谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月… 谷口 義幸(たにぐち よしゆき、1943年(昭和18年)5月6日 - 2017年(平成29年)1月8日)は、日本の政治家。宮崎県日南市長(新市制、1期)。 宮崎県立日南高等学校、岡山大学農学部卒業。衆議院議員公設秘書を15年つとめたのち、学生支援にとりくむ民間企業に勤務。 2004年(平成16年)、旧日南市長選挙に出馬し当選。同年7月20日に第15代旧日南市長に就任。2008年(平成20年)6月29日執行の同市長選において2期目の当選。 2009年(平成21年)3月30日、旧制の日南市が北郷町、南郷町と合併して新しい日南市が誕生する。それに伴って同年4月26日執行の日南市長選挙に出馬し、当選。 2013年(平成25年)4月14日執行の日南市長選挙に出馬するも、前宮崎県職員の崎田恭平に敗れ、落選。
夏海 千佳子(なつみ ちかこ、1943年2月28日 - )は… 夏海 千佳子(なつみ ちかこ、1943年2月28日 - )は、日本の女優。宮崎県日向市出生[要出典]。東京都足立区出身[要出典]。本名は奥野 和子(旧姓:仮野)。旧芸名は可能 かづ子、可能 かずこ、可能 かず子。 日活、文学座などに所属した正統派の女優だが、ピンク映画にも出演した。特技は英会話。1965年に出演した若松孝二監督『壁の中の秘事』に可能かづ子名義で主演し、注目された。同作品はベルリン映画祭で公開されたことでも話題になった。
秋田 佐知子(あきた さちこ、1943年2月14日 - 20… 秋田 佐知子(あきた さちこ、1943年2月14日 - 2006年1月25日)は、日本の脚本家。 宮崎県延岡市出身。7人きょうだいの五女。高校生時代から、地元の映画館に足繁く通う。1965年に日本大学芸術学部放送学科を卒業。一旦故郷の宮崎で教職に就いた後、1968年に再上京してシナリオ学校に入学。友人の紹介で出会った脚本家の西澤裕子の推薦で、1971年に電通に入ってラテ局のアシスタントとなり、実質的にドラマの企画製作に参加することになる。1978年の『微笑』(TBS)が、単独脚本での初作品といわれる。 2006年1月25日、癌のため死去。 太字は、単独脚本と思われるもの この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2… 三宅 理一郎(みやけ りいちろう、1943年1月2日 - 2021年7月7日)は、日本の経営者。宮崎日日新聞社社長を務めた。宮崎県東諸県郡国富町出身。 1966年に國學院大學を卒業し、同年4月に宮崎日日新聞社に入社。 1998年に取締役に就任し、常務を経て、2006年6月には社長に就任。2010年6月には特別顧問に就任。 2021年7月7日誤嚥性肺炎のために死去。78歳没。
寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 201… 寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 2011年2月4日)は、宮崎県出身のプロ野球選手(外野手、一塁手)、野球指導者。
山田 忠男(やまだ ただお、1942年8月20日 - 199… 山田 忠男(やまだ ただお、1942年8月20日 - 1999年5月31日)は、宮崎県日南市油津出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。 日南高校では1960年夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、都城都島高に敗れ南九州大会へは進めなかった。1961年に大洋ホエールズへ入団。 大洋の捕手陣には土井淳、伊藤勲らがおり、活躍の場は少なかったが、1968年には伊藤に次ぐ二番手捕手として17試合に先発マスクを被る。1971年限りで引退した。 1999年5月31日に死去。享年56。
疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日… 疋田 拓(ひきだ たく、ひきだ ひらく、1942年8月10日 - 2025年10月15日または10月16日)は、日本のテレビプロデューサー、テレビディレクター。プロデュース&ディレクション(P&D)代表取締役。 本名は漢字表記は同じで「ひきだ ひらく」と読む。宮崎県日向市出身。日本大学芸術学部放送学科卒業。フジテレビ、テレビ朝日でプロデューサーを務めた。 1968年、日本大学芸術学部放送学科卒業後、NHKに契約職員として入局。その後フジテレビへ中途入社。フジテレビ入社直後に始まった歌謡番組『夜のヒットスタジオ』(『夜ヒット』)に技術担当のADとして参加[要出典]。1973年からはディレクター[要出典]、1976年から1987年6月までプロデューサーとして約20年もの長きにわたって構成作家の塚田茂とともに番組製作の中枢を担い続けた。
上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月… 上杉 光弘(うえすぎ みつひろ、1942年〈昭和17年〉4月12日 ‐ )は、日本の政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(3期)、宮崎県議会議員(2期)、自治大臣(第50代)、国家公安委員会委員長(第60代)を歴任した。 宮崎県西都市生まれ。1961年宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。1966年東京農業大学社会通信教育部農業科修了。1971年、宮崎県議会議員に当選(2期)。1983年、衆院選に宮崎1区から立候補するが、落選。1986年、参議院議員に初当選し以後3期連続当選。 1990年に第2次海部内閣で大蔵政務次官、1997年に第2次橋本内閣改造内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長、1998年に小渕内閣で内閣官房副長官など要職を歴任。
土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明… 土谷 和夫(つちや かずお、1942年4月3日 - 没年不明)は、日本の陸上競技(長距離走)選手。実業団を経て日本大学に入学し、1960年代にトラック競技やロードレースで活躍。のちにプロ野球のトレーニングコーチを務めた。 宮崎県出身。宮崎商業高校から八幡製鉄に所属し、1962年・1963年には全日本実業団駅伝に出場し区間賞を獲得している。日本大学に入学。 1964年4月に毎日マラソン(日本選手権大会・1964年東京オリンピック代表選考会を兼ね、オリンピックのマラソンコースで行われた)に出場、4位入賞。2位の円谷幸吉はマラソンを始めたばかりであり、4位の土谷がマラソン代表に選出される可能性もあったが、最終的には着順通り3人が代表選手に選ばれた。
南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は… 南園 克己(みなみぞの かつみ、1942年1月3日 - )は、日本の経営者。日東紡社長。日本紡績協会会長。宮崎県都城市出身。
隼 ジュン(はやぶさ ジュン、1941年11月23日- 本名… 隼 ジュン(はやぶさ ジュン、1941年11月23日- 本名:中竹英孝)は、日本のコメディアン。長男はタレントでパントマイマー・ヘブンアーティストのクラッチ。 宮崎県串間市出身。国士舘大学・体育学部卒業。大学卒業後に芸能界デビュー。大学時代は体操の東京五輪強化選手だったが収入が無く芸能界に興味津々となり、芸能界入り後はショーの世界に入り日劇にも出演、更には大学の体操仲間らとスポーツショーのチームを組み舞台に出演。吉本興業にも所属し、「隼ジュン&ダン」として寄席とテレビ出演をする。吉本興業退社後は「隼ブラザーズ」を結成し、地道な芸能活動を展開している。
佐藤 勇夫(さとう いさお、1941年(昭和16年)10月4… 佐藤 勇夫(さとう いさお、1941年(昭和16年)10月4日-)は日本の銀行家。宮崎銀行元頭取。 1941年(昭和16年)10月4日、宮崎県に生まれる。宮崎大宮高校、1964年(昭和39年)に法政大学経営学部を卒業し、宮崎銀行に入行する。 1991年(平成3年)6月に福岡支店長、1993年(平成5年)6月に延岡支店長、1995年(平成7年)6月に取締役東京支店長兼国際部長、1997年(平成9年)6月に取締役総合企画部長、1998年(平成10年)6月に常務取締役、2000年(平成12年)6月に代表取締役専務を経て、2001年(平成13年)6月代表取締役頭取に就任する。2008年(平成20年)6月に代表取締役会長に就任し、その後相談役に退いた。
米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、… 米良 成志(めら しげゆき、1941年9月21日 - )は、日本の政治家。宮崎県東臼杵郡門川町長(1期)。 宮崎県立富島高等学校卒業。農業を経て門川町議会議員に当選。門川町議会議長も務めた。 2002年4月より門川町長を務める。町長在任中に門川町職員の公金横領が発覚した。これをすぐに公表せず、さらに職員を処分せず依願退職にした町長の責任問題に発展した。この問題が焦点となった2006年4月の町長選で新人の曽川泉に敗れた。
河野 正輝(かわの まさてる、1941年7月26日- )は、… 河野 正輝(かわの まさてる、1941年7月26日- )は、日本の法学者。専門は社会保障法。法学博士(九州大学・論文博士・1988年)(学位論文)。九州大学名誉教授。 日本障害法学会代表理事(2016-2020年・初代)、日本社会保障法学会代表理事(2000-2002年)、九州大学法学部長(1996-1998年)、日本学術会議会員(第19期)などを務めた。
佐伯 浩(さえき ひろし、1941年7月1日 - ) は、日… 佐伯 浩(さえき ひろし、1941年7月1日 - ) は、日本の工学者。専門は、海岸工学、湾岸工学、氷工学、寒地海洋工学。 1941年、満洲で生まれた。出身は宮崎県。1960年、宮崎県立宮崎大宮高等学校を卒業し、北海道大学工学部に進学。土木工学科で学び、1964年に卒業。同大学大学院工学研究科土木工学専攻に進み、1966年に修士課程を修了。 1966年、北海道大学工学部講師に就いた。1968年に同助教授に昇格。1983年、学位論文『海氷の強度特性と海岸・海洋構造物の耐氷設計法に関する研究』を北海道大学に提出して工学博士号を取得。翌1984年、北海道大学工学部教授に昇格。2007年、第17代北海道大学総長に就任した。
田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は… 田島 日出雄(たじま ひでお、1941年6月22日 - )は、宮崎県延岡市出身の元騎手・調教助手。 元騎手・調教助手の田島裕和は子。 中学の先輩には矢野一博、後輩には大崎昭一・安田伊佐夫がいる。 1959年10月3日に阪神・武輔彦厩舎からデビューし、京都第8競走4歳以上20万下・ビガラス(7頭中3着)で初騎乗を果たす。11月1日の阪神第8競走4歳以上50〜60万下・バアムランドで初勝利を挙げ、菊花賞でも同馬に騎乗し、1年目にして八大競走及びGI級レース初騎乗を果たす。1年目の同年は初騎乗が遅いこともあり3勝に終わるが、2年目の1960年には6勝、3年目の1961年には初の2桁で20勝台となる23勝(平地17勝, 障害6勝)を挙げる。
やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、19… やまさき 十三(やまさき じゅうぞう、本名:山崎 充朗、1941年6月19日 - )は、日本の漫画原作者。代表作は画:北見けんいちにより『ビッグコミックオリジナル』(小学館)にて連載されている『釣りバカ日誌』。 宮崎県都城市に7人きょうだいの3男として生まれる。実家は学校教材等を取り扱う大規模な文具店の山崎文科堂で、『釣りバカ日誌』にてハマちゃんの実家「浜崎文科堂」として登場したが、2013年12月18日に火災被害に遭い全焼している。 中学時代は野球部で投手を務めて宮崎県大会で優勝し、野球の才能を見込まれて宮崎県立宮崎大宮高等学校へ進学、1年生のときには補欠で甲子園に出場した。しかし、2年生で腰を痛めて野球を挫折し、加えて肺浸潤で2か月の入院生活をした後に映画を観るようになる。
山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )… 山元 泰生(やまもと たいせい、1941年6月12日 - )は、日本の作家、ライター。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校、早稲田大学第一文学部に学ぶ。編集者ののち文筆家。国際問題、社会事件、歴史人物などについて執筆する。
武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 200… 武上 四郎(たけがみ しろう、1941年4月8日 - 2002年8月23日)は、宮崎県宮崎市出身のプロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 中学時代から子分を40人も持つガキ大将で、進学校の宮崎大宮高校では100m走を10秒9で走る俊足であった。1年次の1957年に夏の甲子園に出場しているが、自身の出場はなかった。 高校卒業後は1961年に中央大学へ進学し、東都大学野球リーグでは3年次の1963年秋季リーグ、4年次の1964年秋季リーグと2度の優勝を経験。3年時のエースは三浦宏(北海道拓殖銀行)であった。1964年10月には東京五輪デモンストレーションゲームとして開催された日米大学野球選抜試合に二塁手として出場している。
安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月… 安藤 忠恕(あんどう ただひろ、1941年(昭和16年)3月9日 - 2010年(平成22年)4月30日)は、日本の政治家。公選第16代宮崎県知事。 宮崎県西都市出身。宮崎県立妻高等学校、宮崎大学学芸学部(現在の同学教育文化学部)卒業。 1964年に宮崎県に入庁。総務部人事課長、商工労働部長などを歴任。1998年には県庁を退職し翌年の宮崎県知事選に出馬するも落選。2003年には自営業者や主婦層を支持基盤とした「草の根選挙」を展開し、松形祐堯前知事の後継と目されていた民主党、社民党推薦の牧野俊雄を破り初当選を果たした。2005年10月には公約通り、副知事に元体操選手の坂佳代子が起用された。 だが、2006年11月に発覚した宮崎県官製談合事件の責任を問われ、12月1日に県議会が安藤知事の不信任決議案を賛成40票反対なし欠席2人で可決した後、事件への関与を認めることになるとして一旦は議会を解散させず自らも辞職しないという方針を表明したが、その後辞職の意思を表明し12月4日で知事職を辞職した。
谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の… 谷 克二(たに かつじ、1941年3月5日 - )は、日本の小説家。狩猟冒険小説の第一人者として知られる。 宮崎県延岡市出身。本名は谷 正勝(たに まさかつ)。 1963年、早稲田大学商学部を卒業。ドイツに渡りフォルクスワーゲン社に勤務する。 その後イギリスに渡り、ロンドン大学で歴史経済学を専攻する。 帰国後、創作活動を開始し、1974年の処女作「追うもの」で第1回野性時代新人賞を受賞する。 1978年には『狙撃者』で第5回角川小説賞を受賞する。 『サバンナ』「スペインの短い夏」「越境線」が直木賞候補となる。 現在、テレビ宮崎『MIYAZAKI経済ナビ』の「わが心の宮崎」という、国内のトップ企業の中枢にいる宮崎県出身者に話を聞くシリーズにおいて、聞き手として出演している。
池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日… 池江 泰郎(いけえ やすお、1941年3月1日 - )は、日本中央競馬会(JRA)の元調教師、元騎手で現在は競馬評論家、馬主である。 騎手時代には「逃げの池江」の異名を取り、通算3275戦368勝、うち重賞で17勝を挙げた。代表的騎乗馬にはヤマピットがいる。1979年に調教師へ転身、メジロデュレンによる菊花賞を始めとして数々のGI級競走を制し、1994年にJRA顕彰馬に選出されたメジロマックイーン、日本生産馬として初めて国外の国際GI競走を制したステイゴールド、2005年に中央競馬史上6頭目のクラシック三冠を達成したディープインパクト(JRA顕彰馬)など、数々の活躍馬を手掛けた。2011年に調教師引退。
中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 … 中山 大三郎(なかやま だいざぶろう、1941年2月15日 - 2005年4月7日)は、日本の作詞家、作曲家。 主に演歌、歌謡曲を中心に作詞、作曲を行っていた。 宮崎県北諸県郡高崎町(現・都城市)出身。1995年に結婚した三佐子夫人は、アナウンサー小川宏の次女。 宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。法政大学在学中、作詞家の星野哲郎に師事、作曲家としての活動を始める。 クラウンレコードの専属作曲家を経て、尾形大作の『無錫(むしゃく)旅情』、島倉千代子の『人生いろいろ』、天童よしみの『珍島(ちんど)物語』などの大ヒット曲を作詞、作曲した。 また、別名義に水沢圭吾・なかやま和郎・山下孝一郎がある。 テレビのワイドショーのコメンテーター(TBSテレビ『3時にあいましょう』『スーパーワイド』など)としても活躍する一方で、1989年から日本作詩家協会の常務理事を務めていたが、1999年に癌であることを公表した。
長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、… 長峯 基(ながみね もとい、1941年2月11日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(1期)。宮崎県都城市出身。元参議院議員・元都城市長の長峯誠は長男。 1965年に福岡大学薬学部を卒業、山之内製薬に入社する。 1979年に宮崎県議会議員に初当選。以後4期を務める。1990年には宮崎県議会副議長に就任。 1995年7月、第17回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で宮崎県選挙区より出馬し初当選。総理府総括政務次官などを歴任。 2001年7月の第19回参議院議員通常選挙では、自民党宮崎県連幹部による投票の結果自民党の公認を得られず無所属で出馬。自民党公認の小斉平敏文に敗れる。 2004年7月の第20回参議院議員通常選挙では自民党公認候補である上杉光弘を支援せずに、長峯の元公設秘書である松下新平を応援したため、公示日後に自民党宮崎県連から除名処分を受ける。
藤元 登四郎(ふじもととしろう、1941年-)は、日本の小説… 藤元 登四郎(ふじもととしろう、1941年-)は、日本の小説家、医師。 宮崎県都城市出身。東京大学医学部卒業。医学博士(東京大学)。社団法人八日会 元理事長。一般社団法人藤元メディカルシステム 元理事長。日本SF作家クラブ会員。 2008年「『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と精神病理学」で第四回日本SF評論賞候補。2009年「スキャナー・ダークリーと多重人格」で第五回日本SF評論賞候補。2010年「『高い城の男』――ウクロニーと「易経」」で日本SF評論賞選考委員特別賞受賞。 2021年「祇園『よし屋』の女医者」(小学館文庫)で作家としてデビュー。同作により、2022年啓文堂書店時代小説文庫大賞を受賞。
小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - … 小山田 浩定(おやまだ ひろさだ、1940年9月29日 - )は、日本の実業家。総合メディカル創業者。元総合メディカル代表取締役社長、現相談役(2020年10月現在)。 東京都葛飾区亀有生まれ。東京大空襲後、鹿児島県に疎開し、日本の降伏後、宮崎県都城市に転居した。1959年宮崎県立都城泉ヶ丘高等学校卒業。1961年三共(現第一三共)に入社した。その後1971年に入社した日医リースを経て、1978年総合メディカル設立、専務取締役就任。 1980年同社代表取締役専務。1990年同社代表取締役社長。2004年同社代表取締役会長。2012年同社取締役相談役。2017年同社相談役。 2002年社団法人九州・山口経済連合会(現一般社団法人九州経済連合会)評議員(現審議員)(~2006年) 2004年日本保険薬局協会(現一般社団法人日本保険薬局協会)設立時に総務委員長 2004年社団法人日本経済団体連合会(現一般社団法人日本経済団体連合会)評議員(現審議員)(~2013年) 2007年在福宮崎県人会会長 2009年福岡ベンチャークラブ会長 2009年在福岡スペイン国名誉領事館名誉領事(~2017年) 2011-2012年度国際ロータリー第2700地区ガバナー 2012年ピエトロ創業者村田邦彦、ふくや川原正孝、古賀マネージメント総研古賀光雄らと福岡市創業者応援ファンドを設立
柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHI… 柴田 紘一郎(しばた こういちろう、Koichiro SHIBATA、1940年5月6日 - 2025年2月19日)は、日本の医師、医学者、随筆家。公益財団法人「風に立つライオン基金」 永久名誉顧問。さだまさしの歌および小説、またそれを原作とした映画『風に立つライオン』のモデルとなった人物。
岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は… 岩下 光一(いわした こういち、1940年3月4日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。
田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年… 田原 祥一郎(たはら しょういちろう、1939年(昭和14年)11月5日 - 2025年10月7日)は、日本のテノール歌手。大阪音楽大学名誉教授。元武庫川女子大学音楽学部長。関西二期会名誉会員。神戸音楽家協会会員。 東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学大学院音楽研究科声楽専攻修了。 宮崎県延岡市出身。宮崎県立延岡高等学校を卒業。1963年に東京芸術大学音楽学部声楽科を卒業。1966年に同大学大学院オペラ科修了。同年の第1回民音コンクール1位、第35回毎日音楽コンクール声楽部門2位、同海外派遣特別審査会1位・松下賞受賞。 1968年よりイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。チェコスロバキア・プラハにて、ペーター・マークの指揮によるオラトリオ「アブラモとイザッコ」のアブラモ役としてレコーディングを行う。
森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日… 森 和風(もり わふう、1939年3月25日 - 別号「日向和風(ひむかわふう)」「槐山人(かいさんじん)」)は、宮崎県西都市生まれの書作家。「現代書道の父」と呼ばれた巨匠・比田井天来門・四天王(桑原翠邦・金子鷗亭・手島右卿・上田桑鳩)の一人で、近代詩文書を提唱して文化勲章を受章した「近代詩文書の開祖」金子鷗亭に師事。書歴60年。1976年より現在に至るまで世界30ヶ国・計80回以上の文化交流を続ける世界的女流書作家。 1939年3月25日、製氷業・食品加工製造業の事業主・森永薫/朝江の長女として宮崎県西都市に生まれる。1945年、6歳で国民学校に入学。1950年、大相撲地方巡業時、佐渡ヶ嶽親方に依頼され、琴錦と弟子を預かり世話をした際に、色紙に書いてもらった書を見て感銘を受け、書の道に進むきっかけとなる。
克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2… 克美 しげる(かつみ しげる、1937年12月25日 - 2013年2月27日)は、日本の歌手。本名は津村誠也(つむら せいや)。1975年から1976年にかけては芸名を『克美 茂』と表記していた。
永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2… 永友 一美(ながとも いちみ、1937年11月10日 - 2008年7月15日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元宮崎県議会議員(4期)。 宮崎県児湯郡川南町出身。宮崎県立高鍋農業高等学校卒業。農業を経て1991年4月に宮崎県議会議員に初当選し、以後4期連続当選を果たす。2003年4月には県議会副議長に就任。 2006年4月には宮崎県議会自由民主党会長に就任。2007年1月に東国原英夫宮崎県知事に就任して以降は、「改革派知事」と「保守王国のドン」との対決として注目された。2月の県議会では知事に最初に代表質問をした政治家となった。知事からは「いちみ(一味)という名前だけあってスパイスの聞いた質問」と挑発された。
克美 しげる(かつみ しげる、1937年〈昭和12年〉7月2… 克美 しげる(かつみ しげる、1937年〈昭和12年〉7月2日 - 2013年〈平成25年〉2月27日)は、日本の歌手。本名は津村 誠也(つむら せいや)。宮崎県宮崎市出身。1950年代に始まったロカビリー・ブームの中、1961年(昭和36年)に『霧の中のジョニー』の日本語カバーでレコードデビューし、漫画映画『エイトマン』の主題歌『エイトマン』や、歌謡曲路線に転向してのちの『さすらい』が大ヒット。1964年(昭和39年)と1965年(昭和40年)には、2年連続で「NHK紅白歌合戦」への出場も果たした。 しかし1976年(昭和51年)、自身の愛人である女性を殺害して死体を遺棄する事件を起こし(克美茂愛人殺害事件)、懲役10年の実刑判決を受ける。
鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月… 鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月5日 - )は、日本のファッションデザイナー。宮崎県小林市出身。 発足間もない東映動画(現・東映アニメーション)にアニメーターとして入社、同社初の長編作品となった『白蛇伝』では大塚康生の斑で動画を担当し、同作完成後に退社した。 ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに留学後、ピエール・カルダンのアシスタントとなる。 英国のダイアナ元妃や、元首相のマーガレット・サッチャーの着用したドレスをデザインした。ダイアナのドレスは1986年の来日時に着用したものが有名である。黒柳徹子と仲が良く、彼女のドレスもデザインしている。
谷山 尚義(たにやま なおよし、1937年 - 2010年7… 谷山 尚義(たにやま なおよし、1937年 - 2010年7月11日)は、株式会社集英社顧問、日本雑誌広告協会理事長。一ツ橋綜合財団理事。宮崎県出身。
藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、… 藤井 治芳(ふじい はるほ、1936年10月1日 - )は、日本の官僚。過去に、日本道路公団総裁・副総裁、建設事務次官、駐車場整備推進機構理事長を歴任。
長友 千代治(ながとも ちよじ、1936年8月25日 - )… 長友 千代治(ながとも ちよじ、1936年8月25日 - )は、日本の国文学者・書誌学者。文学博士(大阪市立大学・論文博士・1989年)(学位論文「近世貸本屋の研究」)。元佛教大学文学部人文学科教授。専門は日本近世文学、特に貸本屋に関する研究。 宮崎県宮崎市生まれ。1960年に佐賀大学文理学部国文学専攻を卒業。1970年に大阪市立大学大学院文学研究科国語国文学博士課程満期退学。 1963年5月から1970年10月まで大阪府立図書館司書。1970年11月から1977年3月まで愛知県立大学兼愛知県立女子短期大学専任講師。1977年4月から1984年3月まで同大学助教授。1984年4月から1990年3月まで同大学教授。
原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日… 原 敕晁(はら ただあき、1936年〈昭和11年〉8月10日 - )は、北朝鮮による拉致被害者である日本人、日本国政府認定の拉致被害者(辛光洙事件の被害者)。北朝鮮の工作員辛光洙(シン・グァンス)らによって拉致された。実行犯工作員が当人になりすますために拉致する、いわゆる「背乗り拉致」の被害者である。 1936年8月10日に長崎県長崎市で原道壽(みちひさ)とカメノの三男として生まれる。北朝鮮が提供した資料では「1936年8月2日、宮崎市生まれ」とあるが誤りである。 本籍は島根県松江市で、原家は1927年に長崎県大村市に移転し、歩兵第46連隊(大村航空隊)相手の物品販売所を営んでいたが、1935年頃、長崎市内に移転した。
友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は… 友川 賢次(ともかわ けんじ、1935年12月9日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 宮崎大宮高校から1953年に洋松ロビンスへ入団。1955年は開幕直後から一軍に上がるが、40打席無安打と不振を極める。しかし8月16日に中日の杉下茂から初安打。その後は主に中堅手として起用され、同年は49試合に先発出場。その後も準レギュラーとして活躍するが、1958年オフに国鉄スワローズへ移籍。1959年限りで引退した。
日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月2… 日野 光幸(ひの みつゆき、1935年〈昭和10年〉10月28日 - 2023年〈令和5年〉10月31日)は、日本の政治家。元宮崎県西都市長(1期)。 宮崎県出身。宮崎高等経理学校(現・鵬翔中学校・高等学校)卒。西都市議会議員を経て、1983年、日本社会党から宮崎県議会議員に当選する。宮崎県議を4期務める。2001年、西都市長選挙に立候補して当選する。市長を1期務め、2005年の市長選挙に立候補し、再選を目指したが、元宮崎県議の橋田和実に敗れた。 2023年10月31日、老衰のため西都市の特別養護老人ホームで死去、88歳。
杉谷 昭人(すぎたに あきと、1935年1月13日 - )は… 杉谷 昭人(すぎたに あきと、1935年1月13日 - )は、日本の詩人。 朝鮮半島鎮南浦府(現北朝鮮南浦特別市)生まれ。戦後宮崎市に引き揚げる。宮崎県立宮崎大宮高等学校、宮崎大学学芸学部卒。本多利通らと「白鯨」「赤道」に拠る。1991年『人間の生活』でH氏賞、2007年『霊山』で壺井繁治賞、2014年『農場』で小野十三郎賞受賞。『詩人会議』『詩と思想』に参加。日本詩人クラブ会員。鉱脈社勤務。
岩村 秀(いわむら ひいず、1934年12月17日 - )は… 岩村 秀(いわむら ひいず、1934年12月17日 - )は、日本の化学者。専門は、有機化学。有機磁性体の開発や、分子機械の先駆的な研究などで知られる。学位は、理学博士(東京大学・1962年)。分子科学研究所名誉教授、東京大学名誉教授、九州大学名誉教授、日本大学大学理工学部客員教授。紫綬褒章・瑞宝中綬章受章。
吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 20… 吉永 忍(よしなが しのぶ、1934年10月22日 - 2000年8月16日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1953年に国営競馬(翌年より日本中央競馬会)で騎手デビューし、1974年まで騎乗。1978年より調教師として開業し、1989年には管理馬サンドピアリスでエリザベス女王杯を制した。2000年に在職のまま死去。 宮崎県北諸県郡高城町出身。農業を営んだ実家では農耕馬を飼養していたが吉永はこれに触れたことさえなく、中学校卒業後には船員として就職が決まっていた。しかし当時身長132cmと非常に小柄で、従兄に騎手をしていた吉永猛がいたこともあり、競馬会の職員を兄にもつ担任教師から騎手になることを勧められる。
棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、… 棚下 照生(たなか てるお、本名:田中 輝夫(読み同じ) 、1934年3月22日 - 2003年)は、日本の漫画家。児童向け剣戟漫画で人気となったが、その後は青年誌に活動の場を移し、「女侠客・股旅もの」の作品を多数発表、映像化作品も多い。代表作は『ヒマラヤ天兵』『めくらのお市物語』『旅がらすくれないお仙』など。妻は元女優の松山容子。 宮崎県延岡市生まれ。16歳のときに単身上京し、戦災で焼けた公衆便所をねぐらにしながら、新聞配達や給仕で生計を立て、独学で漫画を勉強した。1951年、17歳の時『ハンスと魔王』(鶴書房)でデビュー。1959年から1月から1960年6月まで「少年ブック」に連載された『ヒマラヤ天兵』が人気を博し、テレビドラマ化(KRテレビ、1959年8月~1960年9月)。
上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)… 上村 次敏(うえむら つぐとし 1934年 - 1998年)は、日本の画家。逆さ絵や錯視を利用した精密な作品が特徴とされる。 1934年、福岡県久留米市に生まれる。宮崎県立宮崎大宮高等学校を卒業後、1956年に上京。1957年、武蔵野美術学校に入学。1959年、同校在学中に第3回シェル美術賞を受賞する。1961年、丸善石油美術奨励賞選抜展出展。担当教授に卒業課題の卒業制作を有名作家のコピーと誤解されて卒業できず、同校を中退する[要出典]。1962年、第2回太平洋青年美術家展に入選[要出典]。1963年には第3回パリ青年ビエンナーレ展に日本代表として宮脇愛子、渡辺恂三、工藤哲巳らとともに出展。同年、現代日本美術展入選、二紀会同人努力賞受賞。
中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - … 中島 峰広(なかしま みねひろ、1933年12月15日 - )は、日本の農業地理学者、博士(学術)[4]。畑地灌漑・棚田研究の第一人者である[5]。早稲田大学教育学部(社会科地理歴史専修)の教員として長く教鞭を執ったほか、農林水産省日本の棚田百選の選定委員や、棚田学会会長[6][7]、NPO法人棚田ネットワーク代表を歴任した[5][8]。
重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月… 重久 吉弘(しげひさ よしひろ、1933年(昭和8年)11月18日 - 2025年 )は、日本の実業家。日揮名誉顧問。日揮元代表取締役社長・会長・日揮グループ代表・相談役。旭日重光章受章。
岩岡 保宏(いわおか やすひろ、1933年11月17日 - … 岩岡 保宏(いわおか やすひろ、1933年11月17日 - )は、宮崎県児湯郡高鍋町出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 高鍋高校では1951年夏の甲子園予選東九州大会に進むが、1回戦で大分上野丘高に惜敗。高校同期に大学、プロ野球と行動を共にする黒木弘重がいた、卒業後は黒木とともに明治大学へ進学。東京六大学リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。1954年、1955年の全日本大学野球選手権に連続優勝を飾る。1955年春季リーグではベストナイン(遊撃手)に選出された。同年の第2回アジア野球選手権大会日本代表として、日本チームの優勝に貢献。
黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 20… 黒木 弘重(くろき ひろしげ、1933年4月15日 - 2023年5月17日)は、宮崎県児湯郡高鍋町出身の元プロ野球選手。ポジションは一塁手、外野手。 大洋ホエールズで活躍した黒木基康は実弟に当たり、1960年には大洋でチームメイトとして所属した。 高鍋高校在学中は甲子園出場なし(弟の基康は1954年、3年生の時に一塁手として夏の甲子園に出場している)。1951年夏の甲子園予選東九州大会に進むが、1回戦で大分上野丘高に惜敗。高校同期に大学、プロ野球と行動を共にする岩岡保宏がいた。 高校時代、たまたま宮崎に来ていた明大の原勝彦らの指導を受けた縁で、岩岡とともに明治大学に進学。東京六大学野球リーグではエース秋山登を擁し、1953年秋季リーグの戦後初優勝を含め、在学中に3度の優勝を経験。
高浜 素秀(たかはま もとひで 、1933年〈昭和8年〉4月… 高浜 素秀(たかはま もとひで 、1933年〈昭和8年〉4月1日 - 2024年〈令和6年〉12月13日)は、日本の医学者・病理学者。医師。宮崎県延岡市出身。主に大学医学部において病理学教育・研究に従事し、後年には健康・美容分野における一般向け書籍の著者・監修者としても活動した。 高浜素秀は1933年4月宮崎県延岡市にて生まれる 1958年3月九州大学医学部を卒業後、1959年4月東京医科歯科大学にて病理学を専攻。フルブライト奨学金を得て渡米し、アメリカ・マウントサイナイ医科大学(Mount Sinai School of Medicine)に留学した。帰国後は東京医科歯科大学の講師として教育・研究に従事し、その後、埼玉医科大学第2病理学教室に所属し、臨床病理学の分野で活動した。