中尾 武彦(なかお たけひこ、1956年3月5日 - )は、… 中尾 武彦(なかお たけひこ、1956年3月5日 - )は、日本の大蔵、財務官僚、元アジア開発銀行総裁、元財務官。住友商事顧問・国際経済戦略センター理事長。第一生命保険株式会社取締役。政策研究大学院大学客員教授。東京大学公共政策大学院客員教授。 兵庫県川西市出身。1974年大阪教育大学附属池田高校卒業。1978年東京大学経済学部卒業。1982年 - カリフォルニア大学バークレー校経営大学院修了。MBA (注)このほか、国際経済戦略センターのホームページhttps://www.ciesl.jp/、中尾武彦オフィシャル(みずほリサーチ&テクノロジーズの理事長によるYouTube対談シリーズ)https://www.youtube.com/channel/UCGtRQ6WIBr2e8iGHZvm7L_Q、中尾武彦オフィシャル(みずほリサーチ&テクノロジーズの「理事長の視点」論考シリーズ)https://note.com/takehiko_nakao/allに論文、記事、対談などをアップ。
藤本 潔(ふじもと きよし、1956年 - )は、日本の官僚… 藤本 潔(ふじもと きよし、1956年 - )は、日本の官僚。元農林水産省消費・安全局長。 兵庫県立神戸高等学校卒業後、京都大学農学部農芸化学科に進学。1979年(昭54年)同卒、農林水産省へ。 農林水産技術会議事務局研究総務官を経て、2011年農水技術会議事務局長。農林水産省消費・安全局長、関東農政局長を歴任。同省退官後、井関農機顧問、公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会理事長に就任。
川本 正一郎(かわもと しょういちろう、1955年1月28日… 川本 正一郎(かわもと しょういちろう、1955年1月28日 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通省住宅局長、国土交通省都市局長、内閣官房地域活性化統合事務局長等を歴任した。 兵庫県出身。1968年麻布中学校から甲陽学院中学校に編入。1973年甲陽学院高等学校卒業。1977年東京大学法学部卒業、建設省入省。2005年国土交通省大臣官房審議官。2008年国土交通省国土計画局長。2009年から国土交通省住宅局長を務め、賃貸管理業務適正化などにあたった。2012年国土交通省都市局長。2013年内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)(命)内閣官房地域活性化統合事務局長。2014年国土交通省大臣官房付、退官。
藤原 保幸(ふじわら やすゆき、1954年6月28日 - )… 藤原 保幸(ふじわら やすゆき、1954年6月28日 - )は、日本の政治家、官僚。兵庫県伊丹市長(当選3回)。
山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日… 山田 啓二(やまだ けいじ、1954年〈昭和29年〉4月5日 - )は、日本の自治官僚、政治家。勲等は旭日大綬章。京都府京都文化博物館長、学校法人京都産業大学理事長。 京都府知事(公選第15・16・17・18代)、全国知事会会長(第11代)、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)副代表・「知事・市町村長連合会議」座長、京都舞鶴港振興会会長、関西観光本部副理事長を歴任した。 兵庫県洲本市で生まれ、後に伊丹市、東京都杉並区に転居。桐朋高等学校、東京大学法学部卒業。1977年4月、自治省(現・総務省)に入省した。本省勤務の他、和歌山県や高知県、内閣法制局、国土庁への出向も経験し、1999年より京都府総務部長。
久元 喜造(ひさもと きぞう、1954年2月1日 - )は、… 久元 喜造(ひさもと きぞう、1954年2月1日 - )は、日本の政治家、自治・総務官僚。兵庫県神戸市長(1期)。
北村 隆志(きたむら たかし、1953年〈昭和28年〉12月… 北村 隆志(きたむら たかし、1953年〈昭和28年〉12月9日 - )は、日本の運輸・国土交通官僚。 兵庫県出身。六甲学院高等学校(29期)を経て、1976年(昭和51年)、京都大学法学部を卒業。同年4月、運輸省に入省。入省後、運輸省大臣官房文書課企画官、近畿運輸局企画部長、航空局飛行場部新東京国際空港課長、鉄道局財務課長、国土交通省政策統括官付政策調整官、国土交通省大臣官房参事官(会計)、同会計課長、航空局管制保安部長、国土交通省大臣官房総括審議官、国土交通省総合政策局次長などを歴任。 2008年(平成20年)7月4日、鉄道局長に就任。 2009年(平成21年)7月24日、国土交通省大臣官房長に就任。
池田 克彦(いけだ かつひこ、1953年(昭和28年)2月1… 池田 克彦(いけだ かつひこ、1953年(昭和28年)2月12日 - )は、日本の警察官僚。初代原子力規制庁長官。第88代警視総監。 1953年、兵庫県神戸市出身。甲陽学院中学校・高等学校を経て、1976年京都大学法学部卒業。 大学在学中に大学紛争を目の当たりにし、「正義の味方になりたい」と思い、1976年に警察庁に入庁。警視庁総務部広報課長、警備第一課長時代には、読売新聞記者であった作家堂場瞬一から取材を受けていた。 警察官僚としては主に交通警察、警備警察の分野を中心に歩む。大阪府警察本部警備部長時代の1995年1月に阪神・淡路大震災に遭遇し、兵庫県警察本部と連携して事後処理にあたった。また警察庁警備局長在任中には、2008年7月の第34回主要国首脳会議(北海道・洞爺湖サミット)警備の指揮を執っている。
金森 俊樹(かなもり としき、1953年 - )は、日本の財… 金森 俊樹(かなもり としき、1953年 - )は、日本の財務官僚。財務総合政策研究所次長や、財務省大臣官房政策評価審議官、大和総研常務理事などを務めた。 兵庫県神戸市生まれ。1972年灘高等学校卒業。1976年一橋大学経済学部卒業。大学には首席で入学し、首席で卒業した。在学時に経済倫理学、経済哲学を専門とする元一橋大学長の塩野谷祐一と経済数学を専門とする二階堂副包に師事。1976年大蔵省入省。外務省研修所で中澤英彦(東京外国語大学名誉教授)よりロシア語を学んだ後、在ソ連日本大使館2等書記官勤務。中澤からは、半年足らずの学習で、少なくとも外大のロシア語専攻の大学院生レベルには達したと言われた。在ロスアンジェルス日本領事館領事を経て、1990年アジア開発銀行理事代理。
林藤樹(はやし ふじき、1952年2月20日 - )は日本の… 林藤樹(はやし ふじき、1952年2月20日 - )は日本の財務官僚。税務大学校長などを歴任。血液型はA型。妻は林伴子内閣府政策統括官。 兵庫県西宮市出身(父は大阪府、母は京都府)。東京大学工学部卒業後は同大学工学系研究科修士課程を修了。在学中、司法試験合格、国家公務員上級試験(法律)合格。1977年4月 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1979年6月 日本貿易振興会(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス留学)。1981年7月 主税局総務課総務第一係長。1983年7月 館林税務署長。その後は主計局総務課長補佐(企画)、主計局主計官補佐(総理府第二係主査)などを務める。2003年8月 金融庁証券取引等監視委員会事務局総務検査課長。
榊 正剛(さかき せいごう、1951年11月6日 - )は、… 榊 正剛(さかき せいごう、1951年11月6日 - )は、日本の国土交通官僚。国土交通審議官を経て退官後、東日本高速道路株式会社(NEXCO東日本)代表取締役副社長に就任。 兵庫県赤穂市出身。淳心学院高等学校を経て、1974年東京大学法学部卒業、建設省入省。国土交通省大臣官房総括審議官を経て、2005年内閣府政策統括官(防災担当)。2006年から国土交通省住宅局長を務め、建築士の見直しなどを進めた。2007年国土交通省総合政策局長。2008年兼国土交通省大臣官房建設流通政策審議官。同年から国土交通審議官を務め、国土計画と北海道開発の総括を担当した。2009年退官。2010年東日本高速道路(NEXCO東日本)顧問。
米村 敏朗(よねむら としろう、1951年(昭和26年)4月… 米村 敏朗(よねむら としろう、1951年(昭和26年)4月26日 - )は、日本の警察官僚。第87代警視総監、第17・18代内閣危機管理監を経て、内閣官房参与(第2次安倍内閣)。 兵庫県西宮市生まれ。熊本県出身。京都大学法学部卒業。1974年、警察庁入庁。警務局人事課配属。 主に警備公安畑を歩み、外務省出向(在ユーゴスラビア連邦大使館1等書記官)も経験。 警視庁では、警備部第2機動隊長、神田警察署長、警備部警備第1課長、警務部人事第1課長、公安部長、副総監を歴任。警視庁幹部在任中はJR浦和電車区事件や松崎明によるJR東日本労組組合費横領疑惑に関するJR東日本への強制捜査に反対した。 2003年に警察庁長官官房審議官(警備局担当)に就任し拉致問題を担当。
上田 善久(うえだ よしひさ、1951年(昭和26年)3月1… 上田 善久(うえだ よしひさ、1951年(昭和26年)3月17日 - )は、日本の大蔵・財務官僚、外交官。2014年(平成26年)1月28日からパラグアイ駐箚特命全権大使。 兵庫県芦屋市出身。灘高等学校を経て、1973年(昭和48年)9月東京大学法学部在学中に国家公務員採用上級試験(法律)に合格する。1974年(昭和49年)東大法学部を卒業して、大蔵省に入省した。配属先は主税局国際租税課。 この項目は、外交官に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ政治)。
竹本 和彦(たけもと かずひこ、1951年 - )は、日本の… 竹本 和彦(たけもと かずひこ、1951年 - )は、日本の環境官僚。地球環境審議官、環境省参与、国連大学サステイナビリティ高等研究所長、東京大学未来ビジョン研究センター特任教授等を歴任した。 兵庫県加西市出身。兵庫県立北条高等学校を経て、1974年東京大学工学部都市工学科卒業、環境庁入庁。1989年世界銀行アジア技術局環境スペシャリスト。1992年ジョンズ・ホプキンズ大学ポール・H・ニッツェ高等国際関係大学院卒業、国際公共政策修士(専門職)。1993年環境庁研究調査室長。1995年International Institute for Applied StudiesAnalysis (IIASA)研究員。
杉本 和行(すぎもと かずゆき、1950年(昭和25年)9月… 杉本 和行(すぎもと かずゆき、1950年(昭和25年)9月13日 - )は、日本の財務官僚、弁護士。内閣総理大臣事務担当秘書官、財務省大臣官房総括審議官、大臣官房長、主計局長、財務事務次官、みずほ総合研究所理事長を経て、2013年3月から2020年9月まで公正取引委員会委員長を務めた。 兵庫県姫路市出身。東大紛争が激しさを増し、入試が取り止めになったため、京都大学に入学する。しかし、入学式の時からバリケードができており、1年間授業が開講されなかったため、再受験し、東京大学文科一類に入学し直す。東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大在学中に司法試験と国家公務員上級甲種試験に合格。進路で多少の迷いがあったものの、「官界、とりわけ大蔵省(当時)は国内関係から国際関係まで幅広い分野の仕事ができる」と感じ、1974年4月 大蔵省(現・財務省)に入省する。
北畑 隆生(きたばた たかお、1950年(昭和25年)1月1… 北畑 隆生(きたばた たかお、1950年(昭和25年)1月10日 - )は、日本の経産官僚。経済産業事務次官、神戸製鋼所取締役会議長、三田学園中学校・高等学校校長、開志専門職大学学長などを歴任。兵庫県出身。 バブル景気に沸く直前の1986年(昭和61年)の経済産業政策局サービス室長時代に「シルバーコロンビア計画」を発案・提唱したことでも知られている。同局長在任中には、雨貝二郎を会長として送り込んで以来の経産省主導によるダイエー再建計画も、小泉内閣の竹中平蔵などによる金融庁・都市銀行主導に移り頓挫した。次官就任以降も、グーグル八分など情報産業政策的観点から、当時の豊田正和商務情報政策局長の下、次世代検索技術開発を目指した「情報大航海プロジェクト・コンソーシアム」を立ち上げ、日の丸検索エンジン開発を打ち出した。
藤岡 文七(ふじおか ぶんしち、1950年 - )は、日本の… 藤岡 文七(ふじおか ぶんしち、1950年 - )は、日本の官僚、エコノミスト。内閣府沖縄振興局長、政策統括官、内閣府審議官を歴任。
竹花 豊(たけはな ゆたか、1949年5月18日 - )は、… 竹花 豊(たけはな ゆたか、1949年5月18日 - )は、警察官僚。元東京都副知事。元東京都教育委員、東京ビッグサイト代表取締役社長。兵庫県出身。
矢野 和之(やの かずゆき、1949年 - )は日本の財務官… 矢野 和之(やの かずゆき、1949年 - )は日本の財務官僚。 兵庫県西宮市出身。甲陽学院高等学校を経て、1974年一橋大学経済学部卒業、大蔵省入省(証券局資本市場課)。廿日市税務署長、ハーバード大学留学(国税庁長官官房付)、大蔵省主計局主計官補佐(労働係主査)、日本証券経済研究所ニューヨーク事務所長、コロンビア大学客員研究員を経て、2001年中国財務局長。2003年ヴェリタス取締役会長。2019年聡研プランニング顧問。同年瑞宝中綬章受章。日本プロゴルフ協会理事、ワイズテーブルコーポレーション顧問、リスト顧問、アイア顧問、永伸商事顧問、デジタルアイデンティティ顧問、テモナ顧問、SKR顧問、リファー顧問、湘南美容外科顧問、HGホールディングス監査役、旅酒相談役、ユニバース顧問、Orchestra Holdings顧問等も歴任した。
村井 博美(むらい ひろみ、1948年(昭和23年)8月18… 村井 博美(むらい ひろみ、1948年(昭和23年)8月18日 - )は、日本の元・大蔵官僚。元財務省印刷局長。血液型はA型。兵庫県小野市出身。 旧大蔵省同期入省者には、藤井秀人、吉永国光(東和銀行頭取)、森田好則、窪野鎮治(両人共に財務省印刷局長)、西川和人(金融庁検査部長)、西川聰(名証副社長)など。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は… 橋本孝伸(はしもと たかのぶ、1948年7月29日 - )は日本の大蔵官僚。国税不服審判所次長。 兵庫県明石市出身。灘高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1971年 大蔵省入省(大臣官房秘書課)。1972年5月 大臣官房秘書課調査係長心得。1973年8月 大臣官房調査企画課。1974年7月 主計局総務課調査主任。1975年 主計局総務課企画係長。1976年7月 帯広税務署長。1977年7月 国税庁調査査察部調査課長補佐。1978年7月 日本開発銀行人事部副調査役。1995年5月 金沢国税局長。1997年7月 理財局たばこ塩事業審議官。1998年7月 国税不服審判所次長。1999年7月 退官。
村上喜堂(むらかみ よしたか、1948年2月12日 - )は… 村上喜堂(むらかみ よしたか、1948年2月12日 - )は日本の財務官僚。国税庁次長などを歴任。血液型はB型。 兵庫県神戸市生まれ(父は和歌山県出身、母は大阪府出身)。関西学院中学部・高等部、東京大学経済学部経済学科卒業。東大在学中はバスケ部に所属。1972年 大蔵省入省(主計局調査課)。1977年7月 米子税務署長。1980年7月 東京国税局総務部総務課長。1990年7月 東京国税局査察部長。同年7月 東京国税局直税部長。1991年6月 北海道開発庁予算課長。1993年7月 東京国税局総務部長。1996年7月12日 国税庁長官官房人事課長。1998年7月 国税庁調査査察部長。2000年6月 国税庁課税部長。
丸山 和也(まるやま かずや、1946年〈昭和21年〉1月2… 丸山 和也(まるやま かずや、1946年〈昭和21年〉1月23日 - )は、日本の元政治家、元法務官僚、弁護士(登録番号:13673、第一東京弁護士会)、タレント、演歌歌手。自由民主党所属の前参議院議員(2期)。弁護士法人丸山総合法律事務所代表。 兵庫県揖保郡新宮町(現たつの市)出身。現在、東京都在住。A型。身長166cm。家族は妻と長女。 兵庫県立龍野高等学校を経て1969年に早稲田大学法学部を卒業。国家公務員上級甲種試験に合格し、法務省職員となる。1970年に司法試験に合格。1976年4月にはワシントン大学ロースクールに入学。卒業後、ロサンゼルスの法律事務所に3年間勤務。1980年に日本に帰国。
井戸 敏三(いど としぞう、1945年〈昭和20年〉8月10… 井戸 敏三(いど としぞう、1945年〈昭和20年〉8月10日 - )は、日本の自治・総務官僚、政治家。兵庫県知事(第48代-第52代)として兵庫県政史上最多の5期20年の任期を務めた。 5期目の当選を決めた第19回兵庫県知事選挙(平成29年7月2日投開票)では、県下52選挙区のうち、唯一尼崎市選挙区(対立候補である勝谷誠彦の出身地)を除く51の選挙区で最多得票であった。 知事退任後、公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問。兵庫県副知事(1996年 - 2001年)、関西広域連合連合長(初代)なども歴任した。 兵庫県揖保郡新宮町(現・たつの市)出身の神奈川県横浜市育ち。材木の仲介等をおこなっていた父の仕事の関係で、小学校3年生の時に横浜に転居。
谷本 正憲(たにもと まさのり、1945年4月16日 - )… 谷本 正憲(たにもと まさのり、1945年4月16日 - )は、日本の自治官僚、政治家。石川県公立大学法人理事長。 石川県知事(公選第13 - 19代)、全国知事会副会長(東海北陸ブロック)などを歴任。 兵庫県西脇市生まれ。兵庫県立西脇高等学校、京都大学法学部卒業。1968年4月、自治省(現総務省)に入省。同期に早川忠孝(元衆議院議員)、西川一誠(元福井県知事)、井戸敏三(元兵庫県知事)らがいる。宮崎市助役、茨城県総務部長、旧自治省公務員第二課長、交付税課長、公営企業第一課長を経て1991年、石川県庁に出向し、中西陽一の下で副知事に就任する。 1994年、中西が任期中に死去したため新生党・公明党・民社党・日本新党・日本社会党の非自民5党推薦で石川県知事選挙に出馬。
野田 健(のだ たけし、1944年〈昭和19年〉2月20日 … 野田 健(のだ たけし、1944年〈昭和19年〉2月20日 - )は、日本の警察官僚。第82代警視総監、内閣危機管理監。 東京都出身。東京大学法学部第3類(政治コース)卒業後、警察庁に入庁。滋賀県警察本部長、警察庁刑事局暴力団対策部長、警察庁刑事局長、警察庁長官官房長を経て、1999年(平成11年)8月26日、警視総監に就任。 2002年(平成14年)に退官後は、日本道路交通情報センター理事長を経て2004年(平成16年)から2008年(平成20年)まで内閣危機管理監を務めた。2015年9月、原子力損害賠償・廃炉等支援機構副理事長に就任。
堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月… 堀川 和洋(ほりかわ かずひろ、1942年(昭和17年)7月8日 - 2004年(平成16年)8月4日)は、日本の警察官僚、政治家。内閣総理大臣秘書官。中国管区警察局長。姫路市長。正四位旭日中綬章。松本市名誉市民。 姫路市出身。兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学法学部卒業。1965年(昭和40年)警察庁に入庁し各地で勤務。 1995年(平成7年)の姫路市長選挙で当選し、以後2期務める。姫路市長在任中は、全国初の中核市への移行や、警察関係を歴任した経験から暴走行為やそれを煽る行動を取り締まる期待族防止条例を制定している。また、JR山陽本線の高架化、レンタサイクルやループバスの開業、キャスティ21計画など駅周辺の整備にも力を入れた。
内藤 正久(ないとう まさひさ、1938年(昭和13年)2月… 内藤 正久(ないとう まさひさ、1938年(昭和13年)2月20日 - )は、日本の通産官僚。元通商産業省産業政策局長。 産業政策局長在任中の1993年、細川内閣が誕生するも、棚橋祐治次官時代から引き続いて情報・通信など次世代産業振興の目玉として「新社会資本整備」の新ビジョンを打ち出す。熊野英昭事務次官の下、消費税増税案の斎藤次郎大蔵次官ら大蔵省と共に、減税をセットとした協調案で共闘することとなる。このように当時の通産省は、大蔵省に属する財政、経企庁の経済計画の総合調整的立場をセットにしたマクロ政策視点からの行動が目立っていた。産業政策の担保として個別の業界間や業界政界間、官民間との「もちつ、もたれつ」の濃密な人的信頼関係と共に、通産省の役割としては本来的に産業構造論にあることから、1970年代の産業構造ビジョンで示した重化学工業化や知識集約化といった一律の産業政策はもはや時代にそぐわないとしても、産業区分を大きく分けた上で各各についてどういう制度基盤整備が可能かがその政策定立の背景にあった。
芦尾 長司(あしお ちょうじ、1934年〈昭和9年〉6月1日… 芦尾 長司(あしお ちょうじ、1934年〈昭和9年〉6月1日 - )は、日本の政治家、自治官僚。 元自由民主党所属の参議院議員(1期)。無派閥。 兵庫県神戸市に生まれる。1953年 滝川高等学校卒業。1959年京都大学法学部卒業。自治省に入省。 1975年 北海道財政課長。1977年 自治省財政局財務調査官。1979年 静岡県知事公室長。1982年 自治省財政局公営企業第一課長。1983年 宮崎県副知事。1987年 自治省行政局公務員部長。 1989年 総務審議官。1990年 国土庁地方振興局長。1992年 兵庫県副知事。 1996年 参議院兵庫補欠選挙で当選。1997年 自民党に入党。1998年 第18回参議院議員通常選挙で落選する。
井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24… 井上 喜一(いのうえ きいち、1932年〈昭和7年〉5月24日 - 2010年〈平成22年〉12月16日)は、日本の農林官僚、政治家。位階は従三位。本名は井上 喜一(いのうえ よしかず)。 衆議院議員(7期)、内閣府特命担当大臣(防災)(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、社団法人日米平和・文化交流協会理事などを歴任。 兵庫県加西市玉丘町出身。兵庫県立小野高等学校、東京大学法学部卒業。東大卒業後、農林省へ入省した。 農林水産省では大臣官房審議官、統計情報部長、構造改善局長を歴任。また一時期、農水省の外局にあたる水産庁で海洋漁業部長を務め、対米・対ソ漁業交渉に臨んだ。 1986年7月、第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で旧兵庫3区から立候補し、初当選。
菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月… 菱川 文博(ひしかわ ふみひろ、1925年(大正14年)2月1日 - 2017年(平成29年)1月11日)は、日本の地方官僚、実業家。広島と長崎で相次いで原子爆弾の被害を受けた二重被爆者のひとり。 兵庫県阪神県民局長、コナミ工業株式会社名誉会長、株式会社G-7ホールディングス社外取締役を歴任した。 兵庫県明石市大蔵町で出生。父は兵庫県庁の職員、母は助産師(両親の略歴については後述)。両親はいずれも仕事で忙しかったので、菱川は祖母ために育てられた。 明石市立人丸小学校卒業後、旧制県立明石中学校(のちの兵庫県立明石高等学校)に進学。相撲が好きで、幼少時は強かったが、このときは周囲より体が小さかったので入部をあきらめ、吹奏楽部に入り大太鼓を担当した。
伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月2… 伊原 義徳(いはら よしのり、1924年〈大正13年〉4月24日 - 2017年〈平成29年〉7月11日)は、日本の官僚。科学技術事務次官を最後に退官し、日本原子力研究所理事長、日本原子力学会会長、原子力委員会委員長代理等を歴任。日本初の総合的な原子力政策となる「原子力開発利用長期計画」作成に加わるなど、原子力行政に深く携わった。 兵庫県神戸市に生まれる。神戸一中(のちの兵庫県立神戸高等学校)、旧制第三高等学校(のちの京都大学総合人間学部)を経て、1947年(昭和22年)に東京工業大学(のちの東京科学大学)電気工学科(旧制)を卒業。同年商工省に入省(機械局)。 1954年(昭和29年)に通商産業省工業技術院で日本最初の原子力予算担当、米国アルゴンヌ国立研究所原子力留学、科学技術庁調査課長、ロンドン日本国大使館科学担当(一等)書記官、科学技術庁秘書課長、原子力局次長、研究調整局長、原子力安全局長などを経て、1979年(昭和54年)に科学技術事務次官を最後に退官。
久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 198… 久保 卓也(くぼ たくや、1921年12月31日 - 1980年12月7日)は日本の警察・防衛官僚。元防衛事務次官。
梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 200… 梶木 又三(かじき またぞう、1919年1月4日 - 2008年5月21日)は、日本の官僚、政治家。自由民主党参議院議員(3期)。兵庫県神戸市出身。1990年勲一等瑞宝章受章。 1942年京都帝国大学農学部農林工学科卒業後、農林省に入省。農地局建設部長を退官後の1971年、参議院議員選挙に全国区から全国土地開発事業団を支持団体に自民党公認で出馬し初当選。 なお、この選挙を通じて選挙違反で関係者が17人逮捕されたほか、岡山県和気町議会副議長、町議員ら3人が被供応(料亭で梶木派関係者からもてなしを受けたもの)、文書頒布による選挙違反の疑いで逮捕されている。 その後比例代表区に回り連続当選3回。自民党内では佐藤栄作→田中角栄→竹下登派に所属し、大蔵政務次官(三木武夫内閣)、環境庁長官(第1次中曽根内閣)、自民党参議院幹事長などを歴任した。
中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1… 中西 一郎(なかにし いちろう、1915年3月29日 - 1992年11月18日)は、日本の政治家、農林官僚。参議院議員(4期)。総理府総務長官、沖縄開発庁長官、危機管理担当大臣などを務めてきた。 兵庫県神戸市生まれ。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、農林省に入省。短期現役海軍主計科士官(7期)を志願し、1941年8月、海軍経理学校に入校し海軍主計中尉に任官。同年12月、経理学校を卒業。陸奥に配属。1942年10月、特設巡洋艦りおん丸主計長となりラボールに赴任し、航空用ガソリン輸送に従事。1943年(昭和18年)6月、主計大尉に進む。1944年1月、ラボールで戦傷を受け、同年5月、海軍病院を退院し、海軍省兵備局第3課兼運輸総局船員局に転じて終戦を迎えた。
秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日… 秋本 正(あきもと ただし、1912年(大正元年)8月21日 - 没年不明)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。陸軍司政官。 兵庫県揖保郡に生まれる。明石中学校、第三高等学校を経て、1933年(昭和8年)4月、東京帝国大学法学部政治学科に入学し、1935年(昭和10年)10月、高等試験行政科に合格。1936年(昭和11年)3月、同大を卒業し、台湾総督府警務局保安課に奉職する。1939年(昭和14年)7月、台南州新営郡守となり、府事務官警務局保安課勤務を経て、陸軍司政官に転出した。
石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 19… 石野 信一(いしの しんいち、1912年3月13日 - 1996年1月19日)は、日本の大蔵官僚、実業家。第8代大蔵事務次官、さくら銀行名誉会長。文芸評論家の村上一郎は従兄弟。 神戸三中、大阪高校を経て、1935年、東京帝国大学法学部政治学科卒業後、大蔵省入省。主計局配属。理財局総務課長、大臣官房調査部長、理財局次長の後、1957年6月11日に俗に「森 - 石 ライン」と呼ばれることとなった森永貞一郎の下で官房長を務め、1959年に銀行局長、1961年に主計局長を経て、1963年に大蔵事務次官に就任、池田勇人首相の高度経済成長政策のブレーンとして活躍した。熟慮断行タイプとして知られ、大臣官房財務調査官(大臣官房調査課担当)だった1954年度予算編成では緊縮型予算を主張し貫徹した話は伝説になっている。
上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)… 上村 健太郎(うえむら けんたろう、1908年(明治41年)7月18日 - 1981年(昭和56年)8月4日)は、兵庫県出身の内務官僚、航空自衛官、実業家である。初代航空幕僚長。位階は従三位。 1908年(明治41年)7月18日、兵庫県で陸軍中将・上村良助の長男として生まれる。東京府立四中、旧制一高卒業。府立四中、一高同期に河野一之、佐々木直がいる。1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部政治学科卒業し、内務省に入省。秋田県属。1944年(昭和19年)8月、警視庁官房主事。1945年(昭和20年)4月、警視庁特別高等警察部長に就任。 1952年(昭和27年)9月、保安庁長官官房長。1954年(昭和29年)7月、初代航空幕僚長に就任。
吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月… 吉田 忠一(よしだ ちゅういち、1906年(明治39年)3月13日 - 1993年(平成5年)10月22日)は、日本の内務・厚生官僚、実業家。最後の官選鳥取県知事。 兵庫県明石市出身。大阪高等学校を卒業。1928年10月、高等試験行政科試験に合格。1929年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し、石川県属となる。 以後、労働局事務官、島根県書記官・警察部長、厚生省会計課長、同勤労局長などを歴任。 1947年2月、鳥取県知事に就任。昭和22年度当初予算を編成し、知事選挙を執行して、同年4月に退任。その後、埼玉県副知事に就任した。 1950年、警察予備隊に参加し第1管区総監となるが、部下の不祥事の責任を取り辞職。
久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月2… 久山 秀雄(ひさやま ひでお、1905年〈明治38年〉1月23日 - 1971年〈昭和46年〉8月23日)は、日本の内務・警察官僚。陸軍司政官、内務省警保局長。位階は正四位。勲三等旭日中綬章。 兵庫県出身。久山春次郎の長男として生まれる。兵庫県立第二神戸中学校を経て、第一高等学校を卒業。1927年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1923年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月、内務省に入省し兵庫県属となり内務部地方課に配属。 以後、地方警視・福井県警察部保安課長、青森県警察部特別高等警察課長、神奈川県警察部警務課長、内務事務官・警保局図書館勤務、山梨県書記官・警察部長、内閣情報部書記官・第一課長、同第二課長兼務、警保局警務課長などを歴任。
島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25… 島田 叡(しまだ あきら、1901年〈明治34年〉12月25日 – 1945年〈昭和20年〉6月26日)は、日本の内務官僚、沖縄県知事(官選第23代)。 第二次世界大戦末期、沖縄戦時の知事であり、「島守」として知られる。座右の銘は、「断じて敢行すれば鬼神も之を避く」。 1901年(明治34年)、兵庫県武庫郡須磨村(現在の神戸市須磨区)の開業医・島田五十三郎の長男として生まれた。須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科から兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)へ進学。須磨小、神戸二中では重成格(内務官僚、鹿児島県知事、参議院議員)と同期。第三高等学校を経て、1922年(大正11年)に東京帝国大学法学部へ入学。
下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月… 下山 定則(しもやま さだのり、1901年〈明治34年〉7月23日 - 1949年〈昭和24年〉7月6日、(死亡日時は不詳)は、日本の鉄道官僚。運輸次官、日本国有鉄道総裁(初代)などを歴任した。 兵庫県神戸市出身。司法官であった父の英五郎は、同県有馬郡高平村木器(こうづき)(現在の三田市木器)の出身であった。転勤に従い少年時代は転校を繰り返していた。転校するたびにその都市の主要駅の時刻表を暗記して人気者になっていたという。静岡中学、津中学、三高卒業。静岡中学時代は野球部(現在の静岡高校野球部)でピッチャーを務めた。三高時代には稚内から[疑問点 – ノート]鹿児島まで駅名を暗唱して友人から「鉄道」というあだ名をつけられた。
重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 … 重成 格(しげなり かく / ただす、1901年7月13日 - 1956年10月16日)は、日本の内務官僚、政治家。鹿児島県知事(官選第30代、公選初代-第2代)、参議院議員(1期)。 紡績会社に勤めていた岡山県岡山市の重成壽太郎の長男として生まれる。兵庫県武庫郡須磨村(現 神戸市の一部)の須磨尋常高等小学校(現 神戸市立西須磨小学校)尋常科卒業。兵庫県立第二神戸中学校(旧制神戸二中、現 兵庫県立兵庫高等学校)から第一高等学校(旧制)へ進学。須磨小、神戸二中では島田叡(内務官僚、官選沖縄県知事)と同期。また、神戸二中では島田叡、渡辺大陸(後にプロ野球監督)、有馬大五郎(音楽学者、国立音楽大学学長)らと野球部に所属。
有田 喜一(ありた きいち、1901年4月30日 - 198… 有田 喜一(ありた きいち、1901年4月30日 - 1986年2月9日)は、日本の政治家、逓信及び運輸官僚。文部大臣(第87代)、科学技術庁長官(第17代)、防衛庁長官(第24代)、経済企画庁長官(第22代)、衆議院議員(9期)。 兵庫県氷上郡氷上町(現丹波市)出身。旧制兵庫県立柏原中学校、第八高等学校を経て、東京帝国大学経済学部卒業。逓信省大阪逓信局長や運輸省海運総局長を経て政界入り。政治家となってからは芦田均と行動をともにしたが、保守合同により自由民主党が結成されると旧芦田派の一部とともに岸派に入り、岸派の分裂後は福田派に属した。福田赳夫の右腕といわれ1966年8月、福田が大蔵大臣を務める第1次佐藤第2次改造内閣で文部大臣兼科学技術庁長官として初入閣。
水池 亮(みずいけ りょう、1900年(明治33年)6月7日… 水池 亮(みずいけ りょう、1900年(明治33年)6月7日 - 1976年(昭和51年)7月7日)は、日本の内務官僚、実業家。内務省警保局長、海軍司政長官。 兵庫県出身。農業・水池亀松の三男として生まれる。小野中学校を経て、第一高等学校を卒業。1925年11月、高等試験行政科試験に合格。1926年3月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。同年4月、内務省に入省し警保局保安課に配属。 1926年11月から1927年10月まで北京に駐在。以後、地方事務官・鹿児島県勤務、地方警視・奈良県警察部特別高等警察課長、北海道庁警察部特別高等警察課長、警察講習所教授、内務事務官・警保局保安課勤務、宮内書記官・大臣官房総務課勤務、警視庁官房主事、内務書記官・警保局警務課長、警視庁特別高等警察部長、内務書記官・大臣官房文書課長などを歴任。
山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1… 山田 俊介(やまだ しゅんすけ、1899年1月31日 - 1969年7月1日)は、日本の政治家、内務官僚、従四位勲二等瑞宝章。 青森県知事(第42代)、満洲国警務総局長兼保安局長官、福岡県知事(第35代)、逗子町長(1期)、逗子市長(4期)を歴任した。 兵庫県明石市生まれ。父は逗子開成中学校の創設、経営に尽力した漢学者の山田武臣。代々三日月藩主に仕えた漢学者の家系であった。逗子開成中学校、東京陸軍幼年学校を経て、東京中学校、第七高等学校造士館、東京帝国大学経済学部を卒業。特に東京陸軍幼年学校時代に生徒監であった阿南惟幾に目をかけられ、後に同期に先んじて知事に抜擢されたのは阿南の推薦があったからだという。
有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日… 有田 邦敬(ありた くによし、くにゆき、1883年9月17日 - 1941年12月21日)は、日本の官僚、経営者。大阪市助役、京阪電気鉄道社長を務めた。兵庫県出身。 旧制兵庫県立柏原中学校、第三高等学校を経て、1908年に京都帝国大学法科を卒業。内務省、逓信省に奉職の後、1915年12月から大阪市長の池上四郎の下で第二助役を務め、1923年12月から1927年12月までは関一の下で助役を務める。両市長の下で迎えた大大阪時代を助役として支えた。1928年4月に太田光凞社長の要請により、京阪電気鉄道副社長に就任し、1936年10月には社長(第5代)に昇格。厳しい経営状況にあった同社の再建を太田とともに進め、現場経験者を抜擢して役員に就任させるなど、次代を支える人材の登用と育成をも周到に行った。
田 昌(でん あきら、1878年〈明治11年〉6月14日 -… 田 昌(でん あきら、1878年〈明治11年〉6月14日 - 1943年〈昭和18年〉2月13日)は、日本の大蔵官僚、政治家。大蔵次官、衆議院議員。田艇吉の子。 兵庫県氷上郡、のちの柏原町(現:丹波市)で、衆議院議員・田艇吉の長男として生まれる。鳳鳴義塾、開成中学、第一高等学校を経て、1904年(明治37年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年同月、大蔵省に入り煙草専売局属として本局に配属。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 1905年(明治38年)12月、煙草専売事務官に就任。以後、煙草専売局主事、兼大蔵書記官、専売局主事、大蔵書記官・主計局司計課長、理財局国庫課長、兼大蔵省参事官、主計局予算決算課長、連合国経済会議(パリ)特派委員、海外駐箚財務官(米国駐在)、大蔵省主計局長などを歴任。
蔭山 品次(かげやま しなじ、1877年〈明治10年〉8月 … 蔭山 品次(かげやま しなじ、1877年〈明治10年〉8月 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の大蔵省官僚、政治家。兵庫県西宮市長。 兵庫県姫路市出身。大蔵省税務属、税務監督局属、司税官、福知山・茨木・西宮各税務署長を歴任。のち、推挙され、1933年(昭和8年)12月21日から1938年(昭和13年)12月3日まで西宮市長を務めた。
永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月… 永田 秀次郎(ながた ひでじろう、1876年(明治9年)7月23日 - 1943年(昭和18年)9月17日)は、兵庫県三原郡長田村(現:南あわじ市倭文長田)出身の日本の官僚、政治家、俳人、随筆家。第18代官選三重県知事、第8代・第14代東京市長、第4代拓殖大学学長、貴族院勅選議員。廣田内閣の拓務大臣、阿部内閣の鉄道大臣を歴任。俳名・筆名は永田 青嵐(ながた せいらん)で、多くの著書や句集を残している。 長男は自由民主党衆議院議員の永田亮一。 初代倭文村村長を務めた永田実太郎の次男として出生。弟に京都市土木局長、横浜市電気局長を務めた永田兵三郎がいる。 三原高等小学校卒業後、進学校の1つだった姫路中学校を受験するが不合格となる。