鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日 - )は… 鳳 八千代(おおとり やちよ、1933年4月21日 - )は、日本の女優。東京都出身。宝塚歌劇団出身(1950年入団、1958年退団)。宝塚歌劇団37期生。旧芸名は鳳八千世。妹は女優の朝風みどり。 1950年に埼玉県立越ヶ谷高等学校を中退して宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は43人中5位。配属組は最初月組で、その後、花組である。宝塚歌劇団在団中は主演娘役として活躍し、1955年の花組の舞台『キスメット』(相手役のトップスターは春日野八千代)はカラーフィルムが現存する。1958年3月31日をもって、宝塚を退団。最終出演公演の演目は花組公演『赤と黒』である。 宝塚退団後は松竹に入社し映画に出演。その後、吉田史子事務所、劇団欅、劇団昴に所属し、新劇の舞台でも活躍した。
南田 洋子(みなみだ ようこ、本名:加藤 洋子、旧姓:北田、… 南田 洋子(みなみだ ようこ、本名:加藤 洋子、旧姓:北田、1933年〈昭和8年〉3月1日 - 2009年〈平成21年〉10月21日)は、日本の女優。東京市芝区(現:東京都港区)三田出身。文化学院文学科卒業。身長155cm。 夫は長門裕之。義弟に津川雅彦、義妹に朝丘雪路、夫の姪に真由子、甥に北田陽一郎、従兄弟の娘に山田よう子。 東京市芝区三田に米穀商の娘として生まれる。母親の北田とみ子(旧姓:山田とみ子)は日本舞踊の師匠をしていた。終戦後、茨城県土浦市に移り、1949年(昭和24年)、茨城県土浦第一高等女学校(現:つくば国際大学高等学校)を卒業後、16歳で単身上京し、1952年(昭和27年)文化学院卒業。
翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日… 翠 準子(みどり じゅんこ、1933年1月1日 - )は、日本の女優、声優。東京府(現・東京都)出身。旧芸名は緑 準子(読み同じ)。ぷろだくしょんバオバブ所属。 八雲学園高等学校卒業。 松竹歌劇団、劇団華、テアトル・エコー、グループだいこん、同人舎プロダクション、三船プロダクション、タート・プロモーション、岩崎事務所を経て、ぷろだくしょんバオバブに所属。 2023年4月、ぷろだくしょんバオバブのサイトにおける公式プロフィールが、それまでの女性所属者一覧から「Archive(アーカイブ)」の欄に移動した。 声種はアルト。方言は東北弁。 趣味はミステリーを読むこと、旅行、水泳。 声優としては外画吹き替え、テレビアニメなどで活躍。
久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)… 久保 菜穂子(くぼ なおこ、本名:久保 忠子(くぼ なおこ)、1932年9月24日 - )は、日本の女優。東京府豊多摩郡代々幡町上原(現東京都渋谷区上原)出身。身長163cm、体重56kg。
幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、… 幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。 夫は音楽評論家で東京音楽大学名誉教授の三善清達。長女は中央線沿線文化に関する著書などの多いエッセイストの三善里沙子。 1953年NHK東京放送劇団に5期生として入り、舞台・放送で女優として活動。1976年の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」に出演。また、NHKラジオで主演した音楽詩劇「オンディーヌ」(三善晃作曲)で文部大臣賞、イタリア賞大賞受賞。 舞台で古典から現代文学作品までの朗読を続け、1977年から毎年「幸田弘子の会」を開催、樋口一葉を中心に、『源氏物語』や泉鏡花・森鷗外・夏目漱石・堀辰雄・瀬戸内寂聴の作品などを舞台で朗読。
音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日… 音羽 美子(おとわ よしこ、1932年7月6日 - )は、日本の女優、歌手。東京出身。本名:久米 和子、旧姓:小野田。 三輪田学園高等学校卒業。 高校卒業後、歌手を目指す。1953年「魚河岸の石松」でデビューする。挿入歌の「花の命は短いものよ」を歌う。1955年から楠トシエ、桜京美と三人でNHK「お笑い三人組」に出演し人気が出る。 他に映画出演「坊ちゃん天国」「落語天国紳士録」、兄が監督した「俺は都会の山男」「お笑い三人組・泣き虫弱虫かんの虫」「お笑い三人組・怪しい奴にご用心」などに出演した。 現在は芸能界から引退した様子である。
小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 20… 小林 トシ子(こばやし としこ、1932年4月6日 - 2016年12月29日)は、日本の女優。本名:勅使河原トシ子(旧姓:小林)。 東京市中央区築地生まれ。1946年4月、学校を中退して日劇ダンシングチーム(NDT)に入団。1947年2月、初舞台。 1949年、松竹の木下恵介監督にスカウトされ、映画『破れ太鼓』でスクリーンデビュー。これは高峰秀子が予定されていた大役での出演であった。翌1950年に松竹に正式入社し、木下の指示で俳優座養成所に1年間通う。1951年、日本初のカラー作品『カルメン故郷に帰る』での演技は特に有名。 1956年、映画監督の勅使河原宏と結婚し、後に三人の娘をもうける。 1960年、松竹を退社してフリーになり、以後他社の映画や舞台で活躍した。
河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大… 河 美智子(かわ みちこ、1932年3月20日 - )は、大阪府出身の元女優。本名は河口 美智子(かわぐち みちこ)。 玉川学園高等部を卒業。 1951年、東宝と専属契約を結び、1952年、『東京の恋人』で映画デビュー。以後、主に看護婦、女中、女工といった庶民的な役柄で出演。1966年、『バンコックの夜』を最後に引退した。
河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年… 河内 桃子(、1932年〈昭和7年〉3月7日 - 1998年〈平成10年〉11月5日)は、日本の女優。本名は久松 桃子、旧姓大河内。血液型はO型。俳優座所属。 東京府東京市下谷区谷中出身。日本女子大学附属高等学校卒業。 昭和20年代にデビューした女優としては久我美子と並ぶ名家出身で、祖父は理研グループ総帥で子爵であった大河内正敏、父は正敏の次男で画家であった大河内信敬。夫は今治松平家末裔でテレビプロデューサーの久松定隆。 高校卒業後、OLをしていたが[要出典]、1953年に東宝ニューフェイスの6期生として東宝に入社。同期には宝田明、佐原健二、藤木悠、岡田眞澄がいる。入社した年の『女心はひと筋に』で映画初出演を果たす。
藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )… 藤里 まゆみ(ふじさと まゆみ、1932年2月16日 - )は、日本の女優。東京府(現:東京都)南豊島郡南千住出身。本名は伊沢 つや子。 1947年、松竹歌劇団入団。男役として活躍し、1951年に幹部となる。1952年、東映に入社。 ※特記のないものは東映配給作品
小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 202… 小畠 絹子(おばた きぬこ、1931年8月16日 - 2022年1月31日)は、日本の女優。本名は大久保禮子 (禮は示ではなくネ)。東京府(現東京都)出身。 元華族の大久保子爵家の次男である父・準と、母・秋子のもとに、四人姉妹の次女として東京市赤坂区青山南町に生まれる。本名は大久保禮子(おおくぼ のりこ)。母方の従兄に新劇運動を興した土方与志がいる。高井戸国民学校を卒業し、1949年に成安女子学院(現・京都産業大学附属中学校・高等学校)を卒業。親類が経営する鏑木汽船に入社。勤務中にスカウトされ、1957年に木崎伸子の芸名で中川順夫監督の教育映画、『えんぴつ泥棒』、『愛の星座』に教師役で出演。新東宝が『愛の星座』を配給したことが縁となり、同年9月に新東宝に入社。
小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、… 小甲 登枝恵(こかぶ としえ、1931年8月7日 - )は、日本の元女優。東京都出身。東映東京撮影所に所属していた。桜蔭高等学校出身。 本名は飯田 登枝恵。別名は小甲 登志恵、小甲 登志枝、小田 登枝恵。 ※すべて東映配給作品
築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 201… 築地 容子(つきじ ようこ、1931年7月12日 - 2013年12月15日)は日本の歌手、女優。本名は西原利枝。東京府東京市(現在の東京都区部(東京23区)に相当)出身。旧芸名は姫路リエ子。 鷗友学園高等女学校在学中、戦争のため、静岡県榛原郡に疎開。榛原高等女学校(現・静岡県立榛原高等学校)を卒業後、東京に戻り、ムーラン・ルージュの歌手になる。 1950年、姫路リエ子の芸名で映画『恋しかるらん』で女優デビュー。翌1951年、大映に入る。以降、1955年まで映画出演を続けた。 その間の1954年、ビクターレコードに入社。翌1955年、「金色仮面(ゴールデンマスク)」(漢字は「黄金仮面」としている資料もある)の芸名で覆面歌手として『ジャニー・ギター』でデビュー。
来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2… 来宮 良子(きのみや りょうこ、1931年7月10日 - 2013年11月25日)は、日本の声優、女優、ナレーター。東京俳優生活協同組合に所属していた。東京府荏原郡荏原町(後の東京府東京市荏原区、現:東京都品川区荏原)出身。 キャリア初期は、本名の櫻井 良子(さくらい りょうこ)名義でも活動していた。 小さい頃から本を朗読することが好きであり、アナウンサーになることを志望していた。 当初は東京府青山師範学校(後の東京第一師範学校)に通っていたが、小学4年生から東京都白金国民学校(現:港区立白金小学校)に転校。戦時中は疎開がてらに茨城県立土浦高等女学校(現:茨城県立土浦第二高等学校)に進学し、女子寮に入る。
島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 20… 島崎 雪子(しまざき ゆきこ、1931年2月25日 - 2014年)は、日本の元女優、シャンソン歌手。本名:土屋 とし子(つちや としこ)。元夫は映画監督の神代辰巳。東京都出身。大田原高等女学校(現・栃木県立大田原女子高等学校)卒業。 終戦後、バーの女給などをしながら役者を志し、中央演劇学校で学び、1949年俳優座養成所の2期生になった。1950年に新東宝映画のフレッシュガールに応募。藤本真澄の目に適い『山のかなたに』でデビューした。芸名は、石坂洋次郎が『青い山脈』のヒロインの名から採ったもの。二作目の『夜の緋牡丹』の製作では、主役の座をめぐり脚本の八田尚之に直談判後、一時行方不明となった。結果的に主役の座を争っていた女優が降板したため、『夜の緋牡丹』では主役を得ている。
林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025… 林 洋子(はやし ようこ、1930年11月3日 - 2025年7月31日[要出典])は、日本の女優、声優。宮沢賢治作品のひとり語り芸の公演を長年続けていた。元夫は作曲家の林光。 東京都大田区蒲田生まれ。都立第六高等女学校(現:東京都立三田高等学校)卒業後、1949年に俳優座付属俳優養成所の第1期生となり、1952年に卒業(同期生に岩崎加根子、野村昭子らがいる)。 俳優座養成所第一期卒業後、劇団三期会(現・東京演劇アンサンブル)で数々のブレヒト劇に主演し、声優として吹き替えにも多く出演。後にフリーとなる。 1970年、水俣病の実態に触れ、翌年に、石牟礼道子原作「苦海浄土」巡礼公演。以後「私って何だ、俳優って何なんだ」と考え自発的に芝居が出来なくなり俳優として沈黙する。
小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 20… 小田切 みき(おだぎり みき、1930年6月29日 - 2006年11月28日)は、日本の女優。本名:四方 美喜(よも みき)、旧姓:山藤(さんとう)。チャコちゃんこと四方晴美の母としても知られる。 東京府豊多摩郡千駄ヶ谷町(現在の東京都渋谷区千駄ヶ谷)生まれ。幼時より日本舞踊の英才教育を受け、新協劇団で子役として活躍。1935年、『夜明け前』で初舞台を踏む。 1938年、山本薩夫監督の『田園交響楽』で映画に初出演。この時の芸名は富士山君子。 1948年、跡見高等女学校卒業、1954年、俳優座養成所を第3期生として卒業。 俳優座研究生時代、1952年に黒澤明『生きる』の志村喬の部下役として抜擢され、役名の"小田切とよ"から苗字を取って小田切みきを名乗る。
桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみ… 桂木 洋子(かつらぎ ようこ、本名・黛 住恵(まゆずみ すみえ)、旧姓・富沢(とみざわ)、1930年4月6日 - 2007年3月)は、昭和中期(1940年代後半から1960年代前半)に活動した女優。 東京市四谷区(現・新宿区)に、家具屋の一人娘として生れる。四谷第三国民学校出身。1946年、東京都立麹町女子商業学校(現・東京都立芝商業高等学校)[要出典]に在学中、母親の急逝に伴い中退して、松竹歌劇団に戦後の2期生として入団する(卒業と同時に入団とも)。初舞台は同年11月浅草松竹座公演の「秋の踊り」。同期に千草かほる、小柳久子(小柳ひさ子)などがいる。 1948年、黒澤明脚本の『肖像』を準備中、『女』のロケで国際劇場を訪れた木下惠介監督の目に留まり、その次作となる『肖像』で映画デビューする。
京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月1… 京塚 昌子(きょうづか まさこ、1930年〈昭和5年〉3月16日 - 1994年〈平成6年〉9月23日)は、日本の女優。第10回芸術祭賞奨励賞受賞。 東京都出身。1946年、疎開先の栃木県立佐野高等女学校(現・栃木県立佐野東高等学校)卒業。高校卒業後、新派へ入団して研究生となる。 川口松太郎に認められて、1955年「月夜鴉」で初めて主役を演じ、同年「離れ猪」「太夫さん」の演技で芸術祭奨励賞を受賞。 1959年(昭和34年)8月23日から1972年(昭和47年)2月6日まで放映されたTBSテレビ系列の東芝日曜劇場人気シリーズ『カミさんと私』で伊志井寛の相手役として人気を博す。 1963年には東宝演劇部入りして、舞台「マイ・フェア・レディ」などに出演。
若山 セツ子(、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 1985… 若山 セツ子(、1929年〈昭和4年〉6月7日 - 1985年〈昭和60年〉5月9日)は、日本の女優。東宝の清純派スターの一人として知られている。映画監督の谷口千吉の元妻。本名は坂爪 セツ子、旧芸名は若山 セツコ。 東京府目黒町中目黒出身。実践高等女学校卒業。 1946年、東宝ニューフェイス第1期生として東宝へ入社。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)。 1949年、『青い山脈』での丸メガネの女学生・笹井和子役で人気を獲得し、同年に東宝の映画監督であった谷口千吉と結婚。 1952年、『次郎長三国志』シリーズでは次郎長の女房・お蝶を演じた。 1956年に夫の谷口によるスキャンダルのため離婚。
佐々木 すみ江(ささき すみえ、1928年〈昭和3年〉6月2… 佐々木 すみ江(ささき すみえ、1928年〈昭和3年〉6月22日 - 2019年〈平成31年〉2月17日)は、日本の女優、声優。本名:青木すみ江(旧姓:佐々木)。所属事務所はアルファエージェンシー。 東京府出身(出生地は台北市)。東京府立第五高等女学校、日本女子大学家政学科卒業。劇団民藝(当初は東京民衆芸術劇場)養成所1期生(同期は大滝秀治・奈良岡朋子)。 大学卒業後の1951年、劇団民藝の結成に参加。『その妹』で初舞台を踏んで以降、多くの作品に出演。同年、ジャーナリストで産経新聞編集局長、筑波大学名誉教授の青木彰と結婚。 1971年に内部で起きた対立により、下條正巳や鈴木瑞穂、佐野浅夫らと共に劇団を退団。
伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、… 伊藤 慶子(いとう けいこ、1928年4月30日 - )は、日本の女優。東京市牛込区(現東京都新宿区神楽坂)出身。東京女子専門学校卒業。 雑誌『ラッキー』のミス・ラッキー賞受賞。 舞台芸術学院本科の第2期生として卒業。東映の女優として1952年に同社の映画『ギラム』に出演しデビュー。 東映の特撮作品などで母親役を演じることが多い。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年… 塩沢 とき(、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2007年〈平成19年〉5月17日)は、日本の女優。本名及び旧芸名は塩沢 登代路()。 東京市牛込区中里町出身。実践高等女学校卒。亡くなるまで東宝芸能に所属。 1947年、越後憲や杉葉子らと東宝ニューフェイス第2期に合格。芸能界入りからしばらくは、三越のファッションショーにモデルとしてたびたび出演した。1950年に端役で『女三四郎』で映画初出演。以降、1950年代の東宝作品に出演し、デビューからしばらくは本名の塩沢登代路で活動した。 1958年、舌癌を病み、手術の際に総入れ歯となったが、幸運にも担当医が舌癌の最新療法(当時)を学んでいたことで、寛解する。
浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日… 浅香 光代(あさか みつよ、1928年〈昭和3年〉2月20日 - 2020年〈令和2年〉12月13日)は、日本の剣劇女優。東京府東京市神田区(現:東京都千代田区)出身。血液型はB型。本名は北岡 昭子(きたおか しょうこ)。愛称は「ミッチー」。内縁の夫はコメディアンの世志凡太。マスメディアからは「ストリップ剣劇と第一人者」と称された。 10歳ぐらいの頃、浅香新八郎、森静子らの舞台劇団「新生国民座」に入団、森静子の森をとって芸名「小森昭子」をもらう。1944年(昭和19年)、座長の浅香新八郎が急逝し新生国民座は解散する。1945年(昭和20年)、阪東鶴蔵一座に入り「富士龍子」の芸名をもらう。その後「浅香光代」と名乗り自分の一座を結成する。
新村 礼子(にいむら れいこ、1928年〈昭和3年〉2月17… 新村 礼子(にいむら れいこ、1928年〈昭和3年〉2月17日 - 2011年〈平成23年〉3月23日)は、日本の女優、声優。劇団昴に所属していた。 東京都出身。共立女子専門学校(現:共立女子大学)卒業。文学座、劇団雲を経て、1976年から劇団昴に所属。舞台を中心に活動。夫は、文学座以来行動を共にしている劇団昴所属の俳優・内田稔。 1992年、『セールスマンの死』で、第27回紀伊國屋演劇賞を受賞。 2011年3月23日、慢性閉塞性肺疾患により死去。83歳没。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。4兄妹の末子で次女である。 2012年11月16日、腎不全のため、死去。85歳没。死去は近親者による葬儀が行われた後の11月28日、劇団民藝によって発表された。
斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012… 斎藤 美和(さいとう みわ、1927年5月9日 - 2012年11月16日)は、日本の女優。本名は佐藤美和。東京都出身。母は盲女子高等学園創立者の斎藤百合。
杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、… 杉山 とく子(すぎやま とくこ、本名及び旧芸名;杉山 徳子、1926年〈大正15年〉8月16日 - 2014年〈平成26年〉8月28日)は、日本の女優。東京府(現東京都)出身、血液型はB型。代表作は映画『キューポラのある街』、テレビドラマ『男はつらいよ』、『渡る世間は鬼ばかりシリーズ』。 実践女子学園第二高等女学校卒業後、保母や千葉新聞社の広告部員として働く。 東宝のニューフェイスに応募し、1946年に舞台芸術アカデミーへ。 2年の養成期間を経て、1948年、俳優座に入り、同年に『遠くへの羊飼い』で舞台デビュー。 1949年、『白鳥は悲しからずや』で映画初出演。長らく中堅女優として活動した。 『男はつらいよ』(テレビドラマ版)で車つね役を務め、映画版シリーズにも別役で複数回出演。
市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年… 市村 美津子(いちむら みつこ、1926年5月5日 - 没年不詳)は、日本の元子役、女優である。本名は松田 光子(まつだ みつこ)。 1926年(大正15年)5月5日、東京府荏原郡大森町(現在の東京都大田区)出身。1930年(昭和5年)3月、3歳で松竹蒲田撮影所に入社、小津安二郎監督の『その夜の妻』でデビューする。1931年(昭和6年)の『マダムと女房』に渡辺篤と田中絹代の娘役で出演し注目を集める。1932年(昭和7年)の『残されたお菊ちゃん』では主演を務めるなど、数々の作品で活躍。蒲田名子役の一人となる。 1938年以降は出演記録が無く、1940年(昭和15年)に退社。1943年(昭和18年)の『愛機南へ飛ぶ』に端役で出演しているが、その後の消息は不明である。
菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日… 菅井 きん(すがい きん、1926年〈大正15年〉2月28日 - 2018年〈平成30年〉8月10日)は、日本の女優。血液型はB型。身長155cm、体重45kg。特技は三味線。生前は仕事に所属していた。本名は佐藤 キミ子。旧芸名及び旧姓名は須斎 キミ子。 東京府東京市牛込区早稲田町出身。 本村小学校、頌栄高等女学校卒業。 1943年から第二次世界大戦終戦直後までに、男性職員出征のため、文部省総務課調査課・東京帝国大学学生課で事務職員として勤めていた。1946年3月、有楽座で東京芸術劇場の第1回公演『人形の家』を鑑賞したことがきっかけで同劇団の研究生に応募し、補欠合格となる。両親はともに芝居好きであったが、劇団研究生に応募することを相談した際、「女優とは美しい女性がなるものだ」と反対されたが、義理の兄が理解者となり両親も渋々ながら認めたとされる。
飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月… 飯田 ふさ江(いいだ ふさえ、1925年〈大正14年〉10月4日 - 没年不明)は日本の童謡歌手、女優。本名飯田房江。 1925年(大正14年)、東京市板橋区板橋町に生まれる。父は歌人の飯田莫哀。板橋第二小学校在学中に長谷基孝のもとで童謡を学び、コロムビア専属の童謡歌手となる。千代田高等女学校卒業後は宮川美子に師事、東洋音楽学校に入学するが太平洋戦争により音楽学校が閉鎖となったため1944年(昭和19年)東宝に参加、女優となる。1949年(昭和24年)ごろに第八軍法務部勤務の丸山晴次と結婚する。
七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ… 七尾 伶子(ななお れいこ、本名:臼井 伶子(うすい れいこ)、1925年〈大正14年〉1月12日 - 2006年〈平成18年〉7月2日)は、日本の女優、声優。 東京市赤坂区(現・東京都港区)に生まれる。 東京府立第三高等女学校(現・東京都立駒場高等学校)在学中の1942年、子供の頃から好きだった歌や芝居が忘れられず、設立されたばかりのNHK東京放送劇団の試験を受け、一期生として合格。卒業と同時に養成所に入り、2年後に卒業。初めての出演は、全国にある国立病院の傷痍軍人向け慰問放送のドラマの主役だった。 その後、ラジオ漫画『サザエさん』『西遊記』、ラジオドラマ『君の名は』に出演するなど声優の草分けとして活躍。
阿里 道子(あり みちこ、1925年 - )は、日本の女優、… 阿里 道子(あり みちこ、1925年 - )は、日本の女優、声優。実践女子専門学校卒業。 東京都大田区千束出身。東工大の研究室に勤務していたが、1947年、劇団民藝の研究生となり、1948年に「たくみと恋」(民衆芸術劇場)のルイーゼ役で初舞台に上り注目を浴びたのち、東京放送劇団に移る。1949年にNHKラジオドラマの「えり子とともに」に主役のえり子役にオーディションで抜擢され、その甘い声で人気を博した。劇中歌として作られた「雪の降るまちを」を最初に歌ったのは、同番組に出演していた南美江と阿里道子である。1952年「えり子とともに」の終了後も引き続いて、脚本家菊田一夫の脚本によるNHKラジオドラマ「君の名は」で、ヒロイン役の氏家真知子役をつとめ、多大な人気を獲得した。
旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30… 旭 輝子(あさひ てるこ、1924年(大正13年)10月30日 - 2001年(平成13年)12月31日)は、日本の女優である。本名、杉 輝子(すぎ てるこ)。東京都台東区浅草出身。1938年(昭和13年)、実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退し松竹少女歌劇学校に入る。翌年、松竹少女歌劇団に入団。1947年(昭和22年)に退団。映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍した。
町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 20… 町田 博子(まちだ ひろこ、1924年10月25日 - 2010年)は、日本の女優である。本名は橋本 博子(旧姓小町谷)。特技は日本舞踊、東北弁、ピアノ。 1924年(大正13年)10月25日、東京府南多摩郡町田町原町田に生まれる。 1939年(昭和14年)、町田尋常高等小学校(現在の東京都立町田高等学校)を卒業。同年4月、日活多摩川演技研究所に4期生として入所し、翌1940年(昭和15年)12月、日活多摩川撮影所が製作した山本弘之監督映画『生活の歓び』で映画初主演。1942年(昭和17年)、戦時統制に伴う企業統合で大映に移籍し、後に大映芸能挺身隊に加入して全国を慰問する。 第二次世界大戦終結後の1945年(昭和20年)、伊賀山正徳監督映画『海の呼ぶ声』で復帰して以来、大映の専属女優として活躍。
越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野&… 越路 吹雪(こしじ ふぶき、本名;内藤 美保子、旧姓;河野<こうの>、1924年(大正13年)2月18日 - 1980年(昭和55年)11月7日)は、元宝塚歌劇団男役トップスター、シャンソン歌手、舞台女優。愛称は「コーちゃん」「コッシー」(旧姓から)。
楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は… 楠 トシエ(くすのき としえ、1924年1月11日 - )は、日本の歌手・女優・声優である。本名は楠山 敏江(くすやま としえ)。愛称はビンチャン。
沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ… 沼波 輝枝(ぬなみ てるえ、本名:沼波 華子(ぬなみ はなこ)、1923年12月31日 - 2013年4月1日)は日本の女優、声優。テアトル・エコーに所属していた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鴎高等学校)卒業。東京都出身。身長162cm。体重50kg。父は国文学者の沼波瓊音。姉は歌人の沼波万里子
井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 20… 井川 邦子(いがわ くにこ、1923年10月15日 - 2012年10月4日)は、日本の女優。一ツ橋家政女学校卒業。本名は野中 敏子(のなか としこ)。 1940年、松竹に入り、同年、河野敏子の芸名で『絹代の初恋』で映画デビュー。戦後、井川邦子と改名し、木下惠介、小津安二郎など巨匠の作品に数多く出演。中でも『わが恋せし乙女』『結婚』『肖像』『カルメン故郷に帰る』など木下作品に次々と出演し、木下学校の優等生としてスターの道を歩んだ。1960年の『笛吹川』を最後に映画界を離れ、その後はテレビドラマに出演していたが、1977年に女優業を引退。引退後は神奈川県鎌倉市で喫茶店を経営し、悠々自適の生活を送っていた。
南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013… 南 悠子(みなみ ゆうこ、1923年10月1日 - 2013年3月2日)は、女優、元宝塚歌劇団団員(月組・星組主演男役)。本名は上野悠子(うえのゆうこ)。東京府出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は161cm。宝塚歌劇団時代の愛称はユーコさん(本名の悠子から)。 宝塚歌劇団29期生。宝塚歌劇団では淡島千景、久慈あさみと共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。頌栄高等女学校(現・頌栄女子学院中学校・高等学校)出身。 1939年、宝塚音楽舞踊学校(現・宝塚音楽学校)に入学。 1941年、宝塚歌劇団に入団。初舞台公演演目は『正行出陣』である。宝塚入団時の成績は17人中7位。 また、宝塚在籍時においても南は映画やテレビドラマに数多く出演していた。
藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24… 藤間 紫(ふじま むらさき、1923年〈大正12年〉5月24日 - 2009年〈平成21年〉3月27日)は、東京都文京区根津出身の日本舞踊家、女優。本名:喜熨斗 綾子(旧姓:河野→藤間)。 日本医科大学元学長で理事長、日本私立大学協会会長も務めた河野勝斎の長女(9人兄弟のうち、4人が芸能、2人が医師)。12歳の時、六世藤間勘十郎に入門した。 夫は三代目市川猿之助(後の二代目市川猿翁、二代目藤間紫)。三世藤間勘祖(藤間高子)と俳優藤間文彦は、前夫六代目藤間勘十郎(二世藤間勘祖)との子。二代目中村藤太郎(前夫の養子となり3代目藤間大助を襲名後、六代目中村歌右衛門の芸養子になり中村藤太郎を襲名)、六代目中村東蔵は弟。
美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は… 美空 ひばり(みそら ひばり、1923年2月16日 - )は、日本の昭和の戦前期の女優である。 東京府北豊島郡日暮里町(現在の東京都荒川区日暮里地域)生まれ。本名:高城富久子(結婚後、山本富久子)。松竹少女歌劇学校第5回卒業生として1938年に松竹歌劇団に入団。美空ひばりという芸名はこの入団のときからのもの。先輩に類似した名前の「御空ひばり」がいるが別人。同歌劇団では、小月冴子や並木路子、加藤治子(御舟京子)の一期後輩。幾野道子の一期先輩。初舞台は浅草・国際劇場。 1940年に大都映画に入社し、複数の映画に主演または準主演で出演した。代表的な出演映画は、『大陸は微笑む』(弥刀研二監督、1940年)、『時代の狼火』(大伴龍三監督、1941年)、『太閤への使者』(益田晴夫監督、1941年)。
内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よし… 内海 桂子(うつみ けいこ、本名:安藤 良子(あんどう よしこ)、1923年〈大正12年〉1月12日 - 2020年〈令和2年〉8月22日)は、日本の芸人、漫才師、女優。漫才協会名誉会長、マセキ芸能社所属。 内海好江と約半世紀に渡って音曲漫才コンビ内海桂子・好江(1950年 - 1997年)を組んで人気となった。今村昌平との縁で横浜放送映画専門学院(当時)の専任講師も務めた。 桂子の当時の相方と好江の母親が兄弟弟子という縁で、当時14歳の好江を預けられる形でコンビを組んだ。好江とは14歳差で血縁関係はない。 好江の没後は漫才協団会長として東京演芸界を率いる傍ら、最古参の現役ピン芸人として都々逸や漫談、「名鳥名木 何の木に留めた」、「○○尽くし」などの軽口もこなした。
織賀 邦江(おりが くにえ、1922年11月6日 - 197… 織賀 邦江(おりが くにえ、1922年11月6日 - 1972年11月28日)は、日本の女優。本名は石橋ウララ。東京都出身。父は歌人の大賀知周。夫は劇作家の石崎一正。 東京府荏原郡馬込村で生まれる。立正高等女学校(現・東京立正高等学校)卒業。芸名はオリガ・クニッペルに因んでいる。 女学校在学中に滝沢修の舞台『どん底』を見たことがきっかけで芸術小劇場の研究生となる。1941年に第一生命に入社し社長秘書を務める。1943年に第一生命を退社し、瑞穂劇団に入団。1948年に大映に入社。『土曜夫人』が映画デビュー作となる。1951年、戯曲座に入団し、活動の中心を舞台に戻す。1953年に炎座に移籍。その後は銀座プロに所属。
森下 彰子(もりした あやこ、1922年6月1日 - 194… 森下 彰子(もりした あやこ、1922年6月1日 - 1945年8月6日)は日本の女優。
久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日… 久慈 あさみ(くじ あさみ、1922年〈大正11年〉5月2日 - 1996年〈平成8年〉7月11日)は、日本の女優、歌手。元宝塚歌劇団月組男役トップスター。東京市京橋区(現・中央区)新富町出身。本名は森山 淑子。 生家は、明治時代に歌舞伎役者の写真を多数撮影した森山写真館。1939年、麹町高等女学校卒業後、宝塚音楽舞踏学校に進む。宝塚歌劇団29期生。1941年、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は17人中9位。淡島千景、南悠子と共に『東京の三羽烏』と呼ばれた。相手役だった淡島千景が松竹入社したことなどに刺激を受け、1950年、宝塚を退団。新東宝と出演契約を結び『愛染香』で映画デビューする。 1951年、ビクターレコードと専属契約を結び、主演した新東宝映画『恋人』『ブンガワンソロ』『女豹の地図』等の主題歌を歌う。
牧 よし子(まき よしこ、本名;大木 よし子、1921年3月… 牧 よし子(まき よしこ、本名;大木 よし子、1921年3月17日 - )は、東京都出身の女優。山脇学園高等女学校卒。趣味は朗読。
暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 19… 暁 テル子(あかつき てるこ、1921年1月21日 - 1962年7月20日、本名:関根 ひさ)は、昭和20年代に活躍した日本の歌手、女優。愛称は「テリー」。 SSK(松竹少女歌劇団)出身。 1933年(昭和8年)、子役でデビュー。 1939年(昭和14年)準幹部となり、並木路子らと4人のジョリー・シスターズで活躍。 1941年(昭和16年)古川ロッパ一座に入団。東宝、松竹の舞台でも活躍。 戦後はアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)専属となり外国人兵から「テリー」と愛称で呼ばれ人気を博した。 1948年(昭和23年)大映と契約し、『春爛漫狸祭』で映画デビュー。 1949年(昭和24年)、照子からテル子に改名。
賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日… 賀原 夏子(かはら なつこ、1921年〈大正10年〉1月3日 - 1991年〈平成3年〉2月20日)は、日本の女優、演出家。本名は塚原 初子。 文学座に入座して多くの舞台に立ち、地味な老け役で活躍した。喜びの琴事件で文学座を脱退後は劇団NLTを結成してその主宰となり、フランス喜劇の上演に意欲を燃やした。舞台のほか映画、テレビドラマへの出演も多い。メイクアップ技術の研究家としても有名で、入門書を出版している。主な出演舞台に『二十六番館』『島』、映画に『流れる』『女の歴史』など。演出家として『ロマノフとジュリエット』なども発表している。 1921年(大正10年)1月3日、東京府東京市牛込区余丁町(現在の東京都新宿区余丁町)に生まれる。
大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま … 大路 三千緒(おおじ みちお、本名:神山 美知子(かみやま みちこ)、1920年〈大正9年〉2月21日 - 2021年〈令和3年〉1月12日) は、日本の女優。元宝塚歌劇団花組・雪組組長で宝塚歌劇団卒業生。東京都出身。愛称は「ミッちゃん」(本名から)。 1937年、立教高等女学校を卒業。 卒業後、宝塚少女歌劇団に宝塚歌劇団27期生として入団(同期生は越路吹雪、乙羽信子、東郷晴子、月丘夢路など)。宝塚入団時の成績は93人中70位。 1939年、初舞台を踏む。宝塚時代は男役を多く演じているが、娘役(とりわけ中年女性役)も初舞台当時より演じることが多かった。 終戦を経て、宝塚再興後の1951年 - 1952年に花組組長、1961年 - 1975年に雪組組長を歴任。