福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学… 福田 静夫(ふくだ しずお、1932年 - )は、日本の哲学者。日本福祉大学名誉教授。 岐阜県美濃加茂市生まれ。岐阜県立華陽高等学校卒業。名古屋大学文学部哲学科卒業。1965年同大学大学院文学研究科博士課程修了。 愛知大学講師を経て、日本福祉大学社会福祉学部教授。 「名古屋哲学セミナー」常任講師。同セミナーは1976年に真下信一を講師に迎えて始まり、1985年に真下が亡くなった後は教え子の吉田千秋と福田静夫が講師を引き受けた。2000年10月には福田を解説者とする「イタリア映画を楽しむ会」、2002年6月には福田を講師とする「ヘーゲルを読む会」が発足している。 書店大地が2004年に出版した「ヘーゲルを読む会」の記録集『ヘーゲルを読む No.1』には論文「ヘーゲルの『自然法論』のために」が収録されている。
稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、… 稲葉 宏雄(いなば ひろお、1931年8月16日 - )は、教育学者、京都大学名誉教授。 岐阜県大垣市生まれ。1954年京都大学教育学部卒業。59年同大学院教育学研究科博士課程単位取得退学、京都女子大学文学部専任講師、65年助教授。1972年京都大学教育学部助教授、79年教授。88年教育学部長、95年定年退官、名誉教授、近畿大学生物理工学部教授。2000年龍谷大学文学部教授。2003年退職。
野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、… 野原 敏雄(のはら としお、1930年8月31日 - )は、日本の経済地理学者、中京大学名誉教授。生活協同組合運動に従事したことでも知られる。 愛知県名古屋市に生まれ、育つが、旧制中学1年を終えて、岐阜県に疎開する。旧制中学5年を終えたところで家庭の事情により学業を断念し、しばらく家業の手伝いなどをするが、やがて愛知県教育委員会事務局にあった教育文化研究所に事務員として勤めるようになり、逆コースの時期の教育現場の雰囲気に触れる。新制高校卒業の認定試験を受け、岐阜県立大垣北高等学校卒業の資格を認定され、名古屋大学文学部に学んだ。在学中には自主的に歴史研究会を組織するが、現代農村への関心から、3年次には地理学科へ進学した。
松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 202… 松原 達哉(まつばら たつや、1930年4月3日 - 2020年8月9日)は、日本の臨床心理学者。岐阜県羽島郡上羽栗村伏屋(現・岐南町伏屋)出身。 専門は臨床心理学・カウンセリング心理学。臨床心理士・日本カウンセリング学会認定カウンセラー・上級産業カウンセラー。生活分析的カウンセリング法(LAC法)創案者。就学レディネスの研究。東京福祉大学名誉学長。立正大学心理学部名誉教授。故郷の岐南町図書館には松原から寄贈された図書による松原文庫があり、松原の著書、心理学・カウンセリング・幼児教育・家庭教育などに関する書籍がある。
国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2… 国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2020年5月1日)は、日本の倫理学者。駒澤大学名誉教授。「伊吹 浄」の筆名をもつ。 1930年、岐阜県大垣市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を卒業し、金沢大学法文学部に入学した。しかし、1952年に東京大学文学部倫理学科に転じ、1956年に卒業。同大学大学院に進み、金子武蔵に師事した。1959年、大学院比較文学比較文化課程に転じた。1965年、同博士課程を中退。 その後は、東京農業大学助教授に就いた。1969年より駒澤大学助教授。1970年に教授昇進。2000年に駒澤大学を定年退任し、名誉教授となった。
竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - … 竹中 恵美子(たけなか えみこ、1929年11月19日 - 2025年7月1日)は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。専門は労働経済学。戦後の女性労働研究のパイオニアとして知られる。 岐阜県大垣市出身。大阪商科大学(現・大阪市立大)卒。甲南大学助教授、1972年「現代労働市場の理論」で大阪市大経済学博士。1974大阪市立大教授。1993年定年退官、花園大学教授、龍谷大学教授。2001年 - 2007年ドーンセンター館長。2024年、瑞宝中綬章受章。 戦後日本の女子労働について研究。女性運動、自治体の政策立案にも参加。夫は姜在彦、長男は社会学者・早稲田大学教授の竹中均。 2025年7月1日、多臓器不全のため東京都内の病院で死去。
糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - … 糸魚川 淳二(いといがわじゅんじ、1929年8月21日 - 2021年11月11日)は、日本の古生物学者、地質学者。名古屋大学名誉教授、元豊橋市自然史博物館館長。学位は、理学博士(京都大学・1961年)。 岐阜県恵那郡坂下町(現・中津川市)に生まれる。1942年4月、恵那中学(現・岐阜県立恵那高等学校)に入学。1945年4月、海軍経理学校予科に入校し終戦を迎える。恵那中学に復学し、1946年9月には旧制第四高等学校理科甲類に入学し1949年3月に卒業。同年4月、京都大学理学部に入学。1957年、京都大学大学院を退学。同年8月、名古屋大学理学部に採用される。1958年2月、助手。1971年4月、助教授。
上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - … 上野 一惠(うえの かずえ、男性、1929年7月24日 - 2005年9月16日)は、日本の細菌学者。 岐阜県関市生まれ。岐阜大学医学部附属嫌気性菌実験施設(現岐阜大学科学研究基盤センター嫌気性菌研究分野)初代教授。岐阜大学名誉教授。1950年代後半から、日本において無芽胞嫌気性菌の臨床細菌学的研究を開始し、日本におけるこの分野の基礎および臨床における研究の礎を築いた。
伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13… 伊藤 勝彦(いとう かつひこ、1929年〈昭和4年〉7月13日 - 2015年〈平成27年〉1月14日)は、日本の哲学者、評論家。埼玉大学名誉教授。文学博士。 岐阜県大垣市生まれ。1953年(昭和28年)に東京大学文学部哲学科を卒業。1960年(昭和35年)、同大学院博士課程中退、東大文学部助手。1963年(昭和38年)、北海道大学文学部助教授。1972年(昭和47年)、埼玉大学教養学部教授。1988年(昭和63年)、埼玉大学名誉教授。東京女子大学文理学部教授、1998年(平成10年)退任。 1972年(昭和47年)「デカルトの人間像」で東大文学博士。デカルト、パスカル哲学専攻ながら文学への関心が強く、三島由紀夫に心酔し、文芸評論も書く。
市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015… 市川 深(いちかわ ふかし、1929年1月8日 - 2015年12月1日)は、日本の会計学者。 岐阜県恵那市生まれ。名城大学商学部卒、1956年立教大学大学院修士課程修了。関東学院大学助教授、1968年東京経済大学経営学部助教授、72年教授、経営学部長、99年定年、名誉教授。『万葉集』の研究もおこなった。
子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 … 子安 勝(こやす まさる、1927年(昭和2年)5月18日 - 2008年(平成20年)4月8日)は、日本の学者。専門は騒音。 1927年5月18日、岐阜県大垣市生まれ。1947年、静岡高等学校理科卒業。1950年3月、東京大学第二工学部物理工学科卒業。同年4月、小林理学研究所入所。1952年4月、東京大学理工学研究所助手。1956年7月、再び小林理学研究所に入所。1965年8月、同所主任研究員。1971年10月、同所所長。1983年10月、音響工学研究所代表取締役。1992年4月から1998年3月まで、千葉工業大学教授。 1984年から1986年まで日本騒音制御工学会会長を、1987年から1989年まで日本音響学会会長を、それぞれ務めた。
成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019… 成瀬 悟策(なるせ ごさく、1924年6月5日 - 2019年8月3日)は、日本の臨床心理学者、臨床心理士。医学博士。九州大学名誉教授、元吉備国際大学教授。日本リハビリテイション心理学会名誉理事長、日本臨床動作学会名誉会長。正四位。 岐阜県生まれ。東京高等師範学校を経て、1950年に東京文理科大学心理学科を卒業後、1951年から1953年まで東京文理科大学助手、1953年から1962年まで東京教育大学助手・講師、1962年から1988年まで九州大学教育学部助教授、同教授。1988年、臨床心理士第1号(日本臨床心理士資格認定協会)。1989年から1993年まで九州女子大学・九州女子短期大学の学長を務める。
渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 197… 渡邊 力(わたなべ つとむ、1923年10月6日 - 1972年11月4日)は、日本の医師・医学者。また慶應義塾大学医学部教授。専門は微生物学。胃癌のため慶應病院で死去、享年49。 岐阜県岐阜市出身。1948年に慶應義塾大学医学部を卒業後、微生物遺伝学を専攻し、この立場から1972年に胃癌で倒れるまで、細菌の薬剤耐性獲得の機序の研究に終生をかけ、多くの成果を通じて近代分子生物学上のみならず、治療医学ならびに公衆衛生学上重大な貢献を成し遂げた。 研究生活前半の約10年間は当時結核治療に福音をもたらしたストレプトマイシンに対し、細菌がどのような機作によって耐性を獲得するかを、遺伝学的に詳細に検討し、いわゆる「自然突然変異および選択説」を実験的に明らかにした。
梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001… 梶田 昭(かじた あきら、1922年12月2日 - 2001年1月7日)は、日本の医師、医学史家、東京女子医科大学名誉教授。 岐阜県岐阜市生まれ。地元の小学校に入学後1929年に東京・池袋の小学校に転校。1934年、府立五中(現:東京都立小石川中等教育学校)の受験に失敗し城西学園中学校入学。1938年、旧制一高文科受験に失敗し府立五中補習科へ。1939年旧制浦和高等学校理科へ入学。1942年東京大学医学部入学。 大学時代は太平洋戦争最中であり、学徒出陣壮行会にも参加。その一週間後、故郷・岐阜での徴兵検査に丙種合格も徴兵は免れる。戦後は原爆被害地の広島で研究班の一員として原爆症解剖にあたる。 1945年9月に東大医学部を繰り上げ卒業。
伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈… 伊藤 ていじ(いとう ていじ、本名:伊藤 鄭爾、1922年〈大正11年〉1月11日 - 2010年〈平成22年〉1月31日)は、日本の建築史家・建築評論家・作家。学位は、工学博士。日本の民家研究を行った。 工学院大学学長および理事長。ワシントン大学客員教授、文化財保護審議会委員、文化財建造物保存技術協会理事長などを歴任。 岐阜県安八郡北杭瀬村(現・大垣市)生まれ。旧制大垣中学校を卒業し、第四高等学校に入学。1942年に同校を卒業し、東京帝国大学第二工学部建築学科に進学。1945年に卒業後、東京大学第二工学部大学院で関野克に師事。同大学副手・助手になるが肺結核が悪化し、7年間の入院生活を強いられる。
高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1… 高橋 百之(たかはし ももゆき、1918年5月20日 - 1985年7月8日)は日本の地理学者。岐阜大学名誉教授。岐阜県本巣郡本巣町(現・本巣市)出身。 1961年に東京教育大学より理学博士号授与。論文の題は「冬季における天気境界帯についての研究」。 1957年岐阜大学助教授、1967年教授。1982年名誉教授となり、東海女子大学教授就任。1985年学長となったが同年に没した。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小原 二郎(こはら じろう、1916年11月1日 - 201… 小原 二郎(こはら じろう、1916年11月1日 - 2016年5月12日)は、日本の人間工学、住宅産業、木材工学者。千葉工業大学理事・教授、千葉大学名誉教授。正四位。 長野県木曽郡読書村(現南木曽町)出身。 旧制岐阜県立恵那中学校(現岐阜県立恵那高等学校)、東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)を経て、1958年京都帝国大学農学部林学科卒業。専攻は人間工学、材料工学で、電車、自動車、航空機などの車両座席の改良、家具規格の基礎理論に貢献した。
細野 武男(ほその たけお、1912年6月28日 - 199… 細野 武男(ほその たけお、1912年6月28日 - 1994年9月19日)は、日本の法学者。専門は法社会学。学校法人立命館総長・立命館大学学長、京都橘女子大学学長など歴任。 岐阜県揖斐郡揖斐町(現・揖斐川町)出身。旧制松本高文科甲類在学中から農民運動・教育運動に参加。治安維持法違反での検挙歴(1933年、二・四事件)がある。1934年、東京帝国大学文学部社会学科に入学し、理論社会学を専攻。卒業論文テーマは「ジンメルの貨幣哲学」であった。 大学卒業後、東洋経済新報社に入社するが石橋湛山と衝突し退社。その後、財団法人日本貿易振興協会日本貿易研究所に入所し米国経済史の研究に注力。しかし同研究所もまもなく閉鎖され、1947年兵庫県立労働研究所に移籍。
棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 19… 棚瀬 襄爾(たなせ じょうじ、1910年2月22日 - 1964年12月10日)は、日本の民族宗教学者・アジア地域研究者。 1910年、岐阜県本巣郡生まれ。旧制大垣中学校(現岐阜県立大垣北高等学校)を経て、第三高等学校文科甲類へ入学。卒業後は東京帝国大学文学部宗教学科に入学し、1934年に卒業、同大学大学院に進んだ。1936年、東京帝国大学大学院を修了。 卒業後は、1938年より千代田女子専門学校教授となった。一方で、1939年2月より東亜研究所所員を兼ね、研究を続けた。1941年2月に応召し、中国へ出征して漢口で終戦を迎えた。 1946年に復員。戦後は、1947年11月より帝国女子専門学校講師。
加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 19… 加藤 静一(かとう せいいち、1910年1月29日 - 1989年12月5日)は、日本の医学者(眼科学)。 岐阜県岐阜市出身。旧制第一高等学校を経て、1935年東京帝国大学医学部卒業。1943年旧制樺太医学専門学校眼科教授。1946年旧制松本医学専門学校教授、1948年旧制松本医科大学教授、1958年信州大学医学部附属病院長。1966年医学部長。1973年学長を歴任。1981年退官、同年江戸川女子短期大学学長に就任。1981年勲二等旭日重光章受章。エスペラント語の眼科教科書を出版した。
川島 武宜(かわしま たけよし、1909年〈明治42年〉10… 川島 武宜(かわしま たけよし、1909年〈明治42年〉10月17日 - 1992年〈平成4年〉5月21日)は、日本の法学者。専門は、民法・法社会学。学位は、法学博士(東京大学・論文博士・1969年)(学位論文「所有権法の理論」)。東京大学名誉教授。弁護士。1979年学士院会員、1991年文化功労者。我妻栄門下。弟子に、潮見俊隆、渡辺洋三、唄孝一、廣中俊雄、石村善助、平井宜雄、六本佳平、石田穣、淡路剛久など。 岐阜県岐阜市生まれ。啓蒙的な著作を多く著し、丸山眞男、大塚久雄とともに戦後民主主義、啓蒙主義を代表する論者。東京帝国大学教授、スタンフォード大学客員教授等を歴任。東京大学教授退官後は弁護士として活動した。
伊東 勉(いとう つとむ、1908年6月 - 1992年8月… 伊東 勉(いとう つとむ、1908年6月 - 1992年8月24日)は、ドイツ文学者、名古屋工業大学名誉教授。 岐阜県岐阜市出身。1935年京都帝国大学文学部卒。同年名古屋高等工業学校教授、1949年合併により名古屋工業大学助教授、のち教授、1972年定年退官し中日本自動車短期大学教授を1978年まで務めた。 中世狐物語の研究のほかドイツ社会主義、ルカーチの文学論などを研究、翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柳生 亮三(やぎゅう りょうぞう、1905年(明治38年)1… 柳生 亮三(やぎゅう りょうぞう、1905年(明治38年)10月26日 - 2013年(平成25年)3月31日)は、日本の動物学者。専門は原生動物学。位階は従四位。 1905年10月26日、現在の岐阜県揖斐郡揖斐川町出身。父親が税関職員であった為、日本国内やその当時の日本の領土であった朝鮮を転々とする幼年時代を過ごした。旧制岐阜中学校、旧制福井中学校、鎮南浦公立中学校(朝鮮)と転校を繰り返す。 1924年、教育者を志して高等師範学校の受験を決意し、東京高等師範学校と広島高等師範学校で悩んだ結果、広島高師に決め、第一志望の物理化学は外れたが第二志望の生物で広島高等師範学校理科第三部に合格した。 1928年、広島高等師範学校を卒業後、徳島女子師範学校、徳島県立徳島高等女学校、関東州公立高等女学校(大連市)で教師を務めた後に、旧制広島文理科大学生物学科で生物学を学び、天津日本高等女学校、天津日本商業学校教諭を経て、旧制広島文理科大学助手、広島高等師範学校教授などを歴任した。
高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 19… 高島 善哉(たかしま ぜんや、1904年7月13日 - 1990年1月10日)は、日本の経済学者、社会学者。専攻はマルクス主義及びアダム・スミス研究。一橋大学名誉教授、関東学院大学名誉教授。 岐阜県出身。旧制岐阜中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)首席を経て、1927年東京商科大学(現一橋大学)卒。大学では当初福田徳三ゼミナールに参加したが、福田の留学のため大塚金之助の指導を受けた。卒業論文「経済静学と経済動学の国民経済学的意義:ヨセフ・シュンペーターの研究」だが、おもにマルクス主義とアダム・スミスを研究した。 1927年指導教官大塚金之助の推薦を受け、母校東京商科大学助手に就任。1927年、渋沢栄一の孫である尾高豊作や尾高朝雄の支援を得て設立され、大塚が所長を務める東京社会科学研究所研究員を兼務し、杉本栄一とともに同研究所での活動に従事。
内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 197… 内藤 吐天(ないとう とてん、1900年2月5日 - 1976年5月12日)は、岐阜県出身の俳人、薬学者。本名は多喜夫。別名に龍膽寺旻、別号に萱雨亭(けんうてい)がある。 岐阜県大垣市生まれ。東京帝国大学薬学科卒。のち名古屋市立大学薬学部長、名城大学薬学部教授などを歴任。岡山六高時代より志田素琴、大須賀乙字に俳句を学び、「獺祭」「草上」「東炎」などに関わる。1946年に「早蕨」を創刊・主宰。「野薊にぴしりぴしりと夕立来ぬ」「あたたかな案山子を抱いて捨てにゆく」など、格調の高い句風で知られたが、晩年はより自由な作風になった。句集に『落葉松』『雨滴声』『早蕨』『鳴海抄』『点心』『臘八』など。また詩を日夏耿之介に師事し、海外の小説や詩集の翻訳もある。
吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年(明治32年)7月… 吉益 脩夫(よします しゅうふ、1899年(明治32年)7月11日 - 1974年(昭和49年)7月14日)は、日本の医学者・精神科医。犯罪学や精神鑑定など幅広く活用されている犯罪生活曲線の開発者である。 岐阜県大垣市出身。大垣中学校、第六高等学校を経て、1924年(大正13年)東京帝国大学医学部卒業。呉秀三門下となり、同大学精神病学教室助手、東京府立松沢病院に勤務。1925年(大正14年)東京帝国大学文学部大学院へ入学し、1931年(昭和6年)同大学大学院心理学専攻卒業。在学中、市ヶ谷刑務所精神考査嘱託を始めとし、豊多摩刑務所、小菅刑務所にて犯罪学研究に従事する。1936年(昭和11年)東京帝国大学脳研究室創設に際し、講師として着任。
高橋 信司(たかはし のぶし、1899年6月6日 - 197… 高橋 信司(たかはし のぶし、1899年6月6日 - 1971年11月15日)は、日本の社会科学者。同志社大学法学部卒業、高知短期大学名誉教授。専門は政治史・政治思想史・比較憲法。 岐阜県大垣市出身。同志社大学法学部で、高木庄太郎に政治史を学ぶ。1924年(大正13年)、法学部を卒業。同志社大学法学部で政治史の講師を務める。 1928年(昭和3年)から1929年(昭和4年)にかけ、同志社で法学部教授会と理事会(津下紋太郎、西村金三郎ら)との対立が生じた際に、高橋貞三講師とともに学生新聞で理事会を激しい言葉で批判した。理事会から「自発的辞表」提出を要求され、能勢克雄教授とともに解任させられた。これに対して法学部教授会は連名で理事会を批判した。
久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 19… 久松 真一(ひさまつ しんいち、1889年6月5日 - 1980年2月27日)は、日本の哲学者、仏教学者。旧姓は大野。号は抱石庵。
青木 文一郎(あおき ぶんいちろう、1883年8月16日 -… 青木 文一郎(あおき ぶんいちろう、1883年8月16日 - 1954年7月2日)は、日本の哺乳類学者。台北帝国大学教授を経て、岐阜大学初代学長。 1883年、岐阜県厚見郡日置江村に生まれた。且格尋常小学校、岐阜中学校、第三高等学校を経て、1907年(明治40年)、東京帝国大学理科大学動物学科に入学。1910年に卒業し、同大学大学院に進学した。 1913年(大正2年)、九州帝国大学助手に採用され、解剖学教室に勤務。1915年5月に依願退職。1909年8月に高等学校教員免許を取得し、9月より旧制愛知医科大学(現名古屋大学)予科教授となった。1922年、同校講師に昇格。 1927年4月、台湾総督府高等林業楽校教授に任命され、同時に在外研究を命じられて2年間イギリス、フランス、イタリア、アメリカの4か国へ研究留学した。
牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月2… 牧野 英一(まきの えいいち、1878年(明治11年)3月20日 - 1970年(昭和45年)4月18日)は、日本の法学者。専門は刑事法。学位は法学博士(1914年)。東京帝国大学名誉教授。東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。穂積陳重に師事。弟子に正木亮、小野清一郎、土本武司など。 1878年、岐阜県大野郡(現・高山市)の旅館主の家に生まれる。岐阜県立斐太中学校(現岐阜県立斐太高等学校)、第一高等学校を経て、東京帝国大学法科大学仏法科に入学。穂積陳重から法律進化論を、梅謙次郎から自然法を、富井政章から比較法を学んだ。1903年に銀時計受領して卒業。1910年から、ドイツ、イギリス、イタリアに留学し、ベルリン大学では、リスト、フェリに師事し、1913年に帰国。
垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1… 垣内 松三(かいとう まつぞう、1878年1月11日 - 1952年8月25日)は、日本の国語教育学者・国文学者。 岐阜県高山市出身。旧姓は代情(よせ)。6歳で分家の垣内雲嶙の養嗣子となった。1903年東京帝国大学国文科卒。 東京帝国大学講師、東京女子高等師範学校教授、1919年ヨーロッパ外遊、1920年東京高等師範学校講師、1924年教授。のち東洋大学教授。 筆名として「まつみ」とも読ませた[要出典]。墓所は雑司ヶ谷霊園。 垣内は国学を研究すると同時に、言語学・心理学・現象学といった西洋諸科学とを止揚する学術体系の構築を目指し、生涯をかけてこれに取り組んでいるが、その渉猟する学術領域の広さ、探究する対象群の深さ、そして独創的な発想と理想の高さは、いずれにおいても他の追随を許さないものとなっている。
今西 龍(いまにし りゅう、1875年〈明治8年〉8月15日… 今西 龍(いまにし りゅう、1875年〈明治8年〉8月15日 - 1932年〈昭和7年〉5月20日)は、日本の朝鮮史家、京都帝国大学教授。子は今西春秋。 1875年、岐阜県池田郡池田野新田(現:揖斐郡池田町)で生まれた。幼名は了哉。1903年、東京帝国大学文科大学史学科を卒業。 1906年より慶州など朝鮮半島ならびに中国東北部で考古学の調査を行い、1913年秥蝉県碑を発見。同1906年、京都帝国大学講師に就いた。1916年、助教授昇格。1922年、学位論文『Jusen部国考』を京都大学に提出して文学博士の学位を取得。 1922年から1924年まで北京に2年間の留学を命じられ、1926年に京城帝国大学・京都帝国大学兼任教授となった。
青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 … 青木 徹二(あおき てつじ、1874年(明治7年)9月9日 - 1930年(昭和5年)10月12日)は、明治期の検察官、弁護士、法学者。 岐阜県生まれ。岐阜中学校を中退し、1891年(明治24年)慶應義塾に入学。1897年(明治30年)に慶應義塾大学部法律科を卒業後時事新報社に勤める。翌年判検事試験に合格し、神戸区裁判所検事代理となるも1899年(明治32年)これを辞任し、再び時事新報社に入った。その後、慶應義塾の大学部教員養成のためドイツに派遣され、ベルリン大学などで学ぶ。1902年(明治35年)7月帰国後、大学部法律科で商法を講じた。1910年(明治43年)法学博士となる。1920年(大正9年)、雑誌『東方時論』に「続世相審かし論」を投稿し、不敬罪の廃止を唱えたため、新聞紙法違反で禁固4ヶ月の判決を受ける。
津田 左右吉(つだ そうきち、1873年〈明治6年〉10月3… 津田 左右吉(つだ そうきち、1873年〈明治6年〉10月3日 - 1961年〈昭和36年〉12月4日)は、日本の歴史学者・思想史家。早稲田大学文学部教授。記紀を史料批判の観点から古代史研究したことで知られ、日本における実証史学の第一人者。1947年帝国学士院会員選出。1949年(昭和24年)に文化勲章受章。従三位勲一等。 1913年(大正2年)の『神代史の新しい研究』、1919年(大正8年)の『古事記及び日本書紀の新研究』を刊行(のちに、それぞれ1924年(大正13年)に『神代史の研究』、『古事記及び日本書紀の研究』として補訂再刊)が代表的な初期の研究成果である。それらの研究では、記紀神話の記述について神話と歴史とを峻別し、古典に対する徹底した史料批判を通して歴史的事実を考察した。
林 直助(はやし なおすけ、1871年3月24日 - 195… 林 直助(はやし なおすけ、1871年3月24日 - 1953年5月13日)は、明治時代から昭和時代の医学者、寄生虫学者、病理学者。ツツガムシ病研究の第一人者として知られる。 岐阜県恵那郡福岡村(現中津川市)に生まれた。1897年11月、第一高等学校医学部を卒業後、東京帝国大学医科大学衛生科選科に入学したが、翌年退学している。1900年に検疫官を命ぜられ、1901年2月に退職した。同月に京都帝国大学医科大学に入り藤浪鑑教授の助手となり、病理学、恙虫病について研究をおこなう。1906年、恙虫病調査委員を嘱託された。同年12月、愛知県立医学専門学校の教諭となり、病理学や病理解剖学などを担当した。1913年1月、論文「恙虫病病理解剖並に組織学的研究」により、医学博士の学位を授けられた。
北原 多作(きたはら たさく、明治3年1月12日(1870年… 北原 多作(きたはら たさく、明治3年1月12日(1870年2月12日) - 大正11年(1922年)1月12日)は、日本の海洋学者、水産学者。日本における水産行政、水産学研究、海洋測器開発の先駆者として知られる。 明治3年(1870年)、美濃国山県郡北野村(現在の岐阜県岐阜市三輪)の各務家において生まれる。幼い時に父を亡くした後、岐阜中学を経て青山学院へと進むが、その間は学費の捻出の為に学僕を務めた苦学生であった。明治27年(1894年)7月に東京帝国大学理科大学動物学科選科を卒業する。在学中は箕作佳吉の指導により、霞ヶ浦の水族調査を行っている。また、明治26年(1893年)にはウシモツゴの和名の基となった岐阜市での方言名「う志もろこ」の名を初めて報告した。
福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3… 福来 友吉(福來 友吉、ふくらい ともきち、明治2年11月3日(1869年12月5日) - 1952年(昭和27年)3月13日)は、日本の心理学者、超心理学者。東京帝国大学助教授、高野山大学教授。文学博士(1906年)(学位論文「催眠術の心理学的研究」)。念写の発見者とされる。 岐阜県高山市の商家に生まれ、見習い奉公に出されたが商人になることを嫌い、学問に志を立てて猛烈に勉強し、岐阜県斐太尋常中学(現・岐阜県立斐太高等学校)から優秀な成績で旧制第二高等学校に進学した。実家が事業に失敗し学費に困ったが、仙台の資産家・町田真秀が援助し、1899年(明治32年)東京帝国大学文科大学哲学科を卒業。さらに同大学院で変態心理学(催眠心理学)を研究し、1906年(明治39年)、「催眠術の心理学的研究」で文学博士の学位を授与された。
下野 直太郎(しもの なおたろう、1866年11月30日(慶… 下野 直太郎(しもの なおたろう、1866年11月30日(慶應2年10月24日) - 1939年(昭和14年)11月22日)は、日本の会計学者。東京商科大学(現一橋大学)名誉教授。 現在の岐阜県生まれ。岐阜県中学校(現岐阜県立岐阜高等学校)を経て、1888年高等商業学校(現一橋大学)卒業。数学や英語が得意で、同じ岐阜出身の各務鎌吉(のちに東京海上火災保険社長)と首席を争ったが、次席となった。 また在学中、文部省による高等商業学校と東京外国語学校の合併案の不当性を訴え、各務や、上野季三郎(のちに大膳頭)、水島銕也(のちに初代神戸高等商業学校校長)、立花寛蔵(のちに初代大倉高等商業学校校長)らと議論を交わした。
平田 盛胤(ひらた もりたね、文久3年8月14日(1863年… 平田 盛胤(ひらた もりたね、文久3年8月14日(1863年9月26日) - 1945年(昭和20年)2月28日)は、日本の神職、国学者、神田神社社司。美濃国(後の岐阜県南部)出身、東京帝国大学(後の東京大学)文学部古典講習科卒業。首府神社界の1人とされる。 父は美濃郡代(美濃国代官)を勤めた旗本戸沢盛恭で、旧名を戸沢盛定と称した。美濃国羽栗郡笠松町生まれ。1886年(明治19年)頃に平田銕胤の長男平田延胤の養子となり、盛胤と改名した。 岐阜県師範学校(後の岐阜大学)卒業後、1880年(明治13年)に上京。1882年(明治15年)9月に創設された帝国大学古典講習科(乙部・国語課)に入学。第一期の同期生に松本愛重、小中村(池辺)義象、萩野由之、関根正直、落合直文らがいる。
棚橋 一郎(たなはし いちろう、文久2年11月12日(186… 棚橋 一郎(たなはし いちろう、文久2年11月12日(1863年1月1日) - 昭和17年(1942年)2月7日)は、岐阜県出身の教育者、漢学者(今でいう倫理学者)。衆議院議員、東京市会議員。
松井 直吉(まつい なおきち、1857年8月14日(安政4年… 松井 直吉(まつい なおきち、1857年8月14日(安政4年6月25日) - 1911年(明治44年)2月1日)は明治時代の日本の化学者。理学博士。 第三高等中学校(京都大学の前身の一つ)教頭、文部省専門学務局長、東京化学会(日本化学会の前身の一つ)会長、東京帝国大学(東京大学の前身)農科大学長・総長を歴任した。 以上のことから文展審査員となっている。 弟は国文学者の和田万吉。 また、松井は8男8女の計16子をもうけているが、8男で山上家の養子となった山上八郎は、日本の甲冑についての研究で知られている。
馬島 龍一(まじま りゅういち、Ryuichi Majima… 馬島 龍一(まじま りゅういち、Ryuichi Majima)は、日本の薬剤師、薬学者。学位は博士(薬学)(岐阜薬科大学・2021年)。専門は母子感染症のサイトメガロウイルスやSARS関連コロナウイルスなど。 薬学者、薬剤師を目指し岐阜薬科大学へ進む。2017年3月、岐阜薬科大学薬学部薬学科 卒業。同年、薬剤師国家試験に合格した。同大薬学研究科 薬学専攻へ進み、ウイルス学や母子感染症学等を専門とする井上直樹に師事する。2021年3月、同大薬学研究科 薬学専攻 博士課程修了。博士(薬学)取得後も、井上直樹のもとで研究を続ける。 2021年6月、渡米、ミネソタ大学薬学部(The Center for Drug Design)にて博士研究員として薬学、ウイルス学などの研究をおこなう。
田中 昌司(たなか しょうじ)は、日本の工学者(認知科学・知… 田中 昌司(たなか しょうじ)は、日本の工学者(認知科学・知能情報学・脳計測科学・基盤社会脳科学)。学位は工学博士(名古屋大学・1985年)。上智大学名誉教授。専門は脳科学。日本原子力研究所那珂核融合研究所博士研究員、上智大学理工学部教授などを歴任した。 岐阜県に生まれ、岐阜県立大垣北高校卒業後、名古屋大学に進学し、工学部の電気工学科にて学んだ。1980年3月25日、名古屋大学を卒業し、工学士の称号を取得した。同大学の大学院に進学し、工学系研究科にて核融合やプラズマについて研究した。1982年3月25日、修士課程を修了し、工学修士の学位を取得した。1985年3月25日、博士課程を修了し、工学博士の学位を取得した。
森 信人(もり のぶひと)は、日本の海岸工学者。京都大学防災… 森 信人(もり のぶひと)は、日本の海岸工学者。京都大学防災研究所副所長、横浜国立大学台風科学技術研究センター副センター長、文部科学省技術参与。 岐阜県郡上八幡出身。1987年岐阜県立郡上高等学校卒業。1991年岐阜大学工学部土木工学科卒業。1993年岐阜大学大学院工学研究科修士課程土木工学専攻修了、修士(工学)、日本学術振興会特別研究員。1995年デラウェア大学応用海岸研究センター客員研究員。1996年岐阜大学大学院工学研究科博士後期課程生産開発システム工学専攻修了、博士(工学)、電力中央研究所流体科学部(旧水理部) 主任研究員。2001年テキサスA&M大学土木工学科客員講師。2004年大阪市立大学大学院工学研究科都市系専攻講師。
加藤 隆子(かとう たかこ)は、日本の物理学者。専門は、高温… 加藤 隆子(かとう たかこ)は、日本の物理学者。専門は、高温プラズマの原子過程の研究、プラズマ原子分子分光学等で、この分野の開拓者。学位は、理学博士(名古屋大学)。自然科学研究機構・核融合科学研究所名誉教授。1992年猿橋賞受賞。岐阜県多治見市出身。
やまだようこ(山田洋子)は、日本の心理学者、京都大学名誉教授… やまだようこ(山田洋子)は、日本の心理学者、京都大学名誉教授。 岐阜市生まれ。1)1970年名古屋大学文学部哲学科心理学専攻卒、1976年同大学院教育学研究科教育心理学専攻博士課程退学。 愛知淑徳短期大学講師、助教授、2)88年「乳児期における言語機能の基礎過程としての認識行動とコミュニケーション行動の発達」で名古屋大学より教育学博士の学位を取得。3)4)5)愛知淑徳大学助教授、同教授を経て、1997年京都大学教育学部教授、同大学院教育学研究科教授、2012年定年退任、京都大学名誉教授。 立命館大学特別招聘教授を経て、立命館大学OIC総合研究機構上席研究員、6)立命館大学生存学研究所運営委員。もの語り心理学研究所長。
島崎 正樹(しまざき まさき、天保2年5月4日(1831年6… 島崎 正樹(しまざき まさき、天保2年5月4日(1831年6月13日 - 明治19年(1886年)11月29日)は、幕末の国学者。 小説家島崎藤村の父で、「夜明け前」の主人公「青山半蔵」のモデルとなった人物である。 号は松翠園静雅()、粲園()、静舎()、観山楼()、璞堂()、静斎()。字は禎夫()。初名は重寛()。通称は吉左衛門()。 中山道馬籠宿の本陣・庄屋・問屋を兼ねる島崎吉左衛門重韶の子として生まれ、長じて家督を継いだ。 中津川宿の問屋役であった、間秀矩(はざま ひでのり)に国学を学び、また中津川の医師の、馬島靖庵に皇学・漢学を学び、文久3年(1863年)に秀矩の紹介で平田篤胤の没後門人となる。