員、大曲市郷土史編纂委員、大曲文化財審議委員。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。