木村二郎(きむら じろう、1949年 -)は、日本の推理作家… 木村二郎(きむら じろう、1949年 -)は、日本の推理作家、翻訳家。木村 仁良名義も使用した。 大阪府堺市生まれ。高校卒業後、渡米。ペイス大学社会学部卒業。学生時代からアメリカのミステリー小説の評論、翻訳を手がけ、1990年から自ら小説を書きはじめる。 マルタの鷹協会日本支部の創設者(1982年)としても知られる。 日本推理作家協会会員だったが、2014年ごろ退会、2016年末に再入会し、同協会英文サイトの翻訳委員をつとめる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
園田 豪(そのだ ごう、1948年(昭和23年)4月21日-… 園田 豪(そのだ ごう、1948年(昭和23年)4月21日-)は、日本の作家、歴史研究家。 石油資源開発株式会社に入社。サハリンの油ガス田や中東の油ガス田の探鉱・発見などの後、55歳で同社を早期退職し、在職時代から始めていた執筆活動を本格化した。 最初はオーストラリア関係のエッセイを書いていたが、長年研究していた日本の古代史に関する成果を小説型に纏めた「太安万呂の暗号シリーズ」8作に重点的に取り組んだ。 。その中で「いろは歌」に巧妙に隠し込まれた藤原不比等を呪う言葉を発見している。『萬葉集』の歌に隠しこまれた柿本人麻呂(大三輪朝臣高市麻呂)の秘文の存在への気づきが、『萬葉集』巻一および巻二の全324首の別の視点からの解読に向かわせ、『萬葉伝授』8巻を完成させた。
藤原 伊織(ふじわら いおり)、1948年2月17日 - 2… 藤原 伊織(ふじわら いおり)、1948年2月17日 - 2007年5月17日)は、日本の男性作家。 本名は藤原 利一(ふじわら としかず)。 大阪府大阪市出身。大阪府立高津高等学校、東京大学文学部フランス文学科卒業。電通に勤務する。 1977年、「踊りつかれて」で野性時代新人文学賞佳作を受賞(藤原利一名義)。1985年、『ダックスフントのワープ』で第9回すばる文学賞受賞。 その後、原稿依頼を断っているうちに注文が来なくなり、発表が途絶える。 1995年、ギャンブルでかさんだ借金の返済のため、賞金1000万円を目当てに『テロリストのパラソル』を江戸川乱歩賞に応募し、受賞する。翌年、同作で直木三十五賞も受賞した。
高橋 三千綱(たかはし みちつな、1948年1月5日 - 2… 高橋 三千綱(たかはし みちつな、1948年1月5日 - 2021年8月17日)は、日本の作家。大阪府豊中市出身。 作家である高野三郎の長男として生まれる。3歳の時東京都に転居。8歳の時、父親がいわゆる「保証被り」により莫大な借金を背負い、比較的豊かな暮らしぶりが一変、半年から1年程で各地を転居することとなる。 小学校時代、テレビや映画に子役として出演。のちにNHK児童劇団に入り、多数のラジオドラマに声優として出演。中学時代は剣道に打ち込む。東京都立神代高等学校在学時は各地を旅する。 高校卒業後、サンフランシスコ州立大学英語学科創作コースへ入学するが、父親が重病となり、3年目に帰国。アメリカでの滞在記『シスコで語ろう』を自費出版する。
高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活… 高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活動家、特定非営利活動法人ネットワーク『地球村』代表、著作家、講演家。また、コミュニケーションやコーチング、ワークショップの講師として活動している。大阪府堺市西区出身。 大阪大学基礎工学部物性物理学コースを経て、松下電器(現パナソニック)に就職し28年間勤務。在職中は、フロンガス全廃等の環境政策に携わった。社内で合唱団を設立し(現・パナソニック合唱団)、指揮者として活躍し全日本合唱コンクールで金賞を受賞した。元大阪府合唱連盟理事。 1981年にオートバイの事故で瀕死の重傷を負い臨死体験をしたという。当時の病床での生活がその後の活動に大きな影響を与えたと語っている。
西田 明夫(にしだ あきお、1946年12月7日 - 200… 西田 明夫(にしだ あきお、1946年12月7日 - 2009年2月6日)は兵庫県明石市出身のオートマタ作家。現代玩具博物館(美作市)・有馬玩具博物館(神戸市)初代館長。イラストレーターの西E田は息子。
岩阪 恵子(いわさか けいこ、1946年6月17日 - )は… 岩阪 恵子(いわさか けいこ、1946年6月17日 - )は、日本の小説家。奈良県生まれ。夫は詩人・作家の清岡卓行。 奈良県宇智郡(現・五條市)に生まれる。その後転居し、1歳から23歳までを大阪府大阪市旭区で過ごす。寝屋川市の聖母女学院小学校、聖母女学院中学校・高等学校を経て、関西学院大学文学部史学科を卒業。19歳から詩作を始める。24歳で、師事していた24歳年上の清岡卓行と結婚し、東京に転居。この年から小説を書き始めた。画家小出楢重の評伝執筆が契機となって、故郷大阪の土地とことばを生かした短編集『淀川にちかい町から』を上梓し高い評価を受けた。
今井 祝雄(いまい のりお、1946年 - )は、日本の造形… 今井 祝雄(いまい のりお、1946年 - )は、日本の造形作家。成安造形大学名誉教授。 妻は、「めだかの列島」などで知られるノンフィクション作家・今井美紗子。「わたしの仕事」では夫婦で取材をおこなっている。 大阪府出身。大阪市立工芸高校在学中から吉原治良に師事する。1964年、個展「17歳の証言」をヌーヌ画廊で開催。同年、第14回具体美術展に最年少の高校生ながら出展。1965年から1972年解散まで具体美術協会会員。1966年、第10回シェル美術賞1等賞受賞。以来パリ青年ビエンナーレはじめ東京国立近代美術館、芦屋市立美術博物館など内外の企画展に出品、現在に至る。 1980年以降は主にパブリックアートを手がけ、新大阪駅前、関西文化学術研究都市、京阪坂本駅ほかに彫刻、モニュメントを制作。
馬場 信浩(ばば のぶひろ、Nobuhiro Baba 19… 馬場 信浩(ばば のぶひろ、Nobuhiro Baba 1941年11月5日 - )は、日本の元役者、作家。 主に、スポーツ小説、ノンフィクション小説、時代小説の分野で活動する。 男性。大阪府枚方市出身。アメリカ合衆国カリフォルニア州アナハイム在住。 1960年 大阪府立四條畷高等学校卒業。1964年に明治大学文学部演劇科を中退し、劇団「ぶどうの会」養成所にて役者修業。 1978年 テレビ朝日「23時ショー」の司会を一年間、担当。 1989年 米国に移住。
黒田 勝弘(くろだ かつひろ、1941年(昭和16年)10月… 黒田 勝弘(くろだ かつひろ、1941年(昭和16年)10月25日 - )は、日本の新聞記者、作家、コラムニスト。共同通信社にてソウル支局長や東京本社外信部デスクを歴任、現在は産経新聞ソウル駐在客員論説委員及び神田外語大学アジア言語学科韓国語専攻客員教授である。旧名は勝博。 大阪府大阪市出身。第二次世界大戦中は鹿児島県に疎開し、小学2年生の時に大阪へ戻る。四貫島小学校時代は学校新聞の記者を務めた。我孫子中学校、大阪府立天王寺高等学校に進学し、高校卒業後の1960年(昭和35年)4月、京都大学経済学部に入学。 1964年(昭和39年)、京大卒業後の4月、共同通信社に入社。1年間の本社研修後の1965年(昭和40年)4月から広島支局で4年間勤務。
濱野 成秋(はまの せいしゅう、1941年3月25日 - )… 濱野 成秋(はまの せいしゅう、1941年3月25日 - )は日本の作家・アメリカ文学者。 大阪府堺市出身。本名は濱野成生。別名義として浜野 成生(はまの しげお)とも。筆名は立木優(たつきゆう)。慶応義塾大学文学部文学科アメリカ文学専攻を卒業。1995年より日本女子大学文学部英文学科で教授を務めた。2009年、定年により退職。現在、日本浪漫学会会長を務め、同学会主催『令和オンライン万葉集』編集長。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日… 肥田 美代子(ひだ みよこ、1941年〈昭和16年〉3月1日 - )は、日本の児童文学作家、政治家、薬剤師。大阪樟蔭女子大学教授、文字・活字文化推進機構理事長。衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)を歴任。 大阪府大阪市出身。大阪府立大手前高等学校を経て 1965年に大阪薬科大学卒業。1965年、白水貿易株式会社 歯科医療器入社。1975年、薬局開業。1979年に「先生しごいたる」で児童文学作家としてデビュー。1981年、川村たかし・那須正幹ら児童文学創作集団「亜空間」の結成に参加。 1989年の第15回参議院議員通常選挙において日本社会党公認で比例区より立候補し初当選。1991年、社会党シャドーキャビネット文化政務次官に就任。
吉田 定一(よしだ さだいち、1941年 - )は、大阪府出… 吉田 定一(よしだ さだいち、1941年 - )は、大阪府出身の児童文学作家・詩人である。元・白百合女子大学・東京学芸大学講師。
薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月… 薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月23日 - 2000年〈平成12年〉6月18日)は、日本の動物画家、絵本作家。 絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で標本画の基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞。
松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11… 松本 徹三(まつもと てつぞう、1939年(昭和14年)11月15日[要出典] - )は日本の実業家であり、作家でもある。 元ソフトバンクモバイル取締役副社長(2020年3月までソフトバンクグループ シニアアドバイザー)。ORNIS株式会社代表取締役会長。株式会社 ジャパン・リンク 代表取締役社長。一般財団法人 高IQ者認定支援機構代表理事。 兄一人、姉二人の末子として東京で生まれ、生後3か月で大阪へ移る。 幼年期は兵庫県西宮市[要出典]、東京都中野区[要出典]に住み、戦争が激しくなると、栃木県上野郡東大芦村大字引田[要出典]に疎開した。疎開先で終戦になり、ラジオで玉音放送を聴いた。終戦後、大阪へ戻った。
三宅 孝太郎(みやけ こうたろう、1937年3月7日 - )… 三宅 孝太郎(みやけ こうたろう、1937年3月7日 - )は、日本の作家。 大阪府堺市生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1984年『夕映え河岸』でオール讀物新人賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月1… 中辻悦子 (なかつじえつこ、本名:元永悦子、1937年2月12日 - )は、日本のグラフィックデザイナー、造形作家、絵本作家。 大阪府生まれ。大阪府立三国丘高等学校卒業。夫は元永定正で、夫の作品にグラフィックデザイナーとして協力することもあり、ふたりの作品展「元永定正 中辻悦子 絵本原画展」も開催。 1991年、『もけら もけら』(山下洋輔:文、元永定正:絵、中辻悦子:構成)で第14回絵本にっぽん賞(現・日本絵本賞)を受賞。 1999年、『よるのようちえん』(谷川俊太郎:文、中辻悦子:絵・写真)で第17回ブラティスラヴァ世界絵本原画展のグランプリを受賞。 2001年には神戸市なぎさ公園のモニュメント「夢きずな」、2005年には明石市民夏まつり事故の碑「いれぶんはーと」を元永定正と合作。
森内 俊雄(もりうち としお、1936年12月12日 - )… 森内 俊雄(もりうち としお、1936年12月12日 - )は、日本の小説家、詩人、編集者である。本名同じ。
奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )… 奥田 小由女(おくだ さゆめ、1936年11月26日 - )は、日本の人形作家。勲等は文化勲章。公益社団法人日展元理事長、一般社団法人現代工芸美術家協会理事長、日本芸術院会員、文化功労者。旧姓は川井(かわい)。 社団法人日展常務理事、社団法人現代工芸美術家協会副理事長などを歴任した。 一男二女の末子として大阪府堺市に生まれる。2歳の時に父を亡くし、母の故郷である広島県双三郡吉舎町(現在の三次市吉舎町)に移住。1955年、日彰館高等学校卒業後、人形作家を志して上京。 1966年に光風会展に入選し、1967年には新日展での入選と日本現代工芸美術展での入選を果たした。1972年、日展特選、光風会会員となる。
木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は… 木村 光佑(きむら こうすけ、1936年5月24日 - )は 日本の版画家・彫刻家・作家・画家。京都工芸繊維大学名誉教授(第9代学長)。 大阪府大阪市生まれ。日本経済の高度成長と同時に美術の大衆化が顕著となる中、木村光佑は30歳を超えた1968年に作家としてデビューを果たした。シルクスクリーンや写真製版をはじめ多様な製版・印刷の最新技術を駆使し、現在社会の虚像と実像入り交じる様々なイメージを重ね合わせることで、情報過剰な同時代人の視覚的経験を作品化し、デビューと同時に「時代の申し子」として立て続けに国際コンクールでの受賞を重ねていく。一方で、自由な版表現への挑戦は、当時の日本版画界においては異色であり、版画の範疇や概念に対する議論を巻き起こした。
富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月… 富岡 多惠子(とみおか たえこ、1935年〈昭和10年〉7月28日 - 2023年〈令和5年〉4月8日)は、日本の詩人・小説家・文芸評論家。日本芸術院会員。上方お笑い大賞選考委員。静岡県伊東市在住。本名は菅多 恵子、夫は現代美術家の菅木志雄。 1935年(昭和10年)大阪府大阪市出身。大阪府立桜塚高等学校、大阪女子大学文学部英文科卒業。 池田満寿夫と同棲していたことがあり、当初は詩人として出発。卒業後は高校教師を務めたが、上京して多くの詩集を出し、『物語の明くる日』(1961年)以降は小説に転じた。多数の詩・小説・評論・エッセイがある。また映画のシナリオも書いている。 1969年6月、菅木志雄と結婚。
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 20… 堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - 2019年2月8日)は、日本の政治家、通産官僚、小説家、評論家。位階は従三位。勲等は旭日大綬章。 経済企画庁長官(第55・56・57代)、内閣特別顧問、内閣官房参与などを歴任した。また、株式会社堺屋太一事務所および株式会社堺屋太一研究所の代表取締役社長であり、様々な博覧会のプロデューサーとしても活動していた。 本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)であり、ペンネームの由来は、先祖の商人が安土桃山時代に堺から谷町に移住した際の名前である「堺屋太一」から採ったものである(堺屋は屋号にあたる)。 谷町に近い大阪市東区岡山町(現:中央区玉造)生まれ。
奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28… 奥田 継夫(おくだ つぐお、1934年〈昭和9年〉10月28日 - )は、日本の児童文学作家・評論家・翻訳家。 大阪府出身。大阪府立住吉中学校(旧制)進学、同級生には眉村卓がいた。卒業後、同志社大学文学部国文科に進学。在学中に乙骨淑子、柴田道子、山下明生、掛川恭子らと同人誌「こだま」に参加、卒業後に創作活動に専念する。 1968年、自らの太平洋戦争中の集団疎開の体験をもとに書いた処女作『ボクちゃんの戦場』(理論社)にてデビューした。この作品は1985年大澤豊の監督、前田吟や藤田弓子ら出演で映画化された。 1988年『この心さわぐ冒険、愛』(ほるぷ出版)が第35回産経児童出版文化賞の「推薦」に選ばれた。
眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ… 眉村 卓(まゆむら たく、本名:村上 卓児〈むらかみ たくじ〉、1934年〈昭和9年〉10月20日 - 2019年〈令和元年〉11月3日)は、日本のSF作家。 代表作『司政官シリーズ』で1979年に泉鏡花文学賞を、同年と1996年に星雲賞日本長編部門を受賞している。 1934年 (昭和9年) に大阪府大阪市西成区で生まれる。大阪府立住吉高校を経て、1957年 (昭和32年) に大阪大学経済学部卒業後、大阪窯業耐火煉瓦株式会社(のちの株式会社ヨータイ)に入社、日生工場(現岡山県備前市日生町)赴任。1958年 (昭和33年) に大阪本社に転勤。この頃の経験を題材として後年『傾いた地平線』に「ぼくがそうであったかも知れぬ可能性」の世界として描かれた。
筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24… 筒井 康隆(つつい やすたか、1934年〈昭和9年〉9月24日 - )は、日本の小説家、劇作家、俳優。ホリプロ所属。身長166cm。大阪府大阪市出身。日本芸術院会員。 大阪市に生まれた。天王寺動物園長だった父の影響を受け、幼い頃から博物的な世界に憧れを持つ。同志社大学に入学し、美学・美術史を専攻。 1965年に東京に転居し、本格的な作家活動を展開、第一短編集『東海道戦争』(1965年)を刊行した。同年、『時をかける少女』『48億の妄想』では、現実と非現実をつなぐ幻想のリアリズムによる、無気味なナンセンスSFのジャンルを開拓。『ベトナム観光会社』(1967年)と『アフリカの爆弾』(1968年)で直木賞候補となる。
ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました… ジェームス三木(ジェームス みき、本名:山下 清泉(やました きよもと)、1934年〈昭和9年〉6月10日 - 2025年〈令和7年〉6月14日)は、日本の脚本家、作家、演出家、元歌手。 1934年、満洲国奉天省奉天市(現・中国遼寧省瀋陽市)生まれ。小学生の時に大阪府茨木市に引き揚げる。 中学2年の時、父が心臓病で急死。父の死後、医師である叔父の勧めで医学部を受験する予定だったが、大阪府立市岡高校に入学後は演劇や恋愛に熱中していた。 高校2年の時、演劇部で自ら主演・演出した芝居が大阪府高校演劇コンクールで1位入賞。これを期に俳優志望となり、俳優座養成所の入所試験を受けたところ、12倍の競争率を突破して合格。
白井 愛(しらい あい、1934年2月5日 - 2005年2… 白井 愛(しらい あい、1934年2月5日 - 2005年2月20日)は、日本の作家、フランス文学者(浦野衣子)、翻訳家。 岸和田市生まれ。旧姓名・田島衣子。1956年医師・浦野元幸と結婚、浦野衣子となる。1966年早稲田大学大学院仏文学専攻博士課程退学。1969年浦野と離婚し戸籍名は田島に戻るが、公的に浦野衣子を名のる(徳島文理大学では「田島衣子」として勤務)。1979年『あらゆる愚者は亜人間である』を白井愛名義で発表。その際の共同事業者・夫は彦坂諦で、最期まで彦坂と一緒であった。
新橋 遊吉(しんばし ゆうきち、1933年3月29日 - 2… 新橋 遊吉(しんばし ゆうきち、1933年3月29日 - 2018年2月17日)は、日本の小説家。 本名は、馬庭 胖(まにわ ゆたか)。大阪府出身。初芝高等学校(現・大阪立命館高等学校)卒業。さまざまな職業を転々としつつ、7年にわたる病気療養生活を送る。その間も執筆活動を続け、1965年(昭和40年)に短編『八百長』で第54回直木賞を受賞。以降、競馬を題材にした現代小説を数多く世に送った。 2018年(平成30年)2月17日、自宅のあった堺市内の病院で腎不全のため死去。84歳没。
石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7… 石田 泰照(いしだ やすてる、1932年(昭和7年)12月7日- )は、日本の教育家、児童文学作家。 練馬区立豊渓小学校長、同南町小学校長、練馬区小学校教育会長、竹早教員保育士養成所講師、日本創作ゲーム協会常任理事、教育文筆者の会事務局長。 大阪市生まれ。広島大学教育学部卒。童話集、ゲーム集、教育書など著書多数。
足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 200… 足立 克己(あだち かつみ、1932年11月4日 - 2000年1月19日)は、日本の漫才作家、放送作家。 大阪府大阪市生まれ。生家は複数の職人を雇うほどの大手のパン店だった。 旧制大阪府立北野中学校在学中に、学制改革のため中学が新制の大阪府立北野高等学校となり、1951年同高校卒業。同年大阪外国語大学中国語科に入学するも、3か月で中退し、翌年に和歌山大学経済学部に入学する。和歌山大では野球部に入部し、1番・遊撃手のレギュラーを獲得した。またそのかたわら、寄席通いに熱中した。 当時和歌山大は近畿六大学野球連盟のリーグ1部に所属し、足立もリーグ表彰を受け、社会人野球の三井造船玉野への入団が決まりかけたがこれを固辞し「普通のサラリーマン」を目指す。
小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - … 小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2007年〈平成19年〉7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。ベトナムに平和を!市民連合の設立者の一人、九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。 1958年(昭和33年)、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。
関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年… 関千枝子(せき ちえこ、1932年3月28日 - 2021年2月21日)は、日本のノンフィクション作家。 大阪市出身。旧姓:富永。1944年、父の転勤で大阪から広島市に移住し、旧制広島県立第二高等女学校(現・広島県立広島皆実高等学校の前身の一つ)に入学。そして1945年、自身が2年生のときに広島で被爆。このとき、第二高等女学校では爆心地に程近い雑魚場町(現・中区国泰寺町)での建物疎開作業に動員されており、引率した教師、そして同級生含めた約40人が被爆し亡くなったが、関自身は当日体調不良で欠席、宇品の自宅で病臥していたために被爆こそしたが、爆心地より遠かったため生き延びたという(当日、関含めた生徒でも6人が欠席したほか、建物疎開作業に動員された同級生で1人だけ奇跡的に助かった者がおり、彼女はその後24年生きた)。
田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる… 田村 多津夫(たむら たつお、本名:田村 稔(たむら みのる)、1932年1月31日 - 2019年11月13日)は、大阪府大阪市出身の日本の脚本家、構成作家。 早稲田大学卒業後大学院に進み、飯島正に師事。日本のテレビ放送黎明期に、外国テレビ映画の翻訳のアルバイトなどを務めたのち、脚本家デビュー。 1960年代半ばから特撮・テレビアニメ・テレビドラマ・時代劇など多くの作品を執筆し活躍する。またそれと共に戯曲も多く手掛けた。 脚本家の弟子に富田祐弘がいる。 2019年11月13日、肺がんにより東京都内の自邸にて死去。87歳没。 この項目は、アニメ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:アニメ/PJアニメ)。
今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 20… 今江 祥智(いまえ よしとも、1932年1月15日 - 2015年3月20日)は、日本の児童文学作家、翻訳家。
北田 玲一郎(きただ れいいちろう、1931年11月14日-… 北田 玲一郎(きただ れいいちろう、1931年11月14日- )は、日本の作家、司法書士。司法書士北田基司事務所を主宰。 大阪府豊中市生まれ。本名・北田基司。大阪府立旧制池田中学校卒。1952年司法書士。大阪司法書士会常任理事、副会長。 芸術集団タムタム、『総合芸術』編集長。新日本文学会所属。堤玲子がその下で編集していた。
稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994… 稲見 一良(いなみ いつら、1931年1月1日 - 1994年2月24日)は、日本の小説家、放送作家。大阪府大阪市出身。 記録映画のマネージメントを務める傍ら、1968年文芸誌の新人賞に入選、しかし多忙のため作家活動に専念しなかった。テレビCF、記録映画のプロデューサを努める。 1985年肝臓癌の手術を受けるが全摘ができないと分かると、生きた証として小説家活動に打ち込むと周囲に宣言し、1989年『ダブルオー・バック』にて本格的に小説家デビュー。1991年『ダック・コール』にて数々の賞を受賞し期待されるも、1994年わずか9冊を残して癌のため没した。 作品は自身の趣味であった猟銃の知識を生かしたハードボイルドな推理小説で、少年の視点・目線やニヒリズムを取り入れたものであった。
開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和… 開高 健(かいこう たけし、かいこう けん、1930年〈昭和5年〉12月30日 - 1989年〈平成元年〉12月9日)は、日本の小説家。組織と人間の問題を扱った『パニック』『裸の王様』や、ベトナム戦争取材の体験をもとにした『輝ける闇』などがある。また趣味の釣りについて世界各地での体験を綴ったエッセイ『フィッシュ・オン』『オーパ!』などでも知られる。 大阪市天王寺区で父・正義、母・文子との間に長男として生まれる。7歳の時に住吉区北田辺(現・東住吉区)へ転居。子供時代は、紙芝居と本が好きで、江戸川乱歩、山中峯太郎、海野十三などを読んでいた。1943年4月に旧制天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)へ入学、勤労動員の合間に内外の文学作品を乱読した。
米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - … 米谷 ふみ子(こめたに ふみこ、1930年11月15日 - )は、日本出身の作家・画家。本名は富美子。ロサンゼルス近郊パシフィック・パリセイズに在住。 大阪市に生まれる。大阪府立夕陽丘高等女学校、大阪女子大学(現在の大阪府立大学)国文科卒業。1957年、油絵を二科展に出品して関西女流美術賞を受ける。1960年に奨学金を受けて渡米。抽象画家としてアメリカ合衆国ニューハンプシャー州の芸術家村マクダウェル・コロニー(MacDowell Colony)に移住したとき、ジョシュ・グリーンフェルドと出会う。 ニューヨークでジョシュと結婚し、夫との間に二人の息子を持つ(長男のカール・タロウは現在文筆家)。 自閉症の次男ノアの子育てと画家活動が両立困難になったことから文筆活動に転じた。
野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月1… 野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年〈昭和5年〉10月10日 - 2015年〈平成27年〉12月9日)は、日本の小説家、歌手、作詞家、タレント、政治家。参議院議員(1期、任期途中で退職)を務めた。 神奈川県鎌倉市で生まれる。程なく生母が亡くなり、兵庫県神戸市の親戚宅の養子に。空襲で養父を失い、疎開先で妹を栄養失調で亡くし放浪した。こうした体験から、「焼跡闇市派」を自称した。 早稲田大学仏文科中退。在学中からコント・テレビの台本、CMソングの作詞などで活躍。 『エロ事師たち』(1963年)で小説家デビュー。妹への贖罪から書いた『火垂るの墓』(1967年)、占領下の世相を描いた『アメリカひじき』(1967年)で直木賞受賞。
和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 20… 和久 峻三(わく しゅんぞう、1930年7月10日 - 2018年10月10日)は、日本の推理作家・弁護士。本名は古屋峻三。別名として夏目 大介(なつめ だいすけ)。写真家としての顔も持ち、日本図書館協会選定図書の写真集『日本の原風景』(1993年)も発表している。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)に京都大学法学部を卒業し中部日本新聞の記者となるが、友人から月刊文芸誌『宝石』を見せられ推理小説の魅力にとりつかれる。1960年(昭和35年)に同誌の宝石賞に応募し候補作に選ばれる。応募作『紅い月』は本名の滝井峻三名義で『宝石』に掲載され作家としてデビューした。「生まれて初めて書いた小説が雑誌に掲載されたときの私の感動は、一生涯、忘れることができないものとなりました」と和久は語っている。
福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 201… 福田 紀一(ふくだ きいち、1930年2月11日 - 2015年7月14日)は、日本の小説家。元大阪工業大学教授。 大阪市生まれ。京都大学文学部(美学美術史専攻)卒業。高校教師をしながら文筆活動をする。同人誌『VIKING』に参加。1979年『おやじの国史とむすこの日本史』によりサントリー学芸賞(社会・風俗部門)受賞。1991年から97年、大阪工業大学教授。 在阪・同窓の小松左京らと親交が深い。小松の処女長編『日本アパッチ族』の主人公、木田福一は、福田の名前から取ったものである。作品は、自己の高校教諭(日本史・世界史)としての経験に依拠したものや、歴史に因んだものが多く、また、SF的な作品もある。
正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 196… 正田 昭(しょうだ あきら、1929年4月19日 - 1969年12月9日)は、日本の元死刑囚、小説家である。バー・メッカ殺人事件の主犯。 正田は裕福な中流家庭で兄3人と姉2人の末っ子として大阪府に生まれる。弁護士だった父親は石川県から横浜英語学校に学び、21歳で渡米、ハウスボーイから身を立てカリフォルニア州立大学を経て、サクラメントで法律事務所を経営する人物だったが、昭が生後5ヶ月のときに54歳で他界し、昭は高校の体育教師だった母親によって育てられる。母親は4人の息子たちを早稲田大、フィレンツェ大、東大、慶応大に進学させ、娘2人も女子大に進ませた。賢母だったが印鑑と銀行の貸金庫の鍵を肌身離さず持つなど金に対する執着が強く、そのような母に耐えられなかった長兄が家庭内暴力をするようになる。
秋山 信子(あきやま のぶこ、1928年〈昭和3年〉2月24… 秋山 信子(あきやま のぶこ、1928年〈昭和3年〉2月24日 - 2024年〈令和6年〉4月9日)は、日本の人形作家、人間国宝(重要無形文化財である衣裳人形の保持者)。本名は今井 信子(いまい のぶこ)。 1928年、大阪市天王寺区にて誕生。幼い頃から病弱であったため屋外よりも室内で過ごすことが多かったという。樟蔭東高等学校を卒業後、1955年に人形作家の大林蘇乃に師事し、 桐塑・和紙貼・木目込等の伝統的な人形制作技法などを学ぶ。1960年第7回日本伝統工芸展に初入選、大阪府教育委員会賞を受賞するなどし、1963年に日本工芸会正会員に認定される。その後1996年に重要無形文化財「衣裳人形」の保持者に認定され、人間国宝となった。
中野 武彦(なかの たけひこ、1927年1月23日 - 20… 中野 武彦(なかの たけひこ、1927年1月23日 - 2004年9月5日)は、大阪市出身の日本の小説家。 1927年(昭和2年)、大阪市東区(現中央区)内淡路町にあった、古くから続く薬種問屋の三男坊として生まれる。1939年(昭和14年)、旧制大阪府立生野中学校入学と同時に、甲子園口に転居。その後、広島高等学校に進学する。この頃から甲子園口の自宅近くに住む、若き日の畔柳二美との親交が始まった。 1951年東京大学文学部仏文科を卒業し、電通に勤務する傍ら、佐多稲子、埴谷雄高ら作家と交友を深め、「新日本文学」などに文芸評論を寄せた。畔柳二美とは約20年間、共同生活を送った。二美は1965年死亡した。
紅山 雪夫(べにやま ゆきお、1927年 - 2020年5… 紅山 雪夫(べにやま ゆきお、1927年 - 2020年5月8日)は、日本の旅行作家。 大阪府豊中市生まれ。旧制豊中中学、大検を経て、東京大学法学部卒業。日本旅行作家協会理事を務める。毎年平均して150日間ぐらいは海外を歩き回っていたという。主な守備範囲はヨーロッパ、北アフリカ、西アジアからインド亜大陸まで。海外経験による写真、外国語、歴史、民俗への関心を多くの著書として著した。一連の著作は「添乗員のバイブル」とも呼ばれた。2020年5月8日、新型コロナウイルス感染症のため、死去。93歳没。
八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012… 八木 大介(やぎ だいすけ、1926年8月9日 - 2012年4月20日)は、日本の作家、政治家。位階は正五位。参議院議員(1期)。本名は木本 平八郎(きもと へいはちろう)。 大阪府枚方市出身。1951年、京都大学経済学部を卒業し、協和交易(後の三菱商事)へ入社。コロンビア三菱商事副支配人や機械総括部次長などを務める。1981年3月に『青年重役』が日本経済新聞の懸賞経済小説に当選し、著述業にも手を広げた。 1983年5月1日、定年まで1年半を残して退社。翌月の第13回参議院議員通常選挙に家族の反対を押し切って立候補し、サラリーマン新党から比例区で当選を果たす。この時、数年の間に大きく境遇が変化したことを「経済学部から文学部に移って、今度は法学部に来てしまったようなもの」と喩えた。
河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月3… 河野 多惠子(こうの たえこ、1926年(大正15年)4月30日 - 2015年(平成27年)1月29日)は、日本の小説家。本名・市川多惠子(旧姓・河野)。日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。位階は従三位。 心身の被虐をテーマにした『幼児狩り(英語版)』(1962年)で認められ、『蟹』(1963年)で芥川賞を受賞。以後、自身の性を客観視できる作家として、文壇的地歩を固めた。ほかに『不意の声』(1968年)、『回転扉』(1970年)など。 大阪府生まれ。西道頓堀の椎茸問屋の娘。1947年(昭和22年)旧制大阪府女子専門学校経済科(新制大阪女子大学の前身、現大阪府立大学)卒業。1950年(昭和25年)、丹羽文雄主宰の『文学者』同人となる。
阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 20… 阪田 寛夫(さかた ひろお、1925年10月18日 - 2005年3月22日)は、日本の詩人、小説家、児童文学作家として、小説・詩・作詞など幅広く執筆した。 大阪府大阪市に生まれた。阪田家は、代々紺屋の屋号であり安芸国忠海(現:広島県竹原市忠海)で海運業を営んでいた。寛夫の祖父・阪田恒四郎が38歳の時、広島から大阪に出て興したのが阪田インキ製造所(後のサカタインクス)。寛夫の父・素夫は同社の二代目社長であった。600坪の屋敷で3人兄弟の末弟として育つ。 熱心なキリスト教徒の家庭に育ち、母・京は同志社女子専門学校英文科の卒業生で、アメリカから来た教師に西洋料理をたくさん学んだハイカラな女性だった。
飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月… 飯干 晃一(いいぼし こういち、1924年〈大正13年〉6月2日 - 1996年〈平成8年〉3月2日)は、日本の作家。元読売新聞社会部記者。タレントの飯干恵子(現:飯星景子)は娘。映画『仁義なき戦い』シリーズの原作者として知られる。 大阪府出身。旧制大阪府立高津中学校(現在の大阪府立高津高等学校)卒業後、旧制第七高等学校(現在の鹿児島大学)卒業、1950年京都大学法学部(現在の京都大学大学院法学研究科・法学部)卒業。 読売新聞勤務時は社会部副編集長であったが、「現場に出られないとつまらん」と会社を辞め、『山口組三代目』を執筆し、それまでになかった切り口で広島ヤクザ抗争の内部を克明に描いた『仁義なき戦い』を週刊サンケイに連載し反響を得る。
黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2… 黒岩 重吾(くろいわ じゅうご、1924年2月25日 - 2003年3月7日)は、日本の小説家。社会派推理小説、風俗小説、古代史を題材にした歴史小説で活躍した。 大阪市生まれ。父方の祖先は和歌山県新宮市の廻船問屋。父は大同電力の電気技師、母は植村正久の弟子の牧師で名古屋の金城女学校で教頭も務めた池田勤之助の娘で、重吾は安治川発電所の社宅で生まれた。小学生の頃はキリスト教の日曜学校に通わされたが、結局信者にはならなかった。大阪の府立中学受験に失敗し、旧制宇陀中学(現・奈良県立大宇陀高等学校)に入学し、4年で終了して同志社大学の予科に入学。同志社大学在学中に学徒出陣し、北満に出征する。 ソ連国境に近い綏芬河の町で終戦を迎え、厳しい逃避行の末、1946年に朝鮮に辿り着き、内地へ帰還した。