蘭茶 みすみ(らんちゃ みすみ、1996年10月23日 - … 蘭茶 みすみ(らんちゃ みすみ、1996年10月23日 - )は、日本のバーチャルYouTuber、メタバースアイドル、ジャーナリスト。発達障害と性的マイノリティを公表し、「マイノリティメタバースアイドル」として活動している。2018年4月活動開始。季刊総合誌「情況」に2022年から定期的に寄稿している。元長野日報記者。
長野県:46人
蘭茶 みすみ(らんちゃ みすみ、1996年10月23日 - … 蘭茶 みすみ(らんちゃ みすみ、1996年10月23日 - )は、日本のバーチャルYouTuber、メタバースアイドル、ジャーナリスト。発達障害と性的マイノリティを公表し、「マイノリティメタバースアイドル」として活動している。2018年4月活動開始。季刊総合誌「情況」に2022年から定期的に寄稿している。元長野日報記者。
古川 琢也(ふるかわ たくや、1976年〈昭和51年〉3月1… 古川 琢也(ふるかわ たくや、1976年〈昭和51年〉3月17日 - )は、日本のルポライター、ジャーナリスト、フリーライター。
宮下 洋一(みやした よういち、1976年 - )は、日本の… 宮下 洋一(みやした よういち、1976年 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。フランス・パリ在住。 長野県生まれ。長野県屋代高等学校卒業後、18歳でアメリカ合衆国に渡り、ウエスト・ヴァージニア州立大学外国語学部を卒業。その後、スペイン・バルセロナ大学大学院で国際論修士、同大学院コロンビア・ジャーナリズム・スクールで、ジャーナリズム修士。スペインの全国紙「エル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ」で記者経験を経てから、フリーのジャーナリストとなる。 フランス語、スペイン語、英語、ポルトガル語、カタラン語を話す。フランスやスペインを拠点としながら世界各地を取材。2015年『卵子探しています:世界の不妊・生殖医療現場を訪ねて』で第21回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。
峯村 健司(みねむら けんじ、1974年8月21日 - )は… 峯村 健司(みねむら けんじ、1974年8月21日 - )は、日本のジャーナリスト。 朝日新聞編集委員外交・米中関係担当を経て、青山学院大学客員教授、キヤノングローバル戦略研究所上席研究員。日本防衛学会会員。 長野県生まれ。東京都立青山高等学校、青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科卒業。1997年 朝日新聞社入社、大津支局、広島支局、大阪本社社会部など勤務。2005年 - 2006年 中国人民大学留学。2007年 - 2013年 中国総局北京特派員、中国共産党大会取材。2011年 中国の安全保障政策や情報政策に関する報道で2010年度ボーン・上田記念国際記者賞。2013年 - 2014年 ハーバード大学フェアバンク中国研究センター客員研究員、エズラ・ヴォーゲルに師事。
三神 万里子(みかみ まりこ、1972年 - )は、日本のジ… 三神 万里子(みかみ まりこ、1972年 - )は、日本のジャーナリスト、キャスター。 日本外国特派員協会会員。日本文藝家協会会員。公認不正検査士。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校、慶應義塾大学環境情報学部(1期生)卒業。英ケンブリッジ大学エグゼクティブコース修了(サステナビリティ経営管理)。 日米のオピニオン誌、経済誌等で執筆。2004年から2年間、国立情報学研究所プロジェクト研究員。2007年から5年間、信州大学経営大学院客員准教授(地域経済・組織論)。元BSジャパン番組審議会委員(10年任期満了)。 経済産業省産業構造審議会製造産業分科会委員、国土交通省奄美群島振興開発審議会委員、総務省地域力創造推進研究会委員。
会津 泰成(あいず やすなり、1970年2月27日 - )は… 会津 泰成(あいず やすなり、1970年2月27日 - )は、日本の男性アナウンサー、ジャーナリスト、ライター。 長野県長野市出身。大東文化大学文学部中国文学科卒業。1993年、FBS福岡放送に入社しプロ野球やJリーグなどのスポーツ中継を担当した。1999年に作家を目指して退社。放送作家としては世界陸上(TBS)や錦織圭のドキュメンタリー(WOWWOW)など多数担当した。 2001年、親友でもあるプロボクサー、越本隆志の世界初挑戦を追って描いた『30回目の365分の1』で第9回Numberスポーツノンフィクション新人賞(文藝春秋)最終候補5作品に残る。翌年、バンコクから来た元ムエタイチャンピオンと高校に通わず自分探しをしていた少年との交流を描いた『ヌンサヤーム』で、第10回Numberスポーツノンフィクション新人賞受賞。
青木 理(あおき おさむ、1966年10月26日 - )は、… 青木 理(あおき おさむ、1966年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト、TVコメンテーター、元共同通信社記者、元ソウル特派員。身長は183cm。 長野県小諸市生まれ。父は元小学校教員。長野県野沢北高等学校、慶應義塾大学文学部卒業後、1990年共同通信社入社。 同社では大阪社会部、成田支局を経て東京社会部で警視庁の警備公安部門などを担当。オウム真理教事件、阪神大震災、種々の公安事件や経済事件を取材する。 1997年から1998年まで韓国の延世大学校韓国語学堂に留学し、外信部勤務を経て2002年から2006年までソウル特派員を務める。社会部在籍中の2000年1月に『日本の公安警察』を講談社現代新書から著した。
近藤 哲司(こんどう てつじ、1960年 - )は、日本の新… 近藤 哲司(こんどう てつじ、1960年 - )は、日本の新聞記者、ジャーナリスト。株式会社産業経済新聞社代表取締役社長。 長野県松本市出身。亜細亜大学経済学部卒業後の1987年に産経新聞社入社。1997年から約2年間、米スタンフォード大学に留学。同社編集局、東京本社の経済部、営業局開発部長、デジタルメディアセンター長、米スタンフォード大学アジア太平洋研究センター客員研究員などを経て、2009年から産経デジタル代表取締役社長。2013年から同社取締役デジタル担当を兼務し、2015年からは代表権のない取締役会長となる。その後、産経新聞社取締役、常務取締役を歴任し、2020年6月から専務取締役。2022年6月24日付で代表取締役社長に就任した。
日垣 隆(ひがき たかし、1958年7月30日 - )は、作… 日垣 隆(ひがき たかし、1958年7月30日 - )は、作家、英語学校経営、ギャンブラー、トレーダー、ジャーナリスト。 少年犯罪を扱ったノンフィクションや、時事問題を扱ったコラムなど幅広い著作で知られる。2012年より英語学校の主宰も始めた。 長野県長野市生まれ。東北大学法学部卒業。大学時代は、全日本学生自治会総連合(全学連)の委員長及び、東北大学生活協同組合の学生組織部員も務めた。在学中に結婚(後に離婚)。書店員、トラック配送員、販売員、編集者といった様々な職業を経て、1987年より、作家・取材活動に入る。 徹底的な調査と検証による鋭い筆致が特長で、1993年春から連載が始まった「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)の巻頭コラム「敢闘言」(“巻頭言”のもじり)で頭角を現した。
五味 洋治(ごみ ようじ、1958年7月26日 - )は、日… 五味 洋治(ごみ ようじ、1958年7月26日 - )は、日本のジャーナリスト。東京新聞編集委員、元記者。 長野県茅野市生まれ。1982年、早稲田大学第一文学部卒業。 1983年に中日新聞社東京本社へ入社し、川崎支局、文化部、政治部を経て、1997年に大韓民国の延世大学校に語学留学する。また、1999年から2002年までソウル支局に、2003年から2006年まで中国総局に勤務する。また、2008年から2009年までフルブライトフェローとしてアメリカ合衆国のジョージタウン大学に在籍する。2012年より東京新聞編集委員を務める。 2004年9月25日、北京首都空港で朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の外務省副局長宋日昊の出待ちをしていた報道陣の前に、当時の北朝鮮最高指導者であった金正日の長男である金正男が姿を表した。
二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本の… 二村 伸(にむら しん、1957年7月7日 - )は、日本のジャーナリスト・NHK解説委員・ニュースキャスター。 長野県松本市出身。長野県松本県ヶ丘高等学校を経て大阪外国語大学アラビア語科卒業後、1980年に入局した。 1990年~1994年カイロ特派員時代に、湾岸戦争、パレスチナ紛争、アフリカ内戦等を取材、戦場報道記者として活動。 1997年~2004年ボン、ベルリン支局長(欧州連合拡大、アフガニスタン戦争、イラク戦争等取材)。 2004年以降、報道局国際部担当部長、NHK解説委員、アジア総局長(バンコク駐在)、NHK海外ネットワークキャスターを担当。 2015年以降、NHK解説委員室解説副委員長を務める。
武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷… 武井 一巳(たけい かずみ、1955年 - )は、長野県岡谷市出身のジャーナリスト、評論家。 長野県諏訪清陵高等学校卒業、明治大学政治経済学部卒業。大学在学中から週刊誌、月刊誌等にルポルタージュを発表。ビジネス、経済、先端技術分野の評論のほか、パソコン関連、インターネット関連の解説書を多数執筆。また雑誌等にエッセイ、コラムなどを多数発表している。 その他パソコン、ネットワーク関連の著書多数
荻原 博子(おぎわら ひろこ、1954年5月27日 - )は… 荻原 博子(おぎわら ひろこ、1954年5月27日 - )は、日本の経済評論家、ジャーナリスト。 長野県小諸市出身。長野県上田染谷丘高等学校、明治大学文学部卒業。大学卒業後は経済評論家の亀岡大郎に師事し、亀岡大郎取材班グループでビジネス誌の記事を担当。1982年、27歳の時にルポライター転身を目指し独立。 「満州・浅間開拓の記」という満州引揚者のルポを書くために、約1年間、長野県大日向村を取材。国が国民を棄て去る「棄民」を知り、戦争の酷さを精神的に受け止められず、本は完成し出版されたがルポライターの道を諦め、再びビジネスの世界で記事を書くようになったとしている。 テレビやネット番組のコメンテーター、解説者、パネリストとしても活動している。
櫻井 寛(さくらい かん、1954年3月9日 - )は、日本… 櫻井 寛(さくらい かん、1954年3月9日 - )は、日本のフォトジャーナリスト。日本写真家協会、日本旅行作家協会会員、漫画原作者。
池上 彰(いけがみ あきら、1950年〈昭和25年〉8月9日… 池上 彰(いけがみ あきら、1950年〈昭和25年〉8月9日 - )は、日本の大学教授、ジャーナリスト、ニュース解説者。長野県松本市出身、元NHK職員。 長野県松本市に生まれ、東京都練馬区で育つ。池上家のルーツは松本で、祖父の代に東京に移り住んだ。父は東京で就職し、転勤先の松本で母と出会い、彰が生まれた。父親は銀行員。子供の頃の愛読書は『クオレ』だった。また、父親が池上が小学生の時に買って帰り、「読め」と言って手渡したのが『君たちはどう生きるか』であり、2017年同書が新装版となって刊行された際にまえがきを寄稿した。練馬区立光和小学校、練馬区立開進第三中学校卒業。 小学5年生の時に、地方新聞記者の活躍を描いた『続地方記者』(1962年、朝日新聞社)と出会ったことと、東京都立大泉高等学校在学中に、広島抗争において暴力団と対決した中国新聞記者がモデルのドラマ『ある勇気の記録』(NETテレビ(現:テレビ朝日))を観たことがきっかけで、記者を志すようになる。
伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は… 伊藤 洋一(いとう よういち、1950年1月22日 - )は、日本の経済評論家、エコノミスト、ジャーナリスト。 株式会社三井住友トラスト基礎研究所主席研究員。CS-TBS番組審議委員。コメンテイターとしてテレビ番組やラジオ番組に出演することもある。 長野県諏訪市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て1973年早稲田大学政治経済学部卒業。 1973年 時事通信社入社。外国経済部の報道記者。1976年 ニューヨーク特派員として4年間を過ごすが、国内での記者経験はない。その後中途入社で1986年 住友信託銀行に為替営業室長として入社。資金為替部為替カスタマー調査役、市場金融部調査役、為替営業室長を歴任。
飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医… 飯島 裕一(いいじま ゆういち、1948年- )は、日本の医学ジャーナリスト、評論家。 長野県上田市生まれ。北海道大学水産学部卒業。信濃毎日新聞社入社後、報道部、整理部、文化部を経て1994年編集委員。日本科学技術ジャーナリスト会議理事。専門は医学・医療・健康問題。
花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 20… 花岡 信昭(はなおか のぶあき、1946年4月2日 - 2011年5月14日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト、産経新聞客員編集委員。拓殖大学大学院地方政治行政研究科教授。保守の論客として知られた。 長野県長野市生まれ。信州大学教育学部附属長野小学校、信州大学教育学部附属長野中学校、長野県長野高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。幼・小・中・高では作家の猪瀬直樹と同級であった。1969年産業経済新聞社入社。社会部を経て政治部に属し政治部長、論説副委員長を歴任。2002年退社し、評論活動に入る。2007年、産経新聞客員編集委員に就任。 2011年5月14日、心筋梗塞のため東京都新宿区の病院で死去、65歳。
宮 淑子(みや よしこ、1945年2月18日 - 2015年… 宮 淑子(みや よしこ、1945年2月18日 - 2015年4月4日)は、フリージャーナリスト、女性学者。 長野県飯田市生まれ。『月刊教育の森』編集部員を経てフリージャーナリスト。女性問題・教育問題・医療問題のルポ、評論、講演を行うほか、シャンソン歌手としてもリサイタルを行っていた。埼玉女子短期大学非常勤講師(女性学)。 2015年4月4日、膵臓がんのため死去。70歳没。
河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 … 河野 實(こうの まこと、1941年(昭和16年)8月8日 - )は、日本のジャーナリスト。『愛と死をみつめて』の筆者でもある。 大阪府大阪市に生まれる。太平洋戦争中、長野県伊那市に疎開した。自身は「長野の農家の息子」と称し、畑仕事は小学生時から嫌々ながら手伝わされたという。 長野県伊那北高等学校卒業後、浪人中に大阪大学医学部附属病院に入院する。中央大学商学部に進学後、3年生の時に実体験をもとにした『愛と死をみつめて』を出版し、150万部を超えるベストセラーとなった。のちに大学は中退した。 1965年(昭和40年)、ジャーナリストを目指して、東京写真専門学校報道写真科に入る。 その後、フリーカメラマン、自動車専門誌記者を経て、1976年(昭和51年)、経済界 (出版社)に入社。
瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)… 瀬木 潔(せぎ きよし、1941年 - 2021年2月3日)は、日本の実業家、ジャーナリスト。信濃毎日新聞社専務取締役、長野放送副社長を歴任。 長野県上伊那郡辰野町出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東北大学文学部卒業。信濃毎日新聞社入社。同社松本本社代表、同社常務取締役、同社専務取締役、同社監査役を経て、長野放送副社長。長野県バレーボール協会会長。
小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、… 小林 和男(こばやし かずお、1940年5月2日 - )は、日本のジャーナリスト。NHK記者を務めた。専門はロシア情勢。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1963年に東京外国語大学ロシア語学科を卒業。 同年にNHK入局後、神戸放送局で新人時代を送る。東京に異動後は外信部(現在の国際部)に配属され、1970年から1972年までモスクワ特派員を務めた後、ウィーンを拠点とする東欧移動特派員として活動した。 東京に戻ってからは、1982年より野中ともよと共に『海外ウィークリー』(現在の『NHK海外ネットワーク』のルーツにあたる)のキャスターとして活動。番組終了後、再び現場に戻り、1984年から1987年まで、1989年から1995年までの2度に渡ってモスクワ支局長を務める。
林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 20… 林 利隆(はやし としたか、1939年10月29日 - 2005年9月16日)は、日本のジャーナリスト・大学教員。関西大学社会学部教授・早稲田大学教育学部教授を歴任。専門分野は、ジャーナリズム論・マスコミュニケーション論・新聞学・メディア論。 長野県岡谷市出身。1958年長野県諏訪清陵高等学校卒業、1962年早稲田大学第一文学部哲学科卒業。日本新聞協会入社。編集部副主管、業務部副主管を経て、1977年より編集部主管。1983年に日本新聞協会研究所研究員、1986年から再び編集部主管として雑誌『新聞研究』・機関紙『新聞協会報』の編集長を務め、1988年より日本新聞協会研究所所長。1991年、同職を退任、退職。
水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - … 水城 武彦(みずしろ たけひこ、1939年10月22日 - 2008年3月6日)は、日本の経済ジャーナリスト。NHK記者、解説委員。
丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、… 丸山 勝(まるやま まさる、1939年7月12日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、中国研究家。 長野県塩尻市生まれ。1963年京都大学文学部東洋史学科卒、読売新聞記者となる。1971年から1973年までインドネシア・ジャカルタ特派員、1975年から1978年までケニア・ナイロビ特派員を務めた後、中華人民共和国・北京支局長、アジア総局長、外報部次長、読売新聞調査研究本部主任研究員を務めた。 1994年から1998年まで文教大学文学部で非常勤講師、また台湾国策研究院客員研究員を務めた。目白大学社会学部メディア表現学科教授として国際ジャーナリズム論の教鞭を執った。
藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )… 藤村 延魚(ふじむら えんぎょ、1938年2月11日 - )は、日本のホテルマン、国際観光ジャーナリスト。有限会社フジプラン代表取締役。元チョイスホテルズインターナショナル副社長兼日本支社長。現在は東京都杉並区在住。 長野県上田市小泉出身。長野県上田高等学校、1962年金沢大学文学部哲学科(人間学科)卒業。大学時代は馬術部に所属していた。 59歳まで約40年間、米国やマレーシア等世界各国のホテルで勤め、国際ホテルマンとして名が知られるようになる。東京のヒルトンホテルに勤務後、アメリカへ留学。フロリダ州立大学経営学部、サンフランシスコ市立大学ホテル経営学部卒業。 マレーシアのクアラルンプールに6年間滞在、リージェントホテル営業部長として勤務。
高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 20… 高橋文利(たかはし ふみとし、1937年11月3日 - 2004年11月3日)は、日本のジャーナリスト、経済評論家、政治家。 長野県諏訪郡下諏訪町生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京大学文学部卒、朝日新聞社に入り、論説副主幹。1995年立命館大学政策科学部教授となる。2002年脱ダムを唱えて長野県下諏訪町長に当選するが、在任中の2004年に急性心筋梗塞のため死去した。
堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - … 堀内 敏宏(ほりうち としひろ、1937年10月26日 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県諏訪郡原村出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1960年東京外国語大学英米科卒業、NHK入局。ニューヨーク特派員、ジュネーヴ支局長、ウイークエンド中部初代キャスター、外信部長、解説主幹を歴任。1994年退職後は小平市教育委員長を務めた。2014年から諏訪郷友会理事長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日… 中澤 孝之(なかざわ たかゆき、1935年1月 - )は、日本のジャーナリスト、ロシア・ソ連研究家。 大連市生まれ。長野県南佐久郡佐久穂町に育つ。長野県野沢北高等学校を経て、東京外国語大学ロシア語科国際関係課程卒業。時事通信社入社、本社経済部記者、シンガポール、クアラルンプール、モスクワ特派員、モスクワ支局長、外信部次長、整理部次長、外信部長、県立新潟女子短期大学国際教養学科教授、長岡短期大学教授、長岡大学産業経営学部教授などを務めた。モスクワ勤務の期間は通算9年強。妻幸子(ゆきこ)との間に3人の子供がいる。長男は「なかざわひでゆき」の名前で、映画と音楽の評論執筆活動を行う(http://angeleyes.dee.cc/)かたわら、随時、TVチャンネル「WOWOWプライム」の木曜夕方の番組「ザ・プライムショー」に出演中。
岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナ… 岩垂 弘(いわだれ ひろし、1935年‐)は、日本のジャーナリスト。元朝日新聞記者。日本の平和運動や協同組合運動を中心に取材活動をしている。 長野県岡谷市生まれ。長野県諏訪清陵高等学校を経て、1958年早稲田大学政治経済学部卒業、同年朝日新聞社に入社。盛岡、浦和、静岡各支局員、東京本社の社会部員、北埼玉支局長、浦和支局次長、首都部次長、社会部次長、編集委員などを歴任。1995年退職。現在、平和・協同ジャーナリスト基金代表運営委員、ブログ「リベラル21」副代表。 朝日新聞の社会部にいた岩垂は仲間と「北朝鮮は地上の楽園」という記事を書いた。この地上の楽園キャンペーンは20年以上続いた。2004年7月8日、「北朝鮮の素顔」という記事で、「情報が少なかった」「十分な取材ができなかった」から想像で天国のように書いたと認めた。
伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャ… 伊藤 力司(いとう りきじ、1934年 - )は、日本のジャーナリスト。 長野県茅野市出身。長野県諏訪清陵高等学校を経て、東京外国語大学フランス語科卒業。1958年共同通信社入社。外信部、サイゴン支局長、パリ支局長、ハノイ支局長、国際局次長、編集委員次長、論説副委員長などを務めた。
倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日… 倉嶋 康(くらしま やすし、1933年1月7日 - )は、日本のジャーナリスト。冒険家。社会活動家。 父は長野市長を務めた倉島至。叔父は気象学者の倉嶋厚。 中国・北京生まれ。朝鮮総督府に勤務する父の転勤に伴い、現在の北朝鮮と韓国を転住。終戦後、長野市に引き揚げ。長野県長野北高等学校(現・長野県長野高等学校)を経て、早稲田大学第一政治経済学部政治学科を卒業後、1955年に毎日新聞社入社。 毎日新聞社入社後は福島支局に配属される。福島在勤2年目の1957年、松川事件で死刑判決を受けて上告中の被告人のアリバイを立証する証拠である『諏訪メモ』を福島地方検察庁郡山支部の支部長が保管していることを掴んだ。検事への聞き取り調査を進めて諏訪メモの存在を確認し、1957年6月29日付毎日新聞福島版記事でこれをスクープ報道。
津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日… 津野田 勲(つのだ いさお、1933年1月1日 - )は、日本のジャーナリスト。本名は角田 勲。 長野県佐久市出身。長野県岩村田高等学校卒業後、早稲田大学文学部露文科に進学。大学在学中に業界紙の「香粧品新報社」に記者として入社。大学中退。その後「香粧品新報社」は「㈱週刊粧業」に吸収されたため「㈱週刊粧業」の記者として約2年間勤務。 1956年に友人と3名で「日本香料新聞社」を設立。1973年に同社を退社し「㈲フレグランスジャーナル社」を設立。代表取締役時代の1985年に出版したアロマテラピー専門書『アロマテラピー〈芳香療法〉の理論と実際:著者ーロバート・ティスランド、訳者ー高山林太郎』がベストセラーとなり、日本におけるアロマテラピーブーム火付け役の一人となった。
本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は… 本多 勝一(ほんだ かついち、1932年1月28日 - )は、日本の新聞記者・ジャーナリスト・作家。元朝日新聞編集委員。 長野県下伊那郡大島村(現在の松川町)に生まれる。 長野県飯田高松高校卒。高校3年次の担任はのちに日本古生物学会の会長を務めた鹿間時夫であった。同級に富永明夫がおり、後に本多の義兄となった。 本多には脳性小児麻痺の妹がいた。父は雑貨商を営んでおり、本多には薬科大学に進むことで薬局を加えた店の跡を継いでほしいと願っていた。本多は高校で木原均の講演に感銘を受け、京都大学で遺伝学を学びたいと考えたため、父と衝突した。結局、薬剤師の資格を取得すれば好きなことをやってもよいとの妥協案を受け入れ、千葉大学薬学部に進学。
小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 199… 小西 昭之(こにし あきゆき、1931年4月7日 - 1994年8月1日)は、日本のジャーナリスト。 長野県出身。長野県松本県ヶ丘高等学校、東京大学教養学部教養学科卒業後、1955年毎日新聞入社。イギリス留学(ロンドン大学政治経済大学院修了)、外信部記者、ロンドン特派員を経て、北米総局長、外信部部長を歴任。 縣陵新聞部時代(1949年~1951年)、小西が部長を務めた1950年の中日新聞社主催全国新聞コンクールで第2位、1951年の朝日新聞社主催全国新聞コンクールで第3位の成績を残している。
小坂 巖(こさか いわお、1931年 - )は長野県須坂市出… 小坂 巖(こさか いわお、1931年 - )は長野県須坂市出身のフリーアナウンサー、競馬ジャーナリスト。 1954年、日本短波放送にアナウンサーの第1期生として入社。1956年の『中央競馬実況中継』開始に伴い、実況アナウンサーを務めた。 東京優駿(日本ダービー)では1年おきに実況を務めたほか、1964年の菊花賞ではシンザンによる中央競馬史上2頭目のクラシック三冠達成の瞬間を伝えた。このときは道中での様子から「シンザン、どうやらこれで、三冠馬ダメか」、「シンザン、どうやら三冠できそうにない」と実況してしまい、忘れられないと語っている。また、俗に「シンザンが消えた」という文句で知られる翌1965年の有馬記念の実況も小坂が担当している。
塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )… 塩沢 実信(しおざわ みのぶ、1930年11月29日 - )は、出版ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、… 林 建彦(はやし たけひこ、1928年11月3日 - )は、日本のジャーナリスト、東海大学名誉教授。韓国現代史専攻。 長野県飯田市出身。名古屋大学経済学部卒。1953年サンケイ新聞入社。ソウル特派員、 政治部次長、編集委員。1977年東海大学文学部教授。94年定年退任、名誉教授。
後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 20… 後藤 道夫(ごとう みちお、1927年(昭和2年) - 2017年12月22日)は、日本の科学ジャーナリスト・サイエンスプロデューサー、科学教育研究家。平成記念かざこし子どもの森公園初代公園長、飯田市少年少女発明クラブ会長、東京の科学実験グループ「ガリレオ工房」名誉会員。 長野県飯田市生まれ。東京理科大学理学部物理学科卒業。工学院大学附属高等学校で教諭を、工学院大学、東京都立大学 (1949-2011)、上智大学、明治大学などで講師を務める。 1992年に「青少年のための科学の祭典」を設立。科学技術館を中心とし、日本各地の80都市で行った。第1~4回、9回の全国大会実行委員長を務めた。 現在はサイエンスプロデューサーとして、各地で「親子科学教室」など開催するほか、飯田市科学教育ボランティアグループ「おもしろ科学工房」(平成13度組織化)スタッフとともに市内および下伊那郡内の小・中学校を対象に「巡回科学実験教室」(平成11年度スタート)を開設している。
土屋 亨(つちや とおる、1923年10月6日 - 2002… 土屋 亨(つちや とおる、1923年10月6日 - 2002年10月15日)は、長野県出身のプロ野球選手(内野手)、スポーツジャーナリスト(スポーツライター)、野球解説者。
韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は… 韮沢 忠雄(にらさわ ただお、1922年 - 2007年)は、日本のジャーナリスト。日本共産党で赤旗編集局長等を歴任し、既存マスコミの報道におけるタブーへの批判などを展開した。 長野県小諸町生まれ。実家は洋服屋。小諸商業学校(現長野県小諸商業高等学校)を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)に進学。大学在学中金沢で陸軍に勤務。高島善哉ゼミ出身。 大学に復学後、共産党シンパの学生らで組織された民主主義科学研究会(民研)に本間要一郎(のちに横浜国立大学名誉教授)、岡稔(のちに一橋大学教授)、佐藤定幸(のちに一橋大学名誉教授)らとともに参加し、主要メンバーとして活動した。民研はのちに、学生自治会委員長となった弓削達(のちに東京大学名誉教授)から批判を受けるなどし解散して社会科学研究会に改組した。
清沢 洌(きよさわ きよし、旧字体: 淸澤 洌、1890年〈… 清沢 洌(きよさわ きよし、旧字体: 淸澤 洌、1890年〈明治23年〉2月8日 - 1945年〈昭和20年〉5月21日)は、日本のジャーナリスト、評論家。外交問題、特に日米関係の評論で知られ、またその太平洋戦争下における日記が『暗黒日記』として戦後公刊されたことでも名高い。 なお名前は「冽(にすい)」でなく「洌(さんずい)」。存命中から「れつ」と呼ばれることも多く、本人もしばしばそのような署名を行っていた。パスポート名はRETSU KIYOSAWAとなっていた。 長野県南安曇郡北穂高村(現安曇野市)の比較的裕福な農家の三男として生まれた。井口喜源治の主宰する研成義塾で学んだ。1907年(明治40年)、17歳のとき当時の同地での渡米熱をうけて、研学移民(学生となるための立場での移民)としてアメリカ合衆国ワシントン州に渡航し、塾生たちとともに「シアトル穂高倶楽部」を結成した。
野村 秀雄(のむら ひでお、1888年1月8日 - 1964… 野村 秀雄(のむら ひでお、1888年1月8日 - 1964年6月20日)は、日本のジャーナリスト、放送経営者。朝日新聞社代表取締役、熊本日日新聞社社長、第8代日本放送協会(NHK)会長を歴任。広島県双三郡原村(現・三次市十日市町)出身。 旧制三次中学校(現・広島県立三次高等学校)を経て1911年、早稲田大学専門部法律学校卒業。立憲政友会の機関誌中央新聞に就職、続いて徳富蘇峰社長の國民新聞に移った。ここで原敬の信頼を得て政治記者として大成の道を歩む。1920年朝日新聞社入社。38歳で政治部部長となり取材体制の近代化、政治記事の刷新を行い、記憶力のよさと行動的取材力で「夜討ち朝駆け」の記者像をつくったと言われる。
松岡 好一(まつおか こういち、1865年 - 1921年6… 松岡 好一(まつおか こういち、1865年 - 1921年6月29日)は、日本のジャーナリスト。 信濃国安曇郡二木村(長野県安曇野市)生まれ。幼少時に両親を亡くし叔父に育てられた。伊那郡飯田町(同県飯田市)で漆器店に丁稚奉公した後、15歳で上京し榊原鍵吉に入門する。母方の従兄にあたる松沢求策の自由民権運動に従い、東洋自由新聞や八丈島での事業を手伝い、小笠原諸島で小学校の教諭となる。 その後、三菱高島炭鉱で働いた時の坑内労働者酷使の実情を、1888年に雑誌『日本人』に告発し大きな反響を呼んだが、犬養毅が『朝野新聞』でこれを否認したため論争となった。この頃、朝鮮から亡命中の金玉均とも交わった。 1891年、外務大臣榎本武揚の意を受け、日本の人口過多問題解決のため、南方移民推進政策を取り、軍艦「比叡」に乗組んで南洋を航海した。
赤羽 萬次郎(あかばね まんじろう、1861年 - 1898… 赤羽 萬次郎(あかばね まんじろう、1861年 - 1898年)は、日本の新聞記者・自由民権派ジャーナリスト。北國新聞社初代社長・主筆。雅号は「痩鶴(そうかく)」。 1861年、信濃国松本にて、商家の次男として誕生。 18歳の時に地元の自由民権運動の政治結社「奨匡社」の設立に加わり、新聞・雑誌に政論を発表する。 1881年に上京、日本最初の日刊新聞である「東京横浜毎日新聞」の記者となる。社主が主催する演説団体「嚶鳴社」同人として各地を遊説。大隈重信の立憲改進党にも参加した。 1886年、金沢の改進党系の新聞「北陸新報」に主筆として招かれるも、5年後に社長が自由党系に身売りしたことに反発し退社。 1893年8月5日に「北國新聞社」を興し自ら社長・主筆となる。
元川 悦子(もとかわ えつこ)、1967年 - )はフリーの… 元川 悦子(もとかわ えつこ)、1967年 - )はフリーのサッカージャーナリスト。長野県松本市出身。