奥中 惇夫(おくなか あつを、1930年9月28日 - 20… 奥中 惇夫(おくなか あつを、1930年9月28日 - 2012年2月17日)は、日本の映画およびテレビ番組の監督。奈良県奈良市出身。 東京大学文学部美学美術史学科卒業。1953年に新東宝に助監督として入社。渡辺邦男に師事した後、1961年に東映東京撮影所の助監督契約をする。1963年に東映テレビプロに移籍。1964年の『鉄道公安36号』で監督デビュー。『特別機動捜査隊』などを演出したのち、1967年よりフリーとなる。1969年、自ら希望して『柔道一直線』に途中参加、最終的に40話分を監督した。『仮面ライダー』への参加以後、キャラクター作品を中心に活躍した。 1972年、日本映画監督協会理事に就任。
井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月1… 井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月10日 - )は、カナダの考古学者、文化人類学者。専門は日本など東アジア先史考古学。マギル大学名誉教授。 1930年、兵庫県神戸市長田村房王寺谷(現・神戸市長田区房王寺町)に生まれる。 1948年、奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業後、1953年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、東京都立大学社会学研究室助手補となる。 1954年に、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程に入学する。1955年からフルブライト奨学生としてハーバード大学に留学した。1958年、ラドクリフ・カレッジで修士号(M.A.)を取得し、ラドクリフ・カレッジ博士課程を修了する。
松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30… 松田 利治(まつだ としはる、1930年〈昭和5年〉8月30日 - 2015年 <平成27年> 5月18日)は、日本の政治家。元奈良県大和高田市長(2期)。位階は正六位。旭日小綬章受章。 奈良県出身。奈良県立御所工業高等学校卒。卒業後は近畿電気工事に入社。その後松田電気工業を興し、社長となり、奈良電業協会会長なども務める。1995年〈平成7年〉大和高田市長選挙に立候補して初当選する。1999年〈平成11年〉に再選。市長は2期務め、2003年〈平成15年〉に退任した。2006年秋の叙勲で旭日小綬章受章。2015年死去。死没日付をもって正六位に叙された。
高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、… 高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、日本の経営者。ダイドードリンコ社長を務めた。 奈良県出身。1946年に御所工業高等学校を卒業し、同年に大同薬品工業に入社。1955年に常務に就任し、1970年に副社長を経て、1973年から1990年までに社長を務めた。一方で、1975年1月にダイドー(のちのダイドードリンコ)を設立し、社長に就任し、1994年4月までに務めた。1999年4月から2016年4月までに取締役相談役を務めた。
田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 20… 田中 一光(たなか いっこう、1930年1月13日 - 2002年1月10日)は、日本のグラフィックデザイナー。奈良県奈良市出身。本名は同じ表記で、読みは「たなか かずあき」。 昭和期を代表するグラフィックデザイナーの一人として活躍した。グラフィックデザイン、広告の他、デザイナーとして日本のデザイン界、デザイナーたちに大きな影響を与えた。特にセゾングループのクリエイティブディレクターとして、セゾン文化の裏方を担った。 自身の作風は琳派に大きな影響を受けており、間接的ながら琳派の作風を現代(1970年代以降2020年現在に至るまで)に広め紹介することとなった。
松塚豊茂(まつづか とよしげ、1930年- )は、日本の宗教… 松塚豊茂(まつづか とよしげ、1930年- )は、日本の宗教哲学者、島根大学名誉教授。 奈良県大和郡山市生まれ。1955年京都大学文学部哲学科卒、60年同大学大学院博士課程単位修得退学。島根大学助教授、教授、1996年定年退官し名誉教授。2001年「ニヒリズム論攷」で京大文学博士。浄土教と西洋実存哲学の比較などをしてきた。
髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月1… 髙田 多喜男(たかだ たきお、1929年〈昭和4年〉11月13日 - )は、大阪府大阪市北区生まれ、奈良県生駒市出身の日本の実業家。近鉄百貨店副社長として阿倍野本店リニューアルを成功させ、京都近鉄百貨店社長として同社京都店増床にかかわった。 1929年(昭和4年)11月13日、大阪府大阪市北区生まれ。物心つく前に父を亡くした後に奈良県生駒市へ移り住み、母・リウに女手一つで育てられた。 旧制郡山中学に通学し、校舎の1階で乾電池製造をして働き、2階で勉強する生活を送っていた15歳の時に太平洋戦争の終戦を迎える。海軍兵学校に進学すると決めていた髙田は涙が出てきたという。 髙田は京都大学法学部へ入学し、下宿せず生駒の自宅から通学していた。
大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018… 大峯 顕(おおみね あきら、1929年7月1日 - 2018年1月30日)は、日本の哲学者、浄土真宗僧侶、俳人。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1976年)。大阪大学名誉教授、元龍谷大学教授。専立寺前住職。学者としての専攻は宗教哲学。中期フィヒテ研究・西田幾多郎研究で知られる。俳号は大峯 あきら。 奈良県吉野郡大淀町出身。旧制奈良県立畝傍中学校を経て、1953年、京都大学文学部宗教学科卒業、1959年、京都大学大学院文学研究科博士課程修了。 1959年、京都大学文学部助手。1966年、大阪外国語大学助教授。1971年より1972年まで、文部省在外研究員としてハイデルベルク大学留学。1973年、大阪外国語大学教授。
一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2… 一海 知義(いっかい ともよし、1929年5月15日 - 2015年11月15日)は、日本の中国文学者、神戸大学名誉教授、河上肇研究で著名。 奈良県奈良市生まれ。1953年京都大学文学部卒、吉川幸次郎の門下生の一人、同じ吉川門下の筧久美子・筧文生夫妻とは友人で共著も多い。 神戸大学教授を務め、1993年に定年後は神戸学院大学教授、2000年退職。古典漢文のみでなく、近世・近代日本の漢詩文の校訂も行い、特に河上については著作多数。2007年『正伝 後藤新平』校訂で毎日出版文化賞特別賞受賞。2015年11月15日午前11時50分、急性心不全のため神戸市の自宅で死去。86歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3… 久保 守(くぼ まもる、1928年8月6日 - 1992年3月10日)は、奈良県出身のプロ野球選手。 母校の五條中学校で教諭を勤めていたが1950年に阪急ブレーブスへ入団。1952年退団。
守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや た… 守屋 弘斎(もりや こうさい、出生名:守屋 隆夫(もりや たかお)、1928年1月3日 - 2022年12月24日)は、華厳宗の大僧正。東大寺第214世別当、華厳宗管長を務めた後、東大寺長老を歴任。 長野県諏訪市に生まれる。幼少期に両親と死別し、祖父のいる東大寺知足院に入寺。僧名を隆英と名乗るが、後に弘斎と改める。 東大寺が境内で運営する旧制金鐘中学校(現:東大寺学園中学校・高等学校)を1945年卒業。同期に新藤晋海第216世別当。 奈良県の県花、奈良市の市章になっている奈良八重桜(天然記念物:非公開)や、国の重要文化財である木造地蔵菩薩立像で有名な塔頭、知足院住職。 31回の修二会(お水取り)参籠記録をもち、最も修二会に精通した僧侶の一人。
森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 20… 森本 和夫(もりもと かずお、1927年12月6日 - 2012年10月1日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、道元研究家。東京大学名誉教授。 1927年、奈良県で生まれた。東京府立第十一中学校(現・東京都立江北高等学校)を経て、東京大学文学部仏文科に進学。同大学大学院に進み、博士課程を中退。 1960年、東京大学教養学部助教授に就き、フランス語を講じた。のち教授昇格。1988年に東京大学を定年退官し、名誉教授となった。2012年に死去。 専門はフランス文学ならびにフランス思想であり、はじめサルトルなど実存主義に始まり、メルロ=ポンティ、ロラン・バルト、ジャック・デリダなどを日本に紹介した。その後、フランス思想との関連から道元へと関心を深め、『正法眼蔵』の読解を行なっている。
網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 20… 網干 善教(あぼし よしのり、1927年9月29日 - 2006年7月29日)は、日本の考古学者、関西大学名誉教授。専門は考古学、古代史、仏教史。明日香村名誉村民。 1927年、奈良県高市郡飛鳥村(現・明日香村)で生まれた。3歳のとき、父の網干順三が唯称寺の住職・順誠となり、一家で移り住んだ。唯称寺は石舞台古墳のすぐ下にある浄土宗の寺で、1933年から始まった第一次石舞台発掘調査に身近に接して考古学に関心を持つようになった。 旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)時代より、京都帝国大学考古学研究員であった末永雅雄(橿原考古学研究所初代所長、関西大学名誉教授、文化功労者、文化勲章受章者)が陣頭指揮を執る石舞台古墳の発掘調査に参加。
阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2… 阪本 道隆(さかもと みちたか 1927年7月31日 - 2017年4月19日)は、日本の銀行家。元南都銀行頭取。元奈良商工会議所会頭。奈良県橿原市出身。 1953年名古屋大学経済学部卒業後、南都銀行入行。支店長、人事部長等の要職を経験した後、常務取締役、専務取締役を経て、頭取及び会長を歴任。銀行業務を通じ地域の発展に寄与した。また、数多くの公職を務め、2003年には旭日中綬章を受章。
植田 武彦(うえだ たけひこ、1927年4月13日 - )は… 植田 武彦(うえだ たけひこ、1927年4月13日 - )は、奈良県出身の元プロ野球選手。 奈良県立五條中学校から1950年に阪急ブレーブスへ入団。1954年は、この年に創設された高橋ユニオンズでプレーし、同年引退。
西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22… 西田 栄三(にしだ えいぞう、1927年(昭和2年)2月22日 - 2000年(平成12年)1月20日)は、日本の政治家。元奈良県奈良市長(2期)。 奈良県奈良市出身。1943年(昭和18年)12月、奈良県立商業学校(のち奈良県立奈良商業高等学校、現・奈良県立奈良商工高等学校)を卒業した。卒業後は1946年(昭和21年)9月に奈良市役所に入り、市長公室長、清掃部長、総務部長などを務める。1978年(昭和53年)4月から1984年(昭和59年)8月まで助役を務める。 1984年(昭和59年)9月23日の奈良市長選挙に自民党、公明党、民社党の推薦で立候補し、共産党推薦、元県議、諸派の3新人を破って当選した。
吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 20… 吉田 之久(よしだ ゆきひさ、1926年12月4日 - 2003年3月24日)は、日本の元軍人、政治家。海兵74期。最終階級は少尉。戦後、衆議院議員(通算7期)、参議院議員(連続2期)。奈良県磯城郡田原本町出身。位階は従三位。
前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 … 前 登志夫(まえ としお、1926年(大正15年)1月1日 - 2008年(平成20年)4月5日)は、日本の歌人。本名、前 登志晃(まえ としあき)。日本芸術院会員。短歌結社「山繭の会」主宰。 奈良県吉野郡下市町広橋で、父理策、母可志の二男として誕生。旧制奈良中学(現・奈良県立奈良高等学校)を経て、同志社大学経済学部に入学するが、1945年(昭和20年)に応召されて中退。戦後まもなく詩作を始め、フランスやドイツの詩を学ぶ一方、柳田國男や折口信夫の民俗学にも傾倒した。1951年(昭和26年)に吉野に戻り、前川佐美雄を訪問。1956年(昭和31年)、詩集『宇宙駅』を刊行した。 その後、短歌に転じ、前川に師事する。
東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2… 東中 光雄(ひがしなか みつお、1924年7月23日 - 2014年8月7日)は、日本の元政治家。日本共産党所属の衆議院議員(日本共産党中央委員会委員)。弁護士(大阪弁護士会)。
西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2… 西宮 一民(にしみや かずたみ、1924年7月18日 - 2007年5月6日)は、日本の国文学者・国語学者。皇學館大学元学長。 奈良県桜井市出身。生家は談山神社の社家であった。 1942年に奈良県立奈良中学校を卒業。1944年に神宮皇學館大學予科修了、神宮皇學館大學古典科専攻入学と同時に陸軍特別幹部候補生となる。1946年に神宮皇學館大學が廃学となったので、京都帝国大學文学部転入学。澤瀉久孝に師事。1949年に卒業後、京都大学大学院入学、近畿大学附属高等学校教諭となる。 1952年に帝塚山学院短期大学講師、1954年に京都大学大学院退学、帝塚山学院短期大学助教授。1962年に皇學館大学教授。1994年に皇學館大学学長、「古事記の研究」で博士(文学)(京都大学)の学位を取得。
青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013… 青山 茂(あおやま しげる、1924年5月9日 - 2013年11月6日)は、日本の新聞記者、評論家。帝塚山短期大学名誉教授。専門は日本文化史。 大阪府出身。旧制郡山中学校、旧制松山高等学校文科卒、1948年京都帝国大学法学部卒。1950年に毎日新聞社に入社し、奈良支局で11年間美術文化担当記者。大阪本社学芸部副部長、編集局部長を経て退社。1976年帝塚山短期大学教授。1995年定年、名誉教授。古都調査保存協力会長、奈良国立博物館評議員、飛鳥資料館運営協議会長。奈良学を提唱した。 2013年11月6日、肺炎のため死去。89歳没。
西口 雅博(にしぐち まさひろ、1924年〈大正13年〉3月… 西口 雅博(にしぐち まさひろ、1924年〈大正13年〉3月31日 - 没年不明)は、日本の実業家。金盃本舗社長。大阪草履製造業協組副理事長。全国高級装履メーカー連合会会長。 奈良県御所市出身。西口紋太郎の長男。趣味はゴルフ、旅行。住所は大阪市浪速区御蔵跡南之町。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016… 甫田 鵄川(ぼた しせん、1924年1月20日 - 2016年6月25日)は、日本の書家。奈良県出身。本名は甫田茂。木村知石に師事し、日展を主な発表の場として活動した。1997年、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 奈良県に生まれる。近畿大学を卒業した。木村知石に師事し、1954年に日展に初入選した。 1960年の第3回日展では特選・苞竹賞を受賞した。以後も日展で活動を続け、1993年に内閣総理大臣賞を受賞した。1997年には、日展出品作「菜根譚」により日本芸術院賞を受賞した。 また、天真書道会を主宰し、日展参事を務めた。2009年には奈良市杉岡華邨書道美術館で「甫田鵄川と門人展」が開催され、甫田とその門人の作品が紹介された。
石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月… 石田 清茂(いしだ きよしげ、1923年(大正12年)12月29日 - 1994年(平成6年)8月9日)は、昭和から平成時代の政治家。奈良県香芝市長。勲五等双光旭日章。 奈良県北葛城郡五位堂村(現香芝市)出身。五位堂高等小学校卒業。 1947年(昭和22年)五位堂村役場に奉職し、1956年(昭和31年)町村合併で香芝町となり同町役場に勤務。1976年(昭和51年)総務部長、1978年(昭和53年)収入役、1982年(昭和57年)助役を経て、1984年(昭和59年)より香芝町長。1991年(平成3年)市制施行に伴い香芝市長となった。 1992年(平成4年)引退。1994年死去。死没日付をもって勲五等双光旭日章を追贈された。
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8… 司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 - 1996年(平成8年)2月12日)は、日本の小説家、ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている。
今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じ… 今井 凌雪(いまい りょうせつ、本名:今井 潤一(いまい じゅんいち)、1922年〈大正11年〉12月19日 - 2011年〈平成23年〉7月26日)は、日本の書家。筑波大学名誉教授。書法研究雪心会会長。「読売書法会」常任総務。社団法人「日展」参事。社団法人「日本書芸院」名誉顧問。「國際書道連盟」顧問。 奈良県奈良市生まれ。郡山中学(現奈良県立郡山高等学校)、天理語学専門学校(現天理大学外国語学部)卒業後、駸々堂入社。1949年立命館大学法文学部経済学科卒業。中谷釜雙、辻本史邑に師事。 東京教育大学、筑波大学、大東文化大学で教授、大東文化大学書道文化センター所長を歴任、1988年、大東文化大学書道研究所初代所長(1991年まで)に就任した。
鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年… 鍵田 忠三郎(かぎた ちゅうざぶろう、1922年(大正11年)7月25日 - 1994年(平成6年)10月26日)は、日本の政治家。奈良市長、衆議院議員(1期、自由民主党)。剣道家でもあり、奈良県剣道連盟会長、奈良県なぎなた連盟会長も務めた。鍵田忠兵衛は次男。 1922年(大正11年)、奈良県奈良市生まれ。1943年(昭和18年)、拓殖大学専門部卒業。 1951年(昭和26年)、奈良県議会議員に当選、新若草山自動車道や三笠温泉開発の事業に携わる。38歳のとき、胸を患って余命2か月と診断、人生を終えるつもりで四国八十八箇所参りを行った後、体調は快復。1960年(昭和35年)、終戦の日である8月15日に慰霊するため、奈良東山の高円山に奈良大文字を創始する。
西岡 善信(にしおか よしのぶ、1922年7月8日 - 20… 西岡 善信(にしおか よしのぶ、1922年7月8日 - 2019年10月11日)は、日本の美術監督・映画プロデューサー。 奈良県明日香村出身。法政大学文学部卒業。大学在学中に徴兵され、朝鮮半島で終戦を迎えた。1947年までソ連に抑留され、帰国後の1948年、大映京都撮影所に入社。美術部に配属された。 1952年、『天保水滸伝 利根の火祭』(安達伸生監督)で初めて美術監督を務め、以降大映が製作した約180本の映画で美術監督を務めた。1952年に市川崑の監督映画『あの手この手』で美術監督を務めたのをきっかけに、大映京都製作の市川監督作品の全てで美術監督を務めた。 大映倒産の後1972年、旧大映社員とともに「映像京都」を設立し、代表取締役社長を務める傍ら、美術監督、プロデューサーとして活躍。
川井 春三(1922年4月1日 - 1989年)は、日本の政… 川井 春三(1922年4月1日 - 1989年)は、日本の政治活動家、実業家。 奈良市の魚問屋の四男に生まれた。1940年、旧制大阪城東商業学校卒業。1942年3月、大阪YMCA無線電機学校高等科卒業。同時に大日本帝国陸軍参謀本部に入り、北多摩陸軍通信所に配属されて無線情報活動に従事した。1943年1月、関東軍特殊情報部隊に入営し、幹部候補生として教育を受けた。同年末、北多摩通信所に教育要員として復帰。1945年、派遣先の長野分遣隊で終戦を迎えた。1946年4月、旧制大阪専門学校(現在の近畿大学)経済学部に入学。のち中途退学し、父の営む奈良県魚株式会社で働いた。 1957年の父の死を契機に、民族運動への挺身を決意した。
上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2… 上田 繁潔(うえだ しげきよ、1921年10月16日 - 2011年5月20日)は、日本の政治家。第10代~第12代奈良県知事。 奈良県奈良市生まれ。旧制小学校を卒業後、奈良県庁で働きながら夜間の旧制金鐘中学(現:東大寺学園中学校・高等学校)に通学し、1946年関西大学経済学部卒業。奈良県庁に再度入庁し、各課長、総務部長を歴任、1975年下位副知事の後を受け副知事に就任した。 1980年9月、奥田良三知事が健康上の理由で辞任を表明すると、副知事を務めていた上田繁潔が10月の知事選挙に立候補して当選した。奈良県知事を3期11年余り務め、在任期間の後半はバブル景気に恵まれた。1988年に開催されたなら・シルクロード博覧会では、主催団体だった「財団法人なら・シルクロード博協会」の会長を兼任し、成功した。
東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 201… 東井 正美(とおい まさみ、1921年9月10日 - 2016年8月4日)は、日本の経済学者。関西大学名誉教授。専門は農業経済学。 大阪府生まれ。旧制金鐘中等学校、1947年関西大学経済学部を卒業。京都大学大学院経済学研究科で山岡亮一の下農業経済学を専攻し、1950年より母校の関西大学経済学部で教鞭を執り、1961年教授就任。『日本の農業政策』で経済学博士の学位を取得。1996年勲三等瑞宝章受章。 アメリカ農業問題に関して先駆的業績を残し、日本農業経済学会理事、関西農業経済学会(現:地域農林経済学会)副会長などを歴任。関西大学では経済学部長を務め、学長事務代行を一時兼務するなどして、大学紛争の収拾に奔走した。
武者小路 穣(むしゃのこうじ みのる、1921年(大正10年… 武者小路 穣(むしゃのこうじ みのる、1921年(大正10年)3月27日 - 2010年(平成22年)11月11日)は、日本の歴史学者、著述家。和光大学名誉教授。日本文化史専攻。筆名はむしゃこうじ・みのる(すべて平仮名、「むしゃ」と「こうじ」の間に「の」を入れずに、姓と名の間には中黒を入れる)。旧姓は久保田(くぼた)。 子爵武者小路実世の末弟・公敏の妻・喜佐の甥にあたり、6歳の時に従兄にあたる公敏の長男・敏雄の養子に入った。妻は小説家武者小路実篤の三女・辰子で、穰の又従姉にあたる。長女・有紀子は元バレリーナで歌舞伎役者の四代目中村梅玉夫人。 奈良市出身。1943年(昭和18年)東京帝国大学文学部国史学科卒業。
岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24… 岡橋 四郎(おかはし しろう、1920年〈大正9年〉5月24日 - 1999年11月)は、日本の政治家。元奈良県橿原市長(1期)。 奈良県出身。1939年〈昭和14年〉旧制畝傍中学校(現・奈良県立畝傍高等学校)卒。卒業後は住友金属に入社。1947年〈昭和22年〉に退社し、家業の米穀肥料店で働く。1979年〈昭和54年〉奈良県議会議員に当選。3期務め、1988年〈昭和63年〉に副議長に就任した。1991年〈平成3年〉橿原市長選挙に立候補するが、落選。1992年〈平成4年〉現職の辞職による市長選挙に立候補し、当選する。市長を1期務め、1995年〈平成7年〉に退任した。
金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月1… 金春 信高(こんぱる のぶたか、1920年(大正9年)4月12日 - 2010年(平成22年)8月7日)は、シテ方金春流能楽師。七十九世金春流宗家。 七十八世金春八条(光太郎)の長男として奈良に生まれる。1942年に関西大学専門部第二部国漢科卒業。1951年に宗家を継承。1956年東京に拠点を移す。東京における流派の活動基盤整備を進めるとともに、金春流では廃絶していた能演目を復曲して流勢挽回を図った。また謡本の刊行を担当し、他流に比べて遅れていた謡本の改訂を行った。女性能楽師の育成にも尽力。能楽協会理事長・日本能楽会会長を歴任。1990年4月、勲四等瑞宝章。2010年パーキンソン症候群のため死去。
戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1… 戸田 与三郎(とだ よさぶろう、1920年2月20日 - 1986年)は、奈良県出身のプロ野球選手(三塁手)、高校野球監督。 畝傍中学(現・奈良県立畝傍高等学校)卒業後、1939年3月10日に南海軍に入団。翌1940年に一軍出場を果たし、3月18日の巨人戦(西宮球場。トリプルヘッダーの3試合目だった)で初出場。しかし、自身の成績不振と戦局の悪化に伴い、一軍出場の期間は約1ヶ月と短く、4月20日の名古屋軍(鳴海球場)が最終出場となった。1940年シーズン終了後、軍に入営し、そのまま現役引退した。 戦後は、奈良県立高田高等学校の監督に就任。高田高校を1955年春の甲子園に導き、ベスト4に入る健闘をみせた(準決勝で稲川東一郎率いる桐生高〈この大会準優勝〉に3-6で惜敗)。
堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)… 堀池 春峰(ほりいけ しゅんぽう、本名:堀池 義也(よしや)、1918年(大正7年)12月8日 - 2001年(平成13年)8月31日)は、東大寺の僧、職員、仏教学者、古文書研究者、大学講師・教授。東大寺史研究所長。 1918年(大正7年)12月8日、東大寺修二会の三役の一つの会計職などの「小綱」(しょうこう)を代々、務めてきた堀池家に長男として生まれる。1936年(昭和11年)3月、旧制奈良県立奈良中学校(現・奈良県立奈良高等学校)を卒業。同年4月6日、雲井春海東大寺管長のもと得度し、僧名を春峰とする。翌年2月に東大寺小綱職となり、1980年までほぼ毎年、同寺二月堂の修二会(お水取り)に42回参籠する。
福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 19… 福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。工学博士。奈良県奈良市出身(大和郡山市出身の説もある)。大阪市西成区育ち。
堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 20… 堀内 俊夫(ほりうち としお、1918年2月16日 - 2009年10月26日)は、日本の政治家。環境庁長官(第19代)、参議院議員(3期)、奈良県天理市長(第3代)。 奈良県天理市生まれ。1938年、奈良師範学校(現奈良教育大学)専攻科卒業。 1966年、奈良県天理市長に初当選。天理市長在任中は近畿市長会会長も務める。1975年秋の褒章で県議会議員や市長として公共の福祉に奉仕し地方自治の発展に貢献したとして藍綬褒章受章。1976年、参議院奈良県選挙区補欠選挙に自由民主党公認で立候補し、当選。以後参議院議員を3期務める。1982年、参議院文教委員長に就任。1987年、竹下内閣で環境庁長官に任命される。
森 義視(戸籍名:義己、もり よしみ、1917年〈大正6年〉… 森 義視(戸籍名:義己、もり よしみ、1917年〈大正6年〉6月6日 - 1977年〈昭和52年〉3月8日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員、奈良県橿原市長。 奈良県高市郡鴨公村大字高殿(現橿原市高殿町)出身。1935年(昭和10年)奈良県立畝傍中学校(現奈良県立畝傍高等学校)を卒業した。 大阪大丸に入社。兵役に就き陸軍大尉に昇進。 1946年(昭和21年)労動運動に参画。奈良県労働組合総連合初代事務局長、同県全労協初代事務局長、同県山林組合書記長、同県地方労働委員、奈良総評初代専従副議長同事務局長、同県中小労連委員長などを歴任。その他、女子大附属小・中・高育友会長、奈良県陸上競技協会副会長を務めた。
槇野 勇(まきの いさむ、1917年(大正6年)4月18日 … 槇野 勇(まきの いさむ、1917年(大正6年)4月18日 - 1994年(平成6年)11月2日)は、日本の警察官僚。警視総監。位階は正四位。 奈良県、現在の五條市出身。1935年奈良県立五條中学校(現奈良県立五條高等学校)を経て、[要出典]第一高等学校を卒業。1941年10月、文官高等試験行政科試験に合格。同年12月、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。内務省に入省し東京府属となる。 短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年に復員。 内務省に復帰し内務省調査局調査課に配属。1953年、国家地方警察滋賀県本部警察隊長に就任。
田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 20… 田村 圓澄(たむら えんちょう、1917年1月2日 - 2013年7月10日)は、日本史学者、仏教史学者、九州大学名誉教授。
田中 信英(たなか のぶひで、1916年(大正5年)12月1… 田中 信英(たなか のぶひで、1916年(大正5年)12月18日 - 1995年(平成7年)2月5日)は、昭和から平成初期の警察官、政治家。大和高田市長(在職1991年10月5日~1995年2月5日)。位階は従五位。 市営温泉さくら荘、市民文化会館事業を立ち上げた。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月… 好川 三郎(よしかわ さぶろう、1916年〈大正5年〉10月11日 - 1983年〈昭和58年〉4月4日)は、日本の陸軍軍人、政治家。奈良県橿原市の初代市長をつとめ、紀元節復活運動に尽力し、「紀元節市長」として全国的な知名度を有した。 1916年(大正5年)10月11日生まれ。 畝傍中学校(旧制、現・奈良県立畝傍高等学校)2年修了、陸軍幼年学校、陸軍士官学校(50期)を経て陸軍大学校(60期)を卒業。陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となり小隊長、中隊長として満州・中支に従軍。その後、陸軍参謀となり陸軍少佐として終戦を迎える。1947年(昭和22年)11月28日、元陸軍将校として公職追放指定。戦後は服飾学校「八木ドレスメーカー女学院」を経営した。
長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 199… 長谷川 治(はせがわ おさむ、1916年6月9日 - 1993年5月10日[1])は、和歌山県出身の元プロ野球選手、高校野球監督。ポジションは投手。
吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日… 吉本伊信(よしもと いしん、1916年(大正5年)5月25日 - 1988年(昭和63年)8月1日)は、内観法(内観療法)の創始者。奈良県大和郡山市生まれ。奈良県立郡山園芸学校(現奈良県立郡山高等学校)卒。実業家出身で、浄土真宗木辺派の僧侶、刑務所の教誨師、篤志面接委員としても活躍した。 内観法は精神医学や心身医学に応用され、森田療法と並んで代表的な日本製の精神療法(心理療法)として知られる。なお、白隠の内観法と区別して吉本内観法と呼ばれることもある。 吉本の創始した内観法(単に内観とも)とは次のようなものをさす。 集中内観と日常内観の2つの段階に分けられる。 集中内観は研修所や病院などの静かな部屋に一週間こもり、外界とのやり取りを制限し、自分とかかわりの深い他者(特に母親が重視される)に対して自分がどうであったかを、次の三つの観点から調べるものである。
二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 -… 二瀬川 政一(ふたせがわ まさいち、1916年4月15日 - 1959年8月22日)は、奈良県北葛城郡新庄町(現葛城市)出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は井口 政一(旧姓安川)。最高位は東関脇。身長171cm、体重128kg。得意手は突っ張り、押し、右四つ、寄り。 1931年5月場所初土俵、その後ゆっくりではあったが着実に昇進し、1940年5月場所新入幕を果たした。二の腕から先の柔軟性を生かした突き押し、右四つからの腰の重い寄りを得意とした。ところがこの場所、横綱双葉山をはじめ上位陣に休場者が多く、相手方の横綱男女ノ川の対戦相手を番付の上から数えていくと、二瀬川にあたってしまったので、13日目、前日まで5勝7敗であったのに対戦が組まれ、敗れて負け越してしまった。
大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - … 大西 鐵之祐(おおにし てつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は、元早稲田大学教授。大西鉄之祐とも。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。 早大選手時代のポジションはフランカー。卒業後は東芝に就職するも兵役に就き終戦を迎える。戦後、早大職員から教授へ。後に早大ラグビー部監督に就任する。兄の栄造も早大の選手・監督だった。 1950年度シーズンより早大監督に就任。以後5シーズン監督を務め、1950年、1952年、1953年の各年度において東西学生ラグビーフットボール対抗王座決定戦に勝利し、『全国制覇』をもたらした。また、この第1期監督時代に優勝時に「荒ぶる」を歌唱する伝統が始まった。
大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 19… 大西鐡之祐(おおにしてつのすけ、1916年4月7日 - 1995年9月19日)は元早稲田大学教授。元ラグビー日本代表監督・早稲田大学ラグビー部監督。奈良・郡山中学、早稲田大学卒業。奈良県奈良市出身。
中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 20… 中田 祝夫(なかだ のりお、1915年11月30日 - 2010年4月13日)は、日本の国語学者、筑波大学名誉教授。 奈良県奈良市生まれ。東京文理科大学卒業。1958年「古点本の国語学的研究総論編」で東京教育大学より文学博士の学位を取得。戦後、東京教育大学教授、筑波大学教授、1980年定年退官、名誉教授、愛知大学教授。1986年退職。1989年春、勲三等旭日中綬章受勲。 2010年、心不全のため94歳で死去。 漢文古訓点の権威で、『古語大辞典』編纂のほか、『日本霊異記』の全訳などで知られるが、専門は古辞書で、節用集諸本の影印作成、索引作成を行った。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - … 山内 邦臣(やまのうち くにおみ、1915年5月28日 - 1998年6月17日 )は、英米文学者。京都大学名誉教授。旧姓は「姉嵜 邦臣(あねざき)」。主としてユージン・オニールを研究。 1915年、奈良県奈良市生まれ。旧制奈良師範附属小学校、旧制奈良中学校、旧制高岡中学校を経て、旧制富山高等学校を1935年に卒業。京都帝国大学文学部(英文学専攻)に進み、1938年に卒業した。その後は同大学大学院に進み、1943年まで在籍した。 その後は文学部副手となり、1939年までつとめた。1939年より旧制大谷女子専門学校講師、1940年旧制龍谷大学予科教授、1944年旧制京都府立女子専門学校教授(1946年まで)、旧制第三高等学校教授(1948年まで)。