檜原 恒一郎(ひわら こういちろう、1933年(昭和8年)3… 檜原 恒一郎(ひわら こういちろう、1933年(昭和8年)3月11日 - 2021年(令和3年)11月29日)は、日本の実業家。月桂冠代表取締役副社長、奈良日仏協会理事、奈良シネクラブ代表を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年(昭和30年)京都大学法学部を卒業し、同年三菱銀行に入行。京都支店長代理、外国部審査課長代理、ロンドン支店長代理本部詰を歴任。その後、長原支店次長、本店営業第一部外為第一課長、国際部企画課長、戸塚支店長を経て、1976年(昭和51年)10月パリ駐在員事務所首席駐在員を務める。 1985年(昭和60年)4月、月桂冠に転職。1998年(平成10年)代表取締役副社長に就任。2002年(平成14年)6月特別顧問に就任した。
辻井 昭雄(つじい あきお、1932年(昭和7年)12月19… 辻井 昭雄(つじい あきお、1932年(昭和7年)12月19日 - 2024年6月4日)は、日本の実業家。近畿日本鉄道相談役(前会長、前々社長)。 大阪府出身。旧制大阪府立八尾中学校入学、戦後の学制改革時に大阪府立山本高等学校に転校し卒業。京都大学経済学部卒業後、1956年に近畿日本鉄道へ入社。1989年に取締役、1999年に社長に就任し、2003年より会長を務める。2007年6月の株主総会後の取締役会をもって、相談役に退いた。 近畿日本鉄道社長時代には、近鉄グループの再編に着手、経営悪化していた関連会社・施設の閉鎖や売却、解散などを行い、後任の山口昌紀の代まで引き続き、グループのスリム化を押し進め(社長を務めた4年間は赤字決算)後にプロ野球再編問題が起こり、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併してオリックス・バファローズを誕生させる遠因を作った。
永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、… 永井 充(ながい みつる、1932年12月12日- )は、プロ野球球団大阪近鉄バファローズ元球団社長である。 大阪府茨木市出身。1955年に関西学院大学経済学部を卒業した後に近畿日本鉄道に入社した。防長交通への出向を経て、1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1996年6月から2003年6月までに副社長を務めた。 会計部長、経理部長などを経て、2001年から球団社長に就任した。 ファン開拓のために、夏休みの時に子供の入場料を無料にしたり、選手の人形をプレゼントする企画を建てたり、大阪府内の小学校に野球道具を贈ったりした。球団名の命名権売却を提案したことにより、波紋を起こした。 2004年2月をもって、球団社長を退任した。
辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)… 辻 晴雄(つじ・はるお、1932年(昭和7年)12月6日‐)は、日本の実業家。シャープ株式会社相談役。弟の妻が第2代社長佐伯旭の子。 大阪府大阪市生まれ。1955年、関西学院大学商学部卒業。同年、早川電機工業株式会社入社(1970年、シャープ株式会社に社名変更)。 1977年取締役、1981年常務取締役、1983年専務取締役を経て、1986年6月取締役社長に就任(シャープの第3代社長)。 1998年相談役(現職)就任。 世界に先駆けて液晶ディスプレイ事業の本格的な立上げに成功した。液晶の大型、高画質、フルカラー化などを進める一方、液晶付ビデオカメラ「液晶ビューカム」、携帯情報ツール「ザウルス」、液晶プロジェクター「液晶ビジョン」、8.6型(当時最大)壁掛け液晶テレビ「液晶ミュージアム」など画期的な応用商品の開発を指揮、「液晶のシャープ」を築き上げた。
辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 20… 辰馬 輝彦(たつうま てるひこ、1932年12月5日- 2015年7月23日 )は、日本の経営者。興亜火災海上保険社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1955年に関西学院大学商学部を卒業し、同年に興亜火災海上保険に入社した。1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1990年6月に副社長に就任し、1994年6月には社長に昇格した。1998年6月から会長を務めた。 2015年7月23日、肺炎のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は… 駒井 徳造(こまい とくぞう、1932年3月31日 - )は元任天堂部長、元セガ・エンタープライゼス副社長、元トムス・エンタテインメント会長。大阪市出身。 1954年に任天堂に入社し、長く営業を担当した。 任天堂レジャーシステムは1975年に『EVRレース』を発売し、メダルゲームに参入。関東における『EVRレース』の販売は、主にエスコ貿易が担当し、それにより駒井はエスコ貿易社長の中山隼雄と知り合う。任天堂のアーケード事業が苦しい時期も、中山はハードの販売を一手に引き受け、ほとんどエスコ貿易の独占に近い状態になることもあった。駒井はそれらの取引を通じて中山と信頼関係を築いた。 苦しい状態が続いた任天堂のアーケード事業は、『スペースフィーバー』(1979年)の大当たりによって一気に息を吹き返した。
片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は… 片田 哲也(かただ てつや、1931年10月15日 - )は、日本の経営者。小松製作所社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 旧制四高を経て1953年に京都大学法学部を卒業し、同年に小松製作所に入社。 1978年3月に取締役に就任し、1983年3月に常務、1987年3月に専務、1988年6月に副社長を経て、1989年6月に社長に就任。1995年6月に会長に就任し、2001年6月から取締役相談役を務めた。 日本経済団体連合会副会長を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2010年4月に旭日大綬章を受章。
奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年… 奥井 功(おくい いさお、1931年9月3日 - 2008年9月8日)は、日本の経営者。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法学部を卒業し、同年に積水化学工業に入社。 1970年に積水ハウスに転職し、経理部長、取締役、常務、専務を経て、1990年4月に副社長に就任した。1992年4月に社長に昇格し、1998年4月から2004年までに会長を務めた。 2002年から2003年までに日本経済団体連合会副会長も務め、関西経済連合会副会長、関西経営者協会会長も歴任した。 2003年11月に旭日大綬章を受章した。 2008年9月8日胃がんのために死去。77歳没。
上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は… 上島 重二(うえしま しげじ、1931年8月25日 - )は、日本の実業家。第8代目三井物産社長。大阪府生まれ。
新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 -… 新堂 友衛(しんどう ともえ、1931年〈昭和6年〉5月 - 2023年〈令和5年〉9月6日)は、日本の実業家。元大阪シティ信用金庫最高顧問。 大阪市出身。1950年(昭和25年)大阪府立四条畷高等学校(現・大阪府立四條畷高等学校)卒業、1955年大阪経済大学経済学部卒業。1967年大阪市信用金庫理事、1974年常務理事、1979年専務理事、1988年理事長。2010年(平成22年)代表理事会長就任。2013年より、市信金など3金庫の合併した大阪シティ信用金庫の名誉会長。 大阪府信用金庫協会・会長、近畿地区信用金庫協会・会長、全国信用金庫協会・副会長、信金中央金庫・理事などの要職に就き、特に大阪府下8金庫の合併を手がけ、当時経営不振問題に直面していた大阪府内の信用金庫再編を行い、金融不安の回避に尽力した。
渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 20… 渡守武 健(ともたけ たけし、1931年4月25日 - 2023年2月1日)は、日本の経営者。大日本製薬社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学医学部薬学科を卒業し、同年に大日本製薬に入社。 1981年に取締役に就任し、1985年に常務、1991年6月に専務を経て、1993年6月には社長に就任。 1999年6月に会長に就任。 2023年2月1日老衰のために死去。91歳没。
木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 20… 木村 雄宗(きむら たけむね、1931年2月10日 - 2006年2月5日)は、日本の経営者。三菱自動車工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学工学部を経て、1955年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に三菱重工業に入社。1970年に分社独立した三菱自動車工業に転じ、1989年6月に取締役に就任し、常務、専務、副社長を経て、1996年6月に社長に就任。1999年から会長を務めた。 2006年2月5日、胆管癌で死去。74歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 20… 柴田 俊治(しばた としはる、1931年1月19日 - 2015年10月4日)は、日本の実業家。朝日放送の元社長・会長・相談役。 大阪府大阪市出身。旧制大阪高等学校を経て、1953年に京都大学文学部卒業後、朝日新聞社へ入社。深代惇郎とは同期。社会部員、外報部員、サイゴン、パリ各支局長、ヨーロッパ総局長、1976年東京本社外報部長、1983年大阪本社編集局長、1987年朝日放送取締役、1989年常務、1990年専務、1995年6月社長、2002年6月27日会長、2005年6月28日相談役。その他には大阪日伊協会会長、社団法人アジア協会アジア友の会会長などを歴任した。 ※この他宝塚歌劇で上演された「凱旋門」(2000年・雪組)や「琥珀色の雨にぬれて」(2002年・花組)の公演プログラムにも本人の執筆によるエッセイが掲載されている。
久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989… 久田 孝(ひさた たかし、1930年8月13日 - 1989年4月5日)は、日本の経営者。内田洋行社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に大阪大学法経学部経済学科を卒業し、同年に内田洋行に入社。1961年6月に取締役に就任し、1963年4月に専務を経て、1966年5月には社長に就任した。 1989年4月5日、心不全のために死去。58歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 202… 山田 三郎(やまだ さぶろう、1930年5月9日 - 2022年10月20日)は、日本の実業家。泉陽興業、エキスポランドの社長、会長などを歴任し、全日本遊園施設協会(JAPEA)会長も務めた。 大阪府阪南市出身。関西学院大学商学部卒業。1952年に、戦前から代議士であった伯父の松田竹千代が、公職追放解除後最初に出馬、当選した第25回衆議院議員総選挙の選挙運動を手伝ったことをきっかけに、上京して松田の私設秘書となった。 その後、1958年に泉陽興業を設立し、1960年ごろから本格的に関西各地の百貨店で屋上遊園地を運営する事業に取り組む。遊具の製作も自前で行ない、1967年には製造部門を泉陽機工として分社化した(2009年に泉陽興業へ吸収され、企画から製作、運営までの一貫体制となっている)。
坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は… 坂本 幸夫(さかもと ゆきお、1930年4月19日 - )は、日本の経営者。読売ジャイアンツ広報部長、ハミングバード社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1953年に関西大学経済学部を卒業。大阪読売新聞社で記者を務め、1962年に読売ジャイアンツに出向し、1969年までに広報担当兼オーナー秘書兼広報部長を務めた。 1969年にパイオニアに転じ、販売部長と取締役を経て、1978年にはワーナーパイオニア常務に就任。 1983年にハミングバードを設立し、社長に就任。
妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 199… 妹背 光雄(いもせ みつお、1930年1月18日 - 1998年6月9日)は、日本の経営者。東洋信託銀行社長を務めた。大阪府堺市出身。 1952年に京都大学経済学部を卒業し、同年に三和銀行に入行。1976年7月に東洋信託銀行に転じ、1977年12月に取締役に就任し、1980年12月に常務、1983年12月に専務を経て、1987年2月には社長に就任。1993年3月に会長に就任。 1994年11月に藍綬褒章を受章。 1998年6月9日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月2… 辻 薫(つじ かおる、1930年1月4日- 2012年9月29日 )は、日本の経営者。トクヤマ社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1954年に京都大学経済学部を卒業し、同年に徳山曹達(のちのトクヤマ)に入社した。1980年6月に取締役に就任し、1985年6月に常務、1988年6月に専務を経て、1989年6月には社長に就任。1997年6月に会長に就任し、2001年6月には相談役に就任。 1995年11月に藍綬褒章を受章。 2012年9月29日、膀胱癌のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2… 門田 研造(もんでん けんぞう、1929年9月27日 - 2019年5月1日 )は、日本の経営者。 大阪府豊中市出身。1953年に京都大学経済学部を卒業し、同年に川崎製鉄に入社。1978年6月に人事部長に就任し、理事、取締役、常務、専務を経て、1992年6月に副社長に就任し、1995年6月には副会長に就任した。1996年7月に会長に就任し、1998年10月から取締役相談役を務めた。 2019年5月1日左腎盂癌で死去。89歳没。
藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 … 藤沢 友吉郎(ふじさわ ともよしろう、1928年7月26日 - )は、日本の経営者、薬学博士。藤沢薬品工業社長、会長を務めた。 大阪府大阪市出身。1953年に東北大学理学部化学科を卒業し、同年に藤沢薬品工業に入社。1970年11月に取締役に就任し、1972年11月に常務を経て、1976年6月に副社長に就任し、1978年1月には社長に昇格。1992年6月に会長に就任し、1998年6月に取締役相談役を経て、2005年4月からアステラス製薬相談役を務めた。 1993年11月に藍綬褒章を受章し、2002年11月に勲二等瑞宝章を受章。
島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 20… 島野 尚三(しまの しょうぞう、1928年1月3日 - 2002年6月15日)は、日本の経営者。シマノ社長を務めた。 大阪府出身。父親はシマノ創業者の島野庄三郎で、三兄弟の長男(次男が島野敬三、三男が島野喜三)として生まれる。 1944年に旧制堺中学校(現在の大阪府立三国丘高等学校)を卒業し、1946年に島野工業(現在のシマノ)に入社。常務を経て、1958年9月に父・庄三郎の逝去に伴い社長に就任した。当時のシマノは売上高7億円弱の赤字会社で、誰も社長の座に手を挙げなかった中、唯一人「3年で黒字化するから、その間は自分の言う事を聞いてほしい」として社長に就任し、本当に3年で経営を黒字に転換させた。
西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月2… 西尾 正也(にしお まさや、1926年(大正15年)11月26日 - 1998年(平成10年)3月26日)は、日本の政治家、地方公務員、実業家。第15代大阪市長(2期8年)。大阪市東淀川区出身。
岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2… 岡崎 義人(おかざき よしひと、1926年5月28日 - 2005年2月25日)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長。大阪府大阪市出身。 1949年京都大学法学部を卒業し、1949年に阪神電気鉄道に入社した。 1976年には球団常務に就任し、1978年から球団代表を務め、1978年のドラフト会議では江川卓、翌年のドラフト会議では岡田彰布の抽選を引き当てた。1985年10月に日本航空123便墜落事故で死去した中埜肇の後継として球団社長に就任した。その年の11月には阪神タイガースは球団初の日本一を果たした。1988年に退任した。 2005年2月25日に心不全ため死去。78歳没。 大学時代には野球部に所属して二塁手として活躍しており、現場に理解がある球団幹部とも言われていた。
端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3… 端田 泰三(はしだ たいぞう、1926年(大正15年)4月3日 - 2008年(平成20年)11月2日)は、日本の実業家、銀行家、企業経営者。富士銀行(現みずほフィナンシャルグループ)元頭取、会長、相談役。大阪府大阪市東区(現中央区)瓦町(所謂船場地区)出身。
藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 … 藤田 田(ふじた でん、1926年〈大正15年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉4月21日)は、日本の実業家。大阪府大阪市東淀川区出身。輸入雑貨販売店「藤田商店」「日本マクドナルド」「日本トイザらス」「日本ブロックバスター」創業者。 大阪府大阪市東淀川区に生まれる。3歳の時に千里山へ移住した。通学した三島郡千里第二尋常小学校で、成績は優秀だが母が教師に付け届けをせず、内申書の表現が良く記されずに一浪して十三の旧制北野中学へ進学した。 卒業後に戦火が激しくなったことから大阪を離れ、1944年に旧制松江高校を経て東京大学法学部へ入学。光クラブを経営する山崎晃嗣が1級上におり、後述する関係であった。
中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 200… 中島 達二(なかじま たつじ、1926年3月2日 - 2001年3月18日)は、日本の経営者、工学博士。日本板硝子社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都大学工学部電気工学科を卒業し、同年に逓信省に入社。1982年7月に日本板硝子に転じ、1984年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務を経て、1988年6月に社長に就任。1992年6月に副会長に就任し、1994年6月には相談役に就任。 1996年4月に勲三等旭日中綬章を受章。 2001年3月18日心不全のために死去。75歳没。
森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5… 森 英雄(もり ひでお、1925年4月1日 - 2001年5月10日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1947年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1977年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1985年3月から1993年3月までに社長を務め、1993年3月から会長を務めた。 1990年5月から1994年5月までに日本化学工業協会会長を務め、大阪商工会議所副頭取も務めた。 1999年に勲二等旭日重光章を受章。 2001年5月10日、肺炎のために死去。76歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月… 大澤 伸剛(おおさわ のぶたか、1925年(大正14年)1月7日 - 2018年(平成30年)9月18日)は、日本の実業家。旧日本海軍の士官。勲五等瑞宝章受章者。 株式会社オオサワ元代表取締役。日本ケミカルシューズ工業組合元理事長。 外孫は第53代兵庫県知事の斎藤元彦。 兵庫県神戸市垂水区出身。1940年(昭和15年)大阪市立都島工業学校電気科を卒業。1947年(昭和22年)大澤ゴム工業所を創立。塩化ビニールを素材とする商材の製造販売を開始。作業工程の機械化にも努め、地元鉄工所と連携しコンベヤー方式を確立。多くの企業がこの方式を採用し、生産能力の向上に大きく寄与した。 1954年(昭和29年)同社の貿易部門として源弘貿易(のちの大澤産業)を設立。
大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2… 大須賀 二朗(おおすが じろう、1924年12月6日 - 2008年11月4日)は、日本の経営者。ダイハツ工業社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1937年に京都帝国大学工学部応用物理科を卒業し、同年にダイハツ工業に入社。 1971年12月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1986年9月に副社長を就任。1988年6月に社長に昇格し、1992年6月には会長に就任。 1989年4月に藍綬褒章を受章し、1995年11月に勲二等瑞宝章を受章。 2008年11月4日心不全のために死去。83歳没。
松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月1… 松島 茂雄(まつしま しげお、1924年(大正13年)4月14日 -1982年(昭和57年)11月2日)は、日本の実業家、美容指導者、和装教育者、ヨガ指導者、文学士、美容師、僧侶。本名 松嶌茂雄。 関西学院大学卒業後、東宝撮影所・美粧部に勤務。退職後、美容研究会・日本尚美会を発会、会長に就任。和装教育団体・全日本和装協会、ヨガ健康法普及団体・国際ヨガ協会を創立。連合会会長として各会の指導・運営に当たる。株式会社尚美会・代表取締役。宗教法人神通山千光院・院主。 1924年〈大正13年〉4月14日、大阪府豊中市に松嶌伊左衛門の長男として誕生。旧制豊中中学・剣道部で全国制覇するなど活躍。関西学院大学・文学部在学中からスポーツ新聞や美術写真集、雑誌 「文芸復興」などの出版事業を手掛ける。
小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 20… 小西 秋雄(こにし あきお、1923年11月21日 - 2011年6月4日)は、日本の経営者。新キャタピラー三菱社長、会長を務めた。大阪府大阪市出身。 1948年に京都大学法学部を卒業し、同年に三菱重工業に入社。1982年に取締役に就任し、1985年6月に常務を経て、1987年4月には新キャタピラー三菱社長に就任。1993年6月に相談役に就任。 2011年6月4日肺炎のために死去。88歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
中尾 益朗(なかお ますろう、1923年10月28日 - 2… 中尾 益朗(なかお ますろう、1923年10月28日 - 2003年4月11日)は、日本の実業家。帝人医薬社長、帝人副社長、副会長、顧問を歴任。 鹿児島県日置郡串木野村下名、後の串木野市(現いちき串木野市)元町出身。大阪府立北野中学校(現大阪府立北野高等学校)を経て、1945年に第七高等学校造士館理科を卒業。1949年に東京大学工学部を卒業し、帝国人造絹絲株式会社(1962年に帝人株式会社へ商号変更)へ入社。三原工場技術課長、三原工場レーヨン製造部第二技術課長、岩国工場レーヨン製造部長、松山工場テトロン第一製造部長を経て、1970年徳山工場長、1971年松山工場長、1972年取締役、1977年常務、1980年専務、1983年副社長。
内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2… 内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2018年1月27日)は、日本の経営者。元関西電力(関電)代表取締役副社長。旧姓は竹内。 大阪府出身。天王寺中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年、京都帝国大学経済学部卒業と同時に関電前身の関西配電に入社。1962年に芦原義重社長の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。1970年に芦原は会長に退き、さらに相談役名誉会長に退いたが、その後も腹心であった内藤を用いて社内に強い影響力を持った。ところが、1986年に『朝日ジャーナル』誌で連載されていた「企業探検」で関電が取り上げられ、その一種恐怖支配とも取れるワンマンぶりが公となった(なお、この記事を執筆したのは当時龍谷大学教授だった奥村宏であった)。
駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 199… 駒井 茂春(こまい しげはる、1923年1月8日 - 1998年11月12日)は、日本の経営者。ダスキン社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1943年に大阪商科大学高等部商業科を卒業。安宅産業、自営業、クントクでの勤務を経て、1963年にダスキンの創業に参加し、取締役、副社長を経て、1979年11月に社長に就任。1994年6月から1998年6月までに会長を務めた。 1998年11月12日心不全のために死去。75歳没。
田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月… 田中 太郎(たなか たろう、1923年 <大正12年> 1月6日 - 没年不明)は、日本の経営者。日本電装(現在のデンソー)社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1945年に東京帝国大学工学部機械学科を経て、1947年に東京大学工学部大学院を修了し、同年10月に民生ディーゼル工業に入社。1958年10月に日本電装に転じ、1971年2月に取締役に就任し、1978年5月に常務、1979年3月に専務を経て、1985年3月に副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1991年3月から1995年3月までに会長を務めた。 1989年4月に藍綬褒章を受章。
牧 冬彦(まき ふゆひこ、1922年(大正11年)12月2日… 牧 冬彦(まき ふゆひこ、1922年(大正11年)12月2日 - 2006年12月25日)は、日本の実業家。神戸製鋼所元社長。神戸商工会議所会頭や関西経済連合会副会長などを務めた。大阪府出身。 茨木中学、旧制三高を経て、1944年9月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業。出征し、終戦後にはシベリアで抑留生活を送った。帰国後、1948年3月に神戸製鋼所に入社。主に人事、労務など管理畑を歴任した。 1983年からの社長在任期間は、円高不況による業績低迷の中、高知工場などを閉鎖。一方で西神総合研究地区の整備を開始し、現在の神戸総合技術研究所の基礎を築いた。 1995年の阪神・淡路大震災では神戸商工会議所会頭として地元復興に尽力。
児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 20… 児島 英一(こじま えいいち、1922年5月14日 - 2007年11月23日)は、日本の経営者。近畿日本ツーリスト社長を務めた。 東京都出身。1945年に大阪帝国大学工学部機械工学科を卒業し、同年に近畿日本鉄道に入社。1972年11月に取締役、1975年5月に常務、1978年6月に専務を経て、1981年6月に副社長に就任。1985年3月に近畿日本ツーリスト副社長に就任し、1987年3月には社長に昇格。1993年3月に取締役相談役に就任し、1996年3月には相談役に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章。 2007年11月23日に急性心不全のために死去。85歳没。
尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日… 尾﨑 公子(おざき きみこ、1922年<大正11年>5月3日 - 2019年<平成31年>4月29日)は、日本の実業家。紙パルプ・フィルムなどの専門商社オザックスの取締役相談役。大阪・船場の紙問屋を年商1000億円に迫る素材商社に育て上げた。大阪商工会議所で初の女性の常議員で、同女性会連合会名誉会長。全国商工会議所女性会連合会特別顧問も務めた。2010年旭日双光章。 船場(長堀橋)の金属雑貨輸出商の家に生まれる。大阪府立清水谷高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)卒業後、日本女子大学に入学。太平洋戦争中の1943年(昭和18年)10月に繰り上げ卒業し、船場の老舗「尾﨑洋紙店」(後の尾﨑商産。現・オザックス)創業家に嫁ぐ。
北野 正二(きたの しょうじ、1922年〈大正11年〉2月 … 北野 正二(きたの しょうじ、1922年〈大正11年〉2月 - 没年不明)は、日本の実業家。大阪府宅地建物取引業協会会長。全国宅地建物取引業協会連合会副会長。 大阪府貝塚市出身。家業の青果物販売業に従事する。1952年、宅地建物取引業の明正商事創業、代表者となる。 大阪府宅地建物取引業協会会長、全国宅地建物取引業協会連合会副会長、近畿圏不動産流通機構会長、大阪国税局土地評価審議会委員などをつとめる。 趣味は将棋。宗教は浄土真宗。尊敬する人物はお釈迦さん。好きな女優は原節子、若尾文子。住所は貝塚市海塚。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 198… 森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。森下仁丹社長、参議院議員(3期)。 大阪府大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。旧制甲南高校から京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。同年9月には戦争の激化に伴い大学を繰り上げ卒業し、短期現役海軍主計科士官(10期)を志願し、1943年9月、海軍経理学校に入学し、1944年(昭和19年)3月に卒業して海軍主計中尉に任官。海軍艦政本部出仕兼海軍航空本部出仕となる。1945年(昭和20年)3月、海軍主計大尉に昇進。東京監督官事務所監査官付を経て、監督会計官付で終戦を迎えた。
奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9… 奥村 輝之(おくむら てるゆき、1920年 <大正9年> 9月23日 - 2009年 <平成21年> 5月11日 )は、日本の経営者。太陽神戸銀行頭取を務めた。位階は正四位。 大阪府大阪市出身。1941年に高文行政科に合格し、1942年に京都帝国大学経済学部を卒業し、同年に大蔵省に入省。1972年11月に神戸銀行(のちの太陽神戸銀行)常務に就任し、常務、専務、副頭取を経て、1983年6月には頭取に昇格した。1987年6月に会長に就任し、1990年4月に太陽神戸三井銀行(のちのさくら銀行)会長に就任し、1991年6月に相談役、1998年7月に常任顧問、2000年4月に名誉顧問を歴任した。 関西テレビ放送監査役、兵庫県公安委員会委員長も務めた。
藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 20… 藤井 桑正(ふじい そうしょう、1920年9月9日 - 2000年8月5日)は朝日放送(ABC)元会長・社長。 大阪府泉南市出身。大阪府立岸和田高等学校、東京帝国大学経済学部卒業後、朝日新聞社へ入社。その後、朝日放送へ中途入社。営業局長、編成局長、総務局長、1974年常務、1979年専務、1983年副社長を経て、1990年6月社長に就任。1995年6月会長へ就任。1999年に相談役へ退く。その他には日本民間放送連盟副会長も務めた。2000年8月5日、胃ガンのため79歳で死去。 社長時代の1992年頃、やしきたかじんが警備員の態度の悪さに腹を立て、ラジオ番組内で「(朝日は)アホから偉くなる放送局」と発言し、当時の副社長が激怒した事件があり、副社長は口論の末、たかじんに一生立ち入り禁止処分を下した。
鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年>… 鴻池 十郎(こうのいけ じゅうろう、1920年 <大正9年> 6月26日 - 2004年 <平成16年> 2月22日)は、日本の経営者。鴻池運輸社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に日本大学商経済学部を卒業し、同年に鴻池組に入社。1970年11月に鴻池運輸社長に就任し、1989年12月には会長に就任。 1984年11月に藍綬褒章を受章し、1997年4月に勲四等瑞宝章を受章。 2004年2月22日に肺炎のために死去。83歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2… 山下 俊彦(やました としひこ、1919年7月18日 ‐ 2012年2月28日)は、日本の実業家。松下電器産業株式会社(現・パナソニック株式会社)の3代目社長。大阪府出身。大阪市立泉尾工業学校卒業。実業学校卒の叩き上げで、創業者松下幸之助による異例の大抜擢を受けて取締役26名中序列25番目から社長に就任した[4][5]。この抜擢人事は、体操選手の山下治広が披露した跳馬の技にちなんで「山下跳び」と呼ばれた[6]。
中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 -… 中道 健太郎(なかみち けんたろう、1919年6月19日 - 2013年4月17日)は、日本の経営者。カルピス食品工業(現在のアサヒ飲料)社長を務めた。 大阪府箕面市出身。1940年に大阪商科大学高商部を卒業。ピルマン製造で取締役を務め、1945年にカルピス食品工業に転じ、取締役、常務、専務を経て、1975年2月に社長に就任。1981年3月に相談役に就任。 2013年4月17日老衰のために死去。93歳没。
梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月2… 梅本 純正(うめもと よしまさ、1919年〈大正8年〉5月27日 - 2015年〈平成27年〉12月28日)は、日本の厚生官僚・実業家。 社会保険庁長官、厚生事務次官、環境事務次官、内閣官房副長官、武田薬品工業社長などを務めた。 大阪府大阪市出身。浪速高等学校を卒業。1942年7月、高等試験行政科試験に合格。同年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。厚生省に入省し、生活局属となる。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校。1943年1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業。第九五八海軍航空隊に配属されラバウルに赴任。1944年5月、主計大尉に進み終戦を迎えた。 以後、児童局企画課長、内閣官房総務課長(首席参事官)、援護局長、大臣官房長、保険局長、社会保険庁長官、厚生事務次官などを歴任。
河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 20… 河崎 晃夫(かわさき てるお、1918年6月11日 - 2000年7月7日)は、日本の経営者。三菱レイヨン社長を務めた。 大阪府大阪市出身。1943年に慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業し、同年に日本化成工業に入社。1971年11月に三菱レイヨン取締役に就任し、1975年5月に常務、1979年6月に専務を経て、1982年6月に副社長に就任し、1983年6月には社長に就任。1988年6月に会長に就任し、1993年6月から相談役を務めた。 1992年4月に勲二等瑞宝章を受章。 2000年7月7日肝不全のために死去。82歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - … 山岡 康人(やまおか やすひと、1917年12月21日 - 1963年10月24日)は、日本の経営者。ヤンマーディーゼル社長を務めた。創業者山岡孫吉の長男。 大阪府大阪市出身。1942年に早稲田大学政治経済学部を卒業。1943年9月に25歳で取締役に就任し、1945年3月に山岡内燃機副社長、1961年7月にヤンマー農機社長を歴任し、山岡孫吉をサポートし、会社を牽引していた。組織体制の強化を図り、新規事業への進出と海外事業の再編などにも取り組み、中でも小型貨物自動車の開発に意欲を見せ、臨時車輌部を新設し、1958年5月には「ヤンマーポニー」の愛称で知られる小型ディーゼルエンジンを搭載した農用作業車を世に送り出した。
柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 198… 柴田 敏夫(しばた としお、1917年3月27日 - 1984年6月29日)は、日本のジャーナリスト、経営者。九州朝日放送社長を務めた。大阪府大阪市出身。 1941年に京都帝国大学法学部政治学科を卒業し、同年に朝日新聞社に入社。1977年6月に九州朝日放送専務に就任し、1981年6月には社長に就任。 1984年6月29日に心不全のために死去。67歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 19… 小野 順造(おの じゅんぞう、1916年9月26日 - 1989年6月28日)は、日本の経営者。大阪府大阪市出身。 1941年に大阪商科大学を卒業し、同年に小野市兵衛商店(現在の小野薬品工業)に入社。 取締役、常務、専務を経て、1968年6月に副社長に就任し、1977年2月には社長に昇格。1986年2月から会長を務めた。 1989年6月28日肺炎のために死去。72歳没。