鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005… 鹿野 幸子(かの さちこ、1933年4月20日 - 2005年10月16日)は、日本の彫刻家。 愛知県出身。愛知県立津島高等学校を1952年(昭和27年)に卒業(4回生)し、上京してその年女子美術大学彫刻科に入学し同大学を1956年(昭和31年)卒業した。 女子美術大学を卒業した後、大学に残り同大学教授、同大学名誉教授を務めた。 母校の教授を務めながら二科展役員を務めた。 2005年10月16日、胃癌のため東京都足立区の自宅で死去、72歳没。
中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 201… 中村 和子(なかむら かずこ、1933年4月1日 - 2019年8月3日)は、日本のアニメーター。関東州旅順生まれ。 満州生まれで、幼少期から絵に親しみ、満州に美術学校が無かったため将来は内地の美術学校に進学するつもりでいた。12歳で同地で終戦を迎え山口県に引き揚げる。 山口県立宇部高等学校から女子美術大学洋画科に進学。画業のみで生計を立てるのは大変であるため、大学で高校と中学の美術教員免許を取得している。同大在学中、フランスの長編漫画映画『やぶにらみの暴君』(1952年/ポール・グリモア監督)を観てアニメーターに関心を持ち、卒業後、東映動画にスタジオ開設時の募集広告を見て第1期採用で入社。同期入社に大塚康生、紺野修司らがいる。
佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日… 佐野 ぬい(さの ぬい、旧姓:佐々木、1932年11月16日 - 2023年8月23日)は、日本の洋画家。位階は正五位。 女子美術大学名誉教授(第16代学長)。日本美術家連盟洋画部理事、新制作協会会員。1950年代から青色を基調とする作品を多く発表し、自身は「青の画家」、作品の青使いは「ぬいブルー」「佐野ブルー」と称される。 青森県弘前市百石町出身。実家は「和菓子さゝき」(現・ラグノオささき)。青森県立弘前高等女学校(現・青森県立弘前中央高等学校)、1955年女子美術大学芸術学部洋画科卒業。25歳で結婚。夫は元新聞記者でエッセイストの佐野寧。寧との間に2男を儲ける。 女子美術大学助手(1955年 - 1961年)、同講師(1961年 - 1976年)、同助教授(1976年 - 1987年)、同教授(1987年 - 1994年)。
幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、… 幸田 弘子(こうだ ひろこ、本名:三善 弘子(旧姓:臼田)、1932年〈昭和7年〉8月29日 - 2020年〈令和2年〉11月24日)は、日本の女優、声優、朗読家。東京都出身。 夫は音楽評論家で東京音楽大学名誉教授の三善清達。長女は中央線沿線文化に関する著書などの多いエッセイストの三善里沙子。 1953年NHK東京放送劇団に5期生として入り、舞台・放送で女優として活動。1976年の連続テレビ小説「雲のじゅうたん」に出演。また、NHKラジオで主演した音楽詩劇「オンディーヌ」(三善晃作曲)で文部大臣賞、イタリア賞大賞受賞。 舞台で古典から現代文学作品までの朗読を続け、1977年から毎年「幸田弘子の会」を開催、樋口一葉を中心に、『源氏物語』や泉鏡花・森鷗外・夏目漱石・堀辰雄・瀬戸内寂聴の作品などを舞台で朗読。
秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年… 秋葉 杜紫(あきは とし、AKIHA Toshi、1931年〈昭和6年〉12月13日 - 2018年〈平成30年〉12月12日)は、日本の現代水墨画家。現代水墨画創始者。女性日本画家。 中央公論画廊にて墨画展を皮切りに国内外で活躍。小山富士夫、河北倫明、谷川徹三等、著名人から多くの評価を得た。 趣味はピアノ、声楽、東洋古陶磁研究。 大阪府大阪市に生まれる。 1957年(昭和32年)に25才で女子美術大学に入学。1961年(昭和36年)に女子美術大学日本画科卒業。卒業後は1962年(昭和37年)1月から1968年(昭和43年)まで愛知県立保育専門学校にて講師を務める。 1965年(昭和40年)春には中央公論画廊(丸の内)にて主に掛軸の個展を開催した。
松村 慶子(まつむら けいこ、1931年10月3日 - )、… 松村 慶子(まつむら けいこ、1931年10月3日 - )、通称おけいさんは、日本で2番目の女性レコードディレクター。 ポリドール時代に「コーヒールンバ(西田佐知子)」、「ヴァケーション(青山ミチ)」「何もいわないで(園まり)」の大ヒット曲をプロデュースし、菅原洋一、佐川満男を売り出し、中村泰士、なかにし礼を見出す。 小澤淳とJ&Kを立ち上げ後に寺本幸司が加わる。J&Kで小室哲哉を見出しTM NETWORKをデビューさせる。 夫はザ・タイガースをプロデュースしたポリドールの音楽ディレクター松村憲男。松村憲男はむつひろしのペンネームでグッド・ナイト・ベイビー(ザ・キング・トーンズ)、昭和枯れすゝき(さくらと一郎)、どしゃぶりの雨の中で(和田アキ子)を作曲。
小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )… 小松原 庸子(こまつばら ようこ、1931年3月2日 - )は、日本の舞踊家。日本人フラメンコダンサーの第一人者。 常磐津勝蔵の長女として東京府東京市浅草区柳橋で生まれ、邦楽一家の中で育つ。幼い頃から、三味線、日本舞踊、クラシック・バレエなどを習い、15歳のとき、小牧バレエ団に入団。俳優座で演劇活動も始める。女子美術大学付属高等学校出身。 1958年(昭和33年)に単身スペインにわたり、エンリケ=エル=コホらにフラメンコを学びステージに立つようになる。帰国後の1969年(昭和44年)スペイン舞踊団を結成。 俳優の菅原謙次は実兄。
銀座 亜紀枝(ぎんざ あきえ、1931年1月25日 - )は… 銀座 亜紀枝(ぎんざ あきえ、1931年1月25日 - )は、日本の刺し子作家。銀座亜紀枝刺子館館長。(株)自然堂代表取締役。本名は坂本 亜紀枝(さかもと あきえ)。愛媛県西宇和郡双岩村出身。 古典刺し子の柄を現代風にアレンジし、本藍染・草木染の布と糸によって、直線裁かつ手縫い仕立ての縫製により作品を制作する。東京都西多摩郡檜原村にある銀座亜紀枝刺子館において作品を展示するかたわら、各地で刺し子教室を開く。また、自然堂では刺し子材料・刺し子作品の販売も行う。
辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日… 辻 協(つじ きょう、本名:辻 協子、1930年11月27日 - 2008年7月8日)は、日本の陶芸家。夫は陶芸家の辻清明。美術家の辻けいは娘。 1930年(昭和5年)東京都生まれ。1948年、神奈川県立平塚高等女学校卒業、1952年、東京女子美術専門学校(現女子美術大学)洋画科卒業。同年新工人会員になり、会の創立者である陶芸家・辻清明と知り合い、のちに結婚。結婚をきっかけに陶芸を始め、1970年(昭和45年)に女性としては初めての日本陶磁協会賞を受賞した。 夫・清明は2008年(平成20年)4月15日に亡くなったが、約3カ月後の7月8日に夫と同じ肝臓がんで死去。享年77。
松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 … 松山 俊太郎(まつやま しゅんたろう、1930年8月27日 - 2014年5月11日)は東京府出身のインド学者、幻想文学研究家。英語やサンスクリット語の他、フランス語やアラビア語などにも堪能。女子美術大学教授、國學院大學講師、多摩美術大学講師、美学校講師などを歴任。
宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2… 宮原 麗子(みやはら れいこ、1930年(昭和5年) - 2021年12月(令和3年)、旧姓高橋)は、日本の洋画家、女流画家協会委員、一水会委員である。神奈川県川崎市に居住した。 長野県岡谷市生まれ。。父は岸田劉生に師事し一水会会員、日展委嘱作家であった洋画家の高橋貞一郎、弟は女子美術大学名誉教授の洋画家高橋靖夫である。因みに麗子の名は、父が岸田劉生の娘麗子から名づけたと言われている。 1949年(昭和24年) 長野県岡谷東高等学校卒業。高校在学中に長野県美術展(県展)に入選するなど若いころから、その才能を発揮していた。その後女子美術大学洋画科入学。在学中から一水会展と女流画家協会展へ作品を出品しはじめ、本格的に絵の道を志すようになった。
小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あや… 小森園 綾子(こもりその あやこ、神保 綾子〈じんぼう あやこ〉、1930年 - 1994年1月)は、日本の洋画家。鹿児島県とパリで活動。 鹿児島県出身。鹿児島県立甲南高等学校で美術部に所属。同高校から東京都の女子美術大学に進学。東京では春田安喜子のアパートに住み込みで師事。また、海老原喜之助、吉井淳二の知遇も得て師事する。1954年に女子美術大学を卒業し、教師となる。 1953年と1954年に独立展入選。1954年の第9回南日本美術展で奨励賞受賞。1955年から1962年まで二科展入選。1958年の第13回南日本美術展で県知事賞(最高賞)受賞。1961年、二科会のパリ留学生に選ばれ、1962年にフランスへ渡る。
奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月… 奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。劇団民藝の代表を務めた。父は洋画家の奈良岡正夫。 東京府東京市本郷区駒込(現:東京都文京区)で生まれる。父・正夫の影響で、子供の頃から絵を描いていた。東京府立第一高等女学校(現・東京都立白鷗高等学校・附属中学校)在学中の1945年に父の故郷である青森県弘前市へ疎開し、青森県立弘前中央高等学校を卒業。 1951年、女子美術大学洋画科を卒業する。「女優にならなければ医者になろう、と学生時代は考えていた」と『人生は三百六十五歩のマーチ』(BSフジ、2020年3月7日放送)のゲストトーク内で話している[出典無効]。
安部 真知(あべ まち、1926年〈大正15年〉8月26日 … 安部 真知(あべ まち、1926年〈大正15年〉8月26日 - 1993年〈平成5年〉9月24日)は、日本の舞台美術家。夫は作家の安部公房。旧姓は山田、本名は真知子。大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)出身。 1926年(大正15年)8月26日、大分県西国東郡高田町(現・豊後高田市)の廻船問屋・山田清とノブの間に生まれる。1944年(昭和19年)、大分県立高田高等女学校(現・大分県立高田高等学校)卒業。6人兄姉の5番目の次女であったが、兄弟のうちただひとり、母のとりなしにより東京に進学する。 1947年(昭和22年)、女子美術専門学校日本画部師範科(現・女子美術大学)を卒業。その後、安部公房と出会い、同居を始める。
藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さち… 藤井 佐知(ふじい さち、出生名:山口 幸子(やまぐち さちこ)、本名:藤井 幸子(ふじい さちこ)、1924年(大正13年)12月6日 - 2015年(平成27年)10月21日)は、日本の淡路島にあった兵庫県三原郡阿那賀村(現在の南あわじ市)の陶芸家である。 栃木県益子町の益子焼の「中興の祖」である濱田庄司の「唯一の女性の弟子」であり、濱田庄司の教えを受けて、淡路島の土を用いて低火度釉薬であるガレナ釉:鉛釉を用いたスリップウェアを作陶し続け、濱田庄司からは「私にも出来ない、大らかな仕事をする人です」と評されていた。 寡作の陶芸家であったため、藤井が作陶し、世に出た作品の数は決して多く無かったが、その作品は現在もスリップウェア愛好家の中で高く評価されている。
多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014… 多田 美波(ただ みなみ、1924年7月11日 - 2014年3月20日)は、日本の彫刻家。 台湾高雄市生まれ。1944年女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科西洋画部卒業。1958年二科展入選、1960年二科展特選。1962年に多田美波研究所を設立し代表に就任。 光の反射を用いた抽象的立体造形作品を制作。アルミニウムを叩き、シワをつけ半球状型に造形した「周波数」シリーズは代表作。昭和期・平成期を代表する立体造形作家である。 皇居新宮殿、帝国ホテル、リーガロイヤルホテル、在米日本国大使公邸(ワシントンD.C.)、外務省飯倉別館(公館)、河内長野市庁舎、などの室内・構内装飾や、壁面作品(レリーフ)を数多く手掛けた他、立体造形作品を制作した。
井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年… 井江 春代(いえ はるよ、1923年1月1日 - 2011年5月11日)は、日本の美術家、絵本作家。 1923年、鳥取県に井江耕宗の子として生まれる。1944年、女子美術専門学校(現 女子美術大学)師範科日本画部卒業。 1964年、絵本『かえるのけろ』で第13回小学館絵画賞を受賞。 1973年、初めてのラテンアメリカ旅行。これ以後、昭和60年まで5回ペルーを訪問。 2011年、死去。享年88。
春田 安喜子(はるた あきこ、1921年 - 2006年4月… 春田 安喜子(はるた あきこ、1921年 - 2006年4月6日)は、日本の洋画家。二科会理事。海老原喜之助、吉井淳二に学び、二科会で活躍したほか、地元鹿児島県の女流洋画壇振興に大きく貢献した。 鹿児島県鹿児島市加治屋町出身。実家は鹿児島市の老舗である春田屋呉服店で、父・吉次郎と伯父・宗次郎は鹿児島のアマチュア画家の草分け。1939年、鹿児島県立第二高等女学校卒業。女子美術専門学校高等科西洋画部を首席卒業。1943年から母校の鹿児島二高女および併設されている鹿児島女子師範学校で教える。加治屋町の自宅が戦災で焼け、アトリエがないので城山に登って桜島ばかり写生した後、鹿児島二高女のバラック校舎にこもって絵の具を使って暗くなるまで描いていた。
大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月… 大久保 婦久子(おおくぼ ふくこ、1919年(大正8年)1月19日 - 2000年(平成12年)11月4日)は、日本の芸術家、皮革工芸家。下田市名誉市民。本名は大久保 ふく。勲三等瑞宝章(1989年)、文化功労者(1995年)、文化勲章(2000年)。日本芸術院会員。皮革造形美術グループ「ド・オーロ」代表。モンゴル芸術大学名誉教授。日本の皮革工芸の第一人者として知られた。 静岡県賀茂郡下田町生まれ。下田尋常高等小学校(現在の下田市立下田小学校)を経て、1935年に静岡県立下田高等女学校(のちの静岡県立下田南高等学校、現在の静岡県立下田高等学校)を卒業。同郷の日本画家・中村岳陵の絵画に魅せられて画家を志し、同年、女子美術専門学校(現在の女子美術大学)師範科西洋画部入学。
堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2… 堀 文子(ほり ふみこ、1918年7月2日 - 2019年2月5日)は、日本画家。東京市麹町区平河町(現・東京都千代田区麹町)生まれ。 洋画家の内海信彦は甥である。 アルビレックスチアリーダーズに2003年から2010年まで所属していた堀文子は、同姓同名の別人である。 永田町小学校(現・千代田区立麹町小学校)、東京府立第五高等女学校(現・都立富士高等学校)、女子美術専門学校師範科日本画部(現・女子美術大学芸術学部美術学科日本画専攻)を卒業。府立第五高等女学校時代に自宅近くで二・二六事件に遭遇した。 在学中の1939年に第2回新美術人協会展入選。1940年に女子美術専門学校を卒業し、新美術人協会会員。
入江 一子(いりえ かずこ、1916年〈大正5年〉5月15日… 入江 一子(いりえ かずこ、1916年〈大正5年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉8月10日)は、日本の美術家、洋画家。シルクロードを題材とした作品で知られる。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
郷倉 和子(ごうくら かずこ、1914年11月16日 - 2… 郷倉 和子(ごうくら かずこ、1914年11月16日 - 2016年4月12日)は、日本の画家、日本芸術院会員。 日本画家郷倉千靭(ごうくら せんじん)の長女として東京に生まれる。1935年女子美術専門学校日本画科卒業、1937年安田靫彦に師事、院展に出品を続け、1957年日本美術院賞、1960年院展同人、1970年院展文部大臣賞、1984年院展内閣総理大臣賞、1989年日本芸術院賞・恩賜賞受賞、1992年勲四等宝冠章、1997年日本芸術院会員、2002年文化功労者。花鳥画が多い。 2013年11月、99歳(白寿)の誕生日を祝って企画された「白寿記念 郷倉和子展 心の調べ」が富山県立近代美術館で開催された。
山代 巴(やましろ ともえ、1912年〈明治45年〉6月8日… 山代 巴(やましろ ともえ、1912年〈明治45年〉6月8日 - 2004年〈平成16年〉11月7日)は、日本の作家である。マルクス主義の立場に立つ作家・運動家であり、代表作『荷車の歌』で農村女性を描いて人気を得た。戦後民衆文化史研究の文脈でも注目されている。旧姓は徳毛 巴。 広島県芦品郡栗生村(今の府中市栗柄町)に生まれた。1929年(昭和4年)、東京女子美術専門学校(今の女子美術大学)に入学した。 家の没落で学資が途絶えて学校を中退した後、貧民救済事業の先駆者とされる涌井まつとの出会いを機に、労働者解放運動へと身を投じた。1932年(昭和7年)、日本共産党に入党した。その後は女工向けの夜学やサークル活動を行なう一方で、反戦デモや党防衛カンパ闘争などの非合法の活動にも参加した。
丸木 俊(まるき とし、1912年2月11日 - 2000年… 丸木 俊(まるき とし、1912年2月11日 - 2000年1月13日)は洋画家である。
伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月… 伊藤 喜久井(いとう きくい、1911年(明治44年)11月15日 - 2002年(平成14年)6月8日)は、日本画家。山形県鶴岡市七日町出身。
桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 19… 桑沢 洋子(くわさわ ようこ、1910年11月7日 - 1977年4月12日)は、20世紀の昭和時代に活動した日本のファッションデザイナー。桑沢デザイン研究所および東京造形大学の創立者で、服飾から生活全般にわたる分野において「産業デザイン」を提唱した。桑澤洋子と表記されることもある。 東京市神田区東紺屋町(現在の東京都千代田区)に出生。神田高等女学校(現在の神田女学園高等学校)卒業後、1928年に女子美術学校(現在の女子美術大学)師範科西洋部へ入学、1932年に卒業。卒業後は東京社に就職するが、1933年に新建築工芸学院へ入学しバウハウスの思想に触れた。写真家の田村茂と1934年に結婚するも、1951年に離婚。
荘司 福(しょうじ ふく、1910年3月26日 - 2002… 荘司 福(しょうじ ふく、1910年3月26日 - 2002年10月19日)は日本画家。 裁判官であった父の木村徳之助の赴任先であった長野県松本市で生まれ育つ。女子美術専門学校(現・女子美術大学)師範科日本画部卒業。郷倉千靱に師事。 数学者の荘司篤と結婚後は仙台市に移り住む。長女は日本画家の小野恬、長男の妻は抽象画家の荘司貴和子。結婚後は作家活動を休止していたが、夫の篤が結核に倒れ、画家としての活動を再開。1941年第6回東北美術展(現・河北美術展)に出品。第10回東北美術展で河北美術賞受賞。1951年日本美術院院友、1981年日本美術院評議員。 その後は東京、横浜と移り住み、戦後は油彩画の要素を取り入れた日本画制作を行った。
菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 … 菅 寿子(すが ひさこ、1909年〈明治42年〉5月20日 - 1994年〈平成6年〉12月3日)は、日本の福祉活動家、社会事業家。神奈川県厚木市の社会福祉法人・紅梅会の元理事長、紅梅会で女性の知的障害者(精神薄弱者)を対象とする入所施設である紅梅学園の創立者、元園長。「女子精薄者の母」「女性知的障害者の母」と呼ばれる。夫は小説家・編集者の菅忠雄。東京市下谷区(後の東京都台東区)龍泉寺町出身、私立佐藤高等女学校(現・女子美術大学付属高等学校)卒業。旧姓は鶴田。 炭問屋の7人兄弟の長女として誕生。重度の知的障害者の末弟が滋賀の知的障害児施設である近江学園に引き取られ、同学園の女子部を目にしていたことが、後の人生に大きく影響を及ぼした。
吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999… 吉井 忠(よしい ただし、1908年7月25日 - 1999年8月5日)は、日本の洋画家。 福島県出身。1928年帝展で「祠」が初入選。 1938年美術文化協会創立会員。1946年、日本美術会創立会員。1964年主体美術協会創立会員。 太平洋美術研究所に入り、靉光、麻生三郎、井上長三郎、鶴岡政男、寺田政明、松本俊介らを知る。 熊谷守一、峯孝、寺田政明、高山良策らと池袋モンパルナスと称される美術家の地域コミュニティを形成。 戦後、「アトリエ」などを中心に美術評論分野でも活躍。児童書などに挿絵を書く。「土民派」を自認した。 福島県立美術館、宮城県美術館などに作品が所蔵されている。 娘の吉井爽子も画家(女子美術大学洋画科出身)である。
戸田 春子(とだ はるこ、1908年5月28日 - 没年不詳… 戸田 春子(とだ はるこ、1908年5月28日 - 没年不詳)は、日本の女優。本名同じ。 茨城県出身。出生は栃木県。 旧制佐藤高等女学校(現在の女子美術大学付属高等学校・中学校)卒業。 1927年に日本映画俳優学校卒業。同年2月、日活大将軍撮影所に入社。現代劇部に所属し、軽喜劇などで三枚目を務めたほか、母親役で出演した。興亜映画を経て、1942年、松竹太秦撮影所所属。1945年、東宝入社。1948年にフリーランスとなり、三元プロ、三木事務所を経て、1968年、天地プロ所属。その後、たつみプロに所属していた。 戦後は山本薩夫監督や今井正監督らの独立プロ映画や東映映画を中心に出演し、脇役、老け役で活躍した。
新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 198… 新道 繁(しんどう しげる、1907年3月25日 - 1981年6月10日)は、洋画家。 福井県三国町(現・坂井市)出身。1924年東京府立工芸学校卒業。1934年光風会会員。1951年日展審査員。1955年女子美術大学講師、1958年文部大臣賞受賞、日展評議員、1961年日本芸術院賞受賞、1969年日展理事、1971年光風会常務理事、1975年日展常務理事、1977年日本芸術院会員、1979年勲三等瑞宝章受章。 1960年以降は「松」を繰り返し描いた。
片岡 球子(かたおか たまこ、1905年〈明治38年〉1月5… 片岡 球子(かたおか たまこ、1905年〈明治38年〉1月5日 - 2008年〈平成20年〉1月16日)は、昭和から平成時代にかけて活躍した日本画家。日本芸術院会員、文化功労者・文化勲章受章者。位階は従三位。現在の北海道札幌市東区出身。 1926年(大正15年)、女子美術専門学校(現・女子美術大学)日本画科高等科卒業。 卒業後は神奈川県の横浜市大岡尋常高等小学校(現横浜市立大岡小学校)に勤めながら創作を続ける。画家志望に反対する両親から勘当されながら画業を進めるが帝展(現日展)には3度落選。しかし1930年(昭和5年)、第17回院展に「枇杷」で初入選。さらに1933年(昭和8年)の院展にも入選するが、その後は何回もの落選を経験し「落選の神様」と呼ばれた時期もあった。
三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999… 三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は、日本の女性洋画家で、新制作協会会員。 愛知県中島郡小信中島村(現・一宮市小信中島)の織物工場を営む裕福な家の十人兄弟の6番目(4女)に生まれた。父は吉田永三郎、母は菊。母の菊は、安政の大獄で死罪となった水戸藩士・鵜飼吉左衛門(幼名は菊三郎)の一族であった(節子生家近くの頓聴寺住職も鵜飼家の人物であった)。しかし、吉田家は不況のあおりで倒産した。先天性股関節脱臼(現・発育性股関節形成不全)を患っており、両親に抑圧されて育った節子も、この大きなショックから当時興味を抱いていた絵の道へと向かっていく。戦前・戦後の画壇における女性画家の地位向上に努め、その生涯を通じてたくましい精神力で生命を賛歌する作品を描き続けた。
三谷 十糸子(みたに としこ、1904年〈明治37年〉7月2… 三谷 十糸子(みたに としこ、1904年〈明治37年〉7月28日 - 1992年〈平成4年〉2月11日)は兵庫県出身の日本の日本画家。本名敏子。女流日本画家の代表的作家の一人。 戦前から戦後しばらくは和服姿の少女を、1950年頃からは洋装姿の女性をメインに描き、厚く柔らかな色彩によって画に詩的な味わいを込めた。 また、1932年(昭和7年)第13回帝展出品作「女」で特選受賞以降はそれまでの暗い色調から澄んだ色調へと移行した。 1904年(明治37年)、兵庫県加古郡(現高砂市)に、裕福な医者の家に一人っ子として生まれる。少女時代には文学と詩に憧れた。 1922年(大正11年)、18歳で兵庫県立第一高等女学校(現兵庫県立神戸高等学校)卒業、同年女子美術専門学校(現女子美術大学)に入学。
矢島 せい子(やじま せいこ、1903年4月6日 - 198… 矢島 せい子(やじま せいこ、1903年4月6日 - 1988年1月24日)は、日本の社会福祉運動家・民俗学者。障害者の生活と権利を守る全国連絡協議会初代会長、ヘレン・ケラー賞受賞者。 東京府東京市浅草区(現在の東京都台東区浅草)に歌舞伎作者・竹芝伝蔵(本名・加藤伝太郎)の娘として生まれる。弟に俳優の四代目澤村國太郎、加東大介、妹に女優の沢村貞子がいる。幼くして叔母の石井家に養女に出され、弟妹たちとは異なる生活を送る。 旧制・佐藤高等女学校(現在の女子美術大学付属高等学校)を卒業し、日本女子大学家政科に入学する。1922年(大正11年)、同学を中退。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災に被災し、栃木県に疎開する。
深沢 紅子(ふかざわ こうこ、1903年3月23日 - 19… 深沢 紅子(ふかざわ こうこ、1903年3月23日 - 1993年3月25日)は、日本の洋画家。岩手県盛岡市出身。夫深沢省三も洋画家・童画家。戦前戦後を通じ、堀辰雄や立原道造らの本の装幀のほか、童話の挿絵なども多く手がけた。深沢夫妻は作品を描き続ける一方、絵画指導を通じて児童教育にも熱心に携わった。
甲斐 仁代(かい ひとよ、1902年11月2日 - 1963… 甲斐 仁代(かい ひとよ、1902年11月2日 - 1963年7月28日)は、日本の女流洋画家で、一水会会員。 佐賀県佐賀市赤松町の甲斐靖の二女として1902年11月2日に生まれる。 明治42年(1909年)4月、佐賀市赤松尋常小学校に入学。一年生から六年生まで成績はすべて甲、学年で一番の成績で、周囲から天才、秀才、才女と騒がれた。 父は公務員で大正5年(1916年)、中華民国山東省の青島(チンタオ)、民政署教育課長になったので家族とともに引越、青島女学校に転入。 1919年(大正8年)4月、青島女学校卒業後、画家を目指し単身東京に同郷の岡田三郎助を尋ね、東京女子美術学校(現・女子美術大学)西洋画科高等科に入学、岡田三郎助に指導を受ける。
岡田 嘉子(おかだ よしこ、露: Окада Ёсико、1… 岡田 嘉子(おかだ よしこ、露: Окада Ёсико、1902年4月21日 - 1992年2月10日)は、広島県広島市出身の日本及びソビエト連邦(現在のロシアなど)で20世紀(1918年 - 1986年。日本では大正時代から昭和時代)に活動した女優、アナウンサー。1937年に理想の国と信じてソビエトに亡命したが、スパイ容疑で1947年までラーゲリ労働と監獄生活を送った。 1902年(明治35年)4月21日(月曜日)、父が新聞記者として広島県広島市の新聞社に在任中、同市細工町(現:広島市中区大手町)に誕生。細工町は後年原子爆弾投下地点となった町である。優秀な教育を受け育つ。母方の祖父がオランダ人のクォーター。
平野 成子(ひらの しげこ、1899年(明治32年)5月5日… 平野 成子(ひらの しげこ、1899年(明治32年)5月5日 - 1988年(昭和63年)12月15日)は、日本の社会運動家、政治家。参議院議員(1期)。本名・シゲ。 栃木県生まれた。私立女子美術学校(現・女子美術大学)を修了。その後、農村社会運動に従事した。 戦後、日本社会党に入党し、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙に山梨県選挙区から日本社会党公認で出馬して当選し(任期3年)、参議院議員を一期務めた。改選を迎えた1950年の参院選には出馬せず、1953年の参院選に右派社会党公認で全国区から立候補したが当選には遠く及ばなかった。 夫平野力三とは農民運動を通じて知り合い、おしどり議員として知られた。
山沢 栄子(やまざわ えいこ、1899年2月19日 - 19… 山沢 栄子(やまざわ えいこ、1899年2月19日 - 1995年7月16日)は、大阪市出身の写真家。 女性写真家のパイオニアであり、関西を拠点にポートレートや広告写真の分野で活躍した。1960年以降は抽象的な形態のモティーフを組み合わせた「What I'm doing」のシリーズを制作した。「What I'm doing」のシリーズは大阪市中之島美術館に収蔵されている。 14歳から写真を始め、1918年女子美術学校(現・女子美術大学)日本画科選科卒業。1926年カリフォルニア・スクール・オブ・ファイン・アーツ(後のサンフランシスコ芸術大学(英語版))に留学し油絵を学ぶ。その間、写真家コンソエロ・カネガの助手として、本格的に写真を学ぶ。
羅 蕙錫(ら けいしゃく、ナ・ヘソク、朝鮮語:나혜석、189… 羅 蕙錫(ら けいしゃく、ナ・ヘソク、朝鮮語:나혜석、1896年4月28日 - 1948年12月10日)は、日本統治時代の朝鮮および韓国の洋画家、作家、詩人、ジャーナリスト。本貫は羅州羅氏。現在の京畿道水原市八達区出身。女子美術大学の留学生。韓国最初の女性画家で近代朝鮮文学における最初の女性作家とも評される。女性解放論者であり、女性解放のための運動や朝鮮独立運動にも参加していた。初名は児只、字は明順、号は晶月。 1896年4月、父・羅基貞と母・崔是議の間に五人兄姉の二女として京畿道水原に生まれた。父の家系は代々官僚をつとめ、資産家で子弟教育に関心が高かった。幼名は兒只(アジ=子供を意味する)、幼児期は明順(ミョンスン)と呼ばれ、日本留学時から蕙錫、号は晶月(チョンウォル)と名乗った。
柿内 青葉(かきうち せいよう、1892年(明治25年)7月… 柿内 青葉(かきうち せいよう、1892年(明治25年)7月 - 1982年(昭和57年))は、明治時代から昭和時代にかけての女性日本画家。 鏑木清方の門人。東京生まれ。本名は慶子。青葉と号す。女子美術学校(現・女子美術大学)で日本画を学び、1908年(明治41年)に高等科に進み、1910年(明治43年)に同校の日本画高等科を修了、同年から清方に師事するとともに巽画会に作品を出品している。1911年(明治44年)開催の第22回烏合会展に「文よむ女」を出品、1913年(大正2年)の巽画会展に「三ヶ日の終」という作品を出品し褒状3等を受けている。また、同年から婦人雑誌の口絵の仕事にも断続的に関わる。
翠川 秋子(みどりかわ あきこ、1889年(明治22年)9月… 翠川 秋子(みどりかわ あきこ、1889年(明治22年)9月 - 1935年(昭和10年)8月20日〈遺体発見日〉)はアナウンサー。日本初の女性アナウンサー。 東京日本橋亀島町で、明治維新前には与力を務め荻野流砲術師範であった武士の家に生まれる。女子美術学校(現在の女子美術大学)を卒業。銀行員と結婚して養子に迎え、2男1女をもうけるが、1922年(大正11年)に死別。 その後、開局に向けて準備を進めていた社団法人東京放送局(NHK首都圏局の前身)総裁だった後藤新平の目に止まり、後藤の推薦によって1925年(大正14年)6月に社団法人東京放送局入り。当初は放送係として家庭講座を担当していたが、採用試験の際に琵琶を披露して豊かな声量を認められていたため、アナウンサーを兼任するようになる。
山脇 敏子(やまわき としこ、本名:山脇 トシコ、1887年… 山脇 敏子(やまわき としこ、本名:山脇 トシコ、1887年〈明治20年〉6月14日 - 1960年〈昭和35年〉11月2日)は、日本の洋画家、服飾手芸家、研究家。教育者、山脇洋裁学院(現・山脇美術専門学校)創設者。日本の服飾デザイナー先駆者。 立体裁断や実寸による独自の割り出し法を広め、手芸や編物の分野でも欧州の新しい傾向をいち早く紹介、昭和初期のモガモードを創るなど戦後ファッションをリードした。また戦前・戦後を通じ多くの後進も育て、雑誌・テレビなどでも活躍し手芸・服飾、礼儀作法関係本を多数遺した。 洋裁店「アザレ」は、1964年に南青山骨董通りのアタリー(athalie)へ引き継がれ、現在に至る。
亀高 文子(かめたか ふみこ、1886年〈明治19年〉7月9… 亀高 文子(かめたか ふみこ、1886年〈明治19年〉7月9日 - 1977年〈昭和52年〉9月16日)は、明治 - 昭和時代の洋画家。 1886年(明治19年)に横浜で生まれた。 1902年(明治35年)女子美術学校洋画科に入学。 1907年(明治40年)女子美術大学卒業後、東京勧業博覧会に行き、満谷国四郎の作品に感銘を受け、師事する。その後太平洋画研究会にて、中村不折からデッサンを学ぶ。 1909年(明治42年)に第3回文展に初出品。その際に出品した「白かすり」が入選した。 1911年(明治44年)に第5回文展に「読書」を出品。こちらも入選した。 1913年(大正2年)に第7回文展に「離れゆく心」を出品。
杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月1… 杉浦 翠子(すぎうら すいこ、1885年(明治18年)5月17日 - 1960年(昭和35年)2月16日)は、明治から昭和にかけての歌人。旧姓は岩崎 翠。 夫は日本のグラフィックデザインの礎を築き多摩帝国美術学校(現在の多摩美術大学)の初代学長となった杉浦非水。洋画家の岩崎勝平は甥。 埼玉県川越(現川越市)に、父・岩崎紀一、母・サダの六人兄弟の三女として生まれた。旧姓は岩崎翠(いわさき みどり)。次兄の福澤桃介は福澤諭吉の娘婿となった大実業家。 翠子が2歳のときに父・紀一と、3歳で母・サダとそれぞれ死別し、祖母・ミキに育てられる。祖母が死去すると次姉・てるの嫁ぎ先である東京・赤坂の出渕豊保に身を寄せ、国語伝習所、女子美術学校(現女子美術大学)を卒業する。
佐藤 志津(さとう しづ、1852年1月7日(嘉永4年12月… 佐藤 志津(さとう しづ、1852年1月7日(嘉永4年12月16日) - 1919年(大正8年)3月17日)は、私立女子美術学校(現女子美術大学)第2代校長。 志津は1851年(嘉永4年)、常陸国行方郡麻生(現茨城県行方市)の医師山口舜海の長女として誕生した。1853年(嘉永6年)父舜海が佐倉藩御典医で病院兼蘭医学塾「佐倉順天堂」堂主佐藤泰然の養子となり佐藤尚中と名を改めると、志津を含め一家全員も佐藤家に入った。志津は義叔父(養祖父泰然の子)董(ただす、後に林家の養子になる)と1歳違いであったことから、董と共に漢籍を佐倉藩儒者岡本道庵に、国学を浜野末束に学んだ。 1859年(安政6年)、母方の叔母の嫁ぎ先である水戸の商家(酒造)藤枝富右衛門の家に預けられ、水戸藩武術指南役より穴沢流薙刀を習い、点茶・琴・手芸・礼儀作法を修めた。
高木 貴理子(たかぎ きりこ、11月30日生まれ)は、日本の… 高木 貴理子(たかぎ きりこ、11月30日生まれ)は、日本の洋画家。 アルミ、天然石、硝子、鏡などの素材を用いた油絵を描く。 2013年に第82回朔日会で文部科学大臣賞を受賞した。東京都美術館で開催された朔日会公募展の展示担当者は「貴金属と油絵の融合という新しい試みが、すでに評価されていたが、今回の作品では、そのメルヘンチックな画風が大きく注目された」と述べている。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:美術/PJ:美術)。
青山奈樹(あおやま なじゅ、8月8日 - )は、日本のタレン… 青山奈樹(あおやま なじゅ、8月8日 - )は、日本のタレント、声優、ラジオパーソナリティ、リポーター、モデル。東京都出身。千葉県在住。血液型はAB型。愛称はなじゅりん。 渋谷教育学園幕張高等学校卒業。女子美術大学卒業。趣味はドライブ、特技はダンス、アニメイラスト。 Naju Aoyama Official | 青山奈樹 公式Webサイト青山奈樹のなじゅラジ!-Smile at lunch time-
田中 佑佳(たなか ゆうか、7月30日 - )は、日本のアー… 田中 佑佳(たなか ゆうか、7月30日 - )は、日本のアートディレクター。東京都出身。 東京都世田谷生まれ。女子美術大学短期大学部卒業。学生の頃からフリーランスとして、特殊造形・空間美術・グラフィックデザイン・アートディレクションを中心に活動。音楽CDジャケット・タイトルデザイン・映画ポスターなどのグラフィックデザインや、映像・アパレルショップの特殊造形・空間美術、雑誌のプロップスなど分野を広げて活躍中。映像作家の田中佑和は、実兄。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。