山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9… 山口 敏(やまぐち びん、1931年3月22日-2020年9月24日)は、日本の人類学者。 千葉県東金市出身。水戸高等学校 (旧制)卒、1954年東京大学理学部人類学科卒、59年同大学院生物系研究科博士課程単位取得退学。 1972年「アイヌとオーストラリア原住民の比較骨学的研究」で札幌医科大学・医学博士。1959年北海道公立学校教員、札幌医科大学講師、66年助教授、1972年国立科学博物館人類研究部主任研究官、78年部長。95年定年退官。
小柴 和正(こしば かずまさ、1931年(昭和6年)3月14… 小柴 和正(こしば かずまさ、1931年(昭和6年)3月14日 - 2019年(令和元年)6月21日)は、日本の実業家。伊勢丹社長・会長・相談役、日本百貨店協会会長を務めた。 千葉県富津市生まれ。1953年3月早稲田大学商学部卒業後、同年4月伊勢丹入社。 常務、専務を経て、創業家の小菅家以外で初めて、1993年5月社長に就任。前年に勃発した秀和とイトーヨーカ堂による伊勢丹株の買い占めを阻止し、「毎日が、あたらしい。ファッションの伊勢丹」という経営理念を打ち出す。それに沿って、今までのデパートにはない洗練された、斬新なファッションデザインを追求した結果、新宿本店を中心に「ファッションの伊勢丹」という新しいブランドイメージ作りに成功した。
平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 20… 平野 雅章(ひらの まさあき、1931年1月15日 - 2008年11月22日)は、日本の食物史家。儀礼文化学会専門委員。なお雅章はペンネームである。本名・平野 武(たけし)。初期の筆名は正章だったが1980年ころ雅章に改名。千葉県富津市生まれ、同市に在住した。 早稲田大学第二文学部心理学専修卒業。大学在学中より北大路魯山人に師事し海外旅行にも同行した。魯山人の遺した美術・料理等の著作を編纂した。主婦の友社編集局に勤務の後、日本食物文化史の研究に専念し文筆活動を続ける。 フジテレビ系列の人気番組であった『料理の鉄人』に「かの魯山人の愛弟子」との紹介され、審査員としてレギュラー出演した。同じく審査員としてレギュラー出演していた料理記者の岸朝子は、主婦の友社時代の同僚でもあった。
野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年… 野々村 宗逸(ののむら そういつ、1931年 - 1994年2月10日)は、日本の建築家・都市計画家で日本住宅公団の職員として公団団地設計に長く携わった人物。 1931年、千葉県船橋市生まれ。戦時中宮城県に疎開。1948年から1949年まで旧制山形高等学校在籍。その後新制の東京大学に進学。1954年、東京大学工学部建築学科卒業。同級に磯崎新、川上秀光、奥平耕造ら、同期に富安秀雄らがいる。卒業後、建設省入省。関東地方建設局営繕部配属。 1955年8月、建設省から日本住宅公団の本所建築部に移籍。1956年、産業計画会議東京湾部会で「ネオ東京プラン」作成に参加。1957年、東京支所建築部設計課団地係へ異動。
宮本 悳(みやもと いさお、1930年11月29日 - 19… 宮本 悳(みやもと いさお、1930年11月29日 - 1996年7月28日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)で騎手デビューし、1963年にリュウフォーレルで天皇賞(秋)と有馬記念、1968年にタニノハローモアで東京優駿(日本ダービー)を制した。1971年より調教師となり、1996年に在職のまま死去。 1930年、千葉県館山町(後の館山市)に生まれる。父親が競馬好きであったことから騎手になることを勧められ、1948年に国営競馬の武輔彦厩舎(阪神競馬場)に騎手見習いとして入門。1951年に騎手となった。長らく騎乗機会に恵まれず不遇を託っていたが、1956年より所属した橋本正晴厩舎(京都競馬場)を懇意にしていた三好諦三に真面目な仕事ぶりを認められ、その所有馬の騎手に抜擢された。
斉藤 忠利(さいとう ただとし、1930年11月10日 - … 斉藤 忠利(さいとう ただとし、1930年11月10日 - 2003年7月21日)は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。 千葉県四街道町(現在の四街道市)出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)、東京大学文学部を経て東京大学大学院を修了。一橋大学教授、日本女子大学教授を経て一橋大学名誉教授。一橋大学探検部初代顧問。 2003年7月22日、72歳で急性呼吸不全のため死去。
野村 修(のむら おさむ、1930年10月9日 - 1998… 野村 修(のむら おさむ、1930年10月9日 - 1998年4月23日)は、日本のドイツ文学者、翻訳家。京都大学名誉教授。 千葉県市川市生まれ。京都大学卒業。『新日本文学』に拠って、ブレヒト、ベンヤミンなどについて研究、翻訳。京大教養部助教授、教授、1994年定年退官、名誉教授。梅花女子大学教授。1998年肝不全のため死去。
石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -201… 石田 保昭(いしだ もりあき、1930年9月30日 -2018年5月18日 )は、日本のインド史学者。 東京大学教養学部講師として東洋史を講義していたが病気療養のため辞職。 千葉市生まれ。陸軍幼年学校で学ぶ。1953年東京大学文学部東洋史学科卒。1958年 - 1961年、インド政府外国語学校教官としてニューデリーに滞在。 帰国後著した『インドで暮らす』は「ユニークなルポルタージュであり、実証という水準においてスメドレーの中国ルポルタージュに優るとも劣らず、ありきたりのインド紹介論とは全く趣を事にしている」と中村平治が評している。 イスラム学者の板垣雄三とは小学校からの同級生。 父は陸軍中将石田保忠。
加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 19… 加東 康一(かとう こういち、1930年7月10日 - 1990年5月13日)は、日本の芸能評論家。 千葉県市川市出身。『国際タイムス』の社会部記者などを経て1960年、フリーの芸能評論家となり新聞・雑誌で健筆を振るう一方、『テレビ三面記事』、『アフタヌーンショー』、『こんにちは2時』、『やじうまワイド』などテレビに出演。ラジオ・テレビ同時放送だったKBS京都「山崎弘士のお昼は天国」にも電話出演していた。 父も映画記者で、いわゆる芸能レポーターの先駆け的存在である。当時、芸能界の独占的存在だったナベプロ体制を批判するなど権威に屈さない反骨の人であった。 しかし1989年7月、舌癌のため舌・咽頭の全摘出手術を受け、声を失う。
舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 201… 舘石 昭(たていし あきら、1930年6月11日 - 2012年9月9日)は、日本の水中写真家。株式会社水中造形センター会長。 千葉県館山市出身。1958年、羽仁進監督の長編ドキュメンタリー映画『海は生きている』で水中撮影を担当するなど、水中写真・水中撮影というジャンルを開拓。1969年には日本初のスキューバダイビング専門誌である『マリンダイビング』を創刊した。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和… 中 庸助(なか ようすけ、本名:中島 和男、1930年(昭和5年)3月30日 - )は、日本の俳優・声優。千葉県出身。マウスプロモーション所属。旧芸名:中 庸介。
岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、… 岡本 清(おかもと きよし、1930年3月25日 - )は、日本の会計学者。千葉県船橋市出身。一橋大学名誉教授、東京国際大学名誉教授。 専門は、原価計算・管理会計。日経・経済図書文化賞、日本会計研究学会学会賞受賞。第16期日本学術会議会員。2009年瑞宝中綬章受章。 千葉県船橋町(現:船橋市)出身。松本雅男門下。弟子に、廣本敏郎(一橋大学名誉教授、公認会計士・監査審査会長)・尾畑裕(一橋大学名誉教授)・小林啓孝(慶應義塾大学名誉教授)等がいる。モルガン銀行日本代表を務めた藤巻健史(元参議院議員)・石川千晶(公認会計士、情報公開・個人情報保護審査会委員)なども岡本ゼミ出身。 翻訳家の岡本浜江(日本児童文芸家協会顧問、児童文化功労者)は妻。
葉山 修平(はやま しゅうへい、1930年3月16日 - 2… 葉山 修平(はやま しゅうへい、1930年3月16日 - 2016年8月28日)は、日本の作家・詩人。本名は安藤幸輔(あんどう こうすけ)。室生犀星の研究者でもあった。 千葉県市原市出身。千葉師範学校卒業。東京大学大学院修士課程(国文学専攻)修了。1955年、林富士馬、太田浩らと同人雑誌『玻璃』を創刊。1957年、林富士馬の紹介で『文芸日本』4月号に短編小説「バスケットの仔猫」を発表する。この短編に対して、室生犀星から批評とアドバイスの書かれた手紙を受け取り、犀星の知遇を得る。1960年、短編小説「日本いそっぷ噺」が第43回直木賞候補となる。同年12月、『日本いそっぷ噺』(大和出版)が出版された。
菅原 道裕(すがわら みちひろ、1930年1月25日 - 2… 菅原 道裕(すがわら みちひろ、1930年1月25日 - 2014年8月15日[要出典])は、千葉県出身のプロ野球選手(外野手)。 東葛飾中学から明治大学に進学する。明治大学に入ってから野球を始め、未経験ながらもめきめきと頭角を現すが、弱点を晒すなど不遇の時を過ごす。1952年に大映スターズに入団し、1年目から外野のレギュラーを獲得し、主に5番打者として試合に出場。1953年は打率.287(リーグ8位)をマークし、オールスターゲームにも出場した。翌年は飯島滋弥に変わって4番を任される試合もあった。翌年からは再び5番打者として活躍した。1956年に控えとなることが多くなり、この年に引退した。
後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 201… 後藤 純男(ごとう すみお、1930年1月21日 - 2016年10月18日は、日本画の画家。 昭和5年(1930年)、千葉県東葛飾郡木間ヶ瀬村(現野田市)に生まれる。昭和7年(1932年) に埼玉県北葛飾郡金杉村(現松伏町)へ転居。昭和61年(1986年)に内閣総理大臣賞を受賞、昭和63年(1988年)から平成9年(1997年)まで東京藝術大学美術学部の教授を務めた。平成18年(2006年)に旭日小綬章受章。平成28年(2016年)に日本芸術院賞・恩賜賞を受賞する。 歌人の米川千嘉子は姪。 2016年10月18日、敗血症により死去。86歳没。
石原 照夫(いしはら てるお、1929年11月28日 - 2… 石原 照夫(いしはら てるお、1929年11月28日 - 2006年3月16日)は、千葉県成田市出身のプロ野球選手(内野手)。 兄は戦前投手として、東京セネタースや翼軍、大洋軍、大和軍に所属した石原繁三。1960年代に東映フライヤーズ、1970年代にロッテオリオンズの球団代表を務めた石原春夫とは別人。 旧制成田中学校では、エースとして戦後初の開催となった1946年夏の大会では、球史に残る1回戦最初の試合で京都二中と対戦するが0-1で惜敗。 立教大学へ進学し、野手転向。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、リーグ通算86試合出場、338打数101安打、打率.299の成績を残す。 大学卒業後は、社会人野球の藤倉電線に入社。
中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は… 中江 利忠(なかえ としただ、1929年10月4日 - )は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞社社長。
長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - … 長戸路 政行(ながとろ まさゆき、1929年8月13日 - )は、日本の弁護士。敬愛大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。長戸路政司の三男。千秋、長戸路信行の弟。1955年東京大学法学部卒。東京弁護士三会交通事故処理委員、毎日新聞社交通事故法律相談所嘱託相談員、千葉敬愛経済大学教授、千葉県土地収用委員、千葉県建築紛争審査委員。1996年兄信行の死による学校法人千葉敬愛学園理事長・敬愛大学学長。2001年退任。2009年4月旭日中綬章受章。
斉藤 一之(さいとう かずゆき、1929年7月3日 - 19… 斉藤 一之(さいとう かずゆき、1929年7月3日 - 1989年11月9日)は、日本の高校野球の指導者。元千葉県立銚子商業高等学校野球部監督。 1929年千葉県佐原市に生まれる。千葉県立佐原中学校(旧制)から中央大学へ進学。 1951年3月に中央大学を卒業後、銚子市立第一中学校教諭となり、同中学校野球部を強豪校に育てあげる。その名采配ぶりを望まれ、地元銚子市民によって千葉県立銚子商業高等学校野球部の監督に推薦されるが、当時、斉藤は中学校教諭免許しか持っていなかったため、法政大学の通信教育部に入学し高等学校教諭免許を取得し、1962年4月に同高校野球部の監督に就任する。 1965年の第47回全国高等学校野球選手権大会にて木樽正明を擁して決勝に進むも、原貢監督(読売巨人軍 :原辰徳元監督の父)率いる三池工業高等学校に敗れ準優勝。
高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 201… 高橋 治(たかはし おさむ、1929年5月23日 - 2015年6月13日)は、千葉県千葉市出身の小説家、劇作家、映画監督。 刑事ものである「神崎省吾シリーズ」は2時間ドラマの原作として度々映像化されている。 「さすらい波太郎」シリーズなどの釣りに関する小説も多く、また環境や釣り人のマナーについての辛口のコメントも発表し続けている。 また、好角家としても知られ、1990年から2012年まで本場所中には中日スポーツ・東京中日スポーツに観戦記「私は見た!」を連載していた。その中で高橋は近年の力士の大型化を憂い、技能に優れた力士の登場を願うような記述が多い。また、朝青龍の素行にも批判的な立場を取っている。
小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1… 小野 満(おの みつる、1929年1月3日 - 2008年1月2日)は、千葉県市原市出身の音楽家、ベーシスト、バンドマスター、指揮者。 ジャズ・カルテットのビッグ・フォアのベーシスト、小野満とシックス・ブラザーズのバンドマスター兼ベーシスト、小野満とスイングビーバーズのバンドマスター兼指揮者として活躍した。1967年から1983年までの17年間にわたり、スイングビーバーズと共にNHK紅白歌合戦の白組の演奏・指揮を担当した。 甥(長兄の息子)はロックドラマーでハルメンズ、ヒカシュー、ヤプーズのメンバーだった泉水敏郎。 1929年1月3日(昭和4年)現在の千葉県市原市磯ヶ谷にて、四人兄弟の三男として誕生。
池田昭(いけだ あきら、1929年- )は、日本の宗教学者。… 池田昭(いけだ あきら、1929年- )は、日本の宗教学者。専門は宗教社会学。元中京大学教授。
須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 201… 須田 勝勇(すだ かつとし、1928年9月30日 - 2018年/2019年)は日本の政治家。木更津市長(2期)。 千葉県君津郡清川村(現在の木更津市)に生まれる。望陀農学校卒業。家業の農業に従事する。戦後は青年団に入り、連合青年団体育部長。このほか清川農協青年部長、消防第三分団長などを務めた。清見台土地区画整理組合理事長、清見台貸家組合理事長、清見台賃貸住宅管理組合会長、千葉県土地区画整理組合連合会会長、全国土地区画整理組合連合会理事長に就任。木更津市内では国立木更津工業高等専門学校の誘致に尽力し、清見台幼稚園理事長となった。 1975年、千葉県議会議員選挙に自由民主党から出馬して初当選、以後4選。
浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日… 浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日 - 2012年〈平成24年〉8月5日)は、日本の政治家、タレント。株式会社YAMATO名誉顧問。 衆議院議員を7期務め、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、国務大臣の経験がないまま政界を引退した。 「ハマコー」の愛称で知られ、「国会(政界)の暴れん坊」の異名をもつ。 政界引退後は「政治活動家」を自称していたほか、『ビートたけしのTVタックル』のレギュラーとなり、「悪党党幹事長」を名乗っていた。 千葉県君津郡青堀町(現:富津市大堀)出身。実家は大地主で、徒歩15分かかる青堀小学校まで他人の土地を踏まずに通学していた。
猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16… 猪熊 葉子(いのくま ようこ、1928年〈昭和3年〉8月16日 - 2024年〈令和6年〉11月19日)は、日本の近代文学研究者・イギリス近代文学研究者、児童文学者、翻訳家。聖心女子大学名誉教授。 千葉県千葉市生まれ。旧姓・葛原()。父は外科医の葛原輝、母は歌人の葛原妙子。夫は明電舎社長・猪熊時久。 聖心専門学校をへて、1952年、聖心女子大学文学部国語国文学科卒業、須賀敦子とは大学時代からの友人。1954年、同大学院文学研究科国文学専攻修士課程修了。同年、同大学文学部助手、1956年専任講師、1957年から1年間オックスフォード大学に留学、J・R・R・トールキンに師事した。1972年聖心女子大学助教授を経て、1978年教授、1990年白百合女子大学文学部教授、1999年定年退職。
白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12… 白鳥 伸雄(しらとり のぶお、1928年(昭和3年)6月12日 - 2016年(平成28年)2月26日)は、元競輪選手。千葉県習志野市出身。旧制千葉県立佐倉中学校(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。日本競輪学校創設以前の期前選手で選手登録番号2224。現役時は日本競輪選手会千葉支部所属。初出走は1950年3月1日の神戸競輪場。「輪聖」と呼ばれる。 1928年6月12日、千葉県習志野市に生まれる。近所の自転車屋に「いい身体してるから、競輪選手になったらどうだ」と勧められたのがきっかけで試験を受け、10日練習しただけで合格。さらにその2か月後には当時の慢性的な選手不足も手伝い、競輪のことをほとんど知らないまま神戸競輪場で競輪選手としてデビューし、翌4月に10連勝を達成してA級に特進した。
野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 200… 野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 2001年8月6日)は、日本の騎手(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉 )、調教師(日本中央競馬会)。千葉県船橋市古作出身。騎手としても調教師としても成功し「ミスター競馬」と呼ばれた。父の野平省三は元騎手(日本競馬会)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会)。孫の二本柳壮は騎手(JRA)。2004年、騎手顕彰者に選出。 父の省三が騎手を引退したあと、下総御料牧場で働いていたときに生まれる。幼少のころから馬が身近にいる環境で育ち、小学校時代には馬に鞍をつけて乗るようになっていた。 尋常小学校を卒業後、旧制関東中学校(現・千葉敬愛高等学校)に進学するが、騎手を志して退学。
井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17… 井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年〈昭和2年〉11月17日 - 2008年〈平成20年〉6月22日)は、日本の政治家。位階は従二位、勲等は勲一等、勲章は桐花大綬章。 参議院議長(第23・24代)、文部大臣(第115代)、参議院予算委員長、自由民主党参議院議員会長(第22代)、参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、千葉県議会議員(3期)等を歴任した。 千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校(現成田高等学校)、旧制東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)を卒業して、六合村に歯科医院を開業する。1963年、千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、3期連続当選。 1972年、第33回衆議院議員総選挙に無所属で旧千葉2区(定数4)から立候補したが、次点で落選。
金子 和三郎(かねこ かずさぶろう、1927年11月1日 -… 金子 和三郎(かねこ かずさぶろう、1927年11月1日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。 佐原中學校、国士舘専門学校、新田組を経て1950年に東急フライヤーズへ入団。 1952年途中に西鉄ライオンズへ移籍するも同年限りで退団した。
若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927… 若水 ヤエ子(わかみず やえこ、本名:鏑木 八枝子、1927年10月8日 - 1973年5月28日)は、日本の女優、コメディアン。東北弁(いわゆるズーズー弁)訛りを売り物にした女性コメディアンの第一人者である。「おヤエ」の愛称で知られ、天性とも言える抜群の歌唱力と演劇センスから「女エノケン」の異名も持っていた。 千葉県船橋市で生まれる。父親は国鉄の職員(両国駅の助役)であり、厳格な性格だった。そのため、若水は大変堅い家庭で育ったと言う。 1943年(昭和18年)、船橋市にある船橋高等女学校に入学するも、当時新劇や新派の大スターだった女優の水谷八重子に憧れて演劇への道を志すため、進学を希望していた両親の反対を押し切って中退した。
日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 20… 日暮 雅信(ひぐらし まさのぶ、1927年9月3日 - 2003年3月11日)は千葉県出身の作曲家。 東京府立第一商業学校(現、東京都立第一商業高等学校)の吹奏楽部でフルートを演奏。中央大学経済学部に進学、進駐軍キャンプでジャズを演奏していた。同大学を卒業後の1952年、バンド「日暮雅信とブルーキューバン」を結成、クラブやNHKの音楽番組に出演。1956年にバンドを解散、作曲活動に専念することになる。 1961年、「管弦楽のための二つの祈り」で毎日音楽コンクール管弦楽部門に入選。以降、管弦楽、室内楽、声楽、舞踏音楽などの分野で活躍するほか、映像作品の音楽も手掛けた。また、楽器の入門書も数多く執筆している。
広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 201… 広瀬 善男(ひろせ よしお、1927年8月30日 - 2016年10月6日)は、日本の法学者。 千葉県千葉市生まれ。中央大学法学部卒。1958年東京大学大学院博士課程公法コース修了、「政府承認の法構造」で法学博士(東京大学)。明治学院大学助教授、教授、98年名誉教授。安達峰一郎記念賞受賞。国際法が専門。
秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)… 秋元 大吉郎(あきもと だいきちろう、1927年(昭和2年)4月16日 - 2023年(令和5年)12月19日)は、日本の政治家、俳人。元千葉県流山市長。 千葉県東葛飾郡流山町(現流山市)出身。旧制東葛飾中学校卒業。流山市議会議員1期、千葉県議会議員2期を経て、1983年(昭和58年)流山市長に当選し、2期務めた。2005年、旭日小綬章受章。 俳人としても知られ、1949年(昭和24年)蕾俳句会結成、高梨花人師より手解きを受く。日本ペンクラブ会員。 2023年12月19日、老衰のため死去。96歳没。
中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、… 中村 稔(なかむら みのる、1927年1月17日 - )は、日本の弁護士・弁理士・詩人・評論家。中村合同特許法律事務所パートナー、日本商標協会顧問、公益財団法人日本近代文学館名誉館長、第二東京弁護士会所属、日本芸術院会員、文化功労者。 中松特許法律事務所弁護士、中村・山本・武田合同特許法律事務所代表パートナー、中村合同特許法律事務所代表パートナー、日本商標協会会長(初代)、財団法人日本近代文学館理事長(第6代)、社団法人日本商事仲裁協会常任理事、日本芸術院第二部部長などを歴任した。 千葉県木更津市生まれ。父・光三は、尾崎秀実、リヒャルト・ゾルゲの予審担当の主任判事。東京府立第五中学校から第一高等学校を経て、1950年、東京大学法学部法律学科卒業。
板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 201… 板倉 正男(いたくら まさお、1927年1月6日 - 2011年7月28日)は、千葉県千葉市出身のプロ野球選手(投手、捕手、外野手)。 千葉商業学校から郵便局勤務を経て1947年に国民野球連盟の大塚アスレチックスに入団。リーグ崩壊後、1948年に金星スターズへ入団。翌1949年は合併により大映スターズに移籍、捕手に転向。1952年頃から正捕手。1954年にヴィクトル・スタルヒンと共に高橋ユニオンズに移籍、同年引退。引退後は社会人野球、ゴルフ場勤務を経て船橋カントリークラブ支配人に就任。
山本 満(やまもと みつる、1927年(昭和2年)1月3日 … 山本 満(やまもと みつる、1927年(昭和2年)1月3日 - 2013年(平成25年)1月10日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学、国際政治経済学。一橋大学名誉教授。吉野作造賞受賞。 千葉県千葉市生まれ。父・山本猛之助は、革新派弁護士の団体である自由法曹団に所属する弁護士。 旧制水戸高等学校文科乙類を経て、1950年(昭和25年)東京大学経済学部を卒業。 2013年1月10日、急性心不全のため死去。
伊藤 晃(いとう あきら、舘野晃、1927年(昭和2年)- … 伊藤 晃(いとう あきら、舘野晃、1927年(昭和2年)- )は日本の作家である。 伊藤晃こと舘野晃は、千葉縣東葛飾郡流山町にて生まれる。 旧制東葛飾中学校(現:千葉県立東葛飾中学校・高等学校)を経て、早稲田大学文学部を卒業した。
井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2… 井上 宗雄(いのうえ むねお、1926年10月10日 - 2011年3月18日)は、日本の国文学者。専攻は、中古・中世和歌史。学位は、文学博士(立教大学・論文博士・1966年)(学位論文「中世歌壇史の研究 南北朝期」)。立教大学名誉教授。 東京生まれ。1949年第二早稲田高等学院(文科)修了後、学制改革により早稲田大学第一文学部国文学専修に編入、1951年同学科卒業。1953年早稲田大学大学院文学研究科日本文学専攻修了。1953年早稲田大学高等学院教諭、1962年立教大学専任講師、1965年同大学助教授。1966年「中世歌壇史の研究 南北朝期」で立教大学より文学博士の学位を取得。1971年立教大学教授。
鈴木 通夫(すずき みちお、1926年10月2日 - 199… 鈴木 通夫(すずき みちお、1926年10月2日 - 1998年5月31日)は、日本の数学者。イリノイ大学教授。専門は群論。鈴木群(英語版)で知られる。 1926年10月2日 千葉県千葉市生まれ。1942年 旧制第三高等学校入学、1945年 東京大学数学科に進学。1948年から1951年まで国の特別奨学金を受け、東京大学大学院で研究。指導教員は彌永昌吉であったが、岩澤健吉からも影響を受ける。1951年4月東京教育大学講師。1952年 イリノイ大学の奨学金を得て渡米。渡米後に東京大学から博士号を受ける。1952年夏、ミシガン大学のブラウアーの下に2月間滞在、1952年9月イリノイ大学ポスドク研究員。
石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1… 石井 庄八(いしい しょうはち、1926年9月20日 - 1980年1月4日)は、千葉県市川市出身の元レスリング選手。
加茂 秀男(かも ひでお、1926年(大正15年)9月5日 … 加茂 秀男(かも ひでお、1926年(大正15年)9月5日 - )は、日本の映画プロデューサー。千葉県市川市出身。明治大学卒業。 鉄道ドラマを得意とし、東映東京撮影所のプロデューサーとして『大いなる旅路』『大いなる驀進』(1960年)や、東映教育映画部製作の児童映画『なかよし特急』(1961年)、「東映列車シリーズ」(1967年 - 1968年)、東映動画製作の『きかんしゃやえもん D51の大冒険』(1974年)などの映画や、鉄道関係の多くのテレビドラマを企画した。 1974年の『きかんしゃやえもん D51の大冒険』以降は製作実績がなく、『キネマ旬報』1966年3月上旬号で「娯楽映画は大いに作りたいと思うが、社会悪、特に青少年に対する影響を考えて企画したい。
川村 優(かわむら まさる、1926年5月3日 - 2016… 川村 優(かわむら まさる、1926年5月3日 - 2016年)は、日本の郷土史学者。学位は、博士(日本史学)。千葉県出身。 千葉県長生郡白子町生まれ。復員後、1947年千葉師範学校本科卒業。中学校教諭勤務後、1953年千葉県庁に入庁。千葉県史編さん事業に従事、編纂室長。1965年千葉大学および千葉敬愛短期大学非常勤講師を務めた。1999年駒澤大学にて博士(日本史学)の学位を取得。 1990年~2006年千葉県郷土史研究連絡協議会会長、顧問を歴任。日本古文書学会評議員。地方史研究協議会評議員。社会経済史学会、法制史学会、日本歴史学会、地方史研究協議会、日本文化社会学会などに所属。日本村落自治史料調査研究所を主宰。
舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日… 舟知 恵(ふなち めぐみ、1926年3月30日 - )は、日本の詩人、インドネシア文学翻訳家。 奈良県出身。本姓・五百沢。1943年長生高等女学校(現・千葉県立茂原高等学校)卒、1970年アテネ・フランセ卒。72-76年ジャカルタ滞在。1977年「現代インドネシア詩集・恋人は遠い島に」で日本翻訳文化賞受賞。
大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月1… 大竹 利典(おおたけ りすけ、1926年〈大正15年〉3月10日 - 2021年6月7日)は、日本の武道家。千葉県成田市出身。天真正伝香取神道流の師範、そして同市にある神武館道場の館長を長年務めた。 16才の折(1942年)に天真正伝香取神道流の林弥左衛門家清師範に入門。1960年6月に同流儀が千葉県の無形文化財に指定され、大竹が同保持者となった。 多数の執筆を残している。また、映画『蜩ノ記』で岡田准一に武術指導も行った。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日… 大沢 慶己(大澤 慶己、おおさわ よしみ、1926年3月6日 - 2022年10月21日)は、日本の柔道家(講道館十段)。早稲田大学名誉教授、全日本柔道連盟評議員・理事・顧問、講道館参与・評議員、講道学舎学頭、早稲田大学名誉教授らを歴任。 現役時代は身長167cm・体重67kgという小躯ながら、松本安市や醍醐敏郎ら戦中・戦後を代表する大型選手達と鎬を削り、全日本選手権大会や全日本東西対抗大会等の主要大会で活躍。その軽快な身のこなしから今牛若丸や昭和の小天狗と呼ばれた。 引退後は1964年の東京五輪でコーチを務め、後に全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長や講道館女子部部長を歴任して黎明期の女子柔道の礎を築いたほか、母校・早稲田大学では柔道部師範や教授を務めるなど半世紀以上に渡り後進の指導に当たって、今日の柔道の隆盛に大きく貢献した。
大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本… 大沢 慶己(おおさわ よしみ、1926年3月6日-)は、日本の柔道家、早稲田大学名誉教授。柔道で事実上の最高段位となっている十段の所有者(120年以上の柔道の歴史のなかで2006年現在、過去を含めて十段所有者は15名のみ)。柔道が初めて五輪正式種目となった1964年東京オリンピックの柔道競技コーチ、全日本柔道連盟国際試合選手強化委員会(女子)委員長、講道館女子部部長、早稲田大学柔道部師範、早稲田大学人間科学部教授を歴任。今日の日本および世界の柔道の隆盛にも大きく貢献した。2006年、早稲田大学スポーツ功労者表彰。
星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 20… 星甲 良夫(ほしかぶと よしお、1926年2月5日 - 2000年12月5日)は、千葉県東葛飾郡浦安町(現・浦安市当代島)出身で、井筒部屋(一時期、双葉山道場預かり)に所属した元大相撲力士。本名は、小川 良夫(おがわ よしお)。現役時代の体格は171cm、107kg。最高位は西前頭4枚目(1957年5月場所)。得意手は右四つ、突っ張り、寄り、叩き、蹴手繰り。 体が小さく、身長も体重も足らずなかなか新弟子検査に合格できなかったが、1942年(昭和17年)5月場所で初土俵を踏んだ。そのため出世もゆっくりで、1955年(昭和30年)5月場所に於いて新入幕を果たした時には、既に29歳となっていた。 幕内では地味ではあったが、当時の幕内力士では随一の稽古で鍛えたためか、「努力の人」と讃えられた。
醍醐 敏郎(だいご としろう、1926年1月2日 - 202… 醍醐 敏郎(だいご としろう、1926年1月2日 - 2021年10月10日)は、日本の柔道家(講道館十段)。 戦後の柔道界を牽引した1人であり、同時期に活躍した松本安市、吉松義彦、石川隆彦、夏井昇吉らと繰り広げた数々の名勝負は、現在も柔道界の歴史に刻まれる。講道館研修員や警察大学校師範として後進の指導にも当たり、モントリオール五輪やロサンゼルス五輪では男子柔道競技の監督を務めた。2006年には講道館より事実上の最高段位である10段に列せられている。 1925年の年末12月26日、千葉県安房郡船形町(現・館山市)仲宿で米穀や酒類を販売する商店を営む、醍醐武兵衛の4男として出生。醍醐家は江戸時代より代々捕鯨を生業とする家柄で、初代・新兵衛はかつて千葉県の七聖人に数えられる程の腕前であった。
佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年… 佐藤 進(さとう すすむ、1926年1月1日 - 1998年3月1日)は、日本の経済学者、新潟大学名誉教授。
宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 19… 宗谷 真爾(そうや しんじ、1925年12月25日 - 1991年4月22日)は、日本の小説家、医師。 千葉県野田市生まれ。本名・真(しん)。慶應義塾大学医学部卒業。学生時代から『文芸首都』同人となり小説を書く。のち第三次『批評』に参加し、1963年「鼠浄土」で中央公論新人賞、「なっこぶし」で農民文学賞 を受賞し、郷里で小児科医として開業しながら作家活動をおこなう。リアリズムの系列と幻想文学の系列とがあり、関心はアンコール・ワットおよびアジアの多神教、浮世絵、民俗学など多方面にわたった。