秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 … 秦 哲美(はた てつみ、1929年(昭和4年)10月27日 - 2020年(令和2年)5月27日)は、日本の政治家。元埼玉県議会議員。父は大宮市長の秦明友。立憲民主党さいたま市議会議員の西山幸代は三女。 埼玉県大宮市(現:さいたま市)出身。専修大学商経学部経済学科卒。埼玉県立大宮工業高等学校、埼玉県立大宮高等学校、埼玉県立熊谷農業高等学校、埼玉県立浦和第一女子高等学校の事務長等を務める。 1986年に大宮市長選挙に立候補したが落選。1987年に埼玉県議会議員に立候補し、当選。1993年に行われた第40回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧埼玉5区から立候補したが落選。 その後、県議会議員に復帰。
菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20… 菊池 康郎(きくち やすろう、1929年〈昭和4年〉8月20日 - 2021年〈令和3年〉11月3日)は、囲碁のアマチュア強豪。東京都大田区出身。専修大学卒業。 世界アマチュア囲碁選手権戦優勝、全日本アマチュア本因坊戦等国内アマ大会優勝20数回を数え、アマ四強と呼ばれた一人。緑星囲碁学園を主宰し、山下敬吾を始め、多数のプロ・アマ棋士を育成した。国際囲碁交流にも尽力、緑星囲碁学園代表、国際囲碁友好会理事長、全国子ども囲碁普及会代表、一般社団法人全日本囲碁協会理事長。 大田区蒲田に生まれ、3歳頃に囲碁好きの父の影響で囲碁を覚え、碁会所で腕を磨く。高輪中学時代に横浜市中山に疎開し、相原忍三段や、伊藤友恵、小泉重郎らの指導を受ける。
加瀬 泰治(かせ たいじ、1929年2月9日 – 2004年… 加瀬 泰治(かせ たいじ、1929年2月9日 – 2004年11月24日) は日本の空手家で、松涛館流 空手をヨーロッパに普及するため海外に渡った最初期のひとりで、 1960年代後半から1980年代半ばまでフランスで空手のスタイル、松濤館流加瀬派空手を教えた 。晩年、彼は空手を教えて世界中を旅したが、パリからは離れなかった 。段位は九段を保持した。 1929年2月9日に千葉市 で生まれた 。父は 柔道五段の加瀬信明。 彼は6歳になる前に柔道を学び始め、その後少年時代には合気道と剣道も学ぶ。 1944年、15歳の時、加瀬は柔道で2 段の 黒帯ランクを獲得。 同年、 船越義珍の空手に関する本を読み、船越自身のもとでその芸術を学び始めた 1945年に船越が亡くなる前に、船越の息子である船越義豪のもとで訓練を積んだ 以降は広西元信から手ほどきを受けた。
望月 清司(もちづき せいじ、1929年(昭和4年)- 20… 望月 清司(もちづき せいじ、1929年(昭和4年)- 2023年(令和5年)2月1日)は、日本の経済学者。マルクス経済学者。元専修大学学長。専修大学名誉教授。経済学博士(専修大学)。専攻は経済史方法論、第三世界論。東京都出身。 この他、北海道大学大学院経済学研究科、東京大学大学院経済学研究科の非常勤講師を務めた。
横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24… 横山 哲夫(よこやま てつお、1928年〈昭和3年〉1月24日 - )は、日本の政治家、実業家。第85代神奈川県議会議長、自民党神奈川県連顧問。朗月代表取締役。横山企業取締役。横浜市鶴見区ソフトボール協会会長。 神奈川県横浜市出身。横山四郎の三男。専修大学経済学科出身。1961年に横山企業設立、代表。1963年に鶴見青果、1971年に横山商事、1972年に横山殖産、1974年に横山ストアー各取締役。 県議会議員を8期務めた。1992年5月から1993年5月まで県議会議長を務めた。 趣味はダンス、旅行。住所は神奈川県横浜市鶴見区下末吉3丁目。 横山一族は横浜で事業を営んでいる。「朗月株式会社」の本店は「神奈川県横浜市鶴見区下末吉三丁目」。
上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 19… 上野 雄文(うえの ゆうぶん、1927年11月1日 - 1997年8月7日)は、日本の政治家、参議院議員(3期、日本社会党)。 栃木県宇都宮市出身。旧制大田原中学校(現・栃木県立大田原高等学校)卒業。専修大学短期大学部法律実務科卒業。1945年12月に栃木県庁に入り1963年2月末まで在籍した。その後は、県職員労働組合の役員を務める。1967年の栃木県議会議員選挙に宇都宮市選挙区から日本社会党公認で立候補して、初当選を果たした。その後連続4期務めた。 1982年10月7日に栃木県知事選挙に立候補し、県議を失職した。社会党推薦を得たが、自民、公明、民社、新自由クラブが推薦する現職の船田譲に敗れた。
杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は… 杉山 光平(すぎやま こうへい、1927年8月7日 - )は、静岡県静岡市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。「円月打法」という独特の打撃フォームで人気のあった職人的左打者。
和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日… 和田 静夫(わだ しずお、1926年(大正15年)10月1日 - )は、日本の労働運動家、政治家。元参議院議員(3期)、元衆議院議員(1期)。 石川県金沢市生まれ。金沢一中、専修大学法学部を経て、1957年(昭和32年)同大大学院法学研究科私法学専攻を修了。東京都庁に入り新宿区役所に勤務。全日本自治団体労働組合組織部長などを経て、1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙で日本社会党から全国区に立候補し初当選(以後10回・12回と連続3選)。以降3期目の任期終了直前まで務めた。1970年(昭和45年)11月には参議院決算委員会で、自民党と産経新聞の癒着について質している。 1986年(昭和61年)7月6日執行の衆参同日選挙となった第38回衆議院議員総選挙に東京1区から立候補。
吉本 宗泰(よしもと むねやす、1926年9月13日 - 2… 吉本 宗泰(よしもと むねやす、1926年9月13日 - 2008年1月25日)は、日本の野球指導者。 兵庫県神戸市出身。旧制滝川中学校卒業、専修大学卒業。1957年より滝川高等学校野球部監督となる。後に滝川高等学校野球部を受け継いだ滝川第二高等学校野球部監督となり、計32年間監督を務めた。1959年には就任3年目にして第41回全国高等学校野球選手権大会に出場。その後の大会でも甲子園に出場し、春8度、夏5度の計13回の甲子園出場を果たす。この記録は兵庫県内で歴代2位。中尾孝義、石本貴昭、村田真一らを指導した。退任後は社会人野球・阿部企業でも監督を務めた。 2008年1月25日下咽頭がんで死去。
近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 20… 近藤 健次(こんどう けんじ、1926年1月13日 - 2017年2月17日)は、日本の実業家。株式会社ビー・エム・エル創業者・元代表取締役社長。 静岡県磐田郡幸浦村大野(現袋井市大野)で万屋の四男として生まれる。幸浦尋常小学校(現袋井市立浅羽南小学校)、陸軍少年通信兵学校を経て、1954年専修大学商経学部卒業。 1955年相互ブラッド・バンク(のちのビー・エム・エル)を設立し、代表取締役社長に就任。1986年同社代表取締役会長。1997年勲五等瑞宝章受章。 2005年浅羽町善行表彰受賞。2007年ビー・エム・エル代表取締役最高顧問。同年袋井市に3億円を寄付し、2008年に袋井市市政功労賞受賞。
鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年… 鈴木 清一(すずき せいいち、1925年10月9日 - 没年不明)は、静岡県出身の元プロ野球選手(内野手)。 島田商業学校から専修大学へ進学し、1946年にセネタースに入団。同年は101試合に出場し、当時のプロ野球記録となるシーズン14三塁打を記録した。1947年も101試合に出場。一方で守備は1年目63失策、2年も59失策と2年連続でリーグ最多失策を記録してしまった。 1948年は金星スターズに移籍したがわずか5試合の出場にとどまり、同年限りで引退。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
高杉 廸忠(たかすぎ みちただ、1925年8月16日 - 2… 高杉 廸忠(たかすぎ みちただ、1925年8月16日 - 2000年5月27日)は、日本の政治家。参議院議員(2期、日本社会党)。 静岡県出身。1950年専修大学法律学科卒。1952年日本社会事業大学研究科卒。参議院議員藤原道子の秘書となり、茨城県中小企業労務協会会長。全国中小商工業団体連合会副会長に就任する。1977年の第11回参議院議員通常選挙で茨城県選挙区から日本社会党公認で立候補して当選。2期務める。この間、参議院物価対策特別委員長、逓信委員長、社会党茨城県委員長などを歴任した。1989年に引退。1995年、勲二等瑞宝章受章。2000年5月27日死去、74歳。死没日をもって従四位に叙される。
潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993… 潮 健児(うしお けんじ、1925年3月23日 - 1993年9月19日)は、日本の俳優。本名:益戸 正雄()。別名義:潮 建志・潮 建磁・泉 正夫。 東京府荏原郡出身。オノプロに所属していた。 旧制 専修大学予科在学中に応召し、陸軍飛行学校に入る。太平洋戦争終結後の1945年に友人の紹介で古川ロッパの一座に入団するも、1947年に退団し[要出典]、専修大学専門部経済学科に通いながら、小劇団を転々とする。 1949年、太泉映画と契約し、翌年『執行猶予』(佐分利信監督)で映画デビュー。以来、太泉映画の後身である東映において長きに渡り、脇役として活動。千葉真一主演の『ファンキーハットの快男児シリーズ』でのコミカルで憎めない役柄や『極道』シリーズ(若山富三郎主演)。
新倉 イワオ(にいくら イワオ、1924年12月7日 - 2… 新倉 イワオ(にいくら イワオ、1924年12月7日 - 2012年5月9日)は、日本の放送作家。日本放送作家協会会員。 本名は新倉 巌(読み同じ)。神奈川県平塚市生まれ。専修大学経済学部中退。 心霊研究家としても知られ、日本心霊科学協会理事を務めた。 1945年、終戦を機に舞台、ラジオを中心にプロデューサー、ディレクターとしてNHK、民放の各種番組に従事する。 1953年、日本テレビ放送網開局準備の業務を担当し、以来テレビ中心のプロデュースを兼ね、1960年に放送作家へ転向する。また、日本テレビ製作スタッフとして、長寿バラエティー番組『笑点』の企画に立ち会った。以降、多くのドラマ、ドキュメント、音楽番組、バラエティーショーなどを手がけた。
鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 200… 鈴木 久男(すずき ひさお、1924年3月29日 - 2005年9月12日)は日本の数学者、珠算史研究家、国士舘大学名誉教授。 大正13年(1924年)3月29日、東京府南足立郡(現、東京都足立区)に生まれた。昭和25年(1950年)、専修大学商経学部商業学科卒業。昭和33年(1958年)、文部省より珠算史の研究で大学講師の認定を受け、昭和35年(1960年)、国士舘大学政経学部講師。昭和44年(1969年)、同助教授。昭和49年(1974年)同教授。昭和51年(1976年)、日本大学文理学部国文学科卒業。平成5年(1993年)、国士舘大学定年退職、名誉教授の称号を受ける。平成14年(2002年)、勲四等旭日小綬章を受章。
永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 -… 永井 洋二郎(ながい ようじろう、1923年11月30日 - 2018年4月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(捕手)。 秋田中学(現・秋田県立秋田高校)時代は、第27回全国中等学校優勝野球大会が日中戦争の激化により中止されるなど甲子園出場はなし。専修大学を経て1949年に読売ジャイアンツに入団。同年2試合に出場するも、翌1950年に引退。 2018年4月25日に老衰のため死去。
山口 銀次(やまぐち ぎんじ、1923年9月20日 - 19… 山口 銀次(やまぐち ぎんじ、1923年9月20日 - 1997年4月22日)は、日本のハワイアン歌手、ウクレレ奏者。実兄に山口正保、実弟に山口軍一がおり、ともにハワイアン・ミュージシャンである。 長崎県佐世保市出身。少年期にウクレレを始めた。 バッキー白片に師事しつつ、寺部頼幸、寺部震、石川淳らと椰子の実楽団(後の寺部頼幸とココナッツ・アイランダースの前身)を結成。 太平洋戦争中は戦闘機操縦士としてフィリピンに出征。 1945年10月、九州に復員。その後、バッキー白片とアロハ・ハワイアンズの再結成に立ち会う。当時のメンバーは、白片、寺部頼幸、寺部震、実兄の山口正保、山口銀次。 1953年、アロハ・ハワイアンズを脱退し、バンドの同僚である和田弘や鈴木揚介とともに山口銀次とマヒナスターズを結成。
野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 200… 野崎 泰一(のざき ひろかず、1923年7月2日 - 2009年7月30日)は、広島県呉市出身のプロ野球選手(投手)・監督・コーチ。
志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 199… 志摩 夕起夫(しま ゆきお、1923年6月14日 - 1999年6月27日)は、日本のアナウンサー、音楽評論家である。本名は小島幸雄。東京府東京市京橋区生まれ。 東京・京橋の写真館に生まれる。専修大学を卒業。1952年(昭和27年)、開局直後のラジオ東京(現・TBSラジオ)の嘱託アナウンサーとなり、局内の「シマさん」の愛称から志摩夕起夫を名乗る。4月1日に放送開始となったラジオ東京の深夜番組「イングリッシュ・アワー」を三國一朗などと担当。同番組は1962年6月9日まで10年間続けられた。これにより、日本でのディスクジョッキーの草分けとして、音楽と自由なおしゃべりで進行するラジオ番組の原型を作り上げた。
船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月1… 船越 英二(ふなこし えいじ、1923年〈大正12年〉3月17日 - 2007年〈平成19年〉3月17日)は、日本の俳優。東京都出身。専修大学経済学部卒業。 俳優の三島謙は兄(本名:船越榮太郎)、女優の長谷川裕見子は妻、長男に俳優の船越英一郎がいる。本名:船越 榮二郎(ふなこし えいじろう)。 新宿で生地問屋「船越商店」を開いた呉服商・船越栄一の次男として誕生し、四谷第五小学校から帝京中学校に入学する。当初は美術学校か写真学校への進学を希望するが、父の勧めで1941年(昭和16年)には専修大学経済学部に入学し1944年(昭和19年)に学徒出陣で繰り上げ卒業する。香川県三豊郡豊浜町(現・観音寺市)の陸軍船舶学校に入り、翌年の8月に見習士官として終戦を迎えた後、父の勧めで地元新宿に写真屋を開いた。
卜部 政巳(うらべ まさみ、1922年(大正11年)1月1日… 卜部 政巳(うらべ まさみ、1922年(大正11年)1月1日 - 1999年(平成11年)12月14日)は、日本の労働運動家、政治家。衆議院議員(2期)。 島根県出身。平壌で生まれる。1942年(昭和17年)専修大学専門部商科を修了。召集され陸軍軍曹となる。 郵政省に入省し松江地方貯金局(現貯金事務センター)勤務となる。その後、全逓(のちの日本郵政公社労働組合)島根地区書記長、全逓中央本部執行委員、同執行委員長、島根県労働組合総評議会議長、島根県物価対策協議会議長などを務めた。 1963年(昭和38年)11月の第30回衆議院議員総選挙に島根県全県区から日本社会党公認で出馬して初当選。第31回総選挙、また1968年(昭和43年)7月の第8回参議院議員通常選挙に島根県地方区から出馬したがいずれも落選。
李 鍾麟(イ・ジョンニン、朝鮮語: 이종린、1921年6月2… 李 鍾麟(イ・ジョンニン、朝鮮語: 이종린、1921年6月29日 - 1985年6月24日)は、大韓民国の大学教授、政治家。第5代韓国国会議員。 咸南咸州または釜山出身。専修大学予科修了。1944年専修大学経済学部卒、その後東亜大学校法政学部経済学科卒。1948年ソウル大学校大学院法科卒。同年にUN韓国委員団外交代表を務め、その後は咸興医学専門学校講師、戦時連合大学教授、釜山工科大学教授、東亜大学校講師・同大学院政治科主任教授を務めた。1960年の第5代総選挙では民主党の候補として国会議員に当選した。 政界引退後は東国大へ移った。東国大法政大学長在任中の1985年6月24日、ソウル市恩平区の自宅で持病により死去した。
一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 20… 一言 多十(ひとこと たじゅう、1921年5月1日 - 2010年4月16日)は、静岡県六合村(現:島田市)出身のプロ野球選手(投手、外野手)。
崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1… 崔 栄喜(チェ・ヨンヒ、1921年3月1日 - 2006年1月11日)は、大韓民国の軍人、外交官、政治家。朝鮮戦争の指揮官であり、陸軍中将で陸軍参謀総長(第12代)を務めた。退役後は国会議員(第7代・第8代・第9代・第10代)、国防長官(第16代)、維新政友会院内総務などを歴任した。太極武功勲章授与者。本貫は隋城崔氏(朝鮮語版)、仏教徒。 1921年、日本統治下の朝鮮京城府(現ソウル特別市)生まれ。1944年に日本の専修大学法学部卒業後、日本陸軍工兵学校に入校し、日本陸軍工兵少尉に任官される。 戦後、韓国に帰国した後、1946年2月18日付で軍事英語学校を卒業し、任少尉(軍番10051番)。1947年、第1旅団人事参謀。
梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2… 梶岡 忠義(かじおか ただよし、1920年9月26日 - 2003年3月23日)は、昭和中期(1940年代後半-1950年代前半)のプロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。現役時代は阪神タイガースで活躍し、引退後は阪神の投手コーチを務めた、大阪府大阪市出身。 成器商業学校から専修大学へ進学。専修大学時代は4番(ないし5番)エースとして、東都大学リーグで6季連続優勝に貢献した。専修大学卒業時に阪神から声がかかったが、学徒出陣となり満州へ行くこととなる。1946年に満州から帰国し、発足した中央工業の野球部に入る。 翌1947年2月1日に南海から勧誘されるが、阪神への義理を通し、自ら電話で阪神に連絡をとり、阪神に入団する。
福田 勇一(ふくだ ゆういち、1920年8月22日 - )は… 福田 勇一(ふくだ ゆういち、1920年8月22日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。ポジションは二塁手。
佐野 進(さの すすむ、1920年(大正9年)8月7日 - … 佐野 進(さの すすむ、1920年(大正9年)8月7日 - 2009年(平成21年)1月20日)は、昭和期の地方公務員、労働運動家、政治家。衆議院議員。 新潟県出身。召集され兵役に就いた。東京都交通局に入局。1955年(昭和30年)専修大学商経学部経済学科を卒業した。東京交通労働組合青年部長や、東京都労働組合連合会、日本都市交通労働組合(現全日本自治団体労働組合都市公共交通評議会)、港区労協の各役員を務めた。 東京都港区議会議員を経て、東京都議会議員に選出され3期在任した。この間、同都議会公営企業委員長、同中小企業対策審議会委員、東京オリンピック大会組織委員などを務めた。 1967年(昭和42年)1月の第31回衆議院議員総選挙で東京都第6区から日本社会党公認で出馬し初当選。
崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30… 崔 泰奎(チェ・テギュ、朝鮮語: 최태규、1919年3月30日または1923年 - 2009年10月16日)は、大韓民国および朝鮮民主主義人民共和国の政治家、ジャーナリスト。制憲韓国国会議員、最高人民会議代議員(代不明)。 崔 泰圭(読み、ハングル表記同じ)という表記も見られる。 日本統治時代の江原道旌善郡出身。軍花洞公立国民学校を卒業後、専修大学法学部3年時に徴兵のため帰国した。戦災同胞援護会消費組合理事、大韓日報政経部、大東新聞の記者などを務めた後、1948年の初代総選挙に旌善郡選挙区より無所属で出馬し当選した。その後、国会フラクション事件に関与したとして投獄中、1950年6月ごろに北朝鮮に拉致された。
趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4… 趙 欣坡(チョ・フンパ、朝鮮語: 조흔파、1918年11月4日 - 1980年12月24日) は、大韓民国の小説家、放送作家。 本名は趙 鳳淳(チョ・ボンスン、조봉순)。本貫は漢陽趙氏。 日本統治時代の平安南道平壌に生まれ、1941年に専修大学法科卒業。1950年代初頭より文壇に登場した。1947年までソウル中央放送局アナウンサーを務め、そのほか京畿女子高等学校の教員、『現代女性』主幹、『国都新聞』『世界日報』『韓国経済新聞』の論説委員などを務めた。1960年公報室公報局長に異動後、国務院事務処公報局長とソウル中央放送局長などを務めた。また、1964年に発表した小説『ヤルゲ(ヤルゲ: 小憎らしい者の意)伝』で知られている。
土肥 省三(どい しょうぞう、1918年 - )は長野県出身… 土肥 省三(どい しょうぞう、1918年 - )は長野県出身の元プロ野球選手(投手、右翼手)。
山下 勝(やました まさる、1917年8月17日 - 194… 山下 勝(やました まさる、1917年8月17日 - 1942年)は、日本の陸上競技選手。日中戦争の影響で中止となった1940年東京オリンピックの選手団に選出されていた。 福島県立白河高等学校で陸上競技を始め、1935年にインターハイの1500mで3位に入賞するなど活躍。 1936年に専修大学に進学。1939年に箱根駅伝(第20回大会)に出場し、当時のエース区間であった3区で区間賞を獲得し、同校の箱根駅伝初優勝に貢献した。 1940年の東亜競技大会の5000mにおいて、1936年ベルリンオリンピックで4位入賞を果たした村社講平を破り優勝。また、同年、日本陸上競技選手権大会の5000mと10000mで優勝。
成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - … 成田 友三郎(なりた ともさぶろう、1917年6月6日 - 1989年10月17日)は、青森県青森市出身のプロ野球選手、政治家。 青森中学校から専修大学へ進学も中退。仙台鉄道局から青森林友を経て1936年に東京巨人軍へ入団。選手としての才能はなかったが、何となく好感のもてる選手だった。1938年秋季頃に体調を崩し、療養に努めたが同年で退団。 1974年に青森市議会へ自由民主党から出馬し当選。4期議員を務めた。
橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990… 橋本 善次郎(はしもと ぜんじろう、1917年 - 1990年)は探偵公論社の編集者兼経営者。江戸川乱歩等による連作小説『江川蘭子』や、探偵小説雑誌などを編集・発行した。日本推理作家協会所属。 中央大学・専修大学卒。 本業は会計士。江戸川乱歩によれば、「戦前の「ぷろふいる」の寄稿家で、古い探偵ファン」であり、「面白い風格の人で作家たちにも敬愛されていた」という。 1947年(昭和22年)4月に探偵公論社から『真珠』を創刊するが、1948年(昭和23年)8月発行の第7号で廃刊。1949年(昭和24年)1月に真珠文庫社から『探偵趣味』を創刊するが、1号限りで廃刊。このほか、探偵公論社からは『殺人迷路』『江川蘭子』などの探偵小説本も刊行した。
橋本 正吾(はしもと しょうご、1916年8月21日 - )… 橋本 正吾(はしもと しょうご、1916年8月21日 - )は、広島県出身の元プロ野球選手(投手)。
金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10… 金 南中(キム・ナムジュン、朝鮮語: 김남중、1915年10月8日または1917年10月8日 - 1982年3月30日または1987年3月31日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国のジャーナリスト、随筆家、コラムニスト、実業家、政治家。全南日報(現・光州日報)会長、第5代韓国国会議員(参議員)を歴任した。 本貫は光山金氏、号は南鳳(ナムボン、남봉)。 日本統治時代の全羅南道光州郡(現・光州広域市)に富農の次男として生まれた。1930年光州公立普通学校(現・光州瑞石初等学校)卒、1942年専修大学専門部中退あるいは卒業。同年から報知新聞(現・スポーツ報知)記者を務めた後、翌1943年に帰郷し、全南新報編集局社会部長・主幹、湖南新聞主筆・編集局長を経て朝鮮戦争中の1951年に全南日報を創刊し、発行者・主筆・社長・会長(~1980年)を務めた。
矢沢 正雄(やざわ まさお、1915年5月15日 - 200… 矢沢 正雄(やざわ まさお、1915年5月15日 - 2004年12月11日)は、日本の陸上競技(短距離走)選手。 旧制鎌倉中学校(現在の鎌倉学園高等学校)卒業後、専修大学に入学。 1935年、日本陸上競技選手権大会の男子200mで優勝(21秒8)。 1936年ベルリンオリンピックで日本代表選手となり、男子200メートル競走と400メートルリレー走に出場。予選通過はならなかった。 1937年、日本陸上競技選手権大会で100m・200mの2種目で優勝。 1939年、専修大学は箱根駅伝(第20回大会)を制覇したが、この時の陸上競技部主将が矢沢である。また、日本学生陸上競技対校選手権大会の200メートル競走での記録は、2005年時点でも専修大学記録として残っていた。
高橋 輝彦(たかはし てるひこ、1914年4月29日 - 没… 高橋 輝彦(たかはし てるひこ、1914年4月29日 - 没年不明(1993年4月1日 - 2003年3月1日の間))は、神奈川県出身のプロ野球選手。 神奈川県立商工実習学校(現:神奈川県立商工高等学校)時代には春1回(1931年)、夏2回(1928年、1931年)甲子園に出場した。 その後、専修大学に進学し、遊撃手として活躍。1935年秋季の東都大学リーグ戦では打率.346をマークしている。また身長五尺五寸三分、体重十六貫五百匁で趣味は映画鑑賞だったと伝わる。 1936年、東京セネタースの結成に参加(そのため、専大を中退)。苅田久徳・中村信一・綿貫惣司と共に「百万ドル内野陣」と呼ばれる鉄壁の守備を形成した。
高 永完(コ・ヨンワン、朝鮮語: 고영완、1914年 - 1… 高 永完(コ・ヨンワン、朝鮮語: 고영완、1914年 - 1991年8月6日)は、日本統治時代の朝鮮の独立運動家、大韓民国の政治家。初代長興郡郡守(アメリカ軍政下)、第2・5代韓国国会議員を歴任した。号は霧渓(ムゲ、무계)。仏教徒。 本貫は長興高氏(朝鮮語版)。壬辰倭乱の時の義兵長の高敬命(朝鮮語版)の直系の15世孫である。元大法院長の李容勲(朝鮮語版)は娘婿。また、2人の妹は金性洙の2人の息子、金相万(朝鮮語版)と金相欽(朝鮮語版)の妻である。 日本統治時代の全羅南道長興郡出身。専修大学法科卒。抗日運動で活躍したため、日本軍憲兵に捕まえられ、咸興刑務所で3年間服役した。光復後は長興郡守、大韓独立促成国民会長興支部長、大韓民族青年団長興支団長、韓民党中央執行委員・長興党部総務を歴任した。
松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日… 松本 新八郎(まつもと しんぱちろう、1913年11月24日 - 2005年12月10日)は、日本の歴史学者、専修大学教授。 愛媛県で生まれる。1931年愛媛県立松山中学校を卒業、1934年に松山高等学校を卒業し、同年、東京帝国大学文学部国史学科に入学。同期入学に、家永三郎、石母田正らがいた。1937年、東京帝国大学を卒業。 1937年から東京帝国大学史料編纂所に勤務する傍ら、1940年からは早稲田実業学校第二本科で講師も勤めた。戦後の1945年、松山経済専門学校(現・松山大学)教授となった(1948年まで)。 1947年4月20日に行われた第1回参議院議員選挙に愛媛県選挙区から立候補するが落選。
鈴木 芳太郎(すずき よしたろう、1913年11月8日 - … 鈴木 芳太郎(すずき よしたろう、1913年11月8日 - 1978年5月10日)は、静岡県出身の元プロ野球選手(投手)。
楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11… 楊 明文(ヤン・ミョンムン、朝鮮語: 양명문、1913年11月1日 - 1985年11月21日)は、大韓民国の詩人、文学者、教授。号は紫門(チャムン、자문)。 日本統治時代の平安南道平壌生まれ。1939年に詩集『華愁園』を発表した。1942年に専修大学法学部を卒業し、1944年までに東京で文学創作をした。 光復後は北朝鮮地域に行ったが、朝鮮戦争の第3次ソウルの戦いの時に越南した。その後は全国文化団体総連合会救国隊員、従軍作家団員として韓国陸軍に従軍した。終戦後はソウル大学校文理科大学・師範大学、国防部戦時連合大学、首都医科大学(現在のソウル友石大学校)、清州大学で詩論と文芸思潮の講義をし、1960年に梨花女子大学校副教授を務め、1966年以降は国際大学(現在の西京大学校)の国語国文学科教授を務めた。
中野 千代人(なかの ちよと、男性、1913年2月7日 - … 中野 千代人(なかの ちよと、男性、1913年2月7日 - 没年不詳)は、日本の元アマチュアボクシング選手。ベルリンオリンピックフライ級日本代表。専修大学卒業。 1934年と1936年、全日本選手権にいずれもフライ級で優勝を収めた。 1936年、ベルリンオリンピックにフライ級の日本代表として出場し、1回戦にポイント勝ちを収め、2回戦でポイント負けとなった。 この項目は、ボクシング関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJボクシング/PJキックボクシング)。
畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1… 畑福 俊英(はたふく としひで、1913年1月31日 - 1981年5月23日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手。右投右打)、野球指導者。 横手中学から専修大学を経て、1934年に大日本東京野球倶楽部(翌1935年より東京巨人軍)結成へ参加しプロ入り。日本プロ野球最初のリーグ戦(日本職業野球連盟)を開始した1936年7月3日の対大東京戦に先発登板し6イニングを1失点に押さえて巨人球団史上初の公式戦勝利投手となった。1937年以降は新設したイーグルス(1940年途中より黒鷲軍、1942年より大和軍)へ移籍。1937年に春季・秋季シーズン合わせて32敗を喫しているが、これはプロ野球記録とされている中山正嘉の29敗(1940年。
櫻井 欽一(さくらい きんいち、1912年12月11日 - … 櫻井 欽一(さくらい きんいち、1912年12月11日 - 1993年10月6日)は、日本のアマチュア鉱物学者、地球科学者。家業(東京都・神田須田町にある老舗の鳥鍋屋「ぼたん」)の傍ら、独学で鉱物学を修めた。理学博士(東京大学・1955年)(学位論文「神奈川県湯河原産沸石類の研究」)。1964年紫綬褒章受章。 ぼたんの主人桜井謙吾の長男として東京神田連雀町に生まれる。宗教は天台宗。祖父の八四郎は旧高崎藩士で司法省に出仕した桜井欽哉の次男として生まれ、先代の桜井重郎治の養子となっている。八四郎の弟には朝鮮総督府判事となった柳沢佐五郎がいる。永田町小学校(現:麹町小学校)[要出典]、攻玉社中学校・高等学校[要出典]を経て、1932年専修大学予科修了。
早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993… 早川清(はやかわ きよし、1912年7月28日 - 1993年7月9日)は、早川書房の創業者、社長。東京府(現:東京都)生まれ。 専修大学経済学部卒業。大学時代は相撲部に参加。海音寺潮五郎、戸川貞雄主催の同人誌『文学建設』に、黒沼健、乾信一郎らとともに参加。 1935年に早川書房を設立。1945年8月に正式に創業し、文芸書、演劇書を中心として出版を始め、1947年演劇雑誌『悲劇喜劇』を創刊、1952年、株式会社に改組し社長に就任する。 海外ミステリーの翻訳に力を入れ、1953年よりハヤカワ・ポケット・ミステリを創刊し今日まで続いている。1956年『エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン』を創刊、1966年より『ミステリマガジン』として続いている。
依田 勇雄(よだ いさお、1911年(明治44年)1月10日… 依田 勇雄(よだ いさお、1911年(明治44年)1月10日 - 1993年(平成5年)8月9日)は、日本の政治家。長野県議会議員(3期)、長野県佐久市長(4期)を歴任した。位階は正五位。 長野県北佐久郡中込村(後の中込町、現:佐久市)で、依田米治・ませの二男として生まれた。1935年(昭和10年)専修大学経済学部卒業。自営業から、1947年(昭和22年)長野県議会議員となり3期在任。 1961年(昭和36年)4月、佐久市長選挙で当選し、初代市長に就任し1977年(昭和52年)4月まで4期務めた。在任中は財政の立て直しや行政改革、社会基盤を整備し、北陸新幹線や高速道路の誘致・期成に尽力した。同58年(1983年)佐久市名誉市民に選出された。
寿原 正一(壽原、すはら しょういち、1911年(明治44年… 寿原 正一(壽原、すはら しょういち、1911年(明治44年)1月1日 - 1975年(昭和50年)12月13日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 北海道古平郡古平町で寿原要太郎の息子として生まれる。1958年(昭和33年)専修大学会計学本科を卒業した。 1928年(昭和3年)頃、札幌市に移り海産物商のトラック助手となる。1932年(昭和7年)頃、日の出ハイヤーに運転手として就職。その後上京し、病人輸送専門の東京寝台自動車に務め、戦後に労働組合を結成して委員長に就任し、1948年(昭和23年)常務として経営陣に加わり、1953年(昭和28年)社長となった。同年、札幌つばめ自動車会長、1955年(昭和30年)新宿交通社長に就任。
尹 崑崗(ユン・ゴンガン、朝鮮語: 윤곤강、1911年 - … 尹 崑崗(ユン・ゴンガン、朝鮮語: 윤곤강、1911年 - 1950年2月23日〈1949年〉)は、日本統治時代の朝鮮及び大韓民国の詩人。本貫は漆原尹氏。本名は尹 朋遠(ユン・ブンウォン、윤붕원)。 瑞山出身。1933年に専修大学を卒業後、1934年『詩学』同人の一員として文壇に登場した。初期には朝鮮プロレタリア芸術家同盟の一員として詩を書くも作風は退廃的で風刺的なものであった。解放後は朝鮮半島の伝統とその情緒への愛着などを題材とした。週刊同人誌『詩学』や、そのほか『ビンハ』、『動物詩集』、『サルアリ』や、詩論集として『詩と真実』などを執筆している。 1950年2月23日、宿痾により40歳で死去した。
品川 司(しながわ つかさ、戸籍名:藤戸 光秀、旧名:韓 光… 品川 司(しながわ つかさ、戸籍名:藤戸 光秀、旧名:韓 光秀、1910年〈明治43年〉11月15日 - 1992年〈平成4年〉12月3日)とは、朝鮮忠清南道燕岐郡出身の政治運動家、平和運動家、頭山満門下の右翼である。 私財をつぎこんで授産所や診療所の運営を行っていた。 原水協に先んじて、原水爆実験禁止運動を手がけて、100万人の署名運動を起こした。 世論新聞社社主、平和公論社社主、財団法人平和厚生会理事長、国民民主党総裁、日本民主党総裁。 自称していた略歴は下記の通り。 本籍東京都、広島県出身。1938年誠進會設立、1940年専修大学経済専科卒。1945年国弘通信社社主、誠進會を政経社に改組。
森口 忠造(もりぐち ちゅうぞう、1909年1月27日-19… 森口 忠造(もりぐち ちゅうぞう、1909年1月27日-1988年9月9日)は、専修大学理事長・専修大学総長。元毎日新聞社事業部長。