小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989… 小坂 隆(こさか たかし、1925年8月18日 - 1989年11月26日)は、日本の政治家。広島県竹原市長(1期)。 広島県竹原市出身。広島県立忠海中学校卒業。竹原町議会議員、同市議、同議長となる。その一方、竹原市で中国通運を創業し、社長となる。また、中通冷蔵、中通倉庫を創業し、各社長となる。1986年竹原市長に当選。市長在任中の1989年に死去した。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:政治学/PJ政治)。
田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正1… 田辺 朋之(田邊 朋之、たなべ ともゆき、1924年(大正13年)9月12日 - 2002年(平成14年)12月26日)は、日本の政治家、医師。京都市長。広島県出身。 広島県比婆郡西城町(現在の庄原市西城町)の生まれ。1937年(昭和12年)12歳で大阪に出て旧制四条畷中学(現・大阪府立四條畷高等学校)を経て京都府立医科大学進学。1948年(昭和23年)卒業後、同大学整形外科助手を務めた後、1957年(昭和32年)京都市四条通沿いに田辺医院を開業。1966年(昭和41年)京都府医師会理事から副会長を経て1984年(昭和59年)京都府医師会長就任。 1989年(平成元年)古都税紛争を引き起こした今川正彦前市長の任期切れに伴う京都市長選挙で、2位の共産党推薦の木村万平と321票差の僅差で当選。
増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月1… 増岡 康治(ますおか こうじ、1924年〈大正13年〉8月18日 - 1996年〈平成8年〉12月2日)は、日本の内務及び建設官僚、政治家。参議院議員(3期、自由民主党)。 広島県広島市出身。旧制広島一中、旧制広島高校を経て1946年東京帝国大学工学部土木工学科卒。同年内務省に入る。1948年、建設省発足に伴い同省に移る。1972年北陸地方建設局長、1974年河川局長に就任する。1976年に退官。翌年の第11回参議院議員通常選挙に全国区から自民党公認で立候補して当選した。1981年鈴木善幸改造内閣で大蔵政務次官に就任。1989年の第15回参議院議員通常選挙で落選した。1991年に首都圏建設資源高度センター社長に就任した。
原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 20… 原田 睦民(はらだ むつたみ、1924年6月25日 - 2006年5月18日)は、日本の政治家。全国農業協同組合中央会会長。
河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5… 河合 邦人(かわい くにと、1923年(大正12年)12月5日 - 1983年(昭和58年)10月13日)は、日本の実業家、教育者、政治家。河合塾創始者である河合逸治の二男。 広島県世羅郡世羅町出身。1943年名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒業。高校教師を経て、戦後間も無く父・逸治を助け河合塾の経営に参画。また広島県東広島市の喜久牡丹酒造専務を兼任、のち社長も歴任した。さらに1963年4月に広島県議会議員に初当選(通算4期務めた後、5期目の任期中に病死)。翌1964年、父の後を継ぎ河合塾理事長に就任。当時、名古屋市内に2つだけだった塾を予備校の他、外国語専門学校など積極経営で拡張、のちに河合塾経営に参画した兄・河合斌人と共に1977年、駒場校開校を皮切りに同塾の全国展開を図り三大予備校の1つに育てあげた。
福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月1… 福岡 義登(ふくおか よしと、1923年(大正12年)5月18日 - 2001年(平成13年)3月25日)は、日本の政治家、労働運動家。衆議院議員(4期)、三次市長(4期)などを歴任した。
増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 20… 増岡 博之(ますおか ひろゆき、1923年2月3日 - 2011年7月24日)は、日本の政治家。位階は従三位。 自由民主党衆議院議員(8期)、厚生大臣(第64代)を歴任。元鉄鋼ビルディング代表取締役会長。 広島県呉市出身。増岡組創業者・増岡登作の次男。1948年(昭和23年)早稲田大学政治経済学部卒業。 1948年(昭和23年)増岡組に入り、取締役東京営業所長、1952年(昭和27年)専務。1959年(昭和34年)呉商工会議所会頭に選ばれる。 池田勇人元首相の地盤を継いで1967年(昭和42年)衆議院議員に初当選。以来通算8期。運輸政務次官、自民党交通部会長、衆議院運輸委員長、大蔵委員長の他、議院運営委員会理事、国会対策副委員長などを歴任し、1984年(昭和59年)第2次中曽根内閣の厚生大臣に就任。
岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 20… 岡田 正勝(おかだ まさかつ、1922年12月8日 - 2006年3月5日)は、日本の政治家。広島県福山市出身。民社党衆議院議員。 昭和15年(1940年)満州国撫順工業学校土木科を卒業し、戦後中日本重工業に入社。昭和26年(1951年)三原市議会議員に当選。5期務める。昭和46年(1971年)広島県議会議員に当選。2期を務めた後、昭和54年(1979年)旧広島3区から衆議院議員総選挙に立候補し当選する。当選回数4回。平成2年(1990年)第39回衆議院議員総選挙には立候補せず、引退した。 平成5年(1993年)勲二等瑞宝章を受章。平成18年(2006年)3月5日喉頭癌のため死去。83歳だった。
佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 19… 佐藤 守良(さとう もりよし、1922年3月28日 ‐ 1996年3月7日)は、日本の政治家。衆議院議員・参議院議員を歴任した佐藤公治の父親。 衆議院議員(9期)、農林水産大臣(第8代)、国土庁長官(第20代)、北海道開発庁長官(第60代)、沖縄開発庁長官(第29代)を歴任。 広島県御調郡向島町(現尾道市)出身。尾道商業学校、1947年中央大学法学部英法科卒業。 運輸大臣を務めた永野護の秘書を長く務め、1960年の第29回衆議院議員総選挙に無所属で立候補するが落選。1969年の第32回衆議院議員総選挙で自由民主党公認を得て、再び広島3区から立候補し初当選(当選同期に小沢一郎・羽田孜・梶山静六・奥田敬和・渡部恒三・綿貫民輔・塩崎潤・森喜朗・村田敬次郎・松永光・江藤隆美・中山正暉・浜田幸一など)。
藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3… 藤田 正明(ふじた まさあき、1922年(大正11年)1月3日 - 1996年(平成8年)5月27日)は日本の実業家、政治家。広島地方区選出の自由民主党参議院議員。第16代参議院議長(在任期間・1986年7月22日 - 1988年9月30日)、総理府総務長官、沖縄開発庁長官、自由民主党参議院議員会長を歴任。
村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24… 村上 弘(むらかみ ひろむ、1921年〈大正10年〉9月24日 - 2007年〈平成19年〉3月22日)は、日本の政治家。第3代日本共産党委員長(中央委員会幹部会委員長)。名誉役員。元全逓信従業員組合大阪地方協会会長。 1972年の総選挙で大阪3区(分区前)から初当選、分区後も大阪3区から衆議院議員を通算4期務めた。 広島県因島市(現:尾道市)に、10人兄弟の5番目の子として生まれる。 逓信省逓信官吏練習所行政科を卒業。戦時中は兵士として広島にいた。1947年日本共産党入党。1948年に阪神教育事件で首謀者とされ、占領政策違反で大阪刑務所に服役、1年8ヶ月投獄される。党の50年分裂では所感派に属する。
宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22… 宮澤 弘(みやざわ ひろし、1921年(大正10年)9月22日 - 2012年(平成24年)5月26日)は、日本の内務・自治官僚、政治家。 自治省官房長、行政局長、消防庁長官、自治事務次官、法務大臣(第61代)、参議院議員(3期)、広島県知事(民選第4代)を歴任した。 戦前・戦後に衆議院議員を務めた宮澤裕の次男。内閣総理大臣を務めた宮澤喜一の弟。 自由民主党参議院議員の宮澤洋一の父。母方の祖父は鉄道大臣を務めた小川平吉。 娘の夫は大蔵官僚の加藤秀樹。 広島県福山市出身。宮澤裕の次男。宮澤三兄弟の幼少の頃を知る従姉妹の和田貞子によれば、「三人はいずれも二歳違いで、とても仲の良い兄弟でした。住まいは東京でしたが、夏になると伯父(裕)の故郷であるこの福山に帰ってきて、海水浴などにでかけていました。
久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - … 久保谷 唯三(くぼたに ただぞう、1921年1月25日 - 没年不明)は、日本の実業家、政治家、馬主。 1921年1月25日、広島県竹原町(現竹原市竹原町)で煙草、塩の販売業を営む家庭に生まれる。学校を卒業後、一度大阪府に出たのち長崎県へ向かい、三菱長崎造船所に入社した。1941年には現役兵として下関第72部隊に入隊したが、終戦に伴い除隊となると故郷の竹原に戻った。1946年5月には25歳ながら竹原町議会議員選挙に立候補し2位当選を果たすと、町議会内で起こった不正事件にかかるリコール問題でリコール派の筆頭として活動し議会の解散に持ち込む。翌1947年にトップで再選を果たすと同議会副議長に就任した。
浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 20… 浜本 万三(はまもと まんそう、1920年9月9日 - 2008年1月21日)は、日本の政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 参議院議員(3期)、日本社会党参議院議員会長、参議院社会労働委員長、労働大臣(第60代)などを歴任した。 広島県尾道市出身。向東高等小学校卒業。 広島電気(現:中国電力)に入社後、労働運動に参加した。日本電気産業労働組合広島県支部委員長や広島県労働組合会議議長などを歴任した。 1974年の第10回参議院議員通常選挙で日本社会党から立候補し、初当選を果たした。以来、通算18年(2回落選)の国政生活を送る。社会党右派の系譜に連なる政権構想研究会に所属した。在任中は社会党参議院議員会長や参議院社会労働委員長などを歴任。
多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5… 多賀谷 真稔(たがや しんねん、多賀谷眞稔、1920年1月5日 - 1995年4月9日)は、日本の政治家。日本社会党の衆議院議員、同党書記長。広島県呉市出身。正三位勲一等旭日大綬章。
奥原 義人(おくはら よしと、1916年〈大正5年〉9月9日… 奥原 義人(おくはら よしと、1916年〈大正5年〉9月9日 - 2001年〈平成13年〉11月19日)は、日本の実業家、政治家。元広島県呉市市長。呉信用金庫理事長。寿工業相談役。 広島県呉市出身。1931年、阿賀高小卒、同年に広島海軍第十一航空廠に勤務。1935年、東亜航空工業に転じ、のち取締役。 1945年、寿組社長。1946年、寿農機具製作所社長。1947年、奥原商店取締役。寿工業取締役、常務顧問をつとめた。 1951年、呉市議会議員に当選。1952年、同市議会議長。1961年11月に呉市長に当選。1978年、呉信用金庫入庫、同理事長。 趣味は囲碁、読書、ゴルフ。住所は呉市西中央5丁目。 この項目は、日本の政治家に関連した書きかけの項目です。
荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年… 荒木 武(あらき たけし、1916年3月4日 - 1994年6月15日)は、日本の政治家、広島市市長(第27~30代)。
友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12… 友納 武人(とものう たけと、1914年(大正3年)9月12日 - 1999年(平成11年)11月15日)は、昭和期の厚生官僚、政治家。元千葉県知事、衆議院議員。広島県広島市出身。 小学校教諭の友納友次郎の四男として生まれる。 府立六中・府立高等学校 (旧制)を卒業。 東京帝国大学法学部政治学科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1937年4月に内務省に入省。 埼玉県総務部で勤務の後、兵役で大日本帝国陸軍習志野騎兵第15連隊に見習士官として入営し、ノモンハン事件にも参加している。 陸軍中尉で軍役解除後、滋賀県学務課長、岐阜県庶務課長を経て厚生省保険局健康保険課勤務となり、1947年2月に同課課長。
小林 政夫(こばやし まさお、1914年 <大正3年> 2月… 小林 政夫(こばやし まさお、1914年 <大正3年> 2月16日 - 2000年 <平成12年> 9月15日)は、日本の実業家、政治家。日東製網社長、参議院議員(1期)、福山商工会議所会頭などを歴任した。位階は従四位。孫に衆議院議員の小林史明がいる。 広島県福山町(現・福山市西町)に生まれる。1931年(昭和6年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1938年(昭和13年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。 三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、三井不動産社長の坪井東、一橋大学学長の小泉明らとともに大学の同期会を結成。
武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12… 武田 邦太郎(たけだ くにたろう、1912年(大正元年)12月20日 - 2012年(平成24年)11月15日)は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。日本新党副代表。1998年勲三等旭日中綬章を受章。 広島県福山市生まれ。福岡高等学校を経て、東京帝国大学文学部卒業後、鐘紡に入社。同社農林部に所属し、満洲において農業事業に取り組んでいるとき、職業軍人・石原莞爾と知り合う。これは、武田の従兄に当たる池本喜三夫が石原のブレインであったことも大きいという。 終戦を迎え、石原は生まれ故郷である山形県・鶴岡に戻り、遊佐の鳥海山麓に自給自足の農村共同体である「西山農場」を創設し、理想郷づくりをはじめる。石原が目指した「小さな満洲」建設には、武田や石原の一番弟子で、武田の良きパートナーであった曹寧柱をはじめ全国から「東亜連盟」の理想に共鳴するものが参加。
中川 弘(なかがわ ひろむ、1911年(明治44年)2月20… 中川 弘(なかがわ ひろむ、1911年(明治44年)2月20日 - 2011年3月14日)は、日本の政治家。第9代福山市長(1期)。 広島県沼隈郡神島村(現福山市)出身。1928年(昭和3年)3月、広島県立福山誠之館中学校(現広島県立福山誠之館高等学校)を卒業。蚕糸、削鰹製造業にたずさわる。1940年(昭和15年)3月、中国に渡り天津市で藁工品製造業を営んだ。1945年(昭和20年)、現地応召。 1946年(昭和21年)6月、引き揚げ。公職追放を受けていた元衆議院議員の宮澤裕の薫陶を受けて政治に関与するようになる。 1947年(昭和22年)4月、福山市議会議員に初当選。1951年(昭和26年)4月には広島県議会議員となり、以来1979年(昭和54年)まで連続8回当選を重ねた。
加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月29日 - 19… 加藤 陽三(かとう ようぞう、1910年1月29日 - 1989年6月5日)は、日本の内務及び防衛官僚、政治家。防衛事務次官、衆議院議員(2期)。
岡崎 平夫(おかざき ひらお、1909年(明治42年)2月1… 岡崎 平夫(おかざき ひらお、1909年(明治42年)2月1日 - 1993年(平成5年)12月27日)は、日本の政治家。第22 - 26代岡山市長で、歴代最多の5期務めた。岡山市名誉市民。 旧制府中中学校(現・広島県立府中高等学校)を第1期生として卒業。同級に江草隆繁、浦上豊ら。徳島高等工業学校(現・徳島大学)卒業後、大阪市水道局に就職したが応召、ボルネオで終戦を迎えた。帰国を待つ間に大腸ガンを2度手術、1946年病院船で帰国。 戦後の1947年、大阪に水道工事会社を設立後、翌1948年吹田市水道部長に転職。1952年関西大学第二部法学部を卒業。岡山市水道局長を経て、1963年岡山市長に初当選、以来連続5期20年在任し、歴代の岡山市長では最も長く市長を務めた。
田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 199… 田淵 実夫(たぶち じつお、1909年1月25日 - 1991年3月8日)は、日本の俳人、政治家、民俗学者。 俳号・十風子。広島県三次市生まれ。関西大学卒、京都大学大学院言語学専攻博士課程満期退学。中学、高校、大学教師ののち、1947年、第23回衆議院議員総選挙に旧広島3区から日本社会党公認で出馬し初当選。1949年、落選。広島市立図書館長。広島市文化センター管理者。比治山女子短期大学教授、広島女学院大学教授。広島方言、石垣などを研究した。
永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 … 永野 鎮雄(ながの ちんゆう/しずお、1908年7月25日 - 1982年12月7日)は、日本の僧侶、政治家、参議院議員(1期)。戦後、政財界で活躍した永野一族の一人。 広島県下蒲刈島にある浄土真宗本願寺派弘願寺の生まれ。旧制広島一中、旧制広島高校を経て東北帝国大学卒業後、1939年龍谷大学文学部卒業、1941年に龍谷大学研究科を卒業。自坊の弘願寺住職を継承した後に西本願寺宗務所に勤務し、総務や親鸞聖人大遠忌常務理事などを歴任。1957年には全日本仏教会の代表として当時正式な国交のなかった中華人民共和国を訪問している。 1968年、第8回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補し当選。
崔 栄哲(チェ・ヨンチョル、朝鮮語: 최영철/崔榮哲、190… 崔 栄哲(チェ・ヨンチョル、朝鮮語: 최영철/崔榮哲、1907年8月2日 - 1991年8月5日)は、大韓民国の校長、政治家。初代全羅南道議会(朝鮮語版)議員、第3代韓国国会議員を歴任した。 全南羅州出身。広島県立呉中学校、千葉高等園芸学校卒。羅州金川中学校校長、湖南園芸高等学校(朝鮮語版)校長、国民会全南道支部宣伝部次長・羅州郡支部長、初代全羅南道議会議員などを歴任した。1954年の第3代総選挙では無所属で羅州郡甲選挙区から出馬し当選し、すぐに民主国民党に入党したが、その後自由党に移籍したことで民主国民党と選挙区民から背信の非難を受けた。 1991年8月5日、ソウル市の江南聖母病院で持病により死去。
藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月… 藤原 節夫(ふじわら せつお、1906年〈明治39年〉11月10日 - 1992年〈平成4年〉4月17日)は、日本の新聞記者、官僚、政治家。衆議院議員、総理府総務副長官(事務担当)。 岡山県出身。1932年(昭和7年)東京帝国大学法学部法律学科を卒業した。 時事新報、読売新聞の記者を経て官界に転じ、逓信大臣秘書官、司法大臣秘書官、綜合計画局参事官、戦災復興院事務官、建設省弘報課長、総理府総務副長官(事務)を歴任。臨時恩給等調査会委員、南方同胞援護会設立委員、中央青少年問題協議会副会長、日本民主党事務局長、自由民主党事務局長も務めた。 1958年(昭和33年)の衆議院総選挙で岡山県第2区から自民党公認で出馬するが次々点で落選(ちなみに次点は藤井勝志)、1960年(昭和35年)の総選挙でトップ当選して衆議院議員となるが、この時大規模な選挙違反を起こして運動員や妻が検挙される。
八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 198… 八田 一朗(はった いちろう、1906年6月3日 - 1983年4月15日)は、日本のレスリング選手・指導者、政治家である。日本レスリング界の父であり、参議院議員も務めた。また、1964年東京オリンピック招致にも尽力した。広島県安芸郡江田島町(現・江田島市)出身。
伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39… 伊藤 実雄(伊藤 實雄、いとう じつお、1906年(明治39年)3月25日 - 1984年(昭和59年)4月4日)は、昭和期の農業指導者、政治家。衆議院議員、広島県安芸郡熊野町長。 広島県安芸郡熊野村(現熊野町)で、伊藤忠兵衛の息子として生まれた。1938年(昭和13年)私立山陽中学校(現山陽高等学校)を卒業した。 農業を営む。熊野町会議員、同町長、同町農業会長、広島県農業中央会初代会長、全国農業会議所副会長などを務めた。 1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で広島全県区に無所属で出馬して当選し、日本農民党に所属して衆議院議員に1期在任した。その後、1959年(昭和34年)6月の第5回参議院議員通常選挙で広島県地方区に無所属で立候補したが次点で落選した。
浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月2… 浜井 信三(はまい しんぞう、1905年(明治38年)5月28日 - 1968年(昭和43年)2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年、1959年 - 1967年。渡辺忠雄市長を1期挟み通算4期市長を務めた)。濱井信三とも(胸像の銘文では濵井)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。 広島平和記念都市建設法の成立に力を注ぎ、広島市中区中島町に平和を祈念する公園(広島平和記念公園)の建設、同じく市中心部への幅員100m道路(平和大通り)の建設を打ちだし、現在の広島市の街並みの基礎を造った。
渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9… 渋谷 昇(澁谷昇、しぶや のぼる、1904年〈明治37年〉9月23日 - 1994年〈平成6年〉6月6日)は、日本の実業家・政治家・慈善家。広島県福山市出身。福山市市議会議員。福山通運、ベッセルを創業し、しぶや美術館、福山通運渋谷長寿健康財団、財団法人渋谷育英会を創設した。1956年に紺綬褒章受章、以後、延べ15回受章。 広島県芦品郡有磨村下有地山村(現在の福山市芦田町下有地)に5人兄弟(2男3女)の男(4番目)として、かつて庄屋を務めた旧家に生まれる。父・新太郎は土建業を営み、比較的裕福な家であった。芦田川の治水事業を多く手がけ、地区の中心的な名家であったが、1919年(大正8年)7月に備後地方を襲った未曾有の大水害によって、手がけていた芦田川堤防工事、県道の補修工事、城山 の砂防工事のすべてが跡形も無く崩壊し、大損害をこうむった。
源田 実(げんだ みのる、旧字体: 源田實、1904年(明治… 源田 実(げんだ みのる、旧字体: 源田實、1904年(明治37年)8月16日 - 1989年(平成元年)8月15日)は、日本の海軍軍人、航空自衛官、政治家。海軍では海兵52期を卒業し、最終階級は大佐。戦闘機パイロット、航空参謀を歴任。大艦巨砲主義だった日本海軍内で、いち早く航空機の有用性を見い出し「零戦」「紫電改」の開発に関与。戦争中は、大本営参謀として真珠湾攻撃を立案・指導。これによりアメリカ太平洋艦隊が機能不全に陥り、アメリカが第二次世界大戦に参戦するきっかけとなった。以降、ミッドウェー海戦他、海軍の戦闘に参画。また特攻作戦に深く関与し、第三四三海軍航空隊司令として終戦を迎えた。戦後1954年(昭和29年)空将補として自衛隊入りし、自衛隊では初代航空総隊司令、第3代航空幕僚長を務め、ブルーインパルスを創設した。
宋 能云(ソン・ヌンウン、朝鮮語: 송능운、1903年5月2… 宋 能云(ソン・ヌンウン、朝鮮語: 송능운、1903年5月23日 - 1980年12月27日または12月29日)は、日本統治時代の朝鮮の教員、実業家、大韓民国の政治家。全羅北道議会(朝鮮語版)議員、第5代韓国国会議員。本貫は礪山宋氏。 全羅北道沃溝郡出身。群山公立農林学校、全羅北道教員養成所を経て、1928年広島広陵中学校卒。城山公立普通学校教員を経て、慶尚南道農務課で10余年間勤務した。その後、沃溝郡庁産業技手、朝鮮米穀調査委員、新泰仁中央醸造株式会社社長、自由党所属の全羅北道議会議員、大韓国民会井邑郡副会長、井邑郡酒造組合理事長、新泰仁中高等学校財団理事、国会農林委員を務めた。 1980年12月27日、ソウル市江東区岩寺洞の自宅で持病により死去。
中津井 真(中津井 眞、なかつい まこと、1903年(明治3… 中津井 真(中津井 眞、なかつい まこと、1903年(明治36年)4月1日 - 1986年(昭和61年)9月29日)は、昭和期の政治家。参議院議員(2期)、広島県議会議長、大竹市名誉市民。 広島県比婆郡西城町(現庄原市)で生まれる。1920年(大正9年)広島教育養成所を中退した。 1947年(昭和22年)広島県議会議員に選出され5期在任し、この間、同議長も務めた。その他、自由民主党広島県連幹事長、広島県私立学校審議会会長などを歴任した。1964年(昭和39年)2月、大竹市文化会館建設費として10万円寄付により1966年(昭和41年)10月19日、紺綬褒章受章。 岩沢忠恭の死去に伴い、1966年(昭和41年)1月に実施された第6回参議院議員通常選挙広島県地方区補欠選挙に自民党公認で出馬して初当選し、1968年(昭和43年)7月の第8回通常選挙でも再選され、参議院議員に連続2期在任した。
高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 196… 高橋 等(たかはし ひとし、1903年3月20日 - 1965年8月10日)は、日本の逓信官僚、政治家。位階は従三位。衆議院議員(6期)、法務大臣を歴任。 広島県福山市深津町出身。福山中学校(現・福山誠之館高校)から1921年、第六高等学校を経て1927年、東京帝国大学法科大学英法科卒業。高等文官試験行政科に合格し逓信省入省後、札幌・熊本通信局で幹部を務めた後、逓信省簡易保険局管理課長、商工省金属回収本部総務課長、広島商工局商工部の部長を歴任。また、軍需省では大阪燃料局の局長などを務めた。 終戦後の1949年、旧広島3区から自由党公認で第24回衆議院議員総選挙に出馬し初当選。以降、在職中に死去するまで連続6回当選(当選同期に佐藤栄作・岡崎勝男・前尾繁三郎・橋本龍伍・麻生太賀吉・小渕光平・西村英一・橋本登美三郎・福永健司・塚原俊郎・藤枝泉介・木村俊夫・中川俊思・稲葉修・河本敏夫・森山欽司・床次徳二・有田喜一など)。
山本 長市(やまもと ちょういち、1902年(明治35年)5… 山本 長市(やまもと ちょういち、1902年(明治35年)5月 - 1966年(昭和42年)2月24日)は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。位階は従五位。勲五等瑞宝章。旧姓「柳本」。 広島県深安郡手城村(現福山市手城町・東手城町・南手城町)生まれ。1921年(大正10年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1922年(大正11年)広島師範学校第二部卒業。広島県内の小学校に勤務し、沼隈町立常石小学校、高須小学校、今津小学校、組合立大成館中学校の各校長となり、 沼隈郡校長会会長に就任する。その後、退職し、松永市教育長、松永塩業組合常務理事を経て、1959年(昭和34年)12月松永市長石井謙三の辞職による市長選挙に立候補し、当選する。
内海 清(うつみ きよし、1901年6月12日 - 1977… 内海 清(うつみ きよし、1901年6月12日 - 1977年7月1日)は、日本の政治家。衆議院議員(7期)。 広島県御調郡御調町(現尾道市)生まれ。1921年(大正10年)に広島師範学校を卒業し広島県内で教員として勤務の後、1939年(昭和14年)に日立造船向島工場に入社。日立造船では因島工場総務部長などを務める。1953年(昭和28年)には因島市議会議員に当選。 1955年(昭和30年)第27回衆議院議員総選挙で広島3区から出馬するも落選。1958年(昭和33年)第28回衆議院議員総選挙にて初当選を果たし民主社会党の結党に加わる。1968年(昭和43年)衆議院交通安全対策特別委員長。1971年(昭和46年)秋の叙勲で勲二等瑞宝章受章。
松本 瀧藏(まつもと たきぞう、松本 滝蔵、Takizo F… 松本 瀧藏(まつもと たきぞう、松本 滝蔵、Takizo Frank Matsumoto、1901年3月20日 - 1958年11月2日)は、日本の政治家、教育者。衆議院議員、外務政務次官、内閣官房副長官(政務担当)、明治大学教授などを歴任した。広島県佐伯郡廿日市町(現廿日市市)生まれ。 私生児として生まれる。家族とともに2、3歳からアメリカに渡り、カリフォルニア州フレズノで育つ。アメリカに落ち着くまもなく父が他界。母はレストランを経営する日本人とすぐに再婚。瀧藏はフランク・ナルシマを名乗るようになった。1919年、高校を卒業すると「the Fresno Athletic Club(フレズノ・アスレチック・クラブ)」に日系アメリカ人野球チームを創設した。
佐竹 新市(さたけ しんいち、1900年(明治33年)12月… 佐竹 新市(さたけ しんいち、1900年(明治33年)12月5日 - 1982年(昭和57年)6月20日)は、広島県出身の政治家。衆議院議員を4期務めた。
灘尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月… 灘尾 弘吉(なだお ひろきち、1899年(明治32年)12月21日 - 1994年(平成6年)1月22日)は、昭和時代の内務・厚生官僚、政治家。位階は従二位。 衆議院議長(60・61代)、文部大臣(74・75・77・82・83・90代)、厚生大臣(36代)、自由民主党総務会長(18代)等を歴任した。 1899年12月21日広島県佐伯郡大柿村(のち大柿町、現・江田島市)に生まれる。灘尾家は農業の傍ら、木綿の製造と醤油の醸造を営んでいた。父の灘尾夫子俟(なだお ふじまつ)は、早稲田大学の講義録で独学した後、政治に興味を持ち、地元で村会議員、町会議員、村長を務めた。なお、遠縁に5代目三遊亭圓楽がいる(灘尾弘吉の父方のいとこの妻が、圓楽の母の姉にあたる)。
池田 勇人(いけだ はやと、1899年〈明治32年〉12月3… 池田 勇人(いけだ はやと、1899年〈明治32年〉12月3日 - 1965年〈昭和40年〉8月13日)は、日本の政治家、大蔵官僚。同国58,59,60代内閣総理大臣。 大蔵次官、衆議院議員(7期)、大蔵大臣(第55・61・62代)、通商産業大臣(第2・6・17代)、経済審議庁長官(第3代)、自由党政調会長・幹事長などを歴任した。全日本居合道連盟創立者及び初代会長。 大蔵官僚を経て終戦後まもなく政界入りすると、吉田茂の右腕として頭角を顕し、第3次吉田内閣の外交・安全保障・経済政策に深く関与した。佐藤栄作と並ぶ「吉田学校」の筆頭格である。保守合同後は自民党の宏池会の領袖として一派をなし、1960年に首相に就任した。
石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月… 石井 謙三(いしい けんぞう、1899年(明治32年)10月7日 - 没年不明)は、日本の政治家。広島県松永市(現・福山市)長(2期)。 広島県松永町(のち松永市、現・福山市)出身。1918年(大正7年)旧制広島県立福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。旧制第六高等学校を経て、1925年(大正14年)東京帝国大学文学部英文学科卒業。翌年広陵中学校(現・広陵高等学校)教諭を経て、熊本県立中学済々黌(現・熊本県立済々黌高等学校)教諭、1929年(昭和4年)佐賀県立武雄中学校(現・佐賀県立武雄青陵中学校・武雄高等学校)、同佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、山口県立豊浦中学校(現・山口県立豊浦高等学校)各教諭を経て、1942年(昭和17年)山口県立萩中学校(現・山口県立萩高等学校)校長となる。
沖森 源一(おきもり げんいち、1899年8月25日 - 1… 沖森 源一(おきもり げんいち、1899年8月25日 - 1951年8月14日)は、大正・昭和期の内務官僚・政治家。最終学歴は高等小学校ながら、高等文官試験に合格して内務官僚となり、最後は佐賀県知事を務めた。 広島県御調郡市村(現在の尾道市)出身。高等小学校卒業後、苦学の末に高等文官試験に合格して内務省へ入った。香川県経済部長・岡山県経済部長・長野県内務部長を歴任後、1945年10月27日に官選知事として佐賀県知事に就任した。ところが翌1946年7月8日になって食糧供出に非協力的であるとして更迭された。その後、新憲法下の最初の知事選挙に立候補し、沖森の後任官選知事であった戸沢盛男らを破って当選を果たした。
林 興一郎(はやし こういちろう、1899年3月1日 - 1… 林 興一郎(はやし こういちろう、1899年3月1日 - 1965年1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。 広島県出身。1919年広島県立忠海中学校(現・広島県立忠海高等学校)卒。漁業を営み、広島県水産会長、同漁業組合連合会長、瀬戸内海水産連合会理事長、中央水産業会理事、中国五県水産連合理事長、倉橋島漁業会長を務め、広島県会議員、同県議会議員、同議長を務めた。 1946年の第22回衆議院議員総選挙で広島県から諸派で立候補したが次点で落選する。しかし、6月に同じ選挙区から当選した田中貢の辞職により、繰り上げ当選となった。当選後は協同民主党に入った。翌1947年3月には国民協同党と変わり、国民協同党代議士会副会長となった。
山田 節男(やまだ せつお、1898年12月26日 - 19… 山田 節男(やまだ せつお、1898年12月26日 - 1975年1月8日)は、広島県出身の政治家。広島市長、参議院議員。
大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)… 大宮 伍三郎(おおみや ごさぶろう、1897年(明治30年)10月17日 - 1957年(昭和32年)6月14日)は、大正から昭和期の新聞編集者、実業家、政治家。衆議院議員(2期)。号・呉山楼。 広島県沼隈郡赤坂村(現福山市)で、大宮亀吉の長男として生まれる。1921年(大正10年)5月、名古屋新聞東京支局に入社し、その後明治大学で学んだ。 1925年(大正14年)名古屋新聞東京支局長に就任し、新聞広告の分野でその才能を発揮した。その後、名古屋本社に転じ専務理事に就任した。戦時下に入り新聞統制が強化されて日本新聞連盟が成立し名古屋新聞から大宮が派遣され、新聞用紙の供給減に対処するため共販制を考案してその実現に尽力した。
永山 忠則(ながやま ただのり、1897年(明治30年)10… 永山 忠則(ながやま ただのり、1897年(明治30年)10月14日 - 1984年(昭和59年)6月13日)は、昭和期の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、自治大臣・国家公安委員会委員長、広島県庄原市長を歴任した。勲一等旭日大綬章受章(1969年)。広島県比婆郡敷信村(現・庄原市)出身。庄原市名誉市民(1981年)。 広島県立広島中学校(現・広島県立国泰寺高校)出身で岩畔豪雄と同級。1924年に中央大学法学部予科を卒業後、女子師範学校の教師を務めた。1926年、20代で敷信村(現・庄原市)村長となり、八期務めた。その後、広島県議会議員を経て1936年の第19回衆議院議員総選挙に昭和会公認で初当選。
松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6… 松本 俊一(まつもと しゅんいち、1897年〈明治30年〉6月7日–1987年〈昭和62年〉1月25日)は、昭和期の外交官・政治家。 台湾台北で、実業家・松本勝太郎の長男として生まれ、広島県呉市広育ち。広島県立呉中学校(呉三津田高校)、一高を経て経て、1921年(大正10年)東京帝国法学部卒業し外務省入省。 在ベルギー外交官補、アントワープ領事官補、条約局、在フランス大使館を経て、条約局第二課長、条約局第一課長、人事課長、在中華民国大使館参事官、文化事業部長、条約局長を歴任。 1942年(昭和17年)、重光葵外務大臣下で外務次官。フランス領インドシナ特派大使を経て1945年に東郷茂徳外務大臣下で再び外務次官となり内閣書記官長の迫水久常らと終戦処理にあたった。
重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 19… 重政 誠之(しげまさ せいし、1897年3月20日 - 1981年6月3日)は、日本の農商務官僚、政治家。元衆議院議員。従三位勲二等旭日重光章。参議院副議長を務めた重政庸徳は兄で、安倍源基は親戚。 広島県深安郡神辺町(現福山市)に生まれる。広島県立福山中学(現・広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部を卒業後、1923年、農商務省に入省。小磯内閣の農商次官、農業報国会理事、東久邇宮内閣の農林次官を歴任、商工省の岸信介とともに官僚の双璧と言われた。戦後は占領軍に公職追放された。1948年9月10日には昭和電工疑獄事件で嫌疑がかけられ逮捕され、一部無罪となるものの懲役1年・執行猶予1年が確定した。
岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1… 岸田 正記(きしだ まさき、1895年〈明治28年〉12月1日 - 1961年〈昭和36年〉6月3日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。幾久屋百貨店店主。 元衆議院議員岸田文武の父。元広島県知事宮澤弘(元内閣総理大臣宮澤喜一の実弟)の岳父。元科学技術庁長官岩動道行は妻・和子の従姉妹。衆議院議員で第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄と参議院議員宮澤洋一は孫。 広島県賀茂郡西志和村(現:東広島市)出身。岸田幾太郎の長男。西志和高等小学校卒業。1913年(大正2年)、広島県立広島商業学校卒業。広商時代の同級生に大木惇夫がいる。長崎高等商業学校、京都帝国大学法学部卒業。在学中の1922年(大正11年)高等文官試験行政科合格。