野名 龍二(のな りゅうじ、1928年12月1日 - 201… 野名 龍二(のな りゅうじ、1928年12月1日 - 2018年6月1日)は、日本の国語教育学者。綴方教育に関する実践を数多く手がけた。 三重県志摩市出身。半農半漁の家の次男として生まれる。1943年、三重師範学校予科入学、敗戦を経て、1948年に卒業。その後、三重県の小学校教員を経て、1951年、大阪市旭区清水小学校に着任。栗岡睦の誘いで自由教育思想の影響を受け、1953年、福泉町立福泉小学校大庭寺分校で綴り方教育の実践を始める。田宮輝夫と綴方教育の本質や方法をめぐって「野名・田宮論争」と呼ばれる論争を展開した。 綴方教育実践に関して多くの著書を残している。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011… 網岡 雄(あみおか ゆう、1928年3月22日 - 2011年2月23日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 三重県三重郡菰野町出身。1951年、岐阜薬学専門学校(現岐阜薬科大学)卒業。薬剤師になる。 1959年、愛知県議会議員に名古屋市千種区選挙区から立候補し初当選。以後5期20年県議を務め、日本社会党愛知県本部書記長、副委員長を歴任した。 1979年、第35回衆議院議員総選挙に衆議院旧愛知2区から社会党公認で立候補するが次点で落選。1980年の総選挙も次点で落選。 1983年春の褒章で藍綬褒章受章。同年第37回衆議院議員総選挙において初当選。1986年の総選挙は落選。1990年の総選挙で返り咲く。
榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 201… 榎木 兵衛(えのき ひょうえ、1928年3月1日 - 2012年12月29日)は、日本の俳優。本名は榎本 兵衛。三重県出身。 1951年に東映京都に入社し、本名の榎本兵衛名義で若干のキャリアを積む。1956年より日活に所属し、1970年代まで脇役・端役として膨大な数の映画に出演。その本数は計り知れず、日活映画では最多出演を誇る俳優といわれる。アクション系作品では個性的な悪役として活躍し、石原裕次郎ら大スターを相手に数々の演技を残した。 1974年に日活を退社し、以降はテレビドラマや舞台に活動の場を広げつつ、東映を中心に他社の映画にも出演。 1971年秋の日活ロマンポルノ誕生後は一時期、木夏 衛(きなつ まもる)名義での出演作もある。
堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011… 堀田 昌郎(ほった まさお、1928年2月9日 - 2011年4月21日)は、日本の実業家。中部日本放送社長を務めた。三重県尾鷲市出身。 1953年に北海道大学農学部を卒業し、1956年に中部日本放送に入社した。 ラジオ局長、取締役、常務、専務、副社長を経て、1993年6月に社長に就任した。1997年6月から2003年6月までに会長を務め、2003年6月から相談役に就任した。 2003年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2011年4月21日呼吸不全のために死去。83歳没。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927… 本田 周司(ほんだしゅうじ、Shuji HONDA、1927年2月21日 -2026年1月11日)は、日本の作曲家・教育者。 三重県天白村(現・松阪市)生まれ。生家は代々神主を務めており、その三男として生まれた。 長兄がヴァイオリンを弾くなど、家庭内に音楽環境はあり、幼少期より音感のよさを家族から見出されていたものの、習いごとなどを含め特段の音楽教育を受けることはなく、子ども時代を過ごした。楽譜も読めなかった。 海軍に入隊するものの、18歳のときに終戦により復員。終戦後の価値観が大きく変わる混乱期において、芸術ならば裏切られることはないと考え、作曲家の道を志す。野口源次郎及び外山道子に師事。 フランスの作曲家アルテュール・オネゲルに出会い、深く傾倒する。
貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - … 貝塚 爽平(かいづか そうへい、1926年10月18日 - 1998年11月13日)は、日本の地理学者。出身は三重県桑名市(旧桑名郡桑名町)。専門は地形学・第四紀学。(旧)東京都立大学名誉教授。理学博士。位階勲等は正四位勲三等旭日中綬章。 地形発達史研究や、活断層研究などが専門である。この分野に興味を持ったのは、旧制桑名中学校(現・三重県立桑名高等学校)時代に桑名駅西口から桑名中学へ至る地域に細長い丘の列があることを発見し、その成因が気になったことがきっかけである。研究者になった貝塚は自らこの謎に挑み、「桑名市西部の断層地形」の題名で地理学評論に論文を発表した。 戦後の日本における第四紀学、地形学の指導的な役割を果たした。
渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2… 渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 - 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。 三重県松阪市出身。旧制津中学校、官立第一高等学校文科を経て東京大学法学部を卒業。学生時代は全国学生運動の中枢で活動。1952年に読売新聞社に入り経営技術担当記者となる。1962年にチェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを設立、主宰。1963年にチェーンストア経営専門コンサルティング機関である日本リテイリングセンターを設立。1967年読売新聞嘱託となり、1969年に退職、コンサルタント専業となる。専門はチェーンストアの経営政策・経営戦略と基礎技術論。 渥美は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げた。
中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は… 中村 晋也(なかむら しんや、1926年7月29日 - )は、日本の彫刻家。文化勲章受章者。鹿児島県鹿児島市名誉市民。三重県亀山市名誉市民。 2013年、日本体育大学世田谷キャンパス(深沢)1階エントランスホールに名作EOS・萌えるリズム・太古の血潮・朝の祈り・姉妹のブロンズ像が飾られた。
森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日… 森田 功(もりた いさお、大正15年(1926年)6月16日 - 平成10年(1998年)3月3日)は、日本の医師・作家。 大正15年(1926年)6月16日三重県一志郡竹原村(美杉村竹原宝生を経て現三重県津市)に生まれる。父は竹原村村長を務める森田治と母きみの四男として誕生した。昭和8年(1933年)竹原尋常小学校に入学した。小学校時代成績は万年2位、悪童5人組の年長者で腕白だったと伝えられる。昭和14年(1939年)三重県立第一中学(現三重県立津高等学校)の受験に失敗、1浪後の翌年入学した。昭和20年(1945年)旧制広島高等学校理科に入学したが、8月6日軍需工場で労働作業中に被爆し、3日後三重の実家へ帰郷した。
清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月1… 清水 信次(しみず のぶつぐ、1926年〈大正15年〉4月18日 - 2022年〈令和4年〉10月25日)は、日本の実業家。株式会社ライフコーポレーション創業者、日本スーパーマーケット協会および国民生活産業・消費者団体連合会(生団連)創立者、名誉会長。 スーパーマーケット「ライフ」を興し、売上高7,000億円という日本最大の食品スーパーマーケットチェーンを一代で築いた。ダイエーの中内㓛、セブン&アイホールディングスの鈴木敏文、イオンの岡田卓也らとともに戦後の流通業界を牽引した人物である。 三重県津市生まれ。両親は大阪市天満で乾物・缶詰・青果などを販売する食料品店を営んでいた。 1944年(昭和19年)、陸軍に入隊して戦技特別研究要員(白兵戦、剣道助教)として中国に出征した。
夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016… 夏秋 幹(なつあき みき、1926年3月14日 - 2016年11月4日)は、日本の経営者。三重テレビ放送社長を務めた。 三重県名張市出身。1945年に三重農業専門学校農業土木科を卒業し、同年10月に三重県庁に入庁。1978年4月に福祉部長に就任し、1980年4月に企業庁長を経て、1982年3月から1986年3月までに出納長を務めた。1986年6月に三重テレビ放送専務に就任し、1987年6月から1999年6月までに社長を務めた。 1996年4月に勲三等瑞宝章を受章。 2016年11月4日老衰のために死去。90歳没。
水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19… 水谷 力(みずたに つとむ、1926年(大正15年)1月19日 - 1994年(平成6年)8月6日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 三重県桑名市出身。1951年(昭和26年)早稲田大学政治経済学部卒業。桑名市議会議員、三重県議会議員、第64代三重県議会議長(1971年(昭和46年)5月 - 1972年(昭和47年)5月)、全国都道府県議長会副会長、自由民主党三重県支部連合会幹事長を歴任した。1982年(昭和57年)春の褒章で藍綬褒章受章。 1983年(昭和58年)の第13回参議院議員通常選挙の三重県選挙区で日本社会党所属の坂倉藤吾を破り当選した。自由民主党に所属して、予算委員会理事、農林水産委員、国会対策委員、商工局次長、出版局次長を務めた。
世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年… 世古 真臣(せこ まおみ、1926年1月8日 - 2005年11月11日)は、日本の経営者、工学博士。旭化成工業社長を務めた。 三重県尾鷲市出身。旧制静岡県立静岡中学校、旧制静岡高等学校[要出典]を経て、1948年、東京大学工学部電気工学科卒業。同年、旭化成工業に入社。研究に携わり、1973年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1979年6月に副社長に就任した。1985年6月に社長に昇格し、1989年6月に副会長に就任し、1993年6月からは相談役を務めた。 1974年と1978年に大河内賞、1975年と1979年に日本化学会賞、1980年に電気化学会賞、1981年に高分子学会賞、1990年4月に日本原子力学会特賞を受賞。
葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 -… 葛井 欣士郎(くずい きんしろう、1925年11月28日 - 2014年4月30日)は、実業家、映画館経営者、映画・演劇プロデューサー。日本アート・シアター・ギルド(ATG)の主要な映画館「アートシアター新宿文化」総支配人として、また、ATG映画の製作者として知られる。妻は村井志摩子。 三重県伊勢市生まれ。1951年、早稲田大学文学部芸術学科卒業後、三和興行に入社。 1961年の日本アート・シアター・ギルド創設に参加。1962年には、三和翼下で、ATGの映画を上映する映画館「アートシアター新宿」が設立され総支配人に。1963年からは、映画だけではなく、前衛演劇も上演するようになる。1967年には映画館の地下にアングラ小劇場「蝎座」を設立。
田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11… 田口 一男(たぐち かずお、1925年(大正14年)5月11日 - 1983年(昭和58年)5月1日)は日本の政治家。日本社会党所属の衆議院議員。三重県尾鷲市出身。
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 20… 山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は、日本の歌人。 前川佐美雄に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。 愛知県名古屋市西区出身。父・渡辺鑑三は尾張藩医の末裔で、その従兄は俳人の沼波瓊音。母タマエ(旧姓馬島)の本家も代々の尾張藩医で、後水尾天皇を快癒させたことで知られる高名な眼科医の家系。母方の祖父は明治の蘭方医。母は尾上柴舟に師事して国文学を学んでいた。二兄一姉をもつ次女(次兄は智恵子生誕以前に死亡)。6歳の秋に父が脳出血で倒れて半身不随となり、療養のために愛知県知多郡新舞子の別宅に移住。
栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 201… 栗原 勝(くりはら まさる、1924年10月3日 – 2013年10月9日)は、日本の政治家、浜松市長(5期)。
井村 徹(いむら とおる、1924年9月25日 - 2013… 井村 徹(いむら とおる、1924年9月25日 - 2013年7月29日 )は、日本の金属工学者。専門は、金属物理学・材料科学。学位は、理学博士(大阪大学・論文博士・1957年)。名古屋大学名誉教授。日本学士院賞受賞。 三重県出身。旧制香川県立三豊中学校、東京帝国大学第二工学部冶金学科卒業。 1957年(昭和32年)「発散X線を用いての単結晶の変形の研究」で、大阪大学より理学博士の学位を取得。 1956年(昭和31年)藤田廣志(大阪大学名誉教授)との共同研究で、我国初の金属転位の直接観察に成功する。電子顕微鏡による格子欠陥の直接観察は、理論的研究が先行していた格子欠陥論に、初めて直接的な実証を与えた。
志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)… 志津 三郎(しづ さぶろう、1924年7月3日- 没年不明)は、日本の作家。 三重県松阪市出身。本名・坂本實。宇治山田商業学校卒。1959年漫画家としてデビュー。その後、テレビ、演劇などの脚本家を経て、作家となる。バイオレンス、ミステリー、時代小説と幅広い。また時代小説においては、膨大な資料をもとに物語を再構築する特異な才能を発揮している。
田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 … 田村 元(たむら はじめ、1924年〈大正13年〉5月9日 - 2014年〈平成26年〉11月1日)は、日本の政治家。 衆議院議長(第66代)、通商産業大臣(第46・47代)、運輸大臣(第48代)、労働大臣(第33代)、衆議院議員(当選14回)、自由民主党国会対策委員長(第26代)などを歴任。 三重県松阪市(旧・大足村)に生まれる。父親の田村秢は、弁護士出身で三重県会議員を経て、1942年(昭和17年)の翼賛選挙で衆議院議員に当選した。 旧制三重県立宇治山田中学校を経て、1950年(昭和25年)に慶應義塾大学法学部卒業。中外炉工業、三重交通勤務と中学校の代用教員を経て、参議院議員の前田穰の秘書となる。
岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月… 岡村 初博(おかむら はつひろ、1924年(大正13年)1月23日 - 2014年(平成26年)1月5日)は、日本の政治家。三重県津市長(5期)。 三重県出身。津市市議会議長をしていた岡村末次郎の長男として生まれる、旧制津中学から旧制第八高等学校を経て、軍事色が強まった昭和17年9月東京帝国大学文学部西洋史学科に入る。東京帝国大学では野球部に入り東京六大学野球に打ち込んだ。近鉄バッファローズの監督になった立教大学野球部の西本幸雄と練習試合を行う。慶應義塾大学野球部の別当薫とも試合をしている。帝国大学在学中学徒動員で昭和18年に出征、日本帝国陸軍中部第三十八部隊に入隊、東満州に出兵した。昭和20年8月関東軍の主力が内地防衛のため帰国した中、8月12日牡丹江衛門を出て行軍した。
服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 201… 服部 力(はっとり つとむ、1923年9月12日 - 2012年2月27日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)、ノンプロ野球指導者・組織運営者。右投右打。
内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25… 内田 忠夫(うちだ ただお、1923年(大正12年)7月25日 - 1986年(昭和61年)10月15日)は、日本の経済学者。専門は計量経済学。学位は、経済学博士(東北大学、1962年)(学位論文「計量経済学の方法とその日本経済への適用」)。東京大学名誉教授。正四位勲三等旭日中綬章。三重県川越町生まれ。 日本初のマクロ計量モデルを開発(渡部経彦(元大阪大学教授)らとの共同開発) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。
鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2… 鎌田 純一(かまた じゅんいち、1923年7月17日 - 2014年7月15日)は、日本の神道学者・歴史学者。宮内庁侍従職御用掛。皇學館大学名誉教授。 1923年、大阪府大阪市に生まれる。父春雄が神宮皇學館教授として赴任したため、伊勢で幼少期を過ごす。 宇治山田中学校(現在の三重県立宇治山田高等学校)を経て、國學院大學予科、1946年同大学文学部史学科卒業。在学中に学徒出陣し、海軍中尉に至る。学部を卒業のあと、同大学院に進学、1955年より國學院大學日本文化研究所専任所員、また同大学講師として教壇に立つ。 1962年に再興された皇學館大學助教授として赴任、1965年には教授。1989年まで在職した(同名誉教授となる)。
岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年… 岡 保生(おか やすお、1923年3月31日 - 1999年2月4日)は、日本の日本文学研究者。専門は、日本近代文学。三重県伊勢市生まれ。1945年、早稲田大学国文科卒。昭和女子大学教授、青山学院大学教授を経て、青山学院大学名誉教授。尾崎紅葉、小栗風葉といった硯友社の作家の実証的な研究を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学… 青木 みか(あおき みか、1923年 - )は、日本の栄養学者、名古屋女子大学名誉教授。 三重県一志郡美杉村に生まれる。旧姓・森田。津高等女学校卒業ののち、19歳で結婚するが、夫はその半年後に朝鮮半島沖で戦死。1953年(昭和28年)三重大学農学部農芸化学科卒業、1955年(昭和30年)九州大学大学院修士課程修了。名古屋女学院短期大学講師、1956年名古屋女子大学に勤務、1967年三重県立大学医学博士。名古屋女子大学教授、1989年定年退職、名誉教授。
中村 正(なかむら ただし、1923年 - 2013年)は、… 中村 正(なかむら ただし、1923年 - 2013年)は、日本の技術者。三重県伊勢市出身。学位は工学博士。 1966年蛍光表示管を発明、伊勢電子工業株式会社(現・ノリタケ伊勢電子)を創業した。後年は、技術者であるとともに、伊勢に伝わる通能(とおりのう)を舞うことで、地方伝統文化継承にも尽くした。
渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 20… 渡辺 淳(わたなべ じゅん、1922年12月12日 - 2021年10月20日)は、日本の評論家(とくに演劇・映画)、フランス文学者、翻訳家。旧・東京都立大学名誉教授。本名は名前を「あつし」と読む。兄の渡辺仁は人類学者で、東京大学教授ほかを務めた。 三重県久居町(現津市)生まれ。三重県立宇治山田中学校(現三重県立宇治山田高等学校、3年まで)、長野県立松本中学校(現・長野県松本深志高等学校)、旧制富山高等学校を経て、1943年に東京帝国大学文学部仏文学科に入学したが、同年学徒出陣の対象者となる。1945年まで兵役(海軍)に就き、戦後に復学(渡辺一夫に師事)して1948年卒業。 戦後、まず現代フランス文学、とくにナチス・ドイツの占領を契機に変貌した文芸・思想の紹介、評論を各種新聞、雑誌、単行本上に発表してデビュー。
元永 定正(もとなが さだまさ、1922年〈大正11年〉11… 元永 定正(もとなが さだまさ、1922年〈大正11年〉11月26日 - 2011年〈平成23年〉10月3日)は、三重県出身の日本の画家、絵本作家。前衛美術作家として国内外で高い評価を得ており、多数の受賞歴がある(後述)。 造形作家の中辻悦子は妻。妻の中辻との共作として、2001年に全長30メートルに達する巨大アスレチック遊具型阪神・淡路大震災復興モニュメント「ゆめ・きずな」を制作した。 1922年(大正11年)11月26日、三重県阿山郡上野町桑町(現・三重県伊賀市上野)に長男として生まれる。 1938年(昭和13年)に地元の三重県上野商業学校(現・三重県立上野商業高校)を卒業後、大阪に転居し同地の機械工具店に就職した。
岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年1… 岸 宏子(きし ひろこ、1922年5月5日 - 2014年12月2日)は、日本の放送作家、小説家。 三重県出身。阿山高等女学校卒。 1942年、小説「醜女」で厚生省公募の勤労文化賞受賞。以後、ラジオ、テレビ等に作品を発表。 1977年、銀河テレビ小説『巣箱』の脚本に対して、第14回ギャラクシー賞・選奨を受賞。 NHK名古屋放送局制作のドラマの脚本を多く書いた。ほか名古屋周辺の歴史を中心とする著作も多い。 これらの功績から第46回NHK放送文化賞(1994年度)を受賞した。 1990年には紫綬褒章、1995年には勲四等宝冠章を受章した。 2014年12月2日、慢性心不全のため死去。92歳没。遺言により、自宅や株式、預貯金、著書・蔵書のみならず、岸の保有する著作権と著作権料まで故郷の伊賀市に寄贈された。
福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の… 福持通(ふくもちとおる、1922年 - 2014年)は日本の実業家。元都ホテル(現ウェスティン都ホテル京都)社長。伊勢本街道保存会相談役。三重県名張市出身。祖父・善之丞は立憲憲政会員、名賀郡会議員。
大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 20… 大久保 房男(おおくぼ ふさお、1921年9月1日 - 2014年7月25日)は、日本の編集者、作家。 三重県北牟婁郡紀伊長島町(現紀北町)生まれ。旧制津中学校を経て、慶應義塾大学国文科で折口信夫に師事する。学徒出陣で1943年に出征、海軍予備学生(第4期)を経て、1944年暮れに海軍少尉となる。敗戦により復員し、1945年10月に復学、1946年9月に卒業する。同年11月、講談社に入社する。1955年から1966年まで『群像』の編集長を務めた。石原慎太郎や有吉佐和子の作品を一切掲載しない一方で、吉行淳之介や安岡章太郎など「第三の新人」と呼ばれた作家たちを陰で支えた。その仕事ぶりは「文学の鬼」「純文学の鬼」などと称された。
富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1… 富山 奏(とやま すすむ、1921年7月19日-2009年1月)は、日本の国文学者。 三重県津市生まれ。京都帝国大学文学部国文科卒。高野山大学教授、皇學館大學教授、四天王寺女子大学教授、四天王寺国際仏教大学教授、副学長。1971年「伊賀蕉門の研究と資料」で大谷大学文学博士。71年同著で芭蕉祭文部大臣賞受賞。1989年中村元東方学術賞・東方文化賞受賞。近世俳諧、特に芭蕉が専門。
江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 20… 江崎 誠三 (えさき せいぞう、1921年3月1日 - 2002年5月27日)は、元豊田通商代表取締役社長、会長。他に、第7代東海日中貿易センター会長、中国青島市経済顧問等を務めた。 三重県津市出身。1941年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。 1982年に藍綬褒章、1992年に勲三等旭日中綬章を受章。2002年5月27日、すい臓がんのため81歳で逝去。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6… 伊藤 亘行(いとう のぶゆき、1921年(大正10年)2月6日 - 2002年(平成14年)11月10日)は日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者、作曲家。 三重県四日市市京町生まれ。伊藤家はタイル業、万古焼業を営み父が仕事中にヴァイオリンを弾くのを聞いて、叔母の家でオルガンを弾いたりして幼少年時代を過ごす。旧制富田中学校(現在の三重県立四日市高等学校)卒業。父や親戚を説得して東京音楽学校声楽科(現在の東京芸術大学)へ進学し、木下保や中山悌一に師事して1941年(昭和16年)に卒業。大東亜戦争中で音楽関係の仕事がないことから、郷里の東海地方に帰り現在の愛知県立旭丘高等学校や愛知県立明和高等学校の音楽担当の教師となり音楽を教えた。
前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月… 前川辰男(まえかわ たつお、1920年 <大正9年> 12月12日 - 2017年 <平成29年> 12月31日)は、三重県の地方議員。環境運動家。日本自然保護協会会員。ナチュラリスト。位階は従五位。 高花平(新興住宅団地)連合自治会長。四日市市議会議員を7期務め、昭和56年5月15日から ~昭和57年5月18日まで四日市市議会議長を務める。日本社会党所属。 四日市ぜんそくで四日市コンビナート企業と九鬼喜久男四日市市長を糾弾して、塩浜地区の公害患者の味方となり公害対策に貢献した。俳人や本の執筆者として活躍した文化人である。 三重県四日市市(塩浜地区)出身。一志郡(久居市)生まれ。 四日市市塩浜地区を中心とする四日市コンビナートから大気汚染で発生した四日市ぜんそくの公害裁判の公害患者による訴訟を推進するため政治家となる。
北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 19… 北村 文男(きたむら ふみお、1920年10月4日 - 1993年1月14日)は、将棋棋士、囲碁棋士。三重県鈴鹿市出身。将棋では板谷四郎九段門下。日本将棋連盟棋士番号76。囲碁では関西棋院中部総本部所属のプロ三段、伊神肇六段(関西棋院中部総本部代表)門下。 現代の棋士制度上での、唯一の、囲碁・将棋双方のプロ棋士であった。 早稲田大学卒業後、教員の傍ら、1948年10月の第2回全日本アマチュア将棋名人戦で三重県代表として出場し優勝。1950年の第4回では西日本代表(西名人)となり全国準優勝。 その後、1956年に奨励会初段試験に合格し同年奨励会「予備クラス」に入り、当時順位戦から陥落して「予備クラス」入りしていた浅沼一、後に棋士となる木村嘉孝・内藤國雄・佐伯昌優・伊達康夫らを相手に、内藤に1敗のみの11勝1敗の成績で1期で昇段を決め、翌1957年に四段昇段。
中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月2… 中村 大造(なかむら たいぞう、1920年(大正9年)7月25日 - 1987年(昭和62年)5月6日)は、日本の官僚、実業家。元運輸事務次官・全日本空輸社長。三重県桑名市出身。
近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3… 近藤 啓太郎(こんどう けいたろう、1920年(大正9年)3月25日 - 2002年(平成14年)2月1日)は、日本の作家。 三重県四日市市生まれ。第一東京市立中学校(現東京都立九段高等学校)を経て、東京美術学校日本画科卒業。戦後、千葉県鴨川で1年ほど漁業に従事する。その後鴨川中学校の図工科教師となり、教職のかたわら創作を行う。1952年、「遭難」を『早稲田文学』に発表してデビュー、1956年、「海人舟」で芥川賞受賞。第三の新人の一人に数えられ、阿川弘之、吉行淳之介、安岡章太郎らとは終生親しくつきあった。 愛犬家で中学生の頃からの日本犬保存会の会員であり、鴨川で家を建てた後は「八色犬舎」という犬舎号を登録して柴犬や紀州犬の繁殖を行い井上靖、遠藤周作ら作家仲間に柴犬の仔犬を譲ったり、安岡章太郎に紀州犬の仔犬を世話したりした。
三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1… 三輪 勇之助(みわ ゆうのすけ、1920年2月26日 - 1990年1月1日)は、三重県四日市市出身の日本の洋画家。 同じ四日市市生まれの従兄弟に芥川賞受賞作家の近藤啓太郎がいる。
飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月… 飯田 庸太郎(いいだ ようたろう、1920年(大正9年)2月25日 - 2002年(平成14年)9月9日)は日本の実業家、元三菱重工業社長・会長。元経済団体連合会副会長。三重県出身。
中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 197… 中尾 碩志(なかお ひろし、1919年12月1日 - 1977年12月9日)は、三重県伊勢市出身のプロ野球選手(投手)。旧名「中尾 輝三(なかお てるぞう)」(プロ初年から1947年まで)。
野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1… 野呂 恭一(のろ きょういち、1919年11月30日 - 1995年3月6日)は、日本の政治家。位階は従三位。 厚生大臣(第57代)、衆議院議員(7期)、三重県議会議員などを歴任した。 1919年(大正8年)生まれ。三重県飯南郡飯高町出身。父は宮前村長などを務めた野呂庫二郎。 東京高等師範学校卒業。戦後、三重県議会議員選挙への立候補を目指すも公職追放を受けた父・庫二郎にかわって27歳で三重県議会議員選挙に地元の飯南郡から立候補して当選し、県議会議員となった。自由民主党三重県連の幹事長などを歴任した後、1959年(昭和34年)には三重県議会議長に就任した。 その後、三重県議を辞職し1963年(昭和38年)の第30回衆議院議員総選挙に立候補し初当選。
中村 悌次(なかむら ていじ 、1919年(大正8年)9月2… 中村 悌次(なかむら ていじ 、1919年(大正8年)9月24日 - 2010年(平成22年)7月23日)は、日本の海軍軍人、海上自衛官。海兵67期首席。第11代海上幕僚長。最終階級は、帝国海軍では海軍大尉、海自では海上幕僚長たる海将(海軍大将に相当)。京都府出身。 1980年代以降の海上自衛隊とアメリカ海軍の緊密な関係を作り上げた海上自衛隊中興の祖の一人。三重県立津中学校四年修了時に海軍兵学校を受験し合格した。海軍兵学校第67期を首席で卒業し、遠洋航海に出る。なお、67期が遠洋航海をした最後の期となる。重巡洋艦「高雄」乗組みを経て駆逐艦「夕立」に水雷長として乗組む。スラバヤ沖海戦では水雷長として魚雷発射の指揮をとり敵艦に向け魚雷を8本発射するが、発射した魚雷のうち半分が目の前で自爆し、敵艦には1発も当たらず悔しい思いをしている。
沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 … 沢田 敏男(さわだ としお、1919年〈大正8年〉5月4日 - 2017年〈平成29年〉10月18日)は、日本の農学者(農業農村工学)。農学博士(京都大学・論文博士・1955年)。京都大学名誉教授、国立工科大学名誉教授、福井県立大学名誉教授、仁愛大学名誉教授。階級は陸軍技術中尉。勲一等瑞宝章受章。日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章。 京都帝国大学農学部研究嘱託、岡山農業専門学校教授、京都大学農学部教授、京都大学農学部学部長、京都大学総長、農業土木学会会長、滋賀総合研究所理事長、日本学術振興会会長、国際高等研究所所長などを歴任した。 農業土木・ダム工学を専攻する農学者・工学者である。三重県伊賀市出身。
奥山 道郎(おくやま みちろう、大正8年(1919年)4月1… 奥山 道郎(おくやま みちろう、大正8年(1919年)4月10日 - 昭和20年(1945年)5月24日) は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐。陸士53期。義烈空挺隊長。三重県出身。 陸軍砲兵中佐・奥山春次郎(陸士18期)の長男として神奈川県で出生。 千葉中学(現:千葉県立千葉中学校・高等学校)、津中学(現:三重県立津高等学校)を経て、東京陸軍幼年学校に入校。
和田 春生(わだ はるお、1919年3月15日 - 1999… 和田 春生(わだ はるお、1919年3月15日 - 1999年10月17日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 東京府東京市四谷区四谷左門町生まれ。三重県伊勢市出身。1939年鳥羽商船学校(現鳥羽商船高等専門学校)卒、山下汽船に航海士として入社。1945年全日本海員組合に参加し、1948年組織部長。1950年総評結成に参加して常任幹事となるが、1952年秋季闘争での総評の敗北を機に総評主流の左傾的傾向を批判、海員組合・全繊同盟・全映演・日放労の「四単産批判」取りまとめの中心となる。その後、日放労を除いた3単産を中心に総評内の右派系単産をまとめ1954年に全労会議を結成して初代書記長となり、解散まで右派労働戦線の旗手的存在だった。
田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 … 田端 義夫(たばた よしお、1919年〈大正8年〉1月1日 - 2013年〈平成25年〉4月25日)は、日本の歌手、ギタリスト。本名:田畑 義夫(読み同じ)。第二次世界大戦前から21世紀初頭まで現役歌手として活躍した。愛称はバタヤン。高い位置で構えるエレクトリック・ギター(ナショナル1124)、独特の哀愁を帯びた歌声、「オーッス!」という威勢のよい挨拶がトレードマークで、広く国民に親しまれた。 三重県松阪市生まれ。3歳の時に父を亡くし、大正14年(1925年)に一家とともに大阪に出て行く。小学校3年の半ばで中退。赤貧のため慢性的な栄養失調であった。トラコーマにかかり徐々に右目の視力を失う。 13歳より名古屋の薬屋やパン屋、鉄工所などで丁稚奉公。
小林 ちづ(こばやし ちづ、1918年(大正7年)11月22… 小林 ちづ(こばやし ちづ、1918年(大正7年)11月22日 - 平成時代まで存命。没年は不明)は、日本社会党衆議院議員。衆議院議員(1期)当選1回。小林正美(日本社会党衆議院議員)の未亡人。三重県では数少ない女性議員であった。 福岡県戸畑市生まれ。1936年(昭和11年)に、奈良県育英高等女学校を卒業した。その後に衆議院議員となる小林正美と結婚をして、職業は議員秘書を務めた。 1958年(昭和33年)の第28回衆議院議員総選挙では同じ選挙区から複数候補者を樹立する日本社会党執行部の方針で三重1区から日本社会党の2人目の公認候補として、小林ちづの夫の小林正美も出馬したが、亀山市を境界として、四日市市を中心とする北部地域は新人の四日市市出身の小林正美候補の地盤で、伊賀や津市などの南部地域は現職の中井徳次郎候補の地盤とする地盤割りが成功して小林正美・中井徳次郎の2人共が当選した。