谷口 たかひさ(たにぐち たかひさ、1988年5月27日 -… 谷口 たかひさ(たにぐち たかひさ、1988年5月27日 - )は日本の実業家、思想家、環境活動家、アドレスホッパー。 1988年、大阪府門真市生まれ。日本の大学在学中に、留学費用のため起業し、イギリスへ留学。 卒業後、チェーンストアのエリアマネージャー、アフリカのギニアでの学校設立に貢献、メガバンク/M&A/メディアのコンサルタント、グローバルIT企業の取締役を経験。 プラスチック問題と、時間と共に価値が減る地域通貨に取り組むため、ドイツへ移住し、起業。 2019年、ドイツで気候危機の深刻さを目の当たりにし、「みんなが知れば必ず変わる」をモットーに「地球を守ろう!」を立ち上げ、気候危機の発信や講演を開始。
篠原 雄之(しのはら ゆうじ、1986年 – )は、日本の… 篠原 雄之(しのはら ゆうじ、1986年 – )は、日本の政治活動家。元UNDP(国連開発計画)職員。 大阪府箕面市出身。滋賀県立石部高等学校 を経て、大阪大学人間学部卒業後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府修士課程修了。国際協力機構(JICA)に入構後、トルコ・マケドニア等を代表とする欧州地域のシリア難民や円借款を担当し、その後カンボジアで民間連携・ガバナンス分野の総括を担当。他にも、ICT関連の(農業を含む)開発や、日本企業の技術活用における開発の業務に関わるICTと開発の経済効果等を専門としている。 2022年にUNDPベトナム事務所に転職して電子政府支援、ビジネスと人権等を担当していたが2年で退職。
中村 幸也(なかむら ゆきや、1980年〈昭和55年〉3月2… 中村 幸也(なかむら ゆきや、1980年〈昭和55年〉3月22日 - )は、日本の政治活動家、著述家。長男はYouTuberのゆたぼん。 大阪府茨木市で誕生。茨木市立東中学校を卒業後、高校には進学せず就職。職を転々とした後、暴走族に入る。暴走族では副総長を務め、活動の一環として恐喝や窃盗、暴走、喧嘩などの違法行為を行っていたという。また、シンナーや麻薬、覚醒剤、MDMAなどの売人などに関わりを持っていた。 その後、暴走族から脱退し、高等学校卒業程度認定試験に合格した(ただし本人は高認の合格証明書や高認に合格していないと受験できない大学に合格した等、高認に合格したことが確実な証拠を提示したことはない)。
小谷 豪純(こたに ひでずみ、1978年〈昭和53年〉1月3… 小谷 豪純(こたに ひでずみ、1978年〈昭和53年〉1月3日 - )は、日本のミュージシャン、元俳優、政治活動家、自営業、プロダクション運営。 鹿児島県生まれ、大阪府大阪市育ち。戦災孤児の父を持つ。大阪市立旭陽中学校、桃山学院高等学校を経て、2000年、桃山学院大学経済学部を卒業。2003年、大阪の現状を打破すべく 大阪市長選挙に立候補したが落選(後述)。子役時代から俳優として多数のテレビドラマに出演。大学卒業後はバンド活動をしつつ、ローソン店員として生計を立てる。2008年にロックバンド「セーリング」のボーカルとしてデビューし、2011年3月には東日本大震災応援チャリティライブを大阪市旭区で開催。
有門 大輔(ありかど だいすけ、1974年〈昭和49年〉 -… 有門 大輔(ありかど だいすけ、1974年〈昭和49年〉 - )は、日本の行動する保守系活動家。独身。2003年から2016年まで特定非営利活動法人「外国人犯罪追放運動」の理事長。維新政党・新風で東京都本部広報委員長を務めた。 大阪府八尾市出身。浪速工業高等学校(現星翔高等学校)卒業。エレベーターの保守管理会社、警備会社などに勤めた後に21歳で上京した 幼少の頃より将来は国を守る人物になることを望み、子供の頃に憧れていた職業は警察官、自衛官であった。 青年時代以降国家社会主義者の瀬戸弘幸を師と仰ぎ深い関わりを持っており、20代の大部分を瀬戸と生活を共にした。外国人に対しては厳しい概念を持っており、不良外国人はもちろんのこと外国人労働者も日本には不必要であるとしている。
中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )… 中井 多賀宏(なかい たかひろ、1973年6月17日 - )は、日本の詩人、憲法活動家、ミュージシャン。「共謀罪新設反対国際共同署名」、箕面市における「無防備地域」宣言運動、「みのお9条の会」の呼びかけ人。 大阪府大阪市生まれ、大阪府箕面市出身。箕面市立第一中学校を経て、大阪府立箕面高等学校を卒業(27期生)。関西学院大学法学部法律学科卒業、関西学院大学大学院法学研究科中退。大学入学を機に、本格的に詩作を始める。関西学院大学在学時から、主に差別問題を中心に各種人権問題に取り組み、大学院中退後、憲法の価値を広めるべく憲法講師としての活動を始める。2004年に「みのお9条の会」の立ち上げに参加、呼びかけ人となる。
横尾 誠(よこお まこと、1967年4月14日 - )は、日… 横尾 誠(よこお まこと、1967年4月14日 - )は、日本の新聞記者、政治活動家。大阪府東大阪市出身。
松嶋 晃(まつしま あきら、1965年10月2日 - )は日… 松嶋 晃(まつしま あきら、1965年10月2日 - )は日本の政治家、部落解放運動家。前東大阪市市議会議員、部落解放同盟執行委員。まつしま晃とも表記する。 大阪府東大阪市長瀬町に生まれ育つ。1995年、東大阪市議会議員選挙で初当選し4期務める。2002年9月、第38代東大阪市議会副議長に就任。 部落解放同盟大阪府連合会蛇草支部特別執行委員、東大阪食肉連合会顧問、東大阪市人権長瀬地域協議会相談役。 タレントの松嶋尚美は従妹。
佐竹 雅昭(さたけ まさあき、1965年8月17日 - )は… 佐竹 雅昭(さたけ まさあき、1965年8月17日 - )は、日本の空手家・格闘家・政治活動家。大阪府吹田市出身。大阪府立北千里高等学校、関西外国語大学卒業。元ISKAオリエンタル世界ヘビー級王者。現在は京都府在住。
木村 真(きむら まこと、1964年8月30日 - )は、日… 木村 真(きむら まこと、1964年8月30日 - )は、日本の政治家、市民活動家、労働運動家。豊中市議会議員(5期)。2017年2月8日、学校法人森友学園への国有地売却をめぐり、情報公開請求した当該国有地の売却額を非公表とした国の決定に対し大阪地裁に提訴。直後に記者会見を開き、森友学園問題追及の最初のきっかけをつくった。市民団体「森友学園問題を考える会」の中心メンバーとして集会や署名活動などを続けている。 大阪府箕面市出身。大阪府立箕面高等学校卒業。働きながら大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)二部ロシア語科に通い、卒業。商社のモスクワ駐在員、自営業、よつ葉産地直送センター職員などを経て、「だれでも1人でも入れるユニオン」北大阪合同労働組合(豊中市)の執行委員に就任。
阪口 直人(さかぐち なおと、1963年6月12日 - )は… 阪口 直人(さかぐち なおと、1963年6月12日 - )は、日本の政治家、市民運動家。 衆議院議員(3期)を務めた。 大阪府豊中市出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業。大学卒業後はキヤノン勤務を経て、1992年に国際連合が募集したカンボジアでの選挙監理ボランティアに応募し、合格。キヤノンを退職し約1年間、ラタナキリ州で選挙支援に従事した。その後は国連モザンビーク活動(ONUMOZ)、ボスニア・ヘルツェゴビナ統一選挙等でボランティア、選挙監視員を務める。そのかたわら専門学校講師を務め、埼玉大学大学院経済学研究科修士課程を修了し、名古屋大学大学院国際開発研究科国際協力専攻博士後期課程に入学したが、中退。
塚本正治(つかもと まさじ、1961年 - )は、日本の社会… 塚本正治(つかもと まさじ、1961年 - )は、日本の社会運動家、詩人。シンガーソングライター。 大阪市生野区鶴橋出身。 1993年12月大阪精神障害者連絡会の正式結成大会に参加、精神障害者当事者活動に関わる。特に精神障害者の福祉と人権に関わる課題について精力的に取り組み、1997年病院での患者への人権侵害が明らかになった「大和川病院事件」、2001年多くの小学生が犠牲となった「附属池田小事件」に関わる報道の二次被害問題を社会的に取り組んだ。また「附属池田小事件」をきっかけにはじまった「触法精神障害者対策法」-「心神喪失者等医療観察法」について「精神障害者にだけ再犯のおそれは認められない」という立場で反対論客の一人である。
中谷 彰宏(なかたに あきひろ、1959年4月14日 - )… 中谷 彰宏(なかたに あきひろ、1959年4月14日 - )は、日本の著作家、俳優、講演活動家。大阪府堺市出身。 実家はスナックで父親はそこのマスター。中学時代から朝日放送やラジオ大阪に学生DJとして出演。大阪府立三国丘高等学校では空手部、弁論部、落語研究会、短歌部に所属した。在学中に朝日歌壇に入選している。1980年、2浪して早稲田大学第一文学部演劇学科に入学する(同期にエッセイストの原田宗典がいる)。大学在学中は映画史を専攻。毎月100本のノルマを課し、4年で4000本の映画を観る。1983年、『目覚まし時計の夢』(『早稲田文学』84号、p.20-33、中谷秋平名義)を発表し、23歳で作家デビューする。
籠池 諄子(かごいけ じゅんこ、1956年〈昭和31年〉11… 籠池 諄子(かごいけ じゅんこ、1956年〈昭和31年〉11月23日 - )は、日本の教育者、著作家、社会運動家。 森友寛の娘、大阪府出身、金蘭会高等学校卒業、甲子園短期大学卒業。配偶者は籠池泰典。高等森友学園保育園園長、塚本幼稚園副園長。
松岡 徹(まつおか とおる、1951年11月26日 ‐ )は… 松岡 徹(まつおか とおる、1951年11月26日 ‐ )は、日本の元政治家、部落解放運動家。元大阪市役所職員、元参議院議員(2004年 - 2010年、1期)。
新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫(読み同じ)、… 新谷 かおる(しんたに かおる、本名:新谷 薫(読み同じ)、1951年4月26日 - )は、日本の男性漫画家、同人活動家。大阪府豊中市出身。大阪高等学校卒業。
西川 純(にしかわ じゅん、1950年8月8日 - )は、日… 西川 純(にしかわ じゅん、1950年8月8日 - )は、日本のテロリスト、日本赤軍元メンバー。 1974年9月13日、奥平純三と共にハーグ事件に参加。1975年に逮捕されたが、同年に起こったクアラルンプール事件で超法規的措置で釈放・出国。 1977年9月28日のダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、国際手配される。 1997年11月12日、潜伏先のボリビアで拘束され、国外退去処分を受けた。11月18日、サンタクルスから日本に帰国した際に新東京国際空港で逮捕された。検察からハーグ・ダッカの両事件で起訴された。弁護側はハーグ事件では拳銃を発砲した奥平純三との共謀を否定し、殺人未遂罪の無罪を主張した。
山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )… 山田 茂樹(やまだ しげき、1949年<昭和24年> - )は、日本の新左翼活動家。組織名は木元。革労協木元派(赤砦社派、反主流派)の指導者。 1968年(昭和43年)大阪府立大手前高等学校を卒業、1969年(昭和44年)東北大学に入学、1973年(昭和48年)の早稲田解放闘争より東京で活動。 1999年(平成11年)5月、狭間派こと現代社派(主流派とも)から追われる形で木元派(反主流派)を結成。直後の6月に現代社派(主流派)により襲撃される。これにより、山田は瀕死の重傷を負い、一命こそ取り留めたものの、単独での歩行に支障をきたすほどの後遺症を負った。また、この事件がきっかけとなって木元派(反主流派)と現代社派(主流派)との抗争が勃発する。
高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活… 高木 善之(たかぎ よしゆき、1947年 - )は環境保護活動家、特定非営利活動法人ネットワーク『地球村』代表、著作家、講演家。また、コミュニケーションやコーチング、ワークショップの講師として活動している。大阪府堺市西区出身。 大阪大学基礎工学部物性物理学コースを経て、松下電器(現パナソニック)に就職し28年間勤務。在職中は、フロンガス全廃等の環境政策に携わった。社内で合唱団を設立し(現・パナソニック合唱団)、指揮者として活躍し全日本合唱コンクールで金賞を受賞した。元大阪府合唱連盟理事。 1981年にオートバイの事故で瀕死の重傷を負い臨死体験をしたという。当時の病床での生活がその後の活動に大きな影響を与えたと語っている。
中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )… 中村 彰(なかむら あきら、1947年(昭和22年) - )は、日本のジャーナリスト、社会運動家。ホンマルラジオ元パーソナリティー。 大阪府茨木市出身。甲南大学卒業。1980年代から、京都新聞の記者として文化人類学の知識を背景に風俗産業のルポルタージュなどに取り組みながら、京都民俗学会でも性風俗についての報告をしていた。1997年(平成9年)に、京都新聞社を退社し、以降はフリー・ジャーナリストとして活動している。 2017年からホンマルラジオ大阪 パーソナリティー。番組名「勃ち上がれ中高年 〜70代男性セラピスト中村彰と語る「性」と「生」〜」。 この間、フェミニズムやメンズリブの思想に共鳴し、1991年(平成3年)に大阪でメンズリブ研究会の立ち上げに参加、1995年(平成7年)には大阪に男性団体のメンズセンターを設立し2006年(平成18年)までその運営委員長を務めた。
森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 … 森 恒夫(もり つねお、1944年〈昭和19年〉12月6日 - 1973年〈昭和48年〉1月1日)は、日本のテロリスト。新左翼活動家。連合赤軍中央委員会委員長。 大阪市電気局(後に大阪市交通局)に勤務していた父親のもと、大阪市大淀区(現・北区)長柄中に生まれる。長柄中には電気局(交通局)の公舎があった。中学・高校の同窓生の回想では、その時期には公舎は鉄筋コンクリート5階建の団地のような建物だったという。兄2人、妹1人の4人きょうだいだった。連合赤軍幹部時代に「共同軍事訓練」後に経歴を披露した際、小学生の時に在日朝鮮人の友人がいて民族差別に接したことを話したとされる。 大阪市立豊崎中学校から大阪府立北野高等学校に進学した。
友永健三(ともなが けんぞう、1944年1月10日 - )は… 友永健三(ともなが けんぞう、1944年1月10日 - )は、日本の人権活動家。部落解放・人権研究所名誉理事。 大阪市生まれ。大阪市立大学文学部哲学科入学。大学在学中の1967年2月、部落解放運動に参加。同大学卒業。1982年2月、部落解放研究所理事に就任、1993年4月部落解放・人権研究所所長に就任。反差別国際運動(IMADR)事務局次長などを務める。大阪市立大学非常勤講師。部落差別の撤廃をはじめ、人権確立社会の実現に尽力。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 202… 大賀 正行(おおが まさゆき、1937年8月2日 - 2024年4月15日)は、日本の部落解放運動家。部落解放・人権研究所名誉理事。 部落解放同盟中央執行委員、部落解放研究所理事を歴任。 大阪市東淀川区西淡路(日之出地区)出身。被差別部落出身ではない父親と被差別部落出身の母親の間に非嫡出子として生まれる。父親は鏡会社の工場長、母親はその工場の工員であった。大阪市立啓発小学校2年の時、父親の正妻のもとに引き取られ、和歌山市で異母姉兄と共に育てられる。和歌山師範附属小学校(現・和歌山大学教育学部附属小学校)に編入学したが、1945年7月9日の和歌山大空襲で被災したため日之出地区に戻り、さらにまた父親のもとに移るなど、被差別部落の内外を往復して育つ。
今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 201… 今田 忠 (いまだ まこと、1937年3月17日 - 2017年11月18日)は、日本の市民活動家。市民社会研究所所長。有限会社みみずく舎代表取締役。 大阪府豊中市生まれ。1959年、東京大学教養学部卒業。 日本生命保険、日本生命財団企画調査部長、助成財団資料センター企画委員、NPO研究フォーラム事務局長、笹川平和財団プログラム・ディレクター、主席研究員を経て、1996年5月より阪神・淡路コミュニティ基金代表。1999年5月に基金が閉鎖となり退職。 この他、羽衣国際大学客員教授、中京女子大学客員教授、関西学院大学非常勤講師、愛知学泉大学講師、同志社大学非常勤講師などを務めた。 2017年11月18日9時46分、癌性腹膜炎のため兵庫県神戸市の病院で死去。
玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 202… 玉井 義臣(たまい よしおみ、1935年2月6日 – 2025年7月5日)は、日本の社会運動家、教育者。あしなが運動創始者。「あしなが育英会」前会長。 1935年2月6日、大阪府池田市に生まれる。大阪府立池田高等学校を卒業後、滋賀大学経済学部に入学し、1958年に卒業。証券会社勤務等を経て、経済評論家として文筆活動に入る。1963年、母親が交通事故に遭ったことを契機に「交通評論家」としての活動を開始(母親は昏睡状態のまま36日後に死去)。また、妻も20代で脊椎ガンにて下半身不随となり、2年半後に死別。これらふたつの「死」が、玉井の「あしなが運動」の原点となる。 「あしなが運動」開始後は、自賠責保険の支払限度額引き上げなどの問題提起を行い、1966年からは「桂小金治アフタヌーンショー」(NET)で週1回行われた「交通事故防止キャンペーン」コーナーにレギュラー出演し、各界関係者と議論を戦わせ刑法211条改正実現等に尽力した。
小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - … 小田 実(おだ まこと、1932年〈昭和7年〉6月2日 - 2007年〈平成19年〉7月30日)は、日本の作家・政治運動家。体験記『何でも見てやろう』で一躍有名になった。日本に多い私小説を批判し、全体小説を目指した。ベトナムに平和を!市民連合の設立者の一人、九条の会の呼びかけ人の一人。妻は画家の玄順恵。 大阪府大阪市出身。旧制天王寺中学(のち大阪府立天王寺高等学校)に入学するが、学制改革により新制大阪府立夕陽丘高等学校に進学し、東京大学文学部言語学科を卒業する。大学卒業後は代々木ゼミナールで英語科講師。 1958年(昭和33年)、米フルブライト基金により渡米。その後、一枚の帰国用航空券と持参金200ドルで世界一周旅行に出かけ、一泊1ドルのユースホステルなどに宿泊しながら、世界のあらゆる人たちと語りあった。
山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日… 山岸 章(やまぎし あきら、1929年(昭和4年)7月18日 - 2016年(平成28年)4月10日)は、日本の労働運動家。従三位。勲一等瑞宝章受章。 日本労働組合総連合会初代会長、国際郵便電信電話労働組合連盟(PTTI)会長、情報通信産業労働組合連合会委員長、全国電気通信労働組合(全電通)委員長を歴任した。 大阪市出身。行商人の子として生まれる。父親は仕事が長続きせず職を転々としており、さらに病気を患ったため、幼少期は貧しい生活を送った。啓発第二小学校を経て旧制大阪中学に進学するも、1944年(昭和19年)4月に母の実家へと疎開。同地の旧制豊岡中学に転校した。在学中の9月に海軍甲種予科練習生に志願(甲種14期生)し、防府海軍通信学校を経て1945年(昭和20年)4月15日に宇佐の第九三一海軍航空隊に配属された。
大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3… 大和田 幸治(おおわだ こうじ、1927年 - 2012年3月17日)は、昭和から平成時代の労働運動家。全国金属機械労働組合港合同事務局長、同田中機械支部執行委員長。 大阪市天王寺区生まれ。実家は小さな鉄工所。1944年大阪市立都島工業学校在学中に桜島の住友プロペラに動員される。父親は戦死、母親は乳児を連れて疎開。1946年2月三菱化工機(1949年から田中機械)に仕上げ・組み立て工として入社。労働組合に加盟し、職場代議員、執行委員、副組合長、青年婦人対策部などを歴任。1964年3月に組合が同盟金属を脱退、全金に加盟し、全金田中機械支部委員長に就任。臨時工60人の正社員化、男女賃金差別撤廃などを実現。
沼田 鈴子(ぬまた すずこ、1923年7月30日 - 201… 沼田 鈴子(ぬまた すずこ、1923年7月30日 - 2011年7月12日)は、日本の平和運動家。広島市への原子爆弾投下での被爆者の1人。被爆により左脚を失い絶望に陥ったところを、被爆アオギリを見て生きる希望を取りもどし、切断障害を抱えた身でありながら被爆体験証言活動と平和運動に心血を注いだ。証言活動では被爆アオギリのことを多く語ったことから「アオギリの語り部」として知られる。広島市原爆被害者の会の元副会長、広島を語る会の元会員。大阪府出身。
村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 201… 村上 行示(むらかみ こうじ、1921年8月5日 - 2011年6月20日)は、日本の労働運動家。元全日本海員組合組合長。 大阪市生まれ。神戸高等商船学校(現神戸大学海洋政策科学部)航海科卒。新和海運出身、甲種船長。1956年全日本海員組合中央執行委員。1960年から1966年に教育部長を務め、機関誌『海員』の編集を担当。組合の先輩を紹介する物語を連載し、1966年に『海上労働運動夜話』(成山堂書店)として刊行した。1971年6月の海員組合第30回臨時大会で組合長に選出。1972年4月から7月の「賃上げ・人間性回復・合理化対策」のスローガンを掲げた92日間のストを指導。民社党員で同盟副会長(1972年1月~1981年1月)を務めたが、日本生産性本部との関係解消、政党支持自由化、全港湾など総評系組合との共闘、総選挙での共産党候補の推薦など海員組合の路線転換を推進した。
佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 19… 佐竹 五三九(さたけ ごさく、1918年2月14日 - 1977年10月12日)は、昭和時代の労働運動家。全国金属労働組合(全金)委員長、日本労働組合総評議会(総評)副議長。 大阪府三島郡富田村(現高槻市)生まれ。1933年高等小学校卒業。洋服屋の店員を経て、1934年大阪毛織に入社。同年11月の日本労働組合全国評議会(全評)結成に参加。1935年全評関西繊維労働組合淀川分会長。同年12月に検挙・拘留されて退職。1936年大阪市の日の出鉄工所に入社。働きながら野田職工学校(二部)を卒業。同時に全評金属関西地方協議会青年部長として活動。1937年12月人民戦線事件で再検挙。1939年高野実、柳本美雄と連絡をとり上京。
平垣 美代司(ひらがき みよじ、1917年7月14日 - 1… 平垣 美代司(ひらがき みよじ、1917年7月14日 - 1984年6月26日)は、昭和時代の労働運動家。日本教職員組合(日教組)書記長。 大阪府池田市生まれ。1937年大阪府池田師範学校卒業。大阪市成小路小学校の教壇に立ったが、学問に興味を抱き関西大学に進学。1940年関西大学専門部法科卒業。学生時代、賀川豊彦等の指導により洗礼を受けた。戦後、大阪教職員組合(大阪教組)、日本教職員組合(日教組)、総評大阪地方評議会(大阪総評)の結成に参加。1947年大阪教組組織部長。1949年日本社会党に入党。日教組近畿地区協議会書記長を経て、1951年日教組組織部長、1953~1958年日教組書記長。 1951年に国労の岩井章、全逓の宝樹文彦らと「三角同盟」を結成。
飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2… 飯田 しづえ(いいだ しづえ、1909年11月10日 - 2003年3月30日)は、日本の政治家、市民活動家。大阪府内初の女性市議会議員として、1955年から7期、無所属の豊中市議会議員を務めた。 大阪府大阪市出身。大阪市電の車輌課の技手だった父松田信八、母志なの長女として生まれる。母方の姓である「中村」を継いで祖父の養女となった。1922年、大阪府立梅田高等女学校(1923年に移転し大手前高等女学校と改称)に入学、当時は女子が小学校を卒業して女学校へ行くことは珍しかったが、勉強好きの母の「受けるだけ受けさせてみたら」の一言で受験がかなったという。 女学校在学中に、新教育運動の流れをくむ国語教師や英語教師の影響を受けて映画や芝居に興味を持ち、次第に社会主義思想にも関心を寄せるようになった。
安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980… 安井 郁(やすい かおる、1907年4月25日 - 1980年3月2日)は、日本の国際法学者、平和運動家。法政大学名誉教授、国際法学会幹事長、原水爆禁止日本協議会(原水協)初代議長。 大阪府門真市出身。大阪市立生魂小学校時代の同級生に作曲家の服部良一がいた。 国際法専攻。戦前期はモーゲンソーの影響を受ける。第二次世界大戦中には東京帝国大学法学部教授として、田畑茂二郎(京都帝大)とともに、「大東亜国際法」を提唱した。しかしこのことをもって1947年占領軍により戦争協力とみなされ、1948年に東大を公職追放となる。神奈川大学教授を経て法政大学教授に就任した。 1954年3月1日のビキニ水爆実験による第五福竜丸被爆事件を契機に、同年5月9日、東京都杉並区の婦人団体、福祉協議会、PTA、労組など39人は「原水爆禁止署名運動杉並協議会」を結成した。
光村 甚助(みつむら じんすけ、1905年(明治38年)2月… 光村 甚助(みつむら じんすけ、1905年(明治38年)2月20日 - 1992年(平成4年)3月23日)は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(2期)。 鹿児島県肝属郡牛根村、後の垂水市牛根境に生まれる。貧農の塩屋家の8人兄弟の五男。小学校卒業後、母校の小間使いとして働く。1919年(大正8年)鉄道員の求人に応募し、福岡県の折尾駅に勤務。1年半後に鉄道員を辞め、大阪の紡績会社で給仕として働きながら夜学に通う。その後、上京して新聞配達をしながら神田の予備校に通ったが、関東大震災被災のため大阪へ戻って、ガラス会社の職工となり、1925年(大正14年)関西大学専門部別科入学。さらに京阪商業学校(後の大阪府立守口高等学校、現大阪府立芦間高等学校)を経て、1931年(昭和6年)関西大学専門部法科を卒業した。
筒井 嘉隆(つつい よしたか、1903年2月19日 - 19… 筒井 嘉隆(つつい よしたか、1903年2月19日 - 1989年4月17日)は、日本の動物学者で自然保護活動家。血液型はA型。 藍問屋の三男として大阪府大阪市西区北堀江に生まれ育つ。旧制桃山学院中学校から旧制第三高等学校理科甲類を経て、1924年、京都帝国大学理学部動物学科に入学。京都帝国大学大学院修了まで川村多実二教授に師事する。 1932年から大阪市の吏員として大阪市天王寺動物園に勤務する。「(動物園は)興行師的立場を捨て去り、一般大衆に迎合することなく動物学的な高所に立って、市民を導いてゆかなければならない」という1936年の発言に、学者としての筒井の姿勢がよくあらわれている。1945年から1946年まで天王寺動物園園長。
山下 栄二(山下 榮二やました えいじ、1901年(明治34… 山下 栄二(山下 榮二やました えいじ、1901年(明治34年)10月14日 - 1990年(平成2年)1月9日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県姶良郡西襲山村(現・霧島市)で生まれる。肥料問屋に奉公後、1920年(大正9年)、久保田鉄工所の尼崎工場に鋳物臨時工として入り、同鉄工所に1956年(昭和31年)の定年まで務め、その後、同顧問、同社友となる。 1921年(大正10年)の争議を機に労働運動に加わる。1923年(大正12年)に関西商工学校(現・関西大倉高等学校)を卒業した。1928年(昭和3年)、三・一五事件で検挙されたが不起訴となる。同年、社会民衆党所属で尼崎市会議員に当選し、その後、兵庫県会議員を務めた。
寺嶋 宗一郎(てらしま そういちろう、1892年(明治25年… 寺嶋 宗一郎(てらしま そういちろう、1892年(明治25年)11月5日 - 1969年(昭和44年)1月5日)は、日本の社会運動家、政治家。初代大阪府枚方市長、同市名誉市民。 大阪府交野郡山田村中宮(のち北河内郡山田村、現枚方市)で生まれる。小学校高等科1年を修了した。 1919年、大阪砲兵工廠の職工に採用され、農業も営んだ。農民運動に加わり、1922年、日本農民組合(日農)山田支部の結成、農民学校の開設を行う。1925年、日農大阪府連が設立し常務書記兼主筆に就任。日本労農党に入党し、山田村会議員、枚方町会議員、大阪府会議員などを務めた。 戦後、日本社会党に入党。1946年4月の第22回衆議院議員総選挙で大阪府第2区(当時)から諸派として立候補したが落選。
杉山 元治郎(すぎやま もとじろう、1885年11月18日 … 杉山 元治郎(すぎやま もとじろう、1885年11月18日 - 1964年10月11日)は、大正・昭和期の政治家・農民運動家。牧師。 大阪府泉南郡北中通村(現・泉佐野市)出身。大阪府立天王寺農学校在学中にキリスト教徒となる。卒業後和歌山県庁に入庁し、県農会の書記を務める。また同地の日本基督教会に出入りするようになる。同教会の青年たちが非戦論の演説を行い県会で問題となったあおりを受け、杉山は県庁辞職を余儀なくされ、その後東北学院神学部に入学する。 1909年卒業後、仙台市の東六番丁教会の牧師に招聘される。さらに福島県小高町の小高教会に移り、ここで月給1円50銭で牧師を務める傍ら、種苗・農機具・肥料の取次販売を行ったり、近在の村々を巡回して土壌学や肥料学の出張講義を行ったりしていた。
内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日〈万延2… 内村 鑑三(うちむら かんぞう、1861年3月23日〈万延2年2月13日〉 - 1930年〈昭和5年〉3月28日)は、日本のキリスト教思想家・文学者・伝道者・聖書学者。福音主義信仰と時事社会批判に基づく日本独自のいわゆる無教会主義を唱えた。『代表的日本人』の著者でもある。 万延2年(1861年)、高崎藩士・内村宜之とヤソの6男1女の長男として江戸小石川の武士長屋に生まれる。三度自己を鑑みるという意味で父が「鑑三」と名付けたと言われる。慶応2年(1866年)頃、鑑三が5歳の時に、宜之は意見の不一致で高崎に謹慎を命じられ、家族で高崎に移った。幼少期より、父から儒学を学ぶ。 明治4年(1871年)の廃藩置県により、高崎知藩事の大河内輝声は罷免された。
森 秀次(もり しゅうじ、旧姓・西岡、1855年11月1日〈… 森 秀次(もり しゅうじ、旧姓・西岡、1855年11月1日〈安政2年9月22日〉 - 1926年〈大正15年〉9月9日)は、日本の部落解放運動家、政治家、会社役員。衆議院議員(大阪府郡部選出、当選4回)。大阪府会議員。族籍は大阪府平民。従五位勲四等。 和泉国南王子村(後の大阪府泉北郡八坂町、現在の和泉市)出身。西岡惣市郎の二男。豊島郡古江村(のちに合併して細河村、現在の池田市)の森家に養子として迎えられた。医学を修めた。1878年、分家して一家を創立する。医業に従事し、のち農業を営んだ。 大阪府会議員、同議長等を務めた。硫酸肥料監査役、阪神土地取締役、大阪朝報社常務取締役を務めた。1903年、第8回衆議院議員総選挙に立候補、初当選。
西岡 智(にしおか さとる、1931年 - 2018年6月2… 西岡 智(にしおか さとる、1931年 - 2018年6月29日)は、部落解放運動家。 部落解放同盟の役員、部落解放・人権研究所名誉理事等を歴任。 大阪市東住吉区矢田の被差別部落で五女二男の長男として生まれ育つ。祖父は和泉国信太村の出身で、被差別部落の庄屋であった。 戦時中は愛国少年団の団長を務め、特攻隊志望の軍国少年であった。私立浪速中学から大阪府立高津高等学校定時制在学中、マルクス・レーニン主義と出会う。弁護士を志望して慶應義塾大学法学部(通信制)に学び、在学中、1953年、部落解放同盟に参加し松本治一郎の客分秘書となる。 1958年、部落解放同盟大阪府連合会矢田支部を結成し初代書記長に就任。